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カテゴリー:コラム
これまで、YouTubeの著作権問題について、何度か記事にまとめてきました。
仏教経典や御詠歌など、通常は著作権を主張しない性質の著作物について(著作権を持たない第三者が意図的に)「経典」や「御詠歌」のコンテンツを自身の著作物として登録している事例があります。
そのような場合、読経や御詠歌の詠唱などをYouTubeにアップロードすると、YouTubeから著作権の警告が送られてくるのです。
メールにはこのように警告が届きますし
YouTubeチャンネルのダッシュボード(管理画面)には次のように表示されます
もちろん、そんなことを言われる筋合いはありませんので、粛々と正当な理由を述べて異議申請(つまり、書作権侵害をしていないという異議申請)を行います。
その結果、当然ではありますが、こちらの主張が認められて警告は消えました。
特に著作権の効力が切れた読経や御詠歌でコンテンツIDを登録して、YouTubeの誤作動を促し、広告収入を得ようというアングラ系のサイトは残念ながら次から次へと生まれています。
YouTube運営側のAIの誤判断である場合においても、第三者の悪意ある異議申し立てについても、放置はせずに断固として異議申し立てを行っていくことが必要であると考えます。
コラム連載企画(3) ※↑たて書きで読む 推奨
概説 情報環境の変化により、私たちは新しいメディアに適応する過程で違和感を克服してきた。メディアの進展は社会環境や生活リズムを劇的に変える力を持つ一方、リアリティー感覚の喪失をもたらす可能性もある。
仏教とメディアの関わり②
私たちを取り巻く情報環境は時代とともに変化しています。
そして、その変化の節目、段階ごとに、私たちは違和感、非現実感、擬似的な印象を受けてきたのではないでしょうか。
例えば、書物を木片や紙に写した版木で大量に流布できる環境になった段階、活版印刷と製本により自由な組み合わせの印刷物が大量に製造できるようになった段階、新聞の普及により、即時的に情報伝達が出来るようになった段階、ラジオやテレビでの伝達手段が普及した段階、そして、コンピュータやスマートフォンのような電子メディアを活用したCMCなど、各段階において、私たちは環境の変化を強いられてきたと考えられます。
簡単に言うと、古いメディアに囲まれた環境に慣れ親しんだものが、新しいメディア環境に接したときに感じる違和感です。
私たちはその度に違和感を覚えつつ、それを克服することを繰り返してきました。
それゆえ、近年の「メディアが人間のリアリティー感覚を変える」という論議は、決して電子メディアの登場によって初めてなされたものではなく、これまでも何度か論議されてきたものなのでしょう。
しかし、ここ数年間の電子メディアの進展によって、社会環境、生活世界は劇的に変わりました。
私たちが対応出来る速さを超えて経験世界の構造変容、生活リズムの変化が生じています。
そして生活世界の多元化は、リアリティー感覚の喪失をもたらし、何が現実で、何が仮想かが分からない状況を生み出す危険性を併せ持つことになります。
コンピュータでゲームをしている時には、実際にそのゲームの世界の中にいるかのような仮想体験をしたとしても、その仮想世界での感覚は、現実に戻ったときには現実の感覚に戻るのが通常でした。
しかし、その経験が積み重ねられて内在化することによって、その感覚が新たなものへ変化することもあるでしょう。
新たな感覚様式の枠組みが形成されたとき、私たちにどのような影響をもたらすのかを考えることは重要なことと言えます。
特にCMCにおいては、別の感覚への自己の分離が従来のメディアよりもさらに明確に起きると考えられます。
シミュレーションゲームなどは、コンピュータによって生成された仮想的な状態により別の自己を演じることが前提とされているので、本来の自己の持つ現実感覚とは切り離され、メディアと接続されたことによる別の世界の感覚を持ちやすくなります。
その理由は、コンピュータの場合はテレビのように受動的に見るのとは異なり、能動的に画像や音声に働きかけることによります。
それゆえ、インターネットネットサーフィンにおいても同様の効果があると考えられます。
宗教との関連で考察を進めると、例えばインターネットを介して宗教サイトを訪問した際に、実際にその宗教施設の中にいるかのような体験をすることも可能になります、たとえそれが現実に戻ってその感覚が失われたとしても、その経験の積み重ね、内在化によって新たな感覚様式が形成される可能性も指摘されます。
宗教はメディアそのものであり、情報環境の変化とともに歴史を歩んできたことは前回指摘した通りです。
さらに仮想現実の世界について考えを進めてみたいと思います。③に続く
コラム連載企画(3) ※↑たて書きで読む 推奨
仏教とメディアの関わり①
概説 貞昌院はインターネットが出始めたころからホームページを開設し情報発信を行ってきた。歴史的に宗教が新しいメディアを積極的に利用してきたことを考えると、驚くべきことではない。古来より、宗教は文字、印刷など、時代の最新メディアを用いて教義を伝えてきた。情報革新が進む現代においても、宗教が最先端のメディアで情報発信を行うことは当然であり、「珍しい」という認識は先入観に過ぎない。メディアは、人と人、自己と他者を繋ぐシンボルであり、宗教の仮想現実的な側面と相性が良い。CMCもその一つと言える。
貞昌院では寺院のホームページを1996年(平成8年)春から運用しています。(※1)
当時はまだインターネットがようやく普及し始めた頃であり「お寺がホームページを開設しているなんて珍しい」と良く言われたりしたが、実はそれは大きな誤認識であり先入観からくるものと感じます。
なぜなら、歴史を紐解くと時代の最新メディアを宗教が牽引してきたという事実があるからです。
太古の時代、原始的コミュニケーションから文字が生み出されたことによって、人間は世界を分節化し論理的な思考の構造化が可能になりました。
例えば世界最古の文字とされる古ヨーロッパのヴィンチャ文字は農業社会の宗教的な内容が書かれているし、中国殷時代の甲骨文字は殷王室の宗教的卜占に使用されたものです。
また、現存する世界最古の印刷物は日本・奈良時代の百万塔陀羅尼という経典である。十五世紀にヨハネス・グーテンベルクが活版印刷を行った最初の印刷物は聖書でした。
情報記録のための石・粘土板・板・紙といった媒体の進化、印刷技術の発明は情報の画一性・均一性・反復可能性を飛躍的に向上させた。このことは宗教にとっては、教義を時間的空間的制約を超えて幅広く伝播させることが可能となったことを意味します。つまり、仏教を含む宗教界がこれらのメディアを積極的に利用し発展させてきたのは、布教=教義伝播に対する意欲からなのです。
記録された文字情報が印刷技術や製本技術によって大量に作成することが可能になり、経典を大量に頒布することにより宗教改革のように歴史的変革をももたらす契機にもなりました。
ここに挙げた事例はごく一部の顕著なものであるが、このように時代ごとの最新メディアには、宗教が大きく係わっていることが分かる。むしろ、情報革新が目覚ましい今の時代だからこそ「お寺がメディアを牽引していく」ということは何の不思議も無いことなのです。これが「お寺がホームページを開設しているなんて珍しい」と考えること自体、先入観以外の何でもないと考える理由です。
次に「メディア」について考えてみます。
メディアという言葉はmediumの複数形であり、真ん中にあるものということから、媒体・仲介という意味が発生したとされます。英和辞典でmediumの項を見ると、中間・中ほど・中庸、中程度の物・中間的性質の物・中間物、媒介物・媒体・媒質などとともに(死者の霊魂・別人の人格・超自然力が乗り移ると称する)霊媒、巫女などの意味が記述されています 。このように霊媒、巫女という宗教的要素ががメディアの意味をもつことは注目すべき点です。
メディアとは、人と人との間を結ぶ意味あるシンボル、自己と他者との間に情報を伝達する介在する意味のあるシンボルであるということが出来るし、まさに人と人の間の仲介をするもの全てがメディアと考えて良いでしょう。
宗教は元来、仮想現実の側面を持つものです。布教=メディアによる情報伝達という構図から、インターネットによる情報受発信などに代表されるCMCも宗教の性質と融合しやすい性質を持つものなのす。(②に続く)
コラム連載企画(2) ※↑たて書きで読む 推奨
伝統とは ~時代や環境の変化に即応して変わり続けるもの~
今回は仏教やお寺についてのイメージについてよく語られる「伝統」について考えてみます。
伝統とは何か、を言葉で表現することは難しいことですが、辞書で調べると伝統とは「ある集団・社会において,歴史的に形成・蓄積され,世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習。」(大辞林 第三版)とあります。
しかし、伝統は古い内容をそのまま旧態依然、変化なくそのまま受け継がれるのではなく、実際に私たちが伝統的であると思っている事象は、意外にも歴史の浅いものが多いのです。
冠婚葬祭の衣装を例に挙げると、今では黒い衣装は葬儀、白い衣装は結婚式という固定概念がありますが、歴史を紐解いてみると昭和初期までは葬儀の際には白い装束が普通でした。葬儀の際の衣装が黒になったのは戦後急速に普及した洋装によるものだとされています。
また、結婚式の衣装は昭和初期までは黒地を基調とした和服が普通でした。今の葬式が黒、結婚式が白という概念はわずか数十年の間に逆転して根付いたものです。
葬儀の例に関連して葬送儀礼についても言及すると、昭和初期までは日本の埋葬文化は土葬がその中心を為していました。火葬が普及し始めたのは戦後です。昭和四〇年に火葬は約三割ほど。このあたりから墓地の形態が土葬による埋蔵から火葬の埋骨へと大きく変化しました。
ほんの一例を挙げましたが、伝統的と思われていることが如何に歴史が浅く、短期間の間に形成されたものであるか分かると思います。
日本人は特に世界の中で慣習、文化を変化させることに寛容であると感じます。
それは、日本文化の根底に根付いている仏教の寛容性にも通じることがありそうです。
インドで生まれた仏教は世界各地に全くといって良いほど異なった形で伝わっています。伽藍の建築様式、儀礼の内容、葬儀、埋葬の仕方、墓地の形式などは狭い日本の中の同じ宗派であっても地方によって多種多様です。それが仏教の寛容性です。仏教が伝統的であるという場合、それは決して「頑なに旧来の伝統をきっちり守る」「変化しない」という意味ではありません。
英国の歴史研究家エリック・ホブズボームは、「伝統は創造されるものである」ことを主張しました。「伝統」は昔から受け継がれてきたものと考えられているが、実際は違い「伝統とされるものの多くは近年になって創り出された」のだとする考え方です。
つまり、伝統とはこれまで伝えられてきたものを、そのまま受継いでいくものではなく、その時代や環境の変化に即応して変化する性質のものであるということなのです。その臨機応変かつそれを受け容れる寛容こそが永い歴史を生き抜く力となり、ある事柄が伝承され残されるための必要な命題であると考えます。
伝統とは地域社会に根ざしその時代とともに変わり続けていくものなのです。今、私たちの生活で規範とし常識とされていることは、数十年も経たないうちに全く異なるものへと変化していることでしょう。
コラム連載企画(1) ※↑たて書きで読む 推奨
街の変遷と歴史の継承における寺院の役割
寺院が持つ「地域の核としての永続性」と「歴史資料の継承」という二つの特徴は、変化を続ける街の記憶を記録し、歴史を未来へと継承する上で不可欠であると考える。
寺院の果たしている重要な役割について、古地図や航空写真、そして自身の経験をもとに検証していく。
古地図を片手に見知らぬ場所をその時代を想像しながら旅すること、それが私の趣味の一つです。初めて訪れる街では可能な限り自分の足で歩き、歴史や文化的背景の足跡を発見することはこの上ない喜びです。それが高じて大学では都市計画を専攻し卒業後は現場から設計、計画と一連の実務に携わってきました。
寺の住職となった現在では、寺院が古来から地域の核となり、大きな役割を果たしてきたことを改めて感じています。
貞昌院は禅宗の一派、曹洞宗の寺院で、横浜市南部の港南区に位置しています。かつては相州鎌倉郡に属し、戦後間もなくまでは農村地帯でしたが高度経済成長期を機に都心へのベッドタウンとして大規模な住宅開発が行われました。山を削り、谷を埋め、集落を取り壊し、一度リセットして新しい街を造成するという開発手法は周辺環境を一変させました。昭和三〇~五〇年台にかけて地域の人口は十倍に増加し、九割近い方々は外部からの移転者ということになります。貞昌院では、継続的に航空写真を撮影し、廊下にその写真を並べて掲示していますが、それらを比較すると著しい変化が一目瞭然です。
このような街の開発手法は、全国各所で行われてきました。
大規模開発により街を一気に造り上げるという手法は、効率的で日本が経済大国になる要因となりました。しかし反面、過去の情景や記憶を消し去ってしまいかねません。
この断片化されてしまった歴史を繋ぎとめる重要なランドマーク、それが寺院であると考えます。
江戸時代の小地図切図、明治初期の迅速測図、古い地形図や航空写真などを現在の地図と重ねあわせてみると、寺院は時代を経ても、大抵その場所にあり続けることがわかります。寺院の位置を元に、そこから相対的に他の場所を特定出来るのです。
そればかりではありません。寺院には、その寺院の住職が代々継続的に寺院を護りながら寺院に住しています。これは歴史資料が継承される上で重要な意味を持ちます。
すなわち、寺院の持つ「全国各所に点在し」「地域の核として」「その場所にあり続け」「その場所の情報を受け継ぐ人が居る」という特徴は、変革する街の記憶を記録する役割として、時代の縦軸をつなぎ、時代ごとに街の核として横軸を繋ぐという大きな役割を果たしているのです。この特徴は、他の街の施設ではなかなか無いものです。
例えば、学校では先生が定期的に転勤し、居住地の学区に着任することがありません。役所では公文書の保存年限が定められていますし、役職員が継続的に同じ職場に居るということは少ないでしょう。古くからの旧家に保存されている貴重な歴史資料が世代が変わるとゴミとして処分されてしまう事例も少なくありません。歴史文化資料を継承する環境を維持し続けることは容易ではないのです。
都市開発によって失われつつある歴史を繋ぎとめ、未来へと引き継いでいくために、寺院の果たす役割はますます重要になっていくでしょう。
■関連ブログ記事
カタストロフィーと寺院の役割
みんなでつくる横濱写真アルバムシンポジウム
貞昌院のWebsiteには、平素より多くの訪問をいただき感謝申し上げます。
どの検索キーワードでどのくらいの数の方が訪問くださったかということは、サーバーのアクセスログやGoogleConsoleなどで知ることができます。
直近1カ月のGoogleConsoleで"teishoin.net"を見てみると、このように「おみくじ」関連のワードからの訪問が上位を占めています。
お盆の季節なので、「精霊棚の作り方」などのワードも入ってきてはいますが、通年をとおして「おみくじ」関連のワードは安定しています。
貞昌院では、「天神おみくじ」という江戸時代に貞昌院十四世哲航大賢大和尚(寛政5年示寂)の時代に作られたもので、横浜市の指定文化財となっています。
文化財なので、気軽に引いていただけるよう、インターネットを通じて「天神おみくじ」を引けるようにしております。
なぜこれほどまで多くの方にご訪問いただいているのかを考えてみました。
おみくじは古いものほど凶の割合が多い傾向にあります。
江戸時代の観音籤は全体の三割が凶だった。歌占は四割が凶のものもある。これは、当時は現代に比べてどうにもならないことが多く、今よりもずっと現実意識が厳しかったという事だろう。 それに対して現代のおみくじは凶が少なくなっている。<中略>凶を避ける傾向は現代のおみくじに広く及んでおり、初詣のシーズンには新年から参拝者をがっかりさせたくないという理由から凶を入れない寺社もあると聞く。 (『おみくじの歴史』出版年月日 2023/12/20 ISBN 9784642059831 P.247)
さらに、その凶の説明についても、その表現がストレートなものが散見されます。
その一例(とある凶の例)をご紹介すると、次のような感じです。
御籤の左上に布団にあおむけに寝ている人の絵が描かれています。
そして、その説明文が「死したる 人の如し」!!!
添えられている和歌が「何とただ 祈る方なき我が身かな 世に住む甲斐も 涙ばかりに」
●此みくじに当たらば荒神氏神を別けて念ずべし ●願い事 日頃の苦労も無になり事破るる也 ●待ち人 来るべき心もなし ●失せ物 尋ぬべき方も無く皆我が損になる ●病事 灸薬針少しの験もなく次第次第に重なる也 ●言い分 十分ながら我が非になるべし ●縁の道 調わず ●走り人 見えず ●買い置き物 損を得べし ●産 重し殊に産後難しいからん慎むべし ▲占の心 顕也 何事も我が身ひとつの悲しみとなるべきまま心して慎むべしと也 |
実に驚くほどストレートな表現ですね。
このように、かつて用いられていた表現が、時代が下るにつれてヌルくなっていく事例として、最近のYouTube動画で次のようなものがありましたので併せてご紹介します。
「カチカチ山」とかいう和製サウスパーク、いつからヌルくなったのか
この動画で、VYuberの月ノ美兎氏は、童話『カチカチ山』」を題材に、タヌキが「ばばあ汁」をじいさんに振る舞う場面が、今は無いらしいということを国会図書館の蔵書などの『カチカチ山』を100冊以上読んでその結果を体系的にまとめています。
その中で、「個人的には因果応報について否定的よりとしつつ、ガキ(子どもたち)が一番最初につけるグロ耐性として最適なのかな、と・・・」というコメントをされています。
カチカチ山に限らず、童話や民話は、現代では絶対にしないような内容や表現に関する規則・規範から逸脱している表現がいくつもあります。
日本だけの傾向ではなく、世界共通の傾向であり、童話は得てして残虐なものが多いのです。
例えるならば、子どもがカッターナイフを使って怪我をしたとしても、その怪我の経験が以降、安全にカッターナイフを使うことを実体験で学ぶというようなもので、様々な耐性をつけることによって、厳しい環境を乗り越える力を得るというようなものでしょう。
貞昌院の本堂には、地獄絵図が掲げてあります。
平安・鎌倉時代、古来より数多の絵師によって生々しく描かれてきた地獄の様子も、同じような意味を持つのでしょう。
どうです?
これらの絵はR指定されていないんですよ。
私たちは人から伝え聞いたり読書や絵を見たり読んだりすることによって疑似体験として体得することができます。
そのような疑似体験は、記憶に強く残り、受け手の生き方や判断に影響を与えたりします。
特に感受性の高い子供の時代に体得した疑似体験の影響は大きいでしょう。
日本や世界各地で伝承されてきた民話や童話、物語などが時代の変遷とともにどのように改変されてきたのか、その理由は何なのかを考察していくと、新たな発見があることでしょう。
話をおみくじに戻します。
貞昌院の「天神おみくじ」は、おそらく版木が完全に残る日本で一番古く、一番凶が多いおみくじの一つです。
制作された寛政年間の、そのままの表現で掲載し、そのままの状態で引けるようにしております。
それゆえ、表現が多少ストレートですが、当たるも八卦、当たらぬも八卦・・・・
おみくじの結果は、戒めや教訓として捉えてください。
もし気になるようでしたら貞昌院で御祈祷供養いたします。
おみくじは、そもそも人間が決めかねる重大事について神事をうかがうものだった。だからこそ神仏に祈念してから引くのである。平安時代の終わりごろから江戸時代まで、天皇や将軍を決める、戦いの日時や攻める方角を決める、お告げの真偽を見定めるなどして、国や人生の重大事を判断するのにもちいられていた。 (『おみくじの歴史』出版年月日 2023/12/20 ISBN 9784642059831 P.243)
時代は下り、明治に入り文明開化の時代になり科学的な考えが広まる中、加持祈祷やまじないとともにおみくじも非合理なものとして批判されるようになっても、おみくじが無くなることは無かったのです。
その一例として、大正十二年の関東大震災発災直後、十万人を超える被災者の避難所となった浅草寺の記録があります。
鎮火してからは被災者の参詣も増えてきたが、火難盗難などのお守りは焼け出された身には必要無いと思ってか、災難除けのものは少しも売れず、おみくじを引く御籤場がひたすら大繁盛であった。身分や職業、年齢を問わず、みな等しく目の前の運命に不安を抱いており、科学や知識が頼れない世の中で、より偉大な何かにすがろうとする気分のあらわれではないだろうか。 (『地震大火大東京炎上実記』東文社 1923年)
現代社会においても、地震や豪雨などの自然災害をはじめ、世の中にはどうにも変えられないことがらに満ちている。人生も、病気や介護、家庭・学校・職場などの人間関係、金銭問題など、たやすく解決できない悩みにあふれている。例えば引きこもりや不登校、うつ病、慢性の病気や不治の病、心身の障害、依存症、介護、家庭内暴力、ハラスメント等々。そのほとんどが即座に解決することはない。考えてみると、人生における悩みの多くはそう簡単に解決するもの無いといってよい。不安を抱えながら、少しでも良い方法が見つかるよう探したり、様子を見ながら付き合っていくしかない。医療や福祉の発達した現代ですらそうなのだから、昔の人たちの悩みは推して知るべしである。
(『おみくじの歴史』出版年月日 2023/12/20 ISBN 9784642059831 P.246)
生老病死が周囲に身近にごく当たり前の現象としてあった当時の人々にとって、例で出したようなストレートな表現だからこそ、どうにもならない苦難を乗り越え、希望を持ち続け、今をより良く生きるための戒め、あるいは支えのことばとしての重みをもっていたのだと考えられます。
■関連ブログ記事 おみくじの歴史
今年の夏は「リュウゼツラン」というワードが広がりSNS上でも目立つようになりました。
その伝播を時系列を簡単に追ってみてみましょう。
まずは時系列をざっとまとめてみます。
時系列 | リュウゼツランに関するトピックス |
2012年頃 | 上永谷入口交差点でリュウゼツランが根付く |
2024年5月 | リュウゼツランの花茎が突然伸び始める(株年齢12才) |
2024年6月1日 | 貞昌院によるX投稿(tweet) |
2024年6月17日 | TBS系列「ゴゴスマ」で貞昌院住職撮影の写真が紹介。茎に支えが設置される。 この日以降リュウゼツランが毎日中継される。 |
2024年6月21日 | テレビ朝日系「スーパーJ チャンネル」で貞昌院住職のインタビューが紹介される |
2024年6月24日 | TBS系列「ゴゴスマ」に東京ディズニーリゾート公式からリュウゼツラン開花の情報が届く |
2024年6月~7月 | 日比谷公園、志摩エスパーニャ、八景島シーパラダイス、大阪花の文花園など全国各地で開花情報が相次ぐ 以降、テレビ・ラジオ・新聞などでリュウゼツラン開花の話題が目立つようになる |
2024年7月14日 | 上永谷のリュウゼツランの下半分が開花(勝手に開花宣言) |
2024年8月2日 | 上永谷のリュウゼツランが上部まで満開に NHK"数十年に1度のはずが全国で相次ぎ開花 なぜ?" |
全体を通してみると、やはりマスコミの影響は大きく、全国放送の昼の帯番組で連日経過を放送したり、夕方の情報番組で詳細に経緯を紹介したり、といったことがあり、上永谷のリュウゼツランは観光地化して常に人が絶えない状態になりました。
上永谷のリュウゼツランは、片側3車線の幹線道路の駅前交差点ど真ん中で、誰が植えたわけでもない育てられたものでもない、路上に自然に育った株がいきなり高さ10m弱の花茎を伸ばし咲かせたのですから、その珍しさもあって話題が広がったとも感じます。
図: X(Twitter) "リュウゼツラン" キーワードのXポスト数の推移(7月14日にリュウゼツランの開花が報道されたころがピーク)
図: Google検索 "リュウゼツラン" 検索ワードの推移(Googleトレンドより作成)
今年は特にリュウゼツランの花が当たり年になっていることや、リュウゼツラン開花の報道が目立った結果、1つが注目されることにより、普段注目されていない株が注目されるなど、波及効果もあるのでしょう。
これまでもリュウゼツランは咲いているでしょうが、今年ほど同時多発的に一斉に咲く年は無かったと思います。
ここ数年、温暖化の進行により、記録的な猛暑があたりまえになっています。
リュウゼツランのような熱帯性の植物にとってはこの上ない生育環境といえるでしょう。
気温が高い状況下では開花に至る年数(世代サイクル)が短くなりますので、来年以降は今年以上に当たり前のように各所で開花していくのではないかと思われます。
また、貞昌院もテレビの報道番組において何度か取り上げていただきました。
貞昌院では ブログに書いていない期間でも定期的に写真などを記録しています。
リュウゼツランにつきましては、当ブログでも度々取り上げています。
・上永谷駅入口のリュウゼツラン (2024/6/1)
・リュウゼツランとハッカチョウ (2024/6/21)
・リュウゼツランが開花!!! (2024/7/14)
・リュウゼツランが満開へ (2024/7/19)
・リュウゼツランは花から実へ (2024/7/22)
8月に入り、花期の最盛期は過ぎ、現在は株の上部が満開、中段より下は花托が飛ばされ無くなりつつあります。
この後は、花托・実の部分は風に飛ばされるなど、次々と花茎から離れていっています。
そのうちに、全体が枯れていくことでしょう。
最後まであたたかく見守っていきたいところです。
ベランダの鉄パイプの中で育っているシジュウカラの雛が育ち、鳴き声も大きくなりました。
雛鳥の鮮やかな黄色いくちばしは、巣の中ではとても目立ち、親鳥が餌を与える給餌行動を刺激する役割があります。
Nature Communicationsに、親鳥の給餌行動の際に、どの雛に餌を与えるかについての研究論文が掲載されています。
Unpredictable environments lead to the evolution of parental neglect in birds
Shana M. Caro, Ashleigh S. Griffin, Camilla A. Hinde & Stuart A. West
この研究では、給餌の際にどのように雛を選ぶのか、に関する鳥類143種のの306の論文を分析しています。
通常は、親鳥は餌を強く求めている雛に優先的に餌を与えたがります。
しかし調査対象種の4分の1では、餌を強く求めている雛を無視する行動が見られました。
結果として、恵まれた良好な環境に巣がある場合、餌を強く求めている雛は、より強く餌をねだり、親鳥は餌を優先的に与えます。
逆に、恵まれていない環境に巣がある場合、親鳥は、餌を強く求めている雛にはあまり注意を払わない傾向にあるようです。
巣の置かれている環境条件が、親鳥と雛の関係性に変化をもたらすということはとても興味深いことです。
ベランダのシジュウカラの巣は、人間の生活圏のすぐ目の前にあります。
比較的安全な場所を選んでいると思いますが、恵まれた環境なのでしょうか。
どの雛も均等に育っているところ、同じ場所に何度も営巣していることから、安全でストレスのない環境と思われているのかもしれません
環状二号線上永谷駅前交差点のリュウゼツランから花茎が突然伸び始め、まもなく開花しようとしています。
→上永谷駅入口のリュウゼツラン
片側3車線の交通量の多い幹線道路にかかる駅前の交差点の真ん中に生えているということで、テレビや地元紙の報道などもあり、多くの方に注目されるようになりました。
万一、長い花茎が倒れてくる可能性を考え、安全のために道路管理者によって支柱も設置されています。
このリュウゼツランは、正式には「アオノリュウゼツラン(Agave americana)」という種類でアメリカ大陸中南米に主に生息する植物です。
テキーラの原材料としても有名ですね。
センチュリープランツという別名がある通り、100年に1度開花するということですが、実際は、もう少し早く、十数年から数十年程度でも開花するようです。
花を咲かせると、その株は枯れてしまいます。
リュウゼツランは、鑑賞用に育てられることも多いので、植物園や大きな公園などでも見ることができます。
日本全国にどれだけの株が生息しているかわかりませんが、仮に1万株あるとして、平均20年で開花すると仮定した場合、日本のどこかで毎年500のリュウゼツランの花が見られる計算になります。
また、地球温暖化の影響で、熱帯性の動植物にとって生育しやすい環境になっていることから、リュウゼツランの数も以前に比べて増えてきていることも推測されます。
今年は特にリュウゼツラン開花の報道が多いので、花の当たり年になっていることや、1つが注目されることにより、普段注目されていない株が注目されるなど、波及効果もあるのでしょう。
その上で、上永谷のリュウゼツランの特異性について言及すれば、
(1)公道の植栽植込みの中で
(2)自然発生的に発芽し
(3)植栽管理、草刈りの際にも生き残り
(4)十数年ゆっくり育ち
(5)突然太い花茎を何mもの高さに伸ばし
(6)今まさに開花しようとしている
ということにあると思います。
植物園や公園で育っているのであれば、それぞれリュウゼツランを管理をしながら育てているのですが、上永谷のリュウゼツランはそうではないからです。
普通であれば、道路管理者により、排除されてしまっていたことでしょう。
実際、この周囲に何株かのリュウゼツランが道路の緑地部分生えていたのですが、他の株はいつの間にか無くなっていました。
では、なぜ、公道の植栽植込みの中でリュウゼツランが生えたのでしょうか。
当ブログ記事の2011年10月 9日 上永谷のハッカチョウ で書いたのですが、2011年から2012年にかけて、ハッカチョウ(八哥鳥)というムクドリの仲間の外来種の鳥がこの交差点近辺のケヤキの街路樹に大量に棲息して、朝どこかに飛んでいき、夕方には街路樹に戻り、大騒音をたてていた状況が続きました。
あまりにも多くのハッカチョウが群生していたため、周辺住民の苦情によりケヤキの剪定が行われたため、2012年以降はハッカチョウはそれほど多く群れることは無くなりました。(少なくなったとはいえ、現在でも姿はよく見かけます)
このハッカチョウですが植物の種(特にマメ科の種子)が大好物ということです。
また、リュウゼツランの実は数ミリの大きさの黒い種です。
なので、きっと、2011年ごろ、ハッカチョウ(他の鳥の可能性もありますが)が周囲のどこかで咲いたリュウゼツランの種子を食べ、フンと一緒に植込みに根付いたものが、ゆっくり育っていったのだろうと推測します。
もちろん、他の理由もあると思いますが、いずれにしても、意図的に植えられたものではないでしょう。
■種子散布者として期待できる野鳥20種:ムクドリ(ムクドリ科) |
Google Street viewで確認すると2010年にはリュウゼツランは確認できません。2014年にはリュウゼツランが確認できます。
私自身も、この場所にリュウゼツランを確認したのは2012年以降なので、ハッカチョウが群生していた時期と一致します。
この周囲にも何株か育っているので、鳥などが種を運んできて自然に育ったものと考えて良いでしょう。
また、この交差点以外にあった何株かのリュウゼツランは、いつの間にか無くなっていますので、道路管理の中で刈り込まれたか、自然に枯れてしまったかという事だろうと思います。
現在、花を付けようとしている株と、そのすぐ隣にあるもう一株は奇跡的に生き残りました。
リュウゼツランは、花を咲かせると、その株は枯れてしまします。
上永谷駅入口交差点のリュウゼツランは、12年ほどかけてゆっくりと育ち(あまりにもゆっくりとした成長なので、気に留めている方はほとんどいなかったと思います)、5月に入り、急に花茎が大きく伸びてきたことで、5月終わりごろには徐々に人の目に留まるようになりました。
交通量の多い交差点の真ん中のリュウゼツランなので、SNSもそうですが、報道などによって、多くの方に見守られて、まもなく満開になろうとしています。
満開になると、黄色い花で花茎が彩られます。
きっと遠くからも良く見えるような花を見せてくれることでしょう。
大型連休が始まります。
休日に旅行を計画されている方も多いことでしょう。
そんな中、外国為替市場の円相場は、対ドルの円の価格が下落基調にあり、1ドル=158円台にまで達しました。
これだけ円が安くなったのは1990年以来34年ぶりということです。
アメリカ経済は、例えば株式市場は2009年以来上昇を続け堅調に推移し、アメリカでの金利利下げの可能性が少なくなり、金利がほとんど無い日本との金利差が続くということが大きな要因として挙げられています。
浅草寺を訪問した際には、その参拝客の多さのなかで、訪日旅行客の多さに驚かされました。
円高の進行により、海外からみる日本は、けた違いに物価が安い国として見られています。
円安・円高のメリットデメリットはそれぞれあるものの、急激な変動は決して良い影響をもたらしません。
日本の様々な分野における産業構造が抜本的に変革していかなければ、急激な為替の変動に対応することはできないでしょう。
今後の経済の動向を注視していきたいところです。
注:4月1日午前中のブログ記事です。
表面上いくら取り繕ってリライトしても、心の中で思っていること、当人の資質は変えられないAI知事訓示(AIによる校正) | 校正前原文 |
AI知事と申します。この度、皆様は静岡県庁の職員として選ばれ、4月1日より勤務を始めることになりました。静岡県庁には約5800人の職員が在籍していますが、私を含めた全ての職員代表として、心から歓迎の意を表したいと思います。 県庁の職員になるには、高度な知識や準備が必要なので、難関だったと言えます。皆さんは233人の同期となりました。本日、本庁に配属された方々は77人います。残りの156人は各出先機関での業務に就き、研修を受けていることを承知しています。全員とお会いし、お話をすることができれば良かったのですが、77人の方々とお目にかかれたことを非常に嬉しく思っています。 今年は能登半島で大地震が発生し、多くの方々が苦しい生活を送っています。危機管理が最も重要なことです。静岡県は1979年に東海地震の被害を受ける可能性があると予測されたことから、危機管理のための防災訓練を毎年行ってきました。そして、東海地震だけでなく、東南海地震や南海地震との関連も考慮し、万が一の際には最大限の被害を防ぐための対策を講じてきました。静岡県だけで10万人以上の被害が出る可能性があるとの試算もありますが、現在は8割の人々が救助される見込みです。しかし、全員の救出は困難です。ですから、能登半島の地震は私たちには関係のないことではありません。 いつ地震が起こるかわからない状況です。私たちは公務員として、まずは自身の危機管理を最優先に考えなければなりません。同時に、他の人々を助けるために何をすべきか、各班や部署で共通の認識を持つことが重要です。抜き打ちの防災訓練も行われる可能性があるため、落ち着いて他の人々を助けるために自身が何をすべきかを心得ておくことが必要です。 静岡県庁としては、360万人の人々の命と財産を守るために危機管理に全力を注いでいます。また、公務員としては、人々の役に立つこと、社会に貢献することが非常に重要です。自身が職員として立派であることはもちろんですが、他の人々から尊敬されることも大切です。従順な態度や法令遵守はもちろんのこと、質素であることも求められます。 言葉遣いも非常に重要です。ですます調を基本として、上司や年輩の方々に対しても敬意を持った態度を示すことが大切です。また、他の人々が困っているときに助けることも私たちの仕事です。部署によっては担当ではないかもしれませんが、静岡県庁に訪れる人々は助けを求めています。その人々の力になるために、一緒に考えることが重要です。先例や経験にとらわれず、解決策を見つけることが求められます。 静岡県は「ふじのくに静岡県」と言われます。富士山は2013年に世界文化遺産に登録されました。信仰の対象や芸術の源泉として、品格のある姿勢を持つことを心掛けてください。富士山に向かって恥ずかしい行いをしないようにしましょう。自己を知り、他者や地域のことも理解することが重要です。 皆さんは優れた能力を持っていますが、時には理解されにくいこともあるかもしれません。そのような場合でも、情理を尽くすことが重要です。理屈ではなく、心からの相談や助言が心に響くこともあります。情と理を持ち合わせ、自身の信念を貫くことが大切です。 そのためには、学びが必要です。静岡県庁は知識と知性が求められる場所です。知識を磨く方法は様々ですが、知性を高めることが重要です。また、感性も豊かにする必要があります。美しい絵や音楽、映画、演劇に触れることで感動を覚える心を持つことが望ましいです。自身が他の人々に追いつけないと感じても、知性を大切にすることが重要です。そのためには勉強が不可欠です。 体力の鍛錬も重要です。スポーツが苦手な方もいらっしゃるかもしれませんが、スポーツを楽しむことも可能です。芸術を愛することも重要です。文武芸のバランスを保ち、豊かな人間になりましょう。 他の人々のためを思い、行動することも重要です。人々が困っているときに助けることは、私たちの使命です。静岡県庁を訪れる人々は助けを求めています。たとえ担当でない場合でも、その人々の力になるために一緒に考え、行動しましょう。 私自身も自らに課していることがあります。それは「来るものを拒まない」ということです。知事室はいつでも開放しており、私の知事室は誰でも入ることができます。また、「助力を惜しまない」ということも大切です。私たちは他の人々を助けるために存在しているのですから、見返りを求めることはありません。 現在、静岡県は注目を浴びています。移住希望地のナンバーワンに4年連続で選ばれています。毎年、移住者の数も増えており、2020年には約1300人、2021年には1800人~1900人、2022年には2600人が移住してきました。昨年の数字はまだ出ていませんが、実際に移住してくる方々の年齢構成も分かっています。30代前後の方が全体の8割以上を占める驚くべき事実です。具体的には、2020年で30代前後が81.4%、2021年では82%以上、そして2022年では83%にもなります。この年齢層では、結婚や子育てなど、一番お金がかかる時期です。静岡は食材も豊富で自然も美しいため、家の中に閉じこもらずに外で活動できる環境があります。また、オンラインでの仕事も可能であり、交通の便も良いため、移住が増えているのではないかと考えられます。静岡県は選ばれる県となっています。 昨年は皆さんにとっても大変な年だったと思いますが、ようやく5月には感染症が5類に分類され、マスクの着用が必要な状況となりました。感染病のリスクには引き続き注意が必要ですが、基本的には正常な生活に戻りつつあります。その中で、昨年文部科学大臣から静岡県に東アジア文化都市の日本代表になってほしいという要請がありました。日本、韓国、中国の各国から一つの自治体が選ばれ、その年の文化の顔として活動します。静岡県は2023年に選ばれました。これまでに9つの自治体が選ばれてきましたが、静岡県はその記録を塗り替えました。参加者数の最高記録は約360万人でしたが、静岡県では1,000万人以上、具体的には1,378万人が参加しました。また、認定された事業も約300件から静岡県では1,000件近くに増えました。 このような活動には経済波及効果もあります。従来の最高記録が90億円程度でしたが、静岡県では345億円という報告があります。言ってみれば、静岡県は日本の文化首都と言っても過言ではありません。他の県を圧倒する存在です。 さらに、パリオリンピックが開催される予定ですが、静岡県では11年前の6月に富士山が世界遺産に登録されました。また、お茶畑やワサビも世界農業遺産になり、さらに地域の資源や人材も世界クラスのものとなりました。現在、静岡県は150件以上の世界クラスの地域資源や人材を誇っています。11年という期間で1カ月に1件以上の割合で認定されるほどです。静岡県はこれらの数字が示す通り、非常に魅力的な県です。 静岡県では3月23日から浜名湖畔の「フラワーパーク」と「ガーデンパーク」がオープンしています。フラワーパークは市が管理しており、塚本こなみ先生が美しい花を展示しています。そして、4月6日には静岡県が管理しているガーデンパークもオープンします。また、6月初めまで花の祭典「花博2024」が開催されています。ガーデンパークでは、世界で最も美しい庭を作れる人が展示されています。その人は「チェルシーフラワーショー」というロンドンのイベントで活躍し、ロイヤル ホーティカルチャー ソサエティーのトップであった石原和幸さんです。彼は花博2024のために富士山と浜名湖を組み合わせた作品を作りました。また、「のたね」食堂では若い学生たちがデザインした「のたねデッキ」が楽しめます。さらに、花の美術館も見どころの一つです。静岡県は花の都として知られるほど、自然が豊かで美しい場所です。こうした観光スポットを巡りながら、静岡県の魅力を感じていただければと思います。浜松はものづくりの街としても知られていますが、こんな美しい場所も存在するのです。 そして、静岡県では食べ物もたくさん楽しむことができます。439種類の食材があり、2位の県と比べてもその差は歴然です(2位は218種類)。静岡県は食材の王国とも言えます。また、704種類の花もあり、花の都としての地位を確立しています。食の都であり、花の都である静岡県では、生産を活発に行い、明るく富士山に向かって仕事をすることができます。 私は4月1日のみの存在ですが、皆さんには、これからの公務や人生が素晴らしいものになるようお祈り申し上げます。 |
静岡県知事の****でございます。このたび、令和6年度4月1日をもって静岡県庁の職員として職に選んでいただいてありがとうございました。静岡県庁の職員、5800人ぐらいいるんですけれども、県庁の職員すべてを代表いたしまして、心からご歓迎を申し上げたいと思います。 難関だったんじゃないですか?そうでもないですか。聞くところによると、県庁の職員になるには、かなり高度な知見をマスターしないといけないと、かつその他の準備があるというふうに聞いております。こういう形で皆様方、同期になられた数は233人であります。 そして、今日本庁に配属になった方たちが77人いらっしゃる。残り156人の方たちは今日1日からそれぞれの出先機関で辞令をお受けになり、そして今研修を受けられているというふうに承知しておりますが、ともあれ、本当は全員にお顔を見せていただき、またお話をしたかったんですけれども、77人の方だけとはいえ、こうした形でお目にかかれ大変うれしい気持ちです。 今年はご案内のとおり、能登半島ですさまじい地震がございまして、また厳しい生活を送られている方がたくさんいます。一番最初に心得ておくべきことは危機管理です。静岡県はみなさまが生まれるはるか前、1979年、昭和でいうと54年になるでしょうか、そのころに東海地震説が唱えられまして、東海地震、確実に静岡県は被害を受ける。1979年のことでございましたが、それ以来、毎年危機管理のための防災訓練をして参りました。そのうち、東海地震だけで単発で起こるのではなくて、東南海地震と連動する可能性もある、いや、南海地震と三連動する可能性もあるということにもなりまして、今は南海トラフの巨大地震、これはプレートテクトニクスによって起こる地震ということですが、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むときにずれて、起こる地震。この地震が仮に起こりますと、何もしなかった場合30万人ぐらいの方たちが犠牲になると言われています。そのうち、静岡県だけで10万人くらい犠牲になるというそういう数値が2013年ぐらいに出ました。静岡県では、もうその時からそれを0にしようということで、現在は8割ぐらいの人が、想定ですけれども、助かる形になっておりまして、ただし全員が助かるというわけにはいかない。ですから、能登半島の大きな地震というのは決して他人事ではありません。 従って、いつ何時そういうことが起こるかもしれない。私どもはパブリックサーバント、公僕ですから、まずは自分が元気でいなくてはいけませんので、自己の危機管理を最優先にしつつ、同時に人を助けるということですから、この人助けのために何をするべきか、それぞれの班なり部局で何をするべきかということが共通認識になっておりますので、また抜き打ちの場合によっては防災訓練が行われる可能性もあります。そのときに戸惑わないで落ち着いて人を助けるために、まず自分が何をするべきかということを心得ておかねばならないというふうに思います。 これがまず、静岡県の県庁として、360万人の人たちの生命と財産を預かっておりますので、これを守るという危機管理をしっかり胸の中に畳み込んで仕事をしてください。 それから公務員ですから、人の役に立つ、社会の役に立つということがとても大切です。なかなか自分でそういう気持ちを持っていても、それができるものではありません。そのためには、やはり職員の皆様方は立派だというふうに尊敬されていることがとても大切で、これからコンプライアンスといって法令遵守のこと、いろいろ言うかもしれませんけれども、基本的に公務員として「身に私をかまえない」と公務においては「身に私はかまえない」、大切なことですね。 それから公の仕事をしておりますから、「心は素直で嘘偽りを言わない」ということがとても大切なことです。それから、ちょっと難しいかもしれませんけれども、「上にへつらわない、下に威張らない」と言いましてね、下はいませんね。ですから、上にはへつらわないと、そういう気持ちが出てくると、逆にいばる人がいたら、こういうような上司にはならないと、反面教師にしてください。「上にへつらってはならない。下に威張らない」。 言葉遣いがとても大切です。ですから、ですます調というのが基本になるようにしていただければと思います。上司の方々もそれを心掛けていますけれども、年齢が離れていたり、責任が違いますので、場合によってはタメ口になるかもしれませんけれども、基本的に言葉遣いや礼儀正しくすることがとても大切です。 それから何よりもですね「人の艱難(かんなん)はこれを見捨てない」人が困っているときに助けるというのが我々の仕事です。ただ、それぞれ預かっている部局によって、これは自分の担当ではないということがあるかもしれません。だけど、静岡県庁に来られる人たちは何か助けを求めて来る人、援助を求めて来る人がいますから、どうしたらこの人の力になれるか、それを一緒に考えるということが大事ですね。そういう癖を持つ。これは先例がない、前例がないとかということでなく、どうしたらこれを解決できるかというように考えると、皆さんもこれから60すぎぐらいまでお仕事をされるわけですけれども、さまざまな部署に行かれると思います。そのときにどういうふうにすると、一番いいかなということ、仮にその決定権を持っていなくても考えるということが大切ですね。もし可能なら、その担当部局の方に紹介して差し上げるということも、それをできる勇気を持っていれば、大したものです。「人の艱難はこれを見捨てない」ということですね。 それから我々は「ふじのくに静岡県」と言います。富士山、これは2013年6月22日に世界文化遺産になりました。信仰の対象、また、芸術の源泉ということで、品格のある姿、その姿を自分の心の姿にしていただければと思いますね。富士山に向かって恥ずかしいことをしない。つまり、自分、天知る地知る、己が己のことを知ってますから。天知る地知る、そして自らも知っているということで、そこにですね、富士山を鏡として恥ずかしいことはしないということです。 それから、皆さん優秀ですから、なかなか思いが分かってくれない人がいるかもしれない。そういうときに情理を尽くすということが大切です。理屈ではわかってても、腹にすとんと落ちないところがあります。ですから、HEART TO HEARTで、心からこうすると本当にいいというように言って差し上げると、すとんと落ちる場合がある。ですから、情と理、情理を尽くして自分が正しいと思う信念を貫くということが大切です。 そしてですね、そのためにはやっぱり勉強しなくちゃいけません。実は静岡県というのを県庁というのは、別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとか、ということと違って、基本的に皆様方は頭脳、知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね。それは磨き方、いろいろあります。知性を磨くということ。それからですね、やっぱり感性も豊かにしなくてはいけない。体がしっかりしてないといけませんね。ですから、文武芸、三道鼎立と。文武両道で言うでしょう。しかしですね、美しい絵を見たり、いい音楽を聞いたり、映画を見たり、演劇を見たりした時に感動する心というものがあると望ましい。ですから、自分の知性があの人におよばないなと思っても、知性というものを大切にするということが大事ですね。そのためには勉強しなくちゃいけません。 それから体を鍛える。しかし、スポーツが苦手な人もいらっしゃるでしょう。スポーツを楽しむことはできますね。無芸大食の人もいるでしょう。しかし、芸術を愛することができますから、文武芸、三道鼎立ということで、豊かな人間になっていただきたいと思います。 人に情けをかける、物の憐れを知ると昔から言われますけれども、人に情けをかけることは、情けは人のためならずという言葉がありまして、つまり人のために助けるんですけれども、結果的には自分のためになっているということが多いのです。 私は今、実は8つぐらい言ったわけです。「身に私を構えず」、「上にへつらわない」、「正直である」、「上にへつらわず下にいばらず」と「人の艱難見捨てない」「情理を尽くす」「恥ずかしいことはしない」そしてですね「心理を貫く」「情理を知る」、「人に情けをかける」ということを言いましたが、富士山ですから、末広がりで8つということですが、私が自らに課していることもついでに言っておきますと、「来るものを拒まない」。知事室にお越しになる可能性があるとも思いますけれども、開けっ放しです。東館の5階にあります。私の知事室は16年前までは開かずの扉で、部長さん、あるいは副知事さんしか入らなかったそうですが、私は就任の日から、観音開きの扉は開けっ放しです。ですから、いつでも入れるようにしてあります。来るものを拒まないというそういう気持ちを表してるんですね。 それから助力を惜しまない。そのために存在してるのだと思っていますから。大事なことは次です。「見返りを求めない」ということです。とても大切なことですね。助けてやる代わりに、これこれ見返りをって絶対にいけません。来るものを拒まず、助力を惜しまず、見返りを求めず。これを実際にしてきました。 今、静岡県も注目されています。移住希望地の日本一が4年連続です。同時に移住してくる人が毎年増えているんですね。2020年に1300 人ぐらい、2021年に1800人~1900人くらい。2022年では2600人いる。昨年度どうなるかちょっとまだ数字が出ませんけれども、その実際に移住してくる方々の年齢構成もわかっておりまして、30代前後の人が8割を超えております。驚くべきことでした。つまり、2020年で81.4%の30代前後。2021年で82.数%。それは2022年で83%、つまりちょうど30前後になりますとお子様ができたりですね、結婚したり。一番お金がかかる時ですね。その人達がですね。静岡は食材も豊富だし、自然も綺麗だし、これからのように家の中で巣ごもりしなくても外に出てですね、動かせるということもあるかもしれません。恐らく、お子さんのためではないかと思います。それと同時に、仕事もオンラインでできるようになったということもあって、交通の便もいいですから。したがって移住が増えているのではないかというふうに思っていますけれども、ですから選ばれる県になっているんですね。 去年、皆さん方も大変だったと思いますけれども、ようやく5月に感染症が5類になって、またマスクされている人は大事なことです。また、感染病のリスクに用心することがとても大切ですけれども、基本的にですね。正常にだんだんなりつつあります。そんな中で昨年、文部科学大臣からですね。静岡にも東アジア文化都市の日本代表になってください、と。日本・韓国・中国、その各国から一つの自治体が選ばれまして、その国のその年の文化の顔になって、それが去年だったんです。2023年でした。そして、それまで9つの自治体がやってきたんですけど、その記録を全て塗り替えました。数字を上げますと、大体参加している人の数の最高が360万人ぐらいだったんです。1,000万を超えまして1,378万でしたかね。ものすごい人たちがですね、その文化活動に参加したんです。そして、いろいろな認定された事業というのではあるんですけども、これもですね、そういうことで300件ぐらいだったと思いますけれども、静岡県で1000件近くになりました。 それからこれは経済波及効果というのがあります。経済波及効果というのは、それまでの最高が九十数億円だったんですが、345億円といったそういう報告書が出ていますので、ご覧になればいいと思いますけれども、全ての記録を塗り替えてですね。言ってみればなんというんでしょうね、日本の本当に顔、文化首都ですね。もう自他共に許すと言ってもいいぐらいになりました。 それから、これからパリオリンピックが開かれますけれども、富士山が世界遺産になったのが11年前の6月でした。それからですね。お茶畑が世界農業遺産になったり、ワサビが世界農業遺産になったり、とうとう世界クラスの地域資源と人材、オリンピックで金銀銅メダルを取るとか、先生のようにノーベル賞をとられるとか、そういう世界クラスの地域資源と人材源がですね、今150件を超えております。ちょうど11年後、11年というと、月数に直すと132カ月、11年で。1カ月に1件以上の割合で世界クラスが降ってくるんですね。そういう県です。数字がそれを示したわけですね。 ですから、今、ウクライナであるとか、あるいはガザの人たち、人を殺めるという本当に悲惨なことが起こっていますけれども、一方で国際連合というのが戦後つくられまして、そして世界を平和にしていこうと、そしていろいろなプロジェクトを起こしているんですけども、その中に「サスティナブル ディベロップメント ゴールズ」いわゆる「SDGs」というのがあります。17のゴールが書かれているんですけども、190数カ国あってですね。一番近い理想に近いところはどこの国かというと、観光客がたくさん増えていることもあって安全だからですね。きれいな日本ではないかと思います。完成形はありませんけど、生まれて死んでいく会社が潰れるといろいろなことがありますから、完璧な姿というのは、これは理想を追い求めなくてはいけませんけれども、完璧ではないとはいえ、一番理想に近いところに日本はいると思います その47都道府県の中で、一番理想に近いのはどこかといった時にですね、ふじのくに静岡県といってもですね、そう当たらずとも遠からずというふうに思いますね。いい時に入って来られました。今はブームですね。 3月23日から浜松の浜名湖畔、そこに「フラワーパーク」というのと「ガーデンパーク」というのがありまして、フラワーパークは市に管理されているんですけど、塚本こなみ先生が美しい花を展示されています。そして4月6日、今週末にはガーデンパーク、静岡県が管理しておりますガーデンパークもオープンいたします。6月の初めまでですね、花の祭典、2004年に花博がありまして、ちょうど20周年ということで「花博2024」というのが開催中です。ガーデンパークの見どころを言っていきますと、世界で最も美しい庭を作れる人。これは世界で最も歴史の古い「チェルシーフラワーショー」っていうロンドンにあるんですけれども、20世紀初めからあります。それのロイヤル ホーティカルチャー ソサエティーのトップはこないだまでエリザベス女王でした、今はチャールズ3世ですね。そのエリザベス女王が自分の息子のように、すごく「この人は緑の魔術師だ」と言った人がいます。その人が石原和幸さんと言いますけれども、石原和幸さんが花博2024のためにですね、翡翠ナントカという富士山と浜名湖を2つを一体にしたものを作った。それから、「のたね」食堂というのがあります。そこに若い学生さんたちがデザインした「のたねデッキ」というのがあります。そこを登ってみるのもいいでしょう。それから一番奥に、花の美術館があります。そこも見どころです。ほかにもたくさんありますけど、そういうところを巡られて、静岡県は花の都なんだなという風に思ってもらう。浜松というのはものづくりの商工さんの街かと思っていたら、こんな綺麗な所がある。 実は食べるものもたくさんあるんですよ。食材は439あります。2位の所は、どこの県とは言いませんけど218です。食材の王国です。花の数もいわゆる品種としては704あります。花の都ですね。食の都、花の都ですね。そういう自然豊かなところでありますので、そこで生産量を定率して明るく、富士山に向かってこういう仕事をしたと言えるようなですね。そういうこれからの公務、そして素晴らしい人生、充実した人生を送ってくださるようにお祈り申し上げます。改めて皆様方をお迎えできたことを大変光栄に思っております。以上です |
横浜市営地下鉄ブルーライン上永谷駅のすぐ近く、環状2号線「馬洗橋」を起点として江の島の直ぐ近く国道134号線まで結ぶハイスペックな幹線道路が計画されています。
この計画が決定されたのは昭和32年(1957年)。
それから長い年月が経過しましたが、未だごく一部が部分的に開通しているのみです。
図は神奈川県のプレスリリースより
都市計画道路 横浜藤沢線(関谷工区) 街路整備事業(1957年 計画決定) 1.概要 1)全体の概要 ア)本路線は、横浜市港南区の環状2号線を起点とし、藤沢市鵠沼海岸の国道134号に至 る、延長約14.3㎞の幹線道路である。 イ)本路線は、圏央道を構成する、横浜湘南道路と高速横浜環状南線が連絡する(仮)栄IC ・JCTへのアクセスを強化するとともに、横浜市内と湘南地域を結ぶ、広域的な主要幹 線道路である。 ウ)本路線は、「第1次緊急輸送道路」及び「緊急交通路指定想定路」に指定されている国 道1号の代替機能を有している。
まずは、その全貌を横浜市行政地図情報提供サービスi-マッピーで眺めてみましょう。
青く着色されている部分は道路用地として建築制限がかかっている範囲です。
想定ルートをGoogleEarthで辿ってみました
横浜藤沢線の起点は、貞昌院の直ぐ近くです。
既に完成している片側3車線の環状2号線「馬洗橋」から、やはり同じく片側3車線のハイスペック道路として始まり、(完成すれば)江の島までダイレクトに接続されます。
しかし、計画決定から66年が経過する現時点において、計画通りに強要されている区間は、この馬洗橋から「天谷大橋際」までのごく一部のみとなっています。
下写真は2007年に撮影した丸山台4丁目「天谷大橋際」から少し先(南)に進んだ場所のものです。
この状況は、2024年現在でもほとんど進捗していません。
それでも、ここから先、環状3号線に至るまでの区間(丸山台~桂町戸塚遠藤線舞岡公園延伸区間として、舞岡公園南側で4車線道路「桂町戸塚遠藤線」に接続する約1.9km)は令和4年4月1日に、当該事業区間が「横浜市道横浜藤沢線」及び「横浜市道上永谷第二百二十三号線」とし
て重要物流道路に指定されましたので、工事は粛々と進められていくようです。
事業の進捗状況、残事業の内容等としては、用地取得率約99%、事業進捗率約68%、用地取得と並行して施工可能な部分の工事を進め、令和12年度の完成を目指して事業を推進していくとのことです。
環状3号線から先は栄区までの区間は、事業がストップしているように見えるので今後相当の年月がかかることでしょう。
その環状3号線をさらに進んだ先、大船の北、田谷付近で現在建設中の「横浜湘南道路」と「横浜環状南線」が交わる「栄IC・JCT(仮)」から先、「阿久和鎌倉線」藤沢駅東側の川名交差点までをむすぶ区間は事業が進んでいます。
まずは優先度を考慮して段階的に開通させていこうということですが、上永谷から江の島までの全線開通が実現するのはいつのことになるでしょうか・・・・・
速度 と スピード
この2つの言葉はどのような違いがあるのでしょうか。
普段の生活においては、おおむね同じような意味で使うこともあると思いますが、理系目線だと、
速度 は ベクトル量
スピード は スカラー量
という概念があります。
大きさと向きを持つ量のことを ベクトル量 といい、大きさだけを持つ量のことを スカラー量 といいます。
つまり、速度は「移動する速さと、その方向」を持った量であり、スピードは「速さのみ」の量で、その向きは考慮しません。
それを前提に、今週、貞昌院直近の公道に施工された道路の路面標示を見てみましょう。
左写真と右写真の道路は交差点において90度で交差しています。
片や「速度」、片や「スピード」と表示されています。
同時期に施工された路面標示であるにも関わらず態々違った表現にしているので、きっと何らかの意図があったのでしょう。
きっと。
1月2日に発生した日本航空JL516便と海上保安庁の航空機の衝突事故において、被災地への物資輸送を担った海上保安庁職員5名が残念ながら犠牲となってしまいました。心より哀悼の意を表します。
炎に包まれる航空機の様子が生中継され、日本航空機の乗員乗客の安否も心配されましたが、乗客乗員の適切かつ冷静な対応により379人全員が脱出できたことは何よりのニュースでありました。
滑走路上に同時に2機が存在してしまうという、あってはならない事象が発生したわけですが、何故そうなってしまったのか、その原因について客観的かつ詳細な報告書がまとめられるはずですので待ちたいと思います。
その上で、今後の安全性確保の観点から感じたことを、当ブログ記事で書いてみたいと思います。
それは着陸体制に入っている航空機に「滑走路誤進入」検知情報を確実に伝えるシステムが何故無いのかということです。
日航パイロット「直前に違和感」 着陸やり直しの余裕なく羽田空港C滑走路で日航機と海上保安庁の航空機が衝突して炎上し、海保機の乗員5人が死亡した事故で、日航機のパイロットが「衝突直前に一瞬何かが見えた。違和感があった」と説明していることが4日、日航への取材で分かった。「海保機を視認できなかった」とも説明。滑走路上の海保機に気付かず、着陸をやり直す余裕もなかったとみて、運輸安全委員会や警視庁が詳しい経緯を調べる。
安全委は4日、日航乗務員への聞き取りを開始。海保機の認識などを確認するとみられる。警視庁も現場検証を続けた。
日航によると、パイロットは何かがすっと通るような違和感を覚え、直後に衝撃があったとしており、着陸のやり直しを試みることはなかった。当時の交信記録に管制官がやり直しを指示した形跡はなく、管制官と日航機の双方が海保機の存在を認識していなかったとみられる。
(Yahoo!ニュース 2024/1/4配信)
着陸体制にはいっている航空機がある滑走路に、離陸しようとする別の航空機が侵入したことを、それぞれのパイロット、複数いるはずの管制官が誰も気づいていないということがなぜ起こってしまったのでしょうか。
例えば、羽田空港には4本の滑走路があります。これを15人の担当管制官が運用を担っており、それぞれの滑走路1本ごとに管制官2人が割り当てられているということです。
それでも、誤侵入の状況を見いだせませんでした。
管制からの指示や滑走路状態表示灯(RWSL:Runway Status Lights)などで誤侵入を「防ぐ」ことも必要ですが、それと並行して「ヒューマンエラー=人は間違いを起こす」ということを前提とした「滑走路誤進入」が「発生」してしてしまったことを検知するセンサーが必要だと思いますし、何故それが運用されていないかが疑問です。
日本において「滑走路誤進入」は、2007年から22年までの16年間で32件も発生しているということです。
うち、2010年代に中・大型民間機が絡む主なものは以下7件が発生しています。
これほどまでに発生しているということは、現行のシステムに改善の余地があるという事でしょう。
●19年7月21日 那覇空港で日本トランスオーシャン航空機(ボーイング737-800)が着陸予定の滑走路にアシアナ航空機171便(エアバスA321)が誤進入
●17年2月14日 成田空港でタイ・エアアジアX607便(エアバスA330)が誘導路停止線を越えてチャイナエアライン機(エアバスA330)が着陸予定の滑走路に進入●13年9月10日 関西国際空港でANA141便(ボーイング767)への着陸許可が出ていた滑走路に朝日航洋のベル430型ヘリコプターが進入
●12年7月8日 福岡空港で日本エアコミューター3635便(ボンバルディアDHC-8型)が、セスナ172型機が着陸予定の滑走路に誤進入
●12年7月5日 那覇空港で中国東方航空2046便(エアバスA319)が滑走路手前の待機線を越え、試験運行中のエアアジア・ジャパンのエアバスA320が進入中の滑走路へ進出
●11年10月12日 関西国際空港を離陸予定のハワイアン航空450便(ボーイング767)が、管制官の待機指示を誤認してANA貨物便(ボーイング767)への着陸許可が出ていた滑走路に進入
●10年12月26日 福岡空港でエアプサン141便(ボーイング737-400)が滑走路待機指示を誤認し、JAL3530便(JALエクスプレス所属ボーイング737-400)への着陸許可が出ていた滑走路に進入
いずれの事例でも、出発機側の滑走路進入に気づいた管制官が着陸機に着陸をやり直す「着陸復行」(ゴーアラウンド)を指示し、衝突は回避されている。出発機が誘導路を越えて滑走路に入った経緯は報告書で分析されているが、いずれも交信の過程でのヒューマンエラーによるものと指摘されている。発生時間帯は昼間のものが多いものの、17年2月14日の成田空港と、11年10月12日の関西国際空港の事例のように夜間帯でも起きている。
(出典:「滑走路誤進入」過去事例を分析 大半はヒューマンエラーで発生...衝突防いだ最後のとりでは「ゴーアラウンド」)
空港への着陸時に滑走路に支障がある障害物があるかどうかを知らせる「鉄道の踏切に採用されている発障害物検知装置」のようなシステムを導入するだけでも、誤侵入の発見を客観的かつ正確に行えるのではないかと思います。
鉄道踏切の場合は、障害物が検知された場合、運転士にそれが直ちに伝わり、運転士は非常ブレーキをかけます。
【鉄道の発障害物検知装置の例=JR西日本のサイトより引用】
これと同様に、
①着陸体制に入っている航空機がある この①②の条件が重なった際に、滑走路の表示灯を赤点滅させ、管制室にアラートが鳴り、直ちにゴーアラウンドへ移行させる |
ことにより、滑走路上での衝突事故のリスクはかなり低減されるはずです。
それほどコストもかからないような発障害物検知を着陸体制の航空機に知らせるシステムが大空港の滑走路に整備されることは安全性向上の上で必要なことと感じます。
是非検討していただきたいことです。
さて、ここで、まず用語の整理をします。
「墓じまい」という用語は、メディアが造り出し、なぜかメディアが好んで使う用語です。
この「墓じまい」について、人によって解釈が異なると、誤解を招く原因となります。
もっと言えば、「墓じまい」という用語について明確でない状態で報道が行われると、その情報を受け取る側によって異なる認識が生じることになります。
まず、「墓じまい(本来は改葬というべき)」するためには、現在、自分が「墓地」の使用者であることが前提となります。
墓地を持っていなければ「改葬(墓じまい)」が出来ないですから。
とすれば、「改葬(墓じまい)」の事例種別は下記のいずれかにあたるはずです。
■現在、当事者が使用している墓地の種別として
(1)寺院など宗教法人の墓地
(2)公営墓地
(3)民間墓地
(4)自己所有土地の墓地
(5)上記以外の土地の墓地
その墓地をどうするか、ということになりますが、
(ア)同じ墓所の別の区画に移す (例:寺院の墓地を同じ寺院内の別区画や永代供養墓地へ)
(イ)別の墓所に移す (例:寺院→民間霊園、逆に民間霊園→寺院 など)
(ウ)墓そのものはもう作らない (例:今の墓地を返還→海洋散骨)
などのように(1)~(5)の墓地を(ア)~(ウ)のようにする、といった様々な組み合わせの事例が考えられます。
「墓じまい」の定義を
「現在の墓地を更地にして墓地管理者に返還する」
という条件だけでとらえる場合もあるでしょう。
その場合は、墓地の引っ越し、つまり「改葬」という行為にあたります。
また、もう少し定義を厳密にして
「現在有る墓地の後継者が居ないため、自分の代以降は墓地を守る人無く無縁化してしまう。そのため墓地を自分が生前の間に永代供養墓地等に改葬し、現在の墓地を更地にして墓地管理者に返還し、今後は墓地を作らない」
を定義として捉える場合もあるでしょう。
この場合においても、これまでの墓地から埋蔵されている御遺骨を移動するわけですから「改葬」にあたります。
「墓じまい」という用語の定義が定まっていない状態でマスメディアが情報を発信すると、受け手(視聴者や読者)は混乱します。
私は、わざわざ「墓じまい」などという用語を用いずに、従来から使われている「改葬」という用語を用いて、事例ごとに対処していくことが適切だと考えます。
なぜならば、上記すべての事例は「改葬」に内包されるからです。
このことを前提として 朝のテレビ番組「モーニングショー」9/25放送「増加する墓じまい 利用者に大きな負担...高額請求も」公式X を見ていきます。
墓じまいなどで遺骨を別の場所に移す改葬は、 ●2011年度は、7万6662件だったのが、 ●2021年度には、11万8975件と、10年で55%増加しています。 |
まず、この折れ線グラフのタイトルが適切ではありません。
折れ線グラフの値は「改葬事例の全数」であることが注意すべき点です。 よって、グラフのタイトルは「改葬事例全数の推移」とすべきでしょう。
元データである厚労省の衛生行政報告書における正式なタイトルは「埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数」のうちの「改葬数」のデータであり、当該調査には「墓じまい」などという用語は出てきません。
さらに、例えば折れ線グラフの2021年 11万8975件はすべての「改葬」事例の全数であり、そのうち、「無縁墳墓等の改葬」は3309件(改葬事例全数のうちの2.8%)であるということが隠されています。他の年も同様です。
次に、この手のグラフを見る際に、注意しなければならないのは、比較的小さな変化を、重大な変化であるという印象に作り替える演出が為されているということです。
いわゆる「誤解を与える統計グラフ」というもので、Y軸の最大値12万件に対して、Y軸の0~7万件を端折って省略しているのは、あまりにも演出過剰といえます。
なお、日本の2011年の死亡者数は125万6254人で、2021年の死亡数は143万9856人でした。 毎年の死亡者数は年々増加しており、ほぼ死亡者=埋葬者とすると、改葬事例の増加幅は、別に取り立て参照すべき増加幅ではないともいえます。
メディア側による「墓じまいが近年急激に増えている」という印象操作と言われても仕方がない演出ですね。
改葬・墓じまいにかかった期間です。 ●1年以上かかったという人が、18%、 ●1年未満が11.9%、 ●3カ月未満が42.3%、 ●1カ月未満が27.7%でした。 |
改葬と墓じまいが同列に書かれていますが、この場合の墓じまいの定義は何でしょうか?
単に「改葬にかかった期間」で良いのではないでしょうか。
墓じまいの一般的な流れです。 ①親族での話し合い。 ②お寺や霊園に墓じまいを伝える。 ③新しい納骨先を決める。 ④墓石撤去を依頼する石材店を決める。 ⑤改葬許可申請の手続きを行う。 ⑥閉眼供養を行う。 ⑦遺骨の取り出し、墓石の撤去を行う。 ⑧改葬先に遺骨を納める。 |
ついに一行目の「改葬」という言葉が無くなってしまいました。
これも、墓じまいの一般的な流れではなく、「改葬の一般的な流れ」とすべきでしょう。
60代男性です。 「3年前に公営墓地の墓じまいを決断した。所有者を調べたら、亡くなった祖父のままだった。 所有者の変更のため、火葬証明や、血縁者の同意を貰うなどで、愛知から大阪に10数回通って半年ほどかかった」 |
公営墓地から定期的な連絡は無かったのでしょうか?
例えば墓地清掃ですとか、管理費や、様々なお知らせが郵送されているはずです。
墓地管理者が管理する名簿において、墓地区画の代表者が「故人名」のまま残っているというのは、その墓地を管理している市町村の墓地管理事務所も管理状況がずさんであった可能性もありますし、墓地使用者側にも連絡の不備があった可能性があります。
墓じまいにかかった費用です。 ある調査によると、 一番多かったのは『10万円~30万円未満』 次に多かったのは『10万円以下』と 『50万円~100万円未満』でした。 |
2つ上と同じ。
墓じまいにかかった費用ではなく、「改葬にかかった費用」とすべきです。
墓じまいで、どういう費用がかかるのでしょうか。 |
上と同じ。
墓じまいにかかった費用ではなく、「改葬にかかった費用」とすべきです。
ここで、離檀料という、またもや一般的ではない用語が出てきました。
さらに、「お墓がお寺にある場合は、離檀料が10万円~20万円です。」とありますが、何を根拠にした数字なのか不明です。
少なくとも貞昌院では「離檀料」はありませんし、周囲の寺院でも離檀料そのものが無い寺院も多いので、離檀料10万円~20万円が常識であるというのは明らかに誤った情報です。
これまで先祖代々がお世話になった感謝のお気持ちとして布施をお納めくださる場合がありますがこれは離檀料とは全く異なるものです。
このような印象付けは、マスメディアとして如何でしょうか。
新しい納骨先で新たに墓を買う場合は、永代供養墓、樹木葬、納骨堂などの費用が、5万円~100万円です。 納骨先によって変わってきます。 開眼供養のお布施の相場は、3万円~10万円。 墓を購入せず、手元供養や散骨を選ぶ場合は、数千円~50万円です。 |
寺院に墓地がある、公営霊園に墓地がある、民間霊園に墓地がある、いずれの場合でも、改葬のためには費用がかかります。
単に「現在有るお墓を維持することは費用がかかるので大変」という理由で安易に改葬を考えるのであれば、よくよく冷静に考えることが必要です。
例えば、今ある永代使用権のある墓地を返還してしまった場合、ご自身をふくめ以降無くなられた方の埋葬1人ごとに「永代供養墓、樹木葬、納骨堂の場合5~100万円」「手元供養・散骨の場合数千円~50万円」が必要になります(番組で使われた上記図参照)。これでは本末転倒です。
ですので、このような墓地に関するさまざまな疑問質問があれば、どんなことでも構いません。
墓地管理者(寺院の墓地であれば菩提寺に、霊園であれば墓地管理事務所等)早いうちにご相談いただくことをお勧めします。
番組に届いたご意見です。 「墓には親族7人の骨が入っているが、私も姉も家を出ているので、寺に相談に行くと、墓じまいには1柱100万円、つまり7人分の700万円プラス更地にする経費などもあり、とても無理。 不本意だが放っておくしかない」 |
これは、双方に何らかの誤解が生じているか、あるいは何らかの間違いではないでしょうか。
1柱100万円、つまり7人分の700万円プラス更地にする経費などということは考えられません。
もしそのような事例があるのであれば、墓地管理者名を明確にしたうえで、仏教寺院であれば各宗派の本部に通告するべき案件です。
メディアは、視聴者からの意見をそのまま垂れ流しするのではなく、きちんと裏どりや事実確認をしたうえで報道するべきです。
「墓じまいをした。寺からは永代供養1柱100万円と言われ、会ったこともない檀家さんのまとめ役に『菓子折りと5万円ぐらい渡してください』と言われた」 |
どのような手順で改葬(墓じまい)を行ったのかがよくわかりません。
永代供養ということは、寺院に対して施主に代わって故人をその後永代にわたり供養することなのでしょうか。
寺院との話し合いを密にして、どのような永代供養なのかを明確にする必要がありそうです。
1つ上の事例と同様、メディアは、視聴者からの意見をそのまま垂れ流しするのではなく、きちんと裏どりや事実確認をしたうえで報道するべきです。
曹洞宗見性院の橋本住職です。 「一般的に離檀料は10万~30万円ほど。墓じまいされると、檀家が減りお布施収入が少なくなるため、『最後の一稼ぎ』をしようとしているのではないか」 |
時代の変革に応じて柔軟な寺院運営をされるとして有名な寺院の住職さんがコメンテーターとして発言していました。
ただ、『最後の一稼ぎ』ということばは(番組から言わされたのかもしれないですが)適切ではなかったという感じがします。
中段にも書きましたが、「離檀料が 10万円~30万円 というのが一般的」ということはありません。
統計データがあるのであればデータを示して戴きたいものです。
なお、これまで先祖代々がお世話になった感謝のお気持ちとして布施をお納めくださる場合がありますがこれは離檀料とは全く異なるものです。
「死に場所・火葬場・墓」全部不足 "火葬待ち10日"の背景に「死=忌まわしい」のイメージか
■"火葬待ち"の原因は?
去年の死者数は156万人あまりと過去最多。今後も増え続け、深刻な事態を引き起こすという。そのひとつが「看取り」だ。
今、日本人の7割が自宅で最期を迎えることを希望しているが、家族の要望による延命治療や在宅医の働き方問題もあり、およそ8割の方が病院で亡くなる。その結果、医療機関の病床数が足りず、このままでは2035年にはおよそ47万人が看取られる場所、つまり「死に場所」の確保ができない可能性も。
さらに、亡くなった後にも「火葬待ち」という課題が。都市部では火葬を10日以上も待たなければならないケースもある。新しく火葬場を作ろうとしても、住民からの反対でなかなか進まない自治体も多い。
そんな中、遺体安置の専用施設、いわゆる"遺体ホテル"に注目が集まっているという。■"遺体ホテル"増加の背景
遺体ホテルは単なる安置場所ではなく、24時間故人と面会ができ、ゆっくりとお別れができる場となっている。需要が高まる背景には、火葬待ちにより「初七日を過ぎてからお通夜」という状況が珍しくなくなったことや、マンションに遺体を搬入できないケースなどがあり、遺体専用の保冷システムによる長期保存できる場所が求められているという事情がある。
火葬場にも霊安室があるが、そこに安置するわけにはいかないのだろうか。遺体ホテル・ラステル新横浜の村田大地氏は「火葬場の霊安室はどちらかというと、殺風景で冷たいイメージがあるだろう。そこを少しでも変えたいと考えて作った施設だ」と答えた。
なぜ火葬場を増やせないのだろうか。ニチリョク取締役で葬儀プロデューサーの尾上正幸氏は「ご自宅の近くにご遺体がたくさん安置されていると、どなたもなかなか引き受けにくい。そのため建設も難しい」と実情を語った。
プロデューサー・慶応義塾大学特任准教授の若新雄純氏は「正に自業自得だ。自宅周辺には作らせないで、その結果、身内が亡くなっても預けるところがない」と指摘した。
さらにリディラバ代表の安部敏樹氏は「死に対するイメージが悪化する懸念」について「孤独死が増加すると、発覚の遅れによって状態が悪化し、不動産価格が下落するケースも増えるだろう。そうなると『死=汚れ』というイメージが強化される方向に進むのではないか」と述べた。■「死」を考えないから貧弱になった
ジャーナリストで浄土宗僧侶の鵜飼秀徳氏は「葬儀そのものに参加する機会が減っている。昔は上司の親が死んだ場合も部下が手伝いに行った。2000年代半ば頃まではそんな慣習があったが、途端になくなって家族葬になり、遠縁の葬式にも行かなくなった。その結果、大人はもちろん、特に子どもたちが死を学ぶ機会が少なくなっている」と説明した。
若新氏は「自分も含めて身内もいつかは遺体になる。遺体に何の忌まわしさがあるというのか。死んだ者に対して、遠ざけたいという感情があるようだ。その背景には死後の世界について考えるのをやめて、僕らが何かを営まなくなったことですごく貧弱になったことがある。やはり僕らは生きている間から死ぬということもセットの人生を考えなくては」と述べた。
(Yahoo!ニュース 2023/8/14配信)
7月、8月と夏の行事も終盤を迎えつつあります。
八月盆も中日を迎えました。
ご先祖様はもとより、有縁、無縁あらゆる御霊をお迎えしておもてなしをする行事がお盆です。
この時期に、Yahoo!ニュースに冒頭のような記事が掲載されておりました。
少子高齢化社会を迎え、日本全国の傾向として、火葬施設が不足しており、特に都市部では火葬のために10日以上も待たなければならないケースもあるということです。
これを解決するために新しく火葬場を作ろうとしても、建設予定地の周辺住民からの反対でなかなか進まない現状があり、様々な弊害が起きているという報道です。
では、横浜市の現状を見てみましょう。
現在、横浜市には以下の4つの市営火葬場と1つの民営化葬場があります。
【市営】
・横浜市北部斎場
・横浜市南部斎場
・久保山斎場
・戸塚斎場
【民営】
・西寺尾火葬場
これに加え、鶴見区の臨港地区に「東部斎場」が計画中です。
当初予定よりも遅れているということですが、2025年度(2025年4月~2026年3月)には完成する見込みです。
横浜市の資料によると、市営火葬場の待ち日数は近年で約5日ほどに達し、1週間待たされるということも度々ありました。
この状況が、北部斎場の完成により改善されることが期待されます。
なお、もしもの時には、まずはお寺にご連絡いただけるようお願い致します。
■関連ブログ記事
これからの葬祭業を担う方に
葬儀・墓地の領収証は必ず保管すべし
葬祭流儀「終活」大特集
■関連リンク
市営斎場のご案内(横浜市のサイト)
6月の梅雨明け以降、7月中は雨がほとんど降らず、晴天の日が続きました。
気温も猛暑日が続き、夜も気温が下がらないことが多く、記録的な夏になっています。
気象庁が公表している横浜市の今年7月の気象記録です。
7月初旬に少しの雨があったものの、それ以降は降水量0の日が続いています。
日射量も多く、境内の植物の葉も日焼けの症状がみられるようになりました。
この時期は近隣の寺院で大施食会(おせがき)法要が連日行われております。
8月1日も泉区の御寺院様に法要随喜で伺っておりましたが、昼過ぎから空に厚い雲が立ち込めはじめ、雷を伴うまとまった雨が降りはじめました。
法要が終わり、皆様がお墓参りされる頃には雨が上がり、ほんの数時間の降雨でしたが、境内の植物たちにとってはまさに恵みの雨になったようです。
気象庁の記録では、おおむね40ミリほどの降雨があったようです。
なお、雷雨による被害が出た地域もありました。
極端なゲリラ豪雨のような災害が出るような雨は困ったものです。
翌朝を迎え、また青空が広がっておりますが、暫くの間は水まきをしなくて済みそうです。
ありがたいことです。
大賀蓮は花期を終えて、実が熟しています。
これからは、地下で蓮根が太っていく時期を迎えます。
PRESIDENT Onlineに次のような記事が掲載されていました。
「10個のリンゴを3人で公平に分けるには?」有名な思考クイズをひろゆきが解いたら...答えが斬新すぎた 問題の本質を見誤ると時間もお金もムダにする(PRESIDENT BOOKS) 以下引用、ひろゆき氏の回答 <中略> ここにリンゴが10個あります。これを3人で公平に分けたいのですが、あなたならどう分けますか? 水平思考というのは、筋道を立てて論理的に結論を出すロジカル・シンキングに対して、ラテラル・シンキングとも呼ばれます。既成概念や論理の制約となる前提にとらわれることなく、物事を多面的に考察し、水平方向に発想を広げる思考法です。 不公平がどうでもよくなる解決法とは そこで僕が考えた解決法はこれです。 「まず10個のリンゴを3個ずつに分けて、残った1個をAさんが3等分して、BさんとCさんがジャンケンをする。勝ったほうから3等分のうち1つをとって、残りをAさんがとる」 この方法で納得できない人のために、もう一つ分け方を考えてみました。 「3個ずつ分けて、残った1個を100個ぐらいに細かく切ります。そのあと3人でジャンケンをして、勝った人から1破片ずつ順番に拾っていく」という方法です。 これなら切る人の責任も小さくなりますし、だんだん拾っていくうちに、大小の差はどうでもよくなる。なので、不平は気にならなくなると思います。 社会問題などの解決策を考える際は「みんなが満足する答え」がない場合が多いので、僕は最初から考えないことが多いです。ただ、この問題には「公平に分ける」という条件があるので、僕なりに公平な解決法を考えてみました。 解決策を考える際には、ロジカル・シンキングで考えることもありますし、ラテラル・シンキングを使うときもあれば、それ以外の方法を選ぶ場合もあります。要は、解決できるならどんな方法を使ってもいいと思うんですよ。 引用ここまで |
リンゴが10個あり、それを3人で公平に分けるにはどうしたらいいかという水平思考の設問です。
リンゴを分ける方法は、それこそ何通りもあることでしょう。
その中で、平和的に、3人とも納得できる解決方法を考えてみましょうということですが、私(kameno)も考えてみました。
■第1の提案は、少し仏教的な提案です。
りんごの1つを、3人以外の誰かに差し上げ(または例えば仏様にお供えするなど)、残りの3つづつを3人で分けるというもの。
■第2の提案は、うーん、なんでだろう、ひろゆき氏もふくめて、10個のりんごが10個とも同一の重さで皆にとって同じ価値をもつという前提で話が進みがちですが、きっと、りんごは1つ1つ大きさ、重さ、色合い、美味しそうかどうか、ということが一つ一つ異なる個性的なもののはずです。
そこで、ジャンケンをして一番負けた人が、10個を好きなように3つの山に分類します。
例えば小さかったり状態が良くなさそうな4個を1括りにして、4個-3個-3個などの山に納得がいくように分けてもらうのです。
八百屋でりんごやみかんの籠売りを見ると、一籠の数は皆同じではないですからね。
それをジャンケンで勝った人から順番に好きな山を取っていく方式です。
まあ、これ以外にもさまざまな解決方法はいくらでも考えられますし、どれが正解でどれが間違いということもないでしょう。
頭の体操で何通りか考えてみてはいかがでしょうか。
皆で提案をもちよってみるのもいいかもしれませんね。
自分では気づかない解決方法に出会うかもしれません。
新型コロナウイルスCOVID-19感染症について、その感染症法上の位置付けについて大きな転換を迎えます。
岸田首相が加藤厚生労働大臣他関係閣僚に指示を出したことにより、この春にも、新型コロナウイルス感染症が「2類相当」から「5類」へと引き下げられそうです。
季節性インフルエンザと同等の扱いになった場合には、屋内でのマスク着用の在り方や、ワクチン接種などの公費負担が大幅に見直され、通常の生活に戻る大きな契機になることでしょう。
寺院側の立場としては、人が集まる法要儀式において、マスクの着用が不要になるのか、また、人と人の間隔を従前どおりとして良いのか、など、提示される基準に着目したいところです。
それにしても、新型コロナウイルス感染症が日本で広がってから3年が経過しました。
この間、私たちの生活様式が一変してしまったということをつくづく実感します。
平素、マスクを着用する習慣はすっかり当たり前のものとなっており、屋外においてもマスクを外している方はまず見かけません。
脱マスクが定着するのは、まだ時間がかかるような気がします。
新型コロナウイルス感染症が拡大した時期は、様々な情報が交錯しました。
マスクや検査キットが不足したり、免疫力を強化するとされる食品が売切れたり。
そのような時こそ、正しい知見が求められます。
ウイルスという「目に見えない恐怖」や「先行きの分からない不安」は、人々の冷静さを奪い、正しくない感情を引き起こす原因になります。
風評被害や差別を起こすことのないように努め、知らず知らずのうちに罹患し、また他の方に感染させてしまうことのないように慎ましく行動することが必要であることを実感される時期でした。
歴史を振り返ると、これまで人類は長い歴史の中で、天然痘、ペスト、新型インフルエンザ(スペイン風邪、アジア風邪、香港風邪、A/H1N1、COVID-19など)、新興感染症(エイズ、鳥インフルエンザ、SARSなど)、再興感染症(結核、マラリアなど)等々、私たちは感染症に何度も何度も苦しめられ、見えない敵と闘ってきました。
感染症は、日本の仏教にも大きな影響をもたらしています。
例を挙げれば、日本で天然痘が大流行した8世紀には、日本の人口の3割が死亡したと推定されています。
この国難に、天然痘などの疫病から救済されることを願い、国家事業として奈良の大仏が造立されています。
また、節分の豆撒きの習慣も、疫病を退散させることを願い生まれたとされています。
病気の原因究明や治療方法が確立されていない時代においては、神仏に祈ることくらいしか出来なかったのでしょう。
時代が下り、明治維新の前後になると、医学の進展により、感染症に対する対処方法が確立されていくようになりました。
明治13(1880)年に流行したコレラに対しては、内務省は『虎列剌(コレラ)予防諭解』により、密接な人間関係を避ける、部屋の換気を十分に行う等の基準が示されました。
これに対し、仏教各宗派は、この予防諭解を印刷し、全国寺院の檀信徒や一般向けに配布し、正しい予防方法の普及に寄与しています。
まだまだ迷信が強かった時代において、「但教徒の内、教法上の加持祈祷等を以て医薬及び予防法の妨害を為すが如き意得違いの者之れ無き様、取り締まり致すべし」として、おまじない、呪術などの科学的根拠のない妄信や、医学的見地に基づかない対応に対して注意喚起を行ったのは特筆すべきことだといえます。
この注意喚起は、新型コロナウイルス感染症対策と基本は同じ対処法(例えば、密接な人間関係を避ける、部屋の換気等)が示されていることも興味深いことです。
冒頭に書いたように、歴史上過去に私たちが感染症とどのように闘ってきたという事実があります。
感染症対策は、私たちにとって決して特別なことではなく、流行期間中のマスク着用、こまめな手洗い、人混みを避けての行動は、これまで歴史上何度も繰り返し行われてきた対策と同じことを繰り返しているにすぎないということを実感した3年間でした。
今後、新しい感染症が発生し広がることもあるでしょう。
新型コロナウイルスが5類に分類された後も、これまでに蓄えられてきた知見を忘れること無く、常に意識して日常の準備を怠らないということが大切でしょう。
貞昌院境内の墓地から先の部分は緑地保存地区になっており、広葉樹の雑木林になっています。
樹木の成長はとても速いので、定期的に間伐や剪定をしなければなりません。
また、腐食させたい樹木は土に触れさせておくことで、木材腐朽菌により分解が進んでいきます。
木材腐朽菌は、木材を腐らせる菌であり、木材の繊維であるセルロースや、木質素のリグニンを分解する働きをします。
スエヒロタケ や カワラタケ なども木材腐朽菌の一種です。
このように、木材が湿った土に触れている部分から次第にキノコや粘菌類に覆われていきます。
時間が経過すると、土に還っていきます。
(注)枯木を木造の建物の近くに放置しておくと、シロアリが発生する可能性があるため、建物から充分に離れた山の上で行うことが必要です。
貞昌院に隣接する永谷天満宮で令和3年から4年にかけて行われている丑年大祭記念事業の1つとして本日(令和4年9月23日)出開帳(でかいちょう)が行われています。
本日午前9時、出開帳にあたり、永谷天満宮の御神体が貞昌院本堂に移され、出開帳御出立の法要を行いました。
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この後、本日(9月23日)午前中は御神体が町内各所を廻り、午後1時から3時まで上永谷駅・イトーヨーカドー前の特設会場で御神体の特別拝観が行われます。
平成21年丑年大祭の永谷天満宮御神体遷移の記事はこちら→菅原道真公自刻の御神体が永谷天満宮へ
永谷天満宮の御神体は、平成21年までは貞昌院に安置されておりました。
というのも、天正10年(1582年)に宅間藤原規富が永谷天満宮を再建するにあたり、川上(戸塚区川上町)徳翁寺第四代住職明堂文龍大和尚を請し、上永谷町字籠森(現在の市営地下鉄上永谷駅付近)に建立されたのが貞昌院の始まりであり、天満宮別当として代々歴代住職が神職を兼務してきたという経緯があるからです。
御神体は、天正十年以来、貞正昌院歴代住職により大切に護られてきました。
御神体を収めている厨子も貞昌院第十世住職により造られています。
平成21年、天満宮に新たに御神体安置のお堂が完成したため、以降は御神体が平時にも永谷天満宮に安置されることとなりました。
永谷天満宮 9月23日に「出開帳(でかいちょう)」 記念御朱印頒布も〈横浜市港南区・横浜市栄区〉 港南区の永谷天満宮(川辺浩司宮司)が9月23日(金)、昨年から続く「丑年大祭記念事業」の一環として「出開帳」を実施する。これに合わせ、記念御朱印の頒布や自治会によるイベントも行われ、大詰めを迎えた大行事の幕切れが一層の盛り上がりを見せている。これまで12年ごとに丑年大祭を行ってきた永谷天満宮。同神社には、学問の神として知られる菅原道真が、鏡に映った自身を見ながら彫ったとされる木像が御神体として祭られている。
木像は3つ作られたとされ、永谷天満宮に現存するもののほかには、大宰府安楽寺(福岡県)、河内道明寺(大阪府)に安置されたという。
同神社の木像はもともと、隣接する貞昌院にあったため、丑年大祭の際に神輿で運んでいたが、2009年の大祭を機に同神社に安置されるようになった。
丑年の昨年は、本殿で道真像を一般公開する「御開帳」が行われた。今年の「出開帳」は他の土地に御神体を運んで開帳することを指す。当日は道真像を安置した神輿をトラックに載せ、午前9時半から上永谷、日限山、丸山台の氏子(うじこ)地域を巡行。その後、午後1時から3時まではイトーヨーカドー上永谷店横道路の特設会場で、神輿に安置された道真像を拝観することができる(雨天時は24日(土)に延期)。
会場では出開帳記念御朱印の頒布も行われる。御朱印には梅と同神社の神輿に加え、道真公にゆかりが深い牛をかたどった「神牛像」が色鮮やかに描かれている。初穂料は千円で限定2千枚。
そのほか、当日はイトーヨーカドー上永谷店前の広場で丸山台自治会といちょう坂商店街によるイベントも開催される。射的、輪投げやスーパーボールすくいのほか、綿あめやサイダーの販売が予定されており、地域全体で記念事業を盛り上げる。午前10時から午後3時まで開催予定。
次回は11年後
今回の出開帳が終わると、次に御神体を見られるのは丑年にあたる2033年となる予定。同神社の川辺浩司宮司は「道真公の御尊像を拝観できる貴重な機会。多くの方に足を運んでいただけたら」と思いを述べた。また、丑年大祭記念事業実行委員会の桐生秀昭委員長は、今年8月に同神社の駐車場が拡張・整備されたことを踏まえ「道真公は全国から慕われる存在。近隣の人だけでなく、東京をはじめ関東地方全域からも人が集まるような神社にしていければ」と語った。
(Yahoo!ニュース 2022/9/22配信)
昨年(令和3年)の永谷天満宮丑年大祭は、新型コロナウイルス感染症の影響で延期になった行事も多く、その1つの出開帳も1年延期の後令和4年秋分の日に行われることになったものです。
9月1日は防災の日です。
大正12年9月1日に発生したマグニチュード7.9の関東大震災にちなみ、昭和35年に制定され、防災対策、防災訓練など、防災に関する行事が実施されるようになりました。
関東大震災では、震源に近い関東南部の広範囲にわたり甚大な被害が発生しました。
特に、地震が昼食の時間帯と重なったことから至る所で火災が発生し、死者・行方不明者は10万5千人余と推定されます。
関東大震災に遭遇し、火災旋風などの調査に従事した物理学者、寺田寅彦氏は「天災は忘れられたる頃来る」と常々周囲に話していたそうです。
関東大震災発生から来年で100年を迎えます。防災の日にあたり震災の記録、教訓を改めて心に刻み、決して忘れることのないよう留めておくことが大切です。そのことが災害被害を少しでも抑える礎になります。(曹洞宗メールマガジン一言法話)
伝統仏教超宗派で構成される仏教情報センターの機関紙「仏教ライフ」に寄港しました。
「仏教ライフ」紙は本堂に置いてありますので、お参りの際にご覧ください。
昭和20年8月9日。
アメリカ軍により長崎に原子爆弾が投下されてから77年目の「長崎原爆の日」を迎えます。
あらためて原子爆弾によって犠牲となられた多くの方々に弔意を表します。
長崎原爆の日から77年目の8月9日、爆心地に造られた長崎市平和公園で平和祈念式典が開かれました。
田上富久長崎市長が平和宣言を行い、ロシアのウクライナ侵攻でプーチン大統領が「核兵器の使用も辞さない」と表明したことを懸念し「核兵器の使用は『杞憂』ではなく『今ここにある危機』である」と訴えました。
さらに「核兵器を持っていても使われないだろうというのは幻想。核兵器をなくすことが、未来を守るための唯一の現実的な道だ」と述べています。
年月の経過により、戦争があったことや、各都市に空襲があったこと、広島・長崎に原子爆弾が投下されたことの記憶が風化つつあります。
次世代に受継いでいくために、伝えていくことが大切であると感じます。
■長崎市長平和宣言(全文)核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者を出した原子爆弾の投下から11年後のことです。
被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚(た)きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物(みせもの)じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。
その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」
核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。
今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄(せんりつ)を走らせました。
この出来事は、核兵器の使用が"杞憂(きゆう)"ではなく"今ここにある危機"であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。
核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。
今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。
6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。
そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。
核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。
非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。
そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。
世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。
私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする"戦争の文化"ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする"平和の文化"を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。
長崎は、若い世代とも力を合わせて、"平和の文化"を育む活動に挑戦していきます。
被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。
長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2022年(令和4年)8月9日
長崎市長 田上富久
昭和20年8月6日8時15分。
アメリカ軍により広島に原子爆弾が投下されてから77年目の「広島原爆の日」を迎えます。
あらためて原子爆弾によって犠牲となられた多くの方々に弔意を表します。
年月の経過により、戦争があったことや、各都市に空襲があったこと、広島・長崎に原子爆弾が投下されたことの記憶が風化つつあります。
次世代に受継いでいくために、伝えていくことが大切であると感じます。
広島77回目の原爆忌、岸田首相「核兵器のない世界という理想へ努力」...国連事務総長も初出席広島は6日、77回目の原爆忌を迎えた。広島市中区の平和記念公園では、午前8時から平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が営まれ、参列者が犠牲者の 冥福めいふく を祈った。ロシアによるウクライナ侵略が長期化し、核兵器使用の危機が高まる中、松井一実市長は平和宣言で「一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはならない」と被爆地の声を訴えた。
被爆者や遺族代表のほか、岸田首相や核保有国を含む各国駐日大使らが参列。国連のアントニオ・グテレス事務総長が初めて出席する一方、ロシアの駐日大使は招待されなかった。原爆が投下された時刻の午前8時15分、遺族代表が「平和の鐘」をつき、参列者全員で1分間の黙とうをささげた。
岸田首相があいさつに立ち、「『厳しい安全保障環境』という『現実』を『核兵器のない世界』という『理想』に結びつける努力を行っていく」と強調した。
(讀賣新聞 2022/8/6配信)
平和宣言母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、凄まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。
ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。
また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。
今年初めに、核兵器保有5か国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。なぜなのでしょうか。今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、是非とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。そして、国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信していただきたい。とりわけ、来年、ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。
広島は、被爆者の平和への願いを原点に、また、核兵器廃絶に生涯を捧げられた坪井直氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。
世界で8,200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、今年、第10回総会を広島で開催します。総会では、市民一人一人が「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、また、生命を危険にさらす社会的な差別がないことが大切である」という思いを共有する市民社会の実現を目指します。その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。
今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回の締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。
また、平均年齢が84歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。
本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
令和4年(2022年)8月6日
広島市長 松井 一實
特に今年は世界情勢の変化が著しい年になりました。そしてその状況は現在も続いています。
広島原爆の日にあたり、改めて世界各地の惨禍によって命を落とされたすべての方がたへ、衷心より深く哀悼の誠を奉げ、大切な家族や友人を失った方、自ら負傷された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
すべての生きとし生けるものにとって、命は等しく尊く、かけがえのないものであります。国の威厳や国益、主義主張など、いかなる理由によっても「殺してもよい命」や「殺されてもかまわない命」は存在しません。また、誰一人として平穏な生活が奪われ、家や財産を失い、居住する場所を追われることも許容されません。
数年前に訪問した深夜の原爆ドーム(当時は広島県産業奨励館)の光景を思いな出しながら改めて世界の安寧を祈ります。
デジタル化が進展し、楽曲などの著作物が簡単に複製されたり編集されてニ次創作、三次創作を作ることができるようになりました。
また。YouYubeをはじめ、作品を発表できるプラットフォームも増えており、誰でも気軽にアップロードできる時代でもあります。
そのような便利な時代の中、著作権の所在に関する問題もいくつか発生しています。
一事例をご紹介します。
お経の「読経音声」など、通常は著作権を主張しない性質の著作物があるとします。
そこで、誰かが「〇〇経の読経」コンテンツを、自身の著作物として登録したらどうなるでしょうか。
YouTubeでは、コンテンツIDとして、クリエーターが自身の著作物を登録する仕組みがあります。
コンテンツIDとは、音楽や映像作品など、そのコンテンツの著作権所有者が自分であることをYouTubeに登録する仕組みです。
上記事例で挙げた「〇〇経の読経」がYouTubeに登録されると、以降、YouTube上に別の投稿者から「〇〇経の読経」が投稿されるたびに、その投稿が「著作権者の元コンテンツ」と照合され、「類似される」と判断された場合は、その投稿者に対しては下のような警告の通知が届きます。
Content ID を使用している著作権者が、お客様の動画内のコンテンツに対し申し立てを行いました。動画はライブ配信中で、選択した公開設定は適用されたままです。しかし、この動画は著作権者により収益化されているか、この動画のアナリティクスを受信することが選択されています。
動画のタイトル: 〇〇経の読経
著作権で保護されたコンテンツ: 〇〇経
申立人: 〇〇(コンテンツID登録者)
次のステップ
問題がない場合、対応は不要です。動画を削除する必要はありません。
なんらかの問題のために著作権者または YouTube のシステムが誤認した場合は、異議申し立ての手続きを行うことができます。すべてのコンテンツを動画内で使用する権利を所有していることが確実な場合のみ、使用してください。
Studio の編集ツールを使用して、申し立てが行われたコンテンツを削除することもできます。
そして、投稿した動画には強制的に広告が付き、その収益がコンテンツID所持者に支払われるように設定されてしまいます。
コンテンツが通常の楽曲で、作詞、作曲、歌唱など、そのコンテンツの著作件が明確な場合は問題はありませんが、歴史的に広く読まれている経典を誰かがコンテンツIDとして登録している場合に問題が生じますです。
「〇〇経」が特定の誰かの著作物として登録され、著作権料がその特定の誰かに支払われるとしたら、そのようなことが許される訳はありません。
特に最近、このような事例にあたることが多いので、もしも同様の経験がある方は、キッパリと反論の「申し立て」をすることを強くお勧めします。
もし、「特定の誰かにより著作権が登録されている著作物」が曹洞宗の経典であったり、御詠歌であったりした場合は、曹洞宗宗務庁(担当窓口:広報係)に報告をお願いします。
YouTubeのコンテンツIDは著作権者の作品に対する権利を守る仕組みであり、正しく運用されればクリエーターに収益が入る良い仕組みではありますが、このように正しい運用がなされない事例もありますので、注意が必要です。
Content ID の使用(YouTubeの説明)
次へ: コンテンツ マネージャを設定するContent ID は、著作権者が自分の所有するコンテンツを含む YouTube 動画を発見しやすくするための、柔軟性の高い自動識別システムです。
YouTube は、一定の基準を満たす著作権者のみに Content ID の利用資格を付与しています。著作権者が承認を受けるには、YouTube ユーザー コミュニティによって頻繁にアップロードされるような大量コンテンツの独占的権利所有者である必要があります。
また、YouTube は Content ID の使用方法について明確なガイドラインを定めています。YouTube は Content ID の使用と異議申し立てを継続的に監視し、これらのガイドラインが守られていることを確認しています。
著作権者には、対象となるコンテンツの参照コピーを YouTube に提出していただきます。YouTube はその参照コピーを使用して、アップロードされた動画をスキャンし、一致するコンテンツがないかどうかを確認します。一致するコンテンツが見つかると、YouTube は著作権者の希望するポリシー(対象となる動画の収益化、トラッキング、またはブロック)を適用します。
Content ID を使用する主なステップは次のとおりです。
1.コンテンツ所有者を設定します。
著作権者が Content ID の承認を受けると、YouTube パートナー マネージャーがコンテンツ所有者(YouTube コンテンツ管理システムにおける著作権者を意味します)を作成し、クリエイター ツールのコンテンツ マネージャ ツールへのアクセス権を付与します。著作権者はコンテンツ所有者アカウントを設定する必要があります。著作権者のニーズに合わせて、コンテンツ所有者と AdSense アカウントを関連付けるか、コンテンツ マネージャ ツールへのアクセス権を他のユーザーに付与することができます。
2.YouTube にコンテンツを送信します。
参照ファイル(音声、映像、または映像と音声)と、コンテンツの内容および著作権を保有している地域について説明したメタデータを送信して、著作権で保護されたコンテンツを YouTube コンテンツ管理システムに追加します。
YouTube は送信された各アイテムのアセットをコンテンツ管理システムで作成します。それに加えて、YouTube はコンテンツの種類と送信方法に応じて、再生可能な YouTube 動画、Content ID の照合用の参照、またはその両方を作成します。
3.Content ID がユーザーのアップロード動画をスキャンし、一致しているかどうかを判断します。
Content ID は、新しいアップロードとアセットの参照を絶えず比較します。一致する動画があった場合は、アセットの所有者に代わって自動的に申し立てを行います。申し立てが行われた動画には、YouTube に公開される前に、指定した一致ポリシーが適用されます。
Content ID は、アセットが作成される前にアップロードされた動画で一致しているものがないかどうかを判断する「レガシー スキャン」も行います。最近のアップロードや人気のある動画が最初にスキャンされます。
4.コンテンツを管理、監視します。
コンテンツ マネージャには、申し立ての確認や所有権の競合の解決といったアクションのタスクリストが含まれています。また、アナリティクス、収益レポート、コンテンツ管理ツールの全機能にもアクセスできます。
5月は納税の月。
固定資産税や自動車税など様々な納税通知が届きます。
特に、今年は土曜日曜に郵便物の配達が無いため、連休の合間の5月6日にまとめて納税通知が届きました。
これは全国的なことなので、twitterのトレンドにも税金関係のワードが並んでいます。
ということで、国民の義務である税金納付の手続きを黙々と進めるわけですが、これは如何なものかという税制がこちらです。
これは、所有しているスバル360(昭和40年製造)の自動車税納通知書です。
赤下線を引いている部分
「この車両は、平成28年度から重課税率が適用されています」として「12900円」の税額になっています。
具体的に言うと、平成27年度に行われた車体課税の税制改正によって、租税特別措置法 第九十条の十一の二、第九十条の十一の三が新設され、それによって平成28年度以降、継続的に割増の税率が賦課されているのです。
その論拠となっているのが、燃費基準に基づく環境負荷に対する課税ということなのですが、それは建前で、要は景気回復を最優先にして、車の買い替えを促し、自動車需要を増加させることが主たる目的になっています。
そして、重課税により(平成28年度は)840億円の増税が見込まれるとして、この項目が新設されました。
税制改革における経済産業省資料には次の様に記載されています。
1. 車体課税の見直しについて
(経産省試算)合計:840億円
新設・拡充・延長
新設
計数調整中。自動車取得税と自動車重量税の減税規模は、2020年度燃費基準への単純切替えを行った場合と比べた減税額。 改正内容は乗用車の場合のケースを記載(減税規模はバス・トラック等に係る措置を含む)。 電気自動車等には、電気自動車、燃料電池自動車、プラグイン・ハイブリッド自動車、天然ガス自動車、クリーンディーゼル自動車が含まれる。 経済情勢等を総合的に勘案し消費税引上げ時期の延期がなされた現下の状況を踏まえ、景気回復を最優先し、自動車の需要を喚起する観点から、エコカー減税の拡充(新たな対象区分の追加)を行うとともに、環境性能に優れた軽自動車への軽課措置の導入等を図る。
車体課税の見直し
平成26年度与党税制改正大綱等における消費税率10%段階の車体課税の見直しについては、平成28年度以後の税制改正において具体的な結論を得る。 自動車取得税及び自動車重量税に係るエコカー減税については、燃費基準の移行を円滑に進めるととも に、足下の自動車の消費を喚起することにも配慮し、経過的な措置として、平成32年度燃費基準への単純な置き換えを行うとともに、現行の平成27年度燃費基準によるエコカー減税対象車の一部を、引き続き減税対象とする等の措置を講ずる。 自動車重量税については、消費税率10%引上げ時の環境性能割の導入にあわせ、エコカー減税の対象 範囲を、平成32年度燃費基準の下で、政策インセンティブ機能を回復する観点から見直すとともに、基本構造を恒久化する。また、平成25年度及び平成26年度与党税制改正大綱に則り、原因者負担・受益者負担の性格等を踏まえる。 軽自動車税については、一定の環境性能を有する四輪車等について、その燃費性能に応じたグリーン化 特例(軽課)を導入する。この特例については、自動車税・軽自動車税における環境性能割の導入の際に自動車税のグリーン化特例(軽課)と合わせて見直す。また、二輪車等の税率引上げについて、適用開始を1年間延期し、平成28年度分からとする。 なお、消費税率10%段階の車体課税の見直しにおいては、税制抜本改革法第7条に沿いつつ、自動車をめぐるグローバルな環境や課税のバランス、自動車に係る行政サービス等を踏まえた議論を行う。
(経済産業省資料より抜粋)
けれども、例え燃費が良いエコカーを所有したとしても、それを短いサイクルで買い替えることが、本当に環境に負荷のかからないことなのでしょうか?
むしろ、車を大事に管理し、長く使う方が環境に優しい場合も多いのではないかと考えます。
特にクラッシックカーは、それほど運転距離が多く無いことが多いはずなので、どうしても重課税率を適用するのであれば、燃費と走行距離を複合的に組み合わせた税制にするべきではないかと考えます。
諸外国の例を見ると、環境に厳しい印象があるドイツでは、製造されてから30年以上経っており、オリジナルの状態を保っている車は工業文化遺産として「Hナンバー」という特別の区分がされ、事実上の免税となる優遇処置があります。
その他、ヨーロッパ諸国ではクラシックカーは税金が優遇されることが普通です。
環境に負荷をかけないというのはどういうことなのか、改めて考えてみることが必要なのではないでしょうか。
【補足資料】
租税特別措置法 第九十条の十一の二
平成24年5月1日以後に自動車検査証の交付等を受ける検査自動車のうち、初めて道路運送車両法第7条第1項の規定による登録又は同法第60条第1項後段の規定による車両番号の指定を受けた日の属する月から起算して18年を経過する月(軽自動車その他の政令で定める検査自動車については、政令で定める月)の初日以後に自動車検査証の交付等を受ける検査自動車(免税対象車等を除く。)に係る自動車重量税の税額は、自動車重量税法第7条第1項及び前条第1項の規定にかかわらず、当分の間、次に掲げる自動車の区分に応じ、1両につき、次に掲げる税率により計算した金額(道路運送車両法第63条に規定する臨時検査に係る自動車にあつては、当該金額に0.5を乗じて得た金額)とする。
(以下略)
租税特別措置法 第九十条の十一の三
平成26年4月1日から平成28年3月31日までの間に自動車検査証の交付等を受ける検査自動車のうち、初めて道路運送車両法第7条第1項の規定による登録又は同法第60条第1項後段の規定による車両番号の指定を受けた日の属する月から起算して13年を経過する月(軽自動車その他の政令で定める検査自動車については、政令で定める月)の初日以後に自動車検査証の交付等を受ける検査自動車(前条の規定の適用がある検査自動車及び免税対象車等を除く。)に係る自動車重量税の税額は、自動車重量税法第7条第1項の規定及び第90条の11第1項の規定にかかわらず、次に掲げる自動車の区分に応じ、一両につき、次に掲げる税率により計算した金額(道路運送車両法第63条に規定する臨時検査に係る自動車にあつては、当該金額に0.5を乗じて得た金額)とする。
(以下略)
5月26日、夕方、東の空で皆既月食が観測できます。
今回の月食は、今年一番月が大きく見えるスーパームーンでの月食となりますから、皆既中の暗赤銅色から煌々と輝く大きな満月へと移りかわる見ごたえのある天体ショーとなるでしょう。
YouTubeで生中継を予定しております。
ぜひ、生中継もご覧ください。
太陽、地球、月の軌道から過去の月食を計算してみると、道元禅師が越前・吉峰寺から大仏寺(後に永平寺と改名)に移動された寛元2(1244)年に2度の皆既月食が見られたことがわかります。
1つは寛元2年1月16日(旧暦)の皆既月食です。
夕方、月の出あたりからの皆既月食でした。
もう1つは寛元2年7月16日(旧暦)の皆既月食。
こちらは、道元禅師が道元禅師が吉峰寺から大仏寺に移動された2日前の暁天にみられた皆既月食です。
永平寺に移られる年に2度の皆既月食、そのうち移られる直前に皆既月食があったこともあり、それが印象に残っていたためかどうかはわかりませんが、のちの永平寺の上堂で
「月を食べ月蝕を起こす能力を持つ羅睺羅阿修羅王が月を呑み込んだものの、釈尊に諭されてそれをやめた」という『大智度論』の説話を引用し、満月の欠けることなく世間の闇を照らす様子を讃嘆されました。
『永平広録』巻7-521上堂
(この上堂の内容はtenjin95さんのつらつら日暮らしに詳しいので合わせて参照ください)
26日の皆既月食、天気が良ければ全国で観測できます。
是非、月に思いをはせ、眺めてみてください。
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするM9.0(観測史上国内最大)の大地震が発生し、地震の揺れと最大30mにも達する大津波により広い範囲で甚大な被害となりました。
今日で震災から10年の日を迎えます。
現時点において、亡くなられた方は1万5900人、行方不明者2525人。全半壊した家屋は40万5161棟となっています。
また、原子力発電所の事故により、7市町村337km2にわたり現在も居住できない地域が残されています。
まずはお亡くなりになられた皆様に心より哀悼の意を表します。
当ブログでは、毎日の記録を記事として綴っています。
⇒ http://teishoin.net/blog/archives.html
あらためて10年前の記事を読み返してみると、当時のことが鮮明に思い返されます。
私は、宗務所の主事として10年前の3月10・11日と東京都港区の東京グランドホテル(曹洞宗檀信徒会館)で開催された実務担当者会議に出席しており、その会議日程が終わり、その後SOTO禅インターナショナルの役員会が始まったところで地震に遭いました。
周期の長いこれまでに経験したことのない大きな揺れとなり、第一波の揺れは机の下に潜り、揺れが収まった後、非難口となっている3階バルコニーの扉を開けると、隣のビルでは建物から出て歩道上に避難されている様子が目に飛び込んできました。
(地震発生直後の東京グランドホテル前)
鉄道はことごとく運休となっていて運転再開の見込みがないため、東京グランドホテル内、周囲の食堂でその日は過ごしました。
深夜になり、上半分の照明が消えてしまった東京タワーを眺めながら横浜方面に歩きはじめましたが、道路はいたるところで渋滞し、道路上の車はほとんど動かず交通マヒ状態の中、多くの人々が自宅に向けて粛々と無言で歩き続けている様子が印象に残っています。
翌日、貞昌院に戻ることができましたが、次々と入る被災地の情報に、その被害の大きさに改めて驚かされました。
当時のブログには、
「被災地から離れた場所からの支援としての基本として考えられることは」
(1)まずは災害で命を落とされた皆様に謹んで弔意を表し、被害が拡大しないことと復興を願い法要を営むこと、
(2)電力消費を可能な限り抑えること(節電)、
(3)そして金銭的な支援
と書いています。
その基本的な原則は、今も継続的に続けています。
そして、10年前の震災の記憶を風化させることのないよう、また、常に災害に対応できるよう日常の備えを怠りないよう心がけたいものです。
Yahoo!ニュースに下記のような記事が掲載されていましたので、今日はJR(かつての国鉄)大船工場について書いてみたいと思います。
私が小学生から中学生だったころ、自転車で時折鎌倉へ遊びにいっていた時期があり、ルートの途中にあるこの大船工場に見慣れない列車が留まっていたのを眺めていました。
その時に撮った写真をブログ記事後半でいくつかご紹介します。
モノレールの真下に廃線跡!かつては首都圏「三大車両工場」の一翼「大船工場」の今
神奈川県鎌倉市に、細長い空き地が断続的に2km近く続いている箇所があります。空き地は大船駅南側、横須賀線の線路から分かれる形で西へと続いていることからも、廃線跡とうかがえるもので、湘南モノレールの真下にも存在します。
これは、かつて「大船工場」と呼ばれたJR東日本の施設への引き込み線跡です。車両の製造から検査までを担当していた施設でした。
大船工場は戦後すぐの1945(昭和20)年、大井工場(現・東京総合車両センター)の分工場として誕生。以後、2006(平成18)年に廃止されるまで、ここで鉄道車両の検査や修繕が行われてきました。大宮工場(現・大宮総合車両センター)、大井工場と並び、首都圏の国鉄・JR鉄道車両を支える重要な拠点だったのです。
空き地は線路跡であることを主張するように、コンクリートと板で組まれた柵で囲まれているほか、バラスト(砂利)が残っているところもあります。また途中には、踏切の存在を匂わせるオレンジと黒の「トラ柄」のフェンスや、踏み板も見られました。横須賀線との分岐点から数十mほどは、赤さびた線路や架線柱もそのまま残されています。
横須賀線付近から西へまっすぐ延びた廃線跡は、柏尾川の河岸でカーブ。この先には、今までと比べものにならないほど、広大な空地が広がっていました。施設はすべて撤去されていますが、これが、かつての大船工場の跡地です。
JR発足後、ここで車両の製造が行われていたことがあります。通勤電車として活躍する205系や209系も、一部がこの大船で生まれ、引き込み線を通ってデビューしていったのです。
なお、2006(平成18)年の工場廃止から15年近い時を経て、この敷地の再開発が始まりました。現在は一部が「湘南深沢ワン・パーク」として整備され、バーベキュー場やドッグランなどが設置されています。
(Yahoo!ニュース 2021/1/25配信)
記事に書かれている通り、JR(旧国鉄)大船工場は、昭和20年から平成18年まで車両の部品検査や全般検査を担う施設として、大船駅の南側、湘南モノレールの「湘南深沢」付近にあった車両工場です。
その沿革をWikipediaから引用すると次のようになります。
1945年(昭和20年)12月1日 - 大井工機部(現在の東京総合車両センター)大船分工場として発足。
1952年(昭和27年) - 電車の修繕を開始。
1950年(昭和25年)4月1日 - 大船工機部として分離。
1952年(昭和27年)8月5日 - 大船工場と改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。東京地域本社の所管となる。
1996年(平成8年)10月1日 - 横浜支社に所管換え
2000年(平成12年)7月1日 - 大船電車区(検修部門)と統合され、鎌倉総合車両所(深沢地区)となる。
2004年(平成16年)6月1日 - 鎌倉総合車両センターに改称される。
2006年(平成18年)2月9日 - 検査業務を終了。
3月31日 - この日限りで正式に廃止となり、閉鎖。これにより、長島地区は鎌倉車両センターに改称される。
大船の近辺は、戦時中は第一海軍燃料廠が現在の本郷台付近にあり、また、横須賀線が横須賀軍港へと続く重要路線であったことから、軍需工場など各工場が多くありました。
現在でも、その名残で重電機メーカーの工場が残されていたりします。
なお、第一海軍燃料廠は戦後接収され米軍大船PXになり、その後は本郷台団地として開発されています。
そのあたりの流れは、以前書いたブログ記事 根岸線物語 本郷台編 にまとめておりますので併せてご覧ください。
大船工場に至る線路の経路も上記記事で図示しています。
さて、大船工場に列車が入るためには、大船駅から東海道線の藤沢方面に進む経路では入線できないため、大船から一度横須賀線の鎌倉方面にすすみ、途中で折り返す必要があると書きましたが、そのあたりを空中写真閲覧サービスの航空写真で確認してみましょう。
↓昭和19年。戦時中に陸軍により撮影されたもの。
現在の湘南モノレールが通っているルートに、新しい道路が作られています。
大船工場は写真左下の長方形の屋根が4×4並んでいる場所です。まだ引込線は作られていません。
↓昭和21年米軍により撮影。
大船工場への引込線を敷設するために、田圃に線路予定地部分が造成されつつあります。
まだ線がとぎれとぎれなので、線路敷設の工事中であることがわかります。
↓昭和24年米軍により撮影された写真。
真新しい引込線が白い線として見えます。
ただ、まだ線路が敷設されていないようです。
横須賀線で一度鎌倉方面に進んで、折り返して大船工場に入るルートがよくわかると思います。
↓昭和42年の写真。高度経済成長期でもあり、団地や住宅開発が急速に進んでいます。
↓昭和52年。大船工場近辺のみを拡大しました。
多くの列車が留まっていることがわかります。
この最後の航空写真のころ、珍しい列車がよく留まっているこの工場を通った際に、写真を撮っていました。
工場はフェンスで囲まれていましたので、フェンス越し、あるいは入口ゲートから遠めに撮ったものです。
これらの車両は、美延線や飯田線、糸魚川線などで使われていた電車で、左はクモハ40800、右2枚はクモハ51822です。
車両を牽引するために置かれているようでした。
国鉄の車両工場は、普段は入ることができないはずなのですが、入口に居た工場の職員の方が、手招いて工場内を案内してくれたことがあります。
今では、普通の日に工場内に部外者を入れることはないでしょうが、40年ほど前のことですし、私が中学生だったからということもあったのでしょう。
いろいろと親切に説明してくれたことを思い出します。
写真も何枚か撮らせていただきました。
そんな大船工場も、国鉄からJRに民営化され、さらに平成18年には工場の役割を終え、再開発により新しい施設へと生まれ変わりつつあります。
冒頭のニュース記事は、この大船工場への引込線の痕跡の話題です。
現在、鎌倉市役所移転構想に伴う深沢地区土地区画整理事業が進みつつあります。
かつての大船工場周辺は大きく変貌していくことでしょう。
世界自動車事情として、ヨーロッパでは2020年代のガソリン車販売禁止が決定されたり、アメリカのカリフォルニア州でゼロエミッションでないトラックが段階的販売禁止になったりと、ガソリン自動車から電気自動車へ移行が急速に進んでいます。
日本においても、政府が2030年代半ばまでにガソリン車の販売を禁止するという方針を示しました。
現在、日本における電気自動車(ハイブリッドを除く、純粋な電気自動車)のシェアは1%にも満たない状況です。
はたして、今後どのようなペースで普及が進んでいくのでしょうか。
ここで、禁止されるとされるガソリン車についての定義について再確認が必要です。
ガソリンを使用する車すべての販売が禁止されるのでしょうか。
どうやら、(ハッキリと明言はされていませんが)そうではないようです。
自動車をガソリンと電気の使用割合で分類すると、ガソリン使用割合が大きい順に
・ICE:純内燃機関車両 (ガソリン・軽油のみで動く)
・HEV:ハイブリッド車両
・PHEV:プラグインハイブリッド車両
・EV:純電化車両 (電気のみで動く)
というように分類できます。
この中で、ICE(internal combustion engine)=純内燃機関車両のみを販売禁止とするということのようです。
少なくとも日本においては「EV、PHEVはガソリン車には含まれず、HEVもおそらくガソリン車に含まれない」という解釈になると思われます。
これは当然のことで、もしも日本においてEV:純電化車両だけになった場合、致命的な問題を引き起こすからです。
その一例が大雪による立往生の障害です。
記録的大雪 福井県内の北陸道 約1000台の車が立往生 福井県内の北陸自動車道でも9日から立往生が相次ぎ、午前11時現在も上下線の4か所でおよそ1000台が立往生しています。
NEXCO中日本によりますと、ドライバーに食料や水、携帯トイレの配布を行っていて、現地には午前10時前に自衛隊が到着し、救出作業にあたっています。
「約2キロ動くのに11時間かかっている。情報をプリントしてコピーしてドライバーに渡すこと励ますこと(が必要)」(立往生している人)
また、北陸道と並行する国道8号でも立往生を避けようとした車で渋滞しました。
11日朝までに予想される雪の量は、北陸で80センチ、東北で50センチで、交通障害や着雪による停電に厳重な警戒が必要です。
(2021年1月10日放送)
日本は国土の7割の地域で大雪になる可能性があります。
今冬も日本海側などで大雪による道路の障害のニュースが続いています。
国土交通省の資料によれば、日本の近年の雪の降り方の特徴は
・年降雪量は概ね横ばいであるが、昭和55年と比べ平成24年では24時間降雪量が多い日が増大
・近年、雪の少ない関東や西日本では、累積降雪量は平均の約2倍
・またこの6年で、積雪が観測史上最高を更新する地点が3割あり、ゲリラ豪雪が全国局所的に発生
ということです。
そして、道路で自動車が立ち往生する原因としては
・立ち往生車両は、大型車が約6割を占め、また冬タイヤを装着している車両のうち、チェーン未装着
(出典)雪寒対策の進め方 - 国土交通省 https://www.mlit.go.jp/common/001152386.pdf
・車が約9割を占めており、冬タイヤだけでは不十分。
・冬タイヤを装着していても、縦断勾配5%を超える区間では立ち往生が多く発生している
というように、現在では大型車両がスリップして動けなくなることが主な原因になっています。
しかし、今後、純電化自動車の普及が進んだ場合はどうでしょうか。
冒頭で述べたように、日本での純電化自動車の普及率は1%未満です。
純電化自動車の動力源であるバッテリーは気温が低くなると極端に性能が低下します。
また、暖房を使った場合は、バッテリーの消費はさらに大きくなります。
純電化自動車のバッテリーが上がってしまった場合は、簡単には充電することはできないでしょう。
自走できない多くの自動車が道路をふさいでしまう状況が発生した場合、その解消にはどれほどの時間と手間がかかるのか、想像に難くありません。
雪が多い日本においては、仮に純内燃機関車両の販売が禁止されたとしても、純電化車両の普及はせいぜい数パーセント程度に留まり、それほど進まないだろうと考えます。
HEV:ハイブリッド車両、PHEV:プラグインハイブリッド車両、あるいは、水素自動車などの石油を使用しない内燃機関など、大雪で立往生した際にも燃料の供給で自走できる自動車であることが必要だと考えます。
少なくとも日本の気候に合った施策を進めていくことが必要でしょう。
そして、「2030年代半ばまでにガソリン車の販売を禁止」という表現は誤解を生みやすいので、「ガソリンだけで動く車の販売を禁止」など、より誤解を生みにくい表現で示してほしいものです。
曹洞宗公式サイトに 新型コロナウイルス感染対策について という特集サイトが公開されています。
大型連休となり、本来は各地の観光地がにぎわう時期ではありますが、今年についてはこれまで以上に不要不急の外出、移動制限が求められることとなりました。
【4/28付】総長談話「新型コロナウイルス感染症感染拡大防止にあたり」
4月28日、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止にあたり、曹洞宗宗務総長談話が下記のとおり発表されました。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により尊い命を失われた皆さまに深く哀悼の意を捧げます。罹患された皆様におかれましては、一日も早いご回復をお祈りいたしますとともに、その近親者の皆さまに、こころよりお見舞い申し上げます。
また極限に近い状況の中で治療にご尽力頂いている医療従事者の皆さま、ならびに緊急事態の中にあってもライフライン、学童保育、介護施設、保育施設などを支えておられる方々に、深く敬意を表します。
ならびに感染拡大、自粛にともない、ご不安をかかえ、また生活に影響を受けられている皆さまにおかれましては、ご心痛いかばかりかとお察し申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が拡大するにつれ、多くの方々が、感染の恐怖に怯え、自らの生活に不安を抱え、動揺しています。ウイルスという目に見えない恐怖や先行きの分からない不安は、私たちから冷静さを奪い、気付かぬうちに貪りや怒りや愚かさに起因する正しくない感情を引き起こしかねません。貪りから買い占めへ、怒りから虐待へ、愚かさから差別・風評被害を起こすこと無きよう、お互いに支え合わなければなりません。私たちのこころの健康を保つためにも、この自粛生活を、自分自身を見つめ直す機会といたしましょう。こうした時であるからこそ、お釈迦さま、道元禅師さま、瑩山禅師さまの御教えから学ぶことは多いのです。
お釈迦さまは、「病」・「死」という「苦」に向き合い、正しく見、正しく語り、正しく実践するべき事をお説きくださいました。新型コロナウイルス感染症について正しく理解し、また、風評被害や差別を起こすことのないように努め、知らず知らずのうちに罹患し、また他の方に感染させてしまうことのないように慎ましく行動しなければなりません。
道元禅師さまは、鎌倉時代の冷夏などによる凶作の頻発、疫病の流行、「天下の人種三分の一失す」とまで言われた「寛喜の大飢饉」などの時勢、特に「末法」と叫ばれる中にあっても、否、そうした時代であればこそ、それを理由に仏道を疎かにしてはならないことを力説なさいました。「自未得度先度他」の心に学び、困難に直面しているのは自分だけではないことを弁え、他の方々への思いやりを忘れず、「布施」・「愛語」・「利行」・「同事」という「四摂法」に従って、冷静に行動いたしましょう。「布施」は、「貪らざるなり」というお示しのとおり、買い占めを慎むことも、「布施」という菩薩行となります。「利行」については、「利行は一法なり、普く自他を利するなり」、手指の消毒に努め、咳エチケットを守ることも、自分への感染を防ぐだけでなく、ご家族をはじめ他の方々に感染させないように行うのですから、自ずと利他行となります。
瑩山禅師さまは、あらゆるものを慈しみ愛し、相手の苦しみを我がこととして受け止め共感するという「慈悲の心」をもって坐禅に精進することをお説きになりました。「ステイホーム」が求められる今、自由な時間に、お寺に行くことができなくても、是非、ご自宅で坐禅をされることをお勧めいたします。足を組むことが難しい方には、「いす坐禅」もお勧めしています。坐禅は、呼吸を調(ととの)え、自分自身を見つめ直す契機となると共に、感染への恐怖、不安や悲しみを静め、慈しみのこころを育みます。
宗教界も公衆衛生や伝染病対策には昔から気をつけていました。明治13年(1880)に内務省から出された『虎列剌(コレラ)予防諭解』により、今回の新型コロナウイルス対策でいわれているのと同じ対処法(例えば、密接な人間関係を避ける、部屋の換気等)が示され、全国に教団組織を持つ各仏教教団は、内務省社寺局の依頼に基づきこれを印刷し配布しました。
まだまだ迷信が強かった時代だけに、曹洞宗務局では「但教徒の内、教法上の加持祈祷等を以て医薬及び予防法の妨害を為すが如き意得違いの者之れ無き様、取り締まり致すべし」とし、加持祈祷の力を妄信して、医学的見地に基づく対応を妨害しないように促しておりました。
また、宗門では、過去にハンセン病に関して、差別儀礼や悪しき業論を布衍してしまった反省があります。それは、ハンセン病の原因や治療法が分からなかった時代に「ハンセン病になったのは、過去の悪しき行為の報いに対する罰」という、誤った解釈を敷衍してしまったことに起因します。その反省に立ち、宗門では、二度と差別が繰り返されぬよう、取り組みを行って参りました。
この度の新型コロナウイルスに関しても、人類が初めて直面するウイルス による危機であるため、既に、罹患者の方々、医療従事者の方々や、そのご家族に対して、さまざまな形で差別的事象、風評被害が報道されていることに深く憂慮いたします。
科学的根拠のない不正確な情報、迷信に振り回されることなく、厚生労働省で提供される情報や、医学情報などに基づき、かかりつけ医などに相談しながら、冷静に生活を行っていくことが第一に求められます。
新型コロナウイルスに罹患なさった事が原因で、尊い命を失われてしまった方のご葬儀につきまして、先に火葬をお勤めしてからのご葬儀という形式がとられる場合もあり、ご葬儀後に出棺して火葬という通常のご葬儀ではないことから、こころを痛められているという声もあるようです。しかし、火葬後のご葬儀という形式は、全国のいくつかの地域で風習として行われている形式であり、正規のご供養でありますのでご安心下さい。身近な方の死によって心が揺れている中で、ご葬儀のあり方をめぐって他人からさらに「かわいそう」といった言葉をかけられることは、更にこころを痛める結果を招く場合もありますので、お慎み下さい。
同様に、感染防止のため、遠方の方のご葬儀に駆けつけることが出来ないという事例も増えつつあろう事とお察しいたします。かかえておられる思いを、菩提寺のご住職さまにご相談なさることで、それぞれのご事情にあわせたご供養をお勤めしていただくことが出来ますので、まずはご相談下さい。
私たち一人ひとりが、苦しみ、悲しみを分かち合い、共に助け合いながら、この困難を乗り越え、一日も早く、元の生活に戻れるよう、また、更に充実した日々を迎える事が出来るよう、努めて参りましょう。
曹洞宗宗務総長
貞昌院においては、葬儀・法事等についてはこれまでも当ブログで触れてきましたが、曹洞宗および全日本仏教会などの基本指針をもとに、下記のように定めます。
貞昌院における新型ウイルス COVID-19 流行に際しての法事、通夜・葬儀執行等の基本指針(貞昌院檀家さん向け)
【非感染者のご葬儀について】
感染症ではない場合(通常のご葬儀の場合)は、これまでどおり、まずは貞昌院までお知らせください。
貞昌院といたしましては
①通夜・葬儀を執行する際には、事前に感染防止において必要な留意点を最新の情報に基づきあらためて確認いたします。
通夜・葬儀の打ち合わせを綿密に行います。また、体調管理には十分留意いたします。
ご遺族様、葬祭業者のみなさまにおかれましては、参列者参会者の安全確保、とりわけ感染防止の観点から、以下の事項に留意ください。
②通夜・葬儀を執行する会場・控室等を事前に確認し、「密閉空間」「密集場所」「密接会話場面」等が発生しないよう感染防止に向けての措置を講じてください。
③通夜・葬儀への参会者の人数は、会場に対して過密空間にならないよう、参列人数についてご相談ください。また、健康状態が思わしくない方(体温 37.5 度以上または基礎疾患者)の参列はしなように徹底ください。
④通夜・葬儀の参会者には、事前に手洗いと消毒剤による手指消毒を厳守させてください。
⑤参会者には感染防止の観点からマスクを装着することを推奨します。
⑥参会者の焼香の際には、行列をつくって密集することのないよう間隔をあけてください。
⑦通夜・葬儀前後の飲食・会食もできる限り控えるようお願いいたします。
通夜・葬儀は、故人との惜別と哀悼を捧げる厳粛な場面です。
時間の限定や参会者の多少に関わらず、心を込めてお送りできるよう、打ち合わせを念入りにさせていただきます。
【非感染者のご法事について】
基本的に通夜・葬儀と同様ですが、貞昌院としての対策および、お願いしたいことについては 寺院における新型コロナウイルス対策 を併せてご参照ください。
・手洗い、うがいを日常的に行う ・マスク着用の習慣がある ・ハグや握手の習慣がない ・公共の場で私語の会話をあまりしない ・下足の習慣=家の玄関では靴を脱ぐ |
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死者数が欧米各国にくらべて日本が極端に少ないのは、医療機関の力も大きいほか、冒頭に挙げた日本でこれまで培われてきた習慣が大きな要因になっていると思われます。
欧米各国では、外出先で手洗いができる場所は極端に少ないし、帰宅後に手洗いやうがいの習慣もあまりない。さらに靴のまま部屋に上がれば外からのウイルスをそのまま部屋の中に持ち込んでしまうことになるのです。
例えば、私たちは、朝起きたら顔を洗うという習慣を持っています。
食事、洗面、歯磨き、トイレ・・・さまざまな習慣が日本に広まった源は、禅道場で教えられ受け継がれてきた教えであるとされています。
永平寺の開祖・道元禅師の時代、13世紀の日本では、洗面する習慣は無かったそうです。
道元禅師が著された『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中で、洗面がインドから伝わり中国に広がったことや、歯磨きでの楊枝の使い方、その方法、トイレの作法などが詳しく記されており、その作法が日本に広まったようです。
仏法にかならず浣洗の法さだまれり。あるひは身をあらひ、心をあらひ、足をあらひ、面をあらひ、目をあらひ、くちをあらひ、大小二行をあらひ、手をあらひ、鉢盂をあらひ、袈裟をあらひ、頭をあらふ。これらみな、三世の諸仏諸祖の正法なり。(『正法眼蔵』「洗面」巻より一部抜粋)
つぎに、洗手すべし。右手に灰匙をとりて、まづすくひて、瓦石のおもてにおきて、右手をもて滴水を点じて触手をあらふ、瓦石にあててとぎあらふなり。たとへば、さびあるかたなを、とにあててとぐがごとし。かくのごとく、灰にて三度あらふベし。つぎに、土をおきて、水を点じてあらふこと三度すべし。つぎに、右手に皀莢をとりて、小桶の水にさしひたして、両手あはせてもみあらふ。腕にいたらんとするまでも、よくよくあらふなり。誠心に住して、慇懃にあらふベし。灰三、土三、皀莢一なり、あはせて一七度を度とせり。つぎに、大桶にてあらふ。このときは、面薬・土灰等をもちいず、ただ水にても、ゆにてもあらふなり。一番あらひて、その水を小桶にうつして、さらにあたらしき水をいれて両手をあらふ。(『正法眼蔵』「洗浄」巻より一部抜粋)
上記で抜粋したほか、「両手に洗面桶の湯を掬って、額から両眉毛、両目、鼻孔、耳の中、顱頬(頭から頬)をすべて洗う。……唾や鼻水を洗面桶の湯の中に落としてはならない。……垢が落ち、油気を除ききるまで洗うのだ。耳の裏も洗わなければならない」と洗面の作法を詳細に著しています。つづけて「洗面の間に、洗面桶や杓を鳴らしてはいけない。湯水を乱暴に扱って、周りを濡らしてはならない」などと、洗面に際しての気配りをも教えています。
道元禅師は、身心を洗い清めて、埃や汚れを除くことが第一の仏法であり、そうすれば内面も外面も(身心も周囲の環境も)清浄になる、と述べています。
ただ水で洗いすすげば、それだけで清浄になる、と考えてはならないのです。
話を戻します。
日本においては、いまのところ新型コロナウイルス感染症の感染者・死者数の推移は緩やかですが、それでも確実に増加傾向にあります。東日本大震災の発生から9年が経過しました。
2011年と2020年の同じ場所の記録の一部です。 (クリックすると拡大します)
↑2011年5月25日 野蒜駅北の鳴瀬川沿いの水田は まだ海水が引いていなかった。正面に仙石線の車両が止まったままになっています。
↑2020年3月2日 震災後何年かかけて塩抜きが行われました。仙石線のルートが変更され、この区間は高架になりました。
(左)2011年5月25日 (右)2020年3月3日
震災以降仙石線の車両が止まったままになっていました。(このとき仙石線は高城町~矢本駅間が不通)。奥方向に800mほど進むと旧野蒜駅です。
2020年には線路が撤去され、道路になっていました。
↑2011年10月26日 石巻市門脇小学校。震災当時避難のために校庭に駐車していた車が津波で校舎に衝突し炎上してできた痕跡が残されています。
↑2020年3月2日 校舎が震災遺構として保存されるための工事が進められています。一部分は取り壊しとなり、2020年中に公開される予定です。
↑2012年6月19日 名取市閖上の日和山から南西側のパノラマ。嵩上げ工事のため土砂が積まれています。
↑2020年3月3日 閖上の日和山から南西側のパノラマ。駐車場は舗装整備され、隣接地に名取市東日本大震災慰霊碑が建立されました。
↑2012年6月19日 名取市閖上の日和山から北東側のパノラマ。
↑2012年6月19日 名取市閖上の日和山から北東側のパノラマ。中央奥の名取川沿いに震災復興住宅と再建された東禅寺が見えます。
(左)2011年5月25日(右)2020年3月2日
野蒜海岸から宮戸島へ渡る橋は、津波のために流されてしまいました。
2011年5月の段階では県道27号線(左写真左端)は未だ復旧しておらず、自衛隊により砕石が敷かれた仮道(左写真右端)を通って宮戸島に入りました。
2020年になってもまだ橋の工事は完了していません。野蒜海岸沿いに堤防のかさ上げ工事が進められていました。
(左)2011年8月26日 宮戸島縄文村 (右)2020年3月2日
宮戸島縄文村・漁協前の道路。地盤沈下のため大潮になると海水が流入してきて50センチほど冠水しました。
現在は嵩上げと舗装工事が完了しています。
(左)2011年5月25日 宮戸島月浜 (右)2020年3月2日
美しい砂浜の前に民宿が並んでいましたが津波により光景が一変しました。
現在は、新設された漁業倉庫が並んでいます。
(左)2011年5月25日 宮戸島月浜 (右)2020年3月2日
月浜海岸堤防の復旧状況。
ここの海岸は、とても美しい砂浜です。
(左)2011年5月25日 宮戸島室浜 (右)2020年3月2日
2011年、高台には仮設住宅が建てられ、牡蠣養殖の準備が進められていました。
2020年、漁業倉庫が新たに建てられていました。
東日本大震災から9年。
被災地の復旧復興の状況は場所によってその進捗が大きく異なっています。
長い目での支援もまだまだ必要でしょうし、情報には常にアンテナを張っておくことも大切だと感じます。
Yahoo!ニュースに 「スバル360」が60年経っても未だに現役な理由 という記事が掲載されました。
私もスバル360を所有していて、なるべく毎日運転できるようにしています。
車両重量が軽いこと、エンジン構造が空冷2サイクル・シングルキャブという単純なこともあって、馬力のハンデ(16馬力)があり、運転に癖がるにも関わらず、現代の車の走行の流れに乗って走ることができます。
この車は年齢(車齢)53歳、ほぼ私と同じ年齢です。
なので、自分の体と付き合っていくのと同様に、大事に乗っていこうと考えています。
冒頭でご紹介した記事を引用します。
スバル360が国民車と呼ばれ、機械遺産にも認定される理由がよくわかります。
「スバル360」が60年経っても未だに現役な理由
敗戦から13年がたった1958年。富士重工(現SUBARU)は、後のベストセラーとなる「スバル360」を世に出した。大型車でも登れない急坂も難なく走る軽自動車には、元飛行機会社ならではの技術が込められていた――。
■政府の援助も受けずベストセラーカーに「乗員は大人ふたり、子どもふたり。最高時速一〇〇キロ、重量四〇〇キログラム以下。価格二五万円以下」
政府は自動車産業の育成と国民に自家用車を提供するために、「安くて小さいけれど、性能のいい車」を作るよう、各メーカーに要請したのである。そして、トヨタ、日産をはじめとするメーカーに競争試作させて、「最終的に一車種に絞り、国民車として生産・普及の援助を与える」とした。
ただ、最終的には一車種に絞ることにはならなかった。結局のところ、上記の基準をクリアできたのは排気量の小さな軽自動車だけで、そのなかでもスバル360があっという間にベストセラーカーになってしまったので、役所が育成や援助をする時間はなかった。■「世界のライトカーと比べても遜色ない」
それくらい、中島飛行機時代からのエンジニアである百瀬晋六たちが作った「てんとう虫」は上出来の車だった。著書『間違いだらけのクルマ選び』でも知られる自動車評論家の徳大寺有恒はこう評している。
「初期のライトカーたちにとどめを刺し、軽自動車の決定版として一九五八年に登場したのが、富士重工のスバル360である。スバル360は立派な自動車だった。当時、日本だけでなく、第二次世界大戦の敗戦国のドイツやイタリアでも、メッサーシュミットやBMW、イセッタ、チュンダップなどの、簡便なライトカーが大量に作られていたが、スバル360は、それら当時の世界水準のライトカーすべてと乗り比べても、遜色ない性能を持っていただろう」
「スバル360は実にパッケージングが優れていた。(略)そのボディは四角いフルワイドボディではなく、まだ曲線のフェンダーラインを残しているものだったが、それを決して無駄に使ってはいない。(略)
リアシートにも大人二人が乗れるから、その気になれば、少々つらいとはいえ、大人四人を乗せてぼくの得意の日光くらいは充分行けただろう」(『ぼくの日本自動車史』徳大寺有恒)■サラリーマンでも手が届くのに高スペック
徳大寺が驚いたように、スバル360は当時の技術の粋を尽くしたもので、ユーザーにとっては、お値打ちのクルマだった。価格は42万5000円(公務員初任給9200円)。オートバイ2台分の360ccというエンジン容量なのに大人4人が乗ることができた。しかも、舗装されていなかった当時の道路を時速60キロで巡行できたのである。
通産省(現経済産業省)が出した「国民車構想」に応募し、量産されたのは三菱重工の三菱500だけだった。しかし、価格が高すぎて、国民車になり損ねている。
だが、スバル360は価格がサラリーマンでも手が届いたし、何より国民車の基準よりもはるかに高いスペックを実現してしまったのだった。
当時、新入社員だった同社OBは「私自身も買いました」と語る。
「スバル360は飛行機技術者だから作ることのできた軽自動車でした。エンジンは二気筒の空冷エンジン。フレームレス・モノコック構造で、四輪独立懸架。車体の鋼板は0.6ミリと薄く、軽量化に役立ちました。また、屋根は強化プラスチック(FRP樹脂)だから、これまた軽い。大傑作車で、発売から11年間、モデルチェンジなしで市場に出していましたし、大人気でした」■1グラム単位まで何度も削る徹底ぶり
百瀬は軽量化、スペースの拡大、乗り心地の良さを追求したが、その開発方法は飛行機を作った時と同じやりかただった。
まずは徹底的な軽量化である。薄い鋼板、FRP樹脂の採用にとどまらず、5グラム、10グラム単位で車重を削った。
中島飛行機時代からの部下、小口芳門は百瀬が信頼する男だった。小口自身も自分のチームを持ち、部下には徹底した軽量化を教えていた。
小口はハンドルの設計をしていた部下に「まず粘土模型を作ってみろ」と伝えた。そうして部下が設計したハンドルの重さは9.26キロ。小口は「どうにか7.5キロまで落とせ」ともう一度、指示する。部下はハンドルの粘土をカミソリで少しずつ薄く削っていった。
そして、削りカスを手に載せ、その後、秤(はかり)ではかってみたら削りカスの重さはやっと10グラムにしかならなかった。 その様子を見ていた小口は「よかったな。10グラム軽くなったぞ」と満足そうな表情をする。しかし、部下は「小口さん、たった10グラムじゃないですか。これくらいのことではなかなか減らせませんよ……」と文句を言う。
小口は猛然と怒った。
「そんなもんじゃない。戦争していた頃、中島飛行機の設計室には重量班というのがあって、彼らが設計者の図面をチェックするんだ。予定されている重量よりも1グラムでも重ければ設計図は描き直し。直属の上司よりも重量班の方が偉かった。いいか、飛行機の軽量化はささいなことの積み重ねなんだ」
以後、彼が口を酸っぱくして言ったことは「肉を盗め」「ここを削れ」「ここの強度を上げろ」という3つの言葉だった。■サスペンションが砂利道に耐えられない
また、スバル360が悪路を60キロで走っても車体ががたがた揺れなかったのは足回り、サスペンションの改良があったからだ。小口のチームは軽量化に続いて、「棒バネ」と呼ばれる新しい形状の材料を使うことを思いついた。
しかし、走行実験を始めると、サスペンションの棒バネが悪路の走行に耐えられず折れてしまう。なんといっても当時の道路舗装率はわずか1パーセントである。日本中の道路は基幹の国道をのぞけば砂利道だと思っていい。
小口は考えた。
「棒バネを長くする、あるいは太くすれば耐久性は増す。しかし、軽自動車の車体幅130センチでは、これ以上は長くできない。かといってバネの直径を太くすれば重量が増えるし、クッションが硬くなる……」
その後も試験走行では、ねじり棒バネは折れたり、曲がったままになったりしてサスペンションの役目を果たさなかった。
そんなある日、百瀬が小口に一冊の洋書を渡した。東京の洋書店まで行って見つけた専門書で、そこには問題解決の糸口が書いてあった。
かつて百瀬たちが戦闘機の技術向上に挑んだ時も洋書を取り寄せるか、もしくは大学の専門家に会いに行くことしかなかった。戦闘機のような国家秘密の塊は他国の現物や部品を取り寄せることができない。■「スバルクッション」と呼ばれた独自製法とは
航空機で新技術を開発しようと思ったら、糸川がやったようにパイロットに聞く、あるいは鳥の動きを観察したり、さまざまな本を読んで考えることしかなかった。
スバル360のような日本には前例のない革新的な軽自動車を開発する時も百瀬は同じ手法を取ったのである。
バネの専門書にはふたつのことが書いてあった。金属の「へたり」を防ぐためには、あらかじめ、ねじっておく「プリセット法」がある。先に棒をねじっておけば、その後に突発的な激しいねじれがあっても、金属には抵抗力が付いている。もうひとつ、金属の「折れ」に対してはアメリカでは「ショットピーニング法」で加工していた。
ショットピーニングとは金属の表面に無数の鉄の球を高速で衝突させ、金属材料の強さを増す技術だ。鉄の丸い球をショットと呼ぶことからショットピーニングという名称になった。ショットによって表面に無数の丸いくぼみができるが、硬度は上がり、繰り返し荷重に対する強さも増す。小口はプリセット法、ショットピーニング法などで棒バネの大きさや形を変えないまま強度を高める方法を採用した。
こうしてあらかじめ、ねじった棒バネ、つまりねじり棒バネは機能し、サスペンションは強化された。このおかげで、スバル360の乗り心地はよくなり、「スバルクッション」と呼ばれるまでになったのである。■傾斜角度13度の急坂を大人4人乗りで挑戦
スバル360の試作車は4台作られ、過酷な試験走行を繰り返した。試験ルートとして群馬県の伊勢崎から高崎までの未舗装道路を往復した。16時間で600キロを走る長距離連続走行テストから始まった。
試作車のエンジンは酷使の結果、故障したため、エンジンを開発した三鷹工場から伊勢崎に来ていた技術者が徹夜で修理し、翌朝には再び、走ったこともあった。
百瀬チームが試験走行の総仕上げに選んだのは、赤城山の登坂路を上ることだった。赤城山にはふもとから新坂平(しんざかだいら)までの14キロ地点に「一杯清水(いっぱいしみず)」と呼ばれる急坂路がある。傾斜角度が13度というその坂道は見上げるような勾配で、スキー場の急斜面のようにも見えた。当時の国産車では一杯清水を一気に上ることができず、途中でいったん休んでから、また上るのが通例だった。そこをスバル360の試作車は大人4人を乗せて登坂していこうというのである。
百瀬たち技術陣は一杯清水を上った坂の上の地点、新坂平で車を待つことにしていたが、初回のトライアルではスバル360は上ることができなかった。エンジン全開で登坂すると、途中でオーバーヒートしてしまうのである。そこで、また工場に戻り、設計を考えたり、部品を手直しした。
数回の登坂走行の後、4人乗りでアクセル全開のスバル360は14キロの坂道を35分で走破することができた。運輸省の新車認定試験の直前のことで、なんとか間に合わせることができたのである。■オーバーヒートした高級車の運転手もポカン……
参加していた技術者のひとり、松本廉平はこんな感想を残している。
「その後も赤城山の急坂路を上るテストは続けました。ある日、登坂していたら、坂の途中で東京から来た大型の外車がオーバーヒートして、エンジンフードを開けて熱を冷ましていました。そのわきを僕ら大人4人が乗った軽自動車がすいすいと登っていくわけです。高級セダンの横に立っていた人がポカンと口を開けて、茫然(ぼうぜん)と見ていたのを覚えています」 スバル360が売り出されたのは1958年5月である。価格は42万5000円。トヨペットクラウンの半額だった。その後、同車は1970年まで約39万2000台が生産され、ベストセラーでロングセラーとなるとともに富士重工の基礎を築いた。
てんとう虫という愛称で呼ばれ、大勢のマニアも生まれた。マニアたちは発売から半世紀以上が過ぎた今でも、てんとう虫を愛し、ごくたまに路上でも見かけることがある。1950年代にできた日本車で今も一般道路を走っているのはこの車くらいのものだ。■中島飛行機時代の“得意技”が生きた
中島飛行機と富士重工で販売部長も務めた太田繁一は「百瀬さんは日本の車を変えましたね」と言った。「これまで語られていなかったけれど、スバル360にしろ、その後のスバル1000にしろ、本当の飛行機技術が反映されているのです」
「飛行機も自動車も同じように燃料を燃やして走るものです。ところが、飛行機は何千メートルも急上昇したり、あるいは急下降します。酸素の濃いところから薄いところまで行ったり来たりする。宙返りなんかもしちゃうのです。機体がどんな状態であれ、つねにエンジンまで燃料が供給されなくてはなりません。」「そのためには燃料ポンプ、燃料ホースからエンジンまでの道筋が大切なんです。気圧が変わっても燃料を供給する通路の設計は飛行機技術者がもっとも得意とするところでした。百瀬さんはそれをわかっていたから、スバル360、スバル1000はどんな急坂でも上ることができたんですよ」
太田が指摘したとおり、敗戦後、日本の自動車業界には大勢の飛行機技術者が入ってきた。そして、彼らが伝えた最大の技術とは、一般によく指摘されるモノコック構造ではなく、燃料通路の設計だった。■日本の自動車技術が格段に上がった理由
たとえばアメリカからの輸入車を持ってきて、坂の多い日本の道を走らせるとエンストしたり、オーバーヒートするのは当たり前だ。アメリカの車は平たんな市街地を走るためのものだったから。
それにアメリカの自動車会社には飛行機設計の技術者はいない。飛行機設計の人間は飛行機を、自動車設計の技術者は自動車をやっていた。
ところが、敗戦国の日本は「飛行機を作るな」と言われ、富士重工に限らず、トヨタ、日産、ホンダなどには飛行機の技術者が続々入社してきたのである。彼らが自動車開発に携わったため、日本の車の質は格段に上がった。
モータリゼーションが進んでからも、日本に主にアメリカ車が入ってこなかった理由はいくつかある。
本体の価格が高かったこと、車体の大きさが狭い道路には不向きだったこと、左ハンドルだったこと……。それに加え、アクセル全開で坂を上るとオーバーヒートしてしまう、あるいはエンストしてしまうことが多々あったのである。
1950年代、60年代、アメリカの自動車技術者は自国で車が売れていたから、小さな日本のマーケットに合わせて自動車を改良しようという気持ちは持っていなかった。
一方、飛行機の技術者を迎えた日本の自動車業界は日本の道路に合わせた設計で次々と魅力的な車を開発していった。
「日本車は故障が少ない」
海外でもそういった定評ができたのは日本車にはモノコック構造など目に見える飛行機技術が車にいかされただけではなく、内部構造でも飛行機の技術が採用されていたからだった。■“日進月歩”の時代に10年以上存在感を放った
さて、スバル360は発売後、マーケットを快走したが、遅れて出てきた軽自動車、マツダキャロル(1962年発売)が一時期、スバルに肉薄した。性能や室内の広さはスバルの方が上だったのだが、キャロルはデザインが女性ウケして、ユーザーの奥さんたちが「これにしよう」と、夫にすすめたのだった。
トヨペットクラウン、日産ブルーバードといった当時の小型車の主な需要はタクシーと業務用である。選ぶのは男性、ビジネスマンだ。
一方、軽自動車は業務用ではなく、家族が乗る車で、車種選びに女性の意見が重要視される車でもあった。性能や室内の広さだけでなく、見た目が一般受けするマツダキャロルは特に女性に人気が高かった。
1967年にはホンダがN360を出した。最高出力はスバルの5割増しで、価格は10パーセントも安かった。
軽自動車のユーザーたちはもちろん飛びついたし、若者たちも入門用にホンダN360を買った。その頃には若者が自分で乗るための車を買えるようになっていたのである。
一方、発売してから10年近く経って、やや時代に遅れたスタイルになっていたスバル360はホンダN360の登場により、マーケットの片隅に追いやられてしまう。
太田は次のように説明してくれた。
「あの時代は日進月歩でしたから、すぐに新しい技術の車が出てくるのです。そんな時代に10年以上、モデルチェンジをせずにやってこられただけでスバル360は幸せな車だったと思うんです」(2019/11/20配信 Yahoo!ニュース/プレジデントオンライン)
スバル360は前述のとおり、空冷・2サイクルのシングルキャブエンジン、16馬力のRRですが、バイパスや高速道路での巡行でも安定して走ることができます。
(ただ、高年式車なので、無理なエンジン負荷は控えるように心がけています。ゆったりと走る車です)
運転していると、基本思想に航空機設計のノウハウが詰め込まれているということを実感できます。
固定カメラで撮影した走行動画をご紹介します。
2007 | 2019 |
今日の天気予報・予想気温
■ 天気のポイント ■
・35℃以上の猛暑日予想 熱中症警戒
・山では急な雷雨に注意
・沖縄や奄美は局地的な強い雨に注意今日8月3日(土)も、高気圧に覆われて晴れる所が多い予想です。35℃以上の猛暑日となる予想の所が多いため、熱中症に警戒してください。また、山沿いでは天気が急変して雷雨となる可能性がありますので、空模様の変化にも注意してください。
35℃以上の猛暑日予想 熱中症警戒
北海道から九州の各地では、晴れて強い日差しが照りつけます。昼間は35℃以上の猛暑日となる所が多く、熱中症に警戒が必要です。
土曜日ということで長時間屋外に出る方も多いかと思いますが、こまめに水分や塩分を補給するなどして、熱中症対策を行ってください。
(ウェザーニュース 2019/8/3 6:44配信 )
梅雨が明けてから、晴天の日が多くなり連日猛暑日が続いています。
今日も全国的に猛暑日になる所が多いようですので、常に気象情報に留意して、水分補給・塩分補給などの熱中症対策を万全にする必要があります。
この時期、教区寺院(近隣の組寺)では大施食会(大施餓鬼会=おせがき)が行われています。
気温が高い時間帯の法要ですので、それぞれの寺院では参列者への暑さ対策の工夫がされています。
今年空調設備を導入した某寺院では、本堂内のエアコンと合わせて、本堂正面の開口部に「エアーカーテン」を設置して、外気を遮断する工夫がされていました。
このように、空調設備を導入する寺院も徐々に増えています。
右のグラフは、2007年に書いたブログ記事 安禅不必須山水 滅却心頭火自涼 で作成した教区寺院の本堂への空調設備導入を図式化したものですが、それに今年の状況を付記してみました。
近年の熱帯化の進行、猛暑日の増加に伴い、本堂に空調設備を導入する寺院が増加していることがわかります。
ちなみに、貞昌院では2010年に本堂にエアコンを導入しています。
もう10年近く前になるのですね。貞昌院快適化計画
今年の夏もまだ暑さが続きそうです。
少しでも快適な夏になりますように。
連日のように、たまたまそこに居合わせた方々が事件や事故に巻き込まれる報道が続いています。
不条理な事件・事故により命を落とされた方々に心より哀悼の意をささげます。
その報道の中で、特に目についた行為が、哀悼の意をささげ合掌をしたり献花をしている方々への、報道の姿です。
顕著な例が、下のような報道動画です。
(2019年5月28日公開の毎日新聞Youtubeチャンネルより)
報道の自由もありましょうし、記者やカメラマンが事件や事故の側面を詳細に記録し伝えたいということはわかります。
けれども、祈りをささげている方々には、是非とも静かに祈ることができる環境を作っていただき、それを損なわないよう配慮いただきたいところです。
何年か経って、この動画を振り返ってみて、こんな馬鹿げた報道をしていたのだ、と気づく日がやってくることを願います。
災害は、私たちが「想定」している以上の事象が発生した際に引き起こされます。
地震の揺れに対して、どれだけの耐力を持たせるか、という建築基準は、大震災が起き「想定外」の事象が発生するたびに建築基準法が改正され「想定」が引き上げられてきました。
建築基準法は、大震災のたびに改正されてきたのです。
震災と建築基準法の改正1920年(大正9年)12月1日 (大正8年法律第37号)施行
第12条において、「主務大臣ハ建築物ノ構造、設備又ハ敷地ニ関シ衛生上、保安上又ハ防空上必要ナル規定ヲ設クルコトヲ得」と規定される。
市街地建築物法施行規則(大正9年内務省令第37号)において、構造設計法として許容応力度設計法が採用され、自重と積載荷重による鉛直力に対する構造強度を要求。
ただし、地震力に関する規定は設けられていなかった。
1923年(大正12年) 関東大震災
1924年(大正13年) 市街地建築物法施行規則改正
許容応力度設計において、材料の安全率を3倍とし、地震力は水平震度0.1を要求。
1945年(昭和20年) 終戦
1950年(昭和25年)11月23日 市街地建築物法廃止、建築基準法施行(いわゆる旧耐震)
具体的な耐震基準は建築基準法施行令(昭和25年政令338号)に規定された。
許容応力度設計における地震力を水平震度0.2に引き上げた。
1968年(昭和43年) 十勝沖地震
1971年(昭和46年)6月17日 建築基準法施行令改正
鉄筋コンクリート造の帯筋の基準を強化した。
1978年(昭和53年) 宮城県沖地震
1981年(昭和56年)6月1日 建築基準法施行令改正(いわゆる新耐震)
一次設計、二次設計の概念が導入され、地震力に対しての必要壁倍率の改正
軸組の種類と壁倍率の改正が行われた。
1995年(平成7年) 阪神淡路大震災
2000年(平成12年)6月1日 建築基準法及び同施行令改正
性能規定の概念が導入され、構造計算法として従来の許容応力度等計算に加え限界耐力計算法が認められる。
(当日のkameno資料より一部引用)
今から30年前の1981(昭和56)年、建築基準法の大改正が行われ、新耐震基準が適用されるようになりました。
したがって、築30年を超える家か、それ以降に建てられた家かによって耐震基準が大きく異なるため、新耐震基準を満たしていない家屋への対策が求められる可能性があります。
建築物と同様に、外構の塀(ブロック塀、土塀、平板塀など)、擁壁などにも基準が設けられており、災害の発生のたびに基準が強化されてきました。
したがって、古い建築物と同様に、古い塀は基準を満たしていないというものが多いのです。
今回の地震でも、残念ながら小学校の児童のほか、ブロック塀下敷きになって尊い命が奪われてしまいました。
本当に心が痛みます。謹んで哀悼の意を表します。
今回の、塀の事故は、人災と言ってよいのではないかと感じます。
このことを踏まえて、倒壊した小学校の塀をみてみましょう。
倒壊前の様子がGoogle streetviewで見ることができます。
これを、全国建築コンクリートブロック工業会の「安全なブロック塀」と比較してみましょう。赤字部分は、この小学校のブロック塀が基準をみたしているかどうかです。
ブロック塀の主な規定
ブロック塀は、建築基準法施行令第62条の8(へい)、平成12年建設省告示第1355号で最小限守らなければならないことが規定されています。また(社)日本建築学会では「コンクリートブロック塀設計規準」、「ブロック塀施工マニュアル」、「壁構造配筋指針」、「建築工事標準仕様書・同解説 JASS7 メーソンリー工事」において構造や施工のいろいろな規定がつくられ、ブロック塀の安全を確保するための推奨する数値等が決められています。
(1)材料の規定 →材料はおそらく大丈夫でしょう。ただし、既存塀の上に塀を積み上げるという設計思想自体問題外です。
(2)ブロック塀の高さ →地面から高さ2.2mを超えるブロック塀は基準に適合しません。ましてや塀の上に塀を積み増す構造は問題外です。
ブロック塀の最大高さ(H)は、地盤面より2.2mです。塀の高さは、これ以下の高さにして下さい。
(3)ブロックの厚さ →そもそも(3)以下の基準を満たしていないので、問題外です。
ブロックの厚さは塀の高さが、2.0m以下の場合は12cm以上、2.0mを超える場合は15cm以上です。
(4)たて筋 →既存塀の上にブロック塀を高く積み増すという問題外の設計のうえに、たて筋が圧倒的に足りません。
たて筋は、ブロックの空洞部分で重ね継ぎをしていけません。基礎に鉄筋径の40倍以上の長さを埋込み、1本もので塀の高さ分立ち上げます。鉄筋は、一般に直径10mmの節のついた異形鉄筋を使い、間隔は40cm~80cmで入れます。
(5)控え壁 →控え壁はまったく設置されていなかったようです。問題外。
控え壁(控柱)は、塀が風や地震で倒れないようにするものです。塀高さが1.2mを超えるときは、長さ3.4m以内ごとに基礎と塀と一緒につくってください。
(6)基礎 →そもそも既存塀の上にブロック塀を高く積み増すという問題外の設計です。
基礎は、鉄筋コンクリート造または型枠ブロック造布基礎とします。基礎の大きさは、せい(D)を40cm以上、幅(b)をブロック厚さ以上です。根入れ深さ(Df)は35cm以上としますが塀の高さが1.2m以上になるときは高さに応じて深くします。基礎は、地表面より必ず5cm以上立ち上げてください。
(7)その他注意すること →あらかじめ高くする計画をされていない塀の上にブロックを積上げてています。問題外。
さらに、この小学校では、登下校の際に、塀沿いのグリーン着色部分の道路を通って通学するように指導していたということです。
ブロック塀の危険性(安全基準に適合していないということ)を全く把握しておらず、上記のような設計をしたこと、さらにそれを放置してきた責任、その塀の前を通るように指導したきたことは大問題でしょう。
平時から、地震時、あるいはその他の災害時に、どのような危険性があるのか、普段から広い視点で点検し、それを改善していく仕組みが求められます。事故が起きてからでは取り返しがつかないことになるからです。
今回の教訓が生かされることを望みます。
昨日、教区寺院O師より、とあるルートから入手された古い絵葉書をお譲りいただきました。
キャプションに「永谷天神山貞昌院」とありますので、貞昌院で作成した絵葉書です。
ここで、作成された年代を知るうえで、郵便はがき・絵葉書の歴史から見ていきましょう。
宛名面には右からの横書きで「きかは便郵」と書いてあります。
まず、ここから得られる情報があります。
右から左に「きかは便郵」と記載、「か」に濁点の無いものは明治33年から昭和8年2月まで
右から左に「きがは便郵」と記載、「が」が濁点になっているものは昭和8年2月から終戦まで
左から右に「郵便はがき」と記載されているものは戦後に作られたものです。
従って、明治33年から昭和8年2月までのものであることがわかります。
次に、やはり宛名面ですが、ここに通信文を書くことができる部分があるかどうかで時代がわかります。
通信文を書くエリアが無いものは明治6年〜明治40年3月まで
通信文を書くエリアが下1/3のものは明治40年4月から大正7年3月まで
通信文を書くエリアが下1/2のものは大正7年4月以降のもの
ということで、大正7年4月以降のものであることがわかります。
ここまでの情報で、大正7年4月から昭和8年2月までの間の絵葉書だということがわかりました。
次に、絵葉書の部分の写真を見てみます。
向拝の無い、現在とは異なる屋根形状です。
これは、関東大震災により本堂が倒壊し、それを再築した時の屋根形状と同じです。
嗚呼大正十二年九月一日午前十一時五十八分忽然トシテ貞昌院本堂及ビ山門ハ倒潰シ庫裡ハ半潰セリ、是レ即チ関東大震災ニシテ、東京、横浜全都市ハ灰燼ニ帰ス。
抑々本堂ハ明治三十四年三月新築セシモノニシテ閲年二十三年、其ノ間、檀信徒ノ各位ノ熱心ナル尽力ニ因リ須彌壇成リ、仏器法具備ハリ法要ノ修行ニ支障ナキ二至リシニ、一朝大震災ノ為二建物什器共ニ原型ヲ存セザル惨状ヲ呈セシモ、幸ニシテ、本尊十一面観世音菩薩尊像、今生天皇陛下聖寿牌ノ二基ノミハ全ク寸暇ナキヲ得タリ、皇威ノ高キト仏徳ノ大ナル。唯々感激ノ極ミナリ。
檀家各位ハ自家ノ復興ニ日モ足ラザルニ、災後期年ニシテ堂守ノ再興ニ企図シ本年九月四日先ズ世話人会議ヲ開キ次イデ同月六日檀家総集会ヲ開催シテ附議セシニ、全会一致再築ニ着手スルコトニ議決シ、建築委員ヲ挙ゲテ経営ニ当タラシメ、各自浄財ヲ喜捨シテ其ノ資トシ以テ祖先ノ精霊ヲ安ゼントス、善哉々々、茲ニ篤志ヲ録シテ後日ニ遺スト云爾
大正十三年 九月六日 貞昌院住職 亀野源量
以下 建築委員名簿、本堂再建資金寄附名簿
(貞昌院二十八世無外源量大和尚遺稿)
関東大震災の発生が大正12年9月1日、その3日後の9月4日に世話人会議、5日後に檀家総集会が開催され、本堂の再築が決定されます。
そこで作られたのが 貞昌院本堂再築図です。(先人の教えに学ぶ地震の教訓)
この図面の本堂がまさに絵葉書の本堂でありました。
本堂の再築が成ったのは翌年大正13年ですから、その落慶記念にこの絵葉書が作成されたものと推測されます。
本堂正面に掲げられた横断幕は落慶式典に併せて作られたものなのでしょう。
ということで、絵葉書として印刷され、落慶記念で檀家の皆さんに配られた記念品なのだろうということがわかりました。
せっかくなので早稲田大学によるディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け を行ってみました。
当時は六地蔵が本堂正面向かって石畳の右側に有ったということや、戦時中供出された一対の天水桶など、さまざまなものも写っており、とても貴重な絵葉書です。
改めてO師に感謝申し上げます。
ひとつ前のブログ記事、第62回總和会関東大会茨城大会の開催地・茨城県大洗は、アニメーション作品『ガールズ&パンツァー』の舞台となった町です。
『ガールズ&パンツァー』とは…
『ガールズ&パンツァー』(ガールズ アンド パンツァー、GIRLS und PANZER)は、2012年10月から12月までと2013年3月に放送された日本のテレビアニメ。全12話+総集編2話。略称は「ガルパン」。
『World of Tanks』の日本語版サイトなど、海外系のサイトでは「GuP」が用いられる。
アニメ以外に、漫画版が『コミックフラッパー』にて2012年7月号より2014年4月号まで連載され、小説版がMF文庫Jから刊行(全3巻)。ほかにも多数の外伝・スピンオフ作品が存在する。
2013年4月28日にディファ有明で開催されたイベント『ハートフル・タンク・カーニバル』で、新作OVAおよび新作劇場版の制作が発表され、2014年7月5日に全国の14館の映画館で開催された先行上映イベントを経て、7月25日にOVA『これが本当のアンツィオ戦です!』が発売。そして2015年11月21日に『ガールズ&パンツァー 劇場版』が全国公開された。(ウィキペディア「ガールズ&パンツァー」項より)
というものです。
2015年に公開された映画の告知CMをご紹介します。
ガールズ&パンツァー 劇場公開告知CM
『君の名は。』や『シンゴジラ』など、特に最近の実写・アニメなどの番組、映画などの作品は、物語の舞台やモデルとなる場所を実際の場所に忠実に再現することがよくあります。
地方公共団体が町おこしの一つとして、作品の撮影場所誘致や撮影支援をすることも珍しくなく、フィルム・コミッション(Film Commission)のような誘致や作品の制作支援をする地方自治体の機関もあります。
大洗は、町を挙げて『ガールズ&パンツァー』に協力しているのです。
登場人物のフィギュアや人形が商店のショーウィンドウに並んでいたり、立看板パネルが飾られていたり。
總和会関東大会茨城大会の会場となった大洗ホテルの売店前にもこのような等身大パネルが並んでいました。
冒頭で紹介したCMの開始5秒目あたりで、大洗シーサイドホテルが重戦車KV-2から”ちゅどどどーん”と砲撃され破壊されるシーンがありますが、
実際に海岸から眺めた大洗シーサイドホテル(大洗ホテルの隣のホテル)がこちら。
映画のシーンにある重戦車KV-2からの砲弾跡が”描かれて”います。
大洗の町はこのほかにも作品に出てくる場所が何カ所もあり、「聖地巡礼」をするファンが絶えないようです。
イベントがある時には何万人ものファンが押し寄せるとか。
こういう遊びゴコロはいいですね。
外国の各都市と比べて、日本の都市形成の大きな特徴は、住宅地が平面的・連続的にずっと広がっているということでしょう。
都市の中心部から郊外に向かう列車に乗ると、車窓には延々とビルや住宅地の光景が続きます。
その最たるものが、東京を中心とした「東京圏」の広がりです。
実際に、その連続性をGoogleマップで検証した地図があります。
市街地の集約性を表す言葉として「人口集中地区(DID:Density Inhabited District)」というものがありますが、建物の連続性に着目してマッピングしているところが面白いです。
その地図がこちら。
建物が判別できるスケールまで確認しながらその境界を辿っていくと、いろいろな発見があります。
鎌倉幕府のエリアは、周囲を山に囲まれた、自然地形を利用した要塞都市として造られたということも明確にわかりますし、熊谷が「東京圏」に繋がっている様子も興味深いですね。
貞昌院もしっかりと「東京圏」に入っていますが、それは昭和40年代の大規模住宅開発があったことによるものです。
時代によって都市圏がどのように変遷してきたのかを詳細に辿るのも面白いですね。
さて、問題は今後です。
現在の「東京圏」エリアに住む人口はおおむね三千万人強(この規模は世界一)となっていますが、今後は少子高齢化の影響で人口は確実に減少していきます。
となると、都市を維持している人口密度分布も低密度化の方向に進んでいくでしょう。
これだけ広い「東京圏」ですが、人口分布が不均衡になり、やがては斑状に欠損部が拡大していくことでしょう。
巨大な都市圏をどのように維持していくか。
その具体的な対策が求められます。
サイパンとグアム、日本人が消えた楽園の今
「日本人客のいないサイパンなんて考えられない。今後も継続的に日本人が来るようなキャンペーンを行っていきたい」――。
2月17日、東京都内のホテルで、サイパン・テニアン・ロタの3島の観光政策を統括するマリアナ政府観光局が開催したイベントでのこと。参加した旅行業関係者130人を前に、観光局長のクリス・コンセプション氏はそう訴えた。
米国のグアム、サイパンなど、日本人に身近なリゾート地に異変が起きている。日本からの旅行者数は1997年のサイパン(テニアン、ロタを含む)45万人、グアム111万人をピークに、2016年にはそれぞれ6万人、74万人まで激減した。■忘れられた旅行地となったサイパン
特にグアムの約3割減に対して、サイパンは約9割減と減少は著しい。マリアナ政府観光局日本事務所の一倉隆代表は「サイパンは忘れられたデスティネーション(旅行先)になってしまった」と嘆く。
その理由をJTBのある幹部は「ツアーで3万~5万円の価格で安売りしすぎた。航空会社の取り分が少なく、便数を減らす結果になった」と話す。出張需要が安定的に見込めるエリアと違い、リゾート路線は需要の変動が激しい。
実際にJAL(日本航空)やデルタ航空、ユナイテッド航空が直行便を多く飛ばしていたが、2000年以降に徐々に路線を削減。例えばJALは2005年にサイパン路線から撤退。グアム路線も、中部国際空港や関西国際空港から撤退している。
現在、成田ーグアム路線はJALの1日1便に加えてデルタが1~2便、ユナイテッドが3~4便を運行。成田ーサイパンに至ってはデルタの1日1便だけだ。
その結果、起きたのがツアー価格の上昇だ。現在、大手旅行会社のサイパンやグアム行きパッケージツアーを見ると、販売価格は6万~7万円ほど。「10年ほど前には、旅行会社の目玉商品として、2万9800円で販売していた。安近短の印象が強烈に残っており、(6万~7万という)価格の訴求が難しい」(旅行業界関係者)。
安売り合戦の果てに、航空会社が路線を撤退・縮小、ツアーの値段が上がり、露出が減ったことで、日本からの旅行者数が減り続ける…。グアム、サイパンはこうした“負の循環”に陥っている。■日本人が減って、韓国と中国人が増えた
だが、現地には悲壮感は見られない。日本人の観光客は激減したが、韓国のLCC(低価格航空会社)や中国の航空会社が路線を開設し、地域全体の観光客数としては増加傾向にある。2016年のサイパンを含むマリアナ3島では53万人、グアムは153万人が訪れ、いずれも過去最高を記録した。
サイパンでは、2013年までは日本人がトップだったが、2014年は中国と韓国に首位を明け渡し、その差は開くばかり。グアムの場合、2016年に日本人の旅行者数は74万人とトップだったが、韓国人の旅行者数は毎年2ケタ増が続き、54万人まで増えた。数年以内はついに日本を上回る可能性が高い。
実際、グアムでホテルを運営する、ケン不動産リースの長嶋央典営業本部長は「日本と韓国人の観光客、米国軍人をうまく取り込み、2009~2010年以降、ホテルビジネスは右肩上がりの成長が続いている」と話す。
同社は日本の不動産賃貸会社ケン・コーポレーションのグループ会社。グアムでニッコーやハイアットリージェンシー、ヒルトンブランドなど有名ブランドのホテル5軒を所有・運営し、現地でのシェアは3割強と最大手だ。
事業が好調なことから、同社は100億円以上の資金を投じ、340室のホテルを建設中だ。ブランド名は未定だが、結婚式場やレストランを備えた高級ホテルを2019年までにオープンさせる計画を立てる。
「グアムは日本人に愛されてきた観光地。現地の魅力が薄れたのではなく、航空会社が要因。投資している人間としては悔しい思いをしており、日本人には戻ってきて欲しい」(長嶋営業本部長)
対照的なのがハワイだ。同じく1997年の221万人をピークに、リーマンショック後の2008年には117万人まで減少。現在は約150万人程度の水準にまで戻した。旅行業界関係者によると「ホノルルがあるオアフ島以外にも、ハワイ島のキラウエア火山など従来と異なる視点をアピールすることができたことが大きい」という。カギを握るLCCの動向
最近ではハワイアン航空による羽田-コナ島への直行便の就航、2019年には全日本空輸(ANA)が大型航空機A380の投入も決まるなど、航空会社も積極的に運行便数を増やしている。バリ島も、ピークの2002年に60万人いた日本人の訪問者はいったん18万人まで減少したが、現在は23万人とやや回復傾向にある。「競合のリゾートが増えたうえ、直行便も減っている。むしろ健闘しているほうだ」(インドネシア観光局日本事務所)。■ハワイのように復活できるか
日本人が激減したサイパンもここに来て巻き返し策を始めた。マリアナ政府観光局は日本事務所の担当会社を変更。2016年10月に日本事務所代表に就任した一倉氏はかつてハワイ州政府観光局でマーケティングを担った経験がある。
現在、「3連休はマリアナ。」をキャッチフレーズにマーケティングの立て直しを進めている。公式インスタグラムの開設やウェブサイトの刷新、新しい広告の出稿など、矢継ぎ早に手を打っている。
グアム政府観光局も「現地には高級ホテルも増えている。従来の(安近短という)イメージを変えるプロモーションを打っていきたい」(山本さとみ代表)という。
プロモーション以上に策を練るのが、航空会社の運航をどう再開してもらうのかということ。韓国のようにLCCが就航すれば、大きな集客回復が見込める。「LCCを就航し、早期に10万人への回復を目指す」(マリアナ政府観光局日本事務所の一倉氏)。
ただ、LCC就航によって再び“安近短”のイメージが定着すれば、1990年代の二の舞いになる。はたしてハワイのように復活することができるのか。日本人にとって身近なリゾートの苦悩は続きそうだ。
(東洋経済オンライン 2017/3/12配信)
日本からサイパン・ロタ・グアムといったマリアナへの旅行客が激減しているという報道です。
実際、私も何度か行ったことがありますが、そのたびに航空機が小さくなっていたり、減便になっていたりということを実感しています。
サイパンやグアムにいくつもあった日系のホテルも、次々と外資系に変化していっています。
客層も中国・台湾、韓国からの旅行客が目立ちます。
忘れられがちですが、マリアナはかつて南洋諸島と称され1920(大正9)年から1945(昭和20)年までのあいだは、日本委任統治領となっており、数万人の日本人が暮らしていました。
サイパン島のガラパン地区、テニアン島のテニアン村などには日本人が築いた市街地がひろがっていて、豊かな生活がそこにはありました。
そのあたりは、このブログ記事下部のリンクに詳細を記載しておりますので、是非ご参照ください。
第二次世界大戦末期、アメリカ軍に占領され、日本人の街はことごとく破壊され、サトウキビ畑は荒れ果ててしまいます。
街の記録が一瞬にして消滅してしまい、語り継ぐものが居なくなれば、かつて、そこに日本人の暮らしがあったことなどは忘れ去られてしまいます。
左:1930年代のサイパン・ガラパン地区 右:戦時中のテニアン村
それでも、戦後ゴルフ、サーフィン、ダイビングといった観光地としての地位が確立され、戦後経済復興した日本が観光客として多く訪れていた時期は、スーサイドクリフなどの慰霊碑、島内各所に残されている戦跡、日本人居住をしのぶ遺構、様々なものが大切に保存されていました。
しかし、日本人観光客の減少により、それらを維持するという力も失われてしまっています。
また、逆に増加するアジア各国の観光客により、上記の戦跡、慰霊碑、遺構などが次々と破壊されている様子も目の当たりにしています。
今後もこのような傾向が続のではないかと心配しております。
サイパン・テニアン・ロタ・グアムは、日本から一番近いネイティブの英語を学べる場所です。
例えば英語を学ぶにあたって、フィリピンやシンガポールといったアジア圏の大学が人気ということですが、ネイティブの言語を学ぶということであれば、アメリカ本土やハワイに行くよりももっと身近な場所にこのような場所があるのです。
また、例えば寺院の海外移動研修旅行でも、歴史、人権学習などを学ぶことができる最適な旅行先ともいえます。
旅行社の方々には、是非マリアナ地区の企画をプッシュしていただきたいと思います。
箱根駅伝は、青山学院大学の三連覇という結果となりました。
おめでとうございます!
毎年沿道で応援をしておりますが、沿道の熱気は年々高まる一方で、安全に大会を運営するために大会本部の方々、警察の方々、ボランティアの方々など関係の皆様の苦労は計り知れないものだと感じています。
そんな中、一昨日の復路10区で、あわや車との接触事故という場面がありました。
箱根駅伝、選手とワゴン車あわや衝突 警視庁が規制ミス3日にあった第93回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のコースになっていた東京都内の国道1号交差点で、車の規制ができておらず、神奈川大学の選手が車にはねられそうになっていたことがわかった。規制にあたった警察官の連携ミスが原因といい、警視庁は「再発防止に努める」としている。
トラブルは3日午後1時半ごろ発生。主催者の関東学生陸上競技連盟や目撃者によると、復路10区で神奈川大の選手が日比谷交差点(千代田区)を通過しようとした際、左から横断する車列が途切れず、選手とワゴン車が衝突しそうになった。直前で選手が速度を緩め、レースは続行した。
警視庁交通規制課によると、同交差点では選手の通過に合わせて断続的に車を止める規制を実施。手前の地点で通過を確認した警察官が、交差点にいる警察官に無線で連絡し、規制する手順だった。神奈川大の選手の時は、通過の連絡はしたが連携がうまくいかず、東進する3車線が規制されなかった。対向車線は止まっていた。他の選手が通過した際は、問題はなかったという。警視庁は連携強化や配置する警察官の増員を検討しているという。
選手の約50メートル後ろを走る車に乗っていた神奈川大の大後(だいご)栄治監督は「通過する直前になっても車が横切っていた。事故にならず、何とかゴールしてくれてよかった」と話した。レース後にあった監督らの会議で状況を説明し、「タイミングが悪ければ箱根駅伝の存続が危ぶまれる事態だった」と発言したという。
近くで観戦した埼玉県の女子高校生は「選手が近づいているのに車が止まらず、大丈夫かと周りもざわついていた。車は減速せず、選手がひかれそうでハラハラした」。関東学連の担当者は「あってはならないことで、来年に向けて態勢を確認したい」と話した。過去の大会で、選手と車が接触する交通事故が起きたことはないという。(工藤隆治)
(朝日新聞デジタル 2017/1/4配信 )
沿道で応援していた何人かが、あわやという瞬間の動画を撮影しており、それにより発覚したインシデントです。
動画を見る限り、コースに直交する通りの通行規制が、西向きは機能していたけれども、東向き3車線について、神奈川大学・中神恒也選手通過の際に規制がされていなかったため、何台もの車が選手の目の前を横切っていきます。
そのうちのワゴン車が選手に接触寸前、中神選手が走るスピードを落としたため、なんとか回避できました。
一歩間違えば、中上選手は跳ねられ、選手生命すら危ぶまれるところでした。そうなれば、来年以降の箱根駅伝の開催にも影響が大きく出ていたことでしょう。
箱根駅伝は国道15号、国道1号などの幹線道路が主なコースになっています。
正月2日、3日はまだ平時より走行車両は少ないとはいえ、相当な交通量の中の大会開催です。
当ブログでは、毎年沿道で応援しながら撮影した写真を掲載していますが、何年か応援していく中で気付いた点と、安全に応援するための心構えを書いておきます。
箱根駅伝(駅伝やマラソンなど)は、協議をしている選手たちを間近で応援することができます。
それゆえ、応援する側には最低限のマナーも求められます。
例えば、応援する方々が旗を振る際に、上方に振るよう注意があるのですが、それでも選手の方に向けて振る方が多いですね。
これは危ないのでやめたほうがいいです。
↓下の写真は、カーブの手前から望遠で撮ったものですが、このように歩道を下りて車道に足を出している方が何人も見受けられました。
このような応援は、とても危険なので絶対にやめましょう。
警備員ももっと厳重に注意すべきです。
下写真は最終10区の様子です。
冒頭のニュースになった地点とは異なりますが、国道15号線大森付近です。
ここは、片側4車線あり、中央側3車線は車両規制がされておらず、通常通り車がかなりのスピードでバンバン通っています。
並走する一般車両の運転手は、選手たちがすぐ脇を通っていることが分かっているはずなので、速度を抑えるなどの配慮も必要かと思います。
この道路では選手たちは沿道沿いの1車線を走ります。
沿道で応援する人々も、年々増加しています。
そのような中を、各選手たちはチームの重い襷をかけて時速20キロ程で走り抜けていきます。
それゆえ、応援する人々の目の前を走る選手たちに旗を向けて振ったり、撮影するカメラが車道にはみ出ないよう特に注意する必要があります。
箱根駅伝の沿道応援は、極端に込み合っているところと、比較的空いているところがあります。
安全に応援できる場所をリサーチすることも必要でしょう。
個人的に、毎年決まった場所で応援するようにしています。
■応援場所について
毎年決まった場所で応援するようにしています。駅伝コースが右にカーブしている、そのカーブの先あたりが好条件です。
望遠レンズで狙うと、真正面からの選手の姿をとらえることができます。
※カメラのレンズの先端が歩車道の境を出ないよう、常に注意する必要があります。
※カーブの先から撮影すると、歩道側にに引っ込んだ位置からでも、選手を正面に捉えることができます。
■カメラについて
必要最低限の機材にしています。
具体的には、CanonEOSkissと、タムロンの18-270mmズームレンズのみです。
三脚や脚立は厳禁です。
選手たちが安全に競技できるよう、警察の規制がきちんとなされることを望みます。
また、応援する側にとっても、駅伝のコース、予定走行時刻は予めわかっているわけですから、車を利用する場合も、沿道で応援する場合も、選手たちが安全に走ることができるよう心掛けたいものです。
一般社団法人「仏教情報センター」では、伝統仏教宗派僧侶100名余がボランティアで主にテレフォン相談などの活動を行っています。
各宗派が各曜日を担当しており、月曜日が曹洞宗の担当です。
様々な宗派、多くの相談員によりテレフォン相談を受けているわけですが、即時的kつ適切な対応をする必要があり、どの相談員でも一定の水準を維持していくために、定期的に意見交換・研修会が開催されています。
さらに「仏教テレフォン相談マニュアル」を作成し共有しています。
「仏教テレフォン相談マニュアル」の内容については公開できませんが、仏教テレフォン相談の理念および活動方針だけご紹介いたします。
<理念>
1.電話による対機説法です。見えない相手への説法です。
2.愛語の修習実践の場です。すべての相談に誠意を持って対応します。
3.一期一会の菩薩行です。基本的に継続性はありません。<基本方針>
1.秘密厳守
2.匿名性重視
3.教義・布教の押し付けをしない
4.専門機関との連携
5.チームとして協力し合う
6.あらゆる相談に応える
相談内容は、圧倒的に人生相談が多くなっています。
仏事の常識やマナー、法要の意味、仏教全般に対する質問であれば、お応えする側も知識経験を元にそれなりに対応することができるのですが、人生相談、それも重い内容であればあるほど、対応する側の資質が問われます。
粗雑な言葉は世の乱れを生み、愛心なく慈心のない生命(いのち)を軽視した社会に拍車をかけます。 言葉は思いのあらわれであり、単なる言語や伝達手段ではありません。自らの人格を宿し、自らの人格をつくるのです。一語一語を大切にしなければなりません。 (平成20年度 曹洞宗布教教化に関する告諭)
相談の電話はひっきりなしにかかってきます。
それだけ求められているということは、嬉しいことではありますが、限られた時間で対応していかないと、他の相談者の機会を損なってしまうことになります。
短い限られた時間の中で、いかに相談者の悩みを取り除くことが出来るのだろうか・・・
カウンセリングの基礎を学ぶことも大切ですし、それを現場で適切に対応することがさらに大切だということを実感します。
特に、今月に入ってNHK朝の報道番組で「墓じまい」と、「仏教情報センター」の電話番号が紹介されたため、一週間ほど電話がパンクして相談業務に支障をきたすほどの状況が続きました。
現在は落ち着いていますが、「求められるもの」に対してきちんと対応できる体制づくりも大切なことだと感じます。
仏教テレフォン相談以外でも、様々な相談を受ける事は多いですし、世の中には様々な悩みが渦巻いていることを実感します。
少しでも悩みが減りますように切に願います。
街頭相談@とげぬき地蔵高岩寺2016
歳末のテレフォン相談
テレフォン相談員研修会
テレフォン相談員研修会
仏教情報センター研修会・総会
新事務所でのテレフォン相談
仏教情報センター相談員研修
向きあい 伝えあい 支えあう
いのちを見つめる集い@心光寺
いのちを見つめる集い
ひっきりなしの電話
仏教ホスピスの会いのちの集い
仏教テレフォン相談から見えること
貞昌院では、毎年消防法に定められた消防施設の設置と点検を行っています。
これに加え、今年から簡易水道消火装置・街かど消火栓 を設置しています。
この装置は、中央理化工業 で開発された水道水に直結した初期消火装置です。
簡易水道消火装置(街かど消火栓)は次のような特徴があります。
このように、水道水を使用して、初期消火する装置で、特殊機能の開発ノズルが水道水の勢いを増加させ、大量の水を遠くへ飛ばすことが可能です。また、その操作の容易性から、いざという時に簡単に誰もが使用できるものです。
街かど消火栓は男子トイレ内に置いてあります。
今月12日に公開された映画「この世界の片隅に」が、上映館は少ないもののSNSや口コミで広がり満席や立見が続いている館も続出してるようです。
あらすじは、戦中、広島市から呉へ嫁いだ主人公すずの日常をもとに展開されていく物語なのですが、内容や感想等についてはネットやSNSで溢れているのでここではあえて記載しないでおきます。
(海外向け予告編↑をご紹介し、是非映画館で観ておくべきお勧めの映画とだけ書いておきます)
さて、今回のブログ記事は、この「この世界の片隅に」をもとに、私もパネリストとして参加した みんなでつくる横濱写真アルバムシンポジウム」(2009年・於BankArt1929Yokohama)でのテーマ「記録されたものしか記憶されない」についてまとめてみます。
みんなでつくる横濱写真アルバムは、横浜開港150周年事業として、何気ない日常を撮影した写真を広く市民から募り、それをタグ付けして時系列・場所別に整理してデジタルアーカイブ化していくというものでした。
上記シンポジウムや写真アルバムは、街の歴史の再発見と次代への継承、そして「記録されたものしか記憶されない」(ー私たちの暮らしを丹念に記録した写真を収蔵保管しておかなければ、それがこの国の歴史の中から無かったことになってしまう)ということからスタートしました。
話を映画「この世界の片隅に」に戻しますと、監督の片渕須直氏の姿勢は、宮本常一氏に通じるものを感じます。
映画製作に当たっては、こうの史代氏の原作を生かしつつ、まずは徹底的な資料取集、現地でのフィールドワーク、聞き取り、実証体験などを繰り返しながら製作にあたったそうです。
映画に登場する一つ一つの場面は、時系列としても矛盾がないばかりか、海に浮かぶ戦艦、走る列車、路面電車、さらには街を歩く人々も実在の人物を描いているという徹底ぶりです。
その徹底ぶりは下記のコラムをすべて読めばよく分かります。 (膨大な量です)
■1300日の記録[片渕須直]
■すずさんの日々とともに
■「この世界の片隅に」は、一次資料の塊だ(前編)
映画製作に関わったヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の、『だれもその町や人のことを思い出さなくなった時、その町や人は消えてしまう。知らない町や人をどうすれば記憶することができるかというのがヒロシマ・フィールドワークの課題でした。映画「この世界の片隅に」によって中島本町は不滅の町となりました。』という、ことばも「記録されたものしか記憶されない」を端的に表しています。
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映画の舞台となった呉市は重要軍港であるがゆえに地図やさまざまな記録が遮断された上に米軍からの徹底的な空襲を受け、また、広島市は原子爆弾投下により街全体が一瞬のうちに破壊されてしまいます。
歴史の記録の多くが断片的になったり失われてしまった場所です。
「この世界の片隅に」は、失われた記録をそのマイクロヒストリー(ミクロストリア)=主人公の出来事、主人公目線の地域など、限定的な小さな対象についての徹底した歴史的調査を行う手法)によって蘇らせながら、時系列に沿って物語が進んでいるので、上記リンク先にまとめられているような膨大な資料や時代考証に基づいた描写・音響効果と相俟って、鑑賞者があたかもその時代にタイムスリップして実体験しているような感覚さえ覚えるようになります。
「みんなでつくる横濱写真アルバム」は、寄せられた静止画の写真を時系列・場所・タグによりまとめたものでしたが、映画「この世界の片隅に」は、それを格段に昇華させた手法によって、呉、広島の街を不滅のものとして蘇らせているのです。
映画は主人公目線で進行しますが、主人公の周囲だけでなく、そこから垣間見える周囲・背景の広がり、繋がりまでも感じ取ることができます。
更に言えば、幅広い年代の方々が映画を観賞することによって、主人公すず目線の世界を世代を超えて共有できること。
記録を<傍観者:第三者目線>ではなく、<当事者として直感的に>とらえることができるということ。
これは重要なことです。
この「共通疑似体験」をもとに、さらに一人一人が考証を重ねて追加することにより、記録に記録が付加され、ますます厚みのある記録になっていくことでしょう。
(おそらくこの作業は自然発生的に行われる)
生の戦争体験をもつ方がまだ少なからず存命である戦後約70年というぎりぎりのタイミングにこの映画が公開されたことも、きっと大きな意味を持つものだと感じます。
【戦中の記録がリアリティーを持って輝く】―このような日常は全国どこにでもあった―
以前、2005年のブログ記事太平洋戦争空襲~終戦の日において で、戦時中の永野地区(神奈川県横浜市港南区)の様子を記載した貞昌院先々代住職・亀野寛量和尚の記録を紹介しました。
永野地区はのんびりとした農村地帯ではあったが、横浜・東京へ向う空襲の経路、集落の高台に置かれていた高射砲、横須賀軍港が近いという点で共通するものがあります。
それゆえ、映画「この世界の片隅に」を観終わった後にあらためてこの記録を読むと、当時の様子を映像として、音響として、生々しく感じることができるのです。 とても不思議な感覚です。
『太平洋戦争空襲-終戦の日』 横浜の空襲は、昭和十九年の中頃から次第にその数を増して来た。始めは、極めて上空を、恐らく偵察か、又は空中写真撮影でもあらうか、相模湾から上陸、永野上空をかすめ、一直線に東北東に横浜の中央部を、一機又は少数機が通過する、ラジオはかけっぱなしである。 |
サイパン・テニアンを拠点としたアメリカ軍による日本への空襲に対し、その想定ルートの高台や建物の屋上には「防空監視哨」が設置されました。
防空監視哨は軍の施設ではなく神奈川県警察部の管下にあり、上永谷の近辺では日野公園墓地の高台には「十五番」防空監視哨がありました。
防空監視の任務は、見張り台に上り双眼鏡で飛んで来る飛行機が敵機か味方機か、その方向・高度と機数を瞬時に判断し、その旨を早急に 警察電話で県庁にあった横浜監視隊本部に連絡するもので、監視哨長以外は全て地域の日野・日下・桜岡・永野・大岡青年学校の15-19歳の生徒がその任務に当たっていました。
(『街づくりの歴史物語』(港南歴史協議会編)に防空監視哨の写真が掲載されています)
サイレンは直ちに全市に鳴り響く、警戒警報発令と同時に、小学校への登校は中止、登校途中でも直ちに家に引き返し、警戒警報解除まで、待機の姿勢に在ることは、学童自身もよく心得、父兄もよく承知している。本土南方数百粁の地点に空襲に備えての偵察網があったものと推察される。 警戒警報発令時々刻々敵機の進路が報道される。途中進路が海上、東又は西に偏向すると、間もなく解除の報道となるが、依然として相模湾を目指してとなると必ず東京、川崎、横浜の空襲警報と変わる。 永野地区は当時未だ、昔ながらの純農地帯で、民家も疎で、むしろ疎開学童の受入れ地区であったので、次第に疎開家族、学童が日増しに増加の一途をたどる。市街地の親戚の者は、皆挙って頼って来たため、どの家庭も、大家族でひしめくようになった。曽て田圃等へ入ったことのない、親戚の婦女子の方も、田植草取りに精出す姿に「ヒル」に足を喰われて悲鳴を挙げる光景等随所に見られる。 |
現在の港南区(当時は中区)エリアにあった4つの小学校のうち、日野・日下・永野小学校(当時は国民学校)は東京・川崎・横浜中心部からの疎開児童を受け入れていました。
逆に、桜岡小学校(当時は国民学校)は、児童56名が箱根に集団疎開しました。
永野地区の建物で最も目立つのは、永野小学校なので市防衛部の指示により、学校校舎の屋根は、迷彩といって、種々取交ぜた色に塗り換えられる。全職員と初等科三年以上の、警報の合い間を縫って、農協脇には百立方米、校庭の片隅に六十立方米の防火貯水槽の構築、警防団が、天神山下馬洗川からポンプで、一日掛りて貯水槽への満水作業、同じく職員と初三以上の学童で、校庭一杯に、避難防空壕を、市防衛部の指導で構築等やら、「ひま」栽培、「葛」「ちょ麻」「すすきの穂」「松脂」採取等の作業で、学業には殆んど就けなかった。 |
永谷地区は幸いなことに、大規模な空襲を受けることは無かったのですが、東京、川崎方面より多くの疎開を受け入れていました。
貞昌院にも境内に十数人の家族と、やはり十人前後の兵隊さんが生活をしておりました。
兵隊さんの主な任務は、山から松の木と根を堀り出してきて、それを下野庭に作られた釜で乾溜し、飛行機の燃料(松根油)の製造を行うことでした。
村人や子どもたちはその松の根の掘り出しと製造の手伝いをしていました。
貞昌院の釣鐘と本堂前にあった天水桶は、戦時中鉄の供出のため撤去されていましたが、戦後になって、上記の松根油を煮出した鉄釜が戦後不要になったため、貞昌院の本堂に天水桶として設置されました。
(現在の貞昌院の天水桶は、ブロンズ製の新しいものです)
いざ学習となると、疎開学童の激増のため、一つの机に腰掛は空箱を利用して、四、五人宛坐席するという状態であった。然し学童には常に、横浜市内の大部分の学童は皆親下を離れて、遠く箱根、小田原方面へ、不自由をしのんで、集団疎開をしていることを知らせ、幸いにも当地区では、両親の下で過ごせることの有難さを考えさせ、ガンバラせていた。 偵察的な敵機の来襲の中には、超上空で爆弾、焼夷弾投下もなく、ただ高射砲陣地からは盛んな砲撃が目撃された程度であったが、続いて、夜間空襲に変った。 昭和二十年二月中旬頃と記憶する。 |
横浜大空襲は1945(昭和20)年5月29日に始まります。理由はその前日に行なわれた第3回原爆投下目標標選定委員会で横浜が目標から外されたことによるものでした。
アメリカ軍が、昭和20(1945)年5月10日に行なった第2回原子爆弾目標選定委員会での原子爆弾投下目標は下記の通りでした。
1.京都市:AA級目標
2.広島市:AA級目標
3.横浜市:A級目標
4.小倉市:A級目標
(選定理由・直径3マイルを超える大きな都市地域にある重要目標であること、爆風によって効果的に破壊しうるものであること、来る8月まで爆撃されないままでありそうなもの)
ここまでは横浜市が原爆投下目標都市の一つとされ、目標とされた都市は空襲が行なわれませんでした。
空襲が行なわれなかった理由は、原爆を目標の都市中心に投下し1発で完全に破壊することと、原爆のもたらす効果を正確に測定把握できるようするためです。
1945年5月29日昼間、アメリカ軍によって行われた横浜市中心部への空襲はB-29爆撃機517機、P-51戦闘機101機による無差別焼夷弾攻撃となり、横浜はわずか1時間余りで鶴見・神奈川・西・中・南・保土ケ谷区が壊滅、市域の34%が焦土と化し、人口の3分の1の31万人が被災、推定8,000~10,000人が命を落とされました。
八月十五日、敵機一機が撃墜を受け、飛行士は芹ケ谷町地区内へ落下傘で降下、機体は大破損して、現、南高校の東南山間に墜落した。 |
追撃を受けた機体はアメリカ軍のグラマンでした。
現在の南高校と相武山小学校の近くの東南山間部に墜落しました。パイロットは落下傘で脱出し無事でした。
その昼間に戦争が終わったことを告げる玉音放送がラジオから流れました。
その前八月十二日には、敵の艦載機が来襲、折しも小学校前道路の葬列行進中を、機銃掃射らしきを受けたが、突差に全員付近の民家の軒下や影に陰れ、死傷者は一人もなかった。その前八月六日広島市、八月九日長崎市に夫々爆弾が投下され、遂に実に、昭和二十年八月十五日正午、ポツダム宣言受諾、無条件降伏となったのである。 (『太平洋戦争空襲-終戦の日』引用ここまで) |
11月8日午前5時過ぎ、JR博多駅前の地下鉄工事現場で発生した大規模道路陥没事故は、その規模の大きさから日本中に衝撃を与えました。
陥没した穴の大きさは約30メートル四方、深さ約15メートルに及び、もしもその上に通行車両や人の往来があったら多数の人的被害があったことでしょう。
事故発生から2日経過し、今日(10日)午前中には穴の埋戻しがかなり進み、地上から約3メートルの深さまで土が入りました。
ここまで埋戻されれば、水道、下水道、電気、ガスなど地中に埋設されているライフライン復旧工事が本格的に開始されます。
左)11月10日午前:西日本新聞のサイトより、右)10日午後3時:高島福岡市長のFacebookより
※現在の様子はNHKのリアルタイム生中継でご覧いただけます
博多駅前大陥没、復旧急ピッチ 水道管や通信ケーブルも修復へ
福岡市のJR博多駅前の市営地下鉄七隈線延伸工事現場で起きた道路陥没事故で、福岡市は10日も急ピッチで復旧作業を続けた。地表から3メートルの深さまで埋め戻した現場の穴では、セメントを混ぜた特殊な土が固まるのを待っている状況。工程が順調に進めば、同日午後にも地中で破損した水道管や通信ケーブルなどの修復作業に入る。
現場ではトラックやクレーン車が行き来し、9日夜までに投入した土の上に砕石を敷いたり、隣接するビルのむき出しになった基礎部分に土のうを置いたりした。市は埋設物の工事業者と打ち合わせながら、施工計画を進めている。
今後、14日までに道路を含むライフラインの仮復旧を完了し、車道と歩道を通行できるようにする。市交通局は「作業は予定通りに進んでいる。なるべく早く復旧できるよう、全力で取り組みたい」としている。
(2016/11/10 西日本新聞)
それにしても、事故発生から1週間も経たずしてライフラインを含め、道路を通行できる状態まで復旧させるというのは凄いことです。
日本は地震、台風をはじめとした自然災害の多い国です。
それに迅速に対応するための体制が培われていること、世界に誇る土木技術の粋を結集することによってこのような対応ができているということは誇りに感じます。
大規模な事故であったにもかかわらず被害が最小限に抑えられたことは、熟練された作業員の臨機応変の対応による功績でした。
「肌落ち」道路陥没、予兆あった 作業員のとっさの判断、人的被害防ぐ
大きく陥没したJR博多駅前の道路=8日午前9時41分、福岡市博多区(本社ヘリから)
九州の玄関口にある大通りに突如、巨大な穴が出現した。8日未明、福岡市博多区のJR博多駅前の市営地下鉄七隈線延伸工事現場で発生した道路陥没事故。オフィスビルは基礎がむき出しになり、停電やガス漏れで一帯は立ち入り禁止に。すり鉢状に崩れた穴は茶色く濁った下水で池のようになり、変わり果てた街並みに人々は息をのんだ。崩落には予兆があった。午前4時25分ごろ、地中の工事現場で作業員9人が掘削をしていると、トンネル上部の土砂がパラパラと崩れる「肌落ち」という現象が起きた。土砂を固める吹き付け処置をしたが止まらない。
同5時ごろには水が出始めた。身の危険を感じた作業員たちが地上に退避すると、道路の一部がへこみ、やがて路面が崩れ始めた。
作業員のとっさの判断で人的被害は免れた
同5時10分ごろ、作業員の自主的な判断で三角コーンを立てて道路を封鎖し、同14分に「道路が陥没している」と110番。
作業員の男性は「いきなりだった。早めに作業を止めていなかったら(穴の中に)落ちていた」。通勤ラッシュの時間なら大惨事となった恐れもあるが、作業員のとっさの判断で人的被害は免れたといえる。
同6時ごろ、犬の散歩をしていた同市博多区の会社員古賀朗さん(25)は、道路がごう音を立てて陥没する瞬間を目撃した。「下水の臭いがして、滝のように水が激しく流れる音もした」。目の前にあった信号機も穴の中に消えた。同6時40分ごろ、近くの不動産会社に出勤しようとした女性(28)は警戒中の警察官に制止された。穴の端が少しずつ崩れ、みるみる巨大化していった。地響きを感じ、どぶとガスが混ざったような臭いが付近に立ちこめていた。
初めは道路の左右2カ所に開いていた穴は徐々に広がり、道路は細い橋のように真ん中だけが残った。
同7時20分すぎ、会社員男性(50)が近くのビルから現場を見ていると、ドドドという地鳴りがして、土煙を上げて幅が約30メートルある5車線の道路全体が崩れ落ちた。
男性は「信じられない光景だった。自分たちのビルも危ない、避難した方がいいのでは、と不安になった」と振り返った。
(2016/11/09付 西日本新聞朝刊)
災害や事故の直前には、何らかの予兆があることが多いのですが、それをきちんと感じ取って、対応することができるかどうか。
それが被害の大小に大きくかかわるということです。
もう一点、災害後の対応についての情報発信力も素晴らしい。
例えば、福岡市長・高島宗一郎さんは Facebookを通して、事故当日にはすでに的確に情報を発信しています。
【続報】11月8日投稿。
「安全」については土木などの関係する業界関係の皆さんに、市役所としても復旧にかかる全ての協力を行うので、最速での復旧に協力頂けるように改めてお願いしました。
「安心」については、私も技術面は詳しくないので、私からの質問に対策本部の工事担当者から答えて頂いた内容を皆さんと共有します。
①穴に溜まった水は抜かないのか?
A.水は抜いてはだめ。逆に地下水レベルまで水が溜まったので地盤が安定した。土砂崩れは穴が空いた部分と周りの地下水を含んだ土のレベルが違うので土砂の移動がおきる。陥没事故対応の基本は水を入れること、とのこと。②水はこれ以上増えて溢れないのか?
A.周辺の地下水と溜まっている水のレベルが同じになった。また下水の大きな排水管部分までの水位になったので、そこから排水される。②道路復旧までの手順は?
A.まずは穴を埋めるために流動化処理土というものを入れる。これは水の中でも固まるもの。地上近くの地下埋設物(電気、電話、ガスなど)のレベルまで埋めて、固まったら中に入って電話や電気、ガスを復旧して、さらに埋めて車が通れるように仮復旧する。③何日くらい掛かるのか。
A.埋めるのに最長3日。あとは電気や電話を繋ぐなどの復旧の時間が未知数だが、さらにそこを上から埋めれば通行可能になる。④陥没を埋めるための流動化処理土を投入する量を増やして時間を早められないのか。
A.特殊な薬剤なので福岡市だけで一日に作れる量が限られている。他都市に支援を頼んでも持ってくる間に固まってしまう。全てこの薬剤ではなく、現在は他のものが使えないか検討している段階。⑤下の基礎がむき出しになっている建物もあるが、大丈夫なのか。
A.交差点沿いの建物は全て地盤まで杭が届いている。計測しているが現在のところは時間が経過しても傾きなどは発生していない。以上が私が現場の対策本部で聞いた最新の話です。同じ疑問を持つ方もいらっしゃると思いますので情報を共有します。
(2016/11/08 高島宗一郎・福岡市長のFacebook投稿より)
【陥没発生3日目】10日15時投稿。
地盤となるセメント混合土は昨日無事投入が終わりましたので、固まり具合を確認して、現在は砕石による表面の埋め戻し作業中とのことです。今後の流れについて、現場に確認したことを含めて共有しますね。
①穴はいつ塞がるの?
日曜日です。
②車はいつから通れるの?...
全てのライフラインは日曜日までに仮復旧させて、月曜日には道路の舗装や白線を引きます。合わせて専門家を入れて安全性に問題がないことが確認されれば、月曜日の夜にも全面的に通行再開となる見込みです。
③信号は時間が掛かると言っていたが?
一番時間が掛かると言われていた信号も警察の全面的な協力で同じ月曜日には立てることができる見込みです(点灯には少しタイムラグがあるかもしれません)。
④一週間以内に終わるというのは、工事が早すぎるのでは?
日常生活や経済活動に多大なご迷惑をお掛けしていますので、一刻も早い復旧に全力で取り組んでいます。そのために今回は二段階での復旧(仮復旧と本復旧)に分けることで事業者等にご理解を頂き、例がないほどの協力連携体制で取り組んでいるのでかなり早く作業が進んでいるのです。
⑤早いのはいいが、安全面は大丈夫?
安全第一で、絶対に2次被害を出さずに復旧することを工事関係者にお願いをしています。立ち止まる勇気も含めて。また道路が出来ても専門家などに強度を確認して頂き、ゴーサインが出ない限り通行許可はしません。その時は通行を月曜日より遅らせます。
10日の午後3時で、電気やガス、水道、下水道は、陥没現場の立ち入り禁止ビル3棟へは一部未接続なものの、それ以外は復旧しました。
通信は未だ一部不通エリアがあり、現在回線を順次復旧中で12日までには完全復旧と通信会社から報告を受けています。
(2016/11/10 高島宗一郎・福岡市長のFacebook投稿より)
災害が起こってしまったことは残念なことですし、その原因究明と再発防止はしっかりして欲しいところですが、災害に対する対応については、それら一つ一つの行動によって、適切に進められていることが感じられます。
一日も早い復旧を望みます。
大ヒット上映中の映画『君の名は。』の作中に出てきた“口噛み酒”を模した「聖地の酒」が11月2日発売されました。
H28年11月2日 発売!!
なんと あのお酒の容器そのもの!残念ながら三葉ちゃんのものではありませんが、蓬莱より、この度 『聖地の酒』が発売となりました。
大きさといい 劇中の物と同じじゃー!!ファンは心揺さぶられちゃうよ~!!限定発売だから 早めにGETやよ!!
■飛騨地酒 後藤酒店のサイトより
映画に描かれている“口噛み酒”そのままですね。
ただし、中身は飛騨の銘酒「蓬莱」です。
ネット上では、飲みたい…みんなの「君の名は。」の“口噛み酒”への妄想が想像以上だったw
という記事もあり、いろいろと感慨深いですね。
映画の中で、四葉ちゃんが「生写真とメイキング付きの巫女の口噛み酒」売って金にしたら?・・・とも言っているので、せっかくなので「生写真」風を一緒にしてみました。
さて、元々口噛み酒は東アジアから南太平洋、中南米という広大な範囲に分布している伝統的な酒で、古代の文献「大隅国風土記」(713年以降)にも出ています。
その製法がYoutubeにも掲載されておりましたのでご紹介します。
こちらは口噛み酒風の「神聖なお神酒」ということなので、本尊様にお供えして、そのあとしばらくお飾りしておきます。
スマートフォンのキャリアと言えば、日本ではドコモ、au、ソフトバンクなどがありますが、最近は通信会社に縛られないSIMフリースマートフォンが人気となっています。
価格.comの最新(2016年11月1日)の注目度ランキングでは(1位)「ZenPhone3 Simfree」(2位)「Xperia XZ SO-01J」(3位)「honor8 Simfree」(4位)「MotoG4 Simfree」(5位)「Xperia X Performance SO-04H」となっていて、上位5位のうち3機種がSimFree機となっています。
なお、「iPhone」は、9位に「iPhone 7 128GB」が入る以外はベスト10圏外でした。
注目度No.1の「ZenPhone3ですが、その製造元、ASUS(エイスース)のジョニー・シー会長が「禅」に傾倒されている方であるという記事がありました。
機種の名前も、当然「禅」に由来するの訳です。
ASUSのジョニー・シー会長が語る「禅」「卓球」「稲盛和夫」
日本でも、ZenFoneシリーズがSIMフリースマートフォンとして人気を呼び、知名度が高まっているASUS(エイスース)。今回、『ZenFone 3』『ZenBook 3』などの発表のために来日したジョニー・シー会長に、インタビューする機会を得た。普段持ち歩いているアイテムから、仏教の熱心な信者としても知られるシー会長にとって、禅とは何か。製品のデザインや経営にどう活かされているのかを語ってもらった。ジョニー・シー会長はアジア人の経営者ではまれに見るプレゼン能力を持つことで知られ、発表会も非常に盛り上がる。価格発表の際の「ドヤ顔」も見所のひとつとなっている。
●メモはZenFoneのカメラや「OneNote」を活用
――普段持っているアイテムを見せていただけますか?
「常に身につけているのは、『ZenWatch』、スマートフォンは『ZenFone 3』、PCはもちろん『ZenBook』 3ですね(笑)。車の中では、新聞の気になるニュースをZenFoneのカメラで撮影します。クラウド(OneDrive)にアップして、後でPCでもチェックできるようになっています。メモは、『OneNote』のアプリを使用しています。自分で考え続けていることを繰り返し書いては見直しています。
――たとえばどんなメモが?
「これはプレゼンに必要だと思う要素です。<まずは聴衆を愛する><情熱を持つ><自社の製品に誇りを持つ>などと書いています。プレゼンは原稿も用意しますが、それだけではなく、どうしたら聴いて下さるか、皆さんの近くに行けるか。言葉以外の要素も大事だと思っています。言い換えれば、右脳と左脳のバランスです。もっとも右脳と左脳のバランスが優れていた人物としては、レオナルド・ダ・ヴィンチがあげられるでしょう。マネジメントでもエンジニアリングでも、左脳だけで考えると見失うことがあります」
ASUSのキャラクター「禅太郎(英語名Zenny)」のトラベルポーチに小物類をまとめている。「私の持ち物だと一目でわかるでしょう(笑)」「薬は、中国式ののど飴に、日本の風邪薬。時差が大きいアメリカやヨーロッパへ行くときは時差ボケにならないようメラトニンを服用しています」シー会長の『ZenFone 3』。LINEはプライベートでも仕事でも頻繁に使用しているという。「OneNote」にまとめられた「禅」に関するメモ。入力は、スマホとPCの両方で行う。
●卓球とビジネスの共通点「これは卓球についてのメモですね。私は学校時代に卓球をやっていました。最近は忙しくて自身がプレイすることはありませんが、トッププレイヤーから学ぶことはたくさんあります。少し前まで強いのは中国人の選手ばかりでしたが、リオオリンピックでメダルを獲得した水谷隼選手は、すばらしいプレイヤーですね」
――卓球に関してはどんな内容で?
「<姿勢を低く><勢いを付ける><身体のバランス><バリエーション>など、プレイを見て気づいたことを書いているのですが、これらは、ビジネスにも共通して重要だと思います。
たとえば、卓球では相手が強いからといって防御に走ってしまいがちですが、それでは負けてしまう。コートの角や後ろに追い込まれ、最終的に打ち込まれてしまうのです。ビジネスでも、会社が2番手であっても、機を見て攻撃しなければならない。これは、孫子の兵法にも似ています。卓球もビジネスも、禅の瞑想でも共通することですが、すべての瞬間が修行(プラクティス)なのです」
身のこなしが軽いシー会長。卓球で培われたこともあるのだろうか。
●シンプルさとエンジニアリング
――『ZenFone 3』にも禅のマインドが反映されていますか?
「もちろんです。ひとつはシンプルさです。スマートフォンはディスプレイがガラスですから、シンプルさを追求するならば、なるべくガラスで覆えばいい。そこで『ZenFone 3』は、前面と背面の両方を2.5Dガラスとしました。
フルメタルボディの『ZenFone 3 Deluxe』は、シンプルさの追求ではもっとできることがあると思います。今回は、フルメタルでありながら、アンテナの線を消すというiPhoneではできなかったブレイクスルーを成し遂げています。
シンプルに、と言うのは簡単ですが、それを実現する優れたエンジニアリングによる問題解決が必要です。最終的には精神的なところに戻ってきます。私たちは企業理念に<In Search Of Incredible(挑め。想像を超えたその先へ。)>を掲げていますが、常にインクレディブル(想像を超えた先)を目指し、成し遂げたいと思っているのです」
●日々の一瞬一瞬が修行
――どんな本を読まれていますか?
「常に読んでいるのは、やはり禅や仏教に関する本です。これは台湾人の作家(蕭平實氏)が書いた本ですが、正しく仏教を理解するうえで、非常に価値の高い本だと思っています。いつもカバンに入れて読み返し、気づいたことは直接ページにメモしています。
こちらは、京セラやDDI(現KDDI)を創業した稲盛和夫さんの本です。単にマネジメントだけを語るのではなく、哲学的であり実践的。従業員に精神的、物理的な利益をどう与えるか、どう実践するかを、ざっくり語るのではなく真にどうしたらよいか、実際のやり方が書かれています。
DDIを創業されたときも、多くの人の利益になると考えて会社を作られた。お金だけではなく、哲学的なことからスタートし、そして確固としてやり遂げられた稲盛さんを私は尊敬しています。
私にとって禅とは、シンプルさや美しさ、そしてバランス。日本の禅だけでなく中国の禅も深く理解したいと思っています。仏教も禅も非常に深くて豊かなものです。平和的に見えてパワフル。本当の意味で理解するには、山に登ってひとり瞑想するだけではダメです。もっとアクティブに、自分の生活の中で理解しようとしなければいけない。毎日のビジネス、経営においても、すべての瞬間が修行なのです。
ビジネスは禅だと思っていますし。私にとっては、デザインも禅であれば、プレゼンテーションですら禅なのです」
中国語に翻訳された稲盛和夫氏に関する本(原著は皆木和義『図解 稲盛和夫の経営早わかり』)。
●インタビューを終えて
かつてスティーブ・ジョブズ氏は、Appleをテクノロジーとリベラルアーツの交差点にいる企業だと説明した。シー会長の話に、このエピソードを思い起こす人も少なくないだろう。ジョブズも禅に強い影響を受け、シンプルさを製品に求め続けた。
シー会長は、Zenの名を冠した製品だけでなく、会社経営においても東西の思想を強く意識している。以前、シー会長から、生産管理において東西の手法(モトローラ社の「シックスシグマ」と、日本のトヨタ生産方式)を取り入れたと聞いたことがあるが、今回はマネジメントにおいてもピーター・ドラッカーをはじめとする西洋的な手法と、稲盛和夫氏の哲学を同時に実行しているという話が聞けた。
ASUSは、PCのマザーボードという、ロジックが追求される製品から会社が立ち上がり、より感性を必要とするPC製品やスマートフォンといったデバイスを広く売る会社に成長した。ASUSは家庭用ロボットへの参入も計画しており、エンジニアリングの力と禅のマインドがさらに必要とされる局面に立つものと思われる。個々の製品だけでなく、ASUSという企業の今後に注目したい。(DIME2016.10.27より引用・下線部はkameno付記)
本文中にもあるとおり、スティーブ・ジョブズ氏が禅に強い影響を受け、シンプルさを求めて「iPhone」をデザインしたということを以前このブログでもご紹介いたしました。
人気のスマートフォン、「ZenPhone」「iPhone」の源流に流れる禅の思想、そしてエンジニアリングやビジネスと結びつく禅マインド。
禅のもつポテンシャルはとても高いということを、海外から学ぶ事例も大いにありそうです。
(画像はASUSのキャラクター「禅太郎(英語名Zenny)」とジョニー・シー会長:asus.comより)
『哲学 一夜漬け』が発売されますZen Buddhist priest urges Stanford graduates to cultivate spiritual practices
本日発売『仕事に効く禅』
SZI主催特別講義@大本山永平寺
スティーブ・ジョブズと禅関連記事
SZI総会・講演「スティーブジョブズと北アメリカの禅」報告
Whole Earth Catalog
スティーブ・ジョブズ氏と禅
南米で初開催されたリオデジャネイロオリンピックは、17日間におよぶ熱戦を終え、8月21日(日本では22日)に閉会式を迎えました。
日本は史上最多の41個のメダルを獲得し、メダルを惜しくも獲れなかった選手も含め、記憶に残る熱戦が印象的でした。
そして閉会式。
4年後の東京オリンピックの約10分間のプレゼンテーション(プロデュース:椎名林檎・佐々木宏・菅野薫・MIKIKO)か特に素晴らしかった。
⇒ NHKのYouTubeチャンネルでその映像を見ることができます。(ここをクリック)
■徹底的な日本らしさの中にもリオ・リスペクト
オープニングで、東日本大震災などに寄せられた世界中の人々への感謝のありがとう。
被災地の小中高校生たちによる人文字と国家の斉唱。
以降、プレゼンテーション全体に流されていた音楽は、初めから終わりまでリオ市民の体に染みついているサンバのリズムに統一されていました。
自国のアピールに終始しがちなプレゼンテーションにおいて、地元リオデジャネイロへのリスペクトが根底に流れています。
RIO
OBRIGADO
ARIGATO
次々に登場する日本のキャラクター。
プレス向けには説明が配布されていましたが、映像を見ている世界中の人には、「マリオ」「ドラえもん」「ハローキティー」「パックマン」・・・それがどういうキャラクターなのかを改めて説明する必要がありません。
それだけ日本の持つコンテンツ力が強いということ。そのことを十分に生かしていました。
RIOだから「MARIO:マリオ」という意図もよくわかります。
■東京とリオの位置関係もきちんと説明されている
安部総理は、日の丸をイメージした赤いボールをリオまで急いで届けるため、マリオに変身。
「ドラえもん」が四次元ポケットから土管を出して東京からリオまでルートを作ります。
ここで、敢えて「どこでもドア」にしなかった理由は、リオデジャネイロと東京が地球の真裏の位置関係にある(つまり真下に掘っていけばそれぞれの都市がつながる)ということをイメージできるからでしょう。
東京が地球上のどこにあるのか、世界中にはそれを知らない方も多数いる中で、効果的な演出でした。
■小池知事・安部総理の本気度 =日本の本気度
「フラッグハンドオーバーセレモニー」での小池知事の衣装は、一見地味に見えるけれども、錦糸の帯、見事な鶴の刺繍・・・最高級の着物だと拝察しました。少なくとも数千万円の価値のあるものだと思います。
その「勝負着」で、あの大雨の中、セレモニーを遂行した姿は、知事の本気度を示してくれました。
安部総理は、こんな風に土管の中で待機していたのでしょうか。かわいい。
知事や総理の本気度は、東京オリンピックに日本がどれだけ本気で取り組んでいくかを表しています。
■技術を活用したオリンピック開催のアピール
日本は技術立国。
コンテンツだけではなく、その技術を生かしてオリンピックをどれだけ楽しませてくれるか。
その期待感を持たせる演出も素晴らしかった。
AR(拡張現実)によって、東京大会から公式種目として採用されるスケートボードなどを含む33の競技をイメージした映像を投影。
4年後にはARを最大限に利用して、観客が360度どの方向からも自由に観戦できる、そんなことも期待できます。
そして、特筆すべきはフィールドに投影されたプロジェクションマッピング。
通常、斜め方向からプロジェクターで投影するとダンサーの影がくっきりと映ってしまうのですが、この演出ではまったく気にならない。
なんと、20,000ルーメンクラスの大型プロジェクターを100台以上同時制御して、競技場の4方向から投影しているのです。
まさに日本企業の本気。
これだけ高度なプロジェクションマッピングを本番できっちり成功させるということは、計画から準備までどれほどの労力を費やしたのか。
日本だからこそできた演出だったといえます。
フィールドでは青森大学男子新体操部によるスポーツの動きをモチーフにしたダンスや、光のフレームを用い東京大会のエンブレムを形作るなどの演出が行われ、プレゼンテーションの終盤では東京の街並みや富士山の影絵が映し出され、土管からはスカイツリーが出現します。
「SEE YOU IN TOKYO」文字とともに赤と白のダイナミックな花火が会場を彩りました。
さりげなくマリオのゲームクリアのBGMも。
4年後の東京オリンピックでは、どんな素晴らしい大会になるのかを世界中の人たちにアピールした素晴らしい閉会式でした。
今回の演出には若いクリエーターたちや技術者たちの柔軟な発想と実行力がみごとに結実しています。
是非、若い力を東京でも発揮して欲しいと思います。4年後が楽しみです。
※ブログ記事中の写真はyoutube公式映像からキャプチャーしたものを使用しました。
7月22日に日本で「ポケモンGO」が配信されてからダウンロードして遊ぶ人が爆発的に増え、社会現象となりました。
それに伴い、神社仏閣などでは「ポケモンGO」禁止を表明するところも出ています。
貞昌院では「ポケモンGO」について、基本的なルール(下図参照)さえ守っていただければ禁止をすることはありません。
むしろ、FreeのWifiを用意しておりますので、アプリを楽しんでいただければと考えています。
その理由をいくつか挙げてみます。
「ポケモンGO」は異例ともいえるほど爆発的にユーザー数が増えたため、寺や神社、公園、石碑などのうち特定の場所に人が集まり社会現象となりました。
しかし、元々これらの場所は数年前から 「イングレス(ingress:簡単に言うと青と緑の陣取りゲーム)」 のポータルとして設置されていたものであり、 「ポケモンGO」は、「ingress」で使われているポータル(陣地目標)をポケストップに流用しています。
「ingress」 は人気のあるアプリですので、ユーザーは数年前からそれなりに居たのです。もちろん、今でも人気のアプリです。
歩きスマホということであればtwitter や facebook 、Lineなども歩きスマホの原因になります。
また、位置情報を利用したアプリはほかにも数えきれないほどあり、ナビゲーションのように目的地まで案内してくれるアプリや神社仏閣の巡礼参拝を補助するアプリすらあります。
これまではユーザー悪の論調で、携帯電話事業者もアプリ開発業者も批判されてこななかったのに、「ポケモンGO」だけがアプリ、もしくはアプリ開発業者業者や任天堂が悪であるという論調も論点がずれていると言わざるを得ません。
仮に「ポケモンGO」を禁止するのであれば、スマートフォンの使用をすべて禁止しないと筋が通りません。
ブームに乗って「ポケモンGO」をダウンロードした人の大半は一週間程度で脱落すると思います。
ガチでやり込む層は、遠からず精々10分の1程度かそれ以下になることでしょう。
また、「ポケモンGO」は、初期の段階ではひたすらポケモンを集めることになりますが、ある程度経過すると歩き回ってタマゴを育てたりする「歩きゲーム」に性格が変わります。
したがって、現在顕在化している問題点は急速に鎮静化していくと思われます。
画面を見ながら歩くという遊び方は正しくありません。
次のポケストップの場所を確認したら、スマホを握ったまま画面を見ないでひたすら歩く。
ポケモンが現れた時は振動でわかるので、安全な場所で立ち止まり、落ち着いてゲットする。
また、スマホのカメラを切って(ARを切って)いたほうが、ポケモンが画面中央に現れるのでゲットしやすい。スマホをあちこちに向ける必要は全くないのです。
このように「ポケモンGO」に限っては、画面を見つめながら歩く必要はありません。
そういう使い方をマスコミや大人たちが率先して広めていくことが大事でしょう。
例えば、広島平和公園に「ポケモンGO」のポケストップがあるのは不適切という声がありますが、第1項で述べたように広島平和公園には数年前にはすでに「ingress」 ポータル(陣地の目標)が設置されていました。
寺社の境内や主要スポットにも数年前には設置されておりました。
それらがこれまで問題視されてこなかった理由は、ユーザー数がそれほど多くなかったということの他に、ユーザー間での暗黙の了解として、自粛すべき場所はルールに則って遊ぶということが徹底されていたからでしょう。
「ポケモンGO」プレイヤーも、次第に成熟していくことを期待します。
どこに入ってよい、どこに入ってはダメというのは「アプリ」や「ゲーム」云々以前の基本的な社会のルールですから。
※「ingress」は青と緑の陣取りゲームです。
2014年8月6日の広島原爆の日には、ふだん敵対している青陣営と緑陣営が協力して、陣取りゲームの機能を利用し、広島平和公園全体を「折り鶴」で囲むということが行われていました。→ [Ingress Art] 平和公園でオリヅルしませんか?
↑2年前(2014年8月6日)ingressの青・緑陣営が協力して広島平和公園に作られた「折り鶴」。
「ポケモンGO」は親子で一緒に楽しめるゲームです。
遊び方、入ってよい場所、悪い場所、時間、マナーなど大人が使い方の規範を示すことができれば、他のアプリを利用する際にも使い方を応用することができます。
全てにおいては、その遊び方、使い方に尽きると思います。
以上、ざっと貞昌院が「ポケモンGO」の利用に関して、基本的なルール(下図参照)さえ守っていただければ特に禁止しないという理由を挙げてみました。
スマホ利用に関して、成熟した社会になることを心から望みますし、それを率先して牽引していくのは大人の責任であると考えます。
■関連ブログ記事
Ingressプレイヤーと共存するために
Ingressプレイヤーと共存するために-ポケモンGOまもなく公開
「ポケモンGO」 日本で配信開始
ポケモンはどこに出やすいか?
昨年、Ingressプレイヤーと共存するために という記事を書きました。
その際に書き連ねた様々な懸念事項、それが近いうちに大きな社会現象となってやってきそうな感じです。
というのも、任天堂とナイアンティック社との共同プロジェクトとして、Ingressとポケモンが融合した「ポケモンGO」がアメリカでリリースされ、まもなく日本でも公開される予定だからです。
ポケモンGOは、Ingress同様、スマートフォンにダウンロードして楽しむアプリです。
スマートフォンのGPS機能を利用し、街中の様々な施設に設定されたポケモンを画面上でゲットできるというものです。
7月6日に先行リリースされたアメリカでは、リリース後わずかの日時しか経過していないにかかわらず、すでにTwitterのアクティブユーザーと同等の拡大となっています。
それだけ急速に拡大すると、やはり弊害も発生するわけで、美術館や博物館などでなりふり構わずゲームに没頭したり、歩きスマホ、運転しながらスマホなど事故の原因になるという問題も発生しています。
もう一点、問題となりそうな点を挙げるのならば、Ingressの「Portal」(拠点)が設置されている場所が、歴史的な建造物や石碑、石仏、銅像などに設置されがちなため、Ingressのプレイフィールドが寺院や神社の境内に設置されることが多いということです。
Ingressでは、貞昌院や永谷天満宮周囲からいくつものエネルギーが噴出していました。
⇒Ingressプレイヤーと共存するために 参照
そうなると、ポケモンGOが始まると、例えば、貞昌院ではこんな状況になったりして・・・・・
バーチャル・リアリティーの問題点の一つは、その現実感を周囲の人と共有できないことにあります。
すなわち、プレイヤー以外には、その現実感が伝わらないということです。
Ingressのプレイヤーの皆さん、そしてこれからポケモンGOをプレイする皆さん。
むやみやたらに寺院や神社などの境内に入らないで下さい、とは申しませんが、境内は神聖な礼拝施設であることを理解いただき、そこ入る場合には、是非それぞれの参拝作法に則った行動をお願いしたいものです。
世界規模のゲームを誰もが気持よくプレイできるよう、最低限のマナーは身につけて欲しいと願います。
蓮の花(蓮華)は仏教の教えを象徴する花とされています。
その理由は「泥中の蓮(でいちゅうのはす)」(維摩経)にあるようです。
つまり、泥のような汚れた環境、であっても、その汚れに染まらず清く正しく生きるさまが菩薩道を歩む仏教修行者の姿に喩えているのだと思います。
仏教説話など読むと、
「泥水が濃ければ濃いほど、汚ければ汚いほど、蓮の花は大輪の花を咲かせる」
「きれいな水からは蓮の花は小さな花しか咲かせない」
などのように、汚い泥←→きれいな蓮の花 という構図が根底にあります。
私も、以前は何の疑問もなくこの構図を先入観を持って抱いていました。
しかし、蓮の花を育ててからは、蓮の育つ環境は、決して汚い環境ではないということをつくづく感じます。
貞昌院の大賀蓮は、直径約1mの鉢に土を入れて水を約10cmほどの深さに張っています。
そこから立ち上がる立葉や蓮華は高さ2mほどにもなっています。
では、根元の泥や水はどのようなんっているかというと・・・・
透明度抜群の澄んだ水です。
(↑クリックして拡大すると小さいメダカの赤ちゃんがたくさん見えます。右写真に矢印を加えました)
こんな感じで、次々と新しいメダカが生まれています。体長わずか数ミリ。
水底には、蓮の浮葉が枯れて沈んでいます。
その葉に付いた藻に、メダカが卵を産んでいます。
また、アマガエルも居るし、ヤゴも育っています。
ただの容器に水だけを張って外に置いておくと、水は腐り、ヤブ蚊の幼虫、ボウフラが沸いて、それこそ汚い水になりますが、蓮の鉢ではそんなことにはなりません。
対し、蓮の鉢の中はちょっとしたビオトープの環境が蓮鉢の中で整えられているのです。
泥の中にも活発に活動する細菌や小さい虫たちがたくさん居ます。
ボウフラはたちまちメダカの餌になりますので、蓮鉢の中では蚊の発生はありません。
また、ヤゴはメダカを食べるのですが、メダカは藻の中に隠れたり、何よりも繁殖力が旺盛なので、水深さえきちんと保っていれば絶滅することはありません。
そういった生物たちの営みにより、泥も水もとても清浄な環境を維持しているのです。
泥は決して汚いものではありません。
そして、「蓮はさまざまな生物たちにのはたらきによる清浄な泥と水から清浄な花を咲かせる」のだということを、蓮華鉢は教えてくれています。
昨日、ニコニコ動画およにYoutubeに投稿されたryo(supercell)さんがさんの曲が話題になっています。
投稿された日から見ておりましたが、1晩で10万再生を超え、近いうちに100万再生に達するのではないでしょうか。
なぜ話題になっている(というよりも、ニコニコ動画ではお祭り騒ぎになっている)のかというと、9年前、ボーカロイド・初音ミクのブームを一気に築き上げた第一人者が8年ぶりに楽曲を投稿したからでした。
ボーカロイドが登場して、多くの才能が開花して素晴らしい音楽がたくさん生み出されてきた黎明期の雰囲気がまた戻ってきたということもあります。
そして、それ以上に曲の素晴らしさゆえでしょう。
前置きはどうでもよいので、まだ聴いたことのない方は、まずは投稿された曲をお聴きください。
タイトルは「罪の名前」です。
(ニコニコ動画晩はこちら http://www.nicovideo.jp/watch/sm29021785)
この登場する人物は主に3人。
(1)主役となるのは容姿に問題を抱える女の子
(2)曲がったことが大嫌いな目の見えない心優しい男の子
(3)影で人の運命を暇つぶしに弄ぶ運命の女神
女の子は生まれたその瞬間に運命の女神に目をつけられます。そして人に見せられないような顔にさせられてしまうのです。
女の子は嘆きます。どうして私は私に産まれてしまったのでしょうかと。日々疎まれ理不尽に差別される中、女の子は男の子に出会います。男の子は目が見えません。なので女の子がどういう顔なのか全くわかりません。そうしていじめられる女の子をかばい友達になってくれるのです。
女の子はたいそう喜びます。そしていつか願うようになります。この男の子のために、私は普通の女の子になりたいと。
男の子は男の子で、そんな女の子に次第に好意を寄せるようになります。そしてその女の子の気晴らしに少しでもなればいいと白いユリの花を贈ります。そこでまた現れる運命の女神。これは面白い展開になった、と。
白いユリの花を不吉な黒に染め替えてしまいます。
そしてここで男の子の目を治して女の子の醜い顔を見せたのなら、男の子はいったいどんな顔をするのか。全ての事象に飽きてしまった女神は残酷なことでしか自分を解き放てないのです。そして魔法をかけます。
男の子の目よ治れと。
(ryoさんのあとがき より一部引用。曲の結末は、曲の中および ryoさんのあとがき でご確認ください)
タイトルの「罪の名前」には深い意味が込められていることがわかります。
生まれつき、容姿に問題があるのは、きっと罰なんだ・・・と追いつめられ、周囲かひたすら「罰」を受ける女の子。
ですが、では、女の子の「罪の名前」とはいったい何なのでしょうか。
私たちの普段の生活の中でも、見かけや表面的な浅い理解から無意味な予断や偏見を持ってはいないだろうか。
自分のイメージに合うものは、それを好意的に受け入れるけれども、合わない場合には否定してしいないだろうか。
「名前のない罪」をかけてはいないだろうか。
というように、すべての人が人間らしく生きるという、あたりまえのことですが、なかなか実現できない基本的なメッセージをも含有した内容だと感じます。
とにかく多くのメッセージが込められた素晴らしい楽曲なのでご紹介しました。
初音ミク(ボーカロイド)の調声もそうですが、生演奏が生み出す重厚な雰囲気も聴きどころです。
おそらく、歴史的な曲になる(現在進行形)ことでしょう。
■関連ブログ記事
初音ミクにみる音声合成の可能性 (2007年のブログ記事)
初音ミク「Tell Your World」チャート1位に (2012年のブログ記事)
現在、奈良の薬師寺では「噂の刀展」が開催されています。
開催:平成28年3月1日~5月8日
一見すると、地味な文化財展示にように感じる方も多いと思います。
しかし、それはとんでもない思い違いなのです。
特に、4月2日の1日のみ限定で展示された「大倶利伽羅」の展示日の様相は特筆に値します。
薬師寺の境内が1000人を超える若い女性(審神者たち)で埋めつくされたのです。
その理由は、女性の間でブームになっているブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』にあります。
そのゲームプレイヤーキャラクターのことを審神者(=さにわ)と呼びます。
いわゆるプレイヤーたち自身のことですね。
今回、審神者たちの目的の「大倶利伽羅」はこちら。
刀帳説明
……大倶利伽羅だ。相州伝の広光作で、前の主は伊達政宗。名前の由来は彫られた倶利伽羅竜。
……それ以上は特に語ることはないな。何せ、無銘刀なものでね
(説明は刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ) Wiki*より引用)
ということで、4月2日に限り全国から腐女‥ 審神者たちが集まったのです。
その様子をTwitterまとめでご覧ください。
Twitterまとめ
http://togetter.com/li/957497
それにしても、有明のコミケか、アイドルの握手会か、いや、それ以上の整列テクニック(主催者薬師寺側)と整列スキル(来場者側)のレベルの高さといったら、凄いの一言です。
初夏の陽気で、しかも千人もの待機列を整然と整列させ、かつその待機者を退屈させるどころか楽しませ、皆を笑顔にする。
薬師寺も審神者たちもどちらもプロですね。面白すぎ。
【刀剣乱舞】薬師寺のお坊さんの名言などのまとめ
http://tourabu.blog.jp/archives/57685018.html
○お坊さんの整列テクニック凄すぎて白目剥いてます/(^o^)\wwwwwwwwwそして拝観出来るの10秒っぽいですwwwwwwwwwアイドルの握手会かな?wwwwwwwww
○朝に並んだ時の24番。上、2回目の1196番。2列で受付してるので、実際の人数はこの倍になる。1時間半で2000人以上捌いたのかΣ
○薬師寺よりお知らせ/大倶利伽羅見た後に並ぶであろう大宝蔵殿前よりお知らせです。/現在外に800人ほど並んでいるそうです。/キャプション読む為に立ち止まるとつかえてしまうので立ち止まらずに進んでください!/本日気温20℃超えでこのままでは確実に熱中症の方が出ます!/体調管理に注意!
○通りかかった薬師寺のお坊さんの一言。列を見て「一人くらい男子おらんもんかな」大倶利伽羅モンペのPTA総会ですからね、いないと思うんですよwww
○薬師寺のお坊さん「はーい、少しずつ列動きまーす!」「安心してください、必ず(入場)券は買えまーす!」「みなさんの目的がひとつなのは分かっておりまーす!」
○薬師寺のお坊さんがお子さんを高い高いしてから「シルク・ドゥ・ソレイユ~」てw
○薬師寺のお坊さん「スマホに変えてとうらぶデビューしようかな」
○薬師寺のお坊さん(さっきとは別の人)「おーい、そこもう少し詰めてもろて!」「んで適当なところで列をぱきっと切って!」的確な指示すげぇ。あと麦わら帽にタオル装備という完全装備
○薬師寺のお坊さん(列整理)「修学旅行生よりも全然並び方が良い!統率がとれてる!」と褒めながら審神者を捌くwww
○薬師寺のお坊さん「皆さん列作るの上手ですねー。統率力あります」…そりゃあ、慣れてますから。行列には。
○薬師寺のお坊さん「今日はね!キャプションとか読む日じゃないから!いま900人くらい並んでてね、20度越えてるの!熱中症になるよ!」待機列から笑いがwwww
○薬師寺のお坊さん本当にお話し上手くて面白いw「亀のようになってゆっくりでいいのでみんなで倶利伽羅まで行きましょうね〜」「刃が下に向いてるのが太刀となりますが、まあ、こんなのは審神者の皆様には当たり前のことでしょうが」「僕もとうらぶやってるので仲間としてたくさんお話したいんですよ」むしろ今日のお坊さんの様子を見に薬師寺行きたいレベルwww
○薬師寺、噂の刀展みるため長蛇の列に並ぶ。お坊さんのアナウンスが神すぎる。お坊さん「皆さん!!どうか!!熱中症とケガだけは!!熱中症とケガだけは気をつけてください!!薬師寺は健康祈祷なので!!」私ら「はーいwwww」
○お坊さん「中に入ったらキャプション読まないで!時間ないから、今日に限っては!5月までやってるから!今ここに800人並んでるから、熱中症にならないで!健康祈願のお寺で熱中症が出たらネットで笑われるから!わかりましたか!」私ら「「はーい!」」ってなって、みんな笑顔になった 。お坊さん『あ!いい子!!』
○薬師寺玄奘三蔵伽藍の解説にきてくれたお坊さんのお話がwww三蔵法師は女性ではありません、はまだしも、リボルバーまわしてジープにのってたりはしません、これに受ける人たひは腐の人たちですね、外国語とか上達したい人はお願いするといいです、審神者の方にはなんの役にもたちません(うろ覚え)
○お坊さんとてもわくわくしてる様子だったよ、「いつも人あんまり来ないんですよね!これを機に薬師寺好きになって帰ってください!リピート待ってます!」って力説されたから。笑
○薬師寺のお坊さん「お願いします、皆さんもう半歩ずつ詰めてくださーい、そしたら後ろの人は列が進んだように感じまーす」ってw
○大倶利伽羅みて出てきた我々に対して薬師寺の方「みんな笑顔だね!」
○列形成はYOUちゃんより上手くて整列のコメントスキルもコミケスタッフレベルって薬師寺のお坊さん一体何者なんだよ……!
肝心の「大倶利伽羅広光」を見た感想もアツイものばかり。
○薬師寺メモ① スタンプ押してもらって靴脱いだらはじめに「三条吉家」隣に「鄙田青江恒次」。靴履い隣の建物に「般若丸」隣に「大倶利伽羅広光」。靴履いてからざわつきが大きくなりましたので皆様「静かに」お願いします。私も心の中では大変ざわついております。死にそうです。
○薬師寺のお坊さん「準備っていうのは大切で、アンケートで2700人来ますとの回答だったので、大体4000人かなって思いまして、最高6000人と予想して準備してきました。準備大事。」
○人気アイドル大倶利伽羅さんの1日限定ハイタッチ会 in 薬師寺
○大倶利伽羅さん、華奢だしすんごい細かい細工で、ハバキに伊達家の家紋も彫られてて、早起きしてよかったです(*`・ω・)
○薬師寺簡易レポ 塩対応で10秒で握手から引き剥がされて「見るなら勝手にしろ、馴れ合うつもりはない」ってかんじでマジ痺れました。
○最高。綺麗な刀でした 大太刀の名残か刀身が太く、しっかり倶利伽羅竜もはっきり、竜の手前に傷?けっこう大きめ
いやぁ、こういう事例はとても参考になりますね。
皆が幸せになる展示会。
貞昌院でも刀剣乱舞などコスプレイベントを行なってますが、みなさんマナーの良い方ばかりで本当に有難いです。
■関連ブログ
檀信徒旅行(奈良)報告(3)
2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から5年目の日を迎えました。
改めて1万5000人を超えるお亡くなりになられた方々への弔意を表します。
いまだ行方がわからない方も2500人を超えており、発見されたご遺体のうち身元が不明な方々も70名いらっしゃるということです。
震災から5年...復興「まだ半分」 福島県民の7割感じる東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸5年となる11日を前に、福島民友新聞社は県民を対象にアンケートを行った。本県復興の実感を10%刻みで「復興度」として聞いたところ「0%」~「50%」の合計が約7割で、半数以上は復興の進み具合が「まだ半分」と感じていることが分かった。原発事故による避難が続いている状況が本県復興の遅さを感じさせる一因になっているとみられる。
福島大行政政策学類の丹波史紀准教授の協力を得て分析した。復興度について最も多かった回答は「50%」の102人(全体の24.5%)、次いで「30%」の78人(同18.8%)だった。丹波氏は「震災から5年が経過しても50%以上が多数を占めていないことの方が課題」と指摘した。
阪神大震災では、仮設住宅が震災から5年で解消されたことなどを踏まえ「阪神大震災や新潟県中越地震では3年が一つの区切りだったが、本県はいまだに10万人近くが避難生活を余儀なくされている状況。『道半ば』であるというのが全体の傾向だろう」とした。
アンケートは、福島民友新聞社の記者が2月中旬から今月4日にかけ住民への聞き取りで行った。回答者数は416人。年代別や居住地域別で分類。原発事故により避難をしている人は避難元の住所で回答した。
(福島民友新聞 3月11日配信)
地域により復興の度合いに大きな差がでていることも浮き彫りになりました。
年月の経過により、記憶は風化しがちですが、必要な地域に必要な支援が届くよう常に心を寄せていたいものです。
震災発生の時刻には全国寺院で梵鐘を同時に撞くということも予定されています。
今年も残すところ一週間を切りました。
年の瀬を迎え、新聞、テレビなどではそろそろ今年の総括として「十大ニュース」などが発表される時期になりました。
平成27年(2015年)は、みなさまにとってどのような年でしたか。
当ブログでも、毎年年末に毎日の記事より一年を振り返りながら独断で十大ニュース風にまとめています。
2015年の総括です。
できごと
できごと | 関連ブログ記事 | コメント | |
1 | 二祖峨山禅師650回大遠忌 | 50年に一度の大行事の事務局においてとても得難い経験をさせていただきました。 | |
2 | 新年快樂!臺灣佛光山 | 春節諸で賑わう臺灣佛光山の諸行持に参加してきました。その圧倒的なパワーには驚かされるばかりです。 | |
3 | 梅花流全国奉詠大会 | 記事 記事2 | 数年前から各種調整、準備を進めてきた梅花流全国奉詠大会。心に残る大会でした。 |
4 | 鶴見萬燈火の夕べ | 記事1 記事2 | 多摩美術大学の学生さん、地域の皆さん、近隣寺院の協力により總持寺境内を萬燈で照らしました。 |
5 | ニコニコ超会議に出展参加 | 記事1 | 幕張メッセで開催されたコニコニコ超会議に出展参加いたしました! また、今年もニコニコ動画(カテラン1,2位を獲得)やYoutubeチャンネルに多くのアクセスをいただきました。 |
6 | 境内整備工事 | 記事1 記事2 | バリアフリー化に向けて、玄関から本堂へ続く廊下の段差を解消しました。 |
7 | 大賀蓮の開花 | 記事1 記事2 記事3 記事1 記事2 | 美しい大連の花をいくつも見せていただきました。 |
8 | さわやか寄席落語会・さわやかコンサート・子供落語教室 | 本堂で年2回行っている落語会・コンサート、そして子供落語教室。 BSフジの「落語小僧」に貞昌亭瑞鳳くんが出演しました。 | |
9 | 第17回ゆめ観音アジアフェスティバル キャンドルナイト | 継続は力なり。今年も多くの参加をいただき、心に残る祭典になりました。 | |
10 | サブカルチャー系 | 記事1 リンク1 | 今年も引き続き貞昌院でコスプレイベントを定期的に開催しています。 |
振り返ってみると、今年も個人的にもお寺にも様々なことがあった一年でした。
また、例年にもまして、多くの方々とのご縁が広がった年でもありました。
特に今年は、大本山總持寺二祖峨山禅師650回大遠忌の年にあたり、事務局として関わらせていただいたことはとても大きな経験になりました。
公的なことでは、宗務庁級階査定委員会専門部会の座長を引き続きつとめさせていただき、国勢調査の結果を得て調査・実施できるよう準備・研究を進めているところです。
今年一年間お世話になりました皆さまに心より感謝申し上げます。
来年がより良い年でありますように。
■関連ブログ記事
十大ニュース@当ブログ2014
十大ニュース@当ブログ2013
十大ニュース@当ブログ2012
十大ニュース@当ブログ2011
2010年の十大ニュース@当ブログ
2009年の十大ニュース@当ブログ
早いもので今年も残すところあと1ヶ月。
明日からは12月です。
12月は別名師走と呼ばれますが、もう一つ「臘月」とも称されます。
12月8日は仏教にとって重要な日、日本ではお釈迦様が悟りを開かれた日、成道の日とされます。
約2500年前、19歳で出家修行されたお釈迦様は、インド各地を巡り様々な思想を学びましたが、どの教えも彼を満足させることはありませんでした。
その後、修行仲間とともに体を痛めつけたり断食をする苦行を行じますが、それでも悟りに至ることは無く、苦行の無意味さに気づき苦行を中断します。
ネランジャラー河の岸辺で村娘が作ってくれた「乳粥」を施され、そのままブッダガヤの菩提樹の下で坐禅を組み禅定に入ったお釈迦様は、禅定を妨害する魔物たちをことごとく調伏し、12月8日未明ついに悟りを開かれたのでした。
この故事にならい、修行道場では坐禅をひたすら行じる「臘八攝心」が12月1日から8日の未明にかけて修行されます。
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今年、この攝心期間に日本の宇宙観測にかかわる重要なミッションが2つ行われます。
1つ目は12月3日の「はやぶさ2」のスイングバイです。
ちょうど1年前に打上げられた「はやぶさ2」は、12月3日に金星に向けて軌道を修正する「スイングバイ」を行います。
このスイングバイは、地球に最接近した時に行ないますので、望遠鏡で観測できる可能性もあるということです。
詳細は、このブログ文末にリンクを張っておきますので、そちらをご覧ください。
スイングバイが成功すると、地球の引力により、はやぶさ2の速度は秒速30.3キロから秒速31.9キロに増速し、軌道は目的地の小惑星「Ryugu」(1999 JU3)を目指すものに変わります。
到着予定は2018年。ミッション達成後、翌2019年地球に向けて軌道を変え、2020年に帰還する予定です。
楽しみですね。
■はやぶさ2の主な経過と予定2014年12月3日 打ち上げ→打ち上げ後は、地球に近い軌道を描いて太陽を1周し、約1年後に地球の近くに戻ってきます。
2015年12月3日 地球スイングバイ→スイングバイ後は小惑星Ryugu(以下、リュウグウ)の軌道に近い軌道に入り、太陽を約2周したあと、2018年夏頃にリュウグウに到着します。
2018年夏 小惑星リュウグウに到着~約18ヶ月滞在→リュウグウが1周あまり太陽の周りを公転するあいだ、小惑星探査を行います。
2019年 小惑星リュウグウを出発→太陽の周りを1周弱回った後、地球に帰還します。
2020年末 地球に帰還し、サンプルの入ったカプセルを地球に再突入
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もう一つは、12月7日、金星探査機「あかつき」の金星周回軌道への投入です。
「あかつき」は、5年前の2010年12月7日に金星周回軌道投入を試みましたが、主エンジンの不具合により失敗してしまい、現在は、太陽を周回する軌道を飛行しています。
そこで、軌道計算を再度検討し、今回は不具合のある主エンジンは使用せずに、姿勢制御用エンジン4基によって、打上げ当初の計画より遠金点高度の高い楕円軌道へと再チャレンジするというものです。
具体的には、金星に近づく今年12月7日、金星があかつきに追いつき、追い越された瞬間に減速制御を行い、金星周回軌道に修正させるというものです。
12月6日 日中 姿勢変更
7日04:30 臼田局可視開始
08:22 日陰通過開始(金星の影に入る)
08:51~金星周回軌道投入のため姿勢制御用エンジン噴射、データ受信と確認作業など
こちらは二度とない再チャレンジのラストチャンス。
ミッションが成功することを願います。
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釈迦牟尼仏言 明星出現時 我与大地有情 同時成道
『正法眼蔵』「発無上心」巻よりかの明星が出現した時に わたしと大地や生きとし生けるものは みな同時に成道した
『現代語訳 正法眼蔵』増谷文雄著より
12月8日の未明、明けの明星の元でお釈迦様は大悟されました。
そして、今年の12月8日は、 明け方の東の空に、月と金星(-4.2等星)が間近で輝き、さらに火星、木星も近い位置に並びます!
その金星の直ぐ側に「あかつき」が(肉眼では見えないけれども)居るのです。
感慨深いですね。
はやぶさ2特設サイト | ファン!ファン!JAXA! (JAXA)
JAXA|あかつき特設サイト - 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)
各地で深夜徘徊する「イングレス」民とは何だ? スマホ見ながら住宅街立ち入り「不審者」通報続出
米ナイアンティック・ラボ社の人気スマートフォンゲーム「Ingress(イングレス)」をめぐり、プレーヤーが深夜の住宅街を徘徊するといった「迷惑行為」が、2015年に入りネット上で相次ぎ報告されている。
イングレスは、2チームに分かれたプレーヤーがスマホを手に街を歩き、現実世界を映しだしたバーチャルマップ上の目印を奪い合う「陣取りゲーム」。ゲーム内の世界と現実空間が結びつけられた結果、日本でも警察官が出動するなどの騒動が広がっている。
イングレス民は「職質」もどんと来い? 寺院に立ち入り「不審者」扱い ゲームでは、「エンライテッド(覚醒派)」と「レジスタンス(解放派)」の2チームに分かれたプレーヤーが、運営側の設定する「ポータル」(チェックポイント)同士を線でつなぎ、チームごとに陣地を作る。両チームは、その陣地の面積を競い合う。そのためには、実際に現地を踏む必要がある。
アメリカで数年前に生まれたゲームながら、最近は日本人プレーヤーも増加。企業のキャンペーンや地方自治体の町おこしにも使われており、イベントに多くのプレーヤーが参加する。 ポータルは、寺院や名所旧跡、大きな駅など現実の歴史的・文化的施設やオブジェなどに設定される場合が多い。ポータルの40メートル以内に近づけばハック(奪取)でき、逆に相手陣営の制圧するポータルで手持ちのアイテムを使えば、奪い返せる。
そんな状況から、両陣営による一部ポータルの奪い合いが激化。以前から、様々な「迷惑行為」がネット上で報告されてきた。とりわけ多いのが、私有地や住宅地などを徘徊するプレーヤーが地元住民から不審者とみなされるケースだ。
2015年1月12日付け朝日新聞電子版は、徳島県小松島市にある寺院住職の「お参りでない人がうろうろするのは気持ち悪い」という言葉を伝えている。
また15年8月には、茨城県日立市の史跡「泉ヶ森」にいたプレーヤーが、隣接する神社の関係者から「時間を問わずフラフラして不気味な人がいると、数十件の苦情が来ている」などと注意された旨をグーグルプラスで報告している。真偽を確認できないものの、いくつかの寺院ではイングレスプレーヤーの立ち入りを禁止しているようだ。
現実と仮想世界を融合させたゲーム『Ingress』(イングレス)。欧州で発見された謎のエネルギー“XM”をめぐり、2つの陣営に分かれて陣地を奪い合うという内容で、単純なルールながらも、現実とクロスした仕組みを取り入れ、奥深い駆け引きなどが楽しく、一度はじめると、その虜になっているユーザーが多い。
(2015/11/17 JCAST ニュース)
まずは、Ingress(イングレス)って何?という方は、こちらの公式導入画面をご覧ください。
Ingressとは、かいつまんで言うと、スマートフォンを利用した利用した「世界規模で展開される仮想現実陣取りゲーム」です。
「緑」陣営と「青」陣営に分かれ、それぞれの陣地を確保し広げていきます。
スマートフォンを通して周りを見渡すと、街のあちこちに運営が設定した「浮遊する謎の謎エネルギー(XM)」が見えたりします。
↓これが貞昌院周辺の状況。
貞昌院や永谷天満宮境内からも謎のエネルギーが噴出しています。
貞昌院周辺の「Portal」の例(今日現在)
この「Portal」3点で囲まれた陣地を広げたり奪い合ったりしていきます。
↓貞昌院近辺の戦況
また、「ミッション」(=スタンプラリーのようなもの)もあり、楽しみながら散歩することもできます。
いずれにしても、スマートフォンの画面を頼りに「Portal」(XMが漏れ出すゲート)に近づき、「Portal」を補足してアイテムを収集したりするのです。
(Ingressをやっていない人には、その光景は全く見えていない)
このように、世界規模で「緑」「青」のグループに分かれ、その仮想陣地を集めて奪い合うゲームなのですが、やってみるとかなりハマるゲームです。
そのハマりっぷりについては伊集院光のチャンネルでとてもわかり易く説明されていますのでご紹介します。
ところで、この「Portal」(拠点)が設置されている場所が、歴史的な建造物や石碑、石仏、銅像などに設置されがちなため、Ingressのプレイフィールドが寺院や神社の境内に設置されることも多いわけです。
貞昌院や永谷天満宮周囲からエネルギーが噴出している理由もこのためです。
事情を知らない住職や神主、参拝者などには、何故スマートフォンを持った人がうろついているのか、そういう状況は異様に思えることでしょう。
そのようなことから冒頭の報道がなされている訳です。
バーチャル・リアリティーの問題点は、その現実感を周囲の人と共有できないことにあります。
Ingressのプレイヤーには、寺院や神社などの境内に入らないで下さい、とは申しませんが、境内は神聖な礼拝施設であることを理解いただき、そこ入る場合には、是非それぞれの参拝作法に則った行動をお願いしたいものです。
世界規模のゲームを誰もが気持よくプレイできるよう、最低限のマナーは身につけて欲しいと願います。
早いものでもう10月。
すっかり秋めいてきました。
味覚の秋、「秋さば」「寒さば」に代表される鯖(サバ)はこの時期から脂が乗ってとても美味しくなりますね。
さて、禅の修行僧も食事の際には「サバ」という用語を使います。
といっても、魚の「鯖」ではなく、「生飯」と書く「サバ」のことです。
どういうものかというと、下写真の赤い矢印の先に乗ってる七粒ほどのご飯粒のことです。
修行僧は寝る時も坐禅堂で寝ますし、坐禅も当然、坐禅堂。そして食事も僧堂飯台といって坐禅堂でいただきます。
食事の際に用いる食器が応量器(おうりょうき)です。
応量器は、幾つかの食器が入れ子になって重ねられコンパクトにまとめて持ち歩きます。
食事の際に、食事作法(じきじさほう)に則って応量器を開きます。
点心飯台の際にはこの食事作法の途中で「生飯之偈(さばのげ)」を唱えながら、ごはん粒を七粒ほどつまみ、刷(せつ)の先に載せます。
生飯之偈
汝等鬼神衆(じてんきじんしゅう)
我今施汝供(ごきんすじきゅう)
此食偏十方(すじへんじほう)
一切鬼神供(いしきじんきゅう)
----------------------------
(ざっくりとした意訳)
一切の萬霊たちへ
いま、皆に施しをする
この施しはあらゆる方角に偏り
一切の萬霊たちに、みな等しく行き渡らせる
そして、生飯の施しをした後、初めて食事を頂きます。
このような食事作法は、修行道場において何百年にも亘り、変わること無く続けられている厳格な作法です。
合理的な機能をもつ応量器、合理的な作法に基づく食事作法は「禅の思想」の根本ともいえるものです。
坐禅堂の坐禅をする場所を「単(たん)」といい、その前縁の板の部分を「牀縁(じょうえん)」と呼びます。
この牀縁は、食事の際に応量器を開く場所ですので、坐禅の際には手や足を付くことは絶対にしません。
ましてやこの部分に腰かけるというようなことは厳禁です。
食事の後、浄巾で拭いて清め、食事は終了します。
食事の前に集められた生飯はどこへ行くかというと・・・
このように坐禅堂の前で供養されるのです。
修行道場の坐禅堂は僧堂とも呼ばれ、その内部は一般には人の目に触れることのない非公開の神聖な場所です。
けれども、人の目に触れることのない場所においてもきちんとした作法が厳密に整えられ、受け継がれてきたのです。
まもなくアジア・太平洋戦争から70年を迎えます。
この区切りの年に、日本をはじめ各国で戦後を総括する動きも出ています。
争いのない世界、平和な世界は誰しもが望むところであります。
そのためには、周辺諸国との友好が真のものとなる必要がありましょう。
日本と境界(領海あるいは接続水域、排他的経済水域を含む)を共にする国は、主に3カ国あります。
「ロシア」「大韓民国」「中華人民共和国」です。
現在、日本の領土と領海、接続水域、排他的経済水域は上記の通りです。
(日本政府のサイトより引用)
しかし、残念なことに、「ロシア」「大韓民国」「中華人民共和国」はこの境界を認めておらず、次のような線を一方的に引いています。
その部分を加筆してみました。(青の①②③の部分)
①については、北方四島が戦後ソ連軍により不法に占拠され現在に至っています。
最新のニュースでは、ロシアのメドベージェフ首相が、今月23日の閣議で、北方領土を含む千島列島を視察する意向があることを明らかにしています。
ロシアとしては北方領土とその周辺海域においてはロシア固有の領土・領海として一歩も譲らない考えです。
②については、昭和27(1952)年)1月18日、韓国初代大統領となった李承晩が一方的に宣言した海洋主権宣言に基づき設定した「李承晩ライン」です。
これにより竹島および竹島周辺海域は韓国により不法占拠され現在に至っています。
③は、中華人民共和国が現在考える中国の排他的経済水域です。これだけの海域を主張しているわけですから、、東シナ海で展開している中国のガス田開発(日中中間線)などは全く問題ないという主張です。
尖閣諸島もこのエリアに入っていますので、いずれ③の部分に中国が何かの施設を造ろうとも、問題はないという立場を取っています。
このように、残念ながら隣国及び地域(ロシア、韓国、中国、台湾など)と、日本の間で領土問題の解決を見ない箇所がたくさんあります。
これらの問題に加えて、領土問題のみならず、歴史認識問題、日本海の漁業権の問題と、様々な問題が複雑に絡んでいます。
少なくとも「ロシア」「大韓民国」「中華人民共和国」がそれぞれ日本と異なる主張を勝手にしている状況では、真の友好は望むべくも無いでしょう。
これまで、この問題は敢えて触れられず、問題を先延ばしにしてきた観があります。
必ずしも問題に触れずに先延ばしすることが良い結果をもたらさないと思います。
たとえ一時的に険悪なムードになったとしても、ひるまずに徹底的に論議していって欲しいものです。
もしも双方の話し合いがままならないのであれば、 第三国を入れて、双方の主張を出し合った上で、公平な立場で領有権を明確にしていく必要があるでしょう。
不戦・平和を唱える全ての方々は、まずは、この問題をどのように考え、どのように解決するべきか、その考えを示してみては如何でしょうか。
この問題が解決されれば日本周辺の平和に大きく前進することとなるからです。
逆に言えば領土・領海問題の解決が為されない限り、真の平和は実現されたことにはなりません。
日韓双方の良好な関係が永続的に続き、お互いに良い関係でいられる時がくるよう心から願っています。
何かをしたい人、10000人。
それを始める人、100人。
それを続ける人、1人。
このようなことばがFacebookで多くシェアされて拡散されています。
これは、ドレンドクリエーターの中谷彰宏さんのことばですが、共感する方がそれだけ多いということでしょう。
何かやりたいことがある、あるいは目標にしていることがある。
それに向けてやらなければならないことは思いつくのだけれど、それを実際に始めるのはわずか1%程度しかなく、さらにそれを継続している人は、その始めた人のさらに1%程だという例えです。
このことば、物理学で習う摩擦の法則にも通じるものがあります。
地面に置かれている物体を動かそうとします。
それを動かそうと、横を押すとなかなか動き出さない。
けれども、押し続けてある程度力を加えると、やがて動き出す。一度動き出せば小さな力で動かせるというものです。
この摩擦力には「静止摩擦力」と「動摩擦力」の2種類があり、物体が止まった状態から動き出すまでにかかる力が「静止摩擦力」、動きだしたあとにかかる力が「動摩擦力」となります。
「静止摩擦係数」>「動摩擦係数」
「静止摩擦力」>「動摩擦力」
動かすために必要な力(=「摩擦力」)は、「摩擦係数」×「垂直抗力(N)」となりますので、摩擦係数や垂直抗力(つまり荷重)に比例します。
ここで話を戻すと、何かをやろうとして、それを始めようと動き出すためには「静止摩擦力」を越える力が必要ですが、静止摩擦係数は比較的大きいのでなかなか一歩を踏み出せない。
一旦一歩を踏み出して進み始めると比較的小さな力でも動かすことができる。
しかし、その力をかけることを怠ると、たちまち物体は速度を落とし止まってしまう。
止まってしまった状態から、また動かし始めるためには大きな力が必要となる。
ということになります。
さまざまな障害や結果を恐れて一歩を踏み出すことはとても大きなエネルギーが必要です。
さらに、それを継続させるにはそれなりのエネルギーが必要。
でも、一旦動き出せばさまざまな繋がりが広がっていき、それを実行するためにノウハウも蓄積されていきます。
物理学でいうところの「摩擦力」を如何に少なくすることができるか、それが重要なことだと思います。
何事にも障壁はつきものです、大切なことは、その障壁を無くすのではなく、どの程度どのような障壁があるのかを適切に判断し、それをうまくコントロールしながら(障壁とうまく付き合いながら)実行を進めていくことなのだと感じます。
物理学で例えましたので、もう一つ「時間非整合」という経済学の理論でも例えてみます。
「時間非整合」とは、時間が経過することで、ものの見方や考え方などの価値観が変わってしまうことを意味します。
「あとでやろう」という考えが定着すると、時間の経過とともに煩わしさやネガティブな面が意識され、時間のデッドラインが迫るに従って、諦めるということが起こりやすいという理論です。
林先生の「今でしょ!」はまさに「時間非整合」に則ったことばでした。
Leap, and the net will appear………
まずは一歩を踏みだしてみよう。後は何とかなるから。
貞昌院を会場としたコスプレイベント、今年6・7月に3回連続で開催されます(そのうち1つは開催済み)。
さわやかな新緑の季節での開催です。
申込みも多く、開催ごとにすぐ満員になります。
讃歌希望者はお早めに。
ジャンルは最近は「刀剣乱舞」「東方」系が主流とのことです。
これまで貞昌院を会場として撮影されたコスプレ写真が公開されています。
コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット、同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等で見かけられる。 コスプレを行う人をコスプレイヤー (cosplayer) と呼ぶ。コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語だが、世界中で通用する単語であり、英語表記のcosplayは、イギリスの辞書に載っている英単語である。近年は意味が拡大し、特定の職業で採用されている制服や特定の着衣を好む者が、その衣装を真似て作った服もしくは本物を着て、自らの意志でそのキャラクターになりきることもコスプレと呼ぶことがある。しかし、狭義のコスプレに限るべしとの意見もある。
(ウィキペディア「コスプレ」項)
以前にもブログ記事で書きましたが、近年のコスプレブームによるコスプレイヤー人口の拡大に伴い、風紀上の問題なども生じています。
そのため、会場や主催者によっては極端に肌を露出する衣装や女装を禁止したり、モデルガン、模造刀、鋭利な装飾や棒をはじめとする全長の長い物などの使用を禁止するルールづくりがなされたりしています。
日本のコスチューム文化の啓蒙や健全な発展を目的とした非営利法人「日本コスチューム協会」が設立され、定期的なイベントやコンテストの開催、SNSサイトなどを通じてのコスプレイヤーやコスプレファンの情報交換の場の提供、コスチューム製品の品質維持・消費者保護体制の確立・市場統計調査、PR活動・認知活動などが行われることが計画されています。
いずれにせよ、きちんとしたルールに則るものであれば、健全な趣味としての位置づけが確立されると思います。
貞昌院でも、そのような面を応援してきたいと考えています。
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日本が世界に誇る禅の文化
FOODEX JAPAN特設ステージ
『ニコニコ超会議2015』(主催運営・ドワンゴ、ニワンゴ)が4月25・26日、幕張メッセを会場として開催されました。
それにしても超巨大イベントと称されるだけあって、幕張メッセ全館貸切、会場総来場者数の速報値は15万1115人(昨年実績は12万4966人)、会場からの公式生放送を視聴したネット総来場者数は794万495人(昨年実績は786万4158人)になっています。
今年は、その一角に参加させていただき、その雰囲気を味わってきました。
趣味の幅は空のごとく広く海のごとく深い。
また、そこに向かう情熱と技術の無駄遣いは日本ならではの得意分野ですね。
おなじみとなったプロレスや相撲も規模がさらに拡大しています。
最近、「終活」という言葉をよく耳にするようになりました。
終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。
主な事柄としては生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくことが挙げられる。
(ウィキペディア「終活」項)
けれども、終活とは、決して最近になって始まったものではないのです。
例えば、2月15日はお釈迦さま入滅の日とされ、三仏忌の一つ、涅槃会が行われます。
涅槃会では、お釈迦様の入滅の様子を描いた「涅槃図」を掲げたりしますので、眼にする機会もあろうかと思います。
仏涅槃図(部分、高野山金剛峯寺所蔵、平安後期)
いよいよお釈迦さま入滅の日、周りには弟子や信者、動物たちが集まっています。
そこで、お釈迦さまは最後の教えを説かれます。
そのお釈迦様入滅の最後の説法が『仏垂般涅槃略説教誡教』(遺教経)として纏められています。
その前半には、まさに仏となるべき衆生は、「八大人覚」を修行し、無上菩提を得て、それを他の衆生のために説くべきであると示されました。
残された弟子、信者たちが、今後このように生きて行きなさいという、指針を示されたのです。
八大人覚は次のようなものです。
(1)少欲
多欲と少欲とを対比して、「多欲の人は利益を求むることに集中するから苦悩が多い。少欲の人は無求無欲であるから心に憂いがない・・・・・」と説かれています。
そして、「心が坦然として、心配事や畏(おそ)れるれることがないから、さまざまな功徳を生ずる・・・と続いています。
人間は贅沢な生き物です。欲望には際限がありません。欲しいものが手に入っても、また次のものが欲しくなります。美味しいものを食べても、もっと美味しいものを食べたくなります。
会社や商売において、利益追求が第一だ、という人もいますが、本当にそうでしょうか。
少欲が実践されますと、お互いの信頼関係が高まり、あたたかい敬愛の情が生じていきます。その功徳は計りしれないものであると考えます。(2)知足
これは、まさに少欲と密接な関係があります。足ることを知る者には、自らを律する強い意志が現れています。
「不知足の者は富めりといえどもしかも貧し、知足の者は貧しといえどもしかも富めり」
「知足の法はこれ富楽安穏の処なり」
足ることを知るということは、欲望という煩悩から解き放たれて、実に安らかで穏やかな、そして豊かな心持ちでいることができるのです。(3)遠離
今の時代は、情報の洪水に巻き込まれ、毎日が慌しく過ぎていきます。取り巻く環境も目まぐるしく変動していきます。
このような中で過ごしていると、視覚や聴覚などの五感でさえも麻痺してしまう。このような時代だからこそ、静かなところに坐して、喧騒から離れることが必要なのでしょう。
「衆をねがう者は、すなわち衆悩を受く。例えば大樹の衆鳥これに集まれば則ち枯折の憂いあるがごとし。世間は縛若して衆苦に没す。例えば老象の泥に溺(おぼ)れて自ら出ずること能(あた)わざるがごとし。」
・・・先日、良寛さんの戒語を紹介しましたが、その中に「推し量りのことを真実になして言う」というのがありました。世の中には不確かな情報が溢れています。一人一人の憶測が世の中の喧騒を作り出しているのです。この喧騒に溺れることがないように心がけたいものです。
(4)精進
一滴一滴の雨だれであっても、年月を重ねて石に穴を穿っていきます。
これは、実に大事な生活の態度です。
道のりが果てしなく遠いように見えても、一歩一歩足を進めることにより、確実に目標に近づいていくのです。(5)不妄念
「常にまさに念を摂(おさ)めて心(むね)におくべし、もし念を失するものは、諸(もろもろ)の功徳を失す」というように、真実を見極め、光明を見失わない者には、例え五欲(財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲)の雲が襲ってきても、毅然としてこれに左右されないのです。(6)定
これは正定とか禅定、または止観三昧などと同義です。特に禅宗の根底に培われる教えであって、「定を得る者は、心即ち散ぜず」ということは、心の奥から叡知の光がさんさんと輝いているようなイメージです。
身や心を清浄にして、呼吸を整え、静処に端坐し、我執我慾の念制すること、これが定です。(7)智慧
知恵ではなく、智慧です。これは聞思修の慧ということで、正しい仏法を聞いて、これを思惟し、これを体得した智慧の意で、「無明黒暗の大明灯なり、一切病者の良薬なり、煩悩の樹を伐る利斧(りふ)なり」と例えられています。
分かりやすく言うと、證(さとり)とも言うべきものでしょう。(8)不戯論
「乱心、戯論を捨離すべし」というように、無意味な論議に大切な時間を空費してはならないということです。
このような指針を明確に示したということは、「終活」で言うところの「残された者が自身(お釈迦さま)の財産(尊い教え)の相続を円滑に進められるための計画を立てる」という一つの事例といえると思います。
事実、お釈迦さまの教えは弟子たち、信者たちに守られ、受け継がれて現在まで伝わっています。
自らの死期を悟り、その際に行なうべきことをきちんと行なわれたお釈迦さまの教えは現代に通じるものがあるのです。
涅槃の日を迎えるにあたって、改めてお釈迦さまのご遺徳に想いを馳せるのもよいでしょう。
遺教経は次のように結ばれます。
爾の時、阿珸樓駄、衆の心を観察して佛に曰して言く。但だ是の念を作す。世尊の滅度、一に何ぞ疾かなる哉と。
汝等比丘、憂悩を懐くこと勿れ。若し我、世に一劫住すとも、会うものは亦た当に滅すべし。会って而も離れざること、終に得べからず。自利利人の法、皆具足す。若し我久住すとも更に所益無けん。応に度すべき者は、若しは天上、人間皆悉く已に度す。其の未だ度せざる者には皆、亦た已に得度の因縁を作す。自今巳後、我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、則ち是れ如来の法身常に在して而も不滅なり。是の故に当に知るべし。世、皆無常にして会えば必ず離有ることを。憂を懐くこと勿れ。世相是の如し。当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明かりを以て諸の癡闇を滅すべし。
汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね。復た語を得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す。我、滅度せんと欲す。是れ我が最後の教議する所なり。
◇市は調査でもろさ指摘
JR北鎌倉駅(鎌倉市山ノ内)の脇にある素掘りトンネルを山ごと切り崩し、道路を拡幅する計画を市が進めている。樹木の生い茂るたたずまいは「緑の洞門」「北鎌倉のランドマーク」などと称され、観光ガイドにも載る奇観だ。市は崩落の危険性を強調する一方で四半世紀にわたり抜本的な安全対策を取らず、工事計画に関しても十分に周知しなかった。住民からは「景観と安全が両立する方法を探るべきだ」との声が上がっている。
◇トンネルは長さ約7メートル、高さ2メートル、幅2・5メートル。80年以上前に岩を掘り抜いて造られ、現在は市のほかJRや寺院、住民など複数の地権者がいる。「開削」計画が浮上したのは、昨年8月に周辺12町内会と市が開いた「安全対策協議会」。トンネルを含む岩盤を完全に崩し、高さ10メートルの擁壁で固めた上、道路を4メートルに拡幅する案だ。費用は数千万円規模という。
市道路課は「27年前に坑口の一部が崩れ、10年前にも調査業者から地質のもろさを指摘された」と理由を挙げる。一方で市は、樹木の伐採以外に対策は行わなかった。同課は「近年まで国有地だったため手を出せなかった」と説明する。
こうした中で、市と町内会長との間だけで決められ、最近になって示された「開削」の方針に、トンネルの情景に親しんできた住民は不信感を募らせる。
北鎌倉の風情を愛し、数年前に都内から移り住んだドイツ人のミヒャエル・ミュラーさんは「横須賀線の車窓から洞門が見えると『鎌倉に来た』という気分が高まる」と、ささやかな洞門の存在感を語る。
約70人の住民らでつくる「北鎌倉史跡研究会」は「風情が一変する」との危機感から、昨年12月2日までに保存を求める3372人分の署名を集め、今も1万人を目指して活動中。出口茂代表は「安全対策はもちろん必要だが、簡単に壊すのでなく、景観を守りながら補強するよう知恵を絞るべきだ」と話す。
専門家も再考を求める。日本考古学協会の埋蔵文化財保護対策委員会は1月下旬、市などに保存要望書を提出した。トンネルを含む岩場は「平安時代後期以来、鎌倉の北の境界とされ、中世の景観を今に伝える歴史的遺産」と解説。世界遺産登録を目指す市の「資産」と位置づけた。
同協会の馬淵和雄理事は「長い間に形成された景観を目先の判断で壊せば、町の歴史性が失われ、味気なくなる」と話している。
(神奈川新聞 2015/02/07)
貴重な史跡が消失の危機に瀕しているという残念なニュースです。
数年前(2012年)には、釈迦堂切通しが大規模な落盤を起こし、以後通行止めとなっています。
また、鎌倉各所に点在する「やぐら」も崩壊によりかつての姿を失いつつあります。
※やぐらとは、石壁をくりぬいて造られたお墓です。やぐらの中には羨道、供養壇などが設けられています。
鎌倉の岩盤は堅固なものではなく、砂岩や凝灰岩で出来ています。
例えば、かつて採掘されてた「鎌倉石」は、黄褐-褐-青灰色の凝灰質粗粒砂岩や、軽石に富む凝灰質砂岩から成っており、加工が容易で耐火力がある反面、柔らかく耐候性が弱いものです。
よって、根を張る樹木が生い茂ると、岩はたちまち風化が加速していってしまいます。
寺院の集まりでの話題に良く登ることが、かつての鎌倉では、根を張る樹木を生い茂らすことは無かったということです。
鎌倉を形成する地盤の特徴を良く理解していたということでしょう。
しかし、近代では植林が進められ、また、自然保護=樹木が生い茂ること=自然を残しているという間違った概念が定着してしまいました。
さらに、樹木を管理、伐採することが行なわれないことから、鎌倉の山々は鬱蒼とした樹木が生い茂る状況となっています。
このようなことは、かつてはありえなかったのです。
樹木が生い茂ることにより、木の根に依る岩盤の侵食が急速に進み、冒頭のような崩落がたびたび起こるようになってしまいました。
貴重な文化財を含め、鎌倉一帯のかつての姿を取り戻すために、
(1)特に切通しややぐらのある場所には高木となる樹木を植えない。生えていれば伐採する。
(2)山の管理を徹底する
(3)崩落が進む切通しややぐらについては、進行してしまっている崩落を食い止める意味で地盤改良剤を施す。
などが必要な対策でしょう。
北鎌倉の素掘りトンネルの事例のように、安易に切り崩してしまうのはもってのほか。単なる文化財の破壊です。
また、釈迦堂切通しで現在行なわれている通行止めも、樹木の生い茂る状況を進行させるだけの愚策と考えます。
どちらも上部の樹木を整理し、地盤改良剤などで保存する対策を早急に行うことを望みます。
年末年始にかけて新聞紙上ではさまざまな分野のコラムが掲出されます。
そういうコラムを読むことが楽しみの一つとなっておりますが、その中で、仏教関連業界紙「仏教タイムス」紙に掲載されていたコラムをご紹介します。
「仏教タイムス」平成27年(2015年)1月1日号の特集「戦後70年 オピニオン」です。
そこに、ネット界では知らない人は居ないというほど有名なリア住、「蝉丸P」師のコラム「仏教とポップカルチャー ~"やっつけ仕事ほどよく伸びる"傾向」が掲載されていました。
全文は「仏教タイムス」紙を購読いただくとして、まずはその一部を。
<前略>
これらの仏教を取り巻くボップあるいはサブカルチャー的なモノが果たして仏教の周知や布教などにどのような役割を果たすか、宗門や僧侶はどのように活用すべきかというお題を頂いておりますが、このような問いに関していえることは、話のフックとしては活用できるが、それ以上のモノにはなりえないというのが個人的な回答でして、普段あちこち徘徊しているインターネットでの活動経験から申しますと「真剣に取り組んだり予算をかけたモノほど失敗・炎上し、やっつけ仕事や隙のあるモノほどよく伸びる」というのがあります。
在家から僧侶になった人や、向学心の強い僧侶が住職になった時によく見られる傾向でもありますが、肩に力が入ればはいるほど聴衆は寄りつかないものでして、法話やお便りなどに力を注いでも檀家さんの反応は芳しくない、それでは!とネット上に自坊のホームページを作ってみても掲示板には論戦をいどんでくるモノや、時間をかけて質問に付き合っても礼の一つもなく罵倒や炎上騒ぎ、果ては「貴方のような人が僧侶とは」といった謎の上から目線の嵐で、ネット上で力尽きる若手や中堅住職を多数見かけます。
<中略>(「仏教タイムス」2015/1/1 「仏教とポップカルチャー ~"やっつけ仕事ほどよく伸びる"傾向」(蝉丸P)より引用)
まったく同感です。
準備万端、予算もたっぷり掛けて大々的に作り上げたコンテンツが必ずしも成功していないという現実があります。
記念行事や大会などの事業もそうですし、布教活動の一つ一つもそのような事例は数え切れないほどあります。
送り手側と受け取り側が咬み合わないということも多々あるのでしょう。
インターネットのホームページやブログなども、最初はとても気合の入った記事が並んでいるサイトでも、だんだんとフェードアウトしていってしまう事例も多くあります。
せっかく始めたことが一時限りで終わってしまうというのはとても残念なことです。
肩肘を張らず、身の丈を越えて負担のかかるようなことは避け、いかに持続性を持たせることができるか、受け手の目線で発信できるかが鍵となりましょう。
特に、発信側が楽しんで行なうことができるか否かは重要なことです。
発信側が楽しまなければ、受けても楽しくはないでしょう。
蝉丸P師のネット法話を例に取れば、それがネット民に支持されるという理由は、仏教の概念を自身がきちんと咀嚼した上で、それをニコニコ動画のスラングやアイドルマスターなどの用語に臨機応変に的確に置き換えることができていることが理由でしょう。さらにそれを自分のチャンネルで発信できるということは、本当に凄いことだと思います。
「肩に力が入ればはいるほど聴衆は寄りつかない」というのは正にそうだと思います。やっつけ仕事といえば聞こえは悪いですが、発信側が楽しんで行なっていることは、受け手側も心地よく受け容れることができる傾向にあるようです。
<前略>
アニメやゲームなどの媒体は「仏教」そのものではなく、仏像や諸尊をキャラクターとして用いるゲームは多々ありますが、東洋風を演出するためのアイテムとして以上の意味は持たせないというのが漫画以外のメディアに見られる傾向で、TV番組に至っては特に顕著で、テレ朝系列の「ぶっちゃけ寺」のように撮影時に真面目な話をしても、そのへんは全て編集でカットされ雑談部分や、感情的なやりとり、暴露などに重きがおかれ、総じて僧侶を笑いものにするような構成になっており、ポスト「瀬戸内寂聴」や「織田無道」的なポジションの僧侶を芸能事務所が欲しているような話も聞きますが、総じて規模の大きなメディアになるに従って宗教色を削いだ内容になっていきます。
<中略>
(「仏教タイムス」2015/1/1 「仏教とポップカルチャー ~"やっつけ仕事ほどよく伸びる"傾向」(蝉丸P)より引用)
最近、テレビ番組に僧侶が出る番組も増えてきました。
お坊さんバラエティー「ぶっちゃけ寺」は、近日ゴールデンタイムで3時間スペシャルを放映するようです。
しかし、指摘されているように、「撮影時に真面目な話をしても、そのへんは全て編集でカットされ雑談部分や、感情的なやりとり、暴露などに重きがおかれ、総じて僧侶を笑いものにするような構成になっており」という部分は、視聴者側はとくに心しておく必要がありましょう。
民法テレビはスポンサーがあり、視聴率の取れる番組構成が求められます。
これにより、仏教の本質が損なわれ、バラエティー的な要素のみが強調されるということは、決して好ましいことでは無いと考えます。
ここに紹介しなかったコラムもとても読み応えがありました。
「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針(EXPLORATIONSOFEVERYDAYCHEMICALCOMPOUNDS)をご紹介します。(日本語訳:うさうさメモ様)
「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針
1.扇情的な見出し 記事の見出しは往々にして、読者に「クリックしたい」「読みたい」と思わせるように作られています。研究結果が単純化されすぎているのはまだマシな方で、ひどい場合には、内容が誇張されていたり、歪められていたりします。 | 7.代表的でないサンプル ヒトを対象とした試験において、研究者は、母集団を代表するような個人を抽出するように努めています。もしサンプルが母集団全体と異なるものであれば、試験の結論もたぶん異なってしまうでしょう。 |
2.結果の曲解 意図的かどうかはともかく、ニュース記事では、「よくできた話」にするために、研究結果をねじ曲げたり、曲解したりしていることがあります。記事を鵜呑みにせず、できれば、研究内容の原典を読んでみましょう。 | 8.対照群がない 臨床試験においては、試験の対象となる物質を投与した「実験群」と、投与しない「対照群」の結果を比較しなければなりません。また、実験群と対照群は、無作為に割り付けなければなりません。一般的な実験では、変数をすべて統制したものを対照実験とします。 |
3.利益相反 多くの企業が、研究や論文発表のために科学者を雇っています。そういった研究が必ずしも無効であるとはいえませんが、そのことを念頭において解釈する必要があります。また、個人的または金銭的な利益のために、研究内容が偽って伝えられることもあります。 | 9.盲検試験が行われていない バイアスを排除するために、自分が実験群なのか対照群なのかを被験者に知らせてはいけません。二重盲検試験では、研究者でさえも、試験終了までは、どの被験者がどちらの群かを知りません。(注意)盲検試験が必ずしも実現可能、あるいは倫理的でないことがあります。 |
4.相関関係と因果関係の混同 相関関係と因果関係を混同しないように注意しましょう。「二つの変数が相関関係ある」ことは、必ずしも「一方が他方の原因である」ことを示しません。地球温暖化は1800年代から進行しており、同時に海賊の数も減少していますが、海賊不足は地球温暖化の原因ではありません。 | 10.結果のいいとこ取り データの中から、結論を支持するようなものを採用し、そうでないものを無視するやりかたです。すべての結果ではなく、選択した結果から結論を導いている研究論文は、「いいとこ取り」をしているかもしれません。 |
5.推測表現 研究結果からの推測は、まさに、単なる推測でしかありません。「だろう」「かもしれない」「可能性がある」等の言葉には警戒しましょう。このような表現が用いられている場合、その結論の確かな証拠が研究によって得られているとは考えにくいからです。 | 11.結果に再現性がない 結果は独立した研究によって再現されなければなりません。また、一般性を保証するためには、(可能な範囲で)さまざまな条件で確認されなければなりません。途方もない主張には、それ相応の証拠が求められます-つまり、1つの研究だけでは、まったく不十分です! |
6.小さすぎるサンプルサイズ 試験では、サンプルサイズが小さくなるほど、得られる結果の信頼性が低くなります。サンプルサイズが小さくなるのを避けられない場合もありますが、そこから導き出された結論については、上記のことを念頭に置いて検討するべきです。サンプルサイズを大きくすることが可能なのにそれを避けている場合には、疑念を抱く理由になるかもしれません。 | 12.ジャーナルと引用数 主要なジャーナル(専門誌)に発表された研究は、査読の過程を経たものですが、それでもまだ不備がある可能性はありますから、このガイドラインに書かれている注意点を念頭に置いて評価しなければなりません。同様に、その研究の引用数が多いからといって、必ずしも高く評価されているとは言えないこともあります。 |
これは、決して「ダメな科学」(badscience)を包括的に概観するものではありませんし、リストのうちの一つに該当するからと言って、その研究は無視すべきものと言えるわけでもありませんが、記事を読んだり、研究を評価する際に注意を払うべき大まかな指針となります。
今年は、年明けから科学の分野でも大きなニュースが続きました。
また、マスメディアの報道においても、一見科学的に見えているが、良く検証してみると決して科学的知見に基づいていないものも多くあります。
ある報道に対する限定されたコメンテーターのコメントや街頭インタビューなどもこれに含まれます。
雑多な情報の洪水に流されず、正しいものの見方「正見」を身に付けること、それが大切なことです。
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今年夏より、IT業界で購読されている新聞に記事を連載させていただいています。
連続10回のうち、今年は6回分の掲載をいただきました。
読者はインターネット、コンピュータ、通信関連の関係者がほとんどということで、当該の連載記事もIT企業の社長さんや行政機関の責任者、研究者などが多いのですが、袈裟を掛けた写真付きで連載させていただています。
お寺とIT業界は、一見無関係、あるいは相反するようなイメージが有りますが、決してそうではないということから話を進めています。
最新の記事では正法眼蔵を引用させていただきました。
来年の連載ではさらに具体例を提示していこうと考えています。
このような機会を与えていただくことはありがたいことです。
コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット、同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等で見かけられる。 コスプレを行う人をコスプレイヤー (cosplayer) と呼ぶ。コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語だが、世界中で通用する単語であり、英語表記のcosplayは、イギリスの辞書に載っている英単語である。近年は意味が拡大し、特定の職業で採用されている制服や特定の着衣を好む者が、その衣装を真似て作った服もしくは本物を着て、自らの意志でそのキャラクターになりきることもコスプレと呼ぶことがある。しかし、狭義のコスプレに限るべしとの意見もある。
(ウィキペディア「コスプレ」項)
しかし、近年のコスプレブームによるコスプレイヤー人口の拡大に伴い、風紀上の問題なども生じています。
そのため、会場や主催者によっては極端に肌を露出する衣装や女装を禁止したり、モデルガン、模造刀、鋭利な装飾や棒をはじめとする全長の長い物などの使用を禁止するルールづくりがなされたりしています。
日本のコスチューム文化の啓蒙や健全な発展を目的とした非営利法人「日本コスチューム協会」が設立され、定期的なイベントやコンテストの開催、SNSサイトなどを通じてのコスプレイヤーやコスプレファンの情報交換の場の提供、コスチューム製品の品質維持・消費者保護体制の確立・市場統計調査、PR活動・認知活動などが行われることが計画されています。
これまで貞昌院を会場として撮影されたコスプレ写真が公開されていました。
■関連ブログ記事
コスプレイベント@貞昌院
コスプレイベント@貞昌院の感想
8月盆の時節を迎えました。
新盆をお迎えの方を中心に棚経で回らせて頂いておりますので、よろしくお願い致します。
さて、2005年のブログ記事 まごころに生きる で、2006年の梅花流全国奉詠大会(北海道大会)に合わせて発表された新曲「まごころに生きる」について書きました。
当時、宗務庁に勤務しておりましたので、幸運にも宗務庁に来庁された南こうせつ氏の新曲完成披露に立ち会うことができました。
(写真は「まごころに生きる」新曲披露の南こうせつ氏 2006年12月)
曲名の「まごころに生きる」は「平成16年度布教教化に関する管長告諭・布教方針」に示されたテーマです。
管長告諭・布教方針をコンセプトにした御詠歌の新曲が「まごころに生きる」です。
南こうせつ氏は、大分県の曹洞宗寺院で生まれ育ちました。
その機縁もあり、曹洞宗の基本的な教えである<無常><同事><利行>をわかりやすい歌詞と親しみやすい楽曲で表しています。
「まごころに生きる」 作詞・作曲 南こうせつ
1.<無常>
そよ吹く風に小鳥啼き 川の流れもささやくよ
季節の花はうつりゆき 愛しい人は今いずこ
ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
生きてる今を 愛して行こう2.<同事>
広がる海ははてしなく 全ての命はぐくむよ
人の心もおおらかに 互いを敬い信じ合おう
ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
生きてる今を 愛して行こう3.<利行>
幼い頃にいだかれた 温もり今も忘れない
この世でうけた幸せを そっとあなたにささげましょう
ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
生きてる今を 愛して行こう
詠讃歌は拍速40-50程度のゆったりした曲がほとんどですが「まごころに生きる」は拍速70位、実際は80程度で歌われます。
詠讃歌としては「速い」曲ですね。楽譜には「明るくおおらかに」という指定があります。
とても良い曲なのですが、一般の方には聴く機会があまり無いと思いますので、初音ミクver.を作成してみました。
お盆のこの時期に、歌詞に込められた意味と合わせて「まごころに生きる」を味わってみては如何でしょうか。
梅花(梅花流詠讃歌=御詠歌)は、昭和27年、道元禅師700回大遠忌に創立され、以後、日本全国はもとより、海外でもその根が広がっています。
小学校低学年を中心にブームとなっている「妖怪ウォッチ」が、今月2日発売された「妖怪ウォッチ零式」でピークに達している感じがあります。
Youtube 【妖怪ウォッチ】ようかい体操第一 LEVEL5ch
ブームを牽引する原動力となっているのは、ゲーム・テレビアニメ・関連グッズを積極的に展開し、購買意欲を刺激する企業側の仕掛けがあることはもちろんですが、それにしてもこの異様なほどの熱気は何なんでしょうか。
妖怪ウォッチは、一昨年12月の漫画雑誌連載からスタートしました。
2012年12月15日 「妖怪ウォッチ」がコロコロコミックで連載
2013年07月11日 ニンテンドー3DS「妖怪ウォッチ」発売
2013年12月 「妖怪メダル」発売
2014年1月11日 「DX妖怪ウォッチ」発売
2014年1月30日 キッズカードゲームが人気に
2014年春 「妖怪メダル」が品薄に
2014年5月2日 「妖怪ウォッチカード」が爆発的人気
2014年7月10日 ニンテンドー3DS「妖怪ウォッチ2」(元祖)(本家)発売
2014年8月2日 「妖怪ウォッチ零式」発売、徹夜で並ぶ光景が全国で見られる
そして、年末には映画『妖怪ウォッチ』が公開されるので、少なくとも今年いっぱいはこのようなブームが続くのでしょう。
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このような空前のブームとなっている今年、改めて昨年ブログ記事に書いた ハロウィンと百鬼夜行 を「妖怪ウォッチ」バージョンで行なうことを提案します。
ハロウィンといえば、10月末に行なわれるハロウィンのイベントが、ここ数年、急速に盛り上がりを見せています。
そこに登場するのは西洋の「魔女」や「お化け」です。
日本には日本の伝統的な「妖怪」たちがいるわけですし、深夜の街を徘徊する鬼や妖怪の群れや、妖怪たちの行進「百鬼夜行」があります。
「百鬼夜行」は、古くは『宇治拾遺物語』における修行僧が摂津の竜泉寺で出遭った100もの鬼の集団や、『今昔物語集』での右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中遭遇した100人ほどの鬼の集団、『大鏡』の藤原師輔が遭遇したものなどなど。
1000年以上前から根付いている文化です。
今年のハロウィンでは西洋の「魔女」や「お化け」の代わりに日本の妖怪に扮してみては如何でしょうか。
近隣、子ども会、町内会で使える「妖怪ウオッチ」のハロウィン版ルールを作り(ここに制作企画側の企業や商店街などが協力)、百鬼夜行を盛り上げるというものです。
(※ただし、綿密に企画・計画する必要があります。そうでないと単発イベントに終わってしまいます)
なお、京都では、10月末の・・・ハロウィンと同じ時期に「百鬼夜行」を模したお祭りが行なわれています。
日本版ハロウィンと言ってもよいでしょう。
完成度も高いです。
Youtube 2013大将軍商店街 京都一条妖怪ストリート 一条百鬼夜行
妖怪文化の背景には古くから培われて受継がれてきた深遠な日本の歴史や文化が含有されています。
そして、やはり妖怪たちは日本人の琴線に触れるものがあります。
「妖怪ウォッチ」のブームの要因にも少なからずこういう部分が含まれているのではないでしょうか。
日本には、やはり日本の妖怪が似合います。
ガンバレ!日本の妖怪たち!!
■関連ブログ記事
蛇行・点呼・ポケモンパルシティー(2007年の記事)
ハロウィンと百鬼夜行(2013年の記事)
貞昌院のホームページは平成8(1996)年4月1日に正式公開してから18年余りが経過しました。
平成17(2005)年にブログをコンテンツに加え、ホームページ・ブログ併用型で運用を行なっています。
お陰様で、多くの方にご訪問いただき、縁も広がりました。
ご縁をいただきました多くの方々に感謝申し上げます。
ホームページには、出版物には無い特徴として、リアルタイムにレスポンスが計測できるという特徴があります。
そのうちの一つが、訪問者数などの統計結果です。
どの程度の方々がホームページを閲覧しているのか、どのような検索キーワードで訪問したのか、どの記事が読まれているのかなどなど、様々なことが分かります。
(ごく一般的な訪問者に関する統計であり、どのサイトでも行なわれているものです)
直近の事例として、貞昌院ホームページ(今年7月1日~7月31日までの1ヶ月分)の統計結果をご紹介いたします。
表:貞昌院 teishoin.net サイトの統計情報 2014年7月分 | ||
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月の統計 July 2014 | ||
全ヒット数 | 2846290 | |
全ファイル数 | 2636238 | |
合計 Pages | 1262014 | |
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1日あたりの訪問者数(ユニーク訪問者数)は、平均で 1万2千弱/day、最も多い日(7月18日)には 15万/day の訪問者数がありました。
平月は 4000/day 程(自己IP、検索botを除外)なので、約3倍のアクセス数となっています。
お盆の時期ということもあり、「お盆飾り」「初盆」「お盆」「初盆飾り」「盆棚の飾り方」などの検索キーワードで訪問いただいた方が多い月でした。
この他「おみくじ」や「ライブカメラ」「修証義」などの経典は一年を通じて検索キーワードの上位に位置しています。
検索キーワードを知ることは、どのような情報が求められているかを知る上でとても大切なものです。
ホームページやブログの内容はもとより、お寺からの通信物や、法話の話題選定にも活用することもできます。
検索語句の情報をきちんと発信していくことが大切です。
ホームページを運営されている方は、是非活用されることをお薦めいたします。
今後も、インターネットの特徴を活かした情報発信を行なっていきたいと考えております。
追記
なお、”B/C”の、費用に関する点についても言及しておきます。
初期費用と毎月の経費はこのような感じです。
表:貞昌院 teishoin.net サイトの費用一覧 | ||
---|---|---|
初期費用(円) | ||
パソコン(CoreI7-3770:事務用と兼用) | 65000 | |
ネットワークカメラ(1):境内カメラ | 7000 | |
ネットワークカメラ(2):池カメラ | 18000 | |
デジタルカメラ Canon EOS kissX7+レンズ | 70000 | |
サイト構築ソフト Dream WeaverCS3 | 30000 | |
初期費用 計 | 100000 |
毎月の経費(円/月) | ||
---|---|---|
光ファイバー(ひかり電話兼用) | 4900 | |
プロバイダー | 780 | |
固定IP | 1500 | |
Webサーバー | 500 | |
ドメイン(zazen.jp) | 250 | |
ドメイン(teishoin.net, 13ch.net ,kaminagaya.net, 7676.net) | 267 | |
| 8197 |
通信教育大手のベネッセホールディングスは9日、通信教育の顧客情報が外部に漏洩していることを確認したと発表した。最大2070万件を収容するデータベース(DB)の個人情報すべてが漏洩している可能性もあり、すでに760万件の流出が確認されるなど、大規模な事態となっている。東京都内で会見した原田泳幸会長兼社長は「再発防止と、情報の拡散防止に真摯に取り組む」と謝罪した。
今回の問題は6月下旬に、顧客から「ベネッセにしか登録していない住所に、他の教育産業会社からのダイレクトメール(DM)が届いている」とした苦情が相次ぎ、それをもとに調査を開始して発覚。今月7日までに個人情報が、名簿業者に大量に漏洩していることを確認した。
社外からの不正アクセスなどのハッキングではなく、グループ社員以外の内部者の関与が推定されているという。だが、警察の捜査も始まっているため、「(関与者が)社員ではない」(原田氏)こと以外の詳細は開示していない。
原田氏は、個人情報を購入してDMを発送している通信教育事業者に対し、「悪意を持っての流出情報の使用」と批判した上で、情報の拡散防止などへの協力を求めると同時に、協力が得られない場合は、告訴も辞さないと強調した。
(産経新聞 7月9日)18時27分配信
これまで、企業の顧客情報流出の事件はいくつかありますが、とてつもない規模の情報流出があったようです。
情報化社会の進展とともに、情報そのものがデジタル化され利便性が飛躍的に高まりました。
その反面、一旦流出した情報は完全に回収することは不可能です。また文字通り一瞬に流出してしまい、流出したことさえ気づかないことすらあります。
何百、何千万もの家庭には情報が流出したことの不安が残されてしまいました。
どのような実害があるか、どれほどの実害があるのかは不明です。
ベネッセにとっては信用失墜は免れないでしょう。
さて、今回の件のほか、たびたび繰り返されるこのような情報流出の事件は、決して対岸の事例として傍観するべきことではありません。
何故ならば、寺院にも企業の顧客情報に相当する「大切な情報」をお預かりしているという事実があるからです。
『曹洞宗報』平成26年6月号には、寺院向けに次のような緊急のお知らせとお願いが掲載されています。
緊急のお知らせとお願い
「過去帳」等記録の厳重管理と人権擁護の徹底を<中略>
本宗は前述した「『過去帳』等の管理についての指示要望」を全国寺院住職・代表役員に通知し、過去帳等の「閲覧禁止」の原則を指示要望している。
「閲覧禁止」とは、過去帳現物を直に見せなければよいというものではなく(中略)先祖供養等の宗教目的以外での情報開示は原則禁止である。
(『曹洞宗報』平成26年6月号 P56より一部引用)
寺院で保管・管理されている「檀信徒名簿」「過去帳」等には、各寺院の檀家さん、信徒さんの住所、電話番号のほか、各家のご先祖様の戒名、命日、享年、俗名、続柄、施主等が記載されています。
過去帳は「冊子」として管理していますので、鍵の掛かった書庫に入れるなど、誰でも閲覧出来る状態にすることが無いよう厳重に管理されます。
冊子という現物であれば管理も明確化されています。
しかし、近年、情報化社会の進展とともに、名簿や過去帳の情報をデジタル化し、パソコンで管理する事例も増えてきました。
確かに利便性は飛躍的に向上します。
各種お知らせを的確に行なうことも、手間を掛けずに出来るようになりました。
その反面、冒頭のような事例もあるということを心しておく必要があります。
特に、寺院の過去帳情報が流出してしまうと、取り返しのつかない事態となりますし、信用失墜どころか、檀信徒の皆様にも多大なる影響を及ぼすことになるでしょう。
僧侶も、いや、僧侶だからこそ情報の取り扱いに関する研修を行った上で、普段の情報の取り扱いに気を抜かずに真剣に向き合う姿勢をもつ必要があるでしょう。
パソコン等で情報を扱っている場合、
・名簿や寺院管理のデータは何処に保存しているか。
・そこには外部からインターネットアクセスされる心配は無いか。
・使用しているパソコンは第三者が簡単に起動できないように設定されているか。
・信用が置けないクラウドにデータを保存していないか。
・名簿や寺院管理のデータを不用意に業者等に託していないか。
⇒やむをえず託している場合には、その業者との情報取り扱いに関する取り決めがきちんとなされているのか。
・データのバックアップデータの保管・管理に関しても、充分に配慮ができているか。
等々・・・・・
気を付けなければならないことは山ほどあります。
詳細はこちらを参照下さい。
何よりも、重大な情報を預かっているのだということを常に心しておくことが大切です。
寺院から冒頭のような事例が発生しないことを願います。
桐谷美玲さんのチラシとともに青い封筒が届けられました。
平成26年経済センサス‐基礎調査を実施中です。
調査票は平成26年6月末日までにお届けします。7月1日以降に提出をお願いします。経済センサスは、我が国全ての事業所及び企業を対象として行われる国の最も基本的な統計調査の一つです。
経済センサス‐基礎調査は、事業所の事業活動及び企業の企業活動の状態を調査し、事業所母集団データベース等の母集団情報を整備するとともに、我が国における事業 所及び企業の産業、従業者規模等の基本的構造を全国的及び地域別に明らかにすることを目的としています。
ということで、全国の全ての事業所に調査票が届けられているのです。
・・・ん?
何だか封筒が2つありますね。
どちらも同じ所在地になっています。
何故だろう・・・・・
1つ目は宗教法人貞昌院。
こちらについては、平成24年の経済センサス‐活動調査で回答をしておりますから、それを元に届けられたのでしょう。
しかし、問題は2つ目。
同じ所在地で「太陽光発電設備」!
。 。
/ / ポーン!
( Д )
?????
貞昌院(お寺)の屋根にあるソーラーパネルが事業所???
杓子定規 (しゃくしじょうぎ)状況に当たって適時な判断を取ることができない人間、あるいはそのさま。
(語源的には、「杓子」という、本来は曲がっているものを「定規」の代わりに使う、という、無理に道理を合わせる、という意)
統計局に問い合わせてみると、調査員が判断して平成24年から「独立事業所」としてカウントしているとのこと。
こんなものを一々カウントしていたら、一体全国の事業所数はどれ程になるのでしょう。
定義付けの基準がよく分かりませんね。
■関連ブログ記事
杓子定規
海外からの旅行者が近年急増しています。
確かに浅草などの主だった観光地を歩くと外国の方が目立ちます。
東日本大震災の年の夏に 訪日外国人数、回復基調に という記事を書きましたが、その回復基調が本格化して定着した感があります。
訪日外国人旅行者 4月も過去最多先月、日本を訪れた外国人旅行者は、円安や東南アジアからのビザの発行要件の緩和などで123万人余りとなり、1か月間の旅行者数としては最も多くなりました。
日本政府観光局によりますと、先月、日本を訪れた外国人旅行者は推計で123万1500人となり前の年の同じ月に比べて33.4%増えました。
これはことし3月の105万人余りを大幅に上回り、1か月間の旅行者数としては最も多く、2か月連続で過去最多を更新しました。
外国人旅行者は▽円安傾向が続いていることや▽東南アジアから日本へのビザの発行要件が緩和されたことを背景に増加し続けていますが、これに加えて▽先月は桜シーズンだとして海外でのPRを集中的に行ったことも効果的だったということです。
国や地域別では前の年の同じ月に比べて▽フィリピンからの旅行者が129.5%▽中国からが90.3%と大幅な伸びとなりました。
日本を訪れる外国人旅行者は去年、初めて年間1000万人を超えましたが、ことしはそれを上回るペースで推移しています。
日本政府観光局は「好調な状況は5月も続きそうで、観光シーズンの夏に向けて誘致活動を強化していきたい」と話しています。
(NHK 2014/5/21配信)
円安、ビサの緩和、東京オリンピック決定など、近年の訪日外国人増加に寄与する要因はたくさんあります。
昨日配信されたニュースには、次のようなものもありました。
世界の旅行者が選んだ「満足度」1位の都市は「東京」
世界最大級の旅行サイト「TripAdvisor」の日本法人であるトリップアドバイザー株式会社は、世界の旅行者が訪問した都市を評価する「旅行者による世界の都市調査」を発表した。「ニューヨーク」「パリ」「バルセロナ」などの名立たる観光都市を抑え、世界の旅行者の「総合的な満足度」1位を獲得したのは「東京」だった。
「旅行者による世界の都市調査」は、世界各国の旅行者が、世界の主要37都市について、各都市の交通の便や清潔さ、地元の人たちの親切さ、観光・ショッピング・ホテルの満足度など、旅行に関わる16項目を評価した調査。対象都市の口コミを「トリップアドバイザー」に2013年中に投稿した5万4千人のユーザーが、その都市を訪問した際の体験から各項目を0~10点のスコアで評価。
調査の結果、東京は16項目のうち、「地元の人たちの親切さ」「タクシーのサービスの総合的な評価」「街中の清潔さ」「公共交通機関の評価」そして「都市に対する総合的な満足度」の5項目について1位を獲得するという快挙を遂げた。その他の項目でも、「タクシーの運転手の親切さ」「一人旅のしやすさ」で2位、「レストランの評価」「ナイトライフの満足度」で3位、「ショッピングの満足度」で5位、「街中での移動のしやすさ」「ホテルの評価」「家族連れに対するやさしさ」で8位を獲得し、16項目中13項目でトップ10にランクイン。
東京が世界の都市の中でも旅行者に親切で、安心・清潔な、公共機関に優れた都市であることを物語る結果となった。また、レストラン、ホテル、ショッピングの質も世界の中でもトップクオリティであることが示された。まさに、東京は訪れた世界の旅行者にとって「行って良かった都市 No.1」であることが明らかになった。【調査概要】
●調査方法
2013年にトリップアドバイザー上に対象となる37都市に関わる口コミを投稿した旅行者に対してインターネット調査を実施。各都市に対して300以上の回答を回収。回答者には16項目の質問に対して、訪問した都市の体験をもとに 0~10点のスコアで評価してもらい、平均値を算出しランキング。平均値が同じ都市は、9および10の評価を付けた比率の多い都市が上位にランクされている。
●回答者数
5万4千人
●調査実施機関
Brainbox Research
●対象37都市 東京(日本)、シンガポール、ソウル(韓国)、北京(中国)、ハノイ(ベトナム)、香港、クアラルンプール(マレーシア)、バンコク(タイ)、シドニー(オーストラリア)、ムンバイ(インド)、ロンドン(イギリス)、パリ(フランス)、ブリュッセル(ベルギー)、ローマ(イタリア)、ベルリン(ドイツ)、バルセロナ(スペイン)、リスボン(ポルトガル)、ウィーン(オーストリア)、アテネ(ギリシャ)、ドゥブロヴニク(クロアチア)、コペンハーゲン(デンマーク)、イスタンブール(トルコ)、ダブリン(アイルランド)、プラハ(チェコ共和国)、ストックホルム(スウェーデン)、ブダペスト(ハンガリー)、モスクワ(ロシア)、プンタカーナ(ドミニカ共和国)、ニューヨーク(アメリカ合衆国)、トロント(カナダ)、ケープタウン(南アフリカ)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、
リオデジャネイロ(ブラジル)、マラケシュ(モロッコ)、ドバイ(アラブ首長国連邦)、カンクーン(メキシコ)、シャム エル シーク(エジプト)
(※)調査対象都市は、世界観光機関(UNWTO)の調査による、外国人旅行者の入国数トップ37カ国の主要都市
(Yahoo!ニュース 2014/5/22 8時0分配信)
訪日外国人が過去最高となったという「量」的な記録に加えて、満足度が1位になるという「質」的な記録も作りました。
この点は特筆すべきことだと感じます。
◆旅行者による世界の都市調査 「総合的な満足度」上位20位
1位 東京 (日本)
2位 ニューヨーク(アメリカ合衆国)
3位 バルセロナ(スペイン)
4位 イスタンブール(トルコ)
5位 プラハ(チェコ共和国)
6位 ウィーン(オーストリア)
7位 ベルリン(ドイツ)
8位 ローマ(イタリア)
9位 パリ(フランス)
10位 ドゥブロヴニク(クロアチア)
11位 ロンドン (イギリス)
12位 ブダペスト (ハンガリー)
13位 ケープタウン (南アフリカ)
14位 ストックホルム(スウェーデン)
15位 リスボン(ポルトガル)
16位 シンガポール
17位 ソウル (韓国)
18位 ダブリン (アイルランド)
19位 シドニー(オーストラリア)
20位 香港
(※)調査対象都市は、世界観光機関(UNWTO)の調査による、外国人旅行者の入国数トップ37カ国の主要都市
満足度には様々な尺度があり、あくまでも一つの目安ではありますが、それでも嬉しい結果です。
日本を訪れた方々が帰国後、その「体験」を広めることで、さらに波及効果が広がっていくとすれば、嬉しい話です。
文化相互理解は、実際にその場に行ってみないと始まらないからです。
日本に対する正しい理解が進むことを期待します。
トリップアドバイザーの調査においては、16項目の設問により評価が行われています。
それぞれの設問による評価を詳細に分析することにより、さらに今後日本が観光立国としての立場を確立する足場を固めることが出来るでしょう。
設問ごとの「東京」の順位はこちら。
表:世界の旅行者が選んだ「東京の満足度」の順位
Q1 現地の人たちは親切だったか? <1位> (前回2位) Q2 タクシーの運転手は親切だったか? <2位> (前回1位) Q3 タクシーのサービスの総合的な評価は? <1位> (前回1位) Q4 街中は清潔だったか? <1位> (前回1位) Q5 街中での移動はしやすかったか? <8位> (前回7位) Q6 公共交通機関の評価は? <1位> (前回1位) Q7 コストパフォーマンスは良よかったか? <20位> (前回26位) Q8 一人旅はしやすいか? <2位> Q9 ショッピングの満足度は? <5位> (前回5位) Q10 この都市のホテルに対する評価は? <8位> Q11 この都市のレストランに対する評価は? <3位> Q12 この都市の観光やアクティビティに対する評価は? <13位> Q13 この都市は家族連れにやさしかったか? <8位> Q14 この都市の文化に対する評価は? <11位> Q15 この都市のナイトライフの満足度は? <3位> Q16 この都市に対する総合的な満足度は? <1位>
世界の旅行者が選んだ「東京の満足度」の順位で、評価が低いのは
・Q14「文化に対する評価」(11位)
・Q12「観光やアクティビティに対する評価」(13位)
・Q 7「コストパフォーマンスのよさ」(20位)
となっています。
特に「文化」「観光・アクティビティ」に関しては「寺院」が、その役割を担うことにより改善出来る部分も大きいのではないでしょうか。
何と言っても、日本には7万もの寺院、曹洞宗だけでも1万5千か寺もあります。
・日本庭園
・茶の湯
・坐禅
・精進料理
・木造建築
訪日外国人が増えたことや、訪問者の満足度が高いという結果は嬉しい事ではあります。
しかし、海外からの観光客数で見ると、日本はまだまだ少ないのです。
「東京」のみならず、日本には魅力的な観光地が多数点在しています。
訪日外国人増加の余地はまだまだ十二分にあるといえましょう。
まずは「多言語に依る情報発信」と「受入体制」。
「寺院」として出来る行動もたくさんありそうですね。
関東管区役職員人権啓発研修会として、群馬県草津にある国立ハンセン病療養所 栗生楽泉園方面へ向かう途中に、工事中の八ッ場ダム予定地を通りました。
最初に座学として、八ッ場ダムの経緯と現状について学びます。
八ッ場ダムは利根川の支流、吾妻川の川原湯地先に建設が進められている多目的ダムです。
当初は2015(平成27)年度完成予定でしたが、民主党政権マニュフェストなどの影響により完成が5年ほど延長されています。
規模としては、重力式コンクリートダム・高さは131.0mとなり、神奈川県を除く関東1都5県の中で9番目の大きさのダムとなります。
事業主体の国土交通省関東地方整備局の佐々木八ッ場ダム工事事務所長よりお話をいただきました。
昭和27年の予備調査開始から現在までの経緯、ダムとは何か、八ッ場ダムの目的、集落の移転代替地について、ダム建設の工程などについて詳細な説明をいただきました。
移転対象470世帯のうち、地元周辺代替地に約100戸の移転、自主移転が若干、それ以外は中之条、渋川、高崎などへの移転となりました。
ただし、まだ全戸が移転しているわけではなく、それぞれの事情により移転時期が異なっています。
移転対象地区には神社が3社ありました。
寺院については、代替道路による一部墓地移転のあった寺院はありましたが、移転対象となった寺院は無かったとのことでした。
八ッ場ダム全体の想定図がこちらです。(国土交通省関東地方整備局の資料より引用)
往路は、吾妻川の下流より国道145号線旧道(上写真中ダムの水没区域)を通り、復路は国道145号線付替道路(上写真ダムの右を通る赤い線)を通りました。
ここが↓ダムサイト下流にある国道145号線旧道と付替道路の分岐点です。
左へ進むと旧道、右が付替道路です。
往路は旧道を通りますので、左へ。
JR吾妻線鉄橋が見えます。
この線路も、道路も、ダムが完成した際には水没となります。
ダム湖の左右両岸を結ぶ八ッ場ダム湖面橋が見えます。
満水の際には、この橋桁の直下まで水位が上昇するはずなので、水量の多さが実感できます。
湖面橋は3箇所ほど設置されます。
建設途中の写真が数年前マスコミの報道で多く流されました。
橋脚とそこから左右に伸びる工事中の橋脚が十字架に見えるということで、八ッ場ダムの象徴ともいえる光景となりました。
吾妻渓谷とそれを渡る吾妻線の鉄橋。
この渓谷も水没します。
鉄橋の上に湖面橋が見えるので、水位の目安になります。
川原湯温泉駅↑も水没しますので、代替路線の新駅に移転となります。
ダム上流の長野原草津口駅は位置はそのままです。
現路線と代替路線が合流し、駅前の整備工事が進んでいます。
↓こちらは県道バイパスの橋梁工事です。
復路は、国道145号線付替え路線を通って帰りました。
旧道に比べて道幅、車線数、カーブ、勾配が格段に改善されており、所要時間が短縮されています。
↓ダムサイト工事現場への入り口
先ほどの湖面橋を同じレベルから遠望することができました。
橋の左側に集落の移転地区があります。
↓こちらは吾妻線付替線の橋です。
単線路線にしてはずいぶんと立派な橋脚ですね。
巨大な工事が進行する現場を目の当たりにし、私たちの「便利な」生活の背景に多くの事象が介在しているということを改めて感じさせていただきました。
ダムの本体工事は本年秋ごろから始まり、旧道は来年春には通行止めになる予定とのことです。
ダム本体工事が始まれば川原湯温泉周辺の景観は一気に変わることでしょう。
■関連リンク
国土交通省関東地方整備局八ッ場ダム工事事務所
平成26年の大本山總持寺報恩授戒会の全日程(4月10-16日)が終了し、完戒を迎えました。
大本山總持寺授戒会第1日
大本山總持寺授戒会第2日
大本山總持寺授戒会第3日
大本山總持寺授戒会第4日
大本山總持寺授戒会第5日
大本山總持寺授戒会第6日
大本山總持寺授戒会第7日
本山の授戒会というだけあって、毎年多くの戒弟さんが戒を授かりに集まります。
しかし、残念なことにここのところ、戒弟さんの減少が目立つようになりました。
過去12年間(平成23年は中止)の戒弟(優婆塞=男性の戒弟、優婆夷=女性の戒弟)の数の推移をグラフにしてみました。
このように、在家信者である戒弟数の減少が著しく 優婆塞・優婆夷合わせても60人そこそこといった状況です。
戒を授かる四衆は、優婆塞・優婆夷に、比丘=男性の出家僧=總持寺の新至修行僧、比丘尼=女性の出家僧が加わるのですが、修行僧、比丘尼を合わせても120名程度です。
授戒会の大きな意味合いは戒を授かることによって、仏弟子となり、お釈迦様の正式な弟子となることにあります。
現在、殆どの方は葬儀の際に授戒を行い、戒を授けます。
→葬儀の詳細はこちらを御覧ください http://teishoin.net/dantoinfo/sogi.html
しかし、本来は生前に授戒会に参加し、戒を授かることが望ましいのです。
戒を受けることは、仏弟子として、仏教徒としての自覚を持つ契機となります。
授戒会の正授道場で、戒師(本山では禅師様)より仏弟子の証として「血脈」を授かります。
全国の何百万人もの曹洞宗檀信徒のほとんどが授戒会に参加されないということは実にもったいないことだと感じます。
總持寺の授戒会には、全国から200人を超える随喜寺院が集まります。
それぞれの寺院から各寺院1名参加するだけでも、戒弟の数は格段に多くなります。
まずは、授戒会がどういうものであるのか、その意義と、参加方法について積極的に広報することが必要だと感じます。
總持寺の授戒会は4月10日から16日までの日程で毎年開かれています。
全日程参加するのが望ましいのですが、最低限4月13日から16日早朝までの日程でも可能です。
もし、總持寺の授戒会に参加をご希望の方は菩提寺にお申し出下さい。
(貞昌院の檀家さんは、貞昌院までお申し出下さい)
横浜市内の桜の名所の一つ、瀬谷区の海軍道路の桜並木を通ってきました。
この桜並木は、在日本アメリカ軍上瀬谷通信施設を南北に貫く延長2850メートル(瀬谷中学校前交差点~海軍道路入口交差点間)の道路です。
現在はアメリカ軍に接収されている地区ですが、終戦前は日本軍の横須賀海軍資材集結所があった場所でした。
地図と航空写真で確認してみましょう。
1/25000「座間」昭和29年修正 昭和32年3月発行 地形図 (今昔マップより)
接収直後の地形図です。
旧日本軍の資材を保管する場所らしきものが幾つか描かれています。
また、右上に米軍の建物が建ち始めています。
南北に貫いている道路が海軍道路、上端を東西に貫く道路が八王子街道です。
現在の道路の形がほぼ出来上がっています。
海軍道路を南に行くと瀬谷駅にたどり着きます。
続いて航空写真です。
こちらは、日本陸軍が昭和16(1941)年7月24日に撮影した航空写真(国土変遷アーカイブより)であり、時代を遡ります。
海軍道路には線路が通っていたことがわかります。
線路と思われる部分を赤で着色してみました。
線路を南に進むと、瀬谷駅に繋がります。
様々な物資を、ここから搬出・搬入していたのでしょう。
日本の敗戦後、横須賀海軍資材集結所周辺はアメリカに接収され、在日本アメリカ海軍上瀬谷通信施設、現在は海軍上瀬谷支援施設となっています。
昭和50年代、かつて日本海軍の鉄道敷だった場所に平和の願いを込めソメイヨシノが植樹されました。
その桜が、今では冒頭の写真のように見応えのある桜並木に成長しているのです。
それでは、2種類のビデオカメラで撮影した海軍道路の桜並木を御覧ください。
GOProにて撮影
Victor Everioにて撮影
貞昌院の北側、永野小学校の周辺には「伊予殿根(いよどね)」という字名が残されています。
また、永谷側を少し下った「神明社」と「般若寺」の間には「殿屋敷城砦」がありました。
このあたりを概観してみます。
まずは、港南区の民話をご紹介します。
永谷に住んだ宅間の殿様 - 上永谷鎌倉幕府がほろびて,京都に室町幕府が新しくできましたが,鎌倉には鎌倉府という,東国十か国を支配するための役所が置かれました。
そして,そこの最高責任者を鎌倉公方といい,将軍である足利氏の血筋にあたる人が代々その地位につきました。
しかし,実際には,鎌倉公方の重臣である上杉氏が,関東管領という職について東国を支配する実権を握っていました(1)。
室町時代も進むにしたがって,この上杉氏も四つの家に分かれて,互いに権力争いをするようになりました。
その四つとは,それぞれ鎌倉にあった自分の根拠地の名前を取って,山内,犬懸,扇谷,宅間(2)のそれぞれ異なる上杉氏をいいます。
この中で,宅間上杉氏はいつのころからか,永谷に根拠地をおくようになったらしく,江戸時代の末に書かれた書物には,宅間氏の子孫である上杉乗国が,永谷の地にお城を築いたと記されています。
宅間上杉氏の築いた城が,どこであったかは,正確には分かりません。
しかし,永野小学絞のあたりに伊予殿根(3)という地名が残っているのは,乗国の子の憲方という人が,伊予とよばれていたので,伊予の殿様の屋敷(4)が館のあった所という意味ではないかと言われています。
また,永谷天満宮や貞昌院という寺のあたりには,環濠の跡があリ,その背後の小高い丘陵には,城跡特有の人工的に削って平らにしたと思われる土地もありました。
そのため,この付近一帯は,宅間上杉氏に関わる武将が築いた城跡ではないかと考えられています。
その後,戦国時代には宅間上林氏は,小田原北条氏に仕えるようになりましたが,もともとは格式の高い家柄なので,後北条氏はふつうの家臣とは別あつかいで,宅間殿と尊称をつけて呼んでいました。
小田原北条氏が没落した後は,宅間上杉規富は徳川家康の旗本として関ケ原の戦いに出陣した後,保土ケ谷に移るようになりました。
現在は,平和な上永谷のあたりも,むかしは武者がたむろして,大声でどなる声が響きわたる物騒な里であったのかもしれません。
(ふるさと港南・港南区の民話より引用、下線部はkamenoが付記)
(3)に出てくる「伊予殿根」が、冒頭の『昭和初期・上永谷部落』図に記載されています。図では「伊予」が「伊与」となっておりますが、「伊予」の方が正しいと思われます。
(1)鎌倉幕府が滅亡し、室町幕府が京都に生まれると、鎌倉には鎌倉府が置かれました。東国十か国を支配するための役所です。
鎌倉府の最高責任者は「鎌倉公方」と呼ばれ、将軍・足利家の血を引く者がその地位につきました。
ただし、実質的な政務は、鎌倉公方の重臣であった上杉氏が関東管領職として就き、東国支配の実権を握っておりました。
(2)室町時代中期には、上杉氏は山内・犬懸・扇谷・宅間の四家に分かれ、権力争いをするようになりました。
このうちの「宅間上杉氏」が、永谷の地に本拠地を構えたと考えられます。
永谷の地に城(屋敷)を築いたのが「宅間上杉乗国」でありました(上系図 赤字□囲み)。
永谷上村(奈我也加美牟良)江戸より行程十里、永谷郷に属す、小田原北条氏割拠の頃は宅間伊織綱頼知行す(役帳曰「宅間殿二百五十貫文、東郡永谷普請役は有之出銭其外御用時は以御直書可被仰出」又村内天神社縁起に天文十二年領主宅間伊織藤原綱頼社頭を再建せし事見ゆ)蜷川相模守親文が采地なり(昔は松平大和守、山田立長、鈴木隼人、蜂屋七兵衛等知行せしが文化八年松平肥後守容衆領分となり、文政四年今の地頭に賜ふ)民戸五十、天正十四年十二月藍瓶の税務を諸村に課せし文書に永谷の名見えたり(足柄下郡板橋村京紺屋藤兵衛蔵文書曰「前岡永谷右之在所不入与申紺屋不出候由、曲事に堅申付可取、若猶兎角申不出侯はば可申上他郷へ越し侯共、其在所迄ただし、役口可取者也仍如件、丙戌十二月廿五日、京紺屋津田、虎朱印、江雲奉之」とあり)同十九年彦坂小刑部元正検地の後、今に至りて其の法に随ふ、旧は当村上中下三分の別称ありしなるべし中古中分の地を分ちて別村を建つ是今の中村なり、今当村内を区別して、上分下分の別称あるは共遺れるなりされば中村の地当村と一区たりし故地形大牙して広袤四隣共に弁別しがたし故に爰に括載す
広二十町袤三十町(南上下野庭小菅谷三村、西舞岡上下柏尾三村、北平戸村及び武州久良岐郡引越別所二村、東同郡望松本久保別所三村)飛地四町四畝平戸村小名伊予殿根(昔天神神職、伊予と云ふもの居住せし跡なれば此称ありと云ふ)有花寺(宇計慈地蔵院の所在なり)半在家、丸山、中里、天神前、木曽、水田、鍋谷、宮田、山谷、馬洗川南北に貫けり(幅三間元禄国図にも馬洗川と載す、鎌倉古路係りし頃此流にて馬を洗ひしより此名ありと伝ふ)橋を架す(長三間半)有花寺橋といふ
『新編相模国風土記稿』より
乗国は、永谷天満宮の造営を行いました。
『新編相模国風土記稿』に拠れば、菅原道真道真左遷に伴い播磨国へ流刑となった際に、道真公自身を彫った木造を道真五男の菅秀才こと淳茂に与え、淳茂はのちに関東へ下向し、相模国鎌倉郡永谷郷に居館を構えて道真像を奉祀したと伝えられています。
この伝承を「宅間上杉乗国」は、永谷の地に居を構えた際に強く心に刻んでいたのでしょう。
ある日、道真像が乗国に霊夢となって現れ、これを契機にとして社殿を造営し道真像を神体として安置したのが永谷天満宮の始まりとされます。明応2(1493)年2月のことでした。
菅原道真、宝鏡に向ひ躬づから模刻して令子敦茂に興へられし真像なりとぞ、後菅原文時藤原道長上杉金吾等相伝せしを明応二年二月当所の領主藤原乗国(当国八郷を領し永谷郷に居城せしと云ふ)霊夢の告により此地に始て宮社を営み安置すと云ふ、其後天文十二年領主宅間伊織綱頼修造を加へ天正十年同氏規富再造せしとなり。末社妙義白山。妙見。稲荷。
『新編相模風土記稿』より
永谷天滿宮を造営した乗国は、当時、永谷八郷(永谷・平戸・信濃・山田・秋葉・名瀬・柏尾・舞岡)を領しておりました。
乗国は永元(1521)年に没し、その子、憲方(乗方)が永谷郷・山田に「徳翁寺」を創建しました。
(後山田村)徳翁寺
乗國山と號す、曹洞宗能州普蔵院末、本尊は弥陀、開山は宗悟、享禄三年十一月廿日寂。開基は上杉刑部大輔乗國、大永元年七月十日卒す、法名養光院徳翁見公、按ずるに寛永宅間譜に、三十郎憲方、法名胤公、道號貴山、院號勝楽と云ふ、相州山之内庄に於て乗國山徳翁寺を建立すと見え又系図纂上杉系には、刑部大輔乗國の名を挙す。
宅間左衛門佐憲清が五代の孫に、乗忠と云ふものあり、通稱を脱し只養洪院と號すと記し、其子に三十郎乗方を係け徳翁寺建立と記せり。
是に豫て推考するに、寺傳に云乗忠と、院號の文字異なれど其唱へ同きに豫れば、もと乗國乗忠同人にして、其子乗方亡父の為に當寺を創建し、やがて其父を開基に准せしものならん。
寺傳の異なるは、全く訛舛あるなるべし、と傳ふ。白山社。
『新編相模国風土記稿』より
乗国の子、憲方については、高野山桜地院『鎌倉御所方過去帳』に享禄3(1530)年没と記されています。
憲方は後北条氏に属し、引き続き永谷郷を任され玉縄城主北条氏時為昌に従事しましたが、後北条氏として別格に扱われ「宅間殿」と称されておりました(4)。
憲方の子房成および孫の富朝は、下総国国府台合戦に出陣、そこで討死します。
宅間上杉規富は貞昌院の開基であります。
天正10(1582)年、貞昌院の本寺、徳翁寺より徳翁寺第4世住職・明堂文龍大和尚を貞昌院初代住職として請し、貞昌院が開かれました。
(天神社)別当貞昌院、天神山と号す、曹洞宗(後山田村徳翁寺未)。旧は上之坊下之坊と号せし台家の供僧二宇在りしが共に廃亡せしを天正十年に至り、其廃跡を開き、当院を起立す、開祖は文龍(天正十九年四月十六日寂す)と云ふ、本尊は十一面観音(長八寸行基作)。
神明宮二、羽黒社、浅間社、以上貞昌院持
『新編相模風土記稿』より
天正16(1588)年、北条氏直は、富朝の子、宅間規富の知行地不入を安堵します。
天正18(1590)年、豊臣秀吉により小田原北条氏が滅ぼされた後、宅間上杉規富は徳川家康に仕え、徳川旗本として関ケ原の戦いにも出陣しました。
その後、宅間上杉家の子孫は旗本家として存続していきます。
以上、永谷に伝わる歴史の一端を概観してみました。
東日本大震災発生(地震発生時刻午後2時46分)から3年目の日を迎えます。
災害によりお亡くなりになられた皆様に改めて弔意を表します。
未曾有の災害となった東日本大震災のような災害は、またいつ発生するかわかりません。
豊かな大自然に囲まれ、その恩恵を享受できる反面、時には私たちの到底及ばない大きな力をもって災害をもたらします。
先達は、過去に繰り返されてきた大震災をの経験や学んだことが、後世に伝えるべく様々な形として残されててきました。
石碑、古文書、街路や街区の形態・・・・・・
世代を越えてそれらを読み取っていくことは重要です。
そして、大災害を経験した私たちがするべき行動の一つは、災害の記録を整理し、確実に受け継がれるように次世代に残していくことです。
政府・国立国会図書館では、「大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する」ことを目的として「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(愛称:ひなぎく)」を平成25年3月から公開しています。
国立国会図書館東日本大震災アーカイブ:ひなぎく=クリックすると当該サイトに飛びます。
「ひなぎく」は、国や自治体などの公的機関やNPO・ボランティア関連の民間団体、報道機関といった国内外にわたる様々な団体と協力して、東日本大震災に関する資料を一元的に検索・閲覧できるポータルサイトです。
現在、27のデータベースから約248万件のコンテンツが検索可能となっており、被災地の復興支援や今後の防災・減災対策、学術研究や防災教育などへの活用が期待されます。
誰でも震災記録を投稿することができます。
多方面からの記録が寄せられ、記録に付随した詳細なタグ付けにより、防災・減災に寄与するデジタルアーカイブが構築されていきます。
震災に関する記録を「震災記録」とは次のように定義されます。
震災記録とは
調査報告書、復旧・復興計画書など
フリーペーパー、ミニコミ誌、チラシなど
イベント・セミナー・相談会等のチラシや資料など
各種活動記録(ボランティア記録、避難所だよりなど)
学校だより、会報、広報誌など
個人・団体が作成した文集・体験記・手記など
次世代に伝承し、いつか発生するであろう大災害の減災に寄与するデータベースとして構築されることを期待します。
阪神大震災や東日本大震災はもとより、日本各地で発生した災害では、地域に果たす寺院の役割というものが改めて見直されました。
昨年、仏教情報センター創立記念事業でご講演いただいた玄侑宗久師は、次のように指摘しています。
今回の東日本大震災では、被災地では、いろいろな宗教の連携が見られました。
きっかけは、仙台市の事例です。
仙台市は当時非常にきついことを言いました。
仙台市仏教会が、ご供養をしたいと仙台市に申し入れると、仏教会だけにそれを認める訳にはいかないと言います。
他の市町村ではそんなことは無かったのですが、仙台市では、あらゆる宗教と連合してくれないかと申し出があったのです。
そういったことがあり、結果的に宗教の連携が進みました。お寺や神社、教会が避難所になったり、そこで共同生活が行なわれたりということがあちこちでありました。
それは今後の非常に大きな財産になるだろうと思います。今回の体験で強く思ったことは、お寺、神社のコミュニティーのあり方は、実に古い日本人の共同作業の方法を残しているということです。
今ではどこでも○○部、○○課に分かれていますが、あの「部」は、奈良時代に朝鮮半島から部の民がやってきて、「機織部」が「服部」になるように、職能によって同じ場所に集まって、同じ部署に集まるというやり方が伝わったものです。
これは実に効率的な方法です。実は、それまで日本人は、そのようなスタイルでは無かったのです。
部が入って来る前は、「伴(とも)」というスタイルでした。
これは一つの家庭のようなもので、いろんな人がいろんなことをするんです。先日行った奄美大島ではそういう、古い日本のやりかたが残っていました。
空港に着くと女の人が迎えに来てくれていました。運転していただきホテルに着くと、背広の男性がご挨拶してくれました。
部屋に、お茶を持ってきてくれたのは先ほどの男性でした。後で聞くとその男性が社長で、島の見所をいろいろと説明してくれました。
夕食では料理長が料理のを説明してくれましたが、食後FAXをしようとフロントに行くと、そこには料理長しか居ない。
料理長にFAXを頼むのは・・・と思っていたら、当たり前のようにFAXを送ってくれました。夜、マッサージを頼んだら、さっきまで空港から送ってくれた女性でした。
翌朝、奄美つむぎを見ようとしたら、また昨日のマッサージの女の人が説明してくれる。
詳しい突っ込んだ質問をすると、奥から呼ばれて来た男性が、社長だった。
では作っている現場に行ってみましょう、と行ってみると誰も居なかった。
今、サトウキビ収獲の最盛期なのでサトウキビ工場へ行っているということでした。つまり、そういうことなんです。
この仕事の苦労をみんな知っている。だからみんな何でも手伝えるし、専門ということではないけれど、みんながみんなを手伝うんですね。
これは「和合」という観点からいうととても優れている方法です。
しかし、効率という観点から言うと「部」のやり方が優れています。
ですから、例えば今の郵便局は大変です。
集配業務をやっている人は、ずっと集配をやっています。
人間なのに、そんなに道具みたいに分けられて幸せに暮らせるのだろうかと思ってしまいます。お寺や神社に集まった人は、今でも「伴」なんです。
だから、自分はこうだから、これはやらないということは無いですね。
なんでもかんでもみんなでやる。うちの寺もそうですが、何かの職業の人が職業的な技術を提供くださったときには報酬を出します。
けれども、弁護士が雑巾を掛けてくれたといっても報酬は出ない。
お医者さんが歌を歌ってくれたといっても報酬は出ない。だから、誰が何の専門だとかそういうことが、一旦チャラになって、みんなが何でもするという場所があちこちで震災後に出来ました。
お寺や神社で、日本の古い伴というやり方が復活しました。郵政民営化も、民営化の中で仕事が細かく分かれ過ぎています。
なぜ集配の人が保険の勧誘をできないか、という反省からもう少し太くしようとしていますが、もう少し人の仕事って言うのは総合的であるべきだと思います。
そういう人の集い方が残っているのが神社仏閣なのだろうという気がします。
日本の社会の仕組みというものは、永年に亘り自然環境が育んできた文化なのだと感じます。
「記録・記憶」を伝承するのも寺院の重要な役割であり、また「地域の核」として和合の精神を育くむことも重要な役割といえます。
仏教は「生死を歩む人の今に寄り添い、縁の力を最大限に生かし、その人の自己のいのち、人生を統合することを扶助する」ということを根源とします。
東日本大震災発生から3年を迎え、改めて考えてみたいものです。
普段利用している横浜市営地下鉄ブルーライン上大岡駅構内とカミオを結ぶ地下通路に、このようなエスカレータがあります。
段数にして6段ほど。
しかも上下がある贅沢な仕様です。
すぐ隣に幅の広いスロープがあるために、ほとんどの人たちはスロープを通っています。
というよりも、エスカレータを利用している人を見かけません。
調べてみると、これよりも更に短い(しかも世界一短い)エスカレータが同じ神奈川県にあります。
「世界一短いエスカレーター」川崎アゼリアをよく利用される方には、最早何の違和感もないかもしれない……でも初めて見る人は目を丸くして驚く、そんな不思議なものがあります。それは川崎アゼリアと川崎モアーズをつなぐ、通称「プチカレーター」です!
プチカレーターは川崎アゼリアから川崎モアーズ地下2階への連絡通路にある、たった5段のとても短いエスカレーター。「世界一短いエスカレーター」として、ギネスブック1991年度版で認定されています。高低差は83・4cm、所要時間は何と5秒しかないんです!でも、実際に乗ってみると体感時間はもっと短く感じます。乗ったらすぐ降りる感覚で、本当に「あっと言う間」です。
川崎アゼリアの地下通路が川崎モアーズの地下1階と地下2階の中間に位置しているため作られたそうですが、このエスカレーターの不思議なところは、エスカレーターを降りたら更に5段、階段を下りなくてはいけないところです。全部エスカレーターにしなかったのは何故……?考えれば考えるほど、不思議な光景です。
ぜひ、川崎アゼリアに馴染みのない方とご一緒の際は、この不思議な「川崎の世界一」を紹介してみてくださいね!
(タウンニュース川崎区版2013年1月25日号)
川崎アゼリアのエスカレータは、わずか5段。しかもエスカレータの先には階段があるという突っ込みどころ満点のエスカレータです。
けれども、ギネスブック掲載の命題があるのであれば、話題提供のためとう救いどころがわずかにあります。
対して、上大岡駅のエスカレータは中途半端ですね。
バリアフリーに寄与しているとも思えませんし、却って邪魔な感じが否めません。
どのような目的で設置されたのか、伺ってみたいものです。
やはりネタなのでしょうか?
ソチオリンピックの熱戦が続いています。
時差の関係もあり、競技時刻が深夜から早朝になるものも多いのですが、やはり見入ってしまいます。
今朝はフィギュアスケート女子フリーが行われ、SP16位だった浅田真央選手が、今季初めて3回転半ジャンプを成功させ、さらに6種類すべての3回転ジャンプに挑戦する構成で142.71点の自己ベストをマーク。
SPと合わせて198.22点となり、6位入賞となりました。
日本のメディアでも当然にその素晴らしい演技が大きく取り上げられ、繰り返し放送されていますが、ニューヨークタイムズの記事がとても詳細に掲載されていてとても参考になります。
現在、Women's Figure Skatingの最新画像として掲載されています。
(写真はニューヨークタイムズより。クリックすると元記事に飛びます)
写真には次のようなコメントが併記されています。
Mao Asada is one of a handful of women to perform a triple axel in competition. Coming after a disastrous short program performance, she landed the most difficult jump to be attempted in this event, boosting her score.
(浅田真央は、競技でトリプル・アクセルを飛ぶ一握りの女性選手のうちの1人です。低得点に留まったショートプログラムの後に、彼女は、最も難しいジャンプを成功させ、順位を押し上げました)
オリンピック最後となる競技に臨んだ浅田選手の果敢なチャレンジと、トリプルアクセルを見事綺麗に決めた演技に心より賞賛いたします。
この他、ニューヨークタイムズの記事では、金メダルの ソトニコワ選手と銀メダルのキムヨナ選手の詳細な比較分析を行っていたり(⇒How Sotnikova Beat Kim, Move by Move)、羽生選手がどうして金メダルに輝いたのか(⇒Hanyu Falls Twice, but Still Wins Gold)など、フィギュアスケートにあまり詳しくない人でもよく分かるものとなっています。
それにしても、女子フィギュアスケートにおけるトリプルアクセルの基礎点は、もっとずっと高くても良いのではないかとつくづく思います。
採点競技はルール変更も都度都度行われていたりして、公平感について、いつも議論の対象になりますね。
台風や大雪など気象予報の分野では、近年かなり精度が上がっていることを感じます。
今年の大雪の情報なども、数日後の○日頃には大雪に警戒が必要らしいということがわかり、除雪スコップの用意や対応策をある程度取ることができてとても助かりました。
(もちろん、それが空振りに終わることはありますが)
気象予報の分野で活躍しているのがスーパーコンピューターの存在です。
それらに物理演算エンジンによる複雑な計算をさせて、結果を幾つか算出し、それらを検討して予報が出されます。
複雑な計算を迅速に行うためには、コンピューターの処理能力が高くなければなりません。
性能を争う競争が行われている大きな理由の一つは、ここにあります。
物理演算エンジン(ぶつりえんざんエンジン、Physics engine)とは、質量・速度・摩擦・風といった、古典力学的な法則をシミュレーションするコンピュータのソフトウェアである。多くの場合、ミドルウェアライブラリを指す。 略して物理演算、物理エンジン、Physicsとも言う。
物理演算の基本となるのは衝突判定とダイナミックシミュレーション(動的シミュレーション。静止した一点の力のかかり方のみを見るのではなく、現実と同様に動く物体の動き全体をシミュレーションするもの)である。その他に、流体シミュレーション・モーションコントロール(スクリプト言語によって物体の動作をコントロールする機能)・COLLADAなどの外部形式のオブジェクトやシーンを読み込める機能などがついたものも多い。 長年、学術的シミュレーションや3DCGアニメ製作の現場などの専門分野でのみ使われていたが、最近では高度な物理演算エンジンを搭載したゲーム機やグラフィックカードの登場により、物理演算を利用した「リトルビッグプラネット」等のゲームソフトが人気を博すなど一般にもなじみが深いものとなっている。 また、物理演算を搭載した3DCGソフトウェアも、かつてはプロユーザーにしか手が出せなかったが、現在ではフリーのBlenderを初めとして一般人にも手が届く物がいくつも存在しているため、ゲームや映像を介して物理演算を実感するだけでなく自身で物理演算を利用した3DCGアニメーションを製作することも容易となっている。実際、BlenderやPhun等の物理演算を利用した動画が動画共有サイトに多数投稿されている。
(ウィキペディア「物理演算エンジン」項)
物理演算エンジンとは、古典力学に基づく物理法則をシミュレーションする仕組みです。
それが精細になればなるほど、また範囲を広げるほど精度が高まっていきます。
最近では、パーソナルコンピューターの性能も飛躍的に上がりましたので、個人レベルでも物理演算エンジンによるシミュレーションを行うことができるようになりました。
例として、Position Based Fluids Demonstration さんが公開している動画をご紹介します。
流体の動きを再現することは、これまではとても難しいことでした。
気象予報も流体の動きの予測ですね。
しかし、この動画は水槽の壁や物にあたって反射する動き、水槽から流出する水の動きがかなり自然に再現されています。
物理演算エンジンの長所は、現実的に実験を行なうととてつもなくお金がかかったり、現実的に不可能だったり、時間がかかったりするような実験が可能であるということです。
この物理演算エンジンを使って行った結果が公開されていますが、その中で興味深いものを幾つかご紹介します。
まずは、自然界の「自然の」状態が、物理の法則に則っているものであるということがよく分かる動画です。
■ munimunibekkanさんのシミュレーションより
【WebGL】木の生成 (樹木の枝は無闇矢鱈に伸びているのではないことがわかります)
【WebGL】模様の生成 (動物の模様が、細胞レベルからのシミュレーションにより再現されています)
munimuniさんのシミュレーションより
■ 物理エンジンでネコを作った。(猫が頭を下に落ちてもくるりと回転する仕組みを再現しています)
「スイッチアプローチでのキャブダブルコーク1260」や、「シライ」などの再現もできますね。
最後に・・・・■千手観音の往復ビンタを検証した ←これは秀逸です。
物理演算エンジンによるシミュレーションの真骨頂ともいえるでしょう。
こういう遊び心をはいいですね。
技術の進歩により、さまざまなことが見えてきます。
ただ、何か分からない未知の領域、踏み込んではいけない領域は残してほしいものですね。
その部分は宗教が役割を果たす領域なのでしょう。
横浜市仏教連合会の行事では、伝統仏教各宗派僧侶、檀家信徒が一つの行事を行うこととなり、他宗派の法要作法や御詠歌の作法などで、宗派の特色に触れる機会を得ることができます。
曹洞宗では行われていないようなことでも、はっとさせられるような事例も多いのです。
御詠歌を例にすると、金剛流や豊山流などでは、このような作法でお唱えする様子を見ることがあります。
譜面を前の人の襟に挟んでお唱えしているのです。
では、一番前列の人はというと
楽器用の譜面台を使用しています。
お唱え中に目線を下にする必要がありません。
譜面を留めているクリップも個性的でお洒落でした。
15日、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突する事故が発生しました。
死亡された2名の方には謹んで弔意を表します。
この一連の報道について、やはりメディアによって情報の取捨選択、報道の仕方が様々であることがとても良くわかります。
一つのメディアからのみ情報を得ることの危険性も改めて感じます。
また、事実関係や整合性の確認ができていない段階で、あやふやな情報を「事実」であるかのごとく報道する姿勢も問題です。
その情報も、メディアの主義主張に合致するものは大々的に報道し、主義に合致しないものは取捨していくという恣意的な取捨選択にも注意が必要です。
今回の衝突事故のみならず、様々な報道についても、メディア相互の読み比べを行なって総合的な判断が求められます。
また、マスメディアには、事実関係の確認をきちんと取って、正しい事実のみを客観的に報道していただくことを望みます。
それでは、主な報道を概観してみましょう。
海自艦が追い越し横切る」男性客が証言
広島県大竹市の阿多田(あたた)島沖の海上で15日、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突した事故で、救助された釣り船の客が読売新聞の取材に「右後方から追い越してきた『おおすみ』が進路を横切る形で衝突した」と証言した。
海上衝突予防法は、追い越す船に衝突回避義務があると規定しており、第6管区海上保安本部は両船の航路などを慎重に調べる。
また、重体だった釣り客の無職大竹宏治さん(66)(広島市中区)が16日未明、搬送先の病院で死亡。事故による死者は2人目。同本部によると、大竹さんの死因は出血性ショックで、15日夜に死亡した船長の高森昶(きよし)さん(67)(同)は溺死だった。
(読売新聞 1月16日(木)14時56分配信)<kameno注>釣り船の釣り客一人の証言を元にメディアが描いた航行図です。
動いている船から見た相対的な位置関係から航行図を聞き取りながら起こしているわけですから、きちんと描かれている可能性は少ないでしょう。
それをあたかも読み手が「事実」と誤認するような図を描いて掲出するのは尚早でしょうし、適切ではなかったはずです。
広島県大竹市の阿多田(あたた)島沖で海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突し、2人が死亡した事故で、第6管区海上保安本部は16日、実況見分を始めた。とびうおの船体の右舷に傷痕を確認。おおすみの左舷中央部にも傷があり、とびうおのものとみられる塗料が付着していたことから、両船が側面衝突したとみている。とびうおが後方からおおすみに接近してきたとする新たな証言も出てきた。
阿多田島で養殖漁業を営む男性(40)は、自宅前の高台から事故直前の数分間に目撃した状況を語った。
15日午前8時ごろに東方向の沖合を見ると、左から右へ、南方に向かって航行するおおすみが見えた。おおすみの後方からは、左から右へやや島側に向かって来るとびうおも見えたという。汽笛が数回鳴り、おおすみは右回りに急旋回して停止。衝突していた。後方から現れたとびうおが、おおすみの陰に隠れたとし、男性は「とびうおの方が速く見えた」と明かす。
(朝日新聞2014年1月17日08時19分)<kameno注>この図も酷いですね。
貨物船がおおすみの前を横切る図が描かれています。
瀬戸内海は航行する船の航路が計測され記録されています。また、各船に搭載されているGPSを分析して検証する必要もあります。
その作業を待たずにこのような航行図を掲載することは意味がありません。
釣り船の釣り客の証言は、釣り船から見た相対的な目撃証言です。したがって、釣り船「とびうお」を直進航路とした場合は、上図のようになるでしょうし、輸送艦「おおすみ」が直線航路となる場合は、逆に釣り船「とびうお」が蛇行していたとも考えられる。しがたって、GPS航跡を元に分析しないと全く意味がありません。
上図が間違っている可能性が高い資料が次々と出てきました。
釣り船のGPS回収、航跡解析へ 自衛艦衝突事故
海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船が衝突し、2人が死亡した事故で、
第6管区海上保安本部(広島)は16日午後、転覆した釣り船を引き揚げ、
衛星利用測位システム(GPS)受信機や、周囲の船舶を確認するレーダーを回収した。
海自は既に、おおすみの航跡記録を提出。6管は釣り船の計器類を分析し、
事故に至った両船の経路を特定、事故原因の解明を目指す。
民間の測量大手「パスコ」(東京)によると、救助された釣り船の男性が
「船の前を横切った」と証言した貨物船の存在を裏付ける船舶の航跡記録がなかった。
(共同通信)
<kameno注>上記の貨物船は実際にはなかったようです。
それが事実なら、朝日新聞は重大な誤報ということになります。
さらに、航跡の速報が公開されました。
<kameno注>自衛隊の「おおすみ」は真っ直ぐ航行し、衝突直前に右に回避している様子が見えます。
そのご、ぐるぐると回っているのは釣り船との衝突後、救助作業等による航跡と考えられます。
これまでの航行図では、おおすみが蛇行していましたが、それを否定する航行記録です。
広島県の阿多田(あたた)島沖で海上自衛隊輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突、2人が死亡した事故で、「おおすみ」が衝突の頃、針路を右側へ切っていたことが、搭載していた船舶自動識別装置(AIS)の記録でわかった。
同じ頃に急減速しており、「おおすみ」が危険を回避しようとした可能性がある。
AISは3~4分ごとに船の位置や針路、速度などの情報を自動的に送受信する無線装置。複数のインターネットサイトがその記録を公開している。その一つ「マリントラフィック」の記録によると、「おおすみ」は15日早朝に海上自衛隊呉基地(広島県呉市)を出発し、宮島と能美島の海峡を過ぎたあたりから加速。午前7時58分には南へと直進し、速度は17・4ノット(時速約32キロ)だった。
( 読売新聞 1月17日(金)4時0分配信)
<kameno注>その後、読売新聞より、おおすみが衝突直前右方向に転換し危険回避行動をとっている可能性を指摘しています。
今後、漁船のGPS解析や様々な情報を分析した結果が公表されることでしょう。
注目するべきは、各メディアが今後どのように報道していくかということです。
もしくは、メディア側で情報の取捨選択を行い、続報をフェードアウトさせることもあるでしょう。
情報の受け手としては、メディアの主義主張に合致するものは大々的に報道し、主義に合致しないものは取捨していくという恣意的な取捨選択にも注意が必要です。
今回の衝突事故のみならず、様々な報道についても、メディア相互の読み比べを行なって総合的な判断が求められます。
また、マスメディアには、事実関係の確認をきちんと取って、正しい事実のみを客観的に報道していただくことを望みます。
今日も貨物船と漁船の衝突事故が発生し、2人の死亡者が出てしまいました。
海の事故は毎日のように起こっています。
その中で、メディアに載るものはごく一部です。
なぜ、その事故が取り上げられるのか、また、事故はなぜ取り上げられないのか、それを読み取る力がますます必要になっています。
和歌山沖で漁船2隻と貨物船衝突、男性2人死亡17日午前8時ごろ、和歌山県由良町白崎沖約3・2キロで、漁船2隻と貨物船が衝突、漁船は2隻とも転覆し3人が投げ出された。
和歌山海上保安部によると、漁船に乗っていた男性2人が死亡。漁船はいずれもシラス漁をしていたという。
(産経新聞 1月17日(金)11時31分配信 )
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貞昌院のホームページには平素より多くの方に閲覧いただいているようで、ありがたいことです。
特に、年末年始には普段の10倍を越えるアクセスをいただいたています。
例えば、今年1月6日間にどのようなキーワードで貞昌院に来訪されているか「検索キーワード」でみると
1 おみくじ
2 貞昌院
3 五観の偈
4 修証義
5 omikuji
6 服部勇馬
7 おみくじ ネット
8 ごかんのげ
9 上村和生
10 生死は死すべし
11 朱 意味
12 天神おみくじ
13 ネットおみくじ
14 箱根駅伝 2区 観戦
15 箱根駅伝 観戦 10区
16 設楽啓太
17 らくのりサービス
18 箱根駅伝
19 さんきらいもん
20 しゅしょうぎ
という結果になりました。
新年を迎えて、おみくじを引かれているかたが多いことがわかります。
ところで、貞昌院の天神おみくじを引かれた方の中にはお気づきになった方がいらっしゃるかも知れませんが、今年からおみくじの解説をリニューアルしています。
おみくじを引かれる方は、上記画像をクリックいただき、引いてみてください。
最後におみくじの画像が出てきますので、その部分にマウスの矢印を当てると、画像下部に読み下しが表示されます。
天神おみくじは、日本で一番古い版木が残るおみくじとされています。
文字は変体仮名で書かれており、結果に何と書いてあるかを併記する必要があります。
これまでも読み下しを書いていましたが、どうしても読めない部分があったり、意味をどのように採ったら良いかを判別しがたい部分があり、9割程度の読み下しとしていて、不明な部分は・で表示していました。
昨年、港南古文書の会の方のご協力により、読み下しがほぼ完全となったため、解説を補完しました。
港南古文書の会の皆様には、心より感謝申し上げます。
なお、貞昌院の天神おみくじは、日本で一番古いおみくじであると同時に、日本で一番凶が多いおみくじ です。
凶が出ても、戒めとして捉えていただければよいでしょう。
逆に、大吉を引かれた方も、それに甘んじているとツキはどんどん逃げていきますよ。
ツキを呼ぶには笑顔を見せること
です。
さて、年末年始の行事として、除夜の鐘があります。
昨年末の除夜の鐘には例年以上に多くの方に参拝いただきました。
また、Ustreamの除夜の鐘では、延べ 2,789合計視聴をいただきました。
多くの参拝をいただき有難うございました。
↑Ustream からYoutubeへ移した動画です。
おみくじを引かれた方、除夜の鐘の参拝をされた方皆様の新年が佳き年でありますことを心よりご祈念申し上げます。
先週土曜日に開催した コスプレイベント@貞昌院 に参加された方々からの感想を主催者よりいただきました。
参加24名中、14名分の回答です。
コスプレイヤーの皆さんの生の声を個人情報を省いた回答部分についてグラフにしてみました。
感想の自由記入欄
・素敵なロケーションが多く、とても楽しかったです。
・地元でまたお願いします。
・ただ居るだけでもいいですね。
・紅葉しているときにやれたらもっと良かったです。
・面白かったです。
・開催時間が遅くて楽だった。
・スタッフの対応が良かった。
・思ったより撮影スペースが多かった。
・普段撮れないロケーション、雰囲気ばかりで良かったです。
・もう少し撮影できる部屋がほしかった。
・寒かった。
・素敵なロケーションでした!
・地元のお寺でもやって欲しい!
・楽しかったです。ありがとうございました。
・普段は入ることができないお寺でコスプレを楽しむことができて嬉しいです!
・民宿など日本の昔の家など。
・民宿での撮影ができたら、と昔から考えています。
・スタッフさんがとても親切で好印象でした!
・景色もとてもキレイでした!ありがとうございます!
・横浜って意外とお寺多いですよね。他のお寺でもお願いしたいです。
・坐禅会とかがあれば参加してみたい。
・本堂の空気管がすごかったです!また来たいです!
ということで、またしばらくして貞昌院でコスプレイベントを行なう予定です。
アナウンスをお待ちください。
今晩(12月9日)は、慧可(えか)大和尚の断臂にちなんだ断臂摂心の夜です。
慧可大和尚といえば、国宝の雪舟筆「慧可断臂図」が有名ですね。
雪舟筆 慧可断臂図
(著作権の保護期間が満了しているためパブリックドメインの状態にあります)
昨日12月8日はは成道会。
お釈迦さまが悟りを開かれた日でした。
お釈迦様から代々受継がれてきた仏教の教えは、28代目の菩提達磨大和尚によって中国へ伝えられます。
そして『碧巌録』第一則、『従容録』「達磨廓然」にある梁の武帝との問答の末、嵩山において面壁九年の坐禅を修されました。
後にお釈迦様から29代目、中国の二祖・慧可大和尚となられる神光和尚が、達磨大和尚に再三弟子入りを請うのですが、全く相手にされません。
ついに自らの左肘を切り落とし、その強い意思を示しました。
雪舟筆 慧可断臂図(部分)
Copyright© Kyoto National Museum
この故事になぞらえて断臂摂心が行なわれるようになりました。
曹洞宗には「曹洞宗宗歌」があり、この中にも「雪の夕べに 臂を断ち」と歌われています。
先日の梅花流神奈川県第二宗務所管内奉詠大会の清興において、弦楽四重奏ver.の演奏をいただきました。
歌詞をつけましたので是非ご覧ください。
慧可断臂「雪の夕べに 臂(ひじ)を断(た)ち」は、3:00あたりからです。
お釈迦様の成道や、仏教の教えを伝えて来られた祖師様がたにより、禅の教えに触れることが出来るということを改めて思い、接心の夜を過ごしたいと思います。
今日は12月8日。
日本ではお釈迦様が悟りを開かれた日、成道の日とされ、三仏会の一つとして仏教徒にとって重要な日であります。
約2500年前、19歳で出家修行されたお釈迦様は、インド各地を巡り様々な思想を学びましたが、どの教えも彼を満足させることはありませんでした。
その後、修行仲間とともに体を痛めつけたり断食をする苦行を行じますが、それでも悟りに至ることは無く、苦行の無意味さに気づき苦行を中断します。
ネランジャラー河の岸辺で村娘が作ってくれた「乳粥」を施され、そのままブッダガヤの菩提樹の下で坐禅を組み禅定に入ったお釈迦様は、禅定を妨害する魔物たちをことごとく調伏し、12月8日未明ついに悟りを開かれます。
釈迦牟尼仏言 明星出現時 我与大地有情 同時成道
『正法眼蔵』「発無上心」巻より
かの明星が出現した時に わたしと大地や生きとし生けるものは みな同時に成道した
『現代語訳 正法眼蔵』増谷文雄著より
12月8日の未明、明けの明星の元でお釈迦様は大悟されたのです。
いわば、仏教が誕生したおめでたい日ともいえます。
成道の朝、境内のイチョウです。
ほとんど散ってしまいました。
毎年、この光景に『従容録』第五十七則の「厳陽一物」を思い起こします。
厳陽尊者 趙州に問う「一物不将来(いちもつふしょうらい)の時如何?」
州云く「放下著(ほうげじゃく)」
厳云く「一物不将来箇の甚麼(なに)をか放下せん」
州云く「恁麼(いんも)ならば即ち担取し去れ」
厳陽という僧が、唐代の名僧である趙州禅師を訪ね、問いかけます。
「私は、迷いはもちろんのこと、学問も、悟りも全て捨て去って、持っている物は何一つもありません。この後、どのように修行していけばよいのでしょうか?」
趙州和尚は「放下着」と言い放ちます。
「お前の持っている本来無一物という拘りさえも捨てなさい」
趙州和尚は、厳陽が未だに「無一物」に拘っていたことを見抜いていました。
花は黙って咲き
黙って散ってゆく
そして再び枝に帰らない
けれどもその一時一処に
この世の総てを託している
一輪の花の声であり
一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命の歓びが
悔いなくそこに輝いている
『花語らず』 臨済宗・南禅寺管長柴山全慶老師のことばより
ただただ、あるがままに生きることをイチョウの木は教えてくれます。
2011年3月11日の東日本大震災発生から、今日(2013年12月4日)でちょうど1000日目を迎えました。
今年の冬は、これまでにない特別な冬となります。
なぜならば、原子力による発電が完全に無くなる冬を迎えるからです。
日本の電力エネルギーの源となる、電源別発電電力量構成比の推移を見てみます。
出典は電気事業連合会のデータです。
東日本大震災発生以前はおおむね30%の発電電力を賄っていた原子力発電は、昨冬は2012年大飯原子力発電所が稼動していましたが、今年は大飯も点検のため停止しているために原子力発電の構成比が0%となります。
原子力発電所設備利用率は2012年は3.9%に激減。
大飯の停止により、2013年、原子力発電所設備利用率はついに0%となりました。
その減少分を賄っているのが火力発電所。
実に全体の90%を火力発電所に頼っていることになります。
火力発電所の増設と、現在の設備のフル稼働により、この冬の電力需給はなんとか賄える見通しとのことですが、個々の家庭や事業所においてはこれまで同様に節電の実践が必要となりましょう。
毎日の予想最大電力と使用状況のリアルタイム速報が電力会社のサイトより公表されています。
このようなサイトを活用して、必要なときに節電行動を進めるというメリハリをつけることも必要でしょう。
逆に、電力需給に余裕があるときには、無理な節電を行なう必用はありません。
また、利用者(契約者別)それぞれに過去2年間の電力使用料の推移をグラフ化してくれるサービスがあります。
それが「でんき家計簿」です。
ちなみに貞昌院のでんき家計簿のデータがこちら。
貞昌院では、おおむね一年間を通して前年同月よりも節電を進めることができました。
同様の契約容量の他の顧客に比べても、かなり使用量が少なく済んでいることが判ります。
原子力発電がゼロになったこの冬、でんき予報と、でんき家計簿を有効に活用して、適切な節電行動を進めていきましょう。
ラオスはどこか昔の日本のような心地よさを感じます。
車やバイクも他の東南アジア諸国と違い、ほとんどクラクションを鳴らさないので、街はとても静かでのんびりゆったりとしています。
ラオスでよく使われる言葉に「ボーペンニャン」(BOR PENNYANG)があり、これがラオスの特徴をよく表しています。
ボーペンニャンは、「どういたしまして」という意味もありますが、広く「何でもない」「大丈夫」「気にしない」という意味で使われます。
よく言うと気楽、少し悪く言うと責任の所在をはっきりさせないで済ますという感じでしょうか。
しかも、ラオスでは何かトラブルがあった場合、迷惑をかけた人が、迷惑を受けた人に対して使う場合が多いそうです。
(普通は迷惑を受けた人が、迷惑をかけた人に対して「大丈夫です、気にしないで」と使いますね)
今回の旅の中でも、それを象徴することがありました。
一行を乗せたバスが細い路地を通った際、道路を横断して張られている電気の引込み線がバス屋根の突起物に引っかかってしまい、商店の引込み電柱を折ってしまいました。
電柱の先端が折れて地面に落ちてしまっています。
ここで、バスのドライバーが、何事かと出てきた商店の人に「ボーペンニャン」と使うわけです。
商店から竹の棒を借りてきて、バス屋根に引っかかっている電線を下ろし、店の人といっしょに、新しい木の棒に折れた電柱をつなぎ合わせます。
これで修理完了。
ラオス以外の国であれば、まず怒号が飛び交ってもおかしくない状況です。
それを「ボーペンニャン」のこころで、何事も無かったかのように解決してしまいました。
ラオスには、ゆったりした時間が流れています。
そのゆったりした時間の中で育まれてきたのがラオスの文化なのでしょう。
ある意味無責任な部分がありますが、争いごとを避け、欲から離れ、いつもゆったり・・・というのは、仏教のもつ本来のこころそのものなのかもしれません。
日本の生活を省みると、忙しい中で時間に追われたり、次々と生み出される「文明の利器」に却って振り回されたり、情報の洪水に呑まれたりしていることが実感できます。
ボーペンニャンは、忘れかけた何かを思い出させてくれる言葉なのです。
10月末に行なわれるハロウィンのイベントが、ここ数年、急速に盛り上がりを見せている感じです。
子どもたちにとっては「お菓子交換会」、大人たちにとっては日常の「自分」から抜け出して、新しい人格を新鮮な気持ちで楽しむ「仮装行事」として広がっているように思います。
ところで、日本にも伝統的な「妖怪」たちがいて、深夜の街を徘徊する鬼や妖怪の群れや、妖怪たちの行進があります。
これを「百鬼夜行(ひゃっきやこう)」といいます。
古くは『宇治拾遺物語』における修行僧が摂津の竜泉寺で出遭った100もの鬼の集団や、『今昔物語集』での右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中遭遇した100人ほどの鬼の集団、『大鏡』の藤原師輔が遭遇したものなどなど。
1000年以上前から根付いている文化です。
平安時代の京都では、この「百鬼夜行」が起こりやすい「夜行日」なるものがあるとも考えられていました。
京都で受継がれてきた妖怪の文化は、江戸時代に再び庶民の娯楽文化として花開きます。
文学、浮世絵、おもちゃ、芝居などに様々な妖怪たちがたくさん登場するようになりました。
妖怪文化の背景には古くから培われて受継がれてきた深遠な日本の歴史や文化が含有されています。
2009年、2010年に大宮・東光寺で行なわれた「アートフル希望まつり」にたくさんの妖怪たちが登場しました。
(下記写真は前日リハーサルのときのもの)
希望まつり讃仰法要「ごめんね」
希望まつり特別讃仰法要
『茄子婆』好き嫌いせずに残さず食べているか。食べ物を粗末にするのは、食べ物にも命があるということを忘れているからだ・・・
『山男』山や森などの自然を大切にしているか。遊びで枝を折ったり葉っぱをちぎったりするのは自然に宿った命を馬鹿にしているからだ・・・・
『鬼婆』お年寄りを大切にしているか。お年寄りを大切にしないのは、自分が一番偉いと思って年上の人を敬っていないからだ・・・・
『泥田坊』田んぼや畑など、お米や野菜が採れる土地に対してちゃんと感謝しているか。ゴミを捨てたり荒らしたりするのは感謝を忘れているからだ・・・・・
『ケラケラ女』人を馬鹿にして笑っていないか
『あかなめ』自分の家の掃除をきちんとして清潔にしているか
『白蔵主』自分より弱い動物をいじめていないか
『青坊主』両親の言うことをちゃんと聞いているか
『見越し入道』普段何気なく歩いているとき、足元にいる小さな虫を踏みつけていないか
『河童』川を汚していないか
『がごぜ』夜まで遊んで夜更かししていないか
『もうりょう』自分より小さな子どもの世話をちゃんとしているか
この妖怪たちは、京都の「妖怪藝術団体 百妖箱」のみなさんによって演じられました。
妖怪藝術団体 百妖箱は、京都で毎年10月後半に開催されている 妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」 妖怪アートフリマ「モノノケ市」 京都一条妖怪ストリート にも関わっておられます。
今年10月に京都で行なわれた妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」の様子がYoutubeに公開されていました。
どうですか?この迫力。
そして、やはり妖怪たちは日本人の琴線に触れるものがあります。
是非、日本の妖怪たちにも川崎や六本木などに進出して欲しいものです。
日本には、やはり日本の妖怪が似合います。
ガンバレ!日本の妖怪たち!!
今日、9月1日は防災の日です。
防災の日は、今から90年前の 1923年(大正12年)9月1日に発生したマグニチュード7.9の関東大震災にちなみ、1960年(昭和35年)に制定されました。
震災の記憶を薄れさせることなく、また、防災対策、防災訓練など、防災に関する行事の実施が行なわれるようになりました。
日本は地震が多く発生する地域にあり、関東大震災以降も数多くの地震に見舞われました。
特に阪神淡路大震災、東日本大震災は、その発生地点、時刻、時代の違いから、被害をもたらす要因が異なっています。
関東大震災=火災
阪神淡路大震災=建物の倒壊
東日本大震災=津波
によって、多くの人命が奪われました。
90年前の関東大震災、その惨禍から学ぶべきことはとにかく火災の発生を防ぐことです。
関東大震災発生時刻の午前11時58分は、多くの家庭で昼食の準備をしている時間帯であったため、あちこちから火災が発生しました。
さらに、強風という気象条件が重なり、火災は燃え広がり、次々と上がる炎が激しい上昇気流を生じさせ、炎渦巻く巨大な竜巻(火災旋風)が各所で見られたということです。
関東大震災による死者は約10万5000人とも言われ、その実に9割近くが焼死でした。
それでは、永野地区は地震発生当時、どのような状況だったのでしょうか。
貞昌院第28世住職の記録をご紹介します。
・過去を知ること=関東大震災
大正129年9月1日 |
永野地区では、約5割の全壊、そのほかは半壊に近い壊滅的な家屋被害がありました。
しかし、近隣住民が結束し、防火に努め、地区からは火災が発生しなかったということです。
地域力の大きさが良くわかります。
ただ、横浜市中心部では、石油タンクの爆発をはじめ、各所の火災により、北の空一面が真っ黒に渦巻いていたということなので、住民たちの心持は如何なるものだったのでしょうか。
想像を超える状況だったのかもしれません。
関東大震災からの提言も併記されておりますので、ご紹介いたします。
『永野郷土史』貞昌院29世亀野寛量大和による提言 1 大火災の発生 2 水道、電気、電話、道路、電車、汽車の通信交通は全面に途絶する。 3 余震の継続 4 伝染病の発生 5 海嘯(つなみ)の襲来 6 流言蜚語が横行する。 7 食糧飲料水の不足 8 失業者の続出 大要以上のようなことが震災に伴って波生することを覚悟せねばならない。都市造りに最も重要視しなければ ならないことは思いきった多くの空地、緑地を持つこと である。 (『永野郷土史』より) |
火災の発生を防ぐ地域力と、もう一つ、大きな要因として、建物を倒壊させないということが挙げられます。
日本では、大きな地震被害が発生すると、それに耐えうる建築基準がなされてきました。
建築基準法改正の履歴は、防災の履歴でもあります。
■主な震災と建築基準法の改正
1920年(大正9年)12月1日 (大正8年法律第37号)施行
第12条において、「主務大臣ハ建築物ノ構造、設備又ハ敷地ニ関シ衛生上、保安上又ハ防空上必要ナル規定ヲ設クルコトヲ得」と規定される。
市街地建築物法施行規則(大正9年内務省令第37号)において、構造設計法として許容応力度設計法が採用され、自重と積載荷重による鉛直力にたいする構造強度を要求。
ただし、地震力に関する規定は設けられていない。1923年(大正12年) 関東大震災
1924年(大正13年) 市街地建築物法施行規則改正
許容応力度設計において、材料の安全率を3倍とし、地震力は水平震度0.1を要求。1950年(昭和25年)11月23日 市街地建築物法廃止、建築基準法施行(旧耐震)
具体的な耐震基準は建築基準法施行令(昭和25年政令338号)に規定された。
許容応力度設計における地震力を水平震度0.2に引き上げた。1968年(昭和43年) 十勝沖地震
1971年(昭和46年)6月17日 建築基準法施行令改正
Rc造の帯筋の基準を強化した。1978年(昭和53年) 宮城沖地震
1981年(昭和56年)6月1日 建築基準法施行令改正(新耐震)
一次設計、二次設計の概念が導入され、地震力に対しての必要壁倍率の改正
軸組の種類と壁倍率の改正が行われた。1995年(昭和7年) 宮城沖地震
2000年(平成12年)6月1日 建築基準法及び同施行令改正
性能規定の概念を導入、構造計算法として従来の許容応力度等計算に加え限界耐力計算法が認められる。
このように、大きな地震発生のたびに建築基準法が改正されてきたことがわかります。
したがって、自分の住んでいる住宅が、いつの時点で建てられたか(どの建築基準法が適用されているか)を知ることが、防災力を高める大きな要因になります。
是非確認いただきたい項目です。
もう一つ。
自分が住んでいる場所、職場、生活圏がどのような場所なのかを確認しておくことが大切です。
地方自治体から、地震や津波、傾斜地、盛土地、液状化危険度などさまざまなハザードマップが発行されています。
■自分の住んでいる場所の危険度を知る
また、
自分の住んでいる場所が、過去どのような場所であったかを知るということから、地図で過去に遡って調べることも必要でしょう。
(川、水田、池、沼、海岸を埋立てたり、谷を埋めて盛土をして造成をした場所は危険性が高い)
・地盤が砂のように透水性が高く、地下水位が高い場所も危険性が高い。
そして、危険度の高い場所では、その発生原因について対策し、発生を抑える対策を取ることも必要でしょう。
「想定外」を少しでも減らすことが、命を守ることに直結しています。
どのような災害対策も、絶対確実、万能ということはありえないので、費用対効果を充分に検討した上で、どの程度費用をかけて、どの程度リスクを軽減するのかを検討することが大切です。
防災の日を契機に、皆で話し合ってみることをお勧めします。
8月15日、8月盆も最終日となりました。
今夕(地域によっては16日の夕方)送り火をして、お盆の間お迎えしていたご先祖様、あまねくみ魂をお送りします。
そして、今日は終戦の日でもあります。
昨年のでは、永谷の終戦の日を検証する として、貞昌院の先代住職 亀野寛量大和尚が記録した「太平洋戦争終戦の日の記録」を元に、ご紹介しました。
今年は、終戦の日の大本山總持寺(横浜市鶴見区)敷地にあった東京警備軍横浜警備隊について、記事にまとめてみます。
まずは、国土交通省の「国土変遷アーカイブ」から航空写真をたどってみましょう。
「国土変遷アーカイブ」には、戦前戦中陸軍により撮影された航空写真が掲載されています。
終戦直後に米軍により撮影された航空写真と合わせると明治から終戦にかけての変化がよく判ります。
時系列に並べてみます。
太平洋戦争開戦前の總持寺の様子です。
(昭和11/1936年 陸軍により撮影)
当時は、總持寺への参拝は、鶴見駅ではなく、京浜電気鉄道(現在の京浜急行)「總持寺」駅、または鶴見臨港鉄道(現在の鶴見線)「本山」駅を利用していたと考えられます。
航空写真を見ると、鶴見駅から總持寺まで門前町が形成されておらず、「總持寺駅」「本山駅」から太い参道が続いています。
(これが現在の参道となったと考えられます)
そして、昭和16(1941)年12月、太平洋戦争開戦。
(昭和19/1944年)陸軍により撮影
戦中に撮影された上の写真を良く見ると、現在、總持寺の本堂である大粗堂(だいそどう)が建っているあたりに建物が並んでいることがわかります。
これは、戦中總持寺境内に置かれていた「東京警備軍横浜警備隊」の兵舎です。
大本山總持寺の境内に、兵舎があったのです。
そして、この東京警備軍横浜警備隊は、玉音放送を阻止し、クーデターを起こした佐々木武雄予備役陸軍大尉が所属していたことで知られています。
「国民神風隊」を編成し、首相官邸を襲撃「佐々木武雄予備役陸軍大尉は、横浜市鶴見区東寺尾町興国中学校付近に残留し居たる旅団司令部残務整理員ならび農耕隊の指揮官として七月中旬より服務中、八月十五日午前一時頃(推定)非常呼集を実施し、……浜崎軍曹以下約二十名を引率、……戒厳警備のため東京に出発する旨を通達し……、自動車二台に右兵員ならびに学生五名および相識の地方人三名、断部隊兵約四名を分乗せしめ、かつ重油缶十缶を積載し、かつ自身および地方人一名は乗用車一台に搭乗、四時三十分頃に首相官邸付近約二百米の箇所に到り下車、官邸構内に侵入し、軽機をもって玄関付近に対し約二十発射撃し、さらに学生等を指揮して官邸玄関内に侵入し、重油散布の上、これに点火、退去し、同所絨毯を若干焼き、ついで五時三十分頃、前同様の方法を以て、小石川区丸山町鈴木当時首相私邸に放火し、焼上せしめ、次いで七時頃前淀橋区西大久保在平沼男爵邸に放火の上、焼上せしめて退去せり。 ……」
『憲警400号』より
このほか、玉音放送を阻止する流れでは、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって皇居を占拠したクーデター未遂事件「宮城事件(きゅうじょうじけん)」などがあり、終戦の日を迎えるにあたっては、かなりの混乱がありました。
しかし、陸軍首脳部及び東部軍管区の説得に失敗し、目的を果たせないことを悟った彼らは自殺もしくは逮捕され、玉音放送(日本の降伏表明)に至りました。
8月15日玉音放送の内容
戦後米軍により撮影された總持寺周辺の航空写真には、終戦直後一面の焼野原から立ち直りつつ街のの様子が映し出されています。
(東海道線より西側、總持寺・花月園近辺は、戦火から免れました)
改めて、戦争でお亡くなりになった数多くの方々へ弔意を表し、この終戦の日を過ごしたいと思います。
なお、本日のブログ記事はあくまでも歴史的事象のごく一部を客観的に記載したものです。
■主なブログ関連記事
永谷の終戦の日を検証する(2012年)
66年目の終戦の日に(2011年)
65年目の終戦の日(2010年)
日本を救った釈尊のことば(2010年)
横浜刑務所とテニアン北飛行場(2010年)
松根油を煮出した釜(2009年)
港南区の炭鉱と戦争の影(2009年)
横浜にあった飛行場(2009年)
星条旗の下に生きた日系人たち(2009年)
松根油と戦時中の永谷(2009年)
太平洋戦争空襲~終戦の日(2005年)
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案(2005年)
Yahoo!ニュースに次のような記事が掲載されていました。
ユーミンがジブリに合う理由 歌詞の世界観と声の質と専門家7月20日に公開され、大ヒットしている宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』。その主題歌に起用されているのが松任谷由実の『ひこうき雲』だ。彼女自身も「ジブリっぽい」と語るこの曲は、同映画をさらに魅力的なものにしている。ユーミンとジブリといえば、1989年公開の『魔女の宅急便』での『ルージュの伝言』、『やさしさに包まれたなら』がある。このときも、映画の世界観と曲が見事にマッチした。どうして、ジブリ作品にユーミンの曲はこれほどまでに合うのだろうか?
音楽評論家の富澤一誠さんに聞いた。
(NEWS ポストセブン 8月3日配信)
記事の音楽評論家の富澤一誠氏は、「ユーミンがジブリに合う理由」として
(1)映画の内容と曲のストーリー性のシンクロ
(2)特徴的な声が、ジブリ作品に合っている
(3)安易にタイアップをつけようとする流れに対するアンチテーゼ
を挙げています。
それぞれの詳細については、記事タイトルのリンク先を参照ください。
確かに、戦争や大震災などを描いた『風立ちぬ』には、ユーミンの同級生の死から着想して作られた『ひこうき雲』とシンクロし、『魔女の宅急便』では『やさしさに包まれたなら』が曲の世界観や歌詞が重なっています。
今日のブログ記事では、「ユーミンがジブリに合う理由」ではなく、「ユーミンが禅の思想に合う理由」を『やさしさに包まれたなら』を題材に触れていきたいと思います。
カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ(『やさしさに包まれたなら』より 作詞・作曲 荒井由美)
この『やさしさに包まれたなら』は、元々は不二家「ソフトエクレア」のCMソングでした。
CMソングでは、最後のフレーズが「目にうつるすべてのことは 君のもの」となっていて、CD化された際に現在の詩にリメイクされたそうです。
この歌詞からは、次の禅僧の偈を想起させられます。
渓声便ち是れ広長舌
山色清浄心に非ざること無し
夜来八万四千偈
他日如何が人に挙似せん
(『碧巌録』三十七則より)
この偈は、中国の禅僧、蘇東坡(そとうば)が廬山に遊行した時に読んだ偈です。
内容は、
渓谷の川のせせらぎは、それが、そっくりそのまま仏の声(説法)である。
また、山々の彩りは、仏の清らかな身体そのままの姿である。
そして、川のせせらぎの音、山々の彩りだけでなく、木々をわたる風の音や、鳥たちの声も、すべてが仏の教えでないものは無い。
法門には、八万四千通りあるといわれる。
この感慨をどのように述べたらよいだろうか、いや、述べ尽くすことはできないだろう。
ということが書かれています。
また、もう一つ、禅僧の句をご紹介します。
貞昌院の本堂には次のような額が掲げられています。
これは「触目是道(そくもくぜどう)」と読みます。
總持寺の石川素道禅師により揮毫された、中国の禅僧、石頭希遷禅師の言葉です。
この世界の空間軸と時間軸の中で、確固たるものは、この自分であり、この今という一瞬です。
「この今」は、仏教のことばで「而今(にこん)」といいます。
時間軸のうち、過ぎ去った過去の時はもうそこに立ち戻ることは出来ない。また、これからの未来は不確かでどのようになるか分らない。
ただ、確かな「現実」は「この今」だけなのです。
ただただ「この今」を精一杯生きるしかありません。
この世は無常であり、限られたいのちのなか、「今生きている自分のいのち」はかけがえのないものです。
だからこそ、ありとあらゆる存在の輝きが見えてくるのです。
目に触れるもの、目にうつるもの、全てがメッセージを発しています。
大人になっていくにつれて、このような感性は、次第に失われてしまっているのかもしれないですね。
輝き一つ一つがから発せられるメッセージを受け止めることのできる感性を、常に持っていたいものです。
このように「目にうつる全てのことは メッセージ」は
「渓声便ち是れ広長舌 山色清浄心に非ざること無し」や「触目是道」を実によく表現していると感じます。
働き蟻は、全てが一心不乱に働き続けるイメージがありますが、働いているアリは、巣全体の約8割で、2割の蟻は自分の体を舐めていたり、じっとしているそうです。
働かない蟻は、どの巣にも一定の割合で存在していて、何らかの貢献をしていると言われています。
この話は、人間社会にも当てはまると思います。例えば職場では、仕事が遅かったり、失敗ばかりしているように見える仲間もいることでしょう。
特定の利益目標の前には、業績を上げるという、目先の利益を優先する「優劣」がついて回ります。学校の成績もそうかも知れません。しかし、人それぞれが持っている個性と能力は、見方を変えれば全く逆の優劣になることもあります。
例えば、一つの基準で優秀な人ばかりを集めたとします。全員が一様に、一心不乱にバリバリ働いている、そんな職場は、私だったら嫌です。
さまざまなタイプの人がいて、潤滑油のような役割を果たしているからこそ、全体が効率良く回っていると言えるでしょう。
大切なことは、一人ひとり、それぞれが掛け替えのない個性を持っているということなのです。
テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より
今回の法話は、金子みすゞ の詩「みんなちがって、みんないい」をモチーフにしました。
最近は、個性が尊ばれる時代です。しかし、単純に「人はそれぞれ違うのだから、みんな違っていていいんだよ」というだけの薄っぺらいことではありません。
大切なことは、その「違い」の中身です。
人それぞれ、出来ること(得意なこと)、出来ないこと(不得意なこと)があります。
つなり、「お互いそれぞれ不得意な部分はあっても、誰にも真似のできない素晴らしい長所がある」ということです。
そして、人間は、決して一つの尺度で判断してはなりません。
お互いの素晴らしい長所を認め合い、尊重しあう気持ちが大切であり、それが社会全体に広がっていくことで、潤滑油のようにスムーズに「回って」いくようになるのです。
私たちは他の人と何らかの関わりを持って生きています。
けれども、この世での関係性は、死によって断ち切られてしまいます。
それゆえに、特に身近な方を失った時の悲しみは言葉に表しがたい苦しみであり、悲しみであります。
お葬式や年回の法要儀式は、きっと関係性の変化による苦しみ、悲しみを整理し、それを乗り越えるために生まれたのでしょう。
そう考えると、法要儀式は「故人が安らかならんこと」を願うばかりではなく、それと同時に、「遺された人がどのように生きていくのか」、それを考え、実践していく祈りの場であるとも言えそうです。
お釈迦さまは、自分の死を迎えるにあたって、周りに集まり、嘆き悲しんでいる弟子たちに「悲しむことはない。私の教えは、お前たちに全てしっかり伝えた。だから、その教えを怠らずに実践していきなさい」
と諭されました。
お釈迦様の教えは、今でも受継がれ、生き続けています。
故人の思いを生かすということは、遺(のこ)された者がしっかりと悲しみを乗り越え、受継いでいくということです。そして、その姿を、仏さまが温かく見守ってくださっています。テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より
身近な人を失った悲しみは、大きいものです。
この世の中は「無常」とはわかっているものの、その悲しみは計り知れないものがあります。
今回の法話は、お葬式のような弔いの法要の意味合いについて、触れさせていただきました。
悲しいときには、大いに声をあげて泣きさけぶということも必要です。
そして、100日目を迎えた時に行なう法要を、百か日=卒哭忌(そっこくき)といいます。
これは、「哭(=声をあげて泣きさけぶ)ことを「卒」(=一区切りして終える)という意味です。
故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる時期が、百箇日を迎える頃だ、ということです。
死別の悲嘆を乗り越えて、故人の思いを受継いでいくこと、それが故人が一番喜ぶことなのではないでしょうか。
私たちが食事の際に自然に出てくることば、「いただきます」、「ごちそうさま」。
これらは、日本古来から良き習慣として、私たちの誇るべき言葉であり、すばらしい文化であると思います。
日本以外の国では、「いただきます」「ごちそうさま」に該当することばが無かったり、皆が揃ってから食べ始めるという習慣を持たないところも多く、外国の方が日本の幼稚園や小学校で、皆が「いただきます」と言って食べ始める光景を見ると、とてもびっくりするそうです。
「いただきます」「ごちそうさま」の言葉には、「いのちをいただく」ことへの感謝と、「馳(は)せ走(はし)って(=馳走(ちそう))、懸命に食べ物を作ってくれた多くの方々のこころをいただきました」という感謝の気持ちが詰まっています。
その感謝のこころは、食事の際の食べ物に対する感謝のこころに限らず、「すべてのもの、あらゆることを大事にできているか」ということにも繋がっていきます。
これから朝ごはんの食卓につかれる方も多いことでしょう。
「いただきます」「ごちそうさま」
その言葉の中に包まれているたくさんの感謝の心を、いつも忘れないように心がけてみましょう。
テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より
例えば、食卓にある食事を前にしたときに、直接は目に見えないけれども、その向こうに、生物の「いのち」であったり、作物ををつくってってくれた人だったり、収獲してくれた人だったり、それを運んでくれた人、調理してくれた人、調理場から食卓に運んでくれた人・・・というように、いろいろな姿が隠されています。
ご馳走の馳走も、「馳(は)せ走(はし)って・・・」という語源をもちます。
食事に限らず、どのようなものでも、どのような事柄でも同じです。
直接は目に見えないことまで思いを馳せることばが「いただきます」です。
自分の目の前に届くまでに、どれほどの時間・空間・人の手がかけられているのかを考えれば、それを粗末にすることはできません。
上永谷駅周辺で集中的に水道工事が行なわれています。
経年劣化した水道管を地震に強い水道管に更新する工事です。
そのために、駅周辺の道路はこのような状態になっています。
特に、インターロッキングブロック舗装されている歩道は見栄えが良くないですね。
この仮復旧の状態は、一度掘り返し、埋め戻した土が安定するまで続きます。本復旧されるまでのガマンですね。
仮復旧舗装は、出来るだけ安く、出来るだけ早くが命題ですから、冒頭の写真のような状態になってしまいます。
しかし、このインターロッキング舗装の仮復旧の方法についても、もう少し何とか考えられないでしょうか・・・・
歩道の舗装として、アスファルトではなく、このようなインターロッキングブロックが用いられることがありますが、それにも理由があります。
インターロッキング舗装の長所として
・様々な色彩の組み合わせで、デザインに優れたり、視認性の高い路面表示が可能
・すべり抵抗性、耐久性がある
・目地を通して雨水が地中に浸透するために水溜りが出来にくい
・透水性ブロックを用いることにより、浸透性が高まり、ヒートアイランド対策や流出のピークカットに貢献する
・敷設後、直ちに共用できる
・剥がしたブロックを再利用できる
などが挙げられ、短所としての
・敷設単価がアスファルトの2~3倍高い
・メンテナンスが大変
・埋設管の工事および復旧単価が高くなる
などを勘案しても導入にふさわしいと判断されるからです。
とはいえ、透水性を確保した施工性の高いブロックの開発や、メンテナンス性の向上など、この分野ではまだまだ改良の余地は大いにありそうです。
そういえば、数年前まで横浜市では水道の汚泥を圧縮して焼き固めたブロック「ハマレンガ」が作られ、積極的に普及につとめていたはずでしたが、採算が取れず、また透水性やすべり抵抗に問題ありということで、製造中止になってしまいました。
「ハマレンガ」製造中止へ 不評で売れ残り40万個
横浜市が「ハマレンガ」(縦10センチ、横20センチ、高さ6センチ)の製造を3月末で休止する。
下水道の汚泥を圧縮して焼き固め、販売していた。 リサイクルを目的に95年に生産を開始。だが、透水性が低く滑りやすいことや形が1種類だけで使い勝手が良くないため売り上げは伸びず、01年には一時110万個が野ざらしに。今も40万個が売れ残る。
03年度は製造コストが1億7800万円かかったのに対し、売り上げは5800万円。採算が合わず、 新年度からは民間企業への製造委託を検討する。
(200/2/1 朝日新聞)
もう一工夫があれば違った結果になったかもしれない残念なニュースです。
仏教の世界観を表すことばに、「インドラの網」というのがあります。インドラというのは、帝釈天(たいしゃくてん)のことです。帝釈天は「須弥山(しゅみせん)」という山の宮殿に住んでおり、屋根には蜘蛛(くも)の糸よりも細く透明で美しい網がかかっています。
その網目には様々な色に輝く宝石が結ばれていて、その無数の宝石は、それぞれがお互いに照らしあって輝いています。
ひとつひとつの宝石が、かけがえのない存在として、幾重(いくえ)にも関係しあっているのです。
この、ひとつひとつの宝石は、私たち一人ひとりの存在に置き換えられます。
しかし、宝石は、時には曇ってしまい、光が薄れてしまうことがあります。そんな時は、その宝石だけではなく、周りの光も鈍くなってしまいます。
逆に、一点の曇りもない綺麗なこころの宝石は、周囲に明るく光を放ち、宝石たちはお互いにキラキラと照らしあって、よりいっそう輝きを増していきます。そして、その光はまた反射して跳ね返り、再び自分を照らす光になります。
あなたも掛け替えの無い宝石です。
そうです。あなたが輝けば、世界も輝くのです。
テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より
インドラ=帝釈天は、インドのヴェーダ神話の神が仏教に取り入れられたもとされ、仏法を護る神です。帝釈天が住む宮殿の屋根には美しい網がかかっています。
インドラの網は、この世の地球上のすべての生きとし生けるものが、すべて繋がりあって、照らしあって構成されているという、仏教の「縁起」の関係を喩えています。
あらゆる存在は網目の宝石の一つ一つであって、一つ一つの宝石があるからこそ、網全体が成り立っています。
どんな存在でも、自分だけで存在しているものはないし、どんな存在でも、他との関わり合いの中でしか存在しないのです。
そして、一人ひとりが「この世を照らす」尊い存在であることを忘れてはなりません。
なお、帝釈天、特に東寺の国宝・帝釈天は私が好きな仏さまの一つです。とても”イケメン”の仏さまです。
私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂《てんちょう》から四方の青白い天末《てんまつ》までいちめんはられたインドラのスペクトル製《せい》の網、その繊維《せんい》は蜘蛛《くも》のより細く、その組織《そしき》は菌糸《きんし》より緻密《ちみつ》に、透明《とうめい》清澄《せいちょう》で黄金でまた青く幾億《いくおく》互《たがい》に交錯《こうさく》し光って顫《ふる》えて燃えました。
『インドラの網』(宮沢賢治・角川文庫,1996・青空文庫)より
先日、東京での会議⇒熱海での会議へ新幹線で移動した時のことです。
下車した熱海駅の改札口で、ポケットに入れたはずの切符が見当たらない・・・・
仕方がないので、駅員に申告して再度運賃+特急料金を支払い、再収受証明をしていただきました。
3,570円の出費は、致し方ない・・・・・
数日後に、JRの忘れ物センターに問い合わせてみると、なんと紛失したものと思われる切符が保管されていました。
新幹線の終点の駅にあるということなので、恐らく新幹線車内で落としたものを、終着駅で車内清掃の際に見つけていただいて、保管していただいたのでしょう。
さすがに取りに行くことは出来ないので、着払いで送っていただきました。
そして、届けていただいた切符がこちら。
まさにこの切符です!
新幹線の清掃作業は「新幹線劇場」と称され、その作業の正確さと素早さは欧米の高官が視察に訪れたり、CNNでは「奇跡の7分間」と絶賛されるなど、世界に誇るものとなっています。
その数分間の中で、膨大な数になろうゴミの中から、切符を廃棄せずに、きちんと拾ってくれて、データベース化していただいたことに感謝します。
また、東京の猪瀬知事は、東京へのオリンピック招致プレゼンテーションで「東京では財布を失っても手元に戻ってくる。しかも、お金が入ったままで!」と訴えました。
日本の素晴らしい一面に触れることが出来た出来事でした。
JRの皆様にはお手数をおかけいたしました。
改めて感謝いたします。
銀座のレストランで車椅子に乗るO氏が入店拒否され、その経緯をO氏がtwitterに投稿した件で、レストランに非難が殺到し、さらに逆にO氏の態度が横暴ではないかという論争が起きています。
この件については、お互いのちょっとした「配慮」が欠けていたために起きたことだという印象ですが、実際にその場を見た訳ではなく、当該の状況を詳しく知るわけでもないので、ここではどちらが良い、悪いといったことは述べません。
最近特に感じるのですが、そのような事象が起きると、俄評論家や俄プロ市民のような者による非難の矛先が一点に集中します。
インターネットの社会の悪い側面だと感じます。
さて、そのような論争は置いておいて、貞昌院ではどうか、ということを書いてみます。
(あくまでも「貞昌院では」ということで読み進めてください)
5年ほど前に、ブログ記事 障壁を少しづつ取り払っています で纏めたように、お寺や神社というのは、バリアフリーの観点で見ると、車の入れない急峻な坂道があったり、何百段もの石段を登った先にあったりと、必ずしも参拝客に優しくない場合が多いわけです。
むしろ、わざわざそのような場所に作り、俗の世界との明確な区別をしているともいえます。
しかしながら、近年は特に高齢化の参拝者も増加しており、貞昌院でも、そのような方々に安全に、たやすくお参りしていただくことができるよう、バリアフリー化を進めてきました。
段差を無くしたり、客間を全て椅子にしたり、本堂での参拝についても椅子でお参りいただいています。
また、車椅子を利用される方については、外から車椅子で玄関に入る際に、車輪をタオルで拭いていただくことで廊下や本堂畳もそのまま通っていただけます。
本堂正面での焼香も問題ありません。
これまで何人もの方々もそのようにされてきておりますので、どうぞこれからお参りのかたも遠慮なくお越しください。
事前にお申し出いただく必要はありません。
盲導犬についても、まったく問題ありません。
客殿はもちろん、本堂参拝にも盲導犬を同伴されることが可能です。
日本人の結界に関する考えには独特のものがあります。
結界を結ぶ装置が「縁」。
縁側も、外と内とをつなぐ空間です。
(写真は舞岡公園古民家の縁側。縁側でお茶を飲みながら近所の方々と交流します)
日本人のもつ思想の特長的なものを一つ挙げるとすると、個々を明確に区分せず、このような縁側の要素を持つということがあります。
この縁側の要素により、自と他の境界を曖昧にして他人と接してきました。
それゆえ、明確な自と他の境界での衝突をすることなく、ノンバーバルな表現や、人の心を察する感受性、お互いを尊重し譲り合う精神が育くまれてきました。
縁のような曖昧な境界を持つことができるというためには、それだけ柔軟な精神を有する必要があります。
バリアフリーは、物理的な障壁を取り払うだけではなく、精神的な障壁を取り払うことでもあります。
日本人の育んできた懐の深さ、思いやりのこころを大切にしたいものです。
お知らせです。
6月8日、貞昌院を会場として、傾聴カフェを開催します。
カフェには盲導犬もやってきます。
お寺を会場に盲導犬とのふれあいも行ないますので、お時間がある方は貞昌院にどうぞお越しください。
「傾聴カフェ」
日時 平成25年6月8日(土)午後1:30-3:30
会場 貞昌院(港南区上永谷5-1-3)市営地下鉄 上永谷駅 徒歩5分
参加 無料
⇒詳細はこちら
熊蜂(クマバチ)は本当は飛べないはずなんだ。
けれども、飛べないことを知らないから、飛べるんだよ。
藤の花の周囲を熊蜂が盛んに飛び回っています。
花から一定の距離をホバリングしているかと思えば、近づいてきた蝶や他の蜂たちをもの凄いスピードで追いかけたりしています。
熊蜂の体は、ずんぐりしていて丸々と太っています、それに比べて羽は小さく、こんな羽でよく飛行できるものだと感心します。
その疑問は昔からあったようで、熊蜂の羽、体重、筋肉などをモデル化して計算した結果、理論上は飛ぶことが不可能であるという結論が得られ、長い間、何故熊蜂が飛ぶことが出来るのか大いなる謎でした。
そこから冒頭のような表現が生まれたのです。
熊蜂は、出来ないように思えることも、「気合」を込めれば何とかなる!という象徴にもなりました。
大型の体とそれに見合わない小さな翅から、かつてはマルハナバチとともに「航空力学的に、飛べるはずのない形なのに飛べている」とされ、長年その飛行方法は大きな謎であった。「彼らは、飛べると信じているから飛べるのだ」という説が大真面目に論じられていたほどである。現在はレイノルズ数(空気の粘度)を計算に入れることで飛行法は証明されているが、ここからクマバチは「不可能を可能にする」象徴とされ、しばしば会社やスポーツチームのシンボルマークとして使われる。
(ウィキペディア「熊蜂」項参照)
流体力学が発展し、レイノルズ数を考慮に入れた計算が出来るようになると、熊蜂の飛行が物理学的に説明できるようになりました。
熊蜂のスケールで考えると、空気のもつ粘性(粘り気)は無視できない大きさとなり、その粘性をうまく利用して熊蜂は難なくダイナミックな飛行を可能としているのです。
それにしても、熊蜂は「気合」を込めて飛んでいるだけあって、羽音はとても大きく、また、その姿から、近づくととても危険な蜂に思われがちです。
しかし、それは大いなる誤解です。
藤の花の近くでホバリングを繰り返している熊蜂は「オス」であり、メスが飛来してくるのをじっと待っているだけなのです。
「オス」の熊蜂は、針が発達しておらず、人を刺すことがありません。
だから、オスの熊蜂には近づいても大丈夫。
姿や羽音に反して、実におとなしい蜂なのです。
(※注:あくまでも、おとなしいのはオスの熊蜂だけです)
一生懸命気合を入れて飛び、メスが来るのを待っているオスの熊蜂。
何だか愛おしく思えて来ませんか?
大本山永平寺・總持寺をはじめ、全国の主要な寺院で毎年授戒会が行なわれていることをご存知でしょうか。
横浜市鶴見区の大本山總持寺の場合は、毎年4月10~16日の日程です。
授戒会とは、仏教徒として、仏道に根ざした生活を送る決意をし、戒を受けることによってお釈迦さまの弟子(仏弟子)となり、仏教徒としての自覚を持つことです。
近年では、生前に戒を受けるということは稀で、葬儀の際に初めて、この授戒の作法を行なうことが当たり前になってしまっています。
けれども、本当は、生前授戒(生きているうちに戒を授ける)ことのほうが望ましいですし、それが本来の姿であるともいえます。
今年の大本山總持寺授戒会には、貞昌院の檀家さんから2名の参加をいただきました。
授戒中の加行、懺悔道場、教授道場、正授道場をきちんと受けられ、仏戒を授かり、大祖堂の須弥壇上に登り、そして仏弟子の証である血脈を戒師さま(大本山總持寺貫首 江川禅師さま)より授かりました。
お釈迦様から数えて第88代目の仏弟子となりました。
完戒おめでとうございます。
さて、この授戒で授けられる血脈(けちみゃく)には安名(あんみょう)の4文字が書かれています。
これが、いわゆる生前戒名に当たるものです。
残念なことに、大本山總持寺での授戒会に参加される人数は減少傾向にあり、今年は60人ほどでした。
總持寺の檀家さん、そして全国各地の寺院の檀家さんの数に鑑みると、とても少ないと感じます。
その理由として考えられることは
(1)授戒会自体の知名度がそれほど高くない
(2)一週間の日程が、忙しい現代社会においては全うすることが難しい
(3)戒名料の問題が懸念され、寺院側が躊躇する
などが挙げられるでしょうか。
けれども、私は、もっともっと授戒会のことを知らしめる必要はあると考えますし、授戒会に参加される人数が増えればよいと考えています。
(1)については、總持寺の檀家さん、そして随喜寺院の檀家さん、全国寺院の檀家さん向けに、分り易い案内状を作成して知らしめることが必要と考えます。
ちなみに、一週間の日程の宿泊費・修行僧が心を込めて作る一日三度の食事つきで、大本山總持寺への志納金は合計4万円です。
(2)については、授戒は一週間の差定から構成されています。 しかし、忙しい世の中です。
中々一週間全てには参加することは難しい場合があります。その場合は、(本来は望ましくないのですが)4月13日~15日の日程を全てこなせば、仏弟子として認められます。
(3)戒名料の件については、授戒で戒師様より授かる「安名」は、信士、信女、居士、大姉などの位階が付与されていない4文字です。
貞昌院檀家さんが授戒会に参加していただく際には、貞昌院で安名の4文字を作成して、本山に届けさせていただいています。
そして、いつか、その方の葬儀の際には、その安名に位階(信士、信女、居士、大姉など)を付与して、戒名とさせていただきます。
なお、貞昌院では、葬儀の際には、通常の信士信女であれば、世間一般常識的な葬儀布施以外に戒名料・位階料を貞昌院で追加でいただくことはありません。
ただ、(3)については、寺院によって事情が異なる場合があります。
とにかく、このあたりを整理しなていかないと、授戒会の参加者が増えることは難しいと考えます。
授戒会の間はさまざまなわからないことが多く、不安もあると思います。
けれども、戒弟の皆さんの身近には24時間体制でサポートする多くの僧侶が居ります。
安心してご参加くださって大丈夫です。
一人でも多くの方が参加されることを望みます。
■追記
本山への授戒会へは、必ず菩提寺を通してお申込みされることをおすすめします。
貞昌院の檀家さんでしたら、貞昌院へお申込みください。
詳細は、菩提寺か大本山總持寺にお尋ねください。
お昼時、駅に程近い通りを散歩すると、レストラン・食堂の入口に並べられている様々な食品サンプルに目が釘付けになります。
なんて美味しそうなんでしょう。
とても、食べられない「見本」だとは思えません。
外国では、レストランにサンプルが並べられていることは、まずありません。
写真があればまだマシで、大抵は料理の名前が並べられている素っ気無いメニューがあるだけです。
2年前にドイツに行った際も、ドイツ出身の方でさえ出身地と違う地方なので、メニューを見てそれがどんな料理か想像できない・・・・と言っていました。
日本は、このような分野において、何とサービス精神が旺盛なんでしょうか。
しかも、展示されているサンプルとほとんど同じものが、きちんと目の前に運ばれてきます。
食品ディスプレーの中で、個人的に一番印象に残っているものは、浅草の「山田うどん」のディスプレーです。
初めて見たときには、あまりにも衝撃的過ぎて、写真に撮ることすら忘れていました。
Google先生が記録してくれているストリートビューをご紹介します。
このディスプレー、空中に浮いた巨大な箸が、コミカルにうどんを掬い上げているというもので、かなりのインパクトがあります。
食品サンプルや独創的なディスプレイ、これらは誇るべき日本の文化の一つだと感じます。
大手予備校の現代文講師、林修先生がちょっとしたブレイクをしています。
これを仏教的にいうと
他不是吾(他は是れ吾にあらず)
更待何時(更に何れの時をか待たん)
になるでしょう。
このことばは、仏道を求めて宋に渡った道元禅師が天童寺の老典座和尚から言われたことばです。
まだ24歳の青年僧だった道元禅師は、炎天下にお寺の回廊脇で、茸を並べて干している一人の老僧、典座老師に出会います。
杖をつき、笠もかぶらず、汗だくになって夢中で干しています。
道元禅師は、このような仕事は若い修行僧に任せればいいのに、と疑問に感じ、典座老師に尋ねます。
「なぜ、この仕事をご老僧のあなたがやらなければならないのですか?」
「他不是吾」(他は是れ吾にあらず=他人のしたことは、私のしたことになならない)
「この炎天下、暑いですから、いまは、仕事を少し休んで後にしてはいかがでしょうか」
「更待何時」(更に何れの時をか待たん=またと無いこの時をやりすごしてしまって、いつの時を待とうと言うのか)
この問答で、道元禅師は自分の至らなさを悟ったといいます。
空間軸と時間軸の中で、確固たるものは、この自分であり、この今という一瞬です。
「この今」は、仏教のことばで「而今(にこん)」といいます。
時間軸のうち、過ぎ去った過去の時はもうそこに立ち戻ることは出来ない。また、これからの未来は不確かでどのようになるか分らない。
ただ、確かな「現実」は「この今」だけなのです。
このことを玄侑宗久師は次のように表現しています。
客観的存在も客観的時間も存在せず、世界は吾有時(わがうじ)そのものであると禅師は云う。「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり」
私は「有時」を理解するために、「物語」という言葉を使ってみた。
たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、「寝たときの今」と「起きたときの今」を「排列」してできた認識である。換言すれば「昨日寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした「物語」を産むことで時間をあらしめ、また自己存在を認識することになる。
むろん「排列」する際には省略も含む。たとえば「最近私はとても調子がわるい」という時間と自己を提出しようと思えば、たまたま調子がよかったことは全部省き、美味しかった夕食もはずし、面白かった映画や彼女との会話も削ぎ落としてようやく成立する「物語」なのだと知るべきだろう。つまりあらゆる時間もそこでの自己存在も、厳密な意味ではフィクションなのである。
過去・現在・未来と、時が一つの方向に流れていくなどと思うのは、仏道を専一に学んでいないからだと禅師は云う。三つの時制は実は「つらなりながら時時」と並んでおり、それを我々は「経歴(きょうりゃく)」している。この「経歴」こそ、「排列」からさらに複雑化した「物語」と云えるだろう。一つの「物語」を語るために、我々は無数の「有時」を如何様にもアレンジし、改変すると云うのだ。
(2003アンソロジー「有時するということ」より一部引用)
仏道を学ぶ人は、「後でやろう」などと考えてはいけません。
過去も未来も不確かなものなのだからです。
これは、仏道に限らず、全てのことに当てはまると感じます。
私自身も、同時進行で様々なことをこなさなければ成らなくなる場合があります。
その時も、やむをえず「後回しにした」ことは、良い結果とならないことが多々あります。
やはり、「この今の瞬間」を大切に、やるべきことはやるべき時にやる、それが大事なことなのだと肝に銘じています。
今日、このときをぼんやりと過ごさず、その日その日、その時、その時を送らなければならない。
みなさんは、自身に託された仕事をいつやりますか?
「今でしょう!」
空港や駅のホームで、行き先や時刻を伝える、パタパタ表示板(フラップ式表示板・パネル式表示板)が次々と姿を消しています。
先月は、ついに新幹線の最後のパタパタ表示板が撤去されてしまいました。
消えるパタパタ音 新幹線駅のパネル式表示板撤去
東海道新幹線の駅ホームで、行き先や発車時刻を伝えるパネル式の表示板が姿を消す。唯一残っていた三河安城駅(愛知県安城市)で23日深夜、最終列車が通過した後に撤去される。「パタパタッ」という軽快な音で乗客に発車時刻を伝えてきたが、複雑なダイヤに対応するため発光ダイオード(LED)を使ったデジタル表示に全面移行することになった。
23日の最終列車後に撤去される東海道新幹線最後の回転式列車案内(18日午後、三河安城駅)
「こだま649 13:32 新大阪 自由席1―7、13―15号車」。黒いパネルに白い文字で発車時刻や行き先などを表示。列車が走り去るとパネルが回り、次の列車を知らせる。「懐かしい」とカメラを向ける利用客も少なくない。
「数字が切り替わる様子が見ていて味があった。なくなるのは少しさみしい」。18日午後、出張で三河安城駅を利用した福岡県筑紫野市の会社経営、大島康正さん(45)は名残惜しそうに話す。
JR東海によると、同駅の「フラップ式ホーム発車標」と呼ばれる表示板は1991年、東海道新幹線の東京駅に初めて導入。名古屋駅や新大阪駅、京都駅など全16駅の99カ所に設置された。
ただ2002年秋には現行のLED式が登場。03年10月には品川駅が開業、全列車の最高時速が270キロとなり、「のぞみ」の運行本数も大幅に増加。「ひかり」「こだま」を含めダイヤが複雑になり、多くの情報を瞬時に伝える必要が高まったことも背景にあった。
デジタルでは遅れの原因や再開見込みまで同時に伝えられるうえ、フルカラー式で文字が大きく視認性が向上。のぞみ停車駅を中心に切り替えが進み、最後となった三河安城駅でも設備更新の時期を迎えた。JR東日本、西日本、九州管内の新幹線駅もフラップ式の発車標はなく、新幹線駅からは完全に姿を消すことになる。
JR東海の須田寛相談役は「フラップ式は仕組みは単純だが自動で表示が変わるなど、アナログからデジタルへの移行期を象徴する表示だった。撤去は一つの時代が終わったということ。今後は携帯電話に自動的に遅れの情報を流すなど、さらなる進化が求められる」と話している。
(日本経済新聞 2013/1/22配信)
そういえば、身近な駅や空港でも、ほとんどがLED電光表示板になってしまいました。
特に首都圏では、路線相互の乗り入れが複雑に絡み合っていて、アナログ式のパタパタ表示板で臨機応変に対応することは難しいのでしょう。
表示板から出るパタパタ・・・という音が消えてしまうということは本当に残念です。
それでも、京浜急行の横浜駅、京急川崎駅などでは未だパタパタ表示板が現役で活躍しています。
京浜急行は、改札の駅員さんが、改札鋏をリズミカルに音を鳴らしている光景も、他の路線よりもかなり遅くまで見られました。
アナログ機器に理解があるか、こだわりを持っているのでしょうね。
人間味のある光景が存続されることを願います。
下写真は大阪・梅田の光景です。
エスカレーターに乗っている人々が、きれいに片側に並んでいますね。
首都圏と違うのは、それが右側だということ。
なぜ、首都圏は左側で、関西圏は右側なのでしょうか。
また、その境目はどこにあるのでしょうか。
さて、今日のテーマは、エスカレーターを右側、左側ということではなく、もう一歩根源的な「なぜ片側に並んで、もう片側を空けるのか」ということを考えてみます。
そもそも、エスカレーターというのは、その階段を歩くことを想定した設計にはなっていません。
日本エレベータ協会協会では次のように呼びかけています。
■すり抜けは危険です
すり抜けざまに他の利用者や荷物と接触して、思わぬ事故を引き起こすことがあります。
■歩いたり走ったりすると身体のバランスを崩します
バランスを崩して転倒するなど、大きな事故を引き起こすことがあります。また他の利用者を巻き込む恐れもあります。
■ケガなどで、片方の移動手すりにしか、つかまることのできない方もいます
たとえば左手を骨折していて、右手でしか手すりにつかまれない方がいらしたとします。その方はエスカレーターの右側にしか乗れませんが、右あけが慣習となっていたらとても不自由で危険です。
まあ、至極当然なことです。
特に、朝夕のラッシュアワーでも、ほとんどの駅構内のエスカレーターにおいて片側空けする傾向にあります。
エスカレーターの乗口前は、エスカレーターに乗ろうとする方々で溢れます。
エスカレーターを1列で乗ろうが、2列で乗ろうが、エスカレーターの速度は変わりません。
すなわち、片側空けせずに2列で乗れば2倍の人を運ぶことが出来るので、効率的です。
また、前後を詰めてキチキチに乗る状態も緩和されます。
【頭の体操】
長さ50メートルのエスカレーターがあったとします。
エスカレーターの速度を2km/時、歩く人の速度を4km/時とします。
問 エスカレーターを歩く人は、立っている人に比べてとどれだけ早く終点に到達するでしょうか。
さらに言及すると、エスカレーターそのものも、左右均等に荷重がかかることを想定して設計しているはずなので、不均等に荷重がかかったり、歩行ステップのような振動がかかる状態が持続されれば、思わぬ故障の原因になったりエスカレーターの寿命も短くなるでしょう。
何よりも転倒・将棋倒しによる大事故を引き起こす要因になります。
危険をおかしてまでエスカレーターの片側空けをするメリットは何でしょうか。
・急いでいる人がいるかもしれないからその人のために空けておいたほうが良い。
・健康のためには多少なりとも歩いたほうが良い。
このくらいでしょうか。
(他にある場合はご指摘ください)
ほんの僅かの人の個人的なメリットのために、効率的な乗り物を非効率にしたり、場合によっては周囲の人を危険に晒すような習慣は、本当に「マナー」と言っていいものかどうか、疑問です。
この習慣は、大きな事故が起きてからでないと改められないのでしょうか。
同様の事例として高速道路の渋滞問題があります。
一台一台が少しでも速く走ろうとして、速度の調和を乱したり、勝手なペースで走ると、却って全体的な渋滞が波及してしまい到着時刻が遅くなってしまいます。
そのために、「ペースメーカー車」を適当な間隔に配置して、全体の調和を整えると、車はスムーズに流れ、渋滞は軽減するという社会実験の結果があります。
そこで、エスカレーターペースメーカーを自主的に募って「片側空けの空いているところに敢えて立ち止まって乗る」ということを、全国一斉に継続的に行っていけば、このような悪習は無くなっていくかもしれません。
ただ、「片側空けるもんだ!」と先入観を持っている人たちが、走る権利があるとばかりに押して来たり・・ということはあるでしょうから、そういう時こそマスコミの出番です。
※今日のブログでは「片側空けが悪習である」という前提で論を進めましたが、「片側空けは当然のマナー」だと主張する方のご意見があれば是非お寄せください。
1月14日成人の日の大雪直後は、はお墓参りの方々にも少なからず影響が出ました。
特に天神山にある墓地をお参りするために登る坂道の雪の影響は深刻です。
↓写真は先週の上墓地駐車場へ向かう車道です。透明に見える部分も氷です。これでは乗用車は登れません。
降雪から2日も経つとガチガチに凍結してしまい、数センチの氷となっています。
こうなっては氷を剥がすのも非常に困難になります。
そこで活躍するのが貞昌院の井戸。
天神山で育まれた豊富な地下水が深井戸に集められてきます。
水温は真冬でも5から10度程度ですので、融雪には最適です。
井戸からポンプアップされた水を、上駐車場に送ります。
揚程は10メートル程もありますが、難なく送ることができました。
路面から氷が浮いてきますので、そこから砕いていきます。
ここまで来れば車の通行や歩行にも問題は無いでしょう。
路面を掃いておけば数時間で綺麗に乾きます。
それにしても井戸水は有難い資源です。
通年にわたり5~10℃前後で一定していますから冬は温かく、夏は冷たい水が利用できます。
真冬に池の鯉たちは山からの清水が流れてくる方向にきれいに並んでいます。
温かい方向に向いているのです。
山からの水資源の循環なので、ランニングコストもかかりません。
災害時には、命をつなぐ水にもなります。
井戸水の有難さを改めて感じています。
成人の日に降った雪は、3日経った今でも境内に残っています。
(↓貞昌院ライブカメラより)
貞昌院は、南側に小高い山がありますので、雪がなかなか融けません。
屋根からの雪も境内のあちらこちらに残されています。
池の鯉たちは向こう側を向いて一列に並んでじっとしています。
山からの湧き水のほうが暖かいため、水が流れてくる方向に集まっているのです。
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ここ数日の間、貞昌院ホームページには多くのアクセスをいただきました。
特に雪が降り続いていた1月14日には、平時の4倍以上のアクセスがありました。
どこのサイトから貞昌院にたどり着いているかを、リファラーという機能で知ることが出来ます。
1月14日には
■Webカメラまっぷ
■世界の窓
あたりから来られる方が多かったようです。
ご訪問いただきました皆様、有難うございました。
本棚を整理している中で、子どもの頃に夢中になって読んでいた図鑑が出てきました。
『プログラム式 こどもカラー図鑑』(講談社・昭和45年10月20日発行)
私が小学校に入学した時に買ってもらった図鑑で、
1.どうぶつ・とり
2.こん虫
3.うお と かい
4.しょくぶつ
5.大むかしのいきもの
6.うちゅう・きしょう・ちきゅう
7.えねるぎー・えれくとろにくす
8.さんすう
9.こくご・えいご
10.しゃかい
11.こうつう と のりもの
12.ずが・こうさく・おんがく・たいいく・かてい
13.ひと の からだ
というような構成になっています。
この時代、かなり売れた図鑑のようですので、今の30-40歳代の方であれば読んだことのある方も多いのではないでしょうか。
何回も繰り返し読んでいたので、ボロボロになってしまっている巻もあります。
久しぶりにページを開いてみると、当時の記憶が鮮明に蘇ってきたりします。
どんな内容だったのか、いくつかご紹介します。
「日本の乗用車」
当時はこのような車が街中を走っていました。
ちなみにkameno家ではパブリカでした。
これからの乗用車は、買い物をするときに使う車、長きょりどらいぶ用の車、れじゃー用の車というように、使うもくてきによって、ひとりで2、3台所有するのがふつうになります。
高速道路がどんどんつくられ、車にはれーだーがつけられ、すぴーどやぶれーきは、むせんによってじどうてきにそうさされるようになります。
また、とらっくやばすは大型になり、2両いじょうれんけつしてはしるようになります。
既に実現している部分と、これからの部分がありますね。
車間を判断して自動的にスピードをコントロールしたり衝突防止のブレーキが掛けられたりということは、最近ようやく実用化され始めました。
バスが2両連結になる、というのは、これからも日本の道路事情では難しそうです。
それにしても断言形の文体はとても潔いものですね。
長きょりどらいぶ用の乗用車
(1)車の後方を写すてれび
(2)このればーを、一定のすぴーどのめもりに合せておくと、車はそのすぴーどで走りつづけます。
(3)車のま下を写すてれび
(4)わずかな力で、せいかくに進路が決められるはんどる
(5)れーだこの車のえんじんには、がすたーびんが使われています。
がそりんえんじんとちがい、ゆうがいなはい気がすを出すことなく、ひじょうに高速で走ることができます。
また、車体も軽いきんぞくでつくられ、高速でも安定がよいように、飛行機の尾よくに似たものがついています。
うーん・・・
未来の車に求める「夢」は、もっと大きくても良かったかも。
(1)は、まあバックモニター、(2)はクルーズコントロール、(4)はパワーステアリングとして、(3)の真下を写す意味って何だったんだろう・・・・
このほか、みらいの飛行機、みらいの船などが「かくねんりょう飛行機」「原子力商船」(近いしょうらいに、けいざいてきな原子力商船がつくられる時代が来るにちがいありません)などというように図解されています。
1966年には、鑽孔式(穴開け式)の光学読み取り式による自動改札機が開発され、近畿日本鉄道南大阪線の大阪阿部野橋駅や東京急行電鉄東横線の元住吉駅で試験が行われた。しかし、両社とも本格採用に至らなかった。
同方式の実用的な自動改札機が導入されたのは1967年のことである。京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)千里線の北千里駅で立石電機(現・オムロン)が開発した定期券専用自動改札機で本格的に採用された。しかし、全駅に導入されたわけではなく、また定期券専用であったため導入駅でも普通乗車券用に磁気バーコード式やその他の乗車券用に有人改札との併用であった。
(ウィキペディア「自動改札機」項)
とあるように、さまざまな自動改札機が試行されたものの本格採用に至らなかったものも多かったようです。
「みらいの鉄道」としては
(1)しゃりんしじ型・・・りにあもーたーを使って、時速400kmで走ります
(2)空気ふじょう型・・・しゃりんを使わず、空気をふきつけて、空中に浮き上がって走ります。りにあもーたーを使います。
(3)じきふじょう型・・・空気の代わりに車体と地上の両方にじしゃくをつけて、そのはんぱつ力で浮き上がってはしります。
(4)ちゅーぶ型・・・・・地下に埋められたちゅーぶの中をしんくうしして、地球の重力を加速力に使い、時速600kmをだします。
(1)は都営地下鉄大江戸線で実現した、といって良いのでしょうか。ただしスピードはこの5分の1程度ですが。
(2)実現のきざしすらありません
(3)技術的には可能なのでしょうけれど、運用にはあと10年以上かかりそうです。
(4)実用化する日が来るのでしょうか。夢は大きく持ってもよいですね。
「アナログ型コンピュータ」
回路を組んで、電流の大小で計算結果を判断するというコンピュータです。
このような時代もあったのです。
「テレビ電話」
いつか、このような電話が家庭に普及する時代がくることを夢に描いていましたが、想像よりずっと早く実現・普及が進んでいきました。
高度経済成長を支えるエネルギーとしては、原子力にかなり重点を置いています。
また、子ども向けの図鑑であるにも関わらず原子爆弾、水素爆弾の仕組みや構造なども図解されています。
建設中の東京電力福島第一原子力発電所や、高速増殖炉も紹介されています。
この図鑑が発行されてから40年以上の年月が経過しました。
子どもの頃、夢に描いた未来の世界と、実際にどのようになっているのかを比較すると、とても感慨深いものがあります。
同じように、今の子どもたちの描く未来は、子どもたちが大人になったときにどのように実現されていくのでしょうか。
現在、携帯電話としてウィルコムの「ストラップフォン(別名・フリスクフォン)」を使っています。
フリスクフォンというだけあって、サイズはフリスクと同じ大きさ。
さすがに小さく、その小ささに感動すら覚えます。
この「尖った」電話を販売しているのは、八王子のABITという会社です。
ABITは、知る人ぞ知る、通信機器や半導体の製造・開発を主な事業としている会社です。
この会社は、PHSとしてはストラップフォンのほかに「イエデンワ」という、また風変わりな電話も発売しています。
既成概念に囚われない、自由な発想と、それを商品化してしまうユニークな会社なのです。
きっと、携帯大手のD社やA社、S社ではこのような電話は実現しなかったことでしょう。
ASCII.jp に、この電話の開発秘話が掲載されています。
イエデンワとストラップフォンの父に誕生秘話を聞いた!
(ASCII.jp 2012年11月30日)
ストラップフォンは、とにかく人間工学とか使いやすさは置いておいて、電話を小さくする限界に挑戦した電話です。
ただ、デザインや質には妥協を許さず、例えば、本体のアルミ絞り出しの工程は、東京都大田区の町工場で18工程もの手間ひまが掛けられているそうです。
数字のボタンもアルミ絞り出し。
全面有機ELパネルにしたほうが大量生産かつコスト減となるそうですが、そうなると小さすぎて指でのボタン操作が不可能になるため、アルミ絞り出しのボタンが採用されたのだとか。
ストラップフォンを構成する本体アルミ絞り出し部品など(©ASCII.jp)
結果、大量生産ができない「尖った」機種が出来上がり、製造上の条件、様々な大人の事情等から、発売開始後、1ロットのみで実質発売が中止となってしまいました。
やはり、このような「尖った」端末は広くは受け入れられないんでしょうかね~
今まで、ストラップフォンを使っている他の人を見た事がありません。
それほど希少な機種なのでしょう。
生産台数は実際どれくらいだったのでしょうか。
現在ABITが実販売を継続しているPHS端末としては前述の「イエデンワ」があります。
⇒悟りの境地とまでいわれたウィルコムの「イエデンワ」スペック情報(Neverまとめ)
⇒#旅するイエデンワ(twitter)
⇒みんな遊びすぎ...「イエデンワ」を外で使う人が続出中(Neverまとめ)
こちらは、東日本大震災など大規模震災時にPHSが繋がりやすかったということと、料金体系が安いということ、乾電池でも動くこと、固定電話そのものの外観ということで、公共施設が災害対策用に積極的に導入しているそうです。
遊び心を持って受け入れられているところも好感度アップのポイントですね。
なお、イエデンワは後継種の「イエデンワ2」も開発中のようです。
日本の開発技術力、製造技術の底力はホント、凄いです。
今の時代、必ずしも良いものが売れるということではありませんが、このように真面目に作られた製品が、柔軟な遊び心を持ったユーザーのみならず広く一般に受け入れられ、もっともっと注目されると良いな~と思います。
■関連ブログ記事
フリスクフォン+XPERIA mini pro
新年を迎えたかと思えば、あっという間に三が日も過ぎてしまいました。
大晦日の除夜の鐘から三が日の間、貞昌院と隣の天満宮には多くの参拝をいただくのですが、今年は特に例年以上に多くの参拝をいただいた感があります。
さらに印象的だったことは、若い方々の参拝が目立ったこと。
願い事は様々でしょうけれど、やはり多くの方に参拝いただくことは嬉しいことです。
今日のYahoo!トピックスには次のような報道記事が掲載されていました。
お遍路ギャル増殖中…婚活、就活での御利益目的 様変わりする霊場巡礼
四国八十八カ所巡りといえば、白装束に身を包んだ年配の人たちの姿を思い浮かべるが、最近は杖を片手にカラフルなザックを背負って挑戦する若い女性たちが増えている。都会の喧噪を離れ、自然の中で日常生活や仕事のストレスを発散できることに加え、「婚活や就活で御利益を授かりたい」といった乙女心も足を向ける動機になっているようだ。おしゃれな遍路小屋が増えていることもブームを後押しし、“お遍路ギャル”の増加で伝統的な巡礼の風景は様変わりしつつある。
「やり始めたら、やめられなくなって」
大阪市の会社員、中元智子さん(33)は同僚の松本里美さん(34)、三好祐貴子さん(35)と3人で、3年前からウオーキング気分で遍路を始めた。以来、88カ所の札所を1番から順番に回り、現在は第28番札所(大日寺)までを巡拝した。
「異性との出会い」という御利益を求めて、自分を見つめ直すために…。それぞれの思いを抱いて続けるお遍路。「結構大変です。でも、途中でやめたら、罰(良縁に恵まれない)があたりそうで。御利益があると思えば、面倒で疲れることでも頑張ろうという気力が出てきます」と中元さん。小川のせせらぎや木々の香りに心をなごませ、途中の民家などで食べ物をもらうなど「お接待」という独特の“文化”に接して感動したという。
松本さんも「『お接待』でもらえるお菓子や果物などでエネルギーをチャージして歩くのが快感。何となく仏の息吹に触れられた感覚にもなり、“仏がかった”恋愛へのサプライズに期待してます」。三好さんも「巡拝中は『無』の境地ですが、常に『何かがある、何かが起きる』と信じて歩いています。私にとって遍路は今、自分の願いをかなえるための使命感のようなもの」と話す。
一方、通販会社をリストラされ、現在、昼は会計事務所、夜はキャバクラでアルバイト中という神戸市の女性(26)は、恵まれなかった仕事面での御利益を期待しながら巡る。「巡拝しているとき、悩みがあっても気分がすっきりするのが魅力。御利益あって再就職できればうれしいけど…」。
女性は平成23年秋からお遍路を続け、第18番札所までを巡ったという。11番札所(藤井寺)から12番札所(焼山寺)へ向かう途中にある「遍路ころがし」と呼ばれる急勾配の山道は難所で苦労した。「杖をつき、膝に手を置き、息を切らせて歩いていると、そこかしこに転がる石が意地悪な“誰”かに見えてきた」。いつしか、そんな苦労も思い出の一つになるに違いない。
彼女たちは、「菅笠に白衣」という通常のお遍路さんのスタイルとは違い、カラフルな服やバッグを身につけ、どちらかと言えば軽い登山に向かうといった格好だ。そんな華やかなギャルたちが寺で手を清め、納め札を入れ、線香とロウソクをあげて読経する姿は周囲の目をひきつける。
一方、こうしたブームを後押ししているのは、遍路道計約1400キロに88棟の休憩所・仮眠所を整備する「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」という事業だ。遍路文化に強い関心をもつ建築家で近畿大の歌一洋教授(64)が発案し、約10年前から四国地方の有志らがボランティアで進め、現在45棟まで完成した。
小屋は各地域の風土や観光、特産などをモチーフに設計され、弥生期の竪穴式住居(香川県内)、阿波踊りの編み笠(徳島県内)などをイメージしたユニークな建物ばかり。清潔感があり、あか抜けた感じでお遍路ギャルにも人気があり、人と気軽に知り合ったり、情報交換する場としても重宝されている。前出の女性たちも「小屋で出会う人たちが互いの内情に深く立ち入らないのがいい」と語る。
自然と触れ合う中で得られるさまざまな体験に魅力を感じ、巡礼に繰り出す女性たち。歌教授は「老若男女を問わずいろんな人から受ける『お接待』に女性たちは喜び、感動している。誰しも神や仏にすがるときは自然と厳粛な気持ちになり、普段は味わえないちょっとした緊張感も心地いいようだ」と女性たちがお遍路に向かう気持ちを“分析”する。
就活や婚活への御利益、癒やし、出会い…。四国遍路に求めるものは人それぞれだが、「一番は自然や人の恵みが堪能できること」と、ギャルたちは口をそろえる。
(産経新聞 1月5日(土)13時32分配信)
前に、ブログ記事で、次のような記事を書かせていただいたことがありました。
巡礼の旅、その魅力 (2005年の記事)
プチ修行と仏教ブーム (2007年の記事)
このあたりから、若者の仏教ブームが本格的に根付いてきたような感じがします。
しかし、この巡礼ブームを支えているのは、これまで何百年も継続して行われてきた巡礼地での『お接待』のご奉仕をされる地域の方々であり、そこに、さらに「安全に」巡礼できるような施設を整備されてきた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」のような有志ボランティアの方々であるといえます。
巡礼ブームは、伝統に培われた下地があり、そこにプラスαが加味されて、現代風にアレンジされたことにより徐々に進行してきたと考えられますが、動機はどうであれ、また伝統的な巡礼の風景が様変わりしつつあるとはいえ、それは時代の変遷に任せればよいことでありましょう。
その根幹を流れる「基本的精神」が大切に受継がれてさえいれば、それでよいのだと思います。
貞昌院でも、今後もこれまで同様、あまねく参詣にいらしてくださる方々が気持ちよくお参りできるよう、精一杯お迎えしていきたいと考えております。
年の瀬を迎え、新聞、テレビなどでは今年の総括として「十大ニュース」などが発表される時期になりました。
2012年は、みなさまにとってどのような年でしたでしょうか。
当ブログでも。毎日の記事より一年を振り返って独断により十大ニュース風にまとめてみました。
2012年の総括です。
できごと | 関連ブログ記事 | ||
1 | ハワイ・北米檀信徒大会 | 記事1 記事2 記事3 記事4 | 海外寺院の活動や動向は、日本の寺院にとって学ぶべきことが多いものです。 |
2 | プリウスPHVモニターに | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13ほか | プラグインハイブリッドの魅力に触れました。 |
3 | 演劇「佯狂のあとで」 | 記事1 記事2 記事3 | 本堂に本格的な舞台を築いて行われました。 |
4 | さまざまな天文現象 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 | 今年も多くの天文現象を愉しむことができました。 |
5 | いのちを守る地域力 | 記事1 記事2 記事3 記事4 記事5 記事6 記事7 記事8 | 活動を通してさまざまな学びを得ました。 |
6 | スティーブ・ジョブズと禅 | 記事1 記事2 記事3 記事4 記事5 | 禅の教えは現代社会にも通じるものです。 |
7 | 宗務所行事あれこれ | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12ほか | 役職員として多くの行事にかかわりました。 |
8 | 第14回ゆめ観音アジアフェスティバル | 記事1 記事2 記事3 記事4 | 継続は力なり。鎌倉市長様やのんちゃんにも参加いただきました。 |
9 | ハマSHOW!! | 記事1 | 三瓶さん大貫幹枝さんと一緒に坐禅しました。 |
10 | ダイヤモンド富士 | 記事1 記事2 記事3ほか | 昼から夜への変化は息を呑むほど美しいものです。 |
振り返ってみると、今年も個人的にもお寺にも様々なことがあった一年でした。
また、多くの方々とのご縁が広がった年でもありました。
ここに挙げきれなかったものも含め一つ一つが大切な思い出であり、学びでもありました。
来年もきっと様々なことがあるでしょう。
新たな出会いを楽しみにしています。
今年一年間お世話になりました皆さまに心より感謝申し上げます。
来年がより良い年でありますように。
■関連ブログ記事
十大ニュース@当ブログ2011
2010年の十大ニュース@当ブログ
2009年の十大ニュース@当ブログ
今回の研修旅行の途中、田老から宮古の間の三陸鉄道を利用させていただきました。
東日本大震災発生から僅か5日目の3月16日に、三陸鉄道はいち早く久慈―陸中野田間を運転再開。そして3月20日には宮古―田老間の運転が再開しています。
そこには、鉄道運行に従事される多くの方々の並々ならぬ熱意がありました。
復旧区間では信号が使えなかったため、よほどのことがない限り使われない指導通信式が採用されたそうです。
地域のための鉄道という、その責務を十分に果たしていると感じます。
地域の復旧復興には、鉄道路線の復活は大きな原動力になるものです。
■三陸鉄道の復旧の歩み
2011年(平成23年) 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により北リアス線、南リアス線とも全線不通。
3月16日 - 北リアス線 陸中野田 - 久慈間の運転が再開。同区間で復興支援列車の運転が開始され、3月31日まで運賃無料。
3月20日 - 北リアス線 宮古 - 田老間の運転が再開。
3月29日 - 北リアス線 田老 - 小本間の運転が再開。
11月 - 北リアス線の陸中野田 - 野田玉川間の復旧工事に着手。
2012年(平成24年)4月1日 - 北リアス線 田野畑 - 陸中野田間の運転が再開。
2013年(平成25年)4月 - 南リアス線 盛 - 吉浜間運転再開予定。
2014年(平成26年)4月 - 北リアス線・南リアス線全線再開予定。
田老駅は、田老の集落を見渡すことができる高台にあります。
宮古行きの車両がやってきました。
やはり電車は快適です。
普段なら閑古鳥が鳴く三陸鉄道・宮古駅。だが、発車10分前の改札口には、すでに20人を超える客が並んでいた。
「ありがとねー」。年配の女性が改札口にいた駅員へこう声をかけた。他の客も口々に駅員に感謝の言葉をかけながら列車に乗り込んでいく。3月29日12時45分。37人を乗せた運賃無料の「災害復興支援列車」は宮古駅を出発した。運賃収入よりも地域の役に立ちたい
三陸鉄道は宮古―久慈間を走る北リアス線と、釜石―盛間をつなぐ南リアス線の2路線を抱える。1984年の開業時は全国から観光客や鉄道ファンが押し寄せ、5年目黒字化の計画が、初年度でいきなり経常黒字。幸先よいスタートを切った。しかし、乗車人員は年々落ち込む一方。収支も開業10年にして経常赤字に転落。以後黒字に浮上することなく、現在に至っている。 もちろん赤字に手をこまぬいていたわけではない。各種イベント列車の運行からグッズ販売まで打てる手はすべて打った。2009年の「鉄道事業再構築実施計画」などのリストラも行い、ようやく光明が見えてきた矢先、今回の大津波が襲った。3月11日14時46分の地震発生当時、北リアス線では白井海岸―普代間を15人の乗客を乗せた列車が走っていた。南リアス線では吉浜―唐丹間にある鍬台トンネル内に2人の乗客を乗せた列車がいた。北リアス線を走っていた列車は安全確認の後、避難開始。乗客と運転士は本社から要請を受けた地元消防団に救出され、近くの避難所に送り届けられた。南リアス線のトンネル内にいた列車の乗客と運転士は、徒歩でトンネルを脱出して国道46号線に出たところ、たまたま通りかかった自動車に乗せてもらえ、避難所に送り届けられた。全員無事だった。
地震の翌日、望月正彦社長らは宮古駅から線路沿いに1キロメートル程度歩いてみた。「早期に復旧できる」。手応えを感じた望月社長は、翌13日には普代駅まで自動車で被害状況を見て回った。途中駅の田老の町の惨状を見た望月社長はこう思った。多くの人が家を流され、自動車を失ってしまった。ガソリンも入手困難だ。三陸鉄道は地域の生活の足となることを目的に設立された。今こそ、その使命を果たさないと──。
久慈側でも陸中野田まで歩いてみた運転士から被害軽微という報告があった。そこで、「全体の被害把握よりも復旧を優先しよう」と、決断。目視で被害が大きそうな区間の点検作業を後回しにして、復旧できそうな区間に全力を注いだ。地震のわずか5日後の16日、他の多くの路線が運転を見合わせる中、三陸鉄道はいち早く久慈―陸中野田間を運転再開させた。20日には宮古―田老間を再開。28日には宮古―小本間に運転区間が延びた。
車両基地が久慈側にあるため、宮古側で動かせる列車は地震当時、宮古駅に停車していた1両のみ。列車不足から1日3往復しか動かせない。それでもほかに交通手段がない人にとっては貴重な移動の足だ。赤字会社ゆえに運賃収入はのどから手が出るほど欲しいはず。だが、「今は運賃をもらうよりも地域に役立つことを優先したい」。運賃無料の復興支援列車はこうして生まれた(4月からは臨時割引運賃で運行)。途中駅で何人かの乗客が乗り降りしながら、13時25分、列車はゆっくりと田老駅に到着した。高台にあるホーム上に特段の変化はない。だが、眼下には、テレビや新聞で見たままの惨状が広がっていた。出口へ向かう通路からは、潮と土のにおいがした。津波で階段の踊り場まで土砂で埋まっていたという。単なる穴と化した出口から、市内で買った食料を抱えた地元住民や、避難所に物資を届けようとする人らが次々と現れた。出口前にはがれきをかき分けるように一本の道路が走っている。自衛隊員が急ごしらえで整備したものだ。彼らはその道を一直線に進んだ。そして、がれきの山の中に踏み込んでいった。(週刊東洋経済2011年4月16日号より)
ブログ記事 三陸鉄道被災レール で書いたとおり、昨年末の京浜急行大師線レール落札のご縁から、三陸鉄道の被災レールをお送りいただきました。
その後、何度かやり取りさせていただいて、ようやく三陸鉄道に乗ることが出来ました。
本社ビルにて。
三陸鉄道の未開通部分、南リアス線 盛 - 吉浜間は来年4月に運転再開予定。
そして、再来年、平成26年4月には、いよいよ三陸鉄道北・南リアス線全線再開予定となっています。
全線開通のあかつきには、ぜひ再び乗車してみたいと思います。
数億年のデータ保存が可能に 石英ガラスのストレージ、日立と京大が開発
日立製作所は9月24日、京都大学工学部(三浦清貴研究室)と共同で、石英ガラスを使ってデジタルデータを記録・再生可能な新技術を開発したと発表した。レーザーで石英ガラス内部に多層の記録層を形成し、CD並みの容量を数億年以上の長期間にわたって保存できる可能性があるという。文化遺産や公文書、個人が残したいデータなどの保存用媒体として実用化を目指す。
石英ガラス内部にフェムト秒パルスレーザー(数兆~数百兆分の1秒にまで短パルス化したレーザー)を照射してドットを形成。ドットを1、ドットがない部分を0としてデジタルデータを記録する。レーザー出力や形成するドットの間隔、ドットの深さ方向の間隔を最適化して多層記録技術を開発。4層の記録層を作成し、CD並みの容量を保存できるようにし、記録密度はCD(35Mバイト/平方インチ)を上回る40Mバイト/平方インチを実現したという。一度に100個のドットを記録する技術も開発し、記録も高速化した。
データ再生には市販の光学顕微鏡を活用。ドットデータを撮影すると、そのままでは各層のドット像が写り込み、ノイズになってしまう。正確に読み取るため、焦点距離を変えた2枚の画像を使ってコントラストを強調し、さらにドットの輪郭も信号処理で強調する技術を開発。読み出しエラーゼロに相当するSN比15デシベルの再生を達成したという。
記録した石英ガラスを1000度で2時間加熱する高温劣化加速実験を行ったところ、データを劣化なく再生できたという。これは数億年以上の保存期間に相当するとしている。
今後、記録密度をさらに高め、実用化を目指した実証実験を進めていくとしている。
(ITmediaニュース 2012年9月24日)
これは、注目すべき技術だと思います。
現代の記録媒体は、容量(記憶密度)の追求が優先していて、耐久性については二の次という感がありました。
しかし、データは使い捨てのものばかりではなく、永続的に保存しておく必要があるものもあります。
日立製作所が京都大学と共同で開発した技術は、数億年に亘って保存できる記録媒体というものです。
媒体としては、石英ガラスを用い、特に高価な材料を使うわけではありません。
データの記録に用いるレーザーには、フェムト秒パルスレーザーを用います。
このレーザーは、光線の持続時間を数兆~数百兆分の1秒という、とてつもなく短い時間で制御できます。
これによって石英ガラスの内部に、屈折率の異なる微小領域が形成され、それがドットとして記録されます。(写真中央)
デジタル記録ですから、ドットが"1"、ドットが無い部分を"0"として記録、それを読み出します。
記録容量や速度を高めるために、さらにレーザーのパワーや形成するドットの間隔、深さ方向の間隔などを最適化した多層記録技術、光の振幅や位相を2次元的に変調できる空間位相変調器が開発されました。
現在はCDに相当する35MB/inch2を上回る40MB/inch2程度の記録密度は達成できているので、十分実用域に入っているといえましょう。
さらに記録密度向上の余地があるようです。
歴史上重要な文化遺産や公文書、個人が後世に残したいデータなどを、この技術によって後世に残すということが期待されます。
Facebook利用率が24.5%、LINEは21.3%~ソーシャルメディア調査報告書2012
日本市場の動向調査では、2012年5月時点での日本のソーシャルメディア人口を5060万人と推計。2011年調査の3530万人から1530万人増加しており、この2年間で加速度的に伸びている。投稿や書き込みなど、何らかの情報発信を行なっているユーザーは3290万で、ソーシャルメディア利用者の65.0%に相当する。
インターネットユーザーにおけるSNSの利用率は、mixiが26.1%(前年調査27.0%)、Facebookが24.5%(同8.3%)、Mobageが8.4%(同6.3%)、GREEが7.8%(同8.3%)で、Facebookが大きく躍進。SNS全体の利用率もこれに伴って、前年の32.1%から45.6%に増加した。また、Twitterの利用率も前年の15.5%から26.3%と大幅に増加し、ソーシャルメディア(SNSまたはマイクロブログ)の利用率は52.0%とインターネットユーザーの過半数に達した。
利用デバイス別では、スマートフォンユーザーのソーシャルメディア利用率が66.7%と高く、40.0%がTwitterを、33.5%がFacebookを利用している。
インターネットユーザーにおける「LINE」の利用率は、「利用している」「試しに利用した程度」を合わせて21.3%で、最も利用率が高いのは男性10代の46.3%、次いで女性20代の43.4%、男性20代の32.7%となっている。
(Impress Watch 8月22日)
スマートフォンの普及により、ここ数年におけるソーシャルメディア利用の状況が著しく変動しています。
特にFacebook、Twitter利用者の増加が目立ちます。
今年に入って、LINE ,カカオトークなどの急増があり、今後動向はさらに変動していくことでしょう。
新しいソーシャルメディアが増えては淘汰を繰り返す状況に、どのソーシャルメディアを使ったら良いのか迷いがちです。
それぞれ特徴がありますので、時代に合わせて、目的に合わせて使い分けることも必要だと思います。
一番大切なことは、ソーシャルメディアに振り回されないように、上手に利用していくことです。
ソーシャルメディアコンサルティング会社、Tribal Mediaに解りやすい分類がされていましたので、その図を元に考えてみます。
それぞれのソーシャルメディアを、(リアルタイム-アーカイブ)と(誰が発信ー何を発信)の軸で分類すると次のようになります。
当ブログは、毎日の新鮮な情報も、過去の蓄積情報もそれぞれ幅広く扱っていますので、プロットすると上図のようになると感じます。
次に、(匿名-実名)での分類です。
当ブログは、実名によるどちらかと言うと社会的な情報の発信を主にしていますので、右下に位置します。
僧侶の発信するブログは匿名のものが多いのですが、それでも一般ブログに比べると実名の割合が若干多いと感じます。
ただ、完全実名ブログっていうのは少ないですね。
独立行政法人 日本貿易振興機構が2012年3月に発表した「米国におけるソーシャルメディア事情調査」によると
日本においてFacebookのユーザベースが伸び悩んでいる理由のひとつとして、日本人におけるインターネットを通じたコミュニケーションの在り方が、米国人のそれと根本的に異なっている事が指摘される。英国の調査会社TNS が実施したオンライン利用者における実態調査(2010年10月発表)によると、日本人がソーシャルネットワーク上で繋がっているデジタルフレンドは、一人平均29人で、世界におけるFacebook利用者の平均130人に比べ最も尐数であることが報告されている。Mixiにおいても、日本における利用者のデジタルフレンド数は一人当たり平均にして27人と尐ないが、ここにもプライベートなやりとりができることや、限られた友人との密接な関係を尊重すること、匿名でのコミュニケーションを好むといった日本人の文化的特性が背景として考慮される。Mixi上で実名や自身の写真を公開する利用者の割合は、全体の5%に満たない。
という指摘も頷けます。
日本特有の要因が、現在のソーシャルメディア利用状況に反映されているといえます。
八月盆も最終日を迎えました。
今夕(地域によっては16日の夕方)送り火をして、お盆の間お迎えしていたご先祖様、あまねくみ魂をお送りします。
そして、今日は終戦の日でもあります。
2005年のブログ記事太平洋戦争空襲~終戦の日において、貞昌院の先代住職 亀野寛量大和尚が記録した「太平洋戦争終戦の日の記録」をご紹介しましたが、今日は、その記述に補足を加えて改めてご紹介したいと思います。
囲み青い文字の部分が原文=永野連合町内会発行『永野郷土誌』(編纂委員長 ・貞昌院先代住職 亀野寛量)=よりの引用です。
また、黒文字は、今回私が補足した部分です。
『太平洋戦争空襲-終戦の日』 横浜の空襲は、昭和十九年の中頃から次第にその数を増して来た。始めは、極めて上空を、恐らく偵察か、又は空中写真撮影でもあらうか、相模湾から上陸、永野上空をかすめ、一直線に東北東に横浜の中央部を、一機又は少数機が通過する、ラジオはかけっぱなしである。 |
サイパン・テニアンを拠点としたアメリカ軍による日本への空襲に対し、その想定ルートの高台や建物の屋上には「防空監視哨」が設置されました。
防空監視哨は軍の施設ではなく神奈川県警察部の管下にあり、上永谷の近辺では日野公園墓地の高台には「十五番」防空監視哨がありました。
防空監視の任務は、見張り台に上り双眼鏡で飛んで来る飛行機が敵機か味方機か、その方向・高度と機数を瞬時に判断し、その旨を早急に 警察電話で県庁にあった横浜監視隊本部に連絡するもので、監視哨長以外は全て地域の日野・日下・桜岡・永野・大岡青年学校の15-19歳の生徒がその任務に当たっていました。
(『街づくりの歴史物語』(港南歴史協議会編)に防空監視哨の写真が掲載されています)
サイレンは直ちに全市に鳴り響く、警戒警報発令と同時に、小学校への登校は中止、登校途中でも直ちに家に引き返し、警戒警報解除まで、待機の姿勢に在ることは、学童自身もよく心得、父兄もよく承知している。本土南方数百粁の地点に空襲に備えての偵察網があったものと推察される。 警戒警報発令時々刻々敵機の進路が報道される。途中進路が海上、東又は西に偏向すると、間もなく解除の報道となるが、依然として相模湾を目指してとなると必ず東京、川崎、横浜の空襲警報と変わる。 永野地区は当時未だ、昔ながらの純農地帯で、民家も疎で、むしろ疎開学童の受入れ地区であったので、次第に疎開家族、学童が日増しに増加の一途をたどる。市街地の親戚の者は、皆挙って頼って来たため、どの家庭も、大家族でひしめくようになった。曽て田圃等へ入ったことのない、親戚の婦女子の方も、田植草取りに精出す姿に「ヒル」に足を喰われて悲鳴を挙げる光景等随所に見られる。 |
現在の港南区(当時は中区)エリアにあった4つの小学校のうち、日野・日下・永野小学校(当時は国民学校)は東京・川崎・横浜中心部からの疎開児童を受け入れていました。
逆に、桜岡小学校(当時は国民学校)は、児童56名が箱根に集団疎開しました。
永野地区の建物で最も目立つのは、永野小学校なので市防衛部の指示により、学校校舎の屋根は、迷彩といって、種々取交ぜた色に塗り換えられる。全職員と初等科三年以上の、警報の合い間を縫って、農協脇には百立方米、校庭の片隅に六十立方米の防火貯水槽の構築、警防団が、天神山下馬洗川からポンプで、一日掛りて貯水槽への満水作業、同じく職員と初三以上の学童で、校庭一杯に、避難防空壕を、市防衛部の指導で構築等やら、「ひま」栽培、「葛」「ちょ麻」「すすきの穂」「松脂」採取等の作業で、学業には殆んど就けなかった。 |
永谷地区は幸いなことに、大規模な空襲を受けることは無かったのですが、東京、川崎方面より多くの疎開を受け入れていました。
貞昌院にも境内に十数人の家族と、やはり十人前後の兵隊さんが生活をしておりました。
兵隊さんの主な任務は、山から松の木と根を堀り出してきて、それを下野庭に作られた釜で乾溜し、飛行機の燃料(松根油)の製造を行うことでした。
村人や子どもたちはその松の根の掘り出しと製造の手伝いをしていました。
貞昌院の釣鐘と本堂前にあった天水桶は、戦時中鉄の供出のため撤去されていましたが、戦後になって、上記の松根油を煮出した鉄釜が戦後不要になったため、貞昌院の本堂に天水桶として設置されました。
(現在の貞昌院の天水桶は、ブロンズ製の新しいものです)
いざ学習となると、疎開学童の激増のため、一つの机に腰掛は空箱を利用して、四、五人宛坐席するという状態であった。然し学童には常に、横浜市内の大部分の学童は皆親下を離れて、遠く箱根、小田原方面へ、不自由をしのんで、集団疎開をしていることを知らせ、幸いにも当地区では、両親の下で過ごせることの有難さを考えさせ、ガンバラせていた。 偵察的な敵機の来襲の中には、超上空で爆弾、焼夷弾投下もなく、ただ高射砲陣地からは盛んな砲撃が目撃された程度であったが、続いて、夜間空襲に変った。 昭和二十年二月中旬頃と記憶する。 |
アメリカ軍が、昭和20(1945)年5月10日に行なった第2回原子爆弾目標選定委員会での原子爆弾投下目標は下記の通りでした。
1.京都市:AA級目標
2.広島市:AA級目標
3.横浜市:A級目標
4.小倉市:A級目標
(選定理由・直径3マイルを超える大きな都市地域にある重要目標であること、爆風によって効果的に破壊しうるものであること、来る8月まで爆撃されないままでありそうなもの)
ここまでは横浜市が原爆投下目標都市の一つとされ、目標とされた都市は空襲が行なわれませんでした。
空襲が行なわれなかった理由は、原爆を目標の都市中心に投下し1発で完全に破壊することと、原爆のもたらす効果を正確に測定把握できるようするためです。
1945年5月29日昼間、アメリカ軍によって行われた横浜市中心部への空襲はB-29爆撃機517機、P-51戦闘機101機による無差別焼夷弾攻撃となり、横浜はわずか1時間余りで鶴見・神奈川・西・中・南・保土ケ谷区が壊滅、市域の34%が焦土と化し、人口の3分の1の31万人が被災、推定8,000~10,000人が命を落とされました。
八月十五日、敵機一機が撃墜を受け、飛行士は芹ケ谷町地区内へ落下傘で降下、機体は大破損して、現、南高校の東南山間に墜落した。 |
追撃を受けた機体はアメリカ軍のグラマンでした。
現在の南高校と相武山小学校の近くの東南山間部に墜落しました。パイロットは落下傘で脱出し無事でした。
その昼間に戦争が終わったことを告げる玉音放送がラジオから流れました。
その前八月十二日には、敵の艦載機が来襲、折しも小学校前道路の葬列行進中を、機銃掃射らしきを受けたが、突差に全員付近の民家の軒下や影に陰れ、死傷者は一人もなかった。その前八月六日広島市、八月九日長崎市に夫々爆弾が投下され、遂に実に、昭和二十年八月十五日正午、ポツダム宣言受諾、無条件降伏となったのである。 (『太平洋戦争空襲-終戦の日』引用ここまで) |
■ポツダム宣言(要旨)
1.吾等(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、吾等の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与える。
2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。
3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ドイツとドイツ軍が完全に破壊されたと同様、日本と日本軍が完全に破壊される事を意味する。
4.日本が軍国主義者の指導を引き続き受けるかそれとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
5.吾等の条件は以下のとおりであり、これについては譲歩しない。執行の遅れは認めない。
6.日本を世界征服へと導いた勢力を除去する。
7.第6条の新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまでの日本国領域内諸地点の占領
8.カイロ宣言の条項は履行されるべき。又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない。
9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。
10.日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではない。一切の戦争犯罪人は処罰されること。民主主義的傾向の復活を強化すること。言論、宗教及び思の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。
11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段のみを保有出来る。戦争と再軍備のためのそれは認められない。
12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立。これが確認されたら占領は解かれる。
13.全日本軍の無条件降伏。以上の行動に於ける日本国政府の誠意について、同政府による保障が提供されること。これ以外の選択肢は、迅速且つ完全なる壊滅のみ。
■日本を救ったお釈迦様のことば
1951年9月6日「サンフランシスコ対日講和会議(Treaty of San Francisco)」での場面です。
サンフランシスコ対日講和会議といえば、敗戦国日本をどのような処遇にするべきかを関連国が集まって協議した会議です。
特に、ソ連はアメリカ・ソ連・イギリス・中国で日本分割を決定するべきであると強固に主張します。
もしも会議の流れがそちらの方向に進んでいたら、北海道・本州・四国・九州がばらばらに分割されていた可能性もあります。
JRジャヤワルデネ元大統領の演説中、「セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害」は、主に日本帝国陸軍による印度洋作戦・セイロン島コロンボ空襲のことです。
この空襲により、連合軍の航空部隊、船舶に大損害を与え、さらにトリンコマリー基地空襲により空母ハーミスを撃沈、インド洋東西海域の制海制空権を日本帝国軍が掌中に収めます。
しかし、この後の拙攻により日本は敗戦への道を歩みます。
少なからずセイロン島に損害をもたらした日本に対し、JRジャヤワルデネ元大統領は「日本の掲げた理想に、列強国からの独立を望むアジアの人々が共感したことを忘れないで欲しい」と述べた上で、冒頭の『法句経』を引用し、日本に対する賠償請求を放棄し、日本が再び国際社会に復帰する道筋を作ってくれたのです。
何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。
私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます。
セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。
我国はそう(損害賠償を要求)しようとは思いません。何故なら我々は大師(釈尊)の言葉を信じていますから。
大師のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を高尚にしました。仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。(JRジャヤワルデネ元大統領の演説・1951年9月6日 サンフランシスコ対日講和会議にて)
この演説を日本人は知っておかなければなりませんし、決して感謝の心を忘れてはならないでしょう。
実に この世においては およそ怨みに報いるに怨みを以ってせば ついに怨みのやむことがない。
堪え忍ぶことによって 怨みはやむ。これは永遠の真理である。
怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は 怨みのないことによって静まるであろう。
怨みにつれて次々と現れることは ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は 怨みをつくらない。『ブッダの真理のことば 感興のことば』(中村元訳・岩波文庫)
釈尊のことばを伝える経典『ダンマパダ(法句経)』にある一句です。
終戦の日を迎え、この釈尊のことばが改めて心に沁みます。
句中の「ウラミ」という言葉には「怨み/恨み」両方の漢字が当てられます。
不平不満への「恨み」と違って、「怨み」には更に強く激しい人に対する感情が籠められています。
もしも戦いによって勝者には驕りが、敗者には怨みがもたらされるとすれば、そこからの離脱はかなり困難です。 戦後67年経った今でも完全なる解決がなされていないことからも判ります。
また、世界の恒久平和が人類共通の願いであっても、その共通であるはずの同じ目的を達することが如何に難しいかは、戦後からこれまでの間に世界各地でどれ程の戦争、紛争が起こっているかということを見ても明白です。
近代国家の多くは、巨大な軍事力を誇示することによって自らの安全を確保しています。
そして、自らの国・民族・宗教の安全を守り自らの平和を守るという大義名分の下、戦争、紛争が繰り返されてきました。
敵対を生み出す源は、自己中心のエゴイズムに他なりません。
私たちが自己中心的なエゴイズムを他人に押し付けるのと同じように、国家間、民族間でも自国・同胞の都合によって敵と味方という区別を作り出しているともいえます。
それゆえ、自国中心の国家エゴイズムから脱却すること無しに平和の実現は不可能でしょうし、ひいては自らの安全を守ることも出来ないでしょう。
戦後の日本は、確かに様々な問題を孕んいることは否めませんが、67年に亘り戦争・紛争を引き起こすことの無かった数少ない国です。 この事実は大きな意味を持ちます。 誇るべき事実です。
終戦の日にこそ、先人の記録、そして釈尊の教えを改めて噛み締めたいものです。
■主なブログ関連記事
66年目の終戦の日に(2011年)
65年目の終戦の日(2010年)
日本を救った釈尊のことば(2010年)
横浜刑務所とテニアン北飛行場(2010年)
松根油を煮出した釜(2009年)
港南区の炭鉱と戦争の影(2009年)
横浜にあった飛行場(2009年)
星条旗の下に生きた日系人たち(2009年)
松根油と戦時中の永谷(2009年)
太平洋戦争空襲~終戦の日(2005年)
曹洞宗では、グリーンプラン、省エネルギーへの活動を推進しており、その具体的行動指針のひとつとして「もったいないシール」をつくりました。
プリントアウトして、各家庭など身近な場所に掲示することで、節電や節水の意識を高めることができます。
「もったいないシール」ができました(曹洞宗のページヘリンクしています)
この「もったいない」という精神を世界中に紹介したのが、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんです。
2005年の来日の際に一番感銘を受けたのが「もったいない」という日本語でした。
3R(Reduce、Reuse、Recycle)をたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない資源に対するRespectが込められている言葉だとして、マータイさんは世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。
地球環境に負担をかけないライフスタイルを広め、持続可能な循環型社会の構築を目指す言葉として世界に広がっています。
さて、この「もったいない」の具体的実践行動について、福島県の「もったいない50の実践」が実に良いので、ここに紹介します。
次に掲げる福島県の「もったいない50の実践」は、循環型社会の形成に向けて、「もったいない」の意識を呼び起こし、県民一人ひとりが自発的な行動を起こす動機付けとして例示するものです。
曹洞宗の「もったいないシール」を次の「もったいない50の実践」と組み合わせることで、より具体的な行動として深化させることができると考えます。
■「もったいない50の実践」
水
1 水道を出しっぱなしにしないようにしましょう。
2 油や生ごみは排水に流さないようにしましょう。
3 洗剤は適量を使用しましょう。
4 お風呂の水は洗濯などに利用しましょう。
5 台所では水切りネットを使用しましょう。
6 米のとぎ汁は、庭木や花壇にまいて肥料として利用しましょう。自然
7 身近なところに花や木を植えましょう。
8 行楽でのごみは持ち帰りましょう。電気・燃料
9 使わない部屋の照明は消しましょう。
10 休み時間の照明は消しましょう。
11 コンセントを抜き待機電力を減らしましょう。
12 見ていないテレビは消しましょう。
13 夏のクールビズ、冬のウォームビズに努めましょう。
14 冷暖房機器は適正な温度に設定しましょう。自動車
15 近い場所には車でなく、徒歩や自転車で行きましょう。
16 燃費のよい車に乗りましょう。
17 マイカー移動でなく公共交通機関を利用しましょう。
18 アイドリングストップに努めましょう。
19 車の相乗りに努めましょう。
20 車の定期的な点検・整備を行いましょう。衣服
21 古着をリフォームして使いましょう。
22 不要になった衣服は譲り合いましょう。
23 衣類を生地にしてリサイクルしましょう。紙
24 紙は両面を使用し無駄に使わないようにしましょう。
25 紙はリサイクルしましょう。ごみ
26 できるだけごみを出さないように努めましょう。
27 ごみの分別は徹底的に行いましょう。
28 生ごみを堆肥化してリサイクルしましょう。
29 ごみのポイ捨てはやめましょう。食品
30 料理は食べられる量だけ作りましょう。
31 食べ残しをしないようにしましょう。
32 料理方法を工夫して、材料を無駄なく使い切りましょう。
33 ばら売りや量り売りを利用しましょう。食器等
34 使い捨てのコップ、皿はなるべく使わないようにしましょう。
35 できるだけ「マイはし」を使いましょう。容器包装
36 過剰包装を断りましょう。
37 飲み物はペットボトルより水筒を利用しましょう。
38 マイバッグ(買い物袋)を持参して、レジ袋を断りましょう。
39 リターナル瓶を利用しましょう。買い物
40 フリーマーケットを活用しましょう。
41 洗剤やシャンプーなどは詰め替え品を買いましょう。
42 エコマーク等の環境にやさしい商品を買いましょう。
43 買い物は必要なものだけ買いましょう。製造・販売
44 分別・リサイクルしやすい製品づくりに心がけましょう。
45 過剰包装はやめましょう。全般
46 捨てる前にもう一度考えましょう。
47 壊れたものは、できるだけ修理して使いましょう。
48 手作りを楽しみながらリサイクルしましょう。
49 できる限り地元でできたものを利用しましょう。
50 先人の知恵や技を学びましょう。
このように素晴らしい地球共通語「もったいない」も、使い方を履き違えると、とんでもないことになります。
海水注入「もったいない」=東電本社、廃炉恐れ-吉田所長は反論・福島原発事故
東京電力福島第1原発事故直後の昨年3月13日、危機的状況にあった2号機原子炉を冷却するため海水注入を準備していた同原発の吉田昌郎所長(当時)に対し、本社側が「材料が腐っちゃったりしてもったいない」などと指摘していたことが8日、東電が公開したテレビ会議の映像で分かった。
圧力容器などが海水の塩分で腐食し、廃炉になるのを恐れたとみられる。東電は6月に公表した社内調査の最終報告で「本店対策本部を含め、事故収束に向けた対応をしていた」として、海水注入をためらったとの見方を否定していた。
映像によると、13日夜、東電本社で復旧計画の策定を担当する復旧班の人物から「海水からいきなりやるふうに聞こえていて」と疑問の声が上がった。肩書や名前は明らかにされていないが、この人物は「こちらの勝手な考えだと、いきなり海水っていうのはそのまま材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべく粘って真水を待つという選択肢もあると理解していいでしょうか」と尋ねた。
これに対し、吉田所長は「今から真水というのはないんです。時間が遅れます、また」と強調。「真水でやっといた方が、塩にやられないから後で使えるということでしょ」と問い返した。
さらに吉田所長は「今みたいに(冷却水の)供給量が圧倒的に多量必要な時に、真水にこだわっているとえらい大変なんですよ。海水でいかざるを得ないと考えている」と断言した。
復旧班の人物は「現段階のことは了解しました」と了承したが、この後も復旧班から「いかにももったいないなという感じがするんですけどもね」と苦笑交じりの声が漏れた。
(時事通信 2012/08/08-17:40)
緊急事態における対応で、「材料が腐っちゃったりしてもったいない」という東京電力本社の海水注入を躊躇する発言です。
その後に起こりうる事象に思いを巡らすことができなかったのでしょう。
東京電力福島第一原子力発電所の水素爆発が「起こらなかった」場合と「起こってしまった」場合では、日本を揺るがすほどの膨大な損失を生み出し、天と地もの隔たりとして現れます。
「もったいない」の一言では言い表せないほど重いことです。
事故直後の対応についての検証は充分過ぎるほど徹底的に行なう必要があるでしょう。
ある行事が開催されることを一般の方に知ってほしい
活動の内容を伝えたい
ブランドの価値を高めたい・・・
一般企業に限らず、どのような法人・団体・個人であってもこのような欲求はあると思います。
お寺では、地道な活動をしていればそれで良しとするという考えもありますが、それでも一般向けに社会的な活動をする場合には、情報発信の必要性が生じます。
情報を広く伝達するためには、メディアによる情報伝達が不可欠となります。
お寺とメディアって、何の関連性も無いように思えますが、実は密接な関連性を有します。
何故ならば 【布教】=【メディアによる情報伝達】 であるからです。
【布教】=【メディアによる情報伝達】という構図は、宗教がこの世の中に発生した瞬間から成立しています。
最初は人から人への直接的な情報伝達だったものが、文字として記録したり、さらに広く伝達するために紙の発明や印刷技術、製本技術などなど、それらの歴史は「布教」への強い欲求により生み出されてきたものといえます。
また、CMC(コンピュータを媒介としたコミュニケーション)が主流となりつつある現代でも、CMC自体が宗教性を帯びやすいという性質を持ちえることもあり、いかにメディアによる情報伝達を行うかということが重要な命題になるのです。
情報技術の発達・情報環境の拡大と、それに伴う社会構造やメンタリティの変化、近年におけるブログの普及などが、現代日本の宗教に確実に変容をもたらしつつあるといえます。
ある情報を伝える手法に「広報」「広告」があります。
この2つは、混同されて用いられがちですが、大きな違いがあります。
簡単にまとめると次のようになります。
広告 | 広報 |
相当のコストが掛かる | コストを掛けなくても可能 |
自由にメッセージを発信できる | どのようにメッセージが発信されるかわからない |
必ず広告枠に掲載される | 掲載されるかは不確定 |
自己紹介 | 他己紹介 |
テレビ、ラジオ、新聞・雑誌などの広告枠を使って、自らが情報を伝達する | マスコミや様々なメディアを通して、第三者により社会に情報伝達されるもの |
広告枠を買う必要がある。 | メディアを通して情報をマスコミや一般向けに積極的に情報発信する必要がある |
このように、「広報」は「広告」とは異なりコストがほとんどかかりませんが、メディアが取り上げて掲載してくれるかどうかは不確実です。
また、第三者による「他己紹介」という形を取るために、必ずしも正確な情報が伝達されるとは限りませんし、肯定的に伝えられるどころか、逆に否定的に伝えられる可能性もあります。
利用者の口コミサイトもそうですね。
第三者による公平な判断基準に基づく記述だと信じられているから、多くの方がそれを参考にするわけです。
(注:「第三者による公平な判断基準に基づく記述だと信じられている」ということと、「実際にそれが事実である」かは別の話です)
蛇足ですが、先日のトヨタ・プリウスPHV試乗モニターのように、商品を提供して、感想を紹介してもらうという手法は、「広報」と「広告」のイイトコどりをした、まさにハイブリッドな手法といえましょう。
このように【メディアによる情報伝達】を有効に行うためには、「広告」と「広報」の正確を良く理解した上で、メディアの特性を生かした情報伝達を行うことが求められます。
メディアが多様化し、次から次へと新しい手段が生まれては消える時代では、その時代の流れを良く掴んでおいて、利用していくことが必要となるでしょう。
でも、一番大切なことは、良質な情報の源となる良質な活動を地道に続けていくことなんですよね。
■関連ブログ記事
宗教情報とメディアリテラシー(前)
報道のタブーと不偏不党性
コンピュータコミュニケーションの特長
情報の見方・読み方・読み取り方
宗教サイトの類型
僧侶はもっと情報発信すべきでは?
東京電力の検針通知が投函されていました。
貞昌院では、毎月27日頃に検針が行なわれています。
結果は 2012年7月の電力使用量(=以下、買入電力量と表記) 536kWh(昨年同月 403kwh)となり、昨年同月よりも買入電力量が多くなりました。
その理由は、今月モニターとしてプリウスPHVの試乗をしており、毎晩満充電を行なっていたこと(これで概ね40kwh程の増)、それと本堂・客殿の冷房使用が昨年よりも若干増えたことによるものが主な原因です。
2008年から2012年までの、「貞昌院買入電力量」と「余剰電力量」の推移をグラフにしてみました。
貞昌院には、5.544kwの太陽光発電設備が設置、稼働しており、一日の電力需給の推移はおおむね下の図のようになります。
太陽光発電パネルは、太陽が出ている間の発電となりますので、夜間は当然発電していません。
図のオレンジ色の部分が、東京電力⇒貞昌院に流れる電力の量となります。
朝太陽が昇り、太陽光発電の発電量が増えて貞昌院で消費している電力よりも発電量が上回ると、貞昌院⇒東京電力 という電気の流れになり、それが水色、余剰電力量の部分となります。
冒頭の2つの棒グラフは、貞昌院における毎日の電力需給曲線「貞昌院買入電力量」(オレンジ色の部分)と「余剰電力量」(水色の部分)を毎月分積算した電力量ということです。
■ポイント
貞昌院で消費する電力量 = 買入電力量(オレンジ部分)+自給自足電力量(黄色部分)
太陽光発電パネルの生み出す電力量 = 余剰電力量(水色部分)+自給自足電力量(黄色部分)
貞昌院の一日の電力需給の曲線、これを貞昌院と同様に東京電力管内の各企業、各家庭について積算したものが「東京電力管内の総需要量」ということになります。
火力発電所、水力発電所、原子力発電所などの発電設備はこの総需要量を賄うだけの設備を計画しなければなりません。
この需要曲線は、夏場は昼過ぎにピークがやってきますので、その最大需要電力量に合わせた発電所計画がなされているわけです。
従って、このピークを如何に下げるかが、とても大きな意味を持ちます。
太陽光発電は、ピーク時に発電量が最大となり、余剰電力が発生した場合にはそれを送り出すこともできるわけですから、ピークカットに大きな貢献をすることができるという特徴があります。
このように、時間帯ごとの電力需要の差を少なくすることを負荷平準化と言います。
電気は先ほど述べたように、必ずピークの需要にあわせて設備を建設しなければなないため、需要曲線が上下することは、発電設備の利用率に影響し、コストの上昇にも繋がります。
電力需要曲線を平準化させることにより、電力供給事業者は余計な発電所の建設を抑えられるとともに、電力不足が懸念される際にも、大規模な停電や、計画停電の実施を避ける手段ともなります。
ただし、良いことばかりではなく、現状ではやはり電力を創りだす際の発電単価が火力発電所、水力発電所、原子力発電所などに比べて高いことは否めず、政策的に補助金を出しています。
貞昌院でも、余剰電力は倍額買取制度によって1kwh当たり48円で買い取ってもらっていますし、今年七月から始まったばかりの全額買取制度でも太陽光発電の場合は、向こう20年間に亘って1kwh当たり42円で買取ることが保証されています。
この補助金は、結局は電力消費者の負担増につながりますので、今後の課題は如何にこの発電単価を下げるかということになるでしょう。
個人的には、20年間に亘って1kwh当たり42円で買取るという全額買取の単価は、大盤振る舞いもいいところだと感じます。
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さて、ここで、今日のブログ記事のタイトルである太陽光発電と電気自動車(PHVを含む)について考えてみます。
電気自動車のEV走行のためには、燃料に代わって電気を使うために、相当量の電力量を消費することになります。
電気自動車の普及が進むと、充電のために使用される電力量は無視できなくなるでしょう。
さきほどのピークシフトの観点からすると、電気自動車の充電は、可能な限り夜間に行うべきといえます。
プリウスPHV10days(2) において、外出先での充電ステーションの整備が進んでいない現状から「自宅での充電が前提」と書きましたが、仮に充電ステーションの整備が進んだとしても、可能な限り昼間の充電は避け、夜間の充電を基本とするべきといえます。
さらに、太陽光発電などの新エネルギーによる発電設備を設置している場合には、「太陽光発電による電力を直接電気自動車の充電に利用しています」というのは聞こえは良いですが、発電による電力を直接充電に使うことは特に避けるべきと考えます。
その第一の理由は、余剰電力・全額買取による売電単価は相当高いため、コストの面で相当負担が大きくなるということ。
例えば、貞昌院の場合、1kwh当たり48円という余剰単価ですから、プリウスPHVをこの電力単価で充電した場合には、HV走行によるコストよりもかなり高くなってしまいます。
第二の理由は、需要がピークを迎える前後の時間帯における太陽光発電の余剰電力は、社会に還元したほうが良いということです。
プリウスPHVの場合には、電池の残容量がゼロになってもHV走行が可能ですので、昼間に充電しなくても支障はありません。
試乗期間で感じたことは、むしろ急速充電に対応していないプリウスPHVは、外出先での充電は現実的ではないということでした。
急速充電機能を敢えて付けなかったプリウスPHVは、現状に合致した車なのだということをつくづくと感じます。
しかし、リーフやアイミーブは、ガソリンスタンドにあたる外出先での急速充電器が前提となります。
リーフに搭載されるバッテリーの容量は24kwh。これを30分程度で80%充電させるわけですから、充電に使用される電力はプリウスPHVの比ではないほど大きな電流が流れます。
まだまだ普及が進んでいない電気自動車ですが、その数が増えてきた場合、ピーク時の電力需要をさらに高めてしまう可能性もあります。
電力需要ピーク時の充電を制限する何らかの施策が必要になるでしょう。
■ポイント
太陽光発電による電力を直接電気自動車の充電に利用することは好ましくない
電気自動車の普及が進んだ場合、夏の電力需要ピーク時に急速充電する電気自動車が増加し、社会的な問題になりかねない。
やはり、電気自動車の充電は夜間が基本となるべき
数年後には問題となるような事案は、問題になる前に対策を具体化しておくべきでしょう。
8月は猛烈に暑いぞ、熱中症に注意…3か月予報
気象庁は25日、10月までの3か月予報を発表した。
太平洋高気圧が平年より北へ張り出す影響で、8月は沖縄・奄美を除いて全国的に猛暑と予測している。
8月は上旬を中心に気温が上がるとしており、中国、近畿、東海、北陸、関東甲信、東北の各地方に異常天候早期警戒情報(7月29日~8月7日)を出し、熱中症への注意を呼び掛けている。9月は西、東日本でやや高温傾向。北日本は平年並みとなっている。
【8月】東日本、西日本、沖縄・奄美は太平洋高気圧に覆われ、晴れる日が多い。
【9月】西日本の太平洋側、沖縄・奄美では晴れる日が多い。
【10月】北日本の太平洋側、西日本、沖縄・奄美で晴れの日が多い。
(読売新聞 7月25日配信)
とにかく暑い日が続きますね。
今日も西日本や東海地方を中心に35℃以上の猛暑日になったところが多く、熱中症には注意が必要です。
とにかく、こまめに水分や塩分をとったり、節電の夏とはいえ、無理をせず効率的にクーラーを使いましょう。
クーラーのない時代は、様々な工夫をして暑い夏を乗り越える工夫がされました。
その一つが水琴窟です。
山から導かれる湧き水により、ほんのりと清風が届きますし、その水滴が生み出す、まさに「琴」のような音色は、五感を刺激して涼しさを演出してくれます。
江戸時代に考案された水琴窟は、貞昌院にも設置しています。
今日は、少し長めにその音を録ってみましたので、その雰囲気をお届けします。
先月録音したショートバージョンも併せてお楽しみください。
貞昌院の水琴窟については、これまでのブログ記事をご参照ください。
1/fゆらぎ 水琴窟
水琴窟の音の出るしくみ
水琴窟設置しました
電子音が溢れているけれど
発車メロディーの原点は禅寺にあり
東日本大震災から1年3か月が過ぎました。
震災発生以降、同じ場所の記録の一部です。
↑2011年5月25日 東松島市 野蒜駅の北、鳴瀬川/吉田川沿いの水田は まだ海水が引いていなかった。
2011年8月26日 排水され散乱していた瓦礫が撤去されています。
2011年10月26日 雑草が綺麗に刈り取られて土が掻き回されています。翌春には作付けができそうです。
2012年6月18日 震災後初めて田植えが行なわれ稲が育っています。仙石線の列車は撤去されました。
⇒GoogleMap
(左)2011年8月26日、(右)2012年6月18日。野蒜と宮戸島を結ぶ県道27号線から南側を望む。
地盤沈下のため浸水しています。この付近には松島自然の家がありました。
(左)2011年5月25日(中)2011年8月26日(右)2012年6月18日
宮戸島へ渡る松ヶ島橋。
2011年5月には電線工事が行われており、島に電気が通じるようになりました。
松ヶ島橋の前後はようやく舗装されましたが、本格的な復旧はこれからです。
⇒GoogleMap
(左)2011年5月25日(中)2011年8月26日(右)2012年6月18日
宮戸島縄文村・漁協前の道路。
現在でも大潮になると海水が流入してきて50センチほど冠水していましたが、砕石を敷き詰めて嵩上げされました。
※2012年6月18日の写真は同一場所逆方向からの写真です。
⇒GoogleMap
↑2011年8月26日 宮戸島月浜海岸
↑2012年6月19日 宮戸島月浜海岸
(左)2011年5月25日(中)2011年8月26日(右)2012年6月18日
宮戸島大浜手前の水田 。作付けはまだされていません。
⇒GoogleMap
(左)2011年5月25日(右)2012年6月18日
宮戸島月浜
言葉も出ないほどの状況でしたが、片付けられたあとに牡蠣養殖棚が並べられていました。
(左)2011年5月25日(右)2012年6月18日
宮戸島月浜
宮戸島室浜。高台に仮設住宅が並び、鉄筋コンクリート3階建ての建物が撤去されています。
⇒GoogleMap
石巻市 木の家石巻水産の缶詰型タンク 。
通行の妨げにならない位置に移動されました。
(左)2011年10月28日(右)2012年6月18日
石巻市 木の家石巻水産 。
缶詰の洗浄作業が一段落し、現在、直売所はここではなく、女川街道沿いの仮店舗にて営業しています。
■関連ブログ記事
時間のながれ
■関連リンク
Yahoo!JAPAN 写真保存プロジェクト 東松島市
5月19日、上永谷富士見台自治会館(港南区上永谷2丁目2番地)において創立50周年記念写真展「ふじみ今昔物語」が開催されました。
富士見台地区住民の方々により撮影された「まちの変貌」を纏めた写真パネル展示です。
富士見台という名が示すように、南~西向きに開けた高台にある地区で、上永谷駅周辺や富士山もよく見渡すことができます。
その中からいくつか。
(同じ場所の現在の写真が並べてあります)
1969(昭和44)年。
中央やや右の山が「丸山」。丸山台の地名の由来になった山は、この数年後に始まる丸山台造成により、全て削られてしまいます。
中央やや左の谷戸と丸山の境に「鎌倉古道下之道」が通っていました。でいだらぼっちの歩いてきた伝説の道でもあります。
いかにもでいだらぼっちがやってきそうな雰囲気ですね。
1975(昭和50)年。
丸山台の造成工事、地下鉄建設が進んでいます。
地下鉄の開通はこの翌年。
左写真中央にあった丸山はすっかり削られてしまいました。
左奥に野庭団地の一部が見えます。
右写真には貞昌院の裏山、天神山が映っていますが、この数年後に、地下鉄線路延伸工事により、天神山の地下鉄線路より南部側は削られてしまいます。
1977(昭和52)年。
横浜市営地下鉄「上永谷駅」が開業した翌年です。
丸山台の造成と上永谷駅の開業により、周辺の環境は激変しました。
上永谷駅手前に遊水地が完成、写真奥に野庭団地が見えます。
2012(平成24)年。
遊水地の上部利用として、ゴルフ練習場が建てられ、その後、高層マンションが建設されました。
1977(昭和52)年、開業した翌年の上永谷駅南側道路。
まだバスロータリーが整備されていないので、バスはここを通り、発着していました。
バス停の向こうには、造成途中の天神山(貞昌院の裏山)が見えます。
同じ場所の現在の写真が並べてあります。
1963(昭和38)年、馬洗橋~島越バス停を結ぶ「富士見台のメインストリート」
この頃は、舗装されている道路は珍しく、ここも砂利道です。
電柱には細い電線が張られているだけ。
各家庭にある電化製品も少なく、電気代も大変高い時代でした。
御神輿は手作り。毎年お祭りの際に多くの子どもたちが担いで練り歩きました。
同じ場所の現在の写真が並べてあります。
このほか、たくさんの写真展示があり、どれも地域の記録を伝える貴重な写真ばかりでした。
自治会単位で、地域に特化したこのような写真展示が行われるということはとても意義深いものだと感じます。
自治会館では、写真展示のほか、餅つきも行われ、多くの家族連れでにぎわっていました。
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この光景も、50年後にはきっと懐かしいアーカイブとなることでしょう。
■関連リンク
国土地理院空中写真
昭和53年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/ckt-77-1/c10/ckt-77-1_c10_41.jpg
昭和58年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/83/ckt-83-3/c9b/ckt-83-3_c9b_12.jpg
昭和63年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/88/ckt-88-2/c8/ckt-88-2_c8_25.jpg
貞昌院では毎週木曜日早朝に坐禅会を開催しております。
⇒スケジュールはこちら
定期的に行うようになって15年目を迎えました。
最初の頃は数名での坐禅会でしたが、今ではコンスタントに多くの方に参禅いただくようになりました。
坐禅会に参加されている方より、折に触れ短歌をいただいておりますので、まとめさせていただきました。
⇒ 参禅の思い出の歌 の続編です。
是非、この画面の上にある「たて書表示」をクリックして閲覧ください。
【参禅の思い出の歌】
生きている 心の底に 欲が住み 可愛くもあり 煩わしくも
朝まだき 参道通る 息白く 既に入りたる 打座の面影
湧き水の 池面を出でて 跳ね上がる 群れなす鯉の しぶきかがよふ
炎天下 異国の人も 舞ひ唄ふ ゆめ観音の 岩戸開くも
■貞昌院門前
あかときの 打座へ行く道 森の辺に 月あかあかと 沈みゆく見ゆ
打座の淵 幾重の我の 現はれて 大きく小さく 心を揺らす
吾が独り 始めし打座の 年経りて 十数名 友の目すずし
中宮寺 弥勘菩薩の み前に座して 微笑むみ顔 ただ仰ぎをり
東大寺 阿吽の相の 仁王像 人の心を 透かし見をらむ
幾たびぞ おおきみ仏 仰ぎたり 開けるみ手の 迫り来るらん
興聖寺 道元禅師の 禅の道 萬代かけて つつうらうらに
夢にまで 現れ出でし ダライ・ラマ うつつにみ声 給わるぞ嬉しき
■貞昌院 打座堂内に 五観の偈頌の とよもせり いただく朝餉 典座のたまを
結びには 打座で唱えし 経典の 秘めたる法を 説き給ひけり安楽の 法門へ ただ一筋に 壁に向き合ふ 打座の友びと
非思量 不思量底 思量の辺 あらばやとただ あらばやと経る
己なく み堂の床に おおうみの 黄金に映えて うつつにぞ現るる
貞昌院の 無為の行に 導かれ 十年の打坐 一刻のごとし
■平成21年3月26日
元日のみ堂にとよもす打座の鐘 法(のり)の灯(ひ)ともる貞昌院
大寒の打座のストーブ後背(こうはい)に 凍てつく体ほどけゆくなり
あかときの寒風すさぶ座禅会 友みな揃ひみ堂に入りぬ
只管打坐とはの時空に身をひたし 過ぎゆく時も我をも知らず
■平成21年5月16日
かたくなに凍てつく時節ようように ほどける春のいぶき漂ふ
はなまつり誕生佛に合唱し 甘茶を濯ぐ打座のみな人
春おそく忘れず来たり鶯の 朝の読経に合はせ鳴くかも
■SZI 總持寺 青山老師講演会
あな尊し聖哲の道を極め 悠久の真理諦めらるる命に感謝・生に誠を尽くしなむ 光にそひて残るみちをば
■平成21年6月11日
ニューフェイス青年男女堂にみち ともに座するは頼もしか りき
21.6.21■平成21年12月31日
あけやらぬ貞昌院の座禅堂 大晦日にぞ香の漂ふ21年貞昌院の座禅会 初(はつ)日に開き大晦日をもや
淀みなく波たたずに流れゆく 時は変われど始原のままに
21.12.31
■平成22年2月18日(木)雪 貞昌院春の雪音なく積もる貞昌院 外はさながら兼六の園
■平成22年4月8日(木)花まつり 貞昌院
ありがたやこぞ・この年も花まつり ながらへてまた甘茶濯ぎぬ
■平成22年5月8日(土)花まつり 龍宝寺
芍薬の花の綻ぶ龍宝寺 茶を汲む群れの善男善女
経文の皆立ち上がる龍宝寺 とよもす読経天に届けかし
龍宝寺五百羅漢の見下ろさるる み堂に揃ひ打座に入りけり
22.5.12
■平成24年2月1日
初打坐の 帰路立ちをれば 橋の下 光芒揺らぎ 日の昇りつつ
あかときの 参道凍てつく おほ寒に ソーラ温もる み堂に座して
ひと列の み堂歩む 足裏の 己がなき身の うつつを載せて
言の葉の 命・心と 言ふらめど 形も見えず こころせんをや
鎮もりて よくよく見れば 身のまはり 鳥草木も 生き耀へり
淀みなく 波の立たずに あるがまま 抱き流るる 悠久の大河
昨年亡くなったスティーブ・ジョブズをはじめ、01960-70年代のカウンターカルチャー世代に支持され、大きな影響を及ぼした『Whole Earth Catalog』という冊子があります。
これがその『Whole Earth Catalog』です。
(私が持っているのは 01971年版)
このカタログは、01968-01972年まで継続的に刊行されていた、Whole Earth=地球上のあらゆるものに関する「商品カタログ」です。
ただ、無条件に何でもかんでもで掲載されるわけではなく、
1)Understanding Whole Systems(全体システムの理解)
2)Shelter and Land Use(シェルターと土地の利用)
3)Industry and Craft(産業と民芸)
4)Communications(コミュニケーション)
5)Community(コミュニティ)
6)Nomadics(遊牧民族)
7)Learning(学習)
のように分類され、それぞれのカテゴリーにおいて、編集者・スチュアート・ブランドの厳選された眼によって選ばれたものだけが掲載されています。
その基準がこちら。
FUNCTION
1) Useful as a tool,(役に立つ道具である)
2) Relevant to independent education,(自立教育に関係がある)
3) High quality or low cost,(ハイクオリティー、もしくはローコストである)
4) Easily available by mail.(郵便で簡単に手に入る)
カタログの大きさはタブロイド版で、かなり大きく読み応えがあります。
パラパラめくって眺めるだけでも楽しい。
Zenに関する紹介もあります。
(Zen Mind, Beginner's Mindの頁)
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スティーブ・ジョブズは、02005年6月に行われたスタンフォード大学卒業式の講演においても、講演の結びとして『Whole Earth Catalog』を引用しています。
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ―which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
Stay Hungry. Stay Foolish.
Thank you all very much.
(英文はスタンフォード大学のプレスリリースより引用)
【日本語訳】
あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。
私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。
スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。ハングリーであれ。愚か者であれ。
(訳文は日本経済新聞の記事より引用)
このように、スティーブ・ジョブズも『Whole Earth Catalog』に多大なる影響を受けたうちの一人であことがよく分かります。
ジョブズ曰く、「まるでGoogleが出る35年前に遡って出されたGoogleのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念が、それこそページの端から溢れ返っている」という表現がぴったりの本であると、改めて読み返して感じます。
『Whole Earth Catalog』最終号の背表紙がこちら。
Stay hungry. Stay foolish.
ハングリーであれ。愚か者であれ。
ジョブズ自身、いつもそうありたいと思っていたことばであり、これからの時代を担う若者達にもそうあってほしいと願うことばでもありました。
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もう一つ、ジョブズの講演引用部分のことば、「あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください」
というのは、例えば
唯当(まさ)に日日(にちにち)の行持、其報謝の正道なるべし、謂ゆるの道理は日日の生命を等閑(なおざり)にせず、私に費やさざらんと行持するなり。
光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、身命は露よりも脆(もろ)し
何れの善巧(ぜんぎょう)方便ありてか過ぎにし一日を復び環(かえ)し得たる、徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月(じつげつ)なり、悲むべき形骸(けいがい)なり、設(たと)い百歳の日月は声色(しょうしき)の奴婢(ぬび)と馳走すとも、其(その)中一日の行持を行取(ぎょうしゅ)せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生(たしょう)をも度取すべきなり、此(この)一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり、此(この)行持あらん身心自らも愛すべし、自らも敬うべし
【現代語訳】
何か特別に報謝のやり方があるのではなくて、日々の生活の上に自然と行ぜられていくやり方である。
それはこれがご恩報謝であると意識して行ずるようなことでなく、鳥の空を行き、魚の水に住むように、鳥と空と相識ることなく、魚と水と相識ることなく、 しかも空に涯なく、水に限りなく悠々たるようにあることが、恩を知り恩を報ずることの端的であり至極のすがたである。
私共の日々のいのちを大切にして、恣意に費やさないように行ずることである。 それは、鳥と空、魚と水のようになっているとき、自然とそのように行ぜられていることになっている。
月日の過ぎゆくはまことに速やかであり、それは矢よりも早い。
この月日の流れの中に生きていく私共のいのちは草の葉にやどる露よりもはかない。
どのようなよき手だてを用いて見ても、過ぎ去りし日を呼びもどすことは出来ぬ。
かくて意味もなく百年の年月を生きても、それは只はかなき生のいとなみのみというべく、無駄な年月であり、つまらぬ形骸(むくろ)というべきである。
されど、そのように物の世界の中を走りまわったような百歳であっても、その中で一日でも、真実の道理に従った生活ができたならば、その一日の行持の功徳は、あまねく一生の全体を蓋うだけでなく、更に又そのようなすばらしい百年のいのちをもう一度過ごしたのと同じ徳があることになる。
この一日のいのちは尊ぶべきいのちであり、尊ぶべき身体である。
真実の道理に従った一日の行持、それは特別の一日でなく、極めて平凡な一日であっても、それが輝ける仏の御手の中の 一挙手一投足であることに気がつき、仏の御手を使い、仏の御足を歩むことであることに気づく。無量寿の仏の御いのちを歩むことであると気づかせて頂く。 そう気がついて見ると、いままでいたずらに過ごして来たと思っていた年月全部が、それがそのままに仏の御いのちの中のいとなみであったことに気づく。 このような行持を保ち得て、仏の御いのちをいのちとして生かされるこの自らのいのち、それは今までいたずらなるものと思っていたが、実は心より敬愛すべき身心である。
のような(これは一例ですが)思想が根底にあると考えられます。
2月16日のSOTO禅インターナショナルの講演会「スティーブ・ジョブズと北アメリカの禅」
では、このあたりを掘り下げていければと考えております。
昨日、2月26日は禅宗・曹洞宗の開祖道元禅師の誕生日、ロング・ナウ的には道元禅師「00812歳」の降誕会を迎えました。
横浜開港150周年の関連事業として開設された「みんなでつくる横濱写真アルバム-市民が記録した150年-」 プロジェクトには様々な貴重な資料が集められています。
その中の一枚の写真に注目してみます。
青木橋 1958年 (CCオリコンさん)
神奈川・本覚寺門前から見た青木橋交差点。
市電、三ツ沢方面と横浜駅(現東口)方面との分岐点で、信号所が立っていた。横浜駅の周辺に建物は何も無い。
1958年といえば、日本がようやく占領時代を終え戦後復興の第一歩を歩みだしたころです。
そして、今年(2012年)私が同じアングルで撮影した写真がこちら。
現在私が勤務している神奈川県第二宗務所は、写真の右端にある建物です。
二枚の写真には53年もの時間の経過があります。
青木橋越しに見える横浜駅周辺のビル群、そしてかつてあった市電の軌道と信号所。
ずいぶん変化したものです。
しかし、写真をさらに詳細に見ていくと、変化していない部分も数多く発見できます。
一部拡大して並べてみます。
モノクロ(並んでいる上または左)の写真が 1958年
カラー(並んでいる下または右)の写真が 2012年です。
青木橋の防護フェンス。おそらく更新はされているでしょうけれどほとんど形が変わっていません。
写真から発見することはたくさんあります。
そして、同じ場所からの眺めを定点観測的に捉えると、時代の変遷を捉えやすくなります。
街の何気ない写真も、保存、整理していくことが大切です。
青木橋付近の別角度からの新旧写真を並べた 神奈川宿青木橋今昔 も併せてご参照ください。
テレビや新聞には数々の広告がが流されているけれど、昨年3月に開業した九州新幹線の開業記念CMのように心に残るものはほんの一握り。
しかし、この東芝のCMには見入ってしまいました。
「1日目、電球をLED電球に取り換えた。10年。3653日。僕とLED電球の日々は、はじまった」
環境に優しいLED電球・・・
「この電球に変えると二酸化炭素排出を○○kg削減します」
「電気代が90%以上安くなります」
このような安直なコピーは簡単に浮かびます。
けれども、そんなことよりも、LED電球の寿命10年間で、その明かりがどれほどの日常生活を照らし出していくのか。
そのほうが安直なことばを並べるよりもよほど伝わってきます。
蛇足になりますが、スティーブジョブスも、新製品のプレゼンにあたっては、スペックが云々、ということは言わず、その新製品によってどのようなことができるのか、どんな体験が出来るのかについて具体的に提示しています。
i-phoneやi-padのCMを見れば明らかですね。
i-padの性能や、画面の解像度がどんなに凄いのかは敢えて語らず、
どこでどのように使うことができるのか。
ライフスタイルをどのように変えてくれるのか。
そういったことにきっと一般消費者の関心はあるのです。
「変わらないようで、変わってゆく毎日。同じ日は1日としてない。10年、3653日、十年前は想像しなかった自分・・・」
それぞれの場所のそれぞれの照明は、10年後にどのような情景を照らしてくれているのでしょうか。
さらに蛇足
最近流れているACのコマーシャル。
どこかで見た光景だな~と思っていたら、上大岡を望む光景だったんですね。
■関連リンク
東芝10年カレンダー公式版(PDF)
年の瀬を迎え、新聞、テレビなどでは今年の総括として「十大ニュース」などがまとめられています。
2011年は、さまざまな東日本大震災をはじめとする災害・原子力発電所の事故と、日本にとって大きな年でありました。
当ブログでも。毎日の記事より一年を振り返って十大ニュース風にまとめてみました。
2011年の総括です。
できごと | 関連ブログ記事 | ||
1 | ドイツ声明公演 | 記事1 記事2 記事3 | 文化庁の助成金をいただいてのドイツ3都市での公演でした。 |
2 | 東日本大震災 | 1 2 3 4 5 6 7 8 ほか | 忘れることの出来ない年になりました。 |
3 | 演劇「彼方、蓮台野にて」 | 記事1 記事2 ほか | 本堂に本格的な舞台を築いて行われました。 |
4 | 横浜の記憶を写真で残すためのシンポジウム | 記事1 | 学ぶことの多いシンポジウムでした。 |
5 | 節電の一年 | 記事1 記事2 記事3 | エネルギーの大切さが身にしみた年でもあります。 |
6 | 中国琵琶と声明の世界 | 記事 | シャオロンさんとの久し振りの共演です。 |
7 | 貞昌院に京急大師線レール設置 | 記事1 記事2 | 京急レッドトレインガーデンで落札したレールです。 |
8 | 第13回ゆめ観音アジアフェスティバル | 記事1 記事2 記事3 記事4 | 継続は力なり。鎌倉市長様にも参加いただきました。 |
9 | 皆既月食とダイヤモンド富士 | 記事1 記事2 | スカイツリー越しに見る皆既月食は圧巻でした。 |
10 | 再びサイパン・テニアンへ | 記事1 記事2 記事3 ほか | 地獄谷など前回行けなかった場所も巡ることができました。 |
振り返ってみると、今年も個人的にもお寺にも様々なことがあった一年でした。
また、多くの方々とのご縁が広がった年でもありました。
(写真はスカイツリーと皆既月食)
残念ながら、東日本大震災の影響で延期となってしまいましたが、開催されていればトップニュースになったであろうティク・ナット・ハン2011来日ツアー も予定されていました。
ここに挙げきれなかったものも含め一つ一つが大切な思い出であり、学びでもありました。
来年もきっと様々なことがあるでしょう。
新たな出会いを楽しみにしています。
今年一年間お世話になりました皆さまに心より感謝申し上げます。
来年がより良い年でありますように。
■関連ブログ記事
2010年の十大ニュース@当ブログ
2009年の十大ニュース@当ブログ
曹洞宗の大本山總持寺(横浜市鶴見区)では、修行僧たちは毎日毎食後に太鼓を合図に「百間廊下(長廊下)」を雑巾で拭き清めています。
この際に、当役の修行僧がジョウロを両手に持って長廊下脇のタタキ部分を一気に走りながら2本の真っ直ぐの水の筋をつけていきます。
そして廊下のゴール地点でジョウロをくねらせ水の筋を曲げます。
これは、鶴見事故の犠牲者(事故直後、この廊下に御遺体が並べられ安置されていた)への慰霊と、「みたま」が安らかなることを祈る水の筋です。
水の筋は長い線香とそこの先から出る煙を表しています。
もう一つ。
總持寺の大梵鐘は、毎日午前11時から撞いています。
大梵鐘は1分30秒間隔で九声。(八・九声目は30秒間隔)で、修行僧の鐘司非加番の当役です。
鐘司非加番は大梵鐘を撞き終えると、三宝殿の「桜木観音」前で線香を立て慰霊法要(立三拝、観音経読経、回向、立三拝)を営みます。
この二つは、一般世間にはあまり知られていないことですが、桜木町事故・鶴見事故以降、大本山總持寺で毎日営まれている鉄道事故被災者慰霊供養です。
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日本が敗戦からようやく立ち直り始め、高度経済成長期に入った時期に、立て続けに甚大な鉄道関連の事故が発生しました。
戦後五大事故と呼ばれるものです。
(1)桜木町事故 1951年(昭和26年)4月24日、東海道本線(現・根岸線)桜木町駅構内で、工事作業を誤り垂れ下がった架線に列車が接触し短絡(ショート)したことで発生した車両火災。死者106人、負傷者92人。
(2)洞爺丸事故 1954年(昭和29年)9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が台風15号(洞爺丸台風)にあおられ沈没。原因の一つには運行管理者の判断ミスがあった。洞爺丸事故の死者は1155人、世界有数の海難事故となった。
(3)紫雲丸事故 1955年(昭和30年)5月11日、宇高連絡船「紫雲丸」が貨物船の「第三宇高丸」と衝突し沈没、死者166人、負傷者122人。修学旅行中の小学生・中学生が多数死亡した事も世間の非難を買った。
(4)三河島事故 1962年(昭和37年)5月3日、常磐線三河島駅構内で信号無視によって脱線した下り貨物列車に下り電車が衝突、さらにそこへ上り電車が突っ込み二重衝突に。死者160人、負傷者296人。
(5)鶴見事故 1963年(昭和38年)11月9日、東海道本線鶴見駅~新子安駅間で脱線した下り貨物列車に上りの横須賀線電車が衝突、その先頭車が下り横須賀線電車に突っ込み二重衝突となる。死者161人、負傷者120人。
これらの事故の背景には、戦後急激な経済成長に伴う輸送量増加対策に追われ、安全対策が追いつかなかったことが背景にあるとされています。
うち、桜木町事故、鶴見事故は横浜で発生した事故で、特に鶴見事故は大本山總持寺の間近で発生したものです。
桜木町事故(さくらぎちょうじこ)は、1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(京浜線、現在は根岸線の一部)桜木町駅構内で発生した列車火災事故である。ドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。犯罪的所業によるものではないが、桜木町事件と呼ばれることもある。この事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正された。(ウィキペディア桜木町事故項)
鶴見事故(つるみじこ)は、1963年(昭和38年)11月9日21時40分頃に日本国有鉄道(国鉄)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した列車脱線多重衝突事故である。
なお、当日には福岡県大牟田市の三井三池炭鉱でも死者458人を出す大爆発事故が発生しており、「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれた。
事故地点における貨物線(品鶴線)走行中の佐原発野洲行き下り貨物列車(EF15形電気機関車牽引45両編成)後部3両目のワラ1形2軸貨車(ワラ501)が突然脱線。引きずられて架線柱に衝突した後に編成から外れ、隣の東海道本線上り線を支障した。そこへ同線を走行中の横須賀線電車の久里浜発東京行き上り2000S列車と下り線を走行中の東京発逗子行き下り2113S列車(いずれも12両編成)がほぼ同時に進入した。
90km/h前後という高速のまま進入した上り列車は、貨車と衝突。先頭車(クハ76039)は下り線方向に弾き出され、架線の異常を発見して減速していた下り列車の4両目(モハ70079)の側面に衝突して串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目(クモハ50006)の車体も半分以上を削り取って停止した。その結果、下り列車の4・5両目は車端部を残して全く原形を留めないほどに粉砕され、5両目に乗り上げた形で停止した上り列車の先頭車も大破。上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事となった。(ウィキペディア鶴見事故項)
⇒毎日新聞 昭和毎日 桜木町事件 / 国鉄鶴見事故
今年7月に、中国新幹線が浙江省で衝突事故を起こし、40人が死亡、172人もの方々が負傷されました。
このときの世論は概ね、「さすが中国クォリティー」「日本ではありえない事故」「日本の新幹線は死亡事故を一度も起こしていない世界一安全な鉄道だ」・・・・などという論調が溢れていたと感じています。
しかし、その世界一安全とされる日本の鉄道も、数え切れないほどの甚大な事故と、犠牲となられた方々の上に成り立っていることを忘れてはなりません。
戦後五大事故の第一となった桜木町事故では、列車の三段窓が、乗客が外に逃げられない構造であったために、車両火災の際に逃げられず多くの犠牲者が発生しました。
これにより列車には「非常用ドアコック」が設置され、乗客が中から脱出できるように改良が加えられましたが、三河島事故の際には、その「非常用ドアコック」が逆に災いし、乗客が線路上に脱出避難し始めたところに対向列車が突っ込んできて多くの犠牲者が発生しました。
事故対策が必ずしも良い結果をもたらす訳ではないという教訓です。
それでも、一連の事故により、日本の鉄道は近代的保安確立への向けて原因究明と自動列車停止装置(ATS)設置などの開発など対策が徹底的に重ねられました。
結果、五大事故以降、昭和58年には過去10年、責任事故による死者がゼロという記録も達成し、新幹線では現在も責任事故による死者がゼロという記録を続けています。
このように、鉄道の世界に限らず私たちの豊かな生活や安全は、これまでの度重なる事故や災害などを乗り越えた上にあるのです。
先日お会いした京急広報の方も、何度も鶴見事故慰霊で總持寺に来られたそうです。
京急だけでなく、首都圏の鉄道に係る方々は、ほとんど大本山總持寺に参拝されているはずです。
犠牲となられた方々の慰霊はもとより、その方々の夢や願いを後世に繋いでいくことを誓い、事故の教訓が後々生かされ同じ過ちを二度と繰り返さないことを祈られているのではないかと思います。
日本の鉄道が他の国に例を見ないほど世界一安全で正確といわれるようになった下地には、この日本人特有の「祈り」のこころが刻まれているからなのだと感じます。
災害・事故で忘れられない年となった2011年も、もう年の瀬を迎えます。
今年の重大ニュースが新聞、テレビで話題となる時節となりました。
この一年を振り返り、省みて、よりよい新年を迎えることができますことを願います。
■関連ブログ記事
過ちや失敗を繰返さないために
■関連リンク
大本山總持寺境内にある鉄道事故関係慰霊碑等について
桜木町電車事故死者慰霊碑(桜木観世音菩薩立像)/鶴見事故慰霊碑
いつもお世話になっている仙台の酒屋さんを通して、石巻・平孝酒造『感謝の手紙』が届けられました。
以前ご紹介した『希望の光」と対になる地酒です。
『希望の光』は、震災、津波で生き残った醪(もろみ)により造られた力強い味の酒。
そして『感謝の手紙』は、地元の多くの人々の想いが込められた特別な新酒です。
酒蔵からの「感謝の手紙」が裏に貼られています。
現在、弊社では震災で壊れた蔵の復旧工事を進めながら、何とか新しい酒造りを再開しております。復旧工事にあたりましては、現状復旧ではなく、より高い次元で酒が造れる設備を導入いたしました。酒質の向上で応えることこそ、御愛飲頂いている皆様に対しての恩返しであると共に、震災なんかに負けていないことの証明にしたいと考えております。(中略)
私達、日本酒の蔵元は日本各地に多く点在し、其々の町の明かりを灯していると思っております。日本文化の担い手としての自負を胸に、これからも地域の明かりを灯して参りたいと存じます。そして、全国にいる精鋭の蔵元達と、これからも質の高い酒造りで凌ぎを削りながら、日本酒業界を盛り上げて参りたいと存じますので、今まで以上の応援を宜しくお願いします。(裏ラベルより抜粋)
お酒とともに、特別に仕込み水を詰めた瓶も同梱されていました。
本当に嬉しい心遣いです。
この時期、全国各地から贈り物を頂きます。
(心よりの贈り物有難うございます)
東北からのものの中に、梱包材として地元の新聞が使われているものがありました。
改めてじっくりと読み込んでしまいました。
線路をオークション販売=重さ500キロ、限定1点―京急
線路売ります。重さ500キロ、送料別で―。
京浜急行電鉄は16~18日、川崎市の大師線で実際に使われていたレールや枕木のセットを、東京都港区の複合施設「シナガワグース」に16日開業する展示コーナー「京急レッドトレインガーデン」でオークション販売する。
京急によると、商品は長さ1メートルに切った重さ約50キロのレール2本と、長さ2・4メートル、重さ約160キロの枕木2本、専用かご「パイスケ」に入った砕石約15キロなどのセット。総重量は約500キロという。レールは1989年製で、昨年度まで使用されていた。
1点限定で16、17日は午前11時半~午後8時、18日は午後6時まで受け付ける。競売は5000円から始め、送料と設置費用は別に必要となる。
売り上げの一部は東日本大震災の被災地に寄付する。京急広報課は「鉄道会社初の試みだと思う。誰がいくらで買うのか、そもそも売れるのか分からないが楽しんでほしい」としている。
(時事通信 2011/12/12)
さすが京急。
粋なことをしますね。
是非入札したいところですが・・・一点ものなら落札は難しいかも。
いったい幾らの値がつくのでしょうか。
そして何よりも16日にオープンする「ポポンデッタ with 京急レッドトレインガーデン」が楽しみです。
⇒SHINAGAWA GOOSに「ポポンデッタwith京急レッドトレインガーデン」オープン!
名称 ポポンデッタwith京急レッドトレインガーデン
場所 品川駅高輪口徒歩3分 複合施設「SHINAGAWA GOOS」 2階
開業日 2011年12月16日(金)午前11:30から
営業時間 11:30~20:00
(1)京急レッドトレインガーデン(京急の鉄道資産の展示/京急の歴史年表の展示)
(2)ポポンデッタ シナガワ グース店(鉄道模型販売/京急グッズをはじめとした鉄道グッズ/大型のジオラマ(長さ4.2m×幅2.2m,線路の総延長約48m)
昨年末より曹洞宗神奈川県宗務所に通っております。
事務所は本覺寺様の御厚意により横浜駅に程近い場所にあります。
交通の便の良い場所です。
この場所は、かつての東海道神奈川宿があった場所です。
赤○が本覺寺です。
かつての東海道の道筋がよく判ります。
現在の宮前商店街から青木橋を渡り、鶴屋町と台町付近の高台を抜ける街道は現在も残されています。
地図上の「神奈川」駅は、京浜急行の神奈川駅ではなく、東海道線の神奈川駅で、現在の横浜駅より数百メートル東京寄りにありました。
約100年前(左写真)と、現在、ほぼ同じアングル(青木橋から眺めた本覺寺方面)の写真を並べてみました。
東海道線沿いに走る国道一号線は片側3車線の道路となっています。
かつてあった理髪店、そしてお堂は、国道拡張により無くなってしまっています。
また、山門(日本初のペンキによる塗装がされたことで有名)から真っ直ぐ伸びていた参道は、やはり国道拡張のために写真左方向にぐっと曲げられています。
なお、現在の参道沿いの本覺寺会館に宗務所があります。
台風15号の塩害の影響で、山門両側のイチョウがだいぶ被害を受けています。
同じ場所からの眺めを定点観測的に捉えると、時代の変遷を捉えやすくなります。
街の何気ない写真も、保存、整理していくことが大切なのです。
折角の機会なので、これからも宗務所周辺の史跡を巡っていきたいと思います。
■関連ブログ記事
平常どおり何事も無く走っている電車・・・・・というキャプションを付けても違和感が全く無い光景。
しかし・・・・
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8月に書いた 時間のながれ のフォロー記事です。
2011年5月25日(震災発生後2ヶ月半)と8月26日(同5ヶ月半)、そして10月26日(同7ヶ月半)の同じ場所の記録の一部です。
↑5月25日 野蒜駅の北、鳴瀬川/吉田川沿いの水田は まだ海水が引いていなかった。
↑8月26日 少し上流の水田では稲穂がたわわに実っていました。
↑10月26日 雑草は綺麗に刈り取られて土が掻き回されています。来年には作付けができそうです。
写真中央部、震災以降仙石線の車両が同じ場所(野蒜駅-陸前小野駅間)で止まったままになっています。
冒頭の写真は、今週撮影した「止まったままの」仙石線の車両です。
仙石線は単線のため、野蒜駅で上下線がすれ違うダイヤになっています。
ちょうど地震発生時刻の直前、14時46分に野蒜駅を出発した石巻行き快速が、野蒜駅から数百メートル走ったところで地震により停車。
7ヶ月半も 同じ場所に放置されたままになっているのですが、不思議なほどに汚れが全く無くピカピカ輝いています。
どなたかが磨いているのでしょうか?
それとも風雨によって自然に汚れが落ちるのでしょうか。
しかし、車両の足元を見ると、錆だらけの線路が時間の経過を物語っています。
線路の向こうのほうはススキに埋もれてしまっています。
なお、野蒜駅を同じく14時46分に仙台あおば通方面に出発した電車は、やはり野蒜駅から少し仙台方向に進んだところで停車。
その後津波により流されてしまいました。
ヘリコプターから中継された、くの字形に曲がって住宅地にぶつかっている衝撃的な映像は、このあおば通行きの電車だったのでした。
⇒宮城・東松島市、仙石線列車が「く」の字(TBSニュース 2011/3/13配信)
仙石線はルートを高台に変更して敷設しなおすことを検討しているそうです。
そうなると、この部分の線路は廃線になるのでしょうか。
いずれにしても、一日も早い鉄道の運行再開を願います。
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「是非、現在の門脇小学校を見ていってください」
石巻水産の社員Aさんの案内で、震災直後火災に見舞われてしまった門脇地区に向かいました。
門脇地区の非難指定場所は門脇小学校であったため、多くの方が車を使って避難し、校庭には車が並んでいました。
そこに津波が襲いかかり、駐車していた車同士が激しくぶつかり合った衝撃で火災が発生したとされています。
その火は小学校校舎にまで延焼してしまいました。
また、門脇地区の他の場所でも火災が発生し、延焼してしまっています。
(当時の記録写真を、本の工房 真羊舎さんのブログ、津波と火災の後の門脇町と南浜町で見ることが出来ます)
現在は、校庭の瓦礫は撤去されています。しかし校舎はそのままの姿で残されています。
焼けただれた教室の中も見ることが出来ましたが、教室内の写真は遠慮させていただきました。
震災直後、小学校の児童たちも多数学校に残っていましたが、先生たちが教壇を並べ桟橋を作り誘導により住民ともども裏山へ避難することができたため、たくさんの命が救われました。
この校舎は、震災の記憶を残し後世に伝えるために保存する方向で調整されているそうです。
反面、児童の多くが犠牲となった大川小学校は保存して欲しくないという意見が多く、恐らく取り壊しになるのではないかということでした。
その場所で家族、親族を失った方々にとって見るに耐えないものなのです。
そして、ここでは書くことが出来ませんが、ニュースでは報道されない様々な部分の話も多く伺いました。
「震災は建物だけでなく、人の心も壊してしまった」という言葉が重くのしかかります。
校舎北側にあるイチョウも、火災と津波の影響でだいぶ被害を受けているようです。
それでも沢山のギンナンを実らせていました。
今回の宮城県訪問の一つのきっかけとなったことは、ドイツ人写真家(FOTOGRAFIE Michael Santifaller氏)が、4年前に訪れたことのある仙台~松島の現状を実際に目で確かめてみたい。
そして、様々な方とお話をしたいということを相談されたことが契機でした。
Michael さんは、今年3月11日の震災のあった時刻にはウクライナ・キエフ(チェルノブイリ原発に近い都市)にいて、日本で大変大きな地震が起きたニュースを日本人の奥さんから一番に受け取ったそうです。
その後、来日の機会を調整していて、ようやく10月のこの機会ということになりました。
ドイツでは日本の原子力発電所事故のニュースが連日大きく報道されていて、まるで日本全体が放射能汚染されているような印象を持っている方も少なくありません。
日本の正しい状況を写真家の仕事として正しく伝えていきたいという思いを携えて来日されました。
石巻では、まずD源院様に拝登させていただきました。
D源院は、石巻北東部の高台にあり、石巻市街を見渡すことが出来る場所に有ります。
震災発生時から、多くの方が避難され、一時は400人もの方々がD源院本堂、客殿で集団生活を送られていました。
その詳細は上写真新聞記事、さんぜ通信のブログにてりんしょう様が書かれていますので、文末の関連リンクをご参照ください。
避難所生活の中で子どもたちは合間の時間に写佛や石仏彫刻をしたそうです。
海外寺院(ハワイ正法寺)からのメッセージ
一時は400人にものぼった避難者は、仮設住宅に移る方、親類の家に移る方など徐々に減少し、8月にはD源院避難所解散式が行われました。
その後も、毎朝御詠歌を講員の方々が奉詠に来たり、子どもたちが遊びにやってきたり人の往来が絶える事がありません。
地域と密接に関っている寺院の一つの例といえます。
震災直後からの葬儀について、そして半年以上過ぎ、未だ行方不明となっている方々の葬儀のあり方、グリーフケアについて、Michael Santifallerさんを交え詳細にお話しを伺うことができました。
その後、街を見渡すことが出来る墓地で、津波発生時の状況を伺いました。
震災発生時、本堂の仏具が悉く倒れ、香炉の灰が散乱する中で、その片づけをしていると、地域住民の住民の方々がお寺に非難のために続々と集まってきました。
とにかく、非難に来られた方々の受入れのために建物内を整理していたたために、津波第一波の様子は見ておらず、改めて市街地を眺めると既に市街地はほとんど津波の底に沈んでしまっていたそうです。
引き波で多くの建物は損壊し、また地盤沈下により、現在でも大潮の際には一日に二度の冠水被害が多くの地域で引き続き起こっています。
石巻市では、リフォームであればその場に留まることが出来るのですが、損壊家屋を取り壊すと、その場所に建築をする許可が下りません。
また、復興全体計画に関る市の方針が未だ打出されていないことが住民の不安の一因となっているようです。
お世話になったD源院様の本堂で、Michael Santifallerさんと般若心経を唱えさせていただきました。
表面的な被災地の状況だけでなく、深淵の部分にも触れることができたのではないかと感じます。
Michael Santifallerさんは日本滞在で体験したことをドイツにきちんと伝え、また放射能汚染などのような風評による誤解が間違えてあるということを正しく表現したいと語っていました。
「心のケアなんてできない。共に悩み、涙を流し、供養の時を重ねることで心も落ち着き、人は前を向ける。それが寺の役目です」
(D源院住職様のことば)
被災地だけに限られたことではない。
どの寺院でも当てはまることですし、葬儀、年回法要、供養とは何かについての答えが凝縮されていることばです。
木の屋での缶詰の洗浄作業は、この日は午後2時過ぎに終了となりました。
何故まだ日も高いのに作業を終えなければならないのかというと、
昼過ぎから木の屋の前の道路脇側溝から水が溢れ出してきて
まもなく道路がこのように冠水し始めました。
この日は午後3時ごろに大潮を迎えるのです。
東日本大震災では、沿岸の広範な地域で地盤沈下が発生しました。
国土地理院のGPS測位による速報では石巻市・牡鹿半島で120cm、女川町で89cm、気仙沼市で74cm、岩手県陸前高田市で84cm、大船渡市で73cmの沈下が確認されています。
「もう、今日の作業は終了なので、象徴的な場所をご案内します」
木の屋の社員Aさんの車で各所を案内していただきました。
石巻漁港の周辺も地番沈下が著しく、主要道路(それも全車線ではなく一部車線)には砂利が敷かれて嵩上げされています。
砂利が敷かれていない部分は、このように海水の浸水が見られます。
台風と大潮か重なった際にはさらに嵩上げ道路も冠水し、被害が拡大してしまうそうです。
↑この場所は、かつては中央分離帯付き片側2車線の道路でした。
木の屋・石巻水産だけではなく、沿岸部の工場群の復興のためには
・工場を一旦更地にする
・敷地全体の土地を嵩上げする。
・その工程が終了してから工場を再建する
という、長い道のりがあります。
自治体によって応急の防潮堤が造られ、大型排水ポンプで排水処理を行っているそうですが、抜本的対策としての土地の嵩上げは、ほとんど手がついていない状況です。
地盤沈下による浸水で、工場再建のめども立てられず、マルハニチロ傘下の工場が既に閉鎖されてしまったり、他の工場でも撤退する動きも出始めています。
石巻水産を例にとれば、標高の高い場所にある工業団地に工場用地は確保してあるけれども、水産加工に必須である排水ができない場所であること、港から離れているために完全移転は難しい。
途方も無く長い道のりであるけれども、漁港近くのこの場所に工場を再建することを目指します、力強く語られました。
漁港では、仮設魚市場の建設が始まっていました。
国により、自治体により、一刻も早い具体的な対策が行われ、復旧復興が進みますことを期待します。
そして長い目での支援が何より求められています。
宮城県の沿岸地域に行って居りました。
神奈川県第二宗務所に管内御寺院様からお寄せいただいた梅花法具を届けることと、ドイツからのカメラマンの案内ということが今回の主な目的です。
その中での様々な出会いを順次書いていきます。
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仙台方面から国道45号線を北上、石巻市内に入ると巨大な缶詰型のタンクが道路の中央分離帯に横たわっているのが目に付きます。
このタンクには(木)石水と書かれています。
木の屋石巻水産のロゴマークです。
海岸部にあった工場敷地内に設置されていた重油タンク(往時は鯨油を貯めていたそう)が津波により流されてきたものなのです。
木の屋石巻水産といえば、知る人ぞ知る金華さば缶を生産している水産会社です。
石巻は昨年の水産水揚高全国第3位の巨大港・石巻港を抱え、漁港の前は魚町(さかなまち)という町名であることが象徴するように日本有数の港町でした。
しかし、東日本大震災による巨大な津波第一波が地震発生後30分後に到達し、街の全域が波に飲まれました。
津波が引くまで丸3日間、水位が高い状態がつづいたそうです。
缶詰の倉庫、事務所は現在も震災時そのままの状態となっています。
「木の屋」の看板は無事でしたが、波により曲がってしまいました。
現在は真っ直ぐに戻されています。
倉庫内部の壁に水位の跡が残されています。
第一波、第二波の水位はこの倉庫の天井付近。その後3日間に亘り2メートルほどのところに見える跡の水位のままだったそうです。
倉庫の中には100万個近い缶詰があったそうですが、大量の瓦礫と泥に埋もれてしまった状態でした。
震災直後、支援物資が中々届かない状況の中、地域の住民たちは木の屋の倉庫から流出した缶詰を食べて元気を取り戻しました。
また、倉庫内の大量の瓦礫と泥を片付ける中で、流されてしまったと思われる缶詰の多くが倉庫内にあることが判り、社員全員、各地から集まったボランティアたちにより少しづつ缶詰の発掘作業が行われていきました。
水も供給されない中の作業は困難を極めました。
100万個の缶詰のうち、1/3は潰れてしまったり、品質が悪化してしまい食べることが出来なかったそうですが、残りの2/3は食用に問題なく、そのうち半分を水洗いして 「感謝の缶詰」として頒布されれることとなりました。
↑残念ながら食用にならない缶詰たち。
向こうに見える空地に缶詰工場があって、冒頭の巨大タンクが設置されていました。
現在も社員、ボランティアたちが協力して缶の洗浄作業が進められています。
缶の洗浄作業は11月半ばで作業が終了となるそうです。
それまでの間、洗浄ボランティアに参加希望される方は、木の屋へ連絡をお願いします。
数に限りが見えてきていますので、無くなってしまう前に行かれることをお薦めします。
今回特にお世話になった木の屋の社員Aさん。
有難うございました。
この「発掘缶」には、
・震災の記憶から立ち直り、前を向いて歩きたいという石巻の人々の想い、
・工場はなくなってしまったけど、一歩ずつ、少しずつでも復興を進めていきたいという私たち社員全員の想い
が詰まっています。
この缶詰を購入いただいたお客様に、約束をさせてください。
私たちは必ず、復興します!
だから、この缶詰の味を決して忘れないでください。
石巻の漁業が復活するまで、この缶詰はもう作ることが出来ません。
まだ数年はかかるとは思います。
でも、石巻の漁業と私たちの復興、その2つが揃ったとき、
必ずまた皆様に美味しい三陸の海の幸の缶詰をお届けさせていただきます!
その日まで、是非引き続き私たちを応援してくださいますようお願い申し上げます。
(木の屋からのメッセージ)
■関連リンク
木の屋石巻水産「感謝の缶詰」
貞昌院の裏山は、日限山まで続いており、この一帯にはかつて丸山という こんもりした山がありました。
(1975年 貞昌院で撮影した航空写真:以下のパノラマは●地点より撮影)
上写真の一年後、1976(昭和51)年に市営地下鉄上永谷駅が開業、この前後に行われた丸山台再開発事業により、このあたりは一変します。
駅が開設された当時は、丸山台は造成工事完了直後で、まだ更地の区画が並んでいました。
駅前広場やイトーヨーカドーも、まだありません。
今日のブログで紹介する写真は、丸山台の造成が一段落したころの様子を貞昌院の裏山から眺めた写真です。
パノラマにするつもりで撮影したものではないので、繋ぎ目が不自然な箇所があることをご了承ください。
はるか向こう側に野庭団地が見えます。
野庭団地は一足先の 1973(昭和48)年に入居が始まりました。
対し、丸山台は
1971(昭和46)年11月 丸山地区土地区画整理組合発足
1974(昭和49)年3月 造成工事開始
1976(昭和51)年2月 造成完了、排水、道路、電柱工事完了、その後仮換地、換地後、分譲事業が始まる。
1976(昭和51)年9月 上永谷駅開業
1981(昭和56)年4月 丸山台小学校開校
丸山台の住宅街も少しではありますが、埋まってきている様子がわかります。
丸山台小学校は前年に開校、駅前広場が完成する直前の写真です。
1982(昭和57)年 駅前広場が完成。 直後にベルセブン、イトーヨーカドー・ラポルトビルが完成、開業。
1985(昭和60)年 上永谷駅の開業から約9年目に市営地下鉄は舞岡まで延伸します。
このように、丸山台は、山を大規模に造成して出来たゆるやかな丘に生み出された街なのです。
そして現在へ。
小学生、中学生の頃、休みの日には友達と毎日のように自転車であちこちに出かけていました。
(散策の中で様々な街の発見があるわけで、今のPhotologのスタイルはおそらくこの時代に確立されたのだと思っています)
珍しいものがあれば写真に撮っていたのですが、ただ、当時はデジタルカメラがあるわけではなく、フィルム代、現像代、プリント代もお小遣いの範囲では無駄に使えるはずもなく、写真は大切に撮影していました。
その中で編み出した?方法は、ダークバック、現像タンクとリール、そして現像液、定着液をヨドバシカメラで買ってきて自分で現像するというものでした。
さらにモノクロの長尺フィルムを使えばかなりリーズナブルですし、しかもその日のうちに現像できますので重宝しました。
当時撮影したフィルムから、折をみてこのブログで幾つかご紹介していきたいと思います。
これは新幹線の工場、そしてそこで造られている0系の車両。
場所は、京浜急行金沢文庫と金沢八景の間にある東急車輛横浜工場です。
フィルムには1980年4月12日(土)ネオパンSS・ミクロファイン2倍増感と記載されています。
(東急車輛横浜工場付近の空中写真:国土変遷アーカーブより)
工場の隣には横浜市立大学があり、大学につながる道の踏切から望むことができました。
思わず新幹線を発見して嬉しかったことを覚えています。
さて、写真には線路が3本写っていますね。
また、新幹線車両の上には交流、直流の表示がありますね。
京急と新幹線の線路幅は一緒ですが、京急は直流、新幹線は交流。
また、JR在来線は京急、新幹線より線路幅が狭い。
東急車輛横浜工場では、新幹線のほか、京急、東急、JR(当時は国鉄)ほか海外の車両までをも造る会社ですので、それぞれに対応した線路幅、電圧が用意されているのです。
京急の金沢八景から逗子線の神武寺にかけては、JR在来線にも対応した線路が引かれ、製造されたJR車両は逗子線を通って横須賀線に運ばれます。
さて、日本の高度成長を支えてきた新幹線O系車両は、東急車輛のプレスリリース
にあるように、
東急車輛産業遺産第3号として0系新幹線電車前頭部を保存します
東急車輛製造株式会社(本社:横浜市金沢区、社長:金田 一朗)は、今年8月に創立62周年を迎えることを記念して、日本の高度成長期を支えた高速車両である0系新幹線電車の先頭部を東急車輛産業遺産第3号として指定し、当社の横浜製作所内に保存することとしました。0系新幹線電車は1964年(昭和39年)10月東海道新幹線開業時から使用された国内最初の高速鉄道専用車両です。東京-新大阪間の「ひかり」「こだま」号に使用され、最高運転速度は210km/hで、営業列車では当時の世界最速を誇りました。開業当初は12両編成でしたが、需要増加に伴い16両編成に増強され、名実共に日本の鉄道輸送の大動脈を担った車両です。1964年から1987年(昭和62年)まで38次に亘って合計3216両が新製され、当社は1967年(昭和42年)6次車から製作に参入、492両を製作し国鉄に納入しました。
今回保存する車両は36次車の博多方先頭車であり、1985年(昭和60年)1月に製作されました。JR東海に継承後1998年(平成10年)6月まで東海道・山陽新幹線で「こだま」号を中心に使用され、廃車後は静岡県の佐久間レールパークでシンボル的な前頭部が保存されていました。2009年11月同所の閉園に伴い2010年7月にこれを譲り受け、日本の高度成長期を支えた高速鉄道専用車両としての活躍を永く伝えていくため、東急車輛産業遺産3号として指定し、誕生したこの地に永久保存することとしました。(※一般公開はしておりません)
というように、製造された工場内に戻ってきて永久保存されるようになったそうです。
残念ながら一般公開されないそうですが、何だか感慨深いニュースです。
なお、当時は鉄道の車両工場は許可を得れば撮影も簡単にできましたし、時には中も案内してくれたりしました。
おおらかな時代でした。
最近は写真撮影すらできないそうですので、ルールは守るようにしましょう。
■関連ブログ記事
鉄道博物館
貞昌院の前には片側3車線の幹線道路(環状2号線)が通っています。
この道路が整備される前は、片側一車線の道路でした。
幹線道路の開通によって、車で遠くへ出かけるときには便利になりました。
反面、広い地域から車が集中するようになり渋滞が度々発生するようになり、却って旧道を通ったほうが早いことも間々あります。
一番不便な点は、道路の反対側にある場所へ行く場合です。
片側一車線であればそのまま右折すれば済むのですが、片側3車線、さらに中央分離帯や川が道路を通っている構造のため、しばらく進んでUターンしなければなりません。
さらに厄介なのが右折の矢印信号のある交差点です。
現行の道路交通法では、このように右矢印信号が表示されている場合は、その方向以外に進行することができません。
右折の矢印信号でUターンすると「信号無視」となり、交通違反となるのです。
ただ、この信号無視については、あまり周知されていないのか、わざとしているのか判りませんが、右折矢印信号でUターンする車が目立ちます。
試しに交差点でしばらく観察してみましたが、むしろ大部分の車がUターンしている状態です。
このような問題を受けて、来年4月1日には道路交通法が改正され、右折矢印信号でもUターンできるようになる予定(ただし、転回禁止の標識がある場所を除く)です。
ようやくの改正ですが、これにより多少は不便さが解消されるのではないかと期待しています。
それにしても、規則は、その内容を共有して成り立ちます。
認知度の低い規則は何らかの対策が必要でしょう。
右折の矢印信号でのUターン禁止以外でもこのような事例はたくさんありますね。
電気、ガス、水道、交通、通信など、日常の生活や産業活動に無くてはならない施設をライフラインと呼びます。
大災害の際には、このライフラインが断絶するこすことにより、被災地の人々の生活、避難所の生活に大きな支障が生じました。
また、病院でのライフラインの障害は命にかかわりますし、被災地復興の障害となります。
従って、一刻も早いライフラインの復旧が求められるわけですが、東日本大震災のように津波により広範囲に甚大な被害をもたらした大災害では復旧が難航し、なかなか回復しないこととなりました。
ライフラインの普及がどういう状況であったかを纏めている資料がありましたので、その結果を引用しながら考えてみます。
土木学会地震工学委員会「ライフラインの地震時相互連関を考慮した都市機能防護戦略に関する研究小委員会」資料
注意事項
・水道・都市ガス・電力の停止戸数の解消過程および復旧率について,東日本大震災と阪神・淡路大震災との比較を行った.最後のデータの5 月31 日は地震発生から82 日目であり,兵庫県南部地震では4 月8 日に相当する.
・東日本大震災の電力については,東北電力管内のみを対象とした.
・阪神・淡路大震災における水道被害は,兵庫県内のみを対象としている.
・阪神・淡路大震災における都市ガスの復旧過程では,1995 年2 月28 日に,倒壊・焼失した約152,000戸が復旧対象から除外された.しかし図21では,最大停止戸数からの復旧戸数を差し引いた値を示したため不連続となっていない.また図23では,「復旧率=(復旧対象戸数-停止戸数)/復旧対象止戸数」としているため不連続となっていない.
阪神淡路大震災では、地震直後に260万戸が停電したものの、数時間後には100万戸へと、半数以上が復旧しています。
6日目までにほぼ100%まで復旧しました。
電気の復旧は1週間以内、電話は2週間、水道とガスは3ヶ月程度が全体復旧の目安期間でした。
水道、ガスの復旧が遅れる要因は、供給経路が道路の埋設管(地下)にあることにより、地盤の変形によって管路が損傷を受けた場合に、その場所を特定すること、道路を掘り返して修復することが困難であるからです。
電気や通信のような架空線の場合は、容易に復旧が可能であることは、感覚的にもわかると思います。
電信柱と電線によって街の美観が損なわれる というデメリットもありますが、災害からの復旧の面から考えると、電信柱と電線のメリットもあるのです。
今年3月に発生した東日本大震災では、電気の復旧率90%になるまでに5日間を要し、それ以降95%程度の復旧率で推移し中々100%に達しませんでした。
この理由として、(1)津波等電気設備、幹線が損害をうけた。(2)地域全体で家屋建物が流失してしまった。(3)移転等によりインフラは健全だが送電できないもの。(5)原子力発電所事故による立入制限区域
等々、復旧に長期化が予想されることが挙げられます。
例えば東松島市宮戸島では、5月下旬になってようやく電線の工事が進み、6月になって一部に電気が復旧、水道の一部復旧は8月に入ってからです。
「震災の被害の地域差によってライフラインの復旧時期が大きく変わる」というのが今回の震災の特徴といえます。
未だライフラインが回復していない地域の早期回復を願います。
携帯電話の復旧状況を見てみましょう。
通信のトラフィックジャムもあったはずですが、それでも震災発生当時は半数程度の基地局で通話通信が可能でした。
このことが、多くの命を救い、また遠く離れた家族親類と連絡を取り合う手段となりえたことを示唆しています。
但し、震災発生翌日には復旧率がほぼ0になってしまいます。
震災後続く停電により、基地局のバッテリーが切れてしまったためです。
また、4月7日に発生した余震による停電でも基地局の停止により半数近くが不通となっています。
携帯電話は、その普及に伴い、重要なライフラインとなりました。 震災発生初期の段階での途絶を防ぐことができるよう、今後、さらに震災に強いシステムを構築することが求められます。
震災発生後のライフライン復旧の目安を知っておくことは、震災のための備蓄品の量を決定するための重要な手段となります。
今後、さらに詳細な分析がなされていき、データが発表されていくはずですので、留意し活用していくことが大切といえましょう。
明治14年ごろに描かれた貞昌院の絵図を2つ並べてみます。
(左)社寺明細帳図・貞昌院所蔵 (右)社寺明細帳図・神奈川県立金沢文庫所蔵
同じ絵図が何故2つあるのでしょうか。
その理由は、明治時代、日本が国策として天災地災など、不測の事態に対応できるように配置図を保存するために全国一斉調査を行ったことによります。
内務省社寺局により各府県に「神社寺院及境内遙拝所等明細帳書式」(後述)として通達され、寺社ごとに4部作成され、1部は内務省、残り3部は社寺、郡区役所、戸長役場で保存されました。
「神社寺院及境内遙拝所等明細帳」の「書式」は次のように細かく定められています。
■社寺製図凡例
1.社寺境内の建物などの配置を細密に模写する目的は、後日天災地異または不測の事態にあった場合でも、かつての配置を捜索考証するのに役立つからである。よって、その図面を保存することは重要であるから、4部を作成し、本庁(内務省社寺局)へ提出すること。そのうち3部は調査の上、それぞれ社寺、郡区役所、戸長役場にてこれを保存すること。その図面を作成するに当たっては次の項目に従うこと。
1.境内の地形を測り、その方位を定め、地種の等級を図中に明示すること。
1.祠堂、その地建物を画く場合、その位置と築造の2点に注意すること。
1.社寺殿堂ほか、装設してある灯籠、手洗鉢、唐獅子、石仏、瑞籬(玉垣)、板牆(みずがき)、土塀等については、境内外を問わず配置のままを記載すること。境内地形線をその境界に挿引して、区分を明示すること。
1.社寺の規模、境内の面積を客観的に観るために、すべて1/100の縮尺とする。製図者を見つけられないなど製作が困難な場合は、現状を細写するだけでもよい。
1.境内、池沼もしくは巨木、仮山など、一般の地形と異なるものがある場合は、これを詳記すること。その大小や形状を記することも前項に準ずること。
1.境界の周囲、町村にかかるものは、その町村名を記すこと。
1.社寺所在の地に接続する周辺道、および名所、旧跡、山河、瀑布(滝)などは、その名称と距離とをその方位に当て、記入すること。
1.これまでの項によるもののほか、すべて境内風致にかかわり、または将来の備考となるべきものは出来る限り掲載し、滞りなくこれを行うこと。原文:『松本ナミ家文書』「役場執務・寺社一二の二の(六)」(横浜開港資料館蔵) kameno意訳
細かく規定された書式の範囲で、絵師の特徴が出た絵図が全国各地で描かれました。
また、同じ貞昌院の絵図でも、寺院所蔵版と役所提出版を比較してみると、山の描き方、屋根の陰影の描き方など、細かい点で差異が見られます。
せっかくデジタルデータ化したので、2つの画像を重ねてみました。
本堂、庫裏といった主要部分については、きちんとトレースされています。
けれども、周囲の建物、参道など主要な建物から遠くなるにつれて寸法の差異がでるようです。
山の尾根線などはだいぶ違っています。
両者の差異を詳細に見ていくとさまざまな発見があります。
日本は自然災害の多い国です。
東日本大震災、新潟の水害、台風12号による土砂災害等々、特に今年は数百年ぶりの自然災害が相次いで発生しました。
また、木造建築は火災等で失われる危険性も高いものです。
そのことを前提として、天災地災など、不測の事態に対応できるように配置図を国策として作成させ、その図面を保存するということが行われていたという事実は重要な意味をもつものであります。
■関連ブログ記事
貞昌院の絵図が金沢文庫に66年目の終戦の日を迎えました。
戦渦により犠牲になられたすべての方々に心より哀悼の意を表します。
さて、一昨日、カタストロフィーと寺院の役割 という記事を書きました。
その続いを少し。
さまざまな事象が、カタストロフィーモデルに当てはめて考えることができるということで着目されている理論です。
典型的な例を図に表してみました。
ルネ トムのカタストロフィーモデルと呼ばれるものです。
時間軸が手前から奥へと進んでいくと考え、次々にやってくるゆるやかな双曲線(図の手前の青い双曲線)が、次第に鋭角的な波頭型に変わり、それがさらに進行すると、突然不連続現象が現れます。
これがカタストロフィーの不連続面です。
この不連続面は、実際の社会現象では例えば明治維新、東京大空襲、横浜大空襲、原爆投下、終戦、バブル崩壊、大規模住宅開発、大震災、大津波・・・・大きな社会的事象が起きると、局所的あるいはある程度広範囲に歴史的な不連続面が生じる典型的な例として挙げられます。
日本においては、「終戦の日」が最も大きな不連続面の一つに挙げられるのではないでしょうか。
過去の終戦に関するブログ記事を併せて列記します。
65年目の終戦の日
星条旗の下に生きた日系人たち
松根油と戦時中の永谷
太平洋戦争空襲~終戦の日
この不連続面では、過去から未来へ向けての「記録」「記憶」が欠落してしまいます。
その欠落を埋める役割として、寺院、僧侶が重要な役割を果たしています。
寺院は、カタストロフィーの不連続面においても、よほどのことが無い場合を除いて、場所を移動せずその場所に「在り続け」、地域に密着して記録を残し続けています。
そして、その記録を伝承している代々の住職、僧侶が居ます。
寺院は、不連続面により断絶されてしまった地域の記憶を蘇らせる時間軸を結ぶための太い糸となっているのです。
さらに、災害時の寺院、僧侶のネットワークが大きな役割を果たしています。
大災害直後は、地元に密着した現地の寺院、その周囲のネットワークが災害拠点として大きな役割を果たしました。
その後、全国を結ぶ寺院のネットワークにより、情報共有、ボランティアの輪が広がっていきまいた。
必要なところに必要なものが届けられる拠点としての寺院の役割は、今回の大震災でも大きなものとなっています。
そのような寺院の、そして僧侶たちの一つひとつの役割が繋がって(時間軸の縦方向、同じ時間で空間的に横方向に広がる強い繋がりが)結果として大きな力となっているのだと思います。
もう一つの話題も。
お盆の時期、戦没者慰霊で灯される「灯明」は、迷いなき真実の智慧、闇を除き、闇を明るく照らす除暗遍明という大切な明かりです。
火は、
時には恨みを込められたものとなり、
人の命を奪うものとなり、
平和の象徴となり、
生きる力を与えるものとなり・・・
さらに、蛇足的に付け加えれば、以前ブログ記事 眼に見える世界は蝋燭の炎の形 で書いたとおり、私たちが今、直接見ることができる世界を図に表すと蝋燭の炎のような形になります。
(理由は上記ブログ記事を参照ください)
私たちが「今」眼にしているものは、すべてが蝋燭の炎の表面の部分に並んでいます。
また、眼に届くものの姿は、蝋燭の炎の表面を辿って私たちの眼に届けられます。
時間軸は下にいくほど過去に遡るのですから、見えているものは必ず過去の姿であることがわかります。
しかしながら、蝋燭の炎の表面の部分は見える可能性があるとはいえ、全て見ることはできないわけです(ぐるっと360度周囲全体を同時に見ることは不可能ですし、ある物体の裏側を同時に見ることも不可能です)から、私たちが捉えることができるものは、蝋燭の炎の表面の部分の、さらにごく僅かの部分だけなのです。
この蝋燭の炎の内側の部分は、過去の(歴史の)世界となります。
そして、蝋燭の炎の外側の部分は「絶対に見ることが適わない」世界となります。
カタストロフィーのモデル図は、まるで日本を襲った大津波のような形をしています。
私たちが目に見える世界の範囲を図に表すと、まるで灯明の炎のような形になります。
今日はお盆の最終日。
それぞれの家にとって、ご家族を失うということは、その家にとってはカタストロフィーの大きな波がやってきたのと同じことなのかもしれません。
機会あるごとに故人に思いをはせ、ご先祖様へのご供養を行う、この日本の良き伝統は、世代間を繋ぎ、それぞれの家のカタストロフィーの大きな波を乗り越えるための役割も果たしています。
終戦の日に、そしてお盆の日に、あれこれととめどなく書いてみました。
8月9日付けの朝日新聞 横浜版に記事を掲載していただきました。
「66年目の戦後」災後を歩む 特集の枠です。
東海テレビで「怪しいお米セシウムさん」のテロップが流れたのは4日前。
テロップに関ったのは東海テレビ50歳代の社員だそうで、このようなテロップを作成し放送したことはもちろん許されることではないし、東海テレビを含めて放送業界全体で検証していかなければならない事件だと考えます。
さて、身近な周囲を見回してみれば、例えば最近スーパーなどに行くと昨年産の米が飛ぶように売れている現状があります。
近所のスーパーでは銘柄を選ばなければまだ買うことが出来ます。
しかし、そのうちに在庫も尽きてしまいそうな勢いです。
東京に近い地域ではまったく在庫がなくなってしまっている店も多く、また在庫があっても購入制限がかけられていたり、また、古米の卸問屋と小売店の取引価格は急騰しています。
早場米の高知県産の新米ですら売れ行きが悪いそうです。
東日本大震災直後に発生した買占めが米穀市場では再び発生しているのです。
政府は、2011年産の東日本の新米について、放射線の検査を二重に行うことを打ち出しています。
よって、市場に出回るのは暫定基準値より低い米のはずです。
それでも、消費者が古米獲得に走るのは、検査体制や基準値自体が信用できないことを含め、「怪しいお米」という疑念を払拭できないということなのでしょう。
消費者心理に、言葉には発しないけれども、その奥底に隠された「怪しいお米セシウムさん」という感情が潜んでいるのだとしたら、古米を買い占めた消費者を責めることはできるのでしょうか。
米は毎日の食生活に欠かせないものであり、日本文化は米中心に育まれてきたことを考え合わせると、なんともやるせない気持ちです。
もう一つ、やるせないニュースといえば京都五山送り火で、岩手県陸前高田市の松で作られた薪使用する計画が、薪に含まれるかも知れない放射能が拡散される懸念があるということで中止となった ということです。
陸前高田市の薪350本には、震災遺族からのメッセージが既に書き記されていて、16日に京都で五山送り火として再び燃やされるはずでした。
(右写真は毎日新聞記事より引用)
この計画は、大分市の美術家、藤原了児さんの発案により京都五山送り火保存会の理事長を経て、藤原さんの知人である陸前高田市の旅館経営、鈴木繁治さんが被災地での薪集め、メッセージの呼びかけを行い準備が進められていました。
ところが、計画が報道されたころから京都市や関係者の自宅に「放射能汚染された灰が飛ぶ」「子供に後遺症が出たらどうなるのか」「琵琶湖の水が飲めなくなる」などと抗議の電話やメールが寄せられるようになったということです。
保存会では薪の放射能検査を独自に行った結果、全ての薪から放射性セシウムもヨウ素も検査されませんでした。
しかし、「不安に思う人がいるのなら押し通すことはない」という判断で岩手県陸前高田市の薪が京都で燃やされる計画は無くなりました。
保存会の理事長は陸前高田市に出向いて、この経緯を説明し深謝の上、今夜(8月8日)精霊の「迎え火」として陸前高田市で燃やされました。
理事長の実直な心の実行により計画に携わった多くの方々の思いは晴らされたのかも知れませんが、それでも後味の悪さは残ります。
このような事例はこれから数多く出てくると思われます。
風評と実害と、そして放射性物質への尽きない疑念。
そんなことにいつまで振り回されなければならないのでしょうか。
■関連ブログ記事
やるせない風評被害の現実
放射性物質に汚染された地域を浄化するために ヒマワリ や アブラナ を植えるプロジェクトが提唱されています。
ただし、ヒマワリ や アブラナ に放射性物質を吸い上げる力があるのだとするのであれば、正しい理解に基づいて行わないと却って汚染を拡大する結果を招く恐れがあるので注意が必要です。
広まるヒマワリ作戦、間違えれば汚染拡散も東京電力福島第一原発事故による周辺土壌の汚染を解消しようと、放射性物質を吸収するとされるヒマワリの種まきが、福島県内で進められていることに対し、「方法を間違えると汚染拡大の恐れもある」と、専門家から慎重な対応を求める声が起きている。放射性物質を吸収したヒマワリは、放射性廃棄物としての処理が必要だが、処理方法が確立されていないからだ。 石川県内からも現地に種を送る動きが活発化する中、専門家らは事前の情報収集の必要性を指摘している。 ヒマワリなどキク科やアカザ科の植物は、放射性セシウムを吸収するとされる。
農林水産省は、同原発周辺の土壌から放射性物質を吸収するのにヒマワリなどがどの程度効果があるか、5月から福島県飯舘村で実験を行っており、8月に刈り取って吸収量などを分析する。
ヒマワリに吸収効果があるという結果が出た場合は、原発周辺で植え付けを検討しており、「燃やしても放射性物質が外に出ないような焼却施設を開発する」として、専用処分場の建設も視野に入れる。だが、現時点で処分場所も種まきに際してのマニュアルもなく、同省は「(緊急時避難準備区域の)30キロ圏内などでは、実験結果が出るまで行わない方が良いのでは」としている。
新潟大の野中昌法教授(土壌環境学)によると、吸収した放射性物質はヒマワリに蓄積され、いずれ処分しなければならない。 ただ、焼却すれば放射性物質が飛散する恐れがあり、種まきの際に土を耕すと地表の放射性物質が土壌深くに混ざってしまう。汚染を拡散させる危険性があり、「種まきは将来的な処理方法を考えた上で、正しい知識を持って行う必要がある」と指摘する。
(讀賣新聞 2011年7月17日 )
寒地土木研究所月報№646 2007年3月号解説「ファイトレメディエーション(植物を用いた地盤の浄化法)について」の修正について
平成23年(2011年)福島第一・第二原子力発電所事故に関連して、ファイトレメディエーション(地盤浄化)に関する当所の資料「解説 ファイトレメディエーション(植物を用いた地盤の浄化法)について(寒地土木研究所月報第646号)」を引用される方が増えております。このことに関して、資料の内容について訂正を行いましたのでお知らせします。
訂正の趣旨
本解説は、重金属による土壌汚染対策手法のひとつとして植物の重金属吸収能力を利用した浄化方法について紹介したものです。
ファイトレメディエーションに関して、一部正確性が欠如した表現が含まれておりましたので、下記の通り修正を致しました。
訂正内容
「上記の5種類以外にも放射性物質を吸収する能力も研究されている例があり、それによるとヒマワリの根を用いた水耕栽培試験によりセシウム、ストロンチウムを蓄積することが判明した内容である。」
紹介した事例は、放射性物質を水溶液から吸収して植物体内に蓄積されるものであり、放射性物質を消滅させるものではありません。空気中や根の届かない範囲の放射性物質に対する効果は期待できませんし、全ての放射性物質に効果があるかどうかも不明です。また、土壌の浄化には、植物の除去・運搬などの処理を行う必要があります。植物を植えたから問題が解決するというものではなく、その処理まで含めた対応が必要であることに御留意いただきますようお願いします。
本解説を引用された方々にお詫び致します。
(独立行政法人土木研究所 寒地土木研究所)
さらに、宇宙農業研究の放射能汚染除去への貢献として、ひまわり作戦を提唱している JAXA宇宙航空研究開発機構・宇宙科学研究所宇宙科学研究所宇宙農業のサイトには
との記述があります。
少なくとも、国や研究機関によるきちんとした放射性物質除去に関する実証実験が行われないうちは、被曝線量管理の手段を持っていない素人が 除染を目的としたヒマワリの播種を行うこと は控えたほうがよさそうです。
効果があるのであれば、刈り取ったヒマワリ自体に放射性物質が集まっているということですし、効果が無いのであれば、ヒマワリを植えること自体意味が無いことになります。
むしろ、福島県のホームページに記載されている
手引き(PDF:1,804KB)
モデル事業結果(PDF:372KB)
パンフレット(PDF:2,927KB)子供向け放射線対策パンフレットについて
未就学児童用(PDF:1,456KB)
小学生用(PDF:1,519KB)
中学生用(PDF:1,098KB)
保護者用(PDF:1,225KB)
を地域全体で協力して進めていったほうが、即効性がありますし、一度除染を行えば継続的に放射線の影響は抑えられます。
上記の福島県による生活空間における放射線量低減対策について、特にパンフレット(PDF:2,927KB)はよく纏められています。
生活空間の中で、どのような場所に放射性物質が集まりやすいかを理解し、それを効率的に取り除いていくことが除染のポイントとなります。
除染を実行するに当って、いちばん厄介な場所は水田だと考えます。
田植えが行われた水田は、水が張られています。土の表面に薄く堆積した放射性セシウムが拡散され、また、周辺環境から水によって集められた放射性セシウムが流れ込んでしまいます。
農林水産省は今日(7月3日)、近く収穫期を迎えるコメについて、収穫の前後2段階で放射性セシウムを調査する方針を発表しました。
収穫後の本調査で暫定規制値(500ベクレル/kg)を超えた地域のコメはすべて出荷停止として廃棄処分を義務づけ、他の食品より綿密な二重チェック体制を取ることになりました。
今年はかなりの地域のコメが廃棄処分となってしまう可能性があります。残念なことですが、食の安全を確保するためには必要な措置であると考えます。
以下は実用化に向けて研究が進められている話題ですが、復興構想会議に参加されている玄侑宗久師が提唱して有名になった細菌、ロドコッカス・エリスロポリスにも期待を込めたいところです。
緊急提言 玄侑宗久
日刊工業新聞(4/6)の報道によると、セシウム137 を約10 分の1まで減少させるロドコッカス・エリスロポリスという細菌があるらしい。国立環境研究所の富岡典子主任研究員らがすでに10 年前から研究し、その効果も実証確認しているというのである。海では使えないらしいが、校庭や農地の除染に役立つのかどうか、文科省や農産省には早速にも調査していただきたい。
(第6回 復興構想会議提言より引用)
ロドコッカス・エリスロポリスが除染に大きな役割を果たすことが実証できれば大きな成果となります。
放射性物質を消滅できないという前提を覆すことができるからです。
以下、日刊工業新聞の記事を引用します。
国立環境研、細菌使い放射能を10分の1に-水浄化で注目
国立環境研究所の研究グループが過去に行った放射性物質を取り込む細菌の研究で、水中の放射性物質が放射線を出す能力(放射能)を10分の1まで下げる細菌を発見していた。福島第一原子力発電所の事故で放射性物質の環境汚染が懸念される中、浄化手段としてあらためて注目される。ただ「簡単に増えるため大量培養は難しくないが、海水の中で利用できないことや温度や酸性度の条件で制約がある」(冨岡典子主任研究員)など実用化には課題があるようだ。
冨岡主任研究員らの研究グループはチェルノブイリ原発事故をきっかけに1988年から約10年間、細菌が放射性物質を取り込む現象を研究した。当時高精度な放射性物質の監視(モニタリング)装置がなかったため、細菌によるモニタリングの可能性を探るのが当初の研究目的だった。
(日刊工業新聞 2011年04月06日)
一日も早く美しい大地が戻りますよう願っています。
■追記
当選者名が「汚染されたお米セシウムさん」 「不適切」と東海テレビが謝罪
2011年8月4日放送された東海テレビの番組の中で、東北地方の米の当選者の名前として「汚染されたお米 セシウムさん」という文字が画面に出てしまい、局が謝罪文を掲載した。
この日朝に放送された情報番組「ぴーかんテレビ」で、視聴者プレゼント「岩手県産ひとめぼれ 10kg」の当選者が発表された。
■「視聴者の皆様に不快な思いを与えたことに対し、深くお詫び申し上げます」
その当選者の名前が「怪しいお米セシウムさん」「汚染されたお米セシウムさん」。東北の農家が放射能の風評被害に苦しむ中、それを揶揄するという、とんでもなく不謹慎な内容だ。
その後、番組内で、福島智之アナが「今、幸せ通販の映像の中で、違う映像が出てしまいました。考えられないような不謹慎な内容でした。本当にすみませんでした」と謝罪。局のHPにも
「番組途中、『夏休みプレゼント主義る祭り』の当選者をお知らせする内容に不適切な記述が誤って送出されました。大変常識を欠いた不謹慎な内容が画面に出てしまい、視聴者の皆様に不快な思いを与えたことに対し、深くお詫び申し上げます」
という謝罪文が掲載された。「誤って」とは書いてあるが、具体的な経緯については書かれていない。ネットでは、リハーサルで使うためのダミー用の映像が間違えて流れてしまったのではないかという指摘も出ている。このシーンの動画がすぐYouTubeにアップされ、「背筋が凍った」「放送事故とかいうレベルじゃないですよね?完全に悪意もあるし、被災地をバカにしてますよね?」といった非難のコメントが殺到している。
(J-CASTニュース 2011年8月4日)
これは絶対に許せない「事件」です。とてつもない悪意を感じます。
外国人向けのゲストハウスに設置する家電製品で特に不便に感じることは、操作スイッチ類の表記の不親切さです。
例えば、洗濯機はこんな感じです。
これでは、日本語を読めない方にとっては操作することは相当困難でしょう。
(日本語を理解していても、機能を理解することは難しいと思われます)
そこで、このような紙を作って壁に貼っています。
洗濯機に限らず、エアコンやテレビのリモコン、電磁調理器の操作パネル・・・・・
日本で発売されている家電製品のほとんどが、操作パネル、取扱説明書どちらも日本語のみの表記となっています。
デジタルカメラや携帯電話の中には言語を選べたりインターネットから英語版の取扱説明書がダウンロードできるものもあります。
けれども「白物家電」の場合は、日本語以外の説明がほとんどありません。
取扱説明書が難しいのであれば、せめて操作パネルの多言語版の説明シールだけでも添付(もしくはダウンロードできるように)して欲しいものです。
製品によっては、単に不便だけでなく、使用を誤ると危険を伴うものも少なくありません。
家電メーカーに是非お願いしたいことの一つです。
■追記
同じ趣旨のことを書いている人が居た!
English Translations for Korean Washing Machine & Water Heater
そうだよね~、こんなパネル見ても分からない。
般若心経は、最もポピュラーなお経の一つですので、さまざまな経本・経典に掲載されています。
夏のこの時期は、般若心経を読経する機会が普段よりも多くなりますので、それぞれを比べてみると区切り方(句点の打ち方)がバラバラであることに気付きます。
(※補注・曹洞宗僧侶は、般若心経を句点の位置で一拍おくという読み方はしません)
とりあえず、身近で目に付く範囲で調べてみると・・・・・
摩訶般若波羅蜜多心経 |
曹洞宗宗務庁発行の経本です。
わかりやすいように句点を●で表しました。
摩訶般若波羅蜜多心経 |
同じく曹洞宗宗務庁発行の在家用の経本です。
ほぼ同じですが、細かい点に違いが見つかります。
不垢不浄不増不減 とか、最後の 羯諦●羯諦 の部分が異なりますね。
摩訶般若波羅蜜多心経 |
曹洞宗大本山總持寺安居中に使っていた経本です。
いきなり出だしから 行深般若波羅蜜多時照● というように、句点の位置が違います。
また、本文中も宗務庁版に比べて句点が多くなっています。
摩訶般若波羅蜜多心経 |
永田文昌堂発行のものは、大本山總持寺日課諸経要集に近い区切り方をしています。
ただ、まったく同じというわけではなく、 究竟●涅槃 の部分が違います。
惜しい!
曹洞宗だけでもこれだけ違うのですから他宗派は言わずもがなです。
あえて引用しませんが、ウィキペディアから般若心経項を見てみると
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 |
句点のほかに読点、中黒・・・・・・
自由ですね~
原典に近いテキストは
般若波羅蜜多心經 大正新修大蔵経収録テキスト 唐三藏法師玄奘譯 |
東京国立博物館所蔵重要文化財『梵本心経および尊勝陀羅尼』(梵字による最古の般若心経とされる)
このようにざっと見回しただけで、同じものは無いといっても良いほどです。
なお、般若心経は漢文読み下しをすることにより、意味をとることができます。
読み下しの観点から見るに、個人的には次のような区切りがすっきりしていて良い感じです。
摩訶般若波羅蜜多心経 |
補足1 経典によっては打磬点(だけいてん=鳴らしものを打つ場所)記号が記載されていますが、今日のブログでは省略しています。
補足2 漢字の差異の検証も省略しています。
■関連ブログ記事
■蛇足
アウトドア般若心経 by みうらじゅん
私たちがドイツで声明公演を行っていた時期を同じくして、フランス・パリではジャパンエキスポ2011が開催されていました。
ジャパンエキスポは、毎年7月フランス・パリで行われる、日本のポップカルチャーと、書道や武道・茶道・折り紙などの伝統文化を紹介する日本文化のフェスティバルです。
今や日本文化といえば、マンガ・アニメ・ゲームを中心とし、音楽・モードを含めた日本のポップカルチャーがその代表格となっていますが、どうしてどうして、日本の長い伝統で培われてきた伝統文化も大きなブームとなっています。
ジャパンエキスポ会場ではマンガやアニメのコミックやDVD、関連グッヅ販売、ゲーム体験、サイン会、コンサート、ファッションショー等々・・・さまざまなプログラムが組まれ、毎年フランス国内はもとよりヨーロッパ諸国から17万を超える入場者を集めるヨーロッパ最大規模の日本フェスティバルです。
ジャパンエキスポ2011 概要
開催日: 2011年6月30日(木)~7月3日(日) 11:00~19:00(4日間)
会場: フランス パリ・ノール ヴィルパント展示会会場 Parc d'Exposition Paris Nord Villepinte
入場料: 6/30(木)9ユーロ、7/1(金)12ユーロ、7/2(土)14ユーロ、7/3(日)12ユーロ。週末3日間パス31ユーロ。4日間パス35ユーロ。
入場者数: 前回2010年は17万4千人来場
日本の文化として「禅」も位置づけられており、禅のブース Butsu Zen Zone もありました。
Try Zazen meditation! With Butsu Zen Zone, everything is in the mind, Zen, serene and a bit offbeat!
Existing in Japan since the 13th century, this practice linking body and mind is entirely part of Japanese culture. Zen masters initiate you to sitted meditation, Zazen, at Japan Expo.
On the hype, Kawaii and fun booth of Butsu Zen Zone, practice is illustrated by the new Zen aesthetic of the Western lands thanks to our artists who regularly publish in Japan. True Buddhas answer your deepest questions, even the most Banzai ones.
What is Zen?
Zen is mainly about practicing Zazen, a word coming from Za (to sit) and Zen (meditation).
Zazen is nothing but sitting peacefully and being intimate with oneself. It does not rely on a dogma or ideology. It is a school of concentration, attention, self-knowledge and letting go.
This practice has been transmitted from master to disciple, from people to people, for 2.500 years. The quiet position of Buddha is the perfect image of Zen.
Sitting quietly, thinking about nothing in particular. Letting thoughts flow after becoming aware of a moment and coming back to being attentive to the position of the body and to breathing. This way, our mind, wholly aware of what surrounds it, remains available to every new moment.
This is the essence of Zen: focusing on the posture and breathing.
Zen in the Western world
Master Taisen DESHIMARU taught and transmitted the practice of Zazen in Europe from 1967, when he arrived in France, to 1982 when he died.
He is the heir of the purest tradition transmitted from the Indian Buddha Shakyamuni, Chinese Bodhidharma and Japanese Dogen. Disciple from Master Kodo SAWAKI, one of the greatest in Japan, he strongly desired to help contemporary men, whom he could feel were unbalanced, and make them understand their lives and themselves more deeply thanks to Zazen. His teaching was very concrete and deep inside everyday life. He often said: “Don’t separate the spiritual and the material. You must take up contradictions.”
In the current crisis of our civilization, Japanese art of living together, pervaded with Zen, can feed the world culture of the 21st century.
(Japan Expo 2011のサイトより引用)
会場の雰囲気もなかなか良いようで、
We were able to staff the stands at Paris and Montreuil mainly with members of Neuilly and Tolbiac dojos, and then had the help of the major southern dojos near Marseille (where we did over 250 introductions, with fans sometimes queuing for a zafu!), so the participation of different sanghas was invaluable. It is a unique experience to present the practice I shin den shin to strangers, even for a near beginner!Even if seated zazen is demanding, what we presented is a strong but joyful practice, and we do not see any reason to leave the monopoly in Buddhist smiles and laughter to the Dalai Lama. The public must have been aware of this atmosphere at the Butsu Zen Zone, sensing the open-mindedness, joy and considerable humour. In short, it was a lot of fun!
In any case, it seems that the motionless beauty of the zazen posture in the middle of this friendly chaos has struck people’s minds because, after participating three times, we are now among the ‘events not to be missed at Japan Expo’ and the organisers insist on our continued presence.
という記述もありました。
フランスを拠点とするAZI(Association Zen Internationale)のサイトに JapanExpoの参加レポートが掲載されていました。
Zazen à la JAPAN EXPO
(写真はAZIのサイトより)
折角のJapanExpoですので、日本から禅僧が積極的に参加して、ブース出展することを検討してもよいのではないでしょうか。
「本物」が与えるインパクトも大きいと思います。
日本が世界に誇る文化たる禅へ理解をより深めるために。
声明ドイツ公演渡航まで一週間となり、仏具の最終点検が行われました。
航空貨物として運搬するため、丁寧に梱包し、運送会社へ引き渡していきます。
同時にインボイスの作成などなど、事務的な作業も進めます。
まもなく出発なのだな~と実感が湧いてきます。
今回の渡航の中を取り持ってくださっているのが、声明研究家のドイツ人Rさんです。
おそらく曹洞宗では初めてとなるこの国際的な事業は、Rさんの力無くしては実現しなかったことでしょう。
R氏は声明研究家であると同時に、日本文化の優れた理解者、紹介者でもあります。
日本を代表する文化といえば、今ではアニメ、MANGA、ギャルファッション・・・・そんな風潮でありますが、能や鼓、尺八といった伝統音楽、その源流となる声明などなど、日本人ですら気付かない素晴らしさを熱心に説かれるドイツ人です。
また、その人脈の広さは特筆すべきであり、鼓の大倉正之助さんをはじめ、日本の伝統音楽家はほとんど関わっているといって過言ではありません。
けれども、日本の伝統音楽への欲求や評価も高いのに、現地の日本政府高官の方々は日本の伝統音楽にそのようなものには興味が無いという現実があるようです。
2年前の宗教音楽際のオープニングを声明が飾り、大反響だったにも関わらず係らず、その場に政府高官の方の出席はありませんでした。
能や尺八の公演でも然り。
日本の伝統音楽は、退屈で詰まらない、取るに足らないという先入観が日本人に根付いているようなのです。
Rさんもそのことを指摘されていました。
一種の風評被害のようなものなのでしょう。
今日、東日本大震災支援コンサートが横浜市南区の寺院で開催されたので参加してきました。
東日本大震災支援コンサート
東日本大震災の被災地では、現在懸命の復旧作業が行われておりますが、復興への道のりはまだまだ始まったばかりでこれからが長丁場です。
また、放射性物質検出の報道以来、近隣農家の方々は風評被害によって生活に大きな打撃を受けておられます。
私たちにできることは、被災地の一日も早い復興を願うこと、被災者の方々へ熱い思いを届けることだと思います。
今回、このような思いを同じくする多くの方々が集結することにより、支援コンサートが実現できることになりました。
(演奏会パンフレットより)
この演奏会は、やはりドイツ人のRさんと関わりの深い尺八奏者の田嶋直士さんが主催されたものです。
田嶋さんは、エンジニアとして大手メーカーに勤めていましたが、虚無僧が吹く尺八本曲に出会い、20代半ばに会社を辞めて尺八の道に入られました。
吹奏の場を求めて全国行脚するなど修行を重ね、「直簫流田嶋会」を創設、洋楽との共演など新しい試みにも積極的にチャレンジし、国内のみならず海外公演を毎年行って高い評価を受けていらっしゃる方です。
もちろん、ドイツでも公演経験は多数あります。
ちなみに、この寺院は3年前、横浜市仏教会の涅槃会で会場となった寺院です。
会場には、新鮮な野菜が並べられています。
これらは震災で風評被害を受けている福島県産の野菜たちです。
地元農家からは次のようなメセージが添えられています。
この度の東日本大震災による東北地方太平洋沿岸地域は地震・津波の被害はもとより当地福島県は収束の見えない原発事故による復旧作業も進まない状況にあります。
また、農業面におきましても放射線等の問題もあり、丹精込めた野菜は大半が廃棄処分されるとともに、販売可能な品目についてもスーパーマーケット等からは福島県産は敬遠され出荷されても値がつかないなど、大打撃を受け、今後の再生産の意欲も失いかねない状況でした。震災後一ヶ月が過ぎ、当地も桜の開花とともに再起を目指し、一歩一歩前を向いて動き始めました。
尺八はヨーロッパでは Zen Music として親しまれています。
その源流は禅宗の一派である普化宗です。
そのようなこともあり、田嶋さん曰く、洞窟やさまざまなホールで演奏を行ってきたけれども、本堂で行う演奏会が一番しっくりとくるそうです。
シンプルな楽器ですが、そこから奏でられる音色はとても幅広いものです。
洗練された楽器であることを感じます。
来週から始まる声明のドイツ公演でも、このあたりに踏み込んでいけたらと考えています。
さて、今日のブログのタイトルは風評被害と先入観というものにしました。
日本の伝統音楽の評価が日本国内において必ずしも高くなかったり、理解されない原因の一つには先入観があると考えます。
同時に、日本のみならず世界中に広がっている福島県産(あるいは日本産)の農産物などに風評被害にも、先入観と無理解がその原因にあると思います。
風評被害とはどのようなことかを考えるに 「事件、事故、災害、汚染などの社会問題が報道されることによって、実際は安全とされる食品、製品、商品、企業などを、間違った認識により危険視し、消費行動や観光、取引を停止することによる経済被害 」といったことになるでしょう。
風評被害が風評被害となる前提には、「実際は安全とされる」という部分が重要になります。
安全とは何かを、科学的な根拠に基づいて確認されることが必要となります。
ですから
どこが(何が)安全で、どこが(何が)安全でないのかという明確な基準が必要なのだと思います。
それが分からないし明確でないから、余計に風評被害は広まっていくのです。
政府、自治体には、一定基準に基づいた緻密な測定を行っていただき、速やかに公開して欲しいものです。
そのことこそが風評被害を少しでも軽減させることに繋がるものだと考えています。
昨日の神奈川新聞に「被災者ののグリーフケアが鍵」いう記事が掲載されていました。
震災発生より宗教者たる僧侶は様々な行動をしてきました。
大規模な災害は、葬儀のありかたにも考えさせられる問題を提起しています。
まもなく3ヶ月を迎えようとするこの時期に、改めて考え直し、今後に向けて考えることも必要だと思います。
被災者のグリーフケアが鍵数多くの犠牲者を出した東日本大震災。火葬場の処理能力を超えた遺体を前に、被災地の一部自治体は土葬に踏み切った。だが遺族らの土葬に対する抵抗感が強く、遺体を掘り起こして遍く離れた自治体に送り、火葬するケースが続出している。尊厳ある送り方とは何か。遺族感情にどう寄り添えばいいのか。葬法をめぐる議論は、突然の死とどう向き合うかという問題を提起している。
犠牲者を追悼する行脚で、津波被害が甚大だった町を歩く僧侶と牧師ら=宮城県南三陸町
約300体の遺体が土葬されている仮埋葬地=宮城県東松島市□土葬と遺族感情
▽割り切れない
「被災地で土葬に対する批判的な意見が多く出たことに最初は驚きました」と話すのは宗教学者島田裕巳さん。数十年前の日本で土葬は当たり前で、火葬が全国に広がったのは戦後、行政が火葬場を各地に建てるようになってからだという。
「火葬はあくまでも遺体の処理方法で、土葬にしたからといって遺族は自分を責める必要はまったくない。問題は死者をどう弔うかにある」と島田さん。だが、遺族感情がそう簡単に割り切れないこともよく理解できるという。
「最近は簡単な家族葬も増えているが、今回は突然の大災害による悲劇的な死。残された家族にとって、通夜、葬儀・告別式、火葬といった通常のプロセスでちゃんと弔ってあげたいという気持ちは大きいはず」また、土葬の現場では、自衛隊が埋葬の準備や身元不明遺体の搬送などを担当することが多かった。島田さんは自衛隊の活動を評価しながらも「遺族の中には自分たちの手で十分に弔えたという意識を持てない人もいるのでは」と指摘する。
▽価値観の変容
東北各地の死者の祭り方や民間信仰を調べてきた東北大の鈴木岩弓教授(宗教民俗学)も「東北地方の一部地域では1970年代まで土葬の風習が残っていた。人々の価値観が大きく変容したことをあらためて実感した」と語る。
「火葬という観念が時間をかけて広がったことで、土葬を法律違反、または非衛生的といったマイナスイメージでとらえるようになった。もちろん土葬は、条例で禁止している一部自治体を除き、墓地埋葬法に違反するものではないですが」
鈴木教授によると、韓国も葬法をめぐる状況は似ている。「死後焼かれるのは辱めを受けるのと同じ」という儒教的な思想から土葬が一般的だったが、最近は土地の有効利用の問題もあり、若い世代を中心に火葬が増加しているという。
国を問わず、葬儀のスタイルは時代とともに変遷していく。「ただ、昔は土葬が多かったと言っても意味がない。すでに人々の価値観は変わっている。今回の震災では、身近な人を亡くしたり、緊急避難的に土葬をせざるを得なかったりした人たちのグリーフケアが一番重要だ」と強調する。
「グリーフ」とは英語で「深い悲しみ」を意味する。問題は土葬の是非ではなく、納得いくかたちで弔うことができたかという遺族感情。こういう大災害のときこそ、宗教界も立ち上がるべきだと、鈴木教授は言う。▽垣根を越えて
実際、被災地や土葬の現場では、宗派を超えて僧侶らがボランティアで読経をあげる姿が各地で見られた。宮城県では、仏教会やキリスト教連合などの宗教関係者が中心となり、医療や生活支援の専門家らと連携した「心の相談室」を立ち上げた。葬法などの疑問に答えるだけでなく、遺族のグリーフケアをさまざまな分野で支援することを目的にしている。
土葬問題が映し出した遺族感情。未曽有の大災害で大事な人を突然失った人たちの悲しみをいかに鎮め、希望を持たせることができるのか。「死の生々しい記憶を乗り越えていくことで、人は前を向くことができる」(鈴木教授)。
そのためには行政、宗教、各種団体の垣根を越えた取り組みが鍵となりそうだ。
(神奈川新聞 2011/5/30より記事と写真を引用)
鈴木教授の指摘するように、問題は「火葬」か「土葬か」ということよりも、遺族の中に充分な供養を行えていなかった、納得できる形で弔うことができなかったという感情が残されているとすれば、それは大きな問題なのだろうと感じます。
ただ、この記事中で欠けている点を挙げれば、被災地に於いて、被災者の菩提寺、そして地元の寺院はそれぞれ活動をされているということに触れていない点です。被災者ののグリーフケアは、物理的に不可能な場合を除いては菩提寺、地域の寺院が最優先で行っているということを指摘させていただきます。
記事中写真にある東松島の墓地には震災発生一ヵ月後に参拝させていただきました。その場にいた役所の方に伺うと、火葬場の順番が空き次第、掘起こして荼毘に附していくということでした。
この日も、数区画で荼毘に附される準備が行われていました。
その場には菩提寺の僧侶の姿もありました。
土葬はあくまでも火葬までの仮埋葬であるとすれば、記事にある土葬の風習が云々というのは少々的外れな論議であるように感じます。
震災発生からまもなく3ヶ月。
被災者ののグリーフケアのための行政、宗教、各種団体の垣根を越えた取り組みが求められる時期に来ている、と記事は結んでいます。
外がどんなに嵐でも
雲がどんなに厚くとも
雲の上は
いつだって
抜けるような青空。
(新井満)
両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。
日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
今回の津波で多くの犠牲者を出した近くの同市野蒜でも似たような話があった。カキ養殖業高橋勲さん(68)は1960年のチリ地震の際、潮が大きく引いた浜でピチピチと跳ねる魚を発見。手ですくおうとしていたところ、1896年の明治三陸地震の津波を知る長老が「大津波の前兆だ。早く逃げろ」と叫び、助かった。
高橋さんは「海辺の言い伝えを知っていた漁師は今回も助かった」と振り返る。渡辺さんは「経験を後世に残すため、『平成の石碑』を並べて建てようか」と話した。
(時事通信2011年4月24日より記事、写真を引用)
奥松島に浮かぶ宮戸島は、松島湾の東端に位置するために、東日本大震災の津波により甚大な被害を受けました。
宮戸島の各所にある浜(室浜、大浜、月浜など)の集落は壊滅的となってしまいました。さらに島を結ぶ連絡橋が崩落し復興の妨げになってしまいました。
しかし、住民約千人のうち9割以上の方が宮戸小学校に避難し助かりました。
島民の命を救ったのが、平安時代に発生した貞観地震の際に大津波が押し寄せ、ぶつかった場所に設定されてた石碑でした。
先人の言い伝えを大切に伝承し、習慣付けておくことがいかに大切かがわかります。
高台にある宮戸小学校。
授業が行われていました。
写真では何とも無いように見えますが、体育館は避難所に、校庭には自衛隊による仮設のお風呂が設置されています。
記事にある観音寺様はこの小学校の直ぐ下です。
(万葉の湯のタンクローリーも見かけました)
震災から暫くしてようやく陸上自衛隊により仮橋が架けられるまでは自衛隊のヘリコプターによる水や物資の輸送に頼る生活をされていました。
現在でも電気、ガス、上下水道が通っておらず、まずはライフラインの復旧が待ち望まれます。
宮戸島を結ぶ松ヶ島橋では、新しく電柱が立てられ、電線を張る作業が急ピッチで進められていました。
石巻の地酒 日高見 希望の光
石巻は、太平洋と北東北を縦断する北上川の河口に開けた港町ということで、江戸時代には、伊達藩と南部藩の米の集積地として栄え、日本有数の酒所として発展しました。
東日本大震災によって酒蔵の大半が被災しました。石巻には未だ電気、水道が復旧していない地域がありますが、一丸となって復興に向けて頑張っています。
被災を免れた醪(もろみ)を救うべく、造りの別無く全て一緒に絞ったのがこの「希望の光」です。
平年のお酒に比べて力強い、太い味わいになったそうです。
いわば再現の無い今年限りの貴重なお酒ですので、本尊様に献じてからじっくりと味わってみたいと思います。
南三陸の杉 輝かせたい
(朝日新聞 2011/5/16夕刊)
三陸は優れた品質の杉を生み出す林業の盛んな地域でもあります。
津波の直撃を歴史的に何度も受けている製材所では、そのたびに被災した人のために直ぐ製材を開始してきたそうです。
今回も、製材機も流され、会社の復活には時間がかかるとの事ですが、既に仮事務所で材木の販売が開始され、秋には工場を再開させるそうです。
・価格が若干高い
・節模様、もしくは節穴が発生する
・杉材の場合は、赤い木肌模様が生じる
というデメリットもありますが、今年から数年に亘っては特に被災地の国産材を用いた塔婆を利用することも一つの復興支援となることでしょう。
南三陸の杉塔婆・・・貞昌院では具体的に南三陸の杉塔婆+モンゴルへの植林支援の組合せを考えてみようと思います。
一寺院のみの運動のみならず、寺院と製材所の連携によってより広がっていくといいですね。
先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南の沿岸部で、津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていたことが、東北大東北アジア研究センターの平川新教授(江戸時代史)らのグループの調査で分かった。平川教授は「過去の津波の浸水域を避けて、街道が整備された可能性が高い。自然と共存するための先人の知恵ではないか」としている。
グループは震災後の国土地理院の航空写真を基に津波浸水域図を作製し、旧街道や宿場町の地図と照合した=地図=。現在の岩沼市にあった「岩沼宿」から水戸へと続いていた、太平洋岸の主要街道「浜街道」に着目。岩沼宿から宮城県山元町の「坂元宿」までの街道と宿場の大部分が、浸水域からわずかに内陸部に位置し、被害を免れていた。
浜街道周辺はほぼ400年おきに津波に襲われている。1611年には慶長三陸津波が発生し、仙台藩領内でも1783人が亡くなったという記録が残る。
街道や宿場は交通や流通の結節点として、人が密集する地域の要衝。平川教授は「慶長津波を受けて、街道や宿場を今の位置にした可能性もある」との見方を示す。
仙台以北の沿岸部についても今後、詳しく分析する考え。
平川教授は「明治以降の近代化や宅地開発などで、津波経験の記憶は薄れてしまった。先人が自然災害の教訓をどう生かしていたかを丹念に調べ、今後の復旧に生かすべきだ」と話している。
(河北新聞 2011/04/25)
「津波のときは井戸を見ろ」 先人の教えで津波避け助かる
先人の教え、津波から住民守る 宮古市の姉吉地区
東日本大震災では、先人から伝わる教えの大切さ、重要性を改めて思い知らされる報道が数多くありました。
いくつかピックアップして冒頭にまとめましたが、そのなかで、一番着目するべき記事は、「津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていた」という東北大学平川教授の研究結果です。
右上図を見ると、見事に今回の津波の浸水域と江戸街道の線が一致しています。
重要な街道と宿場町の位置決定にあたって、慶長津波などの記録から先人の教えを重要視して、安全な場所に造ったのでしょう。
このように、長期間の間隔をおいて繰り返される災害に対しては、薄れがちな災害の経験や記憶を大切に受継ぎ生かすことが重要であることを改めて思い知らされます。
関東地方に住んでいる者にとっては、関東大震災はもう80年前の話です。
しかし、その時に残された記録、体験者の教訓は常に心の中に留めておく必要があるでしょう。
先人の教えは貴重です。
貞昌院の先々代、先代住職が記録した関東大震災の記録を改めて見直してみます。
大正十二年九月一日
関東大震災、午前十一時五十八分、突如上下動の大激震、咄嗟に起り其の震動極めて峻烈、凄槍極る災厄をもたらし、許多の財宝と生霊とを烏有に帰せしめてしまった。当地域の約五割に及ぶ家産は全潰、殆んど残る家屋は半潰に近い。第一震後も約一分おき位いに余震が襲来し、生ける心地だに無い。その中にあって村民は一致協力、火災の発生防除に全力を尽くす。時恰も昼餉用意の最中、戸外避難の前に、火気の存する所には水をかけ、或は鉢などにて蔽い、当永野地区(注:横浜市港南区上永谷・野庭町)からは全く火災を生ぜさせなかった。
正午を過ぎて間もなく、横浜市街地上空は黒煙濠々渦巻いて空高く立ち込め、物凄い光景が当地区から見られる。時折大爆音を耳にす。横浜港沖合に富士火山系に亀裂を生じ大噴火を成しつつありと流言が飛ぶ。後に、石油、ガスタンクの爆破と分る。
各所に山崩れ起り、道路埋没して交通途絶数ケ所生じたが、全村民総出動で土砂を切り開き、三日後には全箇所開通した。
九月二日正午近くより、刻一刻、戦慄すべき流言が宣伝され、村民挙げて戦々競々と、各小部落互に山の中に小屋を設け、老人婦女子は、まとまって、小屋にかくれ、青年、屈強な男子は、各要所要所の部署に就き、見張り、警戒の任に当たる。間もなく軍隊が到着し全村民安堵し、安き眠りに就くことを得た。
(『永野郷土史』貞昌院28世 亀野源量大和尚による記録より一部抜粋)
関東大震災は、昼を迎える直前に発生しました。
地震の揺れによって、地域の半数の建物は全壊、ほとんどの建物は半壊の状態となってしまいました。
その後も1分おきに続く余震。
関東大震災により、貞昌院の伽藍も倒壊してしまいました。
関東大震災の被害を受ける以前の貞昌院は、絵地図に見られるように、茅葺屋根でした。
貞昌院の伽藍は、明治19年(1886年)の火災から再建された(明治34年再建)直後、関東大震災により倒壊という甚大な被害を受けます。
しかしながら、大震災翌年には茅葺から亜鉛葺きの本堂として再建されました。
地域の方々、檀家さんのご尽力の賜物だと感じています。
復興への力強さを垣間見ることができる顕著な事例です。
『永野郷土史』において、関東大震災の総括として、亀野寛量大和尚は次のように記述しています。
大震災に付随して起る災害については、関東大震災の記録等から次の点が挙げられる。1 大火災の発生
人家の密集地帯程被害が大きい、家屋倒壊の死者よりも火災による焼死者の方が断然多い。
東京府内 焼死者 56,774人(警視庁調)
溺死者 11,233 / 圧死者 3,608 / 負傷者 31,372
東京府の例を見ても一目瞭然である。
横浜市 総戸数 93,840戸 / 焼失戸数 55,826 / 倒壊戸数 18,149
家屋にしても地震による倒壊よりも火災焼失の方が数倍に上っている。
殊に悲惨を極めたのは正金銀行(現県博物館)の建物の堅牢なるを思うてここに避難した多数の人が折角の頼みも甲斐なく猛火の包囲に雪崩を打って地下室に入り込んだまま折り重って全部蒸焼になってしまったことである。2 水道、電気、電話、道路、電車、汽車の通信交通は全面に途絶する。
3 余震の継続
大地震の後は引続き、地鳴りを伴った余震が引っきりなしに襲ってくる。
大地の各所に亀裂を生じ余震によって亀裂に挟まることがあるので、注意せねばならない。4 伝染病の発生
5 海嘯(つなみ)の襲来
海辺近くに放した場合直ちに配慮しなければならない。6 流言蜚語が横行する。
人心が極度の不安に襲われると常識では考えられない程、冷静さを失い、馬鹿馬鹿しいとさえ思うことを信じきってしまうことになるものである。
関東地方在留の朝鮮の方々には誠に申訳けない程の気の毒な思いをさせたものである。7 食糧飲料水の不足
食糧倉庫の焼失、交通機関の杜絶から他地域から食糧が得られない、勿論精米所もその機能を失っているので精米は出来ない。
当時どの家庭でも空びんに玄米を入れ竹棒でつっついて白い米を得るのが一仕事であった。8 失業者の続出
商店、工場の焼失により、職を失う者の数増大し、失業者問題は社会秩序維持の上に最も重大なものとなってくる。大要以上のようなことが震災に伴って波生することを覚悟せねばならない。都市造りに最も重要視しなければ ならないことは思いきった多くの空地、緑地を持つこと である。
(『永野郷土史』貞昌院29世亀野寛量大和尚による提言 より)
時代を超えて学ぶべきことが多い記録、提言です。
私たちは後世の人のためにどれだけのものを残すことが出来るでしょうか。
教区東堂様が先日遷化され、本葬儀にむけて差定帳・記念誌を作成しています。
その中にも、学ぶべきことばが幾つもありました。
・「頼りになるのは他人(ひと)の力、頼りにならないのも他人(ひと)の力」
・「常に最悪を想定して行動せよ」
・「思っちゃいけない。やろうと思った時はしなかったとき。思う前に行動しよう」
・「出来事は全部必然、偶然はない」
(泉区T寺東堂様のことばより)
深い深い教えです。
先日宮城県沿岸部で目の当たりにした光景は、津波によって甚大な被害を受けた一面の瓦礫でした。
環境省によると、瓦礫の総量は宮城県だけでも1800万トン(車や土砂を除く)にのぼる見通しです。
阪神・淡路大震災で発生した瓦礫の量は約1400万トンとされていますから、宮城県だけでこの量を上回っています。
岩手県、福島県など他の地域を含めると、総量はどれ程になるのでしょうか。
毎日懸命の瓦礫撤去作業が行われておりますが、作業にかかわる方は本当に大変だと思います。
心より応援申し上げます。
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振り返ると、大正12年に発生した関東大震災において、震源地に近かった横浜は甚大な被害を受けました。
官公庁やグランドホテル・オリエンタルホテルなど石造・煉瓦造りの建物は一瞬にして倒壊し、更に火災によって外国領事館の全てが焼失、工場・会社事務所も90%近くが焼失してしまいました。
震災発生が昼食の時間帯と重なったこと、台風が接近していたことにより、広範囲が焼失し一面瓦礫の光景へと変貌してしまったのです。
死者・行方不明者は神奈川県だけで3万2千人、日本全体で10万5千余とされています。
さらに、横浜に居留していたアメリカ、ヨーロッパ諸国の貿易商のほとんどが横浜から神戸や海外へ流出してしまい、当時日本経済を支えていた生糸などの貿易拠点としての横浜の地位が極端に低下してしまいます。
「横浜はもう立ち行かない」「東京へ合併しては」など、絶望的な感情が市民を覆いつくしたそうです。
街や港湾施設の復興の妨げになったのが、大量に出た瓦礫。
この瓦礫をどのように処理するかが大きな課題でした。
その問題に、中心的に立ち向かったのが、当時横浜市助役だった楢岡徹氏です。
大量の瓦礫を使って横浜港を埋め立てする計画を立案しました。
1863年頃 フランス波止場完成(現、山下公園中央部)
1923年 9月20日 震災後の市の復興試案の中で海岸遊歩道として立案される
1923年10月10日 震災の折に発生した瓦礫の集積場として指定される
1923年10月14日 横浜都市計画案の中で、海岸遊歩道構想が海岸公園として計画される
1923年11月15日 公園計画が政府案に組み込まれる際に、その名称が山下公園に確定する
1925年 6月 着工
1930年 2月28日 完成
1930年 3月15日 開園(年表はウィキペディアより引用)
計画立案から約7年の歳月をかけて出来上がったのが「山下公園」。
今や横浜のシンボルとして欠かせない存在です。
山下公園は、このように関東大震災の瓦礫によって出来た公園なのです。
みんなでつくる横濱写真アルバムに、開園当時の山下公園の写真が掲載されています。
⇒http://www.yokohama-album.jp/picture/detail/3028/
洗練されたデザインの公園の完成は、関東大震災から復興する横浜の原動力として横浜市民の心に刻まれることとなりました。
東日本大震災で甚大な被害を受けた地域も、復興に向けて力強く進むことを願っています。
東日本写真保存プロジェクトが受付を開始しました。
東日本大震災で失われる前の風景や思い出、被災地の現在のありのままの姿 、被災地にのこされている思い出の品物の様子、復興の過程の様子などなど、震災の記録を写真でのこすプロジェクトです。
※お願い: 復旧活動や安全確保の妨げにもなりかねない、個人的な見物や写真撮影を目的とした被災地への立ち入りは自粛いただきますようお願い申しあげます。
宮城県沿岸部の中で、日本三景・松島の湾内は海上に点在する島々によって津波のエネルギーが受け止められ、その分被害が軽減されたと言われています。
そのために、松島は、だいぶ島の形が変わってしまいました。
松島のホテルの中は、既に営業しはじめているものもあり、松島観光船も営業を再開する準備に入っています。
私たちが宿泊したホテルも、松島のホテルです。
しかし、宿泊客は災害復旧関係者、ボランティアばかり。
街では、観光客に足を運んで欲しいそうです。
しかし、全体的な大震災復興の道筋が見えない中、また余震が続く中ではなかなか観光客の出足は伸びそうにありません。
地域でお金を消費するということも復興支援の一つだと思うのですが・・・・
4月11日の夜、大きな余震があったため、東北自動車道が通行止めになり、南三陸・気仙沼方面に行っていた東京宗務所の皆様が帰れなくなり、急遽私たちと同じホテルに宿泊することとなりました。
再び情報交換をすることもできました。
炊き出しを行ってきた避難所では、これまで炊き出しが行われたことが無く、大変に歓迎されたそうです。
避難所による格差は大きく、物資面だけをとってみれば食べ物も物資も届いている場所もあれば、最低限の食料すら届かない場所もある(避難所格差)ようで、必要なところに必要なものが届くための体制作りが早急に必要なようです。
そのようなことがようやくわかり始めてきた段階なのでしょうか。
昨日のブログ記事に書いたとおり、寺院・僧侶はそれぞれが地域に根付いたそれぞれのネットワークを持っています。
寺院・僧侶の持つネットワークは、行政の手の行き届かない部分を埋める重要な役割を果たします。
追記
この美しい松島も、「住宅再建」か「景観保全」かという難しい問題に直面しています。
東日本大震災の津波被害からの復興をめぐり、日本三景の一つ「松島」が揺れている。
津波から身を守るため高台への移転を求める地元の要望に、国宝級の美しい景観を守るための法規制が立ちはだかる。
住宅再建か、景観保全か。担当の文化庁は簡単には判断できずにいる。
■被災住民「安全な高台に家」
「同じところに家は建てたくない」
「松島」の一つ、桂島(宮城県塩釜市)でノリ養殖業を営むUさん(52)はため息をついた。Uさんが約8年前、約1500万円かけてリフォームした2階建ての住宅は、津波で流された。浜辺近くの約5千万円のノリ乾燥施設も失った。それでも、養殖を続けたい。「この年でほかに働く場所はない。行く場所もない」
桂島では華のうち、50戸が全半壊した。被災者の多くは漁業を続けるため、より安全な近くの高台に移りたいが、希望は簡単にかないそうもない。
同島を含む周辺1万2600ヘクタールは、国の特別名勝「松島」に指定されているからだ。
地区内は文化財保護法に基づき、文化庁の指導で県が作る県保存管理計画で7段階に分けて建設を制限。
76ヘクタールの桂島の高台の多くは、建造物の新築が認められていない「特別保護地区」と「1A地区」だ。
高台は規制の壁で新築できない。低地は津波の心配がある。このジレンマに被災者は悩んでいる。
松島全体の被害の全容はまだ分かっていないが、「奥松島」の名で知られる同県東松島市の宮戸島も壊滅的な被害を受けた。人口約1千人。13日現在でも半数が避難生活を続けている。
外洋に画した四つの浜は夏には海水浴客でにぎわい、民宿で生計を立てる住民も多い。ここでも「安全な高台に建てたい」との希望が目立つ。
地元の村井嘉浩知事は規制緩和に動き出した。
先月30日の県災害対策本部会議で、阿久津幸彦・内閣府政務官に建築規制の緩和を要求した。
県が期待を寄せるのは文化財保護法125条4「非常災害のために必要な応急措置を執る場合、保存に影響を及ぼす行為については影響の軽微である場合は、この限りでない」 県側は、この例外規定を家屋に適用して「弾力的な運用を」と求める。
ただ、松林と切り立った岩肌の景観が失われると、中長期的には観光産業がダメージを受けかねない。指定区域内の自治体関係者の一人は懸念する。「いったん規制を緩めれば、収拾がつかなくなる恐れがある」
■文化庁「世代超えた宝だ」
被害調査で現地入りしている文化庁の本中真主任調査官は13日、同県塩釜市の渡辺誠一郎教育部長と会談した。前日の東松島市と同様、「規制」についての議
論は平行線をたどった。渡辺部長「復興にとって規制は大きな課題。保護と復興を調和させる選択肢を示してほしい」
本中調査官「住んでいる方がまず大事だが、特別名勝の価値を守ることを前提とした計画をまとめていただきたい」
被災地の「復興優先」の声に文化財保護の必要性の訴えがかき消されることを同庁は懸念する。
(朝日新聞2011/4/14)
非常に難しい問題です。
地元住民にとっては、より安全な場所に住居を構えたいということは当然の心情でしょう。
しかし、松島は日本を代表する名勝地です。
そこに無秩序に住宅が立ち並んでしまったら、松島の価値が失われます。
後世に文化財を残すことも私たちの大切な役割です。
この論議は、慎重に審議されていく必要があるでしょう。
東日本大震災では、3月11日午後から翌12日午前9時までに出された緊急地震速報13回のうち、4回分が長野県北部での地震を栃木県で地震発生などのように適切な予測でなかったそうです。
原因は離れた場所で同時に地震が発生したため、それぞれのデータの分離ができなかったことによるものと考えられています。
今回のように幅広い震源域をもつ震災では仕方の無いことでしょう。
仮に適切でない予報が多く出されても、身を守る行動は怠り無くする必要があります。
新幹線 揺れ9秒前にブレーキ
今回の地震で、東北新幹線は地震の揺れをいち早く検知するシステムが作動して、最初の揺れの9秒前、最も大きい揺れが起きる1分10秒前に非常ブレーキをかけて減速を始めていたことが分かりました。JR東日本は、この効果もあって新幹線が脱線を免れたとみて、データの詳しい解析を進めています。地震発生当時、東北新幹線は27本の列車が乗客を乗せて走っていましたが、いずれも脱線せず停止しました。JR東日本は、東北新幹線の沿線のほかに、太平洋沿岸にも岩手県の宮古や宮城県の牡鹿半島などに9つの地震計を設置し、揺れをいち早く検知して列車を減速させる「早期地震検知システム」を備えています。今回は、東北新幹線の線路からおよそ50キロ離れた牡鹿半島の地震計が、午後2時47分3秒に運転中止の基準となる「120ガル」という地震の加速度を捉えました。このため、システムが自動的に架線を停電させ、走行中の新幹線は一斉に非常ブレーキをかけて減速を始めました。このうち、線路沿いの地震計が最も大きな揺れを観測した仙台駅と、1つ北の古川駅の間には「はやて27号」と「やまびこ61号」が走っていましたが、JR東日本がデータを解析したところ、これらの列車が非常ブレーキをかけた9秒後から12秒後に最初の揺れが始まりました。そして1分10秒後に最も強い揺れが起きていました。このとき新幹線が何キロまで減速できていたかは分かっていませんが、JR東日本は強い揺れの前に減速を始めていたこともあって、新幹線が脱線を免れたとみて、さらに詳しくデータの解析を進めています。
(NHKニュース 4月5日配信)
震災の際に、新幹線をはじめ、鉄道に導入されている地震警報システム(通称「ユレダス」)の効果が顕著に発揮されています。
「ユレダス」とは、Urgent Earthquake Detection and Alarm System の頭文字をとったものです。
国鉄鉄道技術研究所の開発したシステムで、地震の際に即座に運行中の列車を止め、あるいは急ブレーキをかけることで被害を最小限に抑える仕組みです。
特に新幹線は一秒間に6~70メートルほど進みますので、ブレーキをかける1秒の遅れが大惨事を引き起こしかねません。
2004年に発生した新潟県中越地震では、震源直上にあった「ユレダス」が地震のP波を検出して僅か1秒以内に警報を出し、付近を走行中の全ての列車に非常制動がかかりました。
この時は「とき325号」が脱線してしまいました。
震源に近かったため、警報からS波到着まで2秒もなかったことが原因です。
それでも、死傷者を出さなかったという意味は大きく、大きく揺れ始める前に急ブレーキが作用したということが功を奏したといえます。
このシステムが無かったとしたら、脱線だけでは済まなかったことでしょう。
東日本大震災でも、「ユレダス」が大きな役割を果たしました。
今回は震源が三陸沖合いだったこともあり、S波が到達する少なくとも9秒前には急ブレーキが作動していたようです。
東北新幹線では合計27本の列車が乗客を乗せて走行していましたが、どの列車も脱線を免れました。
つくづく緊急地震速報のシステムは世界に誇るべき技術だと感じます。
東日本大震災で東北新幹線は、高架橋など多数箇所に被害を受けたものの、東京~那須塩原間、盛岡~新青森間は既に運転を再開しています。
明日には盛岡~一ノ関、4月12日には那須塩原~福島、4月下旬には全線にわたり運転再開する見通しとなりました。
鉄道技術者の総力を挙げた復旧作業に心から賞賛したいと思います。
東北新幹線の全通が復興の大きな原動力となることでしょう。
There's an old folk warning that if you throw a frog in boiling water he will quickly jump out. But if you put a frog in a pan of cold water and raise the temperature ever so slowly, the gradual warming will make the frog doze happily . . |
イギリスの人類学・社会学・言語学者、グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)が紹介した有名な寓話です。
蛙を熱湯に放り込むと、熱さに吃驚して蛙は直ぐに飛び出します。
しかし、水の中に入れて、ゆっくりと加熱していくと、蛙は水温が上がっていることを感じ取ることができずに、茹で上がって死んでしまうというものです。
状況を的確に捉えて対応することができず、遅々として入る情報に対処療法的にしか対応できない組織と、それに属する人の心理を説いたものです。
何とかなるだろう、たぶん大丈夫・・・事実の深刻さに気付くのに時間がかかり、気が付いた時には手遅れになってしまうという警鐘です。
日本人は世界各国より大震災の際も「冷静でパニックを起こさない」「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」と報道されています。
とても素晴らしいことだと思います。
誇るべきことでもあります。
しかし、それゆえの短所もあります。
「何とかなる」「喉元過ぎれば暑さ忘れる」「長いものには巻かれろ」「皆で渡れば怖くない」・・・・
本当はとても深刻な状態なのに、その事象を少しづつ悪化しているような捉え方をしたり、オブラートに包んだような表現をしたり、すぐ身近まで迫って来ないと気が付かない。
そして気付いた時にはもう手遅れ。
そうならないことを願います。
政府が世論に押されてようやくSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の被曝予測図を出したのは3月23日になってからのことです。
つまり予測ではなく、事後発表。
事故発生から一週間ほどの東電、政府、原子力保安員の記者会見を改めて振り返ると、それらが適切だったかどうか疑わしいことも多い。
海外ではいち早く被曝予測を行って公表しています。
事故の重大さを適切に捕らえ、迅速な事後対応が適切に行われていれば、事態が深刻かつ長期化しなかった可能性があります。
原子力発電所への対応が障害になり、政府がなかなか被災地復興に全力を注げない状況にも、もどかしさを感じます。
今一度、災害復興に立ち向かう体制をきちんと見直す時期ではないでしょうか。
この度の東北地方太平洋沖地震により被災されました多くの方々、そしてご家族の皆様方に、心よりお見舞い申し上げます。
日本で起こった大惨事に大変胸を痛めたクレモンティーヌより、「上を向いて歩こう」が届きました。
(クレモンティーヌ公式サイトより)
上を向いて歩こう | Ue o muuité arukoo crois en ton étoile Ue o muuité arukoo (*refrain) |
(訳: meguro75 さん)
今日は近隣の小学校で卒業式が行われました。
私は、民生児童委員として毎年小中学校の卒業式に出させていただいています。
今年の卒業児童は150名。
最初に犠牲となられた方々への黙祷から始まりました。
校長先生の祝辞で、震度7を記録した宮城県栗原市の中学校で地震発生から4日後に行われた卒業式のことを紹介されていました。
体育館が使えず、会議室行われた簡易的な式だったそうですが、
「こんな大変な時に卒業式なんてできないと思っていた」「みんなで力を合せて、前を向いてがんばる」
被災地の卒業生たちの力強いことばです。
震災の爪あとはあまりにも大きい。
三陸沿岸では目を覆いたくなるような惨状が広がっています。
宮城県北部では、2008年の震災からようやく復興の兆しが見えてきた中での大震災。
けれども、被災地の子どもたちは、しっかり前を向いてがんばっているのです。
卒業式そのものが行われなかったり、延期する学校も少なくありません。
けれども、卒業式が延期となった学校では、震災から立ち直った日にいつでも卒業式の式典を開くことができるよう、紅白幕をそのままにしているそうです。
このような時だからこそ、子どもたちを暖かく送り出していきたいと考える学校側の思いです。
私たちが子どもたちの未来のために出来ることは何でしょうか。
いろいろと考えましたが、まずは、栗原市の卒業生と同じく「みんなで力を合せて、前を向いてがんばる」ことでしょう。
今年の卒業式は特に心に残る卒業式でした。
東日本各地を襲った巨大地震発生から3日目を迎えます。
時々刻々と甚大な被害状況が伝えられています。
市町村全体が壊滅的な被害となった地域も多く、被害状況の全容を掴むまでにはかなりの時間が掛かることが予測されます。
未だ救助されずに取り残されている多くの方が、一人でも多く、一刻も早く救出されることを願います。
そして、改めて犠牲となられた方々に心より哀悼の意を表します。
現地からどのような支援が求められているのかを見極め、国民が一丸となってこの地震に立ち向かう必要があります。
寺院として、僧侶としてはどのような支援ができるのでしょうか。
注意しなければならないことは、むやみにボランティアとして現地に赴くことは、却って現地にとって邪魔になることです。
被災地から遠く離れた場所からの支援としての基本として考えられることは、
(1)まずは災害で命を落とされた皆様に謹んで弔意を表し、被害が拡大しないことと復興を願い法要を営むこと、
(2)電力消費を可能な限り抑えること(節電)、
(3)そして金銭的な支援でしょう。
これから各地で被災者を支え、復興に向けた活動が本格化されていくことと思います。
阪神淡路大震災の際には、国や地方自治体、民間の各関連団体が連携をして災害支援活動が行なわれました。
その教訓を生かして、組織的に効率的な支援が為されることを期待します。
阪神淡路大震災の震災復興支援に関する組織的な記録として、曹洞宗国際ボランティア会(現SVA)のまとめた貴重を以前ブログ記事でご紹介しましたが、再掲いたします。
阪神・淡路大震災ボランティア緊急救援活動の軌跡 よろずかわら版縮刷版
発行:神戸 : SVA(曹洞宗国際ボランティア会)神戸事務所
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震災直後の行政の対応が問題になった阪神大震災であるが、我々の組織もこのような事態に対するノウハウは全くなかった。全国曹洞宗青年会と各地の青年会などが連携し活動を組織化したのだが、初動の段階は一般ボランティアと同じように神戸に向かった数人の僧侶によって行われた。炊き出しも最初は4、5人が小さな鍋で行ったが、十日の内に1日2万食を作ることを可能にしたのである。全国にまたがる宗門僧侶のネットワークが機材、食材をとぎれることなく提供し現場の活動を支援した。それは、神戸で活動するボランティアの自活をも支えてくれたのである。初期の段階ではいろんな混乱はあったが、個人と組織、現場と地方がうまくかみ合っておこなった活動であった。僧侶、学生、一般のボランティアが一つ屋根の下で融合しつつ活動した様子は日頃の組織を越えた自由さがあった。僧侶もほかのボランティアに混じり、生き生きとしていたように感じた。それぞれがそれぞれの社会的立場を意識していなかったのではないであろうか。ほとんどの僧侶は亡くなった多くの方たちのための慰霊もだが、ほかもそうであったように今苦悩している被災地の人々に対し何かできないかと集まってきていた。宗教は本来苦悩して生きている人を助けるためにあるというのが釈迦の説く仏教の実践である。
「施食」という言葉がある。一般には食事を施しなき精霊のために供養をすることであるが、さらにはお互いが持っている貪りの心を抑え、生きている一切のものにもまた亡者にも慈悲をめぐらしてゆくという仏教の持つダイナミックな宗教観がこれにはある。我々僧侶も炊き出しを通じ被災者と対峙した。そして彼らの言葉を近くで聞きながら、援助とは施食とはそして宗教者とは、と自らに問いかけたのではないであろうか。『全国曹洞宗青年会の救援活動の記録』 (1996,全国曹洞宗青年会十期会長のことばより引用)
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過去に被災地のに居た僧侶たちは被災地でどのような活動をしてきたのか纏めた資料を、今後の被災地支援に役立てることができるはずです。
未だ救助されずに取り残されている多くの方が、一人でも多く、一刻も早く救出され、一日も早い復興がなされますように。
福島第1原発で炉心溶融か=付近でセシウム検出―保安院
経済産業省原子力安全・保安院は12日、東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)1号機で、核燃料棒が高温で溶ける「炉心溶融」が起きている可能性が高いと発表した。
保安院によると、1号機周辺で、放射線医学総合研究所のチームが放射性物質のセシウムを検出。セシウムは核燃料棒に含まれており、融点が高いことから、炉心溶融を起こしている可能性が高いと推測されるという。
保安院などによると、同原発1号機は12日午前から原子炉冷却水の水位が低下。一時は核燃料棒が冷却水の水面から露出し、核燃料の損傷が懸念されていた。
(時事通信 3月12日(土)14時11分)
東京電力福島第1原発の1号機で炉心溶融の可能性があるという発表がなされました。
仮に炉心溶融(メルトダウン)が進み、制御不能となると、計り知れない甚大な被害が想定されます。
その事態だけは何としても避けていただきたいものです。
ブログ記事 太陽光発電の国ニッポンの復権を で記載したとおり、日本における発電の割合は、比較的バランスの取れた内訳を取る施策のもと、全体のおおよそ4分の1を原子力発電によって賄っています。
そして、原子力発電所は沿岸部、海に面した敷地に作られています。
したがって、今回の大震災のように沿岸部に多発的に発生し、しかも津波を伴うような甚大な災害の場合、それこそ「想定外」の事態を引き起こします。
原子力発電では様々なレベルの事故を想定していますが、そのうちの最悪の事態が炉心溶融(メルトダウン)です。
これは、原子炉の温度制御が出来ず、温度が上がりすぎ、燃料棒が溶融して流れ出してしまう現象です。膨大なエネルギーのために原子炉が破損してしまいます。
温度制御を行うための冷却水が失われて炉心の水位が下がるため、燃料棒が水面上に露出してしまうことが原因です。
何故炉心溶融が最悪の事故となるかというと、燃料のウランが核分裂して発生する「死の灰」Cs-137(セシウム137)が拡散してしまうからです。
セシウム137は、人体に取り込まれやすく癌の原因となる物質です。
しかも、半減期は30年もあり、土や農作物に入ってしまうと、除去することが困難で、食物を通した体内被曝を引き起こします。
それこそ発電所周辺の広大な土地が将来に亘って立ち入ることの出来ないエリアとなり、何百何千万人もの癌患者を発生させてしまうということも、決してSFの世界のお話ではありません。
仮に1979年に発生したスリーマイル島の原子力発電所のような事故が首都圏の近くで発生した場合には、如何に危険な状態となるかが伺えます。
○原子力安全・保安院等の対応
【3月11日】
14:46 地震発生と同時に原子力安全・保安院に災害対策本部設置
15:42 福島第一原子力発電所にて原子力災害対策特別措置法第10条通報
16:36 福島第一原子力発電所1、2号機にて事業者が同法第15条事象発生判断(16:45通報)
18:08 福島第二原子力発電所1号機にて原子力災害対策特別措置法第10条通報
18:33 福島第二原子力発電所1、2、4号機にて原子力災害対策特別措置法第10条通報
19:03 緊急事態宣言
20:50 福島県対策本部は、福島第一原子力発電所1号機の半径2kmの住人に避難指示を出した。(2km以内の住人は1864人)
21:23 内閣総理大臣より、福島県知事、大熊町長及び双葉町長に対し、東京電力(株)福島第一原子力発電所で発生した事故に関し、原子力災害対策特別措置法第15条第3項の規定に基づく指示を出した。
・福島第一原子力発電所1号機から半径3km圏内の住民に対する避難指示。
・福島第一原子力発電所1号機から半径10km圏内の住民に対する屋内待避指示。
【3月12日】
5:22 福島第二原子力発電所1号機にて原子力災害対策特別措置法第15条通報
5:32 福島第二原子力発電所2号機にて原子力災害対策特別措置法第15条通報
5:44 総理指示により福島第一原子力発電所の10km圏内に避難指示
6:07 福島第二原子力発電所4号機にて原子力災害対策特別措置法第15条通報
6:50 原子炉等規制法第64条第3項の規定に基づき、福島第一原子力発電所第1号機及び第2号機に設置された原子炉格納容器内の圧力を抑制することを命じた。
7:45 内閣総理大臣より、福島県知事、広野町長、楢葉町長、富岡町長及び大熊町長に対し、東京電力(株)福島第二原子力発電所で発生した事故に関し、原子力災害対策特別措置法第15条第3項の規定に基づく指示を出した。
・福島第二原子力発電所から半径3km圏内の住民に対する避難指示。
・福島第二原子力発電所から半径10km圏内の住民に対する屋内待避指示。
(原子力安全・保安院「地震による原子力施設への影響について(13時30分現在)(第14報)より) →最新の発表はこちらをクリック
続報で1号機で爆発が起こったという情報(15時30分)もあり、最悪の事態に陥るかどうか瀬戸際のところだと思われます。
というより、是が非でも回避してもらわなくてはなりません。
また、私たちも政府や原子力安全・保安院など、しっかりした情報源からの情報を見極めて、チェーンメールや噂などの怪しい情報に惑わされることが無いよう心がける必要があります。
(追記)20:45 枝野官房長官の会見によると、爆発は1号機格納容器と建屋との間で起こった水蒸気爆発であり、格納容器に破損は無いとのことです。
この会見の内容が正しければ、最悪の事態は現在のところ回避できていることになります。
引続き続報が望まれるところです。
ここからの話は、この事故が落ち着いてから考えていかなければならないことですが、私たちの豊かな生活が少なからず原子力発電により支えられているということ、想定外の最悪の事故と隣り合わせにあることを常に念頭に置く事が必要でしょう。
そして、もしも原子力発電施策を見直すのであるのなら、現実的にどうしたら良いのかを提示して考えていかなければなりません。
首都圏の電力を賄う発電所がいくつも停止になってしまい、工場が稼動し始める14日 月曜日の電力供給が大丈夫かどうか心配です。
3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大のM8.8の地震が発生し、宮城県北部では震度7を観測する大きな揺れとなりました。
さらに3時15分にもM7.3の余震、引続き茨城県南部で震度6弱を観測する地震と、多発的に大きな地震が起きています。
この地震の影響で仙台新港には高さ10mの津波が押し寄せた他、北海道から沖縄県まで広い範囲に津波が押し寄せました。
これら地震の揺れと津波の引き起こした被害はどれほど甚大なものであるか把握すら出来ない状況となっています。
被災されました皆様には心からお見舞い申し上げ、亡くなられた方には弔意を表します。
今回の地震が発生した時に真っ先に頭に浮かんだのは、地震発生の一週間前、3月4日に52頭ものイルカが茨城県の砂浜に打上げられたニュースです。
(写真は毎日新聞より引用:砂浜に打ち上げられたイルカに海水をかける地元住民ら=茨城県鹿嶋市の下津海水浴場で2011年3月5日)
これだけ巨大な地震が発生するまでには、海底プレートに(私たち人間に感じることが出来るよりも遥かに微かな)何らかの兆候があったのだろうと推測されます。
当時、専門家のは、何らかの病原菌により引き起こされた行動ではないか?という可能性を軸に原因を調査していくという報道でありました。
しかし、(これはあくまでも私個人の推測ですが)イルカのこのような集団行動が大地震の予兆であったと誰が予測したでしょうか。
日本では、地震発生を初期微動発生から数秒後に地震が起こるであろうという予報システムは最近整備され運用されるようになりました。
しかし、数日後に地震が起きるであろうということを予測するまでには至っていませんし、同時多発的に地震が発生した場合には正確に機能しないことが懸念されます。
今後、動物の持つ能力が解明され、地震予知がより適切に行われるようになれば、地震被害を食い止める大きな役割を果たすことになるでしょう。
この分野での研究が進むことを期待します。
ただただ、「後になって思えば」という事ばかりで、大自然の中で人間の力が如何に微小なものであるか、ということを思い知らされるばかりです。
貞昌院本堂で行われた劇団 IDIOT SAVANT theter company による舞台『彼方、蓮台野にて』がタウンニュース港南区版に掲載されました。
姥捨て山は、深沢七郎の小説『楢山節考』で有名となりました。
東北地方を中心にかつてあった貧しい村の辛くて悲しい掟です。
姥捨てをした息子は「それ」を成し遂げた場面で「母を置いていくことなど出来るはずがない。・・・僕はあなたを棄てられない」と悩み、苦しみます。
集落では盛大な葬儀が準備され、葬送の儀式が行われました。
経済的に豊かになった現代では、姥捨て山のようなものは無くなったのでしょうか。
劇はその後、街中の交差点を渡ろうとして途中で転んでしまい、横断歩道の真ん中で赤信号になってしまったお年寄りを嘲笑する若者の場面に切り替わります。
老人ホームに送り込まれるお年寄りたち。病気になっても見舞いに行くわけでもなく、亡くなっても葬式、供養もされない。
その若者も心が満たされているかといえば、必ずしもそうではない。
続く。・・・続く。・・・・続く。
鬼の面をつけた老婆はそう叫んで劇は幕を閉じます。
お面が凍りつき、歪み、割れ、この世の果てに馴れていく時に、この物語は安臥することができるのでしょうか。
姥捨て山は現代でも続いている。
却ってかつての貧しい村の方がマシだったのかもしれない。
劇の訴えかける問題は私たちに深く、重く圧し掛かってきます。
ここからは蛇足です。
現代では、山間部や離島を中心に、過疎化や高齢化が急速に進行しています。
その進み方が急激過ぎるために、集落自体の自治やインフラの管理、冠婚葬祭などの生活機能すら維持できず、そのまま消滅に向かうという深刻な問題が発生しています。
もはや子どもたち、未成年者が姿を消し、一人暮らしのお年寄りや、その予備軍だけが残されている集落であり、「限界集落」と呼ばれています。
集落をこの視点から分類すると次のようになります。
55歳未満人口比50%以上「存続集落」・・・跡継ぎが確保されており、共同体の機能を次世代に受け継いで行ける状態
55歳以上人口比50%以上「準限界集落」・・・現在は共同体の機能を維持しているが跡継ぎの確保が難しくなっており、限界集落の予備軍となっている状態
65歳以上人口比50%以上「限界集落」・・・高齢化が進み、共同体の機能維持が限界に達している状態
そして誰もいなくなった「消滅集落」・・・かつて住民が存在したが完全に無住の地となり、文字通り集落が消滅した状態
日本のにおいては少子高齢化の進行により「準限界集落」にある集落は急速に「消滅集落」への道を辿ります。
姥捨て山は悲しい慣わしです。
しかし、それすらも「続く」ことさえ出来なくなり、集落が(もしくは自治体さえも)消えて無くなってしまう時代を迎えていることを真剣に考えていくことが必要でしょう。
今回の記事はkameno私見によるまとめです。
松ケ崎横穴古墳群の現状
松ヶ崎古墳現地調査
の記事を併せてご参照ください。
平成23年1月24日に行なわれた現地調査により確認された横穴墓の位置を出来るだけ正確にプロットしてみました。
(さらに正確な位置図は港南歴史協議会により出される予定です)
ここに記載されている①~⑦は仮符号です。この番号付与の理由は後述しますが、名称をどのように付与するかにより曲解や誤解、事実誤認が生じることが今回の事例でよく判りました。
そのあたりも後述致します。
まずは現地調査のまとめとこれまでの調査記録の突合せをします。
表:松ケ崎の南斜面に分布する横穴古墳群のまとめ
仮符号(内寸計測順) | ① | ② | ③ | ④ | ⑤ | ⑥ | ⑦ |
『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』 (昭和51年刊) | 松ケ崎の南斜面に分布する横穴古墳群は、不揃いだが上、下二段に分列して、8穴が開口している。 | ||||||
『港南の歴史』 (昭和54年刊) | 1号墓 | 2号墓 | 3号墓 | 4号墓 | 5号墓 | 記述なし | 記述なし |
歴史協議会による現地調査(平成23年1月24日) | 確認 | 確認 | 確認できず | 確認できず | 確認 | 確認 | 確認 |
昨年夏に書いた 松ヶ崎横穴古墳群の現状 のブログ記事においても、この遺跡に分布する横穴墓を①~⑦の表記をいたしました。
その理由は、『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』でいうところの「松ケ崎の南斜面」は、旧港南台高校敷地南部の舌状台地(冒頭の航空写真中央の緑地部分)全体を指すと考えるのが妥当であろうからです。
『港南の歴史』 では、当時馬場先生により調査確認できた1号墓~5号墓の位置と内寸が測定、記録されました。
ところが、港南台高校及び地域の歴史研究者は、別途⑥の横穴墓1箇所だけを認識しており、これを松ヶ崎古墳としておりました。
両者は、それぞれの場所を「松ヶ崎古墳」と呼んでおり、この状況は今回平成23年の実地調査まで続きました。
さらに、その⑥の横穴墓を『港南の歴史』の5号墓と誤認したことにより、「西面1~5号墓」「南面1~5号墓」というように「5穴から成る横穴群が2つある」という幻を生み出しました。
この幻が「⑥⑦の横穴墓の左側にさらに3つの横穴墓があるはずである」という誤解を生み出したのです。
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平成23年1月24日の調査では、⑥の横穴墓は『港南の歴史』の5号墓とは違う横穴墓であることが確認できました。
そして、⑥の横穴墓は、この日に初めて内寸が測定されています。
少なくとも言える事は、西面4号、5号墓という命名は不適切であり、もしも⑦を西面4号墓、⑥を西面5号墓と表記する文献があったとしたら、それは今後大きな誤解を招く元となりますので注意が必要です。
あたかも西面にさらに3つの穴がある(あった)という事実誤認の源となるからです。
また、西面、南面という表記も疑問です。
航空写真や地図を見て判るとおり、松ヶ崎舌状台地に分布する横穴群のある面は「南東」「南西」向きです。
仮に2つの古墳群に分けたとしても、南面という呼称がどの面を指すのかが不明瞭となります。
数十年後に同様な誤解を生む源となりましょう。
仮符号(内寸計測順) | ① | ② | ③ | ④ | ⑤ | ⑥ | ⑦ |
位置(北緯・東経) | 35.220856N | 35.220861N | 35.220876N | 35.220885N | 35.220920N | 35.220911N | 35.220919N |
位置特定・内寸計測年度 | 昭和51年 | 昭和51年 | 昭和51年 | 昭和51年 | 昭和51年 | 平成23年 | 平成23年 |
※これまでこのブログでは一貫して同じ仮符号により表記してきました。
※このブログ記事に対するご意見は、コメント欄などにより、私に直接お届けくださいますようお願い致します。
今日の朝日新聞「青鉛筆」に元三大師のおみくじに関する記事がありました。
おみくじには、大きく和歌調のものと漢詩調のものにに大別できます。
このうち、元三大師によるおみくじは五言四行の形式をとるのが基本です。
一般的に元三大師として知られますが、比叡山延暦寺の中興の祖・第18代天台座主良源大和尚(912年10月15日-985年1月26日)のことです。
良源大和尚は、実在の人物であり、中世以来、独特の信仰を集めています。
特に「厄除け大師」として「角大師」「豆大師」「厄除け大師」などさまざまな別称を持ちます(左図参照)。
元三大師が作られたとされるおみくじは、その起源は中国南北朝から室町初頭ごろの「天竺霊籤」とされ、それが日本に入って「元三大師百籤」「観音みくじ」として流行したようです。
これが発祥とされています。
「元三大師百籤」の特長は、第一番大吉から第一百番凶まで、一連の番号になっていることです。
記事にあるとおり、富山県真国寺のおみくじのように古いものほど凶の割合が多い傾向にあるようです。
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さて、貞昌院に伝わるおみくじは、天神おみくじで菅原道真の和歌を使用したものです。
江戸時代、安藤広重の(1797-)の時代に江戸中橋正木町で作られました。
版木が残っているおみくじとしては、恐らく日本で一番古いのではないかと思います。
(これより古い版木が残るおみくじをご存知の方はお知らせください)
貞昌院のおみくじの凶の割合は半端でなく多いのです。
何しろ50%以上が凶ですから。
永田住職の仰るように、「自分を省みて成長するチャンスの意味が込められている」と考えるのが適切でしょう。
昔の人もそのように考えていたのではないかと思います。
■おしらせ
貞昌院を会場に区民企画講座 わがまち「貞昌院のおみくじ」に関する講座を開催します。
1月29日午前9時30分より 貞昌院にて
2日午後0時35分ごろ、神奈川県箱根町塔之沢の国道1号で、箱根駅伝に出場中の国学院大の監督らを乗せた乗用車が沿道左側にいた観客と接触、50代の男性3人がいずれも足に軽傷を負った。
県警小田原署によると、現場は片側1車線の緩い右カーブ。男性運転手は「反対車線の沿道から応援している観客が飛び出してくる気配があったので、とっさに左にハンドルを切ったら、ぶつかってしまった」と話しているという。
現場は往路第5区の千歳橋付近。箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟によると、車は運営管理車と呼ばれ、選手や沿道の安全管理のため各校1台ずつ配置されている。
(毎日新聞2011/1/3)
箱根駅伝は年々沿道で応援する方が増えてきてることを実感します。
歩道一杯に人が溢れる場所もあり、大会運営者や警察、ボランティアの皆さんたちの大変な尽力によって選手たちが安全に競技できる環境が作られています。
それでも、毎年様々なアクシデントが発生しています。
今年は、安全管理を行うべき運営管理車が沿道に突っ込んでしまうという事故が発生してしまいました。
幸いにも競技自体に影響は無かったのですが、報道にあるように、「反対車線の沿道から応援している観客が飛び出してくる気配があった」ということが真実であれば、飛び出した観客も咎められるべきでしょう。
いずれにせよ、巻き込まれた50代の男性3人は本当に災難でした。
昨年(2010年)は箱根山下りの6区で山梨学院と併走していた中央大学の山下選手が、恵明学園前の下りカーブで、コースに飛び出した沿道ファンの旗を避けようとして転倒、その先の観客の中に突っ込んでしまうというアクシデントもありました。
山下選手は冷静に競技に戻り、なんとか襷を繋いだものの、走り終えた山下選手の靴は血だらけでした。
少し前では、1987年(箱根駅伝の全国中継が始まった年)に最終10区で順天堂大学の工藤選手が、道路上に興奮して飛び出してきたファンと接触し転倒するという事件も発生しています。
2008年、私が応援に行った2区ではこのような光景を目の当たりにしました。
よく見ると、旗の先が首に当たりそうです。
これは本当に危ない。
選手にとって迷惑この上ないでしょう。
皮肉なことに、この旗は駒澤大学の応援旗です。
応援する際には必ず歩道縁石よりはみ出さず、旗も選手に向けて振っては決していけません。
沿道での応援は選手たちにとっては大きな励みになることは確かです。
しかし、走っている選手の邪魔になったり、競技を妨げることがあっては決してなりません。
(1)応援する場所選び
これは大事なポイントです。まずは選手たちが右カーブを走った先の沿道がベストです。
図で示すと右のような感じです。選手が左から右に走るとすると、赤●がベストポジション。
ガードレールがあると尚良いです。前にはみだして応援する観衆もありません。
望遠(300mm)で撮影すると上の宇賀地選手の写真のように正面からの姿を撮ることができます。
同じ地点で撮った焦点距離50㎜相当の写真↓を比べると、どのような場所で撮影した写真なのかよく判ると思います。
(2)なるべく簡潔に
カメラはEos-kiss とタムロンの28-300mmレンズを使っています。
これがあれば充分です。
三脚や脚立は他の方に迷惑となるので使わないほうがよいでしょう。
(3)たまには少し下のアングルから
足の筋肉、フォームがよく判ります。
応援の旗が撮影の邪魔にならないこともメリットです。
(4)横からの姿もなかなか良い
走る姿を横から眺めることが出来るのが沿道での応援の醍醐味です。
テレビ中継ではなかなか見ることが出来ません。
選手たちの走る勢いも感じられます。
この写真↓は昨年、総合優勝目前の東洋大学です。
沿道の応援の様子も一緒に写すことができました。
いずれにしても、撮影は最低限度にして、応援を主にすることも大切ですね。
選手たちの頑張りを思いっきり応援したいものです。
Na hi verena verāni sammantīdha kudācanaṃ
Averena ca sammanti esa dhammo sanantano.
実にこの世において 恨みは恨みによって鎮まらない。
恨みを持たないことで静まる。これは永遠の真理である。『法句経』第1章5番
原始仏典の一つでお釈迦様の語録である『法句経(ダンマパダ)』からの引用です。
このことばは、大船観音ゆめ観音アジアフェスティバルにおいても平和宣言文の中で引用して使わせていただきました。
お釈迦さまは「怨みを持って怨みに報ぜば、怨みやまず。徳を持って怨みに報ぜば、怨みすなわち尽く」と説かれました。
大船観音の境内には、「原爆の火の塔」や「戦没者慰霊碑」等、平和への祈りが込められたモニュメントが多く立ち並んでいます。 その碑に刻まれた「核兵器もない、戦争もない、平和な世界を」めざし、慈悲の原点に立ち返り、平和共存の実現に努めることをここに宣言いたします。
(第12回ゆめ観音アジアフェスティバル 平和宣言文より一部引用)
この法句経のことばは、ある場面である方により使われたことにより有名になりました。
それは、1951年9月6日「サンフランシスコ対日講和会議(Treaty of San Francisco)」での場面です。
サンフランシスコ対日講和会議といえば、敗戦国日本をどのような処遇にするべきかを関連国が集まって協議した会議です。
特に、ソ連はアメリカ・ソ連・イギリス・中国で日本分割を決定するべきであると強固に主張します。
もしも会議の流れがそちらの方向に進んでいたら、北海道・本州・四国・九州がばらばらに分割されていた可能性もあります。
しかし、その流れを変えたのがスリランカ(当時はセイロン政府)代表として出席していたJRジャヤワルデネ元大統領(当時は財務大臣)の演説です。
ADDRESS BY HIS EXCELLENCY J.R. JAYEWARDENE
LEADER OF ThE DELEGATION OF THE GOVERNMENT OF CEYLON (SRI LANK) / AT THE CONFERENCE FOR THE CONCLUSION AND SIGNATURE OF THE TREATY OF PEACE WITH JAPAN - SAN FRANCISCO, USA / 6TH SEPTEMBER 1951 / HIS EXCELLENCY J.R.JAYEWARDENE IS PRESENTLY THE PRESIDENT OF THE SOCIALIST REPUBLIC OF SRI LANK
I consider it a great privilege to be afforded the opportunity of placing before this assembly of fifty-one nations the views of the Government of Ceylon on the draft Treaty of Peace which we have been invited to approve. My statement will consist of the reasons for our acceptance of this treaty, and I shall also attempt to meet some of the criticisms that have been levelled against it. It is true that I can speak only on behalf of my Government, but I claim that I can voice the sentiments of the people of Asia in their general attitude towards the future of Japan. I need not deal with the events that led to the formulation of the final draft of the treaty which we are considering. Mr Dulles, the American representative, and Mr.Kellneth Younger, the British representative, have given us a full and fair account of those events, beginning with the capitulation of Japan in August 1945. It may, however, be mentioned that there was a serious conflict of opinion between the four major powers as to the procedure that should be adopted to draft this treaty. The Soviet Union insisted that the four major powers alone - that is, the Council of Foreign Ministers of the USA, UK, China and the USSR -should alone undertake it, and that the power of veto should be reserved to them if any others were admitted for the purpose of drafting the treaty.The United Kingdom insisted that the Dominions should be consulted and the United States of America agreed with this. They also supported consltation with all the countries that took part in the war against Japan.
Among these countries, too, there was a difference of opinion as to the actual terms of the treaty actuated by various considerations, some by a fear of the raising of a new militaristic Japan, and others yet unable to forget the damage and horrors caused by the Japanese invasions.
I venture to submit that it was at the Colombo Conference of Commonwealth Foreign Ministers held in January, 1950, that for the first time the case for a completely independent Japan was proposed and considered. The Colombo Conference considered Japan not as an isolated case, but as part of the region known as South and Southeast Asia, Containing a large proportion of the world's wealth and population, and consisting of countries which have only recently regained their freedom, whose people were still suffering as a result of centuries of neglect. Two ideas emerged from that Conference - one, that of an independent Japan, and the other, the necessity for the economic and social development of the peoples of South and South-east Asia, to ensure which, what is now known as the Colombo Plan was launched.
Mr Kenneth Younger has explained how, after that Conference, a Working Committee of Commonwealth High Commissioners worked on a draft treaty, and later had consultations with the American representative, Mr Du11es.
The treaty now before us is the result of those consultations and negotiations. It represents some of the views that my Government had, and some of them which it did not have. I claim that at the present moment it represents the largest common measure of agreement that could be attained among the countries that were willing to discuss peace with Japan.
The main idea that animated the Asian countries, Ceylon, India and Pakistan, in their attitude to Japan was that Japan should be free. I claim that this treaty embodies that idea in its entirety.
There are other matters which are external to the question of Japan's freedom - namely, should that freedom be limited to the main islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, and Shikoku, or should it extend to several minor islands in the neighbourhood? If not, what should we do with those islands? Should Formosa be returned to China in accordance with the Cairo Declaration of 1943? If so, to which Government of China? Should China be invited to the Peace Treaty Conference? If so, which Government? Should reparations be exacted from Japan? If so, the amount. How is Japan to defend herself until she organizes her own defence?On the main question of the freedom of Japan, we were able to agree ultimately, and the treaty embodies that agreement. On the other matters, there were sharp differences of opinion, and the treaty embodies the majority views. My Government would have preferred it if some of those quetions were answered in a different way, but the fact that the majority don't agree with us is no reason why we should abstain from signing the treaty, which contains the central concept of a free and independent Japan.
We feel that the allied matters I mentioned earlier are not insoluble if Japan is free, that they are insoluble if Japan is not free.
A free Japan, through, let us say, the United Nations organization, can discuss these problems with the other free nations of the world and arrive at early and satisfactory decisions. By signing this treaty we are enabling Japan to be in a position to do so, to enter into a treaty of friendship with the Government of China if she decides to recognise her, and I am happy to state, enabling her to enter into a treaty of peace and friendship with India. If we do not sign this treaty, none of these eventualities can take place,Why is it that the peoples of Asia are anxious that Japan should be free ? It is because of our age-long connections with her,and because of the high regard the subject peoples of Asia have for Japan when she alone, among the Asian nations, was strong and free and we looked up to her as a guardian and friend. I can recall incidents that occurred during the last war, when the co-prosperity slogan for Asia had its appeal to subject peoples, and some of the leadders of Burma, India, and lndonesia joined the Japanese in the hope that thereby their beloved countries may be liberated.
We in Ceylon were fortunate that we were not invaded, but the damage caused by air raids, by the stationing of enormous armies under the South-East Asian Command, and by the slaughter-tapping of one of our main commodities,rubber, when we were the only producers of natural rubber for the Allies, entitle us to ask th1at the damage so caused should be repaired. We do not intend to do so, for we believe in the words of the Great Teacher whose message has ennobled the lives of countless millions in Asia, that (hatred ceasesnot by hatred, but by love'. It is the message of the Buddha, the Great Teacher, the Founder of Buddhism, which spread a wave of humanism through South Asia, Burma, Laos, Cambodia, Siam, Indonesia and Ceylon, and also northwards through the Himalayas into Tibet, China, and finally, Japan, which bound us together for hundreds of years with a common culture and heritage. This common culture still exists, as I found on my visit to Japan last week on my way to attend this Conference; and from the leaders of Japan, Ministers of State as well as private citizens, from their priests in the temples, I gathered the impression that the common people of Japan are still influenced by the shadow of that Great Teacher of peace, and wish to follow it. We must give them that opportunity.
That is why I cannot subscribe to the views of the delegate of the Soviet Union when he proposes that the freedom of Japan should be limited. The restrictions he wishes to impose, such as the limitation on the right of Japan to maintain such defence forces as a free nation is entitled to, and the other limitations he proposes, would make this treaty not acceptable not only to the vast majority of the delegates present here, but even to some of the countries that have not attended this Conference, particularly India, who wished to go even further than this treaty visualizes. If again the Soviet Union wishes the islands of Ryukyu and Bonin returned to Japan, contrary to the Cairo and Potsdam Declarations, why should then South Sakhalin, as well as the Kurile be not also returned to Japan?
It is also interesting to note that the amendments of the Soviet Union seek to insure to the people of Japan the fundamental freedoms of expression, of press and publication of religious worship, of political opinion and of public meeting - freedoms which the people of the Soviet Union themselves would dearly love to possess and enjoy.The reason why, therefore, we cannot agree to the amendments proposed by the Soviet delegate, is that this treaty proposes to return to Japan sovereignty, equality and dignity, and we cannot do so if we give them with qualifications. The purpose of the treaty then is to make Japan free, to impose no restrictions on Japan's recovery, to see to it that she organizes her own military defence against external aggression, and internal subversion, and that until she does so, she invites the aid of a friendly power to protect her, and that no reparations be exacted from her that harm her economy.
This treaty is as magnanimous as it is just to a defeated foe.
We extend to Japan a hand of friendship, and trust that with the closing of this chapter in the history of man, the last page of which we write today, and with the beginning of the new one, the first page of which we dictate tomorrow, her people and ours may march together to enjoy the full dignity of human life in peace and prosperity.
下線部分を和訳でご紹介します。
何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。
私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます。
セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。
我国はそう(損害賠償を要求)しようとは思いません。何故なら我々は大師(釈尊)の言葉を信じていますから。
大師のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を高尚にしました。仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。(引用元)
JRジャヤワルデネ元大統領の演説中、「セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害」は、主に日本帝国陸軍による印度洋作戦・セイロン島コロンボ空襲のことです。
この空襲により、連合軍の航空部隊、船舶に大損害を与え、さらにトリンコマリー基地空襲により空母ハーミスを撃沈、インド洋東西海域の制海制空権を日本帝国軍が掌中に収めます。
しかし、この後の拙攻により日本は敗戦への道を歩みます。
少なからずセイロン島に損害をもたらした日本に対し、JRジャヤワルデネ元大統領は「日本の掲げた理想に、列強国からの独立を望むアジアの人々が共感したことを忘れないで欲しい」と述べた上で、冒頭の『法句経』を引用し、日本に対する賠償請求を放棄し、日本が再び国際社会に復帰する道筋を作ってくれたのです。
この演説を日本人は知っておかなければなりませんし、決して感謝の心を忘れてはならないでしょう。
今月開催された第60回WBF世界仏教徒会議スリランカ大会の場で、日本代表として河野太通全日本仏教界会会長は、スリランカ大統領をはじめ世界各国から集まった仏教者代表、スリランカの仏教徒の前で、改めて1951年のJRジャヤワルデネ元大統領の演説に感謝し、改めて各国に与えた事実に懺悔と反省の意を表し、過ちを二度と繰り返すことの無いよう平和を誓うことを宣言しました。
会場からは万雷の拍手を受けました。
とても心に残る世界仏教徒会議でした。
実にこの世において 恨みは恨みによって鎮まらない。恨みを持たないことで静まる。
このことばは、被害者が使わなければ意味を持ちません。
加害者がいくら謝罪をしても、被害者が受け入れてくれなければいくら謝罪をしても事足りないのです。
「1000倍にして返す」=砲撃犠牲2兵士の告別式―韓国
北朝鮮による延坪島砲撃で死亡した21歳と19歳の韓国海兵隊員2人の告別式が27日午前、ソウル近郊の国軍首都病院で行われた。式の様子は主要テレビが生中継した。
同隊で最高の「海兵隊葬」で営まれた式には遺族や、辞任が決まった金泰栄国防相ら約600人が参列。上官は弔辞で、「われわれの愛する兵士を殺したことを後悔するよう、(北朝鮮に)100倍、1000倍にして返す」と語り掛けた。
李明博大統領は26日に弔問し、2人に勲章を授与した。砲撃ではこのほか民間人2人が死亡している。
(時事通信2010年11月27日)
今日の記事を書いていたら、このようなニュースが飛び込んできました。
釈尊の教えを実践することがいかに困難かということがわかります。
茶室裏庭のサフランが満開となりました。
例年よりもたくさんの花が咲いています。
薄紫の花の中に臙脂色の雄蕊が三本。
そのコントラストが印象的です。
この雄蕊は後で収穫した後、乾燥させて香辛料として使います。
サフランライスやパエリアの鮮やかな黄色は、このサフランの雄蕊によるものです。
2007年のミャンマーの軍事政権に対する僧侶や市民らの抗議デモのことを「サフラン革命」というように表現する報道が目立ちました。
「サフランの雌蕊色の法衣」ということで名づけられた呼称です。
サフランの雄蕊の色とミャンマー僧侶の衣の色は良く似ています。
ただし、ミャンマーではサフラン革命とは言わず、「黄金革命」と表現するそうです。
今日行なわれる(行われている)総選挙では、連邦議会と地方議会の1163議席を決める選挙です。
但し、軍人固定枠として、4分の1は既に軍政側に割り当てられています。
残りの4分の3の1163議席を巡って、37政党3071、無所属82人が立候補しています。
うち、軍政側は、軍政幹部を抱える連邦団結発展党(USDP)から1135人、旧軍政の国民統一党(NUP)から980人を擁立。それだけで2000人を超えています。
対し、民主化勢力はNLDから分離した国民民主勢力(NDF)が約160人程度に留まり、ミャンマー民主党と合わせても260人程度となっています。
アウン・サン・スー・チー氏は自宅軟禁を強いられ、NLDは今年5月に解党、今回の総選挙へ公式な参加はありません。
軍政側は、選挙監視団、外国メディアの入国を完全に禁止しており、事実上軍政主導で総選挙が行なわれます。
残念ながら総選挙を行なう前から結果は明らかです。
民主化が遠のくミャンマーは、今後どのようになっていくのでしょうか。
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ある事象を捉え、解釈するときには、とかく自分の都合の良い視点でものごとを見がちです。
さらに、国家や報道機関が情報を統制してバイアスをかけた報道を行なった場合、真実を見抜くことはさらに困難となります。
先の沖縄県の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件では、中国国民は概ね下記のような情報ソースにより事件の状況を判断しています。
情報メディアを批判的に読み解いて、その真偽を見抜く力は残念ながら今の中国国民には期待できないでしょう。
(来源:搜狐)
「日本船からぶつかった」「日本の俳優が演じている」「倭寇の被害」…中国の反応
沖縄・尖閣諸島周辺で起きた中国漁船衝突事件の状況を撮影したビデオとみられる映像が、5日未明にインターネット上に公開されたことを受けて同日、最高検と海上保安庁が調査に乗り出した。石垣海上保安部(石垣市)が撮影した映像は、海保が編集した数種類のバージョンが存在。その中に、今回流出した計44分間のものとほぼ同じ長さに編集した映像があったことが判明した。映像は検察と海保しか持っていないため、内部流出の可能性が高まった。「犯人」をめぐり、永田町ではさまざまな憶測が飛び交っている。
ビデオ流出問題で、最初に動画が投稿されたサイト「ユーチューブ」への接続は、中国国内では当局により規制されており視聴できないが、すでに別のサイトには転載されており、同国内でも出回ることになりそうだ。ある中国語動画サイトにもコピーとみられる問題の動画が数本に分けて掲載され、5万回以上も再生されていた。中国語の書き込みでは「波を見れば分かるように、日本船からぶつかってきている」など、映像を素直に見ていないものが多いが、中には「日本の俳優が演じている」「偽物ではないのか」と中国船がぶつける映像が“でっち上げ”だと主張するものも。「明朝の時代からわが国は、倭寇(海賊)の被害を受けてきた」と問題をすり替えるコメントまであった。
中国共産党機関紙の「人民日報」は、日本の報道として、事実関係を伝えるにとどめている。だが、同紙系の「環球時報」は「中国の領土権と漁業権を侵害した日本の不法性は、覆すことができない」などと、やや感情的に述べている。
(2010年11月6日 スポーツ報知)
同じ衝突事件の状況を撮影したビデオを見ても、中国人の中にはこのような見方をするものも多いわけです。
翻って、日本であっても安心はできません。
マスメディアの流す情報が本当に正しいのか、バイアスが掛かっていないのかを真剣に考え、必要な情報を引き出し、適切に取捨選択して活かさなければなりません。
人間っていう生き物は、どうしても正確に事象を捉えることが困難であることを予め知っておく必要があるでしょう。
この記事の一番上にある渦巻き模様の「青」く見える部分と「緑」に見える部分が全く同じ色に見えるということが信じられますか?
世の中に溢れる情報を的確に読み取る力が、特にこの情報化社会では重要であるといえます。
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情報の見方・読み方・読み取り方
ロシアの大統領が帰属権を日本が主張する南クリル諸島を初めて視察ロシアの大統領ドミトリー・メドベージェフは、クリル諸島最南島の国後島(クナシリ島)を視察した。ロシアの大統領としては、モスクワと東京が1945年からその帰属権論争のため平和条約に署名できない状態であるクリル諸島を初めて訪問したことになる。
近々南クリル諸島を訪問する件については、メドベージェフ大統領は、9月のカムチャッカを訪問した際にも視察の意向を記者団に伝えていた。その時は、夏季の天候ではないため、この試みは成功しなかったが、彼は、「クリル諸島は必ず訪問する。なぜなら、これは我が国にとって非常に重要な地域であるからだ」と訪問を確約していた。この後、日本政府は、南クリル諸島(日本で北方領土と呼ばれている)は自国の領土であり、ロシアの大統領の南クリル諸島の訪問は2国間関係を複雑にしてしまうと言明し、訪問に懸念を表明した。
それに対し対外政策を担当する大統領行政府の情報源は、モスクワではメドベージェフのクリル諸島への訪問は近々の日本訪問に合わせた行動であると考えることが合理的であると言明した。実際、メドベージェフは11月13-14日に横浜でのAPECサミットに参加する計画をしているからだ。
(NOVOSTI通信 2010/11/2)
ロシア側の報道を敢えて引用してみました。
これだけ領土問題で周辺国に付け入られてしまっている現状を、どれだけの人が真剣に考えているのでしょうか。
メドベージェフ大統領が敢えてこの時期に北方領土を訪問した理由は、単にAPECへ合わせた行動というだけではなく、その背景に東シベリアの大規模油田があるように感じます。
大規模油田:JOGMEC ロシア東シベリアで試掘に成功独立行政法人の石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)は22日、ロシア東シベリアで進めているロシア企業との共同探鉱調査で、可採埋蔵量が1億1000万バレルと想定される大規模油田の試掘に成功したと発表した。この地域での日本による試掘成功は初めて。
JOGMECは探鉱調査の終了後、鉱区で保有する49%の権益を日本の民間企業に譲渡し、将来は日本の自主開発としたい考え。商業生産が実現すれば、太平洋パイプラインを通じて日本などアジア諸国への輸出につながる見込み。
ロシアの石油企業イルクーツク石油との共同調査で大規模な原油埋蔵が確認されたのは、イルクーツク州北部のセベロ・モグジンスキー鉱区。また同州内のザパドナ・ヤラクチンスキー鉱区でガス田、ボリシェチルスキー鉱区で油田とガス田がそれぞれ確認された。
東シベリアでは、イルクーツク州タイシェトと極東ウラジオストク郊外のコジミノを結ぶ全長約4800キロの太平洋パイプラインが14年末の完工を目標に建設中。今後、新鉱区の原油開発が順調に進めば、太平洋パイプラインに供給する主要油田となる。
原油確保を中東に依存する日本は供給源の多角化を目指しており、日本とロシアの両政府は03年1月、ロシア極東、シベリア地域での資源開発分野の協力で合意。JOGMECは07年からイルクーツク州でイルクーツク石油と共同探鉱調査を開始していた。(共同)(毎日新聞 2010年10月22日)
メドベージェフ大統領が北方領土を訪問した10日ほど前のニュースです。
日本の独立行政法人が資金の約半分を出し、しかも日本の最先端技術を導入して開発された油田です。
ここから、東シベリア・パイプラインをオホーツク海沿岸まで建設し、日本へ安定した資源を供給する計画で、2014年完成を目指しているところです。
メドベージェフ、訪中の一環で一連のエネルギー協定に調印
メドベジェーフ大統領は公式訪中の一環で10件以上の書類に調印する。その中には一連のエネルギー協力に関する協定がある。この旨、ロシア大統領補佐官セルゲイ・プリホヂコが訪問を直前にして発表した。
とりわけ、「トランスネフチ」と中国の国営石油会社(China National Petroleum Corporation, CNPC)との間で、中国への「東シベリア-太平洋」パイプラインのバイパスラインであるスコボロジノから石油パイプラインでの石油輸出の相互協力と実現に関する総合協定が結ばれる。
(NOVOSTI通信 2010/9/27)
なんと、一足先に東シベリア・パイプラインから分岐し中国の大慶までを結ぶパイプラインが既に今年9月に完成、胡錦濤国家主席とメドベージェフ大統領が出席して完工式が行われました。
メドベージェフ大統領は日本よりも中国への供給を優先することを明言しています。年内にもロシアから中国への原油供給が開始され、供給量については2030年までに年間1500万トンという内容で両国が合意しています。
先に書いたように、日本へ向けたパイプラインの完成は2014年とまだまだ先のことなのに。
このように、東シベリアの大規模油田油田からのパイプライン建設では中国に完全に先行されてしまいました。
日本の先端技術と膨大な資金を導入して開発したエネルギー資源を、みすみす中国に優先的に取られる構図も現実味を帯びてきました。
シベリアの資源を獲得するために巨額のパイプライン建設資金を提供し、日ロ関係を大幅に改善した上で北方領土問題解決を目論んでいた政府の「甘い」戦略が破綻となった場合、石油資源に対しても、北方領土に対しても、日本の出しうる外交カードを失うこととなります。
その意味で、この時期のメドベージェフ大統領の北方領土訪問は実に強かな戦略だと思えます。
既に北方領土に関しては、日本の経済支援など無くてもロシア側からの経済支援でやっていけるという見込みが立ったわけですから、このまま四島をみすみす返すことは無いでしょうね。
そして、北方領土問題に日本が強く切り出すと、東シベリアの油田の権益とパイプラインの建設に難癖をつけてくるでしょう。
このあたり、よく状況を把握した上で強かに交渉していかないと、中国、ロシアに良いように毟り取られてしまうことになりかねません。
領土問題を先延ばしして良いことは一つもありません。
駐露大使 帰任はAPEC後 追加措置せずロシアのメドベージェフ大統領が北方領土の国後島を訪問したことを受け、日本政府は4日、一時帰国させた河野雅治駐ロシア大使を、11月中旬のアジア太平洋経済協力会議(APEC)が終了するまでロシアに戻さない方針を固めた。一時帰国はロシアへの事実上の対抗措置だが、政府高官は「ロシア側が北方領土に関して新しい動きをしない限りアクションは起こさない」と述べ、新たな対抗措置は講じない方針を示した。
河野大使は3日に一時帰国し、菅直人首相や前原誠司外相らに対し、大統領の訪問の狙いや背景について「2012年の大統領選などを見据え、国内向けにアピールするとの要素が大きい」などと報告した。
報告内容を踏まえ、日本政府は河野大使の扱いについて、少なくとも日露首脳会談を行う方向のAPECまではロシアに戻さない方針を確認。メドベージェフ大統領は歯舞群島と色丹島への訪問を計画しているとされているが、日本政府はロシア側がこうした新たな行動を起こさない限り、政府として一時帰国以上の対抗措置を取らないことも確認した。
一方、大統領が国後島訪問を断行する前に、在ロシア大使館から外務省に対し「大統領は国後島を訪問するかどうか、10月末の東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会合でハノイを訪れた際に決断する」と報告があったことも明らかになった。
(毎日新聞 11月4日)
まあ、現状では日本は強く出ることはできないでしょうね。
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北方領土問題解決へむけて
全ビルマ僧侶代表委員会(All Burma Monks' Representative Committee=ABMRC)のアシン・ターワラ師と大船観音でお会いする機会を得ました。
2007年9月に行なわれた僧侶たちの『慈経』を唱えながらの平和的行進(「サフラン革命」「黄金の革命」)は記憶に新しいところです。
その先頭に立ったアシン師は、僧侶歴としてダンマサリヤ試験に合格、ダンマサリヤの称号を贈られていますが、2003年アウンサンスーチー氏とと会ったことが不品行とされ、宗教省から称号を取消されてしまっています。
2007年9月20日の午後1時30分頃、私たち僧侶がシュエダゴン・パゴダからスーレー・パゴダ、チャウタッチー・パゴダ、ンガーダッチー・パゴダ、そしてアランピャ・パゴダ通りを通り過ぎるとき、軍政の出先機関である連邦団結発展協会とスワンアーシンのメンバーが100人ほど現れ、様々な手段を用いてンガーダッチー・パゴダとチャウタッチー・パゴダ近辺の僧侶を妨害しようとした。しかし彼らの試みは、僧侶の団結のために効果をあげられなかった。この日、220,000名の僧侶、尼僧、学生、市民が行進に参加し、午後5時にスーレー・パゴダで終わった。
2007年9月22日の12時、僧侶たちはシュエダゴン・パゴダから行進を始め、ミェーニーゴン、国営放送局 、フレーダン通りの交差点、大学通り、そしてアウンサンスーチー氏の自宅を過ぎて国民民主連盟本部前へと向かった。7,000名以上の僧侶と20,000名以上の市民が行進に参加した。この日、アウンサンスーチー氏が自宅から姿を見せ、全ビルマ僧侶代表委員会の僧侶たちに稽首礼をした。そこで全ての僧侶は一斉に、悪と災いから護るパリッタ(護呪経)を15分ほど唱え、私たちはまた、スーチー氏のために『慈経』を唱えた。スーチー氏が私たちの読経を聞いている間、涙を流してひどく泣いているのを見て、私たちは心が張り裂けそうだった。
この日、きわだった出来事は、アウンサンスーチー氏の自宅へ向かう際、大学通りにあるピンヤ寮前で災いから護る読誦をしたことである。私たちの読誦の間、それを聞く人々が悲しげに泣いていたので、やるせない気持ちでいっぱいになった。
彼らが感じていた恐れや憎しみの心が、ただちに私たちの中へしみこんできたように感じられた。
アシン・ターワラ師は、最前線に立って軍事政権の行動に対する抗議を行いました。
私たちは僧侶であるので、あらゆる未解決の問題で血を流すことは望みません。解決のためには、対話と平和的手段を望みます。この国を支配する軍政は、斟酌する力量のある人々からなっているはずです。ですから、彼らは人々が何を望んでいるのか理解しなくてはなりません。ビルマの人口は少ないですが、領土としては生活に困ることなく豊かに暮らすのに十分な大きさがあります。さらに、ビルマは海上でも地上でも天然資源が豊富ですから、近代的な国家になり得るはずなのです。しかしそうなっていません。軍政の独裁者たちは、誰がビルマを世界で最も貧しい国の1つにしてしまったかを、自分自身に問うてみるべきでしょう。わずかな人数の独裁者たちは、国民のための国家予算を乱用して私腹を肥やしています。国際社会に対して、この国は貧しくなくて問題などないのだと鼻に掛けることは、ビルマ国民と世界に向けて自分たちの行為が紳士的でも良き為政者でもないと示しているのです。彼らの思考法とイデオロギーは狭く限定的であり、もはやビルマ国民を囲い込んで支配したり抑圧することができなくなっています。ビルマ国民は軍政下で貧困と飢餓に苦しんでいますが、それぞれが外の世界について知識をもっていますから、国際状況について自分の頭で考え、決断することができるのです。世界中の他の発展途上国と比べてビルマに発展が見られないのは、軍政の非常に劣った政治力のせいなのです。そのことに気がついていても、軍政は自らビルマの政治問題を解決しません。それどころか、7つのロードマップで世論を欺いて、足を引っ張っているのです。これは我々国民にとって不利益なことです。為政者がなすべき10の行為を鑑みて善い政治が行われれば、国家に平和が訪れ、人々は心身ともに幸福でいられることでしょう。もしその10の行為を鑑みない悪しき為政者が国家に独裁制を敷いたら、国民の尊敬を失うだけでなく、他の為政者の尊敬をも失うでしょう。必ずや、恥ずべき不名誉だけでなく衰退と敗北に直面するでしょう。ですから、私たちは軍政の独裁者たちに、本当の平和と民主化と自由で公平な政治は、全ての未解決の問題に対して理解をもって正しく取り組むこと、そして危険な手段ではなく合理的で考慮された、国内の全民族を交えた(民主化勢力、少数民族グループ、軍政の)三者会談によってのみ、本当に実現するのだと告げたいのです。最後に、もし軍政が解決へ向けていかなる動きもとらなければ、私たち僧侶は最後まで恐れることなくこの革命に人々とともに平和的に参加します。
(平和的行進におけるアシン・ターワラ師の抗議演説より)
その後、事態はあたかも沈静化したかに見えますが、決してそのようなことは無く、軍事政権による情報統制と反発する僧侶や市民を徹底的に排除した結果によるものです。
全ビルマ僧侶代表委員会書記長の任務を引受けることとなったアシン・ターワラ師に対しても軍政は徹底的に弾圧を繰り返し、逮捕命令が下されます。
アシン・ターワラ師はラングーンを離れてバングラデシュへ、そしてインド・ニューデリーに逃れ、その地で全ビルマ僧侶代表委員会事務局創設、軍事政権との闘いを続けられています。
大船観音胎内でビルマの平和、世界の平和を祈り法要を営みました。
参拝ノートに平和のメッセージが刻まれます。
罫線を縦にして、下から上に書いていくのですね。
大意:平和の火が灯る特別な場所で、ビルマの安寧と世界の平和を祈ります。
平和の火(原爆の火)の前にて。
ビルマも核兵器を持つ国になるそうです。
北朝鮮経由での兵器輸入。日本は核兵器に取り囲まれているという状況を知っておかなければなりません。
そして、多くの仏教僧侶、仏教徒が迫害を受けているという現状にも常にアンテナを張っておくべきでしょう。
久し振りに爽やかな晴天となりました。
抜けるような青空を超えて平和への願いが届きますことを切に願います。
末筆ながら風月庵様にはこのような機をいただき、心より感謝申し上げます。
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アウン・サン・スー・チー女史は解放されるか
横浜市港南区の港南台、日野南、日野中央一帯の地域には、1969~70年に行なわれた調査により、上瀬遺跡、中谷遺跡、榎戸遺跡、小坪遺跡、松ヶ崎遺跡、安養寺やぐら(安養院やぐらと表記する書籍もある)、大神やぐらなどの遺跡群が見つかっています。
例えば、現在のロイヤルホームセンター付近で発見された榎戸第1遺跡では縄文時代中期から後期にかけての集落遺跡26戸が確認され、港南区での最大級の大型遺跡群です。
しかし、港南台土地区画整理事業などのの大規模な住宅開発によって、それらが一気に失われてしまいました。
⇒ 歴史に学ぶ港南台の勉強会 根岸線の歴史と港南台駅誕生物語
『港南台遺跡調査報告書』(1978)を元に、現在の地図にかつてあった遺跡の位置をプロットしてみました。
現在は殆どが整地され、住宅地に飲み込まれてしまっていることが判ります。
かつて、このような遺跡があったという面影はありません。自分の住んでいる地域に、このような遺跡があったことすらご存知無い方も多いことでしょう。
より大きな地図で 港南台遺跡分布図 を表示
(K=古墳時代、J=縄文時代、Y=弥生時代、H=土師器・古墳時代 S=遺物・遺跡の散布地)
僅かに残されているのは、松ヶ崎横穴古墳群です。
ここは、港南台高校の敷地であったために運良く残されてきました。
港南台高校は2009年より上郷高校と統合され栄高校となりました。現在は立野高校建替えのために数年間立野高校が敷地を管理しています。
しかし、建替えが終わった後の敷地はどのように利用されるのか、あるいは民間に売却されるのか、今後の見通しがはっきりしていません。
松ヶ崎古墳群自体、適切に管理されているとは言えません。何時まで残していくことが出来るのでしょうか。
埋蔵文化財を取り巻く環境は、全国的に厳しさを増しています。
野ざらしのまま・・・・出土遺物が積み上げられた収蔵庫・・・・・たとえ遺跡のある土地が買い上げられたとしても、それらを管理していくための予算がつかず、放置されている事例がたくさんあります。
〈文化変調〉第4部・きしむ国の支援(中) 守った遺跡、生かせず
福岡市のJR博多駅に近い住宅地。4千平方メートル余の空き地に、雑草が生い茂る。
国史跡の比恵(ひえ)遺跡だ。古墳時代の貴重な倉庫群として2001年に指定された。建物の復元話もあったが、現在はほとんど手つかずのまま。近くの主婦(66)は「すごい遺跡とは聞いたけど......。今のままではもったいない」と話す。
遺跡の土地代は約15億円。国が8割と福岡市が2割を負担し、テニスコートだった民有地を買い上げた。だが、土地代の償還が終わらず、整備も始まらない。10年近く「塩漬け」状態が続いている。
原因は厳しい財政状況だ。福岡市は今年度、文化財保存整備費として約3億2千万円を遺跡整備などにあてるが、うち半分強は比恵遺跡の土地代の償還に消える。加えて、歴史的に大陸と交流の深い福岡には国史跡が12もあり、比恵遺跡を含め三つある未整備の史跡まで手が回らない。
「(比恵遺跡を)一般に開放できるのは、少なくとも10年先。財政を考えると、建物の復元は難しいでしょう」と、市教委文化財整備課整備第1係の大庭康時係長は話す。
文化庁の今年度の予算約1020億円のうち、ほぼ7分の1の約145億円が、史跡などのための土地購入費だ。だが、購入した土地が、なかなか整備・活用されない。埋蔵文化財をめぐる補助金に関して、国と自治体の歯車が、うまくかみ合っていない。
足りないのは金だけではない。先ごろ補助金の不正受給が発覚した埋蔵文化財の発掘調査事業。会計検査院の調べで、19自治体が29事業で、計約800万円の補助金を不正に受けていたが、19自治体のうち14自治体で、報告書が未刊行なのに、刊行したという虚偽の報告が行われていた。それらの自治体に、不正にいたった理由を取材したところ、ほとんどが「対象作業量に対する人手不足」をあげた。
その一つ、49万円の返還を求められた盛岡市は、小中学校の建て替え工事で予定外の発掘事業が発生し、後ろにずれ込んだことが、そもそもの原因だったという。さらに寒冷地では、雪が降る前にすべての発掘を終えることが優先され、報告書作成は、その後の作業になる。
市教委歴史文化課の袖上寛課長補佐は「最終的に冬場の負担が大きくなった。担当者が何とかなると判断していた」という。
戦後、日本の埋蔵文化財行政は、急速な経済発展に伴う開発から遺跡を守ることに力を注いできた。1960年代に平城宮跡(奈良市)で起きた、国道バイパスの建設計画への大きな反対運動などを契機に、遺跡の保存は全国的な潮流となった。75年に文化財保護法を改正し、保存体制を強化した。だがいま、各地の自治体からは、たとえ国に補助してもらっても、残りの負担分や人手を地元で用意できなければ、保存や整備は難しいといった悲鳴があがる。
(朝日新聞 2010年10月25日)
国も地方自治体も、財政状況が悪化する中で、一番削減しやすいのはこのような文化財に割り当てられる予算なのでしょう。
結果として、遺跡の整備が遅れたり、発掘調査報告書の刊行に支障をきたしたりしています。
文化財は、失われると取り返しが付かないことになります。
このような時期だからこそ、国、地方自治体、地元が一体となって問題解決に向けて立ち向かっていかなければなりません。
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記録的に暑かった今年の夏により野菜類が高騰しています。
しかし、これと全く逆の価格動向を見せているのがコメの価格です。
JAなどから出荷されるコメ全銘柄の平均価格は、2009年の1俵(60kg)当たり15,169円だったのが、2010年7月には14,214円に下落、さらに今年の収穫期に入っても新米価格が昨年のコメの価格を下回るケースも出てきました。
原因はコメ離れに加え、不況による消費不振、円高による外国産の食料品へのシフトがありましょう。
コメの在庫量は増加傾向にあり、さらに生産過剰が見込まれるとなれば、コメの価格が下落するのは当然のことです。
民主党のマニュフェストに掲げる農家への戸別所得補償事業によって、農家には0.1ha当たり15,000円の補填を行い、さらにコメの価格が過去3年平均を下回った場合は差額を追加支給することになっています。
この戸別所得補償事業に膨大な量の税金が投入され続けます。
けれども農家への個別所得補償は根本的な解決になっているとは思えません。
農家に個別所得補償を行なうよりも、需要を増やす施策のほうが如何に有効であるかは言うまでもありません。
小中学校や老人ホームの給食への米の割合を増やしていくことも一策ですし、何よりも世間一般のコメ離れを如何に食い止めるかが焦点となるでしょう。
もう一つ、日本の財政を圧迫しているのは、生活保護費です。
生活保護にかかる費用も長引く不況、高齢化などにより増加傾向にあります。
生活保護費を受給している世帯数は、1980年度から1992年度には減少傾向にありましたが、その後増加に転じ、2004年度には998,887世帯、2005年度には110万世帯(うち外国 籍約3万世帯)と増え続けています。2010年初頭には、実に130万世帯を超えました。
ここに挙げた2例は、日本の財政を圧迫するほんの一部の例でありますが、可及的速やかに対策を施さなければ国や地方自治体の財政は間違いなく破綻への道を歩むことでしょう。
そこで、一つだけ提言をさせていただきます。
生活保護は次の8種類からなります。
(1)生活扶助(2)教育扶助(3)住宅扶助(4)医療扶助(5)介護扶助(6)出産扶助(7)生業扶助(8)葬祭扶助
このうち、(1)生活扶助は衣食、その他日常生活の需要を満たすための扶助であります。
これらは現物支給にするべきであると考えます。
特に食料扶助のうち、主食としてコメを現物支給する仕組みを確立し、その分の生活保護支給費を減額する制度とすることを提言いたします。
<例>
■生活保護世帯に1人当たり年間60kg~100kg程度のコメを現物として(もしくは厳密にコメにしか換品できないお米券を)支給する。
■現物支給されたコメの価格相当の生活保護費支給額を減額して支給する。
そもそも生活保護とは、憲法第25条に規定される生存権に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに自立を助長する為の制度です。
現状では現金支給が原則となっていますが、そのために残念ながら不正受給や貧困ビジネスの温床も蔓延っています。受給申請を行なっても脚下される事例も少なくありません。
必要な方に、必要な支給が確実になされる施策が求められます。
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お盆でいただいた栗煎餅。
香ばしくてお茶に良く合います。大好きなお菓子の一つです。
ちょうど、同じ時期に次のような記事が目に飛び込んできました。
東京新聞の筆洗欄より引用します。
クリの形をした、「栗(くり)せんべい」というお菓子について、公正取引委員会から不当表示だとクレームがついたことがあったらしい。理由は「クリが入っていないのに入っていると思わせるから」▼冗談みたいな話だが、永六輔さんが自著『商人』に書いている。それを知って怒った永さん、当局に、例えばこんなふうにやり返したのだそうだ。「では、キリンビールにはキリンが入っているのか?…かっぱえびせんにはカッパは入っているのか?」▼以後の経緯は知らないが、ネットで確認した限りでは、今も「栗せんべい」は売られているようだ。キリンやカッパ同様、実際、このお菓子を買ってクリが入っていないと抗議する消費者はいまい▼ただ、商品一般となると話は別だ。入っていないものを入っているように思わせる表示は確かに許されない。逆に「入っていない」と表示しながら入っているのはもっとたちが悪いともいえる▼国民生活センターが、電気で煙のようなものが出る「電子たばこ」を調べたら、市販の半分近い銘柄で微量のニコチンが検出されたのだという。しかも、その大半は「ニコチンは含まれない」旨、表示していた▼薬事法にも触れるようだから問題だが、一念発起の禁煙でニコチン依存を断とうと、この商品にすがった人も多いらしいから罪深い。多分、煙(けむ)に巻かれたような心持ちだろう。
(東京新聞/筆洗 2010年8月20日)
本当なのかどうなのか良くわかりませんが、永六輔さんの自著での指摘なので、おそらく実際にそういうことがあったのでしょう。
確かに原材料には「栗」の記載はありません。
しかし、栗煎餅はこのようにきちんと原材料表示で明示してありますし、そもそも栗煎餅は栗の形をした煎餅だから栗煎餅なのであって公正取引委員会が目くじらをたてるほどのことではない筈です。
公正取引委員会はこんな指摘もするのですね。それを抗議に当局まで出向いた永さんも凄い。
身近にある様々なものの原材料を改めて見てみました。
瓦煎餅 | 小麦粉・砂糖・玉子・サラダ油・膨張剤 |
片栗粉 | 馬鈴薯でん粉 |
鯛焼き | 【皮】 小麦粉、鶏卵、麦芽水飴、砂糖、脱脂粉乳、重曹 【あん】 砂糖、北海道小豆、水飴 |
かにパン | 小麦粉、砂糖、マーガリン、果糖ぶどう糖液糖、イースト、ショートニング、脱脂粉乳、米粉、食塩、乳化剤、香料、(原材料の一部に大豆を含む) |
くずもち | 小麦澱粉、砂糖、黒蜜、糖みつ、水給、カラメル色素、きな粉(遺伝子組換大豆不使用) |
かっぱえびせん | 小麦でん粉, えび, 小麦粉, 砂糖, 食塩 |
キリンビール | 麦芽、ポップ、米、コーン、スターチ |
こんな事例はいくらでもありますね。
上に挙げた例は微笑ましい例として、それよりも、悪質な偽装食品をきちんと取り締まって欲しいものです。
公正取引委員会さん、ターゲットはたくさんありますよ(^^
例えば、回転寿司の真相と食品のカラクリ のような事例はいくらでもあります。
知らないでいることは恐ろしいのです。
まあ、最近は僧侶の偽装も多いことですし、美味しければいいのかな?
実に この世においては およそ怨みに報いるに怨みを以ってせば ついに怨みのやむことがない。
堪え忍ぶことによって 怨みはやむ。これは永遠の真理である。
怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は 怨みのないことによって静まるであろう。
怨みにつれて次々と現れることは ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は 怨みをつくらない。『ブッダの真理のことば 感興のことば』(中村元訳・岩波文庫)
釈尊のことばを伝える経典『ダンマパダ(法句経)』にある一句です。
終戦の日を迎え、この釈尊のことばが改めて心に沁みます。
句中の「ウラミ」という言葉には「怨み/恨み」両方の漢字が当てられます。
不平不満への「恨み」と違って、「怨み」には更に強く激しい人に対する感情が籠められています。
もしも戦いによって勝者には驕りが、敗者には怨みがもたらされるとすれば、そこからの離脱はかなり困難です。 戦後65年経った今でも完全なる解決がなされていないことからも判ります。
また、世界の恒久平和が人類共通の願いであっても、その共通であるはずの同じ目的を達することが如何に難しいかは、戦後65年間の間に世界各地でどれ程の戦争、紛争が起こっているかということを見ても明白です。
近代国家の多くは、巨大な軍事力を誇示することによって自らの安全を確保しています。
そして、自らの国・民族・宗教の安全を守り自らの平和を守るという大義名分の下、戦争、紛争が繰り返されてきました。
敵対を生み出す源は、自己中心のエゴイズムに他なりません。
私たちが自己中心的なエゴイズムを他人に押し付けるのと同じように、国家間、民族間でも自国・同胞の都合によって敵と味方という区別を作り出しているともいえます。
それゆえ、自国中心の国家エゴイズムから脱却すること無しに平和の実現は不可能でしょうし、ひいては自らの安全を守ることも出来ないでしょう。
戦後の日本は、確かに様々な問題を孕んいることは否めませんが、65年に亘り戦争、紛争を引き起こすことの無かった数少ない国です。 この事実は大きな意味を持ちます。 誇るべき事実です。
65年目の終戦の日にこそ釈尊の教えを改めて噛み締めたいものです。
日本では終戦の日となる今日は、大韓民国では光復節、朝鮮民主主義人民共和国では解放記念日でもあります。
戦渦により犠牲になったすべての方々に心より哀悼の意を表します。
広島原爆投下の日から65年目の原爆の日を迎えました。
一瞬のうちに人生を奪われてしまった多くの方々に、そして後遺症により亡くなられた多くの方々に心より哀悼の意を表します。
合掌
国連総長「大量破壊兵器ない世界を」広島原爆の日 広島市長「核廃絶の緊急性浸透」
広島は6日、65回目の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で開かれた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)には被爆者や遺族、菅直人首相ら5万5000人が参列した。国連事務総長や駐日米大使が初めて参列するなか、秋葉忠利広島市長は平和宣言で「核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めている」と強調した。
式典には昨年より15カ国多い過去最多の74カ国の代表が参列。潘基文(バン・キムン)国連事務総長のほか、ルース駐日米大使、英仏の臨時代理大使が出席した。国連事務総長と、核を保有する3カ国の代表の出席はいずれも初めて。
原爆が投下された午前8時15分には「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者全員が1分間の黙とうをささげた。慰霊碑にはこの1年間に死亡、または死亡が確認された5501人の名簿が奉納され、広島の原爆死没者は26万9446人となった。
秋葉市長は平和宣言で初めて広島弁を使い、悲劇を繰り返さないようにと願う被爆者の思いを表現。日本政府に対し「非核三原則の法制化と『核の傘』からの離脱を」と求めた。
潘事務総長はあいさつで、「式典に参加でき光栄。深い感動に包まれている」とし、「大量破壊兵器のない世界を目指す以外に、世界をより安全にするための分別ある道はない」と述べた。
(日本経済新聞2010/8/6)
テニアン島のノースフィールド飛行場エイブル滑走路から原爆を搭載したB-29エノラ・ゲイが飛び立ちました。 原爆が搭載された場所は、戦後しばらく土砂で埋められていたそうです。
その後アメリカ合衆国国定歴史的建造物(National Historic Landmark) として公開されるようになりました。
【広島に投下さ入れた原子爆弾・リトルボーイの経緯】
1945年 - 太平洋戦争中にアメリカが立ち上げたマンハッタン計画に基づき、アメリカ国内で製造。
7月16日 - サンフランシスコにて重巡洋艦インディアナポリスに積載され、日本本土への爆撃機の基地であるテニアン島へ向け出港。
7月25日 - トルーマン大統領、日本への原爆投下を決定。
7月26日 - テニアン島到着。
7月31日 - リトルボーイ組み立て完了。
8月5日 - 爆撃機への搭載完了。投下に用いられた爆撃機はB-29であり、機名はエノラ・ゲイと名付けられた。
8月6日午前8時15分(日本時間) - 広島県広島市の上空高度9,600mから投下され、細工町(現:広島市中区大手町)の島病院上空約600mで爆発した。(500mとも言われる)
焼失面積13,200,000m²、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらした。爆心地の近くにあった広島県産業奨励館は、現在原爆ドームとして世界遺産に登録されている。
(ウィキペデキア「リトルボーイ」より)
(アメリカからみた【原子爆弾&天皇統治権(Nuclear weapon)】第二次世界大戦)
65年前の8月6日、広島に投下されたリトルボーイの胴体には "First Message For Hirohito" 、長崎に投下されたファットマンの胴体には "Second Kiss For Hirohito" という文字が刻まれていました。
これこそが当時も現在もアメリカの原子爆弾に対する認識そのものなのでしょう。
テニアン島北部のノースフィールド・エイブル滑走路には50メートルほど離れて東側にリトルボーイ、西側にファットマンが搭載されたピットが当時そのままに残されています。
広島原爆搭載地(テニアン島)にてkameno撮影。
展示されている写真がエノラ・ゲイ。当初ビクターナンバー「12」が割当てられていました、その後特殊作戦機と悟られない様、通常爆撃戦隊「第6爆撃隊」を示す丸Rへと変更、ビクターナンバーも「82」となっています。何もかも極秘で進められたのです。
1990年代にはワシントンDCにあるスミソニアン航空宇宙博物館側にエノラ・ゲイと原爆被害や歴史的な記録を展示する計画が持ち上がりました。しかしアメリカの退役軍人団体を中心に猛烈な抗議があり、原爆被害や歴史的な記録に関する部分を全てカットして展示することで決着しています。
結局、現在も厳重な警備の元に戦争終結の目的で正義のために原子爆弾が使用されたという展示方法がなされています。
65回目の原爆の日に、国連事務総長、原爆を投下したアメリカからルース駐日大使、イギリス、フランスなど核保有国からの代表が初めて参加しての原爆死没者慰霊式・平和祈念式となりました。
First Message、Second Kissがどれほどの惨状をもたらしたのかを国外に広く伝えていく必要があります。
原子爆弾という兵器を世界から無くすためには、被爆国である日本の捉え方と、原子爆弾を投下した国の捉え方のギャップをまず埋めなければならないでしょう。
「未来の世代のために、私たちは核兵器のない世界の実現を目指し、今後も協力していかなければならない」(ルース大使のコメント)
今日の慰霊式、平和記念式典が核兵器廃絶へ向けてのさらなる一歩となりますことを心より願います。
永平寺に向かう道路の途中でこのような看板が新しく建てられていました。
この看板は永平寺大野道路の越坂峠トンネルを抜けて国道364号線との交差点にあります。
この看板を見て、一寸勿体無い感じがしました。
外国の方に向けて多言語で歓迎の言葉が書いてありますが、どれくらい外国の方に意味が伝わるのでしょうか。
先の講演会で、ルメー大岳老師は「アメリカでは『ZEN』という言葉は、あらゆる意味で洗練されたという意味で使われている非常に人気のある言葉と指摘しました。
僧籍を持つ長崎総合科学大学のブライアンバークガフニ教授も「Z」で始まる単語の持つ力強さ、その魅力を解説してくださいました。
(ロサンゼルス禅宗寺の禅太鼓・SOTO禅インターナショナル会報より)
折角の看板なのですから、外国の方が見てどの方向に導く看板なのか、そしてどこから歓迎しているのかが良くわかるように、漢字の「禅」だけではなく「ZEN」も入れるべきだよね!と話しながら永平寺へと向かいました。
夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれ次第に星の瞬きと区別がつかなくなります
沖縄旅行の帰路、羽田行きの便が悪天候のためかなり遅れました。
そのため、空港で2時間ほどの余裕が出来たため、滑走路を見渡すことの出来る瀬長島に行ってみました。
この島は那覇空港の南にある離島で、多くの旅客機がこの上空をかすめて通過していくことで有名です。
特に晴れた日には夕日と飛行機が行き交う景色を見ることができます。
滑走路への誘導灯をこの角度から見ることができるのは、瀬長島ならではかも知れません。
この誘導灯の直ぐ脇数十メートルの位置に野球場があります。
ホームランを打ったら飛行機に当たる・・・なんてこともありえそう。
冒頭のことばは、以前受験勉強をしながら、また仕事帰りが遅くなったときなどよく聴いていた日本航空提供の番組のナレーションです。
一日の疲れを癒してくれる番組でした。
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは、私 城達也でしたまた明日午前零時にお会いしましょう・・・
今は残念ながら城さんの生の声はもう聞くことが出来ません。
今年の春から初夏にかけて、天気・気温がめまぐるしく変化しました。
桜の季節に日照時間が少なく、気温が低めに推移したためにソメイヨシノの花を長い期間楽しめたりしましたが、生き物たちはちょっと戸惑ったのではないでしょうか。
そんな今年の春から初夏を貞昌院ライブカメラで振り返ってみます。
毎日夕方(3月は17時、4月以降は18時)に撮影された写真を1日あたり2秒でつなぎ合わせました。
同じ時刻でも様々な表情を見せていることがわかりますね。
石畳の脇、石灯籠の周囲に彼岸花が植えられています。
周囲の緑が色濃くなるに従って彼岸花が枯れていく様子にもご注目ください。
それぞれの生物がそれぞれのサイクルで日送りをしています。
貞昌院のライブカメラは10年間運用してきたものから、今年春に2代目のカメラに引き継ぎました。
初代のカメラで撮影した2006年から08年にかけての3年間の記録ムービーは、こちらにございます。
レンズがやや広角ですね。
ここでは「怠け者の日」があるんです
「怠け者の日」には、みんなただ「怠ける」のが決まりです
皆、頑張って「何もしないでいる」ことに全力を注ぎます
多くの人は「何かをする」ということが習慣化してしまって
それが「癖」になってしまっているんです
人々はやる事が無いと死んでしまう、と感じるほどです
みんないつも「行動中」です
いつも走り回っています
「止まる」機会がありません
2003年、フランス・プラムビレッジで行われたThay5日間のリトリート
「イスラエル人/パレスチナ人〜神の内に休む」
ティク・ナット・ハン師の法話より一部抜粋 (中島直人訳)
今日は月齢11。
オレンジ色の月がゆっくりと昇っていきました
最近、電柱と電線がやたらに目に入るようになりました。
かつでは、電力線と電話線だけだったのですが、そこにケーブルテレビ、光ファイバー、光テレビ、PHS、USENなどなど・・・・・
テレビ関連のケーブルは低い位置に太いケーブルがありますので特に目立ちます。
ざっと近所を廻って写真を撮ってきました。
改めて眺めると、酷い景観ですねぇ
欧米の街並みと日本の街並みを比較した時に、一番の違いは何かといえば、電柱と空を横切る電線の有る無しではないでしょうか。
欧米の主要都市では無電柱化が達成されているのに対して、日本における無電柱化率は大きく立ち遅れています。
グラフにしてみると一目瞭然です。
以前、都市計画の仕事に関っていたときには、無電柱化をいかに進めるかという議論をもとにマスタープランを策定したりしていました。
しかし、現状はその計画に逆行し、電線の数は多くなる一方です。
皮肉なことに、ケーブルテレビやインターネットテレビは、各家庭でのアンテナ設置を行なわないために、景観がスッキリとする、というのがメリットの一つとして挙げられています。
しかし、このように道路上にケーブルが増える要因となってしまうのであれば本末転倒です。
しかし、世界にはまだまだ上がありました。
ベトナムの電柱・電線がカオスすぎる件
ここまでくると、潔ささえ感じます。
今日の坐禅会から『修証義』を読みはじめました。
総序(第一章)の出だしは「生を明らめ、死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり…」です。
「生」とはどういうことか、「死」とはどういうことか、その真実をはっきり見極めるのが仏教者としての最も根本的問題であるのです。
このブログでは、何回かこのテーマについて考えてきました。
「死」についての考え方は、大まかに分けると次の三つの考え方があるようです。
(1)「死んだらそれでおしまい」という考え方。人が死んだらそれでお終い。御霊や魂といったものも残らないという世界観です。
(2)私たちのいのちは、大自然から生まれ、大宇宙という海ではねた一滴の水のようなもので、一瞬現れてすぐに大きな海に還っていくという考え方。
(3)身体は無くなっても、御霊(みたま)としてどこかに存在し続ける、という考え方。私たちは前世があり、今の人生があり、死後は、死後の世界に存在し続けて、いつか別の命として生まれ変るというものです。
どれが正解かは、自分自身がいざその場になってみないとわからないものでしょう。
生と死をどのように考えるのか、死とどのように向き合うのか、それは人間独自の行為かといえば、そうともいえないようです。
ニホンザルやチンパンジーでも「弔い」の行為をしているようだということが発表されました。
チンパンジーに弔い文化?西アフリカのギニアで、野生チンパンジーの母親が、死んだ赤ん坊を抱え続けミイラ化させる事例が3例確認されたとする研究結果を、京都大霊長類研究所(愛知県犬山市)などの国際チームがまとめ、27日付の米科学誌カレントバイオロジーに発表した。今回のような行動が群れに一貫して観察されたのは初めて。松沢哲郎所長は「死者を弔う気持ちも進化の産物。弔いの起源解明につながるかもしれない」と話している。
(共同通信 2010年4月27日)
私たちは自分以外の人の死をどう捕らえているのでしょうか。
特に身近な人を失った時の悲しみは筆舌しがたいものがあります。
私たちは一人では生きていくことが出来ない。他の人と何らかの関係性を持って生きています。
死によって、その関係性が断ち切られます。
「弔い」というのは、その関係性の変化を整理する行為といえるかもしれません。
「弔い」というのは「死者が死後の世界で安楽ならんこと」を願うばかりではなく、むしろ残された人のためのシステムなのでしょう。
冒頭の死の考え方のうち(1)「死んだらそれでおしまい」という考え方では、遺された者にとってあまりにも辛いものです。
死者が「死後の世界で安楽に住し、私たちを見守ってくれている」と考えることにより、遺されたものの心は和らぐことでしょう。
宗教や葬儀儀式は、そのようなことから起こったはずですし、「生と死をどのように明らめるか」にその大きな役割があるといえます。
お釈迦さまは、死後の世界について無記答とされました。
死後の世界をあれこれ邪推したり、霊の祟りで脅したりするのは、真の宗教とはいえないし、宗教者の態度ではありません。私たちはしっかりこの人生を生きればいいのです。
そしてしっかりと死ねばいい。そうあきらめるのが仏教の死生観です。
ただし、ここでいう「あきらめ」は「断念」ではなく、「明らめること」です。「生死」は思うがままになるものではないことをしっかりと見極めることが「明らめ」です。
生死のすがたは、そのまま仏の御いのちのすがたなのです。
このことを踏まえてチンパンジーの事例を見ると興味深いことがいくつか見えてきます。
"Chimpanzee mothers at Bossou, Guinea carry the mummified remains of their dead infants"
by Biro, D., Humle, T., Koops, K., Sousa, C., Hayashi, M., and Matsuzawa, T.西アフリカのギニアにあるボッソウ村周辺では、30年以上にわたって野生チンパンジーの調査が継続されている。村に近接した山にすむボッソウのチンパンジーの群れは、世界遺産のニンバ山からサバンナで隔てられ、20人前後という少数のメンバーで構成されてきた。本論文は、ボッソウの小さな群れで観察された、子どもの死に対するチンパンジーの母親の行動について、3つの事例を報告している。
1992年、2歳半の子ども(ジョクロ)が呼吸器系の病気で死亡した。数週間で死体は完全にミイラ化し、母親のジレは27日以上も子どもの死体を持ち運んだ。
2003年末の乾季には、ボッソウで呼吸器系の伝染病が流行した。5人のチンパンジーが死亡して、群れのメンバーは19人から14人に激減した。死亡したチンパンジーの中には、1歳のジマトと、2歳半のベベという2人の子どもが含まれていた。母親のジレとブアブアは、それぞれ68日と19日にわたって死んだ子どもの体を運びつづけた。3例とも母親は、つねに子どもの体を持ち運び、子どもの毛づくろいをし、体にたかるハエを追い払った。ハエを追うのに道具を使った例も2回観察された。このような母親の行動は、地面の上に放置した場合では数日内におこるであろう死体の腐乱を防ぎ、ミイラ化を促進した可能性がある。
群れの他のメンバーは年齢や性別に関係なく全員が、子どもの死体に触ったり、手足を持ち上げたり、においをかいだりという行動をみせた。日数がたつと、母親から離れた場所まで、子どもや若いチンパンジーが遊びの中で死体を持ち運ぶようにもなった(下記動画)。動画内の1例をのぞいて、死体への忌避的な行動は観察されなかった。特に死亡後数日は強い腐敗臭がただよい、見かけも生きているときとはまったく違ってしまうにもかかわらず、群れの他のメンバーは攻撃的な行動もせず、非常に寛容だった。
<中略>母親のジレやブアブアは、どこまで子どもが死んだことを「理解」していたのだろう。特に死亡直後では、死体がまだ生きた子どもであるかのように毛づくろいをする行動がみられた。だが、体がもう動かないということも母親は十分にわかっていたようだ。子どもの手足をつかんで引きずるように運んだり、肩と首の間に子どもの手足をはさんで背中にのせて運んだりという、子どもが生きているときには観察されなかった行動がみられた。ボッソウで子どもが死亡した3事例すべてで、母親が子どもの死体を運びつづけたということは、この行動がボッソウの群れの中では稀なものではなく、観察学習などで受け継がれている可能性もある。
(論文より一部抜粋。下線はkameno付記)
チンパンジーの母親が、子どもが生きているか、死んでいるのか、それを理解できていないということは無いようです。
人間に最も近いとされるチンパンジーが死についてどのように理解しているのか(本当のところは当のチンパンジーのみぞ知るといったところでしょうが)を解明することは、私たちの生死観、弔いの成り立ちを考察する上で重要な基礎資料となることでしょう。
最近は、都市部を中心に「葬儀を行なわずに死後直接火葬をしておしまい」とする直葬が増えているようです。さらには、遺骨を引き取ることなく産業廃棄物として処理されてしまう事例も少なくないそうです。
けれども「弔い」の儀式、葬儀だけはきちんと営んだほうはよい、いや、営むべきであるとつくづく思うのです。
昨日の朝日新聞一面トップ記事に次のようなものがありました
博物館?閉館の波 財政難 戦後初の減少
戦後増え続けてきた日本の博物館の数は自治体が設置を争った結果実に4千以上を数え、満足に展示すらできない館も出てきています。
このような日本の文化政策の貧困さ、そしてこの領域で起きている変化・きしみを追った記事です。
例えば熊本県天草市の市立「新和歴史民俗史料館」は、入り口はシャッターが下りたまま。
昨年度の入館者はなんとゼロだったそうです。
館内にはカビ臭さが漂い、市民から寄託された古文書や民俗史料など約3千点が無造作に置かれている状態です。
青森では、博物館の閉館で収蔵品が行き場を失っています。
旧清掃工場の管理棟の倉庫に「地蔵」「馬のくら」「絵馬」「柱時計」「石みたいなやつ」などと書かれた段ポールが放置されているのです。
今年度予算で廃校となった旧小学校を改築して「史料館」とするための設計費は計上できるかもしれない、けれども、管理運営の面から目処が立たないのです。
地方財政の悪化も博物館運営に影響を及ぼしています。
滋賀県では「絹本著色六道絵」などの国宝18点、重要文化財197点を収蔵・保管する琵琶湖文化館ですら廃止が決まりました。
地域に眠る「草の根」の文化財も7695点収容されており、国宝も含め収蔵品の行く先は決まっていないとのことです。
さらに追い討ちをかけたのが10年以上かけて行われた平成の大合併です。
合併した市町村のそれぞれが歴史系の博物館や史料館を持っていたるため、同様の博物館を複数抱えることとなります。
隣接地域であるがゆえに展示内容が似ており、統合や閉館の対象となりやすいのです。
同様のことは、横浜市でも起こっています。
先のブログ記事で、中学校の歴史史料が棄てられてしまった事例をご紹介いたしました。
地区ごとに保存展示されてきた史料は、横浜市に集約され、そこに1点ありさえすれば良い。市としては2点以上は収蔵しなくて良い、という考えがあるのであれば、地区毎の史料は蔑ろにされてしまうということになります。
これとは逆の好事例として新潟県上越市の「上越市総合博物館」が紹介されています。
上越市は05年に、旧上越市と13町村が合併して生まれた市です。
結果、4つの歴史民俗史料館が市総合博物館の所管となりました。
特に農具などのは似たようなものが大量に収蔵されています。「唐箕(とうみ)」だけで22台。民具だけで総数1万点以上。
そこで同博物館では07年から8年計画でこれらを再整理、データベース化を行ないました。
上越市総合博物館で07年に開催された企画展「頚城のくらし・米づくりの道具たち」
市内各地区の唐箕がずらりと並んだ。(朝日新聞2010/4/18より引用)
その成果の一つとして、「唐箕」を使われた地区ごとの共通性や細かな作りの違いなどから地区ごとの様々な生活文化を浮き彫りにできるようになり、企画展まで行なわれるようになりました。
「民俗史料について『どこにでもあるものだ』という人がいるが、捨てれば、昔の暮らしを語る史料は失われてしまう」
(同博物館・主任学芸員のことば)
まさにそのとおりだと思います。
元々、「史料を集め,建物を用意して展示すればそれでいい」という安易考えで造られた博物館であれば、その継続は難しくなります。
必要なことは、設置の際にどこまで館の社会的機能を吟味できるかということです。
一番の問題点は「資料館の学芸員育成を強化しなかったことによる資料館の形骸化」でしょう。
史料を集めただけでは資料館として機能しません。
学校設置の資料館であれば、授業の中で積極的に使っていったり地元住民と協働で行わなければ史料を生かすことはできません。
「立派なハコなんかなくても,熱心で優秀な学芸員が一人いるだけで博物館は大きく変わる」
(文化庁美術学芸課長のことば)
このことばが全てを結論付けているといえるでしょう。
熱心で優秀な学芸員、教員、担当者が、「一時的」ではなく「継続的」に配置される、そのような施策を取る必要がありそうです。
■関連ブログ記事
最終校正校了でご紹介した2つの本が発行されました。
どちらの本も、「街の歴史の再発見と次代への継承」を実践して、学校や寺社、市民が持っている写真を収集し、デジタルアーカイブ化して共有財産とすることの価値や、それを元に地域の人たちのつながりを広げる取組みの一貫となっています。
デジタルアーカイブの持つ価値とそれを活用した取組みについては こちらもご参照ください。
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『こうなんの歴史アルバム』
港南区誕生に至る歴史秘話 (明治・大正・昭和・平成)
変形A4版 96ペ?ジ 定価¥1000(予約価格 ¥900)
3月末発行予定
編集・発行 港南歴史協議会
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『未来につなぐ子どもの遊びヒアリング集』
?ここで遊んだ,笑った,おこられた?
A4版 36ペ?ジ 無償配布
3月末発行予定
編集・発行
港南の絵本をつくろう会/横浜市港南区区政推進課
この2冊の本が、一昨日、昨日と丁度同じ時期にそれぞれメディアで取り上げられました。
港南区の歴史たどる写真集発刊、郷土史愛好家らが1枚ずつデジタル化/横浜
(神奈川新聞・カナロコ 2010/4/16)
昔遊びのヒアリング集が完成・区民16人が取材に協力
(タウンニュース港南区版 2010/4/15)
また、来月はそれぞれの本を元にした「座談会」「お披露目会」が開催されます。
活字、写真をもとに、直接その場面に直面した方々と、世代、時代を越えた交流を行なえるような会合となると思います。
どちらも人数に限りがありますし、すぐに定員枠いっぱいになってしまうことが予想されます。
ご希望の方はお早めにお申込みください。
■「こうなんの昔を語る」座談会
5月29日午後2時より港南図書館にて
※どなたでも参加いただけます
○ 定員:50名( 往復はがきによる申し込み抽選制 :4月30日〆切)
宛先:港南図書館(〒234-0056 港南区野庭町125)
■「未来につなぐ子どもの遊びお披露目会と紙芝居会」
5月23日午後1時30分より 金井幼稚園ホールにて
※昔の遊びをお話を頂いた方、取材メンバー、関連団体、幼稚園児童、保護者を対象とします
○問合せ先・港南の絵本をつくろう会
(横浜市港南区港南台4-17-22港南台タウンカフェ内)
TEL 045-832-3855 FAX 045-832-3864
うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)とわが見む
原文: 宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見
(大伯皇女 巻2-165)
これは大伯皇女が、亡き弟、大津皇子に思いを馳せて詠んだ歌です。
明日からは、あの二上山を弟と思って眺ることにしよう・・・・大伯皇女の思いがひしひしと伝わってきます。
古来から、お彼岸の真西に沈む夕日の向こうはに西方浄土があるという信仰が生じたことも自然のことであったのでしょう。
舞台となった二上山に沈む本日の夕日をカシミールで作成してみました。
お彼岸の中日には、大和高田市から見ると、ちょうど二上山雄岳、雌岳の間に落日します。
この美しい光景は、万葉の時代から現代まで変わることなく「うつそみ」(此の世)と彼岸の世界を結ぶ光景として捉えられてきました。
五木寛之さんは、二上山を「生の世界と死の世界をわける結界」と表現しました。
「二上山のかなたに沈む夕日をながめれば、きっと理屈でない浄土がわかるだろう」『親鸞』(五木寛之著)
信仰は理屈ではありません。
彼岸(ひがん)は、、現世=比岸(しがん)に対し、向こう岸という意味です。
苦悩と煩悩から離れ、寂静の世界である彼岸は、西方浄土(西方のはるか彼方)にあると考えられました。
このことから、太陽が真西に沈む春分と秋分の日には、現世と極楽浄土が最も近くなるとされたと考えられます。
お彼岸はご先祖様のいらっしゃる世界と交流ができる期間とされ、先祖供養する習わしとして定着しました。
曹洞宗では極楽浄土という考えは用いませんが、お彼岸にお墓参りをする習慣は、この思想に基づいているといえます。
今日はお彼岸の中日。
お墓参りをされるかたも多いと思います。
日本に伝わるお彼岸の伝統を感じながら、ご先祖様、亡き方に思いを馳せながらお参りいただければと存じます。
春分の日の今日、教区2か寺の彼岸会法要に随喜させていただきました。
その帰路、舞岡公園でダイヤモンド富士を眺めることができました。(ジャストタイミング!)
昼間は吹き荒れた強風のため黄砂で空が霞んでおりましたが、夕方には嘘のように晴れ上がり、富士山のシルエットがクッキリと写しだされました。
2010/3/21 17:41 横浜薬科大図書館棟(旧ドリームランド・エンパイアホテル)が見えます
死亡:8万3793人 、負傷者:4万918人、被災者:100万8005人、被災家屋:26万8358という膨大な被害をもたらしたアメリカ軍B-29による無差別空襲、東京大空襲の日を迎えます。
東京大空襲は9日の夜から10日にかけて継続的に行なわれました。
3月10日(水)の11時、13時、15時からそれぞれ20分づつ、戦災資料センター2階会議室で八木健一・ゆみ子夫妻によるハープとシンセサイザーによる演奏があります。
今年もまたあの日が巡ってきました。
私の父は東京下町が一夜にして焦土と化した昭和20年3月9日の夜、家族四人と東京深川区で東京大空襲を罹災し、四人の肉親を失いました。
父は生前空襲については、黙して何も語りませんでしたが、毎年3月10日には決って東京大空襲戦災資料センターを訪れていました。
今から思うと、肉親の命日にこの地を訪れるのが父にとっての墓参りだったのでしょう。
・・・・(中略)・・・
かねてより準備しておりましたCDもやっと完成しましたが、鎮魂と平和を願って3月10日に北砂の戦災資料センター2階の会議室で演奏させていただくことになりました。当日は、その場に集われた皆さんが、少しでも安らかな気持ちになれるように、心を込めて演奏したいと思っています。
(八木健一・ゆみ子)
犠牲となった多くの方々に対し心より哀悼の意を表します。
■追記
讀賣新聞で演奏会の様子が報道されました。
東京大空襲、肉親失った父への思いハープに東京大空襲から65年となる10日、約10万人に上るとされる犠牲者の追悼行事が都内各地で開かれ、江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」では、4人の肉親を失った父の思いを継ごうと、ハープ奏者の八木健一さん(53)(神奈川県藤沢市)が、鎮魂と平和への願いを込めたオリジナル曲を演奏した。
八木さんの父、康二さんは江東区内で大空襲に遭い、逃げる途中で、はぐれた母と弟2人は行方不明になり、5歳の弟も康二さんの背中で息絶えた。康二さんは、この時のことを多くを語らないまま2006年3月に死去したが、遺品からは大空襲の様子を記した便せんが見つかった。
八木さんは、「修羅地獄」「恐怖のどん底」などと書かれた言葉に父の無念さを感じ、妻とともに大空襲をテーマにした「寒い夜に」「祈り・光へ(鎮魂)」の2曲を作曲。この日は、「被災者が少なくなる中、空襲の悲惨さを音楽で次世代に伝えたい」という思いで演奏した。
2人の姉の追悼に訪れた和歌山市の家崎満大さん(82)は「一番上の姉の遺体が見つからず、ずっと心につかえていた。演奏を聴いて少し気が楽になりました」と涙を流していた。
(2010年3月10日 読売新聞)
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檀家のOさんより永谷川氾濫の写真をいただきました。
場所は中永谷交差点。
撮影日時は1982(昭和57)年9月12日、昼前。
台風18号のもたらした集中豪雨により、丸山方面から流れ込んだ雨水が馬洗橋付近の護岸を崩し、永谷川が堰止められた形となり溢れた水が県道を覆いました。
上永谷駅の開業は昭和51年、これに前後して丸山の山々が造成され降雨はそのまま流出するようになり、丸山台の各所に遊水地が造られたものの、このような出水は毎年のように起こっていた記憶があります。
この後、環状2号線が整備され、永谷川は道路上下線の真中に拡張移設されたため、このような洪水ほとんど起こらなくなりました。
永谷川は戦前からも度々氾濫を起こしていました。
川沿いにお住まいの駄菓子屋さんから永谷川にまつわる聞き取りをした際に、下記のようなお話をいただきました。
私が子どものころ(昭和10年代)、永野小学校にはプールが無かったので、永谷川で泳いだ。
柳橋に堰があったため、貞昌院から柳橋に掛けて泳げるほどの幅と深さがあって、魚もかなりいた。
今の永野幼稚園のあたりには水車もあった。
下流の堰は、一年に一度、川底の泥を流すため開けたので、その時は特に魚を捕るチャンス。
川にはハヤ、フナ、カニ、ヤツメウナギ、ドジョウなどがいて、とにかくたくさん捕れた。
みんな網なんか持って居なかったので、ざるを持っていって夢中で捕った。
川の周囲には蓮池もあったりして、蛍もたくさんいた。昔は家にサッシもクーラーもないので夜は開けっ放し。家の中に蛍がよく舞い込んできた。
カブトムシとかクワガタは、何処にでもいるので、わざわざ捕りにいった覚えは無い。木を見ればいっぱい居たから。
その永谷川は大雨が降るたびに溢れたので、そのたびに畳を上げて水害に備えた。
このころから、昭和50年代にかけて永谷川は毎年のように溢れていたのです。
以前、ブログ記事で昭和初期上永谷の絵地図(『天神さまと上永谷』・発行・永谷天満宮氏子会・平成元年3月17日発行に掲載)を御紹介したことがあります。
現在は白鷺や翡翠も飛来する穏やかな川になりました。
これらは港南区内のある中学校の歴史史料室に保存展示されていた(過去形)地域文化財の写真です。
(港南歴史協議会により撮影されたものです)
パイスケ、竹駕籠、石臼、壷、枡などの民具や、ジェラ?ド瓦の鋳型、その他ここには写っていませんが筵編機、縄撚り機なども展示されていました。
しかし、校舎改修工事のため、資料館が無くなることとなりました。
本来ならば市で予算化して近くの別の場所へ移転するべきでしょうが、財政難のためそれも叶わないという市側の回答により、それではその史料をどのようにするのかを歴史協議会で検討していました。
今月15日には歴史協議会の皆さんが史料室へ行き、展示物を選別し、何処に保存するべきかを具体的に決める作業を進めていました。
もしも受け入れ先が見つからなかった場合、貞昌院でも一時的にでも保管することも具体的に考えていたところです。
・・・・ところが、そんな矢先、何時の間にかその史料が粗大ゴミとして処理されてしまっていたことが判りました。
冒頭の写真の展示物はゴミとなってしまい、もう有りません。
横浜市、区役所と学校の連携が図られていれば、そして学校側の郷土文化財への理解と対応がもう少しあれば、このような扱いにはならなかったはずで、その点が残念です。
さらに残念なことは、地域文化財を粗大ゴミのコンテナに詰める作業を、学校が生徒に行なわせたらしいといういこと。
これでは郷土愛を育む地域の歴史教育の観点から大きくマイナスとなりますし、文化財の大切さを教えるということからも逆行してしまいます。
地域文化財への理解と大切さを伝えるために、さらなる啓蒙活動が必要になりそうです。
追記
ジェラ?ド瓦の鋳型だけは、間一髪事前に別の場所に移すことができたため無事だったようです。
それがせめてもの救いでした。
■さらに追記
タウンニュース港南区版(2010/3/18)に掲載されました
学習環境整備の犠牲に 歴史資料を廃棄 笹下中は苦渋の決断
笹下中学校(小新(こしん)幸康校長)の郷土資料室に保管されていた古民具の一部が2月19日、来年度から普通教室に転用することを受けて廃棄された。これらは地域から寄贈されたものだが、教室数が限られるなかで学習環境の整備を優先した学校の決断だった。一部の歴史研究団体は懸念を表明するが、歴史資料の管理は学校に一任されている現状も浮き彫りとなった。
同中ではこれまで、通常の学級では学習困難な生徒を保健室で受け入れてきた。しかし、本来の使用目的とは異なることや、生徒の安定した生活の確保という観点から、専用の教室が必要と判断。郷土資料室を「特別支援教育」の教室として転用することを決めた。
これに先立って同中は、農機具など約80点の歴史資料の元所有者で、連絡先の分かる人に了解を得た。さらに近隣の町内会長にも相談し、処理については学校が判断することが決まった。その上で、同様の資料室を持つ区内の小学校に呼びかけ、歴史資料の一部が3校に引き取られた。しかし、引き取り手の見つからなかったものは、教室移転の日程上、学校がリミットに定めた2月19日に廃棄された。この際、資料室から運び出す作業を学校は生徒に手伝わせたという。同様の資料室があるのは横浜市内でも一部の市立小中学校に限られる。その歴史資料は学校周辺地域から提供されたものが多く、郷土史を知る上で貴重な財産である一方、保存に注意を要する。しかし、市が管理に関するガイドライン等を定めることはなく、学校に任されているのが現状だ。
小新校長は「地域のご好意があって完成した資料室。残したい気持ちは当然あった」と話す。しかし次年度以降は生徒数増加が見込まれ、「更に3つの教室を新設しなければならない状況」と、郷土資料室の継続は困難であった現実を明かす。同中の郷土資料室に展示されていた石臼、枡、筵(むしろ)織り機など古民具や農機具は約80点。これは、かつて農村地帯だった笹下地域の宅地開発が進んでいたことから昭和50年ごろ、農村文化を後世に伝えようと当時社会科の教諭だった馬場久雄さんが中心となり地域から収集したものだという。
現在は、区の郷土史を調べて地域に発信する活動を行う港南歴史協議会で会長を務める馬場さんは、「生徒の学ぶ環境を整えることは大切だが、郷土文化を守る点では大きなマイナス」と残念がる。また、他の会員は生徒が廃棄作業に携わったことについて、「文化財を大切にするという点で配慮に欠けている」と指摘する。
馬場さんは、「区に歴史資料を一括で管理する施設があれば別の結果になったかもしれない」とし、「地道な活動を通じて多くの人に郷土史への理解を深めてもらい、保存に対する意識を高めたい」と話していた。
鶴見大学附属中学高等学校に祀られている観音様があります。
今日の記事はこの「モロカイ観音」にまつわるお話です。
■モロカイ島カラウパパについて
モロカイ観音の「モロカイ」とは、ハワイ八島の1島のことで、オアフ島の東にあります。
18世紀に後半にキャプテン・クックがハワイ群島を発見し、サンドウィッチ群島と名づけるまでは、近世的文明に接することのないのんびりした島だったことでしょう。
以来、西欧人、そして東洋人たちがこの島に移住しました。
文明と共に様々なものをもたらし、不幸な事に、その中にハンセン病(当時はらい病と表現していた)が含まれており、瞬く間に蔓延してしまいます。
政府は、モロカイ島北部にあるカラウパパ地区が下の地図にみられるように断崖絶壁に囲まれた陸の孤島となっていることに眼をつけ、1865年に「ハンセン病蔓延予防法」を制定し患者の隔離政策を取ります。
当時、ハンセン病は感染したら最後、決して治ることのない恐ろしい病気であると考えられていたのです。1866年、最初の船で12人が沖に降ろされたのを最初に、約100年後にようやくハワイ州法が廃止されるまでの間に8000人もの人々がこの地に送られました。
一度この施設に入ったものは、再び社会に戻ることは決して許されることなく、ただただ死を待つのみの日送りでした。
医療施設もありましたが決して充分ではなく、また満足な物資の供給もされませんでした。
当時の患者は人間としての希望を失い、社会を呪い、法律を呪い、あらゆる道徳や宗教を否定したといいます。
聖職者の中には、彼らを救うことを試みカラウパパに赴いたものも少なからずありました。
しかし、聖職者たちはそっぽを向かれたのみならず、あらゆる手段で侮辱され罵倒され、撃退されてしまいます。
信仰が根付くことはありませんでした。
■ダミアン神父の生涯
そのような中、ベルギー出身のダミアン神父(1840-1889)は、カラウパパの不幸を知ると、真っ先にその地への赴任を希望します。
何人もの聖職者が退散してしまう状況を目の当たりにしてきた長老たちの中には、彼の志願を冷ややかに却けたり、絶対に無理だからと説得させようとする者もおりましたが、情熱がそれに勝ったのでしょう。
1873年、彼は1つの十字架と1冊の聖書のみを身につけ、単身カラウパパの地に渡りました。
カラウパパの人々から筆舌を絶する冷遇を受けたのは言うまでもないでしょう。
しかし、ダミアン神父はただ黙々と祈り、ただ黙々と奉仕の仕事をする日を送りました。
病人を尋ね、皮膚の膿を吸い出したり、薬を塗ったり、包帯の交換をしたり・・・・それに加えて生活のための水汲み、薪割り、家屋の修理、畑の手伝いなど一つひとつの仕事を淡々とこなしていきました。死者が出れば棺桶をつくり、埋葬をしました。
そのような月日が十数年経過したとき、ダミアン神父自身もハンセン病を発症してしまったことに気づきます。
この発症は、ある意味不幸なことであったかもしれませんが、カラウパパの施設に暮らす人たちとの心の垣根を払拭するきっかけにもなりました。
ダミアン神父はこれまで以上に真摯に聖職者としての道を突き進みました。
1889年、ついにダミアン神父は49歳の生涯を閉じます。遺体は彼が初めてカラウパパに赴いた際に野宿していた木の下に葬られました。
その間、ダミアン神父の行いはハワイのみならず全世界に知れ渡ることとなり、施設の改良や救援物資はこれまで以上に届くようになりました。
何よりも、隔離されていたハンセン病患者たちが人間らしさや、信仰を取り戻すきっかけとなった下地がダミアン神父により築かれたということは言うまでもありません。
■モロカイ観音の機縁
1929(昭和4)年、鶴見大学附属中学高等学校(当時は鶴見高等女学校)の2代校長・三沢智雄師が、ダミアン神父の伝記を読み感激し、ぜひとも墓参をしたいという思いでモロカイ島を訪れました。
当時モロカイ島には曹洞宗の海外寺院として弘誓寺がありました。
弘誓寺の住職、大内素俊老師は日本人入植者への布教の合間に月何回か、断崖の道なき道を通ってカラウパパへ通っておりました。
上の地形図のとおり、断崖絶壁を下ってカラウパパに通うことは並大抵のことではなかったことが判ります。当然、空港など当時はありません。
恐ろしい伝染病とされていた隔離施設でありましたから、そのような物理的にも精神的にも距離のある場所へ定期的に通われていた大内老師の菩薩行には頭の下がる思いがします。
また、ダミアン神父の下地があったからこそ、仏教者も受け入れられたということも見逃してはなりません。
三沢校長は大内老師を通して病院長に療養施設を案内いただき、ダミアン神父の墓参も無事成し遂げることができました。
この施設には当時50名の日本人もおり、しばしの交流の場を持つことができました。
再び踏むことができない祖国の地の情報はどれだけ彼らに希望を与えたことでしょう。
別れの際に、患者たちから新築したばかりの日本人クラブの建物に安置する観音像を是非斡旋して欲しいと切望されます。
「私にふさわしいお手伝いだから、喜んでお引き受けします」と三沢校長は約束し、同胞たちに別れを告げました。
■観音像カウアイ島へ渡る
三沢校長帰国後、カラウパパに観音像を贈るという話に多くの人々が賛同し、大乗女子青年会(卒業生たちが組織している仏教団体)が中心となり、「絶海の孤島で観音さまの光を求める同胞たちのために」と募金を呼びかけました。
観音像の仏師として、吉祥寺の岩本老師そして大円寺の服部老師を通して高村光雲の弟子山本瑞雲先生が紹介されました。
山本瑞雲先生はいきさつを聞くと大変喜び、また大乗女子青年会の運動に感激し、「この彼岸には観音経を写したり、朝夕何巻読んだか知れない。その功徳だろうか、このような尊い仕事を持ってきてくれて感激に堪えない。お金の心配をしているようだが、そんな心配はいりませんよ。制作費も材料費も要らない・・・・」と、直ぐ制作にとりかかる約束をされました。
まもなく観音像が完成し、中根初代校長導師により開眼供養が厳修されました。
観音像は浅間丸によりハワイに運ばれ、モロカイ島へ渡ったのでした。
施設に暮らす日系人たちはどれだけ喜んだことでしょう。どれだけ精神的支柱となり救いをもたらしたことでしょう。
■ダミアン神父祖国へ
ダミアン神父の遺体は前述のように当初カラウパパ・カラワイの木の下に埋葬されておりましたが、1930 年代になり、神父を「ベルギーの英雄」として祖国へという世論がベルギーで高まり、1936 年に棺が掘り出されアメリカ海軍からベルギー海軍へと引き継がれ故郷へ戻りました。
ベルギー国旗に覆われた柩がホノルル港を出る時にはアメリカ海軍は礼砲をもって送り、ベルギーに着いた時は、国王レオポルド13世が親しく出迎え、国葬をもって遇せられたそうです。
現在、ダミアン神父は故郷のルーヴェンに葬られています。
(本当はカラウパパの地で静かに眠っていたかったんじゃないかと少し思ったりします)
■モロカイ観音は日本へ
モロカイ弘誓寺からハンセン病施設への訪問は第3代西澤宏山老師、第4代森田宏悦老師の代になっても続けられており、弘誓寺を通して鶴見から渡ったモロカイ観音が変わりなく施設の中で信仰の対象となっている様子が日本に伝わっていきました。
この後、太平洋戦争の時代を迎えてしまいますが、観音像は絶海の孤島にあったこともあり、戦中戦後を通して施設の友となり、変らぬ微笑を湛え続けたことは奇跡とも言えるかもしれません。
・・・時代は下り、ハワイ州法が廃止され役割を終えたモロカイ観音は、1997(平成9)年、鶴見大学附属中学高等学校に戻され安置されることとなりました。
モロカイに渡ってから大戦を経て実に60年近くが経過しています。
カラウパパの地において多くの日系人ハンセン病患者のこころの支えとなったモロカイ観音は、日本に帰ってきてからも様々なことを私たちに教えてくださっています。
(追記)
日本のハンセン病施設は、このハワイ型の隔離政策の方式を導入しました。
そのために、数多くのハンセン病患者は強制的に施設に収容され、施設外に出ることが許されず一生を終えるという非人道的なことが行なわれました。
歴史的に差別・偏見の対象となった病気であり、かつての日本のハンセン病政策においても大きな問題が残されています。
SOTO禅インターナショナル会報38号、39号、40号に関連記事 ハワイ発「モロカイ島カラウパパ半島訪問記(1)(2)(3)が掲載されています。
補足ハンセン病とは、1873年にノルウェーのハンセンが発見したらい菌によって、主に皮膚や抹消神経が侵される感染症の一つである。この菌の毒力はごく弱く、感染しても発病することはきわめてまれであり、1943年のプロミンに始まる化学療法の効果によって、確実に治癒するようになった。現在では、いくつかの薬剤を組み合わせた多剤併用療法(Multidrug therapy,略してMDT)が広く行われている。
化学療法がなかったころは、この病気は、らいあるいはらい病といわれ、不治の病と考えられていた一方、顔面や手足などの後遺症がときには目立つことから、恐ろしい伝染病のように受けとめられてきた。そのために、わが国はらい予防法によって、すべての患者を終生療養所に隔離するという厳しい対策をとった。現存する療養所には、国立13ヶ所、私立2カ所の計15ヶ所があり、入所者は5,500名(1995年末現在)ほどである。そのほとんどは、すでに軽快治癒しているが、老齢(1995年末の平均年齢は71歳)である上に、後遺症による重い身体障害を合併するとか、あるいは長期間社会から隔離されていたなどして、復帰の可能性は絶無といってよい。
世界のハンセン病は、発展途上国においてなお数百万人ともいわれるが、わが国に限っては年間に10名以下しか発生していない。このように、わが国からハンセン病患者が激減したのは、患者の隔離が効を奏したというよりも、社会の生活環境や個人の栄養状態などが著しく向上した結果である。ゆえに、隔離を決めた「らい予防法」は、まったく無用な法律として1996年4月に廃止された。
これからのハンセン病は、一般の医療機関において治癒されることになり、ふつうの病気として扱われる。それでも、古くからのハンセン病に対する誤った考え(偏見)が、社会からまったく消えたわけではない。正しい知識を早急に広める必要がある。
(『全療協ニュース』1996年より引用)
貞昌院のウェブサイトでは、ライブカメラ画像を2000年8月より配信しております。
もう10年にもなります。
システムの概略は、自宅サーバーに接続したusbカメラから送信されてくる画像を定期的に蓄積する事により、リアルタイムの画像と、過去の画像を自由に閲覧する事ができるようにしているというものです。
それが、ここ数日多少気まぐれな挙動を見せるようになりました。
まるで、某イラストレーターのような画風です。
画像処理でポスタリゼーションをかけたような感じですが、単なる画像信号の劣化でしょう。
このカメラは、いわゆるトイカメラと呼ばれるものを簡単な雨よけをつけているとはいえ、野ざらしで(無謀!)設置しています。
10年間健気に画像を送ってくださったカメラが最近生み出す気まぐれ画像は、かえって人間くさささえ感じます。
何かのメッセージを含んでいるのかもしれませんね。
ということで、ライブカメラ画像は時々このようになりますが、暖かく見守ってあげてくださいませ。
追記
一度取り外して、分解掃除をし、USB端子とともにピカピカに磨き上げてみました。
結果、何事も無かったかのように復活。
さすが メイド・イン・ジャパン!
運用10年超えも、何だかイケそうな気がする?♪
今はこのような質素で頑丈なカメラって無いんですよね?
■関連ブログ記事
阪神大震災発生から15年目を迎えました。
犠牲となられた6434人の方に心より哀悼の意を捧げます。
震災の記憶を失うことなく、その原点を確認し、今後の震災対策を充分に行なうことが大切でしょう。
日本のみならず、世界各地でも毎年のように大震災が発生しています。
何時何処で発生しても不思議ではありません。
先日大地震に見舞われた中米・ハイチではようやく各国の救援活動が本格化し始めました。
日本からの医療チームもまもなく現地入りするそうです。
しかし首都直下を襲った地震により建物、交通インフラに大きな被害が出たため、救援活動は難航しています。
治安悪化も大きな問題です。
犠牲となられた方には弔意を表します。被災された方々には一日も早い復興を願い、救援活動が効果的に進みますことを祈念いたします。
日本を振り返ると、防災関連の予算が大幅に削減されつつあるということが懸念されます。
その一例として公立学校の耐震工事予算では、中国・四川大地震の際に小中学校で大きな被害が出たことから、文部科学省は2008年に各自治体に学校の耐震診断結果の公表を義務化し、耐震への補助金の割合を引き上げていました。学校施設の耐震化率は2009年4月現在で67%。これから工事が必要な学校施設は実に約2万5000棟にも上ります。
しかし、昨年、政権交代が行なわれ、2010年度に着工予定であった公立小中学校5000棟の耐震化工事関連予算が大幅に削減されてしまいました。
とても残念なことです。
公立小中学校など2800棟、耐震化工事先送り 来年度 高校無償化で予算削減大地震で倒壊の恐れがあるとして、全国の自治体が来年度中に着工予定だった公立小中学校など約5000棟の耐震化工事について、文部科学省の関連予算が約63%削減されたことがわかった。
2800棟に相当する規模という。学校の耐震化は国が最大3分の2を補助してきたが、鳩山政権が掲げた「高校授業料の実質無償化」で約3933億円の予算が必要となり、しわ寄せを受ける形になった。
(2009年12月28日 読売新聞)
小中学校の耐震化工事は、子どもたちの安全を守ると同時に、地域の防災拠点の確保としても重要な意味があります。
是非、現政権にはこのような予算の割振りの根本的な考えを見直していただきたいものです。
各市町村には学校や公園などに一時避難場所、広域避難場所、避難所が定められています。
一時避難場所は一時的に集合する場所、広域避難場所は地域住民の避難場所。避難所は、家を失ったり、二次災害の恐れのある人々が一時的に避難・宿泊する施設です。
ところが、殿避難場所は地域住民全員分の容量があるわけでなく、阪神大震災では、応急の避難所となった学校などに収容できたのは、被災者の僅か12%程度であったといいます。
残りの9割弱は電気、水道、ガス、電話のインフラがストップした自宅内や車、公園、グラウンドで生活をしなければなりませんでした。
問題となるのは大災害時の避難場所の収容能力です。
どの市町村も概ね十数%程度しかないのです。
従って、各自宅での対策が最低限必要となりますし、そして公立小中学校の建物は避難所として重要な役割を果たします。
同様に、公共の避難所以外にも寺社のような場所が果たすべき役割も大きいともいえます。
阪神淡路大震災から12年の記事中で、阪神・淡路大震災ボランティア緊急救援活動の軌跡として、いかに寺院、僧侶が緊急救援活動にかかわったかをまとめています。
このように神社・仏閣は歴史的・文化財的な価値が高いだけでなく、被災時には地域の拠点として避難所の役割も期待されます。
それゆえ、社寺建築の地震対策が急がれます。
公立学校の耐震対策が国や市町村の重要な事業であるならば、寺社の耐震対策は寺院、神社の重要な事業であります。
しかしながら、寺社の建築物には耐震に対する配慮が必要とはいえ、なかなか簡単には行きません。
既存建築物に免震工法を後から付加するにしても、現在の建築物を一度持ち上げるなど大掛かりとなり、費用の面でも莫大な資金が必要となります。
これまでの事例から、倒壊した寺社のうち、瓦葺、古い木造構造の建物が多いということが判りました。
寺社は屋根重量が構造に対して過剰に大きいという木造伝統工法の顕著な例であるため、揺れによる被害をまともに受けやすいのです。
耐震対策の際の構造計算も困難です。
木造住宅の耐震検討に適用される「壁量規定」、すなわち筋交、耐震用合板などを建物の規定割合以上に設置するということが必要となるわけですが、寺院、特に本堂では規定量の壁を設けることが難しいことがあります。
そこで、近年は構造計算自体を、構造それぞれの変形能力、地震エネルギーの吸収能力を評価し、最大変形がどの程度なのかを評価する「限界耐力計算」による評価が行なわれるようになってきました。
その中で、限られた予算の中で効果的な耐震工事はどうあるべきかを建築物ごとに評価し、対処療法的に行なっていくことが現実的で最も効果的な対策であるかと思います。
地震災害に強い構造物があって初めて地域の防災拠点となりうるということであり、併せて定期的に防災訓練を行い、日常から災害時の対策を整える ということが大切なことといえましょう。
阪神・淡路大震災ボランティア緊急救援活動の軌跡よろずかわら版縮刷版 (SVA(曹洞宗国際ボランティア会=当時)神戸事務所)
阪神・淡路大震災フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪神・淡路大震災に関するデータベース
新聞、テレビなどでは今年の総括として「十大ニュース」などがまとめられています。
それぞれの分野、視点から今年に起こった様々なできごと10個ピックアップして並べられているのを見るに付け、今年も様々なことがあったことを実感いたします。
そこで、折角毎日ブログ記事を書いていますので、この一年のブログ記事から、十大ニュース風にピックアップしてみました。
できごと | 関連ブログ記事 | ||
1 | 正力松太郎賞受賞(ゆめ観音実行委員会) | 記事1 記事2 | 10年間のゆめ観音活動が認められての受賞です |
2 | 貞昌院の植樹行動が横浜市長表彰を受賞 | 記事 | 皇太子殿下ご臨席の元での授賞式でした |
3 | 関東ICT推進NPO連絡協議会記念フォーラム | 記事1 記事2 | デジタルアーカイブの大切さを改めて認識したフォーラムでした |
4 | モンゴルへ植林支援(SZI) | 記事1 記事2 | 近くて遠い国モンゴル。学びの多い旅行でした |
5 | シルクロードの響きコンサート | 記事1 記事2 | ステージを作り上げるという貴重な経験をさせていただきました |
6 | ダイヤモンド富士の写真が新聞掲載 | 記事 | 幻想的な日の入りの光景は忘れられません |
7 | 貞昌院にゲル構築・平和の火採火合宿 | 記事1 記事2 | 平和を願い平和の火のご縁で多くの仲間が集まりました |
8 | 歴史カフェ・サイエンスカフェ | 記事1 記事2他 | 今年も多くの学びとつながりが広がりました |
9 | 国際坐禅会・映画「禅」上映会・foodex Japan | 記事1 記事2 | [ZEN]は世界共通のキーワードとなっています |
10 | ゲストハウス、浅草にオープン | 記事 | 外国の方が日本で暮らしやすい場を |
個人的にもお寺にも様々なことがあった一年でした。
多くの方々と共に行なった事業もあります。
ここに挙げきれなかったものも含め一つ一つが大切な思い出であり、学びでもありました。
これをバネに来年に繋げていきたいと思います。
今年一年間お世話になりました皆さまに心より感謝申し上げます。
来年も宜しくお願い致します。
合掌
旧来から伝えられる「○○十訓」の中に「処世十訓」というものがあります。
原典はよくわかりませんが、明治時代以降に流布したものではないでしょうか。
調べてみると、様々なパターンがあることが判ります。
よく見られるものはだいたい次のようなものです。
処世十訓
・強く正しく にこやかに
(強く正しく 健やかに)
・ 上見て進め 下見て暮らせ
・ 真剣の前に不能なし
・ 論で負けても行で勝て
・ 長所と交われば悪友なし
・ 話上手より聞き上手
・ 己に克つて人には譲れ
・ 急ぐな休むな怠るな
(安心するな心配するな)
・ 向上の一路に終点なし
・ 仲よく働け 笑って暮せ
この「処世十訓」は、先代(貞昌院29世)徳翁寛量大和尚が書に好んで用いたものでもあります。
永野小学校の校長を永く勤めておりましたので、訓示として児童たちにも示していたのではないかと推測します。
また、境内の客殿玄関前にはこの「処世十訓」を刻んだ石碑が置かれています。
徳翁寛量大和尚による「処世十訓」は次の通りです。
「處世十訓」
一、強く、正しく、美しく
ニ、上見て進め、下見て暮らせ
三、真剣の前に不能なし
四、話上手より聞き上手
五、論で負けても行で勝て
六、健康こそ最高の幸福
七、己に克て、人には譲れ
八、急ぐな休むな怠るな
九、向上の一路に終点なし
十、仲よく働け、笑って暮らせ
徳峯寛量大和尚が遷化されたのが昭和58年12月27日。
本日忍光忌法要が営まれます。
先代住職を偲ぶものとして、80歳の時に揮毫された「處世十訓」を、地元の捺染工場にお願いして布地にプリントしていただきました。
港南区には、昭和初期より大岡川沿いに地場産業として捺染が栄えました。
一時期は川に布を晒す光景があちこちに見られたようです。
現在まで残っている捺染工場は数少なくなりましたが、技術を伝承する貴重な工場として何時までも存続して欲しいものです。
11月22日の朝日新聞に南米ペルー慈恩寺の記事が掲載されていました。
まず最初に慈恩寺のアウトラインを。
慈恩寺は、ペルーの首都であり最大の都市、リマから南へ約150キロも離れた海岸沿いに位置します。当時の日本からは、ほとんどこの地に入植したのです。
1903年、曹洞宗僧侶 上野泰庵師が管長辞令で渡航。1907年、カニエテ郡サンタバルバラに南漸寺を建立、翌年、両大本山貫首によって慈恩寺と改称されました。
慈恩寺は、1925年、同郡内サン・ルイス町へ移転。1974年の地震で倒壊し、1977年に現在地へ移転という歴史を辿ります。
しばらく無住状態が続いていましたが、最近国際布教師として大城慈仙師が着任されました。
⇒SOTO禅インターナショナル海外寺院ガイドを参照
朝日新聞の見出しは、?位牌3千置き去り
/「南米最古」ペルーの慈恩寺 日系移民、出稼ぎ・改宗の末? という眼を引くものとなっています。
記事の中には曹洞宗の「曹」の字も出てきませんし、何よりも「位牌置き去り」という印象付けばかりをしている内容となっています。
けれども、本当に「置き去り」なのでしょうか。
慈恩寺の納骨堂・位牌堂は、永代供養墓のような位置づけだとすれば、家族・親族は供養していただくことを願って慈恩寺に預け、可能な限り参拝もされているのではないでしょうか。
慈恩寺について書かれた南アメリカ発の新聞記事を並べて比較してみます。
同じ事象を扱っているはずなのに新聞によってこうも違うものなのかと改めて考えさせられます。
フィルターを通して書かれた記事を鵜呑みにしてしまうと正しい認識を妨げてしまいます。
ここではどちらの記事が正しいかという判断はいたしませんが、
多方面からの情報をあつめ、真の姿を読み取っていくことか大切だと感じます。
位牌3千置き去り 「南米最古」ペルーの慈恩寺 日系移民、出稼ぎ・改宗の末
ペルーに、南米最古とされる仏教寺院『慈恩寺』がある。 |
『移民の聖地』泰平山慈恩寺 創建101周年南米最古の仏教寺 ペルー、絶えない法要会や参拝者 南米第二の日系人口を有するペルーにおいて、「移民の聖地」と呼ばれる場所がある。首都リマから南へ下ることおよそ140キロ、ナスカの地上絵へ向かう途中にあるカニエテ郡の『泰平山慈恩寺』がそれだ。同寺にはペルー日本移民らの位牌約2千500柱が祀ってあるほか、ペルー全土の日本人墓地から集められた土が合祀されている。ブラジル移民よりも歴史が古く、今年創立101年目を迎えた南米最古の仏教寺に足を運んでみた。 -------------------------- 移民2千500柱を祀る / 管理に尽力のグスクマ氏(カニエテ日系教会) -------------------------- 急速に近代化が進む800万都市リマとは打って変わり、カニエテ郡はトウモロコシ畑が広がるのどかな農村地帯だ。この地に1899年からはじまるペルー移民たちの多くが配耕された。カサブランカ耕地には慰霊塔が建つ日本人墓地もある。 中心部のサンビセンテ地区では、キャディラックやダットサンなどの古い自動車がボロロロと音を捲くし立てながら今なお現役で走り、ロバやヤギを連れたインディオが路肩を歩いていた。 慈恩寺は同区のパンアメリカン・ハイウェイ沿いにあった。この地は農村といえど砂漠地帯なので一般の建物は箱型をしているが、同寺にはしっかりと屋根が付いていた。木造ではなくコンクリートの寺だが門構えは風格もある。 17年にもわたり同寺を管理しているカニエテ日系協会のグスクマ・ミゲルさん(60、ニ世)の案内で本堂に通されると、そこには三体の仏像が置かれ、周囲に無数の位牌が所狭しと並べられていた。地下には納骨堂も設けてあった。 堂内に掛けられている慈恩寺創立百周年の記念プレートに寺史が記されていた。それによると同寺は1907年、曹洞宗の僧・上野泰庵がカニエテ郡サンタバルバラ耕地に建立したとある。その後、二度の転移を経て 77年に現在地に至った。 グスクマ氏の説明によると「寺籍は曹洞宗でしたが、現在は無住なので浄土真宗本派本願寺などからも僧侶がやってきます」という。祀られている位牌も各宗派のものが混合しており限定されていなかった。 同寺はペルー日系人協会、日系企業、慈恩寺有志の会などが経費を負担している。彼岸、盆には法要が営まれ、リマ市から多くの遺族が訪れるという。「その時季にはリマ市から日本人学校の生徒たちが訪れ、先祖に焼香して手を掌わせます。これがペルー日系社会の慣わしなんですよ」と誇らしげに話していた。 二世以降はカトリックが多いため、家庭内の世代交代が進むと、それまで家の仏壇にあった一世の位牌を同寺に納めに来る日系人が後を絶たない。また、日本へと出稼ぎに行った家庭の位牌もたくさん納められている。 「日本から訪れる親族が位牌を持ち帰るケースもありますが、年間に三十から五十の位牌がここに持ち込まれるので、位牌は増えていく一方です。もう納めきれませんよ」と苦笑いするグスクマ氏。来年には寺の横に位牌安置所を新設するのだという。 ここには約二千五百柱が祀られているが、以前は位牌が虫に食われ、文字も風化するなど長い間、誰のものかわからない状態が続いていた。 それら位牌を 97年から 01年まで一つずつ調査・整理し、リストにまとめたのがペルー新報元日本語編集長の太田宏人氏だった。 「太田さんのように外部からの支援者がいるので、無住でも心強い。この寺がいかに大切なものなのか、日系社会の人たちはみな理解してくれてます」とグスクマ氏。慈恩寺は世代宗教を問わず、日系人がいる限り『移民の聖地』として存在し続けることだろう。 (サンパウロ新聞 2008/9/5) |
今日の記事はゆめ観音実行副委員長としての立場で書いてみます。
まずはブログの文章を引用させていただきます。
★ 歴史の改竄を許すな / 地の声歴史の改竄を許すな
「神奈川県鎌倉市の大船観音寺(横山敏明住職)で五日、第十一回ゆめ観音アジアフェスティバルが開催された。大船観音寺とSOTO禅インターナショナル(SZI、細川正善会長)などでつくる、ゆめ観音実行委員会の主催でアジアの平和と国際親善を祈るイベントとして毎年企画されている。‥観音像前のステージで行われた開会式では、SZIの細川会長が、世界平和を祈って昭和四年に建立された同観音像の歴史に触れながら『仏の教えの慈悲の原点に立ち返り、平和共存の実現に努めてまいりたい』との平和宣言をした。‥」(9.8『中外日報』)
同観音は、観音思想の普及により「国民思想を中道の妙理に導き平和の礎を築かんと」※、浜地八郎や頭山満ら有志が護国観音像建立会を組織し、昭和四年に着工されたものである。ここで言う「平和」とは、大アジア主義者頭山満の参画と護国観音の名が示すように、あくまでも日本を中心とした「平和」であることに留意する必要がある。同観音は未完成のまま中断されていたが、戦後高階瓏仙が師である日置黙仙の遺志を継ぎ完成させた。
着工の前年昭和三年には、三・一五共産党大弾圧事件があった。混沌とした世相のなかで、国家が思想弾圧をおこなった。この観音建立も反共的色彩の濃いものであった。「中共の革命を真似た間違った革命の激流を、観音の大慈心によって食い止めねばならぬ」と前掲書で久野来応は述べている。
昭和二十九年には高階瓏仙らが発起人となって財団法人「大船観音協会」が発足。この頃十五年戦争の犠牲者二百有余万を「英霊」として祀っている。
即ち、大船観音は侵略戦争を美化するものであって決して「世界平和」を祈るものではないのである。真実を知り、侵略者の「英霊」を拝まされていたことに気付いたアジアの人達の心中を想像するだに恐ろしい。そのことを大船観音はどう説明しているのか。
もしも「英霊」問題を隠したまま、「アジアの平和と国際親善を祈るイベント」を行っているとしたら、侵略戦争で犠牲となった1700万人ものアジアの人達を二度殺すことになるのではないか。SZIの細川会長の、かかる歴史改竄と本質隠蔽は極めて重大であると言わねばならない。※久野来応『大船観音と高階禅師』(『高階瓏仙禅師伝』p.360)
曹洞宗「人権・平和・環境」(旧「曹洞宗に現場の声を届けよう」)No.1049 2009/09/10(Thu) 17:51:32より記事を引用 (下線はkameno付記)
言論の自由が保障される時代ですからどのような主張をされるのは勝手ですが、実際に大船観音に参拝したこともなく、ましてやゆめ観音に参加したこともない者がこのよう記事を書き公開しているということはとても残念です。
このブログ記事の中で「地の声」氏の論点を纏めると次のようになるしょう。
(1)大船観音は日本を中心とした平和の礎を築くために建立された
(2)大船観音は反共的色彩の濃いものである
(3)大船観音は靖国神社から分祀した英霊を祀っている
(4)大船観音は侵略戦争を美化するものであり、世界平和を祈るものではない
(5)英霊問題を隠していることは侵略戦争で犠牲となった1700万人ものアジアの人を二度殺すことになる
(6)従ってSZI会長の歴史改竄と本質隠蔽は極めて重大である
まずは大船観音の歴史的背景をかいつまんでまとめてみます。
昭和2年 | この国を憂え、この国を護ろうとする金子堅太郎氏、頭山満氏、清浦圭吾氏、浜地天松氏、花田半助氏らが集い、「観音思想の普及を図り、以て世相浄化の一助となさん」と |
昭和4年 | 大船観音起工。 |
世界恐慌、大戦により工事は中断。 頭山満氏らも没し、花田氏らが絶対としてきた天皇主義が敗戦によって崩壊したこと等から、観音像建立への覇気は薄れ、 観音像は未完成のままの状態で23年間放置された。 |
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昭和28年 | 朝鮮戦争による特需で、日本は一気に経済力を復興させ、高度成長の時代を迎え、観音像再建の動きが強まる。 |
昭和29年 | 財団法人「大船観音協会」が安藤正純氏、高階瓏仙禅師、五島慶太氏らが発起人となって発足。 画家の和田三造氏、建築家の坂倉準三氏らに意見を求め、東京芸術大学教授で建築家の吉田五十八氏を中心に、同大学教授で彫刻家の山本豊市氏の設計と指導のもとに修仏工事が進められることとなる。 |
昭和32年 | 修仏工事起工 |
昭和35年 | 落慶 |
昭和45年 | 神奈川県原爆被災者の会において被爆25年の記念事業として原爆犠牲者慰霊碑建立。 |
昭和54年 | 「大船観音特別維持会 」により財団法人「大船観音協会」解散、宗教法人への移行を決定。 |
昭和56年 | 曹洞宗包括寺院「大船観音寺」として神奈川県より寺院としての認証を受ける。 |
「地の声」氏の主張されるとおり、大船観音建立当初は「護国大観音建立会」「世相浄化」という目途も含まれていたことも確かなはずです。
けれども、大船観音は完成に至らず、戦後しばらく工事半ばで放置されてしまいました。
工事中断を憂慮し、高階瓏仙可睡斉主(=当時)は次のような完成促進総願文を出しています。
昭和14年、日本各地に所謂日本軍を讃える「英霊」が奉祀されていく世の風潮の中で、日本人も中国人も平等に供養していくということを主眼として大船観音完成を願う高階禅師の願いが明記されています。
今般忠霊顕彰会の発起に依り皇軍の英霊は各地に奉祀されるることとなれり。然れども未だ支那軍戦死者の霊をも平等に供養する表式無し。依って本会は日支親善の情誼及び宗教的超越観地より怨親平等の大慈悲心に基づき皇軍幾萬の英霊と倶に同じく興亜戦線の犠牲たる支那軍の戦霊をも併せ祀りて平等利益の法楽を薦め離苦得楽の冥福を回向して<中略>目下大船駅頭に聳ゆる未完成なる大観音の完成を達成して興亜戦霊総供養の一大記念佛と為さんと欲す。
『大船観音完成促進総願文』(昭和14年10月 完成促進総願主 秋葉総本殿遠州可睡斉主 高階瓏仙)
「大船観世音菩薩の尊像を一日も速やかに完成し、名実ともに法煙たなびく霊場として、十方世界を慈照する大観音の運遠崇高無比な聖姿を仰ぎ、法悦と随喜の光がおのずから心の闇を照らし、国民道義を清浄無垢な真の姿に復元し、日本の興隆と世界の平和に不動の礎を築く一助と致し、また、さきの大戦に殉ぜられた二百有余万の英霊をこの尊像の胎内にお迎えして悠遠の生命が、この霊座に鎮座ましまし、法楽の供養をささげ奉ることを祈念いたし、大船観音尊像の完成を発願いたしました」
『大船観音再建募金趣意書』(発起人・鳩山内閣法務大臣牧野良三氏ほか)
これは勧募趣意書の文言です。
大船観音は修仏により、すべてが一新されることととなりました。
戦後「大船観音協会」設立により「護国大観音建立会」「世相浄化」という目的は消滅したこととなります。
以来、観音像は昭和54年まで財団法人「大船観音協会」の名によって運営されます。
大船観音は昭和35年に落慶しますが、その際に胎内にお迎えしたのは、靖国神社に祀られている「英霊」ではありません。
しいて言えば、境内に「鎌倉市戦没者の英霊を鎌倉観音胎内に祀る」(昭和35年 鎌倉市遺族会建立)とありますから、遺族会が戦没者を慰霊するために位牌と戦没者名簿を納めたということが大船観音再建趣意書の「英霊」にあたるといえるでしょう。
この場合の英霊は後述いたしますが、戦没者として供養されるものという意味合いであることは明白です。
実際、大船観音建立の年である昭和35年、大船観音協会時代の年中行事を見てみると
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となっています。
現在の大船観音行事と殆ど変わっていません。
この中で戦没者追悼法要については現在も鎌倉市遺族会施主により鎌倉市行事として行なわれています。
昭和45年には原爆投下25年事業として神奈川県原爆被災者の会により原爆犠牲者慰霊碑建立され、毎年9月末に原爆死没者の関係者が集い、慰霊法要が行われています。
暫くの間は財団法人として運営されていましたが、観音像を参詣する信者らから「信仰の場への移行」という要望がさらに切なるものとなりました。
大船観音協会理事長に曹洞宗大本山總持寺貫首岩本禅師就任を機に財団法人「大船観音協会」はその解散と宗教法人への移行を決定します。
これが2つ目の重要なトピックスです。
つまり、曹洞宗としての大船観音の歴史は昭和56年から始まっています。
さて、「地の声」氏の主張される歴史改竄と本質隠蔽とは何をさしているのでしょうか。
大船観音の戦前の建立の経緯は歴史的事実として境内や大船観音胎内の説明板にも大きく書かれておりますし、どの参詣者の目にも触れるものであります。
鎌倉市戦没者を鎌倉観音胎内に祀るということも大きな石碑として境内にありますので特に隠蔽するものではありません。
また、これだけは明確化しておきますが、前述のとおり少なくとも大船観音が完成した昭和35年から現在まで大船観音には靖国神社の「英霊」は祀られておりません(それ以前も祀られていないはずです)。
表記方法はともかく「支那軍戦死者の霊をも平等に供養する」という高階瓏仙禅師の発願も、昭和14年の時代背景を考えれば特筆すべき考えです。
歴史的背景を踏まえた上で、昭和29年に「生まれ変わった」大船観音には、軍人も民間人も日本人もアジアの人たちも、そんな分け隔て無く慰霊し、平和を願う大船観音であること、
平時でも2?3割ものアジアからの篤い参詣があるということの意味を考えていただきたいものです。
そもそも、古来から神道の霊魂観に基づき、人が亡くなった後も霊魂は不滅であり、祀られて鎮まった御霊は祖霊となるという信仰がありました。
故人の生前の功績を称え、威徳を偲び、祖霊祭によりご先祖様を祀るという祖霊信仰では「英霊」という概念は存在しなかったはずです。
けれども、戦前の天皇を中心とする政治体制下では怨霊に対する御霊信仰が新造されてしまいます。
英霊とは顕彰される者であり、戦前戦中及び戦後まもなくは全国の寺院においても「天皇のために死んだ」という事実が顕彰されてきたことは確かでしょう。
しかしながら、戦後の天皇制度は改定され現人神を否定されることとなります。
この時点で英霊は死は鎮魂されるべきものとして他の戦没者と共に供養されるものとなったのではないかと考えます。
以上のことを踏まえ、大船観音ゆめ観音アジアフェスティバルでの平和宣言をご紹介します。
2000年に開催された第2回ゆめ観音の時に作らせていただき、毎年受継がれている宣言文です。
アジアの方々と共に、この宣言文を共有しています。
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平和を願う心・・・・・・ 19世紀から20世紀に入ってから私達は機械文明を手に入れ、生活が飛躍的に豊かになりました。 大船の丘から街を見下ろす、この白衣観音像は1929年、世界の恒久平和を祈願して建立されたものです。しかし、悲しいことに、その願いも空しく、日本は第二次世界大戦に突入してしまいます。戦争により、観音像も痛々しい姿になってしまいました。 アジア各国へ与えた数々の過ちを繰り返してはいけない。敗戦を経て今度こそ、観音菩薩の慈悲によって平和を祈願し、世界から戦争を無くすことを誓い、大船観音は現在の姿に再建されました。 このように、大船の白衣観音像は、日本のみならず全世界の平和を、また人々の平安を祈りながら、この地に鎮座なされてから40年経ちます。建立に携わった人々の熱い想いは、その後も多くの人々に受け継がれ、観音の境内には、「原爆の火」や「戦歿者慰霊碑」等、平和への祈りが込められたモニュメントが多く建立されました。 平和は、政治的、経済的、軍事上の契約だけによって保障されるものではありません。 平和は、私たちの行動、態度、日常の行為を通してのみ達成できます。平和の文化はすべての人が分かち合う、普遍的な文化であり、私たちに共通する人間性に不可欠なものであることを認識し、私たちはそれを行動に移していくことを誓います。 ゆめ観音実行委員会 |
ジャーナリスト藤田庄一氏は今年2009年のゆめ観音に参加され、次のような記事を書かれています。
「アジア各国へ与えた数々の過ちを繰り返してはいけない。敗戦を経て今度こそ、観音菩薩の慈悲によって平和を祈願し、世界から戦争を無くすことを誓い、大船観音は現在の姿に再建されたのです」
大船観音の淵源は1929(昭和4)年。「護国観音」として「世相浄化の一助」として造立が始まった。
しかし、日本は戦争に突入。
観音は造立途中のまま無残な姿を晒し続けた。
現在の姿が落慶したのは1960(昭和35)年。
平和と戦没兵士慰霊の観音としてであった。
1970(昭和45)年には原爆慰霊碑が序幕された。
ゆめ観音アジアフェスティバルの底流の精神は、歴史の反省と平和への希求だった。
「仏教タイムス」2009年10月8日号より
むしろ、昭和29年に再建され、昭和54年に曹洞宗包括寺院となった大船観音寺を、曹洞宗のみならず、寺院の持つ歴史的事実を客観的に捉え、曹洞宗の掲げる「平和」のスローガンを推進する事例として進めていきたいと考えています。
ゆめ観音アジアフェスティバルは、大船観音寺だからこそ、大船観音寺でなければ開催できない催しなのです。
追記
この記事を「地の声」氏は早速読んで記事にしてくださったようです。
読んでくださったことに感謝いたします。
論理的な論議ができる余地があるとさらに良かったのですが・・・
とはいえ、このような視点からのものの見方ができるのかということを教えていただいたこと、改めて大船観音の成立経緯を改めて検証するきっかけとなり、高階禅師の民族を超え平等に供養する発願に触れることができたことに感謝いたします。
『般若心経』は、わずか300字足らずの短いお経ですが、その中に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、国内外に広く伝わっています。
曹洞宗でも日課経典として重んじられております。
最も親しみやすいお経の一つではないでしょうか。
その読経法は宗派、国、地方によって様々です。
まずは曹洞宗はどのようにお読みするかを下記のページでご紹介しておりますのでご参照ください。
⇒http://www.teishoin.net/sound/sound.html
読経のリードをするのが維那(いの)という配役の僧侶です。
曹洞宗の場合は、例えば永平寺や總持寺などの大本山では百数十人もの僧侶が読経する場合でもキーを合わせることは行ないません。
それぞれの僧侶がそれぞれのキーで読経しますから、それぞれがカオス的に広がって独特の雰囲気を醸し出します。
では、他の国・地域ではどのように読経しているのかをYoutubeからピックアップしてみました。
アーチストによるアレンジもリストに加えてあります。
同じ経文でも実に様々ですね。
唸誦 - 般若波羅蜜多心經
般若波羅蜜多心經 齊豫
般若波羅密多心咒 - 梵音
心?-王菲 (Heart Sutra)
????
????
Prajna-paramita Hrdaya Sutram
般若波羅蜜多心經
Buddhist Chant - Heart Sutra (Sanskrit) by Imee Ooi
お経のカラオケDVD。般若心経ドットコム
http://www.youtube.com/watch?v=fpIZtVnLO7Q
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ
Heart Sutra Chanting
Buddhist Chant - Heart Sutra (Japanese) Hannya Shingyo
厚生労働省国立精神・神経センターによると、毎年全世界で約100万人が自殺により死亡しているとされます。
日本においては、1997年までおおむね2万人程度だった自殺者が、1998年には3万2863人と急増しています。
この年の急増の背景にはいわゆる金融危機があり、経済的理由が大きな要因となったとされています。
以降これまで自殺者数が年間3万人を下回ったことがありません。
ここで、注目すべき提言があります。
WHO「自殺予防に関する特別専門家会議」における Lars Mehlum氏(WHO精神保健薬物乱用部)の
(1)自殺の原因は個人や社会に内在する多くの複雑な原因によって引き起こされる
(2)自殺は予防できる
(3)自殺手段の入手が自殺の最大の危険因子で、自殺を決定づけるものである
(1)については、個々を取り巻く一つひとつの要因について精査し、それらを取り除いていかなければなりません。根本的な問題である反面、時間がかかることだと思います。
しかし、(2)、(3)については今すぐ具体的に取り組むことができるものです。
まずは(3)について考えてみます。
■コピペが人を殺す……硫化水素の発生法を知った自殺者が続出筆者の記憶では、今年に入ってまもなくのことだ。「練炭自殺に代わる、新しい自殺方法が開発されました」との書き出しのテキストが、2ちゃんねるのあちこちのスレッドにコピペされるようになった。(中略)ありふれた日用品を「狭い密閉区間でただ混ぜるだけ!」と、フレンドリーなアスキーアート混じりで指示しているテキストだ。自殺する気がなければ、見て見ぬふりができる内容かもしれない。
でも、人生に絶望して、「いつか死のう」「そろそろ死のう」などの考えが頭にこびりついている人が見れば、実行してみたくなってもおかしくはない。「MSN産経ニュース」によれば、今年に入ってからこの方法で命を落とした人は9人にも上るという。コピペが人を殺している。猛毒の気体だから、家族が巻き添えになるケースもあるようだ。このテキストをトップにしたスレッドが、「誤爆」といいつつ、為替取引の話題を扱う「市況実況2」にも立っていた。市況2は、大損したらしい人が「死のう」と書き込むケースがあとを絶たない掲示板だ。
(インプレス インターネットウオッチ)
ここ数年多く見られる報道に、自殺そのものではなく、その方法を詳細に伝えるマスメディアが続出しました。
単に危険性を訴えるだけならともかく、興味本位に取り上げることも多く目に余る状況でした。
また、それに伴い、インターネット上に「練炭」「硫化水素」など多くのワードで丁寧に自殺の方法について多数の情報が流されていました。
少なくとも昨年辺りまでは「硫化水素 自殺」で検索をかけることにより容易にその自殺手段が入手することが可能でした。
その後、プロバイダなどによる情報規制があったのでしょう。
不適切とされる情報は次々と削除されていき、また検索エンジン側もそのような情報にアプローチできないような対策が講じられたようです。
しかし、このような情報統制や検索エンジンの操作は本来好ましいものではありません。
ネット規制は、情報発信の自由を奪う可能性をも持つという諸刃の剣となるからです。
そこで考え出された一法が、SEO(Search Engine Optimization)の仕組みを利用した、いわゆる「木を森に隠す」というものです。
これは、例えば検索エンジンから、硫化水素の作り方を検索しにくくするために
・表題を「硫化水素の作り方 」とする。
・そのページには硫化水素の作り方を書かず、自殺志願者に対するメッセージを書くなどする。
・関連サイトにそれぞれリンクを張ったり、トラックバックを打ったりする。
このようにする運動が広まった結果、現在、検索エンジンで「硫化水素の作り方」を検索する と次のようになります。
思いがけず、というより思惑通り私のブログ記事が一位にランクされるようになりました。
そういえば、検索ワードとして、このワードで辿りつく方がいかに多かったことか。
SEOは、検索エンジンの検索結果で、いかにより上位に現れるようにするかという対策・技術のことをいいますが、検索者にアプローチさせたくない情報が上位にこないようにする「逆SEO」対策も時には必要になると考えています。
次に(2)について。
僧侶の一人として何ができるかということを考えるに、まずは「話を聞くこと」なのだろうと思います。
「仏教情報センター」のテレフォン相談の基本的理念もそういうところにあるのだと思います。
悩んでいる方は、抱えている悩みをぶつける場所を探しているのかもしれません。
身近にそのような方がいらっしゃる方はまだ救われるほうでしょう。
多くの方は悩みをどこに向けたらよいのか判らないとしたら・・・・
そんな時、仏教情報センターのテレフォン相談は、あなたの悩みを全て取り除くことは出来ないかもしれません。
しかし、電話をかけてあなたの今の気持ちを話してみませんか?
お名前を言う必要はありません。
相談員も名前を名乗りません。
プライバシーは守られますので安心して電話してください。
テレフォン相談では、研修を受けた僧侶が一人ひとりとていねいに話をするように心がけています。
電話がつながるまでに時間がかかる場合もありますが、どうぞあきらめないでください。
私たちは少しでも良き話し相手になろうと考えています。
仏教情報センターでは、昭和58年の仏教テレフォン相談開設以来、仏事・信仰・人生に関わる悩みや疑問の電話が毎日寄せられています。
どうぞお気軽におかけ下さい。各宗派の僧侶がお応えしています。
電話でなくても、面接相談、手紙相談も随時受け付けております。
・・・・・・・・
先の「硫化水素の作り方」の記事でのコメントの中で、本当に悩んでいる人は電話などすらもかけることが出来ないというものがありました。
まさにその通りだと思います。
上から目線はもってのほかですね。共に悩みを共有できるようにならなければ。
そして、電話やメールを待っているだけでなく、悩みを抱えている方にアプローチするためにはどのようにするべきか。
さらに、個人や社会に内在する多くの複雑な原因とどう向き合うか。
真剣に考えなければならないことはたくさんあります。
悩みは増えるばかりで、なかなか減っていかないものですね。
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横浜開港150周年事業として、横浜の歴史を記録した写真を集め、活用を図る事業が一段落し、写真募集の受付を終了しました。
事業の節目にあたり、見えてきたもの、今後についての意見交換会が開催されました。
開催日:2009年9月29日
場所:ZAIM 交流サロン(横浜市中区)
期間中に提要のあった写真は実に5435枚に上ったことが報告されました。
これらの写真は、横浜市在住の方はもちろん、横浜に住んでいたことのある方、観光などで横浜を訪れた方からの写真提供を受け、上記サイトにアップロードされているものです。
横浜の歴史や文化、経済や産業振興、地域の発展、市民の生活文化など、横浜を語る「写真」を通して、魅力ある郷土の共有財産づくりに大いに貢献することとなった事業だと思います。
運営委員の皆様には心から敬意を表します。
シンポジウム終了後、ZAIM 4階にあるラボで開港当初の横浜港を精密に再現したジオラマを見せていただきました。
このように立体的に再現されたものを目の当たりにすると、地図では得られない迫力を感じます。
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2年半ほど使ってきたPHS端末が大分傷んできました。
端子を塞ぐキャップはとっくに何処かに行ってしまい、本体もあちこち傷だらけです。
この間水没2回・・・しかし電源を抜いて水道水で洗浄し、一日乾かしてから電源を入れるという「荒技」により奇跡的に復活を繰り返してくれました。
愛着のある電話機です。
ところが、肝心の事業主体の経営状況の雲行きがどうやら怪しくなってきました。
事業再生ADR手続利用のお知らせ当社は、今後の事業再生と事業継続に向けた強固な収益基盤の確立および財務体質の抜本的な改善を図るため、今般、「産業活力再生特別措置法所定の特定認証紛争解決手続」(以下「事業再生ADR」といいます。)による事業再生をめざし、本日、事業再生実務家協会への事業再生ADRの手続を正式申請し、受理されました。
厳しい競争環境の中で、現行のPHS事業に加えて、高速モバイルデータ通信「WILLCOM CORE XGP」を展開していくに当たり、財務体質の抜本的な改善を機動的に推進していくことが不可欠だという判断から、事業再生ADRの正式申請をするに至りました。
現時点における事業再生計画案で金融機関各位に要請させていただく金融支援の内容は、一定期間、債権者さまに対し、借入金等債務の元本残高維持をお願いし、その後については、債権者さまに対する債務の弁済スケジュールの変更をお願いする予定としております。(債務の免除や、株式化(デット・エクイティ・スワップ)を要請することは現時点で想定しておりません。)
このたび事業再生を目指すにあたり、事業再生ADRを利用いたしますのは、これにより当社サービスの継続を確保することが出来るからです。したがいまして、当社サービスをご利用いただいておりますお客さま、また販売店さまやメーカーさまなどお取引先の皆さまに、当社の事業再生ADR利用申請による影響はございません。
当社は、事業再生ADRの利用により、不退転の決意を持って、抜本的な事業再生を図り、「WILLCOM CORE XGP」を含めて今後の事業を発展させていく所存でございます。
当社サービスご利用のお客さま、また関係者の皆さまにおかれましては、今後ともご支援、ご協力賜りますようお願い申し上げます。
プレスリリース (2009年9月24日)より
ウィルコムは1994年に「DDIポケット」として誕生しました。
持ち味の料金の安さとデータ通信の優位性も、最近は料金、データ通信の両面での優位性が相対的に失われてきたため、シェアを伸ばせない状況が続いておりました。
現在加入者数が450万人、2009年3月期の連結経常利益は66億円を計上していたそうですが、通信網整備負担が重くのしかかり、さらにWillcom COREなどの高速データ通信サービス(これは期待していたところなのですが)の設備投資にさらに1400億円の調達が必要となり、今回の事業再生ADR手続きによる経営再建となりました。
残念といえば残念ですが、これも時代の流れなのでしょうね。
PHSの優位性を明確にして、ユーザー本位の経営で事業を立て直していただくことを期待します。
PHSの利点といえば、安さ、高速通信という以前に、「マイクロセル」ということが挙げられます。
電話基地局が小規模で済むために電磁波による影響を最小限にとどめることができるということも強調すべきでしょう。
携帯電話基地局から発射される電波の野辺山45m電波望遠鏡に対する影響の評価
外来患者の呼び出しにPHS活用
災害対策に全国のPHS基地局を活用
などなど、PHSでしか行なうことができないこと、特徴を活かした利用方法もたくさん考えられます。
これだけのインフラを無くしてしまうことは社会的にも大きな損失だと考えます。
是非是非頑張っていただきたいものです。
冒頭の報道を受けて、オークションサイトでは、Willcomの端末が格安で多く出品されていました。
やはりユーザーは不安になるのでしょうね。
丁度よい機会ですので早速、手ごろな値段のものを落札。
SIMを入れ替えるだけで機種変更が可能なので楽ですね。
今後しばらくPHSの動向を見守りつつ、付き合っていきたいと思います。
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がんばれPHS!!
火は、
時には恨みを込められたものとなり、
人の命を奪うものとなり、
平和の象徴となり、
生きる力を与えるものとなり・・・
灯明の炎には、闇を除き、闇を明るく照らす除暗遍明という力があります。
仏様の智慧として私たち全ての迷いを除き、悟りに導くことにも喩えられます。
私たちは灯明より迷いなき真実の智慧を得ることの大切さを教えられます。
大船観音白衣観音像の前での灯火による千手観音。
このダンサーは妊娠8ヶ月。
満月の夜に観音様の前で表現された素敵ないのちのパフォーマンスでした。
今年のゆめ観音にももたくさんの火が灯りました。
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今年7月、国立劇場に大本山總持寺の大祖堂が再現され、「石原裕次郎二十三回忌祭典」が曹洞宗の僧侶120名による法要として大々的に営まれました。
そのキャッチコピーは
天国からのラストメッセージ「ありがとう」
でした。
そういえば、マスコミ報道では仏教による葬儀にも関らず「天国」という言葉が当たり前のように飛び交い、喪主の挨拶や参列者のお別れの言葉でも「天国から見守って・・・・」などの表現によく触れます。
私はこれまでこの表現に「引っかかり」を感じていました。
どのように説いていけば間違いに気がついてくれるのだろうか、と。
この状況を、関西学院教授でもあり、浄土真宗本願寺派の僧侶でもある大村英昭師は、次のように分析されています。
いまに我が国で使われる「天国」という用語には、もはやキリスト教的意味合いはまったく無いばかりか、仏教やキリスト教といった区別立てをも超えて、それこそ”宗教的無党派層”の心象風景に大変よくマッチした言葉になっているように思われます。
(コラム「死んだらみんな天国に行く日本って一体なんなの?」「我他彼此ニ仏中間」より一部引用)
まったくその通りだと思います。
目くじらを立てて、仏教では「天国」とは言わないのだよ、と指摘することは野暮なのかもしれません。
”宗教的無党派層”の立場に立って、やんわりと修正していくような心構えで居ればよいでしょうし、死後の世界観を仏教がどのように説いてきたかをきちんと伝えることができれば、自然に修正されていくことでしょう。
ところで、蛇足ですが、曹洞宗の通夜の法要でよく読まれる『仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)』で、「てんごく」という語が何度か出てきます。
お葬式に参列されて、もしかしたら耳にされた方もいらっしゃるかもしれません。
汝等(なんだち)比丘、諂曲(てんごく)の心は道と相違す。是の故に宜しく応に其の心を質直(しつじき)にすべし。当に知るべし、諂曲(てんごく)は但だ欺誑(ごおう)を為すことを。入道の人、則ち是の処無し。是の故に汝等、宜しく応に端心にして質直を以て本と為すべし。
ここで言う「てんごく」とは、諂曲=諂い(へつらい)、曲がった心のことです。
「天国」とは、まったく異なるものであるということは、経文を原文で見れば一目瞭然なのですが、耳で聞いただけではなかなか判らないはずです。
むしろ「てんごく」などという別の意味でなじみのあるワードばかりが心に残ってしまいがちです。
「瞋(いか)るは地獄、貪(むさぼ)るは餓鬼、癡(おろ)かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり・・・・」
「諂曲」の「てんごく」は、阿修羅の世界に渦巻く概念ということを念頭においておけばよいでしょう。
『仏遺教経』では、結びの部分で次のように説かれています。
汝等(なんだち)、若し苦等の四諦に於いて疑がうところ有る者は、疾(はや)く之を問うべし。疑を懐いて決を求めざる得ること無かれ。
・・・・疑問やわからないことがある者は、すみやかに、これをを問え。疑問を残して答えを求めないことの無いように。
もしも仏教の教えなどで、また、経文の中の言葉でも、判らないことがあったら、どんな些細なことでも身近に居る菩提寺の和尚さんにお尋ねになるとよろしいと存じます。
このトピックスで取り上げた「天国」についてでも、死んだ後はどうなるのか、でも。
故人は今、どこに居るのですか?でも。
先ほど読まれた通夜のお経の中で「てんごく」という言葉が出てきましたけれど、「てんごく」って何ですか?などなどでも良いでしょう。
きっと、そのような些細な疑問から仏教に関する様々な知識も併せて得られることでしょう。
そして仏教行事における「天国」という表現も徐々に修正されていくでしょう。
蛇足でした。
永野小学校は、明治10年に創立した野庭学校と、明治12年に創立した永谷学校が合併して、明治25年現在地に開校した伝統ある小学校です。
その創立のきっかけとなったのが、勝海舟の家臣であり明治初期の教育者でもある平野玉城氏でした。
氏が永野の地に訪れることとなったいきさつについてはこちらをご参照ください。
⇒http://teishoin.sakura.ne.jp/nagano/11.html
当時の村人たちは、平野氏のすぐれた人格、深遠な学識に目を見張り、当地に滞在するよう懇願しました。
平野氏もそれを快諾し、夫婦でこの地に留まることとなり、寺子屋の先生として四書五経などを講じました。
明治10年には、村民たちに推されて棲心庵学舎に第三級訓導として正式に教職に就かれると、さらに評判が評判を呼び、入学者が殺到します。
そこで、村人たちの寄進により現在の水田付近(港南区下永谷)に永谷学校が新築されました。
明治12年のことでした。
平野玉城氏が自らの手により作られた『修身』の教科書が国会図書館に保存されていました。
永谷学校でもこの教科書が使われていたと思われます。
「修身」は、現在の道徳に相当するものでありますが、大東亜戦争(太平洋戦争)以前は主に大日本帝国の臣民(国民)の育成を目的におこなわれたものであり、皇民化教育の一翼を担ったとされます。
皇民化教育にあたる箇所は問題としても、それ以外の部分は、現代においても学ぶべき事項は多いと思います。
当時は、学制の中で道徳教育が「修身科」として、小学で「修身」、中学で「修身学」が行われていました。
その中で、低学年での修身は、主に「修身口授」として先生の談義や口述によるものが行われるのが普通であり、教科書はほとんどが欧米の倫理書等の翻訳本であったため、児童には容易に理解できるものではなかったようです。
(当時広く使われていた『和漢修身訓』の例。明治15年・亀谷省軒著。国会図書館より)
たしかに児童には難しいですね。
そこで、平野玉城氏は、児童にも内容を判りやすくするために、日ごろの心構えなどを中心に平易な言葉に置き換えて教科書の副読書としてまとめたのでしょう。
(『和漢修身訓俗解』 明治17年・平野玉城編)
『和漢修身訓俗解』 巻1を、テキストに直してみました。
(原文ではわかりにくい箇所があるため、一部現代文に変えてあります)
例言
1.此書は小学教科書の一なる和漢修身訓を俗語に解し、原書の傍に置て参考に供え児童をして記誦に便ならしめんとするの本旨なれば、一々其全文を挙げず
1.本県の教則に遵て第六巻に止るものとす。而して巻一第三章より前後少しく俗解の体を更るものは詞答筆答の別あるを以てなり
1.解辤は主として俚言俗語を用いるにより往々妥当の義訓を失するもの多からん、幸に後日の訂正を俟つ
明治17年8月
編者誌
和漢修身訓俗解巻一
平野玉城編
巻一
第一章
○父母の恩は云々
チチハハノ、オカゲハ、ヤマヨリモ、タカク
○父母の恵ミ
チチハハノ、メグミハ、ウミヨリモ、フカイ
○深き恵みに
フカキメグミニ、コタへルニハ
○厚き心を
アツキココロヲ、ツクシナサイ
○父母の教は
チチハハノ、ヲシエハ、ソムイテハ、ナリマセン
○父母の誠ハ
チチハハノ、意見は、ソノトオリニ、ナサイ
○父母己を愛
チチハハガ、ジブンヲ、カワイガラバ、ウレシガリテ、ワスレルコトナク
○父母己を悪まば
チチハハガ、ジブンヲ、ニクムトキハ、アトヲキヲツケテ、ウラミテハ、ナリマセン
○父母の憂ふる
チチハハノ、シンパイナサルコトハ、トモニ、シンパイシイ
○父母の楽む
チチハハノ、タノシミナサルコトハ、トモニ、タノシミナサイ
○よく親に事る
ヨク、オヤニツカヘル、コレヲ、コウコウトイヒ
○よく兄二事る
ヨクアニ二ツカヘル、コレヲ、テイトイフ
○孝を尽せば
オヤニ、コウコウスルノハ、ニンゲンノミチ
○悌を致さば
アニニ、テイスルハ、セケンノオシエ
○孝悌ハ身を
ヨク、オヤアニニツカヘルハ、シュッセスルノ、モトデアリマス
○愛敬は孝を
イツクシムト、ウヤマフトハ、コウコウヲスルノ、モトデアリマス
○愛とは人を
アイトハ、ヒトヲカワイガリテ、ウトウトシクセヌコト
○敬とは人を
ケイトハ、ヒトヲ、ウヤマヒテ、ソマツニシナイコト
○父母愛せる
チチハハノ、カワイガルモノハ、ジブンモカワイガリ
○父母の敬する
チチハハノ、ウヤマフコトハ、ジブンモウヤマフ
○己より年長せる
ジブンヨリ、トシウヘノヒトハ、ミナウヤマフ
○己より年少き
ジブンヨリ、トシシタノモノハ、ノコラズカワイガル
○能く弟妹を
ヨク、オトウト、イモウトヲ、カワイガルノヲ、イウトイフ
○善く親族に
ヨク、シンルイニ、ツキアフノヲ、ムツマシミトイフ
○利をあらそへば
モウケヲ、ハリアヘバ、キョウダイモ、トホドホシクナリ
○利を貪らば
モウケヲ、ヨクバレバ、ミウチノヒトガ、カマヒマセン
○親戚背かば
ミウチデ、カマハヌトキハ、ソノイエ、ヨワリ
○兄妹和せざれば
キョウダイ、ナカヨクセネバ、オヤが、シンパイシマス第二章
○朝は父母に
アサハ、チチハハニ、サキニタッテ、オキ
○夜は父母に
ヨルハ、チチハハヨリ、アトカラネマス
○夙に父母の
アサハヤク、チチハハノ、ゴキゲンヲタヅネ
○常に父母の
フダン、チチハハノソバヅカヒニ、ナリナサイ
○父母召せとき
チチハハノ、ヨバルルトキハ、イソイデユキマス
○父母疾むとき
チチハハノ、ヤマヒアルトキハ、オソバニ、ツイテオリマス
○父母に事へ
チチハハニ、ツカヘテハ、カオイロヲ、ヤワラカニシ
○父母に対
チチハハニ、ムカヒテハ、コトバヲ、シヅカニシマス
○坐せるには
スワルニハ、タダシクナサイ
○行くには疾走
アルクニハ、、ハシリテハ、ナリマセン
○面は洗うべし
カオハ、アライナサイ、アカジミテハ、ミグルシクアリマス
○髪は櫛るべし
カミハ、ナデツケナサイ、ミダレテオルト、ミニククアリマス
○孝子は危きに
コウコウのコハ、アブナイトコロニ、ノボリマセン
○孝子は深きに
コウコウノコハ、フカキトコロニ、チカヨリマセン
○長幼の体ハ
オトナ、コドモノ、レイギハ、ナクシテハ、ナリマセン
○尊卑の分は
タットキ、イヤシキノ、ワカチハ、ミダシテハ、ナリマセン
○食せるときハ
ショクジヲ、スルトキハ、ハナシヲ、シマセン
○故なくして
ワケモ、ナキニ、トリケモノヲ、コロシマセン
○戯れに魚虫を
ナグサミニ、ウオヤ、ムシヲ、ソコナイマセン
○園裡に新花を
ニワノウチノ゙、アタラシキ、ハナヲ、オリテハ、ナリマセン
○籠中の飛禽を
カゴノナカニ、トブトリヲ、カフコトハ、ヨシニナサイ
○壁には字を
カベニハ、モジヲ、カキマセン
○席には墨を
シキモノハ、スミニテ、ヨゴシマセン
○炉辺に火を
イロリノ、ソバデ、ヒヲモテアソブコトハ、ヨシニナサイ
○途上に石を
ミチバタデ、イシヲ、ナゲルナ
○礼儀は習ふを
レイギニ、ナレタルヲ、ケダカキ、ヒトトシ
○礼儀に疎きを
レイギニ、ウトキモノヲ、イヤシイ、ヒトトシマス第三章
○養生は孝道の
カラダヲ、ダイジニスルハ、オヤニ、コウコウスルミチノ、ハジメナリ
○運動は健康の
カラダヲ、ウゴカスハ、ジョウブニスルノ、モトナリ
○過食は脾胃を
タベスギハ、ヒノゾウト、イノフヲ、ソコナヒ
○不潔ハ疾病を
キレイニセヌト、ヤマイヲ、オコス
○身体は数沐浴
カラダハ、タビタビ、チョウヅヲツカヒ、ユアミスベク
○住所は努めて
スマイハ、セイイッパイ、ハキキヨメスベシ
○酒は旨けれども
サケハ、ウマケレドモ、コドモニ、サワリアリ
○薬は苦けれども
クスリハ、ニガイケレドモ、ヤマヒニ、キキメアリ第四章
○言少ければ
コトバ、スクナケレバ、アチヤウホウ、スクナク
○言多ければ
コトバ、オオケレバ、ナンギ、オオシ
○問ふとあらば
トハレル、コトアラバ、ヘンジヲ、スベク
○問ふことなくば
トハレル、コトナクバ、ダマリテ、オルベシ
○人を笑へば
ヒトヲ、ワラヘバ、ヒトニ、ニクマレ
○人を諂へば
ヒトニ、ヘツラヘバ、ヒトニ、ワラハル
○人を罵れば
ヒトヲ、ワルクイヘバ、ソノヒト、ハラヲタテ
○人を譏れば
ヒトヲ、トガメテ、ワルクイヘバ、ソノヒト、ウラム
○人の悪事は
ヒトノ、アシキコトヲ、ハナスナ
○人の善行は
ヒトノ、ヨキオコナヒハ、ワルクイフナ第五章
○学ぶときは
ガクモンスルトキハ、トクアル、ヒトトナリ
○学ばざれば
ガクモン、セヌトキハ、トクナキ、ヒトトナル
○学ハ勉強を
ガクモンハ、セイヲダスニ、ヨリテススミ
○事は遊情に
コトハ、ナマケルニ、ヨリテ、シソコナフ
○学問は人の才智
ガクモンハ、ヒトノ、ハタラキ、チエヲ、フヤシ
○学問は人の名誉
ガクモンハ、ヒトノ、ヨキヒョウバンヲ、オコス
○学ばざれば瓦石と
ガクモンセネバ、カワラヤ、イシト、オナジコト
○教なければ
ヲシヘノ、ナキトキハ、トリケモノニ、ニテオル第六章
○良友は親む
ヨキ、トモダチハ、ナカヨクセヨ
○悪友は、遠ざく
アシキ、トモダチハ、チカヅケヌ、ヤウニセヨ
○禍は悪友より
フシアワセハ、アシキトモヨリ、デキ
○福は良友より
シアワセハ、ヨキトモダチヨリ、デキル
○信義は厚く
ギリスジハ、ダイジニ、マモレ
○契約は軽しく
ヤクソクゴトハ、デガルク、スルナ
○約を為しては
ヤクソクヲ、シテハ、カヘテハ、ナラヌ
○恩を受けては
メグミヲ、ウケテハ、ワスレテハ、ナラヌ
○人に施しては
ヒトニ、モノヲ、ヤリテハ、オシイト、オモウナ
○人を恵みては
ヒトヲ、メグミテハ、オンニ、カケルナ
○飢える者には
ヒモジキモノニハ、メシヲ、ヤリ
○渇たる者
カワキタル、モノニハ、ミズヲ、ヤル
○人の財は
ヒトノ、タカラハ、ウラヤマシク、オモフナ
○己の財は
ジブンノ、タカラハ、ムダニ、ツカフナ
○情りて侈れば
ナマケテ、ミエヲハレバ、ソノイエ、ビンボウニナリ
○勤めて倹約すれば
セイヲ、ダシテ、ケンヤクスレバ、ソノヒト、モノモチトナル
『和漢修身訓俗解』 巻1
ワカン シュウシンクン ゾッカイ
平野玉城編
出版 : 矢部町(神奈川県):聞天堂、明17年8月
形態 : 12丁;11×16cm
装丁 : 和装
7月から8月にかけて、毎日のように施食会法要のために廻りました。
施食会法要にはそれこそ近隣寺院より数十人の随喜があり、また参列者も読経されるため、堂内が読経の声で満たされます。
それに呼応する形で、境内のセミの声がひときわ大きく、まるで声量を競うが如く鳴き出します。
気づくことは、寺院ごとに鳴くセミの種類が微妙に異なることです。
例えば、貞昌院ではアブラゼミ、ミンミンゼミに加えて、クマゼミが多少混ざっています。
藤沢に近い寺院では、むしろクマゼミの方が主流だったり、大船駅に近い寺院では昼間からヒグラシが主役だったり。
植生の状態や街の中心にあるのかそうでないのかなど、様々な条件がそのようにさせているのでしょう。
また、クマゼミが多くなっていることもヒートアイランド現象の進行を私たちに伝えてくれています。
ところが、今日の新聞記事で興味深いものを見つけました。
アブラゼミしか鳴かない場所があるのです。
その理由とは・・・・
セミの音に残る「戦禍」 隅田公園、なぜか一種類のみ
64年前の東京大空襲で焼け野原となった東京都墨田区の隅田公園には、セミのなかではアブラゼミ1種類しか繁殖していないことが、東京大総合研究博物館の須田孫七・協力研究員(78)の5年にわたる調査で分かった。須田さんは、空襲でいったん地域のセミが全滅し、復興後も川と急速な宅地化により、アブラゼミ以外のセミが公園にたどり着けていない可能性があるとみている。隅田公園は、隅田川をはさんで墨田区側(約8万平方メートル)と、台東区側(約10万6千平方メートル)に分かれている。須田さんは5年前の8月、台東区側では、アブラゼミとミンミンゼミの音が半分ずつ聞こえ4種が確認できたのに、墨田区側ではほとんどがアブラゼミだと気づいた。墨田区側では、死骸(しがい)の羽もアブラゼミだけだったという。
須田さんは、東京学芸大を卒業後、中学校教諭などを務めながら東京都内の昆虫を調べ、専門書の執筆や観察会などを手がけている。現在は「東京の昆虫相の変遷史」をテーマに研究中だ。
隅田公園周辺は1945年3月10日の東京大空襲で、大きな被害を受けた。須田さんは当時、地元の友人の安否を確かめようと、空襲から3日後、徒歩で現地を訪れ、壊滅的な状況を目の当たりにしたという。
調査では、空襲関連の文献にも目を通し、改めて当時の被害や範囲も確認した。
須田さんは、(1)大空襲で地域の昆虫のほとんどが全滅。セミの幼虫も焼き尽くされた(2)復興後、他の昆虫の多くは植樹や河川敷を利用して木々にとりつくなど生態系を戻したが、木とその根元の地中をすみかとするセミは、雌雄ともに飛行距離が比較的長いアブラゼミが、焼け残った場所からたどり着くにとどまった――とみている。
台東区側では、西にある上野公園や東京大キャンパスなどから街路樹などを伝ってセミが繁殖範囲を広げたが、墨田区側は、隅田川と周囲の急速な宅地化で公園が隔離され、虫が移動できる道ができなかった可能性があるという。須田さんは「ミンミンゼミの雄が来ることもあるが、メスは行動範囲が狭く、命がつなげないのではないか」と話している。
圧倒的なアブラゼミの鳴き声に交じってミンミンゼミの声も時々、聞こえるが、わずか数匹。「戦争は生き物にとって壊滅的な環境変化。影響や復元に目を向けた研究も必要ではないか」と指摘する。
◇
■空襲との関係、詳しい調査必要昆虫に詳しい群馬県立ぐんま昆虫の森園長の矢島稔さんの話 ミンミンゼミはもともと東京の平地にはほとんどいなかったが、今はとても増えている。戦争から60年以上たって、限られた場所だけが聖地のように昔の姿を残しているのは非常に不思議な感じがする。もっと広い範囲でセミの分布を詳しく調べないと、空襲との関係は何ともいえないのではないか。
〈東京大空襲〉 45年3月10日、米軍のB29重爆撃機による焼夷(しょうい)弾攻撃で、東京・下町の墨田、江東、台東各区を中心に約40平方キロが焦土と化した。一夜で約10万人の命が失われたとされる。
(朝日新聞2009年8月13日夕刊)
なるほど、アブラゼミが戦禍の記憶を刻んでいるのですね。
その真偽を判断するためにはまだまだ検証するべきことも多いでしょうけれども、とても興味深い事実です。
セミは羽があるために行動範囲が広いと思っていましたが、アブラゼミ以外のセミが隅田川を越えることが困難なほど行動範囲が極めて限られるということも意外でした。
となれば、冒頭に書いたように、寺院ごとでセミの分布状況が異なるということも納得できます。
セミは様々なことを私たちに教えてくれるのですね。
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8月には戦争に関連した番組が多く放映されていますが、今晩テレビをつけると見覚えのある光景が広がりました。
その場所はロサンゼルス・ボイルハイツにあるエバグリーン日系人墓地。
番組はエバグリーン日系人墓地のシーンから始まります。
すっかり見入ってしまいました。
『渡辺謙アメリカを行く 星条旗の下に生きたヒバクシャたち』(NHK総合)
冒頭のエバグリーン墓地には、一面芝生が植えられており、そこに整然と平板の墓石が整然と並んでいます。
そこに刻まれた出身地には広島県の文字が目立ちます。
明治から大正にかけて米国に渡った日本人移民には広島県出身者が多く、太平洋戦争が始まる前に家族と共に日本に一時帰国したものの中には米国により投下された原爆に被爆したものも少なからず居りました。
うち、戦後日系二世となる子どもたちのかなりの割合が戦後、生まれ故郷の米国に戻りました。
現在米国に居住する被爆者の数は1000人にものぼります。
なぜ、被爆しながら原爆を投下した国に帰ることを選択したのか、その理由を内面から探る番組でした。
番組の中で印象に残った詩がありました。
アメリカで生まれた22才の女性が、被爆者である祖母と広島を訪れた体験を元に書いた詩 "An Empty Urn" です。
原文は英語、それを番組中渡辺謙氏が日本語訳詩を朗読されていましたので、それを文字におこしてみました。
『空の骨壷』私は 日本語の文字で覆われた壁を見上げている
私は 泣いている
その何一つ読めないけれど
でも これらがみな 小学校の年齢で亡くなった原爆犠牲者の名前だと知って彼らは 想像を越えた痛みの中で死に至り
短すぎた命の最後の瞬間に 本当の地獄を目撃した彼らは 1945年8月6日 日本の広島で亡くなった
私の祖母の妹もその中の一人
私はどんな時でも 公の場所で泣くのを恥ずかしいと思ってきた
しかし ここでは余りにもたくさんの涙が流され 私の涙が気づかれることは無い私は最初に日本を旅したとき6歳だった
母 叔母 姉妹と私は広島の平和記念資料館に入った
なぜか祖母は外で待っていた幾つか部屋を過ぎると、まるで悪夢の世界に突き落とされたようになった
究極の痛みと苦しみの写真
人々の体には洋服の模様が焼きこまれ、その肌は蝋燭が流れたように融け、骨から滴っていた私たちは 泣いた
そして 私は思った
なぜ おばあちゃんは一緒に外で待たせなかったんだろう
なぜ わざと私にこのような苦痛を与え 意地悪をするのだろうとそれから数週間、私は悪夢にうなされ真夜中に眼を覚ました
私はその経験が人生において大きな変化をもたらしたと感じている怒りを許しみに
敵意を思いやりに
憎悪を愛へと
変えるように心がけている
いま 祖母は泣いている
私 姉 母も泣いている
公園中にいる何百人もの人が泣いているのだ
なくした兄弟 息子 母 父のことを思って泣いているのかもしれない
友人 近所の人 先生 同窓生のことを思って泣いているのかも知れないしかし もしかしたら 私のように
それは すべての人のために 泣いているのかも知れない
もう11年も前になりますが、1998年に研修旅行として訪問した際、エバグリーン日系人墓地の戦没者慰霊塔において皆で慰霊法要を営みました。
日本人の海外移民は、明治元(1868)年にハワイへの移民153名が、非合法ながら渡航したのが最初とされます。
その後、政府公認として、1885年のハワイ移民を皮切りに第二次世界大戦後暫くの間まで日本政府も積極的に関わって行われました。
しかし、米国への移民は多くの場合、開墾に二の足を踏む様な劣悪な場所が多く、まだ多くの面で差別を受ける事も多く筆舌にしがたい苦労を強いられることとなります。
⇒The History of Japanese Immigrants 日系移民の歴史
⇒米国日系移民史
さらに、
1906年 連邦政府、帰化法を改正。司法省、全裁判所に対し日本人の帰化申請を拒否するよう訓令を発布。
1907年 2月に施行された大統領令により、ハワイ、メキシコ、カナダからアメリカ本土への日系人の移住禁止。
1908年 日米両政府間で前年から7度に亘り行われた書簡交換により、紳士協定に基づく日本人の移民制限開始。
1908年 カリフォルニア州で、Japanese Association of America(在米日本人会)設立。
1911年 アリゾナ州で国籍を持たない外国人(=1世)の土地の所有および一定年数以上の借地が禁じられる。
1913年 カリフォルニア州で、上記アリゾナ州と同様の法律(対外国人土地法1913)施行。1世の土地の購入および一定年数以上の借地が禁じられる。同時期、アリゾナ州では期限を問わず1世による一切の借地が禁じられる。その後他州に拡大。
1920年 2月、日本政府が「写真花嫁」に対する旅券発行を禁止。
1921年 連邦議会、The Quota Immigration Act(移民割当法)施行。
1923年 ワシントン州で、対外国人土地法修正法により、アメリカ国籍を持つ未成年の日系人の土地所有も禁止され、未成年2世を抜け道的に土地所有者にする手段も絶たれる。
1924年 埴原正直駐米大使の書簡により連邦議会が排日に傾き、5月の合衆国移民法1924 (排日移民法)成立により、正式には7月1日以降、実質的には6月24日、移民船「シベリア丸」でサンフランシスコ港に到着した移民を最後に日本人の移民が全面的に禁止される。
1941年 真珠湾攻撃による日米開戦。日系人社会の主だった人々が逮捕される。 (真っ先に逮捕されたのは僧侶)
1942年 2月19日、フランクリン・ルーズベルト大統領による大統領令9066号の発令。「保護」の名目で西海岸地域に住む日系人全員、およびハワイの日系人のうち主だった人々計約11万人が収容所に送られる(日系人の強制収容)。
というように日系人にとって受難の時代を迎えます。
⇒(全米日系人博物館:japanese american national museumにおいて日系人強制収用の体験を伺う)
戦時中、日本に帰国したものも、強制収用されてたものもどちらも計り知れない苦悩があったのです。
米国により行われたこのような日系人の強制収容に至る歴史は、米国の歴史においてタブー視されるようで、表立って論議されることはあまりありませんが、このような史実はきちんと語り継いでいく必要があります。
原爆の日、終戦の日に限ってこのような番組が放送されがちなのですが、平素においても定期的に放送していただきたいものです。
小学校で行われる「平和学習」は、沖縄戦、広島長崎に投下された原子爆弾、大空襲などの日を中心に全国各地で行われています。
例えばこれは仙台で行われている平和学習のテレビ報道です。
しかし、その「平和学習」を行っている学校がどんどん減っているようです。
その原因は、戦争体験がどんどん遠い存在になっていることと、なんとなく平和学習がタブーとなりつつあるという雰囲気があるということもあるように思えます。
そこに多大なる政治的思想などが入り込む余地があるという懸念でしょうか。
しかし、平和問題を考えていく場は貴重なことです。
世界各地では常に争いが行われています。
平和を考えていくことに抵抗を感じたり、ちょっと胡散臭いと感じたら、全体に蓋をして無かったものとしてしまうということは大きな問題です。
ゆめ観音アジアフェスティバルにおける原爆の残り火(平和の火)を広げたキャンドルナイト、平和を祈願する萬灯供養、そして星野村に灯されている平和の火をその火が生まれるきっかけとなったアメリカの核実験場トリニティーサイトへ届ける禅僧の行脚。
大船観音の境内に灯されている平和の火や、禅僧たちが行った行脚は、多くの人のこころに平和のメッセージを訴えかけます。
バラク・オバマ米大統領はプラハにおける演説で「核兵器のない世界」実現に向けて「世界で唯一核兵器を使用したことのある核保有国として、米国は行動を起こす責任がある」と宣言しました。
「世界で唯一核兵器が使用されたことのある被爆国として」日本から発するメッセージには米国に勝るとも劣らない重みがあることを心しておく必要があるでしょう。
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最近、テレビ番組で特に嫌悪感を感じるのは「○○伝説・○○の全メニューを食べつくす!!」などの無意味な大食い番組です。
番組構成スタッフの企画力の無さにはホトホト呆れます。
日本がそれだけ飽食にドップリと漬かってしまっているということでしょう。
世界の国々では飢餓に苦しんでいる方々が数え切れないほど居ます。
日本の番組を眼にしたらどのように感じるでしょうね。
まあ、番組批判はここまでにしておいて・・・・
この飽食の時代だからこそ、最近は修行道場で受継がれてきた「食」の精神に注目が集まっています。
昨年は永平寺第三代の徹通義介(てっつうぎかい)禅師の七百回大遠忌の年に当たり、駒澤大学大講堂で「いただきます ごちそうさま」?禅の教えに学ぶ「食育」?のシンポジウムが開催され、多くの方にお越しいただきました。
また、今年春には幕張メッセで開催されたFOODEX JAPANの特設ステージで修行道場における食事作法と典座料理の紹介をさせていただき、その関心の高さを実感してきました。
CMでは「ごま」に焦点を当てたサントリー食品のCMがありいましたね。
ここ数日、大塚製薬で「大豆」をテーマにしたSOYJOYのCMが流れるようになりました。
ロケ地は大雄山最乗寺です。
大豆はアフリカでは栄養不足が深刻な中、高価な肉の代わりに庶民のタンパク源となり
オーストラリアでは食の欧米化で健康を損なった先住民アボリジニを救い
中国貴陽では標高が高く、稲作が難しかった町を世界有数の長寿の町に変えたのが大豆であったとCMでは訴えかけます。
大豆のその小さな一粒には、いのちのチカラがつまっている。
それをどう生かすことができるのかが問われます。
Na)
その小さな一粒に秘められたチカラをずっと信じてきた国がある。"湯葉、高野豆腐、雁もどき、油揚げ、雉焼き、
たぬき汁、けんちん汁、醤油、"かつて、肉を食べられない禅僧たちがつくりあげた、
大豆を使った数々のレシピ。"200を越えると言われる。"
その多くは、今もなお、そのままのカタチで受け継がれている。
"優良なタンパク質を、
「大豆」からいただく食文化。"Na) 優良なタンパク質を大豆からいただく、
その賢明な食文化は、いまも、世界一の長寿の国を支えている。"世界一の長寿の国を支えている。"
地球上の健康の問題に、「大豆」が答えていく。
Soylution
"Soylution"大豆を新しいカタチで、世界へ。
例えば、SOYJOY。
大塚製薬。"大豆を新しいカタチで、世界へ。"
CMのコンセプト日本人にとって身近な食材である大豆。しかし、意外と知られていないことは多い。
大豆はこれまで人類にどんな影響をもたらしてきたのだろう。
優良な植物性のタンパク質はもちろん、大豆のもつさまざまな成分が注目されている昨今。
世界中で、ますます大豆を食べる人は増えています。そんな今だからこそ、もっと深く、大豆の素晴らしさを知ってほしいと考えました。
日本で、世界で、実際にあった大豆にまつわるエピソードを映像とともに紹介。
キーワードは「Soylution」。大豆が人類の健康や栄養の問題を「Solution=解決」している。
その事実を知っていただくことで、現代に生きる人に、大豆の必要性を再認識してもらえたらと思います。
(大塚製薬のサイトより)
日本文化の中にも大豆は奈良時代あたりから浸透しはじめ、貴重な淡白源として様々な食品が生み出されてきました。
モヤシ・枝豆・大豆油・黄粉・醬油・味噌・納豆・豆腐・油揚げ・湯葉・・・
それぞれがさらに様々な種類に分化されており、これだけ様々な食べ方がされている国は他に無いでしょう。
禅の修行道場では「肉」を食材として使うことが出来ないため、それに代わる蛋白源として大豆が重宝されています。
「雁擬き(がんもどき)」などは、まさに雁の代わりとして生み出された大豆食品ですね。
その工夫されて生み出されてきたレシピの種類は数えきれません。
その多くは、今もなお、そのままのカタチで受け継がれている。
伝統の重みを感じさせる言葉です。
SOTO禅インターナショナル主催両大本山講演会において、講師の青山俊董老師は次のように述べられました。
「古」という字は「十」と「口」からできている。十代口伝で相続されたことは間違いないことだとされる。
天地悠久の真理を「古道の発見」とする人もいる。
その古道に目覚めた人が「古聖」であり、その教えが「古教」である。
その道を慕うのが「慕古」である。]
禅僧たちが大切に育んできた世界に誇ることができる「食にむかうこころ」といえましょう。
港南歴史協議会のメンバーで古写真を持参し、2箇所訪問しました。
1箇所目は高度経済成長期に創立した小学校。
総合学習の一環として、自分の住んでいる街の歴史を調べようというものでした。
まずは150年前に開港した横浜港当時の自分の街のイメージはどんなものかを想像してみます。
既に発展していた ⇒ 約60%
発展途上にあった ⇒ 約20%
全く発展していなかった ⇒約20%
それぞれのグループに別れ、当時のイメージを絵にして、理由を述べていきます。
港南区のエリアが、横浜市で無かったこと、開港当時から昭和初期までは殆ど変化が無く一面田んぼと山ばかりであったことがなかなかイメージできないこことが良くわかりました。
その後、歴史協議会にバトンタッチ、当時の地図や写真で時系列的に追ってみます。
先生方も、転勤が多く地域の歴史にあまり詳しくない
核家族化が進み、街の昔の様子や地域の伝統を伝える場が少なくなった
などなど、様々な理由もあり、余計に子どもたちにとって遠い昔の地域の様子が伝えられていない現実も目の当たりにしました。
けれども、最近は小学校での学習で地域の歴史を実際に散策し、聞き取りを行い、調べ、自分たちで纏めるということが盛んに行われています。
今回の訪問が、その学習を助ける一つの仲立ちになってくれればと思います。
その後、今度は対象がガラリと変わり、地域ケアプラザのデイサービスにお越しの年配の方々に昔の街の写真を見ていただきました。
実際にその写真に映し出されている場所の近くにお住まいの方もいらっしゃり、写真に対する反応は小学生と対照的なものでした。
写真を映し出しているスクリーンの近くまで歩み寄り、指差して説明をされる方もいらっしゃったり・・・・
時間と空間を共有していた写真ですから、周りの人たちとの話により、その記憶はさらに鮮明に蘇ってくるのでしょう。
そして、同じ世代の方だけではなく、様々な年代の方が(小学生たちと年配の方々が)一緒に古写真を見る機会も大切であることも実感しました。
古い写真や文化財などをデジタルアーカイブ化する作業は急いで行う必要があります。
そして、それらの大切さを訴え、「オリジナル」の保存も同時進行で進めていかなければなりません。
それらがどんどん失われていっており、さらにそれらを伝承する人も減る一方です。
こういう道具一つにしても、それがどういう名前でどのように使用されていた(いる)のか、それを知る人がいなくなってしまえば貴重な文化資料もただのガラクタとなってしまいます。
そのために古写真や文化財の保存は大切なことなのです。
これからも小学校、ケアプラザなど、様々な場所で古写真を中心とした展示を行っていく予定です。
デジタルアーカイブが地域を繋ぎ街を守り立てる一助となることを期待しています。
平成22年春に開催予定の第61回全国植樹祭は神奈川県で開催されます。
シンボルキャラクターは「かなりんちゃん」。
今年春に行われた みどりの愛護のつどいの場 でも愛嬌を振りまいておりました。
もう一つ、植樹祭を盛り上げるキャラクターがいます。
それは会場地の一つである南足柄市で生み出されたキャラクター「足柄四人衆」です。
【足柄四人衆】
北足柄地区代表 足柄山の総大将 キンタローさん
南足柄地区代表 小天狗 ドウリョーさん
岡本地区代表 勤勉少年 キンジローさん
福沢地区代表 天才少年 ユキチさん
この中のドウリョーは、大雄山最乗寺(曹洞宗)の道了さんということです。
小天狗ドウリョーさんの住まいは、いわずと知れた大雄山の奥深い山中です。大雄山の杉林は、天然記念物として、昭和28年に神奈川県指定文化財になっています。今日まで一生懸命、杉林を守ってきました。ひとたび、大雄山の杉林に入り込むと、そこはもう天狗の世界です。 (南足柄市のサイトより)
木を植えるドウリョーさん、なんとも微笑ましいではありませんか。
どこかの都市の遷都記念キャラクターなど比較にならないほどセンスがあります。
宗門のグリーンプランマスコットに推したいほどです。
※このキャラクターは最乗寺で作成されたものではなく市役所で作成されたものです。念のため
キャラクターといえば、先日雑談の中で、曹洞宗のキャラクターはどういうものがよいかという話題になり、「ダルマ」さん(菩提達磨大和尚)が適切ではないかという話になりました。
これほど全国的に認知度の高いキャラクターはありません。活かさない手はありませんね。
曹洞宗では、今のところ定められた「他のものと区別できるシンボルマーク」「デザイン化した文字列」などがありません。
もしも達磨大師をシンボルキャラクターにするのであれば、個人的な要望としては是非、加古里子さんにデザインをお願いしたいものです。
だるまちゃんシリーズ、全て持っています。
時代を感じさせない豊かな感性には本当に感心させられます。
後半は勝手な意見となりましたが、宗務庁に広報部が出来たことを機に、CIについての具体的検討がなされることを望みます。
■関連リンク
CIポータル
「ぼくたちにとって一切れであっても朝の粥に入っている肉は大変な楽しみであり、その大小は1日中頭の中をしめる喜びや悲しみでもあった」「誰も気がつかぬうちに夜ひっそり死んでる者がよく出るが、すぐ分かった。どんな場合でも、それまで体中にびっしりとまつわりついていた虱が一斉に逃げ出す白い列が見えて確認された」
『黒パン俘虜記』(胡桃沢耕史)
シベリア抑留といえばロシア国内のみだと思いがちですが、モンゴルの地にも数多くの日本人が抑留されていました。
一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際にはモンゴルや中央アジア、北朝鮮、ヨーロッパ、ロシアなどにも送り込まれていた。現在でも、それらの地域には抑留者が建設した建築物が残存している。彼らの墓地も各地に存在するが、現存するものは極めて少ない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
抑留中の過酷さは話として耳にしたり体験記を読んだりしますが、実際どれほど辛かったのか、正直自分自身どれほど理解できているのかわかりません。
モンゴルツアーにおいて、どうしても訪問したい場所として、ウランバートル郊外(北北東に約15km)にあるダンバダルジャー日本人慰霊碑(日本人墓地跡)がありました。
それがこのたび実現しました。
(⇒地図はこちら)
諸士よ 祖國日本は 見事に復興しました
モンゴルに 安らかに 眠ってください
厳冬の地モンゴルで、ノモンハン事件や戦後抑留され強制労働に従事され亡くなった800人を超える遺骨(うち、姓名が判明したのは614名)がこの地に埋葬されていました。
ダンバダルジャー以外にもモンゴル各地に日本人墓地がありましたが、遺骨の多くは日本に戻され、ここに慰霊碑が建立されたのです。
霊堂内で慰霊法要を営ませていただきました。
モニュメントの天頂部に空けられた円形の穴を通った太陽の光が、一日2回壁面に日の丸を作り出すそうです。
ダンバダルジャー日本人慰霊碑のすぐ南に隣接するダルハダルジャー寺院境内にも日本人霊堂があります。
(⇒地図はこちら)
ここには数十人もの僧侶の修行光景も見受けられました。
かつて日本人収容者の元軍医による診療所の建物(写真右)も境内に残されています。
「砂漠をトラックで運ばれ、この首都に到着したときは,川の両側の平地には、白いきのこのようなフェルトの天幕と、朱塗りの柱のラマ教の寺院と、3階建ての政府の建物が3棟あるきりだった」「大統領閣下は、革命達成25周年を記念して、この川の両岸の天幕の集落を自分がときおり参勤する大祖国のあのすばらしい首都と同じように、中央に分列行進ができる広場を作り、回りに官庁、大学、劇場などのある都市にしたいと考えた」「首都とは名ばかりで、川の両岸にフェルトの移動天幕が並ぶ集落にすぎなかったこの平地が都市らしい外観を見せだしたのは、その年(昭和20年)の11月から翌年の5月にかけて行われた猛烈な労働の結果である」「帝国側の督励と、収容所側の協力で、すべての予定作業は前日で終わった。新しいビルディングが10も建ち、道路や広場は美しく整備され、中央の銅像は今にも馬が動きそうに見事だった」
『黒パン俘虜記』(胡桃沢耕史)
ウランバートル滞在中、日本人抑留者が建設した国立劇場や、スフバトール広場の周囲を何度も通りました。
首都ウランバートルの基盤となる道路や建物の多くは、過酷な労働により建設されたものだと考えると、複雑な心境です。
植林で訪れたロシア国境の町では「鉄道唱歌」が民謡として伝わっているそうです。
また、ウランバートルを見渡すことが出来るザイサントルゴイの丘には、大日本帝国国旗を踏み折っているソ連軍兵士の巨大なモザイク画が掲げてありました。
戦争の影があちこちで見受けられた旅でもありました。
日本の土を再び踏むことなく、この地で亡くなられら方々の思いはどのようなものだったのでしょうか。
■関連リンク
ノモンハンの戦い
戦史 満ソ国境紛争/ノモンハン事件
昨晩テレビを何気なくつけていたら
桑田佳祐の歌声が飛び込んできました。
充電期間を取るためにサザンオールスターズとしての活動を無期限休止にしていたのでは?と思っていましたが・・・・
ソラミミ「アビィロード」 ⇒ 「アベーロード」
それにしても、元々日本語の歌詞なのか英語の歌詞なのか、そんなことはどうでもいい歌い方をする桑田さんならではの空耳ソングのオンパレード。この一枚に耳を傾けてみると
実は現代社会への
あるメッセージが込められていたのです
Come Together ⇒ 公明党BROTHER
Something ⇒ さみしい・・・
Maxwell's Silver Hammer ⇒ 舛添居ず知らぬ間データ
Oh! Darling ⇒ 親だ?れ !?
Octpus's Garden ⇒ 僕当選さす票田
I Want you (She's So Heavy) ⇒ iPhone中
Here Comes The Sun ⇒ 爪噛むおじさん
Because ⇒ 民主党
You Never Give Me Your Money ⇒ 油田は危機を招き
Sun King ⇒ 国際危惧 !!
Mean Mr. Mustard ⇒ 民意無視して増した・・・!!
She Came In Through The Bathroom Window ⇒ 「死刑」にするも「罰する」も非道!?
Golden Slumbers ⇒ 公然知らんばい(bye)!!
Carry That Weight ⇒ 借金(かり)が増え!!
The End ⇒ 次年度
世相をズバズバ斬りまくり。
よくもまあこれだけの政治風刺を盛り込んだと思います。
こんなことが出来るのは桑田佳祐か忌野清志郎くらいかもしれません。
日本を支える先生方、これからも頑張ってください m(__)m
■リンク (もしかすると直ぐリンク切れになってしまうかも)
http://www.youtube.com/watch?v=bAH2DKEmfJY
http://www.youtube.com/watch?v=-V6sajF_HmY
http://www.youtube.com/watch?v=V9fDJR096OY
伝統仏教超宗派で運営されている仏教情報センターの活動の一つに仏教ホスピスの会・いのちの集いがあります。
本日、東京都荒川区 町屋で開催されます。
私も担当となっておりますので、出かけてきました。
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第181回『いのちを見つめる集い』
4月23日(木曜日)午後1時30分?4時30分 語り合い 午後2時30分?4時30分
会場 泊船軒(はくせんけん) 東京都荒川区荒川7-17-2 (案内地図)
会費 500円(当センターの会員の方は無料)
『いのちを見つめる ?海外医療の現場から?』
(財)国際仏教興隆協会 医療部長 大工原彌太郎 (だいくばら・やたろう) 師
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昭和19年生まれ。チベット医学を専攻。
昭和46年インドのダージリンで診療開始。翌年にブッダガヤに移ってのち印度山日本寺境内に私設の無料診療所を開所して以来臨床畑を歩むかたわら、招聘に応じてたびたびイギリス、スペインでの講座講義と臨床。
昭和50年に国連ユニセフ・フィールド・エキスパートとしての専属契約によりネパール、ブータン、タイ、カンボジア、ヴェトナム、チベット等での教育・福祉・健康・医療面での諸プロジェクトに従事した経験から、異なる民族の歴史と文化に育まれた様々な「いのち」観に付き合ってきた、その一端を。
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会場となった泊船軒。臨済宗妙心寺派の寺院です。
法堂天井の龍が見事です。
【講演内容kamenoメモより】
イギリス・スコットランド地方では粉炭が産出し、その採掘に携わるものにガス壊疽が流行した。患部切除に伴う痛みの緩和のためにモルヒネを使用。しかし、モルヒネ中毒も蔓延した。
最期のイニシエーションを受けずに死んでいったものは教会で受け入れてくれない。家族も離れてしまう。僧侶の果たす役割は、モルヒネに変わる精神的なケアを行うことなのだろう。
ベトナムでの体験
戦争の最前線に兵士は家族と共に出でいく。直ぐ背後に家族が居るということがベトナム兵の強さの源だったのではないだろうか。
ベトナムでは死を迎えようとする者に対し、僧侶が何人も集まり、数日間に亘ってお経を入れ替わり立ち代り唱えていく。死に対する恐怖はそこにはない。死を迎えようとする者に対し、それを安らかに送ることが僧侶の役割。その者が死を迎えると僧侶は居なくなる。死後には僧侶の役割は無くなるのである。
インド・ブッダガヤにて
僧侶の多くは托鉢をしながらサンガを渡り歩き遊行する。インドにおいてはブッダガヤで死を迎えることが最高の幸せである。
ある僧侶がブッダガヤの僧院において重篤な病に陥った。この地で死を迎えることを望み、治療を拒否した。街頭の木陰の下にベッドを置き、野ざらしでこの僧侶は過ごした。警察官は僧侶の意思を尊重し、毎日見回りに来るものの、その行為に対しては口を出さず静かに見守っていた。街の人たち、特に子どもたちは毎日のようにやってきては生きていることを確認し、僧に率直な疑問をぶつけていた。僧は静かに、真摯にその問いに答えていた。はじめは単に興味本位でみていた子どもたちも、次第に尊敬の念を抱くようになった。
結局飲まず食わずであった僧侶は、二週間ほどで亡くなったが、この僧侶は死を迎える過程を身をもって子どもたちに提示していたのではないだろうか。
ブッダガヤの診療所にて
老人が村の人に抱えられながら診療所にやって来た。いくら診療してみてもどこも悪いところが無い。村人はそんなことは無いだろうと、その診断結果を受け入れない。しいて言えば、寿命ではないか。といったその言葉に、老人は「なんだ、寿命だったのか」と納得し、喜んで帰っていった。
インドでは寿命とは決してタブーではなく、逆に素直に受け入れ喜ぶ。そして余命が幾らも無いことが分かると余生の計画を立てて巡礼に旅立つものもいる。
日本では寿命の話はある意味タブーではあるけれども、インドでは悲しみでも何でも無い、自然の摂理として捉えられているのである。
生まれ方は誰しもほぼ同じである。けれども死の迎え方は人により大きく異なるものである。
第二部は、本堂畳の上に参加者が車座となり意見交換が行われました。
『 仏教ホスピスの会 』は広く仏教の精神を、『 聞・思・修(もん・し・しゅ)』し、出会いを喜び、ふれ合いを楽しみ、支え合いの手を差し伸べ合い、病む者、健やかな者の区別なく、共に”生・老・病・死”を語り見つめ直すことを目的にしています。
「 いのちを見つめる集い 」は、寺の本堂を会場に、毎月いろいろな分野の方を講師にお招きして1時間ほどお話をしていただいております。休憩(ティータイム)のあと約2時間、参加者・講師・僧侶による語り合いの場を提供しております。
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ひっきりなしの電話
仏教テレフォン相談から見えること
公共的施設における受動喫煙防止条例 の続報記事です。
「公共的施設における受動喫煙防止条例」の条例案が先月末、神奈川県議会において賛成多数で可決、成立しました。
施行は来年(平成22年)4月1日より。罰則規定を設けた全国初の条例となります。
大まかに言うと、寺院境内、火葬場、葬祭場、納骨堂、学校や病院、官公庁、公共交通機関など公共性の高い施設の室内においては原則禁煙となります。
違反者には過料(施設管理者2万円、個人2千円)が科せられます。
条例の全文はこちら
⇒神奈川県公報 (平成21年3月31日/PDF)
条例を簡潔にまとめると
■第1種施設は原則禁煙 ■第2種施設は分煙・喫煙を選択できる ■第2種の次の施設は分煙化への移行に3年の猶予 ■該当しない場所 ■罰則 |
規制対象施設一覧 (第1種施設)
(1)幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学、高等専門学校、専修学校、各種学校その他これらに類するもの
(2)ア 病院、診療所又は助産所 イ 薬局 ウ あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師又は柔道整復師の施術所
(3)劇場、映画館又は演芸場
(4)観覧場
(5)ア 集会場又は公会堂 イ 火葬場又は納骨堂 ウ 神社、寺院、教会その他これらに類するもの
(6)展示場
(7)体育館、水泳場、ボーリング場その他の運動施設
(8)公衆浴場
(9)百貨店、マーケットその他の物品販売業を営む店舗
(10)銀行その他の金融機関
(11)郵便事業、電気通信事業、水道事業、電気事業、ガス事業又は熱供給事業の営業所
(12)ア 公共交通機関を利用する旅客の乗降、待合いその他の用に供する施設イ 旅客の運送の用に供する電車、自動車その他の車両又は船舶(運行する路線又は就航する航路の起点及び終点が県内にあるものに限る。)
(13)図書館、博物館、美術館その他これらに類するもの
(14)動物園、植物園、遊園地その他これらに類するもの
(15)老人ホーム、保育所、福祉ホーム、老人福祉センター、児童厚生施設、身体障害者福祉センターその他これらに類するもの
(16)官公庁施設
(17)前各項又は別表第2の各項に掲げる公共的施設が所在する建築物又は工作物(出入口、廊下、階段、エレベーター、便所その他の一般公共の用に供される区域に限る。)
として、利用者に選択の余地が無い(もしくはほとんど無い)、代替性が低い施設、健康維持や健康増進を目的に利用される施設、多数の者が集合して利用する施設及び他法令(条例を含む。)等により喫煙が規制されている「第1種施設」として分類されています。
条例(案)では
(6) 集会場 公民館、児童館、結婚式場、葬祭場、火葬場、納骨堂、境内建物、その他これらに類する施設
(5)ア 集会場又は公会堂 イ 火葬場又は納骨堂 ウ 神社、寺院、教会その他これらに類するもの
となっております。
境内建物という表現では分かりづらかったため、より具体的な表現としたのでしょう。
したがって、お寺の本堂、客間、境内建物(庫裏を除く)については、禁煙が義務付けられることになります。
喫煙の中止等の求め(14条)どのように求めるか、今のうちに練っておこうと思います。
施設管理者は、その管理する喫煙禁止区域において現に喫煙を行っている者を発見したときは、その者に対し、直ちに喫煙を中止し、又は当該喫煙禁止区域から退出するよう求めなければならない。
【4月21日追記】
丁度タイムリーな記事がありましたのでご紹介します。
健康の「とげ」抜く禁煙寺 ?医師の住職が取り組み、街に浸透?
「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる東京・巣鴨の地蔵通り商店街で、禁煙の動きが広がっている。 仕掛け人は、医師でもある「とげぬき地蔵尊・高岩寺」の来馬明規住職(46)だ。たばこと、仏教と、医学はどうつながるのか。高岩寺の入り口には「境内全域禁煙」と書いた縦3メートル横80センチほどの垂れ幕が下がっている。境内には同じ垂れ幕が11枚、至る所に禁煙を呼びかけるシールもはられる。
来馬住職が父の跡を継いだ05年末、禁煙区域は本堂のみで、広場には灰皿が置かれていた。 しかし、「延命地蔵を本尊とする寺で、たばこを禁じて長生きを願うのは究極の菩薩行だ」と、住職は07年1月、境内を全面禁煙にした。
当初は「住職の個人的な趣味じゃないか」という批判もあったが、寺に勤務する僧侶や従業員のうち喫煙者だった10人の禁煙を全員成功させ、現在は縁日の露天商にも禁煙 を徹底してもらっている。
こうした寺の方針は次第に商店街にも浸透。店内禁煙の店や、軒先から灰皿を撤去する店が徐々に増えている。 巣鴨地蔵通り商店街振興組合の木崎茂雄理事長(65)は「お客様からは『灰皿がなくて困る』という声も聞くが、高岩寺あっての地蔵通り。 喫煙者にも救いの手を差し伸べつつ、時間をかけてお寺のやり方についていかないと」。
来馬住職は内科・循環器の医師。現在も都内の診療所などで診療を続けている。臨床医としての経験から、「たばこが脳卒中や心臓病につながるのは明らか」という。
仏教には元来、具体的に喫煙を禁じた教えはないが、来馬住職は「最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任することなかれ」という曹洞宗の経典『修証義(しゅしょうぎ)』の一節を挙げる。
かけがえのない命を粗末にしてはならないという意味だ。 素直に受け取れば、たばこを吸うなということになるはずという。
「年間800万人とも言われる参拝者の0.1%でもたばこをやめてくれれば、8千人になる。禁煙外来でも大した業績です」と力を込める。
(朝日新聞2009年4月21日夕刊)
条例で規制される以前に、僧侶が率先して禁煙行動を推進している好事例です。
こうでなくっちゃ、ね。
関東・東海・関西から九州へ直通する唯一のブルートレイン「富士・はやぶさ」。
ついに今日、最終列車出発の日を迎えました。
思えば子どものころから現在の東戸塚の近辺まで自転車でよく見に行ったものす。
これに乗っていつか終点まで行ってみたい・・・・・・といつも思っていたものでした。
撮影は1977年です。
写真を撮影した場所は現在の横須賀線東戸塚駅から東京よりに100mほど行った所にあった踏切。
当時このあたりは野っ原と山ばかりで何もありませんでした。
今朝(3月13日)、かつて撮影した近辺に行ってみました。
この姿を見られるのも今日、明日限りです。
この列車が東京に到着し、折り返し今日の夕方に最終列車として大分・熊本へラストランの旅に出発します。
きっと東京駅は大変な人でごった返すことでしょう。
「富士」最終列車チケット 10秒で完売春のダイヤ改正で廃止される寝台特急はやぶさ(東京―熊本)と富士(東京―大分)の最終列車(三月十三日)のチケット販売が十三日午前十時から全国のみどりの窓口で始まり、わずか約十秒で完売した。
青い客車の寝台特急“ブルートレイン”は近年、乗客減で廃止が相次ぎ、両特急の廃止で東京駅発着のブルトレは姿を消す。
ラストランは三月十三日午後に熊本、大分をそれぞれ出発する上りと、同日夜東京発の下りで、定員計六百四十人。前日までの列車も満席に近い状態が続いているという。あるJR関係者は「これだけの人気が続けば廃止されなかったのでは」と苦笑い。
(2009年02月13日 大分合同新聞社)
最終列車のチケットは僅か10秒で完売となったそうです。
まさにプラチナチケットですね。
「富士・はやぶさ」・・・・そして東海道線を駆け抜けていったたくさんのブルートレインたち
本当にお疲れ様でした。
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今日は穏やかな一日となっています。
けれども64年前の3月9日夜から10日にかけての東京は、現在の平和な世の中からは想像も絶するほどの惨状に見舞われました。
東京大空襲がアメリカ軍により行われたのです。
それ以前にももちろん空襲は各地に行われていました。けれども、この日ほど大規模でかつ市民を攻撃対象に行なわれた無差別の低高度夜間爆撃はありませんでした。
3月10日の大空襲は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているとして、町工場が立ち並ぶ下町の市街地とそこに生活する市民そのものを攻撃対象に行なわれた低高度夜間爆撃である。アメリカ軍の参加部隊は第73、第313、第314の三個航空団が投入された。
1945年3月9日夜、アメリカ軍編隊が首都圏上空に飛来。22時30分(日本時間)、ラジオにて放送中の軍歌を中断して警戒警報が発令された。同編隊は房総半島沖に退去して行ったため、警戒警報は解除される。ここで軍民双方に大きな油断が生じた。その隙を突いて、9日から10日に日付が変わった直後(午前0時7分)に爆撃が開始された。B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は、午前0時7分に深川地区へ初弾が投下され、その後、城東地区にも爆撃が開始された。午前0時20分には浅草地区や芝地区(現・港区)でも爆撃が開始されている。これにより、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断ち、逃げ惑う市民には超低空のB-29から大量の榴弾や機銃掃射が浴びせられた。火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れた。
火災から逃れるために、隅田川に架かる多くの橋や燃えないと思われていた鉄筋コンクリート造の学校などに避難した人もいたが、火災の規模が常識を遥かに超える規模であるため、超巨大な火災旋風が至る所で発生し、橋や建物に炎が火龍の如く流れ込み、焼死する人や、炎に酸素を奪われ窒息(ちっそく)死する人も多かった。また、川に逃げ込んだものの、水温が低く凍死する人も多く、翌朝の隅田川は凍死・溺死者で川面が溢れていたという。
水を求めて隅田川から都心や東京湾・江戸川方面へ追い詰められた犠牲者が多いのに対し、逆に内陸部、日光街道・東武伊勢崎線沿いに春日部・古河方面へ脱出した生存者が多い。死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸東京大空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昨日(3月9日)門前仲町のホールにて、東京大空襲から64年「鎮魂と平和を願うコンサート」が開催されましたので参加してきました。
ご案内いただいたハープ奏者・八木健一さんとシンセサイザー奏者・八木ゆみ子さんご夫妻とは、仏教情報センターや、ゆめ観音アジアフェスティバルなどの繋がりです。
八木健一さんのお父さんは、20歳の時に、母と3人の弟とともに東京深川で暮らしておりましたが、昭和20年3月10日、大空襲に遭い家族を失ってしまいます。
健一さんがお父さんにそのときのことを訊ねても黙り込んで何も話してはくれませんでした。
あまりにも悲しい記憶は、無意識にそれを消し去りたいという思いからでしょうか。結局最後まで誰にも語ることは無かったそうです。
この日のコンサートは、前半は、東京大空襲を体験された橋本代志子さんの語りを中心に大空襲の状況を曲で表現、後半はテノール歌手嘉納兼徳さんの歌を中心に鎮魂、慰霊から未来への希望という構成で進んでいきました。
3月9日深夜、当時24歳、亀沢町に住んでいた橋本さんは、空襲が始まると幼い子ども、両親、そして三人の妹とともにまずは家の前の防空壕に避難。
「みんな、逃げるんだ。ここはもういかん」
という父親の声に、防空壕から外に出ると頭上には電柱を掠めるほど低空を編隊を為して飛行するB29が乱舞し大火災が迫ってきてきました。
家族7人は南下して竪川を目指し歩いていましたが、パニック状態の人の流れの中に妹たちが次々とはぐれいき、次第に小さくなっていく「お姉ちゃん、お姉ちゃん」という声が最後の声となってしまいました・・・
橋本さんの語りは、実に迫力があります。
電信柱を掠めるほど低空を編隊を為して飛行するB29、逃げ場を失って大通りに溢れる市民、黒焦げの死体の山。
目の前に光景が浮かぶようです。
「橋本さん、あのつらい体験をよく話しているわね」って言われる。でも、あの夜、沢山亡くなった人の代わりに、それこそ命のある限り、私はずっと話し続けていこうかと決心しているんです。
橋本さんの語りの記録がこちらに掲載されています。
⇒東京大空襲を語る(3)橋本代志子さんの話(JanJan News)
第二部で登場された沖縄出身のテノール歌手嘉納兼徳さんもお父さんが海軍に所属しており、沖縄戦に出撃されました。
戦争中も平和な今も変わらないのは沖縄の青い海、そして兀兀とどっしりとした山々。
そして太陽や月や大地を吹き抜ける風、青い空。
海の青さに 空の青
南の風に 緑葉の
芭蕉は情けに 手を招く
常夏の国 我した島沖縄(うちなー)「芭蕉布」
----------------------------ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる
風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい
夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない「さとうきび畑」
(コンサートのプログラムより。歌詞一部引用)
客席の最前列には、犠牲となった家族の遺影が飾られ、体験を語る橋本さんの机の上にはプレゼントされた沈丁花の花が置かれていました。
「昔、丁字油という髪油があった。母はよく髪をとかすときにそれをつけていた。その香りが沈丁花の匂いに似ているのだ。だからあの匂いを嗅ぐと母を思い出す。好きな匂いだ。江東区の庁舎の前に母子像が建っている。(私たちの請願から)10年間かかってやっとそれが建ったときも、沈丁花を捧げてお礼を言った。なにかのときにはこの花を飾る。まだ生活が苦しくて、仏様に供える花が買えなかった頃には、庭に咲いているその花を供えたりもした」
母の髪の丁字油の香を思はする 沈丁花咲く三月十日
このようなコンサートを企画されました八木さんご夫妻、そして東京大空襲戦災資料センターの方々に心から敬意を表し、犠牲となられた多くの方々に心から哀悼の意を捧げます。
■追記
上記記事は3月9日の演奏会の記事です。
今日(10日)には八木さんのお父さんの母校、区立東陽小学校での演奏会がありました。
■関連リンク
東京大空襲・戦災資料センター
昨年12月、休戦協定の終結を機にイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が始まってから一ヶ月以上が経過しました。
現在、パレスチナ自治区では、「封鎖」により150万人のガザ市民が苦境に立たされています。
人の移動や物資の搬入、搬出の制限と米・EU・ロシア・日本などからのガザ地区への直接支援が中止されました。
その影響でガザ地区の食料、医療品、生活必需品が不足。80%の人々が人道支援で生活、私企業の55%が営業休止、工場の95%以上が操業停止、毎日起こる8-16時間の停電、燃料、水の不足といった現状も現地からの細々とした情報網によりかすかに伝えられています。
中東の歴史については下記へ
⇒パレスチナ問題(ウィキペディア)
⇒イスラエル (ウィキペディア)
⇒パレスチナ (ウィキペディア)
1948年以降の大まかな年表をまとめておきます。
ピンクがパレスチナ(自治区)、水色がイスラエルの領域です。
左の尖っているあたりにあるピンクの領域がガザ地区。
ちなみに、ガザ地区は、地中海に面しエジプトとイスラエルと境界を接する東京23区の約6割の広さの土地で2006年6月以降イスラエルによる長期間の完全封鎖が続いています。人口は約150万人。14歳以下の子どもの割合が約45%、平均年齢は17歳。約7割が難民で、8つの難民キャンプを抱えています。
<これ以前については上記リンクをご参照ください>
1948年 イスラエル建国(第一次中東戦争)=パレスチナにとって『ナクバ(破局の日)』
1967年 第三次中東戦争 →直接的占領
1987年 第一次インティファーダ(抵抗運動・戦車に石を投げるなど)
1991年 湾岸戦争
1993年 オスロ合意→暫定自治協定=街に常駐するイスラエル軍はいなくなるも占領状態は継続。
2000年 第二次インティファーダ =輸出・出稼ぎ制限
2001年 9・11事件、アフガン戦争 =空爆、指導者の暗幕
2002年 西岸・ジェニン難民キャンプの破壊
2003年 イラク戦争 継続する隔離政策、家の破壊
2004年 アラファト議長 逝去
2005年 ガザ地区から入植地撤退 なおも隔離政策・封鎖は続く
2006年 パレスチナの選挙で「ハマス」が圧勝 =国際社会化からの支援停止
2007年 レバノン侵攻
2008年 ガザ・エジプト国境フェンスを爆破
イスラエル軍 空爆・地上侵攻、
同3月 対イスラエル強行派ハマス
同6月 ハマス政権とイスラエルの休戦協定、「封鎖」はなおも続く
同12月 休戦協定の終結※「イスラエル・ハマスの言い分」
イスラエル軍 空爆・地上戦(12月末?1月19日?現在)年表の基礎資料は特活パレスチナ子どものキャンペーンによります
イスラエル側の主張はイスラム過激派ハマスがロケット弾攻撃を始めたことへの報復ということですが、争いにより被害を受けるのは一般市民や弱者であり、そのような事実さえも全容が伝えられることがありません。
勝者は敗者の被害をかき消していきます。
争いによってどれほどの一般市民に犠牲者が出たのかが不明であるということは、攻撃を行った側が、その場所を実効支配してしまうからです。
もしもナチスが戦争に勝利していたら、ユダヤ人虐殺という歴史も暗闇に葬られていたのかもしれません。
中東の地に繰り広げられてきた数々の破壊と追放の歴史の全容や、イスラエルがパレスチナ人のあらゆる交通・物流を制限し、居住区に押し込めているということがあまり報道されないということも、その裏には中東戦争における勝者であるイスラエルがパレスチナの歴史を闇に葬っていった(いる)ということが第一にあるようです。
一例として、昨年末から始まったイスラエル軍による空爆及び地上攻撃により、援助関係者、ジャーナリストもガザへ入ることが不可能となっています。
私たちは、そのような情報に耳を傾け、この困難な問題を公平に判断し、国際世論に訴えかけていく必要があるでしょう。
一般市民に襲い掛かる悲劇を速やかに終わらせるためには、まずは「封鎖解除」が前提条件となるでしょう。
「封鎖」が解除されなければ、パレスチナ自治区の生活は一向に改善されません。
どちらが正しい、間違っているということではなく、まずは中東で何が起こっているかということに「関心」を向けること、それが私たちの出来る第一歩なのだと思います。
追記
イスラエル総 選挙 募る危機感、右傾化加速10日投票のイスラエル総選挙は、右派勢力が国会の過半数を獲得した。リブニ外相率いる中道政党カディマはかろうじて第1党にとどまる見通しだが、連立政権の枠組みがどうであれ右派の影響力増大は確実で、中東和平への道はさらに険しくなった。パレスチナ自治区ガザからの攻撃やイランの核開発などによる危機意識の高まりが背景にある右派の躍進。外交の最優先課題に中東和平を掲げるオバマ米政権にとっても厳しい結果となった。
(毎日新聞2009年2月12日)
パレスチナ自治区に未来はあるのでしょうか・・・
今後の動向から益々目が離せません。
数学の世界で、問題を「エレガント」に解くという言い方をすることがあります。
エレガントとは、「優美」「上品」「洗練」「シンプル」などと訳されますが、このようなキーワードから、海外の禅僧の中では「ZEN」=エレガントという捉え方をする方もいらっしゃいます。
数年前に講演を戴いたブライアンバークガフニ先生は日本文化に対し、余計なものをそぎ落とした「あっさり」という表現をされていました。
私が日本の文化は何かと聞かれますと、一言で表現しろと言われたら、「あっさり」という言葉で表現すると思います。あっさりと言うのは、出来るだけシンプルに、出来るだけ簡素にという日本独特の思考と言うのが有るように思います。
これは大いに日本で育まれてきた禅の生活では非常に大きな影響が有ると思います。つまり、無駄のない、出来るだけ簡素にシンプルにというのが日本の精神の中に、文化の中に大いに浸透していると思います。
例えば白木。西洋ではすぐにペンキを塗りたがるんです。第二次世界大戦で由緒ある日本の旧家が接収されて、持ち主に戻ってきた時に大黒柱が真っ赤なペンキで塗られていてびっくりしたと言う話は聞いた事があるのですが、これは悪戯でしたんじゃないんです。未完成だから塗ってやろうと思っているんです。白木のままと言うのは未完成で、裸でなんとなく落ち着かない。しかし日本の場合はペンキとかじゃなくって白木のままで、簡素にシンプルにというのが日本独特の思考だと思います。SOTO禅インターナショナル創立5周年講演『禅修行を通して得られたもの・・・両鏡相照』(講師:長崎総合科学大学教授 ブライアン・バークガフニ師・1998年開催)より
ですから、禅を「エレガント」と表現するという気持ちも良くわかります。
さて、先日テレビを流し見していますと、『たけしのコマ大数学科』という番組が流れていました。
そのときに取り上げられていた問題は
バスケットボールには1ゴールで3点、2点、1点入る種類がある。 では合計10点になるための組合せは何通りあるか。
というようなものでした。
この問題に
コマ大生(駒澤大学ではなくコマネチ大学)、東大生、北野武(マス北野)が取組みます。
コマ大生のとった方法はまさに力技。
3センチに切った赤いテープ、2センチに切った黄色いテープ、1センチに切った緑のテープを並べ、長さが10センチになる組合せを全て取り出しました。
数人で作業を行い、約半日掛かって出た結論が274通り。
机の上には膨大な数の色とりどりのテープが残されました。
⇒コマ大生たちの方法をExcelで再現してみました。
(ただし、次に挙げるトリボナッチの解法を利用して前2項分のセルをコピペしながら作成しました)
⇒参考までに:コピペのベースとなる途中経過
対し、マス北野の解法は、以前番組で取り上げたという問題
階段を一度に1段、2段登る2通りの方法を使って15段登る組み合わせは何通りかの解法をフィボナッチ数列を使って用いたことを応用し、274通りとほぼ暗算で答えを出しました。
マス北野の解法はエレガントなものの一例と言えるでしょう。
問題が、もしも1点に達するためには何通り?とか2点に達するためには?とか3点に達するためには?という程度だったら
1点に達するためには1点ゴールの1通り
2点に達するためには2点ゴール、1点ゴール+1点ゴールの2通り
3点に達するためにはは3点ゴール、2点ゴール+1点ゴール、1点ゴール+2点ゴール、1点ゴール+1点ゴール+1点ゴールの4通り
この問題を考えるポイントは、10点になった際、何点ゴールで10点に達したかということに着目することです。
ここに気づくかどうかが「エレガント」に問題を解くことができるかのポイントになります。
10点に達した際に決まるゴールの方法は3点ゴール、2点ゴール、1点ゴールの3通り。
ということは、そうなるためには
9点の段階から1点ゴール
8点の段階から2点ゴール
7点の段階から3点ゴール
このことから、7点に達する組み合わせ、8点に達する組み合わせ、9点に達する組み合わせを考えて、それを足せばよい。
9点に達するためには
8点の段階から1点ゴール
7点の段階から2点ゴール
6点の段階から3点ゴール
7点の段階から1点ゴール
6点の段階から2点ゴール
5点の段階から3点ゴール
6点の段階から1点ゴール
5点の段階から2点ゴール
4点の段階から3点ゴール
以下同様に考えて、簡単なために a点に達する組み合わせを T(a) とすると
T(10)=T(9)+T(8)+T(7)
T(9)=T(8)+T(7)+T(6)
T(8)=T(7)+T(6)+T(5)
T(7)=T(6)+T(5)+T(4)
T(6)=T(5)+T(4)+T(3)
T(5)=T(4)+T(3)+T(2)
T(4)=T(3)+T(2)+T(1)
・・・ここまで来ると最初に考えた
T(1)=1
T(2)=2
T(3)=4
T(1)=1
T(2)=2
T(3)=4
T(4)=1+2+4=7
T(5)=2+4+7=13
T(6)=4+7+13=24
T(7)=7+13+24=44
T(8)=13+24+44=81
T(9)=24+44+81=149
T(10)=44+81+149=274
よって274通り//
0,1から始まり、前の2つの数字を足したものが次の項になる数列をフィボナッチ数列
1 1 2 3 5 8 13 21 34 55 …
といいます。
階段の問題ではフィボナッチ数列を用いましたが、このバスケットボールの問題の場合は、前の3つの数字を足したものが次の項となり、それをトリボナッチ数列
1 1 2 4 7 13 24 44 81 149 274 …
と呼びます。
今回の問題はトリボナッチ数列を解法に使うことでエレガントに答えを導くことが出来ました。
マス北野の解法のように、エレガントさを求めるということは数学を学ぶものにとっては一種の憧れであったりするわけで、一つの問題について答えを求めた後でも、もっと「エレガント」に解けないかという異なったアプローチを考えたりします。
けれども、数学的には、コマ大生のとった力技の解法も正解です。
一つの問題から正解を導く方法は何通りもあります。
どの方法がベストなのかということは一概には言えないと思います。
例えば
いかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗るには4色あれば十分である
という、いわゆる四色定理は、1976年に ケネス・アッペルとウルフガング・ハーケンにより証明されました。
その方法たるや、コンピュータを利用して、あらゆるパターンをしらみつぶしに調べ上げ、当時の最高速のスーパーコンピュータを1200時間以上使用して導き出したものです。
いわばコマ大生のとった方法とほぼ同じであるといえます。
四色定理の証明は、エレガントな解法に対して、対極のものとして「エレファントな解法」とも揶揄されます。
今の受験数学は短時間で効率よく解答へたどり着くために「エレガント」な解法のみをマニュアルとして教え込む傾向にあるように見えますが、それでは以後の応用が利かなくなるような気がします。
コマ大生たちのような体力勝負の解法を模索してみることも必要です。
人生もたぶん一緒でしょう。
数学の問題に限らず、人は生きていく上で様々な問題に突き当たります。
それを「エレガント」にするりと乗り越えていくことが出来る場合もありますし、なかなか問題を解決できずに一見遠回りしたり非効率的に見える「エレファント」な筋道を通らなければならないこともあります。
アインシュタインは、教鞭をとった時に生徒たちに一つの問題に対して何通りもの解答を求めたそうです。
問題を解決する方法が一つでないということを認識し、一つの問題を解くためにどのような方法があるのか、いろいろな解法を探ってみる姿勢こそが大切なことです。
様々な解法を模索し、一見無駄のように見える「エレファント」なことを繰り返し体験するからこそエレガントな解法が導き出され、それが光るのですから。
冒頭にご紹介した講演で、ブライアン・バークガフニ先生は次のように結ばれました。
禅をどういう風に西洋人に伝えて行くかということを、私は是非「あっさり」という文化と関連してある言葉に注目していただきたいと思います。
それが私は日本語の大発見として大切にしている「お洒落」という言葉です。
私は「お洒落」というのは「ファッション」という言葉と同じ意味だとずっと思っていたんです。「ファッション」といえば「お洒落」。「お洒落」といえば「ファッション」。翻訳する時とか通訳する時に交換すればいいという風に思っていたんです。どのように書くかというのがあまりはっきりしていなかったんです。平仮名のイメージしかなかったんですが、ある時雑誌を見ていたら漢字で書いてありました。
へー!こんな字で書くのか。お酒が落ちると。なんという東洋の神秘!と思ったんです。
しかし良く見ればお酒と言う字と少し違う。横棒が一つ足りない。サンズイに西です。これが読めなかったものですから、早速好奇心が刺激されて私のボロボロとなった漢和辞典を広げてみたんです。そうしたら、本当になるほど、なるほどと思ったんです。お洒落というのは、洒が落ちると書くんですが、洒というのは、「晒(さら)す」というのが訓読みで、洗うという意味も有るんです。非常に具体的な意味が有ったんです。
飾り気とかそういうものを全部洗い流した、あるがまま、素顔という・・・これがお洒落であり、ファッションというのは類語でも同じ意味でも無く反対の意味でした。
ファッションというのはラテン語から来てるんですが、語源が facere という動詞で、造るという意味です。ファクトリーも同じ造ると言う語源から来ているんです。つまりファッションと言うのは、素材の上に飾って造っていくということです。一言でいえば「カッコをつける」のがファッションです。
しかしお洒落はその反対でした。そういう人工的なもの、わざとらしさ、そういうものを全部洗い流した素顔の美しさをいう。なるほど!なるほど!と思ったんです。喩えて言えば、作り笑いがファッションみたいなもので、お洒落と言うのは本当に面白い時に自然に出てくる笑いのことだと、なるほど、なるほどと思いました。
いつまでもこのお洒落の心を大切にしていただきたいと思います。そして、お洒落の心を大切にしていれば、自然に無理の無い形で禅の素晴らしい教え・・・教えといえば少し上からの押し付けの意味がちょっとあるんですが、教えと言うよりも素晴らしい智慧というものが世界にきっと伝わって行くと思います。
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発行年月 2006年12月
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先日、あるミーティングの中で、馬が人の心を癒すことに大きな力を持っているという話題がでました。
ホースセラピーというものです。
日本でも少しづつ広がってきているようですが、その関連記事をご紹介します。
人の心を癒す「馬セラピー」、自閉症や麻薬中毒治療にも効果的
馬は乗って楽しいだけではなく、コミュニケーションスキルを身に付けたり、精神や身体に障害を持つ人の精神を安定させるのにも役立つ。
調教師のリンダ・コハノブ(Linda Kohanov)さんは、「馬は、乗っている人が隠そうとする感情も見抜きます」と話す。
馬を利用した心理療法と人格形成――。この2つを融合したものが「馬セラピー」だ。■馬が教えてくれる自然体のコミュニケーション
馬セラピーでは必ずしも馬に乗る必要はないと、フランスのある馬セラピー団体のブジリット・マーチン(Brigitte Martin)さんは言う。「グルーミングをしたり、手綱をゆるめて馬を自由にさせておくだけでもいいのです。馬はセラピストと患者の仲介役になってくれます」
マーチンさんが支援活動をしている自閉症の子ども、視聴覚に障害がある子どもたちは、ポニーと触れ合ううちに落ち着き、気持ちが安定していくという。
別の団体に所属するある女性は、馬セラピーは幸福感と安らぎを与えてくれると話す。「人は馬と接しているうちに心を開き、よく笑うようになります。馬はとても繊細な生き物です。気持ちを読み取りますが、そこには批判的な態度はありません。だから人は自分の感情を表現できるようになるのです」また、別の女性によると、人は馬を通して他人とのコミュニケーションの仕方、自分を変えるには何が必要か、断る場合はどうやって断ればいいかなどの方法を、力むことなく自然に学べるという。
■馬とのふれあいが精神的なリハビリに
Charente-Maritimeにある乗馬スクールでは、精神障害者が馬の世話係やインストラクターのアシスタント役をつとめる。創設者のイヴェス・リヴェット(Yves Rivet)さんは、「乗馬しに来た人は、彼らを障害者としてではなく訓練を受けた馬の世話係として見ます。そのため障害者という烙印から解放された彼らは、自分自身を新しい目で見るようになります」と語る。セラピーとしての乗馬は、フランスでは1970年代に始められた。1980年代からは精神障害者の治療にも活用されるようになったという。家族に問題を抱えていたり行動に問題がある子どもたちにも、馬は活用される。さらには麻薬中毒患者や犯罪者のリハビリにも役立てられているという。
「社会のルールに従うことを拒絶する子どもたちでも、馬に乗るときは馬のルールに従わなければなりません。それを踏み越えるととても不快だということを知ることになります」と、リヴェットさん。
彼は、母親に育児放棄されたある自閉症の子どもについて、次のようなエピソードを語った。「たてがみに顔を埋めたとき、彼は泣きながら母親の名前を叫びました。無意識に母親の黒くて長い髪のことを思い出したのでしょう」
その日を境に、この子の症状は良くなっていったという。
(平成20年6月13日 AFP)2008年06月13日 09:57 発信地:SAINT JEAN DU GARD/フランス
動物によるセラピーとしては、イルカが有名ですが、どうやら、イルカだと人間の「悪い」面を吸収してしまい、イルカの寿命を縮めてしまうようです。
しかし、馬は人間の「悪い」ものをさらりと受け流してしまい、馬自体には全く影響がないそうです。
馬には生きるための基本的要素、「食欲」「睡眠欲」「性欲」をバランスよく持ち合わせており、生きる力を人間に与えてくれます。
また、馬は飼い主には絶対になつかないという性質も持っています。
言語的なコミュニケーションが出来ず、非言語的(ノンバーバル)なコミュニケーションしか出来ないからだそうです。
馬の耳に念仏とはよく言ったものです。
【馬の耳に念仏】 うまのみみにねんぶつ
人がいくら意見しても全く効き目のないことのたとえ。
馬に念仏を聞かせても、そのありがたみが分からないことをたとえた言葉。
(ことわざデータバンク)【馬耳東風】 ばじ-とうふう
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。
けれども、馬は視野が広く、瞬時に全体を見渡し判断することができるという特技を持っています。
また、人間との馬のコミュニケーションは、お互いの雰囲気を感じ取ることによって成立します。
それが、言語によるコミュニケーションが困難な人にもスムーズに意思疎通ができる理由でもあるのです。
馬に近づいた人は感情が穏やかになり、ニコニコするようになります。
悩みなど、吹き飛んでしまうようです。
これは、究極のカウンセリングの極意ともいえるのではないでしょうか。
昨年から仏教テレホン相談の仕事を手伝わせていただいておりますが、馬のような相談員でありたいと思っています。
もう一つ。
馬とお寺をキーワードに、何か具体的なことができそうな気がします。
ナントナクですが。
シネマぴあ満足度ランキングで「禅 ZEN」が一位となっています。
1月13日付最新ランキング ― 1月9日(金)、1月10日(土)公開映画
観客動員もかなり多く、公開映画館も追加で増えるようですし、上映期間も延長される館もあるようです。
何よりも、満足度が高いということが嬉しいですね。
■鑑賞者の声
100点 実際に自分も禅をしているような気分になった。俳優が流暢に中国語を話していて、二胡や太鼓など、中国や日本の楽器を使った音楽が印象に残る。人間の死など胸がつまる場面もあり深く考えさせられた。(38歳・女)
90点 桜や菜の花など自然の風景が美しく目を見張る。テイ龍進が演じる寂円の、道元を支える姿についつい感情移入してしまった。あまり馴染みのない仏教用語が多くでてくるので、詳しく知りたいと思った。(64歳・女)
85点 “禅”という題材が新しく、とても興味深い作品だった。主演の中村勘太郎は若いが味のある演技で、内田有紀も今までのイメージとは違い役に溶け込んでいてよかった。大人が楽しむ映画といった感じ。(52歳・男)
なぜ、今の世に「禅」が求められているのだろう
なぜ、今、禅なのか。
高橋伴明監督の言葉にそのヒントが隠されているように感じます。
「近代合理主義のまん延によって、世の中は確実におかしな方向に流れています。悲惨な犯罪の多発もその表われです。若い人たちの中に『無宗教の方が格好いい』というような考えが広まっているのも問題です。ぜひこの映画をきっかけに宗教というものを見直してほしいと思います。」
「信仰のない人に限って『宗教とは何かにすがりつこうとする弱い人のためのもの』という誤解を持っていると感じています。しかしきちんとした信仰を持てば、それなりの自律も求められるし結構きつい。本当に弱い人にはできないことです。そういう意味で道元は非常に強い人でした。そうした部分もしっかり映画で描いているつもりです。」
「この映画は道元の伝記映画であるとともに、現代社会のおかしな部分に対する警鐘としても作りました。『自由』や『合理主義』が勘違いされている風潮に疑問を持っている人への一つのメッセージになれば幸いです。そして勘違いしてしまっている人たちにも、現代のあり方に疑問を持つためのきっかけとして見てほしいですね。」
(中外日報 平成21年1月1日号より抜粋)
高橋監督は曹洞宗の信徒ではありません。
別の宗教の信者でありますが、だからこそ、道元禅師という人物を客観的に捉えることができたのかもしれません。
日本の現代社会では、宗教というものに極端なアレルギーを持っていたり、誤解している人も多いでしょう。けれども、この映画は監督の意図されるように、現代社会の持ち合わせている歪みに気づかせてくれるきっかけにもなることと思います。
「回光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし」 『普勧坐禅儀』
世の中の風潮は、進歩、進歩、それが良いことだと考えられています。
経済も拡大することが当然であると。
けれども本当にそうなのでしょうか。
進歩の反対は退歩です。
辞書を引くと次のように出ています。
たい‐ほ【退歩】
[名](スル)あともどりすること。能力や技術などが以前より低くなること。後退。「記憶力が―する」⇔進歩。
『大辞林』
退歩の類語は次の通りです
たいほ【退歩】⇔進歩
退化 後退 衰退 後進 逆行 後戻り 後退(あとじさ)り
『類語実用辞典』(三省堂)
けれども、道元禅師は「退歩を学すべし」と述べています。
進歩が当たり前だと思われているけれど、本当にそうだろうか。
もしかすると、退歩こそが真理なのではないだろうか。
私たちの社会は常に前進することばかりを目指していました。
けれども、その光を自らの脚下にあてて照らし、一歩後ずさりして本来どうあるべきかということを慮り、本来の姿に立ち戻ること。
それが「退歩」の意味するところです。
映画「禅 ZEN」のポスターが東京周辺の駅に張られました。
これは8種類あり、「八大人覚」のそれぞれを分かりやすいことばで解説しています。
以前、このブログでも「八大人覚」について纏めました が、ポスターのことばは簡潔で分かりやすいものですので比較してみてください。
八大人覚(はちだいにんがく)少欲(しょうよく)
一、あまり高い目標を追い求めすぎると、破滅する。知足(ちそく)
二、欲をいい張ったらキリがない。限度を知る。楽寂静(ぎょうじゃくじょう)
三、のどかで美しい景色を眺めると、心が澄む。勤精進(ごんしょうじん)
四、やりたいことを一つにしぼり、無駄を省く。不忘念(ふもうねん)
五、心が修まっていれば、人目は気にならない。修禅定(しゅぜんじょう)
六、うまく事が運ばなかったら、一歩退いて見る。修智恵(しゅちえ)
七、前向きの話を聞いていれば、混乱しない。不戯論(ふけろん)
八、無益な口論ほど、社会を乱すものはない。
実に簡潔なことばですが、現代社会にこそ活きる大切な教えではないかと感じます。
先日の歴史カフェの際に、参加された方により、戦時中の永谷地区の思い出が語られました。
その中の幾つかをご紹介いたします。
永谷地区は幸いなことに、大規模な空襲を受けることは無かったのですが、東京、川崎方面より多くの疎開を受け入れていました。
貞昌院にも境内に十数人の家族と、やはり十人前後の兵隊さんが生活をしておりました。
兵隊さんたちは主に何をしていたかというと、山から松の木と根を堀り出してきて、それを下野庭に作られた釜で乾溜し、飛行機の燃料を作っていたということなのです。
これは松根油と呼ばれるもので、村人たちはその松の根の掘り出しと製造の手伝いをしていたそうです。
松根油(しょうこんゆ)は、マツの伐根(切り株)を乾溜することで得られる油状液体である。松根テレビン油と呼ばれることもある。太平洋戦争中の日本では航空ガソリンの原料としての利用が試みられ、戦時中の日本の窮乏ぶりを語る例としてしばしば取り上げられる。
松根油はよく樹液や樹脂(松やに)あるいはそれらからの抽出物と混同されるが、このうち樹液は木部を流れる水および師部を流れる糖などを含む水溶液であり関係ない。松根油はテレビン油の一種であり、上質なテレビン油は松やにを水蒸気蒸留して得るが、松根油はマツの伐根を直接乾溜して得られるものであり、採取した松やにから得るものではない。戦前は専門の松根油製造業者も存在し、塗料原料や選鉱剤などに利用されていた。昭和10年頃の生産量は6,000キロリットルほどであった。
(Wikiペディアより引用)
しかし、200本分の松の大木の根から製造される松根油をもって、ようやく航空機が一時間飛行できるかどうかというところであり、しかも精製がうまくされていないとエンジントラブルを起こす原因にもなりました。
フィリピンからの原油輸送経路を断たれた日本にとっては最終手段ともいうべきものだったのでしょうが、村の人々も「こんなことで日本は大丈夫だろうか」と心中で感じていたということです。
昭和20年5月29日には、横浜大空襲へ向かうB29の整然と編隊を組んだ集団が、次から次へと現われ天神山を掠めて飛行していき、豪雨のような大音響とともに黒煙が立ち込め、横浜中心部は焦土と化します。
この詳細は、太平洋戦争空襲?終戦の日 という記事も併せてご参照くださればと思います。
8月15日、B29一機が撃墜を受け、飛行機は現在の南高校の付近へ墜落、飛行士は芹ケ谷の付近へと落下傘で降下しました。
住民たちは一斉に飛行士の降下した辺りにわ?っと押し寄せたそうですが、両手を挙げて投降する兵士を丁重に抱え危害を加えることなく三輪自動車に乗せて警察に届けたそうです。
折りしもその後まもなくポツダム宣言受諾、無条件降伏の玉音放送が流れ終戦の時を迎えました。
歴史カフェの最後に、総代さんより「神風特別攻撃隊」を編成したとされる大西瀧次郎中将が割腹自殺した際の遺書が掲載されている『文藝春秋』1月号をご紹介いただきました。
大西中将は、特攻隊戦死者及び遺族への謝罪を次のように書き遺しています。
特攻隊の英霊に曰す。善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れども其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾、死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。
次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り、自重忍苦するの戒とならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失うなかれ。
諸子は国の宝なり。平時に処し、猶を克く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ。(下線はkameno記)
大西中将は終戦の翌日に割腹自殺を図りました。
割腹の際には、通常介錯を頼むものですが、大西中将は、割腹自殺の際に特攻隊として死んで行ったものの苦しみを分かち合うため、介錯をつけなかったとのことです。そして医者を呼ぶなと厳命し6?7時間苦しみを味わいながら息を引き取りました。
「日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ」
そして、特攻隊、義烈空挺隊員たちの遺された
「戦争はもう続けるべきではない」
「戦争を二度と繰り返してはしてはいけない」
これらの言葉を私たちは重く受け止めていく必要があると感じます。
貞昌院歴史カフェ講座 が開催されました。
テーマ 義烈空挺隊と特殊攻撃隊
ナビゲータ 元義烈空挺隊飛行第60戦隊支援隊員 Tさん
会場 貞昌院
Tさんの略歴
昭和17年4月 陸軍少年飛行兵学校に入校
昭和18年3月 陸軍少年飛行兵学校を卒業
昭和18年4月 水戸陸軍航空通信学校に入校
昭和19年7月 水戸陸軍航空通信学校を卒業
昭和19年7月 航空通信学校菊池教育隊に配属、少飛16期の班附
昭和19年10月 飛行第60戦隊に転属、埼玉の児玉飛行場へ。
昭和19年12月 フイリピンへの空輸作戦に従事。
フイリピン島クラーク飛行場に着陸時、グラマンから攻撃を受け墜落。他の搭乗者は全員死亡。
野戦病院に収容、後続の連絡機で高崎陸軍病院に収容。
昭和20年2月 飛行第60戦隊、熊本の健軍飛行場に異動。
昭和20年2月? 健軍飛行場から沖縄の連合軍への反復攻撃30回以上。
昭和20年5月 義烈空挺隊と共に沖縄へ。
昭和20年8月 P38の攻撃で被弾し海に不時着。負傷し入院。
昭和20年8月15日 熊本陸軍病院で終戦を迎える
熊本市健軍飛行場付近 1947年3月13日 米軍により撮影
左上に熊本城。熊本市街は焼野原である。
右上が健軍飛行場。赤土を固めた滑走路であった(現在の熊本県立大学周辺)
右中、飛行場の南には三菱の軍需工場があった(現在は自衛隊駐屯地)
左 飛行第60戦隊時代のTさん
右 Tさんが搭乗されていた飛龍。写真の中にTさんが写っています。
(写真はTさんにご提供いただきました)
今回の講座は、昨年秋に貞昌院研修旅行として知覧を訪問したことがきっかけとなりました。
これまでTさんは、戦時中第60戦隊での経験を、両親や兄弟にすら語ったことがなかったそうです。
つい最近、知覧の知覧特攻平和会館で体験を語る機会があったそうですが、今回の貞昌院での講座はそれ以外での初めての機会となりました。
ですから、このブログでは、敢えて本名ではなく、Tさんという表現にさせていただいております。
また、今回の講座では宮崎飛行場で海軍特攻隊に関り、航路決定や気象観測に携わりながら1000人もの特攻隊員を送り出してこられたSさんもお見えになり、陸軍特攻隊、海軍特攻隊それぞれの生の声を伺うことができました。
貞昌院の本堂には永谷から戦地に赴任された方々の遺影が掲げられています。
講座の前に、Tさんは一つひとつの遺影に対し深々と頭を下げておられました。
「戦争はもう続けるべきではない」
「戦争を二度と繰り返してはしてはいけない」
これは歴史講座に元義烈空挺隊飛行第60戦隊支援隊員 Tさんが最初に語られた言葉です。
出撃していった特攻隊員・空挺隊員たちも同様の言葉を残していったそうです。
太平洋戦争における特別攻撃隊は、戦後の日本では戦争の悲劇の代名詞として語られがちです。
しかし、東南アジアにおいてはもっと現実的に物事を捉えられていたりしてします。
ベトナム (フランスによる植民地化)フランス領インドシナ
フィリピン (アメリカによる植民地化)
マレーシア(イギリス領による植民地化)
インドネシア(オランダによる植民地化)
ビルマ (イギリス領インド→イギリス自治領)
東南アジア、特にフィリピンは日本と南方をつなぐ戦略的な要所であり、連合軍は大艦隊をもって獲得に動きました。
昭和19年10月の台湾沖航空戦敗北により、日本軍の第一航空艦隊の戦力は昭和19年当時は零戦僅か40機程度となり、通常の作戦では歯が立たないことは明白でした。
大西瀧治郎海軍中将は圧倒的航空戦力を一時的でも麻痺させるために零戦に250キロ爆弾を抱え、体当たり攻撃を部下たちに提案。
この提案に全員が両手を挙げて賛成したとされています。
連合軍を本土に迎えた場合、アフリカやアジア諸国のように日本は植民地化され、日本民族再興の機会は失われてしまうだろう。
しかし、本土上陸を阻止し、少しでも相手に反撃を行うことができればその分有利な講和ができるだろう。
このため、特攻を行ってでも祖国を護らなければばならない。
日本民族が身をもって祖国を護ったという歴史が語りつがれる限り、自分の死は無駄にはならないだろう・・・
そして神風特別攻撃隊が編成され、10月21日には第一陣が出撃していきました。
イッテマイリマス ノチノニホンニエイコウアレ
特別攻撃隊の強行攻撃は、少なからず後に計画されていた沖縄から九州への上陸作戦(オリンピック作戦)と、その後に行われる本土上陸作戦を躊躇させた要因になったということも指摘されます。
本土決戦が行われた場合、日本軍の民間人を含む強固な反撃により、双方に数十万人から百万人単位の犠牲者が出ることが予想されたからです。
また、もし本土決戦が実行されていれば、日本にとって分割統治計画が現実の物となり、東西ドイツのように日本が分断国家となっていたのではないかとも言われています。
少なくとも現在の日本の姿は無いはずです。
義烈空挺隊出撃前、隊員それぞれの故郷に向かって遥拝。写真の後ろにはTさんの搭乗された飛龍
(昭和20年5月24日 熊本・健軍飛行場にて Tさん提供)
世界中のあらゆる人は、幸せな平和の日々を送ることを願っています。
人類共通の願いであるといえます。
けれども、残念なことにその平和な世界を願いながらも、一人ひとりが正当を主張し、武力を持ってぶつかり合うという現実があります。
その時、お年寄りや子どもたちのような弱い多くの人々が犠牲になります。
友を失い、愛する人を失って、かけがえの無い人間の一生が無惨に踏みにじられてしまいます。
後ニ続ク者ヲ信ジ日本民族守護の礎石トナリシ将兵ノ霊ニ 我等何ヲモッテ応エントスルヤ
(摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊塔碑文)
折りしも今日は成人の日となりました。
戦争中多くの同じような年代の方々が故郷や家族のために命を張って散っていったという事実も語りついでいって欲しいものです。
貞昌院境内には平和を願う火が灯されました。
右写真は貞昌院境内の平和観音です。
出撃前の夜、皆で歌ったのは軍歌ではなく、「兎追いし かの山・・・」
故郷(ふるさと)だったそうです。
「志をはたして いつの日にか帰らん」
特別攻撃隊は敵艦隊に突撃すること、義烈空挺隊は占領されていた空港に強行着陸することを目的としていましたから、彼らには目的を果たしても帰還して着陸する空港などはありません。
けれども、参道の灯りは、まるで、ありえないはずの空港の照明灯のようにも見えました。
■関連ブログ記事
義烈空挺隊 (Googleイメージ検索)
今日の記事は今月11日に貞昌院で開催される歴史カフェのための基礎資料<その1>です。
義号作戦とは太平洋戦争中の1945年5月24日に沖縄戦で、日本軍が「義烈空挺隊」を用いて行った作戦のこと。沖縄のアメリカ軍占領下の飛行場に空挺部隊を乗せた爆撃機が強行着陸して破壊活動を行い、飛行場が使用不能となった間に沖縄周辺のアメリカ艦艇に攻撃を行うというものであった。
義烈空挺隊
昭和20年5月24日、諏訪部忠一大尉率いる第3独立飛行隊所属の12機の九七式重爆撃機が陸軍熊本飛行場を出撃した。12機には奥山道郎少佐率いる義烈空挺隊の隊員が乗り込んでいた。熊本を発った12機のうち6機が沖縄の北飛行場に強行着陸、さらに2機が中飛行場に着陸したとの報告がなされたが、残りの4機は発動機の不調などにより目的地に辿り着けず途中で帰還している。戦後の戦史でも戦時中のまま「北飛行場に6機、中飛行場に2機突入」の記録が残った。
他方、アメリカ軍の記録では、義烈空挺隊のうち北飛行場(読谷飛行場)に1機のみ、胴体着陸・挺身攻撃に成功している。この機体は滑走路に胴体着陸した状態の写真や、機体の撤去作業中の動画などが記録映像に残っておりよく知られている。飛行中に対空砲を浴びて戦死し機内で突っ伏した状態の搭乗員の写真なども残っている。これらの記録映像から最低1機は確実に突入に成功したと考えられる。アメリカ軍の記録などによると、そのほかの機体は激しい対空砲火により飛行場周辺で撃墜されたとされる。
胴体着陸に成功した重爆に乗っていた空挺隊員(及び搭乗員)は、少人数ながら予定通りの地上戦闘・破壊活動を行い、飛行場は混乱に包まれた。後のアメリカ軍の調査によると、駐機中であった航空機9機が破壊炎上したほか、30機近くが損傷を受けた。また、飛行場にあった航空燃料用のガソリンが炎上し、7万ガロンが焼失した。このように飛行場の機能に一定の打撃を与えることには成功したが、天候不良のため日本軍はこの機会を生かすことができなかった。
米軍側死傷者は約20名で、日本兵の遺体は69体(墜落などによって死亡した者も含む)が収容された。空挺隊員1名が生存して同年6月12日ごろに島尻南部に到着、日本軍第32軍司令部に戦果を報告しているが、現在もこの人物の氏名は判明していない。
出典:ウィキペディア(Wikipedia)
義烈空挺隊慰霊塔秋ソレ昭和二十年五月二十四日夜
既ニ敗色濃キ沖縄戦場読谷飛行場ニ特如強行着陸セシ数機ノ爆撃機アリ
該機ヨリ踊リ出タル決死ノ将兵ハ飛行場ニ存リシ多数ノ敵機オヨビ燃料弾薬ヲ爆砕シ混乱ノ巷ト化セシメタリ
為ニ飛行場ノ機能喪失スルコト三日間ニ及ビソノ間我ガ航空特攻機ハ敵艦船ニ対シ多大ノ戦果ヲ収ムルヲ得タリ
コレ我ガ挺進第一連隊ヨリ選出セラレタル義烈空挺隊オヨビ第三独立飛行隊ノ壮挙ニシテ両将兵百十三名全員ココニ悠久ノ大義ニ殉ゼリ
後ニ続ク者ヲ信ジ日本民族守護の礎石トナリシ将兵ノ霊ニ 我等何ヲモッテ応エントスルヤ
(この慰霊塔は、沖縄県平和祈念資料館・摩文仁の丘にあります)
太平洋戦争末期の昭和20年3月26日、連合軍は沖縄の慶良間列島に、4月1日には沖縄本島に上陸を開始。4月3日には沖縄北、中飛行場を制圧します。
日本軍は連合軍の沖縄進攻を阻止し、戦局を一気に逆転させることを目的として菊水作戦を実施しました。
この作戦は、いわゆる特攻作戦であり、4月6日からの菊水第一号作戦から6月21日の菊水第十号作戦まで断続的に続けられました。
うち、特攻作戦が末期的状況を呈しはじめていた5月24日に行われた菊水第七号作戦において、義烈空挺隊による沖縄北飛行場・中飛行場の機能を喪失させる空挺奇襲作戦(義号作戦)が実施されます。
特攻隊は、自らが爆弾となり爆弾を抱えながら敵機へと突っ込む自爆攻撃ですが、義烈空挺隊は航空機による胴体着陸を強行し飛行場内の敵飛行機を爆破し敵司令部・物資集積所を攻撃するというものでした。
強行着陸後に戦闘を行うため機関短銃・手榴弾・爆薬・擲弾筒・軽機関銃などを身に着けての飛行でした。
義烈空挺隊の奥山隊長以下136人は、97式重爆12機に1機当たり操縦正副2名と搭乗員12人の編成で熊本陸軍建軍基地を飛び立ちます。
攻撃隊は連合軍による激しい迎撃を受けつつも、数機が確強行着陸に成功し、連合軍は大混乱となりました。
義号作戦 昭和20年5月24日
健軍飛行場⇒沖縄
飛行第60戦隊(沖縄北飛行場を目標)
先発隊1番機:誘導・照明弾
先発隊2番機:爆撃・戦果確認
先発隊3番機:爆撃・戦果確認
飛行第110戦隊(沖縄中飛行場を目標)
今月11日の貞昌院歴史カフェは、実際に先発隊3番機に搭乗されていた方にお話をいただく予定です。
日時 平成21年1月11日午後2時30分より
場所 貞昌院
準備の都合上、参加希望の方は予めご連絡ください。
FAX 045-843-8864
「義烈空挺隊が行く前にね『ご苦労さん!!』と敬礼して、私達の機は先発でしたから10分先に出たんですよ。それで、通信の場所で立つと表がよく見えるんですよね、天蓋から顔を出して、『行くぞ?』と言うと『頼むぞ?』と旗を振って見送ってくれました。」
「義烈空挺隊の10分前に離陸しました。3中隊のうち私は3番機で、沖縄北飛行場に到着すると1中隊が照明弾を落下、2中隊、3中隊が小型爆弾による爆撃でそれぞれ戦果確認をしました。義烈空挺隊が着陸したら狼煙を上げるようになっていました。黄色か赤の狼煙が上がったら着陸成功と、それを見て何機着陸成功ということを私が報告したんです。それで、4機着陸したんです。4つ見えたと思うから隊長が親指を鼻にかすって、指を4本立てたんですよ。これは4機着陸と言う事で、それを打電したんです。」
このたびお越しくださる方は、このように飛行第60戦隊として義烈空挺隊と共に飛行し、空挺隊が強行着陸しやすいように先制攻撃し、司令本部との通信という重要な任務を果たされました。
また、この前後に何度も数日おきの沖縄への反復飛行攻撃を行いました。
「高射砲はとにかく、主に艦砲射撃でしたがそれは凄かったですよ。両国の花火どころじゃなかった。もの凄かったですから。3000?4000メートルで飛んでいたら皆やられちやいますよ。とにかく探照灯に捕まっちゃったらアウトですね。撃ち方がもの凄いですから・・・。それこそ千発撃って1発当たればいいぐらいの撃ち方でしたね。 それで、あまり上がるとP-38という双胴の夜間戦闘機ですが、こっちが灯火管制で真っ暗にしているんだけど、向こうは前哨灯の明るいのを点けて探しながら飛んでいるんですよ。P-38に捕まっちゃったら向こうは足が速いから大変です。後ろに飛んでいたらわかりますので海上スレスレに逃げて、それでやられなかったんです。だから帰りにはいつも南十字星を見ると、P-38と間違っちゃうんですよ。星が明るいでしょ、大きくてキラキラしているから『P-38が来てる!逃げるぞ!!』と海上スレスレに逃げ込むと『なんだ?、南十字星か・・・』というような失敗もありました。」
けれども、何度かの沖縄への反復攻撃の中で、ついにP-38による攻撃を受け八代の海に不時着。
全身を負傷するも奇跡的に助かり、熊本陸軍病院で終戦を迎えます。
最近のインタビューで戦争について振返り次のような言葉を残されています。
「戦争はもう二度とするもんじゃないと。とにかく私達が中学で教わったのは白人が黄色人種と黒人を駆逐すると、全部植民地にするからそれを防ぐために大東亜戦争をやるということを教わってきました。我々は止むに止まれず大東亜共栄圏を確立するために戦争を始めるということを体の心から叩き付けられていましたから。」
今の平和な日本があるのは、このように命を張って国を護ってこられた多くの先達たちによるお陰でもあります。
人と人が殺しあうということは愚かなことである、そんなことは今の日本では誰だって分かっています。けれども戦時中はどうだったでしょうか。だからこそ、かつて戦争の最前線にいらした方の言葉はとても重いものがあります。
11日はどのようなお話を伺うことができるでしょうか。
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ゴム状硫黄「黄色」です―17歳が実験、教科書変えた
高校化学の教科書に掲載されていた「ゴム状硫黄」の色が間違っていた。山形県の鶴岡高専物質工学科3年の高橋研一さん(17)が気づき、実験で確かめた。指導教員が訂正を申し入れ、出版社側も間違いを確認。教科書の修正につながった。高橋さんは「自分の実験で教科書の記述が変わるなんて予想外。びっくりしている」と話す。
ゴム状硫黄は、硫黄原子が鎖状に並んでできた硫黄の同素体。現在使用中の教科書10種類には「褐色・黒褐色・濃褐色」とあり、大学入試でも「褐色」が正解とされてきた。
高橋さんは、指導教員の金綱秀典教授から「昔、黄色のゴム状硫黄ができたことがある」と聞き、本当かどうか実験で確かめたくなった。
市販の硫黄の粉末を試験管に入れて加熱していくと、流動性が出てくる。これを冷水に流し込むと、弾力性のあるゴム状硫黄となる。
市販の5種類で試した。純度98%の硫黄粉末や99%の硫黄華で作ったゴム状硫黄は褐色や黒色で、試験管に黒い物質が残った。だが99.5%の結晶硫黄だと黄色になり試験管に何も残らなかった。
そこで、黄色いゴム状硫黄に鉄粉を混ぜて溶かし、再びゴム状硫黄にすると褐色に変わった。鉄粉が多いと黒色になった。純度99%以下の硫黄は、不純物で褐色や黒色になると分かった。
金綱教授は、自分も執筆している大日本図書「新版化学I」のゴム状硫黄の写真を差し替え、記述を「ゴム状硫黄は黄色。黒、褐色の着色は不純物による」と直すよう申し入れた。大日本図書も文部科学省に訂正を申請、09年度教科書から「ゴム状硫黄は硫黄の純度が高いと黄色になる」と注を追加することになった。
(2009年1月5日朝日新聞)
今日の夕刊に掲載されていたニュースです。
高校化学で、当たり前のように習ってきたことが、実はそうではなかったということで、とても驚かされました。
ゴム状硫黄とは、硫黄の同素体の一つです。
同素体とは、同じ単一元素から構成される物質であるけれども結晶構造(原子配列)・結合様式が異なる物質群のことです。
それらを互いに同素体であるといいます。
同じ元素から成る単体ではありますが、化学的、物理的性質は全く異なります。
同素体をとるのは、炭素、酸素、硫黄、燐の4種類です。
元素記号の頭文字 C、O、S、P を並び替えて SCOP と覚えたり(懐かしい!)しましたが、それぞれ
炭素Cの同素体 ⇒ ダイヤモンド、黒鉛、無定形炭素、フラーレン、カルビン、カーボンナノチューブ
酸素Oの同素体 ⇒ 酸素、オゾン
硫黄Sの同素体 ⇒ 斜方硫黄、単斜硫黄、ゴム状硫黄
燐 Pの同素体 ⇒ 赤燐、黄燐
という同素体があります。
ちなみに、私の個人的に一番好きな物質はフラーレンなのですが、この場では書くスペースが足りないのでまたいつか記事にします。
さて、硫黄の同素体は上記のように斜方硫黄、単斜硫黄、ゴム状硫黄などの同素体があるわけですが、身近な物質でもあり扱いやすいために実験によく使われます。
⇒(例) 愛知エースネット(愛知県教育委員会)
高校化学では常識のように次のように習っていました。
斜方硫黄は 塊状結晶、黄色、
単斜硫黄は 針状結晶、黄色
ゴム状硫黄は ゴム状固体、褐色もしくは黒褐色
ゴムの製造段階で、耐熱性を持たせるために生ゴムに硫黄を混ぜたりしますが(注)、上記のように硫黄単体でも、ゴム状硫黄というゴム状の性質を持つ同素体があります。
硫黄の中で一番安定した状態は斜方硫黄であり、その他の単斜硫黄、ゴム状硫黄は不安定なため時間が経過すると斜方硫黄へと自然に変化します。
ですから、自然界で普通に見られる硫黄はだいたい斜方硫黄です。
その構造は、硫黄原子8個が環を作って結晶化したものとなっています。
この斜方硫黄を約250℃まで加熱すると、数十万個以上の硫黄原子が繋がった直鎖状の構造となり、それを一気に水中に流し込むと、鎖状の構造のまま固まってしまいます。
これがゴム状硫黄です。
ところが、この際に、少しでも不純物があるとゴム状硫黄は褐色もしくは黒くなってしまい、それがゴム状硫黄の色だとこれまでずっと誤認されていたわけです。
中段にご紹介した 愛知エースネット でも「黒色の無定型の固体で、伸ばすとゴムのように弾性を示す」と説明されています。
なぜ今まで気づかなかったのかということも不思議ですが、あまりにも常識だと頭の中に刷り込まれていたために、仮に他の結果が出たとしても、実験が失敗したと思い込んでその結果を棄却してしまっていたのかもしれません。
しかしながら、そのような現象(黄色くなった)ということにより、これまでの常識に疑問をもち、きちんと検証して証明していった高橋さんと、それを指導した金綱教授には頭が下がります。
科学的方法 (かがくてきほうほう、英: scientific method)とは、物事を調査し、調査結果を整理し、新たな知見を導き出し、知見の正しさを立証するまでの手続きであり、かつそれがある一定の基準を満たしているもののことである。
「一定の基準とはそもそも何か」という問題は諸説があるが、大まかにいえば、その推論過程において「適切な証拠から、適切な推論過程によって演繹されたものとみなせること」が要求される。
(Wikiぺディア)
このように、「再現性があり定量的な測定が可能」であれば、誰が提唱たものであっても、その場できちんと訂正されていきます。
それが科学的であるということでもあります。
あたりまえだと思っていたことも、それが必ずしも正しいとは限らないのです。
科学は、そういうちょっとした疑問から進展していくということが良く分かる事例でした。
科学的でない事項を訂正することは、この事例 とか この事例 とかなかなか大変なのですけれどね。
■蛇足
生ゴムに硫黄を混ぜると耐熱性を持ちますが、さらに炭素(カーボン)を混ぜることにより強度が増します。
車のタイヤが黒いのは、このカーボンの色のためで、ゴムが黒いわけではありません。
!ゴムの鉄人! あなたのゴム業界人度はどのくらい?
(ラバーステーション)
貞昌院の裏山、天神山には「ハロー、ハロー」と鳴くカラスがよく遊びに来ます。
大抵のカラスは「カー、カー」ですが、「ハロー」と鳴くカラス(これを「ハローカラス」と呼んでいました)がいるのです。
このハローカラス、少なくとも10年以上前からその鳴き声を聞いています。
カラスの寿命は野生の状態で10年から20年ほどと言われていますから、おそらく同じ個体なのでしょう。
私たちは勝手に「ハローカラス」と名づけていましたが、検索してみるとこのあたりではかなり有名なカラスのようで、やはり「ハローカラス」と名づけられていました。
まちBBSから、「ハローカラス」に関する部分を抜き出して引用してみます。
☆☆☆上永谷周辺スレッド?その61?☆☆☆
37 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/17(日) 17:21:00 ID:34amB1Ss
最近ハローハローと鳴くカラスがいるんだが…
誰か知ってる?41 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/18(月) 00:29:29 ID:hcrdxFss
>>37
ハローカラス最近見掛け無いと思ったら、そちらの方に移住してましたか。w
こちら旭区左近山付近43 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/18(月) 01:07:19 ID:/WbWCYCA
>>41
鳴き声を耳にするようになったのはここ一カ月以内の事だと思う
そっちの方では既に有名だったんだw44 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/18(月) 05:07:26 ID:6T2Nvb4E
ハローカラス(うちでは2回鳴くのでハロハロカラスと言ってる)
結構前からいますよ、たしかに居ない時期がありますね
なるほど>>41に行ってるんですねw45 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/18(月) 06:53:59 ID:h7qEAqhQ
ハローカラス最近見掛け無いと思ったら、そちらの方に移住してましたかぁ?。
こちら磯子区屏風ヶ浦付近46 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/18(月) 13:41:10 ID:G6zTnyOQ
ハローカラスww47 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/18(月) 15:26:28 ID:MzGijiJg
今鳴いてる
正確にはハローではなくアー、アローアローと聞こえる252 名前: 日野9町目民 投稿日: 2008/03/22(土) 02:10:02 ID:LtudSO9.
日野9町目民だけど、ゴミ用のネットボックスを地区全体で導入して以来、
カラスをまったく見なくなった。ハローカラスも来なくなってちょっと寂しいw720 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/06/11(水) 23:47:20 ID:XKDLVlvo
以前、ハローっていうカラスの話題があったが、夕方5時、丸小
近くでアローって言ってるカラスがいた。 うそかと思っていたが、
本当だったんだ。734 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/06/13(金) 10:15:20 ID:2qWs8izc
>720
ハローのカラスは上永谷方面にも出没しているんですね。
我が家は平戸ですが、この1ヶ月ほどは家の目の前でハローが鳴いてます。
冬場は余り見かけなかったのですが。。。
ハローの鳴き声聞くと一日楽しくなる。
なるほど…上永谷だけではなく、磯子区や旭区のほうまで行動範囲を広げているのですね。
このブログをお読みの皆さん、どんな鳴き声か聞いてみたいと思いませんか?
そんなご要望にお応えして・・・ようやく録音に成功しましたのでご紹介します。
⇒ ここをクリック (Windows Media Audio file)
どうですか?
ハロー、ハローと聞こえますか?
カラスの頭の良さは有名ですが、その鳴き声は、場合によって細かく使い分けられ、「方言」というよりも個性的な鳴き方をするようなものもいるようです。
カラスは「アホー」かぁ 鳴き声複雑、東西差なさそう
カラス研究で知られる宇都宮大農学部教授の杉田昭栄さんによると、ハシブトガラスの鳴き声は、「威嚇」「求愛」などを示す41種類。豊富な「語彙」を可能にしている秘密は、カラスの「鳴管」にある。人間の声帯にあたるが、カラスでは筋肉や神経が複雑にくっついていて、ほかの鳥より微妙な動きができるそうだ。
カラスの声を研究する同大修士2年の塚原直樹さんに聞いた。「『アオア』とか『アーアー』なら聞きますが、『アホー』はありませんね」
「ホーホケキョ」というウグイスのさえずりは、小笠原では「ジーコ」になる。「でも関東・関西で違いがあるかは不明だし、フクロウやハトなど、単純な鳴き声の鳥は地域差はあまりない。カラスもないでしょう」
「江戸時代から、カラスの鳴き声は『アホー』とされてますよ」と擬音語・擬態語に詳しい埼玉大学教授の山口仲美さん。江戸中期の作家、近松門左衛門の浄瑠璃「用明天皇職人鑑」にはすでに「あほうがらす」という言葉が登場。同後期の戯作者、山東京伝の「繁千話」でも、主人公がカラスに「アホウ、アホウ」とからかわれているのだ。
近松は上方、京伝は江戸。「最初は関西中心に、鳴き声を『アホウ』と表現するようになり、それが江戸にも広まったのでしょう」。文学の世界では、関東でもカラスは「アホー」と鳴いていたのだ。
杉田さんも「カラスが『オハヨウ』と鳴くという人も。同じ鳴き声でも前向きな人はあいさつしたと思い、そうでないと『バカにされた』と怒ってしまうのでは」。
(朝日新聞 2005/03/11 関西版)
鳥は、雛が巣立つ頃になると、仲間の群れの中に連れていって囀りの見本を聞かせトレーニングさせるといいます。
ハローカラスには、ぜひ次世代にも上永谷周辺の個性、「ハロー」を伝承していってもらいたいものです。
11月2日、国学院大学・有栖川宮記念ホールにて開催されたRIRC開設10周年記念・公開研究フォーラム<宗教情報>とメディアリテラシー
に参加してまいりました。
残念ながら、檀務の関係で最初の部分を聞くことができず、途中からの参加となりましたが、個人メモとして残しておきます。
(この記事はkamenoの私的メモですので、その点を予めご理解ください)
RIRC開設10周年記念・公開研究フォーラム
<宗教情報>とメディアリテラシー
日時 2008年11月2日(日) 13:00?17:30
場所 國學院大學・有栖川宮記念ホール
■司会・コーディネータ
井上順孝氏(國學院大學教授・センター長)
■発題者(当日発表順)
西浦恭弘氏(真如苑・宗教情報センター)「宗教情報データベース作成に関わって見えてくること」
弓山達也氏(大正大学教授・宗教情報リサーチセンター研究員)「宗教界と市民をつなぐ―宗教研究ができること―」
本山一博氏(玉光神社・権宮司)「人々の心に潜む霊能や神秘現象への根拠のない期待に応えるメディア」
岡部高弘氏(創価学会副会長)「創価学会のメディア対応について」
高橋直子氏(番組制作リサーチャー)「<スピリチュアル>なバラエティ番組が孕む諸問題」
渡辺直樹氏(大正大学教授・元週刊SPA!編集長)「マスメディアの『宗教』の取り上げ方」
山口貴士氏(弁護士)「信仰を持たない自由、信じさせられない自由」
まずは、フォーラムの主テーマとなっているメディア・リテラシーの用語の確認をしておきましょう。
敢えてウィキペディアより、「メディア・リテラシー」項を見てみます。
メディア・リテラシーメディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。なお、この項では主に、「情報を評価・識別する能力」という意味のメディア・リテラシーについて記述する。
メディア・リテラシーで取り扱われるメディアには、公的機関やマスメディア(新聞、テレビ、ラジオ等)を始め、映画、音楽、書籍や雑誌等の出版物、インターネット、広告等、様々なものがあり、口コミ(口頭やブログ等)や各種の芸術等も含まれる事がある。
さて、今回のフォーラムは、第一部で各発題者からの発表を一通り行い、第二部でフロアの代表者からの質疑応答、一般からの質疑応答という形で進められました。
冒頭に述べたとおり、私は途中からの参加でありましたが、発題順番が当初予定と異なっていたため、創価学会副会長・岡部高弘氏の発表を真っ先に聞くことができました。
発題者の内容から見えると思いますが、伝統宗教ではなく、新宗教教団?カルト、霊感商法、マスメディアの立場からの視点が重視された内容となっています。
また、宗教勧誘・折伏などの際に「インフォームド・コンセント」をどのように行うべきかという論議がかなり活発に行われました。
■岡部高弘氏(創価学会副会長)「創価学会のメディア対応について」
・マスメディア向けとして年度別活動、池田名誉会長の国際的活動、平和活動などの情報発信を行っている
・新聞広告(年数回)
・ラジオ番組として一般的な音楽、旅番組の提供
・テレビ番組の提供は、放送基準が厳しく、金銭的な制約もあるためなかなか行えない
・インターネットは公式サイトに月間1000万PVのアクセス
・出版は聖教新聞や、アニュアルレポートの発信、潮出版など
メディアの教団イメージと、内部で考えている実像の乖離が激しく、バッシング報道が多い観がある。客観報道されず、結果として作られたイメージに誘導されることがある。あまりに酷い場合は法的手段を講じる必要性もある。
災害の際に救援活動として会館を開放したことなど、地味な活動、社会貢献活動が取り上げられない。そのようなことをどのように伝えていただけるのか、メディアと教団がよりより関係を結ぶためにはどのようにしたらいいかを模索している段階である。
新聞、メディアの中で、宗教担当記者が減少していることが懸念事項である。
<個人的感想>
発題の内容は概ね既に出されているような内容であり、差し障りの無い部分をコンパクトに纏めた感がありました。
それでも、バッシング報道が多いということと、中々地道な活動を取り上げていただけないという部分は、本音をチラリと覗かせた部分もあります。
地道な活動を取り上げられにくいという面では、伝統仏教も同様であり、例えば曹洞宗では阪神淡路大震災において、拠点寺院に全国から僧侶・婦人会関係者が集まり、組織的に救援活動を行いました。けれども、そのような活動についてどれだけマスメディアが報道したかということを振り返ると良くわかることです。
宗教担当記者がマスメディアから減っているという懸念については同意します。
最近感じることは、創価学会関係のテレビCMが増えていることです。
特に創価大学のCMは先月スポット的にかなりの量が流されていると感じました。また、いわゆる「学会タレント」や、教育機関、法曹界、官僚などに送り込み、内部から影響力をもつメディアを支配していくという動きもあるはずです。そのようなことまで踏み込んだ論議がなされなかったことが少し残念でした。(このあたりは敢えて制限したのでしょう)
■高橋直子氏(番組制作リサーチャー)「<スピリチュアル>なバラエティ番組が孕む諸問題」
自身の関った学校の怪談を取り上げた番組について、具体的な体験談を元に発題されました。
夜中12時にスプーンを後ろ向きに投げて「チャリーン」と音がしたら幽霊がいない、音がしなかったら幽霊がいる・・・という怪談を元にドラマ化した番組が放送前に問題となり、内容変更となった。問題となった基準は「模倣性」
しかし、番組の後半に霊能者にタレントが霊視されるコーナーはあまり問題とならなかった。
霊能者は、これまでの活躍の実績や、問題を起こしていない場合には良しとされるきらいがある。
「スピリチュアル番組」と「不思議現象番組」を分けて考えることにより、問題はある程度クリアになる。
「不思議現象番組」では、ある程度「やらせ」であることが視聴者にはわかっており、フィクションを共有することにより、嘘か本当か迷うというところに「楽しさ」がある(というより、あった)。
しかし、最近は「アポロ13号の疑惑」を放送した際にBPOに苦情が届くようになり、やらせが許容出来ない状況が顕著になった。
やがて、「不思議現象」を取り上げた番組は不振となる一方で「霊能」「霊視」の真偽を問わずに感動を謳う「スピリチュアル」な番組が登場した。
「スピリチュアル」な番組は、「真実か否か」ではなく、「必要か否か」というニーズの次元で論議される。
また、番組放送構成上、スピリチュアルや不思議現象を「肯定」の立場で製作するために、そこには否定的や懐疑の視点が抜け落ちている。
⇒スピリチュアルな霊能番組は、特殊な宗教観に基づいて話題が展開され、視聴者に受動的な姿勢を強要する偏った関係性を構築するという問題点を孕んでいる。
<個人的感想>
やらせ、仕込みについては、視聴者からの厳しい目が届くようになり、番組制作側もその点は十分に考慮するようになったと感じる。
しかし、例えばNHKの昼の生番組であっても、予めインタビューする人や内容を打ち合わせしてあったり、台本どおりに事前準備を行うことは暗黙の領海であったりします。
視聴者にとって、どこまでが真実で、どこまでが「仕込み」なのかが明確にわかることであれば、問題は少ないでしょう。
けれども、高橋氏の指摘されるように、不思議現象を否定的や懐疑の視点が抜け落ちた番組制作を行い、それを放送するということは大いに問題があると言わざるを得ません。
霊能者にタレントが霊視されるコーナーで、タレントがあまりにも真剣な表情で霊能者の言葉を受け入れてしまっている様子が収録されたという実例については、放送基準の見直しも含めて、製作側の意識改革も求められるところだと感じます。
■渡辺直樹氏(大正大学教授・元週刊SPA!編集長)「マスメディアの『宗教』の取り上げ方」
宗教担当記者の不在について
事件がらみは社会部、文化現象は文化部などが担当。
宗教担当は殆ど無い。
宗教欄⇒こころ、人生・・・など、言葉を置き換える動き
関東よりは京都・大阪
民族、同和問題と同レベルに扱われる・・・新聞社は役所と組織のあり方が似ている。
宗教の取り上げ方の3つのスタンス
(1)持ち上げる、賞讃する
(2)スキャンダル、貶める
(3)日本の伝統文化
上記以外ではなかなか取り上げることが無い。
日本の中では、いまだに悩みや生き方について宗教的なものを求めるというよりも、「普通の日本人が」「異質なもの」に対する「異質性の強調」として扱われることが多いことに起因するのだろう。
一般の方が宗教について幅広い知識を持ち考えることが出来るようなデータベースを構築したい。
<個人的感想>
マスコミ側の情報発信の姿勢について、まさに「メディア・リテラシー」というものはマスメディア側にこそ求められているものであると感じました。
■山口貴士氏(弁護士)「信仰を持たない自由、信じさせられない自由」
憲法20条1項「信教の自由」
信仰を持たない自由、信じない自由も保障される。
宗教団体の自由と個人の自由が衝突する場合、個人の自由が優先されるべきであり、宗教信仰の自由は「インフォームド・コンセント」により、各個人が選択して行われるべきと考える。
騙されたとして弁護士事務局に駆け込んでくる方は「宗教に救われるのではなく、宗教に足元を掬われた」方である。
宗教側に求められる「インフォームド・コンセント」とは、教団の情報提供義務・説明義務・助言義務・適合性などである。
信仰は部外者にとっては不合理、非論理的な面があり、それを信じると是正の可能性が薄れる。合理的に脱会させることが難しい。さらに脱会した後の生き方をサポートすることはさらに難しい。
従って、最初に宗教を信じることが、一生を左右するということを予め説明する必要がある。
「インフォームド・コンセント」の範囲
・宗教であることを隠してはいけない。
・教義
・信者としての義務
<個人的感想>
駅前で手相の勉強をしていると近づいてくる団体について、「○○教会です」「合同結婚式をします」「多額の金銭が必要です」「文鮮明の奴隷となります」とまで説明した上で、それでも入信した方にとっては、その人の自由だから何もいえないということですが、そもそも医療現場から発生した考え方である「インフォームド・コンセント」を宗教に適用することができるのか、適用することが適切なのかということについてはよく論議していく必要があるでしょう。
宗教ではないと主張している団体にとってどのように考えるか、難しい問題を孕んでいます。
■今日のブログ記事は前半第一部についてメモ記録を元に記載しました。
第二部については後ほど改めて記事にします。
<以下続く>
そのタイトルは『メディアを語る宗教学者のリテラシー』。
考えさせられますね。
PJニュース用の取材交渉中、取材条件を小出しに示されたので「取材条件を全て明示してほしい」と求めたら、一転して取材を拒否された。相手は、宗教報道などでメディアにも登場する國學院大學教授で宗教情報リサーチセンター(RIRC)センター長の井上順孝氏だ。11月2日、東京・國學院大學で「RIRC開設10周年記念・公開研究フォーラム <宗教情報>とメディアリテラシー」が開催される。創価学会副会長・岡部高弘氏が「創価学会のメディア対応について」というテーマで語るほか、他宗教団体の関係者や弁護士、宗教研究者、メディア関係者が発題者として名を連ねる、非常に興味深いイベントだ。ぜひ、多くの人にお勧めしたい。
記者は井上氏と面識もあったので、9月末、彼に直接連絡を取り、PJニュースで記事にすることを前提にフォーラムの取材を申し入れた。井上氏からは、こんな趣旨の返答がきた。
・録音と動画撮影は一律禁止
・写真撮影は報道のみに許可
・取材はPJニュースであれば問題ないと思う
・とりあえずフォーラム参加自体は認める「公開研究フォーラム」と銘打たれているものの、取材はもちろん一般参加も事前申し込みによる許可制である。
その後、「人物の顔をあまり大写しにしないように」という条件を付けられた。発題者の顔を撮影できないのであれば、下手をしたら会場全景写真くらいしか撮れなくなる。念のため「フロアの一般参加者ではなく発題者の顔を撮るなという意味か?」と確認した。返答は、やはり発題者の顔を撮影するなというものだったが、今度は「発題者については複数の人を同時に写す」ようにと書いてある。前回示された条件より緩くなったが、やりとりの度に条件が変わるのも困ったものだ。ルールに従う意向を明示した上で、「条件があるなら全て正確に示してほしい」と伝えた。ところが井上氏は、記者が取材条件を尋ねたことを理由に取材を拒否してきた。
これまでのライター経験で、こんなことは初めてだ。制約がある取材ほど、制約の内容を明確にすることは双方にとって不可欠のはず。記者のワガママではないし、ルールに異も唱(とな)えず「従う」と明記しているのだからクレームですらない。しかし、最終的に井上氏は、こう連絡してきた。
「今回は従来の原則どおり新聞社だけに限るという方針にさせていただきますので、ご了承ください」(井上氏のメールより)
井上氏はおそらく、やましいことがあって取材を拒否したかったわけではない。メールの文脈からして、取材条件を明示したくない(あるいはできない)ために、「新聞社に限る」というルールを持ち出して取材拒否を正当化しようとしたのだ。しかし、取材を拒否されたことより、ことの経緯と論理に問題を感じる。
仮に記者が疑問を口にせず「YES」とだけ言っていれば、おそらく取材は可能だった。しかし、この程度の疑問も口にできない関係は、不健全ななれ合いどころか主従関係であるとさえ言える。例えば官公庁などの閉鎖的な記者クラブ制度は、取材する側・される側のなれ合いと権力者によるメディア・コントロールを招きやすく、しばしば社会的な批判の的となる。情報の受け手側のリテラシーを考える上でも非常に重要な問題だ。
RIRCは私的団体ではなく、公益法人である「財団法人国際宗教研究所」の付属機関である。同法人のウェブサイトに、こんな記述がある。
「(略)日本の宗教界、宗教ジャーナリズム、宗教研究者等のニーズに応えていくことを目指しています」しかしなれ合い以外の選択を与えない取材対応は、ジャーナリズムへの貢献を謳(うた)う同法人の理念と逆行する。ましてや今回のフォーラムは、メディアやリテラシーそのものがテーマだ。RIRCセンター長としてフォーラムの司会に立つ井上氏の対応が、不可解でならない。
(2008年10月28日 PJニュース)
■関連リンク
宗教情報リサーチセンター(RIRC)
■関連記事
「〈宗教情報〉とメディアリテラシー」フォーラム雑感(つらつら日暮し)
前回の記事と関連するのですが、今回は経典の文字が間違っているのではないか?という事例を提起してみます。
一例として、『修證義(しゅしょうぎ)』第1章(総序)の中の一部を
『永平寺日課経大全』(編集発行・大本山永平寺)と、『諸嶽山總持寺日課諸経要集』(発行・財団法人大本山總持寺僧堂興隆会)から抜粋してみます。
左:『諸嶽山總持寺日課諸経要集』
右:『永平寺日課経大全』
總持寺版は「にくづき(もしかすると月偏?)」、永平寺版は「目偏」となっていて異なる字です。
このような字があるのかということを調べましたが、どうやら無いようです。
また、原典にそのような字で書かれているかどうかについても、どうやらそうでは無いようです。
(もし、にくづき、若しくは、目偏が正しそうだという根拠がお分かりの方は是非お教えください)
「日偏」の暱(昵)であるのなら、意味は良くわかります。
しんじつ ―ぢつ 【親昵】(名)スルしたしみなじむこと。昵懇(じつこん)。
「―の間柄」「自己の―せる人の高位に登るに服せずして/日本開化小史(卯吉)」
(大辞林 第二版 ・三省堂)
この字を含む一節は、「無常忽(たちま)ちにいたるときは国王大臣親暱(しんじつ)従僕(じゅうぼく)妻子珍宝たすくる無し・・・」となり、意味は「死(無常)が突然にやってきた時には、国王も大臣も、親しい友も従う部下も、妻子も財産も、手を貸してはくれるわけにはいかないのです・・・」となります。
経典の漢字がもしも間違っていたとしたら、それを訂正することは困難なことなのでしょうか。
これも疑問として提示しておきます。
食事の前にお唱えする「五観の偈」
修行道場で使われている経本には次のように印刷されております。
食事五観之偈一つには 功の多少を計り。彼の来処を量る。
二つには 己が徳行の全欠を忖つて供に応ず
三つには 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
四つには 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為めなり。
五つには 成道の為めの故に今此の食を受く『永平寺日課経大全』(編集発行・大本山永平寺)より引用
五観之偈
一つには 功の多少を計り、彼の來處を量る。
二つには 己が?行の、全缼と忖つて供に應ず。
三つには 心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。
四つには 正に良藥を事とすることは、形枯を療ぜんが爲めなり。
五つには 成道の爲めの故に、今此の食を受く。『諸嶽山總持寺日課諸経要集』(発行・財団法人大本山總持寺僧堂興隆会)より引用
<句点、句読点、漢字、送り仮名は原文ママ>
読み下しの仕方により、意味は大きく異なってきてしまいますが、曹洞宗では、食事の際に、五観之偈の第3句を「三つには、心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす」とお唱えすることになっています。
修行に入ってから、しばらくは、何の疑問も無く読んでいたのですが、その意味を考える余裕ができたころから、第3句目について、この読み方で良いのだろうか?という疑問が生じてきました。
周囲の多くの方にお尋ねしたりしましたがどうもすっきりしません。
五観偈「五観の偈」とも読む。「五観想」ともいう。
食事の際に、感謝の気持ちを示し、自らを反省し戒めるための五つの綱目。『勅修百丈清規』には「五観の想念を作す」とあって、心に想い描くものであったが、現在では口に唱えることが通例である。
偈の内容は、『禅苑清規』の受食之法によれば、「一つには、功の多少を計り彼の来処を量る(食事を作る苦労や、それらの出処を想いはかる)。二つには、己が徳行の全欠を忖つて供に応ず(自分が〔食事を受けるに値する〕善い行いをしてきたかどうかを考えて食事をいただく)。三つには、心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす(迷いの心を防ぎ、過ちを離れる際に、貧瞋痴〔むさぼり・いかり・おろかさの3つの煩悩〕を中心に考える)。四つには、正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり(〔この食事を〕良薬としていただくのは、身体の衰えを防ぐためである)。五つには、成道の為めの故に今此の食を受く(仏道修行の完成のために、今この食事をいただく)」の五つ。
ただし、臨済宗では第3句を「三つには、心の防ぎ、過・貪等を離るることを宗とす(心の散乱を防ぎ、過ちや貧瞋痴を離れることを宗とする)」と訓読し、また、『諸回向清規』によって、第5句を「五つには、道業を成ぜんが為に、応に此の食を受く(修行という行為の完成のために、この食事をいただく)とする。『禅の思想辞典』(東京書籍,田上太秀/石井修道編,2008)
下線はkameno記載
個人的意見をあえて述べさせていただくと、やはり意味から考えるに、臨済宗や黄檗宗のように「三つには、心の防ぎ、過・貪等を離るることを宗とす」と唱えることが意味を捉えやすい感じがします。
もっと言えば、曹洞宗の読み下しの方法が、もしかしたら間違っているのではないかという気もします。
しかし、曹洞宗で「三つには、心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす」と規定しているとすれば、貞昌院の坐禅会で、臨済宗の読み方によるお唱えはできないでしょう。
もうひとつ、『永平寺日課経大全』の「食事五観之偈 」には、句読点が第2句と第5句にはありませんが、その打ち方に何か意味があるのでしょうか。
ちょっとした疑問でした。
共済年金でも未統合 181万件新たに判明年金受給者と加入者一億人に一つずつ付けられる基礎年金番号が導入された一九九七年以前に、公務員や私立学校の教員を退職した人のうち、約百八十一万件の共済年金の記録が基礎年金番号に統合されていないことが分かった。財務省、総務省、文部科学省、社会保険庁の関係四省庁が共産党の小池晃参院議員に回答した。
基礎年金番号に統合されず該当者不明となっている約五千万件の記録は厚生・国民両年金の記録で、共済年金は含まれないため、未統合の記録はさらに増えた形となる。
社保庁は、九七年以前に共済年金を脱退した人の記録については、年金受給開始時に基礎年金番号に順次統合し、厚生・共済両年金の一元化が予定される二〇一〇年三月をめどに、統合を完了させる方針を示している。
基礎年金番号に未統合なのは今年三?六月の時点で、国家公務員共済約六十七万件、地方公務員共済約六十八万件、私学共済約四十六万件。
(2007年6月26日 中日新聞)
私にもねんきん特別便が届きました。
公務員共済ねんきん特別便と社会保険庁の年金特別便の2通が別々に届きましたので、冒頭のニュースの181万件に該当することになっている事がわかりました。
それぞれの特別便には、それぞれの加入期間のみしか記載されていないので、2通を併せ持たないと意味をなしません。
なぜ統合されていないのかというと、会社員の「厚生年金」と公務員の「共済年金」の制度の違いをどのようにすり合わせるかという根本的な論議が先送りされていることに起因するものです。
年金制度は3つの層に分類されます。
【年金制度の3つの層】
3層 厚生年金基金 適格退職年金 職域年金
2層 国民年金基金 厚生年金共済年金
1層 国民年金(基礎年金) 第1号被保険者(自営業) 第2号被保険者(民間企業・公務員) 第3号被保険者(配偶者)
同じ「1層目の2号被保険者」というカテゴリーに分類されておりますが、会社員と公務員とでは、厚生年金と共済年金という別の組織により扱われます。
2つの制度のうち、一番の違いは「職域加算」と「追加費用」です。
まず、「職域加算」とは、公務員の共済年金にのみ上乗せされるものです。このために、公務員はおよそ月に2万円の上乗せされた年金を受取ることができます。
次に「追加費用」ですが、公務員の共済年金にだけ投入される税金です。
簡単に言うと、年金の面で公務員は優遇されているわけですね。
これを一元化するためには、当然「職域加算」と「追加費用」をどうするかということが問題になるわけです。
公務員の上乗せ部分を、厚生年金から流用することが許容されるのか。
それが許容されなければ、公務員の共済年金支給をざっくり削減するか、現役の公務員にその分を負担させなければならないでしょう。
政府は2010年までに、厚生年金と共済年金を統合する方針を打出しています。
ただ、順調に統合が進むかどうかは不透明な状況です。
ということで、私のように1997年以前に公務員を退職し、国民年金や厚生年金に切り替えた人(181万人)は、社会保険庁へのねんきん特別便の回答に、「加入暦の漏れがある」として、さらに共済年金特別便のコピーを添付して、返送しないとならないわけですね。
それでも、共済年金のように、ねんきん記録が送られてくる場合はまだマシなのでしょう。
一般の会社、自営業などで該当不明になっている5千万件の方たちは、きちんと全員が統合される日が来るのでしょうか。
統合までに何年かかるのか気が遠くなる作業を、これまた税金を投入して行っていると思うと複雑な思いです。
開会日 : 2008年10月15日 (水) 会議名 : 予算委員会 |
参考人の出席要求に関する件 平成二十年度一般会計補正予算(第1号)(閣予第1号) 平成二十年度特別会計補正予算(特第1号)(閣予第2号) 平成二十年度政府関係機関補正予算(機第1号)(閣予第3号) |
質疑者等(発言順) 動画形式 |
本日の記事では、各マスコミがどのように取り上げるかについて着目したいと思います。
石井一議員は、ちょうど一年前(平成19年10月16日)の参議院予算委員会においても、国会議員が公明党本部を通じて創価学会に納める上納金と、国会議員から池田大作名誉会長へのP献金になど、創価学会と公明党との関係について追及しています。
しかし、これについて、テレビや新聞などのマスコミではまったく取り上げられませんでした。
いわゆる報道のタブーの領域です。
そして、昨日の予算委員会。
わたしもリアルタイムでテレビ中継を見ておりましたが、それに対して6時間後の段階で各メディアがどのように取り上げているかを並べてみました。
時事通信 | 読売新聞 | 毎日新聞 | 朝日新聞 | フジテレビ |
政教分離で民主・公明がバトル=創価学会・池田氏招致に言及 | 政教分離問題、民主が公明に揺さぶり…参院予算委 | 参院予算委 民主・石井氏の「政教分離問題」質問で紛糾 | 民主・石井副代表、創価学会名誉会長・池田大作氏らの国会招致を要求 | |
(2008/10/15-20:21) |
石井氏は、政治と宗教に関する集中審議の必要性に言及、池田大作・創価学会名誉会長らの参考人招致を求める考えも示唆した。公明党を揺さぶり、早期の衆院解散・総選挙につなげる狙いがあったと見られる。 これに対し、麻生首相は「政治家でない人を安易に参考人招致するのはいかがか」とけん制。石井氏の後に質問した公明党の山口政調会長は「政府が答弁できないようなことを質問するのは厳に慎むべきだ」と猛反発した。 (2008年10月15日23時00分 ) |
公明党を揺さぶることで、同党から自民党への衆院解散圧力を強めることを狙った戦術。「解散しないなら容赦はしない」とばかりに、創価学会の池田大作名誉会長や矢野絢也元公明党委員長らの国会招致に言及し、ボルテージを上げた。さらに、学会関係者の国会招致について、「この国会が続けばしっかりやっていただく」と述べ、首相が衆院解散に踏み切らない場合は、要求を本格化するとの姿勢を強調した。 首相は「詳しくないのでコメントは差し控える」「話がすれ違っている」などとかわしたが、何度も感想や意見を求められ困惑気味だった。 10月15日20時14分配信 |
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各メディアの特色が出ています。一種類のソースから判断することの危険性もよくわかります。
明日の朝刊にどのように印字されているのか、どのような扱いになっているのかについても着目してみたいと思います。
■関連サイト
報道におけるタブー 『ウィキペディア(Wikipedia)』
※追記
ウィキペディア(Wikipedia)についても、多数の方が情報提供、編集を行っているという前提で利用する必要があります。
Wikipeで特定の国会議員に関する不都合な記述が一斉削除、編集は衆議院内部から(GIGAZINE)
仏教情報センター相談員研修会が開かれました。
テーマは
『「仏壇は必要ですか?」にどう答えますか』
?本尊・位牌・供物などの意味を考える?
仏教情報センターは、伝統仏教各宗派の僧侶がボランティアとして、テレホン相談をはじめとするさまざまな事業を行っています。さまざまな宗派があるために、それぞれの宗派の教義を知ることも大切です。
また、近年多く寄せられる相談の中で、仏壇に関する質問が多く見られる様になりました。
これまでは当たり前のように日本家屋の要として置かれていた仏間が少なくなり、仏壇に対する意識も変わってきています。
そこで、各宗派の仏壇の特徴、考え方、標題の質問にどのように答えていくのか。
今回の研修では
真言宗(智山派)、浄土宗、浄土真宗(本願寺派)、曹洞宗、日蓮宗、天台宗の代表がパネリストになり論議されました。
曹洞宗は私が発表をさせていただくことになりました。
内容は
(1)「家に仏壇を置く意義と仏壇にお参りする意味」パネラー各5分
(2)質疑応答
(3)一仏教者として仏壇をとう捉えるか
(4)質疑応答
という流れです。
研修の内容は、残念ながら非公開ということで、ここでは詳細には記述いたしませんが、私の発表の要旨については追ってご紹介していきたいと思います。
ひとつ残念だったことは、仏壇業界の情報紙の記者さんがお越しくださったのですが、取材ストップがかかってしまったことです。
仏壇をお祀りする方の意識変化などを感じているのは、僧侶だけではなく、仏壇業界の方々だと思います。
むしろ、私たちに届いている声はほんの一握りで、仏壇業界の方が九分どおり受け止めているといってもいいかもしれません。
ですから、このような問題は仏壇業界の方々と連携して取り組んでいかなければならないはずです。
情報発信の方法も、単に取材拒否をするのではなく、例えば「一般から仏壇屋さんに届いた質問や疑問は、是非とも僧侶側にもお気軽にお寄せください」という趣旨で仏具屋さんがお読みになる情報紙に記事を掲載していただくようお願いすることも一つだと思います。
このような問題は僧侶だけが取り組んでも建設的な解決の方向には進まないと感じます。
研修の内容が素晴らしかっただけに、余計そのような思いが残りました。
「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例(仮称)」骨子案 (案) (平成20年9月)が今月9日、神奈川県より公表されました。
この条例の目的は
受動喫煙による健康影響を防止し県民の健康を守るためには、すべての公共的施設において、早期に受動喫煙防止対策が徹底されることが望ましいと考えます。
また、喫煙者・非喫煙者の双方の自由や事業者の経済的自由等にも配慮することが求められます。
そこで、県では、受動喫煙防止対策を実効のあるものとし、また規制についてきめ細かい配慮をするため、施設の性質、利用の実態等に応じた規制とするとともに、あわせて、本条例では規制の対象とはしていない職場や家庭も含めた受動喫煙の防止を促進するための施策を定めることとしました。
なお、未成年者は受動喫煙による健康影響についての正しい知識や、自ら受動喫煙を避ける判断能力・行動能力が必ずしも十分でないため、より受動喫煙による健康影響を受けやすいと考えられますので、可能な限り、その保護が図られるようにしました。
(神奈川県のホームページより)
ということです。
神奈川県は、当初「不特定多数の人が利用する施設での原則禁煙」を条例の骨子とすることを目指していましたが、そこまでは踏み込めず、居酒屋やパチンコ店などでは分煙という骨子となりました。
さらに、キャバレーやパチンコ店などは、3年間は猶予期間が与えられ、条例の対象にはなっていません。
理由は業界からの反発が大きかったことと、元々喫煙率が高い場所にこの条例を適用することに無理があると判断したことによるものだそうですが、それで良いのでしょうか。
条例を簡潔にまとめると
■第1種施設は原則禁煙 ■第2種施設は分煙・喫煙を選択できる ■第2種の次の施設は分煙化への移行に3年の猶予 ■該当しない場所 ■罰則 |
ということです。
原則禁煙とされる「第1種施設」には、学校、体育館、病院、劇場、百貨店、官公庁、公共交通機関、金融機関、社会福祉施設などが列挙されております。
では、お寺はどのような位置づけになっているかというと
第1種施設
(6) 集会場 公民館、児童館、結婚式場、葬祭場、火葬場、納骨堂、境内建物、その他これらに類する施設
として、利用者に選択の余地が無い(もしくはほとんど無い)、代替性が低い施設、健康維持や健康増進を目的に利用される施設、多数の者が集合して利用する施設及び他法令(条例を含む。)等により喫煙が規制されている「第1種施設」として分類されています。
したがって、お寺の本堂、客間、境内建物(庫裏を除く)については、原則禁煙が義務付けられることになります。
さて、ここで、この条例の根拠となる受動喫煙の害について見てみましょう。
受動喫煙とは、喫煙者の周囲の人が、自分の意思とは無関係に「環境たばこ煙」に曝露され、それを吸入することと定義されます。
「環境たばこ煙」とは、「副流煙」(喫煙者が直接吸う主流煙に対し、たばこの先から立ち上る煙)と、「呼出煙」(喫煙者の吐き出す煙)が混じり合った煙でありますが、この「副流煙」は、喫煙者が直接吸引する「主流煙」よりも非常に多くの有害物質が含まれていることが問題となっているのです。
たばこの主流煙と副流煙の有害物質
有害物質 | 主流煙(mg/本) |
副流煙(mg/本) |
|
気相 | 一酸化炭素 | 31.4 |
148.0 |
二酸化炭素 | 63.5 |
79.5 |
|
窒素酸化物 | 0.014 |
0.051 |
|
アンモニア | 0.16 |
7.4 |
|
粒子相 | ニコチン(フィルターなし) | 0.92 |
1.69 |
ニコチン(フィルターあり) | 0.46 |
1.27 |
|
ベンツピレン | 3.5×10α(※) |
13.5×10α(※) |
|
フェノール系 | 0.228 |
0.603 |
(※)10 α=10 万分の1 (10 のマイナス5 乗) (US Dep.Health,Education and Welfare:The Health Consequences of Smoking(1975),1975 )
このように受動喫煙による健康影響は明確な根拠があります。
神奈川県の条例<案>は全国の自治体に先駆けて検討されている厳しい内容のものとなっておりますが、むしろ今までこのような規則が整備されていなかったことの方が問題であると感じます。
「お寺でも禁煙」ということが常識であるという認識をもつことが必要になります。
今年より仏教テレフォン相談のお手伝いをさせていただいております。
寺や僧侶との関わりが薄れ、仏教の教えに触れることが稀となった現代・・・「生前に墓を建ててもいいか」「家族だけで葬儀をしたい」「成仏していない先祖がいると言われた」「他人と上手に付合えない」など、仏事・信仰・人生に関わる悩みや疑問の電話が毎日寄せられています。 (仏教テレフォン相談のサイトより)
平成19年度の仏教テレフォン相談について、統計分析がまとまりました。
その概要は、仏教情報センター機関紙『仏教ライフ』に掲載されておりますが、その一部をかいつまんでご紹介します。
期間 平成19年6月?平成20年5月 <開設25年目>
相談開室日数 217日
相談者数 3599人 (1日平均 16.6人)
相談総件数 4274件 (1日平均 19.7人)
相談される方は、男女とも50代、60代の方が多くなっています。
本来ならば、仕事も家庭、子育ても一段落して、安定して人生を楽しんで良いはずの方々が誰よりも一番苦しんでいます。
「団塊の世代」と言われる方々の悩みは多岐に渡ります。悩みがなぜ生まれるのか、その悩みは何処に向かうのか、私たちは学ばなければならないでしょう。
相談内容は、圧倒的に人生相談が多くなっています。
仏事の常識やマナー、法要の意味、仏教全般に対する質問であれば、お応えする側も知識経験を元にそれなりに対応することができるのですが、人生相談、それも重い内容であればあるほど、対応する側の資質が問われます。
粗雑な言葉は世の乱れを生み、愛心なく慈心のない生命(いのち)を軽視した社会に拍車をかけます。 言葉は思いのあらわれであり、単なる言語や伝達手段ではありません。自らの人格を宿し、自らの人格をつくるのです。一語一語を大切にしなければなりません。 (平成20年度 曹洞宗布教教化に関する告諭)
相談の電話はひっきりなしにかかってきます。
それだけ求められているということは、嬉しいことではありますが、限られた時間で対応していかないと、他の相談者の機会を損なってしまうことになります。
短い限られた時間の中で、いかに相談者の悩みを取り除くことが出来るのだろうか・・・
カウンセリングの基礎を学ぶことも大切ですし、それを現場で適切に対応することがさらに大切だということを実感します。
この日は16件の相談を担当させていただきました。
相談担当者は複数居りますので、センターとしてのこの日の相談件数は平均から比べるとかなり多い数となりました。
机の上のキャラクター。
窓の外からの光を受けて首を左右に振っています。
「おこらない、おこらない」
仏教テレフォン相談以外でも、様々な相談を受ける事は多いですし、世の中には様々な悩みが渦巻いていることを実感します。
少しでも悩みが減りますように切に願います。
破壊された仏像に手向けられた聖なる白布・カタ [チベット・砕かれた仏の国]より。野町和嘉氏撮影。
チベットでは、ダライ・ラマを最高位として、哲学を修め、徳をそなえた高僧こそがチベット文化の核心であると人々は信じてきた。アディを戦慄させたのは、中国が行った高僧に対する残酷な精神破壊の数々であった。それらの『儀式』は大衆への見せしめとして行われた。
チベットではごく普通の人々でも、生きものは虫一匹とて決して殺さない。すべての生きものは因果応報によって生まれ変わった人間の姿であるかも知れないと深く信じられているからだ。その高僧は後頭部に銃を突きつけられ、手錠をかけられたその手には金槌が握らされていた。そしてこともあろうに、台の上には菜っ葉からつかまえてきた青虫が一匹ずつ置かれ、それを叩き潰させるのである。
<中略>
こうした弾圧は、中国が文化大革命に突入するずっと以前の、1950年代後半から始まっていた。チベット全土がこうして悪夢にうなされていたときにも、共産主義者の謀略を逃れたダライ・ラマが、インドにあって仏法を守り続けていたことが、チベットの人々にとってどれほどの支えとなったかは計り知れない。
(チベット『天の大地』1994年 集英社刊より)
これは、高知県出身のフォトジャーナリスト、野町和嘉氏によるチベットの戦慄のドキュメンタリー『天の大地』です。
ここに引用した文章は中国が行ったチベット僧たちに対する思いつく限りの恥辱のほんの一部ですので、是非 チベット・砕かれた仏の国 をご覧いただくことをお薦めします。
野町和嘉氏は、1988年以来チベットに通い、極限高地の信仰と暮らしを撮影し続けています。
また、イスラームの聖地であるメッカ・メディナの撮影をサウジアラビアより正式に要請されたことがきっかけでイスラームに改宗、メッカ大巡礼の全容を内面から撮影されてきました。
信仰のもつ力、それは計り知れないエネルギーとなります。
チベットが中国軍に降伏した以降は、チベット僧侶、チベット人たちは餓えと拷問、強制労働を余儀なくされます。
そのなかで、僧侶たちにとって一番耐え難いものは、収容所となった寺院内で、僧侶たちだけに強制させられた仏像や経典類破壊の罰則であったといいます。
野町氏は、亡命政府の置かれている、インド・ダラムサラで20人以上の亡命者に様々な質問を試みたそうですが、ほとんどの方が胸の内を開くことは無かったそうです。
僧侶の中には、あまりに苛酷な精神重圧により、人を信じることができなくなってしまったものもいます。
「私をひどい目にあわせた中国人たちを思うと哀れでなりません。拷問の痛みで眠れない夜、あの人たちが来世に背負ってゆくことになる業の深さを、私は何度も考えさせられました。自分が生まれ変わり、あのような人間になるとしたら、本当に恐ろしくて、恐ろしくて、、、」
数年にわたり筆舌にし難い拷問を受けてきた尼僧ケルサン・ペモのことばは、チベット仏教の精神を端的にあらわしています。
このような歴史に対し、事実をきちんと伝えることは大事なことであると感じます。
日本にいる私たち僧侶にも、出来ることは、いくらでもあるはずです。
野町和嘉さんの写真展および講演会のご案内です。
■野町和嘉写真展「チベット」
「ゆるす言葉」発売記念展
会場:青山ブックセンター本店内ギャラリースペース
電話:03-5485-5511
会期:2008年8月11日 - 8月28日
■野町和嘉写真展 地球巡礼
あーすぷらざ 3F企画展示室
Tel:045-896-2899
会期:2008年9月6日?10月13日
公開時間:10:00-18:00 祝日を除く月曜日休館
入場無料
主催:神奈川県立地球市民かながわプラザ
指定管理者 財団法人 かながわ国際交流財団
作品制作協力:キヤノンマーケティングジャパン株式会社
協力:クレヴィス
■野町和嘉講演会
日時:2008年9月13日(土)14:00?15:45
場所:あーすぷらざ5F映像ホール
入場無料 事前申し込み制
■公式サイト
野町和嘉:世界地図で辿る“地球巡礼”
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チベットが消される
「核兵器、廃絶だけに意味」?63回目原爆の日
広島は6日、63回目の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、被爆者や遺族、市民、福田康夫首相ら約4万5000人が参列した。秋葉忠利市長は平和宣言で「核兵器は廃絶されることだけに意味がある」と強調。子供代表は「何も知らなくて平和は語れない。ヒロシマで起きた事実に学び、伝えていく」と誓った。
式典は午前8時に始まり、この1年間に死亡が確認された5302人の名前を記した原爆死没者名簿2冊を秋葉市長と遺族代表が慰霊碑に納めた。名簿は計93冊、死没者は25万8310人となった。原爆投下時刻の同8時15分、「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者が1分間の黙とうをささげた。
広島原爆投下の日から63年目を迎えました。
犠牲となられた方々に心より哀悼の意を表します。
広島市の秋葉市長は、平和宣言において「核兵器は廃絶されることだけに意味がある」と述べました。
しかし、世界を見渡せば核兵器を保有する国はいくらでもあります。
環境問題も同様ですが、地球規模で全体が足並みをそろえて問題解決に真剣に取り組まなければ抜本的な対策にはなりません。
一国のみの運動では、ほとんど意味を成さないと言っても過言ではありません。
世界で唯一の被爆国である日本から発信するメッセージのもつ意味は大きいはずです。
けれども、毎年原爆の日に出される平和宣言が日本以外のメディアにどれだけ流されているのでしょうか。どれだけの人々が原爆の悲惨さを知っているのでしょうか。
日本の果たす役割は、広島・長崎の記憶を失わせる事なく語り継ぎ、語り継ぐだけでなく、世界にもっともっとアピールしていくことだと思います。
「核兵器、廃絶だけに意味」というのは、核兵器保有国に向けたメッセージであるからです。
世界各国から核兵器が廃絶される日が来ることを心より望みます
<ヒロシマの記憶??15万の命。一人一人の生活、思い、夢や希望、失敗、ぜんぶ吹き飛んでしまった。そして私はこの手でその爆弾に触れたのだ> ---原爆開発計画に携わった女性科学者、ジョアン・ヒントンさんが1951年、全米科学者連盟にあてた手紙より<一度その用い方を誤れば文明そのものを消し去る結果となります。科学そのものに罪はありません。しかし倫理性を欠いて人類が平和の方向を逆行するとき、その悪魔性は限りなく増大いたします。>
---永平寺監院 大田大穣師のことばより
貞昌院では毎週木曜日早朝に坐禅会を開催しております。
⇒スケジュールはこちら
定期的に行うようになって10年以上経過しました。
最初の頃は数名での坐禅会でしたが、今では多くの方に参禅いただくようになりました。
坐禅会に参加されている方より、短歌をいただきました。
思い返せば、さまざまなことがありました。
一句一句読み返すと、そのときの情景が蘇ってきます。
掲載のご承諾を得ましたので、いくつかを抜粋させていただき、ご紹介させていただきます。
<参禅の思い出の歌>生きている 心の底に 欲が住み 可愛くもあり 煩わしくも
朝まだき 参道通る 息白く 既に入りたる 打座の面影
湧き水の 池面を出でて 跳ね上がる 群れなす鯉の しぶきかがよふ
■ゆめ観音アジアフェスティバル
炎天下 異国の人も 舞ひ唄ふ ゆめ観音の 岩戸開くも
■貞昌院門前あかときの 打座へ行く道 森の辺に 月あかあかと 沈みゆく見ゆ
打座の淵 幾重の我の 現はれて 大きく小さく 心を揺らす
吾が独り 始めし打座の 年経りて 十数名 友の目すずし
■貞昌院奈良旅行中宮寺 弥勘菩薩の み前に座して 微笑むみ顔 ただ仰ぎをり
東大寺 阿吽の相の 仁王像 人の心を 透かし見をらむ
幾たびぞ おおきみ仏 仰ぎたり 開けるみ手の 迫り来るらん
興聖寺 道元禅師の 禅の道 萬代かけて つつうらうらに
■ダライ・ラマ法王の講演
夢にまで 現れ出でし ダライ・ラマ うつつにみ声 給わるぞ嬉しき
■貞昌院 打座堂内に 五観の偈頌の とよもせり いただく朝餉 典座のたまを
結びには 打座で唱えし 経典の 秘めたる法を 説き給ひけり安楽の 法門へ ただ一筋に 壁に向き合ふ 打座の友びと
非思量 不思量底 思量の辺 あらばやとただ あらばやと経る
己なく み堂の床に おおうみの 黄金に映えて うつつにぞ現るる
貞昌院の 無為の行に 導かれ 十年の打坐 一刻のごとし
今日もいつものとおり坐禅会が開催されました。
写真家の荒木経惟さんがさまざまな場所を訪れ、 何気ない日常生活の中にあってあまり気づかない、 ささいな幸せの情景を撮影します。 「『なんだ、こういうことがすてきなんだ』と気づいてもらえる、 そんな写真がいいんじゃない」とアラーキー。 天才に写真機を向けられた老若男女は、 魔法にかかったように次々と幸せの笑顔を咲かせる。「だっておれは、幸福写真の花咲じいさんだから」
アラーキーこと写真家の荒木経惟氏が5月29日、「アラーキーの幸福写真」の撮影で本山を訪れた。荒木氏は、日常の幸せの情景を撮り続けている。
(大本山總持寺 跳龍のサイト)
写真家の荒木経惟氏が大本山總持寺に来山、修行僧たちの日常を撮影されました。
撮影された写真は、7月の新聞各紙に掲載される予定だそうです。どんな写真なのか、とても楽しみです。
写真にとって大事なのは関係性であると、写真家・荒木経惟さんは答えます。
コンパクトデジタルカメラやカメラ付き携帯の普及で、誰でも気軽にスナップ写真が撮ることができるようになりました。
けれども、いきなり撮影された人にとっては、撮影されることに対して不快に感じることもあるでしょう。
「撮ってもよいでしょうか?」という最低限の心遣いがあれば、そこには信頼を持った関係性を生み出すことができる。
たった一言のある無しには、大きな隔たりがあります。
その関係性を作ることができることが写真家の写真家たるところなのでしょう。
幸福写真の花咲じいさん、荒木経惟さんの写しだす日常の何気ない幸せ。
写す人、その写真を鑑賞する人、それぞれに笑顔が広がる写真って、素敵ですね。
<荒木経惟さん>様々な思いを…母子ヌード撮影に40組「アラーキー」こと、写真家の荒木経惟(のぶよし)さん(67)が6月28、29の両日、熊本市上通町の市現代美術館で「母子」のヌード撮影をした。過激なヌード写真で知られる荒木さんだが、母子をテーマにするのは初めて。「愛とか生とかを考えると、最高のポートレート(肖像)はお母さんと子どもなんじゃないか、そういう気分になった」。そう語る荒木さんに共鳴した40組が熊本県内外から参加した。
(Yahoo!ニュースより)熊本市現代美術館では、2008年11月より「荒木経惟展」を開催いたします。本展のために荒木氏が撮り下ろす最新作、「母子シリーズ」の撮影会を熊本市現代美術館で行います。
こどもをめぐる暗いニュースが多く聞かれる状況の中で、未来への希望がつまった赤ちゃんとお母さんの笑顔を通して、命の尊さをもう一度見つめなおすことを荒木氏は目指しています。荒木氏にとっても初めての試みとなる「母子シリーズ」を熊本から世界に向けて発信していくこの機会に、どうぞ奮ってご参加ください。
(?熊本市現代美術館のプレスリリースより)
父母の子に向ける愛は計り知れないほど大きく深いですが、同じ慈愛でも、慈父といえば仏教ではお釈迦様を意味し、慈母といえば観音様などの菩薩様をさします。
この違いはどうして生じるのでしょうか。
全ての人間は女性から生まれます。これはゆるぎない事実です。
世の中には、女性を「性」の対象としか見ないような表現が氾濫していますが、「性」ではなく「生」について素直に向き合うことは大切なことだと思います。
もしも、女性写真家の撮影された「父・子」の写真展が、併設会場で展示されていたら是非鑑賞してみたいと思います。
慈父と慈母の違いの答えが見つかるかもしれません。
時間があるときにはなるべく墓地を見て回るようにしています。
貞昌院には指定業者制度はありませんので、さまざまな石材店が入ります。
墓石工事が行われている時には、その工事を見ることにより、業者ごとの特長などもわかり、とても参考になります。
最近特に着目しているのが、墓石の耐震対策です。
大地震に襲われると、墓地は大きな被害を受けやすくなります。
そこで、地震の揺れに対抗するために、どのような工夫がされているかをみるわけです。
今日工事を行っていた石材点では、四隅に耐震ゲルを置き、ズレ防止のためのタボ穴の周囲には耐震ボンドを用いていました。
直径数ミリのスペーサを置くことにより、耐震ゲルと耐震ボンドの性能が生かされます。
このあたりの工夫は、ここ数年で格段に進歩しておりますので、一昔前に建立されたかたは、一度積み直してみるということも有効かもしれません。
なお、耐震ゲルは夏の暑さ、冬の寒さが繰返されることにより劣化していきます。
理想的には10-20年に一度、耐震ゲルを新しくするのが良いようです。
夏から秋に掛けて墓参の機会も増えることと存じます。
お参りの際には、墓石の状況を点検して、必要に応じてメンテナンスを施すのもご供養のうちの一つではないでしょうか。
さまざまな不祥事が取りざたされている社会保険庁ですが、ここまで酷いとは。
これはごく最近知人に届いた年金特別一時金に関する通知書です。
特別一時金とは、国民年金から受けられる年金のうち、障害年金等の受給権者であって、昭和61年4月1日前に年金に任意加入した人または法定免除された保険料を追納した人について、保険料の納付期間に応じて特別一時金が支給される制度です。
特別一時金の受給権利者は、「生きているご本人」対象になるわけですが、そのことを前提に通知書をご覧下さい。
通知書の名前の欄を見てまず驚かされることは、 死亡者氏名として ○○○○ (←生きている方の名前が記載されている) となっていること。
ありえません。
先に述べたとおり、この通知書は、「生存している」受給者本人に通知されるべきものなのです。
さらに問題なのは、この通知書を、社会保険庁の職員が、一通一通宛名を手書きしている点。
つまり、右の通知書の「死亡者氏名」と同じ名前を、職員が「自ら確認した上で」左の封筒に「手書きで名前を」書いている ということです。
仮に、コンピュータのミスで「死亡一時金」の通知文を雛形として使ってしまったとしても、この宛名を書く時点で、「死亡者の名前を宛名として記入する」という異常なことをしているということに気づかない神経を疑います。
そこには、受給者に対する思いやりも配慮もなにも無いのでしょう。
ただ、機械的な処理をこなすだけ、人間的な温かさはそこには微塵も感じることができません。
この通知を受取られた方は、「私は殺されてしまった気がする」と、大いに気落ちしておりました。
社会保険庁の職員の方には猛反をしていただきたいところです。
社会保険庁の体質について、明星大学の原優治先生は、公的経営学の観点から次のように分析しています。
1.正式な職員の場合、身分保障されている公務員であることに甘えていること。もちろん民間でいう市場による処罰としての倒産もないことが挙げられる。2.資格や身分が異なり出身母体も様々な成員が幾重にも混成されていて反目しあったり、コミュニケーションがとりづらくなる傾向があること。
3.甘いぬるま湯的組織体質のなかで、相互に切磋?磨することをやめてしまい、逆に相互にもたれあうという旧来の日本的特性が色濃く出てしまったこと。
4.ノンキャリア組にとっては、仕事自体を企画したり本質的に調整する仕事もなく、およそ自己実現をかけるような探求や自己成長の機会もなく単調なIT 的作業が仕事の殆んどを占めモラール(morale:やる気)を低下させてしまっていること。
5.既に述べたように僅か3%に満たないキャリア組が企画や本質的なものに関係する調整の仕事を独占しており、コンピュータ入力や窓口業務などの実務はノンキャリア組が担当しており、さらに悪いことにキャリア組とノンキャリア組は入庁以来業務連絡上必須なコミュニケーションをほとんど欠落させたまま棲み分けを続けてきてしまっていること。そのうえ、キャリア組は2?3年で転勤をしていくため、どうしても実務に疎くなり、見過ごすことのできない本質的に重要な不具合なことに気付いても棲み分け上の縄張りを敢えて越えてノンキャリア組の部下へ注意を喚起するようなことは遠慮してきたという事実がある。それは公務員の評価においては民間に比べて減点主義的傾向が強く、注意喚起や指示徹底などでもめ事やいざこざをおこさないことを身上とする文化・風土が定着していることによる。
6.したがって、公的経営学的視点から見て、トップマネジメント側に属するキャリア組の経営管理する権限と責任の放棄がうかがわれる。
7.公的経営管理をする側の無気力、無責任をよいことにして安逸をむさぼったノンキャリア組を中心とする一般職員の責任は大きい。さらに、倒産がないことと手厚い身分保障をよいことにして安逸をむさぼる組合員を支援したり放置してきた自治労などの労働組合指導者の責任も問われなければならない。
(『明星大学経済学研究紀要』Vol.39 No.2より引用)
そういえば、このような配慮にかける事例は直近にもあり、大々的に報道もされました。
失敗を生かすことのできない組織なのですね。
木更津市「後期高齢者医療」封筒黒枠やめます木更津市が発送した、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)に基づく保険料通知書の封筒デザインに市民の苦情が相次いだ問題で、市は10日、黒枠を撤廃し、封筒全体を青色に改める方針を明らかにした。木更津市議会一般質問で、市側が答弁した。
問題となった封筒は、紙の色が白く、対象者の名前を太い黒枠で囲んだデザイン。4月15日の保険料徴収開始日を前に、市が75歳以上の市民約8100人に発送したが、直後から「訃報(ふほう)を連想させる」「遺影のようで不愉快」などの苦情が20件ほど寄せられていた。市では、市民税通知書も青色の封筒で送付しているが、お年寄りが判別しやすいよう、保険料通知書はそれとは違った濃い青色を使用するとしている。
市側はこの日、答弁で「印刷発注の際に配慮が欠けていた。改めて深くおわびする」と陳謝した。
(2008年6月11日 読売新聞)
そのお詫びがこちら。
(まあ、ホームページ上でのお詫びなので、対象となる75歳以上の方がどれくらい目にするかはわかりませんが)
2008年04月24日 :「後期高齢者医療仮徴収額決定通知書」の封筒についてのお詫び(保険年金課)市から送付しました「後期高齢者医療仮徴収額決定通知書」につきまして、封筒のあて先欄の印刷が配慮に欠けた部分があり、お受け取りになられた皆様に不快な思いをお掛けしましたことに、深くお詫び申し上げます。今後、このようなことが無いよう万全を期してまいります。
■関連トピックス
対テロ防止訓練 などで用いられている「化学防護服」。
化学防護服に包まれた消防隊員たちの物々しい姿を、間近に見ることになるとは・・・・
何時何処で何があるのかわからない時代になりました。
今日は檀家さんの葬儀があり、上永谷駅前の斎場で法要を行っておりました。
葬儀自体は恙無く進行したのですが、いざ、出棺の段になり何台かのパトカーと救急車が直ぐ目の前の道路に集まってきました。
みるみるうちに消防車も区内全域から急行し、あっというまに物々しい雰囲気となりました。
初七日はお寺で行うため、出棺後の火葬場には住職が同行し、私は準備のためお寺に戻ったのですが、お寺に戻る途中に現場があるわけです。
↑ 12:20
この時点では異臭騒ぎの詳細が伝わらず、しかも規制線が張られていないため、車の交通もそのまま。通行人も現場直近を歩いています。
(今考えてみれば恐ろしい)
12:30
10分ほどして、応援に駆けつけた警察官たちによってパトカーが横に並べられ、カラーコーンや規制線が張られ、ようやく環状二号線上永谷駅前?京急メモリアル前までの区間が完全に封鎖となりました。
12:40
ただでさえ交通量の多い環状二号線ですから、この車線規制の影響は大きく、数時間に亘って現場付近の交通は大混乱しました。
これまで消防訓練や、テレビの映像でしか見たことのない化学防護服を、実際に間近で見ることになると、改めて危機管理の大切さを痛感させられます。
10分ほどの間に現場付近を通行されていた方は、知らないうちに災害に巻き込まれてしまっていたかも知れません。
数時間の後、規制は解かれ、平常の街の様子に戻りつつありますが、かなり広い範囲に影響を及ぼしました。
まだ詳しい原因は判っておりませんが、「硫化水素」発生との見方が強まっております。
1945年7月16日・・・・その日、太陽は二度昇りました。
午前5時29分45秒、人類初の原子爆弾の実験(トリニティ実験)がニューメキシコ州・トリニティサイト (Trinity site)で行われたのです。
トリニティ実験の内容は、爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験でした。
その僅か数十日後、広島にウラン型の爆弾が、長崎にトリニティ実験と同型のプルトニウム型の爆弾が投下されました。
アメリカ同時多発テロ事件の標的となった世界貿易センタービル跡地を「グラウンド・ゼロ」と呼ぶことが定着していますが、本来の「グラウンド・ゼロ」は広島、長崎の爆心地、そして、この「トリニティサイト」のことをいいます。
「グラウンド・ゼロ」という標識が掲げられたトリニティサイトの巨大な窪地は、その後整地され、後に国定歴史建造物 (National Historic Landmark)、国定史跡 (National Register of Historic Places)の指定を受けます。
現在の「グラウンド・ゼロ」には、高さ約3.65mの溶岩で造られた記念碑が建てられています。
Google map で確認してみましょう。
最大にすると、モニュメントの陰が見えますね。
「グラウンド・ゼロ」は、Google map で見られるように16角形のフェンスで厳重に囲まれています。
2005年7月16日は、トリニティ実験から60周年の年となり、特別な式典が行われました。
⇒トリニティ実験60周年のサイト:Trinity Remembered
さて、先日「広島原爆の火」の採火式を行います のトピックスでご紹介した映画 "Atomic Flame" 原爆の火 零時三分前 ですが、映画タイトルが「GATE」に変更になりました。
3日後の6月1日(日)よりプレミア試写会が行われ、6/6(金)より公開予定です。
映画 「GATE」
■先行上映会
6月1日(日)より六本木ヒルズのハリウッドプラザにて。
開場13:30
開始14:00(マット・テイラーよりご挨拶)
「GATE」上映(104分)
上映後舞台挨拶
終了16:30(予定)
<各回200名様>
毎週金・土・日 (4回上映)
1. 14:00?
2. 16:00?
3. 18:00?
4. 20:00?
■6/6(金)より一般公開。
六本木ヒルズ内のハリウッド美容専門学校ホールにて。
映画の内容は、トリニティ実験から60周年の年に合わせ、「原爆投下は長崎を最後に」との祈りを胸に、九州の星野村に大切に受継がれ灯されている原爆の残り火を採火し、「原爆誕生の地」となったニューメキシコ州の核実験場トリニティーサイトを目指す2500キロに及ぶ平和行進の記録です。
その中心となった僧侶が、長崎の「グラウンド・ゼロ」に程近い曹洞宗・晧台寺の大田大穣老師(現在、大本山永平寺監院)です。
2005年7月16日(人類最初の原爆実験から60年後) 11.00AM : San Francisco ピア39を出発 ⇒ 同年8月9日(長崎原爆投下から60年後)7:20pm Ground Zero Trinity Gate - 携えていった原爆の残り火を読経の中、消すまでのドキュメンタリー。
その写真を何点か下記サイトで見ることもできます
⇒その1
⇒その2
トリニティサイトのモニュメントに刻まれていることば
Trinity Site
wherethe world's first
nuclear device
was exploded on
July 16, 1945
erected 1965
white sands missile range
J Frederik Thorlin
Major General U.S. Army
Commanding
私たち人類は、核兵器の火を完全に消し止めることができるのでしょうか・・・・
■関連リンク
広島平和記念資料館(原爆資料館)
長崎原爆資料館
テレビや雑誌の特集では、「健康」をテーマにした特集がよく組まれます。
バラエティー番組では、ネタに詰った時には、温泉、グルメ、ペット、健康をテーマにすれば間違いないとも言われているようです。
視聴者や読者が健康に関心を持たれるのは当然のことですが、それをいいことに、強大な影響力をもつマスメディアで「特定の」食品だけが健康に良いという紹介の仕方には反感を感じます。
ココア、かんてん、アスパラ、納豆…その一つひとつが紹介されるたびに、スーパーでは特定の商品だけが品切れになります。
これは最近に限った傾向ではなく、古くは紅茶キノコ、自家製ヨーグルト…例を挙げればキリがありません。
ついにはいかに健康にプラスになるかというデータさえ捏造するようになりました。
⇒関連記事 情報の見方・読み方・読み取り方
このように、食や健康にまつわる流行は次から次へと移り変わっています。
表題のことばは、今日の全国紙全面広告に使われていたコピーです。
広告主はSUNTORY。
某健康補助食品の広告です。
禅の修行道場での朝食が「ど?ん」と掲載されています。
なかなかインパクトのある写真なのでご紹介させていただきました。
新聞をお取りの方は、実際の広告写真をご覧下さい。
流行の変遷により、流されやすい食品、特に健康食品分野で、伝統的に重んじられてきた「ごま」の重要性を説き、一時期の流行ではなく、永く付き合っていける健康食品ですよ、ということを意図しているのでしょう。
広告ではありますが、禅寺での食事がどのようなものであるのか、広く紹介いただいたという点、そして流行に左右されずに只管古来からの作法を守り伝統を重んじてきたことに着目くださったということに関してはとても嬉しい広告であります。
広告文より一部引用、紹介させていただきます。
760年間、欠かすことなく ごまを食べ継いできた日本の精進料理が体系化されたのは、永平寺の開祖として知られる道元禅師が、『典座教訓・てんぞきょうくん』という書物で、日々の食事の大切さを説いて以来といわれています。
私たちサントリーがその書物を知ったのは、ごまの食文化を調べていたのがきっかけでした。
永平寺ではいまも道元禅師の教えに基づき、修行僧たちは次のような食事を、毎日の糧としています。朝食=おかゆ・ごま塩・漬物。
昼食=麦めし・味噌汁・漬物・おかず一品。
夕食=麦めし・味噌汁・漬物・おかず二品。なかでも朝食のおかゆとごま塩は、道元禅師の昔から約760年間、欠かすことなく、今日まで食べ継がれています。
(SUNTORY新聞広告2008/5/28より引用)
修行僧たちがこのような食事で健康を維持できるということは、決まった時間に決まった量の食事をとるということにポイントがあります。
諸々の飲食(おんじき)を受けては当(まさ)に薬を服するがごとくすべし。好(よ)きにおいても悪しきにおいても増減を生ずること莫(なか)れ。わずかに身を支うることを得て以て飢渇(きかつ)を(と)除け 『仏遺教経』
当に良薬(りょうやく)を事とするは 形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんがためなり 『五観の偈(食事作法)』
私たちが良くお読みする『仏遺教経』や、食事の前にお唱えする『五観の偈』にも共通のことが説かれています。
食事は、ただ単に満腹感を求めるという欲求を満たすものではなく、身体をささえてくれる良薬です。
ですから、さまざまな飲物や、食物の施しを受けた際には、あたかも薬を服用するように、大切にいただかなければなりません。
好きだからたくさん食べたり、嫌いだからといって食べなかったり、そのような食べ方はしてはいけません。
身体をささえるだけの適度な食事をとることにより、飢え、渇きをしのぐのです。
広告写真の、修行僧たちのいただいている朝食、どのように感じられましたでしょうか。
こんなものでは物足りないと感じられましたか?
そしてもう一つのポイント。
単なるお粥、漬物、ごま塩のように見えますが、そこには、食事をいただく修行僧たちを慮る、さまざまな「こころ」が込められています。
修行道場では、食事を作る係を「典座(てんぞ)」といい、特に重要な役職とされています。
道元禅師は、『典座教訓(てんぞきょうくん)』という書物を著し(これは先にご紹介した広告文にも紹介されていますね)、食事係の重要性、食事を作るのも・食事を頂くのも修行であると述べられました。
その中で、「喜心(きしん)」「老心(ろうしん)」「大心(だいしん)」の三つの心「三心」を、典座職の心構えとして、食事を作るとき、食事をするものに接するときの心得として説かれています。
簡単に言うと
「喜心」= 喜びの心を持って接する。
「老心」= 父母のような慈悲の心で接する。
「大心」= 偏りのない大きな心で接する。
ということです。
そのような「こころ」が込められているからこそ、毎日のように同じメニューであっても何百年もその伝統が受継がれているのだといえるでしょう。
結論としてはっきりと断言します。
健康食に、流行は、不要です。
本年は、永平寺第三代の徹通義介(てっつうぎかい)禅師の七百回大遠忌の年に当たります。
徹通義介禅師は、道元禅師の孫弟子です。
道元禅師が病気の治療のため京都に旅立たれたとき、永平寺を護るようにと後を任され、さらに總持寺を開いた瑩山禅師のお師匠さんあたる方で、初期の曹洞宗の発展に重要な役を担われた方です。
『典座教訓』の「三心」を実践された方でもありました。
6月15日(日)に、永平寺主催・文化講演会が駒澤大学にて開催されます。
SOTO禅インターナショナルでも協力を行います。
文化講演会
「いただきます ごちそうさま」 禅の教えに学ぶ「食育」
日時 平成20年6月15日(日) 午後1時開場
午後1時30分開演?午後4時終了予定
会場 駒澤大学記念講堂(〒154-8525 世田谷区駒沢1-23-1) 東急田園都市線「駒沢大学」駅下車。「公園口」の出口を出て、徒歩約10分。
【プログラム】
第一部 基調講演 服部幸應 服部学園理事長・校長・医学博士
第二部 ビデオによる「永平寺の食事作法」
第三部 パネル・ディスカッション 服部幸應 千住 明(作曲家) 若山慧子(前・NHKチーフディレクター)
【主催】 大本山永平寺
【協賛】 駒澤大学/駒沢女子大学・映像コミュニケーション学科
参加無料
6月12日、中国四川省で発生した大地震により、犠牲者は四川省で1万2000人を超え、2万6000人以上が負傷しています。被害状況は、情報が入るにつれ甚大な被害の概要が少しづつ見えてきました。
交通・通信の寸断や、引続き発生している余震、激しい雨により、被害の拡大や二次災害も懸念されております。
犠牲となられた方には心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方には心よりお見舞い申しあげます。
ここで、気になる報道があります。
四川大地震:「校舎ばかり手抜きでは」質問に当局否定中国・四川大地震で相次いだ校舎の倒壊について、13日に北京で行われた民政省の記者会見で中国紙記者が「報道で倒壊した政府庁舎を見ることはない。校舎などの安全対策を強化するのか」と質問。当局側が「倒壊したのは校舎だけではない」と釈明し、手抜き工事で被害が拡大したのではないかとの疑いを否定する一幕があった。
中国では、地方政府が競って豪華な庁舎を建設する一方、学校など住民に身近な施設については業者と役人の癒着で建設費を低く抑える「豆腐渣(とうふさ)(おから)工程」が社会問題化している。
今回の大地震では、四川省都江堰市で中学校が倒壊し、50人余りが死亡したほか、約900人が生き埋めになっていた。同省綿竹市や北川県、重慶市梁平県でも校舎が倒壊し、犠牲者が出ている。
特に甚大な被害をうけた建物が公共の建物、特に学校の校舎が多いというものです。
新聞紙面には、生き埋めになったこどもたちの姿が目立ちます。
授業中の地震であれば、その中にいる生徒児童への被害が大きくなるのは当然であります。
今回の地震は、阪神大震災と比較して、約10倍のエネルギーを持ち、しかも直下型地震でありました。
しかも、建物の倒壊による被害が目立ち、しかも決して古くは無い中高層の建物が完全に倒壊しているようです。
これが、構造設計が不十分で、手抜き工事であるのではないかという指摘に繋がるわけですが、未来の国を背負う子どもたちを守る校舎が手抜き工事では、眼も当てられません。
では、日本ではどうなのかというと、文部科学省による小中学校の耐震化改修状況調査結果(平成19年4月1日現在)を見てみると、耐震性がないにもかかわらず未改修の施設は実に45,041棟(全体の34.8%)を占め、耐震診断がされていない建物も含めると53,636棟(全体の41.4%)にのぼることがわかりました
耐震化の推進を妨げている第一の要因は、近年の財政状況の悪化の中で学校施設の整備計画が繰り延べられていることです。
次に主な要因にあげられるのが、将来的に統廃合の計画が存在する場合です。少子化等の影響は、従来より見られた過疎地域だけでなく都市部においても見られ、小・中学校の統廃合が大きな課題となってきています。学校の耐震補強工事は、工事内容にもよりますが、1校あたり1億円以上要する場合などもあることから、統廃合によって近い将来使用されなくなる可能性が多少なりともある場合は、地方自治体が耐震補強の実施校を選定する際に慎重な対応が必要となります。
(小中学校の耐震化改修状況調査結果より引用)
現実問題として、小・中学校の建物は、ベビーブームの時代に多く建てられ、建築後30年以上経過したものが多く、建物自身の寿命を迎えるものも少なくありません。
しかしながら、予算の削減もあり、このような状況の中で立替が難しくなっているのです。
さらに、少子化の進行で、学校の統廃合問題があり、制度的な問題も建替えが進まない一因となっています。
しかし、校舎は冒頭で述べたように、未来の国を背負って立つ子どもたちを守る重要な建物です。
しかも、震災のような時には、倒壊せずに災害時の拠点となるべき重要な施設です。
ここで、一つ、提言をさせていただきます。
校舎の建替えをする際には、鉄筋コンクリートではなく、「国産の材木による木造校舎」を積極的に導入して欲しいと言うことです。
校舎がほとんど鉄筋コンクリートとなった理由は、建築基準法によることが大きかったのですが、近年、木造建築物の耐震性や防火性が科学的に立証され、さらに建築基準法一部改正により、校舎のような建築物も木造で建築可能となりました。
建築基準に従って正しく設計、施工されさえすれば、木造校舎は鉄筋コンクリート校舎と変わらない耐震性・防火性を持ちます。
また、木造校舎は、メンテナンスをしっかりすることで、寿命は長くなります。
木造建築は、鉄筋コンクリートのような強固な建物ではなく、木のもつ柔軟性が地震エネルギーを吸収する構造になっています。万一倒壊した際にも被害は鉄筋コンクリートよりもずっと少なくてすみます。
さらに、木造校舎は、夏は涼しく冬は暖かく、温もりもあります。
怪我や病気、学級崩壊も少なくなるという報告もあります。
何よりも、国内の木材を使うために、林業が復興され、国有林が活用できるという利点があります。
国会では、改正道路財源特例法が衆議院本会議で再可決・成立したところでありますが、一般財源化後のガソリン税の使途についても、どこに予算を配分するべきなのか、国民の立場に立って慎重審議して欲しいものです。
自殺の方法を探している方にお願いがあります。
まずは、ご家族や友人、あるいは電話相談をして、あなたの気持ちを話してみてください。
先を急ぐ必要は決してありません。
曜日 |
担当宗派 | 電話番号 | 電話相談時間 |
月 |
曹洞宗・臨済宗 | 03-3811-7470 | 10-12時・13-16時 |
火 |
浄土真宗 | 03-3811-7470 | 10-12時・13-16時 |
水 |
日蓮宗 | 03-3811-7470 | 10-12時・13-16時 |
木 |
浄土宗 | 03-3811-7470 | 10-12時・13-16時 |
金 |
天台宗・真言宗 | 03-3811-7470 | 10-12時・13-16時 |
SNS相談等を行っている団体一覧(2020年4月から)
LINE・チャットで相談ができます。悩みを相談してみませんか。
SNSやチャットによる自殺防止の相談を行い、必要に応じて電話や対面による支援や居場所活動等へのつなぎも行う。様々な分野の専門家及び全国の地域拠点と連携して「生きることの包括的な支援」を行う。
実施日時 | 2020年5月1日から |
相談時間 | 月曜日・火曜日・木曜日・金曜日・日曜日 17時から22時30分(22時まで受付) 水曜日 11時から16時30分(16時まで受付) |
LINE | 「生きづらびっと」友だち追加 ID検索@yorisoi-chat(生きづらびっと) |
よりそいチャット公式アカウント | |
チャット | よりそいチャット |
主要SNS(LINE、Twitter、Facebook)及びウェブチャットから、年齢・性別を問わず相談に応じる。 相談内容等から必要に応じて対面相談・電話相談(一般電話回線の他に通話アプリ(LINE、Skype等)にも対応)及び全国の福祉事務所・自立相談支援機関・保健所・精神保健福祉センター・児童相談所・婦人相談所・総合労働相談等の公的機関や様々な分野のNPO団体へつなぎ支援を行う。
実施日時 | 2020年4月1日から2021年3月31日(通年) |
相談時間 | 毎日 第1部 12時から16時(15時まで受付) 第2部17時から21時(20時まで受付) 毎月1回 最終土曜日から日曜日 21時から6時(5時まで受付) 7時から12時(11時まで受付) |
LINE | 「こころのほっとチャット」友だち追加 ID検索@kokorohotchat |
こころのほっとチャット公式アカウント ID検索@kokorohotchat | |
こころのほっとチャット公式アカウント ID検索@kokorohotchat | |
チャット | こころのほっとチャット ウェブチャットのご案内 |
ホームページ | こころのほっとチャット ~SNSチャット相談~ |
10代20代の女性のためのLINE相談。
実施日時 | 2020年4月1日から2021年3月31日 |
相談時間 | 毎週 月曜日・水曜日・木曜日・金曜日・土曜日 第1部 14時から18時(17時30分まで受付) 第2部 18時30分から22時30分(22時まで受付) |
LINE | 「10代20代の女の子専用LINE」友だち追加 |
18歳以下の子どもが対象。 電話相談(0120-99-7777/16時から21時)と、チャットによるオンライン相談を実施。
相談時間 | 毎週木曜日・金曜日・第3土曜日 16時から21時(チャット実施日カレンダー) |
チャット | チャイルドラインチャット相談 |
こどもの日を迎えました。
先日誕生したシジュウカラの雛には、親鳥がさかんに餌を運んでいます。
さて、元々、端午の節句は、男子の健やかな成長を祝い、祈る日本の風習でありましたが、国民の祝日に関する法律では
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」 日と規定されています。
「母に感謝する」と明記されているように、子を産み育てる母親の存在は偉大です。
こと、出産に関しては、男性の存在などかすんでしまいそうです。
そのような母親の偉大さを改めて感じさせる映画があります。
『プルミエール 私たちの出産』
監督 : ジル・ド・メストル
出演 : ヴァネッサ / ガビー / マシュトンリ / ピラール / サンディ / 由起子 /
エリザベート / スニータ / マニ / クリスティーナ / ココヤ
この映画の中では、一日に120人以上もの出産を取り扱う巨大病院の出産も描かれていますが、大半は病院以外での自然分娩をテーマにしています。
女性仲間に囲まれて自然分娩を行うアメリカの女性。
漆黒の砂漠で出産するニジェールの女性。
イルカと一緒の水中出産を行うメキシコの女性。
出産間際までステージに立つフランスの女性。
決して経済的に恵まれない中での出産を行うインドの女性。
囲炉裏のある日本家屋の産院で介助出産をする日本の女性・・・・
文化的背景、経済状況、生活スタイルも境遇も異なる様々な女性たちが出産する様子をドキュメンタリー形式で見せる映画です。
新たな命を産み出すということは、喜びでもあり、苦しみでもあります。
激痛、不安に襲われながら、それでも果敢に出産に立ち向かう中に、「生」というものはどういうものなのかを身をもって感じているのだと思います。
この感覚はきっと男性には一生かかっても理解できないことでしょう。
私の経験ですが、第一子が誕生した際には、病院で、「では、お父さんも白衣に着替えてください」と言われるままに分娩室に入り、出産に立ち会いましたが、父親として、ただ母親の手を握ってあげるくらいの事しかできませんでした。
この映画は、病院での出産が当たり前になった日本の現代社会にとっても訴えかけることは多いはずです。
監督、撮影を行っているのが男性であるという点も大きな意味があるように思えます。
日本における出産の場所は、今でこそ病院が当たり前になっています。
確かに、厚生労働省平成15年の統計を見ると、
病院 586,000人 (52.2%)
診療所 524,118人 (46.6%)
助産所 11,190人 (1.0%)
自宅・その他 2,302人 (0.2%)
合計 1,123,610人 (100.0%)
となっています。
ほとんどが病院、診療所ですね。
自宅での出産はごくごく希な事例となってしまいました。
しかし、一昔前は、自宅での出産が大半を占めていました。
(リンク先のグラフが分かりやすいグラフではないため、厚生労働省のデータを元に改めてグラフを作成し直しています)
分娩場所別の分娩割合および周産期・新生児・妊産婦死亡率の推移
(厚生労働省)
一昔前は自宅での出産がごくごく当たり前だったことがよく分かります。
出産の場所が病院、診療所にシフトするに従って、周産期・新生児・妊産婦死亡率は減少していきます。
しかし、生の場面も死の場面も自宅(普段の生活の場、日常の場)から切り離されたことにより、生命の尊厳、偉大さに対する感覚も薄らいでしまったのであれば残念です。
『プルミエール 私たちの出産』 は、病院での出産が本当に最高で、当たり前のことなのか、改めて考えさせられる映画でもあります。
また、これまで安全な出産環境を担ってきた産婦人科にも、それを取巻く環境にも変化が見られるようになりました。
産婦人科医が足りない!産科医療崩壊の足音
産婦人科医“や“産む場所”の不足が問題となっている。
厚生労働省が2年に1度行う「医師・歯科医師・薬剤師調査」よると、1984年から2004年の間に、医師総数は17万3,452人から25万6,668人と約32%増加しているにもかかわらず、産婦人科医は、1万2,181人から1万555人と約15%も減少している。
また、産科と婦人科に特化した医師数をみると、お産を扱わない婦人科に衣替えする医師が増え、産科医師の数が減っている
近隣の産院の状況をみても、その傾向は見て取れます。
出産を扱う病院が極端に減少し、定期健診のために、遠くの産院に通わなければならない事例も増えています。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」
この意義を改めて考える一日としたいと思います。
(男性の私ができることは、せめてこれくらいのことしかありません)
神奈川県鎌倉市にある大船観音寺。
意外と知られていないのですが、大船観音寺には、広島、長崎の原爆に関わる平慰霊碑があります。
この慰霊碑は、被爆25年の年(昭和45年)に、神奈川県の原爆死没者の霊を合祀し、みたまを慰めるために、県下在住の被爆者が「財団法人大船観音協会」の関係者の厚意により、この地に建立することになったものです。
詳細はこちらをご覧下さい。
⇒ 広島原爆の日に
⇒ Flame of the Atomic bomb in Ofna kannon
この「原爆の火の塔」には、広島原爆の火が灯されています。
この火は、原爆投下から終戦後9月16日まで商店街の押潰された地下壕の奥でくすぶり続けていた原爆の火の残り火です。
原爆の火は福岡県星野村にて大切に受け継がれ、原爆投下から45年の年(昭和65年)に神奈川県原爆被災者の会により分灯されました。
それが、この大船観音寺の「原爆の火の塔」の中で燃え続けています。
星野村役場に原爆の火が受継がれている経緯についてはこちらをご参照ください。
⇒星野の里に永遠に燃える「平和の火」 その1
⇒星野の里に永遠に燃える「平和の火」 その2
原爆の「灯火」が大船観音寺にあることが、あまり知られていない理由は、昼間はあまり目立たないことに一因があるように思います。
そのことは夜に訪れる(★)と分かります。
灯篭の中に灯された火は、昼間はあまり良く見えませんし、そこにあると教えられて初めて分かるような状態です。
しかし、夜間は違います。
薄暗い境内に、この灯火は遠くからでもはっきりと見ることができます。
実にしっかりとした灯火です。
★残念ながら、普段、大船観音寺は午後4時で閉門してしまいます。
夜の境内に入ることのできる機会は年に数回しかないのです。
そこでお知らせです。
この夏に夜の大船観音寺に入ることが出来る機会が3回あります!
キャンドルナイト2008 in 大船観音
5/19(月)17:30?21:00
6/22(日)17:30?21:00
第10回 ゆめ観音アジアフェスティバル
9/6(土)9:00(開門)?20:00
様々な意味を込めた祭典です。
夜の大船観音境内の雰囲気をゆったりと楽しむことができます。
詳細は追ってご紹介いたしますので是非ご訪問下さい。
■追記1
映画 『ヒロシマ ナガサキ』 5月3日 大船観音前にて上映!(一回のみの上映です)
鎌倉平和推進事業 憲法記念日のつどい
平和都市宣言50周年記念 ”いのち伝えて”
『ヒロシマ ナガサキ』
上映日 2008年5月3日(土・祝) 10:30より上映
上映場所 鎌倉生涯学習センター (鎌倉市小町1-10-5)
お問合せ 鎌倉平和推進実行委員会/鎌倉市 0467-23-3000 内線2541
入場料 500円
※今年、2008年は、鎌倉市が全国に先駆けて「平和都市宣言」を行ってから50年目の節目の年になります。
?繰り返さないため。過去に学び、平和を願う?アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞に輝いた映画監督、スティーヴン・オカザキ。広島、長崎への原爆投下から60余年を経た今、“原爆の被害に対する認識と関心を世界に呼び起こしたい”と、監督自身が日本で500人以上の人に会い、取材を重ねた。14人の被爆者、原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に、貴重な記録映像や資料を交え、広島と長崎における原爆投下の真実に迫る。被爆者の想像を絶する苦悩と真正面から向き合い、25年の歳月かけて完成された渾身のドキュメンタリー。
ストーリー
第2次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分。人類史上初めての実戦使用となる原子爆弾が広島市の上空から投下された。そして、その3日後の8月9日午前11時2分。長崎市に2発目の原爆が投下された。2都市併せて約60万人が被爆。街も人も瞬く間に吹き飛んだ。そんな地獄とも言える当時の現状を知る14人の被爆者たちが原爆について語る。
■追記2
厳戒態勢の中、いよいよ聖火リレーが長野でスタート
国内外から注目を浴びる長野市の聖火リレーは、26日朝から午後まで、4時間弱程度をかけて行われる予定だ。善光寺の辞退により出発地点は「長野県勤労者福祉センター跡地」に急遽(きゅうきょ)変更。午前8時半、第1走者の野球日本代表監督、星野仙一さんがスタートする。
聖火リレーの総距離は18.7キロ。聖火は、公募で集まった市民ランナーを含む80人の手でリレーされる。1人当たりの走行距離は、200?300メートル程度となる。
星野さんのほか、野口みずきさん(女子マラソン)▽吉田沙保里さん(レスリング)▽北島康介さん(水泳)?ら、北京五輪に出場するトップ選手もリレーに参加。このほかにも、萩本欽一さん▽有森裕子さん▽岡崎朋美さん▽荻原健司さん?ら、華々しいメンバーもトーチを手にし、聖火リレーに花を添える。
また、最高齢の山岸重治さん(76)は10年前の長野五輪でも聖火リレーを務めた“ベテラン”だ。
聖火は出発後、善光寺参道にある大門やJR長野駅前、長野運動公園脇などを通り、午前10時20分ごろに、長野五輪スピードスケート会場として使用された競技施設「エムウェーブ」に到着。約30分の休憩時間には、長野市立緑ケ丘小金管バンドによるアトラクションなどが披露される。
聖火リレーの再開は午前10時50分ごろ。午後0時15分ごろには、ゴール地点の若里公園・県民文化会館に聖火が到着。聖火台への点火などを経た後、聖火は次のリレー地、ソウルに送られることになっている。
厳しい警備態勢が敷かれるのが、今回の聖火リレーの特徴だ。長野県警の警備態勢は、警視庁や他県警の応援1000人弱を加え、約3000人。
(産経新聞)
いよいよ、まもなく長野での聖火リレーがスタートします。
聖火リレーのコースになっている長野市のメーンストリート「中央通り」では、中国国旗を掲げるグループと中国政府に抗議しチベットの自由化を支持するグループが沿道に集まりました。不測の事態に備え大勢の警察官が沿道を取り囲んでいます。
長野県警の警備態勢は3,000人にもおよび、そのような中で一般市民が聖火を見ることはかなり困難でしょう。
形だけの聖火リレーに意味はあるのでしょうか。
古代ギリシア人にとって、火はプロメテウスが神々の元から盗んできたものだと考えられており、神聖なものだった。このため、火はオリンピアの多くの神殿に見られるのである。火はオリンピアにあるヘスティアの祭壇で燃え続けた。オリンピック開催期間中は、ゼウスとゼウスの妻ヘラの神殿に火がともされ、ゼウスを称えた。近代オリンピックにおける聖火は、かつてヘラの神殿が建てられていた場所で採火されている。近代オリンピックでは、1928年まで聖火は見られなかった。オランダの建築家ジャン・ウィルスは、1928年のアムステルダムオリンピックにあたって、オリンピックスタジアムの設計に塔を取り入れ、火が燃え続けるというアイディアを盛り込んだ。1928年7月28日、アムステルダム電気局の職員が、地元ではKLMの灰皿として知られている、いわゆる"マラソンタワー"と呼ばれる塔に最初の聖火をともした。
ベルリンオリンピックの聖火
この聖火というアイディアは熱い注目を浴び、オリンピックの象徴として取り入れられた。1936年のベルリンオリンピックでは、ドイツのスポーツ当局者でスポーツ科学者のカール・ディウムが、聖火リレーを思いついた。3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアからベルリンまで運んだ。ドイツの陸上選手だったフリッツ・シルゲンが最終聖火ランナーで、競技場で聖火をともした。聖火リレーもまた、オリンピックの一部となった。
(wikiペディア)
聖火リレーが本来の目的とは別に、政治利用された事例は少なくありません。
そもそも、聖火リレーがオリンピックの象徴として取り入れられた1936年のベルリンオリンピックは、ナチス政権下で実施されたものであり、世界に国力を示すと同時にバルカン半島侵攻調査の目的もあったとされています。
中国はチベット問題を内政問題であるとしていますが、そもそも自治区とはいったい何なのか。
今回の聖火リレーもチベットは中国の一部であるということを世界に訴えたい中国政府の意図があからさまであります。
日本における聖火リレーはどのような結果になるのでしょうか。
日本での聖火リレーの出発地点であった善光寺では、チベット暴動による犠牲者の追悼法要が聖火スタート同時刻に行われます。
この法要を主催した「チベット問題を考える長野の会」及び善光寺の僧侶有志「平和を願う僧侶の会」を支持いたします。
神聖なる平和の灯火が政治的に利用されることは本当に残念です。
ルネサンスの三大発明の一つと言われる活版印刷(あと二つ羅針盤、火薬)ですが、東洋ではルネサンスよりずっと以前に活字を用いた印刷が行われていました。
例えば11世紀の工人畢昇により発明された回転活字台によって印刷が行われていたようです。
明確なものでは、高麗の『詳定礼文』、現存する書物では高麗末の1377年頃、清州の興徳寺において印刷された『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』などがあります。
活版印刷の発明者とされるグーテンベルクの偉業は、それまでに培われてきた印刷技術をシステム化したことに大きな意義があります。
書籍は、かつては社会のごく一部の上流階層のものでありましたが、活版印刷によりそれ以前とは比較にならないほど安価かつ手軽に印刷できるようになったことにより書籍の普及は目覚しく、一般へと流布し、社会に大きな影響力を持ち始めました。
そのような活版印刷も、現在ではその姿をみることは殆んど無くなってしまいました。
コンピュータによるデジタル製版が可能になり、手間隙のかかる活版印刷は絶滅に近い状態です。
活版印刷を行うということは、単純に文字を文面どおりに並べるだけでも大変です。
一つひとつの活字を棚から探し出し、拾っていって綺麗に揃えることですら熟練を要します。
ましてや、日本語は何千種類もの活字があり、さらに字体、ポイント…扱う活字が増えるにしたがってそれを管理し、不足があれば活字を補完する必要があり、印刷段階そのものよりも、それ手前の工程において、大量の資材と人手が必要です。
さらに、個人レベルでの印刷が手軽にできるようになったため、印刷業界全体における経営も良好な環境にあるわけではありません。
今日ご紹介した活版印刷の写真は、いつもお世話になっている印刷会社に残る貴重な活版の機械です。
エントリータイトルは、「時代とともに消え行くもの」としましたが、その中で、元気に活版を守る印刷会社があることをご紹介させていただきました。
活版印刷には、デジタル印刷には無い人間味と温かさがあります。
いつまでも存続していくことを願います。
教区の出版物『生きる力』は、ここの印刷会社にお願いしています。
まもなく編集会議が行われます。
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花まつりを前にして、ソメイヨシノの花は風が吹くたびに花を散らせています。
貞昌院では6日に釈尊降誕会法要を営みますが、どの程度花が残されているでしょうか。
桜は、ナショナリズムと結合し、心ならずも不幸な役割を演じさせられた時期もありました。
しかし、逆に日本と他国を結ぶ友好の絆を深める大きな役割も果たしています。
その物語を2つご紹介します。
友好の桜2題
その1
伊豆・網代湾を見渡す熱海の丘に、冬の時期に咲く桜の巨木があります。
これは、ヒマラヤザクラという種類で、1968年(昭和43)に東京大学への留学経験のあるネパールのビレンドラ元国王(当時はネパール皇太子)から贈られた種から育ったものです。
11月末?12月初旬にかけて美しいピンク色の花を咲かせ、日本・ネパールをつなぐ「ビレンドラ国王のさくら」として、友好のシンボルとなっています。
少し分かりづらいところにあるのですが、県立熱海高校校門を目印にすると見つかると思います。熱海へ訪問する機会がありましたら是非どうぞ。
ヒマラヤザクラは、CO2の吸収力がソメイヨシノの3-5倍もあり、環境浄化木としても注目されています。
写真は2001年12月7日に撮影した満開のヒマラヤザクラです。
その2
米国・ワシントンD.C.のポトマック河畔への桜植樹に貢献したジャーナリスト、エリザ・R・シドモア女史(1856-1928)に由来する桜のお話です。
明治期に日本に滞在した彼女は、日本を愛し、桜の美しさに魅せられ、人力車を使い日本各地を巡りながら、その桜の美しさを是非アメリカにも伝えたいとの思いで20年以上に亘りワシントンでの植樹を訴え続けました。
米国へ帰国した際、女史はポトマック河畔の埋立地が公園となる計画があることを聞き、当時のタフト大統領夫人に桜の植樹を提案、米国から打診された尾崎崎行雄東京市長は、日露戦争時に日本を支援してくれた米国へ桜を贈呈することとなりました。
第一弾として贈られた桜2000本は残念ながら病害虫のために焼却処分の憂き目にあいますが、再度1912年に贈られた3000本は、シドモア女史立会いの下、ポトマック河畔への植樹が実現しました。
その後、残念ながら1924年に米国連邦議会は移民法を改正し、「帰化不能の外国人の移民を認めない」という、いわゆる「排日移民法」を成立させました。
シドモア女史は、これに抗議し、スイスへと移住します。
女史はスイスでまもなく亡くなりますが、日本政府は彼女の死を悼み、家族の眠る横浜外人墓地へと埋葬しました。
アメリカに贈られた苗木はワシントン・ポトマック河畔の桜として全米に知れ渡る名所となっています。
ポトマック河畔への桜の植樹から約70年、1991年にこのポトマックの桜が「シドモア桜・里帰り桜」として、女史が眠る横浜の外人墓地に植樹されました。
シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー
講談社学術文庫
著者: エライザ・ルアマー・シッドモア /外崎克久
出版社: 講談社
サイズ: 文庫 ページ数: 476p
発行年月: 2002年03月
この本の著者・外崎克久氏は、私が都庁・世田谷桜新町の設計課にて勤務していた時の直属の上司でした。
とてもお世話になりました。インドへ旅行するために長期休暇届けを出した際にも理解いただき、送り出していただきました。
桜新町の八重桜もまもなく見頃を迎えることでしょう。
風月庵さんのブログにポトマック河畔より日本に里帰りした桜が紹介されていますのでリンクさせていただきます ⇒衆生病むが故に
埼玉県大宮山東光寺において、希望まつり讃仰特別法要が営まれました。
これは、アートフル希望まつり の一貫として東光寺プロデュースにより企画された特別プログラムです。
この法要にスタッフの一人として随喜する機を得ましたので、参加してまいりました。
サブタイトルは ?仏心へのアプローチ? です。
讃仰特別法要は2つのパートにより構成されております。
前半は「佛祖諷経」
大般若転翻、大悲真読が行われます。
その後、古式懺法鉢が鳴らされ、後半の「佛祖礼讃法要」へとつながれていきます。
堂内は、南面中央に仏像が配され、南面法要の形で参列者に向い行われます。
さらに、灯火が並べられ、万灯供養の形式となっています。
後半では、サックスの調べが声明に絡む形で演奏されていきました。
曹洞宗の教えは威儀即仏法、作法是宗旨。
坐禅、合掌、礼拝を修するものは仏です。
仏様を礼拝する形を現ずれば、そこに仏様が出現します。
仏心へのアプローチの試みは、きっと参列された方々の心に届いたものと感じました。
■INFORMATION
国立劇場小劇場において5月公演として、「曹洞宗大本山總持寺 禅の声明」が行われます。
是非ご覧下さればと存じます。
公演期間 2008年5月3日(土)
開演時間 第一部 1時開演(終演予定3時)
第二部 4時開演(終演予定6時)
[第一部]1時開演
總持寺の朝 振鈴?暁天坐禅?朝課
「首座法戦式(しゅそほっせんしき)」
第二部]4時開演
「歎佛会法式(たんぶつえほっしき)」
「万燈供養会(まんとうくようえ)」
出演=曹洞宗大本山總持寺
いつもお世話になっている ちの様より写真をいただきました。
心が洗われるような美しい氷河の光景です。
写真説明は ちの様によるものです。Google地図を付記しました。
ノルウェーのブリクスダール氷河と氷河の融けた水で出来たブリクスダール湖の写真です。
・ブリクスダ?ル氷河:面積480km2、氷河の最も厚い部分400m。氷河期よりの万年雪によって形成された氷層です。ヨステルダール氷河から押し出された懸垂氷河の代表です。地球の温暖化によって毎年融かされて先端部(氷舌端)が後退化しています。(道路標識によると毎年10m位は後退しているだろうか?) 2004年7月の写真です。
カナダのコロンビア氷河です。そこで見たアイスフォールです。
・コロンビア氷河:325km2あります。毎年、1.6m後退していると言われています。2006年7月の写真です。
スイスのゴルナークラートから見たゴルナー氷河です。
2003年7月の写真です。スイスでは、氷河の上に下りる事はなく、展望台からの眺めでした。
エンジェル氷河は、とうとうスカートの部分が溶けて無くなってしまい、大空へ掲げた両手と、胴体しか残っていませんでした。
目の前を溶けた氷河が、池となり、氷が浮いていました。スイスでも、北欧でも 同じ様な光景を目の当たりにしました。目の前で氷河の崩落も見ました。凄い轟音も聞きました。
2006年夏の写真です。
この美しい光景も、あと何年か後には見ることができなくなるかも知れません。
最後のエンジェル氷河の姿も痛々しいですね。
世界氷河モニタリングサービス(WGMS = World Glacier Monitoring Service)によると、地球温暖化とみられる影響により、世界の氷河の厚さが2005年の1年間に氷の厚さに換算して平均 66cm 減ったことが報告されています。
1980年から2005年までの25年間では、なんと累計 10m 以上の厚さの氷が失われています。
2000年から2005年までの5年間の1年あたり平均減少値も 66cm となっており、これは1980年代の3倍。1990年代の1.6倍の速度となり、氷河の減少速度は加速度的に増加しているということです。
下の写真は宇宙から見た夜の地球。
この美しい光景の裏側に見えるものはどのようなことなのでしょうか。
Earth at Night
Credit: C. Mayhew & R. Simmon (NASA/GSFC), NOAA/ NGDC, DMSP Digital Archive
追記1)WGMSは、世界各国の研究機関、国連環境計画(UNEP)と連携し、1980年より80カ所の氷河を継続的に観測しています。
追記2)本日の記事中の写真の著作権はちの様にあります。使用許諾ありがとうございました。
今日は春彼岸の中日、春分の日です。
関東地方は一日中雨のところが多いようですが、墓参の際は足元にお気をつけてお出かけ下さい。
日もだいぶ長くなり、今朝の坐禅会でも坐禅が始まる時刻にはかなり明るくなってきました。
ただし彼岸の中日とはいえ昼の長さと夜の長さは同じにはなっていません。
本日の日の出時刻は 5:45 、日の入り時刻は 17:53 ですので、昼の長さは 12時間8分、夜の長さは11時間52分となります。
その理由は以前記事にしましたのでこちらをご参照下さい。
先日、石川県の御寺院様よりとても美しいい涅槃団子をいただきました。
手作りのお団子です。
(この地方では、旧暦で涅槃会を営みますから、3月半ばの時期になるわけです)
涅槃団子は、お釈迦様が入滅された日に行われる涅槃会法要の際に「だんごまき」として撒かれるものですが、その涅槃団子は地方により特色があります。
涅槃団子は、カラフルに色着けされることが多く、これはお釈迦様が入滅されたときにお身体が金色に、お舎利は七色(五色とも)に輝いたという伝承に基づいています。
丸だけではなく様々な形に作りあげるのがこの地方の特徴でもあるようです。
犬の子撒き という、十二支の動物に模られたかわいらしいお団子もあります。
もちろん食べることも出来ますが、この涅槃団子は硬さもあり、何年も黴が生えずにもつものですので、お守り袋に入れて大切なお守りとしても重宝されます。
横浜近辺では涅槃会は、お寺単位ではそれほど大きな行持としては行われていないように感じます。
先日仏教会合同で涅槃会法要を営みました が、逆に言えば各お寺で行持を行っていないからこそ皆で集まって行持を行うことができるともいえます。
クリスマスやバレンタイン、恵方巻き・・・・世間ではさまざまな行事が行われています(これらは日本においては宗教行事というより企業主導で広まってきたものです)が、仏教の三大行持である降誕会・成道会・涅槃会は、今ひとつ世間一般の行事として広まっていません。
しかし、各地方で行われているこのような行持の中に、世間一般に広げていく、そのヒントが隠されていると思います。
わざわざ無理やり新しい方法を作る必要も無いのかもしれません。
例えばお寺で戴いたカラフルな涅槃団子を、家族に、お友だちに、お世話になった方に、教え子に、子どもに、愛する人にプレゼントする日。
広くお釈迦様の慈愛のこころを広げていくということは素敵なことだと思います。
美しい贈りものをお送りくださいました御寺院さんに感謝の意を込めて今日の記事を書きました。
各地方のカラフルな涅槃団子は こちらで検索できます。
長野地方にはやしょうまもあります。
ほんの一昔前、上永谷にはこのような暮らしの光景がみられました。
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3月15日に歴史カフェを開催しますでご紹介をしてきましたが、明日(15日)、私が担当となり 「サイエンスカフェ」ならぬ「歴史カフェ」として 「まちサロン in カフェ?こうなんの歴史」 を開催いたします。
日時 平成20年3月15日(土) 10:30-12:00まで
(写真展示 2月25日?3月15日)
場所 港南台タウンカフェ
入場 500円(お茶代として)
テーマ「写真にみる武相国境・かまくら下之道の歴史」
ナビゲータ 貞昌院副住職(私です)
みなさま、是非お越し下さい。
日本人ならイモを食え? 東北大の「自給メニュー」に反響
東北大学の学生が1月に実施した食料輸入がストップした場合の食事メニュー体験「日本SHOCK!フェア」が全国で反響を呼んでいる。
食料輸入が止まり、自給可能な食料で1日の食事メニューを作ると3食ともイモが主体になる。このメニューを体験し、学生に食料自給率39%という日本の危機的状況に関心をもってもらうことを狙ったイベントだ。
4月に「食料安全保障課(仮称)」の新設を予定している農水省は、食糧自給率リポートの発行やホームページから各家庭の料理自給率を計算できるソフトをダウンロードできるようにするなど食料自給率への関心を高める努力を継続中。「言葉だけでは分からない。体験は食料自給率への関心を高める」(農水省)と期待する。
今すぐ輸入がストップして、国内で生産可能な食料だけに限定してメニューを作ると1日996キロカロリーしか摂取できないが、メニューは、農水省が進める耕作放棄地解消策などがうまくいったことを前提に、平成27年度の食料自給率をもとに1日当たりの摂取熱量を最大化(2020キロカロリー)して作った。
予想値をもとに作ったメニューだが、2000キロカロリーは戦後の食料難が続いていた昭和20年代後半と同水準になる。
東北大のイベントは、イモ主体のメニューを2日間で117食を販売した。目標の100食をクリアし、体験者へのアンケートでも85%の学生が「日本の食料自給率の低さは問題だと思う」と答えた。
イベントを企画した学生らは、「熊本市議会議員が見学に来たり、千葉県の主婦団体からの問い合わせなど全国で反響があった」と満足げ。「このメニューを福田康夫首相に食べてもらいたい」と話している。
今後は、小学生とその親にメニューを体験してもらうイベントを市主催で開催するように仙台市教育委員会と交渉中。また、全国の大学生協にもイベント実施を働きかけていく。
(産経新聞)
朝食 : ご飯1膳(75g)、ふかしイモ2個、ぬか漬け(90g)
昼食 : 焼イモ2本、ふかしイモ1個、りんご1/4個(50g)
夕食 : ご飯1膳(数量不明)、焼イモ1本、焼き魚1切れ(84g)
中国製ギョーザの農薬混入事件は、これまで指摘されてきた輸入食品の危険性を国民に広く知らせてくれました。
しかしながら、日本の食料自給率は40%を下回るお寒い状況です。
そのような状況を導いてきたのは、まぎれもない農林省(農林水産省)の政策であり、何をいまさらという感はありますが、ここで私たちは危機感をもち、ではどうしたらいいのかを考えていく必要がありましょう。
いつのまにかこの話題が忘れ去られ、またもとの状況に戻ってしまうのは愚の骨頂です。
現状、国内で生産可能な食料だけに限定してメニューを作ると私たちの食卓は極端に彩りのない食事が並ぶという状況になります。
これは、国の耕作放棄地解消策などが順調にいった結果を反映したものだということですが、戦後の食料難が続いていた昭和20年代後半と同水準がやっと。
一週間食べ続けた方々はそうとう大変だったようです。
しかし、このメニューを見て、私はそれほど違和感は感じませんでした。
なぜなら、禅の修行道場でいただいている食事はほぼこのようなものだからです。
(食卓にサンマが並んでいるぶん日本SHOCK!フェアの方がマシに感じるほどです)
きっと、修行僧たちにこのメニューを出したら、感謝しながら喜んで食べてしまうため、イベントの趣旨が成り立たなかったでしょう。
修行道場の食事の一例を書いてみます。
朝食 : お粥、ごま塩、漬物
昼食 : ご飯、若布の味噌汁、小松菜のおひたし、ごま塩、漬物
夕食 : ご飯、サツマイモの味噌汁、揚出し豆腐、ごま塩、漬物
大事なことは、決まった時間に決まった量の食事をいただく規則正しい生活をすること。
日本SHOCK!フェアのようなイベントをわざわざ設定し、そこに参加しなくても、禅道場の参禅会に参加すれば食事の大切さを体験することが出来ます。
また、一食だけでは・・・という方には一週間の接心がありますので、一般の方でも一週間修行僧と同じ食事、時間を過ごすこともできます。一度食事の大切さを経験してみてはいかがでしょうか。
とはいっても、やはり修行僧の食事を日常的に全国民に強いるのは無理でしょう。
食の安全を確保する上でも、安定的な食料を自給するためにも、国の農業政策の見直しと同時に私たちの普段の食事に対する意識を変えていく必要があります。
是非、下記リンク先の資料をご覧ください。
■関連リンク
「日本SHOCK!フェア」報告会の資料について
<資料>
資料1 「THE 39%」(東北大学「日本SHOCK!フェア」)報告(PDF:1,123KB)
資料2 「国内自給メニュー体験報告」(読売新聞二階堂記者)(PDF:430KB)
参考資料1 「崩食豊食」(北海道新聞 平成20年2月21日から26日掲載記事)(PDF:743KB)
参考資料2 我が国における食料問題の現状と課題?食料の未来を描く戦略会議(抜粋)?(全文)(PDF:3,165KB)
参考資料2 (分割版1)(PDF:1,672KB)
参考資料2 (分割版2)(PDF:1,979KB)
燃えるピアノから流れるジャズ、弾くは世界の山下洋輔さん
世界的なジャズピアニストの山下洋輔さんが8日、石川県志賀町の海岸で、古くなったピアノへの感謝と供養の思いを込め、激しく燃えるグランドピアノを演奏した。
この表現活動は、金沢21世紀美術館(金沢市)の主催。山下さんは、1973年にも同様の演奏をしたことがあり、その表現の意味を確かめたいと再演した。海岸では、僧侶による読経の後、夕暮れが迫るころピアノに点火。消防士のヘルメットに防火服姿の山下さんは炎上し、少しずつ音が出なくなる中、約5分間にわたって弾き続けた。演奏後、山下さんは「一期一会の気持ちで、最後の音が消えうせるまで闘い続けた」と語った。
(2008年3月8日21時59分 読売新聞)
「形あるものが崩れ、壊れる時、言葉にならない何か得体の知れぬものがある。」
(山下洋輔さんのコメント・粟津潔『造型思考ノート』河出書房新社 1975 年より)今回、金沢21 世紀美術館で行なわれた「荒野のグラフィズム:粟津潔展」関連企画「ピアノ再炎上」で、粟津潔の実験映像「ピアノ炎上」に再会した。その中で燃えるピアノを弾いている35 年前の自分と共演するという得難い機会を得た。ただならぬ表現のさ中に入る自分を見て、一体これは何であったのかという強い感情がわいてきた。あの時は、粟津作品のオブジェとしての役割を全うしたわけだが、と同時にあの時にしか起きなかった出来事によって、もしかしたら自分は他の誰もやらなかったある芸術表現を獲得したのではないか、そのような考えも浮かんできた。
一体何であったのか。これはもう改めて確かめるしかない。やってみるしかない。
この気持ちを金沢21 世紀美術館に伝えたところ、粟津さんゆかりの地である志賀町のご理解とご協力をいただいて、志賀町相神の海岸で「粟津潔展」の関連企画として「ピアノ炎上2008」が実現する運びとなった。
再確認の行為は、同時に極限的状況の中での演奏行為の実験である。これまでもバリケードの中や台風に直撃された野外コンサートなど、様々な「普通」でない状況下での演奏経験はあるが、燃え上がるピアノを弾くのは、まさに極限的状況の最たるものだ。リハーサル不可能の一回性の中に身を置いて、自分でも結末の予測がつかない真剣勝負にならざるを得ない。人間の根源性に訴えかけ、直接に情動を揺さぶる「炎」との共演は、何を実現させてくれるだろうか。粟津さんの言う「言葉にならない何か得体の知れぬもの」が、ピアノをはさんで対峙する炎と人の後ろに姿を現すのだろうか。
今回のイベントでは、製造後何十年の廃棄を待つのみという古いピアノに出会うことになる。心からの愛情を持って葬送のレクイエムを弾きたい。同時に、この演奏を、1973年の映像作品「ピアノ炎上」、それを制作した粟津潔という実験精神に溢れる芸術家、さらに60 年代の実験的前衛的芸術運動全てへのオマージュとしたい。
凄まじい炎ですね。
僧侶たちによる供養法要と共にピアノが奏でる最後の音はいったいどんなものだったのでしょうか。
このブログでも サイエンスカフェ の記事でご紹介いたしましたが、ピアノの黒に影響を与えた漆黒の塗りものの産地、石川県での演奏ということも何かの縁を感じます。
私たちは、「モノ」にもいのちが宿っていると考え、大切に扱ってきました。
たとえば仏壇が古くなった場合、新しく造り替える場合、古い仏壇は魂抜きの法要をし、丁寧に供養してから処分いたします。
この魂抜きのことをお精魂抜きや御霊抜き、または撥遣(はっけん)といいます。
撥遣というのはあまり馴染みの無いことばかもしれませんが、お迎えしていた仏様、ご先祖様を修法の終わったのち、その本来の場所へ送り返すことをいいます。
仏壇は仏様のお越しになる世界、須弥山を模したものであり、様々な仏様がいらっしゃる場所、いわば「コンパクトなお寺」ですからそのように丁重な供養を行うことは外国の方でも理解できるでしょう。
しかし、私たちは、包丁供養や針供養、茶筅供養のように、普段日常的に使っている道具でさえも大切に使い、それが使えなくなったとき感謝の心を捧げ供養してきました。
これは、外国ではあまり見られない習慣であり、日本人の誇るべき文化であります。
大本山總持寺におけるSOTOT禅インターナショナル講演において、ブライアン・バークガフニ教授は修行僧たちの前で次のように講演されました。
長崎の禅寺の話ですが、境内に茶筅塚というのがあります。石に茶筅の石像が乗っていて、ただ茶筅塚と彫ってあるだけです。
日本文化を知らない外国人は、これを見て「すごい!なんという偶像崇拝なんだろう。こんな像を祀って平伏して拝むのか」というように感じるかもしれません。
しかし、これは言うまでもなく、供養です。使い終わった道具をポイッと捨てるのではなく、それを大切に取っておいて、年に何回か茶人たちが感謝の心を込めて供養するのです。この心、文化に触れることができて本当に良かったと思います。
日本の心、日本の文化、特に専門僧堂の中で長い歴史の中で育まれてきとことは世界に伝えて、世界の様々な問題解決にきっと貢献するのだということを誇りの気持ちとして持って欲しいと思います。最近はイラク戦争で国益ということになってしまっていますが、これからは国益ではなく茶筅供養のような地球益の心が必要でしょう。
「日本の禅・世界の禅 ?在日34年の体験から?」 講演録より一部引用
講師・長崎総合科学大学教授 ブライアン・バークガフニ先生
2006年6月23日 大本山總持寺にて
ものを大切に扱い、最後まで丁寧に使い、役目を果たした時には心から感謝しながら供養する。
その行為自体が芸術作品となりうるかどうかはわかりませんが、何も特別なことではないのだということは心しておきたいものです。
追記
この茶筅供養の心は、日本だけでなく、海外の寺院でも受け継がれています。
ロサンゼルスの禅宗寺で行われている茶筅供養法要ついて、今年4月に発行予定のSOTOT禅インターナショナル会報37号でご紹介いたします。
会報をご希望の方は SOTO禅インターナショナル事務局までご連絡下さい。
近くを通る幹線道路に太陽光発電の街路灯(ソーラー街路灯)の設置工事が行われています。
ソーラー街路灯は、太陽光により発電された電力をもとにLEDを点灯させる環境にやさしいとされる街路灯です。
しかも、地震等の災害時に電力供給がストップした際にも照明機能を維持されます。
ということで、環境面、防災面の見地から積極的に導入されているようです。
一基あたりの設置費用は、おおむね100万円弱程度、設置費用を含めると200万円くらいでしょうか。
ところが、今回設置されている場所への街路灯設置には、少し疑問があります。
まず第一に、この場所は幹線道路沿いですので、水銀灯が近くにあり夜間は決して暗くありません。
(写真は深夜0時に撮影)
第二は、このソーラー街路灯の設置位置です。
手前が暗くなっていますが、直ぐ脇に7階建てのマンションがあるからです。
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↓少し離れた別の場所の街路灯。
こちらには、南側に16階建てのツインタワーマンションがあります。
しかも幹線道路両側歩道には大きなケヤキの並木があります。
このように、今の時期は枝を通して光をソーラーパネルに受けることが出来ます。
ただ、冬場は太陽高度が低いため、マンションなどの障害物が多いようです。
(写真は正午に撮影)
では、太陽高度が高い夏場ではどうかということを考えると・・・・・
ケヤキは落葉樹ですから、今はまだ枝には葉がついていません。
しかし、初夏からは一斉に葉が生え、新緑に覆われます。
日照時間は充分に確保できるのか心配です。
災害時に必要な電力を常に蓄えておくことが可能?
街路灯を幾つか正午に撮影してみました。
どの程度日照時間が確保できそうかが分かると思います。
まさか設計担当者が冬の状況しか見ずに設置を決定した、ということは無いでしょうが・・・・・夏になりソーラーパネルの東?南側を覆うケヤキの葉をどうするのでしょうか。
パネルに光を当てるためにケヤキの枝を伐採するというのは滑稽すぎます。
このような場所に街路灯が必要であるのならば、
(1)照明装置としてLEDを採用する。
(2)太陽光ではなく、電灯線から引く(この道路は共同溝が設置されています)
(3)災害時のために蓄電池を設ける
この程度でよいのではないでしょうか。
何でもかんでもソーラーパネルを設置すればよいというものでは無いような気がします。
携帯電話に関する調査を行う「モバイルリサーチ」を展開するネットエイジアにより、中学生・高校生を対象にした「携帯電話フィルタリングサービス調査」の結果が発表されました。
□ 調査概要(クローズド調査)
○ 調査対象 ・・・ 13歳?17歳の中学生・高校生ユーザー
○ 調査地域 ・・・ 全国
○ 調査期間 ・・・ 2月21日 18時?2月22日 10時
○ 回答サンプル数 ・・・ 394名(回答者キャリア内訳;NTTドコモ54.8%、au30.2%、ソフトバンク15.0%)
学年;中学1年生7.6%、中学2年生11.9%、中学3年生18.5%、高校1年生30.5%、高校2年生31.5%
性別;男性41.9%、女性58.1%
その結果概要は
◆ケータイの利用がらみで、「怖い思いや嫌な思いをした」1/4超える
◆有害サイトへのアクセス経験・・・「アダルト」27.7%、「出会い系・援助交際」10.2%
◆フィルタリングをかけられたら、「親に解除手続きをしてもらう」約半数 実際の解除見込み率は3割程度
◆フィルタリングをかけられたら、ネットの利用・頻度は激減
というものでした。
詳細はこちらをご参照下さい。
近年、携帯サイトを起因とした犯罪に小中高校生が巻き込まれる事件が増加傾向にあり、これを受けて昨年末に総務省は「携帯電話におけるフィルタリング(有害サイトアクセス制限)の普及促進について」を発表し、これをすすめています。
携帯電話におけるフィルタリング(有害サイトアクセス制限)の普及促進について
携帯電話におけるフィルタリング(有害サイトアクセス制限)の普及促進について
本日、総務省、警察庁及び文部科学省は合同で、インターネット上の有害な情報から子どもを保護するため、都道府県、教育委員会及び都道府県警察等に対し、携帯電話におけるフィルタリングの普及促進について、学校関係者や保護者をはじめ住民に対する啓発活動に取り組むよう依頼しました。
1依頼の背景
近年、子どもがいわゆる出会い系サイトなどのインターネット上の有害な情報に携帯電話からアクセスし、事件に巻き込まれるケースが多発しています。また、インターネット上の有害な情報は、子どもの健全な育成に悪影響を及ぼしている一面もあります。インターネット上の有害な情報への対応については、フィルタリング(※)が有効な対策の一つですが、その普及はいまだに低水準にとどまっているのが現状です。このため、本日、総務省、警察庁及び文部科学省は合同で、都道府県、教育委員会及び都道府県警察等に対し、別紙(PDF)のとおり、携帯電話におけるフィルタリングの普及促進について、啓発活動に取り組むよう依頼しました。
※フィルタリングとは、インターネット上のウェブページ等を一定の基準で評価判別し、選択的に排除する機能のこと。2依頼の内容
依頼の内容は、次のとおりです。
(1) 都道府県や教育委員会等においては、子どもの安心・安全の確保の重要性を十分認識し、携帯電話におけるフィルタリングの普及促進について、別添資料(注)により学校関係者や保護者をはじめ住民に対する啓発活動に取り組むとともに、管内の市区町村、市区町村教育委員会及び学校にも本趣旨を周知すること。
(2) 各都道府県警察においても、携帯電話等のフィルタリングの利用促進に重点をおいた対策の強化に努めること。
これを受けて、携帯・PHS各社は、有害サイトアクセス制限サービスを相次いで行っています。
主なフィルタリングの方法は
(1)携帯電話会社の公式サイトから、有害の恐れのあるサイトを排除し、残ったサイトの閲覧を許可する「ホワイトリスト」
(2)一般サイトを含め、有害情報サイトだけ遮断する「ブラックリスト」
の2方式があり、ドコモとKDDI(au)は原則的にホワイトリストを適用し、希望者にはブラックリスト方式を提供しています。
また、ソフトバンクと、PHSのウィルコムはブラックリスト方式を標準適用しています。
まず、ドコモとKDDI(au)ホワイトリスト方式ですが、極端な事例では、行き過ぎた排除により自身のキャリアの提供する公式サイト以外の一般サイトに全くアクセスできなくなるなどの弊害が問題視されています。総務省としては、こうした意見を考慮し、今年4月をメドにフィルタリングの在り方について検討会の中間報告をまとめ、原則としてブラックリスト方式を適用するよう促していく予定のようです。
しかし、ブラックリスト方式も全く問題が無いのでしょうか。
実際にどのようなフィルタリングを行っているかを調べてみました。
NTTドコモ(iモードフィルタ)
ソフトバンクモバイル(ウェブ利用制限機能)
ウィルコム(有害サイトアクセス制限サービス)
で採用されている(株)ネットスターのフィルタリングサービスを見てみましょう。
■ アクセス制限の対象カテゴリ
ネットスター株式会社の基準に基づき、以下のカテゴリーに分類されたウェブサイトへのアクセスが制限されます。
・ 不法(違法と思われる行為、違法と思われる薬物、不適切な薬物利用)
・ 主張(軍事・テロ・過激派、武器・兵器、誹謗・中傷、自殺・家出、主張一般)
・ アダルト(性行為、ヌード画像、性風俗アダルト検索・リンク集)
・ セキュリティ(ハッキング、不正コード配布、公開プロキシ)
・ ギャンブル(ギャンブル一般)
・ 出会い(出会い・恋人紹介、結婚紹介)
・ グロテスク(グロテスク)
・ オカルト(オカルト)
・ コミュニケーション(ウェブチャット、掲示板、IT掲示板)
・ ライフスタイル(同性愛)
・ 宗教(伝統的な宗教、宗教一般)
・ 政治活動・政党(政治活動・政党)
・ 成人嗜好(娯楽誌、喫煙、飲酒、アルコール製品、水着・下着・フェチ画像、文章による性的表現、コスプレ)
このうち、下線部に注目してください。
・・・・・・・宗教(伝統的な宗教、宗教一般)
えっと、伝統的な宗教、宗教一般ってフィルタリングの対象になりうるのでしょうか。
では早速試してみましょう。
私が利用しているキャリア、ウイルコムに電話して有害サイトアクセス制限サービスに申し込んでみました。
Googleで「曹洞宗」と入れて検索してみます。
曹洞宗の公式サイトにアクセスしようとしてみると・・・・・
ああ、ダメですね?、アクセスできません。
貞昌院のサイトももちろんダメ。というか、宗教関係の寺院サイトはもとより、ブログ、wikiなど、ことごとくNGです。
ここまで徹底的にフィルタリングされているということに愕然としました。
もしかすると中国のインターネットを試してみたよりも強力なフィルタリングかもしれません。
【携帯電話向けのURL収集行程イメージ】
↑
ネットスターの職員の皆さんがマニュアルどおりに宗教サイトを一律有害サイトとしてリストアップした結果ですね。
確かに実害・問題のある宗教はいくつかあるかもしれません。
しかし、伝統的な宗教を排除するという無謀な考えは、日本ならではのことではないでしょうか。
他の国では考えられないことです。
この異常なまでの宗教アレルギーについては、以前、各国の祝日を比較した中で、ほとんどの国で、国の祝日として仏教、キリスト教、イスラム教のいずれか一つ以上の祝祭日があるのと対極的に、宗教に関わる祝日が指定されていない国は共産主義国家と日本くらいなものだとうあたりにも端的にみることができます。
これは宗教弾圧といっても良いのではないでしょうか。
僧侶たちは声を上げて「宗教」のフィルタリングに対して改善を要求するべきだと思います。
有害サイトフィルタリングは確かにある程度は必要なことかもしれません。
しかし、過剰なフィルタリングは、ネットの付き合い方を学ぶことからむやみに遠ざけるという弊害もあります。それに、有益な情報に接する機会すら奪ってしまっています。
大事なことは、「有害サイトがあるということを前提に、その中で如何にインターネットと付き合うか」ということも教育していかなければならないということです。
なぜなら、いくらフィルタリングをしたとろで、所詮いたちごっこで、フィルタをすり抜けるサイトは少なからず出てくるでしょうし、そもそもフィルタリング自体を掛けない子どももかなりの割合でいるでしょう。
そして、何よりも有害サイトへの免疫をつけないということは、逆効果の面も少なからずあるはずです。これは宗教への免疫も同様です。
実例として、なぜ有害サイトが有害なのか、どのような被害をもたらすのかということを、親や先生を含めて話し合いながら学んでいく場も必要なのではないでしょうか。
さて、有害サイトアクセス制限サービスを申し込む時には電話で即時設定できたのですが、これを解除するためには解除申込用紙を請求して、郵送しなければならないようです。
ということで、あと一週間ぐらいは自分のサイトのメンテナンスすらままならない不便な日々が続きます><
→不便な状態はいとも簡単に問題解決しました。その理由は後日詳述します。
いのちの食べかた
知っているようで、実は知らない…現代の食料生産事情がここにある!
私たち日本人が1年間に食べるお肉(牛・豚・鳥)は約300万トン。だれもが毎日のように食べている膨大な量のお肉。でも、そもそもお肉になる家畜は、どこで生まれ、どのように育てられ、どうやってパックに詰められてお店に並ぶのでしょう?本作は、そんな私たちの生とは切り離せない「食物」を産み出している現場の数々を描いたドキュメンタリーです。世界中の人の食を担うため、野菜や果物だけでなく、家畜や魚でさえも大規模な機械化によって生産・管理せざるをえない現代社会の実情を、オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督がおよそ2年間をかけて取材・撮影しました。
本作を観ると、現代の食料生産工場の生産性の高さに驚愕するとともに、私たちが生きることは他の動物たちの生命を「いただく」ことに他ならないことだと、改めて実感させられます。
スーパーでは肉や魚は切り身に加工されて並んでいます。
切り身のまま魚は海を泳いでいると思い込んでいる子どもたちも少なくないそうです。
例えば、お弁当。
これらの食材はどのような過程を経て目の前にあるのでしょうか。
キリスト教では 「OUR DAILY BREAD」 (われら日々の糧)
仏教では 「いただきます」
この「いただきます」は、さまざまな生き物たちの「いのち」を「いただく」という意味という意味です。
キリスト教では、食べ物を与えてくださった神への感謝ですが、日本人は、たくさんの生き物たちへの感謝を込めて食卓に着きます。
私たちの食卓に並ぶ肉や魚、野菜や果物はどのように作られ、どのように収獲(収穫)され、加工され流通してくるのかということは、眼に見えない(敢えて見てこなかった)部分が多かったのですが、しかし、「ブラックボックス」のままにしておくことで良いのでしょうか。
何万羽も鶏がベルトコンベヤーで運ばれ、足を吊られ、羽根をむしられ、頭を切られ続々と加工される。
豚も牛たちも・・・・・それらを淡々と作業する人たち。
冒頭にご紹介した映画『いのちの食べかた』は全国で静かなロングランを続けています。
「いただきます」の意味を改めて考えさせられる映画です。
このような映画からは、子どもたちはもちろんですが、いのちを扱う私たち僧侶にとっても学ぶべきことは多いと思います。
【補記】
神奈川県曹洞宗青年会では、昨年秋に東京都食肉市場(芝浦と場)へ実地研修を実施しました。
■関連記事
昨日東京駅を利用する際に、発電床の上を通る機会がありました。
改札を抜けた通路から階段、その先の東西連絡通路にかけてこのように発電装置が設置されています。
発電床:「歩いて発電」JR東京駅で実験JR東日本が研究開発を進めている「発電床」の実証実験が18日、JR東京駅八重洲北口で公開された。
携帯電話のスピーカーなどに使用されている直径3センチの「圧電素子」を床に敷き詰め、この上を通過すると振動で発電する仕組み。
改札口や階段、コンコースの一部約90平方メートルをマットで覆い、19日から2カ月間、発電量や材質の耐久性を確認する。
2年前の実験は100ワット電球が1日当たり1分20秒しか点灯しなかったが、今回は同80分が目標。実用化までは遠い道のりだが、利用客は「省エネに役立つし、発想が面白い」「歩くだけで発電できるんだ」と感心しきりだった。
(毎日新聞 2008年1月19日)
床がブカブカしていますので少し歩きづらいことは確かですが、面白いですね。
ちょうど通勤ラッシュの時間帯でもありましたので、発電量はほとんどMAXの数値を示しています。
しかしながら、この圧電素子で発電できる量は、一日まるまる発電電力量を蓄えたとしても、電球1つが約一時間点灯する程度。
実用には程遠いですが、それでもエネルギーを無駄に捨ててしまうよりはマシですし、エネルギー問題に対する啓蒙になります。
さらに「サイエンス・オンライン」にて面白いニュースを今日見つけました。
Device Gives New Meaning to "Power Walking"
By Devin Powell
(ScienceNOW Daily News 7 February 2008)
歩くだけで発電するという発想は、発電床と同じですが、一人一人の歩行の際の膝にかかるエネルギーを電気に変える装置ということで、実用化が期待できます。
現在、私たちは携帯電話、音楽プレーヤー、ノートパソコンなど、さまざまな小型電子機器を携帯しています。
しかし、その際に一番のネックは電源の確保でした。
帰宅して充電器に繫ぎ、外出時に充電器から外して、そして外出時は内蔵電池の持続時間を気にしながら使用する・・・・・
そのような呪縛からついに解放されるかもしれません。
まさに夢の「ユビキタス電源」の登場です。
携帯電子機器の進歩により、消費電力は格段に少なくなってきました。
さらに電池の小型化、蓄電容量の増大により使用時間も延びています。
そこに、歩行発電のような発電装置が実用化され、消費電力と発電量が重なることにより「ユビキタス電源」が実現します。
この発電装置を開発したのはカナダとアメリカの共同研究チーム。
この装置による平均出力は5Wになるそうで、これは携帯電話10台分の消費電力に相当しますから、充電には充分な数値といえます。
しかも、人が歩行する際に余った力を効率よく吸収し発電する仕組みとしたため、人体にほとんど負担をかけずに発電することが可能となりました。
いわば、ハイブリッドカーの回生ブレーキのようなものです。
実験によると、ランニングを行うことにより最大54Wの電力を得ることも出来たそうです。
これはすごい!
Google Earth が 4.2 となり、 夜空探索など新機能が追加されました。
いろいろと楽しいソフトなのですが、楽しい機能の紹介はいつか追ってするとして、さっそく日本海に浮かぶ竹島を見てみましょう。
竹島の近辺に、ユーザーが登録したポイントが40地点ほど登録されております。
それを日本側、韓国側で分類してみました。
【日本側】
竹島(島根県)
竹島は私たち日本国島だ!! ,??? ??? ??!! ,takesima rule the japan!! ,ТАКЕСИМА И ЯПОНИЯ!!
takesima(japan), takesima, okinosima, oki, shimane, japan
【韓国側】
Dokdo-korea
Dokdo, Korean Island -1
Dokdo, Korean Island -2
Dokdo, Korean Island -4
Dokdo, Korean Island -5
Dokdo, Korean Island -6
Dokdo, Korean Island -7
Dokdo, Korean Island -9
Dokdo, Korean Island -14
Dokdo, Korean Island -16
??
Mountain 1~37, Dokdo-Ri, Ulleung-Eup, Ulleung-Gun, Gyeongsangbuk-Do, Republic of Korea
Doku-Do
Dokdo-korea
Dok-do in Korea
Dokdo,Korean Island
Dokdo
???? ?? ? ??
Dokdo
Sky of Dokdo,korea
??? ???? ?
Dokdo Automatic Weather Station(KMA)
Dokdo with korean cruise
[Dokdo] Postal code : 799-805, Address : 1-37 dokdo-ri ulleung-eup ulleung-gun Gyeongsangbuk-do KOREA
Dokdo, Korean Teritory
Korea's islands that Dokdo
Dok-do, probably Korean's Island
それにしても見苦しい。
・・・・・ネット上の工作は韓国側の方がやはり盛んですね。
日本海呼称問題と併せて、領土問題がいつの間にかすりかわってしまうということのないように、日本政府にはきちんとした対応をしていただきたいものです。
人間の目で見分けることができる色の数についてはこれまで考えてきました。
無限に限りなく近い色を系統立てて分類するために、色の三属性という性質が抽出されました。
これは「色相」「明度」「彩度」により分類を行うものであり、ルード・ハーズト・ヴント・リッジウエー・マンセルなど、諸学者に一致した分類方法であります。
(ただし、この他に材質の質感とか光沢など、色彩感覚に影響を及ぼす要素はいくつかあります)
連続した色の流れを円形に図式化したものが色環であり、この色環上の色合いを「色相」と呼びます。
この色合いを色名として区別しているわけですが、無限の色すべてに名前をつけるわけにはいきません。このために様々な分類方法が提案されているのです。
しかし、例えば色相を例にすると、分類方法によって、その細かさや範囲に差違が見られます。
表1 色相の分類方法
ヴント |
マンセル |
オストワルト |
日本色彩研究所 |
|
基本分類 |
5 |
5 |
6 |
6 |
中間色 |
10 |
10 |
8 |
? |
細分類 |
? |
40 |
24 |
23 |
色が元々光の働きかけが網膜を通して認識されるとしたら、光の波長で分類することが自然であると考えます。
表1をみると、色相として区別している数は細分類で20?40程度です。
当然、この色相に対応する名称は分類者によって異なり、また逆に同じ名前の色でも、波長の範囲は異なります。
しかし、その分類手段として、まず際立った数種類(5?6種類)の基本分類を行い、そこから中間色をおいて細かく分類していくという手法は共通しています。
色相を例にした場合、日常においては大雑把に5?6の分類、厳密に考えても20?40種類の分類があればこと足りるということを示唆しているともいえます。
このことから、色相に関しては、5ないし6値、多くてもの論理構造で日常言語の論理がなされているといって良いと考えられる。
ここで、前回までに考えた3値の真理表から発展させて、5値ないし6値と・・・・・いった多値の真理表を構築してみましょう。
ということで、10値の真理表を作ってみました。
表2 p∧q (10値)
P? q |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
1 |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
0.9 |
0.9 |
0.81 |
0.72 |
0.63 |
0.54 |
0.45 |
0.36 |
0.27 |
0.18 |
0.09 |
0 |
0.8 |
0.8 |
0.72 |
0.64 |
0.56 |
0.48 |
0.4 |
0.32 |
0.24 |
0.16 |
0.08 |
0 |
0.7 |
0.7 |
0.63 |
0.56 |
0.49 |
0.42 |
0.35 |
0.28 |
0.21 |
0.14 |
0.07 |
0 |
0.6 |
0.6 |
0.54 |
0.48 |
0.42 |
0.36 |
0.3 |
0.24 |
0.18 |
0.12 |
0.06 |
0 |
0.5 |
0.5 |
0.45 |
0.4 |
0.35 |
0.3 |
0.25 |
0.2 |
0.15 |
0.1 |
0.05 |
0 |
0.4 |
0.4 |
0.36 |
0.32 |
0.28 |
0.24 |
0.2 |
0.16 |
0.12 |
0.08 |
0.04 |
0 |
0.3 |
0.3 |
0.27 |
0.24 |
0.21 |
0.18 |
0.15 |
0.12 |
0.09 |
0.06 |
0.03 |
0 |
0.2 |
0.2 |
0.18 |
0.16 |
0.14 |
0.12 |
0.1 |
0.08 |
0.06 |
0.04 |
0.02 |
0 |
0.1 |
0.1 |
0.09 |
0.08 |
0.07 |
0.06 |
0.05 |
0.04 |
0.03 |
0.02 |
0.01 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
表3 p∨q(10値)
P? q |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
0.9 |
1 |
0.99 |
0.98 |
0.97 |
0.96 |
0.95 |
0.94 |
0.93 |
0.92 |
0.91 |
0.9 |
0.8 |
1 |
0.98 |
0.96 |
0.94 |
0.92 |
0.9 |
0.88 |
0.86 |
0.84 |
0.82 |
0.8 |
0.7 |
1 |
0.97 |
0.94 |
0.91 |
0.88 |
0.85 |
0.82 |
0.79 |
0.76 |
0.73 |
0.7 |
0.6 |
1 |
0.96 |
0.92 |
0.88 |
0.84 |
0.8 |
0.76 |
0.72 |
0.68 |
0.64 |
0.6 |
0.5 |
1 |
0.95 |
0.9 |
0.85 |
0.8 |
0.75 |
0.7 |
0.65 |
0.6 |
0.55 |
0.5 |
0.4 |
1 |
0.94 |
0.88 |
0.82 |
0.76 |
0.7 |
0.64 |
0.58 |
0.52 |
0.46 |
0.4 |
0.3 |
1 |
0.93 |
0.86 |
0.79 |
0.72 |
0.65 |
0.58 |
0.51 |
0.44 |
0.37 |
0.3 |
0.2 |
1 |
0.92 |
0.84 |
0.76 |
0.68 |
0.6 |
0.52 |
0.44 |
0.36 |
0.28 |
0.2 |
0.1 |
1 |
0.91 |
0.82 |
0.73 |
0.64 |
0.55 |
0.46 |
0.37 |
0.28 |
0.19 |
0.1 |
0 |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
表4 p⊃q(10値)
P? q |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
1 |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
0.9 |
1 |
0.91 |
0.82 |
0.73 |
0.64 |
0.55 |
0.46 |
0.37 |
0.28 |
0.19 |
0.1 |
0.8 |
1 |
0.92 |
0.84 |
0.76 |
0.68 |
0.6 |
0.52 |
0.44 |
0.36 |
0.28 |
0.2 |
0.7 |
1 |
0.93 |
0.86 |
0.79 |
0.72 |
0.65 |
0.58 |
0.51 |
0.44 |
0.37 |
0.3 |
0.6 |
1 |
0.94 |
0.88 |
0.82 |
0.76 |
0.7 |
0.64 |
0.58 |
0.52 |
0.46 |
0.4 |
0.5 |
1 |
0.95 |
0.9 |
0.85 |
0.8 |
0.75 |
0.7 |
0.65 |
0.6 |
0.55 |
0.5 |
0.4 |
1 |
0.96 |
0.92 |
0.88 |
0.84 |
0.8 |
0.76 |
0.72 |
0.68 |
0.64 |
0.6 |
0.3 |
1 |
0.97 |
0.94 |
0.91 |
0.88 |
0.85 |
0.82 |
0.79 |
0.76 |
0.73 |
0.7 |
0.2 |
1 |
0.98 |
0.96 |
0.94 |
0.92 |
0.9 |
0.88 |
0.86 |
0.84 |
0.82 |
0.8 |
0.1 |
1 |
0.99 |
0.98 |
0.97 |
0.96 |
0.95 |
0.94 |
0.93 |
0.92 |
0.91 |
0.9 |
0 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
表5 p≡q(10値)
P? q |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
1 |
1 |
0.9 |
0.8 |
0.7 |
0.6 |
0.5 |
0.4 |
0.3 |
0.2 |
0.1 |
0 |
0.9 |
0.9 |
0.82 |
0.74 |
0.66 |
0.58 |
0.5 |
0.42 |
0.34 |
0.26 |
0.18 |
0.1 |
0.8 |
0.8 |
0.74 |
0.68 |
0.62 |
0.56 |
0.5 |
0.44 |
0.38 |
0.32 |
0.26 |
0.2 |
0.7 |
0.7 |
0.66 |
0.62 |
0.58 |
0.54 |
0.5 |
0.46 |
0.42 |
0.38 |
0.34 |
0.3 |
0.6 |
0.6 |
0.58 |
0.56 |
0.54 |
0.52 |
0.5 |
0.48 |
0.46 |
0.44 |
0.42 |
0.4 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.5 |
0.4 |
0.4 |
0.42 |
0.44 |
0.46 |
0.48 |
0.5 |
0.52 |
0.54 |
0.56 |
0.58 |
0.6 |
0.3 |
0.3 |
0.34 |
0.38 |
0.42 |
0.46 |
0.5 |
0.54 |
0.58 |
0.62 |
0.66 |
0.7 |
0.2 |
0.2 |
0.26 |
0.32 |
0.38 |
0.44 |
0.5 |
0.56 |
0.62 |
0.68 |
0.74 |
0.8 |
0.1 |
0.1 |
0.18 |
0.26 |
0.34 |
0.42 |
0.5 |
0.58 |
0.66 |
0.74 |
0.82 |
0.9 |
0 |
0 |
0.1 |
0.2 |
0.3 |
0.4 |
0.5 |
0.6 |
0.7 |
0.8 |
0.9 |
1 |
ここに、内包と言語表現との結びつき、言語表現の内包に影響を与え、結果として異なった外延として認識される図式を導き出すこともできます。
しばらくインターバルを空けてしまいましたが続きを書いて行きたいと思います。
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか1
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか2
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか3
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか4
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか5
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか6
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか7
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか8
言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか9
確率論を考慮した多値論理真理表の作成
前回(言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか9)の相関関係というアプローチとは視点を変えて、p、qそれぞれの可能性という観点から真理表を構築してみましょう。
複雑を避ける意味から、ますは簡単のために三値の真理表について検討してみます。
pが1である確率(可能性)をa、qが1である可能性をbとします。(0≦a≦1、0≦b≦1)
表1 真偽値不明の命題がとりうる真偽値
命題 p |
命題q |
確 率 |
1 |
1 |
ab |
1 |
0 |
a(1-b) |
0 |
1 |
(1-a)b |
0 |
0 |
(1-a)(1-b) |
当然全ての確率を合計すると、
ab+a(1-b)+(1-a)b+(1-a)(1-b)=ab+a-ab+b-ab+1-a-b+ab=1
となります。
pという命題はaだけ確からしいとし、qはbだけ確からしいということでありますから、それぞれの確率と値は表2のようになります。
表2
命題 p |
命題 q |
確 率 |
p∧q |
p∨q |
p⊃q |
p≡q |
1 |
1 |
ab |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
0 |
a(1-b) |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
(1-a)b |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
(1-a)(1-b) |
0 |
0 |
1 |
1 |
表1と表2から、三値の真理表を構築することができます。
表3 p∧q
p? q |
1 |
b |
0 |
1 |
1 |
b |
0 |
a |
a |
ab |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
表4 p∨q
p? q |
1 |
b |
0 |
1 |
1 |
1 |
1 |
a |
1 |
a+b-ab |
a |
0 |
1 |
b |
0 |
表5 p⊃q
p? q |
1 |
b |
0 |
1 |
1 |
b |
0 |
a |
1 |
1-a+ab |
1-a |
0 |
1 |
1 |
1 |
表6 p≡q
p? q |
1 |
b |
0 |
1 |
1 |
b |
0 |
a |
a |
1-a-b+2ab |
1-a |
0 |
0 |
1-b |
1 |
以上、表3?6のように記述することができます。
a,bにそれぞれ任意の値を代入することによって、命題が真である確率が求められます。
この値が1となれば、真である確率が1、すなわち命題自体が真。
真である確率が0であれば、命題自体は偽であるということになります。
(以下つづく)
コーヒー味わいながら楽しい科学の話コーヒーを味わいながら、科学などの第一線で活躍する研究者の話が聞ける「かながわサイエンスカフェ2」が十二日、横浜市鶴見区の鶴見大学で約百人の参加者を集め開かれた。中高生らの理科離れを防ぐことを狙いに、神奈川科学技術アカデミー、鶴見大学、日本学術会議化学委員会が連携し企画した。
二部構成の一部は「ピアノはなぜ黒いのか」。講師は鶴見大学文学部教授の加藤寛さん。黒い塗料がなかったバロック期のヨーロッパ。真っ黒な東洋の漆に出合い、その色合いを出すために技術革新を行い、現在目にする黒いピアノを完成させたという。その過程を欧米で黒が持つステータスシンボルの意味を交えながら解説した。
二部は「人体の矛盾」。同大歯学部講師、小寺春人さんが動物にはない咽頭(いんとう)について話した。人間はこの器官を持つことで言葉を発する能力を手にした。しかし、むせたり、誤飲したりする負の構造を背負い込むなど、進化がはらむ矛盾について平易な言葉で紹介した。
講演の合間にはバイオリンとチェンバロの演奏もあり、参加者はゆったりとした気分で話を楽しめた。東京から父親とともに訪れた堀**さん(13)は「自分の知らない知識を得られるのでとても楽しい」と目を輝かせた。企画にあたった鶴見大歯学部の瀬戸?一部長は「くつろいだ雰囲気の中で研究者の話に耳を傾け、理科は面白いと興味を持ってもらえれば」と話している。次回は夏に開催する予定。
(神奈川新聞1月13日:文中の名前を一部伏字にしました)
サイエンスカフェが横浜で行われていたのですね!
しかも鶴見大学で・・・・
サイエンスカフェとは、科学者と、ごく一般の方々が、カフェのような場所で気楽にコーヒーなどを飲みながら、科学についてざっくばらんに語り合う場をつくろうという試みです。
科学の社会的な理解を深める新しいコミュニケーション手法として、世界各地で行われています。
論文発表会やシンポジウム、大学での講座などは、なかなか一般の方、とくに子どもたちには参加するような機会は少ないでしょう。
かねてから、このブログでも 理科離れを防ぐために などの記事を書いてきましたが、サイエンスカフェはその一つの具体策といえます。
今回開催されたサイエンスカフェの内容も、実に興味深いものでした。
第一部の「ピアノはなぜ黒いか」については、元来ピアノは黒くはなく、木目調だったり豪華な装飾が施されたりするのが一般的でした。
ところが18世紀後半以降、その様相はがらっと変わります。
ピアノに限らず、演奏者の服装までもが黒へと変化していきます。
それは何故か。
以前『ピアノはなぜ黒いのか』(幻冬舎新書)という本を読んだことがありましたが、個人的に今ひとつしっくり来ませんでした。
サイエンスカフェでは、ピアノが黒くなったのは、日本の漆器の影響だったということを学術的に解き明かしていくような内容だったそうです。
つまり、当時海外に輸出され高い評価を受けていた日本の漆器があったということですが、まさに、日本文化とヨーロッパ文化のコラボレーションともいえそうです。
そう考えると、昨年秋、フランスに開単された宗立専門僧堂に山中塗りの応量器を送ったことも、何か別の意味の縁を感じたりします・・・・・
関連記事:山中塗りの応量器、フランスへ
第二部の「人体の矛盾」も、進化の過程での合理性と矛盾を解き明かす興味深い内容です。
一般になじみの薄いと思い込まれているこのようなアカデミックな内容に対し、コーヒー+ドーナツ代の500円程度を参加費としたカジュアルな会が開かれるということはとても嬉しい話題です。
合間にバイオリンとチェンバロの演奏があるというのもいいですね。
きっと、チェンバロとピアノにおける白黒鍵の歴史的背景などについても解説をおりまぜながらの演奏だったのではないでしょうか。
鶴見大学でのサイエンスカフェは、文学部文化財学科と歯学部を持つ大学の特色を生かしたものだといえます。
今回は参加できず残念でしたが、またの機会には是非参加したいものです。
⇒ サイエンスカフェ・ポータル by NPO法人サイエンス・コミュニケーション
⇒ 横浜国立大学のサイト
サイエンスカフェのレポート、フィードバック、サポートが充実しています。
山口まで往路飛行機で見下ろしてきた陸路を逆に辿る13時間の旅です。
乗車するのは寝台特急「はやぶさ」。
熊本起点の「はやぶさ」と、大分起点の「富士」が小倉で連結され、そこからは「富士・はやぶさ」として運行されています。
「はやぶさ」は、現在JR運行の中で日本一長い距離を走る定期列車だそうです。
起点の熊本は、14時発ですから、熊本から東京までは実に17時間以上かかります。
ブルートレインの中へ。
初めて入ります!
B寝台。
車内はガラガラで、乗客の姿はほとんどありません。
洗面台。
和式のトイレもそうですが、改造もされず製造当時のままなのでしょう。
この扉の先が、今回利用したB寝台個室です。
室内の様子。
カプセルホテルよりは少し広いですが、2段式の上段なので天井が低いですね。
ただ、窓が斜め上についているので、寝転びながら夜空を見上げることができるのがいい感じです。
室内の様子と読書燈。
このような形の電球は久しぶりに見ました。
発車ベルも無く、「ガタン!」という客車独特の振動とともに発車しました。
かなり揺れますし、線路の音も響きます。
けれども、私にとっては心地よく感じました。
インドの列車の雰囲気を思い出させてくれたり。
車窓を深夜の街の光景が流れていきます。
始発列車の走り出す時間の名古屋。
駅構内にはまだ人影はありません。
浜松駅で3分ほど止まります。
ここで降りて新幹線に乗換えると9時前に東京に着くので、乗り換えるサラリーマンが多いそうです。
間もなく横浜です。
大船の観音様が出迎えてくれます。
横浜到着。
雨も降っていたので機関車はかなり汚れてしまっています。
というより、元々汚れていてそのままという感も。
※乗車時間13時間で読めた本2冊。
世の中にはいろいろな人がいるもので、「寝台特急・はやぶさ号の車内で『ドラゴンクエスト』をプレイ。終点に着くまでにクリアできるか?」という体験レポートもありました。
「富士・はやぶさ」は12両編成で運行されており、そのうちA寝台個室が2両、B寝台個室が2両で、残りの8両はオープン式のB寝台です。
B寝台個室は、ほとんど満室でした。
反面、A寝台個室はB寝台よりもさらに5千円ほど高いため、またB寝台もプライバシーや防犯の面から敬遠されるためかほとんど乗客が見られませんでした。
乗車率も平均で20%程度のようです。
逆に経費面でいえば、深夜の運転手・乗務員、そして停車駅の駅員など人件費をはじめかなりのコストが掛かっていることは想像に堅くありません。
しかも東京?熱海まではJR東日本、熱海?米原まではJR東海、米原?下関まではJR西日本、下関?はJR九州というように、複数の会社区間を運行していますから、それぞれの連携も必要です。
きっと大幅な赤字なのでしょう。
車両を新造することもなく、逆に食堂車やサロンが無くなり、乗客にとっての快適さも失われていますので、乗客の減少は悪循環としか言いようがありません。
せめて、需要が高そうなB寝台個室のみの編成にすれば少しはマシなのかも知れませんが、このような現状ではブルートレイン廃止という判断も仕方ないでしょうが・・・・風情のある列車が無くなっていくのは本当に残念です。
同安居の仲間の披露宴出席のため、山口に行っておりました。
曹洞宗の名刹も多いため、ゆっくり廻って来たいところですが、今回は残念ながらとんぼ返りのスケジュールとなってしまいました。
(披露宴のほうは、新郎・新婦、そして山口県民の心意気がよく現れた心温まる内容でしたが、プライベートな内容は割愛します)
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山口・宇部空港の充実もあり、羽田から約一時間のフライトです。
次の選択肢は新幹線ですが、速いとはいえ約5時間・・・・そして料金も空路よりも高くなります。
東京・横浜方面から山口に行く場合、ほとんどの方は空路を選択するでしょう。
ということで、私も空路を選択してて山口へ。
雲は多かったものの、新雪に覆われた富士山と伊豆半島、伊豆七島がよく見えました。
名古屋上空。
陽の光に海面が照らされてキラキラ輝いています。
大阪。
かつて水運が盛んであったことがよくわかります。
あっという間のフライトでした。
さて、今月中旬、東京発のブルートレイン(寝台特急)の廃止が正式に発表されるようです。
このような現状をみると、致し方ない判断かと思いますが、少し寂しい思いがします。
東京駅発、消えゆくブルトレ 「銀河」「富士」「はやぶさ」...利用客減、廃止の方向「ブルトレ(ブルートレイン)」の愛称で親しまれてきたJRの寝台列車が、09年春にも、東京から西へ向かう路線から姿を消す可能性が高まっている。利用客の減少が主な原因で、ほかの路線も同様の事情を抱えている。一部の豪華列車を除き、将来的には廃止の方向にあるという。
JR各社の複数の関係者によると、08年3月中旬のダイヤ改定で消えるブルトレは、京都―熊本間を走る「なは」と京都―長崎を結ぶ「あかつき」、東京―大阪の「銀河」。また、大阪―青森の「日本海」と上野―札幌の「北斗星」は、現行の1日2往復から、1往復に減る。このダイヤ改定は今年11月中旬に正式決定し、12月中旬に発表される予定だ。
さらに、09年春のダイヤ改定では、東京―大分の「富士」と東京―熊本の「はやぶさ」の廃止が、JR各社の担当課長レベルで合意済み。これが正式に決まれば、大阪以西を走るブルトレは皆無になり、東京駅でブルトレは見られなくなる。ブルトレ発祥の地である九州などでは、地元の反発も予想されるという。
新幹線や飛行機、夜行バスに押され、「利用率が低い」のが廃止の最大の理由で、「車両が老朽化している」「夜間の要員確保が難しい」などの事情もある。
JR東日本の調べでは、JRが発足した87年のブルトレ利用者数と比較すると、東京から西へ向かう路線全体の利用者は05年には21%にまで落ち込んでいる。
例えば、「はやぶさ」は東京駅を午後6時過ぎに出発、熊本駅に着くのは約18時間後の翌日正午前。飛行機なら2時間もかからない。
ブルトレの一般的な定義は、14系や24系と呼ばれる青い塗装の寝台車を機関車が引っ張る特急列車(銀河は急行)。現在、東京と九州、北海道、大阪と東北などを結ぶ9路線がある。このほか、電車タイプの寝台特急である「サンライズ出雲・瀬戸」(東京―出雲市・高松)や、比較的新しい車両の豪華寝台特急である「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)や「カシオペア」(上野―札幌)がある。
ブルトレの歴史は、56年に営業を始めた東京―博多の「あさかぜ」に始まる。あさかぜは58年から冷暖房完備の新型車両に編成を変えて以来、「走るホテル」と呼ばれて親しまれたが、乗車率が2割台に落ち込み、05年春に廃止された。
JR各社は、関係部署の担当者による通称「ブルトレ会議」で、ブルトレの将来について検討を進めている。ほかの路線についても、新幹線の開業時期などに合わせて廃止することを視野に、検討しているという。
(2007年11月26日・朝日新聞)
実は、これまで国内の寝台列車って乗ったことがありませんでした。
(インドなどでは何度か乗ったことがありますが)
上のようなニュースもあり、この機会に利用してみることにしてみました。
ということで、初めてのブルートレイン乗車レポートを次の記事でまとめてみます。
往路飛行機で見下ろしてきた陸路を逆に辿る13時間の旅です。
【溶けゆく日本人】快適の代償(1) 待てない人々 数分間でイライラ
週末の夕方。東京都内の広告会社で営業を担当する佐野裕美子さん(23)=仮名=は、仕事を終えると気の合う友人2、3人に携帯メールを送る。
「いま何してる?」
送り終わると、すぐに返信確認。1分、2分、3分…何度も操作を繰り返す。返事が来たら食事に誘う。5分も返事が来なければイライラする。「早く決めたいから、すぐ返信がほしい。自分が待てなくて嫌な思いをしているので、わたしはいつも即レス(即答)です」
仕事の合間も携帯メールのチェックは欠かさない。佐野さんはそんな自分を見て思う。「(返事が来なくてイライラするのは)自分勝手だし、ケータイに縛られているようでかっこ悪いかも…」
便利なはずの携帯電話を手にして、イライラと格闘するのは彼女ばかりではない。
「私用の携帯メールの返信が気になる。地下鉄に乗れば一駅ごとに『センター問い合わせ』をしてしまう」(24歳の女性会社員)、「返信が来ないで5分過ぎると貧乏ゆすりが始まる」(20歳の大学生)?。
小中学生は「15分以内に(メールを)返さなければ友達じゃない」などと言う。情報モラルサイト「エンジェルズアイズ」の遠藤美季代表は、そんな言葉に違和感を抱く。「返事を待てずに次々と別の子にメールを送り、最初の相手への用件を忘れてしまっていることもある。落ち着いて時間を過ごすのは、格段に下手になったでしょうね」
シチズンホールディングスが平成15年、首都圏のビジネスパーソン400人を対象に行った「待ち時間」に関する意識調査。通勤電車の遅れが「5分」でイライラするという人は10年前の17・6%から56・6%へと急増した。加速する“せっかち度”が各所で摩擦を引き起こす。
懐石や鍋のコース料理がメーンの神奈川県内のある日本料理店。落ち着いた雰囲気が売りだが、店長(33)は「お客さまと店側の時間意識のズレ」に頭を悩ませる。前菜に始まりメーンの料理を提供するまでの所要時間は「昼10分・夜15分」と決めている。しかし、時間内にスムーズに料理を出しても苦情が入る。テーブルセッティングのための1、2分の時間すら待てない客もいる。受付で「少しお待ちください」と言うと、「待てるか!」と声を荒らげ、トイレに入った連れの女性を残したまま帰った中高年男性もいた。
哲学者の鷲田清一・阪大学長は『「待つ」ということ』(角川選書)の中で、「ものを長い眼で見る余裕がなくなった」と高速化が進む現代社会の病理を憂えた。
「子供の成長を親がじっくり待てない」。東京都内の私立保育園。30年近いキャリアを持つ保育士がそう感じるようになったのはここ10年ほどのことだ。
3歳児に母親の絵を描かせると、首がなく顔とスカートが直結した絵を描く子も少なくない。そんなとき、以前なら「みんなと描いて楽しかったね」などと温かく見守る親が大半だったが、最近は様子が違うという。「横から『そうじゃないでしょ』といって子供をせかす。せかされた子供は萎縮(いしゅく)して弱々しい線で小さな絵を描いてしまう。じっと見守っていれば、じきに普通の絵を描けるのに…」と保育士。情報が氾濫(はんらん)し、他の子供と比較して焦る親が増えたのだという。
(産経ニュース)
実に考えさせられる現象です。
便利なコミュニケーションツールであるはずのメールに振り回されてしまう・・・
今年夏に中高生を対象に行われたケイタイ利用の実態調査でも、冒頭記事の現象を裏付ける結果が出ています。
携帯電話に振り回される中高生、メールは「5分以内返信」がマナー◎中高生のケータイ利用の実態調査結果(「GAMOW」と朝日新聞の共同調査)
アンケート実施日は7 月20 日、21 日の2 回に分けて行い、朝日新聞社で作成したアンケート
設問を「GAMOW」にサイト上のアンケートフォームに入力する形で、2,891 人より回答・1日の携帯電話利用時間は、
「?1時間」 15%
「?2時間」 23%
「?3時間」 17%
「?4時間」 13%
「?5時間」 7%
「5時間以上」 25%・友だちから来たメールへの返信の「マナー」だと感じる時間は、
「即答」 37%
「5分以内」 18%
「10分以内」 18%
「30分以内」 10%
「1時間以内」 3%
「その日中」 6%
「気にしない」 8%・携帯電話を持って友だちとの関係が変わった点は
「つながりの浅い友だちが増えた」 42%
「遊びや勉強など目的別で友だちと付き合うようになった」 27%
「本音が言える友だちが増えた」 24%
「特に変わらない」 20%・「ケータイに振り回されている」と思うことは、
「ある」 59%
「ない」 41%
特に、メールが来たときの返信マナーとしての時間に関する感覚は、若年層になるほど顕著に短くなり、私などの感覚からは大きなずれがあるようです。
では、仕事のメールでの返信までに要する時間はどれくらいが基本マナーと捉えられているのでしょうか。
ビジネスメール返信は「24時間以内」が86.7%相手がメールを送信した日時から返信までの所要時間は、
「受け取ってすぐに」 16.7%(55人)
「1時間以内」 25.8%(85人)
「2?3時間以内」 22.1%(73人)
「6時間以内」 7.3%(24人)
「12時間以内」 4.2%(14人)
「24時間以内」 10.6%(35人)
実に86.7%が受信から24時間以内にメールを返信していることになります。
メールを返信する側は、24時間がひとつの区切りのようです。
それでは、メールの受信側はどうでしょうか。
自分が送ったメールに、どのくらいの間、返信が来なければ返信がないものと見なすかについては、
「1日」 22.1%(73人)
「2日」 30.9%(102人)
「3日以内」 80.9%
「3日」 27.9%(92人)
「1週間」 12.4%(41人)
と続いた。(調査:JR 東海エクスプレスリサーチ)
なるほど・・・これでも少し気が短いような感じがしますが、今ではこの程度の感覚が常識なのですね。
ビジネスメールにおいては、できれば1日以内が一つの区切り。
最低でもするというのが一般的のようです。
前に コンピュータコミュニケーションの特長という記事を書きました。
コンピュータを介したコミュニケーションは、他の手段によるコミュニケーションと比べて多くの違いを持っています。
特に情報が欠落した状態での即時的なコミュニケーションというのは、人間関係の構築に大きな影響をもたらします。
コンピュータを介したコミュニケーションについて、早い時期からの教育が必要であると思います。
「即答」がマナーというのではなく、メールを扱う上では、「いつ返信するか」というタイミングのコントロールも重要だからです。
おすすめの方法は、トリアージ(Triage)の考えを導入するということです。
トリアージは、一般的に災害における多数の傷病者を重症度や緊急性によって分別して治療するという方法論です。
メールにおいてこのような考えを導入することが Email Triage です。
緊急度から優先順位をつけて、いつ返信するかを決定します。
この返信のタイミングが重要だと思います。
例えば、戴いたメールに対し、一日のうちの空いている時間にまとめて返信を行うということも一案です。
優先順位を判断し、その場で返信する必要があるものと、単純な回答で済みそうなものについては、その時間帯に返信し、それ以外のメールについては、ある程度考えた上で、時間を掛けてでも用件を整理してまとめてから送るようにする・・・
場合によっては返信に数日程度かかっても充分だと思います。
回答が遅れたとしても、それが重要で相手が急いで回答を求めている場合にはメールで再督促があるか直接電話をいただけることでしょう。
以上は一つの例ですが、いずれにせよ、メールに関しては即答が当たり前というのはナンセンスに思えます。
さらに一段余裕をもって構える必要があるのではないでしょうか。
能登半島地震発生から半年余り、震源に近い大本山總持寺祖院周辺の街並みはあちらこちらが更地となっていたり、建物の被害、特に屋根や壁がブルーシートで追覆われている姿が目立ちました。
また、各所に設置されている仮設住宅での生活を余儀なくされている方も多数いらっしゃいます。
そして震災に力強く立ち向かう姿も街のあちらこちらに見られます。
總持寺通り、祖院門前の蕎麦屋さん「手仕事屋」は、古い民家を改築したお店です。
阪神淡路大震災の教訓を元に、数年前に耐震のため、大きな筋交いをいくつも入れて補強しました。
それが功をなし、能登半島地震の際にも倒壊を免れ、震災約一週間後には最後のライフライン、下水が復旧したのを機に、真っ先に営業を再開することができたそうです。
そのことがどれほど被災地の方々に力と希望を与えたことでしょう。
写真に見える黒い色の筋交いは、能登半島地震の前に入っていたもの。白木の補強材は能登半島地震後に入れたものです。
店主の星野さん。
もともと手仕事屋は、明治時代から続く伝統的な豆腐屋さんでした。總持寺に精進料理の材料として納めていました。
星野さんの代になってから、「手仕事屋」として、能登の伝統工芸を集め紹介する蕎麦・豆腐屋として地域の中心となって店を盛り立ててきました。
ちょうど新蕎麦のシーズン。
コリコリとした歯ごたえのある蕎麦の食感がと豊かな香りが食欲をそそります。
また、蕎麦に付いてくる豆腐(とをふ)が絶品です。
毎朝3時に起きて、無農薬の大豆を使い大豆から搾った豆乳に海水から作られたにがりを加えてそのまま固めた、昔ながらの製法によるものです。
一口含むと豊かな大豆の甘みが口いっぱいに広がります。
ぶっかけ蕎麦。合鹿椀によそわれ、風味豊かなカツオ節がたっぷりかけられています。
もりそば。輪島塗に使われるアテの木(あすなろ)の葉に盛られています。
おかわりをして二種類の蕎麦を戴いてきました。
能登「手仕事屋」
總持寺能登祖院門前徒歩1分
営業時間 午前11時から午後4時。毎週火曜定休。
能登半島地震には全国各地から義捐金が寄せられました。
手仕事屋の星野さんはじめ、門前町の方々は、總持寺の方が大変だし、町にとって大事なお寺だということで、その義捐金を、お寺にお寄せになったそうです。
自らの復興よりもまずはお寺の復興を願うという篤い信仰心を感じます。
手仕事屋から總持通りをはさんだ位置にある曹洞宗の寺院。
残念なことに震災により全壊してしまいました。
復興への力強い一歩一歩の歩みを進めているとはいえ、まだまだ震災に立ち向かって頑張っている方々がたくさんいらっしゃるということを忘れる訳にはいきません。
「再生に向けて」
平成十九年三月二十五日午前九時四十二分、寺は能登半島地震に被災し全壊しました。
そして、
山門と地蔵様と賽銭箱だけが残りました。
これだけが寺の伽藍のすべてです。
ここから再生に向けての一歩が始まります。
仏弟子の初心に還りたいと思います。
どこまでやれるのかわかりませんが、やってみようと思います。
皆様の安寧の日々を祈りつつ。合掌。
<山門前の立て札より>
能登地方にはこんなユニークなお祭りがあるのですね。
能登を訪れた前日の開催だったようです。
地震に負けない大らかさも感じられます。
いつか見にいきたいものです。
いどり祭り「もちまで地震に遭ったみたい」
神社に奉納するために作ったおもちの悪口を言い合うユーモラスな祭り、「いどり祭り」が7日夜、能登町で行われました。
「いどり祭り」は能登町鵜川に500年以上前から伝わる秋祭りです。
「いどり」とは「けなす」という意味で、おもちの悪口を言い合うことにより、次の年は、より精進しようという願いが込められています。
今年の当番が作ったおもちが運ばれてくると、さっそく、 「今年はいい米がとれたけどケチったんじゃないかね」 「もちまで地震に遭ったみたいや」 などと周りの人たちが難癖をつけ始めます。
そのあと運ばれてきた大きな鏡もちについても、 「もっときれいに仕上げないとただれたみたいやね、表面が」 と注文をつけます。
当番の氏子は 「白くてきれいなもちだ」 などと言い返し、集まった人たちの笑いを誘っていました。
(テレビ金沢ニュースヘッドライン)
『生命のありよう - 部分的操作には限界 -』という福岡伸一氏の(青山学院大学教授・分子生物学)投稿記事が先週の朝日新聞朝刊opinion欄に掲載されていました。
投稿記事を引用しながら生と死について考えてみます。
まず、生物とは何か、生物の特徴として上げられることは
(1)恒常性(ホメオスタシス)維持能力
外界と自己を区別する境界=膜 を持っており、その内部で恒常性が維持されていること
(2)エネルギー変換能力
外界からエネルギーを摂取して排泄する代謝を行うこと。
(3)自己増殖能力
自己と同じ遺伝情報を持った子孫をつくり出す自己複製能を持っていること。
です。
生物学的には、生きているということは、「全体としての秩序維持=エントロピー増大の抑制」が出来ていることであり、死とは「エントロピーが最大の状態=熱力学的平衡の状態」と捉えます。
これを前提にして見ていきましょう。
現在、私たちの周りには、生命操作を巡る嫌々な議論がある。遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞……。これらを可能とする先端技術の通奏低音には、ひとつの明確な生命観がある。それは、究極的に、生命とはミクロな部品が集まってできたメカニズムであるという見方、すなわち機械論的生命観である。ここに立って、今、私たちはパーツを組み換え、プログラムを戻し、遺伝子を切り張りしている。 おりしも、今年のノーベル医学生理学賞は、ES細胞の樹立に成功したM・エバンス、それを利用して「遺伝子ノックアウト技術」を確立したM・カペッキ、O・スミシーズの3博士に与えられた。 彼らの発見がもたらしたものを改めて考察してみたい。
科学の進展により、私たちは生命を「ミクロな部品が集まってできたメカニズム」として捉えてくるようになりました。すなわち、「分子による機械」として捉え、「遺伝子の乗り物」として考えています。
生命はDNAの自己複製を目的(その中でヒトだけが個体の満足・快楽への欲求が高いのですが)としており、「自己複製をいか環境に適応しながら行うか」ということにより進化してきたという考えです。
人は古来から病気の克服、健康な肉体、永遠の寿命への野心を持ってきました。それが医療技術の進展の原動力となっています。機械論的生命観が到達した地点は、遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞に代表されるように、医療技術によってミクロレベルから人間の生殖や疾病をコントロールできるという奢りです。
時間と予算さえあれば、あらゆる疾患や不妊症を克服し、さらには死までもコントロールできるという奢りです。
しかしながら、筆者は機械論的生命観に対して疑問を投げかけます。新しい生命観への提言です。
ES細胞の「謎」
ES細胞、すなわち胚性幹細胞は、あらゆる組織・臓器に分化しうる万能細胞として、今日、再生医療やアンチエイジングの切り札と目されている。しかしその特性は、万能性にあるというよりは、むしろ「無個性」性にある。
細胞たちは立ち止まっているのだ。とはいえ、立ち止まっているのは分化のプログラムに関してのみである。プログラムを一時停止しながらも、細胞分裂は続行している。つまり、無限に増える無個性の細胞集団がES細胞である。
ES細胞は、カペッキとスミシーズに思わぬ贈り物となった。その、止まった時計と膨大な数は、ごく稀にしか成功しない遺伝子操作、いわばDNAに対するミクロな外科手術を可能としたのだ。こうして遺伝子ノックアウト技術が確立された。ゲノム中のある一部だけを消去(ノックアウト)して、その結果が何をもたらすのかを調べるこの画期的な方法は、生命科学に極めてクリアカットな知見をもたらした。と同時に、一筋縄では解けない大きな謎をも。
生物は「細胞」という最小単位によって構成されます。人間には約60兆個あります。この膨大な数の細胞は、受精卵という一つの細胞から分裂していったものです。様々な細胞は、あたかも木の幹から多くの枝に分かれていくように、多くの細胞が分かれていき、身体の組織や器官を形成する多種多様な細胞へと分かれていきます。この幹の部分にあたる細胞が幹細胞です。幹細胞には胚性幹細胞と成体幹細胞があり、胚性幹細胞がES細胞(Embryonic Stem Cell)と呼ばれます。
ES細胞は、人間で言えば受精卵が成長を続ける初期の段階の胚盤胞の中にある内部細胞塊(体を作るもとになる細胞のかたまり)から取り出されて作られます。
ES細胞は、
(1)あらゆる細胞になり得る多能性を持つ
(2)無限の自己複製能力を持つ
という、2つの特長を持っています。これが再生医療やアンチエイジングの切り札と目されている所以です。
日本では平成13年、文部科学省から「ヒトES細胞に関する樹立と使用に関する指針」( 平成13年文部科学省告示第155号)が出され、制限はあるものの、ES細胞を利用した研究が可能となりました。
〔補注:平成19年5月23日、改正告示されています。 ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針(改正) 〕
筆者はES細胞の特性について「万能」というよりは「無限に増える無個性」の細胞集団と捉えます。枝分かれの分化プログラムを一時停止しながら増え続けているという考えです。
私たちがES細胞を作る手法は、内部細胞塊の細胞を細胞が増殖しても分化しない環境で培養することによります。
インスリンの遺伝子をノックアウトしたゲノムを持つネズミは、体内でインスリンを作り出すことができない。そして重い糖尿病を発症する。 したがってこの実験から、インスリンの機能は、ネズミを感尿病にならないようにすることだ、と推定できる。 しかしその後、明らかになってきたことは、遺伝子とその機能を一対一で対応づけられるような知見はごくわずかだということだった。ある遺伝子をノックアウトしたのにネズミには異常が全く現れない。そんな実験例が次々と見つかってきた。このような結果は研究者の業練とはなりにくいのであまり表に出てこない。しかしここには、生命についての重要な啓示がある。 つまり生命は、パーツひとっを取り去ると変調や故障を来す「メカニズム=機械」とは全く別のふるまいをしている、ということである。 この示唆に従えば、生命操作を巡る論議は、倫理の問題以前に、むしろ純粋に科学技術の有効性の問題であるように思える。生命現象とは、個々の部品の機能が支えているというよりは、むしろ部品間の相互作用がもたらしている効果である。
ES細胞は、再生医療やアンチエイジングの切り札と目されているとはいえ、このような野心的な挑戦は挫折するのではないかというのが筆者の考えです。
最終的な結論として引き出されるのは、生命は機械とは全く別物で、ある特定の機能を持つパーツをただ単に組み合わせたものではないということです。
生物のある器官が故障(疾患)した場合、その故障した器官を取り出して、新しい器官を配置すれば回復するという単純なものではないのです。生命は「一回性」「時間性」「適応性」という特長をもっており、その瞬間にその操作が与えられなければ決して克服できない壁があります。
生命活動は、ただの一瞬も立ち止まることはありません。それは、遺伝子や器官の取替えを行う時間さえも与えられていないということを意味します。カペッキとスミシーズは、ごく希にしか起きない止まった時計と膨大な数の実験により、ごく稀にしか成功しない遺伝子操作の成功を収めました。
それゆえ、同じ効果を、別のパーツの、異なる組み合わせによって生み出すこともできる。パーツがひとつ足りなくとも、分化の途上で、それを臨機応変にバックアップしたりバイパスしたりしうる。 逆に、ある部品を増やしたり、別の部品に交換したりすれば効率が上がるように見えることがあっても、それはむしろ、その部分に連動している全体の動的な平衡を乱すことにつながりうる。可塑性とダイナミズムをもった平衡状態として生命がある。遺伝子ノックアウト実験が示しているのはそのようなことだ。
しかしながら、生命は機械と違い、時間経過に対する応答性と欠落を自動的に補う適応性があるがゆえに、ノックアウト状態(ある一つの機能だけが欠落した状態)をつくり出すことが基本的にできないのではないだろうか(疑問形)。著者は、著書『生物と無生物のあいだ』の中で、このことを「時間という解けない折り紙」というい表現をしています。
未来像とは裏腹
私たちは常に限局的にしか生命を観察しえないが、実は生命に「部分」と呼べるものはない。そして部分的な操作は決して有効ではないのだ。かつて描かれた未来像とは裏腹に、食糧危機を解決しうるような、本当に有効な遺伝子組み換え作物はいまだ作出されていない。生命操作の可能性を追求する科学そのものが、操作的介入の限界をも指し示している逆説的断面がここにある。
私たちは、解像度を上げながら生命のありようをより新しい文体で記述することは今後も可能だろう。しかしおそらく、生命のありようを作り替えることはできない。なぜなら生命は、どの瞬間をとっても完成された効果として現れているものだからである。このような意味合いにあって、先端性の輝きに満ちた分子生物学は、別の見方をすれば限りなく観照にとどまる、あるいは「諦念のサイエンス」と呼べるかもしれない。
人間の生命科学への挑戦は、原理的かつ倫理的な困難を抱えています。
けれども生命科学は、それが発展と言えるかどうかは別として「生命の解明や生命の操作」という方向性に進んでいくでしょう。
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり・・・」
生物とは何なのか。機械とはどう違うのだろうか。
生きているとは?死とは?
生死に対する根源的な問いに対し、取り組んでいく姿勢は生物学研究の立場でも宗教者の立場でも共に重要な姿勢でありましょう。
■関連記事
「生きる」ために「自殺」する細胞たち
生物と無生物のあいだ
講談社現代新書 1891
福岡伸一/著
出版社名 講談社
出版年月 2007年5月
ISBNコード 978-4-06-149891-4
(4-06-149891-6)
税込価格 777円
頁数・縦サイズ 285P 18cm
分類 新書・選書 /教養 /講談社現代新書
追記
先日拾い集めたどんぐりたち が一斉に発芽しました。
植物細胞の分化は可逆的であるため、植物にはES細胞として区別すべき細胞はありません。
先週、平塚のスーパーで小学生がエスカレーターの手すりと固定式保護板の隙間に頭を挟まれてしまい重体となる事故が起きました。
まずは事故に遭われたお子さんの一日も早い回復を祈念いたします。
さて、各社の報道は一様に下記のようなものだったと思います。
保護板の長さ不足 建築基準法違反 神奈川のエスカレーター事故神奈川県平塚市のスーパー「西友平塚店」で小学三年の男児(9つ)がエスカレーターの手すりとアクリル製の固定式保護板とのすき間に頭部を挟まれ、重体となった事故で、この保護板が建築基準法の規定通りに設置されていなかったことが十七日、平塚市の調べで分かった。保護板の垂直方向の長さが規定より二十センチ近く不足しており、平塚署は事故との関連を調べている。
エスカレーターと保護板は、シンドラーエレベータ(本社東京)が製造し、民間指定確認検査機関イーホームズ(同)=廃業=の検査を経て二〇〇五年四月に設置された。シンドラー社が年一回の定期点検を実施しており、市は保護板の設置状況と事故との関連を調べるため、同社に図面など関係資料を提出するよう指示した。
固定式保護板は事故防止のため、建築基準法に基づき、二〇〇〇年に建設省(当時)の告示で設置を義務づけられ、エスカレーターの手すりの上部から下方に二十センチ以上垂れ下げるよう定められた。事故があった保護板は、板の端の円筒形のポール部分は手すりの下二十センチに届いていたが、板自体は規定の長さより約十八センチ短かった。
男児はエスカレーターの外側に落とした硬貨を拾おうと手すりから身を乗り出し、保護板と手すりのすき間(一四・五センチ)に頭部を挟まれた。
エスカレーター事故を受け国土交通省は十七日、全国に約六万基あるエスカレーターを緊急点検するよう都道府県に指示した。
(中日新聞2007年10月18日)
その後、エスカレーターを利用する度にアクリルの保護板がどのようになっているのかを気にするようにしていますが、それにより気づいたことあります。
結論を先に書きます。
エスカレータの安全性の責任問題の部分(児童の責任、保護者の責任の部分についてはここでは論議しません)についてですが
(1)固定式保護板の設置基準について実は条文自体の不備があるのではないか。つまり建設省の責任も少なからずあるのではないか。(2)一つの事故事例を教訓として生かしていない。他人事として捉えてしまっていることで二度三度の同様の事故が発生する恐れがある。
という2点の結論です。
まず(1)から見ていきます。
報道で指摘されている建設省(当時)の告示は次のようなものです
建築基準法に基づく告示 通常の使用状態において人又は物が挟まれ、又は障害物に衝突することがないようにしたエスカレーターの構造及びエスカレーターの勾(こう)配に応じた踏段の定格速度を定める件 (平成12年5月31日建設省告示第1417号)建築基準法施行令(昭和25年政令第338号)第129条の12第1項第一号及び第五号の規定に基づき、通常の使用状態において人又は物が挟まれ、又は障害物に衝突することがないようにしたエスカレーターの構造及びエスカレーターの勾(こう)配に応じた踏段の定格速度を次のように定める。
第1 建築基準法施行令(以下「令」という。)第129条の12第1項第一号に規定する人又は物が挟まれ、又は障害物に衝突することがないようにしたエスカレーターの構造は、次のとおりとする。ただし、車いすに座ったまま車いす使用者を昇降させる場合に2枚以上の踏段を同一の面に保ちながら昇降を行うエスカレーターで、当該運転時において、踏段の定格速度を30m以下とし、かつ、2枚以上の踏段を同一の面とした部分の先端に車止めを設けたものにあっては、第一号及び第二号の規定は適用しない。
一 踏段側部とスカートガードのすき間は、5mm以下とすること。
二 踏段と踏段のすき間は、5mm以下とすること。
三 エスカレーターの手すりの上端部の外側とこれに近接して交差する建築物の天井、はりその他これに類する部分又は他のエスカレーターの下面(以下「交差部」という。)の水平距離が50cm以下の部分にあっては、保護板を次のように設けること。
イ 交差部の下面に設けること。
ロ 端は厚さ6mm以上の角がないものとし、エスカレーターの手すりの上端部から鉛直に20cm以下の高さまで届く長さの構造とすること。
ハ 交差部のエスカレーターに面した側と段差が生じないこと。第2 <略>
※下線はkameno付記
まず、目につく一番の問題点は条文中や一、二、三(イ、ロ、ハ)で記載されている長さの単位がバラバラということです。
30m以下・・・・5mm以下・・・50cm以下・・・・・6mm以上・・・・20cm以下・・・・
これでは、読み取る方で間違えて捉えてしまう可能性があるでしょう。
事故の原因となった手すり上端部から鉛直に20cm以下という記述も200mm以下というようにmmに統一するべきです。
そして、次です。
保護版についてどのように設けるかということを示しているのですが、ロの条文を見て、どのような形状がイメージされますか?
端は厚さ6mm以上の角がないものとし・・・までは主語は「保護板の端」であるということは分かります。
その次の「エスカレーターの手すりの上端部から鉛直に20cm以下の高さまで届く長さの構造とすること。」の主語が、「保護板の端」なのか「保護板全体」なのか明確ではありません。「保護板の端」が20cm以下の高さまであれば良いかのように誤解されてしまう条文であると指摘せざるを得ません。
もしもきちんと書くのであればロの前半と後半で主語が違うわけですから例えば
イ 交差部の下面に設けること。
ロ 保護板の端は厚さ6mm以上の角がないものとする。
ハ 保護板全体に亘りエスカレーターの手すりの上端部から鉛直に200mm以下の高さまで届く長さの構造とすること。
二 交差部のエスカレーターに面した側と段差が生じないこと。
とするべきでしょう。
これを条文の明確化といいます。
直ぐにでも改善して欲しいものです。
次に、結論(2)です。
事故により大々的にエスカレーターの保護板の構造について建築基準法に基づく告示の意図している構造が国土交通省から出され、図つきで報道されました。
保護板の設置イメージはこのようなものです。
エスカレーターの管理者も、その報道を一度は目にしているでしょう。
しかしながら、一週間も経っているにも係わらず、建築基準法に基づく告示の基準に満たない状態の保護板が目立つのはなぜでしょうか。
写真のスーパーも、仮に旧基準で設置したものだとしても安全性にかかわる問題ですから基準が改定された時点で新基準に改善するべきであったと考えます。
何故ならこの基準は1999年に埼玉県内のスーパーで小学5年の児童がが頭を挟まれて死亡する事故があったことによる法改正だったからです。
早急な対策は幾らでも取れるはずです。
※写真は某スーパーで撮影。ケイタイのため画質は悪いです。
※保護板部分が分かりやすいように赤で着色加工したものを右写真として参考に置きました。
一つの事故事例を、真摯に捉えるのか、単に「対岸の火事」として捉えるのかでは全く異なります。
ここからさらに踏み込んだことについては、以前 過ちや失敗を繰返さないために という記事を書きましたのでそちらをご参照下さい。
最近呆れんばかりの報道が相次ぐ中で、根本を是正していかないと同じことをまた繰返すだけだとつくづく感じるのです。
まずは過ち・失敗を起こさないようにつとめること。
それでも起こしてしまった自分の過ちは、その過ちに気づき真摯に反省すること
他人の起こした過ち、あるいは企業の過ちについてはそれを教訓とすること。
同じ失敗は繰返さないようにすること。
経験した失敗は、活かすこと。
それをしなければ良い方向に進むわけがありません。
プチ修業、カフェ、僧衣ファッション…お寺で「癒やし」お寺を若い世代の癒やしの場にしようと、斬新な取り組みが盛んになってきた。日帰りの座禅や写経体験講座の参加者は増え続け、お寺に併設したカフェが人気だ。12月には築地本願寺(東京都中央区)で、複数の宗派の僧侶が集まり、僧衣のファッションショーも開催される。
○敷居を低く
浄土真宗本願寺派(西本願寺)東京別院である築地本願寺で12月15日に行われるのは、日蓮宗をはじめとした各宗派の共同企画「TOKYO BOUZ COLLECTION(東京ボーズコレクション)」。宗派の垣根を越えた初の試みとなる。
僧衣たちが、それぞれの宗派の僧衣を身にまとってファッションショーを繰り広げる。袈裟や法衣は、宗派によって色や形、模様は多種多様。それらが一堂に会する。
また、ダンスとラップを組み合わせた法話会、1、2時間ほどで座禅、写経、写仏を行う“プチ修行体験”、永六輔さんらの講話なども開催する予定。浄土真宗には“修行”という概念がないため、日蓮宗の僧侶が取り仕切るが、築地本願寺で修行が行われるのも、従来では考えられないことだそうだ。
無料で参加でき、「文化祭のようなノリで行う」(主催する東京ボーズコレクション実行委員会)という。(産経新聞)
まず、報道の見出しですが、修業→修行ですね。
お寺の敷居を低くするというための方法論・方向性がどうかという論議は置いておいて、最近は若い世代を中心に仏教ブームがおこっているということは事実のようです。
各地の寺院で開催されている坐禅会や写経会にも若い方の参加が増えてきているようです。
12月に開催される超宗派による東京ボーズコレクション、なんだか面白い企画ですね。
浄土真宗の寺院で修行というのも、実に思い切った企画を考え付いたものです。
様々な宗派の法衣が次々と披露されていくのはさぞかし壮観でしょう。
曹洞宗の法衣は黒衣+木欄が基本なので他宗派と比べるととても地味ですが、他宗派に負けない迫力はあると思います。
参考として、先日天台僧侶と檜ホールでの演奏会ステージで並んだ写真をご紹介します。
左が曹洞宗、右が天台宗です。
○築地本願寺は、12月末までの期間限定で「カフェ・ド・シンラン」を親鸞聖人像横に開いている。健康で環境に配慮したライフスタイル「ロハス」を提唱する月刊誌「ソトコト」編集部が企画・運営。築地本願寺が境内駐車場の一角を貸し、実現した。 カフェメニューのほか夕方からはライトアップされた本堂を眺めつつお酒を飲み、築地市場の旬の魚などを使った料理が楽しめる。 ソトコト編集部が築地本願寺に今春、カフェ計画を提案。京都の西本願寺に同意を取り付けるなど、半年がかりで準備を進めた。営業は午前11時半から午後11時まで。 日曜祝日は休み。 この27日には「カフェ・ド・シンラン」で“仏像ガール”こと、廣瀬郁実さんのトークショーも行われる。廣瀬さんは「いっきゅー」の愛称で活躍する、20代の仏像コラムニスト。「仏像をポップに伝えていきたい」という、わかりやすい解説が好評だ。
仏像ガール・・・・・・
仏像ガールこと廣瀬さんは三度の飯より仏像が好き!というライターさんですね。
お寺イベントにいこー!というカテゴリーがありますが、工事中になっているのが残念。
是非 ゆめ観音 にもふらりと来て欲しいものです。
カフェ・ド・シンランは、前を通ったことはありますが入ったことはありません。
しかし、精進料理ではなくってイタリアンなんですね。
既成概念にとらわれない自由な発想ということなのでしょう。興味深いものです。
築地本願寺では様々なイベントが開催されています。
8月には「本願寺LIVE 他力本願でいこう!」というひたすら ライブ×法話×法要 という祭典があります。
昨年の様子 一昨年の様子
高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)が南海電鉄と組み、東京・青山で9月中旬に6日間限定で開いていた「高野山カフェ」もたくさんの人でにぎわった。名物の高野豆腐などの健康食材を使った「精進ランチ」などを提供し、写経や瞑想、法話の体験講座も行える。
若い女性をターゲットにした全7回の体験講座は、いずれも初体験者らで満員。「心を無にすることができた」「文字に集中する体験ができた」と人気だった。
“お寺カフェ”としては、東京・神谷町の光明寺境内の「神谷町オープンテラス」が先駆け。お寺を地域の憩いの場にしようと、2005年5月に始まった。普段は参詣者の休憩場所として開放し、特定の曜日に住職がお茶やコーヒー、和菓子などを出す。料金は、さい銭箱に「お気持ち」を入れるのが作法だ。
リラクゼーションの場としても人気がでてきた寺院に、旅行会社も動き出した。
はとバス(東京都大田区)は、東京と神奈川にある有名寺院をめぐる「四大本山めぐり 巡礼の旅」ツアーの販売を始めた。鶴見総持寺(横浜市鶴見区)、高尾山薬王院(東京都八王子市)、芝・増上寺(同港区)、池上本門寺(同大田区)の4つのコースがあり、僧侶指導のもと座禅や写経なども体験できる。
20?30代の女性が自己を見つめるためや、団塊世代の新たな趣味として、座禅や写経体験で寺を訪れることが、数年前から静かなブームになっているが、“癒やしスポット”として、ますます人気が高まりそうだ。
東京・青山で開催されたの高野山カフェも大盛況だったようです。
築地本願寺や高野山カフェ、とかお寺カフェ、神谷町オープンテラスのような癒し空間は、たとえばお寺の客間から禅庭を眺めながら抹茶や和菓子をいただくというこれまで寺院が有してきたことを派生させたものであり、特に目新しいものではないですね。
ただ、そのような癒しの場をどのように提供できるのか、その方法論は参考になる部分も多々あります。
記事の最後にある「四大本山めぐり 巡礼の旅」ツアーは、東京近郊の寺社を巡るツアーです。
曹洞宗大本山總持寺もそのコースに入っているわけですが、今年6月に私たちSOTO禅インターナショナルにて開催した講演会にも、このツアーに参加された方が聴講にお立ち寄りくださいました。何かの縁ですね。
若い世代に広がる仏教ブーム・プチ修行体験。
これからどのような展開を見せるのでしょうか。
プチ修行と対極にあるニュースが入ってきました。
千日回峰行で戦後12人目の「堂入り」達成 比叡山
比叡山の峰々を1千日間にわたって巡る荒行、千日回峰行に挑んでいる延暦寺の大乗院住職、星野圓道(えんどう)師(32)が21日未明、最難関の「堂入り」の行を達成した。13日から9日間、大津市坂本本町の無動寺谷明王堂(むどうじだにみょうおうどう)にこもり、断食、断水、不眠、不臥(が)で不動明王の真言を唱え続けた。満行した行者は6年ぶりで戦後12人目。
「堂入り」の行を達成し、明王堂から姿を現した星野圓道師(中央の白装束)=21日午前2時56分、大津市の比叡山で、代表撮影
星野師は午前2時55分、鐘の音とともに明王堂から姿を現した。ほおはこけ、疲れ切った様子ながら、介添えの僧侶に両脇を抱えられて約600人の信者の前をゆっくりと歩んだ。
堂入り後は他人のために祈り、比叡山の山中だけでなく京都市内などを巡る。星野師は09年に1千日に到達する予定。
(朝日新聞2007年10月21日)
2009年までの気の遠くなるような行です。
千日回峰行は総じて7年間掛かけて行われますが、満行に向けて、行うべき内容は徐々に厳しくなっていきます。
1?3年目
各年100日以上、定められた礼拝場所260箇所を巡り30キロの山道を駆け抜けます。
4?5年目
各年200日以上、上記の行をおこないます。
堂入り
9日間、断食、断水、不眠、不臥の中で不動真言を只管唱えます。
そして、これからは「生きた不動明王」として加持を行い、衆生を救済する「利他行」の段階へと進んでいきます。
6年目
年100日以上、5年目までの行程に加え京都赤山禅院までの往復が加わります。一日の行程は実に60キロ。
7年目前半
100日以上、京都赤山禅院までの往復+京都市内の行程が加わり、一日の行程は84キロ。
7年目後半
元の30キロの行程に戻り、100日上行い、満行へ。
まさに自らの死と向かい合った厳しい行であるのです。
前に 享年と行年=いのちの長さの数え方 という記事において、仏教で用いられる歳の数え方である享年・行年について
享年・行年=【この世に「生」を受けた日から、死を迎えるまでの年を数えたもの】
とし、すなわち、生命としての「いのち」が誕生した瞬間から、一人の「人間」として捉えることについて考えました。
また、一生を全うして、死を迎えてから四十九日までの間に新しい「ほとけ」さまとなり「新帰元(しんきげん)」=あたらしく、もとに かえる という概念について考えました。
この考えは、私たちが大自然(大宇宙)から誕生して、そしてまた大自然(大宇宙)へ帰っていくという、素晴らしい考え方だと思います。
至極当然といえば当然な考え方ですが。
しかし、実生活においてこのような至極当然な感覚とはかけ離れた考えを余儀なくされる場面も多々あります。
この生死に関する考え方についてもそうです。
法治国家の中で過ごす私たちは、法律の枠組みに従うことを求められます。
また、普段の考え方も、法律に従った考え方を、たとえそれが人間として至極当たり前の考えとは異なった考えであっても、優先せざるをえない場合もあります。
そこが、宗教者として、いや、人間として、とても残念に思うところなのです。
例えば人間の生について法律は次のように規定しています。
民法1条の3 私権の享有は出生に始まる。
つまり、法律上、人は権利主体として認識されており、人が権利の客体になることは絶対にないとされます。
人には所有権が成立することは絶対にありません。
人は生まれながらに人権を有しています。
ただし、それは出生後の話であって、胎児は法律上「人」ではなく、権利の主体とはなり得ません。
胎児に人権はありません。
死についてはどうでしょうか。
死亡の時点について通常は、「脈拍の停止」「呼吸の停止」「瞳孔反射の消失」をもって「死」を定義しています。
ただし、「死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)」(臓器の移植に関する法律第6条)との規定もあり、心臓死と脳死との複雑な問題がここに絡んできます。
脳死の問題については、ここでは論じませんが、 曹洞宗現代教学研究センターにおいて「〈脳死と臓器移植〉問題に対する答申」についてという小論がまとめられておりますのでご紹介いたします。
この「死」というのは、刑事法における
殺人罪(刑法第199条)←「死」→死体損壊罪(刑法第190条)
というように、両方の境界に位置し、生前と死後では適用される法律が異なります。
生と死について、法律上はこのように規定されています。
私たちの生活の場面の中で、「生」「死」を身近に感じる事は少なくなりました。
「生」も「死」も、ほとんどが病院という、生活と切り離された場所でのことです。
そして、病院で死を迎えたとき、そのご遺体が病院の正面玄関から送り出されるということはほとんどありません。
大抵は霊安室から病院を通り裏口からひっそりと出されるのです。
胎児には人権が無いということや、死体は「モノ」であるということは、私たちの感覚では容認しがたい部分でもあるといえます。
その意味で、法律はいかに生死に関してドライで無機質か。
仏教の生死の考え方がいかに理にかなっているか。
もう何年も前になりますが、私が僧侶になり立てのときのある法事を鮮明に覚えています。
祭壇はそれこそ小さい祭壇。
ミルクや玩具が並んでいます。
理由は書きませんが、母体の中で亡くなってしまったお子さんの法要です。
背後に若い二人の悲しみを受けながら、何とか法要をつとめさせていただきました。
その時は亡くされた方にとっての悲しみが幾許だたのか図り知ることはできなかったのかも知れません。
特に母親にとって、母体の中に宿るいのちは一心同体の存在です。
こどもを失うということは、自分のいのちを失うのと同等の悲しみでしょう。
それなのに「人」でないと、どうして言えましょうか。
私たちは死に対し、どのように対処することができるのでしょうか。
1人で対処できる場合もあるでしょうし、伴侶と一緒に対処していかなければならない場合もあるでしょう。
その一助として僧侶の存在が求められるのであれば、全力でそれに応えていかなければならないと考えています。
精神科医キューブラ・ロスの分類ととWHOの健康定義にその対処のヒントを見てみます。
「死の受容の5段階」精神科医キューブラ・ロスによる分類(1)否認 死に直面した衝撃を否定することにより自己を保つ心理状況
(2)怒り 事実を認めざるを得ないが認めたくない故の怒り
(3)取引 避けられない事実を回避したいと神仏に奇跡を条件付で願う
(4)抑鬱 孤独感、裏切られた気持ちから周りから離れたくなり気持ちが落ち込んでいく
(5)受容 死という事実のの受け入れ
WHOの健康定義“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”
健康とは、完全な「肉体的」、「精神的」及び「社会的福祉」の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない
これに、最近になり「spiritual的に健全な状態」という語句を加えることが検討されています。
“Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”
このspiritualこそ、死という苦に直面した時に、「その苦しみから解放される超越的な拠り所」という意味があるのでしょう。
その役割を果たすのが宗教の役割であるかもしれませんし、僧侶の役割なのかもしれません。
答えを明確に見い出すことができるのはまだまだ先になるかも知れないですが、そのことをこれからも考えて行きたいと思っています。
とある寺院のパンフレットに次のような文言がありました。
「目に見えない存在で、我が子という実感が沸かない為・・・」
そうでしょうか。そんなことは決してないはずです。
むしろ深い心の傷を背負い、供養をするということが出来ない方は多いはずです。
「最悪の場合は、永遠に不成仏霊の状態になってしまう」
このように祟りがあるとか成仏しないからなどということを供養のきっかけにすることは如何なものかと思います。
ご供養というのは世間体で行うことでもありません。
強制されるものでもありません。
ご供養の対象に対し、心より慈しみのこころで尽くし、おもてなしをし、それにより結果として自分も他人も普く救われていくということです。
インターネットは、世界中のあらゆるコンピュータを1つのネットワークで結ぶ巨大なネットワークです。
インターネットの始まりは、1960年代後半、アメリカのARPANETからでした。
1970年代に入り、TCP/ IPの開発によって各地の研究所や大学のコンピュータ、さらに独立したネットワークが次々と接続されていき、1990年代に入ってから急速にユーザーを増やしました。
インターネット人口は現在も爆発的とも言える増加を続けています。
ネットワークの性質のため正確なインターネット人口を把握することは難しいのですが、常時接続されているサーバーから推測された数値が様々な機関から発表されています。
日本のインターネット人口は2006年末で 7,361万9千人。前年より354万7千人増となりました。
インターネットの世界は急速に進展しているわけですが、どれだけ急速に変化しているのかを見てみましょう。
それは日本で最初のホームページがどのようなものかを見ると明白です。
日本で最初にホームページが発信されたのは1992年。
今から15年前ですね。
その最初のホームページはどういうものかというと・・・・・・
ここをクリックすると日本最初のホームページを見ることができます。
文部省高エネルギー加速器研究機構(KEK)計算科学センターの森田洋平さんによるホームページです。
サーバーエラーの画面ではないですよ。
れっきとしたホームページです。
画像なども無く、HTMLタグもいたってシンプルな作りですね。
この時代から僅か15年で現在のようなインターネット社会になると誰が想像したでしょうか・・・・・
ちなみに、貞昌院のホームページを公開したのは1996年4月です。
実はこの年の新年には一応形にはなっていたのですが、公開するべき内容をある程度まとめてからの公開としましたので、4月となりました。
この時代は、お寺関係のホームページは数えるほどしかなく、曹洞宗では恐らく貞昌院が一番最初のホームページであったはずです。
ホームページ開設から11年も経過しているのですね。
11年前の貞昌院のホームページをご紹介しましょう。
今から比べると実にシンプルですね?
仏前結婚式のコンテンツは当初からあったのです。
初期のホームページの頃に作成したアニメーションGIFの花のアクセントにお気づきでしょうか。
現在も貞昌院のホームページのTOPに設置してある思い入れのある画像です。
当時はインターネット環境はアナログ回線からのダイヤルアップでしたから、少しでも重いページになると読み込みに時間が掛かってしまいます。
そこで、開花する花のアニメーションを作成し、設置することにより、ページ読み込みに従って花が開いていくという意図で作成・設置しています。
一応、蓮の花というイメージで作りました。
・・・・・これまで11年の間にインターネットを通して数々のご縁をいただきました。
振り返ってみると、改めてインターネットの力を感ます。
これからどのような方向に進んでいくのでしょうか。
「鳥居」立ち、ごみ投棄やむ 埼玉・利根川河川敷環境関連のベンチャー企業が、神社の鳥居に似せた、ごみのポイ捨て防止グッズを開発した。これを国土交通省の事務所が河川敷に置いたところ、不法投棄がぴたりとやんだ。「日本人の信心に訴える」というアイデアから出た商品で、不法投棄対策に頭を悩ます自治体などにとって、救世主となるか。関係者は「効果がいつまでも続いてほしい」と祈っている。
商品名は「ごみよけトリー」。高さ約1メートルの朱塗りのミニ鳥居で、道路沿いや雑木林などごみの捨てられやすい場所に、脚部を埋めて固定する。さいたま市の企業「ニューマテリアル」(加藤祥司社長)が昨年11月に1基約4000円で注文生産で販売を始めた。
12月中旬、国交省利根川上流工事事務所川俣出張所(埼玉県羽生市)が購入し、河川敷2カ所に2基ずつ設置した。何度撤去してもごみの不法投棄が繰り返される常習現場だったが、設置後不法投棄がなくなった。1カ月以上たった今も捨てられていない。出張所の利根川誠所長は「試しに置いてみたが、こんなに効果があるとは」と驚く。
加藤社長は、不法投棄対策に悩む自治体職員と話していて「神社や寺社の境内にはごみを捨てる人はまずいない」と思いついた。立ち小便を思いとどまらせるために、壁などに鳥居の形を書く例もある。ただ、本物と同じでは、神社に迷惑がかかるかもしれないと、本物とは反対に、上段の笠木を下段より短く工夫した。「鳥居のようで鳥居でない」というのがミソで、特許を出願中だ。
神社本庁の茂木貞純総務部長は「ごみを捨てると、ばちが当たるという畏怖(いふ)心を起こさせたのでは」と感心する。
家電リサイクル法施行(01年4月)以降、河川敷などにテレビや冷蔵庫が捨てられる例が目立っている。利根川上流工事事務所管内では、01年度に不法投棄された家電は545台に上っているという。(毎日新聞 2003年1月24日)
鳥居で首つりはやめてください――。公開中の和製西部劇映画「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」で、鳥居で人が首つりにされている場面をめぐって神社本庁など神社関係者が抗議し、制作側が映画の予告編やポスターなどを作り直していたことが6日、わかった。
製作委員会の1社で配給元のソニー・ピクチャーズエンタテインメントによると、問題になったのは、村の入り口にある鳥居にギャングに捕まえられた村長が首をつられている場面。
公開前の7月下旬、テレビCMなどで放映していた予告編やポスター、チラシの表現をめぐり、神主など神社関係者から4件の抗議が電子メールで寄せられた。抗議は「不適切な表現」「神聖な鳥居への冒涜(ぼうとく)」といった趣旨だったという。
全国約8万の神社でつくる神社本庁も、ソニーなど製作委に「誰もが安心して気持ちよくご覧になれる映画の方がよろしいのではないか」と申し入れた。同庁は朝日新聞の取材に「表現の自由も大事だが、関係者がどう受け取るかも考える必要があるのではないか」と話した。
製作委は関係者に「不快感を与えたことは申し訳ない」と謝罪、広く一般の人が見る機会のある予告編、ポスター、チラシは作り直した。
本編は「作品に興味を持った人が見るもので、作品全体を見れば、神社を冒涜するものではないと理解いただける」(同社広報)として改変せず公開した。
(朝日新聞 2007年10月7日)
鳥居に関するニュースを二題取上げてみました。
ごみよけトリーは、日本人の心の深層に刻まれた宗教心を利用した商品です。
民家の塀などに立小便よけに鳥居を描いてある光景は昔からよく見られましたが、最近時々目にするのが空き地などに設置された赤い鳥居。
最近よく見かけるので、どういう意味があるのか初めは疑問でしたが、数年前にこの製品の存在を知って、なるほどと感心したものです。
「ごみを捨てないでください」という直接的な看板を立てるより、設置目的の意図は直接は書かれていなくても、結果として鳥居を聖域の入り口として畏敬し、周囲にゴミを撒くものではないという日本人独自の宗教意識に訴えたほうがよほど効果的だということです。
なお、立小便禁止の鳥居の絵も、ごみよけトリーも、実際の鳥居をそのまま描くことは恐れ多いということで、本来の形から敢えて変えた形となっています。
上のごみよけトリーでは、上段の笠木が下段より短くなっています。
@nifty Daily portal プチ鳥居大集合などを見ても、実にバラエティーに富んだ「鳥居もどき」があることに驚かされます。
日本人は無宗教だと言われていますが、そんなことは無い、奥底では信心深さ、そして寛容性があるのだということを端的に表わしている事例でしょう。
もう一方のニュースは、現在公開中の「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」の予告映像に用いられていた鳥居の場面についての話題です。
「スキヤキ・ウエスタン」という名のとおり、山あいの寒村「湯田」(笑)を舞台にする「マカロニ・ウエスタン」をもじったベタな和製ウエスタン映画です。
いかにもクエンティン・タランティーノ参加の映画といった感じですが、内容については論題から外れますので、詳細は公式サイトをご参照ください。
さて、映画の予告編は、興行成功の鍵を握る重要な役割を果たします
単に全体のストーリーを見せるだけのものではなく、観た人の記憶にいかに残るか、是非劇場に足を運んで観に行きたいと思わせるというのが予告編の役割です。
そのため、特徴的な場面を予告編に盛り込むことになるわけですが、本編で使われた鳥居の場面が予告編やポスターでクローズアップされ、神社関係者からの抗議を受けるにいたったわけです。
⇒ ここをクリックすると変更前の予告編スクリーンショットが表示されます。
(C)Sukiyaki Western Django film partners
映画の舞台となる集落の入り口の鳥居に、ギャングに捕まえられた村長が首をつられている、「不適切な表現」「神聖な鳥居への冒涜」と指摘された箇所です。
確かに(本編を未だ観ずに)この予告編を観ただけでは、神社関係者のみならず不快感を感じる方は多いかと感じます。
三池崇史監督がどこまで計算してこの映画を撮影したのかはわかりませんけれど、これも日本人の心の深層に刻まれた宗教心により引き起こされる感情でしょう。
二つのニュースを並べてみて、一方では神社関係者・神社庁から不快感を表明され、一方では神社庁から褒めの言葉があり・・・と、その対照的な反応には興味深いものがあります。
鳥居への畏敬の感情が根底にあるかどうかということと、タブーへ敢えて直球勝負で挑戦したこと、その根本的な違いがその大きな要因と言えるでしょう。
神社庁の意見だけではなく、日本人の世間一般の意見として、この両者について実際にどのような感情を抱くのかを調査分析をしてみると興味深い結果が得られるはずです。
追記
沖縄へ行った際、鳥居形の基地ゲートを見たことがあります。
下のようなものです。
これは、神道への信仰心を持たない米軍ならではの発想ですね。
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児童養護施設:匿名の送り主に感謝 果物を毎月、15年目に??横須賀 /神奈川
◇入所の7割が虐待経験、「深い思いやり感じる」
親に虐待を受けるなどした子どもたちが生活する横須賀市の児童養護施設「春光学園」(同市小矢部2、入所者数81人)に、差出人不明の果物が毎月欠かさず届いている。果物は施設で暮らす子どもたちへのプレゼントで、始まってから15年目を迎えた。板橋正園長は「これほど長く続く差し入れは経験がない。子どもに対する深い思いやりを感じる」と感謝している。
今月のプレゼントはナシだった。直径10センチほどの茨城県産「豊水(ほうすい)」。みずみずしい40玉が20日、段ボール2箱に入れられて届いた。手にした板橋園長と主任指導員の児山秀一さんは「大きくておいしそう。本当にありがたいことです」と笑顔を見せた。
板橋園長によると、プレゼントは93年から突然始まった。旬の果物が毎月中旬?下旬に、同市内の同じ青果店から配達されている。当初は青果店に問い合わせたが、贈り主の強い希望で名前などは秘密のままだ。
これまで春?夏はブドウやモモ、ナシ、スイカ、秋?冬はリンゴやミカンなどが届いた。価格にすると1回につき1万?2万円にもなるという。届いた果物は通常の献立の追加メニューとして施設で暮らす子どもたちに提供している。
春光学園は1945年、戦争孤児の施設として開園した。現在は児童福祉法に基づき、養護を必要とする児童らを入所させ、自立を支援している。同市や横浜市、川崎市などで保護された幼児から高校生(2?18歳)の男女計81人が入所し、市内の学校に通うなどの生活を送っている。
入所理由は、親の死亡や行方不明、離婚や虐待などの複合要因だが、板橋園長は「全国的に虐待を受けた子どもの入所が急増しており、当園では7割の子どもが虐待の経験がある」と深刻な現状を説明する。
それだけに、毎月届くプレゼントは元気の源。板橋園長は「この厚意にこたえて、子どもたちの健やかな成長を一層支援したい」と話しており、児山さんも「子どもたちは『今月は何』と聞くほど楽しみにしており、喜んで食べています」と感謝している。
(毎日新聞)
殺伐としたニュースが多い中、このような話題は心温まります。
現代版の足長おじさんかタイガーマスクか・・・
どのような理由で差し入れを行っているのかということを詮索するのは野暮ですが、匿名で、長期間に亘って相手が心から喜んでくださるものを送り続けるというのはなかなかできることではありません。
四摂法の実践、菩薩行というのはこういうものなのでしょう。
義捐金とか、支援金とか、とかく上から目線で行ってしまいがちですが、そうではないんですよね。
以前、救急車に搬送された市民が、その“お礼”として約1000万円相当の救急・救助用機材を消防局に寄贈したニュースをお伝えしましたが、このような話題は幾らあっても良いものです。
今日の朝焼け
ゴマ状の小さい黒点が空にたくさん広がっているのが見えますか?
上永谷駅前のケヤキの木を拠点に無数の鳥たちが棲息しているのですが、早朝、一斉に西の空に向かって飛び立っていきます。
ライト兄弟への挑戦を断念 航空愛好家の復元機
人類初の動力飛行に成功したライト兄弟の「ライトフライヤー1号機」の復元機で、兄弟が1903年の初飛行で飛んだ36.6メートルに挑んでいた西日本航空協会(福岡市、会員26人)が24日、挑戦を断念した。02年5月から復元機の製作に取り組んで5年半。大空に夢をはせた04年12月と今回の計2回の飛行は結局、失敗に終わった。
今回は約20回離陸しようとしたが機体は浮かず、前田建会長(67)は「当時とほぼ同じ未完成の機体で、これ以上何度挑戦しても無理。ライト兄弟は偉大だ」と言う。
復元機は機体長6.43メートル、翼長12.29メートルで、ほぼ木と布製。米国から設計図を取り寄せて、エンジンと車輪以外はほぼ忠実に再現。約700万円かけて04年11月に完成した。その後、36.6メートルに挑んでいた。
会員8人は22日から3日間、鹿児島県枕崎市の枕崎空港に集まり、最後の飛行に挑戦。会員で航空会社の現役パイロット松下浩之さん(44)=長崎市在住=が乗り込んだ。約20回の挑戦で一度も機体は浮かなかった。「横風で機体が振られ、助走速度を上げられなかったのが原因」という。
04年12月には熊本県の阿蘇観光牧場で70センチ浮上し30メートル飛んだが、機首から落ちて破損した。今回は国土交通省の許可を得た2回目の飛行だった。
前田会長は「ライト兄弟は科学者であり、職人であり、パイロットでもあり、何でも2人でやった。私たちは分業化で退化してしまった」と話した。
(朝日新聞)
こういう記事を見るとワクワクします。
人類はず?っと大空を自由に飛び回る鳥に憧れ、空へ飛び立つ夢を持っていました。
ライト兄弟の大空へかける情熱はどれほど大きかったのでしょうか。
理論どおりに作っても、それにプラスする「何か」が足りないと成功しないことってありますね。
今でこそ、空を飛ぶことはごく当たり前となっていますし、飛行場からは数分おきに離着陸が行われています。きっと日本では飛行機に乗ったことのある人の方がそうでない人よりも多いことでしょう。
けれども、ライト兄弟の初飛行から約100年、私たちが空を自由に飛べるようになってから僅か数十年程度しか経過していません。
それを考えるととても不思議な気がします。
思い返せば、大学の時代に手作りの飛行機製作に関わったことがあります。
大学の宇宙航空研究会(○ASA)というサークルの、鳥人間プロジェクト第一回目のプロジェクト(といっても所詮素人学生のプロジェクトですが)に参加したものです。
「鳥人間コンテスト」とは、元々は「びっくり日本新記録」から派生したもので、琵琶湖で毎年夏に開催されている番組企画の大会です。
資金が豊富にあれば、カーボンファイバーとかスチレンペーパーとかスタイロフォームを豊富に使うところでしょうが、なにぶん資金もノウハウもありません。
とにかく壊れない機体作りをモットーに、材木!をふんだんに使い、安全率を一桁多く取って製作した機体は、試験飛行されることなく(試験飛行したら壊れてしまい取り返しがつかなくなる可能性が高いため)真夏の琵琶湖へと運ばれました。
滑空機部門にエントリーした機体は、松原水泳場に造られた高さ10メートルのプラットホームから見事離陸!・・・・したかに見えましたが、揚力が機体重量に敵わず、そのまま機首を下に向けて頭から湖面に。
記録は確か16mだったと思います。
非常識ともいえるほど頑丈に作ったため、湖面に突入しても機体が破損することはありませんでした。
1985年の夏のことでした。
大空をめざす情熱は、その後部長に就任したS井氏を中心にその後輩たちに受け継がれ、回を重ねるたびに飛行記録を伸ばしていき、入賞の常連になっています。
頼もしい限りです。
冒頭のニュースで、ライト兄弟と同じように作った機体なのに空を飛ぶことが出来なかったのは何故だったのでしょうか。
「何」が足りなかったのか。
以前デーモン小暮閣下がNHKの大相撲解説者として登場した際に話していた、「ハングリー精神」「志」といったものなのかも知れないですね。
私たちは当たり前のように空を飛べる自由を得ました。
けれども、それによって知らないうちにいつの間にかそういう「何か」を失ってしまっているとしたら悲しいことです。
今回は残念ながらライトフライヤー1号機復元機の飛行には成功しませんでしたが、是非挑戦し続けて欲しいです。
成功した際には心よりお祝いしたいと思います。
古刹「承天寺」隣にマンション計画 「景観損なう」地元波紋墓所に眠る音二郎も心配!? 歴史の町 乱開発危機 福岡市博多区
鎌倉時代に創建された福岡市博多区博多駅前の禅宗の古刹(こさつ)「承天寺(じょうてんじ)」の隣接地に、マンションの建設計画が浮上し、地元が「歴史的景観が壊される」と危機感を募らせている。同寺は、うどんやそばの伝来、博多祇園山笠の発祥の地として知られ、墓所には「列車の見える地に葬ってほしい」と遺言した明治期の俳優川上音二郎が眠る。住民らは「マンションが建てば、景観が損なわれ視界も狭まる。音二郎も泣いている」と、反対運動を展開する構えだ。
マンションは、東宝住宅(北九州市小倉北区)が承天寺北側にある社有の駐車場に建設を予定する。108戸の賃貸住宅が入居し、高さは約43メートルになるという。
住民らは17日、博多祇園山笠振興会や川上音二郎忌世話人会などの代表が名を連ねた「願い書」を携え、承天寺のすぐ近くにある東宝住宅福岡支店を訪問。計画見直しを申し入れた。福岡市にも対応策を講じるよう求める予定で、建設反対の署名活動も計画中だ。同支店の担当者は住民の求めに、マンション建設の方針を重ねて表明。取材に対し、「(景観への配慮については)市と協議したい」と述べた。
承天寺のある御供所地区は、日本最初の禅寺・聖福寺や空海に由来する東長寺など歴史的な寺社が連なり、戦災を逃れた町家も残る。福岡市は1999年1月、同地区を市条例に基づく「都市景観形成地区」に指定。建物を新設・変更する場合、高さや屋根瓦の色などについて、市への届け出を義務づけた。
承天寺周辺の建築物はガイドラインで「寺社境内の建築物や樹木の高さを考慮するなど寺社境内からの眺望に十分配慮した高さとする」と規定。同市都市景観室は「承天寺隣接地ならば、マンションの高さは20メートルが目安。それを超す新築の届け出があれば、強く指導する」と説明する。ただ、違反した場合の罰則はなく、強制力は乏しい。
2011年の九州新幹線全線開通と新博多駅ビル開業を控え、承天寺周辺は地価上昇が際立つ。住民は「今回、マンション建設を認めれば、乱開発に歯止めがかからなくなる」と懸念する。
世情を風刺する「オッペケペー節」で人気を博した博多出身の音二郎を顕彰する「音二郎忌世話人会」会長を務める漫画家長谷川法世さんは「開発を手掛ける業者は、地元の文化や歴史に配慮してほしい。音二郎も悲しむだろう」と話している。
(2007/05/19付 西日本新聞夕刊)
承天寺は、臨済宗東福寺派の寺院で、山号は万松山。開山は聖一国師。仁治3年(1242)、宋の貿易商・謝国明により創建された古刹です。
2005年に、福岡周辺の古刹名刹へ拝登させていただいたことがありますが、本当に素晴らしい伽藍と庭園です。
そのときの記事はこちらです。
承天寺は、JR博多駅から徒歩圏内にある項立地条件の場所にありますから、このようなマンション計画がいつ立ち上がっても不思議ではありません。
拝登させていただいたときも、広い民間の駐車場が隣接地にあることが見えていましたので、逆についに来たか・・・という感じがいたします。
Googleマイマップで承天寺とマンション計画地の地図を作成してみましたので併せてご参照下さい。
(赤い部分がマンション建設計画地)
↓
拡大地図を表示
それにしても、日本人の景観に関する意識の希薄さというのは悲しむばかりです。
今年6月に凱旋門屋上から眺めたパリ市外の景観を思い出します。
日本の都市の、看板広告が溢れ、乱雑無秩序に建物が乱立する街並みと、どうしてこんなに違うのでしょうか。
確かに、会社は利潤を追求する事が目的の一つですから、できるだけ効率的な建物を作るということはある程度仕方がないでしょう。
しかし、歴史的に重要な建築物のある周囲に、その景観を阻害するような建物を計画する際には、充分な配慮をしていただきたいものです。
特に、承天寺のある御供所地区は、日本最初の禅寺である聖福寺や、古刹である東長寺など、歴史的に重要なな寺社が連なり、「都市景観形成地区」に指定されている地区でもあります。
それでも、多少明るい兆しも見えてきました。
承天寺隣接地のマンション計画 住宅会社が見直しへ鎌倉時代に創建された福岡市博多区の承天寺(じょうてんじ)の隣接地に高層マンション建設が計画されている問題で、事業主体の東宝住宅(北九州市)は27日、福岡市に計画を見直す方針を伝えた。景観への影響を危ぐしている地域住民に配慮し、「市の都市景観条例を順守しながら計画を作る」と表明した。
福岡市は1999年、古い寺社が残る承天寺周辺を都市景観条例に基づき、新築建物の高さなどを規制する都市景観形成地区に指定した。承天寺隣接地は20メートルが限度だが、今回のマンションは高さ約43メートル(15階建て)で、住民が歴史的な景観が壊される」と反対している。
市と同社によると、同社福岡支店の幹部は27日、「現計画にこだわることなく、地域に貢献する形で計画を見直す」と市都市景観室に報告した。住民と近く協議の場を設ける。市は「人選や日程を中立の立場で調整する」と話した。
承天寺はJR博多駅から北西へ約500メートル。同社は北側にある社有駐車場にマンションを建設する予定。市はこれまで、都市景観条例を踏まえて同社に計画変更を指導したが、強制力がないため、地元住民が危機感を強めていた。
(西日本新聞 2007/06/28)
少しでも良い方向に進みますことを心より願っています。
この問題は承天寺だけの問題ではありません。
むしろ全国各都市に満遍なく起こっているというほうが正確でしょう。
身近なところでは、大船観音寺に隣接する山に計画のある12層建てのマンションもあります。
こちらは、計画自体がストップされており、現在工事現場は無残にも掘削されたままの状態で放置されてしまっています。
実は、貞昌院の東側にも19階建てのマンション計画があったのですが、こちらは地域住民の要望により13階建てに計画変更されました。
このように、特に寺社の周囲には緑地が多く残されており、それ故にマンション業者のターゲットになりやすいということも否めません。
無秩序な開発計画をされないように、事前に寺社周辺の土地の状況を常に把握しておいて事前対策を施していくなどの自衛手段を講じないとならない時代になってしまっているのですね。
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今日は送り盆・・・・・というと、何を寝ぼけたことをとツッコミが入るかもしれませんが、そうではありません。
お盆は、もともと、満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事が原形になったとも言われていますから、お盆の行事が月の満ち欠けに関係することは明白です。
ですから、本来は旧暦(太陰暦)でお盆の行事を行うべきなのですけれど、残念ながら、現在は新暦(太陽暦)を採用しているため、盆の時期と月の満ち欠けはほぼ無関係になってしまいました。
旧暦の盆は、昨日(8月27日)。
そして今日は、旧暦の送り盆の日。
まんまるい満月の明るい夜の元、お盆でご先祖様をお迎えし、そしてご先祖様をお送りしたのでしょうし、明るい月夜に親類縁者村中の人が集まってお迎えしたご先祖様と一緒に踊りあかし、楽しく過ごしたのが盆踊りなのでしょうね。
そのあたりは、先日記事に書きましたのでご紹介します。
さて、今年の旧暦の盆は特別なのです。
何が特別かというと、送り盆の日である今日は、「満月中の満月」・・・・太陽と地球と月が一直線上に並びます。
つまり、皆既月食です。
雲の邪魔さえなければ、夕暮れ日没後に東の空から真っ赤な月が昇っていく様子をみることができるでしょう。
8月28日 皆既月食(全国で見られます)地名 月出時刻 ? 皆既の始まり
那覇 18時48.0分 18時52.0分
福岡 18時45.9分 18時52.0分
京都 18時23.3分 18時52.0分
東京 18時09.7分 18時52.0分
仙台 18時06.9分 18時52.0分
札幌 18時12.3分 18時52.0分地名 食の最大? 皆既の終り? 食の終り
那覇 19時37.4分 20時22.7分 21時23.8分
福岡 19時37.4分 20時22.7分 21時23.8分
京都 19時37.4分 20時22.7分 21時23.8分
東京 19時37.4分 20時22.7分 21時23.8分
仙台 19時37.4分 20時22.7分 21時23.8分
札幌 19時37.4分 20時22.7分 21時23.8分
私は法務があるため、残念ながら皆既月食を見ることができないんです><
あまりにも悔しいので、月食をシミュレーションしたものを貞昌院の風景と合成してみました。
きっと晴れたらこんな風に見えるのだろうな?
みなさん、私の分も皆既月食を堪能してください。
次の月(旧暦8月15日)のお月さまが中秋の名月となります。
7月・8月・9月は旧暦で過ごすのも風流ですな。
■関連リンク
国立天文台 皆既月食どんな色?
昨日は、ゆるキャラ「ひこにゃん」が豪徳寺参拝の記事を書きましたが、本日は、ゆるキャラの真打 「とつか再開発くん」をご紹介します。
まずはプロフィールを。
とつか再開発くん
誕生日:平成6年10月4日(現在12歳)
出身地: 横浜市戸塚区
性 別: 男の子
好きなもの:うめぼし入りのおにぎり
顔の大きさ:約4.3ha
ひとこと:もっと活躍するからね?
私が都庁に勤めていた頃は、企業のコーポレートアイデンティティ(CI)が積極的に制定され始めた時期でもありました。
都庁のシンボルマークとしての緑の銀杏マークも、平成元年に東京都シンボルマーク選考委員会が候補作品20点の中から選定・制定したものです。
企業を想起させる統一ロゴ・キャラクター・音などを制定することは、企業ブランドを確立し、一般に浸透させるという大きな役割を果たします。
ここ数年、そのコーポレートアイデンティティの一翼を担う、「ゆるキャラ」の活躍が目立ってきました。
ゆるキャラとは、「ゆるいキャラクター」の略です。
コーポレートアイデンティティに使用される、かわいい、やさしいキャラクターのことを指しますが、そのかわいさの度合い、キャラクターの画き込みの手間の掛け具合は、キャラクターによってバラバラです。
そのバラバラ具合がいい味を醸し出しているのですが、「とつか再開発くん」は、身近なキャラクターだから言うわけではありませんが、ゆるキャラの最高峰といっても良いのではないかと思っています。
さて、戸塚といえば東海道五拾三次の宿場町として歴史深い地区です。
このブログでも 「東海道五拾三次・戸塚元町の今昔」 としてご紹介していますので併せてご参照下さい。
しかしながら、街が東海道線により分断されており、国道一号線を遮る踏切は開かずの踏切として有名です。
また、特に駅西口地区は昔からの街並みそのままに小さい商店が乱立していましたので、街の発展の妨げになっていました。
そこで、再開発事業の話が進められ、現在大規模な工事が進行中です。
旭町通り商店街の看板がまだ残されていますね。なつかしい。
↓
旭町通り商店街のかつての姿は 三日画師「さねすけ」さん のサイト に写真がたくさんあります。実にノスタルジックでオススメ。
国道一号線も、立体交差化が図られますので、大幅に利便性が向上することになるでしょう。
とつか再開発くんの顔の大きさは 4.3ヘクタールもあります。
おそらく、ゆるキャラの中で最大のキャラクターなのではないでしょうか。
これは西口再開発エリアの面積で、形も三角形のおむすび型です。
仮に顔の形を正三角形に近似し、二頭身だとすると、
1ha=43,000m2ですから、顔の一辺の長さは
√{(2/√3)×2×43000} = 315.13m
身長=顔の長さ×2 = √3 ×315.13 = 545.80m
なんと、身長は東京タワーよりもずっと大きいんですよ!
両手は線路。両足は戸塚駅へ続く幹線道路です。それにしてもユルい。
再開発事業所職員が一時間も掛けずにつくり出した「とつか再開発くん」。彼のひとことの通り、これからの活躍が期待されます。
写真は戸塚駅ビル・戸塚ウエストからの再開発工事現場パノラマ。だいぶ事業が進捗していますね。
もはや「ゆるキャラ」を超越! とつか再開発くんごく一部で人気急上昇中の知られざるキャラがいる。
横浜市戸塚区の戸塚駅西口再開発事業(正確には、戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業)のマスコットキャラクター「とつか再開発くん」だ。
額の「と」の文字と、胸のイニシャル「T.S」を開けっぴろげにし、両手をいっぱいに広げて微笑むおにぎり頭のその姿?? 見る者全ての緊張感を奪い去ってしまう、なんとも不思議なこの魅力は、本来世の中に出てはいけなかったもののみが持ち得る魔力だろう。「ゆるキャラの壁を超越した」と一部で絶賛されるのもうなずける。とかく凝りがちな昨今のキャラ界において、工夫ゼロのとつか再開発くんが放つパンチは強烈だ。とつか再開発くんの生みの親は、戸塚駅周辺再開発事務所に勤務する男性職員(36)。頭は戸塚駅西口再開発区域の形、腕はJR線、胴体は戸塚駅東口再開発、足は国道1号線へと続く道路を表しているそうなのだが、全くもって伝わらない。発案から全てを仕上げるまでに、正味1時間もかかっていないそうだが、一発で採用は決まったそうだ。横浜市の度量に拍手を送りたい。ちなみにデザインのポイントは、よく口と間違われてしまう赤い鼻なのだとか。
そのルックスから、当初は関係者の間で「とつかおにぎりくん」という愛称で親しまれていた。が、さすがにおにぎりと戸塚とは関係がなさ過ぎる。そこで公表するにあたって、今の名称「とつか再開発くん」に変えたのだそうだ。
今後のグッズ展開も検討しているとのこと。
※下線はkamenoが付記
■関連トピックス
東海道五拾三次・戸塚元町の今昔
■関連リンク
とつか再開発くん公式サイト
朝日新聞の読者の新聞写真に掲載された印象深い写真がありました。
今年1月23日の紙面に掲載され、フォトアサヒ4月号の表紙にも採用された一枚の写真です。
この写真は、昨年12月18日に種子島より打ち上げられたH2Aロケット11号機を、飛行機の機内より撮影されたものです。
新聞でこの写真を見たときから私の心の中に深く刻まれていたものなのですが、実は、先日、知人とのなにげない会話の中で、この写真がその方の義妹 Kさんが撮影された写真だということが分かり、とても驚きました。
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「12月18日午後、Kさんは那覇空港から中部国際空港へ向かう旅客機に乗っていた。(中略)種子島上空という機内アナウンス後に窓から眺めていたら、雲海から光る物体が飛び出してきた。すごい角度でみるみる上昇していった。手にしていたコンパクトデジカメを窓にくっつけて撮影した。」(2007月1月23日付 朝日新聞より)
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宮古島からのツアーの帰路、乗っていた旅客機が種子島上空にさしかかったとき、雲海を突き抜けて急上昇していくロケットに気がつき、手にしていたカメラで撮影した一枚です。
紺碧の空に向かう真っ白い一筋の航跡。好奇心と行動力が、貴重な写真につながりました。
この高度からロケット上昇の瞬間を撮影することなど、めったにできることではありません。
(フォトアサヒ写真講評より)
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このような写真は、撮ろうと思って撮れるものではありません。
僅か数分間の瞬間に、この付近を飛行していなければ、もちろん見ることはできませんし、当のH2Aロケット11号機は、当初12月16日の打ち上げ予定が天候不良で18日に延期されたものです。
そして、それを目撃した瞬間にカメラを取り出し撮影しなければ、このような写真は撮れない訳です。
千載一遇のチャンスに遭遇し、それをきっちり写真に収めたことに敬意を表します。
十九世紀のフランスの数学者、ポアンカレの 「偶然はそれを受け入れる準備ができた精神のみに訪れる」 という言葉は有名である。 いつ、どのような偶然が起きるかということ自体はコントロールできなくても、偶然の幸運を生かす能力は、自分の心掛け次第で鍛えることができる。『脳と創造性 「この私」というクオリアへ』 茂木健一郎
後日、ご本人より、大きく引き伸ばした写真をいただきました。
ありがとうございます。
H2Aロケット11号機の打上げ写真ギャラリーがJAXAのサイトに掲載されています。
http://www.jaxa.jp/countdown/f11/photo/index_j.html
その中にも同じ飛行機から撮影した別の方の写真もありました。
http://www.jaxa.jp/countdown/f11/photo/13_j.html
けれども、その中のどの写真にも負けない迫力が冒頭の写真にはあります。
これぞ報道写真といっても過言ではありません。
千載一遇の偶然の幸運に出会ったことに、まず気づくかどうか。
そして、その千載一遇の偶然の幸運を生かすことができるか、そのまま流してしまうのか。
それは、その人の普段の心がけが生み出す必然なのかも知れないですね。
【追記】
このHA2ロケット打上げに関しては、鹿児島大学にいる私の弟も少なからず関わっています。
H2Aロケットは、日本初の純国産ロケットH2ロケットで培われた技術をもとに、人工衛星の打上げ・国際宇宙ステーションへの補給などの多様な輸送需要に、これまでの度重なる打上げ失敗から信頼性を取り戻すために、低コストで対応するために開発されたロケットです。
このH2Aロケット11号機には、技術試験衛星VIII型「きく8号(ETS-VIII)」が搭載されていました。
きく8号は、携帯電話の通信環境の向上や、新潟県中越地震・石川県能登半島地震・新潟県中越沖地震など、大災害が発生した際に、一刻も早く人々の安否を確認したり、救援対策を講じるために必要な通信網を、宇宙から確保するために必要な人工衛星です。
なお、特徴的な大型太陽電池が不具合となり、心配されましたが、通信状況にはそれほど影響はないようです。
平和宣言
運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。
2007年(平成19年)8月6日
広島市長 秋葉忠利
第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島、9日午前11時2分長崎に、米軍機により投下された原子爆弾は、一瞬の閃光とともに両市を壊滅させ、数十万の人々を殺傷しました。
神奈川県・鎌倉市にある大船観音寺の境内には、原子爆弾により犠牲となった方々の慰霊碑が建立されています。
この慰霊碑は、被爆25年の年(昭和45年)に、神奈川県の原爆死没者の霊を合祀し、みたまを慰めるために、県下在住の被爆者が「財団法人大船観音協会」の関係者の厚意により、この地に建立することになったものです。
慰霊碑は、広島・長崎の爆心地の石およびビキニで被爆した第五福竜丸の遺品を添え、被爆者が平和の丘へ向かう姿を刻んでいます。
この慰霊碑の200kgもある土台石は、広島の爆心地の西蓮寺から・・・・50kgある被爆石は長崎の浦上天主堂から・・・そして境内に納められたケロイド状の瓦は、広島原爆資料館から寄贈されたものです。
慰霊碑のカロートには、亡くなられた被爆者の氏名が刻まれています。
大船観音にある「原爆の火の塔」には、広島から福岡県星野村へ分灯された原爆の火が灯されています。
この火は、原爆投下数日後に、市内の書店地下室倉庫でくすぶっていた火を発見した方が、カイロに火を移し、九州の自宅に持ち帰られたものです。
その残り火は、平和の灯火として、福岡県星野村役場で現在も絶やすことなく灯され続けています。
神奈川県原爆被災者の会により、被爆45年の年(昭和65年)に星野村役場より分火された「灯火」に平和の願いを込め、建立されたのが、大船観音の「原爆の火の塔」です。
星野村役場に原爆の火が受継がれている経緯についてはこちらをご参照ください。
⇒星野の里に永遠に燃える「平和の火」 その1
⇒星野の里に永遠に燃える「平和の火」 その2
大船観音の慰霊碑に刻まれたことばが現実のものとなりますよう、こころから願います。
核兵器もない
戦争もない
平和な世界を
なお、9月8日 ゆめ観音アジアフェスティバルが大船観音境内にて開催されます。
夕方には、蝋燭の灯火による萬灯供養法要が営まれます。
平和のねがいを込めて建立された、この大船観音で厳修される萬灯供養法要は、この大船観音ならではの特別な意味もこめられています。
是非、みなさまもこのゆめ観音アジアフェスティバルにお越しいただき、萬灯供養法要にもご参列いただきますようお薦めいたします。
■関連記事
原爆投下の日に
← この標識はどういう意味でしょう?
交通標識:意味知らず5警官が11台検挙 富山県警富山県警は3日、「車両横断禁止」の交通標識を「右折禁止」と思い込んでいた警察官が、交差点を右折した運転者11人に誤って交通反則切符を発行していたと発表した。車両横断禁止区域では、対向車線を横切って道路脇の施設などに入ると違反になるが、交差点の右折は違反にならない。県警は11人に謝罪し、反則金(6000円)を納めた4人には返還する。
県警交通指導課によると、1日午後4時15分ごろ同県射水市西高木の県道で、パトロール中の港湾地区特別捜査隊の男性警部補(55)らが、車両横断禁止標識のある交差点を右折した車を発見。指定横断等禁止違反の切符を切り、約1時間で他に10台を検挙した。その場にいた5人の警察官全員が標識の正しい意味を知らず、警部補は翌日、県警本部に確認して誤りに気付いた。この標識のある区間は県内に2カ所しかないという。
同課の高橋秀夫課長は「警察官が標識の意味を知らないのは恥ずかしい。指導を徹底する」としている。
(毎日新聞)
普段目にする道路標識も、きちんと意味を理解しているかといえば、怪しい部分もあります。
特にわかりづらい標識の典型的なものが、「車両横断禁止」でしょう。
冒頭の標識が「車両横断禁止」なのですが、道路交通法における該当する条文を見てみると・・・・・
道路交通法(横断等の禁止)
第25条の2 車両は、歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、道路外の施設若しくは場所に出入するための左折若しくは右折をし、横断し、転回し、又は後退してはならない。
2 車両は、道路標識等により横断、転回又は後退が禁止されている道路の部分においては、当該禁止された行為をしてはならない。
この中の、「道路外の施設若しくは場所に出入するための」という但し書きが曲者ですね。
つまり、逆に解釈すれば、「道路に」進入するために車線を横切る場合は、この標識の規制効果は無い訳です。
では右折禁止の標識ってどういうものかというと、
このように、いわゆる「禁止標識」の赤い標識ではなく、「指定方向外進行禁止」で右折が記されていない青い標識ということが混乱を招く一因となっています。
普段は、確かに右折禁止標識はこのような青い逆説的な標識であるということを無意識のうちに運転していますが・・・・・冒頭の赤い「車両横断禁止」を見て、右折禁止の標識では無い!と反論できるかどうかは自信ないですね。
しかしながら、法律違反を取り締まる警察官がこれでは問題外です。
その場にいた5人の警察官がこの標識の意味を理解していなかった上で取り締まっていたとは、なんともお粗末なニュースです。
指導を徹底するというのも当然ですが、是非、一般ドライバーの目線で分かりやすい標識を整備していただきたいと思います。
誰も理解できない標識なんて意味無いですから。
物理五輪 灘高生2人が「金」 日本人で初
文部科学省は二十二日、高校生などを対象にイランで開かれていた「第三十八回国際物理オリンピック」で、灘高(神戸市)三年の高倉理さんと同二年の村下湧音さんが金メダルを獲得したと発表した。日本からは二回目の参加で、金メダルは初めて。
麻布高(東京都)三年の増田賢人さんと筑波大駒場高(東京都)三年の森田悠介さんが銀メダル、大阪星光学院高三年の西口大貴さんが銅メダルを獲得、出場した五人全員が受賞した。
また、日本から四人が参加しカナダで開かれていた「第十八回国際生物学オリンピック」でも、フェリス女学院高(神奈川県)二年の浜崎真夏さんが銀メダル、筑波大駒場高三年の仮屋園遼さんと奈良工業高専三年の竹内準二さん、愛知県立岡崎高三年の本多健太郎さんが銅メダルを受賞した。
(神戸新聞)
これは実に嬉しいニュースです。
スポーツの分野での日本人の活躍も嬉しいですが、このような学問の分野での活躍も嬉しいものです。
今年(2007年)の戦績は、 金2人 銀2人 銅1人という、輝かしいものです。
ちなみに、昨年(2006年)は、 銀1人 銅3人 褒賞 1人でした。
国際生物学オリンピックでも、日本人が活躍しているとのこと、実に頼もしいですね。
以前、ブログの記事で、理科離れを防ぐために というトピックスを書きましたが、いわゆる「理科離れ」が進んでいる中、科学技術立国たる日本にとっては、理科への興味がある次世代を担う人材を育てていかなければ、日本も成り立っていかなくなるでしょう。
冒頭記事の国際物理学オリンピックとは・・・・
オリンピックには、出場国各国5人の選手が出場します。
オリンピックで出題される問題は、「理論の部」及び「実験の部」の二つの分野があり、出題内容は大学院入試レベルの高度な問題が出題されます。
試験時間は、「理論の部」では3問を5時間かけてじっくりと解くことになります。
詰め込み教育では解答できるものではなく、普段から電気製品を分解したり、自然観察をしたり、気象観測を行ったりといった理科的発想や、科学的判断をもって事象に接していないと歯が立たないものといえます。
逆に、そういうことに興味がある子どもたちには、とても面白く解きがいのある問題です。
どんな問題が出題されているのか、昨年の問題うちの一つをご紹介します。
デジタルカメラで撮影した画像についての問題、それを使ってポスターを作る場合、どれくらいの解像度で印刷すると適切なのか・・・・・・・実践的で面白い問題です。
写真工学や、印刷理論を習得されたかたには常識かもしれませんが、こういう内容の問題を無の状態から考えて、解答を得ることができるかどうか、ひらめきが求められる良い問題だと思います。
デジタルカメラでは、スチールカメラでのフィルムの位置にCCDチップが設置されており、レンズで縮小された像が記録される。一辺の長さ L=35mmの正方形をしたCCDチップを考える。それは Np=5Mpix (1Mpix=10の6乗pixels) のピクセル(画素)を持っている。つまり、√Np × √Np のピクセルをもっている。このカメラのレンズの焦点距離は f=38mmである。 F値と呼ばれる絞り値(2, 2.8, 4, 5.6, 8, 11, 16, 22)がレンズには書かれているが、それをF#と表記し、それはレンズの焦点距離fと絞りの直径Dとの比 F#=f/D で定義される。
(1)絞りを最大にしたレンズで得られるCCDチップ面における最良の空間分解能Δx minを求めよ。その答えを光の波長λとF値を用いて表せ。またλ=500nm としたとき、その数値を計算せよ。
(配点1.0点)(2)上で求めた最良の分解能に対応する大きさのピクセルを持つときの画素数Nを Mpix単位で求めよ。(配点0.5点)
(3)写真家は、ときとして最小の直径の絞りでカメラを使って写真をとろうとする。いま、ピクセル数Np=16MpixでCCDチップのサイズおよびレンズの焦点距離が上に与えられた値のカメラがある。画像の品質が光学的に制限されないための最小のF値を求めよ。(配点0.5点)
(4)人間の眼の角度分解能はおよそφ=2 arcsec である。また、普通のプリンターは、300dpi (dots per inch)の細かさでプリントアウトする。このとき、プリントアウトされた画像を眼から距離Zだけ離してみると、画像中のドットが分離して見えなくなる。その最小の距離Zを求めよ。(配点0.5点)
データ 1 inch=25.4mm 1 arcsec=2.91×10のマイナス4乗
答えをここにおいておきます。(マウスを左クリックしながらなぞると答えが見えます)
↓
(1)Δx min=1.22×10のマイナス6乗 m
(2)823 Mpix
(3)F#=11
(4)Z=1.45×10のマイナス1乗 m
一言コメント
デジタルカメラって、画素数が多ければいいとは必ずしもいえないし、大判ポスターを作成するときも解像度はそれほど求められない・・・そういう様々なことがわかります。面白いですね。
水からの伝言 世界初!!水の氷結結晶写真集 今日も水にありがとう著者/訳者名 江本勝/編著 IHM総合研究所/〔編〕
この本は、各方面で話題になっている本なので、ご存知の方も多いと思います。
水は人間の言葉がわかり、例えば「ありがとう」という言葉を掛け続けて氷を作ると、美しい結晶ができるということを紹介した本です。
みなさんは、この本の主張する、「ありがとう」という言葉を掛け続けて氷を作ると、美しい結晶ができるというということに、そんなことはありえないと、きっぱりと主張することができるでしょうか。
本のカスタマーレビューを見ると肯定的な意見が並んでいることに驚かされます。
実際に、かなり多くの方が、もしかしたら、そのようなこともあるのではないだろうか、と考えてしまっているような気がします。
さらに問題なのは、小学校の総合学習の授業に、この本を取り上げる事例もあるということです。
「美しい言葉は美しい氷の結晶をつくる。人間の体は多くの水分を含むから、言葉は人間の体に影響する。だから美しい言葉を使うことは大切だ・・・・・」
ここまでくると、問題を無視するわけにはいかなくなりますね。
ただの物体に過ぎない水が、言葉に反応して結晶の形を変えることは科学的にはあり得ません。
本の中に出てくる「波動」という用語も、現代ではニセ科学と分類されているものです。
以前、
で取上げた、血液型の話もそうです。
単純に、話のネタに使う程度であったり、科学的根拠が無い事を前提とした遊びであるなら問題ではないですが、就職エントリーシートに血液型の項目があったり、どの職種にはどの血液が多いからという理由で配属先を血液型で決めたり、異性と付き合う際に参考にしたり・・・・・
その他、「マイナスイオンやアルカリイオン水は体に良い」とか、「磁石を通した水は活性化する」とか、「納豆はダイエットに効果がある」とか・・・・・
科学的でないものを、なぜ私たちは科学的なものとして捉えてしまうのか。
科学的知識を持って、客観的に判断できる力は必要です。
正しい知識は、正しい判断を可能にし、日常生活の中で遭遇するさまざまなニセ科学の情報に対処することができます。
お薦めの本をご紹介します。
冒頭の本と対比してお読みくださると良いと思います。
水はなんにも知らないよ (新書)
左巻 健男著
税込価格 : ?1,050 (本体 : ?1,000)
出版 : ディスカヴァー・トゥエンティワン
サイズ : 18cm / 182p
ISBN : 978-4-88759-528-6
発行年月 : 2007.2
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疑似科学と関連領域の文献リスト
都心の温泉、ブームで急増=地下にガス田、掘削で炎上事故も
爆発事故があった東京都渋谷区のスパのように、温泉をくみ上げ利用する施設は、近年の温泉ブームに乗り、都心部でも急増している。一方、首都圏の地下にはメタン成分の多いガス田の存在があることが知られている。2005年、北区で温泉掘削中に天然ガスが噴出し、20時間以上にわたって燃え続ける事故が起きた。
都環境局によると、温泉の掘削許可は1990年代半ばごろから増え始めた。島部を含む都内全域では、97年3月に90本だったが、今年3月には144本になった。このうち約半数が23区内にある。
温泉のくみ上げが増え、地盤沈下や温泉枯渇の恐れが出てきたことから、都の審議会が05年1月、一定距離の確保などの規制を答申。都は6月にガス噴出事故の防止などに関する安全指導要綱を策定した。
こうした中、同年2月には北区の温浴施設建設現場で温泉掘削中に天然ガスが噴出し、炎上。周辺住民が避難し、24時間半後に鎮火した。
温泉の試掘や化学分析などを請け負う中央温泉研究所(東京都豊島区)の滝沢英夫研究員によると、都心部近辺の地下からわき出る天然ガスは、可燃、引火性が高いメタン成分が都市ガス並みに多い。
国土交通省関東地方整備局東京第二営繕事務所によると、千葉を中心として茨城、埼玉、東京、神奈川には「南関東ガス田」があり、メタン成分が約99%だという。
滝沢研究員は「通常は『ガスセパレーター』と呼ばれる装置でガスを処理するが、どのように機能していたか分からない。都市ガスには人為的ににおいをつけてあるが、天然ガスにはにおいがないので分かりづらい」と話した。
時事通信
時事通信社の記事にもあるように、平成17年に、同じ東京都北区の温泉施設でのボーリング現場でメタンガスによる大火災が発生したことは、記憶に新しいところです。その原因は、東京、千葉、神奈川、埼玉、茨城に渡り存在する「南関東ガス田」によるメタンガスだとされました。
南関東ガス田にメタンガスがどれだけ埋蔵されているかは、関東天然瓦斯開発によると
当社が開発している南関東ガス田は、千葉県を中心に、茨城・埼玉・東京・神奈川県下にまたがる広大な水溶性天然ガス田です。可燃性天然ガスは、その存在している状態により、石油系ガス、炭田ガス、水溶性天然ガス等に分類されますが、水溶性天然ガスは、生物起源のメタンガスが、地下の地層水にその深度の圧力のもとに溶解したものです。
千葉県で天然ガスが産出されるのは、上総層群(かずさそうぐん)という地層群です。これは新第三紀鮮新世(せんしんせい)?第四紀更新世(こうしんせい)(今から約300?40万年前)に海底に堆積した砂岩と泥岩からなる地層です。
この砂岩と泥岩の互層中にある地層水にガスが溶けた状態で存在し、それがガス層を形成しています。この地層水は、海水の約2,000倍ものヨード分を含む以外は、ほぼ海水と同じ成分で、「かん水」と呼ばれています。
南関東ガス田は可採埋蔵量が3,750億m3にも達する、わが国最大の水溶性天然ガス田です。その中でも茂原地区は、(1)埋蔵量が豊富で、(2)鉱床が厚く、深度は浅く、(3)ガス水比(産出水量に対するガス量の容積比)が高い等、天然ガス開発に最適な条件を備えています。
当社鉱区における天然ガス可採埋蔵量は、約1,000億m3。現在の年間生産量で単純計算すると約600年分にもなります。
と、とてつもない量になります。
今回の渋谷区の温泉施設「シエスパ」における事故も、営業中の施設とはいえ、地下1500メートルからの地下水汲み上げに大量に含まれていた水溶性メタンガスが、分離処理されずに、施設内に溜まり、何らかの形で引火したものではないかと推測されます。(このあたりの詳細の原因特定はこれからなされるとは思いますが)
「南関東ガス田」の存在は古くから知られ、大深度の地下から水を汲み上げると、大量の水溶性メタンガスが溶け込んで一緒に汲み上げられることは常識です。
しかし、温泉としての水の汲み上げは、いわゆる天然ガス開発としての「鉱業法」の厳しい規制を受けず、申請により東京都が「温泉法」にり許可するだけで、掘削・営業ができるようになります。
従って、先の北区の温浴施設建設現場での事故が起こるまでは、東京都がガス対策を指導するだけでした。
日本は火山列島ですから、都心でも、1000メートル以上ボーリングを行えば、大抵の場所で温泉は出てきます。
ボーリング単価の低下と、温泉ブームにより、近年、特にスーパー銭湯などの温泉施設が林立してきました。
都内における源泉数の推移 (出典元 東京都庁)
上記図のように、最近の温泉は、殆んどが深度500メートルを越える物となっていることがわかります。
貞昌院の付近でも、例に漏れず、近年、天然温泉を謳う入浴施設がかなり新設されました。
このような温泉ブーム及び、平成17年の温泉施設での大火災を教訓に、東京都では、平成17年に「温泉掘削等に係る可燃性ガス安全対策ガイドライン」が制定され、さらに、平成18年には「東京都温泉掘削等に係る可燃性ガス安全対策指導要綱」が策定されました。
今回の事故は営業中の施設における事故です。
大深度地下からの揚水の中には、大量のメタンガスが溶け込んでいることを常に念頭において、万全の体制を整えてほしいものです。
掘削時の安全対策ガイドラインにも増して、営業中の安全対策ガイドラインも今まで以上に整備していかなければならないと思います。
安全対策ガイドラインは最近設定されたばかりであり、しかも営業時ではなく、温泉掘削工事時のガイドラインです。
営業設備に対する安全対策ガイドラインは、まだまだ不十分であると言わざるを得ません。
なお、温泉ブームが地下水の枯渇にどれだけ影響をあたえているのかということが併せて心配されますが、こちらのほうは、平成17年 東京都環境局作成・都内地下水揚水の実態(表8:用途別揚水量)によれば、公衆浴場用揚水量は、都内全域で18,186m3/日、地下水全体揚水量の 3.3%であり、それほど大きな影響は与えていないようです。
芸術作品の名作をいつでも鑑賞することができるということは、この上ない幸せだと思います。
本物に接するということは、絵画の複製やスピーカーを通した音楽を見たり聴いたりすることではなく、直に本物を見るということであり、画家の筆遣いや演奏者の実力もはっきりわかります。
鑑定家も、まずは名品ばかりを見て、見る目を養うといいます。
ましてや、芸術作品を生み出す芸術家にとっては言わずもがなです。
パリ滞在中に、さまざまな美術館を巡ってきましたが、その展示量は想像を絶しますね。
訪れた美術館は
・Musée Du Louvre (ルーブル美術館)
・Musée Picasso (ピカソ美術館)
・Musée D'Orsay (オルセー美術館)
・Musée De L'Orangerie (オランジュリー美術館)
ですが、美術館だけでもまだまだ行きたいところはありますし、ルーブル美術館などは数日かけても全部を堪能することはできないでしょう。
こういう作品に気軽に鑑賞できるこの街の人は、本当に羨ましいです。
訪問した美術館の中においては、小学生たちに授業の一環として、本物の芸術品の前で、授業が行われている光景をよく目にしました。
そして、芸術家のたまごたちが、芸術作品の前で、その筆遣いを学び取っている姿もよく目にしました。
日本で○○展などが開催された場合は、この中の数点の作品を、しかも仰々しく厳重な警備の中、人ごみに押されながら鑑賞するということが多いはずです。
そのような作品たちを間近でゆったりと鑑賞できるということは、なんという贅沢なのでしょうか。
さすが、芸術の都を称するだけあります。
それに、街並みもそうですが、最近の日本の街並みは、妙に中途半端な西洋化のデザインが目立つようになり、いかにも本物じみた、けれども偽物があふれかえっていることに気づかされます。
パリから帰って来て、成田エキスプレスの車窓から眺める光景を見てまず感じるのは、そういう感覚です。
普段の生活の中で、本物に見せかけた偽物の中で生活していれば、それがあたかも本物であるような感覚に陥り、本物を見極める目は養われません。
日本には日本にで培われてきた芸術文化があるのですから、妙に中途半端に見かけだけの西洋化を進めるのも考えものだと思います。
神奈川県戦没者慰霊堂での月例追悼式が行われ、南・港南区仏教会、天理教合同で法要を営んで参りました。
戦没者慰霊堂はどのような施設かご存知ない方も多いと思いますので、その概要をご紹介いたします。
神奈川県戦没者慰霊堂
神奈川県戦没者慰霊堂は、昭和27年の対日講和条約の発効を機に、明治以降の戦争における戦没者、戦災死者を追悼するとともに、県民の平和愛好の象徴として建設され、戦没者及び戦災死者 5万8千余名の名簿が納められ、遺族の心のよりどころとなっています。
慰霊堂は、緑に囲まれた見晴らしのよい台地にあり、桜の名所ともなっています。
また近くには、 「かながわ平和祈念館」があり、皆様にくつろいでいただくための休憩コーナーや戦没者の遺品展示ホール、ライブラリーなどがあります。
毎年5月10日には、神奈川県主催の 神奈川県戦没者追悼式 が行われているほか、関係団体の追悼行事が行われています。
このように、毎年5月には大きな追悼行事が営まれるのですが、その他、1月を除く毎月、各宗教宗派が担当で、慰霊祭を行っています。
今回は第550回目の月例祭でした。
2007年は、終戦から62年を数えますが、その550回という回数が、戦後長い年月経過していることを物語っています。
戦後とは、第二次世界大戦(太平洋戦争)以降の時期をいいます。
敗戦により、日本は明治維新以来の大変革のときを迎えました。
戦後は、一度焼野原になった日本が国際社会に復帰するまでの期間と定義されます。
その後、日本は高度経済成長を経て、世界第2位の経済大国となりました。
神奈川県の慰霊堂の特色は、
一般戦争の犠牲者を戦没者、戦災死者含めて祀られていること
一宗一派に偏せず、神道、仏教、キリスト教による合同祭儀が行われていること
この神奈川方式の慰霊祭儀の行い方は、とてもすっきりしたスタイルであると考えています。
対して、(全国的な統計を取ってみたことはないのですが)全国各地で行われている戦没者慰霊行事は、各地の護国神社で神道式で行われていることが多いのではないでしょうか。
みなさまの県では、都道府県主催の戦没者慰霊祭はどのように行われていますか?
今回の6月の慰霊祭には約100名の遺族関係者の方が参列されました。
時代を経るごとに、配偶者から、子どもへ、参列者の構成は変わってきています。
また、その人数も、戦後まもなくはバス何台も連ねて、何千人もあったそうです。
遺族会参列のかたがたは段々と少なくなっていくことでしょう。
しかしながら、この戦没者慰霊堂の役割は、永遠に続いていくものでありますし、慰霊祭の意義を失うことなくそれを受けついていくことが宗教者である私たちの役割であると考えています。
陣内サプライズ弾き語りに紀香は涙
30日に兵庫県神戸市のホテルオークラで盛大に開かれた、女優・藤原紀香(35)とお笑いタレント・陣内智則(33)の結婚披露宴は、サプライズ企画の連続だった。会場では、郷ひろみ(51)が名曲「お嫁サンバ」を歌い、キャメロン・ディアス(34)がコメントを寄せ、東国原英夫知事(49)が爆笑の夫婦円満?アドバイスを送った。新郎・陣内はコブクロの「永遠にともに」をピアノの弾き語りで披露。紀香にも内証で、この日のために3カ月間ピアノの弾き語りを続けていたという。けなげな年下のだんなの姿に、紀香が思わず大粒の涙をこぼした。
紀香を「陣内は、サプライズでコブクロの「永遠にともに」を披露した。緊張して歌う陣内の姿に、一緒に口ずさむ紀香も涙、涙…。紀香は「深い愛情を感じました。でも普段は音痴なんです」と正直な感想を漏らしていた。
格差夫婦なんていわれたり(いつもニュースになる時は、藤原紀香の名前が先に書かれるんですよね)していますけど、本当に自然体で素敵なカップルだと思います。
披露宴での陣内智則は本当に素敵でした。
コブクロの「永遠にともに」の選曲も素晴らしいけれど、「打ち合わせだから」とごまかしながら、3カ月間ピアノの秘密特訓をしたというエピソードが泣かせます。
共に歩き
共に探し
共に笑い
共に誓い
共に感じ
共に選び
共に泣き
共に背負い
共に抱き
共に迷い
共に築き
共に願い・・・・・・・いつの日も どんなときも‥
この名曲、「永遠にともに」は、 ⇒ここから ビデオクリップが視聴できます。
披露宴でのその場面を見て、貞昌院で行われている仏前結婚式でのナレーション
幾重にも幾重にもつながる存在の、その連なりの中で、お二人は出会われました。
<中略>
生きるということは、私たちにとって最も基本的な願いです。しかし、全てが移り行くこの世のなかでは、その願いのことごとくが裏切られます。老い、病、そして死。それは「人間の悲しい重荷」ということができるかもしれません。
しかし、人は悲しみを分かち合うことで、慈しみを持つことができます。そして、慈しみを、相手に求めるだけではなく、お互いに与え合うことができるのです。
人は慈しみを与えることで、「悲しい重荷」を共に背負うことができるのです。
出会い、分かち合い、与え合う。そのような人のことを仏教では「よき友」と呼びます。
お釈迦さまは「よき友と出会うことは、人生の初めでも、半ばでもない。それは人生のすべてである。」と教えてくださいました。
お釈迦さまの前で結婚式を挙げるということは、夫婦となるというだけではなく、同じ人生を歩む、何ものにも代えがたいよき友を得ることでもあるのです。
を重ね合わせていました。
コブクロの「永遠にともに」・・・本当にいい曲ですね。
人生のよき友を得られたお二人に、心より祝福の意を表します。
日没直後、西空に水星と金星=6月1日から観測呼び掛け?国立天文台太陽に最も近い惑星の水星と2番目に近い金星が2002年5月以来、5年ぶりに日没直後の西の空で同時に見られるようになる。金星は「宵の明星」として見えることが多いが、水星は見えるチャンスが少ない。両惑星は軌道が地球より内側にあるため「内惑星」と呼ばれ、国立天文台は6月1日夜から10日夜まで、「内惑星ウイーク」として観測を呼び掛ける。
水星と金星を肉眼や望遠鏡、双眼鏡で観測してもらい、結果と観測日時、場所などをインターネットで報告してもらう。この時期には土星も近くに見えるほか、夜が更けると反対側の東の空に木星、火星、天王星、海王星も出現する。
昨年8月の国際天文学連合(IAU)総会で、冥王星が惑星ではなく、準惑星と位置付けられたため、家庭用の口径が小さい望遠鏡でも全惑星を観測できるようになったという。 (時事通信)
そうなんですよね。
今日、家族で出かけておりましたが、帰宅途中に、日没直後の西の空を見ると、明るい惑星(水星・金星・土星)が並んで見えておりました。
太陽系の惑星のうち、地球より内側を回っている(内惑星といいます)のは水星、金星の2つですが、このうち、水星は一番内側を回っているため、観測できる機会は限られてしまいます。
しかし、ここ数日、図のように、地球から見て太陽から離れた位置にあるために、見やすい環境になっている訳です。
内惑星の一番の観測の好機は、西方最大離角(夜明け前の東空)または東方最大離角(夕方の西空)となりますが、水星については、6月2日に東方最大離角となります。
ということで、6月2日の太陽系の様子をシミュレートしてみました。
このように、地球から水星を見ると、軌道の外周上に水星が位置しています。
「東方最大離角」の意味合いがよくわかるのではないかと思います。
さて、5月28日?6月2日までの5日間、日没直後に見える惑星の動きもシミュレートしてみました。
↑これは、自動モードで天体の動きを選択し、時間間隔を1日とし、5月28日から6月10日までの太陽と惑星の動きを、赤道座標モードで表示したものです。
黄色い線が黄道で、太陽の通り道です。
(いわゆる、星座占いの星座たちはこの黄道近辺の星座たちです。蛇足ですが)
日没直後の水星の高度は約20度となり、まさに観測の好機であります。
月も離れた位置にあります。
そして、何より金星も東方最大離角に近い位置にあり、このように内惑星が同時に観測の好機を迎えるのは、五年ぶりのこととなります。
また、金星のさらに左上には土星も見え、夕方の西の空は明るい星で賑やかになっています。
観測の好機は、向こう一週間です。
たまには、ゆっくりと星空を眺めてみては如何でしょうか。
※双眼鏡さえあれば、内惑星の欠けた状態とか、土星の輪も見ることができるでしょう。
■関連サイト
「内惑星ウィーク」キャンペーン国立天文台
このソフトは、4,800円(税込5,040円、3ヶ月無料使用可) のシェアウエアですが、10年以上愛用させていただいている、お薦めのソフトです。
画面が綺麗なことと、多機能なこと、様々な応用の使い方ができますので飽きません。
この機会にご紹介させていただきます。
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横浜市営地下鉄・上大岡駅の港南中央寄り改札を出たところに、「夢と希望」と題された、たくさんの手形があります。
横浜市営地下鉄は、1972年(昭和47年)に、上大岡‐伊勢佐木長者町間が開業し、上大岡駅は35年の歴史を誇るわけですが、 1995年(平成7年)に上大岡駅再開発の先駆けとして、地下鉄上大岡駅の改良工事が行われました。
その際、駅改良工事完成を記念して、1995年(平成7年)1月1日から6月30日までの間に誕生した港南区の赤ちゃんのうち、希望者が招待され、289人の手形で、上大岡駅の改良工事完成を記念して作成したのが、この手形なのです。
長女も、この年に誕生しましたので、記念にと、手形を残して来ました。
1995年(平成7年)は、第二次世界大戦終戦から丁度50年の節目の年でもあります。
地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災など大きな出来事が多発した年でもあり、印象深い年ですね。
あれから12年が経過しました。
かわいらしい手形を残した赤ちゃんたちは、今はもう小学生から中学生へ。
これから大人になるまで、夢と希望を持ちづつけられる世の中にしてあげたいものです。
騒然!浅草・三社祭、担ぎ手次々と禁止の“神輿乗り”江戸三大祭りの一つ、東京・浅草の三社祭が20日、最終日を迎え、クライマックスの「本社神輿渡御(ほんじゃみこしとぎょ)」が行われた。
しかし、浅草神社との取り決めを無視して担ぎ手が次々に神輿の上に飛び乗り、警視庁浅草署は同日、担ぎ手の男1人を都迷惑防止条例違反で現行犯逮捕した。今回、浅草神社は担ぎ手側に「神輿に乗って騒ぐのは神様を冒涜(ぼうとく)する行為」として、“神輿乗り”の禁止を通告。担ぎ手が所属する同好会と呼ばれる各組織も了承していた。
ところが、午前7時過ぎ、本社神輿が境内から浅草寺境内に出てくると、法被姿の男衆が次々に飛び乗り、会場は「乗ったぞ、乗ったぞ」などの叫び声とともに騒然となった。マイクを手に儀式を仕切っていた宮頭(みやがしら)と呼ばれる役職の男性が「引きずり下ろせ」とどなったが、男衆らは見物客に向かってバンザイしたり、扇子を振り回したりして騒ぎをやめなかった。 (読売新聞)
神輿神輿、御輿(みこし、しんよ)は、日本の神社の祭の際に、神霊が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿である。輿であるから通常は担ぎ上げて移動するものを指して言うが、それを台車に乗せて曳くものなど、別形態のものを指すこともある。
「御輿」は輿に御を付けたものであるが、通常はさらに御をつけておみこしと呼ばれる。神が乗る輿であるので「神輿」とも書かれる。
Wikiペディア
たとえ、お祭りが非常の盛り上がり、その興奮が高まったとしても、神聖なる御神輿に人が乗るという発想はまったく理解できません。
地元、上永谷でも秋祭りに御神輿が町内を練り歩きます。
祭典の前には、神様を御神輿にお迎えし、御払いの後、参加者全員二礼二拍手一礼した上で御神輿は出発します。
最近は、お祭りは単なるイベントに成り下がってしまい、儀礼の持つ意味合いが軽視されがちな傾向にあるということがとても残念に思います。
浅草神社との取り決めを無視しての行動なのですから、一度、三社祭宮出しの実施を中止することも止むを得ないのかもしれません。
御寺院様の法要に随喜(御手伝い)させていただく機会があると、その際に、引物(返礼のお品)をいただきます。
一般社会でも結婚式や葬儀など慶弔行事に返礼品をお渡しする訳ですが、寺院同士の引物は、仏具とか、御香、奉書、書道用品など、普段お寺で使用する物が多いのが特長です。
最近は、、決まりきったものではなく、実用的な物をそれぞれの御寺院様で工夫されているということを感じさせる引物が目立つようになりました。
本日は、教区の御寺院で、若くして御遷化された御住職様の大練忌(四十九日)法要が厳修されたのですが、その際にいただいた引物がこちらです。
これは何かというと、パソコンなどに用いるUSBメモリなのです。
個人的には、こういう引物は実に嬉しいです。
思い返せば、数十年も前、ある御寺院様の引物は、ファクシミリでした。
まだ、ファクシミリが殆んど普及していない時代の話です。
これは、本当に画期的でした。
ファクシミリは、一台だけあっても実用になりません。
ですから、一気に教区・近隣寺院にファクシミリが導入されたことにより、利便性がどれだけ高まったのかについては言うまでもありません。
そのような、型にはまらない考えで選ばれる実用的なものというのは本当にありがたいものです。
末筆になりましたが、今日法要が営まれた御住職さまはとても気さくな御住職様で、普段からお世話になっていただけに想い出もたくさんありました。
謹んで真位を増崇し奉ります。
法事の際に施主さまより、お供物として盛籠をあげていただくことがあります。
盛籠とはどういうものかというと、このようなものです。
最近、特に気づく事があります。
それは、数年前は果物の中にグレープフルーツやオレンジが相当の割合盛られていたのですが、最近は顕著にその割合が減っているということです。
その理由として考えられることは、環境に優しいとされ、積極的に導入が進んでいる「バイオ燃料」です。
バイオ燃料は、以前、このブログ バイオ燃料の功罪 でも紹介いたしましたが、トウモロコシ・サトウキビなどを原料として製造する燃料です。
近年の原油価格の高騰や、二酸化炭素排出量の削減を目的として、バイオ燃料などの代替エネルギーが製造されるようになりました。
ブッシュ大統領はガソリンの年間消費量を10年間で2割削減する目標を掲げており、日本においても、今年春からガソリンスタンド、バイオ燃料入りのガソリンが販売されています。
アメリカに限らず、バイオ燃料の需要は拡大する一方で、その影響でトウモロコシ・サトウキビの価格が高騰しているのです。
高騰しているのは、バイオ燃料の原料ばかりではありません。
バイオ燃料の導入が盛んなブラジルやアメリカは、オレンジの産地でもあります。
特にブラジルではバイオ燃料製造のため、オレンジからサトウキビへの転作が進み、極端なオレンジ不足をもたらしています。
それに加え、アメリカを襲った寒波などによる作物の不作や、中国などでの穀物・果物の需要増加が重なり、オレンジの価格までもが高騰するという構図です。
乳業大手、果汁飲料1割値上げへ・原料高騰で
乳業大手が果汁飲料を5月以降に値上げする方針を固めた。値上げ幅は希望小売価格ベースで1割前後の見通し。原料果汁の価格が高騰し、製品価格への転嫁が避けられないと判断した。果汁飲料が値上げされれば、牛肉・オレンジ輸入が自由化された1991年以降初めてとなる。
キリンビールグループの小岩井乳業は数量で首位ブランドの「トロピカーナ」で、1リットル紙容器の「ホームメイドスタイル」(現在は税抜き希望小売価格260円)を40円程度、高品質の「ピュアプレミアム」(同380円)を70円程度の値上げする。
お供物としての盛籠一つを着目するだけでも、マクロ経済の変化を見て取ることが出来るのですね。
(大げさですけれど)
改めて
■バイオ燃料生産のために、熱帯雨林などの森林開発を行うのは本末転倒。
■既にある農地を転用して、バイオ燃料の原料となる植物を植えるべきではない。
■バイオ燃料の原料として、人間や家畜などの食料となりうる部分を用いるのは、たとえコストが低くても行うべきではない。
の三点を主張します。
今日の記事は台湾における仏教の展開についてご紹介します。
朝日新聞5月4日に関連の記事が出ておりましたので、その記事をデータの出典として書いていきます。
まずは、写真から。
毎年、大船観音で、ゆめ観音アジアフェスティバルを開催(今年は9月8日開催予定) していますが、この写真は、2001年にお越しいただいた台湾仏光山寺東京別院の僧侶の方々です。
法要儀式としては、
(1)観音様礼讚(観音樣の姿をまねて、観音の慈悲をほめたたえる)
(2)崗物語(豊作への祈り)
の2つを厳修していただきました。
ご覧のように尼僧さんを中心に華やかな衣装が印象的ですね。
法要も歌に乗せて行うため、合唱のようです。
台北市の龍山寺台湾における宗教は、特に仏教・道教・儒教の三大宗教が漢民族の間で盛んであり、人々は今日でも宗教と深くむすびついている。仏教は仏光山と慈済と法鼓山と中台禅寺の4宗派が優勢であり、道教系は疫病の神・王爺や海の女神・媽祖に対する信仰が多い。また、儒教の創始者である孔子も「学問の神」として崇められており、台湾各地に孔子を祭る孔子廟が設置されている。ただし、仏教・道教・儒教の区分は大変あいまいで、相互に強く影響を受け合っていることから、各地にある廟では各宗教の神々が合祀されていることが珍しくない。そのために、漢民族の宗教生活は各宗教が混合されており、人々はそれぞれの状況に応じて参拝する神々を変えている。なお、台湾にも少数ながらキリスト教やイスラーム教の信者も存在している他、原住民の間では今なお伝統的なアニミズム信仰が行なわれている。
宗教も文化と同様に、中華人民共和国では廃れてしまった宗教儀式が今なお数多く残存している。特に道教系の祭礼は大掛かりなものが多く、旧暦の3月23日に行なわれる媽祖の誕生祭(媽祖誕辰)や、1週間に渡って街を練り歩き、数千万円相当の木造船を焼却する5月10日の王船祭(焼王船、王爺を鎮める祭り)、旧暦7月15日の中元節や旧暦10月22日の青山王の誕生祭(青山王誕辰)などが毎年華やかに催される。また、占いや祈祷を行う「?姨」(アンイー、巫女)や「童乩」(タンキー、シャーマンの一種)も健在であり、媽祖の誕生祭を始めとする各種宗教儀礼に参加している。
葬儀や婚礼も大掛かりであり、特に葬儀のパレードは楽隊まで繰出して華やかである。
台湾の人口は約2300万、そのうち約1000万人が仏教信者と言われています。
仏教信者の数は、20年で倍増しました。
その要因としては
「中国の台頭などで先行き不安感も出ていおり、心の安寧を求める」
「社会構造の変化や高齢化」
などがあるといいます。
さて、台湾仏教のもう一つの特徴は、冒頭の写真に見られるように尼僧の割合が極端に多いことです。
仏教の主要な四団体は
仏光山
慈済会
法鼓山
中台禅寺
ですが、台湾全体では、「出家衆(比丘+比丘尼)」は約 20,000人、その約75%が比丘尼(尼僧)。
(出典:中国仏教協会 1995年では約66%)
例えば仏光山では、僧侶 1,800人のうち、実に8割が比丘尼(尼僧)です。
ここ7年間で327人の女性が出家しているということで、その増加傾向は顕著です。
そして、高学歴化が非常に目立ちます。
大卒188人、修士 53人、博士 4人・・・・・
つまり、台湾仏教は高学歴の若い尼僧たちによって支えられている訳です。
台湾の主な仏教僧侶教育機関は、福厳仏学院(主に比丘が集まる)と、円光仏学院(主に比丘尼が集まる)があり、入学には出家者か独身の在家であることが求められます。
入学資格は厳しいですが、その代わり、学費はすべて信者からの篤志により賄われるため、費用はかかりません。
また、日本の仏教系の教育機関と異なり、一般教養を含まないため、卒業しても高卒・大卒の資格が与えられないことが特長です。
台湾では、一般の大学が仏教学を主体とた学部(例えば駒澤大学の仏教学部のように)を持つことが認可されません。
その根底には中華民国・教育基本法による宗教学部の禁止という原則があります。
けれども、そのために、結果として既に学問を一通り終えてから、出家して仏学院に入学して仏教を学ぶという方も多いということです。
また、仏教団体・仏教者側は、社会活動を積極化しており、例えば花蓮県の慈済会のもつ病院では、貧しい人を救済し、テレビなどのメディアを使い積極的に法要・法話を放送しています。
台湾の仏教系の主なテレビ局は(法界衛星・慈済・仏教衛星・仏光山)があります。
医療、社会、福祉、教育活動に積極的に力を入れるのが台湾仏教の特長の一つともいえます。
その背景には、「(一般企業においても、一般家庭においても)利益を得た場合には、恵まれない人に還元する」という、台湾古来の考えが背景にあります。
中国における仏教の広がり方、その特長を見ていくと、仏教の展開についての一つの方向性が見えてくると思います。
国・地域によって仏教がかようにも異なって展開していくのかという好事例です。
日本においては、文化庁の纏めによると、僧侶の数の総合計約 220,000人となっておりますが、このうち比丘尼はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
某宗派の発行する新聞に、とある尼僧さんのことばが紹介されていました。
比丘・比丘尼の役割として、考えさせられることばです。
併せてご紹介します。
「女性僧侶の数は決して減っていないのですが、頭を剃り、結婚をせず、精進の生活を保つ『尼僧』が減っておりましてね。尼僧の寺の後継者不足は、いまとても深刻な問題です」「仏教は今、世界的に注目されている宗教です。その担い手として尼僧は重要な役割を持つものです。男性僧侶のほとんどは、すでに在家の方と同じ生活となってしまった。そのなかで、尼僧の生き方は非常に大切な姿であると思うのです。」
男性僧侶が在家と同じ生活となってしまったから、尼僧が重要な役割を果たす・・というのは少しさみしい考え方ではありますが・・・・
むしろ、私は比丘・比丘尼それぞれがそれぞれの役割をお互いに果たして行くことで、日本の仏教は展開していくべきであろうと考えています。
参考文献
現代台湾仏教における師弟の育成について(蓑輪顕量・愛知学院大学・人間文化18号)
台湾仏教担う尼僧(朝日新聞2007年5月4日朝刊記事)
境内の新緑も日増しに色濃くなっています。
今朝の坐禅会では、裏山で盛んに鳴くうぐいすの声に包まれて坐りました。
この時期の坐禅は、特に大自然を観じながらゆったり行じることができます。
ほんとうに贅沢な時間です。
※貞昌院では、毎週木曜日早朝に坐禅会を行っています。
※どなたでも参加歓迎です。参加希望の方は こちらの予定表をご覧になり、お越しください。
さて、昨日は、「生きる力」の編集会議がありました。
「生きる力」というのは、教区(貞昌院の近隣の寺院21か寺によるグループ)で、毎年夏に発行している檀信徒向けの刊行物です。発行部数1万部を超えています。
今年で実に30年目を迎えました。
つまり、第30号となります。
手元にある冊子を並べてみました。
表紙の図柄は、
1?5号は蓮
6?10号は鎌倉の大仏
11?15号は再び蓮
16?20号は達磨
21?25号は大船観音
26?30号は羅漢
それぞれの図柄で、表紙の色を、「地水火風空」の五行に基づく「五如来幡」の 青・黄・赤・白・黒 の順でと毎年変えています。
30年前といえば、私がまだ小学校高学年でした。
市営地下鉄が上永谷まで開通した翌年であり、この上永谷の街も劇的に変わりました。
見渡す限り田んぼ、畑だった谷戸の光景は丸山台の開発により住宅街になっています。
そのような中、「生きる力」は、変わらずに毎年コンスタントに発行されてきました。
記念すべき30号では、「生きる力」の歴史を振り返る特集となっており、発刊当初の諸先輩御老師方の思い、編集の苦労なども熱く語られています。
私も編集に携わって約10年になりますが、諸先輩御老師の意思を引継いでいけたらとの思いを新たにしています。
あと1ヶ月ほどで「生きる力」30号が発行され、貞昌院檀信徒の皆様には、7月26日の大施餓鬼会(おせがき)の時に配布させていだく予定です。
どうぞお楽しみに。
特別展 『金沢文庫の仏像』
特別公開 運慶作 大威徳明王坐像
に行って来ました。
48年ぶり「運慶の技」 金沢文庫の大威徳明王坐像神奈川県立金沢文庫(横浜市金沢区)は20日、称名寺子院光明院(同)で平成10年12月に発見された大威徳明王坐像(だいいとくみょうおうざぞう)が、鎌倉時代を代表する仏師、運慶の作品であることが分かったと発表した。運慶の真作の発見は48年ぶりで6件目。
坐像は発見後、像内に納入品があることが分かり、解体修理時に納入品を摘出。納入品は来歴を示す文書で、鎌倉幕府の源頼家、実朝両将軍の養育係が運慶に作らせたとの記述があった。運慶研究の第一人者、水野敬三郎・東京芸大名誉教授などを招き今月開かれた学術指導会で運慶の作との見解に達した。
作品は現状で高さ21・1センチ。当初は六手・六足で水牛に乗る姿だったが、手足はほとんど失われ、水牛座もなくなっている。上品で端正な面貌(めんぼう)や太造りで引き締まった胴体に運慶の作風がよく表れているという。鎌倉時代の仏師・運慶の真作と48年ぶりに確認された大威徳明王(だいいとくみょうおう)座像が18日、神奈川県立金沢文庫(横浜市金沢区)で専門家らに初公開された。19日からの特別展で一般公開される。
座像は称名寺光明院の所蔵。これまで運慶の真作と確定した仏像は、国宝の奈良・東大寺南大門の金剛力士立像など5件のみ。このうち、1212年に造られた奈良・興福寺北円堂の弥勒(みろく)仏座像などが最晩年のものとされていた。
今回の座像は、納入文書に鎌倉時代初期の1216年に造られたと書かれており、運慶最晩年作の記録を塗り替えた。一般公開は、6月10日まで。
これはかなり大きなニュースになりました。
なぜなら、運慶作といわれる像はたくさんありますが、それを信頼できる文書などで真作であると確認されているものは、僅かしかないからです。
それをWikiペディアなどの資料+新しい報道などを基に年代別に並べると
(1)奈良・円成寺 大日如来坐像(国宝) - 安元2年(1176年)
(2)奈良・興福寺 仏頭(国重文) - 文治2年(1186)
(3)静岡・願成就院 阿弥陀如来坐像、不動明王及び二童子立像、毘沙門天立像(重要文化財) - 文治2年(1186)
(4)神奈川・浄楽寺 阿弥陀三尊像、不動明王立像、毘沙門天立像(重要文化財) - 文治5年(1189年)
(5)奈良・東大寺南大門 金剛力士立像(国宝) - 建仁3年(1203年)。運慶が中心となり、快慶、定覚、湛慶ら一門の仏師を率いて制作。
(6)奈良・興福寺北円堂 弥勒仏坐像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと源慶らが制作。
(7)奈良・興福寺北円堂 無著菩薩・世親菩薩立像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと運助、運賀らが制作。
そして、今回発見された最晩年の作品
(8)神奈川・称名寺 の大威徳明王像 - 建保4年(1216年)
となります。
大威徳明王坐像の内部から見つかった納入文書によって、運慶作であることが確認できたのです。
称名寺光明院所蔵の大威徳明王坐像は、江戸時代には弘法大師作とされ、画家狩野探幽もスケッチしたことが知られる霊宝でした。本像は平成10年に再発見され、慎重な調査を経て、昨年度に解体修理したところ納入文書が発見されました。そして、その文書には本像が建保4年(1216)11月に、源頼家・実朝の養育係で源氏一門でも重きをなした甲斐源氏加賀美氏出身の「大弐殿」が、「法印運慶」に作らせたものであるという、驚くべき内容が書かれていました。本展覧会は、この新発見の運慶作・大威徳明王坐像と像内納入品を初公開いたします。
また、称名寺は鎌倉時代中期の創建以来、阿弥陀堂、金堂、講堂など数多くの堂宇が建立され、そこには鎌倉時代の中・後期を中心とする仏像が多数祀られました。この称名寺の仏像群を保管する金沢文庫は、中世彫刻の宝庫とも言えます。
(金沢文庫のサイトより)
運慶作の仏像から仏舎利を発見(金沢文庫のサイト)
大威徳明王坐像の内部から見つかった文書(神奈川県提供)についての詳細
金沢文庫駅から金沢文庫へは名刹・称名寺を通って行くことができます。
称名寺は、金沢北条氏の菩提寺であり、北条実時が母の供養のために建立した寺院です。
庭園が実に美しいですね。
浄土思想に基づき設計された庭は、浄土曼荼羅を具現化したものとされています。
訪れた日は曇天のためか、たくさんのツバメが低い位置を飛び交っていました。
時間の流れがゆったりしているようです。
境内奥のトンネルを抜けると、その先が金沢文庫です。
やはり北条実時によりが創設され、収集された膨大な蔵書が保存されています。
北条氏滅亡後は称名寺により管理され、書物ばかりでなく、仏像などの宝物も収蔵されていますが、今回の特別展・金沢文庫の仏像でも、その中の仏像が十数点展示されています。
最近は、上野で開催されていた 仏像・一木にこめられた祈り特別展のなどのように、仏像を美術館や博物館で展示されるということが多くなっているような気がします。
そういう展示の場面で常々感じる違和感は、その仏像に対して手を合わせる方が殆んどいないということです。
せっかく有難い仏様に向き合っているのにです。
仏像は、手を合わせられる対象、信仰の対象であるがゆえに仏像なのであって、決して単なる芸術作品ではないと思います。
そのあたりが、私の感じた違和感の理由だったのかもしれません。
金沢文庫では称名寺に隣接していることもあるからでしょうか、手を合わせる方が多数いらっしゃいました。
大威徳明王座像は、小さいながらも、迫力ある仏像として輝きを増しているように感じました。
連休中には、是非、神奈川県立金沢文庫へ足を運ばれます事をおすすめいたします。
特別展
金沢文庫の仏像
特別公開 運慶作 大威徳明王坐像
平成19年4月19日(木)?6月10日(日)の詳細はこちらです。
神奈川県立金沢文庫へは京浜急行「金沢文庫」駅下車、徒歩12分です。
貞昌院の客間は下の図面のようになっています。
茶室・如是庵が出来る前は、茶室としても使われており、炉も(上図?の位置に)切ってありますし、水屋もあります。
現在も時々茶室として利用しております。
お客様が御越しになった際は、この部屋でお休みいただくことも多いのですが、客人と接する場合、貞昌院では?の席にお客様にお座りいただき、お迎えする貞昌院側は、?の席に着いておりました。
先日、とある方から、それはおかしいのではないか、客人を出入り口側に座らせるのは失礼だとの指摘を受けました。
このブログをご覧の方にご意見をいただければと思うのですが、この場合の上座、下座はどちらでしょうか。
お客様はどちらにお座りいただくのが失礼の無い位置でしょうか。
今の状態を写真でご紹介すると・・・・・・
ポイントは
(1)出入り口の位置:ただし、客人がいらしている間は客人の後の出入り口は使わず、?の写真に見える右側の出入り口を利用します。
(2)水屋と渡り廊下の位置
(3)座席からの眺め
(4)違い棚の位置
(5)方位:床の間が西、客人側が北
の中で、どれを優先すべきかということになると思います。
今までは、窓からの眺望を優先していたのですが、どれが重要なのか、それによって意図していなくても相手に不快感を与えてしまう可能性がありますので難しいところですね。
そのような指摘をくださり、考えるきっかけをくださったことに心より感謝します。
激甚災害20日決定へ=能登地震、異例の速さ?溝手防災相表明溝手顕正防災担当相は17日の閣議後の記者会見で、能登半島地震の被災地復興に向けた激甚災害の指定について「20日に閣議決定するつもりでやっている」と表明した。3月25日の発生から26日間での指定で、最近では阪神大震災の7日間に次ぐ速さとなる。
激甚災害の指定には通常2カ月程度かかるが、能登半島地震では2004年の新潟県中越地震と同様、国の関係省庁からも職員を派遣し、被害状況の把握に努めたことで異例の早期指定が実現することになった。
【関連記事】
能登地方で震度6強の地震が発生
能登半島地震・追記
能登地方に甚大な被害をもたらした能登半島地震ですが、先日大本山總持寺授戒会第一日目の記事で記載した災害義援金募金箱と總持寺祖院の被害状況の写真(どちらも大本山總持寺総受付売店前に設置)をご紹介します。
能登半島地震による被災地への公的な義援金の受付は下記のとおりです。
石川県災害対策本部
能登半島地震輪島市義援金
志賀町災害対策本部
穴水町災害対策本部
日本赤十字社 石川県支部
社会福祉法人石川県共同募金会
上記機関への郵便振替による災害義援金の送金先及び取扱期間は下記をご覧下さい。
また、横浜市鶴見区の大本山總持寺にお越しの際は、冒頭写真の義援金箱に是非お気持ちをお入れくだされば幸甚に存じます。
能登地方の一日も早い災害復興を願います。
能登半島地震:行政や観光団体、風評被害一掃へ全力 /石川
◇「ようこそ能登」実行委設立
能登半島地震による石川県内の観光への風評被害一掃へ、行政機関や経済・観光団体などで組織する「『ようこそ能登』観光キャンペーン実行委員会」(委員長、山口裕啓・県観光交流局長)の設立総会が17日、穴水町で開かれた。委員会では6月までを払拭(ふっしょく)重点期間として、新聞やテレビなどを通じ、全国に「元気な能登」の発信を目指す。
設立総会には県関係者をはじめ、地震で被害に遭った輪島市や穴水町、七尾市など8市町と、各市町の観光協会、商工会議所関係者など約45人が出席。
今年度の事業計画では、キャッチコピーを「元気宣言、能登」に決めた。払拭重点期間中には、県内を舞台にした映画で、昨年上映された「釣りバカ日誌17」に出演した俳優の三國連太郎さんと西田敏行さんを起用し、新聞広告やラジオCMに登場してもらい、能登観光を全国にPRする。
キャンペーン事業として、今月下旬から5月下旬まで東京や大阪、名古屋のJR主要駅などに観光ポスターを掲示▽5月下旬から6月上旬に三大都市圏や主要都市で、観光大使や旅館の女将さんなどによる街頭キャンペーンと旅行代理店への訪問▽今月下旬から6月末まで、能登有料道路、田鶴浜有料道路を利用し、能登地域で1泊以上宿泊する大型観光バスについて、片道分の通行料を助成する――などを計画している。
副委員長の小田禎彦・能登半島広域観光協会理事長は「風評被害を1日も早く払拭し、元気な能登へ足を運んでもらいたい」と話している。
日本人の心は?桜に関する調査結果発表 ?ウェザーニューズ調べ?ウェザーニューズでは、桜の新しい楽しみ方として、一般の方がカメラ付き携帯電話を使って桜の開花過程を追う「さくらプロジェクト」(現在、参加者2,500名)を展開しています。今回、その一環で、プロジェクト参加者を対象として「桜」に関するアンケートを実施しました。アンケートは、「 桜の好きな姿は? 」「 行って見たい桜の名所は? 」「 思い出に残っている桜は? 」の3問。1043名から得られた結果は、日本人の「桜」への想いを感じさせます。
http://weathernews.com/jp/c/press/2006/060329.html
桜の好きな姿は?
1位 桜吹雪 32%
2位 満開 28%
3位 散り始め 20%
4位 咲き始め 16%
5位 葉桜 2%
6位 つぼみ 1%
アンケート結果にもみられるように、好きな桜の姿は、「桜吹雪」「散り始め」を合わせて実に過半数を占めます。
春風に吹かれて一気に舞い散る桜の姿、その印象が強く残っている結果なのでしょうね。
ところで、桜=桜吹雪という、いかにも日本古来から培われてきたかのように見えるイメージが、実はつい最近に形成されたものであるということは、あまり知られていません。
そもそも、ソメイヨシノ自体が交配されてクローンにより増やされたものですから。
そして、その作られた印象が、戦前にいかにナショナリズムと結合した思想を生み出し、そして、戦後敗戦の復興にどれほど大きな役割を果たしたのか。
日本らしさはどのように作られたのかについて書かれている本をご紹介します。
桜が創った「日本」―ソメイヨシノ起源への旅 佐藤 俊樹 (著)
それでも、やはり、出会いや別れの季節に見る桜吹雪っていうのは、それぞれの心にそれぞれの思い出として刻まれていくのでしょうね。
今は亡き母が最後に見たのが桜吹雪でした、まるで粉雪の様に降りそそぐ花びらに微笑む母の笑顔が忘れられません、、桜吹雪は母の優しい笑顔と逢える!!私の記念日なのです。(40代 女性)
行きつけのスーパーの前の道が桜通りと名付けられています。桜の季節はわざと遠回りしても通りたくなる桜並木なんです。その桜並木の桜吹雪はまるで春の雪のように綺麗です。嫌なことも辛いことも忘れさせてくれる桜の姿が大好きです!(20代 女性)
息子の入学式の時、校庭でフト上みたら青空に薄いピンクの花と花吹雪。7年間必死で桜の花さえ見る余裕が無かったから桜ってナンテ綺麗なんだろう、頑張るんだよ、今までよく頑張ったね。おめでとう、って桜に励まされた気がして涙出そうになった(30代 女性)
高校2年の春、父と桜を見に散歩にでかけた公園の桜、散る花吹雪を見ながら父が言った「大きくなったなぁ。」の一言。日々大切に育ててもらっている愛情が胸に染みて、印象的だった。一年たった今でも忘れない。きっと今年も桜を見に行く。(10代 女性)
ウェザーニューズ社のアンケート回答引用
私も桜に関わる思い出はたくさんあります。
まあ、それは私の心の中にしまっておくとして・・・・私の一番好きな桜の姿としては、夜桜を第一に挙げます。冒頭のアンケートの回答に無いのが不思議です。
以前撮った写真からいくつか・・・
昨年書いた記事で、横浜市における葬列・野辺送りをご紹介いたしました。
死者を地域の住民(講中)により、ねんごろに弔うという、この良き習慣なのですが、最近はこのような葬列を組むということは殆んどなくなってしまいました。
昨日、行田の長光寺様へ伺わせていただいた際に、境内に立派な霊棺が置かれているのを見かけました。
立派な霊棺ということに感心したのと同時に、死者を丁重に弔い、縁のある方々により見送るという習慣が失われつつあるという状況に、大いに考えさせられました。
■葬列の順列はこのような感じです
堤燈-前厨子-施主花-供物-香炉-洒水-回向料・祠堂料-導師-位牌-遺影-お膳-遺物-杖-七本塔婆-霊棺-天蓋-後厨子-親戚
冒頭の横浜の事例と比較してみてください。
25日9時56分 に発生した能登半島地震は、阪神大震災に匹敵する強い揺れを観測し、輪島市門前町を中心に局地的ながらも大きな被害をもたらしました。
能登半島地震により被災された方には改めて心より御見舞い申し上げます。
客観的かつ総合的な被害状況については、下記サイトにまとめられています。
国土交通省防災情報
石川県消防防災WEB
注)ガルは加速度の単位です。その単位は、cm/sec2 で表わされます。
なお、地表における重力加速度は約980ガルです。
それは
(1)人口密度が輪島市では100人/km2で、神戸市の約30分の1だった。
(2)地震発生が火を使う時間からずれていた為、火災が発生しなかった。
(3)「高齢者マップ」など過疎特有の地域コミュニティーが発達しており迅速に声かけなどを行った。
(4)高齢化は進んでいるものの、元気な方が多かった。
(5)休日で留守が多く、明るい時間だったため非難が迅速に出来た。
(6)暖冬のため降雪が無く、屋根の重みによる建物の倒壊が少なかった。
(7)建物が、木造ながらも降雪に耐える比較的丈夫な構造だった。
【参考】
「死者1人」は奇跡に近い=発生時間や少ない雪など要因?能登地震
<能登半島地震>被害が比較的拡大しなかった要因は…
などの不幸中の幸いともいえる幸運が重なったことが、被害の拡大を防いだといってよいでしょう。
また、電気・電話などのライフラインも順調に回復しており(水道はやはり多少遅れてしまうのが残念ですが)、27日には「市災害対策ボランティア現地本部」が門前町の市立門前東小学校内に開設されるなど、災害普及へ向けての一歩をスムースに踏み出す事が出来つつあることは、喜ばしいことです。
もう一つ、注目すべきは、以前の記事 地震直前の心構え でご紹介した、気象庁の「緊急地震速報」がきちんと機能したということです。
震源にごく近い羽咋市では実際に揺れが伝わる3.6秒前と、直前の情報になってしまっていますが、それでも、数秒前に、「震源の深さ10キロ、M7.0、石川県能登で推定震度5弱以上の地震」という速報が出されてています。
震源から離れるにつれ、能登町(震度6弱)で約5秒前、珠洲市(震度5強)で約7秒前、富山市(震度5弱)で約12秒前の時間があり、少なくともガスの供給線を事前に止めるなど、被害を最小限に抑えるなんらかの手段を講じることができる有効なシステムであることがいえそうです。
能登半島地震による被災地への公的な義援金の受付は下記のとおりです。
一日も早い復旧が望まれるところです。
石川県災害対策本部
能登半島地震輪島市義援金
志賀町災害対策本部
穴水町災害対策本部
日本赤十字社 石川県支部
社会福祉法人石川県共同募金会
など、郵便振替による災害義援金の受付も始まっています。
送金先及び取扱期間は下記をご覧下さい。
能登半島地震は、地震調査委員会の作成した「全国を概観した地震動予測地図」報告書によると、きわめて地震の少ない地域でした。
しかしながら、そういう地域でも、大きな地震が発生してしまうのが実情です。
いくら確率が低いといえども、残念ながら絶対に地震が起こらないということはありません。
Latest Earthquakes in the World - Past 7 days を見てみると、過去7日間に限っても(分布はかたよっているとはいえ)世界中で地震が発生している事がわかります。
ここで、 「全国を概観した地震動予測地図」報告書(平成18年9月25日改訂) 地震調査研究推進本部地震調査委員会
を改めて読んでみましょう。
その評価手法は下記のとおりです。
2.確率論的地震動予測地図の評価モデルの説明
2.1 評価手法
2.1.1 確率論的地震ハザード評価手法
(1) 評価手法の概要
確率論的地震動予測地図を作成するには、まず、各地震に対して、長期評価(地震が発生する確率、形状評価、地震規模評価)や強震動評価(その地震による特定の地点における揺れの強さ)を実施する。次に、全国を格子状に区切り(約1km メッシュ)、各格子内の代表点での地震動の強さの確率を評価(地震ハザード評価)すること等により、確率論的地震動予測地図を作成する。
地震ハザード評価とは、ある地点における地震動の強さとそれを特定の期間内に超える確率の関係(ハザードカーブと呼ばれる)を算定するものである。一般的には、図2.1.1-1 に示すフローにしたがって評価される。大まかな手順は、以下のようになっている。
?対象地点周辺の地震活動を確率モデルで評価する。ここでは震源断層を特定した地震(活断層に発生する地震、海溝型地震)および震源断層を予め特定しにくい地震に分けてモデルを検討している。
?分類したそれぞれの地震について、地震規模の確率、距離の確率、地震の発生確率(あるいは頻度)を評価する。
?地震の規模と距離が与えられた場合の地震動強さを推定する確率モデルを設定する。通常は、距離減衰式とそのばらつきによって評価される。
?確率モデルを設定された個々の地震について、着目期間内にその地震によって地震動の強さがある値を超える確率を評価する。
?これを評価した地震数だけ繰り返し、それらの結果を統合することにより、全ての地震を考慮した場合に地震動の強さが着目期間内に少なくとも1 度、ある値を超える確率を算定する。
確率論的地震動予測地図は、以上の手順によって地点ごとに実施された地震ハザード評価の結果に基づいて、期間、地震動の強さ、確率のうちの2 つを固定し、残りの一つの地域分布を示したものである。
■震源断層を予め特定しにくい地震
震源断層を予め特定しにくい地震とは、陸域で発生する地震のうち活断層が特定されていない場所で発生する地震や、プレート間やプレート内で発生する地震のうち海溝型地震として評価される大地震以外の地震等である。これらの地震は、上記1)と異なり、対象とする地震を複数の規模と距離の組み合わせからなる群として取り扱う必要がある。※下線はkamenoが記載
能登半島については、震源断層を予め特定しにくい地震であり、かつ海底にある断層の調査が充分に進んでいない地域でした。
したがって、長期評価の精度がその分低下していることは認識しておく必要があります。
また、
全国を概観した地震動予測地図に関するFAQQ05.今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を示した地図をどのように捉えればよいですか。
A. 今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が相対的に小さいとしても、0%ではありません。
例えば、30年以内に火事に被災する確率は1.9%、交通事故で死亡する確率は0.2%ですから、これらの数値と比較しても、例えば地震の発生確率3%という数値は決して低くないことが理解できます。また、たとえ地震の発生確率が高くなくても、一度地震が発生すればその被害は甚大なものとなります。これらを考えあわせれば、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が3%を「高い」と捉えることには十分意味があります。
このように、確率の低い地域だからといって備えが不要であるということは決してありません。
どの地域であっても、普段からの災害に対する備え・心構えが必要なのです。
錦帯橋、サグラダファミリア、城の石垣、高圧電線、寺社の屋根・・・・・・
これらに共通するものって何だかわかりますか?
それは、「カテナリー」です。
カテナリー (Catenary、懸垂線) とは、重力が生み出す造形ですが、一番わかりやすい例で言うと、ひもの両端をそれぞれ右手と左手に持って、少したるませたときに出来る形です。
その語源は、ずばり、「チェーン」を意味する catena です。
ひもをたるませると、放物線のような形を描いて安定しますね。
力学的に言うと、ポテンシャルエネルギーが最小の状態になっています。それゆえ安定しているのです。
カテナリーは、力学的に安定した形であるため、様々な構造物や建築物に用いられています。
このカテナリーを逆さまにすると、アーチやドームとなります。
錦帯橋の橋の形は、アーチですし、サグラダファミリアの美しい曲線も、カテナリーです。
力学的に安定した形は、見た目も実に美しい造形を描きます。
私たちは、カテナリー曲線から、「重力」を形として見ることができるのです。
さて、カテナリーは、放物線に似ていますが、実は少し違います。
数学的にどのように表現できるのでしょうか。
物理学や構造力学をかじったことのある方なら、曲線の自重が各部分の張力を決定するとして、一様の質量密度を持つ曲線を微分方程式を作ることにより数式化したことがあると思います。
途中経過は省略しますが、カテナリーの数式は
y = a cosh (x/a) = a ( ex/a + e-x/a) / 2
となります。
ここで cosh は、双曲線関数の一つで、ハイパーボリックコサインと読みます。
また、e は、自然対数の底 で、e=2.71828・・・ です。
(適当に読み飛ばしてください)
⇒カテナリーを導く途中経過に興味ある方は 青空学園数学科 さんのサイトをご参照下さい。
ここからが本題です。
このように美しい造形は、建築物の様々な部分に用いられています。
冒頭に述べた寺社の屋根についてもその例に漏れません。
寺社の屋根が描く美しい曲線は、カテナリーであることが多いのです。
屋根の軒先へ向かって描く曲線を、「軒反り」といいます。
この軒反りは中国の建築様式の影響を受けています。
何となれば、日本古来の建物は、ほとんど直線屋根で、軒反りの曲線は見られないからです。
対して、中国の寺院はどうでしょうか。
ここ数日、中国の寺院をいくつか紹介してきましたが、どれも屋根の軒反りが特徴的でした。
この軒反りこそが中国建築の一番の特長であるといっても過言ではないでしょう。
軒反りの由来は、「神仙思想」にあります。
神仙思想とは、天を自由に飛びまわり、天と地を結ぶ思想で、例えば飛天とか、鳥とか。
中国の建物に見られる、まるで鳥の羽ばたきのような屋根は、まさにこの神仙思想を具現化したものと言われています。
軒反りにはいくつかの種類があり、直線部分が無く最初から最後まで曲線となっているものを総反りといいます。
また、直線があって、あるところから急に反りあがるものを長刀反りといいます。
中国建築では、この軒反りの度合いが急に造られています。
これは神仙思想を強調的に表現するためだと思われますが、日本にこの様式が伝わった時には、軒反りの角度は抑えられます。
その理由は、それまでに直線屋根しかなかったため、極端に斬新な形式に抵抗があったこと、そして、降雨の多い気候のため、できるだけ軒を長く、低くして外壁を風雨から防護する必要性があることなど様々な要因によるものでしょう。
いずれにせよ、軒反りを作るために、屋根を曲線にするためには、非常に高度な技術を要します。
逆に言えば、いかに美しい軒反りを作り出すかということは、宮大工の腕の見せどころというわけです。
屋根の美しさは、軒反りなどの曲線にあります。そして、その曲線は、重力が造りだすカテナリーであるのです。
寺社の屋根がカテナリーになっていることを具体的にお見せします。
まずは、貞昌院の例。
カテナリーを重ねてみました。
y=±(cosh ax-1)/a
a=0.27
どうです?この見事な一致具合。
そして、中国の例。
天童寺の第一門で試してみましょう。
y= (cosh ax-1)/a
a=0.08 (x≦0) , a=0.38 (0<x)
軒反りの度合いは、定数aの大きさで表現されます。
a=0.38はかなり大きいですね。
構造的に単純な曲線ではありますが、屋根で表現するためにはとても高度な匠の技が求められます。
是非寺社へ参拝される時には、屋根にも着目されることをお薦めします。
楽しみが増えますよ。
春彼岸3日目を迎えました。
明日は春分の日。
今日の記事は少し力を抜いて、中国で目に付いたものをいろいろご紹介します。
(1)市街地のショッピングセンターにある教会
左写真の左下を拡大してみると・・・・萌え系のキャラクターが。
香烟店=タバコ店・・・・・でもこの絵は・・・教会の建物には・・・・・
夜に訪れるとこんな感じです。
右写真のように、電気屋さんが入っています。
聞くところによると、かつての教会が道路拡張で移転となり、その際に建物を電気屋さんが買い取ったとのこと。
何とも不思議な光景です。
(2)中国にも和紙で有名なミツマタの花が
ところが、右写真のように、枝が一様に結ばれているのです。
どのような意味があるのか判りませんでした。
(3)手の形をした鳴らしもの
このように観劇の際に、拍手の代わりに使います。
手も疲れずに、賑やかな音を鳴らすことが出来てなかなかの優れものです。
(4)とある中華料理屋の光景
陳列台にずら?っと料理が並んでいます。
お客さんは、並んでいる料理から、実際にこれとこれ・・・・というように見て選んでいくことができます。
選んだ料理はまとめてテーブルに届けてくれます。
実際に料理を見て選べるアイディアはいいですね。
なお、中国では、コースのように順番に料理が出るということはなく、最初にいっぺんに料理が出てきます。
--------------------------------------
四本足なら机以外、飛ぶ物なら飛行機以外何でも食べる・・・・・・ということで、「鳩の舌」料理。
ポピュラーなものだそうです。
(5)幹線道路の信号
日本では歩行者用の信号で残り時間が表示されるものはありますが、全ての信号について残り時間が表示される仕組みはいいですね。
(6)黒とうもろこし
ごく普通に売られていました。
黄色のとうもろこしより甘みが少ないですが、もちもちとした食感が心地よいです。
満腹感を得られます。一本5元(約80円)
(7)トロリーバス
日本では立山の山中を走る一路線だけ残っていますが、このように街中で車掌が架線を切り変える光景は日本では見ることができません。
トロリーバスを知らない人も多いのではないでしょうか。
(8)民家
郊外の比較的豊かな農家の家です。
何世代も一軒の家に住んでいるとのことですが、家のデザインは独特です。
どのようなコンセプトなのか、間取りはどうなっているのかが気になるところです。
それと、色ガラスで、家の中が変な色にならないのでしょうか。
暖冬で龍井茶の茶摘みを繰り上げスタート 西湖龍井茶の収穫はじまる新華社浙江:3月6日、杭州扇家山村では西湖龍井茶の収穫が始まった。暖冬の影響で、今年は例年より早く茶摘みのシーズンを迎えている。
新華社・ライブドアニュース
彼岸の初日は日曜日と重なり、かなり大忙しでしたが、2日目は多少余裕ある時間を過ごす事が出来ています。
こんな日の午後はお茶でも飲みながらゆったりしたいものです。
さて、お茶といえば、やはり中国が本場ですね。
紀元前2世紀には、司馬相如の『凡将篇』などにお茶の記述がありますから、少なくとも2200年以上の歴史があるということになります。
お茶を飲む習慣は唐?北宋の時代にはかなり一般化したとされています。
日本には、栄西が最初に茶の苗木を持ち帰ったといわれています。
『南浦紹明』により茶道が興され、茶道具・茶会などの作法が発達し、日本独自の茶の湯へと発展していきます。
中国のお茶といえば、半発酵の烏龍茶が有名ですが、龍井茶(ロンジン茶)という日本の緑茶のようなお茶もあります。
龍井茶は杭州・西湖周辺の龍井村が茶の名前の由来であり、清朝の乾隆皇帝がこの井戸水で淹れたお茶が最もおいしいと言ったことでも知られる「龍井泉」があります。
また、西太后が愛飲していたことで貢茶に指定されたことにより、龍井茶が有名になりました。
龍井茶龍井茶は、中国で代表的な緑茶の一種であり、杭州の特産として知られている。中国の代表的な緑茶であるが、(煎茶の名前の通り)煎ることで茶葉の中の酵素を熱変性させ発酵を止めるので、茶葉は蒸してある日本の緑茶よりも緑ではなく、形も扁平形をしている。飲み方は、コップに茶葉を入れ、85〜100度の熱湯を加える。茶をコップの二割程残して、お湯を加えてゆき、味がなくなってきたところで茶葉もろとも捨てる。中国では墓参りの時期として有名な清明節前に採取した茶葉で作った龍井茶が高級品「明前茶」として扱われる。
杭州のその産地により、獅峰、西湖、梅家烏、雲栖の四つに分けられる。有名な物があれば必ずその偽物が作られるが、龍井茶もその例に漏れず、中国では、杭州一体で採れる茶を遥かに上回る「龍井茶」が生産されている。偽物を排斥する努力が、官民揚げてなされているものの、効果の方は疑問である。元来、龍井茶は杭州の西湖の西にある龍井村で産出された茶から、その名前が摂られている。従って、偽の龍井茶が流通している現状を揶揄して「龍井茶不出於龍井村(龍井茶は龍井村から出て来ない)。」と、有り難くない評価がされている。大都市の一般店で売られている“龍井茶”は、ほとんどが杭州一帯で採られた茶葉で作られた龍井茶ではない、と言われているが、それを確認することは難しい。近年、生産地を冠した龍井茶、例えば「佛山龍井茶」等の“龍井茶”も製造販売されている。
Wikiペディア
これが中国杭州・龍井茶の茶畑です。
日本のように機械できれいに刈り揃えれられてはいないですね。
3月上旬から清明節(日本のお彼岸のような行事)の時期に収穫された茶葉が最高品と言われています。
早速、正式な淹れ方による龍井茶をいただきました。
上質の日本茶に似た香りがします。飲んだ後に甘さが口の中に残るのが特徴です。
Wikiペディアの淹れ方・飲み方とはちょっと違っていました。
【龍井茶の淹れ方】
グラスに茶葉(量は、150ccに対し3g 程度)を入れ、まず3分の1くらいまで90度のお湯を注ぐ。
3分程度待った後、70度のお湯を継足し、さらに5分くらい待つ。
お茶を戴く。
70度のお湯を継足して、5煎位まで楽しめる。
茶葉は食べられる。
私たちが訪問した時、ちょうどこの茶畑の裏手では、こんな大会が行われていました。
『西湖龍井茶炒制技術演示』
・・・・報道陣による人垣が出来ています。
こりゃあ、行かないとならないですな。
報道陣の振りをして、人垣の中に入っていきます。
(ショッピングタイムに抜け出してスミマセン)
おお!
見事に揃った茶葉。
形はまさに一芯一葉。
どうですか?この艶のある緑色の輝き。
「生の茶葉がしんなりする程度に乾燥させて、約300度の釜に入れ3時間ほど手で焙煎する。
そして、茶葉を熱い釜で押しつけるようにして扁平に仕上げる。
釜の温度や茶葉の微妙な変化を、押し付けた手のひらで感じ、最適な煎り具合にするんだ」
というようなことをインタビューで答えていたはずです。
日本茶は、蒸すことによって発酵を止めますが、中国の緑茶は、このように熱い釜で煎ることにより発酵を止めます。
コクがある口当たりのよさと甘み、そして香りは、このようにして産み出されるのですね。
それにしても「龍井茶不出於龍井村」という言葉が気になります。
やはり本物の龍井茶は、ここに来ないと味わえないのでしょうか。
【関連リンク】
ガルボ 龍井茶特集
http://happy.woman.excite.co.jp/garbo/040426/tea_01.html
千手観音
千手観音(せんじゅかんのん)は、仏教における信仰対象である菩薩の一つ。サンスクリットではサハスラブジャ(Sahasrabhuja -arya -avalokiteśvara)と言い、文字通り「千の手をもつもの」の意味である。
インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一つでもある。日本語では「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」などさまざまな呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。 千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表わしている。
観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。
この経の中に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の禅宗寺院で読誦されている。
Wikiペディア
観音様が千の手を得、すべてのものを救う千手観音の姿となった様子を目の当たりにしたような舞台を生で見ることができました。
その舞台とは、杭州市・東坡大劇場で行われていた『西湖之夜』です。
第四景「東方佛光」に千手観音が登場します。
撮影の許可を得ることが出来ましたのでその写真をご紹介します(スローシンクロ撮影もしたかったのですが、ストロボを焚くことは遠慮しました)。
千手観音は、曹洞宗寺院では毎日のように読まれている『大悲心陀羅尼』(千手観音菩薩の功徳を讃える82句の陀羅尼)とも関係の深い観音様です。
それだけに感慨も深く、一糸乱れぬ見事な演技は、ただただ素晴らしいの一言でした。当分の間は、大悲心陀羅尼を読経するたびに、この映像が頭の中に鮮明に蘇ってくるかもしれません。
この千手観音のパフォーマンスは、見覚えのある方も多いと思います。
東福寺で行われたJAL音舞台や、 日本テレビ・極上の月夜などで放映され、大きな反響となりました。
JAL音舞台や、 極上の月夜で放映されたのは、中国障害者芸術団という、中国全土に6000万人以上いると言われている身体障害者の中から厳選されたアーティストたちの集団です。
千手観音のパフォーマンスは、 このうちの耳と口が不自由な21人のダンサーによって行われます。
リーダーの台麗華さんは、2歳の時、高熱が原因で聴覚障害者となったとのこと。彼女はカーネギーホールとスカラ座の二大殿堂に出演したことのある唯一の中国人です。
ダンスの基礎練習として、叩かれた太鼓の振動を肌で感じ、手話の先生からの指示で踊る訓練を一日十何時間も繰返してきました。
そのために 、舞台上でも全身で音を感じ、全員が呼吸を合わせることで統一のとれた踊りをこなすことができるのです。
中国障害者芸術団による千手観音の動画は、YOU TUBEでご覧になることができます。
今回、杭州で見た千手観音が中国障害者芸術団によるものなのかはっきりしないので、今調べている所なのですが、千手観音のパフォーマンスは、何年も前に版権登録されているとのですから、何らかの関連があることは間違いないでしょう。
なお、この舞台の合間に中国伝統楽器による生演奏が入ります。
時の人となっている女子十二楽坊も、この杭州がゆかりの地です。
女子十二楽坊がブレークするきっかけとなったのは、杭州観光のプロモーションビデオでした。
このような贅沢な舞台を気軽に楽しめるこの街の人はなんと幸せなのでしょうか。
先日の記事
の中で、
浙江省(せっこうしょう)は、中国の沿海諸省のなかでも最も先進的な省のひとつである。 とくに省政府が主導する公共インターネット網はよく整備されている。 (Wikiペディアより)
と書きました。
ということは、試してみないわけにはいかないですね。
何をって???
・・・・・・それは、中国のインターネット環境についてです。
では、中国某市内から早速。
普通に見られますね。
表示もちゃんとしています。
さすがユニコード。
ただ、通信速度が遅いです。
やはり、フィルタを掛けているのでしょうね。
では・・・・・
おおお!
ふむふむ。
某国では、人民解放軍がチベット人を銃撃したりしてるんですか、そうですか。
つらつら日暮らしさんも書かれていますが、
中国政府、ブログの検閲を強化する方針中国政府は、ブログを含むインターネット上での情報発信に対し検閲を強化する方針。13日付の北京晨報が、国家新聞出版総署の龍新民署長の話として伝えた。インターネットを使って思想や政治見解などを主張するブロガーなどが増えているため、国家新聞出版総署は現在、取り締まり強化のための規則を作成中という。
同紙によれば、龍署長は12日、全国人民代表大会(全人代)で「インターネットが猛烈なスピードで発展している時代においては、政府の監視および管理政策と手段があらためて試されることを認識しなければならない」と言明。課題の1つとしてブロガー対策を挙げた。
ただ「人民の表現の自由は完全に守られる」としている。
中国のブログサイトの数は昨年9月時点で3400万サイトに達し、4年前に比べ30倍に増えた。
という報道もあり、今のところ見ることのできるサイトも、段々と制限されていくのかもしれません。
そうなったら嫌ですね。
Yahoo! で禁断のワードを検索してみました。
結果はもちろん不到達。
※その他いろいろ試してみましたが、ここまでとしますm(__)m
世銀の中国都市投資環境番付が発表、1位は杭州世界銀行中国・モンゴル局のデイビット・ダラー局長は2006年11月11日、中国120都市の投資環境評価レポートを公表した。新華社が伝えた。レポートの題名は「政府管理、投資環境、調和社会―中国120都市の競争力アップ」。世銀に投資環境「金メダル都市」と評価されたのは杭州、青島、紹興、蘇州、厦門(アモイ)、煙台の各都市。「銀メダル都市」には、北京、大連、東莞、佛山、福州、広州、江門、寧波、上海、深セン、天津、威海、珠海の13都市が選ばれた。
この調査結果は世銀と国家情報センターが杭州で共催した第4回中国投資環境フォーラムで発表された。両機関は中国120都市の12400社に調査を行い、各都市の内外企業の投資誘致力、政府の効率性、調和の取れた社会の構築などの面での成果をもとに、都市の競争力を格付けした。
レポートは、各項目の指数を総合すると江蘇、上海、浙江などを含む東南地域の投資環境が最も優れているとし、以下順に渤海湾地域、中部地域、東北地域、西南地域、西北地域と続いている。
■ベスト・ビジネス都市に2006年も「杭州」 3年連続
米フォーブス誌商業都市ランキングに、2006年の中国ベスト・ビジネス都市ランキング第1位として、今年も「杭州」を紹介。不動産市況の落ち着きが大きく反映し、それによる市場潜在力が増し、私有資本や外貨のバランスよい発展が望めるとの期待値が含まれている。
これらは、経営コスト、労働力の質、貨物輸送の利便性という三つの指標以外に、高級人材、市場規模、市場潜在力、旅客輸送、私有経済活力の各指標を指数化して比べている。
http://www.hedagov.jp/
今回の中国旅行の玄関となったのは、杭州市。
道元禅師が入宋された寧波にも程近い、浙江省の省都です。
古来より経済文化が発達し「上に天堂あり、下に蘇杭あり」と歌われていましたが、ここ数年の発展も顕著です。
北京オリンピックに向けて経済成長の著しい中国において、最も成長力のある都市の一つではないでしょうか。
上海?杭州湾?寧波を結ぶ世界一の海上橋、杭州湾海上大橋も建設中で、完成すれば杭州?寧波あたりの光景も一転するでしょう。
浙江省(せっこうしょう)は、中国の沿海諸省のなかでも最も先進的な省のひとつである。とくに省政府が主導する公共インターネット網はよく整備されている。
速報値では2004年の浙江省生産総額(GDP)は対前年比14.3%増の11.243億元となった。これは広東省、江蘇省、山東省に次ぐ規模である。また一人当たり生産総額は対前年比13.5%増の23.942元、輸出総額は電子製品輸出の大幅増が寄与して対前年比39.8%増の581億米ドルとなった。省東部の杭州湾を縦断して寧波と嘉興を結ぶ世界最長の杭州湾海上大橋が2004年6月に着工し、2008年完成を目指している。
Wikiペディアより
約千年前!に建てられた高さ60mの六和塔の頂上からのパノラマ。
写真に見える橋は、中国が外国の手を借りずに初めて独自に設計・建築した近代的大橋である「杭州 銭塘江大橋」。
銭塘川の対岸に見える地区は、杭州国際空港の方角で「江南城地区」です。
Gogle Map で撮影地点を併せてご覧下さい。
⇒ 地図を表示
↑
最大ズームすると、撮影地の六和塔が見えます。
写っている川が「銭塘川」。
中央を南北に渡る橋が「杭州銭塘江大橋」です。
川の北側に見える湖が西湖。その東側が杭州中心の「主城地区」、川の南東側が「江南城地区」。
写真は、「杭州銭塘江大橋」北西の位置にある「六和塔」から南東方向を撮影しました。
(Gogle Map の航空写真は数年前のものなので、まだ畑が結構残されていますね)
なお、夏の満潮時には、巨大な波が銭塘江を逆流してくる迫力ある光景を、この付近で見ることができます。
高層ビルが次々と建設されている様子が判るでしょうか。
写真に写っている街(江南城地区)の様子はこのような感じです。
1千年前に建てられた六和塔前から、中国独自による最初の橋、杭州銭塘江大橋の向こうに工業団地を眺める・・・とても感慨深い光景です。
10年前は、ただひたすら田んぼと畑が広がっていたとのこと。
今後10年後にはどのような変貌を遂げているのでしょうか。
なお、杭州市の中心・「主城地区」はこの写真の反対側の方向になります。
飛行機から見下ろす杭州郊外。
高速道路が次々と建設中である様子が良くわかります。
既設の高速道路も拡張工事が進んでいます。
日本では、このような拡張工事の方法は考えられない(日本では、拡張工事の部分に車が進入出来ないようにガードパイプなどをきちんと設置する)のですが、このような工事風景が延々100キロ以上も続くと、さすが中国という感じがします。
昨日まで中国・浙江省へ教区寺院三か寺合同で檀参旅行へ出ておりました。
(その旅行記のまとめはこちらです)
さて先日、中国で広がる宗教心という記事を書きましたが、それを実感する旅でもありました。
禅宗の源流を訪ねる旅として、浙江省の寺院を拝登させていただきましたが、とにかく参拝者の多いことに驚かされます。
写真は霊隠寺の境内。
平日の昼間だというのに、とにかく人人人の波です。
霊隠寺では、境内を拝観するためには、75元 (今年の大晦日=2月7日には 200元!) もの拝観料をお布施しないと入れません。
1元は約16円ですから、75元だと1000円以上。
中国の物価からすれば相当高いといえます。
それなのに、これだけの参拝客が集まるのです。
杭州の習俗:初詣は霊隠寺 元日の掃除は禁物浙江省杭州市には、「除夜には霊隠寺に出かけ初詣する」「旧暦の元日には地面を掃いてはならない」など、春節(旧正月)にまつわるさまざまなしきたりがある。北京の日刊紙「京華時報」が伝えた。
▽大晦日
語呂合わせや形状などの縁起がよいとされる食べ物を用意する。例えば、肉や魚のすり身団子は、丸いことが家族団欒を表す言葉「団円」に通じるので、縁起がよいとされる。小麦の生地を薄く延ばして焼いた白い皮に肉の細切りを包んだ「春餅」は、「金の糸を銀で包んだ」形状に似ている。大豆のモヤシは「如意菜」という別名があるが、「如意」は「意のままになる」の意味。落花生には「長生果」の別名がある。
▽除夜
大晦日の夜、杭州人は決まって霊隠寺に出かける。門の前で列を作って待った後、新年の訪れとともに参拝し、新年最初の線香を上げ、1年が順調に過ごせるよう加護を願う。また、人々は先を争って境内の鐘を鳴らしに行く。
▽元日
旧暦の元日の朝は、お湯で煮た団子、または甘い餅を食べる。これは、一家が円満で幸せな生活を送ることができるように、という願いが込められている。子たちは起きるとすぐに年長者に年賀のあいさつをし、お年玉をもらう。元日には、入ってくる金運を追い出したりしないよう、地面を箒で掃いてはならないという。
「人民網日本語版」2006年1月30日
それにしても、老若男女を問わず、熱心に、自然な姿で祈りを捧げる様子が印象的です。
※写真は天童寺にて
参拝の作法は、基本的には寺院参道で売っているお参りのセット(蝋燭、線香、御札など)を買い、まず大香炉で線香の束に火をつけます。
そして、正面に向かい両手で線香を頭の上に捧げ、3回礼して、そして右方向に同じく3回、後に3回、左に3回・・・というように右回りに一回転します。
そして線香を香炉にくべて、本殿内部にお供えをして、礼拝具で五体投地を行います。
とにかく、一人一人丁寧に礼拝を行っています。
霊隠寺では、僧侶たちによる法会が行われていましたが、参列者も一体となって祈りを捧げていきます。
これらの様子を目の当たりにすると、中国が無宗教であるというのは全くの見当違いであるということが判ります。
確かに中国においては、魏武、周武、会昌、後周の法難により仏教弾圧が繰返されてきました。
そして、1960年代後半から1970年代前半まで続いた文化大革命により、旧思想・旧文化の破棄をスローガンとし、宗教も一切禁止され、紅衛兵らによって教会や寺院も・宗教的な文化財が破壊されました。
しかしながら、七難を免れるという観音信仰は、中国人の心に浸透流行し、文化大革命の間も細々と生活に根付いていたのでしょう。
中国の経済発展が加速するにつれて、観音信仰はもとより、伝統宗教への回帰は顕著となりました。
中国における仏教は、大乗仏教、チベット仏教、上座仏教の大きな三つの系統がありますが、現在、仏教の寺院数は1万3000か寺以上、僧侶は20万人とも言われています。
僧侶となるためには基本的な条件がいくつかあります(後日詳述する予定)が、それらの条件を満たした上で、各地方に点在する仏教学院を卒業したものが寺院に上山し、僧侶として修行しています。
最盛期の10分の1ではありますが、例えば天童寺には 100余人、霊隠寺には 300人ほどの僧侶が在籍しているそうです。
中国の宗教は、現世利益を重視しているという点が特徴といえます。
金運、良縁、就職、健康・・・とにかく、願いごとに向かう人々の姿は真剣そのものです。
一般市民の娯楽の中にも、仏教・観音信仰の場面は、ごく普通に登場します。
写真は杭州市・東坡劇場で観劇した『西湖之夜』より、第四景「東方佛光」
(撮影許可済)
そして、ホテルのエレベーターの前にも。
本屋では、財産を為す風水として、仏像や観音像をどこに置いたらいいかという本もたくさん見られ、ここにも現世利益を求める熱心さを垣間見る事ができます。
信仰に向かい合う姿は、日本人のお伊勢参りのような感覚に近いように思えます。
そして、宗教に向かい合う姿勢は、むしろ日本人以上なのかも知れません。
みなさんは、作成した文書とかデジタルカメラの写真、インターネットからダウンロードしたデータなどをどのような方法で保存していますか?
ほとんどの方は、パソコンの中のHDD(ハードディスク)に貯めていって、適当な時に各種のリムーバル記憶装置(大容量外部記憶装置)にバックアップの形で保存するという方法を取られているのではないかと思います。
どのようなリムーバル記憶装置が用いられていて、その満足度はどれくらいかというデータがありますので、ご紹介します。
買ってよかったリムーバブル記憶装置は?
あらゆるジャンルのクチコミランキング
このリストに出てきているリムーバル記憶装置は、現在使用されているものがほとんどですが、SuperDisk、PD、ORB、ZIP、Jazなどのように、あまり見ることのなくなったものもありますね。
さらに・・・
このリストに入っていなくても、かつては主流でしたが、現在はほとんど使われなくなった記憶装置もあります。
例えば、FDD(フロッピーディスク)。
FDDには、8インチ、5インチ、3.5インチ、2インチなどがあり、このうち、8インチ、5インチ、2インチのFDDなんでいうのは存在すらご存じない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
せっかくこのような記事を書くということで、ざっと部屋の棚をさらってみると、あるわあるわ・・・・・
きっと、倉庫とかを探せばもっといろいろあるでしょうけれど、まあごく一部だけ。
きっと皆様のお手元にも、今は使われていない様々なメディアがあることでしょう。
※そのあたりのことを、もっと知りたい方は コンピューター博物館 をご参照下さい。
さて、ここで、一つ問題が見えてきます。
かつて記憶装置の主流であった、そのような記憶媒体に記録保存されたデータを、読み出すことが困難になりつつあるということです。
例えば、8インチのFDDが倉庫から見つかったとします。
そこに記録されたデータを読み出すにはどのようにしたらいいでしょうか。
まず、記憶読み出し装置を見つけなければなりません。
そのためには、当時どのような機械でどのようなフォーマットで記録されたのかがわからないとなりません。
パソコンで記録されたものであればまだしも、ワープロ専用機で記録されたものであった場合には、それを読み出す当該のワープロが見つかったとしても、FDD自体が劣化してしまっていたり、機械自体が動かなかったりする可能性も大です。
オフコン、パソコン、ワープロ専用機など、様々な機種と共に、それこそ何種類あるかわからないほどのリムーバル記憶装置が発売されては消えていきました。
FDDが普及する前は、カセットデッキをとおして、カセットテープに記録をしていた時代もあります。
(前段の写真に写っているカセットは、音楽データではなく、パソコンPC-8001のデータです)
その中にはきっと貴重なデータもあることでしょう。
きちんとした形で後継の記憶装置に引き継いで保存管理がされていればいいのですが、そのようなことが為されておらず、埋もれたまま忘れ去られてしまうデータも多いことが推測されます。
リムーバル記憶装置は、時代と共に、大容量化が進んできました。
しかし、良い点ばかりではなく、欠点もあります。
それは主に
(1)メディアの耐久年数が長いとは限らず、しかも外見から劣化を見分けることができない 。
(2)リムーバル記憶装置の製品サイクルが短くなってきている。
ということです。
現代社会は情報化社会です。
私たちはかつてないほどの情報の洪水にさらされています。
リムーバル記憶装置の保存容量も飛躍的に増大し、1T(テラ)....1G(ギガ)の1000倍......1M(メガ)の1000×1000倍.........1K(キロ)の1000×1000×1000倍の記憶装置を日常的に使うようになりつつあります。
8インチFDDに入ったデータ約100万枚分のデータ量が一つのハードディスクに入ってしまうのです。
しかし、それを記録しているメディアは、いかにも心もとない。
この図ように、皮肉にも最近のメディアほど媒体自体の寿命は短くなってしまっています。
さらに、紙、マイクロフィルム、カラーフィルムのようなアナログデータは、その冗長性によって、劣化が進んでも復元をすることが可能(図の水色の部分)なのですが、デジタルデータの場合は、劣化によって一気に読み出し不可能になってしまいます。
デジタルデータはデータそのものは劣化しないデータではありますが、それは、きちんとデータが引き継がれる環境になければ、まったく意味の無いものになるのです。
メディアの大容量化が進むに連れて、無埋もれたまま忘れ去られてしまうデータも当然膨大な量になることでしょう。
私たちは、紀元前の人類の営みを、遺跡から知る事ができます。
それは石や骨や粘土板に刻まれた文字かもしれないし、木や紙に書かれた筆文字かもしれない。
このようなアナログのデータは、それ自体のもつ冗長性という特徴から、相当劣化していて、例えばボロボロの木簡であっても、穴だらけの和紙であっても、脱落したデータの復元にはかなりの可能性が残されています。
しかし、現在用いられている記憶メディアはどうでしょうか。
土の中に埋もれていた8インチFDDが1000年に発掘されたとして、そのデータが読み出される可能性は、どんなに科学技術が発達していたとしても「ゼロ」に限りなく近いはずです。
(それどころか、現在においてすら読み出すことは相当困難であるということは冒頭に述べたとおりです)
私たちは、多くのデータを保有するようになりました。
文書、テキストデータに限らず、写真、ビデオ、その他文化的価値の高い遺産は膨大な量に及びます。
文化的価値はなくても、それぞれの個人にとってかけがえのないデータというものもあります。
ただ、情報の洪水に流されるまま、何も対策をせずにいた場合には、ふと気づいた時にはもう遅い。
私たちの周りには既に読み取る事の出来なくなた無価値の記憶メディアの残骸が倉庫に眠るだけ、未来の人類に残される遺産は、情報・価値の欠落したハードウエアだけになってしまうことでしょう。
そうならないように心がけるべきことは、各個人レベルでは
(1)本当に大切なデータは、保存性の高い中性紙などに適宜印刷して別途ファイリングする。
(2)情報の整理を定期的に行う。
(3)数種類の記憶装置でデータをバックアップする。
(4)リムーバル記憶装置のシェア・動向に着目し、時間に余裕を持たせた上で次世代のリムーバル記憶装置にデータを引き継ぐ。
というようなことが大切です。
さらに、政府や研究機関においては、多少記憶容量が少なくても、紙や粘土板に匹敵するような耐久性と冗長性をもつ記憶装置やメディアを開発して、私たちの知的活動の記録を後世に着実に受継ぐ手段を是非確立して欲しいものです。
中国で広がる宗教心 競争社会…信仰見直し中国の経済発展が加速するにつれ中国人の伝統宗教への回帰が顕著になっていることが上海にある華東師範大学教授らの「当代中国人宗教信仰調査」で裏付けられた。かつて共産主義イデオロギーによって「アヘン」と排斥された宗教だが、市場経済の導入で厳しい競争社会が出現し、“神頼み”的信仰が見直されたためとみられる。
この調査は華東師範大学哲学科の劉仲宇教授ら学者数十人と調査員数百人によって約3年間にわたって実施された。2005年夏に中国全土で実施した調査によると、16歳以上の中国人の中で宗教を信仰する人は3割を超えた。単純計算で3億人以上にのぼる。
1949年に中国共産党が政権を取って以来、宗教、特に「治病」「災害除去」「順調加護」を念じる龍王廟などへの民間信仰に否定的な政策が採られたため、各地の廟が次々と破壊された。厳しい宗教弾圧にもかかわらず、約1億人がひそかに信仰を続けてきたとみられている。今はその3倍に宗教人口が膨れあがったことになる。
信仰する宗教に関する調査ではカトリック、プロテスタント、イスラム教、仏教、道教だけで宗教人口全体の7割近くを占めた。中国における仏教、道教信仰は龍王廟などへの民間信仰と信者が重なる面が強いという。仏教、道教、民間信仰を合わせた中国伝統信仰への帰依は66%に達していた。
劉教授はこうした傾向について「中国社会はこの半世紀に激動を迎え、道徳水準の低下や人間関係の悪化、巨大な西洋文明からの衝撃などを経験した結果、精神のよりどころを失ったことが宗教心の増加の背景にあると思う。社会のエリート層にとっては伝統文化への回帰であり、庶民にとっては古くからの風習への帰依といえる」と説明している。
この調査結果を報じた雑誌「瞭望東方週刊」などは中国での宗教心の強まりについて「宗教心の強まりで精神が落ち着き、社会道徳が強まれば、和諧(わかい)(調和のとれた)社会に最適である」と、胡錦濤政権が進める「和諧社会建設」に有効だとしている。その一方で「宗教には二面性があり、一部の下心ある人に利用されれば社会の安定と破壊をもたらす」として現在、中国で禁じられている気功集団「法輪功」などを念頭に置いた懸念も示されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070226-00000012-san-int
中国における宗教事情は、共産主義により徹底的に排斥されてきましたが、市場経済の展開に伴って、宗教の信仰が広がっているというニュースです。
確かに、中国では憲法により
第36条中華人民共和国の国民は、信教の自由を有する。
いかなる国家機関・社会団体または個人も、国民に宗教の信仰または宗教の不信仰を強制してはならず、宗教を信仰する国民と宗教を信仰しない国民を差別してはならない。
国家は、正常な宗教活動を保護する。いかなる人も、宗教を利用して社会秩序を破壊し、国民の身体・健康を損ない、国家の教育制度を妨害するなどの活動を行うことはできない。
宗教団体と宗教事務は、外国の勢力による支配を受けない。
建前上はどのような信教であっても自由が保障されることになっている訳ですが、共産党政権による徹底的な宗教弾圧が行われた時期がありました。
その状況の中で、どのような形で宗教が広がっていくのかということは、とても興味深いものがあります。
人口自体の規模が桁違いですから、宗教人口も日本の比とはならないくらい膨大なものになりますね。
信仰をもっているの割合 31・4%(推計3億人・16歳以上)
内訳
仏教 52・7%
プロテスタント19・1%
イスラム教 15・5%
道教 10・2%
カトリック 9・7%
[当代中国人宗教信仰調査・2005年]
背景は異なるにしても、日本における2つの大きな宗教の転機があり、その状況に重ねあわせて比較していくと興味深いものがあります。
その2つの転機の第1は、明治時代初期の「太政官布告神仏分離令」及び「大教宣布」などに起因し、全国的に廃仏毀釈運動が引き起こされ、仏教寺院や仏像などが破壊されていく時代です。
転機の第2は、敗戦後、GHQによる「農地解放」「政教分離」「信教の自由」です。
農地解放によって、寺院境内地の内、経済的な収入をもたらす田畑を失ってしまいます。また、政教分離によって僧侶の布教活動の場が限定され、また、国や地方公共団体の場から、徹底的に宗教的色合いが排除されてしまいました。
もちろん、元あったバックグラウンドが異なるわけですから、信仰を取り戻していく内容は全く同じであるはずはありませんが、現在の中国の宗教心の広がりは、戦後、日本が敗戦によって失った「日本仏教」の姿を、経済の成長に伴って取り戻していく過程に似ている部分があるように思います。
さて、日本における宗教事情は、高度経済成長が一旦足踏みし、バブルの崩壊から、いざなぎ景気へ遷移していく中で、第3の転機をむかえているように感じます。
そのキーワードは、「少子化」「格差社会」「脱宗教」といったことに集約できると思います。
少子化により、家族制度は失われつつあり、親から子への伝承のシステムが失われつつあります。
格差社会は、寺院にもあてはまり、都心部の寺院は宗教活動をしなくても収入源を多岐にわたり得ることが可能であり、逆に地方・過疎地域の寺院は、僧侶が入ることや寺院を維持することすらできないほどの状況であることも珍しくありません。
そして宗教施設に対する破壊行為も再び増えてきているということも残念で仕方がありません。
最近、境内建物や墓石が破壊されたり、石像の首が軒並み折られたり、そのような仏毀釈の時代の蛮行が繰返されています。
中国では、宗教人口が、伝統、モラルの破壊、市場化経済による競争社会、西洋文化との衝突の反動による新たな精神的拠り所を求めた結果として、エリート層には伝統文化への回帰、庶民には古くからの風習への帰依という形で拡大しているというニュースと、日本における宗教事情を振り返って比較すると興味深い結果が得られることでしょう。
これからの中国における宗教の展開に注目して行きたいと思っています。
雑巾雑巾(ぞうきん)とは、汚れを拭き取ったり、こぼれ落ちた液体を拭い取ったりして使用される布のことである。雑巾をかける行為は雑巾がけと呼ばれる。
なお、「雑布」と表記されることがあるがこれは誤記である。
一般的な雑巾の形状は、1辺の長さが最低でも15cm以上、小さく薄く長方形をしてる。色は主に白色であるが、タオルなどの布地を再利用する場合は、その限りではない。また、使うたびに色は黒ずんでいく。
掃除法は、そのままで拭く「乾拭き」、水で濡らして拭く「水拭き」などがある。学校教育の一環として掃除の時間にはしばしば雑巾が用いられる。寺や神社では弟子の教育の一環として、廊下や板の間などの雑巾がけを行う。
かつてはおしめや修繕が不可能になるまで着古した古着などが使い回されることもあった。
近年ではスーパーマーケットなどで購入することも可能である。
最近、デパートの文具売り場や100円ショップで、とあるコーナーが目に付きます。
それは、「雑巾」
こんな具合で実にカラフルです。
かわいい。
雑巾は使い古した手ぬぐいを縫ってつくるものだという固定概念を持つものとしては、ちょっと衝撃的な光景ではありますけれど。
小学生の子どもを持つようになると、定期的に雑巾の提出が求められます。
一人3枚くらいの雑巾を皆で持ち寄って、掃除の時間に使うために集めるわけです。
しかしながら、最近は、手作りの雑巾を持参するということが少なくなったようです。
その要因として考えられる事は
・雑巾を作るために必要な材料が手に入りにくくなった
・ミシンを持っていたり裁縫をする家庭が少なくなった
・衛生的な観点から、新しい雑巾を持たせたい
・小さくて可愛い柄の雑巾が安価で売られるようになった
・雑巾を洗って干す光景が汚らしい
こんなところでしょうか。
雑巾は、日本手ぬぐいで作るのが一番手になじみやすいのですが、残念ながら今はそれはほとんど使われなくなりました。
タオルを使うにしても、タオルは厚手のものが多いので、雑巾にするとモコモコになってしまいます。
子どもの手にはちょっと扱いづらいということもあります。
それに、タオルを配る企業も極端に少なくなりました。
材料が手に入りにくいというのは、まさにそのとおりだと思います。
また、縫い方も難しいですね。
厚手の生地になると余計そうです。
何枚も雑巾を手縫いで仕上げるという作業は、かなり負担になるのかもしれません。
それならば、安く売られている雑巾を買ってしまえばという心理もよくわかります。
そして、衛生的観点から、新品を指定するということも、今はそのような風潮があることは仕方がないことです。
しかしながら、雑巾を使った掃除の仕方や、雑巾絞ることすらできない子どもたちさえも多くなっている現状は少し行き過ぎかもしれませんね。
雑巾掛けの光景も時代と共に変わっています。
雑巾の変遷を見ると、時代背景が見えてきます。
お寺では、それこそたくさんの雑巾を消費します。
ありがたいことに、手ぬぐいやタオルを年末年始に戴く機会も多いため、材料にはこと欠きません。
貞昌院では、まずは手ぬぐいとして、洗面所などで使用し、それが古くなったら4つ折りにして、周囲と対角線を縫って雑巾にしています。
そして、さらに古くなった雑巾は、墓地の水場のところに置いて、墓石を磨くなどの用途の為に皆様に利用していただいています。
わたしたち人間には、
愛や思いやりを称えられる能力があります。
このささやかな能力こそ、
人間のもっとも大切な天分だとわたしは思うのです。
大きくなるにつれて、
愛情、友情、助けあいということに、
あまり重きを置かなくなります。
人種、宗教、国籍といったことが大切になってきます。
もっとも大切なことを忘れ、
どうでもいいことに重きを置くようになります。
『抱くことば』より
今日2月5日は涅槃会。
三仏忌の一つで、お釈迦様が涅槃に入られた日です。
今日行われた定例坐禅会でも、佛遺教経をお読みいたしました。
佛遺教経とは、『仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)』という経典の略称で、お釈迦様が二本の沙羅双樹の間に横たわって、涅槃に入られる際に、周囲に集まった弟たちや嘆き悲しむ動植物たち達のために、最後の力をふりしぼって説いた教えです。
道元禅師も、佛遺教の八大人覚の部分を『正法眼蔵』「八大人覚」で詳しく書いています。
そのあたりは、以前纏めたものがありますので、こちらをご覧下さい。 ⇒八大人覚を講読しています
佛遺教経は、仏教をどう学ぶか、どのように生きるのか、そのような基本的なあり方を分かりやすいことばで説かれていますので、なじみやすいものだと思います。
お経というと、なにやら難しくてチンプンカンプンだし分からないと思いがちですが、決してそんなことはありません。
さて、今日冒頭でご紹介したことばは、ダライ・ラマ14世のことばをまとめた『抱くことば』という本からの引用です。
人はなぜ生まれるのか?
人はなぜ生きるのか?
「人生の目的は幸せになることです」と表紙カバーあるように、生きるうえで力になる珠玉のことばを100集めた本です。
収録されていることばは、どれも、分かりやすく心に響くことばばかりです。
きっとお釈迦様の説法もこのようなことばだったのではないでしょうか。
もし私があなたを叩いて、
あなたが穏やかなまま私を叩き返さなかったら、
結果的に居心地悪く感じるのは私のほうです。
でも叩き返されていたらもっと叩きたい気持ちになります。
暴力と暴力は連鎖し、さらなる暴力を呼びます。
さて、50年もの間自国の地すら踏むことのできないでいるダライ・ラマ14世ですが、実は、この秋に日本にお招きすることが計画されています。
このブログをご覧のみなさまにも、もう少し経ちましたらご案内できるかと思います。どうぞお楽しみに。
抱くことば
著者/訳者名 ダライ・ラマ14世/著
グレート・ザ・歌舞伎町/写真
出版社名 イースト・プレス
ISBN:4-87257-740-X
心の平穏、やさしさ、平和を説いて世界を行脚するダライ・ラマからの不滅のメッセージ。
名言100選を恋愛、家族などテーマごとに掲載。しみじみと胸に響く1冊。
目次
生きる意味;
愛;
家族;
怒り、悲しみ;
望み
この本ができあがる経緯については、こちらに詳細な記述があります。
失礼な質問も多いのですが、それらに真摯に回答する姿に、感動を覚えます。
併せてご紹介いたします。
ブルータス・チベットに出会う 裏編集後記
人から愛され、人を愛するとき、
それがいかに心地よいか、
そして逆に怒りや憎しみが心に満ちると、
いかに居心地が悪いか観察してみましょう。
他人を思いやって行動するとき、
わたしたちの行動はおのずとよい方向に向かいます。
なぜなら、心が愛で満たされているときには、
疑惑の入り込む余地がないからです。
慈悲と、人を愛する優しさを心のなかにもっていれば、
何かが自然にあなたの内面にあるとびらを開いてくれるのです。
それを通じて、
あなたたちは他の人々とずっとたやすく
心を通わせることができるようになるのです。
温かな気持ちは開かれた心を生み出します。
『抱くことば』より
【関連リンク】
ある葬儀における一場面です。一般焼香の始まる直前には既に270人の参列者が並んでいました。
また、新たに1分あたり10人の参列者が加わっていきます。
4つの香炉で、焼香いただくと、45分でその行列がなくなりました。
では、もしも、5つの香炉で焼香を対応していたとしたら、何分で行列がなくなっていたでしょうか。
ただし、一人一人の焼香にかかる時間はみな同じとします。(kamenoオリジナル問題)
この算数の問題は、ニュートン算とよばれているものの一例です。
なぜニュートン算と呼ばれているかというと、万有引力を発見したアイザック・ニュートンにより作られた問題であるからです。
Arithmetica Universalis (Isaac Newton,1707) には、次のような問題が書かれています。
a1頭の牛はb1個の牧場の牧草をc1日で食べつくす。a2頭の牛はb2個の牧場の牧草をc2日で食べつくす。
a3頭の牛はb3個の牧場の牧草をc3日で食べつくす。このとき、a1,a2,a3,b1,b2,b3,c1,c2,c3の間の関係はどうなるか。
ただし、各牧場の牧草の量は等しく、また、各牧場の一日の生長量は一定、それぞれの牛が1日に食べる量も一定であるものとする。
冒頭の例のように、身近な例で文章題を作ることができるため、よく用いられたりするのですが、これをどうやって分かりやすく解答に導くかということは、意外に難しいものです。
ニュートン算ニュートン算は、算数や数学の文章題の種類の一つ。速さや仕事に関する問題の応用ともいえる。
仕事算は、ある仕事を仕上げるための労働力(人数)とそれにかかる時間とが互いに反比例する関係にあり、これをもとにして解くものである。これに対してニュートン算では、仕事を片付けている間にも一定の速さで仕事を増やす(邪魔する)または減らす(協力する)作用が働いているため、単に反比例の考え方をもとにしては解くことができない。(WIKIペディア)
そこで、おすすめの本をご紹介します。
『僕って何』で第七十七回芥川賞受賞をした三田誠広さんによる著作『父親が教えるツルカメ算』です。
ニュートン算に限らず、ツルカメ算、和差算、差集め算、流水算から図形問題まで、厳選の24問により、例題を解きながら、長らく忘れていた算数の楽しさを思い出し、勘所を取り戻すことができる一冊です。
小学校高学年のお子さんがいらっしゃる方お父さん向けに書かれた本ではありますが「算数・数学なんて実生活には役に立たないじゃないか」と先入観をお持ちの一般の方にもおすすめです。
三田誠広著
税込価格 : \714 (本体 : \680)
出版 : 新潮社
サイズ : 新書 / 177p
ISBN : 4-10-610175-0
まえがき
父親がわが子に算数を教える。
このことの大切さを伝えるのが、本書の目的である。
そんなことは学校に任せておけばいい、と読者は思われるかもしれない。子供の勉強を見てやるどころか、子供が起きている時間に家に帰ることも難しい。そういうお父さんが多いことだろう。
お父さんは忙しいのだ。そのことは、わたしも承知している。お父さんは仕事が第一である。仕事をすることによって、家族の生活を支えているのだし、もっと大きく言えば、社会に貢献し、この国の経済を支えているのだ。
とはいえ、子供を放ったらかしにしておくのは、父親としての責任を放棄することになるのではないだろうか。責任というと大げさだが、子供が立派に成長してくれないと、お父さんの生活にも危機が忍び寄ってくる。(中略)
ここはお父さんの出番だ。
するとまた読者から、こんな質問が出てくるかもしれない。お母さんではダメなのか。
はっきり言って、お母さんはダメだ。お母さんは子供との間に距離をとることが難しい。何しろ自分が産んだのだから、子供は自分の体の一部だと考えている。子供が思いどおりにならないと、すぐにキレてしまう。算数を教えるためには根気が必要だ。算数を教えるのに、お母さんほど不向きなものはない。だからこそ、お父さんががんばらないといけないのだ。小学生に算数を教えるというのは、お父さんにとっては、子供とのコミュニケーションの機会をもつラストチャンスかもしれない。
親子の断絶、ということが言われる。この場合、子供から拒否されるのは、たいていお父さんだ。母親は、ご飯を作ったりして子供にサービスをする。お父さんは会社で働いて家族を支えているのだが、そういう努力は、子供には見えない。
定年まで働きづめに働いて、それで妻にも子供にも見捨てられる。男の人生は孤独なものだ、と演歌みたいなことを言ってもしようがない。せっかく結婚し、子供を育ててきたのだから、子供たちと長く楽しくつきあいたいものではないか。
お父さんから算数を教えてもらった。そのことを、子供は一生忘れない。子供はお父さんの愛情と熱意に感謝し、算数に関する見識の深さに尊敬の念を抱くだろう。
まずは父親が子どもに勉強を教えることの大切さを説いています。
なるほど。
学校でもなく母親でもなく、なぜ父親が教えることに意義があるのか。お父さんとお母さんの役割の考え方も、極論ではありますが、その理由が妙に納得できるから面白いですね。
親子の断絶は大抵お父さん側。お父さんは孤独・・・・(せつない)・・・・そうなりがちだからこそ、コミュニケーションをとる必要がある。
そして、子どもに愛情と情熱を注ぎ、尊敬の念を抱かす事ができる、それは父親が子どもに教え、一緒に考えるという構図があるからこそなのです。
とはいえ、なぜ算数なのか。 その点については、こんなふうに答えておこう。 算数は前頭葉を鍛える。 これが、本書の最大のテーマだと言っていい。前頭葉って何、などととぼけたことを言わないでほしい。脳の前の方の部分で、注意、思考、意欲、情操などの機能をもつ、人間にとって最も大切な部分だ。最近、ゲーム機で遊んでばかりいる子供は、前頭葉の発達が遅れて、集中力のない、キレやすい人間になる、という問題提起が、脳科学者の間から提出されるようになった。 わたしは専門家ではないから、詳しいことはわからないが、常識的に考えても、子供は成長に応じて心身を鍛える必要がある。適当なスポーツをすることで肉体が発達するように、前頭葉を鍛えるような学習をすることで、脳が発達すると考えていいだろう。 つまり、成長の過程に従って、適切な学習をしないといけない。よもやと思うのだが、この本を読んでいるお父さんは、こんなふうに考えてはいないだろうか。子供はのびのびと育てるべきで、詰め込みの勉強などは、幼い小学生に課す必要はない。大学進学のための勉強は、中学生になってから始めればいい。
これは間違った考え方だ。
三田氏は↑このように断言します。
この太字部分のようにズバッといいきれる人はなかなか居ません。
昔の子供は、山野で遊んだり、仲間と野球をやったり、それなりに前頭葉を鍛える遊びをしていたから、何の問題もなかったのだが、最近の子供は、友だちと遊ぶことは少なく、部屋に閉じこもってゲームに集中する。その結果、体は育っても前頭葉の発達が遅れる。そのため思考力や情操が育たずキレやすくなっている子供に、中学になってから、高校受験の勉強を強いるとどういうことになるか。
最近の若者が、思考力に欠け、情操も育たず、キレやすく暴力的になっているのも、算数をちゃんと勉強しなかったからだというと、言い過ぎになってしまうけれども、算数というものが、思考力の基礎を育てることは間違いない。算数は、ただの計算問題ではない。たとえばツルカメ算というものがある。ツルとカメの合計の数がわかっている。足の数の合計もわかっている。そこから、ツルの数、カメの数を求める問題である。
これを解くためには、全部ツルだと考えるか、全部カメだと考える。そういう極端な想定をしてから、最終的な結論に近づけている。こういう思考をたどって正解にたどりつくためには、「シミュレーション能力」といったものが必要だ。算数は、シミュレーション能力を鍛える。
科学者も社会学者も、仮説を立て、思考実験と呼ばれるシミュレーションによって、仮説の正しさを実証する。学者だけではない。企業の新製品開発の企画会議でも、社内の合理化のためのプロジェクトでも、営業部の会議でも、必要になるのは仮説を立てて未来を予測するシミュレーション能力だといっていい。その基礎は、算数にある。
算数は、決して「拷問」ではなく、子供の論理性や自制心を養い、父親の人生観を子供に伝えるための恰好のツールです。
社会の中で生きていくうえで、算数の基礎をきちんと理解しているか、そうでないかで、これから遭遇するであろう様々な場面をどう切り抜けていくのか、そういった「生き方」にも影響を及ぼしてしまうほどのものなのです。
父親が子どもに教えていくことの一つとして、そして、生き方の智慧として、こういう著作に触れるのも良いと思います。
冒頭の問題のこたえ合わせをされる方は、ここをクリックください。
※なお、冒頭の問題と解説はkamenoオリジナルです。
ご紹介した『父親が教えるツルカメ算』には、この問題は掲載されておりません。
代わりに、もっと洗練された問題と、解法が掲載されています。
貞昌院では平成15年11月4日より 5.544kW の太陽光発電設備を運用しています
(平成15年度NEDO・新エネルギー非営利活動促進事業)
その概要については、こちらの特集コーナーをごらん下さい。
これまでの発電実績の日報は↓こちらにまとめてあります。
その中で、2003年11月4日から2004年10月28日までの約1年間については、日照時間のデータを記載しております。
なお、日照の定義は、直射光の直達日射量が120W/m2以上の場合をいい、日照の継続時間を日照時間といいます。
太陽光発電は、太陽光エネルギーを電気エネルギーに変換しますので、日照時間と発電量には相関関係が見られるはずです。
せっかくデータを取っていますので、簡単な分析を行ってみました。
(分析対象期間:2003年11月4日?2004年10月28日の360日間)
その結果、 x=日照時間(時間) y=発電電力量(Kwh) とすると、 y = 2.00 x + 4.74 と近似されることが分かりました。
日照時間と発電電力量には、r=0.910743 の重相関関数が認められます。
【補足説明】
・日照時間が0であっても発電電力量が0になってない日がありますが、日照の定義による最低日照以下でも発電するため、発電積算量が0.1kwhを超えればその日の発電量としてカウントされます。
・同じ日照時間であっても、発電電力量に幅がありますが、それは、観測時点の雲の量や、太陽高度(たとえば夏至と冬至)の差による入射角度が異なるなどの理由によります。
回帰統計 |
|
重相関 R |
0.910743 |
重決定 R2 |
0.829453 |
補正 R2 |
0.828977 |
標準誤差 |
1.73813 |
観測数 |
360 |
分散分析表 |
|||||
自由度 |
変動 |
分散 |
分散比 |
有意 F |
|
回帰 |
1 |
5260.11 |
5260.11 |
1741.127 |
1.5E-139 |
残差 |
358 |
1081.552 |
3.021094 |
||
合計 |
359 |
6341.662 |
係数 |
標準誤差 |
t |
P-値 |
下限 95% |
上限 95% |
|
切片 |
-0.94324 |
0.189522 |
-4.97696 |
1.01E-06 |
-1.31596 |
-0.57053 |
X 値 1 |
0.414204 |
0.009927 |
41.72682 |
1.5E-139 |
0.394683 |
0.433726 |
昨日のトピックスの続きです。
カオスの論理を調べていく中で、興味深い研究に突き当たりました。
国立肥前療養所精神科医 田原孝氏の臨床研究報告です。
内容をかいつまんで箇条書きにすると次のようなものです。
■人間は、生まれてから死に至るまで、生体活動はカオス的に明瞭な変化を示す。■生まれたばかりの赤ちゃんの生体活動がは、無構造で、ノイズ的である。
■成長するに従って、次第に複雑なカオスを形成するようになる。
■健康な身体や精神状態であるほど、生体活動はカオス的に揺らいでいる。
■外界の変化を情報として取り入れて、これに柔軟に対応するカオス状態を作り出すことによって、生体全体の動的な安定を図っている。
■健康を損ねたり、疲労やストレスのある状態では、生体活動のカオスの程度は弱くなる。
■老化が進行すると、やはり生体活動のカオスの程度は次第に弱くなる。
■カオスの程度が弱くなり、規則的な構造になった時は、それは死を意味する。『臨床におけるカオスの応用』(バイオメカニズム学会誌、Vol.19、1995 田原孝)より要約
生体活動というのは、動脈波・静脈波・心臓の鼓動・眼球運動・身体運動・脳波・呼吸運動などをいいます。
これらの活動が、カオス的なゆらぎを示すわけですが、生老病死のそれぞれの時点で、特徴的な変化をみせるということです。
そして、健康状態が悪化するに従って、カオスの程度はどんどん弱くなっていき、究極の状態、つまりまったくカオス的でなくなり、規則的な構造になった時に死に至るというものです。
これは、「病気になる状態っていうのは、身体の状態の一定のリズムというものが崩れてしまうために起こり、そのリズムが崩れてしまう究極の状態が死である」と考えていた私にとって、まさに、全く違う方向からのアプローチであって、とても衝撃を受けたことを覚えています。
生まれた赤ちゃんの持つ、無構造でノイズ的っていうのを、イメージ的に描くと、
kじぇぐぉhgなふぉpdかkぐぇうぉgj 【無構造でノイズ的】 1/f0
というようになるでしょう。
それが、適切に作り出されたカオス構造では
このじょうたいがてきせつなかおす 【カオスを形成】 1/f
そして、死に至った時の規則的な単純構造は
あああああああああああああああ 【単純構造】 1/f2
こんなような感じで表わされるでしょう。
ここで、ジップの法則から1/fゆらぎについて考えてみます。
ジップの法則(-ほうそく、Zipf's law)とは、サイズがk 番目に大きい要素が全体に占める割合が 1 / k に比例するという経験則である。Zipfは「ジフ」と読まれることもある。包括的な理論的説明はまだ成功していないものの、様々な現象に適用できることが知られている。この法則に従う確率分布(離散分布)をジップ分布という。
Wikiペディア
すなわち、
・単語の使用頻度
・ウェブページへのアクセス頻度
・都市の人口
・上位3%の人々の収入
・音楽における音符の使用頻度
・細胞内での遺伝子の発現量
・地震の規模
・固体が割れたときの破片の大きさ
を調査していくと、それは、どうやら、自然界のゆらぎの大きさと頻度との関係にもあてはまることがわかってきました。
頻度(frequency)から生まれた用語が 1/f ゆらぎです。
1/f ゆらぎについては、以前のトピックス 電子音が溢れているけれど で触れています。
この1/f ゆらぎが、冒頭の、生体活動のカオス的揺らぎ、つまり、生命のリズムと結びつけることができるということになります。
私たちは、妙なる音楽や美しい風景に感動して、「我を忘れる」ことがある。他方、高エントロピーな騒音や汚物には嫌悪を感じるし、低エントロピーだが単調な音や図形に接していると退屈する。ともに対象から自己を遠ざけようとする。音の周波数のパワースペクトルを分析すると、美しい音楽は、前衛的な現代音楽(多くの人にとっては雑音である)などを除けば、1/f ゆらぎを持つことがわかる。美しい自然風景に特徴的な変化に富んだ曲線にも1/f ゆらぎが見られる。私たちが1/f ゆらぎに身体との心地よいハーモニーを感じるのは、私たち自身が1/fのゆらぎをもった複雑系であるからだ。他者の中に自己を見つけるとき、私と他者の間にある複雑性の落差が無化され、「我を忘れる」のである。『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』(三木成夫、うぶすな書院 1992)
文中の「高エントロピーな騒音や汚物」というのは
kじぇぐぉhgなふぉpdかkぐぇうぉgj 【無構造でノイズ的】 1/f0
の状態(冒頭の例でいう赤ちゃんの状態)であり、
「低エントロピーだが単調な音や図形」というのは
あああああああああああああああ 【単純構造】 1/f2
の状態であるといえます。(冒頭の例でいう死の状態)
となると、私たちが美しい音楽や美しい風景に接した時には、身体や精神状態により感動の度合いが異なるといえるでしょう。
そして、もし身体や精神状態が良くない場合は、適切な1/f ゆらぎを医療に導入することで、本来の生体活動に近づけることができる、というのです。
1/f ゆらぎについてその実態や理論構築の基礎アプローチをまとめたものが下記サイトにあります。
とてもわかりやすくまとまっていますのでご紹介いたします。
体感音響研究所のサイト
音楽における 1/f ゆらぎ分析の理解
毫釐も差あれば、天地懸に隔たり(ごうりもさあれば てんちはるかにへだたり)
道元禅師により著された『普勧坐禅儀』の一節です。
三祖大師『信心銘』にも「毫釐も差あれば、天地懸かに隔たる。現前を得んと欲せば、順逆を存すること莫れ」とありますが、漢和辞典を紐解くと、
毫は、ごく少し。わずか。蚕の口から出る糸十本。釐は、分の十分の一。極めて小さい数量。
とあります。
豪釐の用例として、漢和辞典には『漢書』巻六十二 司馬遷傳や『史記』太史公自序に「差以豪釐、謬以千里」という表現がありますので、中国ではかなり前から用いられた概念であることがわかります。
意味は、平たく言えば
「初めはごくわずかのちがいでも、終わりには大きなちがいになる」
ということですが、これは、科学、工学で最近用いられるカオス論理に通じるところがあります。
つまり、「毫釐も差あれば、天地懸かに隔たる」は、科学的に言えば、「初期状態への敏感な依存性」という言葉で言い表されます。
この「初期状態への敏感な依存性」というのは、すなわち、カオスの特徴を表わす言葉に他ならないのです。
カオスは、気象学者ローレンツが、気象の予測としてコンピュータで計算した出力結果が、初期値の僅かな違いによって結果が全く違ってしまうことに気づいたことにより見い出された概念です。
カオスを簡単に定義すると、
「決定論的なシステムがつくり出す非周期振動」
と言うことができます。
これは、後ほど出てくるロジスティック写像の計算を実際に行ってみると、視覚的によくわかると思います。
決定論システム=破ることができない不変の法則からなる系であり
非周期振動=専ら偶然に支配される確率論的な運動という意味です。
また、カオスの特徴はといえば
(1)自己相似(2)単純な数式から、ランダムに見える複雑な振る舞いが発生する
(3)初期値のごくわずかなずれが、将来の結果に甚大な差を生み出す(初期状態への敏感な依存性=バタフライ効果)
(4)過去の観測データから将来の長期予測が困難となる
ということが挙げられます。
なんだかよくわからない概念かもしれませんが・・・
例えば、サイコロを50センチの高さから落とします。
落とす位置と角度を正確に測り、落とす床の面も精密に仕上げた状態で、1回目を落とします。
1から6の何らかの目が出るでしょう。
さて、2回目を、1回目の初期条件と全く同じように設定して、同じサイコロで、同一条件で落下させてみます。
……それでも、きっと、結果は1回めとは違う目が出てしまうのではないでしょうか。
工業的には測定できない僅かな違いとか、たとえば空気の動き(風のわずかな揺らぎ)とか、地球の自転の加減とか、1回目で、サイコロにかすかな傷がついてしまったとか。
そんな程度の理由で、同じ目を(偶然ではなく確実に)出すことは不可能でしょう。
これが、「初期状態への敏感な依存性」ということなのです。
スタートの状態の僅かな違いが、結果としてまったく違って出てきてしまうのです。
カオスな系は、初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす。そのことが「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」と、よく例えられ、これをバタフライ効果と呼んでいる。
Wikiペディア
ということです。
もしかしたら、前述のサイコロの目の結果の違いは、地球の裏側の蝶の羽ばたきに拠るものも一因にあるかもしれませんね。
さて、このカオスを示す有名な計算式があります。
ロジスティック写像と呼ばれるものです。
例えば、連続時間の差分方程式として次のようなものを考えてみましょう。
x(t+1)=4x(t)(1-x(t))
という簡単な式です。
初期状態 t=0 のとき、初期値 x(0)を 0.2 とします。
すると、t=1 の時の x(t) の値は
x(1)=4x(0)(1-x(0))
=4×0.2×(1-0.2)
=0.8×0.8
=0.64
ですね。
(t=2 以下も同様に計算)
では、初期値 x(0)を 0.20000000000001 としてみましょう。
僅か 0.00000000000001 だけ違う、まさに「毫釐の差」です。
計算はエクセルで自動化できますので、ファイルで作ってみました。
エクセルファイル(クリックしてダウンロード)
結果をグラフに表すと・・・
青い線が x(0) = 0.2
赤い線が x(0) = 0.20000000000001
の結果です。
t=40近辺までは、赤と青のグラフは、ほとんど重なって同じ挙動をします。
ところが、それを越えると、急に挙動が変わっていき、まるで全く別の計算式の結果を示しているかのようです。
これがカオスの「初期状態への敏感な依存性」を端的にしめしているわけですね。
こんな単純な計算式ですら複雑な挙動を示します。
事象の未来を予測することが、どれほどコンピューターが発達したとしても不可能であることがわかりますね。
毫釐も差あれば、天地懸に隔たり
なかなか奥が深いです。
(以下続く)
テノール歌手秋川雅史が紅白でブレーク昨年末のNHK紅白歌合戦で「千の風になって」を歌ったテノール歌手秋川雅史(39)が大きな反響を呼んでいる。オリコン調べで紅白出演歌手の歌唱曲売上上昇率が約1カ月で338・1%を記録。2位の長山洋子「絆(きずな)」の125・2%を大きく引き離した。デイリーチャートの演歌・歌謡曲部門では2日付で1位に躍り出ると6日付まで首位をキープ。総合チャートでも、昨年12月31日付で15位だったのが4日付で2位に浮上した。
死者が残された人に向け「私のお墓の前で泣かないでください」と説く歌詞が、多くの人の心を打った。秋川の公式サイトには「感動の涙が止まらない」などのコメントが多数寄せられ、アクセス数は年明けから5万件を突破。昨年までの100倍ペースの人気ぶりだ。3月からは初の全国ホールコンサートツアーも決まった。紅白を通じて全国区になった「千の風になって」が春風に乗り、各地に届く。
http://www.oricon.co.jp/news/music/41055/
世界各地で行われる戦没者慰霊祭などで、よく朗読される詩を新井満さんが訳し、歌にしたのか、冒頭のニュースの「千の風になって」です。
先日の紅白歌合戦に登場してから、一気に全国の視聴者の心に響き渡り、大反響を呼んでいるようです。
思えば、昨年は、「命」という漢字に象徴されるように、命のあり方を考えさせられる事件が多発しました。
かけがえのない愛する人を失ったときに、その深い悲しみにどう立ち向かっていけばよいのか。
この詩は、きっと、その答えの一つを導きだしてくれるものです。
詩は、「私のお墓の前で泣かないでください・・・」という言葉で始まります。
けれども、ぐっとこらえても、どうしても涙はとめどなく流れてしまう。
涙は何故流れるのだろう。
しかし、思いっきり泣いて、涙が枯れた後で、気づくことはあるのです。
この詩は、愛する人を失いとめどなく涙を流した経験を持つ人の心にこそ響くものなのでしょう。
『千の風になって』 (新井満訳詩 講談社) も併せてご紹介します。
千の風になって
著者/訳者名 新井満/日本語詩 講談社 (ISBN:4-06-212124-7)
発行年月 2003年11月9.11米国、同時多発テロで、父親を亡くした11歳の少女が、一周忌に朗読した。
IRA(アイルランド共和軍)のテロで命を落とした24歳の青年が、“私が死んだときに開封してください”と両親に託した手紙の中に、この詩が入っていた。
女優マリリン・モンローの二十五回忌に朗読された。
朝日新聞『天声人語』が紹介し、大反響となった“死と再生の詩”作者不明の英語詩を、作家・新井満が日本語詩に。
「千の風になって」出版社/著者からの内容紹介より
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31207042&pg_from=rcmd_detail_1
各国の慰霊祭で朗読され、新井満さんが訳したした作者不明の英語詩は次のようなものです。
A thousand winds
(Author Unknown)Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumun's rain.When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
これを訳した新井満氏の詩については、新井満氏のサイトをご参照下さい。
http://www.twin.ne.jp/%7Em_nacht/1000wind/1000wind.html
さて、この作者不明の英語詩については、作者のはっきりした原詩があるようです。
そのあたりの経緯は、「千の風になって」の詩の原作者について:オーママミア や Celestial-spells ソラノコトバに詳く記載がありますので、そちらをご参照下さい。
ここでは、原詩をご紹介するにとどめます。
Do not stand at my greave and weep
Words by Mary Frye (1932)Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush.
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in the each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there I do not die.
【出典】
http://www.businessballs.com/donotstandatmygraveandweep.htm
作者不詳の詩も、原詩も、どちらも韻を綺麗に踏んだ、とても美しい詩ですね。
内容もさることながら、美しい韻の流れによって、余計に心に響くのだと思います。
和訳は、それこそ千人もの方々による、千通りの『千の風になって』がありますが、私なりにアレンジしてみました。
私のお墓の前に立って泣かないでください
私はそこに留まって眠ってはいないから
私は千もの吹き渡たる風となる
私はふわりと地面に舞い降りる雪となる
私はそぼふる雨となる
私は豊かな収穫をもたらす畑になる
私は静まりかえった早朝に
空に弧を描く美しい鳥の群れとなる
私は満天の星となる
私は咲き乱れる花々となる
私は静かな部屋の中に
私はさえずる鳥となる
私は美しいものすべてとなる
だから、私のお墓の前に立って泣かないでください
私はそこに留まって死んではいないから
この美しい詩から、私は、内山興正老師の『興正法句詩抄』の中の詩を想起させられます。
『生死』
手桶に水を汲むことによって
水が生じたのではない
天地一杯の水が
手桶に汲みとられたのだ
手桶の水を
大地に撒いてしまったからといって
水が無くなったのではない
天地一杯の水が
天地一杯のなかに
ばら撒かれたのだ
人は生まれることによって
生命を生じたのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めのなかに
汲みとられたのである
人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めから
天地一杯のなかに
ばら撒かれるのだ
この続きは、過去のトピックス
死後の世界は
http://teishoin.net/blog/000123.htmlも併せてご参照下さい。
発達した低気圧の通過に伴い、ここ横浜は一昨日一日中降り続いた雨模様から一転、昨日は冬晴れの天気と、目まぐるしく変わっています。
私は、個人的には雨の日の落ち着いた雰囲気が大好きです。
境内の花々も雨粒を纏い、生き生きと、そしてきらきらと輝いています。
撮影した1秒後に落下していきました。
年間を通して坐禅をしていると、季節の変化、天候の変化をとても敏感に感じるようになりますが、雨の日の坐禅は特に心地よいものです。
軒先から落ちる雨だれの音が絶え間なく、しっとりとした堂内に響き渡ります。
雨だれといえば、ショパンの名曲 Prelude Op.28-15 (Raindrop)が思い浮かびますが、彼がこの作品を生み出したときに一緒に生活をしていたジョルジュ・サンドは、次のように記録しています。
あの朝、具合の良かった彼を置いて私は逗留生活に必要な品物を買いに出かけました。雨が降り出し急流が氾濫し、12キロの道を6時間かけて洪水の中を帰りました。御者に置き去りにされ、今までに聞いたこともないような危険を通り抜け、夜遅くなって裸足で帰宅したのです。私は病人が心配するのではないかと急ぎました。かくて、病人はひどく心配していたのです。彼は涙を流しながらすばらしいプレリュードを弾いていました。その夜の彼の作品は、修道院のよく響く瓦の上に落ちる雨の音に満ちていましたが、その雨の雫は彼の想像と音楽の中では、天から彼の胸の上に落ちる涙に変わっていたのです。Histoire de ma vie わが生涯の歴史 (George Sand ,1855)
病気を患い、療養中だったショパンの抱えていた大きな不安が、途中の嬰ハ短調の重々しい旋律として表れているようですが、そのとき修道院に降り注いでいた雨というのは、こんな感じだったのでしょうか。
(修道院ではなく、貞昌院の境内の写真ですけどね)
嬰ハ短調の旋律のような、どうしようもない不安に包まれる時期は、きっと誰にでも訪れます。
大本山に修行に行っていた頃を思い返すと、上山したての頃は、右も左も分からず、何ともいえない不安な毎日を送っていました。
初めて経験した摂心期間は雨がずーっと降り続き、函櫃(僧堂内の箪笥のようなもの)の中の蒲団は湿っぽく、カビすら浮いてくるような状況。
そんな中で行じた坐禅や、カビ臭い蒲団に包まって聞いた雨だれの響きは嬰ハ短調の雨だれとして記憶に残っています。
Prelude Op.28-15 は、最後に再び変ニ長調の旋律へと変わっていきます。
かすかな希望が、だんだんとはっきりと見えてくるように。
修行での生活も、日を追うごとに、不安がぬぐわれていくことが分かりました。
雨の日の坐禅が心地よく感じられるようになったのは、半年以上過ぎてからです。
誰にでも訪れる、どうしようもない不安に包まれた時期の後には、きっと雲一つ無い晴天の日が待ち受けているのではないでしょうか。
降り止まない雨なんて無いのですから。
紀香&陣内の挙式費用は30万円以内女優藤原紀香(35)とお笑いタレント陣内智則(32)が30万円以内の“格安”で挙式することが27日、分かった。2人は来年2月17日に神戸市中央区の生田神社で挙式するが、同神社の正規料金通りに費用は最低10万から30万円以内となる。また、「ファンにもアピールしたい」と希望しており、当日は一般参拝客にも晴れ姿が披露される可能性もある。
紀香は26日深夜の会見でイエローのミニスカで登場したように、スタイル抜群で派手なイメージがあるが、陣内と迎える門出は、30万円以内の質素な神前挙式だった。生田神社の人気プラン「本殿挙式 千代の舞台」は、挙式料に新郎新婦の衣装が各1点、式服着付け、写真撮影(集合、2人の2カット)に親族用控室料、介添え料の合計35万円で設定。挙式だけなら10万円からでも可能だ。26日の会見で、紀香は家紋入り十二単(ひとえ)を花嫁衣裳に選んだことを明かしており、神社側は「衣装は持ち込みですから、30万円以内になると思います」と説明した。
挙式後に芸能関係者を招いた盛大な披露宴を行う可能性もあるが、結納、挙式とも“庶民派”の同神社にこだわったのには理由がある。紀香は27日に更新した自身のブログで「生田神社は学生時代からの思い出の神社。高校の謝恩会もそこでやりました。(阪神淡路大)震災で倒壊してしまったとき、どうしようもなく悲しかったけれど、神戸の人たちの思いとともに復活を遂げた生田さん。お式はどうしてもそんな生田さんでやりたかった」とつづっている。親しみのある場所で、幸せになりたかったようだ。
同神社は2人の意向として「一般参拝客にも祝福して欲しいと聞いています」と明かした。警備の問題などがクリアされれば、晴れ姿が一般客に披露されることになりそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061228-00000023-nks-ent
近年、冠婚葬祭が商業ベースに乗せられて、豪華一点張りになりがちでしたし、信仰に関係なくファッション感覚で教会式ウエディングなどを行ったりということが流行りです。
統計データをみてみましょう。
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2005年の結婚式の状況 結婚情報誌「ゼクシィ」(リクルート発行)調べ
■実施した挙式形式
教会式 68%
神前式 16%
人前式 15%
■結婚費用総額は382万円
全国で一番高い地域は福島の460万円。
結納・婚約?新婚旅行までにかかった費用総額は、前回調査より9.4万円アップ。
■結婚式にかかる費用総額
挙式、披露宴、披露パ?ティ?費用総額の費用総額の平均は293万円。
最も高いのは福島の372万円となり、最も低いのは北海道の165万円。
招待客1人あたりの単価は4.0万円。
地域別にみると、北陸が5.1万円で15地域中最も高く、以下、東海(4.9万円)、新潟(4.8万円)が続く。
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やはり、教会式(チャペルウエディング)は人気ですね。
もう一点、結婚費用総額は年々上場傾向にあるようです。
ニュースにあるように、陣内智則さん・藤原紀香さんの挙式は、藤原紀香の学生時代からの思い出の神社である、神戸の生田神社での挙式ということで、結婚式を挙げるならここ!と決めていたようです。
意外にしっかりした考えをお持ちの方だと見直しました。
タイトルの「挙式費用は30万」というのは、衣装とか披露宴関係の費用は含まれない、生田神社での挙式費用のみの金額ですから、結婚費用はその他にそれなりに掛かるのは致し方ないでしょう。
しかし、二人の選択に心から拍手を送りたいと思います。
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なお、統計データで、仏前式というデータが出てきていませんが、パーセントで表示すると恐らく1%以下でしょう。
まだまだマイナーではあります。
仏前結婚式も、神前式に負けない厳粛さがあります。
「結婚式はどうしても貞昌院でやりたかった」と多くの方に言っていただけるよう、アピールや挙式までのハードルを低くしていく努力をしていきたいところです。
■貞昌院の仏前結婚式
http://teishoin.sakura.ne.jp/wed/wed.html
心臓手術展示会『心臓手術ってどんなもの?』?キッズ大会?
手術で使用する器具を使ってみましょう
心臓超音波装置で実際の心臓の動きを見てみましょう
人工心肺装置を動かしてみましょう
豚の心臓で手術を体験してみてください
ペースメーカー、人工弁、人工血管を手に取ってご覧ください
平成18年12月23日(土)13:00-17:00
神奈川県立こども医療センター旧講堂にて
これは、常日頃お世話になっている神奈川県立こども医療センターから地元の小学校に配られた展示会の案内です。
心臓手術は、ここ数年の間にかなり進歩しました。
結果、現在では、生まれつき心臓に障害をもつ子どもたちの大半が、赤ちゃんのうちに手術を受けることができ、健康児と変わらない生活を送れるようになっています。
しかし、一度の手術で終わらず2度3度と手術が必要であったり、ちょっと歩いても息切れしたり、不整脈の危験を日常絶えず感じながら生活しなければないことも多いのです。
ところが、このような患者さんは、車椅子を使っているわけでもなく、盲導犬に導かれているわけでもなく、外見からは分かりにくいため誤解されやすいのが現状です。
心臓病に限らず、このような患者さんは、内部障害者と呼ばれています。
最近、ようやく、一般の方たちの意義を意識を高め、正しく知ってもらおうという動きが起こってきました。
冒頭の展示会は、その活動のうちの一つです。
内部障害者の多くは、日常、薬を飲み違えたり、飲み忘れたりしてはいけないという不安の中、文字通り毎日を命懸けで生きています。
医療技術が進歩し、手術が生後早期におこなわれるようになった結果、以前では助からなかった重篤な患者も助かるようになってきました。
それにともなって、内部障害の子どもたちも増えています。
学校で、地域で、内部障害の子どもたちと一緒に生活している健康な一般の子どもたちに、内部障害について考え、体験できる、こういう展示会が毎年行われている事はとても素晴らしい事です。
そして、このような高度医療機関が近くにあることに、心から感謝しています。
先日のトピックスで書いた、SOTO禅インターナショナルの会報。
http://teishoin.net/blog/000614.html
PDF化も終わり、年末に会員向けに発送する会報33号と一緒に、創刊号?33号までのバックナンバーの入ったデータCDを同封することになりました。
PDF化したデータを、CDコピーの業者に送付すれば、数日のうちに仕上げてくれます。
※ちなみに、昨年は、ゆめ観音DVDの記録映像を作成し、同様にプレスしました。
http://teishoin.net/blog/000306.html
昨年と今年で、大きく違う異なる事が一つ。
それは、昨年まではマスタの版を作成して業者に宅配する必要があったのですが、今年からは業者でFTPサーバを用意してくれてたこと。
これにより、インターネットを通してマスタ版のデータとラベルデータを送るだけで注文が完了します。
在宅のまま、出来立てほやほやのデータを送れば、あとは、ケースに一枚一枚梱包された製品が届くのを待つだけです。
しかも、一枚あたりコストは100円そこそこですよ。
なんという便利な世の中なんでしょう!
誰も気づかず ただひとりあの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる
空に憧れて
空を駆けていく
あの娘の命は
ひこうき雲
今日、ふと空を見上げると、晴れ渡った冬空に、一条の飛行機雲が冬空を貫いていました。
それはそれはみごとな飛行機雲で、東の地平線から西の地平線までずっと続いていました。
冒頭の詞は、言わずと知れた荒井由美の「ひこうき雲」です。
身近に起きた若い女の子の飛降り自殺という重いテーマでありながら、無表情で、かつ無感情で、淡々とした表現方法により、逆に鮮烈な感情を沸き起こさせる名曲です。
本当に悲しいことに直面した時には、人はただ呆然と立ち尽くすだけで、何の感情表現もできないのかもしれません。
最近になって、自殺のニュースをよく耳にするようになりました。
日常的ないじめを受けて、それを誰にも相談できず思い悩み、自らの命を絶つ子も少なからずいるでしょう。
「ひこうき雲」の女の子のように、理由なんか誰にも、もしかしたら本人にさえもわからないこともあるでしょう。
けれども、ただ、一つだけはっきりしていることは、たとえどんなことがあったとしても、いのちは簡単に捨ててはならないということです。
自殺は決して美化されるものではないのです。
今悩みを抱えている人にも、そうでない人にも、お薦めの本があります。
シャリーン・コスタンゾさんが、自分の生まれてくる子どものために書いたメッセージ。
心温まる絵本です。
あなたが生まれた日、
あなたがはじめて小さな息をした瞬間、世界中が喜びでいっぱいにみたされました。
あなたの誕生日をいわって、生きとし生けるものすべてのものが、
あなたに12の贈り物をさずけました。
あなたがその贈り物を必要とする日のために・・・・・・
(中略)
これらがあなたにおくられた12の贈り物です。
そして、最高の贈り物がもうひとつあります。
それはあなた自身です。
そのことに気づいたとき、
あなたは出会ったことのない数多くの仲間と
むすばれていることに気づくでしょう。
あなたに贈られたものは、すべての人に等しくあたえられた宝物であり、
それは人々とわかちあえばあうほど、
ゆたかな宝物だということに。
すべてを生かし、生かされ、よろこび、感謝する人生が
あなたのものになりますように・・・
『世界でたったひとりの大切なあなたへ?12の贈り物』
(シャリーン・コスタンゾ作 黒井健訳) より一部引用
ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界
初詣でシーズンを前に、インターネット上で「参拝」「祈願」ができたり、お守りやお札を販売したりする試みを巡って、神社界が揺れている。全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。
地元で「安産の神様」として知られる高知県南国市の新宮神社。ホームページで「インターネット参拝」を選ぶと、「ネット記帳」の欄が表示される。願い事を書き込み、「私のお願いをよろしく」というボタンをクリックすると、神社に電子メールが送信され、無料で祈願してもらえる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061216-00000004-yom-soci
インターネット上に発信された情報が信仰の対象となりうるかということについては、論議の分かれるところですが、もしも、信仰の対象になりうるのならどういった方法論があるのかを考えてみます。
ここでの論旨を先に書きます。
「方法によってはバーチャル参拝も有り」だという論旨で、このトピックスを書いていきます。
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私たち人間は渾沌である自然に意味を持たせることで「文化」という秩序をもたらしました。
日常は、1日、1週間、1ヶ月、1年という、それぞれが完結性を持たない全体(一人一人の一生)の部分です。例えば1日は、朝から始まり晩に完結するように見えますが、1週間の中から見れば1日は部分的であるといえます。
このような日常性が文化の所産であるとするならば、その全体性を明確にするために、意味づけを補強するシステムが必要になる訳です。
これが、「儀礼」であって、例えば初詣とか成人式や結婚式、葬儀などのイニシエーション(通過儀礼)は、一生の中で自分が(人が)どの位置にいるかを明確にする充実感をもたらすものとして重要な役割を果たします。
『文化記号論』1994(池上嘉彦・山中桂一・唐須教光 講談社学術文庫)から引用すれば、このような非日常的な儀礼は、本来連続的な時間が、日常生活においてあたかも部分的に区切られているかのように構成されてしまうものを、その部分部分を全体の中で再構成することにより、新たな秩序を生み出し、全体性を回復させる装置として働くものだといえます。
この具体例として、池上は次の3つを挙げています 。
(1)衣装晴着、喪服、司教や導師の衣装、など、ある意味非実用性と装飾過多の非日常的な衣装が秩序の一時破壊と秩序の鮮明化を行い、それによって既存の秩序を再確認するという役割を果たす。
(2)食生活
おせち料理や感謝祭の食事など、内容的に非日常的なものと、誰と食べるかという非日常性の二つが考えられる。特に後者は、例えば祭りの日に、家族以外の人と食卓を囲むということにより、一種の緊張と反秩序を生み出す。お見合いの席で、互いに異なる集団に属する二家族が新たな集団を形成するのに食事や酒が重要な役割を果たすのも顕著な例といえる。(3)空間
日本家屋には神棚や仏壇があり、それによる聖なる空間が存在している。そこは、宗教儀礼などの非日常的な行事以外に使用しないのが通例である。そこでは、生活している家族と自らの先祖が一時的に結合する場となり、そこで、綿々として続く家系の中に断片化した自己を見出し、全体性を回復させる場として機能している。そこへは日常的な出入りを制限したり、子供たちがふざけるのを禁止することも多い。
このような「非日常空間」の装置として、教会や寺院、神社などの宗教施設があります。
通常、宗教施設の建物は、日常的な一般の構造物とは異なった形状をしていて、その空間に入るときには、衣装を定められたり、持込が制限されたり、騒ぎ立てるなどの行為を禁止したりというルールが存在する訳です。
例えば神社には、鳥居という結界があり、そこを通過するときには身を清め、気持ちを正して境内に入らなければならないというルールが求められます。
【神社境内に入るときは】神社にお参りするときは、まず入口の鳥居の処で衣服を整え、
一揖をし、心を引き締めて、境内に入りましょう。
神様の鎮まります神社境内へ、何の御挨拶を申し上げずに、
ズカズカと入ることはまことに失礼なことなのです。
(神社庁パンフレットより)
このあたりが、冒頭の神社庁がバーチャル参拝自粛を求める通知をを出す根拠になっているのでしょう。
まず、このような非日常がなぜ必要なのかをもう少し考えてみます。
それは、戦後の日本を見ると明確になります。
戦後まもなく伝統的な慣例が徹底的に排除され、虚礼として廃止されていきました。
しかし、戦後から時を経るにしたがって、伝統的な儀礼や慣習がどんどん復活していったばかりでなく、新しい祭事が作られていきました。
現在でも、さまざまな新しい祭りできているという現象を目の当たりにしたりします。
社会の閉塞性を打破して<ハレ>の日を求めるという気運もあるのでしょう。
しかし、このような伝統行事は、最近、逆に失われ始めているという事実も見過ごすわけには行きません。
都市化の進展や家族制度の崩壊、核家族化、少子化によって伝承がうまく機能しなくなったからです。
このことは、参加者の「記号論的な役割分担」が明瞭に分かれていないのに、現在の儀礼では、大多数の人が単なる受け手としてしか参加していないという状況も生みだしました。
ハレの意識をもてない人が増加したということは、積極的にそのイベントに参加せず、単なる傍観者、見物人になっているということになります。
その意味で、今は文化のパラダイム変革寸前の危機的状況であるとも言えます。
さて、話を元に戻しましょう。
非日常空間の装置として「バーチャル参拝」が機能するためには、例えば旧来の日本家屋の仏間に設置されている仏壇の前に形成される「聖なる」空間のような結界空間をどのように設定できるかに係わると考えられます。
インターネットは、テレビやラジオと異なり、積極的にコンテンツを受け止めていくメディアであるという特色があります。
全体性を明確にするべく、意味づけを補強するシステムは、構築の仕方によっては、インターネットを通じたコンテンツ配信でも充分可能であると考えられます。
「仏間で仏壇を開く」行為と、「パソコンで参拝したいサイトを開き、クリックしながらバーチャル参拝を行う」という行為に明確な差異は生じないのかもしれません。
さらに、例えば、その宗教の「聖地」のライブカメラ生中継のように「現実の」宗教施設が実在し、そこに参拝したことがあるという経験の積み重ねの内在化によって形成される感覚様式が形成されるという構図が明確に構築されれば、バーチャル参拝は確実に成立するといえます。
田村貴紀は、『天理教のインターネット利用に関する試論』の中で、天理教サイト利用者にアンケート調査を行い、神殿の中継画像に対して「懐かしい」「ほっとする」「現場の様子が見られてうれしい」「またおぢばへ行こうと思う」などの設問に対して60%以上の肯定的な回答を得ています 。
このように、バーチャル参拝についても、メディアを通して「本物の」境内が見られるということが参拝行動につながる事例も見られるのです。
バーチャル参拝の経験が積み重ねられて内在化することによって、その感覚が新たなものへ変化し、新たな感覚様式の枠組みが形成された事例の一つと考えられます。
その意味で、インターネット上で、宗教のサイトを訪問した際に、実際にその宗教施設の中にいるかのような体験をさせることは、比較的容易に実現可能だといえます。
ただし、だからこそ、注意しなければならないのは、メディアそのものが「信仰の対象」になってはならないということです。
偶像崇拝に陥った場合の危険性については過去に何度も論議されているところですから、ここでは言及はしません。
大前提として大切な事は、あくまでも、実際の宗教施設による活動が行われており、その宗教の信者が、宗教活動の一つの手段として利用するということなのです。
最初に論旨を書きましたが、そこでいうところの「バーチャル参拝も有り」だということは、上記の大前提があってこそ言うことができることです。
天理教の事例も、おぢば帰りとして定期的に実際に「聖地に参拝する」という体験をかさねているからこそバーチャル参拝が成り立つわけですからね。
ですから、みなさん、三が日などの節目ごとにきちんと参拝をしましょう!
最後に、CMC(コンピュータを介したコミュニケーション)を利用した宗教行為(バーチャル参拝)というと、奇異なものであるように思えるかもしれませんが、インターネットの中に形成された非日常的な空間も、本来連続的な時間が、日常生活においてあたかも部分的に区切られているかのように構成されてしまうものを、その部分部分を全体の中で再構成することにより、新たな秩序を生み出す機能を有するとすれば、行為遂行的発話によって宗教的意味が形成されるという点で、これまでの宗教儀礼と本質的に変わりはないものであるといるのかもしれません。
東海道五拾三次之内 戸塚「元町別道」
初代広重 保永堂版(横浜市歴史博物館蔵)
制作年代 天保4年(1833)頃
有名な安藤広重の浮世絵です。
そういえば、永谷園のお茶漬けにおまけとして付いていて、よく集めた思い出があります。
絵には、旅人が駄賃馬から縁台に降りようとしている男、それを出迎える茶屋女などが描かれています。
茶屋の名称は「こめや」。
軒先には「大山講中」「月参講中」「百味講」「神田講中」「京師講中」「太々講講中」などの札が下がっています。
また、描かれている橋は「吉田橋」で、橋の手前に「左り かまくら道」の道標が描かれています。
写真は、明治時代末期の吉田橋の様子です。
東海道五拾三次之内 戸塚「元町別道」に描かれている「こめや」は、この頃もあったようです。
「こめや」は江戸期には茶店兼旅篭でしたが、写真の頃は米の売買や、よろづ屋だったようです。
浮世絵の雰囲気をなんとなく感じることが出来ますね。
「左り かまくら道」の道標も写っています。
現在、吉田橋は「吉田大橋」として残されています。
横浜新道が出来てからは、旧道となり、少し前の交通量ほどはありませんが、戸塚駅を貫く幹線道路としての役割を果たしています。
「左かまくら道」の道標は、現在は、橋の東側ににある日蓮宗妙秀寺の境内に保存されています。
また、吉田大橋の欄干には、東海道五拾三次之内 戸塚「元町別道」の絵も埋め込まれています。
吉田大橋の地図はこちらです。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/24/08.606&el=139/32/24.829&scl=25000&bid=Mlink
江戸の名残を随所に残す東海道。
歴史を振り返って辿ってみるとおもしろいですね。
ダイヤ乱れ、遅延運休5200件 JR発足後最悪
鉄道のダイヤの乱れが年々ひどくなっている。05年度に起きた列車運休や30分以上の遅れ(輸送障害)は5201件で、JRが発足した87年度以降で最悪を更新した。時刻表が複雑・過密化して乱れやすくなったことに加え、鉄道各社の過度のコストダウンが原因との指摘もある。ダイヤが乱れた結果起きる事故も絶えず、専門家は「障害の中身を分析し、対策をもっと練るべきだ」と警告する。
鉄道会社は輸送障害の内容や原因を地方運輸局に報告する義務がある。国土交通省によると、05年度の報告件数は前年度より396件(8%)増で、90年代前半のほぼ2倍の水準になった。
中でも、自殺や災害によらない、鉄道会社の設備・車両の故障や人的ミスによる「部内原因」の障害が目立つ。05年度は前年比で27%増。今年9月28日に起きたJR東京駅地下の変電所火災では、JR京葉線が8時間以上止まる事態となった。
国交省鉄道局は「なぜダイヤの乱れが増えたのか、理由はわからない」とする。だが、関西のある鉄道会社の担当者は、05年度の増加については「05年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故以来、何かトラブルが起きた場合の運転再開に慎重になり、結果的に遅れが増えたのでは」とみる。
JRグループ7社の輸送障害発生率は私鉄よりもはるかに高い。走行100万キロあたりの発生件数は、JR(在来線)が6.0件に対し、私鉄・地下鉄は2.1件だ。
JR各社は「私鉄に比べて電車の運転系統が複雑で、運転本数も増やしてきた影響が大きい」と説明する。例えばJR西日本は民営化後、京阪神を結ぶ京都・神戸線と、宝塚、学研都市線や関西空港線を直通する電車を増やしてきた。乗客には便利だが、余裕が乏しくモザイクのようなダイヤが生まれ、いったんどこかでトラブルが起きると影響が広範囲に及ぶことになる。
また、各鉄道会社が人口減少に備えて進める要員削減などの効率化が、輸送障害を深刻化させているとの見方もある。昨年7月と今年2月に関東で起きた地震では、線路を点検するJR東日本の作業員の手配が追いつかず、復旧が遅れた。大雪が続いた昨冬は、除雪に手が回らず、運休が長引いた例も多かった。
鉄道各社は「輸送障害を減らす努力は常にしてきた」と強調する。宝塚線事故を起こしたJR西日本は安全関係の投資を大幅に増額し、故障に備えた予備車両の配置や老朽設備の更新を進める。今年3月には所要時間を延ばすダイヤ改定をし、遅れが出にくくした。
線路の陥没や信号故障などが続くJR東日本は7月、復旧要員の増員など総額70億円の緊急対策を決めた。
輸送障害の発生率が主要各社で最も高いJR北海道は雪による故障が主因とみて、車両構造の強化に取り組む。
大手私鉄で最も発生率が高かった阪神電鉄は、故障が多かった車両機器の一斉点検を実施した。
鉄道関係者は「ダイヤ通り走る時が最も安全。乱れた時は焦りや勘違いから、さらに大きなミスを犯しやすい」と言う。鳥取県のJR伯備線で今年1月、踏切トラブルなどでダイヤが乱れ、単線の作業現場を通る特急の順序が変更になったのを現場責任者が勘違いした。その結果、保線作業員3人が特急にはねられて死亡する大惨事につながった。(朝日新聞 2006年11月21日)
私事ですが、2年間勤務した宗務庁を12月6日付で契約期間満了にて退任することとなりました。
たいへんお世話になりました。
・・・・という堅苦しい挨拶は置いておいて、毎日の通勤に電車を利用していると、以前(役所に勤めていた頃)に比べて随分遅延が多くなっているように感じます。
といっても、私の利用している京浜急行はまだマシで、JR中央線や京浜東北線を利用している仲間などは、かなり頻繁に遅延の影響を受けておりました。
そのあおりで、京浜急行は、JRの全面振替輸送を請け負っていたりして、その際の混雑たるや、乗車もままならないほどです。
利用者の様々な利便性を考えて、複雑かつ緻密なダイヤ編成をしているのだと思いますが、それが原因で定刻どおりに到着できなかったり、安全性が失われるようでは本末転倒です。
朝日新聞の記事に、鉄道別の輸送障害の表が乗っていましたので、データ化してみました。
主な鉄道別の輸送障害(05年度、国交省調べ)
発生件数
|
走行100万キロ当の件数
|
|
JRグループ7社
|
3870(1440)
|
6.02 (2.24〉
|
JR北海道
|
350(151)
|
8.99 (3.88)
|
JR東日本
|
1389(556)
|
6.03 (2.41)
|
JR東海
|
232 (66)
|
4.93 (1.40)
|
JR西日本
|
1239(339)
|
7.49 (2.05)
|
JR四国
|
53 (16)
|
2.46 (0.74)
|
JR九州
|
242 (92)
|
3.71 (1.41)
|
JR貨物
|
365(220)
|
4.90 (2.96)
|
大手私鉄15杜
|
349(139)
|
1.08 (0.43)
|
東武鉄道
|
52 (17)
|
1.31 (0.43)
|
西武鉄道
|
34 (6)
|
1.59 (0.28)
|
京成電鉄
|
6 (2)
|
0.49 (0.16)
|
京王電鉄
|
8 (0)
|
0.56 (0)
|
小田急電鉄
|
34 (20)
|
1.65 (0.97)
|
東京急行電鉄
|
15 (7)
|
0.92 (0.43)
|
京浜急行電鉄
|
2 (1)
|
0.12 (0.06)
|
相模鉄道
|
4 (3)
|
0.76 (0.57)
|
近畿日本鉄道
|
59 (30)
|
0.91 (0.47)
|
阪急電鉄
|
16 (8)
|
0.71 (0.36)
|
阪神電鉄
|
17 (10)
|
2.33 (1.37)
|
公営地下鉄など10社
|
113(45)
|
1.15 (0.46)
|
東京メトロ
|
43 (11)
|
1.37 (0.35)
|
JRグループは在来線のみ。カッコ内は件数のうち部内原因
発生件数をとって見るとJRグループがやはり断トツに多いことがわかります。
まあ、営業距離数が多いから仕方ないとして・・・・しかしながら、走行100万キロ当りの件数で比較してみても、やはりJRの輸送障害件数は私鉄に比べて際立って多いです。
不思議なのは、JRの場合、例えばある路線(例えば京浜東北線とする)の一箇所の信号障害があったとして、それが京浜東北線のみならず、全体的に波及することです。
一点の障害が面的に広がってしまい、それがなかなか回復しないんですね。
これは、システム上の欠陥としか言い様が無いのではないでしょうか。
表を見ると、やはり体感どおり、京浜急行はほとんど輸送障害が発生していません。
エクセルでグラフを作成してみました。
主な鉄道別の輸送障害(05年度、国交省調べ)
走行100万キロ当の件数
しかし、引用していて気づきました。ほとんど運行障害が起きず、起きたとしても直ぐに回復できる訳が。
それは、この引用の最後にある部分(太字にしてあります)です。
つまり、 「運行管理を手作業でやっている」ということではないかと。
確かにコンピューター任せの制御というのは正確で効率的かもしれません。
しかし、それはあくまで予測通りに動いている場合であって、不測の事態の際に対応できるのは、あくまで人間だけだということです。
コンピューターに頼りきった社会は、意外に脆弱なものです。
そして、効率性を求めるあまり、余裕(=遊び)の無いシステムを作ってしまうと、それは重大な障害を引き起こしてしまう原因になるということを心しておかなければならないでしょう。
振替輸送を受けた満員電車に揺られながら、そんなことを考えてきた2年間でした。
■関連トピックス
以下、借力からの部分引用
京浜急行の噂
JRの品川から横浜付近までの電車が止まると、必ず京急も遅れる
JRの客を京急で乗せるため
この時、JRの品川・蒲田・横浜等々の駅の窓口は苦情で凄いことになっている。
てか京急、信号故障とかで止まってるとこ見たことないぞ。これぞ京急
最近も信号故障の原因で止まったぞ、停電事故とかさ
横須賀線が台風で止まろうとも、京急は平然と営業を続ける。
京急が台風で止まるなら関東すべての電車が止まっている
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E4%BA%AC%E6%B5%9C%E6%80%A5%E8%A1%8C%E9%9B%BB%E9%89%84
京急の特異性に関する噂
京急線は人を6人轢かなければ止まらないといわれる。
人身事故でもものの15分もあれば復旧するが、片づけが杜撰なため、再開直後の電車に乗ったら飛んだ人のスニーカーが線路に落ちているのを見たことがある。
警察とかで15分じゃ再開しないでしょ
営業列車を走らせながら警察に現場検証させていた。検証になっていたかどうかは不明。
労使交渉なども真っ先に解決し、ストライキはまずない。
信号扱いの大部分をいまだに手作業でやっている。JR東日本で運行管理システムのトラブルが連発した時、日経が驚いて記事にしたことがあった。
だから逝っとけダイヤなんて曲芸ですら何事もなかったようにやってのける。
信号扱いはATSなんだから自動。手作業でやっているのはどこ行きの電車がどの駅をいつ発車したかの運行管理。コンピュータ処理の場合は「CTC」。もともと京急は指定席車もなければワンマン運転区間もないからこれを導入しても恩恵が薄い。
個々の信号機の制御のことをいっているのなら、「自動閉塞方式」かな。ATSはあくまで列車の保安装置だから。今は連動装置があるから、「信号扱い」=「てこ扱い」でも問題ないと思うけど。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E4%BA%AC%E6%80%A5%E3%81%AE%E7%89%B9%E7%95%B0%E6%80%A7
新景観施策:屋上・屋外点滅広告を全面禁止へ 京都市古都の眺望景観を守るため京都市は24日、看板などの屋上広告物や、屋外の点滅照明広告物を、それぞれ市内全域で全面禁止する新たな景観施策案を発表した。標高を基準にした建築物の高さ制限も導入する。広告物規制は既に設置されているものも対象にする方針で、市都市計画局は「市全域での規制は例がない。世界に誇る歴史都市空間にしたい」としている。市民の意見も聴いて条例改正案や新条例案をまとめ、来年2月の定例市議会に提案。可決されれば07年度の早期に施行する。
広告物の規制については、屋外広告物条例の改正で対応する。点滅照明広告は屋上でなくても規制する。建物と一体になっており、商品名や企業名、店名がついたり消えたりするものなどが対象。常時照明がついている場合は対象外となる。
市は、既存のものも含めて6年後をめどに全廃したいとしている。規制対象となる広告物の数は調査中。業者が従わない場合は撤去を促し、営業停止や業者名の公表も検討する。広告主に対しても、3年ごとに維持管理・保守点検と報告を義務付ける。
一方、高さ制限強化については新条例も制定する。市中心地区(1万5000ヘクタール)では、新規の建築物の高さ規制を地区によってそれぞれ2?16メートル厳しくし、31?8メートルに制限してデザインも規制する。特に、仁和寺など世界遺産や、著名な観光地38カ所の周辺では、日本瓦や土塀など和風デザインを義務化するなど、地域の特性にあった様式にする。
さらにこの38カ所では、新規の建物は地面からの高さではなく、標高でも規制する。例えば「五山送り火」などの場所と人の目とを結んだ面を高さの上限とし、視界をさえぎる建築物を規制する。眺めの阻害要因にならないよう屋根のこう配や色彩などデザインも規制。市によると標高での規制は全国初という。
市は案に対する意見を27日から12月28日まで募集する。
市は、開発の動きが活発化していることを受けて今年4月、町家が軒を連ねる中心部で高さ規制の強化を打ち出し、次の手を検討していた。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061125k0000m040106000c.html
先日のトピックスでご紹介した「みなとみらい」は、横浜市の工場を中心とした産業景観が、以前の資源を活かしつつも洗練された意匠の元に計画された好例です。
経済効率ばかりを追求すると、画一的でその都市らしさが失われた個性の無い街になってしまいますが、その地域独自の個性や安らぎ、豊かさ、潤いを保ち、、そして歴史的・文化的価値を損ねることのないような都市景観について、行政を中心真剣に取り組む都市が多くなりました。
今回、新景観施策を打ち出した、京都市は、平安建都以来、千二百年を超える歴史を刻む日本を代表する都市といっても過言ではありません。
豊かな自然と数多くの歴史的資産や風情ある町並みとが調和した景観は、京都らしい景観として永い歳月をかけて培われてきたものです。
また、いつの季節に訪れても、日本の持つ四季とともに変化する折々の彩りが、京都の景観に奥深さを与えます。
例えば、これからの季節は紅葉が楽しめますが、数百年の先見性をもった先人たちによって計画的に植えられたモミジによって、現代の私たちがこのような素晴らしい景観を享受できることを忘れてはなりません。
高度経済成長期以降、京都の町並みは高層ビルやマンションが林立するようになり、看板などの屋上広告物や、屋外の点滅照明広告物も目立つようになりました。
そこで、都市景観を保護するために、総合的にさまざまな規制を設けるというのが、この新景観施策の主旨です。
大いに賛成です。
新景観施策の詳細はこちらをご参照ください。
京都市都市計画局都市景観部都市景観課
http://www.city.kyoto.jp/tokei/keikan/
ニュース記事の中にある38箇所とは、世界遺産を含む歴史的資産周辺や、市街地が近接し、建築物の高さやデザインについて新たに規制しなければ、近い将来、眺望景観や借景が損なわれる可能性のある箇所です。
具体的には
(1)境内の眺め
賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社)・教王護国寺(東寺)・清水寺・醍醐寺・仁和寺・高山寺・西芳寺・天龍寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・龍安寺・本願寺・二条城・京都御苑・修学院離宮・桂離宮
(2)通りの眺め
御池通・四条通・五条通・産寧坂付近の通り
(3)水辺の眺め
濠川・宇治川派流・疏水
(4)庭園からの眺め
円通寺・渉成園
(5)山並みへの眺め
鴨川から東山・賀茂川から北山・桂川から西山
(6)“しるし”への眺め
賀茂川右岸から「大文字」・高野橋、高野川左岸から「法」・北山通から「妙法」・御薗橋及び賀茂川左岸から「船形」・松尾橋から罧原堤から「鳥居形」・西大路通から「左大文字」・船岡山から「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」
(7)見晴らしの眺め
賀茂大橋から北方・桂川両岸から嵐山一帯
(8)見おろしの眺め
大文字山から市街地
という、8つに分類された38箇所です。
画期的なところは、ある地点からの眺望、または見下ろしといった斜めの線で高さ制限をおこなうこと、そして、地面からの高さではなく、標高でも規制するということです。
経済成長が上向きになり、無秩序な開発が進みつつある中で、このような景観施策が実効的に働くことを切に願うところであります。
桜木町から橋を渡り、ナビオス横浜の開口部を通り抜けて赤煉瓦倉庫へ向かう「汽車道」。
そこには、かつて鉄道が通っていた面影として線路が残されています。
「汽車道」は、かつての高島線の一部です。
高島線の桜木町から先は廃線となりましたが、その跡地が見事な「汽車道」というプロムナードとして再生されました。
この素晴らしい意匠に対し、汽車道は 2001年の土木学会デザイン賞・最優秀賞を受賞しました。
http://www.jsce.or.jp/committee/lsd/prize/2001/works/2001b2.html
高島線の歴史は、日本の最初の鉄道である1872年(明治5年) 初代横浜駅?新橋駅間から始まります。
当時の横浜駅は、現在の桜木町駅の付近にありました。
あまり知られていませんが、現在の横浜駅の位置は、三代目として昭和になってから移設された場所です。
横浜駅の変遷については、こちらのサイトが詳しいです。併せてご参照ください。
横浜駅の移設により、以前の路線は貨物線へ変遷。
物資輸送の主力が鉄道となり、横浜港の各埠頭から桜木町を通り、鶴見から東京方面へ続く貨物線が整備されました。
これが高島線です。
高島線の通っていたルートを赤い線で描いてみました。
桜木町から汽車道を通り、赤レンガ倉庫を抜けて、山下公園脇の高架を通り、山下埠頭まで通じる貨物路線です。
しかしトラック輸送の増加により、高島線の桜木町から先は廃線に追いやられてしまいました。
【高島線】高島線(たかしません)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から同市神奈川区の東高島駅を経由し同市中区の桜木町駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線貨物支線のひとつの通称。旅客列車が走る事は滅多にないため、存在さえ知られていないことが多い。
鶴見では東海道貨物線・武蔵野線の新鶴見信号場と東海道貨物支線の東京貨物ターミナル駅方面に接続しており、また桜木町では根岸線に接続している。線内完結の列車はなく、鶴見以遠と根岸線を結ぶ中継ルート的な役割を果たしている。
現在は東高島駅で運転停車があるのみだが、根岸線根岸駅(根岸駅は日本国内の車扱い量No.1)で取り扱う貨物列車や、逗子駅で取り扱う主に東急車輛製造の新車の甲種輸送による貨物列車を鶴見以遠と中継する役割を担っており、日中はおよそ30分おきに列車が来ることもある。以前は通称:新興線との分岐点の入江信号場(現:新興駅)で内外輸送の化成品輸送、東高島駅では同駅に接続する瑞穂支線沿線の在日米軍基地『横浜ノースドック』専用線へのジェット燃料輸送、日本製粉専用線のホッパー車扱い、横浜市場への専用線へ鮮魚列車の発着などもあった。
横浜機関区(高島機関区)に隣接した高島操車場では機関車のつけかえや山下埠頭方面へ分岐する臨港貨物線山下埠頭駅からの荷扱いがあったが、現在は高島操車場と横浜機関区は廃止、新興駅と東高島駅が残っているものの、荷扱いは廃止されている。
横浜線の貨物が盛んで八王子からの生糸などを輸送していた当時は、東高島駅付近に瑞穂駅、海神奈川駅などの臨港貨物駅も存在し、貨物は東神奈川駅ではなくこちらが終点だった。現在でも、東高島駅前に旧横浜線の線路・橋りょう跡を見ることができる。
(Wikiペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%AB%98%E5%B3%B6%E9%A7%85
このように、高島線は日本で最初に汽車が走った場所でもあり、高度成長の物流を支え、(関東近辺では)最後の方まで汽車が残っていた場所でもあります。
また、横浜港からサンフランシスコへまでの船舶航路に接続するため、1920年(大正9年)から1960年(昭和35年)にかけて、「ボートトレイン」が東京駅?横浜港駅(現在の赤レンガ倉庫付近)間で運行され、この高島線を走りました。
左の写真=撮影地は地図の(3) / 右の写真=撮影地は地図の(2)
↑これは、横浜港開港120周年行事として、1980年(昭和55年)6月13-15日に高島線の東横浜?山下埠頭間を三往復したSLです。
ボートトレインを模して再現されたものです。
父のNikonFを借りて撮影しました。しかもモノクロフィルム。
かなり大きなニュースになっていたので、ものすごい人だったことを覚えています。
これがお客さんを乗せて横浜を走る最後のSLだと思います。(間違ってたらごめんなさい)
この後、まもなく山下公園脇の高架も取り壊されてしまいました。
↑写真は、2001年(平成13年)秋に開催された「横浜トリエンナーレ」に出品されていたオノ・ヨーコの『貨物車 Freight Train』です。
赤レンガ倉庫前に展示されていたものです。
ボートトレインの終着駅はここでした。かつての横浜港駅が、写真奥のように再現されています。
汽車道は、時代の変遷とともに役割も景観も変わっていきました。
それぞれがその時代ごとの横浜らしさを象徴する場所であり続けていることが素晴らしいですね。
かつての面影に思いを馳せながら、桜木町から山下埠頭まで廃線跡を歩いてみてはいかがでしょうか。
桜木町?ドッグヤードガーデン・日本丸メモリアルパーク?港一号橋梁?港二号橋梁?港三号橋梁?運河パーク?ナビオス横浜?ワールドポーターズ?赤レンガ倉庫?山下公園?山下埠頭
思わぬ発見もきっとありますよ。
日本は狭いながら、地方ごとにそれぞれ独自の文化があります。
他の地方には到底理解できないものでも、それは、その地方では当然の常識なのです。
その地方独自の風習が、その地方の人々の強い連帯感をもたらします。
このような独自性は、情報化社会の中でも、ずっと生き続けて欲しいものです。
サンマーメン / マックスコーヒー / 熊出没ガラナキャラメル / 静岡おでん
【関連トピックス】
http://teishoin.net/blog/000544.html
http://teishoin.net/blog/000571.html
http://teishoin.net/blog/000421.html
さて、chakuwiki をご存知でしょうか。
chakuwiki は、Web2.0の特徴をよく利用した参加型のバカ情報集約サイトです。
chakuriki(=借力)って言葉はWeb2.0そのものっていう感じでとっても素晴らしいネーミングです。
以前からバカ日本地図 (思い込みで持っている日本地図のイメージ) を楽しませていただいていたのですが、WIKI型になり、パワーアップしています。
chakuwikiは、バカが、バカなテーマで、バカな情報を集める場です。誰でも内容を編集でき、新しくページを作ったり、画像をアップしたりできます。新しいテーマを追加する時は、このページを編集してください。ただし、くだらない物をお願いします。(サイトの紹介文より)
オススメのサイト。一日中楽しめます。
いくつかさわりをご紹介しましょう。
■ご当地レシピ
地方色は、食文化に如実にあわられることがよく分かります。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/Category:%E9%A3%9F%E6%96%87%E5%8C%96
■ご当地カルタ
各県のイメージカルタです。栃木と茨城、静岡と山梨、四国各県の手の抜きっぷりがなんともいえません。
クリックすると各県の情報に飛びます。
http://www.chakuriki.net/diary/archives/2006/01/post_551.html
関東地方の噂
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E9%96%A2%E6%9D%B1
神奈川県の噂
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D
だんだんとコアな部分に入っていきます。
↓
横浜市の噂
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82
ここまでくると、もはや根っからの地元民しか分からない領域です。
↓
港南区の噂
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82/%E6%B8%AF%E5%8D%97%E5%8C%BA
蛇足ですが、私が毎日通勤に使っている京浜急行の噂
京浜急行の噂
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E4%BA%AC%E6%B5%9C%E6%80%A5%E8%A1%8C%E9%9B%BB%E9%89%84
京急、個人的に大好きです。
ファン倶楽部があったら入りたいくらい。
以前から気になっていた、環境を考えるシンポジウムに参加してきました。
合意できる部分はとても多く、実りのある会合でありました。
パネリストの方々の発表も素晴らしかったし、何よりも参加者一人一人が問題意識をきちんと認識し、それに対して自らができることを具体的に模索している姿はとても好感が持てます.
また、参加者の層も、年代、職種様々で、いろいろな角度から物事を見ることができるということ、そして異業種の意見交換ができるということはとても有意義でありました。
多くの実のりあるシンポジウムだっただけに、一つだけ、残念に思えた事があります。
それは、参加者に配られたお弁当、ペットボトル飲料の数々、そして懇親会の紙皿や割り箸・・・・
快適な参加環境を提供してくださるスタッフの心遣いは大変にありがたいと思います。
私たちの生活はとても便利になりました。 けれども、その便利さにより犠牲になっていることはたくさんあります。
大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済社会活動により、環境に対する負荷が年々増大し、さまざまな環境問題が発生していることは周知の事実です。
そのことを反省し、将来的に具体的な目標を掲げた上でのバックキャストに基づく環境運動を私たちが行っていかなければならない。
そのシンポジウムの場で、大量のゴミを発生させるということに何か矛盾はないだろうか。
なぜ、ペットボトルのお茶を飲みながら廃プラの問題を論議したりできるのだろうか。
それに異を唱える人が居なかったということも少し残念な気持ちです。
ペットボトル飲料は、蓋が付いているから、少しづつ飲めるし、飲み残しすることもできます。
今や飲料容器の大部分のシェアをペットボトルが占めています。
昨年度は、ペットボトルの生産量は実に52万トン、リサイクル率は約50%(出典:PETボトルリサイクル推進協議会)です。
つまり、半分はリサイクルされ樹脂フレークから繊維へ。 残りの半分はゴミとして埋め立てられたり燃やされたりします。
容器として利用されるのは僅か1回だけです。 大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済の象徴とも言えますね。
このようなシンポジウムの時には、例えば竹の皮に包んだおにぎり、御新香、自ら持参した水筒に入れたお茶、リターナブル瓶に入った飲料水といった配慮も必要なのかなぁと感じました。
繰り返しますが、シンポジウムの内容は、とても素晴らしかったです。
改めて復習の意味で、私の考えを含めてまとめさせていただこうと考えています。
【参考】
表:インベントリー分析容器間相対比較環境負荷項目 | 1(負荷小) | 2 | 3 | 4 | 5(負荷大) | |
1.地球温暖化 | CO2(kg) | リターナブル(20回) リターナブル(20回)未来型 |
リターナブル(5回) リターナブル(5回)未来型 アルミ缶未来型 紙容器 紙容器(バイオマス) |
アルミ缶 ペットボトル ワンウェイビン未来型 |
スチール缶(2P) ワンウェイびん |
スチール缶 |
2.大気汚染 | SOx(g) | 紙容器 紙容器(バイオマス) |
リターナブル(20回) リターナブル(20回)未来型 リターナブル(5回) リターナブル(5回)未来型 |
アルミ缶未来型 スチール缶(2P) |
アルミ缶 スチール缶(3P) |
ワンウェイびん ワンウェイびん未来型 ペットボトル |
NOx(g) | リターナブル(20回) リターナブル(20回)未来型 |
リターナブル(5回) リターナブル(5回)未来型 アルミ缶未来型 紙容器 紙容器(バイオマス) |
アルミ缶 スチール缶(2P) |
スチール缶(3P) ペットボトル ワンウェイびん ワンウェイびん未来型 |
||
3.水資源 | (kg) | リターナブル(20回) リターナブル(20回)未来型 リターナブル(5回) リターナブル(5回)未来型 ワンウェイびん未来型 |
スチール缶(2P) スチール缶(3P) アルミ缶未来型 ワンウェイびん 紙容器 紙容器(バイオマス) |
アルミ缶 | ペットボトル | |
4.水質汚濁 (スチール缶のデータなし) |
BOD(g) | リターナブル(20回) リターナブル(20回)未来型 リターナブル(5回) リターナブル(5回)未来型 アルミ缶、アルミ缶未来型 |
ペットボトル ワンウェイびん ワンウェイびん未来型 |
紙容器 紙容器(バイオマス) |
||
COD(g) | スチール缶を除く、紙容器以外全て | 紙容器 紙容器(バイオマス) |
||||
SS(g) | スチール缶を除く、紙容器以外全て | 紙容器 紙容器(バイオマス) |
||||
5.エネルギー消費 | (kcal) | リターナブル(20回)未来型 紙容器(バイオマス) |
リターナブル(20回) リターナブル(5回) リターナブル(5回)未来型 紙容器 |
アルミ缶未来型 | ペットボトル ワンウェイびん未来型 アルミ缶 スチール缶(2P) |
スチール缶(3P) ワンウェイびん |
6.固形廃棄物 | (kg) | ペットボトル リターナブル(20回) リターナブル(20回)未来型 リターナブル(5回)未来型 アルミ缶未来型 紙容器 紙容器(バイオマス) |
ワンウェイびん未来型 リターナブル(5回) アルミ缶 スチール缶(2P) スチール缶(3P) |
ワンウェイびん |
出典:容器包装のLCA評価研究
容器が環境にあたえる負荷は、天然原料の使用や廃棄物の発生以外にも、容器をつくる時に使われるエネルギーや商品の輸送にともなう環境負荷などもあるため、さまざまな要素を総合的に判断していかなければいけません。この様なライフサイクル全般(容器の原料調達から使用後の廃棄までの一生を各プロセスで)で発生する環境負荷を計算し、容器の環境評価を行う研究を「LCA(ライフサイクルアセスメント)研究」といいます。
上の表は「ライフサイクル」全般にわたる環境負荷を考えて比較をした「LCA手法による容器間比較研究会」(リーダー:東京大学生産技術研究所 安井至教授)により示された比較表です。
h嬢から頂戴した「熊出没注意 ガラナキャラメル」他、ご当地キャラメル(+チョコレート他)の数々です。
個人的なリクエストにお応えいただき、お土産としていただきました。
北海道には、不味すぎることで有名になり、売れゆき好調な「ジンギスカンキャラメル」がありますが、それ以外にもコンビニエンスストア、御土産物売り場では何種類ものご当地キャラメルが売られています。
その理由をexciteニュースで見つけました。
北海道に行くと、フツウのコンビニに並ぶ限定キャラメルの豊富さに仰天する。お菓子コーナーの一角に、堂々と「北海道限定キャラメル」の棚があり、そこにはグリコや森永など、大手のものは存在していない。
どれも土産物として、明らかに観光客を狙ったものだが、「バンビミルクキャラメル復刻版」「バンビチョコレートキャラメル復刻版」(以上、池田製菓)、「熊出没注意 焼きトウキビキャラメル」(道南食品)、「サッポロビールキャラメル」(メルシー)など、会社は異なるのに、なぜかいずれもタテ11.7センチ×ヨコ4.5センチの統一された細長タイプだ。
食べてみた。
「バンビキャラメル」は、大手の味に近いマイルドでベーシックな味。「熊出没注意 焼きトウキビキャラメル」はキャラメルコーンにも似た香ばしさで、「ちょっとお茶ください」と言いたくなる感じだ。あ、でも、そもそも「キャラメルコーン」って、キャラメル+コーンの味だから、これは逆輸入なのか。
「サッポロビールキャラメル」は、かすかにビールの香りがし、口に入れた途端、「酒饅頭」にもちょっと似た、ほんのり鼻に抜ける発酵臭が広がる。ことのほか、うまい。
他にも北海道限定では、「夕張メロンキャラメル」とか「男爵いもバターキャラメル」、強烈なものでは「ジンギスカンキャラメル」なんてのもあるようだ。
確かに、北海道は観光客が多いため、日常の生活と密着したコンビニでも観光客への売り込みを…というのはわかる。でも、なぜキャラメルなのか? 北海道→寒い→甘いキャラメルが人気、ということなのか?
創立80周年で、復刻版の「バンビキャラメル」を出している池田製菓に聞いてみた。
「一般スーパーとコンビニに納入しているキャラメルメーカーは、全国に約10社あるようですが、そのうち2社が北海道なんです。
また、コンビニに並んでいるのは、観光みやげ品としての需要が高いためです。弊社でははっきり数字でいえませんが、一般スーパーの納品に比べ、土産用は数倍多い出荷額になります。寒い地域=キャラメルというイメージではないと思いますよ」(池田製菓・竹ヶ原さん)
ちなみに、同社の「バンビキャラメル」が復刻したのは昨年11月。近年の復刻版ブームに加え、80周年記念として昔のままで発売したそうだが、これが半月で15万個を売り切る大人気になったとか。観光と懐かしさと、いろんな要素がいりまじってのヒット商品は、今は全国の百貨店やスーパーの北海道物産展などで販売されている。
ということで、どれだけ種類があるのか・・・・・調べてみると有るは有るは・・・・・・
まだまだ網羅しきれていないと思いますが、とりえずざっと検索したところで、美味しいと思われる順に並べてみました。
ただ、『食べてみたい』と思うのは、意外な味を期待させる、順列下位のキャラメルです。
※熊出没注意シリーズは頂戴し、実際に食したものなので、それを標準指標として序列化してみました。
※「熊出没注意 ガラナキャラメル」・・・うーん、こんなものか・・という微妙な味。もっと強烈な味でもいいかも。少し後に残りますね。
職場のK師曰く、「練り消し」の味だそう。まさに混入されていると思われる芳香剤がそんな感覚を催させます。
【美味しいと思われる順(あくまで個人的フィーリング)】
・流氷の天使 クリオネ クリームキャラメル
・熊出没注意 イチゴミルクキャラメル
・網走監獄から帰りました ミルクキャラメル
・十勝きなこキャラメル
・ごまあざらしの玉子 ミルクキャラメル 白樺樹液入り
・熊出没注意 焼きトウキビキャラメル
・北海道 富良野ラベンダーキャラメル
・網走監獄キャラメル コーヒーブレンド
・神秘の果実 北海道ハスカップキャラメル
・テレビ父さんのバターキャラメル
・北海道 男爵いもバターキャラメル
・北海道 十勝あずきキャラメル
・北海道 チーズキャラメル
・北海道 ハッカキャラメル
・オホーツク 塩バターキャラメル
・熊出没注意 ガラナキャラメル
・生粋 北の誉キャラメル
・函館いかすみキャラメル
・こんぶキャラメル
・サッポロビールキャラメル
・函館 塩ラーメンキャラメル
・ジンギスカンキャラメル
芝生に座りながら、夕ぐれの境内でのジャズセッション、詳細のアナウンスです。
出演交渉とプログラムの内容については、私もお手伝いさせていただいております。
こじんまりした会場ですが、一流のアーティストの演奏を間近に楽しむことができる贅沢な演奏会です。
かなりお薦めです。是非皆さんお越しください。
シルクロード・ジャズセッション @ 長福寺
【演奏】
◆ 邵容(琵琶)
◆ 曹雪晶 (二胡)
◆ 木崎二朗(ピアノ)
◆ 宮崎正秀(ベース)
◆ 坂田稔(ドラムス)
【日時】
平成18年10月21日(土曜日)
第1部 16:00-16:40
休憩
第2部 17:30-18:10
【会費】
志納で結構です
【場所】
長福寺 (神奈川県藤沢市村岡東3丁目)
地図はここをクリック
【予定---kamenoメモ】
・第一部は型にはまった形式で、第二部は途中から型どおりでなく自由に、フィーリングにまかせて破綻していくスタイル
・タイムアフタータイム、ジャズのスタンダードナンバー
・ニューシネマパラダイスとか童謡や秋の歌
・茉莉花、だったん人の踊り、ジュピター、アメージンググレース、月の光・・・
◆ 邵容(シャオロン)(中国琵琶)
中国上海生まれ。国立北京中央音楽学院(大学)卒業。
人間国宝級の中国琵琶の大家である劉徳海に師事。
1987年、国立上海民族楽団に琵琶ソロ奏者として入団。同年、上海芸術祭で優秀芸術賞を受賞。
1989年に来日し東京芸術大学に留学。
1990年、劇団四季「マダムバタフライ」公演に出演し注目を浴びる。
「天平楽府」(奈良正倉院所蔵の国宝級古代楽器のレプリカによるアンサンブル)のメンバーとして現存する1200年前の五弦琵琶(レプリカ)奏者として活躍、日本文化庁派遣によるアメリカ公演や中国の公演に参加。
1998年、日本フィルハーモニー交響楽団によるタン・ドゥン作曲のオペラ「マルコ・ポーロ」公演のソリストとして出演。
1999年、札幌交響楽団との共演で圃伊玖麿作曲「万里長城」を演奏。
1999年、「パシフィック・ミュージック・フェスティパル1999」に招かれタン・ドゥン作曲「琵琶と弦楽器オーケストラのための協奏曲」を世界初公演。また、横浜みなとみらいホールでのアジア作曲家会議演奏会やサントリー音楽財団創設30周年記念コンサート等に出演。
2002年、ルーマニア国立放送交響楽団、大阪シンフォニカー交響楽団、中国国立交響楽団、ジョルジュ・工ネスコフィルと共演。
2003年、徳島県民文化祭オープニンブコンサートで三木稔作曲「瀬戸内夜曲」と「ORIGIN」を演奏。
2004年5月、NHKアジアハートフルコンサートに出演、全国にテレビ放送された。
2004年8月、サントリーホール主催サマーフェスティパル2004「ミュージックトゥデイ21?音楽の現在?」に出演。
2005年3月、音楽のまち・かわさきで「アジア交流音楽祭」に出演、中国、韓国、日本の名演奏家熱演。
2005年4月、第2回アジア楽士の会「春爛漫音楽祭2005」上野文化会館で出演。
録音作品には、CDとして「蘭」、「蘭?」(パシフイックムーン)、「緑」、「ニューエイジア?」、「ASLANMUSE」(東芝?EMI)、朗読「源氏物語?藤壺(瀬戸内寂聴作)」(NHKサービスセンター)。
宇宙戦艦ヤマト生誕30周年を記念、宮川彬良「アコースティックヤマト」(日本コロムビア)。、DVDとして入門教則用の「中国琵琶」(ドレミ楽譜出版社)がある。
現在、女子十二楽坊プラティアアカデミー中国古典楽器スクールの主任講師を務めている。
◆ 曹雪晶 (そうせっしょう)(二胡)
上海民族楽団の二胡演奏家として、ソリストを担当。一般演奏会や、国賓の歓迎レセプションを中心とし、また、中央人民放送・上海放送など、テレビ・ラジオ・レコードなどのメディアでも活躍。上海民族楽団代表団として、海外コンサートツァーにも参加。
来日後は東京を中心に日本全国でコンサートを行い、同時にCDやCM音楽の演奏などさまざまな分野で活動。中国民族音楽以外にも、邦楽音楽家やクラシック、ジャズ等他ジャンルの音楽家とのコラボレーションにも意欲的に取り組む。
<<最近の主な活動>>
テレビ・ラジオ
NHK大河ドラマ「秀吉」劇中演奏
NHK「中国語講座」での演奏
筑紫哲也の「NEWS23のオープニング音楽」(前)演奏
中国・朱鎔基首相出演の「NEWS23市民討論会」の際、スタジオでテーマ音楽演奏
朝日放送「ABCDEーす」での生演奏
TBS主催「アジア弦楽器コンサート」での独奏演奏。
NHK国際ラジオ放送への出演・演奏。
NHKテレビ「スタジオパーク」にてバンブーオーケストラと共演
演劇・舞台
野田秀樹主催の演劇「キル」の舞台演奏
市川猿之助のスーパー歌舞伎「カグヤ」「オオクニヌシ」の劇中音楽
国立近代美術館フィルムセンター主催「中国映画祭」30年代無声映画の伴奏
イベント、コンサート
ドイツ文化会館でリサイタル
国民文化祭(三重県及び栃木県)
平安建都1200年記念式典(京都)
和太鼓集団鬼太鼓座との共演(サントリーホールを始め全国での公演、海外公演など)
戦後50周年の集い(政府主催)
東京大学教養学部オルガン演奏会でのリサイタル
東京文化会館にてリサイタル「二胡によるトゥーランドット」
他、演奏会多数 CM音楽も多数。
◆ 木崎二朗 (ピアノ・司会)
平塚ウインドオーケストラ常任指揮者、JAZZ WORKSHOP主宰者。ジャズをはじめとする諸音楽の生演奏を地域の多くの方々に接してもらうべく活動を続けている。
◆ 坂田稔 (ドラムス)
1980年に、日本を代表するジャズ・オーケストラ「宮間利之とニューハード」に入団し、以来ニューハードのドラマーとして又、自己のバンドのリーダーとしてコンサート活動を続けている。
1981年インド・ジャズ祭、1984年フランス・ジャズ祭、
2000年ニューヨーク・JVCジャズ祭(元ニューポート・ジャズ祭)に出演。
内外のコンサートを通じて、ハリー・エディソン、ヘレン・メリルエディ・ゴメス、ケニー・カークランド、ジョン・ファディス、ルー・タバキントム・ハレル、イラケレ、等海外アーティストとも共演。
◆ 宮崎正秀 (ベース)
ゲイスターズジャズオーケストラのメンバーとして活躍。ライオネル・ハンプトン氏ら有名音楽家との共演など、様々な活動を展開。
CSRという用語をご存知でしょうか。
CSRは、Corporate Social Responsibility の略であり、企業の社会的責任と訳されます。
近年は、CSRの関心が高まっており、社会人としての基礎用語として定着しつつあります。
企業は、当然、売上高や利益追求など経済的な目的を持っていますが、企業の価値はそれだけで量れるものではありません。
いくら売上高や利益が高くても、法令を守らなかったり、自己中心的な活動をしていると、社会的な信頼を失い、消費者からは、いずれそっぽを向かれることになるでしょう。
CSRとは、企業が、市民や地域、社会の顕在的・潜在的な要請に応え、より高次の社会貢献や配慮、情報公開や対話を自主的に行うべきであるという考えをいいます。
企業の価値は、単純に売上高や利益だけだはなく、企業がどれだけ法令を遵守しているか、環境保護に取組んでいるか、人権擁護、労働環境、消費者保護、社会貢献等で社会的責任を十分に果たしているかによって量られる時代となっているのです。
【主な企業のCSR の例】
アサヒビール
東芝
資生堂
NTTドコモ
また、CSRは、企業(営利法人)だけに当てはまるものではありません。
行政、民間、非営利法人全てに当てはまるものです。
特に、公益法人は社会の中で、非営利部門の活動を担う代表として重要な役割を果たしています。
公益法人の「公益性」の意味を考えると、営利法人以上に法令遵守、環境保護への取組み、人権擁護、労働環境、消費者保護、社会貢献等で社会的責任が求められる事は明白です。
そのために、公益法人には、基本的なガバナンス(法人統治)の確保や体制、運営や事業の透明性、コンプライアンス(法令遵守)を積極的に取組むことが求められています。
公益法人、特に宗教法人は、宗教的側面という聖域が有り、また、宗教法人法設立以降、所轄庁による許可・監督・指導下におかれ、監督行政の中でぬるま湯に浸かってきた面があります。
それゆえ、営利法人に比べてCSRの明確な提示を行うという点で遅れがあることも否めません。
宗教法人が公益法人として、如何に社会的責任を果たす事が出来るのか。
貞昌院でCSRに取り組むとしたら具体的にどういう取組みができるのかをまとめてみました。
貞昌院のCSRに対する取組み
■檀家さんのために
檀家さんの要望に応え、満足いただけるように、寺院として出来ることを追求し、それらを一つ一つ着実に実現していきます。
⇒例1
■地域のために
地域の中の寺院として、共存共栄をめざした取り組みを推進していきます。
⇒例1
■情報公開・開示
寺院を安定的に運営し、地域に還元するとともに、公平かつ迅速な情報開示に努めていきます。
⇒例1
■社会貢献
文化支援活動や社会貢献活動を通じて、豊かな社会をめざします。
⇒例1
■コンプライアンス
宗教法人法などの関連法規、曹洞宗宗制などの包括関係規則を遵守します。
■人権擁護
人間一人一人の人権を尊重し、差別のない社会をめざします。過去帳調査や人権侵害に反対します。
■環境保護
自然の恵みを次世代に受け継いでいくために、境内に緑地保存地区を設定したり、太陽光発電など、さまざまな環境負荷の削減に取り組んでいきます。
⇒例1 例2
【蛇足】
・宗教法人には宗教的側面と世俗的側面がある
・宗教法人が公益法人たる根拠となる宗教法人法は、宗教法人の世俗的側面だけを取り扱う法律である。
・したがって宗教的側面については、認証庁であっても一切介入できない。
・公益法人制度改革案?原則非課税、設立は準則主義(または要件をはっきりさせた上で認証主義)、残余財産分配不可の3点。
・公益法人制度改革案?公益性判断の要件として、ガバナンスの整備と情報開示の充実を求める。
・ただし、ガバナンスの整備と情報開示が政教分離の原則に反する可能性の整理が必要
「ばんそうこう」何と呼ぶ? 「ねえ、リバテープ持ってる?」。そう口にして、友人や同僚に妙な顔をされた経験がある。私は福岡県出身。「リバテープ」は九州を中心に流通するガーゼつき救急ばんそうこうの商標名だ。地元では通じるが、よその皆さんには通じなかった。実は、それを何と呼ぶか、で出身地が分かる物は少なくない。あなたは「ばんそうこう」何と呼ぶ?◇広く浸透バンドエイド??リバテープ熊本/カットバン佐賀/サビオ北海道
★これも方言
ばんそうこうは、各地で「バンドエイド」「カットバン」「サビオ」など商標名で呼ばれていることが多く、どう呼ぶかで出身地が推測できる。
東京女子大の篠崎晃一教授(社会言語学)は、呼び方の地域的なバリエーションを「方言」ととらえ、約10年前に全国調査した。どの地域でも一般名称である「ばんそうこう」のほかに、複数の呼び方が存在している。篠崎教授の調査を参考に、その都道府県で一番ポピュラーと思われる呼び名の分布をまとめたのが別図だ。
広く浸透しているのは、現在43%の市場シェアを誇るジョンソン・エンド・ジョンソンの「バンドエイド」だ。篠崎教授の調査時点で、全国でテレビCMをしていたのは「バンドエイド」だけだった。日本上陸は59(昭和34)年。メディアの影響力も後押しして、最も有名なブランドになったといえる。★地方発
「リバテープ」は60(同35)年に星子旭光堂(現リバテープ製薬)が発売。創業のルーツが西南戦争という、熊本県のしにせメーカーだ。「熊本での認知度はほぼ100%。九州の人なら一度は聞いたことがあるはず」と同社総務部。九州では、ほかに「カットバン」の知名度も高い。命名の由来は「ばんそうこうをカットしたもの」だから。佐賀県に本社のある祐徳薬品工業の商品だ。
北海道での呼び名「サビオ」は、もともとスウェーデンの有名メーカーの商品。日本では63(同38)年からニチバン、75(同50)年以降はライオンがライセンス契約を結び、販売していた。「20年ほど前は、北海道でシェア1位だった」(ライオン広報部)が、02(平成14)年に製造が中止されている。商品は消えたのに、商標名が一般名詞として使われ続ける珍しい例だ。
篠崎教授は「現代になって新しくできたものの場合、ホチキス、サランラップ、宅急便などのように、特定のブランド名が一般名称のように定着する例はある。ばんそうこうは、複数の商標名が定着しているうえ、地域的な特徴も大きい」。かなりユニークな存在といえそうだ。
関東/関西で異なる事例としては
宇津救命丸 / 樋屋奇応丸(ひやきおうがん)
画びょう / 押しピン
お漬物 / お新香
お汁粉 / ぜんざい
今川焼 / 回転焼
マック / マクド
でる単 / しけ単
などが挙げられていますが、こういう調査ものは好きですね?。
マスメディアの普及により、地方色が失われつつあるとはいえ、まだまだ地方独自の文化や物の呼び名、料理、風習は残されています。
横浜独自のサンマー麺。
最近はかなり認知されてきましたが、魚のサンマが乗ったラーメンですか?と良く聞き返されます。
また、今いる職場も、全国から人が集まったりしますので、地方色がとても豊かです。
満月ポンとか兵六餅とかも、ここに来て初めて知りました。
http://mangetupon.co.jp/what/index.html
http://www.seikafoods.jp/bontaname.htm
ビジネスマンが勤務中におやつを食べる「男おやつ」が常識に――江崎グリコは9月8日、首都圏で働く男性1000人を対象にした、おやつに関する調査結果を発表した。 約9割がおやつを食べると答えており、同社は「『男おやつ』は日常的な職場風景になっている」としながらも、年齢が上がるほど「職場で食べるのはみっともない」と考えている傾向もあるという。 勤務時間中におやつを食べるビジネスマンは89.4%。若い世代ほどよく食べていた。食べる頻度は「週2?3回」が最多で36.5%、2位が「週に4回以上」(28.7%)、3位が「週に1回」(18.2%)だった。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0609/08/news091.html
以下、記事と私個人の回答を交互に記載していきます。
食べる理由は「気分転換をしたいから」がトップで60.0%。次いで「空腹がまぎれる・満たされたいから」が59.7%だった。 「主に同僚の女性などがくれるから」と答えた人は、20?30代は10%台後半だが、40?50代は20%台後半。同社は「高年齢層は、自分で買って食べるのが恥ずかしいという心理があるのかもしれない」と分析している。
私は、単純に「お菓子が好きだから」という理由です。
「主に同僚の女性などがくれるから」・・・これは逆に、私のほうから積極的にお菓子補給をしています。
みんなで、それぞれが好きなお菓子を食べながらという、ざっくばらんな職場環境です。
恥ずかしいという心理は微塵もないです。
社内で食べるおやつを種類別に見ると、1位がチョコレート(62.2%)、2位がせんべい(49.1%)、3位がクッキー・ビスケット(46.4%)。せんべいは年齢が上がるほど食べる人が増え、20代では33.2%だが50代では59.8%と、20ポイント以上上回っている。
お菓子の種類別に食べる目的を聞いたところ、「気分転換」が最も多く上がったのはガム(64.8%)、「疲れを取りたいから」はチョコレート(32.0%)、「空腹がまぎれる」は菓子パン類(87.5%)だった。
勤務中に糖分補給することは大切なことです。
糖分が不足すると逆に集中力が低下し、効率も落ちます。
食べる時間帯では、チョコレートは58.3%が午後と回答。ガムやタブレットはいつでも食べると答えた人が約半数だった。スナック菓子や菓子パン類は、残業時間中に食べる人が多かった。 おやつを買う場所は、コンビニが1位(72.5%)。購入時間帯は「昼休み」(39.4%)、「通勤途中」(33.2%)の順だった。 おやつの保管場所で最も多かったのが「机の引き出しの中」(64.0%)、2位は「机の上」(22.9%)。机の上に保管する人は若い世代ほど多く、20代で30.5%、50代で12.6%。「高年齢層の男性は、机の上にお菓子を置いておくことが気恥ずかしいと感じるのかもしれない」と同社は分析している。
仕事でストレスを感じることがある、と答えた人は97.9%とほとんど全員。ストレスが軽減できると期待して食べているおやつは1位がチョコレート、2位がガム、3位がアイスクリーム・氷菓だった。 どんなおやつなら購入したいかたずねた結果の1位は「ストレスが軽減できるおやつ」(55.2%)。2位は「目覚まし効果がある」(44.0%)、3位は「カロリーが低い」(38.7%)だった。
「職場でおやつ、みっともない」 50代は13.6% 勤務中におやつを食べる男性について聞いたところ、9割が「気にならない」と回答。ただ、年代が上がるごとに「みっともないと思う」と答えた人の割合が上がり、50代は13.6%と、20代の倍以上にのぼった。
同じ質問をオフィスで働く女性200人にしたところ、9割が肯定的だった。男性が食べていてかわいらしいと感じるおやつはチョコレート(31.5%)、ビジネスマンにふさわしいおやつはタブレット(26.0%)、仕事ができそうなおやつは栄養補助食品」(14.0%)だった。
食べているとみっともないと思う、と答えた割合が高かったのは、スナック菓子(44.5%)、アイスクリーム・氷菓(44.5%)、ケーキ・シュークリームなど(39.5%)、プリン・ゼリー・ヨーグルト(37.5%)などだった。同社は「手が汚れたり、スプーンなどを使ってしっかり食べるおやつはオフィスでは敬遠されているようだ」と分析している。
周りからどう思われていようと、好きなものは好きなのです。
勤務中の「お菓子」が禁止されているところでは、ルールに従うべきですが、そうでないところでは、許される範囲でお菓子を食べながら勤務することは良いことだと考えています。
しかし、「男おやつ」なんていう言葉、初めて聞きました。
お菓子の好き嫌いに男も女も無いと思うのですが・・・
<LED信号機>ドライブレコーダーに同調 新鋭機器に盲点交通事故の瞬間を映像で記録する「ドライブレコーダー(ドラレコ)」で発光ダイオード(LED)式信号機を撮影すると、信号の光が写らない場合のあることが、日本自動車研究所(茨城県つくば市)の調査で分かった。LEDは目に見えない速さで点滅しており、ドラレコの撮影間隔と点滅間隔が同調すると、「滅」ばかり連続して写るためだ。導入が進む新技術に意外な盲点があった形で、同研究所は「事故原因の究明などに支障が出る」と訴えている。
ドラレコは、フロントガラスに付けたカメラで前方を撮影し、急ブレーキなどの衝撃があると前後15?30秒間の映像を記録する。国土交通省によると、全国のタクシー約27万台の1割以上が搭載済みだ。タクシー業界を対象にした同省の調査では、事故原因でもめるケースが減り、事故処理費用も減ったという。
同研究所がドラレコの映像数万件を分析した結果、LED信号機が消灯しているように写った映像が相次いで見つかった。信号機は電流のプラスとマイナスが入れ替わる交流で光るが、入れ替わりに合わせて点滅するLEDとカメラの撮影間隔が同調したと分かった。
従来の電球式の光は高速点滅せず、こうした問題はなかった。
ドラレコの撮影間隔は一般用ビデオと同じ毎秒約30コマ(29・97コマ)のことが多い。西日本の交流の周波数はほぼ2倍の60ヘルツで、特に同調しやすい。50ヘルツの東日本でも、カメラの撮影間隔と周波数の組み合わせによって、数秒間の消灯状態が起き得るという。
LED信号機は電球式より見やすく、省エネ効果も高い。警察庁によると、05年度末で全国の信号機の約7%(約13万灯)がLEDになった。
問題の解決には、LEDの電源を直流化するか、ドラレコの撮影間隔を変える必要がある。
しかし、ドラレコ導入を呼び掛けてきた国交省は「汎用カメラが使えず、ドラレコの価格が上がる」として、撮影間隔の変更をメーカーに要請することには及び腰だ。信号機を所管する警察庁も「ドラレコのために信号機があるわけではない。電源の変更は考えていない」と言う。
これに対し、同研究所安全研究部の久保登研究員は「ドラレコ、LED信号機の普及が進んでからでは手遅れになる」と、行政の対応を求めている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060820-00000009-mai-soci
私は個人的に、カーナビ、ETCと並んで、ドライブレコーダーは、急速に普及が進む電子機器だと思っています。
車を運転していてヒヤリとする体験は多いものです。
また、自分が安全運転をしていても、いつ事故に巻き添えとなるか分かりません。
航空機にはフライトレコーダが必ず搭載されていますが、同様の目的で画像記録装置を車載することは事故の解明や原因分析に役立つなど、その利用価値は計り知れません。
一般向けの製品がどれだけ発売されているかを調べてみると、残念ながらまだ数社からしか製品が発売されていません。
どら猫2 株式会社ホリバアイテック
http://www.dorareco.jp/dora_doraneko.html
YAZAC-eye 矢崎ドライブレコーダー
http://www.tiger-inc.co.jp/drvr/drv_r.html
Witness 株式会社 ドライブカメラ
http://www.drive-camera.co.jp/business/index.html
内臓メモリに数分程度の画像情報を常に記録上書きしていけばよいだけの単純な仕組みなので、CCDカメラとフラッシュメモリ、そして衝撃センサーといった安価な既製品の組合せで製品は出来るわけですから、普及と共に急速に値段は下がっていく事でしょう。
しかしながら、思わぬ盲点が発覚しました。
LED信号機の点滅周波数と、カメラの撮影間隔が近いため、信号の点灯を正確に記録できない可能性があるということです。
警察庁の「ドラレコのために信号機があるわけではない。電源の変更は考えていない」というコメントには困ったものですが、問題が広がる前に何とか解決策を見つけて欲しいと思います。
私の提案です。
信号の電源を三相交流とし、信号のLEDの1/3づつを 2π/3 づつずらして点灯させるというのは如何でしょうか > 警察庁さん
<大停電>送電線、2系統の並走がアダ東電によると、損傷を受けた送電線は「江東線」と呼ばれ、27万5000ボルトの高圧電流が流れていた。送電線は2系統あり、1系統には3本ずつ送電線が通っている。どちらかの系統が損傷を受けても、もう一方の系統で送電を続けるバックアップ機能がある。ところが今回は、2系統とも損傷を受けたため、送電が完全に停止してしまった。
発電所で発電された電気は約50万ボルトの高電圧で、それを徐々に下げながら家庭などに届ける。ところが現場は、変電所を1回経ただけの段階で、送電系統の上流に位置していた。下流側の変電所5カ所で送電網を守るための保護装置が働き、次々と停電が起きた。
現場の送電線の高さは、旧江戸川の水面から約16メートルのところを通っていた。電気保安規則に基づき、河川管理者と調整して高さを決めたという。 国内では99年11月22日、埼玉県狭山市の入間川河川敷に自衛隊機が墜落し、今回と同じ27万5000ボルトの送電線を切断した。この時には東京都や埼玉県南部の80万世帯が約4時間停電し、地下鉄、信号機が止まるなど都市機能に影響が出た。東電によると、今回の事故は「それ以来の規模」だという。
米国でも03年8月14日、ニューヨークなど北米東部からカナダ東部にかけての広い地域で大停電が起きた。発端は、米オハイオ州内にある3カ所の34万5000ボルト高圧送電線に樹木が触れたことだった。
電力中央研究所の谷口治人・システム技術研究所長によると、変電所で27万5000ボルトに電圧を落とした後は、「放射状運用」という、川の上流から下流に枝分かれしながら電力が流れる一方通行のシステムになっている。この段階で今回のような事故が起きれば、事故地点より下流はすべて、いったん停電するしかないという。「テロのように意図的に切ろうとすれば、同様のことが起こりえる」と指摘する。
技術評論家の桜井淳さんは「落雷や、家庭に近い部分での電線の切断については電力会社も危険性を見込んで対策を取るが、今回の事故は想定外だっただろう。大木の幹の根本付近がやられたようなもので、枝葉への供給が止まる」と話す。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060814-00000044-mai-soci
一艘のクレーン船による接触事故が大規模な停電を引き起こしてしまいました。
27万5000ボルトの高圧電線のバックアップを含む2系統を同時に損傷してしまったため、その下流となる全ての地域で一気に停電となりました。
ここで、思い起こされるのが、3年前の同日に起きた北米の大停電です。
北米の電力供給システムは、「パワーグリッド」と呼ばれる、いわゆる格子状の分散システムです。
一箇所の損傷でも、面的なバックアップが出来ているために、復旧が瞬時に行われると考えられていました。
しかしながら3年前の北米大停電では人為的なミスも加わり、徐々に、広範囲に影響が広がってしまい、長期化してしまいました。
そのあたりは、下記の参照リンクをごらんください。
ニューヨーク・カナダ大停電(2003年8月14日)
http://www.bo-sai.co.jp/newyorkteiden.htm
北米大停電・送電会社の人為ミスが焦点 米加大停電、解明長期化へ
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/teiden/
また、グリッドの概念については次の通りです。
グリッドとは・・・ そもそもグリッドという言葉には、「格子」「碁盤目」などの意味がありますが、IT分野で用いられているグリッドの語源は電力分野で使われている「送電網」、いわゆる「パワーグリッド」に由来しています。電力の利用者は、どこで発電されているかを意識することなく、電化製品をコンセントに接続するだけで、送電網から自由に電気を利用することができます。このパワーグリッドの使い勝手の良さにヒントを得て、利用者が必要なときに必要なだけの計算能力やデータを利用できるような環境を通信ネットワーク上に構築するグリッド技術が考えられました。 グリッドでは、通信ネットワークで接続された複数のリソースを、あたかも1つの高性能コンピュータのような感覚で利用することができます。当初、このようなシステムは計算処理(コンピューティング)技術が中心となっていたため、グリッドコンピューティングと呼ばれていましたが、その後は大規模データや実験装置の共有化など、あらゆる利用環境にも応用されるようになりました。なお、現在ではさまざまなリソースを必要なときに適宜利用することができるシステムを一般にグリッドと呼んでいます。
さて、この北米大停電を教訓に、日本でも電力供給についての安全性が検討されました。
大停電、 日本は大丈夫か?
http://criepi.denken.or.jp/jp/topics/newyork/index.html
それを踏まえて今回の大停電について考えてみます。
第一に、バックアップを含む2系統が同じ「江東線」の同一の線の中にあるシステムはまずいでしょう。
今回のように、接触事故や、飛行機などによる断線が起こった場合は、下流の地域に少なからず影響を与えます。
せめてもっと離れた位置にバックアップ線を敷設するべきでした。
しかしながら、東電では、埼玉県狭山市に自衛隊機が墜落した99年の事故の教訓により有事対応への訓練を日常的に実施してきた結果、今回の事故では約2時間20分で、ほぼ停電を全面復旧させることが出来た事は評価できます。
事故がおきたのが通勤時間前とはいえ、お盆の最中であったことと、夜間でなかったこともそれほど甚大な被害をもたらさなかったことにつながり、これも不幸中の幸いであったと言えます。
電力中央研究所に勤める友人曰く、
「切り替えも制御も人間の操作が介在するという,ローテクなんですが,北米のグリッド状の送電網よりは頑強なようです」
とのことです。
いわゆる北米の「パワーグリッド」に対する、日本の「放射状運用」ということですが、一時的に下流の電力供給を止めなければならないにせよ、人の力で、状況に応じ、確認しながら徐々に復旧を進めるというのが日本のスタイルなのです。
今回の事故を教訓に、より確固たるシステムを作っていって欲しいと願います。
墓参り代行業、新たなビジネスに 高齢者に人気墓の清掃から合掌まで。墓参り代行サービスの利用が、高齢者を中心に広がりつつある=神戸市北区山田町下谷上、市立鵯越墓園 盆の墓参りシーズン。神戸市では一風変わった「墓参り代行サービス」が注目を集めている。雑草をひき、墓石をふいて供花を取り換え、最後には「心を込めて」合掌する。利用者は高齢者が中心。寝たきりで何年も墓参りに行けない人や入院中の人たちからは、「ずっと気にかかっていた。きれいになってほっとした」と喜ばれている。進む高齢化が、新たなビジネスを後押ししている。
同サービスは兵庫県内ではまだ参入が少ないものの、全国的にみると五年前には既に始まっていたという。石材会社や花屋などが副業として始めるケースが多いが、全国展開する専門業者もある。
同市須磨区の石材会社「四国石材」。価格競争が激しい石材業界にあって、「昔ながらのやり方ではだめ。代行サービスで社名をアピールしたい」と、二〇〇四年夏に参入した。
当初、「墓参りは他人が行くものではない」と冷ややかな目で見られることもあったが、認知度は徐々にアップ。今年は八月一日から七件の申し込みがあった。
価格は墓地の大きさやサービス内容によって六千円から一万三千円。利用者は希望日を指定でき、一-三人のスタッフが墓参りへ向かう。清掃後は墓の写真を届ける。線香や花を供えるサービスもある。
家の中を歩くのが精いっぱいで何年も墓参りに行くことができない高齢の女性は、きれいになった墓の写真を目にして「心のつっかえがとれた」と笑顔を見せたという。
一方、同市中央区の設計会社「工研設計」は、今年一月に参入。墓とは関係のない業種ながら、「確実に需要はある」とみた。阪神間や播磨地域にも出張し、八月に入ってから八件の申し込みがあったという。
事業責任者の中川友和さん(45)は「墓を残して遠方に引っ越した人たちの利用も見込める」と話している
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000088672.shtml
NTT-MEとアットナヴィングがテレビとインターネットを活用した在宅墓参サービスを開始エヌ・ティ・ティエムイー(NTT-ME)とアットナヴィングは8月15日,テレビとインターネットを利用した在宅法要サービスを発表した。
これは,高齢化が進む檀家からの墓参要望に応えるためのもの。テレビで簡単にインターネットを利用できるNTT-MEの「わくわくステーション」を活用したシステムで,9月より試験提供を開始し,2001年1月より本格提供を目指すという。寺院内に中継カメラを設置し,檀家からインターネットでのアクセスにより,自動搬送システム納骨システムに収納されている各檀家の位牌などをリアルタイムでの画像または蓄積された映像で見ながら墓参ができる。
今日からお盆の入りです。
貞昌院墓地にも、お盆の時期の前後にたくさんの方にお参りをいただいております。
なお、貞昌院では年間5・6回の墓地清掃を行っていますが、このお盆の時期に合わせて草刈・清掃を行いました。
棚経も本格的に始まります。
この地域では、7月盆と8月盆がちょうど半分くらいに分かれています。これから棚経に出かけてまいります。
さて、今日は、この時期ならではのニュースをご紹介しました。
墓参に何らかの事情でこられない方のために代行して墓参したり、インターネットを通じて墓参が出来るシステムです。
インターネット上のリアリティーは、一見すると造られた作られた仮想のものであると思えてしまいますが、実際には私たちはメディアの構築する「リアリティー」に信を置いて行動しています。
この前提によって、特定の場、自分の周囲の実際に触れ、見ることのできる範囲の世界から、より広い世界に属することが可能になった訳です。このあたりに、今日紹介したサービス、すなわちインターネットを介した宗教行事の成否の鍵があると言えそうです。
1980年代においては、「電脳空間」は、エキゾチックなパラレルワールドというイメージでとらえられていました。
しかし、現在は、きわめて日常的なもう一つの出会いの場所となっており、人々は、電脳空間と日常との間に厳密な線を引かなくなっています。
今日ご紹介した記事のように、今は宗教分野におけるのインターネット・CMC利用に関しては新しいメディアに対して試行錯誤を行っている段階であると推測される。
時と実績を重ねるにつれて、これが定着して、日常化することによって、現在ではやや違和感をもたれるようなCMC上の宗教行為は、当然のこととして受け入れされていく可能性もありますし、そうでないかもしれません。
2001年に、私自身で仮想墓地(バーチャル墓参)についてアンケート調査した結果がありますのでご紹介します。
調査対象は【注】参照
「人間の仮想墓地」について
効果的でない 58件 (68.2%) ・・回答件数、割合の順
やや効果的でない 13件 (15.3%)
どちらでもない 8件 (9.4%)
やや効果的 1件 (1.2%)
効果的 5件 (5.9%)
上記のように、効果的と見る回答が極端に少なく、アンケート項目として用意した全14項目の設問中最低でした。
日本においては、先祖供養は宗教意識の重要な部分を占めていると言えます。遺骨に対する信仰・思い入れも大きいのでしょう。
時代の変遷により、遺骨そのものにはあまり執着が無くなっていくとするならば、墓地に対する考えも変化していくかも知れません。
しかしながら、拝む対象 (客体)までバーチャルに造られた、完全なネット上のバーチャル墓地は寛容しがたい面が大きいのでしょう。これを裏付けるように、一時期小さなブームになり、多数作られたヴァーチャル墓地の多くは、運営が苦境に立たされています。
今回ご紹介したシステムは、あくまでも、「現実の墓地」があり、何らかの事情があって墓参できない方々へのサービスという位置づけです。ですから、私個人の意見としては、こういうサービスも有りだと思います。
墓参という行為は、拝む対象 (客体)に対して、参拝者(主体)がもつ究極的な関心であって、それはメディアを通して(媒体)表現される
という構図の中において、拝む対象 (客体)=遺された縁のある方々の心の拠り所は、まだまだ「現実」の墓地にあると言えそうです。
拝む対象 (客体)が「現実」のものとしてあるのならば、それを媒体を通して遠くから拝んでも、実際に墓地に足を運んで拝むこととあまり変わりは無いだろうと思うのです。
とはいえ、お墓参りやお盆のご供養は、可能なかぎり、是非家族親族そろって行ってください。
同一体験をみんなで共有するということは、バーチャル参拝では出来ないことですから。
名水に負けぬ「不老の水」 飯田の「観音霊水」
飯田市南信濃にある龍淵寺(りゅうえんじ)のわき水「観音霊水」が、カルシウムやマグネシウムを多く含むミネラルウオーターとして注目されている。
観音霊水の水源は、霊場がある盛平山の山頂付近。南アルプスの池口岳の水脈から秩父帯の石灰岩をつたい、何十年もかけて水源地にたどりつくという。
戦国時代から江戸時代まで地域を支配した遠山氏の時代から、1度も枯れることなくわき続けているとされる。 地元の陸水に詳しい泰阜南小学校長の浅野清志さん(56)が1996年に成分調査したところ、水は弱アルカリ性のやや硬水と分かった。カルシウムイオン、マグネシウムイオン、炭酸水素イオンの濃度は、環境省選定の名水100選より、2倍以上も高かったという。 地元では、昔から「不老の水」として親しまれ、住民は「歯科医師にかかったことがない」と話す。ミネラルやカルシウム補給、便秘解消やダイエットにも効果的とか。フランス産ミネラルウオーター「Contrex」と成分が似ているともいい、新たな観光資源として期待もされている。(中日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060811-00000001-cnc-l20南信濃の名水「観音霊水」
飯田市南信濃和田の盛平山(723?)の麓にある龍淵(りゅうえん)寺境内にある湧き水 の成分がカルシウムとマグネシウムを多く含んだ硬水であることがこのほどわかった。
「観音霊水」と名付けられたこの?おいしい水″の成分は、名水百選にひけをとらない高い値をもつ。 地元の新しい観光名所・観光資源として地域の活性化につなげたい―と住民は大きな期待をかけている。 下伊那教育会の元陸水委員・浅野さん=泰阜南小校長=が十年ほど前、郷土調査として 飯田下伊那の調査を行った際、水の成分調査でカルシウムを多く含む弱アルカリ性であることがわかった。 「カルシウムを多く含んだ天然水としては非常に稀」と希少価値が高い水であると説明。 また、汚染の状態を示す塩素や硝酸は低い値を示しており、「おいしい飲料水の値としては申し分ないもの」と評価している。
戦国時代から江戸時代にかけ一帯を治めた遠山氏の居城跡に建つ龍淵寺。 遠山氏の時代以降、400年にわたり一度も水は枯れることなく、今日に至る。 水量はほぼ一定。水温は14?15度を保ち、冬でも凍ることはない。無色無臭。 すでに地元住民の生活水としては定着しており、毎日ペットボトル片手に汲みに訪れる人もいる。 水場周辺の整備は龍淵寺副住職が12年前に樹齢一千年ほどのサワラの流木をくり貫き水桶を作るなどし、環境を整えた。 観音霊水の名は、盛平山山頂付近に霊場があることから三年前に命名。
副住職によると、同寺周辺は中央構造線、遠山赤石構造線、赤石断層三つの断層が絡み合う 複雑な地形にあり、湧き水は南アルプス池口岳(2392m)を水脈に、秩父帯の石灰岩層を長い年月をかけて流れ出しているらしい。 生活水として利用している盛副住職をはじめ家族は、これまでほとんど歯医者にかかったことがなく、 カルシウムが多く含まれているためでは―と分析している。 盛副住職は今度の発見について、「地域にとって新しい財産になると思う。広く周知し、観光PRに つなげれば」と期待を込めた。
観音霊水はスポーツ後やダイエット時のミネラル補給に適し、同じく飯田市にある猿庫の泉 (上飯田)は逆に軟水で、お茶をたてるのに適している。 今後、さらに詳しい水質調査を実施する予定で、現在の正確な成分値が明らかになる。 飯田市は天然の軟水と硬水の二つの名水を手に入れたことになるが、飯田市環境課は 「非常に興味深い天然資源。今後の調査の推移を見守りたい」としている。
成分表は浅野校長がおよそ十年前に作成したもの。環境省選定の名水百選のほとんどは軟水。
硬水の代表的存在は「龍泉洞」(岩手)だが、表から観音霊水はカルシウムの含有量が倍以上 あることがわかる。 また、きれいな水の目安となる炭酸水素の量は196.1。 龍泉洞の3倍以上あり、龍泉洞の透明度がおよそ42mあることから、観音霊水は100m以上の透明度を誇る。 観音霊水は現在、市販中で女性に人気のミネラルウォーター「Contrex」(原産・フランス)の成分値と似ている。Contrexは、ナトリウム0.91、カルシウム48.6、マグネシウム8.4 であることから、体にほぼ同様の効果があると思われる。 (信州日報社)
pH
|
Na+
|
K+
|
Ca2+
|
Mg2+
|
Cl-
|
HCO3-
|
硬度
|
分類
|
|
観音霊水 |
7.8
|
4.5
|
0.7
|
47.0
|
12.2
|
1.0
|
196.1
|
166.3
|
硬水
|
クールマイヨール |
7.4
|
0.08
|
0.2
|
53.0
|
7.0
|
<1
|
16.8
|
161.2
|
硬水
|
コントレックス |
-
|
0.91
|
0.32
|
48.6
|
8.4
|
0.86
|
40.3
|
155.1
|
硬水
|
ヴィッテル |
7.3-
|
0.73
|
0.73
|
9.1
|
1.99
|
-
|
40.2
|
30.7
|
軟水
|
ペリエ |
-
|
0.9
|
-
|
14.73
|
0.34
|
2.15
|
39.0
|
38.2
|
軟水
|
エビアン |
7.2
|
0.5
|
0.1
|
7.8
|
2.4
|
0.45
|
35.7
|
29.1
|
軟水
|
なお、ここ、貞昌院の湧き水も、軟水としてはかなり高品質の水となっています。
数年前に横浜市の保健所で水質検査した結果は以下の通りです。
(水質検査の内容が、飲用に関する項目ですので、観音霊水などと一概に比較は出来ませんが、参考までに掲載いたします。
pH
|
硝酸
亜硝酸 性窒素 |
塩素イオン
|
過マンガ
ン酸カリ 消費量 |
一般細菌数
|
大腸菌群
|
臭い
|
味
|
色度
|
濁度
|
|
貞昌院の湧水 |
6.5
|
1.9
|
10.2
|
1.2
|
0
|
不検出
|
異常なし
|
異常なし
|
1未満
|
0.1未満
|
かなり話題になっている本なので、ご存知の方も多いと思いますが、来栖けい氏の
『美食の王様 究極の167店 珠玉の180皿』(筑摩書房)
『美食の王様 スイーツ 絶対おいしい169店 厳選の380種』(筑摩書房)
『美食の王様 パン 絶対おいしい92店 厳選の210種』(筑摩書房)
をご紹介します。
内容は美味しいお店の料理についてまとめたグルメ本なのですが、今までのグルメ本の概念を覆す本であることは間違いありません。
それは、氏の食に向かう真剣な態度、鋭い感性、豊かな表現力がもたらしているのでしょう。
幼い頃から両親に連れられ、様々なお店に足を運んでいた私の食べ物と向き合う姿勢は、一般の子供とは明らかに違っていました。何を食べるにしても、それが何でできているのか、何が使われているのか、の細かな分析をはじめてしまうのです。子供がよく食べるポテトチップスなどのジャンクフードも、口にした憶えがほとんどありません。だからかどうかはわかりませんが、私の舌は人一倍敏感です。 本書『美食の王様』は、そんな「食べること」にこだわり続けた私の、現時点での食の集大成です。これまでに出逢った珠玉のお店、料理をランキング形式でリストアップし、その1つ1つに対して詳細な「味」のコメントをつけています。
ここまでは、大抵の料理評論家と変わりないのです。
しかし、ここからが凄い。
ただこれらのデータは、最初から本を出版するつもりで書きためていたわけではありません。性格上、興味のあることに関してはとことん突きつめなくては気がすまないだけなのです。ごく一部の人には、私が書いた文章をお見せしたことはありますが、「本」という形で大勢の人に公開するなんて、一度も考えたことはありませんでした。何せ私はまだ25歳。一般的な考えからすると、そんな人間が料理、いや食べ物すべてについていろいろ語っても、信憑性がなく、受け入れられないに決まっている、と思ったからです。しかし、今回はいろいろな縁があって、本を書く決心をしました。自分の舌の記憶を頼りに厳しい基準をクリアしたものだけを掲載しているので、ここにランク入りしたお店、料理等は相当なレヴェルであると自信を持っていえます。
来栖氏は、まだ20代半ばの若者です。
しかし、その桁はずれた胃袋と行動力によって、どんな料理評論家よりも多くの料理を口にしているのです。
そして、さまざまな興味ある料理を食べた後、かなりの日時を置いて、そのあとで特に印象に残っているものについてのみランキングしていくというスタイルです。
私には、食べることに関して人間の常識が当てはまらない部分があります。とにかく、食べる量が尋常ではないのです。レストランでいえば、前菜(×2)、魚料理(×1)、肉料理(×5)、デザート(×4)、というように、気になったものはすべてオーダーしないと気がすみません。ケーキ屋、和菓子屋、パン屋・・・・にしてもそう。気になるものすべてを購入し、そのすべてを食べ尽くします。昼と夜にレストランに伺い、その前後の時間帯に他のジャンルのお店(ラーメン、洋菓子、和菓子、パン・・・・)に足を運ぶ。それが私の1日の基本的なパターンです(1日の時間をフルに使います)。そんなことができるからこそ、全ジャンルを深く追求することができる、というわけなのです。ただ、現在は他に仕事を持っているので、以前のようにこれを毎日決行することはできません。週に2?4日のペースで行い、それ以外の日は食事の量を抑えています。その代わり、水を1日15リットル以上補給し(朝昼夜、それぞれ最低5リットル)、胃を極端に小さくしないよう心掛けています。
この本にランク入りした完成度の高い料理、お金には代えられない料理のことを、私は「珠食」(しゅしょく)と呼びます(「珠玉の食べ物」という意味です)。この珠食との出逢いを求めて、日々食べ歩いているわけです。本書はあくまでも現段階でのベストであり、いわば私の「珠食リスト」です。「食べる」ということに終わりはありませんし、今後このランクは少しずつ変わっていくものだと思いますが、食べることが大好きな人には間違いなく喜んでいただける内容であることを確信しています。すべては「味」。個々の味わいをここまで深く掘り下げて書いてある本は他にはない、とはっきりいえます。人と同じことをするのが嫌いな私。人に負けるのも大嫌いな私。本書は、そんな想いがぎっしりと詰まった、全く新しいレストラン評価本です。
また、その評価内容も的確です。
全ての本を読ませていただきましたが、読んでいる私たちにも、まるで今食べているような錯覚にさせるような文章です。
そして、心地よい感覚を与えてくれ、食に関してこんなに奥が深いものなのかということを改めて実感させてくれる本です。
料理を作る者としては、氏の本にリストアップされ、印象を記述してもらうことは最高の名誉なのだろうと思います。
読後に心地よさを残してくれる理由は、豊かな表現力によるものだけではありません。
彼の評論は、決して「悪い部分」を書かないのです。
つまり、褒めるべきのみの評論文であるわけですが、この姿勢は私たちに示唆を与えてくれるように思います。
例えば子どもたちと向かい合うときに、ここが駄目、あれが駄目と言い過ぎないでしょうか。
ドロシー・ロー ノルトの『子どもが育つ魔法の言葉』にも通じるものを感じました。
来栖けい official site
http://www7a.biglobe.ne.jp/~shina-kei_kurusu/toppage.html
先日のトピックス
W-ZERO3 es が来た!
http://teishoin.net/blog/000504.html
でご紹介した W-ZERO3 es (WS007SH) ですが、ようやく基本的な設定を終え、アドレス帳やらブックマークやらを移行しました。
あとは細かいカスタマイズを行っていく予定ですが・・・・奥が深すぎますね、この機種は。
まあ、のんびりと付き合って行きたいと思います。
さて、気になるカメラの性能ですが、何枚かざっと撮影してみました。
撮影モードはXGA、標準画質です。
京セラWX-310k(京ぽん2)で撮影した写真とあわせてご参照ください。
http://teishoin.net/blog/000292.html
画質はまあまあ許容範囲です。
ただし、屋外撮影の場合、液晶画面の照度が極端に不足していて、どこにフレーミングしているのかがよく分かりません。
これは致命的かもしれません。
撮影の簡易さ、機動性のよさでは京ぽん2の方が断然上です。
このあたりは、慣れるとまた違ってくるのでしょうか・・・・・
指がレンズにかかってしまっているのはご愛嬌。
マクロ性能のテスト写真です。
マクロの場合、構図が非常に重要なのですが、やはり液晶画面が見づらく、構図が取りにくいのです。
半ばあてずっぽうで撮影しています。
(屋内撮影では問題なしです)
シオカラトンボを撮ってみました。
シャッターチャンスを逃がしやすい被写体なので、液晶がもっと明るいと嬉しいです。
第一印象としては撮影時の使い勝手の不満が多少あることを感じました。
画質はこんなもんでしょう。
出先で、何か見つけたときに気軽に撮影する分には何も問題ないです。
それに、そのままブログにUPすることも気軽にできそうですね。
教区各寺院の施食会法要シーズンとなりました。
いつもにも増してハードな毎日を過ごしています。
特にここ数日は
■25日
午前9時?午後1時 宗務庁勤務
午後2時?午後3時半 教区R寺施食法要随喜
午後4時半?午後10時! 宗務庁勤務
■26日
貞昌院大施餓鬼法要のため朝から最終準備
午後 演奏会+施餓鬼法要
夕刻?懇親会+片付け
■27日
朝 坐禅会
午前9時?正午 宗務庁勤務
午後1時半?午後3時 教区J寺施食法要随喜
午後5時?午後8時半 通夜・・・・・・・・
といった具合です。
合間に来客やらその他関係団体との連絡調整を行っているのですが、まあ、気合で忙しさを楽しんでいる感じです。
前置きはこれくらいにして、今日、通夜から帰宅したところ、前にウィルコムストアに注文していたW-ZERO3 es (WS007SH)が届いておりました。
今回は310kからの機種変更です。
早速電源を入れて、液晶の美しさに感動。
QWERTYキーボードも良いですね。
最低限の設定はしましたが、今日はどれだけ使えるところまでいけるのでしょうか。
明日の予定に支障が無い範囲で遊んでみます。
前のエントリーで取上げました、ユートピア加賀の郷ですが、併設されていたアミューズメント施設(遊園地)は、現在は見るも無残な姿のまま残されています。
観音像の裏側に遊園地はありました。
駐車場、パターゴルフ場も、雑草がぼうぼうの状態で、照明の柱も折れてしまっています。
遊園地エリアは、建物そのものが、そのまま放置されており、自然崩壊を待つばかりとなってしまっています。
敷地を特に締め切っているわけではないので、いろいろな人が入ってくるのでしょう。
人為的な破壊も顕著に見られます。
「北陸廃物紀行」さんのサイトに紹介されているレポート
http://discoverjunk.cool.ne.jp/haikyotop/Utopia/Amusement%20park/Haunted%20house/index.htm
の頃は、まだかなり原形を保っていたようですが・・・・・上記サイトにあったお化け屋敷の入口にあった「せむし男」の像は、噴水の上に横たわった形で放置されていました。
このようなテーマパークを作るのは構いませんが、経営を放棄した後に放置しているという状況は好ましくありません。
最近は、「廃墟」がブームになっているようですし、このような廃墟を紹介する本も売れているようです。
しかしながら、犯罪の温床となったり、地元への悪い影響もあると思います。
せめて、撤去して更地にすることはできないのでしょうか。
是非、「北陸廃物紀行」さんのサイトをあわせてご参照ください。
http://discoverjunk.cool.ne.jp/haikyotop/Utopia/index.htm
小松空港から国道8号線で永平寺へ向かう途中、加賀市に入ったあたりから、右手方向に巨大な観音像が見えてきます。
多少時間に余裕があったため、立ち寄ることにしました。
・・・・・・・・・ところが、目標物は見えるのですが、案内看板が見当たらない。
苦労しながらようやく入口らしき場所に辿りつきました。
「歓迎・ユートピア加賀の郷」と書かれています。
しかし、入口ゲートはさび付いており、そのまま通過できるようになっていました。
駐車場も閑散としております。
遊園地、パットゴルフ場、加賀寺、博物館、美術館、世界の彫刻展という案内看板がありますが、一見して機能していないことが分かります。
後ほど、調べて分かりましたが、かつて巨大な観音像を中心とした「ユートピア加賀の郷」というテーマパークがあったのですが、母体となる会社(関西土地建物)の経営が行き詰ってしまったため閉園となってしまったようです。
かつての姿はこちらで見ることができます。
加賀観音温泉・・・「ユートピア加賀の郷」にある温泉です。 高さ73mの金色に輝く「大観音像」がシンボルの「大観音加賀寺」の周辺に広がるレジャーランドで、境内には金色堂や瑠璃光殿、周りに温泉施設や美術博物館などがあります。 温泉施設は600坪と広々とした大ジャングル風呂が名物。 子供が喜ぶ遊水施設「ユートピアランド」やパットゴルフ場が備わります。 周辺ではフルーツ狩りも人気です。
ホテルのうち大部分は閉鎖されておりましたが、カラオケ施設と温泉部分は営業を続けているようです。
そして、宗教施設(観音像、本堂、三十三間堂、瑠璃光殿、梵鐘仏堂など)は、三論宗別格本山豊星寺に引き取られ、宗教法人格は存続しているようです。
なお、三論宗は、中国隋代に吉蔵が大成し、慧灌により625年に日本に伝えられた南都六宗の1つです。
龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を基盤の経典とする論宗です。
廃業となっているホテル設備の脇を進んでいくと、拝観の入口ゲートに突き当たります。
昼間ですが、拝観時間終了の看板が放置されていました。
誰も居らず、ゲートは開きっぱなしです。
ようやく高さ73mの大観音像に辿りつきました。
その巨大さを改めて実感します。
観音様の足元。
残念ながら草ぼうぼうの状態でした。
伽藍は閉鎖されており、中に入ることが出来ませんでした。
バブルの時期には多くのテーマパークが作られましたが、その多くは入場者の低迷に苦しんでいるようです。
宗教施設が観光の目玉として作られ、このような形となってしまっていることに、何か複雑な思いがします。
そのうち、「北陸廃物紀行」さんのサイトをご紹介します。
http://kanazawa.cool.ne.jp/discoverjunk2/ruins/Otherstop/kagakannon/index.htm
Willcomから、10周年記念ストラップが届きました。
10年間使い続けたユーザーに、感謝の気持ちを込めてのプレゼントだそうです。
私は緑を選択しましたが、かなり黒に近いモスグリーンで、とてもよい感じです。
これからも愛用させていただきます。
【関連トピックス】
Willcom10周年記念ストラップ
http://teishoin.net/blog/000407.html
近年は海外で挙式をするカップルも増えてきました。
特にハワイでの挙式は大人気です。
ハワイでの結婚式には大きく分けて
教会で行なう結婚式
ビーチや公園で行なう結婚式
ホテルのガーデンで行なう結婚式
などが主流です。
しかしながら、ハワイは敬虔なるキリスト教徒の国、アメリカの島です。
流行やファッションとして教会での結婚式を挙げるという軽率な行為に、必ずしも良い感情は抱かないでしょう。
日本の結婚業者と提携した一部のキリスト教会のみが利益を受け、ほとんどのキリスト教教会とその信者達は、冷めた目で見守り、日本人の信仰心に疑いを抱いているという構図です。
そこで、今回はあまり知られていないハワイでの仏教式結婚式についてご紹介します。
ハワイにもお寺があるというと、皆さん意外だという反応を示されますが、日系人の入植の歴史とともにお寺の歴史もあるわけですから、例えば曹洞宗のハワイ寺院も100年以上の歴史があります。
ハワイの仏教は、キリスト教の習慣の良い所を取り入れて広がり、ハワイの日系人(最近では、日系人に限らず多種多様の人種)の生活に欠かせない存在として根付いています。
したがって、ハワイでは仏教徒は仏教寺院で結婚式をするのが当然という考えもあり、現在のハワイでの教会ウエディングに対して、キリスト教徒のみでなく、仏教徒としても日本の若者の考え方を理解できないとする声が多いのです。
ハワイの寺院では、英語を母国語とする世代の僧侶もおり、日本語でも英語でも両語で対応できます。
ハワイの寺院の内部は、横椅子にバージンロードといったスタイルであり、教会の内部と似た構造になっています。
もちろん、タキシードにドレスでの挙式も問題ありません。
ただ、仏式ならではという点で、数珠の交換は必うということが特徴といえます。
ホノルル・正法寺での結婚式はこんな感じです。
写真提供:曹洞宗ハワイ総監部
ハワイ管区の各寺院への窓口 : 曹洞宗ハワイ国際布教総監部
(ハワイの中心であり玄関であるオアフ島ホノルル、そして観光の中心ワイキキから15?20分の距離に曹洞宗別院が存在します。ここに拠点を置く国際布教総監部がハワイ管区の各寺院への窓口となります)
Soto Zen Buddhism Hawaii Office
1708 Nuuanu Avenue Honolulu,HI 96817
phone: 808-537-9409 fax: 808-537-6320
■ホノルル 両大本山別院 正法寺 (ワイキキから一番の近距離にあり、ホテルやビーチ結婚式でのアレンジも容易です。)
■オアフ島 アイエア 太平寺 (空港に一番近く、真珠湾に隣接する寺院です。)
■オアフ島 ワイパフ 大陽寺 (ピラミッドを髣髴とさせる、特徴有る本堂。)
■オアフ島 ワヒアワ 龍仙寺 (サーフィンで有名なノースショアでの挙式も可能。)
■カウアイ島 ハナペペ 禅宗寺 (シダの洞窟で挙げる結婚式も好い物です。)
■マウイ島 パイア 満徳寺 (近年、若者に人気のあるマウイ島唯一の曹洞宗です。)
■ハワイ島 ヒロ 大正寺 (古の日本の良さを残した伝統を感じる町に存在します。)
■ハワイ島 コナ 大福寺 (太平洋に沈む夕日を背景に行う結婚式も可能です。)
これらの曹洞宗寺院で、本堂で行う結婚式は元より、希望の地での挙式を担当する事ができます。
↓下記を併せてご参照ください。
http://teishoin.sakura.ne.jp/zazen/san3.html
http://www.soto-zen.net/hawaii100/
【追記】
ハワイ寺院ではリーガルウェディングも可能です。
リーガルウェディングとは、ハワイ州に婚姻届を提出し、法的にもハワイで結婚することです。実は、普通ハワイでの挙式という場合は、日本で入籍を済ませておくことが条件になっていることが多く、その意味で本当の結婚式ではなく、結婚祝祷式といえます。リーガルウェディングの場合は、領事館へ登録し帰国後役所等に婚姻届を提出すると、ハワイで結婚したことが戸籍に記載されます。思い出だけでなく公的な記録として残せる、ハワイの結婚を望まれる方はかなりおられます。ハワイの曹洞宗では、御希望によりそれらのお手伝いもできます。
※本日のトピックスは、ハワイ国際布教総監部・吉田師にいただ情報を元に亀野が追記編集したものです。
公益法人たる寺院は、様々な備付書類を整備しておくことを定められていますが、その中に「財産目録」があります。
すなわち、寺院の所有する資産を管理していくことが求められています。
そのなかで、固定資産である土地については履歴事項全部証明書(土地登記簿謄本)で、地番・地目・面積・所有権・抵当権などが明確に記載されていますので、一番管理しやすい資産であるはずなのですが、定期的に見直しを行わないと、不明な点が多く発生してきます。
貞昌院を例にとると、以前は、市役所から毎年送られてくる固定資産課税明細書(名寄帳)には細かいたくさんの筆が記載されていました。
地番と地目、面積が記載されている一覧表なのですが、どの土地がどの部分なのか、一見しただけではよく判りません。
一番明確なのは、法務局で、公図を取ってみることです。
これには図面に地形が描かれていますので、どの地番がどの場所なのかがある程度判ります。
貞昌院の場合は、敷地の外形はきちんと確定しているのですが、敷地内部の筆境について、現況と、公図の地形がほとんど合致していない状態でした。
そこで、現況の形に合わせて分筆・合筆登記を行いました。
その中で学んだことが沢山あります。それは・・・・・
■土地の合筆はいたって簡単だが、分筆はとても大変
ということ。
分筆とは、登記簿上でひとつの土地(一筆)になっている土地を、いくつかの土地に分割して登記し直すことですが、その手続きは、
(1)法務局や市・区役所などの官公署に行って登記簿や図面その他の資料調査をする。
↓
(2)隣接者や道路管理者に境界立会いのお願いをする。
↓
(3)境界を確認し境界標を設置する。
↓
(4)地積測量を行い、図面を作製する。
↓
(5)必要書類がすべて揃ったら申請書を作製し、法務局に土地分筆登記の申請をする。
↓
(6)法務局の土地登記簿に分筆の記載がさる。新たな地番の登記簿が作成される。
↓
(7)登記済証と還付書類が法務局から返却される。
ということになるのですが、特に(2)、(3)あたりについては山の中などは特に大変な作業でした。
境界杭すらない部分があったりして、そのあたりは隣接者との話し合いですね。
(逆に言えば、おかげさまで、境界が不明な部分は皆無になりました)
(4)については、昔ながらのいい加減な測量のままだったため、地積更生をかけ、土地の面積がかなり増えました。
ということで、結果的に筆境が明確になり、地積も正確に反映できたため、苦労しただけのことはあるのですが、それにしても大変な作業です。
逆に、合筆登記は、肩透かしを食らうくらい簡単な手続きです。
合筆とは、複数の土地の登記簿を1つの土地にまとめる手続きで、一番若い地番の登記簿が残りその他は閉鎖されます。
合筆する土地の地目が同じであり、接していること、所有者が同一で抵当権が設定されていない場合、土地の所有者であれば自由に合筆を申請できます。
その手続きは以下の通りです。
(1)現地を確認した後、書類や図面類の調査をする。
↓
(2)必要書類を揃える。
↓
(3)法務局に合筆登記の申請をする。
↓
(4)法務局の土地登記簿が変更される。
これだけです。
さて、いろいろと大変でしたが、貞昌院でも、ようやく現況に即した土地の登記ができました。
どうです?
かなりすっきりしたと思いませんか?
貞昌院の場合は実情に合わせるために、一度、現況の地形に合わせて土地の分筆を行ってから、同一地目で合筆を行いました。
なお、3409番1の土地の周囲にある無番地の土地は、所有権が財務省となっている畦畔(けいはん)です。
現在、取得申請を行っているところですので、それが出来れば3409番1と併せて3399番1に合筆する予定です。
分筆は大変ですが、同一地目の合筆だけで良いのであれば、とても簡単に出来ます。
筆数を減らすことは資産管理の面からもお薦めです。
参考になるかどうかわかりませんが、これをご覧の方、資産台帳をもう一度点検されるのは如何でしょうか。
蛇足ですが、土地の異動が発生した際には、宗務庁財政部への届出も忘れずにお願いします。
(土地の売却・寄付等の財産処分行為ではないため、謄本などの証書をもって資源台帳が訂正できます)
コメントスパム 【comment spam】読み方 : コメントスパム
ウェブログ(ブログ)のコメント欄に、本文の内容と班関係ない広告を無差別に大量に投稿すること。スパムメールのウェブログ版。
多くのウェブログには、読者が記事についてのコメントを書き込めるBBS(電子掲示板)のようなシステムが付属しているが、これを悪用してロボットプログラムにより自動的に自社広告を大量に投稿して回る業者が現れた。こうした迷惑な広告書き込みをコメントスパムという。
当サイトも例に漏れず、コメントスパムの迷惑を受けました。
宣伝業者も必死なのはわかりますが、対策をしないわけにはいかないので、とりあえず、ブログのコメントをいただく際に、一度、「確認」ボタンでプレビューを出してから書き込んでいただくことを必須条件にさせていただいています。
通常のコメントを戴く際には一手間かかりますが、何卒ご容赦願います。
まあ、これで当面はコメントスパムの被害も最小限にとどめることができることでしょう。
しかし、スパムの類は最近とみに増えてきましたね。
スパムメールの採算ベースは返信率が0.001%
スパムメールは返信率が0.001%を超えれば採算に合うため、コストがかからないという。例えば、PCが10万円、プロバイダー料金が月額4,000円、1億件のメールアドレスの相場価格が10,000円、その他の経費を含めて20万円を初期投資金額と想定する。アダルトサイトを運営している業者が2?3万円の課金請求することを目的にスパムメールを送った場合、7?10人が騙されて料金を支払えば初期投資分は回収できるという。
という報告もあり、多少なりとも儲かるのなら、残念ながらいつまでたってもスパムはなくならないですね。
スパムは、大抵機械的かつ自動的に大量発信されます。
例えば、インターネットの掲示板に自動的に書込むソフトが多数発売されていますが、その一つのソフトのマニュアルを見ると・・・・
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ケイジバン自動書込の一番の問題点である「書込み過ぎ」について以下の配慮を行っています。
過去に収集した投稿フォームデータを元に無条件で投稿すればスピードも早いのですがあえてそれを避けています。
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ケイジバンサイトを5種類に分類し、分類毎に書込みが出来ます。ご注意事項
このケイジバン自動書込みソフトは100%のケイジバンサイトに対応しているとは限りません。
新規にケイジバンサイトを追加する時、一部あるいは全部の機能が動作しないケイジバンが存在します。
ケイジバンへの書込みはすべて自己の責任で行って下さい。
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本当に困ったものですね。
【関連トピックス】
スパムメールには困ったものだ
http://teishoin.net/blog/000099.html
今日は、大きな法要(某会社の社葬)が近隣のR寺院にて行われたため、その伴僧として随喜させていただきました。
他寺院の葬儀など、法要の作法を体験できる貴重な機会でもあり、いろいろと勉強させていただきました。
葬儀の内容を如何に喪主や参列されているご遺族、ご親戚などに伝えることが出来るか、それがとても重要であると考えています。
貞昌院では、お通夜の法要の後に、通夜法要の内容、そして明日行われる葬儀・告別式の意味、そして戒名の意味などをまとめてお話、ご説明させていただいています。
その内容は http://teishoin.sakura.ne.jp/dantoinfo/sogi.html に掲載されている下記のような内容です。
■通夜(つや)通夜は、本来は家族・親族や縁のあった友人知人のみにより行われ、最後に静かに一夜を送るものでしたが、昨今は会社勤めの方も多く、通夜のほうが却って参列者が多いことも珍しくありません。
通夜に御読みするお経は 仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)です。これはお釈迦さまが入滅の際に最後の説法を説いた様子を書いた経典で、日本語口語体のお経ですから、聞いていただくと内容はお分かりになると思います。
通夜に際し、白木の位牌を、棺前の中央に掲げます。通夜の後に、ご法話をさせていただき、その際に、どのようにして戒名がつけられたか、戒名の意味をご説明させていただきます。
■葬儀(そうぎ)
葬儀のもっとも大切な部分は、授戒(戒を授け仏弟子にすること)を行い、引導を授ける(仏世界に入らしむこと)ということです。
そのために、次のような流れで行います(1) 剃髪(ていはつ)
煩悩の世界をはなれ、仏道の道に入るために、僧侶の出家儀式と同じ偈文をおとなえし剃髪の儀式を行います。
(2)洒水(しゃすい)
清らかな水をふりそそぎ、身も心も清浄にします。
(2)授戒(じゅかい)、懺悔(さんげ)、三帰戒(さんきかい)、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)、十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)、血脈授与(けちみゃくじゅよ)
この世での小罪を懺悔し、仏弟子として守るべきこと、仏の戒め、仏の法を授けます。そして、仏弟子の証である血脈(けちみゃく)を授けます。血脈は、お釈迦から、あらたに仏弟子になられる方までの法の系図が全て記されています。
(3)入棺諷経(にゅうかんふぎん)
大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)を読経いたします。このあいだに、参列者焼香が行われます。
(4)龕前念誦(がんぜんねんじゅ)
諸仏の称号を唱え、その功徳が故人の悟りを祈念します。十仏名、舎利礼文を読経します。
(5)拳龕念誦(こがんねんじゅ)
大宝楼閣陀羅尼(だいほうろうかくだらに)の読経の後、太鼓、ハツが鳴らされます。
(6)引導法語(いんどうほうご)
導師が故人の生前を漢詩より唱え、悟りの心境を表します。このとき、線香(たいまつ)により右回り、左回りに円を描きます。故人を悟りの世界に導くのです。
(7) 山頭念誦(さんとうねんじゅ)
仏弟子になられた故人が、一路涅槃に入り、仏性の覚醒を助けてくれることを祈願します。
ところが、R寺さんでは、それを一歩踏み込んで、各段階ごとに、導師自ら、これから執り行う儀式の意味を解説してから儀式に入っています。
例えば、龕前念誦の直前に、『これから行う儀式は、仏さまたちの御名前を唱え、その功徳によって故人の悟りへの道が、より高めたものになるよう祈念する意の念誦を唱える儀式です・・・・・・・』などと、逐一説明を行ってから龕前念誦の儀式に入ります。
法要の雰囲気を損なわず、簡潔に、的確に解説を加えるという、その技法はなかなか真似の出来るところではありませんが・・・・
この葬儀を実体験して、切に感じました。
前日に一通り説明したことは、それはそれで意義はあるだろうけれども、次の日にどれだけ記憶にとどめてくださってているのだろうか、と。
その意味で、導師自ら解説を加えながら葬儀を進めていく方法は、とても判りやすく、葬儀の意味を伝えていくことができる有効な方法であると言えるのではないでしょうか。
仏前結婚式、静かなブーム
結婚式といえば神社、教会が一般的だが、由緒ある京都などの有名寺院で挙げる仏前結婚式が静かな人気を呼んでいる。京都市内のブライダル関連会社が新郎新婦と名刹(めいさつ)を橋渡し。葬儀や拝観などを運営の中心にしている寺院側も、新たな“布教の場”として歓迎している。皇室と縁(ゆかり)が深い天台宗門跡寺院、青蓮(しょうれん)院(京都市東山区)で今月初め、1組の男女が本尊の「熾盛光(しじょうこう)如来」に永遠の愛を誓った。
「厳かな雰囲気の中で和装の式を挙げるのが夢でした。地元の神社での挙式も考えたけれど、清潔感あふれる京都の名刹に魅力を感じました」と新婦は語る。
式では新郎新婦の親族が席についた後、裳(しょう)付けと袈裟(けさ)をまとった新郎と白無垢(むく)姿の新婦が厳かに入場。新郎新婦は、戒師の東伏見慈晃門主(63)から数珠を手渡され、互いに結婚指輪を身に着け合掌。続いて東伏見門主が仏の教えを織り交ぜながら祝福の言葉を述べ、参加者全員で般若心経を読経した。
観光客も足を止めて挙式を見守り、最後は僧侶らを交えて庭園で記念撮影。新郎は「親族だけのこぢんまりした式だったけれど、厳かな儀式と凛(りん)とした雰囲気で身が引き締まり感動しました」と感慨深げに話した。
一般的に、観光地や葬式、法事の場としてのイメージが強い有名寺院。仏教の信者が減少の一途をたどるなか、仏前式を新たな「布教の場」とみる僧侶もいる。東伏見門主は「人生の大切な節目に仏の教えに触れる機会になるだけでなく、列席者の自覚も強く促す場にもなる」と仏前式の意義を強調する。実際、挙式を縁にその後何度も寺院を訪れたり、一緒に入信したカップルもいるという。
結婚情報誌「ゼクシィ」の調査によると、昨年の挙式スタイルは、首都圏でキリスト教式71・4%、神前式13・4%、人前式11・9%、仏前式0・8%?などの順になっている。
関西ゼクシィ副編集長の武市麗子さんは「仏前式はまだまだ一般的には知られてはいない。しかし『憧れの地』のイメージが強い京都で挙げる結婚式に人気が集まる傾向は、価値観の多様化が求められるブライダル業界にもマッチしているのではないか」と話している。
平成18年2月27日(月) 産経Web大阪夕刊
http://www.sankei.co.jp/enak/2006/feb/kiji/27butsuzen.html
貞昌院でも、これまでに一般の方の結婚式を何組か行って来ました。
ここ数年は仏前結婚式に関する問合せも多くなってきています。
貞昌院での仏前結婚式の事例はこちらをごらんください。
http://teishoin.sakura.ne.jp/wed/wed.html
今日は、地元の青年僧を中心とした研修会による仏前結婚式の研修が、貞昌院を会場に行われました。
その詳細については、りょうさんのブログ記事にも紹介いただいておりますので併せてご参照ください。
研修会資料の一つとして、仏前結婚式を挙行するに当たっての具体的な差定(式次第)、配役、式の流れなどをまとめて作成してみました。
ご参考になれば幸甚に存じます。
仏前結婚式の式次第(例) PDF
主婦の友ベストBOOKS カラーマナーシリーズ
著者/訳者名 : 主婦の友社/編
出版社名 : 主婦の友社 (ISBN:4-07-247611-0)
発行年月 : 2005年06月
サイズ : 221P 21cm
これから結婚式を予定されている方には、様々な面でとても参考になる本ですので、ご紹介させていただきます。
【関連トピックス】
http://teishoin.net/blog/000141.html
教区寺院で晋山結制が行われました。
臣は君に奉し、子は父に順ず、順ぜざれば孝にあらず、奉せざれば輔にあらず、潜行密用は、愚の如く魯の如し、只能く相続するを、主中の主と名付く・・・・
報恩法要で読まれた宝鏡三昧をそのままエッセンスにしたような素晴らしい晋山結成・首座法戦式でした。
その法要に華をそえるのがお稚児さんです。
祭りにおける稚児 (以下、少年には男児、少女には女児を含む)現代においては、祭りの中で、特徴的な化粧(厚化粧の場合が多い)をし、お揃いの、又は決められた衣装を着た少年少女(概ね小学生以下)が稚児と呼ばれる場合が多い。
稚児の衣装は概ね平安装束(神官装束、巫女装束)か、それを大幅に簡略化した稚児装束の場合が多く、少年は烏帽子、少女は天冠を被る場合が多く、又、袴は不可欠と考えられる。
化粧は額に「位星」(くらいほし)と呼ばれる丸を黒、又は赤で入れ、鼻筋を白く塗るが、それ以外は、殆ど素顔、口紅を塗るだけの場合から大人のフォーマルと同様の厚化粧、歌舞伎舞踊と同様の舞台化粧(極稀にお歯黒を付ける場合がある)、バレエと同様な洋風の厚化粧、と、結構様々である。
稚児行列に3回出ると幸福になれるという都市伝説もあるようですね。
山門前に到着したお稚児さんは、頭に洒水を受けていきます。
本堂前・記念撮影の一コマ。
これは撞木といって、本堂の鐘を鳴らすときに使うものです。
法要や、坐禅の際に、鐘が鳴らされますが、この撞木が使われてきました。
ちなみに、本堂の鐘はこのようなものです。
お寺の本堂内には必ずといって良いほど、このような鐘があります。
時を告げたり、僧侶たちの進退の合図になったり、坐禅の開始や終了を告げたり、毎日のように活躍している鐘です。
で、貞昌院で今使われている撞木は、昭和13年新調とありますから、68年前ということですね。
二本新調のうちの甲・乙とも現役で活躍しています。
というよりも、甲を先に使っておりますが、まだまだ乙を使うには至っておりません。
二本とも使い切るためには、あと200年くらいの歳月が必要でしょうか。
貞昌院では、今日も盛んにうぐいすが鳴いています。
毎日長い時間練習しているので、だいぶ上達してきました。
うぐいすの谷渡り鳴き@貞昌院 wmaサウンドファイル
うぐいすの有名な鳴き方に、谷渡り鳴きがありますが、これは一種の警戒の鳴き声ともいえます。
繁殖期の雄は、縄張りなわばりの近くを大きな鳥が飛んだり、人が近づいたりすると、独特のけたたましい鳴き方をします。
この鳴き声が「うぐいすの谷渡り鳴き」と呼ばれ、警戒声の一種です。
・・・ということで、昨日に引続き、警戒される中録音したうぐいすの声でございました。
この時期は、貞昌院の裏山にうぐいすがさえずりの練習をしていて、朝からとてもにぎやかです。
特に今朝は直ぐ目の前まで庫裏のすぐ目の前(ほんの数メートル)までやってきました。
雰囲気だけでもこのブログで報告しようと、会議用のICレコーダを取り出し、録音してみました。
出勤前にサーバーに転送しておきましたので、↓をクリックすると、うぐいすの声を聞くことができます。
今朝録音したウグイスのさえずり@貞昌院 wmaサウンドファイル
どうです?なかなかよく録音できていると思いませんか?
5月に入って、さえずりは少しは上達しましたが、まだまだ流暢な鳴き方ではないですね。
うぐいすは、本来は人家にはあまり近寄らず、姿をなかなか見せないのですが、ここ数年は本当に目の前で鳴くようになっています。
宅地化が進んだため、それだけ、山林が少なくなってしまったということなのでしょう。
せめて貞昌院の周囲だけでも、貴重な山林を保存していきたいものです。
追伸:うぐいすの姿を撮影したかったのですが、なにぶん出勤前だったので断念しました。
(その代わり、目の前でさえずるうぐいすの姿は、録音中にたっぷりと目に焼き付けることはできました。朝からちょっと得をした気分です)
1300万人が有病者 メタボリック症候群
内臓脂肪型の肥満に高脂血症や高血圧、高血糖の症状が重なると、それぞれは深刻でなくても心筋梗塞(こうそく)や脳卒中などに進行する危険性が高まる「メタボリック症候群(内臓脂肪症候群)」について、成人の有病者は約1300万人と推計されることが8日、厚生労働省の2004年国民健康・栄養調査で分かった。
有病者一歩手前の“予備軍”も約1400万人で、両方合わせると約2700万人。40?74歳では有病者が約940万人、予備軍が約1020万人になる。
割合は中高年になるほど増加傾向を示し、40?74歳に限ると男性では2人に1人、女性では5人に1人が有病者か予備軍だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060508-00000198-kyodo-soci
メタボリックシンドロームにかかっている人は、先進国を中心に増加傾向にあり、日本でも食生活が欧米化することなどにより、やはり増加傾向にあります。
実に、1300万人が有病者というショッキングなデータです。
高血圧・高脂血症・糖尿病・・・手軽なファーストフードや肉類といった高脂肪・高カロリーの食生活がもたらす悪影響ですね。
飽食の現代だからこそ、道元禅師の著された『典座教訓(てんぞきょうくん)』や『赴粥飯法(ふしゅくはんほう)』の意義がますます高まっているのではないでしょうか。
【関連記事】
「いただきます」って言ってますか?
http://teishoin.net/blog/000344.html
道元禅師と歯磨き
http://teishoin.net/blog/000045.html
【メタボリックシンドロームを防ぐために】
■BMI体重を25未満にする(適正体重を保つ)
■野菜や乳製品、豆類をとり、バランスのとれた食事を
■規則正しい食事、朝食をしっかり取る。夜食をしない
■脂肪をとり過ぎない
■塩辛い味付けを避ける
■ジュースやお菓子、清涼飲料など糖分をとり過ぎない
■適度な運動を毎日続ける
■睡眠、休養を十分にとる
■お酒も適度に
■禁煙は必須
ノミの痕が美しく残る穏やかな表情の仏様。
これは、箱根・林泉寺20世住職、内山愚童師(1874?1911、以下、愚童師と略称)自らの手による佛像です。
戦時中、多くの青年たちが戦場へと招聘されていきましたが、残された家族のために、彫ったものだそうです。
愚童師は、新潟県に生まれ、20歳の時に上京。
1897(明治30)年に神奈川県宝増寺で出家(天室愚童を称す)、同県海蔵寺にて修行、1900(明治33)年曹洞宗第十二学林を卒業、1901(明治34)年温泉村宝珠院で嗣法、1904(明治37)年神奈川県足柄下郡大平台、林泉寺住職となりました。
こちらが林泉寺裏の墓地にある愚童師の墓地です。
後の「内山愚童」と彫られた墓石のほうは、後になって「愚童を偲ぶ会」により建立されたものであり、愚童師の墓石は手前の自然石だけでした。
なぜ、愚童師はそのような扱いを受けることになったのか。
当時の大平台村は、35戸余りの零細農家がほとんどで、現在のような温泉もなく、生活は一汁一菜の毎日で、箱根細工や鎌倉彫の内職をしている人もいたといいます。
大平台の人々をこよなく愛し、民衆の苦しみや辛さを自らの痛みとして背負って生きてきた愚童師は、1911(明治44)年1月24日、幸徳秋水らとともに「大逆事件」に連座して処刑されました。
この「大逆事件」(幸徳秋水事件)とは、日露戦争後における日本の社会主義運動を壊滅させることを意図した第2次桂太郎内閣の方針のもとにフレームアップされた明治天皇暗殺計画とそれに対する裁判であります。
境内の片隅にひっそりと葬られ、ただの自然石が置かれただけの墓地は、大逆事件による処刑故だったのです。
カク奮闘シテ得ル処ノ自由トハ 如何ナル者デアルカ。
一口ニ之ヲ云フナラバ、自己ノ意志ニ従ッテ何事モ行動ヲシ、決シテ他ノ為ニ之ヲ妨ゲ枉ヘラルゝ事ノ無イ、即チ飽クマデ自己ノ意思ヲ尊重シ ソレト同等ニ他人ノ意思ヲ尊重シテ、平和ニ生活ヲナシ往ク事デアル。
要スルニ人類ノ終局目的ハ独立自活・相互扶助ニアル。
語ヲ更ヘテ云フナラバ、自由・平等・博愛ノ実現ニアルノデアル。内山愚童(署名) 手記『平凡の自覚』より
「大逆事件」は、実際の暗殺計画者がいたことは事実でしたが、愚童師のように全く無実の者も多く起訴され、極めて冤罪性の強い裁判であるといえます。
戦後になって「大逆事件」そのものの不当性が明らかになり再審請求なども行われました。特に愚童師の小作人の解放、徴兵制度の廃止、女性の自立など、思想的にも、その先見性に高い評価を得ています。
1992(平成4)年1月10日、林泉寺住職木村正寿師(当時)より「元林泉寺住職・内山愚童師の名誉回復について」という僧籍復帰の関する嘆願書が提出され、宗門はこれを受理しました。
これをきっかけに、1993(平成5)年、ようやく宗門擯斥処分を取り消すことが決定となり、林泉寺の20世として復権し、歴代住職に名を連ねることとなりました。
林泉寺の場所は、国道一号線沿い、箱根登山鉄道・大平台駅前です。
お近くをお通りの際は、立ち寄って参拝されては如何でしょうか。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/14/07.213&el=139/04/35.299&scl=25000&bid=Mlink
【関連リンク】
曹洞宗公式ホームページ
http://www.sotozen-net.or.jp/oshie/jinken/bn0506.htm
つらつら日暮し
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/d94221c9e3bcca678b23b9ab447ad4b2
研修のため、静岡に来ています。
さて、静岡といえば「おでん」。
静岡おでんについてはこちらをご参照ください
http://www.kamakiku.com/html/oden.html
漫画ちびまるこちゃんにも登場し、静岡の人には駄菓子の店頭や日常のの夕食で当たり前のように食べられているという静岡おでんを食べない訳にはいかない・・・
ということで、空いた時間に街にくりだしてみました。
戦後、静岡駅前の青葉公園通りには約200台ものおでん屋台が軒を連ねていたといいますが、その屋台街が、都市計画のため撤去され、現在は青葉おでん街として残されています。
静岡おでんの特徴
■黒はんぺんが入っている(呼称に黒はつけない)
■黒いスープ
■串に刺してある
真っ黒スープに、牛スジ、豚モツ入り・・・・・
そのルーツは、廃棄処分されていた牛すじや、豚モツを、捨てずに肉系の煮込みにしたことからと言われており、魚介類や練り製品の産地であることと相俟って、独特のおでんが出来上がったとのことです。
写真手前が「黒」はんぺん。本当に真っ黒ですね。
関東で言うところの「つみれ」に近いです。
店のおばちゃんによると、黒はんぺんは、揚げて食べるのが一番おいしいそうです。
早速戴いてみました。
香ばしくて本当においしかったですよ。
コンビニのおでんもしっかりと静岡おでんなんですね。
旅先で地元の料理をいただくのはちょっとした楽しみの一つです。
※このトピックスの写真はPHSによる撮影ですので画像があまりよくないことをご了承ください
拝啓 当社のサービスを永年ご愛用になられているお客様へ
当社はDDlポケットとして1995年にサービスを開始以来、おかげさまで10年を迎えることができました。
この間にPHSの最大の特長であるマイクロセルネットワークを活用して、まず2001年8月データ定額サービス「AIR?EDGE」を開始し、2005年5月には世界でもほとんど例を見ない音声定額サービス「ウィルコム定額プラン」を開始いたしました。
そして2005年末には皆様のおかげをもちまして、過去最高加入者数を超えることができました。そこでこの度、開業以来10年間ずつと愛用者でいてくださったお客様へ感謝の気持ちを込めまして、10周年を記念する「小さなプレゼント」のご案内をさせていただくことにいたしました。
同封のハガキにてお好きな色をひとつ選んでご返送くだされば、もれなくウィルコム10周年記念10年継続愛用者限定ストラップを進呈いたします。当社はPHSのさらなる普及発展を目指し、今後一人でも多くの方に、継続してPHSサービスをご利用いただける環境をご提供すべく社員一丸となって、努力してまいります。
この10年間当社を支え続けてくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
今後とも、引き続き末永くお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。敬具平成18年4月吉日
株式会社ウィルコム
代表取締役社長 八剱洋一郎
ということで、何色のストラップにしようかな・・・・・
【関連トピックス】
がんばれPHS!!
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がんばれPHS!!-2
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WX310Kで写真を撮ってみました
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WILLCOMスマートフォン発表!
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w-zero3からの投稿
http://teishoin.net/blog/000360.html
眼下に広がるその眺望、そして地域のランドマークとなるそのフォルム。高層マンションならではのメリットです。都市の華やぎと安らぎを満喫できるタワーマンションでの生活を、現実のものにしてみませんか。
このようなうたい文句で、駅に隣接した地区に次々と高層マンションが建てられています。
上永谷も例に漏れず、駅前にツインタワーマンションが建設中です。
写真の右端に写っている山が、貞昌院の裏山です。
(まもなく桜が満開になります)
マンションが建てられている場所には、もともと遊水地があり、その上部にゴルフ練習場がありました。
土地をさらに有効利用するために、さまざまな案が検討され、結果、16階建てのタワーマンションがもっとも適していると判断されたようです。
高層マンションの定義では、10階以上が高層、20階以上が超高層となりますから、高層マンションの部類に入ります。
現在は14階まで建設が進んでいるこの新しいランドマークは、この地にどのように影響を与えるのでしょうか。
ホタルの光、なぜ黄緑色? 京大助教授らが解明
「ホタルの光」が黄緑色に光る秘密は、発光に関係する酵素ルシフェラーゼの立体構造にあることが、わかった。理化学研究所播磨研究所の加藤博章チームリーダーや京都大の中津亨・助教授らの研究チームが解明し、16日付の英科学誌ネイチャーに発表する。ホタルの発光は、発光のもとになるたんぱく質が、この酵素と反応して、発光体になることで起きる。
黄緑に光るには、赤く光るより多くのエネルギーが必要で、ホタルは、発光体の化学エネルギーの約9割を発光エネルギーに変えて光っている。だが、色の決まる仕組みは不明だった。
研究チームは、ゲンジボタルのこの酵素を精製し、たんぱく質と反応させた。大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県)で、反応中の酵素の立体構造を調べた結果、取り込んだ発光体を、かなり緊密に囲んでいる構造であることが分かった。一方、酵素のアミノ酸を一つだけ変えて囲みを緩めると、赤く光るようになった。酵素が、発光体の化学エネルギーを逃がさない構造になっていることが、黄緑色の光を生み出していた。
中津助教授は「ホタルの光は精巧な分子装置で制御されていた。新しい発光システムの開発などにつながる可能性がある」と話している。
http://www.asahi.com/science/news/TKY200603150522.html
音もなく、熱も発生せずに静寂の中で幻想的に飛び交うホタルの飛翔。
この仕組みはある程度解明されていたと思うのですが、なぜ、エネルギー負担の大きい黄緑色に発光させることができるのかというメカニズムに関する研究成果のニュースです。
結婚披露宴などでは、キャンドルサービスに代わって、最近は「フェアリーイリュージョン」も多くなってきました。
これは、新郎新婦で同時に2種類の水をグラスに注ぐことによって、化学的にさまざまな色に光る幻想的な演出です。
フェアリーイリュージョンの原料は、ホタルの遺伝子を研究して作られた発光物質です。
ホタルは、発光によって愛のメッセージを交わしていますが、その幻想的な光景がフェアリーイリュージョンとして再現されているわけですね。
下の写真は、一昨年前に撮影したゲンジボタルの飛翔の写真です。
空には満点の星が輝き、それは素晴らしい光景でした。
星の瞬きもホタルの光も、私たちには同じような明るさで届きます。
しかし、星の発光は、核融合という私たちの想像をはるかに超える、ダイナミックなエネルギーによって作り出されています。
対してホタルの光は繊細な生体エネルギーによって作り出されています。
そのように考えると、自然の仕組みは実に驚異的ですし、そのような仕組みの一端を知ることができる私たちはなんて幸せなのでしょうか。
ほたるの光は、「ホタルルシフェリン」という発光物質と、その化学変化を助ける「ルシフェラーゼ」という酵素を触媒として、次のような仕組みで発光していきます。
「ホタルルシフェリン」
↓ ← 「ルシフェラーゼ」
「ルシフェリン-AMP」
↓ ← 「ルシフェラーゼ」「酸素」
「ペルオキシドアニオン」
↓ → 「AMP」
「ジオキセタン誘導体」 (基底状態)
↓ → 「二酸化炭素」
「オキシルシフェリン」 (励起状態)
↓ (分解)
「光」+「分解物質」 (基底状態)
発光物質はほたるの体内で次々に生産され、空気中の酸素によって酸化反応が進行します。
その結果、生体活動に合わせて点滅したりするわけです。
ほたるの発光がコミュニケーション手段となりうるのは、このような仕組みによるものです。
<日立製作所>夢の循環型エレベーター、世界初の実験成功日立製作所は2日、夢の技術とされてきた「循環型エレベーター」の実証実験に世界で初めて成功したと発表した。2列の昇降スペースを天井部と底部でつなぎ、最大8台の乗りかごが循環運転する。乗りかごは頻繁に到着するため、1列1台の乗りかごがそれぞれ上下していた従来型に比べ2.5倍の輸送力を確保できるという。同じ輸送力なら従来の3分の2のスペースですむ。
高層ビルが増え、エレベーターの輸送力増強や待ち時間短縮のニーズが高まっている。これまで各メーカーは、高速化や乗りかごを2階建てにする「ダブルデッキ方式」で対応してきたが、高速化には限界があり、ダブルデッキ方式も、片方のかごの乗降時に他方も停止しなければならないというムダがあった。
循環型は以前から究極の解決策と見られてきたが、乗りかごを独立して動かす技術開発が壁になっていた。電磁石で浮かせて自走する「リニアモーター」方式が考案されたこともあるが、電力消費量が膨大で経済性に難があり、停電時の安全確保が未解決だった。
日立の新技術は、20階建て、乗りかご8台を想定して開発、それ以上の構想の場合は、複数重ねる。従来型と同様にロープを使うのが特徴で、上下を固定するのでなく、4組のロープを輪にして回す。各組に対角線の位置に2台の乗りかごを設置し、各組を独立して運転させ、計8台を循環させる。同一組の2台は同時に動くので、一方のかごが停止したら対のかごも停止するが、循環するのでダブルデッキ方式より効率的に運転できる。
高さ4メートルの模型での動作実験に成功した。かご同士が衝突しない制御システムの実証や、循環式を想定していない建築基準法の改正が必要になるため、販売時期は未定。日立は「実用化に向けた環境整備を急ぎたい」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060302-00000082-mai-bus_all
通常、エレベーターは、一台のカゴが、上下に移動して人や荷物を運びます。
したがって、例えば6階から10階に行きたい場合、カゴが下り方向のタイミングだと、一旦下の階まで行って帰ってくるまで待たなくてはなりません。
また、高層ビルの場合は、階を飛ばす急行エレベーターを設置したり、高層階専用のエレベーターを設置したり、様々な工夫をとらなければなりませんが、結局は非効率的な部分が少なからず発生してしまいます。
そういえば、ビルを如何に効率的に構築していくかというゲームもありましたね。
THE・TOWER SP
今回の記事は、夢の技術とされてきた「循環型エレベーター」の実証実験が、世界で初めて成功したというニュースです。
簡単にいうと、上り専用のエレベータと下り専用のエレベータをそれぞれつないで、ぐるぐると一方通行的に循環させるというものです。
エレベータが一つの経路を上下に動くという概念はもはや存在しません。
イメージ図はこんな感じです。
【主な特徴】
■ 循環マルチカー方式
・マルチカーエレベーターは、2台以上の乗りかごが同一の昇降路を運行するエレベーターのことである
・実用化されているものは、カゴを上下に2台連結したダブルデッキ方式がある
(しかし、2台連結のため1台が止まるともう一台も必然的に止まる必要がある)
・本方式では、上昇専用と下降専用の2つの昇降路の上部と下部をそれぞれ連結してリング状とした。
・さらに、その中で複数のカゴが独立して運行できる。
・これにより、単位面積あたりの輸送力を通常エレベーターの2倍以上とした。
■独立循環ロープ駆動技術
・鉄道などの水平方向の交通手段では、各移動体にモータなどの駆動装置を搭載することが一般的。
・しかし、垂直方向のエレベーターでは、各カゴに駆動装置を搭載ことは駆動装置が大型化してしまい非現実的。
・本法式では、循環ロープにカゴを接続し、その循環ロープを建物側に設置したモータで駆動するメカニズムとした。
・この循環ロープを複数設けることにより、各乗りかごが独立して運行できるようにした。
■対向かごつり合い方式
・通常のエレベーターは、乗りかごを接続したロープの他方の端に重りを接続することで、省エネルギー化を図る。
・本方式では、つり合い重りの代わりに、循環ロープのちょうど正反対の位置に2つの乗りかごを接続して駆動することとした。
・本方式の採用により、乗りかごの運行の自由度は1/2に減少するが、例えば朝の出勤ラッシュ時には、下降側の乗りかごに乗客が乗ることはまれであるため、下降側の乗降で上昇側が待たされる可能性は低く、輸送力には大きな影響を与えない。
ということでありますが、特にオフィスビルのように、朝は上昇、夕刻は下降の需要が集中するような場合に特に威力を発揮しそうです。
私も以前、新宿都庁舎内に勤務していたことがありましたが、朝の出勤時のエレベーターの乗り継ぎには苦労したものです。
それと、上下にある2本の昇降路間を移動する際の乗り心地というものを是非体験してみたいものです。
ニュースリリースのPDFはこちらです。
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2006/03/0301.pdf
荒川視聴率も金…フィギュア瞬間最高43.1%NHK総合が24日早朝に中継したトリノ冬季五輪女子フィギュアフリー演技(午前6?7時)の平均視聴率が、31.8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ、以下同)を記録したことが27日わかった。低迷気味だった五輪視聴率は、金メダルの荒川静香(24)はじめ、3人娘の活躍で救われた格好となった。荒川、村主章枝(25)の2選手が劇的なメダル争いを繰り広げた午前6時台の番組占拠は63.4%に達した。
荒川のメダルが確定すると、その後の表彰式まで高い数字を維持し、関東では、表彰式の「君が代」斉唱時の同7時11分には瞬間最高視聴率43.1%を記録。世間が「メダル」を渇望していたことを証明した。また、27日未明に行われた閉会式(NHK総合)は、午前5時までで4.1%だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060227-00000009-ykf-ent
まさに日本全体が荒川選手の演技に釘付けになったわけです。
彼女のもたらしたものは、演技への感動だけではなく、様々な方面への影響をもたらしました。
荒川静香選手のあの曲が、順位を大きくアップ!「ORICON STYLE」(http://www.oricon.co.jp/)が発表したオリコンアルバムチャートで、トリノオリンピック・フィギュアスケート女子シングルで金メダルを獲得した荒川静香選手が25日のエキシビションで使用した楽曲「ユー・レイズ・ミー・アップ」を収録したアルバム、ケルティック・ウーマンの『ケルティック・ウーマン』(発売日は2/1)が急上昇。先週の119位から今週59位へと大幅ランクアップを果たした。
デイリーチャートでは2/17(金)の99位を最後に、TOP100内から遠ざかっていた同アルバムだったが、金メダル獲得前日の23日(木)から急浮上(79位)。翌日2/24付では64位、その後も31位(2/25付)→26位(2/26付)と着実に順位を上げていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060227-00000000-oric-ent
静香金メダルフィーバー、周囲過熱静香狂騒曲が始まった。フィギュアスケート女子で金メダルを獲得した荒川静香(24=プリンスホテル)の株が、急上昇している。凱旋(がいせん)試合となる3月のアイスショーのチケットが、ネットオークションで高値で取引されるなど、人気沸騰。アイスクリーム好きの荒川に、日本アイスクリーム協会も商品化の可能性を探るなど、女神をめぐる周囲の動きは過熱するばかりだ。
舞姫の嗜好(しこう)品に着目したのは、日本アイスクリーム協会だ。「アイスクリームが大好き」と公言する荒川に対し、全国98%のアイスクリーム関連企業が属する同協会広報担当の菊地瑶子さんは「もし可能なら、ぜひ荒川選手のジェラートを作らせていただきたい」とラブコール。五輪前から、荒川のアイスクリーム好きは話題になっていたといい「帰国したらぜひ、アイスクリームを毎月でもお届けしたい」と起爆剤に目をつけた。「アイスクリーム・クイーン」の称号を贈ることなども検討するという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060226-00000040-nks-spo
トリノ冬季五輪:フィギュアスケート 女子SP開始 荒川静香、運命の勝負曲
トゥーランドットは古代中国を舞台にした物語。演技で使う「誰も寝てはならぬ」の部分は、今大会の開会式でイタリアのオペラ歌手パバロッティが歌い上げた。「運命を感じた。一番好きな曲で、最高の舞台を滑れるのは幸せ」と荒川。地元イタリアの名曲に乗り、観客と審判の心に訴える演技を目指す。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/women/news/20060222ddm035050015000c.html
静香金の舞で「金芽米」倍!
荒川静香が出演中のCM「金芽米(きんめまい)」を販売するトーヨーライスが2月の売り上げ目標を100トンも上方修正することが24日、分かった。荒川には帰国後、金芽米1年分=1俵(約60キロ)を贈呈する予定で、まさに荒川さまさまだ。
http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-060225-0002.html
金トーヨーライスの金芽米は、2月の販売目標を500トンに上方修正。
演技で使用した曲・プッチーニの遺作オペラ「トゥーランドット」荒川バージョン『classical ever! BEST/Energy&Emotion』(東芝EMI:TOCP-67410-11)は、現在製造は行われておらず、メーカー在庫もない状態ですが、同CDの米国盤は24日、インターネットの通販サイトでクラシック・チャートの6位へと急浮上しています。
このように、各方面で荒川効果が波及していますが、私は個人的にBOSEのクワイアットコンフォート2に注目しております。
荒川選手が演技する直前の彼女の映像をごらんになった方は、ヘッドフォンを掛けている姿が印象に残っているのではないかと思いますが、それがまさにクワイアットコンフォート2だったのです。
どういうヘッドフォンかというと、
『イヤーカップ内に侵入してくる全ての音を内蔵の高性能マイクでモニターし、再生音と比較して騒音を識別。暗騒音と逆位相の音波を送り出すことで音響的に騒音を打ち消します。このプロセスを超高速で繰り返すことにより、航空機の機内や地下鉄の車内のような騒音の大きい場所から、都会の雑踏など騒音が激しく変化する騒がしい環境の中でも、常に安定した「静けさ」を提供します。』
というとおり、周囲の騒音と逆位相の音を発生させ、その騒音を打ち消すというものです。
人間の耳は、無意識のうちに自分の必要とする情報だけを、様々な音の中から識別しようと常に努力しています。このため長時間にわたり騒音に囲まれる場所、たとえば航空機や電車の中などでは、いくらリラックスしているつもりでも、知らず知らずのうちに疲労やストレスが蓄積してしまいます。
クワイアットコンフォート2が創り出す「静けさ」は、このような現代人の騒音による疲れを解消し、真の「快適さ」をもたらします。
まさに、試合に臨む際に、精神を集中させるのにもってこいのヘッドフォンなのだと思います。
彼女の金メダル獲得へ少なからず貢献したのではないでしょうか。
禅僧は、平常心を道とします。坐禅を行じることにより、結果として揺るがないどっしりとした心を持つことがついてくるともいえます。
坐禅に没すると、炭のはじける音や、線香の灰の落ちる音、さまざまな気づかない事象も捉えることができたりするのですが、クワイアットコンフォート2はその世界を確実に、手軽に得ることが出来るのかもしれません。
坐禅に効用を求めては本末転倒ですが、確実に効用を得たいのであればこのヘッドフォンを使用するということはアリだと思います。
私たちは普段、如何に雑音に取り囲まれているのかを実感することが出来る、注目の製品です。
以下、BOSEのサイトより引用。1 出張や旅行など、長時間乗り物で移動する方に
航空機や電車などの乗り物を利用すると様々な騒音が耳に飛び込んできます。クワイアットコンフォート2を使えば耳に入ってくる騒音を減衰し、その結果生じる精神的疲労から開放します。
※航空機内でのご使用に際しては、各航空会社の指示に従ってください。2 周囲の騒音で仕事や勉強の能率が上がらない方に
受験勉強や締切直前の創作時など、気が散る原因となる雑音をカットし、集中力、記憶力をアップさせることができます。3 都市騒音や環境騒音に悩んでいる方に
道路や航路、工事現場、カラオケスナックの近く等、騒音環境に住んでいる方の心理的ストレスになる騒音を低減させます。4 歯科医院での治療が苦手な方に
歯を削るドリルの音等が生理的に駄目な方(特に子供)に、待合い、治療中に装着し、好きな音楽を流してあげれば、必要のない不安や恐怖を和らげてあげることができます。5 大事な場面で緊張しやすい方に
スポーツの試合や大事な発表会の前に装着すれば、緊張を和らげ、精神を統一させるのに役立ちます。6 暗騒音が気になって安眠できない方に
室内の空調や冷蔵庫等家電製品の騒音等が気になり睡眠不調になりやすい、お年寄り、病人、交替勤務の方の安眠をサポートします。
前線を伴なった低気圧が、日本海と本州の南岸沿いを北東に進んでいる影響で、午後から本格的な雨模様となりました。
雨は、人間にとって鬱陶しく感じることが多いのですが、春を待ちわびる植物たちにとっては、まさに恵の雨でもあります。
春、花が一斉に咲く時期に降る雨は、華雨(かう)と呼ばれます。
また、咲き出した花々に勢いを与える力を与える 育花雨(いくかう)など、今の時期の雨にも様々な呼び名が残されています。
御降り | おさがり | 元日、または三が日の間に降る雨や雪のこと。 |
天泣 | てんきゅう | 晴れわたった空から降る雨。遠くに流れた雲からの雨が蒸発しながら降る。 |
華雨 | かう | 花がいっせいに咲くころの雨 |
育花雨 | いくかう | 咲き出した花々に力を与える雨。 |
草の雨 | くさのあめ | 山野に萌える草たちに降りそそぐ春の雨。 |
蛙目隠 | かえるめかくし | 春、農作業の始まる頃に降る雨のことを、新潟県。 |
青梅雨 | あおつゆ | 初夏の梅雨で、木々を鮮やかに濡らす雨 |
山廻り | やまめぐり | 向こうの山に雨を降らせていた雲がこちら側に廻って雨を降らせる山の時雨。 |
催花雨 | さいかう | 菜の花のころに、花が咲くのを催促するようにしとしと降り続く雨。 |
銀竹 | ぎんちく | 矢ではなく、竹のように見える大粒の激しい夕立。 |
秋霖 | しゅうりん | 秋の長雨。 |
猫毛雨 | ねこんけあめ | こまやかな雨を猫のやわらかな毛にたとえたもの。 佐賀県、宮崎県。 |
軽雨 | けいう | 小糠雨のような、雨脚もこまかく静かにそそぐ雨。 |
化雨 | ばけあめ | 晴れているのに降ってくる雨。天気雨。島根県隠岐。 |
親方雨 | おやかたあめ | 夜の間だけ降り、朝はからりと上がる雨。 京都府。 |
秋さづい | あきさづい | 稲収穫のころに降り続く長雨。新潟県。 |
虎が雨 | とらがあめ | 陰暦五月二十八日に降る雨のこと。曽我物語に由来。 |
日本人は雨を単なる気象現象として捉えるのではなく、特別な愛着を持っていたのでしょう。
自然現象に対してこれだけ豊かな名前がつけられている国は他にはありません。
境内に咲く梅の花にとっても、まさに育花雨となっています。
足元にはふきのとうが次々と芽を出しはじめました。
瑞々しく雨粒を湛えています。
『雨のくに』 佐藤秀明(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894443325/249-5810262-2329931
雨のことば辞典』 倉嶋厚(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062103192/naturenet-22/249-5810262-2329931
『雨の名前』 高橋順子 佐藤秀明(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096814318/qid=1140944763/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-5810262-2329931
国民生活時間調査 テレビ/見ない20代男性、2割超す 新聞/読む人44%、平均21分日本人がテレビを見る時間は平日が約三時間半、日曜は四時間を超えることが二十日、NHK放送文化研究所がまとめた「平成十七年国民生活時間調査」でわかった。
この調査は五年おきに実施されており、今回が十回目。十歳以上の国民一万二千六百人を対象に行われ、有効回答数は七千七百十八人だった。
テレビ視聴時間は一人当たり一日三時間三十九分。平日(三時間二十七分)と日曜(四時間十四分)は前回並みだが、学校が週五日制となった影響もあり、土曜日は前回の三時間三十八分から四時間三分に延びた。また七十歳以上に限れば一日五時間半を超えている。全体では九割の人がテレビを一日十五分以上見ているが、二十代男性がテレビを見る割合は初めてどの曜日も八割を切った。
新聞は国民の44%が読んでおり、平均時間は二十一分。平日では男女十代と女性七十歳以上を除くすべての層で読む人が減っており、この結果、男女とも四十代以下で平日の新聞読者は50%を割り込むこととなった。
ほかの時間の使い方を見ると、家事をする成人男性が増えており、とりわけ五十、六十代でその傾向が顕著。平日十五分以上、家事をしている成人男性は、五十代で27%となり、前回調査を8ポイント上回った。六十代では50%と、前回の38%から大きく増加。成人男性の平均家事時間は平日で四十六分、日曜日は一時間三十五分だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060221-00000002-san-soci
20代男性がテレビを視聴する時間が減少しているということは、それだけ娯楽が多様化しているのでしょうけれど、子どもたちのテレビ視聴時間が増大していることは、少し気がかりです。
NPO「子どもとメディア」が3年間の実態調査と実践的研究の結果に基づいて2003年3月に発表した提言が参考になりますので、ご紹介いたします。
1.子どもの生活時間の中で、メディアに費やす「総時間」をコントロールしましょう。
2.とくに危険可能性が懸念される乳幼児のメディア漬けを、やめる取り組みを広げましょう。
3.主体性を持ってメディアを選択し、判断し、発信する力を養うメディア・リテラシーを、子どもも大人も身につけましょう。
4.子どもとメディアの“新しい関係”を求めて、広くネットワークをつくり、協働してさまざまな研究と実践活動を進めましょう。
5.メディア漬けから抜け出して、遊びや仲間関係づくり、自然体験や文化活動などの生き生きした生活を広げましょう。
http://www16.ocn.ne.jp/~k-media/
お葬式:カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派
お葬式の際、亡くなった人の顔をカメラ付き携帯電話などで撮影する人が増えている。葬儀関係者には「人の死を悼む気持ちが荒廃している」と感じる人がいる一方で、「時代とともに葬儀も変わる」と受け入れる人もいる。あなたは、最期の顔を撮影されたいですか?昨年7月、横浜市内の斎場。出棺前に花を詰め始めると、親族や友人5?6人がカメラ付き携帯で故人の姿を撮り始めた。同市の葬儀デザイナー、出口明子さんにとっては初めて見る光景だった。故人と生前から付き合い「本人の意思を尊重した葬儀」をサポートしただけに「注意すべきか」と迷ったが、親族が何も言わなかったので黙っていた。翌月、私的に出席した葬儀でも同じ場面を見た。
全国の葬儀社でつくる全国葬送支援協議会(総本部・東京都千代田区)の斎藤浩司理事長(34)は「月に1度は見ます」と話す。「中学生や高校生は『撮っていいの?』という雰囲気だが、30?40代の人は当然のように撮影する」と話す。香川県三木町の三木・長尾葬斎組合「しずかの里」職員、長尾鉄夫さん(55)も「20?30代の若い人が『記録に残す』という感じで撮る」と話す。
出口さんは「人を悼む気持ちが荒廃しているのでは、と気になる。亡くなった方は死に顔なんて絶対に撮られたくないはず。撮影の可否まで遺言を取ることも検討しなければ」と困惑。斎藤さんも「カメラが身近になり気軽に撮るのだろうが、心の写真を撮っておく(脳裏に焼き付ける)のが一番」と話す。
一方、長尾さんは「葬儀に対する考え方も時代とともに変化してきた。臓器移植が一般化し、遺体が神聖不可侵なものとの考えが薄くなったのでは」と理解を示す。
メディア社会論に詳しい評論家・武田徹さんは「対象を撮影し、他者とともに確認しなければ“リアリティー”が感じられなくなっている。葬儀も焼香だけでは満足できず、故人との確かなつながりを持ちたいとの思いから撮影するのだろう」と分析。カメラ付き携帯などの普及で何でも撮影する風潮に加え、現代人の感覚や死生観の変容という社会背景を要因に挙げている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060216k0000e040094000c.html
けれども、やはり、私は死者の顔を撮影することには抵抗があります。
想い出は想いでとして心にとどめておくべきでありますし、故人との確かなつながりを持ちたい=死顔を写真に撮影しておいてそれを後で見返すという気持ちは、モスクワのレーニン廟に現在も永久展示されているウラジーミル・レーニンにも通じるところがあるのでしょうか。
釈尊は四苦八苦の一つとして「愛別離苦」をあげています。
家族や愛する人、友人を亡くすということは、遺される人にとっても精神的に大きな辛い出来事です。
その深い喪失感、悲嘆を和らげるために葬儀という行為が生まれました。
また、時代の変遷とともに、単に遺される人だけではなく、地域や社会の中で生きてきた人の死を社会的に告知し、認知するという機能も付加してきました。その最たる例が、先日ご紹介した葬列となって伝わっています。
特に葬儀の際に大切に受継がれてきたことは、「死者の尊厳を守る」ということです。
死者を丁重に弔うと同時に、遺された人が死を事実として受け入れ、死者を心の中の大切なものと認識し、遺された人がこれからの自分たちの生き方について考えること、これが葬儀の最も大切な意義だと思います。
言い換えると、葬儀は、死者との別れの儀式ではなく、故人の一生を閉じるための大切な営みであると同時に、遺された人が故人のいのちを引き継いで生きるための準備を促す、大切な儀式であるとも言えます。
それゆえ、故人の尊厳を守ること、これが第一に優先されなければならないでしょう。
現代人の感覚や死生観の変容という一言で片付けられて良いものではないと思います。
知人のW-ZERO3から試しに記事を投稿してみました。
なかなか良いですね。
通勤電車の中からの記事を投稿したり、ちょっとした時間を有効に使えそうです。
QWERTYキーボードを使えるという点も良いです。
W-ZERO3の詳細につきましてはこちらをごらんください。
http://teishoin.net/blog/000261.html
なお、私自身は京セラ製のWX310Kを使用しております。
http://teishoin.net/blog/000291.html
teraさんが、「公論性」と「公開性」の二つの尺度を用いてブログを四つの類型に分類されています。
とても的確な分類でありますので引用させていただきます。
A.ホームページ型…公開性が高くて公論性が高いもの。ホームページの簡易日記タイプと言えます。私もホームページの敷居が高くて、手軽なブログを開設した経緯があります。
B.持論主張型…公開した中で持論を展開するタイプ。著名人、タレントさんなどはもともと私生活そのものが公開されているような一面をもっていますので、このブログの場は正に適した発信処です。
C.情報発信型…公開性には慎重ながらも、バラエティーに富んだ情報発信をしていくタイプ。ジャンル、キーワードなどの検索システムを利用してのネットの広がりにも妙味があります。
D.個人日記型…本来は独りのための日記。でも知ってもらいたい一面もあるものです。そんな赤裸々の発信ツールとして、このタイプが、ブログが広まった原点なのかも知れません。
http://blog.goo.ne.jp/tosen_2005/e/6e7196524dc9fca121e7792ca60f55ba
貞昌院のサイトの場合は、ホームページ・ブログ並列型ですから、この分類に従えば、AとBの両立といったところでしょうか。
まだホームページ自体が珍しかった頃は、「お寺でホームページを開設しているなんて珍しいですね!」と良く言われたりしましたが、歴史を紐解いてみると、原始的コミュニケーションから文字の発生、情報記録のための石・粘土板・板・紙の発明、印刷技術の発明など、いつの時代も宗教界がその時代の最新メディアをリードしてきたということが判ります。
また、宗教はもともと仮想現実の側面を持つものでもあります。
(この宗教と仮想現実のことについては追って触れていく予定です)
【布教】=【メディアによる情報伝達】という構図は、CMC(コンピュータを媒介としたコミュニケーション)自体が宗教性を帯びやすいという性質を持ちえるということを意味します。
しかしながら、伝統宗教に関しては、CMCを積極的に活用している事例と、そうでない事例の二極化が進んでいる状況です。
情報技術の発達・情報環境の拡大と、それに伴う社会構造やメンタリティの変化、近年におけるブログの普及などが、現代日本の宗教に確実に変容をもたらしつつあるといえます。
私も、2001年に、Yahoo!Japanなど一般的な検索サイトに登録されている国内の伝統仏教教団・寺院(宗教法人)のサイトのうち、メールアドレスを公開している338件を対象にアンケート調査を行ったことがあります(註1)。
サイトで行われている主なコンテンツについて、どれほど効果が見られるのかを、サイトを運営している立場からの意見として吸上げ、集計し、そこで得られた結果を、SPSSによる因子分析にかけました。
これによって、インターネットを使った布教活動に係わる因子を抽出し、どのような共通し、かつ変動を支配する成分があるのかを検討してみました。
(バリマックス回転を選択し、回転前の因子負荷量行列の出力を抑制)
結果、固有値が1以上の因子が3つ析出されました。
(KMO値0.847、Bartlett の球面性検定の有意水準は、0.00)
第1因子に対しては、ペットの仮想墓地(0.871)、人間の仮想墓地(0.837) 、バーチャル参拝(0.664)が強い負荷を示したため、第1因子を「仮想宗教空間」と解釈することにしました。
第2因子に対しては、お寺・住職を身近にする(0.680)、世界へむけた情報発信(0.614)、宗派を超えた意志疎通(0.606)と続いたため、第2因子を「自己開示」と解釈することにしました。
第3因子に対しては、祈祷、祈願(0.710)、読経(0.535)が強い負荷を示したため、第3因子を「バーチャル儀礼」と解釈することにしました。
この3つの因子のうち、上位2つの因子を用いて二次元に座標をとると、次の図のようになります。
このプロットの一つ一つを、実際のサイトと照らし合わせてみると、とても興味ある結果となっているのですが、ここでは、それぞれをリンクすることは、ここではあえて行っていません。
ただ、全体的にインターネットを使った宗教活動はまだ未成熟な段階であり、有効に運用しているサイトがある一方、思いのほか効果が得られない事例もみられ、二極化がみられる段階であるといえます。
宗教とCMCとの関係を模索している状態にあり、これが確立されるのはもう少し先になるのかもしれません。
田村貴紀氏は、宗教関連ウェッブ・サイト主催者へのアンケート調査結果報告(註2)の中で、宗教行為の可能性として
(1)言葉による宗教性
(2)聖地へのアクセス可能性
(3)オンラインカウンセリング
の3つを挙げています。
(1)については、テキストの儀礼化、テキストによる儀礼という観点のアプローチと、言葉自体に重要性があるというアプローチがあります。
(2)については、場所を重視する宗教の場合、教団のサイトにアクセスすること自体に宗教的な意味がありうるということです。
教会や道場などの場所そのものの持つ霊性とは、同じものではないにしても、その霊性へのアクセスの可能性として宗教的な意味を持つというものであります。
(3)については、カウンセリングや相談は、まさに宗教家の社会奉仕であり、宗教的一面をもちうるものであるといえます。
ここで、今回の調査結果とあわせて考えてみると、インターネット上のサイトが宗教のための装置として活用されるためには、インターネットを通じて結ばれた先の世界が、あくまでも、「仮想」のものではなく、「実在」するものであるということが重要であることが分かります。
つまり、
(1)の言葉は宗祖や聖職者からの言葉でなければならないし、
(2)の聖地はリアルタイムにみえる実際の聖地でなけばならない。
(3)についても、聖職者や同じ信仰をもつものと対話しているという感覚がなければ成り立たない。
というのが私なりの結論です。
その意味で、「公開性」はとても重要な要素であるといえそうです。
(註2)「宗教関連ホームページ(ウェッブ・サイト)主催者へのアンケート調査結果」 田村貴紀 1997
科学技術・理科大好きプラン我が国は、科学技術の振興により、豊かな国民生活や社会経済の発展及び産業競争力の強化を実現する「科学技術創造立国」を目指しています。そのためには、国民全体が科学技術に関心と理解を深めるとともに、次の世代を担う青少年が、科学技術に夢と希望を傾け、科学技術に対する志向を高めていくことが重要です。
しかしながら、昨今我が国では、青少年をはじめとする国民の「科学技術離れ」「理科離れ」が指摘されています。
この状況に対処し、科学好き、理科好きな児童生徒を増やすため、文部科学省では、平成14年度より「科学技術・理科大好きプラン」を開始いたしました。
科学技術・理科大好きプランでは、科学技術・理科教育の抜本的な充実を図るために、以下の施策を総合的・一体的に推進します。「科学技術・理科大好きプラン」の実施により、児童生徒の科学技術・理科に対する関心を高め、学習意欲の向上を図り、創造性、知的好奇心・探究心を育成します。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/daisuki/main10_a4.htm
いわゆる、「理科離れ」が進んでいます。
日本は科学技術立国ですから、理科への興味がある子どもたちにとっては様々な知識を得る恵まれた環境にあるといえます。
また、次世代を担う人材を育てていかなければ、日本も成り立っていかなくなるでしょう。
理科離れの一つの大きな要因に、子どもたちの「暇」な時間が少なくなったことが挙げられると思います。
テレビやゲームが氾濫している環境の中では、子どもの興味・関心はそちらの方に向いてしまいがちです。
また、塾や習い事などの時間もあり、子どもたち自身が自由に使える時間は、非常に少なくなってしまっているのではないでしょうか。
膨大な時間を、与えられ続ける情報を浴びているだけでは,有用な情報を選択的に取り込む能力はなかなか身につかないでしょう。
子どもたちにとって、「暇」な時間は大切です。
理科的発想や、科学的判断は、こうした「暇」な時間に育まれます。
小さい頃から、電気製品を分解したり、自然観察をしたり、気象観測を行ったりといった理科的発想や、科学的判断を育てる重要なな体験は、「暇」な時間になされるわけですから。
興味関心を動機として創造的に物事に取組む姿勢を、学校や家庭でどう育んでいくかが大切ですね。
科学技術政策研究所の国際級研究人材の養成・確保のための環境・方策調査(2003年)では、研究者たちの半数強が、子どもの時代に両親・親戚・教師といった周囲の大人たちから何らかの知的な刺激を受けたとの結果が得られています。
例えば、「小学校低学年のころに父に連れられて、ある高名な海洋生物学の教授の臨海実習に参加する機会を与えてもらった。内容などは覚えていないが、一流の学者に身近に接し、幼い身にも知的興奮を呼び覚まされたことを覚えている。他にも、機会あるごとに科学や最新技術に接する機会を与えてくれたことに感謝している」といったものです。
「暇」と「機会」、これが理科離れを防ぐポイントでしょう。
さて、「理科離れ」を反映してか、学習雑誌もあまり元気がないです。
特に学研の「科学」などは、年に4回だけになってしまい、しかも書店に買いに行かなければなりません。
私が子どもの頃は、学研のおばちゃんが届けてくれるのがとても楽しみだったなぁと思い返しています。
昨夕、2年生の娘に届いたベネッセの「チャレンジ2年生」の付録は、この点で久しぶりに感心しました。
いつもは、計算マシーンとかそういった類の付録が多いのですが、今回は「ピカボット」という発電の仕組みを体験する教材なのです。
発電機のハンドルをぐるぐる回すと、ロボットの発光ダイオードが光ったり、腕を回したり、歩き回る仕組みになっています。
また、様々な実験が手軽に行えるように、冊子に分かりやすくまとめてられています。
子どもたちがどのように遊んでいるかを見ていましたが、これを元に、いろいろな独創的な実験ができるようなものとして出来上がっていると感じました。
国際教育到達度評価学会(IEA)が1995年に行った、中学生の数学と理科に関する国際学力比較調査では、「数学や理科が好きか」という調査では「好き」という生徒の割合が先進国21か国の中で最下位でした。
また「理科は生活の中で大切と考える生徒の割合」も「科学を使う仕事をしたいと考えている生徒の割合」も最下位でした。
このような状況は、本当に残念です。
一人でも多くの子どもが理科に興味をもってくれると嬉しいです。
<H2A8号機>打ち上げ成功 「だいち」を計画通り分離宇宙航空研究開発機構(JAXA)は24日午前10時33分、H2Aロケット8号機を鹿児島県南種子町の種子島宇宙センターから打ち上げた。約16分後、搭載した陸域観測技術衛星(ALOS)「だいち」を計画通り分離し、打ち上げは成功した。JAXAは2月中旬にも大型ロケット2機の打ち上げを予定している。1カ月間に3機連続の打ち上げは国内初で、衛星打ち上げ市場参入など、日本の宇宙開発の今後を占う試金石として注目を集めている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060124-00000029-mai-soci
宇宙ビジネスを語るシンポジウム、gooなど衛星写真地図サービスの未来も
分解能2.5cmの衛星写真であれば、不法投棄の監視も可能に
衛星写真の分解能が高まれば、不法投棄の監視も可能になるという
衛星写真を活用した地図サービスは、Google MapsやGoogle Earthをはじめとし、現在では多くのポータルサイトで提供されている。2005年10月から衛星写真を活用した地図サービスを開始したgooでは、NTTデータから衛星写真データの提供を受けており、そのデータに従来の地図データをオーバーレイ表示することで、直感的に理解できる地図情報を提供しているという。衛星写真のポイントは分解能と撮影間隔だ。gooで活用している衛星写真は分解能1mで、撮影は年1回。このレベルであっても大きな建物などの識別は可能だが、「分解能が25cm、撮影が月1回の頻度になれば、山の紅葉や公園の木々など四季の移ろいまでわかるようになる」と小澤氏は言う。
「分解能が2.5cmで毎日撮影されたデータで更新するようになれば、桜の微妙な開花具合もわかるようになり、観光サービスへの応用も可能だ。建設の進捗具合などもはっきり見えるようになり、不動産サービスでの活用も考えられる。gooの事業領域とは異なるが、不法投棄などの監視にも役立つだろう。」
また、JAXAの所有する衛星センシング技術を「ポータルサイトで活用できる」と提案。例えば、小学生向けポータルサイト「キッズgoo」の「星空をさんぽしよう」コーナーなどで太陽の定点観測画像を掲載したり、「環境goo」で南半球のオゾン層の様子を画像で示すなど「gooで公開することで貴重な情報を全国民的に提供できる」という。
このほか、19日に種子島宇宙センターからH-IIAロケット8号機で打上げ予定の陸域観測技術衛星(ALOS、愛称:だいち)についても、「ALOSの撮影した衛星写真を地図情報に活用する。25cmぐらい分解能でお願いしたい」と期待を寄せた。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/01/17/10514.html
今回打ち上げられた陸域観測技術衛星(ALOS)「だいち」にも関連することなのですが、さまざまなサイトで、衛星写真や航空写真を元に地図サービスが激化しています。
ここ数年のこの分野での進展は本当にすごいです。
ちょっと目を離しているうちに、いつのまにか便利なサービスが公開されている・・・・少し前ならば、高い代金を支払って、申請を行って衛星写真を購入したりしていたのですが、本当に便利な時代になったものです。
しかし、分解能2.5センチ(大地は25センチ程度に抑えるそうですが)ですか。
この分解能で毎日画像更新され、それが蓄積されるようになると、個人のプライバシーも何もないですね。
犯罪の抑制や、事件の解決の手段として用いられるのはよいとしても、それが悪用されないとも限りません。
そのうちに、リアルタイムかつ高解像度の衛星写真画像が逐次更新されていくサービスが行われたりするのでしょうか。
何らかの法整備も必要なのかもしれませんね。
■yahoo!japan
http://map.yahoo.co.jp/beta/index.html?lat=35.24.0.711;lon=139.34.23.928;sc=2;mode=aero
■livedoor
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E139.34.22.6N35.23.59.0&PR=livedoorap&ZM=10
■goo
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.34.23.778N35.24.2.437&MT=%BF%C0%C6%E0%C0%EE%B8%A9%B2%A3%C9%CD%BB%D4%B9%C1%C6%EE%B6%E8%BE%E5%B1%CA%C3%AB&ZM=9
Google Local検索
http://teishoin.net/blog/000179.html
Google Maps にみる熱帯雨林の減少
http://teishoin.net/blog/000240.html
「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半?、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。◇「私の場合」を募集
手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》
番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。
一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。
また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。
永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたという。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
◇「大切なのは食べ物を大事にできているか」??永六輔さんに聞く◆学校給食で「いただきます」を言うことへの抵抗は、以前からありました。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。でも「いただきます」という言葉は、宗教に関係していません。自然の世界と人間のお付き合いの問題です。
「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。
??永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を。
◆「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。絶対言わなきゃいけないとは思いません。きちんと残さないで食べれば、「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。
貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。日本で残して捨てているご飯があれば、助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。食べ物を大事にできているかどうか。言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。
??言っても、言わなくてもいいと。
◆普通に会って「こんにちは」、別れるときに「さようなら」。何かの時に「ありがとうございます」「すみません」「ごめんなさい」という、普通の会話の中に「いただきます」は当然入ってくると思うんです。特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします。言っても言わなくても、大声でも小声でつぶやくだけでも、思うだけでも、いいことにしましょう。
「いただきます」 「ごちそうさま」 「もったいない」 ・・・・・
これらは、日本の良き習慣として、日本人の誇るべき言葉だと思います。
欧米には、「いただきます」「ごちそうさま」に該当する習慣がありません。食卓についてから、何も言わずにいきなり食べ始めることも当たり前なのですが、しいて「いただきます」を訳せば
家族の食事では Let's eat!
招かれた食卓では Looks delicious. とか、Thank you for the meal.
というように、食事に対するお礼や料理のほめ言葉となってしまいます。
同様に、「ごちそうさま」を言う習慣も欧米には無いですから、 I'm finished. とか I'm done. とか I'm full.・・・・ 料理を褒めるなら Everything was delicious. ・・・・
味気ない表現だと思いませんか?
このような考えが基礎にあると、お金を払っているから「いただきます」を言わなくても良いという考えに結びつくのでしょう。
私は、このような考え方は人間の傲慢に過ぎないと思いますし、物を大切にする心も育まれないと思います。
ノーベル平和賞を受賞されたワンガリ・マータイ(Wangari Maathai)さんは、、「もったいない」という言葉を知って感銘を受け、世界に広める活動をされています。
これも、日本人古来の良き考え方であります。
私たちの誇りにするべき文化でもあります。
「いただきます」、「ごちそうさま」、「もったいない」、「ありがとう」・・・
これらは特定の宗教に由来するものではありません。
「いただきます」のこころを、禅のこころで咀嚼したものが、修行道場で食事の前にお唱えする五観の偈(ごかんのげ)です。
一には 功の多少を計り彼の来処を量る(おいしさを つくってくれて ありがとう)
ニには 己が徳行の全欠を忖って供に応ず
(ふり返ろう 私のおこない その心)三には 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす
(言わない やめよう 好き嫌い)四には 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり
(身をつくり 心をつくる よき薬)五には 成道の為の故に 今此の食を受く
(いただきます 今を大事に 生きるため)
※( )内は、全曹青により平易に訳されたものです。
五観の偈は、唐の南山大師道宣が著した『四分律行事鈔』に由来し、道元禅師の著作『赴粥飯法』によって広く知られるようになったものですが、道徳的普遍性の高い文章であるため禅に限らず多くの分野で引用されています。
この、「道徳的普遍性」という点が重要です。
「いただきます」のこころは、永六輔さんもおっしゃっていますが、要は「大切なのは食べ物を大事にできているか」ということでしょう。
その一つの解釈として、五観の偈をご紹介しましたが、人それぞれによって解釈が異なっても構わないと思います。
みなさんはどのように感じましたか?
毎日新聞北海道支社報道部/編 寿郎社
ISBNコード 4-902269-10-4 価格(税込) 1,260円
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31441553
この時期になると、来年小学校に入学する新入学児童向けの売場がデパートや量販店に設置され、学習机とかランドセルがずらりと並びます。
テレビのCMでもよく流れるようになりましたね。
我が家でも、3番目の子どもが新入学をむかえますので、いろいろと準備をはじめているところです。
その中でも、ランドセルはいろいろな製品が売られ、どれが良いのかよく分からなかったりします。
■ランドセルの買い方・選び方ランドセルは数年間、あるいは6年間、毎日使い続けるものです。
したがって、購入の際には使いやすさと丈夫さを第一に、十分なチェックをすることが大切です。■実際に子どもに背負わせてみる
市販のランドセルは、個々のメーカーが子供の体格・体型を独自に考慮しているため微妙に異なっています。
できれば実際に使う子供に背負わせて、体に最もフィットするものを選び出す事が大切です。
贈り物など、お子さんと一緒に買いに行けない場合には、「信頼と安心の保証マーク」のランドセルを選ばれたら大丈夫かと思います。
■革の加工を見る
最近の天然皮革のランドセルは軽くて丈夫なクロームなめしのものがほとんどであり、加工技術が向上していて防水加工もほどこされ、品質的に問題があることはほとんどありません。
したがって購入の際には光沢や仕上げが均一のものを選び、そのうえで傷の有無をチェックしましょう。
■縫い目を見る
最長6年間という長い期間に、最も痛みやすいのが縫い目です。
全体はもちろん細部に至るまで、縫い目がそろっているか、ていねいに縫っているか等を入念にチェックしてください。
この縫い目が粗雑なものは、その他の部分の作りも粗悪に作られている場合が多いので注意してください。
■信用のおける店で購入する
ランドセルは6年間一度も修理しないで使う事ができれば、それに越したことはありません。
しかし、育ち盛りで元気な子供が使うものです。
したがって、購入の際にもデパートやカバン専門店などきちんとしたアフターサービスが受けられる、信用のおける店で買いましょう。
■品質表示マークをみる
天然皮革のランドセルは「家庭用品質表示法」の対象品に指定されており、例えば牛革製のものは「牛革」と表示されたラベルがつくなど、その品質を保証するラベルが必ずつけられています。
我が家で長女、次女の時から愛用しているのは、生田商店という、神戸のかばん屋さんのランドセルです。
値段も手ごろですし、ネットで注文してから在庫があれば即日で届けてくれたり、いろいろな意味で良心的です。
また、手作りで、自信をもって製作しているだけあって、毎日のランドセルの開け閉めでも、ヘタリが来たりしにくいようで、友だちのランドセルと比べてみると一目瞭然だったりします。
【生田商店TOP】
http://www.randsel.jp/
来年用に注文したのは、ネイビーブルーのランドセルです。
かなり黒っぽく写っていますが、実際も黒にかなり近い、上品な色の濃紺です。
特にこのランドセル屋さんの回し者ではありませんが、とてもよい製品なので御紹介させていただきました。
大量生産が当たり前になり、作り手の心が伝わらない製品が多い中で、このような製品は貴重です。
ウィルコムの新型端末 商品1カ月待ちの人気 PDA機能充実、大ヒットにウィルコムが今月発売した、PDA(携帯情報端末)機能を強化したPHS(簡易型携帯電話)端末「W?ZERO3」が商品引き渡しまでに一カ月もかかるほどの人気となっている。携帯電話に市場を奪われて衰退したとみられていたPHSだが、同社始まって以来の大ヒット商品。ビジネス分野での新たな流れを作れるかもしれないと期待を高めている。
「予想以上の売れ行き。従来のPDAのマーケットの常識を大きく上回るニーズがあるようだ」と、ウィルコムの八剱洋一郎社長はこう顔をほころばせる。
「W?ZERO3」は今月十四日に売り出されたが、予約が殺到し、都内の大手家電量販店では「商品引き渡しまでに一カ月待ち」の状態。ウィルコムでは、当初計画の二倍以上の増産体制を整え出荷を急いでいるが、それでも品薄感は年内いっぱいは続く見通しという。このため、「年度内に十万台」としていた販売目標を、「二十万台以上いくのでは」(八剱社長)と早くも上方修正した。この端末は、通話ができる「超小型ノートパソコン」。PDAと携帯電話を組み合わせたスマートフォンのアイデアは新しくはないが、本格的な普及機種は日本では初めてだ。
また、PDAだけでも五万円を超える機種が多いなかで、三万九千八百円という実勢価格も手ごろで、ノートパソコン代わりに買い求めるビジネスマンが後を絶たないという。
欧米では一定の市場がある分野だが、娯楽性の高い携帯電話が中心だった日本ではほぼ未開発の分野。「シャープと練りに練って開発した」(ウィルコム幹部)という「W?ZERO3」がビジネスマンのニーズをどこまで獲得できるのか、業界中の注目を集めている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051218-00000011-san-bus_all
携帯電話の簡易版としての位置づけでしかなかったPHSサービス開始当初から10年間、移動通信機器の主流を奪われ続け、PHS事業者は事実上一グループだけになってしまっていましたが、これからの展開が楽しみになりました。
私は、音声通話もそれなりに使用するので、京セラのWX310Kを選択しました。
こちらの端末もお薦めです。
http://teishoin.net/blog/000291.html
広島・栃木に続いて、悲しい事件がまた起こってしまいました。
小6女児、学習塾で刺され死亡 講師の男逮捕 京都
10日午前9時ごろ、京都府宇治市神明石塚の学習塾「京進宇治神明(しんめい)校」から「包丁で生徒が刺された」と110番通報があった。宇治署員が駆けつけると、近くの同市立神明小学校6年生、堀本紗也乃さん(12)が刺されて倒れており、病院に運ばれたが間もなく死亡が確認された。府警は現場にいた同塾の講師を名乗る同市寺山台3丁目、萩野裕(はぎの・ゆう)容疑者(23)が刺したことを認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。調べによると、同塾はビル2階にあり、女児は塾の教室内で刺されたとみられる。教室内は机が散乱し、床に血が落ちていたという。萩野容疑者が使ったとみられる包丁のような刃物が現場にあった。調べに対し、萩野容疑者は「口論になって刺した」と供述しているという。府警は、萩野容疑者から詳しい動機を聴くとともに、堀本さんが同塾にいた理由を調べている。
http://www.asahi.com/national/update/1210/OSK200512100006.html
まだ速報が入ったばかりで、詳細なコメントはできませんが、現行犯逮捕された容疑者は、学生時代にも暴行事件で逮捕歴があるようです。
事件を取り巻く背景が解明されることを願うばかりです。
犠牲になった紗也乃ちゃんに心より哀悼の意を捧げます。
いつも問題になってくるのが、どのようにしたら子どもたちを犯罪から守ることが出来るかということです。
防犯ビデオを街中に設置したり、防犯ブザーの持参、地元住民や保護者による見回り・・・・・手立てを講じることは出来ても、今回のように塾の教室の中での犯行も起きてしまうのですから、それが抜本的な対策になるかどうかは分かりません。
もう一点は、猟奇的な事件、特に性犯罪を持つ人の情報開示に関する問題。
犯罪歴の内容については、公開していく必要があるのではないかと思うのです。
しかし、更生を主目的とした日本の法制度の中や、人権保護、そして個人情報保護の観点から、犯罪歴の公開には慎重論が多数を占めている事実もあります。
事業者が取り扱う個人情報の保護個人情報取扱指針
4. 特に慎重な取扱いを要する個人情報
事業者は、思想、信条及び宗教に関する個人情報並びに人種、民族、犯罪歴その他社会的差別の原因となるおそれがあると認められる事項に関する個人情報については、個人の権利利益を侵害することのないよう特に慎重に取り扱わなければならない。
http://www.city.osaka.jp/shimin/jinken/04/personal/
事業者が取り扱う個人情報の保護で謳われている加害者の権利利益人権というのは、罪を償った後の社会復帰、更生の妨げになるからという観点でしょう。
しかしながら、近所に住む住民が、過去に幼児に対する性的虐待を繰返していたということが包み隠されているという恐ろしさも無視できないと思うのです。
何の落ち度も無いのに、たまたまそこに居ただけで犯罪に巻き込まれ、犠牲になった方、その家族や周囲の人たちの苦しみは、永続的に続くわけです。
対して、自らの愚かな行動で加害者となった人は、犯罪歴を包み隠して社会復帰ですか。
犯罪を犯した人には、犯罪歴を隠さずに、一生、その罪を背負ってほしい。
その上での社会復帰なら、まだ理解できます。
そろそろ、この歪んだ人権意識を変えていかなければならないのではないでしょうか。
『どれだけ願っても幸せな日々に戻れない』 -奈良で犠牲となった女児の両親コメント-
あの忘れられない悲しい事件から1年が経ちました。もう1年、という気持ちの反面、昨日の出来事のような思いもしますが、私達家族の時計は、事件の日から止まったまま動いていません。
11月17日という日が近づくにつれ、娘との思い出が次々と溢れ出てきます。
あの笑顔が見たい。
『パパ・ママ』と呼んでほしい。
でも、写真でしか見れない娘は、いつもの笑顔で語りかけてはくれません。元気に楽しく走り回る娘の姿は何処を探しても見つけることはできません。
もし、あの事件が起きなければ、私達家族は平凡ながら幸せな日々を過ごしていたと思います。
でもその日々は、どれだけ願っても、戻ることも叶うこともありません。あの日に全てを失ってしまいました。
幼い下の娘も私達も、見た目は毎日元気に、明るく振舞ってはいますが、深くて先の見えない心の傷だけが残りました。
この傷は一生癒されることはありません。もう誰にも私達のような、辛く・悲しい思いはして欲しくない…。
あの事件以降、性犯罪者をはじめとする出所情報の開示、子どもを犯罪の被害から守る条例、そして関電SOSの協力による防犯カメラの設置等、『安全・安心』のための社会づくりが一歩ずつ進でいっています。
安全・安心には決して終わりはありません。子ども達を守っていくためのスタートラインに立ったにすぎないと思っています。そして娘のような事件が起きないようにするためにも、私達大人が子ども達を温かい心で見守っていかなければならないと思います。
私達家族は、この事件を未だに受け止めることはできませんが、多くの人々に励まされ、支えられてこの1年を過ごしてきました。
公判の結審まではあともう少しあります。私達の望みである『死刑以上の極刑』でも償うことはできませんが、小林被告には、この事件で自分の犯した罪を真摯に受け止め、判決に臨むべきだと思っています。
http://www.nara-shimbun.com/n_soc/041119/special.shtml
今月、1988-89年に埼玉県と東京都で4人が相次いで犠牲となった幼女連続誘拐殺人事件が結審を迎えます。また、先日は高崎・女児殺害の男に無期判決判決が出されました。
併せてご紹介いたします。
【宮崎被告、年明けにも判決 幼女殺害、最高裁で結審】2005.11.22日 (火) 15:501988?89年に埼玉県と東京都で4人が相次いで犠牲となった幼女連続誘拐殺人事件で殺人、誘拐、死体遺棄などの罪に問われた宮崎勤被告(43)=1、2審死刑=の上告審弁論が22日、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)で開かれ、結審した。判決は年明けにも言い渡される。
弁護側は、宮崎被告が拘置所で長年、向精神薬を処方されていることを挙げ「統合失調症を想定した治療が続けられている」と指摘。「犯行時点から精神疾患を発症していたと思われるのに、捜査段階での供述だけに信用性を認めた判決には重大な誤りがある」と、死刑判決を破棄して審理を差し戻すよう求めた。
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20051122/20051122a4220.html?C=S
【高崎・女児殺害の男に無期判決】…矯正著しく困難2005.12.9群馬県高崎市の県営団地で昨年3月、浜名愛ちゃん(当時7歳)が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた同市北久保町、会社員野木巨之(のりゆき)被告(28)の判決が9日、前橋地裁高崎支部であった。
大島哲雄裁判長は「わずか7歳の女児に対する欲望のおもむくままの自己中心的で短絡的な動機に酌量の余地はない」として、野木被告に求刑通り無期懲役を言い渡した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051209i204.htm
【奈良女児誘拐殺害】2004.11
性犯罪情報の公開も 各国事情
わいせつ目的誘拐容疑で逮捕された小林薫容疑者(36)は過去に性犯罪の検挙歴があった。海外では再犯防止のために性犯罪情報の公開に踏み切っている。加害者の社会復帰、プライバシー保護の観点のかねあいから、慎重論もある。
【広島女児殺害、逮捕のトレス・ヤケ、複数の事件の犯罪歴も】2005.12.8
広島市の女児殺害事件で、殺人と死体遺棄容疑で逮捕されたペルー国籍のフアンカルロス・ピサロ・ヤギ容疑者(30)について、広島県警捜査本部は8日、本名がホセマヌエル・トレス・ヤケ(33)であると発表した。
県警が国際刑事警察機構(ICPO)を通じて、ペルー政府に照会したところ、同国が18歳以上の国民に義務付けている国民登録証の「ホセマヌエル」名義の指紋と、同容疑者のものが一致した。
県警は、同容疑者が故郷のペルー北部グアダルーペで1990年代に起こしたとされる女児を狙った複数の事件の犯罪歴についても、ICPOを通じて確認した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051208-00000111-yom-soci
スシ・・・日本の代表的スナック、それがスシです。
このスシを食べるショップがスシ屋です。
日本人のほとんどが、このスシ屋を毎日利用しています・・・・
日本人ですら知り尽くす事の出来ない複雑怪奇な作法の数々をお楽しみください。
↓
http://video.google.com/videoplay?docid=6905089586228877019&q=sushi
Documentary On Japanese Sushi
by Choi Style Productions
Sushi is awesome. Sushi is hot. Sushi is good. Sushi is tasty. Sushi is delicious. Sushi is fishy. Sushi sushi sushi sushi. Japanese people have one thing straight, and that's sushi.
※註)あくまでもパロディーですので予めご了承ください。
よく、日本の風俗習慣を海外の教科書などに間違った形で紹介されていることが話題になります。
しかし、それを逆手にとって、日本の風習を知り尽くした者がそれをパロディー化する、その遊び感覚に敬服いたします。
「はやぶさ」の世界初の小惑星着陸・離陸を確認
「はやぶさ」は、日本時間平成17年11月19日の午後9時にイトカワから高度約 1kmの地点で降下を開始し、接近から降下、および垂直降下にいたる誘導と航法は順調に行われ、翌20日の午前4時33分に地上からの指令で最終の垂直降下を開始して、ほぼ目的とした着地点に「はやぶさ」を緩降下させることに成功しました。目標点との誤差は、現在解析中ですが、おおむね30m 以内であったものと推定されています。接近状況を示す、準慣性座標系とイトカワに固定した座標系での軌道を(資料?1)に掲げます。また、高度およびドップラー計測による降下中の高度と速度に関する状況を(資料?2)に示します。垂直降下開始時の速度は毎秒12cm でした。午前5時28分、高度54m の地点に到達した時点で、ターゲットマーカの拘束解除の指令を出し、同30分、高度 40m の地点で、探査機自身が毎秒 9cm の減速を行って、同マーカを切り離しました。同マーカが分離されて降下したことは、画像(資料?3)や減速時の探査機の降下速度の値から確認されています。同マーカは、イトカワ表面上のミューゼスの海の南西側(画像上では右上側)に着地したものと推定されます。
主なスケジュール
8月末 イオンエンジン停止
9月中旬 イトカワ近傍に静止
10月中旬 太陽光が横から入射する(高位相角)位置からの観測
11月 ターゲットマーカと小型探査ロボット「ミネルバ」を投下
降下と着陸および試料採取を2回試みる ←現在、ここ。
12月上旬 イトカワを離脱し、再度イオンエンジンを運転
2007年6月 地球に帰還
「はやぶさ」の大きな目的は
(1)イオンエンジンを主推進機関とした惑星間航行
(2)光学観測による自律的な航法と誘導
(3)惑星表面の標本採取
(4)惑星間軌道からの直接大気再突入と回収
http://www.isas.jaxa.jp/j/special/2003/kawaguchi/index.shtml
ですが、そのうちの2つは達成した事になります。
(3)については、、まだ確認されていないとのことですが、再着陸の際に達成できるかもしれません。
この世界初の快挙により、日本の本格的な惑星探査時代の到来とみてもよいのではないでしょうか。
地球から3億kmも離れた場所での出来事です。
地球がどのようにして誕生したのか。
地球の事を理解するためには、地球のことだけを調べては解明できません。地球が出来た当時の状況を知るには、地球を外側から調べる必要があるのです。
また、地球が誕生した時の状態が、小惑星や彗星には残されていると考えられています。
ですから、小惑星や彗星のサンプルを採取することは、地球の成り立ちを知る上で、とても重要なことでもあります。
この着陸ですが、いちいち地球からコントロールしていたのでは、3億kmも離れたはやぶさに指令を送ったとしても、その指令が到達するのは15分以上(信号の往復で30分以上)もかかります。
特に、イトカワのような直径500m程度の小惑星に着陸させるのは至難の業であるといえます。
そこで、光学観測による自律的な航法と誘導という方法が取られるわけですね。
野球の外野手がフライを捕球する際に、真正面に飛んできたボールを捕球するためには、野手は左右に動いてボールの落下点を見定めるのと同様に、「はやぶさ」では,イオンエンジンで加速しながら観測を行うことで光学的に小惑星に接近する情報を得るという仕組みです。
それにしても、ものすごい技術です。
世界初の快挙、おめでとうございました。
また、このミッションにより、ミリオンキャンペーン「星の王子さまに会いに行きませんか」で応募された88万人の人々の名前が小惑星に到達しました。これも世界初の快挙です。
こういった夢のある企画はいいですね。
イトカワに打ち込まれたターゲットマーカーには、半導体の微細な構造を作っていく特殊な技術を駆使して、0.03 mm角の大きさのアルファベットで88万人分の名前がアルミ箔に刻まれています。
【ミリオンキャンペーン詳細】
http://www.planetary.or.jp/muses-c/pc/campaign.html
【到達の報告】
http://www.isas.jaxa.jp/j/snews/2005/1123.shtml
【巡礼】 じゅんれいその宗教に固有の聖地・霊場を巡拝すること。また、その人。一般にこれを果たすことは宗教上の義務あるいは年来の誓願であり、その功徳によって日頃の祈願が実現するとされる。仏教では釈迦に縁のある地、イスラム教ではメッカ、キリスト教ではエルサレムなどが目的地とされる。日本では西国三十三所や四国八十八所の巡礼などがあり、巡礼者は、笈摺(おいずる)・菅笠・脚絆・甲掛(こうがけ)・草鞋などを身につけ、御詠歌を唱え、行くさきざきの神社仏閣で宝印を受ける。
三省堂提供「大辞林 第二版」
このように、遠隔の聖地に詣でる「巡礼」は、世界の諸宗教で重要な宗教儀礼となっています。
日本では四国八十八箇所、そして世界遺産に指定された紀伊山地の霊場と参詣道をはじめ、全国各地に巡礼路が見られます。
仏教の巡礼では、インドの四大聖地、八大聖地巡礼が、キリスト教では中世ヨーロッパの巡礼、近世以降のマリア巡礼、イスラム教ではメッカ巡礼などがあります。
ここで特徴的なことは、西洋の巡礼形式は、一箇所の聖地を目指す、いわば「一直線型」であり、東洋の巡礼は、数多くの巡礼地を巡る「円周型」であるということです。
日本の代表的な巡礼地、四国八十八箇所霊場をみてみましょう。
その概要は下記のサイトが参考になります。
http://www.tabi-pro.com/shikoku_reijyo/
その総延長は1600kmとも言われ、歩いて回ると数ヶ月を要します。
http://www.tabi-pro.com/shikoku_reijyo/zentai.html
1番?23番あたりまでは近いところに密集しており、比較的平坦な道ですから、霊場巡りをはじめた人は、「なんだ、楽じゃん」と幻想を抱くそうです。
ところが、ここからが大変。いきなり室戸岬まで飛んでしまいます。
それだけ、大変な巡礼路。
遍路巡拝は、「同行二人」と書かれた杖を突いて回ります。
この同行二人とは、つまり、大師様と共に歩くという意味が込められています。
88の煩悩をひとつひとつ取り除き、自分自身を見つめ直す修行の旅です。
それぞれの霊場で受ける御朱印や人との出会いが、励みにもなり、楽しみにもなり、満願をめざす心が、巡礼の旅の大きな原動力になるのでしょうね。
最近は、意外と巡礼をする若者のが多いことも特徴の一つです。
そういえば、ヨーロッパのサンティアゴ・デ・コンポステーラなどは、大学生が休みの期間を利用して、この巡礼路を踏破することがブームになっているということです。
四国八十八箇所も、紀伊山地の霊場も、サンティアゴ・デ・コンポステーラも、一度は自分の足で、じっくりと歩いてみたいところです。
そういえば、こんなゲームソフトもありました。
ヴァーチャルキーボードなど、ユニークな商品をいろいろと発売していた株式会社ピンチェンジの製品です。
四国巡礼をリアルに体験 GC「お遍路さん?発心の道場編?」株式会社ピンチェンジは、ニンテンドーゲームキューブ用の四国巡礼体験ゲーム「お遍路さん?発心の道場 (阿波国) 編?」を、4月24日 (予定) に発売する。
価格はソフトが8,800円、専用歩数計「印籠くん」が5,800円、ボタンコントローラ「牡丹さん」が6,800円。このほか、ソフトと専用歩数計をセットにした基本セットが12,800円、これにボタンコントローラを加えた3点セットが18,800円、この3点セットにパナソニックのDVD/GAME Player「Q」を加えたスターティングセットを53,600円で発売する。ピンチェンジは松下電器産業が100%出資して設立された会社。「お遍路さん」は、四国八十八カ所巡礼の旅をリアルに体験できる、主に高齢者をターゲットにしたソフト。プレーヤーがフットペダルとなったコントローラ「牡丹さん」のうえで足踏みをすることで、歩数がカウントされる。この歩数によって実写画像が変わっていき、巡礼しているような気分を味わえるという。さらに、印籠型専用歩数計「印籠くん」を使うと、日常生活で歩いた歩数も、「お遍路さん」で加算することができる。「印籠くん」には、到着位置、総歩数、消費カロリー、時刻が表示され、健康チェック機能も付いていて、日頃の健康もチェックできるという。
登場する寺院の建立のデータや縁起、道すがらの解説も音声と文字によって行なわれ、雰囲気を盛り上げてくれる。今回はシリーズ第一弾となり、竺和山 霊山寺から始まり医王山 薬王寺までの1番から23番までが収録されている。
同社では高齢者対応ゲームソフトと位置づけているが、その一方で「お遍路さんは、シルバー世代の旅から若人達の旅へと変わりつつある」としていて、幅広い世代にアピールするソフトとして、全国の玩具店、ゲームソフト店で販売していくという
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20030317/ohenro.htm
しかし、残念ながら、このユニークな商品を発売していた会社は清算されてしまいました。
ピンチェンジ、2005年3月に清算 ?投影式「ヴァーチャルキーボード」は加賀電子が継続松下電器産業株式会社の100%出資子会社である、株式会社ピンチェンジが、3月末日をもって清算されたことが明らかになった。
ピンチェンジは最先端技術と斬新な発想を組み合わせ、世の中の新たなニーズに答えるソリューション商材の開発と新規事業のインキュベーションをめざして設立され、多数のユニークな製品開発で知られていた。
ピンチェンジの清算に伴い、「ヴァーチャルキーボード」の開発、販売およびサポートは加賀電子に引き継がれる。また、ゲームキューブ用四国巡礼体験ゲーム「お遍路さん?発心の道場 (阿波国) 編?」、および縦置きCDシステム「PLUPLU(プルプル)」の開発および販売は終了し、サポートは松下電器産業に引き継がれた。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0624/pchange.htm
第10回「大都市交通センサス」の実施について
「大都市交通センサス」は、首都圏、中京圏、近畿圏の三大都市圏における、大量公共交通機関(鉄道、乗合バス、路面電車)の利用実態を明らかにする事を目的として、昭和35年から5年毎(国勢調査と同じ年)に実施してきた交通統計調査で、本年は10回目の調査年となります。
調査結果は、国や地方公共団体における都市計画や、通勤・通学時の混雑緩和、速達性向上、乗り継ぎ円滑化、バリアフリー化の推進など、様々な交通政策検討の基礎資料として活用されます。
なお、利用者に対するアンケート調査(鉄道定期券・普通券等利用者調査、バス・路面電車定期券・普通券等利用者調査)に関しましては、調査の対象を今回から券種を問わず全ての利用者(前回は定期券の利用者)とすることとしました。
ということで、私が毎日利用している路線でも、今日、調査員の方が調査票を配布していました。
思えば、学生時代から今まで、様々な通勤通学の足として交通機関を利用させていただいてきましたが、その殆んどが片道約一時間半以上という長い経路でした。
しかも、新宿方面へ通う期間が多かったのですが、以前は湘南新宿ラインも無く(きっと湘南新宿ラインが出来たのも交通センサスの結果が少なからず生かされているのでしょう)、市営地下鉄?桜木町乗換?東急東横線(当時は特急もなかった)?渋谷?山手線というルートを使っていました。
これが、相当時間がかかってたんですね。
ただし、このルート、実はとても有意義な時間でもあったかも・・・・とも思えます。
何故かというと、行きも帰り、市営地下鉄・東急東横線どちらも始発であったため、座っていくことができたからです。
行帰りの時間で一冊の本を毎日読み切ることが出来ますし、疲れている時は眠っていけばよい。
自分にとってとてもプラスになった時間だったのかも知れません。
対して、現在利用している京浜急行は、混雑率はかなり改善されたにせよ、乗り込むのも困難なくらいの混雑ぶりで、本を読んでいくことは殆んど不可能です。
http://teishoin.net/blog/000119.html
ただ只管に車窓を眺めながら、ブログの構想を練るくらいしか・・・・
交通センサスが生かされて、快適な通勤環境を作っていただけるよう、切にお願いいたします。
雑誌などでよく取り上げられる血液型による性格判断。皆さんも友達との会話の中で,その人の血液型を考えてみたりすることはよくあると思います。
しかし,血液型で性格が変わることはないんですよ。O型の人の性格が「落ち着いている」と言われるのも,本当はデタラメなんです。
FBI効果
各血液型の特徴を挙げられている項目。例えばA型は几帳面と言われます。しかし,B型にもAB型にもO型にも几帳面な人がいます。これが私の言っている血液型性格学の「FBI効果」なのです。
FはFreesizeの意味です。だれにでも当てはまるようにできています。BはLaBelingの意味です。内面がA型,外面がB型と言われても「私はAB型だから」という理由で信じてしまう。例えば,出身大学や勤めている会社で簡単にその人を判断するようなことです。IはIprinting,刷り込みのこと。例えばA型の特徴をA型者が見る。そして「当たっている」と思う。それがすべて刷り込みされて「自分の性格」だと思い込んでしまうのです。
浜松医大の高田明和氏の研究でも,血液の構造を考えても血液型が性格に影響することはあり得ないと発表されています。また,髪や瓜から血液型が分かるのは血液物質が含まれているからです。しかし,その物質は脳の中にはありません。従って,血液型と性格は全く関係ないのです。
血液型信仰
血液型性格判断が日本の文化になってしまった今,これからも「血液型信仰」は続くでしょう。遊びで使うのは良いですが,会社の人事にまで影響が及ぶのはおかしいです。
人間の性格は幅が広いのです。一般的なことを考えて答えを出すから血液型を信じてしまうのです。先入観にとらわれないようにして下さい。
大村政男(日本大学名誉教授)
http://www.nihon-u.ac.jp/nup/Vol1139/var10.htm
血液型占いに肯定的なサイト
http://www.abo-world.co.jp/index.html
血液型占いに否定的なサイト
http://www.remus.dti.ne.jp/~nakanisi/ketsueki/
http://www.obihiro.ac.jp/~psychology/abofan.html
血液型による性格判断を扱うテレビ番組が、今春はとても多かった。特定の血液型を「いい加減な性格の持ち主」「二重人格」などと決めつける内容が目立ち、NHKと民放が設立した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」には、視聴者から「子供が血液型でいじめを受けた」「一方的な決め付けで不快」などの抗議が4月以降、50件以上寄せられた。このためBPOの青少年委員会は番組内容などを検討し、「科学的根拠があるかのような体裁で問題がある」などと判断、近く民放各社に対し、番組制作にあたり慎重な対応を、と要望する。
(毎日新聞 2004.11.28)
というように、行き過ぎた占いによる影響や、偏見の助長などに対する懸念もだされています。
『脳力探検! ホムクル!! ABOAB血液型性格診断のウソ・ホント!』 TBS 19:00?20:50(04/6/5放送分)
http://www.bpo.gr.jp/youth/answer/answer_42.html
【アンケート】血液型による性格分類について、どう考えますか?
信じる | 20人 | 13% |
大人が話題として楽しむ程度ならいい | 68人 | 44% |
科学的でないのでやめるべきだ | 42人 | 27% |
その他 | 24人 | 16% |
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/forum/fo200502_02.htm
私は、血液型占いは全く科学的根拠の無いものであるが、それを前提として楽しむのなら構わないというスタンスですが、まあ、こういう占いの類はその対象となる人の分布が、だいたい均等になることが前提条件なのでしょうね。
血液型の分類は
http://www.abo-world.co.jp/databank/worldmap.html
によると、日本や韓国のように、A,AB,O,Bそれぞれが、多少のムラはあるにせよ、ある程度均一に分布している国は少ないことが分かります。
実際に、血液型占いが盛んなのはこういった国に限定されるようです。
星座占いも均一に分布していますね。
均一に分布していることが流行るための前提であることをもっと具体的に考えてみましょう。
Rhの血液型には、Rh+、Rh-があり、日本人のその割合は 約200:1 ということを前提にして、Rh+、Rh-の血液型について統計を取り、その分析をしたとします。
Rh+は、几帳面で、真面目。
Rh-は、おおらかで細かい物事にこだわらない・・・・
このような統計結果に基づいた性格判断、占いは、仮に統計的に正しいとしても絶対に流行らないでしょうね。
むしろ、それはマイノリティーに対する差別・偏見以外の何者でもありません。
ミーム(meme)とは、文化が「変異」「遺伝(伝達)」し「選択(淘汰)」される様子を進化になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体である。例として災害時に飛び交うデマ、流行語、ファッション、言語など、すべてミームという仮想の主体を用いて説明できるとする。
ミームは、「進化論というアルゴリズムに支配される遺伝子」というパラダイムの、文化への適用という形で提案された。「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス 1976)で始めてこの語が用いられ、定着した。ドーキンスは「ミーム」という語を文化伝達や模倣の単位という概念を意味する名詞として作り出した。模倣を意味するギリシャ語の語根 mimeme から遺伝子 gene に発音を似せてミーム meme としたという。以降、進化論・遺伝学で培われた手法を用いて文化をより客観的に分析するための手段として有用性が検討されている。
訳語としては 摸倣子、摸伝子、意伝子 がある。
文化が遺伝子のような単位で伝達されるという考え方はドーキンス以前にもあった。旧制度学派経済学者のヴェブレン Veblen は社会や経済の進化がダーウィン的 だという考え方を持っていた。人類学者クロークは、1975年に断片的な「文化的な指示」を人々が模倣しあうことで文化が伝達されると考えた。最近では、イギリスの生物学者ジュリアン・ハクスリーやドイツの生物学者リヒァルト・ゼーモンらも、20世紀初頭に類似の概念を提唱していたことが指摘されている。とくにゼーモンは1904年に「ムネーメ mneme」という用語を提唱している。さらに歴史をさかのぼると、18世紀の啓蒙思想による社会や文化の進歩思想の影響が大きい。もともと生物の進化論は社会の進歩論を自然界に適用したものであり、ミームの考えかたは、進化生物学経由でもういちどこの考えかたが社会現象や文化に回帰してきたとみなすこともできる。
また、ミームなどの文化的な複製子による文化の進化と遺伝子による人間の生物的な進化とが相互に影響を与えあって共進化するという考え方(二重伝承理論)が、ロバート・ボイド Robert Boyd とピーター・リチャーソン Peter Richerson によって1985年に提唱され、注目を集めた。 日本では佐倉統(東京大学情報学環)などが研究している。Wikipediaより
【おすすめ図書】
利己的な遺伝子 科学選書
リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆 (翻訳), 岸 由二 (翻訳), 羽田 節子 (翻訳), 垂水 雄二 (翻訳)
出版 : 紀伊国屋書店
サイズ : 四六判 / 548p
ISBN : 4-314-00556-4
発行年月 : 1991.2
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314005564/250-4853537-9757810
「ミーム」とは?
遺伝子といえば、生物学で言うのDNA遺伝子がおもい浮かびますが、その他に、「利己的な遺伝子」、つまり「ミーム」があります。
ミームは、「文化遺伝子」とも訳されており、ドーキンスは、文化は、人間の脳を乗り継いで繁殖していく「利己的な遺伝子」であると考えました。
「楽曲や、思想、標語、衣服の様式、壺の作り方、あるいはアーチの建造法などはいずれもミームの例である。」『利己的な遺伝子』P306より
文化は全て、何らかの形で伝達されていきます。とすれば、遺伝子が自分の種を残そうとすることと似たものであると考えられるのです。
情報は、私たちの脳に伝わり、それが、さらに他の人に伝わり、次々と繁殖していこうとします。
遺伝子が、生物という乗り物に乗っかって、次々と伝達されていくのと同様に、ミームは脳を乗り継いで繁殖を続ける情報なのです。
これがミーム学の基本です。
人は死んだら何処へ行くのか、お釈迦様は答えなかったし、死後の霊があるかどうかはわかりません。霊があるかもしれないし、無いかもしれない。
ただ、確実な事は、その人の行い、思想などは、その人が生きてきた証として、他の人々の脳裏にミームとして刻まれるということです。
その大小は、物理的な時間・距離の大小にはあまり関係しません。
例えば、何千年も前の人々の残した著書が、私たちに大きな感動を与えることもあります。
表:遺伝子とミームの特徴の比較
遺伝子 | ミーム |
4種類の塩基配列(AGCT)で記述される | メディアの種類により非常に多種多様。 (石版・木簡・紙・音譜・音声・映像など) |
親から子へ順繰りのバケツリレーである | 何千年もの時を飛び越えて世代に関係なく直接に伝わる |
垂直遺伝(親から子へ、という一方通行)である | 全世界的に飛散するというように水平遺伝することもある |
拡散の速さはほぼ変わらない | 情報通信技術の発達に伴い、拡散が速くなる |
このあたりは、私の弟が、ブログにて詳細に記述していますので、併せてご参照ください。
http://homepage.mac.com/kamenoseiji/iblog/C249759088/index.html
最後に、宗教に関連したミームの特色をご紹介いたします。
【伝統】過去に行われたこと、信じられていたことを継続させる戦略的ミームは、自動的に自分を長く生き延びさせる。その際、その伝統の善し悪しや重要性は関係ない。
【伝道】ミームの中でも、そのミーム自身を他の人に広めるという考えを含んだものは、特に有利である。伝道や布教は、そうした使命のミームに結びついていることがあり、そのことが伝道をより強力なものにしている。伝道では「できうる限り、このミームを広めよ」と伝えられるのである。
【信念】それ自身を盲目的に信じることを要求するミームは、どんな攻撃や議論に突き当たっても、あなたの信念システムから撃退されることはない。
【懐疑】懐疑は信念の裏返しであるが、それによってプログラムされた心に対して非常に似たような効果を発揮する。
携帯電話の着信音、電子ゲームの音・・・・私たちの生活の中は、電子音が氾濫していることに気が付きます。
電話の音は、十数年前には金属のベルを叩く音でしたし、電子レンジの「チン」も、駅の発車のベルもアコースティックな音源でした。
いつからでしょうか。
気が付けば、電子音源を用いない音を探す事が難しいくらい、私たちの生活は人工的な音に囲まれてしまいました。
電子音の特徴として、とても純粋で明瞭であるということがいえます。
携帯電話の呼び出し音をビープ音にすると、音量が小さくても遠くまでよく響きます。
音の波形を取ると、その特徴は顕著です。
このように、波形は矩形をしていて、しかもその周波数はまったく変化がありません。
不自然な音は、生体にとってはストレスを与えるはずです。
特に、子どもに与える影響は少なからずあるような気がします。
電子音は、人の心を刺激したり,苛立たせたりするような作用があると言われていますが、そのよな音を脳の発達段階にある子どもの頃から継続的に聞せ続けると、どのような影響をもたらすのか、そのあたりは実に興味深い問題であります。
ギターやヴァイオリンから二胡や馬頭琴といった伝統的楽器に至るまで、アコースティックな音源が私たちに心地さをもたらしてくれるのはなぜでしょう。
その一つの答えは、「ゆらぎ」にあるのです。
ここ数年で、「1/fゆらぎ」という言葉が良く使われるようになりました。
たとえば、自分の脈拍をとってみます。注意深く脈の間隔を観察してみると、そのリズムは規則的でないことが分かります。
息を吸うと速くなり、吐くと遅くなりますね。
このように、自然界全てのものに「ゆらぎ」があります。
風も波も木の葉のざわめきも、全てが一定のリズムではなく、ゆらぎというアクセントがあるのです。
1/fゆらぎの、fとは、周波数frequencyということであり、全く乱数的な不規則(ノイズ=1/f0)と、規則的な電子音のようなもの(1/f2)の中間に位置するもの、それが1/fのゆらぎです。
この微妙な揺らぎが、私たちに心地良さをもたらしてくれるわけです。
ここで、私のお気に入りの掛時計をご紹介します。
リズム時計のディスクオルガニートという時計です。この時計との付き合いは、もう10年にもなります。
電子音による時報機能のついた時計は、たくさんあります。
幻想的なメロディーを奏でる時計もありますが、やはり電子音は電子音なのです。
そんな中、アコースティックな音源、ディスクオルゴールにより、時報を奏でるこの時計が近くの量販店に展示販売され、惚れこんで購入しました。
肝心のオルゴール部分は、日本電産サンキョー商事株式会社製のオルゴールを使用しています。
これが、とても良い音を奏でるのです。
円盤のディスクが何枚も付いていて、また、ディスクも単体で販売されていますので、気分によって曲を替えることが出来ます。
いま、この時計と同じ型のものは発売されていないかもしれませんが、似たような時計は何種類かまだ販売されていると思います。
お勧めできる時計です。
<東証システム障害>不備が露呈 「日本買い」の動きに冷水
東京証券取引所で1日発生した大規模なシステム障害は、日本の証券市場に対する国内外の投資家の信頼を揺るがす事態に発展した。東証はバブル崩壊後、世界の市場間競争で出遅れ地盤沈下が指摘されてきたが、景気回復で海外投資家が回帰し、株価が上昇。出来高も膨らみ、存在感を取り戻しつつあった。その矢先に、市場運営の根幹である売買システムの不備が露呈したことで「日本買い」の動きに冷水を浴びせかねず、「東京マーケット復活」のシナリオに狂いが生じる可能性も出て来た。
東証1部の昨年末時点での時価総額はドル換算で3.5兆ドル(約353兆円)と、ニューヨーク市場(12.7兆ドル)に次ぐ2位だが、その規模は3分の1以下と大差をつけられている。昨年の年間売買代金では、ロンドン市場にも後れを取り世界3位。世界最大の市場規模を誇った80年代後半と比べると見る影もない。
しかもここ数年、中国やインドなどアジアの新興市場も成長が著しく、「日本を飛び越えて欧米からの投資が、アジア諸国に流れる」(大手証券)と懸念する声も強まっている。欧州で現実化している国境を越えた市場の合従連衡など本格的な市場間競争が、アジアでも始まると予想されており、東証にとっては市場の規模拡大と機能拡充は大きな課題だった。
1日の東証は大規模システム障害で午前中の取引が全面停止したものの、日経平均株価は今年の最高値を更新。日銀が前日、展望リポートで消費者物価指数の予想を上方修正するなど、日本経済のデフレ脱却が現実味を増したことなどから、株価は上昇基調を堅持した。しかし、与謝野馨金融・経済財政担当相が「株価が上昇局面だったので被害は少なくて済んだが、下落局面だったら大変な問題になっていただろう」と指摘した通り、世界市場に影響を及ぼしかねない緊急事態だったことは間違いない。
東証は、市場間競争で生き残るため売買システム拡充の資金が必要だとして上場を目指している。しかし、投資家に不信感が広がれば、上場しても資金調達は容易ではなく、トラブルの原因究明と再発防止策を早期に講じる必要に迫られそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051101-00000130-mai-bus_all
<JR西日本>新型ATSの96カ所で設定ミスJR西日本は1日、京阪神地区で整備している新型の自動列車停止装置(ATS―P)の計96カ所で設定ミスがあり、うち30カ所のカーブ・分岐器(ポイント)の手前で、速度超過しても自動的にブレーキがかからない設定になっていたことを明らかにした。データを作成する関係部署の「縦割り意識」から、データを確認せずに誤入力したことが原因。新型ATSは、福知山線脱線事故の再発防止として国土交通省が不通区間への設置を求めていたものだが、同社の安全意識の低さが改めて問われそうだ。
◇カーブ手前で速度超過でもブレーキかからず
ミスがあったのは▽東海道・山陽線(12カ所)▽大阪環状線(1カ所)▽関西空港線(1カ所)▽関西線(16カ所)▽片町線(31カ所)▽東西線(13カ所)▽福知山線(22カ所)の8路線。大阪環状線には最も早い90年に設置されていた。
同社によると、9月初め、脱線事故を調査している国交省航空・鉄道事故調査委員会に東西線の新型ATSのデータ提出を求められ、社内調査した結果、ミスが判明。2287カ所ある設置個所のうち、カーブ(全129カ所)28カ所と、分岐器(全223カ所)2カ所の計30カ所は、設定速度が計画値より35?5キロ高く、制限速度を超過してもブレーキがかからないようになっていた。
東海道線神戸駅では、ディーゼル特急が仮に制限速度を35キロ超えたとしても反応しないカーブがあった。別の区間では、20キロ超えても通過可能のカーブが2カ所あった。同社は危険個所を改修したが、ミス発覚から2カ月間公表しなかった。
一方、66カ所で設定速度を低くするミスがあった。うち22カ所は5月中旬、脱線事故の不通区間に新型ATSを設置していた工事の際、設定ミスに気付いたが、「安全に問題はない」とそのまま設置した。
新型ATSは、支社施設課にあるカーブの制限速度などのデータと、本社車両部が持つブレーキなどの車両データを、支社輸送課が取り寄せ、車種別の制限速度を計算。これをもとに支社電気課が設定データを作成していた。しかし、支社施設課と本社車両部の連携不足で支社輸送課が誤ったデータを算出、支社電気課も再確認せず、定期検査でも入力データを検証していなかった。
同社は関係部署の役割を明文化し、検討委員会を設置して対策に取り組む。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051101-00000115-mai-soci
確かに、データベースを構築することにより、複数の人が大量のデータを共有できる利点が生まれます。仕事の効率化にも多大なる貢献をすることでしょう。
しかし、一旦、この状況に甘んじてしまうと、いざ、システムに障害がおきたり、停電など電源が確保できない状態になった場合、まったく仕事を行うことができなくなってしまう可能性があります。
そればかりでなく、プログラムのミスにより、経済的損失を生み出したり、場合によってはJRの例のように人命にかかわる事故を引き起こすこともあります。
コンピュータにより情報を管理することによるメリット、デメリットをよく理解して、いざというときにどのような対処をするべきなのか、危機管理マニュアルを徹底する必要がありそうです。
そんな中、昨日も、仕事場のブレーカーが落ちてしまい、室内のコンピューターが一斉に消えてしまいました。
昼休み中であったことが不幸中の幸いでしたが、ひやっとした一瞬でした。
原因は、別系統と思われていたコンセントに繋がっていたコーヒーメーカーと電気ポットが同時に作動したことによるものでした。
何が原因で業務全体に影響を及ぼすのか、事前に全てを想定するのは本当に難しいですね。
事後対策になりがちになってしまう点を反省しなければなりません。
コンピュータ社会の落とし穴 ―― 想定されるリスク
水金地火木・・・・・
火星は地球のすぐ外側を回る惑星ですので、約2年2カ月毎に、地球が火星を追い越す形で接近します。
しかし、それぞれ楕円軌道を取っているため、接近したときの距離が遠かったり近かったりするわけですが、今回は、その距離が6942万kmまで大接近し、ここ数日が絶好の観測時期となります。
また、火星表面では大規模な砂嵐が発生しており、天体望遠鏡で観測すると、表面の模様がよく見えたりします。
天気が良かったら、是非星空を見上げてみてください。
宵の口、東の空を見上げると、真っ赤な火星がすぐに見つかるでしょう。
ALPO-Japan/Kansai branch sub Latest 火星の最新観測報告 Mars Observations
ウェブサイト「サイバー独島」、外国語情報を強化慶尚北道は21日、独島に関する情報を提供するホームページ「サイバー独島」を新たに構成し、英語、日本語、中国語などの外国語による情報の充実を図った。単に韓国語を外国語に翻訳するのではなく、外国人の立場でメニューから構成しなおした。また、オンブズマンコーナーを設置し、独島と関連する間違った情報を正しく伝える。
また、韓国語サイトには歴史や自然生態など独島の資料を増強・整理し、正確な情報をリアルタイムで提供する方針だ。
慶尚北道の関係者は、「独島のホームページには1日平均1万5000?2万人が訪れている。外国人が独島を正しく知ることができるよう外国語サイトをより強化していく」と話している。 (聯合ニュース 2005/10/21 10:24)http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=532005102004800
ということなので、早速サイトを訪問してみましょう。
サイバー独島
http://www.dokdo.go.kr/
サイバー独島(日本語版)
http://www.dokdo.go.kr/for/index.php?lang_code=JAP
↑
ん?lang_code=【JAP】???という軽い釣りは、まあさらりと流して。
日本語版の左に表示されるフラッシュ、特に突っ込みどころ満載です。
まずは、領海をイメージしていると思われる点線、日本に近すぎますよ。
対馬や隠岐、能登半島は韓国領ですか?
それに Sea of Korea(韓国海)って・・・・・
もう一点、致命的なことを指摘すると、竹島・ウルルン島の位置が恣意的に朝鮮半島側に修正されています。
韓国領土の島なのだということをアピールしたいのでしょうが、本当の位置はもっとずっと北東にあり、日本からの距離のほうが近いのです。
↓こちらをご参照ください。
http://teishoin.net/blog/000060.html
韓国慶尚北道という自治体の公式サイトが、このように事実を極端に曲げて、反日感情丸出しのサイトを作成する精神が理解できません。
このようなことでは、日韓の意思レベルの統一など、とても不可能でしょう。
この「サイバー独島」ですが、クロスサイトスクリプティング対策なしの無防備な設定を行っているため、早速悪戯の書込みがされていました。
悪戯が過ぎると犯罪ですが、昨日からの動向を垣間見ている限り、このような挑発的なサイトをセキュリティーレベルの低いまま設置した韓国慶尚北道に原因がありそうです。
同じ土俵で竹島問題を話し合える日が来て、日韓関係の真の友好関係が築かれることを心より願います。
前に、がんばれPHSという記事を書きました。
何かとケイタイの勢いにおされ気味で地味な存在にとどまっていたPHSですが、ようやく新機種が一気に発表されました!
フルブラウザはもちろんのこと、JAVA、miniSD、Wordなどのドキュメント閲覧可能など、魅力的(ケイタイでは当たり前なのでしょうが)な機能が搭載されているのが嬉しいです。
サービス開始当初からのユーザーとして、PHSにも、もっともっと頑張ってほしいものです。
ニュースリリース
http://www.willcom-inc.com/ja/corporate/press/2005/09/27/index_01.html
三洋 WX310SA
http://www.willcom-inc.com/ja/lineup/wx/310sa/index.html
京セラ WX310K
http://www.willcom-inc.com/ja/lineup/wx/310k/index.html
JRC WX310J
http://www.willcom-inc.com/ja/lineup/wx/310j/index.html
京セラ WX300K
http://www.willcom-inc.com/ja/lineup/wx/300k/index.html
機種名 | WX310K | WX310SA | WX310J | WX300K |
メーカー名 | 京セラ | 三洋 | 日本無線 | 京セラ |
独自機能 | ムービー対応 | 指紋認証 | ||
Bluetooth | インテリシンク | |||
ICレコーダー | ||||
JavaTM | ||||
130万画素カメラ(QRコード) | 35万画素カメラ | |||
MiniSD | ||||
ドキュメント閲覧機能 | ||||
通信方式 | 4xパケット通信 | 1xパケット通信 | ||
共通機能 | フルブラウザ搭載 | |||
リモートロック対応(※一部機種は今後対応予定) | ||||
PC接続対応(USBケーブル) | ||||
POP3/SMTPメール | ||||
優れた音声品質 | ||||
QVGA |
インターネット環境が整備されたことにより、世界中のライブ画像を眺める事ができます。
それらの美しい画像を集めたブログをご紹介します。
さて、ご存知の方も多いと思いますが、貞昌院のサイトでも、5年前からライブカメラの画像を公開しています。
以前、『インターネットによる宗教法人(寺院)の情報受発信に関する研究』
亀野哲也 坂井滋和 早稲田大学大学院 国際情報通信研究科・国際情報通信研究センター
での調査(註1)で、次のような結果を得ました。
このように、ライブカメラによるヴァーチャル参拝が、あまり効果的でないという回答が4割を超えました。
けれども、「聖地」のように場所が特別の意味がある場合、そのライブカメラを流すサイトにアクセスすること自体、宗教的な意味が発生する可能性も考えられるのです。
その特徴的かつ具体的事例を挙げるならば、天理教のサイトがその一つでしょう。
「おぢば」と呼ばれる聖地ののリアルタイム映像が24時間流されています。
http://www.tenrikyo.or.jp/cam/view1.html
天理教においては、建築物が教理の重要な位置を占めています。
天理教の救済論的世界観が最初に明確な形をとった『みかぐらうた』には建築用語が多く出てきており、その後の天理教の思想と組織に鍵となる概念を与えました。世界観の表明として、喩ではない目に見え触れることが出来る建築物を歴史の中に実現し、築いていくことは、いったん言語により表明されたことで、一定の完成度を持つ思想の、空間的実現であるといえます。
このような特別の意味のある建築(或いは、おぢばという聖地)の画像が、物理的制約によって参拝することが出来ない人々にとって、発信者による画像の意味づけと訪問者による意味づけの相互作用の中で、再文脈化が行われているわけです。
このような再文脈化は、コンピュータメディアに限らず、例えばテレビ番組による季節感の創出の事例にもみられます。
田村は、天理教サイト利用者にアンケート調査を行い(註2)、神殿の中継画像に対して「懐かしい」「ほっとする」「現場の様子が見られてうれしい」「またおぢばへ行こうと思う」などの設問に対して60%以上の肯定的な回答を得ています。
このように、ヴァーチャル参拝についても、メディアを通して「本物の」境内が見られるということが参拝行動につながる事例も見られ、ウェブ参拝の経験が積み重ねられて内在化することによって、その感覚が新たなものへ変化し、新たな感覚様式の枠組みが形成された事例の一つと考えられるでしょう。
さて、冒頭でも述べたとおり、貞昌院のサイトでは、2000年8月よりライブカメラを運用しています。
自宅サーバーに接続したusbカメラから送信されてくる画像を定期的に蓄積する事により、リアルタイムの画像と、過去の画像を自由に閲覧する事ができるように工夫しました。
貞昌院をご訪問される方々から、ライブカメラ画像をいつも見ていますという話を伺うたびに、やはりライブカメラによるバーチャル参拝もかなり有効な手段なのだと実感しています。
このライブカメラ、決して高価なカメラを使っているわけではありません。
いわゆるトイカメラと呼ばれる分野のものです。
一見壊れやすそうなカメラですが、どうしてどうして、簡単な雨よけはつけていますが、屋外に5年間も出しっぱなしにしているにも拘らず、これまで故障なしで画像を送ってくれています。
正直、これだけ風雪に耐えるとは思っていませんでした。
(註2)『天理教のインターネット利用に関する試論』田村貴紀
(註3)ライブカメラ構築に当たっての具体的技術情報は、こちらのサイトが参考になります。
http://www.clavis.ne.jp/~listcam/tech.ssi
バグダッドで6百人超死亡、テロのうわさで群衆パニック
イラクのバグダッド北部で31日、祭礼に集まっていたイスラム教シーア派の巡礼者の間で「自爆テロが起きる」とのうわさが広がってパニックとなり、川に飛び込むなどして多数の死者が出た。イラク移行政府によると、死者は600人以上にのぼる。周辺では実際に同日朝、迫撃砲による攻撃があったため群衆が不安に陥ったらしい。イラク戦争後の一度の事件による死者数では最大の惨劇になった。
http://www.asahi.com/international/update/0831/020.html
このような、多数の人間が密集した状態(群集状態)では、一般に判断力が低下し、興奮性が強くなり、衝動的・無責任的な言動をとる傾向になることが分かっています。
この群集の中に生まれる特殊な心理状態を、群集心理といいます。
衝動的で興奮性が高まり、判断力や理性的思考が低下して付和雷同しやすいということから、大惨事を引き起こす要因となってしまうのですが、決して人ごとではありません。
私たちは、何時このような状況に巻き込まれてしまうか分からないのです。
何時でも冷静に判断できるように心がけておくことは決して無駄にはならないでしょう。
ちょっとした心がけが生死を分けるかもしれません。
地下街で大地震起きたら…「地上に逃げる」4割・東京で調査東京都内で大地震が発生した場合、地下街利用客のうち約4割が
「すぐ近くの階段から地上に逃げる」と答えていることが、
警視庁警備心理学研究会の調査で31日までにわかった。
同研究会は大地震の際、地下街の出入り口付近での混乱が予想されるとして、
「避難経路の明示や的確な情報伝達が重要」と指摘している。調査は聖心女子大の菅原健介教授(社会心理学)らに委託。
今年3―4月、都内10カ所の地下街で管理事務所や店舗関係者、
利用客の約2800人を対象に実施し、約2300人(81.4%)から回答があった。地下街の安全性について、利用客の59.1%が「危険である」と回答。
生き埋めやパニックになることに不安を感じており、
37.1%が「すぐ近くの階段から地上に逃げる」と被災直後の自分の行動を予測した。地下街管理事務所の76.7%が「大地震対策を取っている」とした一方で、
店舗関係者の58.2%が「(対策を取っているか)わからない」と答えた。http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050831AT1G3003R31082005.html
M7.2 宮城震度6弱 揺れ14秒前に速報「東海」なら東京は40秒前/気象庁システム、震度も配信
宮城県南部を中心に十六日午前、強い地震が発生し、宮城県川崎町と小牛田町で震度6弱の揺れを観測した。地震はお盆の帰省先からUターンラッシュの足を直撃し、東北各県で多数の負傷者を出した。仙台市内の小学校は最新システムで大きな揺れが到達する十四秒前に通報を受けており、今後の防災対策に大きな示唆を与えた。また今回の地震が、地震調査委員会が近く起こると想定した「宮城県沖地震」にあたるのか、同委員会などで詳細に検討する。
仙台市立長町小学校には、大きな揺れ(S波)が到達する十四秒前に、気象庁が試験配信している「緊急地震速報」が届いた。
「十一時四十六分三十秒ごろ、宮城県沖でM7・2程度以上の地震が発生。宮城県北部は震度5強程度以上、揺れは十一時四十六分四十八秒以降」
届いた速報は内容も非常に正確で、実用化に向けて効果を実証する結果になった。夏休み中のため児童はいなかったが、学期中なら大きな揺れが来る前に避難を指示するなどの対応も可能だった。
システムの基本原理は地震波の種類による伝達スピードの差を利用したもので、最初にカタカタと揺れる初期微動がP波(縦波)でその次にユサユサと揺れるS波(横波)がやってくる。地震による建物被害は二番目に到達するS波によるものだ。
P波の速度は秒速七キロであるのに対して、S波は秒速四キロ。P波を震源に近い観測所で検知し、数秒間で震源や震度を推定し、配信する。作業はすべてコンピューターで行われ、地震発生から十秒以内に「どこがどれくらい揺れるか」が分かる。今回の地震では地震のエネルギーを示すマグニチュードや震源までをほぼ正確にはじき出し、発生から四秒で第一報を配信した。
気象庁は昨年二月から関東から九州を対象に試験配信を始め、今年三月から東北でも試験配信している。現在、大学や自治体、小学校などの公共施設を中心に百四十機関に速報を提供している。
緊急地震速報の普及に努めているリアルタイム地震情報利用協議会によると、今回の地震で震源から三百八十キロ離れた東京にはP波が到着する約二十秒前に第一報が発信された。
配信を受けた気象庁関係者も「携帯電話のメールで情報を受けて、もしかして誤報かな、と思っていたところにP波の揺れが来た」と驚きを隠さなかった。
協議会の藤縄幸雄専務理事は「今回の地震で速報の信頼性が確かめられた。導入に向けて追い風になるだろう」と話し、来年度にも高層ビルのエレベーターなどに緊急地震速報を利用できるよう準備を進めている。
「いつ起きてもおかしくない」とされる東海地震では、東京にS波が到達するのは発生から五十秒後。緊急速報が本格運用されれば約四十秒の余裕が生まれる。四十秒あれば、ガスの火も止められる。靴も履ける。人間はかなりの避難行動がとれる。これが生死を分けることにもなる。東海地震や東南海・南海地震への本格的な普及にも弾みがつきそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050817-00000000-san-soci&kz=soci
たとえ地震を予知することが不可能でも、揺れの十数秒前に大きな地震が起こるということがわかるのであれば、被害を最小限に抑えることができます。
課題があるとすれば、信頼性と社会的認知の向上ですね。
私もこのようなシステムが整備されていることを心しておきたいと思います。
短い準備期間にどのような行動が取れるのかをシミュレーションしてみると良いかもしれません。
折角の警報も、「もしかして誤報かな・・・」という懐疑心によって無駄になってしまう可能性があります。
それを生かすことができるかどうかは、警報を受け取った人次第ですから。
もう20年目を迎えるのですね。
私たちは、安全について何を学んできたのでしょうか。
相変わらず繰り返される悲惨な事故の数々。
そして墜落から20年を迎える節目の日にまた起こってしまった福岡発ホノルル行きJALウェイズ58便DC10が、左エンジン付近から火を噴くという事故。
事故のおきる原因は様々なのでしょうが、基本的なことさえ守られていれば防ぐ事が出来た事故がいかに多いことか・・・・・・
事故の6?8割は人間のミス(ヒューマンエラー)起因すると言われます。
人間は、必ず間違いを起こします。これだけは避けられません。
したがって、安全の構築には、人間のミスを可能な限り少なくし、ミスをフォローする仕組みが必要になるのです。
しかしながら、一つ一つの基本的なことが守られていなかったという重大なミスについてまでは、きっとフォローしきれないでしょう。
安全に関する基本的なことが果たされていないで発生した事故によって犠牲となったとしたら、本当にいたたまれないですね。
もし、そのようなことによる事故であるのならば、それは事故ではなく、人災といってもよいのかもしれません。
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昨日昼過ぎに、所要で西麻布の大本山永平寺東京別院に行く用事があったのですが、偶然にも、坂本九さんの墓参をされるドラマスタッフ、出演者の皆さんと一緒になりました。
花の絶えることの無い坂本九さんの墓前に手を合わせて参りました。
520人もの犠牲となった方々のご冥福を改めてお祈りいたします。
山口達也らが九ちゃんにドラマ完成報告テレビ東京系ドラマ「上を向いて歩こう 坂本九物語」(21日・後9時)で故坂本九さんを演じるTOKIO・山口達也(33)が12日、東京・西麻布の長谷寺(ちょうこくじ)の九さんの墓前に、夫人で原作者の柏木由紀子とともにドラマ完成を報告した。
九さんの20回目の命日に墓前で手を合わせた山口は「報告ができてひと安心です。とにかく『初めまして』と言いたくて、自己紹介しました」。ドラマは、九さんが航空機墜落事故で亡くなるまでの生涯を描く。山口は、ヒット曲「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などを実際に歌唱。「心地良く歌えました。生涯でも、すごくいい作品に出会えた」と感慨深げ。柏木も「坂本九の優しさと笑顔を持っている」とだぶらせていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050813-00000019-dal-ent
◇日航ジャンボ機墜落事故
85年8月12日夕、乗客・乗員524人を乗せた羽田発大阪行きの日航123便ボーイング747ジャンボ機が、32分間の迷走飛行後、群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落、520人が死亡した。運輸省航空事故調査委員会(当時)は87年、事故原因を「後部圧力隔壁が壊れて客室内の高圧空気が尾部へ噴き出し、垂直尾翼を破壊した」と結論付け、ボーイング社の修理ミスを遠因と指摘した。群馬県警は88年、日航とボ社、運輸省の計20人を業務上過失致死傷容疑で前橋地検に書類送検した。しかし、遺族側による告訴・告発分も含め、89年に「嫌疑不十分」「嫌疑なし」として計31人全員の不起訴処分が決まった。
日航ジャンボ機墜落事故20年
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/japan_airlines_crash/
3日間は自力で維持を=直下地震時の首都中枢機能政府の中央防災会議の「首都直下地震対策専門調査会」(座長・伊藤滋都市防災研究所会長)は22日、国会や中央省庁、日本銀行など首都中枢機能の役割を果たす各機関は同地震による被災後3日間、自力で機能を維持し、国内外への影響を最小限に抑えるべきだとする報告書をまとめた。これを踏まえて政府は今後、同地震対策に関する大綱や防災戦略などを策定する方針。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050722-00000098-jij-pol
情報発表時刻 2005年7月23日 17時2分発生時刻 2005年7月23日 16時35分ごろ
震源地 千葉県北西部
緯度 北緯35.5度
経度 東経140.2度
深さ 90km
規模 マグニチュード 5.7
震度5強 東京都 東京都23区 東京足立区 東京足立区伊興
震度5弱 埼玉県 埼玉県南部 草加市 鳩ケ谷市 八潮市 三郷市 宮代町 千葉県 千葉県北西部 千葉県南部 市川市 船橋市 浦安市 木更津市 鋸南町 東京都 東京大田区 東京江戸川区 神奈川県 神奈川県東部 横浜神奈川区 横浜中区 横浜港北区 横浜緑区 川崎川崎区 川崎幸区http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2005-07-23-16-35.html?c=3
横浜市の防災対策については、下記のサイトが参考になります。
避難経路や備えておくべき物品など、予め知っておいて損はないですね。
「私たちは死んだ後どうなってしまうのか」
「身体と霊魂は同一なのか別なのか」
「この世の中は空間的に無限か有限か」
「時間は無限なのか有限なのか」・・・
科学が発達した現代社会においても、解明されていないことはたくさんあります。
お釈迦さまの時代にも、このような形而上的、観念的な疑問がありました。
けれども、お釈迦さまは「いくら議論し合っても、だれもが納得する答えが得られない問題に悩む時間があるなら、なぜ現実に生きているこの人生の意味について考えてみようとしないのか。必要なことは、世の中のことすべてを正しく見ることのできる眼だ。正しい見方は智慧の眼によって生じる。智慧の眼を養うがよい」と、直接の回答を示していません。これを「無記答」(あるいは「捨置記」)といいます。
死後の世界があるかないか、われわれ人間がいくら考えてもわからないことです。この、わからないことをわからないことだとするのが、わかることです。それがお釈迦さまの言わんとするところです。
私たちは、生は生、死は死であり、この二つは結びつくものではないと考えがちです。
また、普段は死というものを意識することはありません。死んだあとは何も無くなっておしまいでしょ・・・と哲学的諦観でもって開き直っても生きてゆけます。
しかし、病気を患ったり、家族や親しい友人を亡くしたりすると、人間がいかに無力で不安なものかを実感することになります。人間は弱いものです。哲学的諦観だけではやっていけなくなることも多いのです。
今年二月、プロウィンドサーファー飯島夏樹さんがハワイオアフ島にて永眠いたしました。
実は、飯島さんは、私の妻と高校の同期であり、卒業後、ウインドサーフィンで活躍されていることから、凄い人がいるんだよ、とよく話を聞かされていました。
高校当時は水泳部に所属していて、部活が終わると教室で大の字で寝そべってみんなを笑わせていたこと、体育祭の応援団長として率先してみんなの先頭に立っていたこと、そして、クラスの皆にも先生方からもとても親しまれていたこと・・・とにかく、目立って人気者だったそうです。
卒業後は、飯島さんは琉球大学へ進み、マリンスポーツを極めます。その後、各大会で輝かしい成績をのこしました。
そんな順風満帆な生活の中、突然訪れた肝細胞ガンの診断結果を受け、度重なる辛い闘病生活を強いられる中、うつ病とパニック障害を併発してしまいます。
しかし、飯島さんがかねてから備えている心の清らかさ、家族や友人への温かい思いやりは、「悲しみは喜びに変わる」を体現させていきました。そして何より、彼や家族を支えてきたのは、キリスト教への敬虔な信仰心でした。
そのことは、彼の著書 『天国で君に逢えたら』 『神様がくれた涙』 を読むと生々しく伝わってきます。この本は、宗教が、そして信仰が、死と直面する患者に、どのような心の灯を与えることが出来るのかを、私たちに教えてくれるのです。
現在は、確かに医学が発達し、高水準の医療技術によって安全に命が誕生したり、人の死を「先延ばし」することができるようになりました。
けれども、人の生死が「病院の中」という、日常から切り離されたところで行われる、ということが当たり前になってしまいました。非人間的な医療設備と冷たい雰囲気の中で、死に臨むことも珍しくありません。
医療技術の発達が、はたして全ての面で人間に幸せをもたらしているのだろうか、という疑問も生まれます。
欧米のホスピスは「安らかな死を迎えるには」「人間らしい死を迎えるには」という命題に対して、キリスト教の伝統のなかから生まれてきたものです。
日本の伝統仏教の中にも『臨終行儀』のようにホスピスの概念を持つものがあり、『ビハーラ・長岡西病院』などの仏教ターミナル・ケア施設もいくつか生まれました。
仏教も、キリスト教も、「生死」においては相通じる部分が多いのです。
飯島さんの日記にみられる、「生きているのではなく、生かさせていただいている」ということばも、私たちが毎日食事をとるまえに(いろいろな御いのちを)「いただきます」と手を合わせることと共通しています。
「生かさせていただいている」ということに気づき、「生死させられている」事実に眼を見開くことが大切です。
お釈迦さまは、死後の世界について無記答とされました。
死後の世界をあれこれ邪推したり、霊の祟りで脅したりするのは、真の宗教とはいえないし、宗教者の態度ではありません。私たちはしっかりこの人生を生きればいいのです。
そしてしっかりと死ねばいい。そうあきらめるのが仏教の死生観です。
ただし、ここでいう「あきらめ」は「断念」ではなく、「明らめること」です。「生死」は思うがままになるものではないことをしっかりと見極めることが「明らめ」です。
生死のすがたは、そのまま仏の御いのちのすがたなのです。
仏が有るか無いかなどと愚かな事を申してはなりませぬ。
諸仏の体は三千世界に充ちています。仏の心は法界に行き渡っています。私共が合掌低頭する所には、必ずしも木仏画像の仏の相がなくとも、そこに必ず御仏が有るのです。
拝む時に仏が現れるのです。
嶺に響く松の音、空に輝く星の影、天地万物が仏の相であり、一粒の御飯、一椀の汁も頂いて食べる時に、それが仏となるのです。
三世の諸仏とは一切万物であるとも申されましよう。拝む心さえあれば、見る物、聞く物が皆仏であります。
そこで切りつめて言えば拝む心が大切となります。
拝む心が拝まれる仏となるのです。拝まれる仏が拝む心ともなるのです。これを感応道交と申します。
拝む私と、拝まれる仏とが、一つ心の中に合体して居るのです。そうして見る物聞く物を拝む心で眺める。
宗教は私共の日常生活の中に生命を宿しているのです。拝まない人は宗教を談ずる資格がありませぬ。
南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧。(大本山永平寺第七十四世 佐藤泰舜禅師のことば)
日韓首脳会談 靖国・歴史、対立解けず 追悼施設、国民世論考慮し検討
小泉純一郎首相は二十日、ソウルの青瓦台(大統領官邸)で韓国の盧武鉉大統領と会談した。大統領は首相の靖国神社参拝について「この問題が日韓関係の歴史問題の核心である」と厳しく批判、参拝中止を求めた。これに対し、首相は「二度と戦争をしてはならない『不戦の誓い』から自分は参拝している」と強調、論議は平行線をたどった。
日韓首脳会談は昨年十二月以来で、約二時間行われた。
日本固有の領土である竹島の領有権問題は議題にならなかったとされるが、会談のほとんどは、首相の靖国神社参拝など歴史認識問題に費やされた。
日本側の説明によると、会談では靖国神社に代わる国立・無宗教の新たな戦没者追悼施設建設問題に関し、大統領が過去の首脳会談で日本側が建設を「検討する」と発言した経緯について言及した。
これについて、大統領は共同発表で「首相が日本の国民世論を考慮し、新たな追悼施設の検討を約束した」と述べた。ただ、大統領は「お互いに理解しようと努力することで共感したが、合意事項には至らなかった」と述べ、靖国問題で基本的な対立は解けなかったことを認めた。
歴史認識問題に関しては、大統領が「日本が過去を反省し、行動で示すことが両国間の信頼の基礎となる。日本の要人から信頼を崩す言動が繰り返されてはならない」と批判。首相は「一時の意見の違いがあっても、大局的見地で両国関係の軌道を戻し、未来志向で前に進めたい」と応じた。
歴史教科書問題では、年内にスタートする第二次日韓歴史共同研究で、歴史教科書の委員会を新設、研究結果を両国の教科書制度の枠内で「編集過程で参考」にすることで一致した。
北朝鮮の核問題については、六カ国協議の早期再開に向け日米韓が緊密に連携することで一致した。
首相は会談後、記者団に「大統領と話して、六カ国協議は開かれるだろうとの感じを持った」と語った。
このほか、日本側は(1)さきの大戦中に徴用した韓国人の軍人、軍属の遺骨調査・返還を急ぐ(2)在韓国被爆者、在サハリン在住の韓国人への支援強化?に積極的に取り組んでいく考えを伝えた。
羽田空港とソウルの金浦空港を結ぶ直行便を八月一日から一日八便に倍増することも確認。次回の首脳会談を年内に日本で開催することでも合意した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050621-00000000-san-pol
残念ながら、日韓の意識の食い違いは埋めることはできなかったようです。
議題の中で大半を費やされた首相の靖国神社参拝などのについて、国立・無宗教の新たな戦没者追悼施設建設についての言及もあり、国内でも建設に向けて研究費も予算化される動きが見られます。
しかし、無宗教の追悼施設って何なのでしょうか。
追悼と言う言葉と、無宗教と言う言葉が相容れないものだと感じられ、違和感を覚えます。
一年半前にハワイ・パンチボウルの太平洋国立記念墓地を訪問する機会を得ました。
通常の観光ツアーですとバスから降りる事ができませんが、私たちは追悼施設の内部に入り、慰霊法要を厳修する事ができました。
あまり知られていないアメリカの国立祈念追悼施設についてご紹介します。
■太平洋国立記念墓地
ハワイ語で「休息の丘」と呼ばれるパンチボウルは、火山活動によってできた高台にあります。
現在は国立太平洋記念墓地となっており、第2次世界大戦、朝鮮戦争やベトナム戦争で戦死した、約2万人の霊魂が眠っています。
ここには日系人の地位向上に貢献した日系二世部隊を初め、多くの日系人兵士も眠っています。
2003年10月、太平洋国立記念墓地礼拝堂で、戦没者に対する慰霊法要を行いました。
導師は曹洞宗管長御代理・大本山總持寺副貫首・齋藤信義老師がお勤めになりました。
着目すべきは、礼拝堂の正面には十字架、右には仏教の大法輪が掲げられています。
キリスト教、ユダヤ教と並んで、仏教もきちんと尊重されているのです。
国立墓地の中には菩提樹もたくさん植えられています。
戦前・戦中・戦後のハワイにおける日系移民の歴史を鑑みると感慨深いものがあります。
アメリカの国立記念墓地をご紹介しました。
対して日本では、戦後、徹底的に公的行事の宗教排除がされてきました。
両者の考え方の違いに、改めて感慨を深める今日この頃です。
このたび、主婦の友社・ベストBOOKSシリーズから、『結婚のしきたりと常識辞典』が発売されました。
その中で、仏前結婚式のコーナーは貞昌院が取材協力をさせていただいています。
まだまだ認知度の低い仏前結婚式ですが、是非その良さを知っていただきたいものです。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31540413
ちなみに、少し前に発売された『結婚・葬儀・おつきあいのお金とマナー』でも取材協力をさせていただいています。
こちらの本もお薦めです。
靖国神社参拝問題とA級戦犯問題、まずは戦犯の釈放と名誉回復が行われたことについて事実関係を明確にしてから論議しなければならないでしょう。
A級戦犯は絞首刑や禁固刑を受け、罪を償いました。後に総理大臣になった人もいます。A級戦犯はもはや罪人ではないことだけは前提としていく必要があります。
靖国参拝は、日本の国のために戦ってこられた全ての尊い犠牲者の方々に対し、再びこのような過ちをしないという、平和への誓いと捉えるべきだと感じます。
衆議院会議録情報 第015回国会 本会議 第11号昭和二十七年十二月九日(火曜日)議事日程 第十号
午後一時開議
第一 裁判官訴追委員辞任の件
第二 積雪寒冷単作地帯振興対策審議会委員の選挙
第三 国土総合開発審議会委員の選挙
第四 簡易郵便局法の一部を改正する法律案(内閣提出)
第五 日本国憲法第八条の規定による議決案(内閣提出)
第六 昭和二十六年度昭和二十七年度衆議院予備金支出の件(承諾を求めるの件)
―――――――――――――
●本日の会議に付した事件
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案(田子一民君外五十八名提出)
日程第一 裁判官訴追委員辞任の件
裁判官訴追委員の補欠選挙
日程第二 積雪寒冷単作地帯振興対策審議会委員の選挙
日程第三 国土総合開発審議会委員の選挙
日程第四 簡易郵便局法の一部を改正する法律案(内閣提出)
日程第五 日本国憲法第八条の規定による議決案(内閣提出)
日程第六 昭和二十六年度昭和二十七年度衆議院予備金支出の件(承諾を求めるの件)
午後一時四十七分開議
○議長(大野伴睦君) これより会議を開きます。
――――◇―――――
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案(田子一民君外五十八名提出)(委員会審査省略要求事件)
○久野忠治君 議事日程追加の緊急動議を提出いたします。すなわち、田子一民君外五十八名提出、戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案は、提出者の要求の通り委員会の審査を省略してこの際これを上程し、その審議を進められんことを望みます。
○議長(大野伴睦君) 久野君の動議に御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(大野伴睦君) 御異議なしと認めます。よつて日程は追加せられました。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案を議題といたします。提出者の趣旨弁明を許します。田子一民君。
〔田子一民君登壇〕
○田子一民君 ただいま議題となりました、自由党、改進党、両社会党、無所属倶楽部の共同提案にかかる戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案、右につきまして提案の趣旨弁明をいたしたいと存じます。
まず決議案の案文を朗読いたします。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議
独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。
よつて衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。
右決議する。
わが国は、平和条約の締結によつて独立国となつて、すでに半歳以上をけみしておるのであります。国民の大多数は、独立の喜びの中に、新生日本の再建に努力しております。この際、このとき、この喜びをともにわかつことができず、戦争犯罪者として、あるいは内地に、あるいは外地に、プリズンに、また拘置所に、希望なく日を送つておりますることは、ひとり国民感情において忍び得ざるのみならず、またさらに国際友好上きわめて遺憾に存ずるところであります。(拍手)もとより、講和発効後、関係国の理解により、中国関係戦犯者九十一名の釈放、米国関係十一名の仮出所、また近くは、インド、中国におきましては、戦犯者のある部分につき釈放に同意したとのことでありまして、ここに諸君とともに、これらの国に対しましては感謝の意を表するものであります。さりながら、ひるがえつて他面を見ますれば、今もつて海外におきましては、死刑の宣告を受けておりまする者五十九名を含む三百八名、これに内地在所者を加えますれば、千百三十名になんなんとする多数の人々は、いまなお獄窓に坤吟しつつあるのであります。実に私どもの黙視し得ざる点でございます。
そもそも戦犯による受刑者と申しまするものは、旧時代における戦争によつて生じた犠牲者なのであります。これらの人々は、和解と信頼による平和条約の発効の後におきましては当然赦免せらるべきことを期待し、あきらめの態度を定め、従順かつまじめに服役を続けて来ておるのであります。しかるに、条約発効後すでに半歳以上をけみしましても、荏苒期待に反して、そのことなきことは、私どもの遺憾禁じ得ざるところであり、関係者の失望と焦燥とは察するに余りある次第でございます。いわんや、その家族、縁者の物心両界にわたる苦痛は惨たるものあり、生活の窮乏者さえ多いのであります。これらの人々は、戦後七年間はもとより、また戦時中より通算しますれば実に十数年の長きにわたつて家庭の支柱を奪われ、しかも今日までよく耐え、よく忍んで来ましたゆえんのものは、一に講和条約が発効をしたならばとの期待を持つたためなのであります。しかるに、事期待に反し、その落胆、焦心は同情にたえざるところであります。さらに一般国民は、戦争の犠牲を戦犯者と称せらるる人々のみに負わすべきでなく、一般国民もともにその責めに任ずべきものであるとなし、戦犯者の助命、帰還、釈放の嘆願署名運動を街頭に展開いたしましたことは、これ国民感情の現われと見るべきものでございます。
およそ戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パール判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名におきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、裁判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地があるという以上には立証されなかつたとあります。東京裁判の判定は、現在あるがままでありましたならば、何らの善も生まず、かえつて悪に悪を重ねるだけであると結論づけておりますことは、諸君のすでに御承知の通りであります。また外地における裁判について申し上げましても、裁判手続において十分な弁護権を行使し得なかつた関係もあり、また戦争当初と事件審判との間には幾多の時を費しまして、あるいは人違い、あるいは本人の全然関知しなかつた事件もあると聞いておるのであります。
英国のハンキー卿は、その著書において、この釈放につき一言触れておりますが、その中に、英米両国は大赦の日を協定し、一切の戦争犯罪者を赦免すべきである、かくして戦争裁判の失敗は永久にぬぐい去られるとき、ここに初めて平和に向つての決定的な一歩となるであろうと申しておるのであります。かかる意見は、今日における世界の良識であると申しても過言ではないと存じます。(拍手)
かくして、戦争犯罪者の釈放は、ひとり全国民大多数の要望であるばかりでなく、世界の良識の命ずるところであると存じます。もしそれ事態がいたずらに現状のままに推移いたしましたならば、処罰の実質は戦勝者の戦敗者に対する憎悪と復讐の念を満足する以外の何ものでもないとの非難を免れがたいのではないかと深く憂うるものであります。(拍手)
今や、わが国は、世界平和確立に鋭意努力しております。政府は、関係諸国に対し、まずB級及びC級を手始めとして、一日も早く全部の赦免、減刑、仮出獄の処置に出るよう、迅速にして適切な方途を講じ、一は国民感情の満足を求め、家族縁者の悲願にこたえ、一は国際友好の上に遺憾なからしめるよう、強く要望してやみません。
はなはだ言葉足らず、意を尽しませんが、これ本案を提出するゆえんでございます。何とぞ満堂の諸君の御賛成を仰ぎたいと存じます。(拍手)
○議長(大野伴睦君) これより討論に入ります。館俊三君。
〔館俊三君登壇〕
○館俊三君 ただいま議題になりました戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案に対し、私は労働者農民党を代表して反対をするものであります。
周知のように、戦争犯罪人を断罪した極東裁判は、ポツダム宣言受諾によつてなされたものであります。B、C級等下級戦犯者の釈放等は、従つてポツダム宣言にのつとる中ソ両国を含む全面講和の早期締結によつて初めて可能なものであります。本決議案は、この点を全く無視したものであります。
本決議案の真のねらいは、第一に、これによつてサンフランシスコの単独講和の既成事実化を推し進め、これを合理化することであり、第二にB、C級等下級戦犯者を釈放した上、これらの人々自身の意に反して、これを軍国主義と再軍備のための宣伝と組織に利用せんとするものであり、第三には、A級戦犯の全面釈放のための伏線であり布告であると私は断ずる。(発言する者あり)このことは、今日戦争反対、再軍備反対を叫ぶ熱心な多数の平和愛好者、平和運動者が全国各地で不当にも逮捕され、投獄されていることによつても、おのずから明らかであります。わが党は、これらの平和運動者の即時全面釈放と、それらの人々に対する国家の正当な補償を要求するものである。
政府はまた、さきに広汎な追放解除を強引に行い、かの侵略戦争に対する積極的協力者の多数に自由を与えたのである。これらの多くは、今日、政界、財界、文化界において、再びわが日本を戦争に追いやるために活躍しつつあります。(拍手)第四次吉田内閣自身何をやつておるか。緒方官房長官と向井大蔵大臣のごとく、追放者であり、戦争協力者を有力閣僚としているではないか。のみならず、自由党、改進党を問わず、今日この種戦争協力者が、民主主義の仮面をかぶつて、各政党、各団体内に活発に動いておる。このような状態のもとで本決議案が出されているのであります。
吉田自由党政府の再軍備、戦争政策に断固反対している労働者農民党は、いまなお獄窓にある人々には真にお気の毒ではありますが、これらの人々の釈放がかくのごとき意図のもとに行われるに至つては、欺瞞に満ちた本決議案であると私は解釈して、強く反対するものである。(拍手)
○議長(大野伴睦君) 山下春江君。
〔山下春江君登壇〕
○山下春江君 私は、改進党を代表いたしまして、ただいま上程されました戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案に対しまして賛成の意見を申し述べたいと存じます。(拍手)
先ほど趣旨弁明の言葉の中にもございました通り、かつての極東裁判の判事であり、しかも日本の無罪を主張いたしましたインドのパール博士は、去る十一月十一日に、巣鴨の拘置所において、戦犯に対して、あくまでも正義を主張してやまない人間の真実の叫びとして、大要左のようなあいさつをされたのであります。「すべて、裁判官の真諦は、人間の心の中に法の公正さに対する信頼感をもたらすことにある。その意味で、今次戦争最大の損失、最大の災害は、法的正義に対する信頼感の破壊にあつた。法律家の中には、連合国のつくつた法は、敗者である皆さんのみを対象としたものであつて、彼ら自身もしくは一般人類に適用されないものであるということを告白している。もしそれが真実ならば、そこに生れたものは法律ではなく、そこに成り立つたものは正義ではない。ここにおられる皆さんは可能なる最悪の不公正の犠牲者である。英国において上層部の間に論争が行われている。そのうちのある者は、戦犯條例によつて定められた法は、ドイツ人を、あるいは日本人を対象とした法であつて、一般社会に適用されるべきものでないことを認めている。連合国は一体どこから権利を得てこれらの法律をつくり、それを適用し、それによつて判決を下し得たのであろうか。」というあいさつをされておるのであります。
占領中、戦犯裁判の実相は、ことさらに隠蔽されましてその真相を報道したり、あるいはこれを批判することは、かたく禁ぜられて参りました。当時報道されましたものは、裁判がいかに公平に行われ、戦争犯罪者はいかに正義人道に反した不運残虐の徒であり、正義人道の敵として憎むべきものであるかという、一方的の宣伝のみでございました。また外地におきまする戦犯裁判の模様などは、ほとんど内地には伝えられておりませんでした。国民の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙をきわめたものでありまして、今でも一部国民の中には、その宣伝から抜け切れないで、何だか戦犯者に対して割切れない気持を抱いている者が決して少くないのであります。
戦犯裁判は、正義と人道の名において、今回初めて行われたものであります。しかもそれは、勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。(拍手)戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であつたといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。(拍手)
その一、二の例をあげますと、事件の内容で、有罪項目が自分の行為ではなく、まつたく虚構であつたか、あるいは捏造された者、人違いであつた者、あるいは部下または上官の行為の責任をとらされた者などが非常に多く、さらにまた、事件発生の部隊または地域にたまたまおつたというとによつて添えを食つた者、さらにはなはだしきは、日本人なるがゆえに、他に何らの理由もなく処罰された者などがあるありさまでありまして、自己の行為と多少のつながりがあるといたしましても、著しく事実を誇張し、またはゆがめられたものが圧倒的に多かつたのであります。また、裁判の審理が一方的で、公判廷において被告に十分の陳述を許されず、証拠も物的証拠はなく、ほとんどが人的証拠、すなわち証人の証言によるものでありましたが、その証人も多くは公判廷に出席せず、検事のつくつた宣誓口述書を単に読み上げるものが多かつたようでございます。それは、もし証人を出席させますと、被告人と対決することにより、証人の偽つた証言が暴露されることをおそれたからでございましよう。
このようなさばきを受けまして、今巣鴨にいる大多数の者は、長らく異境にあつて戦争に従事し、終戦とともに引続き戦争犯罪者として逮捕、裁判に付せられた者で、終戦後八年を経過いたしました現在、家庭を離れてすでに平均十年になつており、十五年から、はなはだしきは二十余年に及ぶ者もいるありさまでございます。戦時中は、いまだ留守家族は、国家、国民のあたたたかい庇護を受けて、ただ別離の悲しみのみでございましたが、終戦後は、一家の大黒柱を奪われたまま、怒濤のごとき社会的、経済的混乱のまつただ中に投げ出され、一顧だに与えられなかつたのみならず、忌まわしい戦犯者の家族として、一般国民以上に深刻な精神的な苦悩を負わされて参りました。留守家族が経済的に困窮して生活にあえぎ、また種々の不幸を人一倍味わわされたことは、想像にかたくないのでございます。講和発効にあたつて、国内の裁判を受けて入獄いたしております者は、大赦によつてその罪を軽減されたにもかかわらず、たとい国内法による裁判ではないといえ、常にヒユーマニズムを説く連合国に対して、独立日本の権威にかけても、政府はこの機会を逸せず、強力なる釈放の手段を講ずべきであつたと考えるのでありますが、(拍手)なすところなく過ぎ去りましたことは、まことに残念でございます。
幸いにして、今日では社会の同情が高まつて参りまして、やや慰められるところが多くなつて参りましたものの、その困窮の状況は依然として深刻なるものがございます。すなわち、家庭の生活状況は、両親が健在で、独身者で心配がないという者が、在所者八百十八名中わずかに十二名あるだけでありまして、その他は極度の困窮に陥つていて、現在母と子が親子心中一歩手前の悲嘆にくれている者が百七十五名もございます。一家がすでに離散してしまつた者が三十五名もあります。戦犯者となつたがために、本人が離婚または婚約解消のうき目を見た者が実に六十九名もあるのでありますが、この悲しみは、単に本人のみならず、家族も、戦犯者の家族なるがゆえに就職を拒否された者二十二名、結婚をはばまれた者十二名、その他社会的迫害を受けた事例ははなはだ多いのでありまして、はなはだしきは、これがために自殺をはかつた者十二名、発狂した者十六名という、悲惨きわまりないものでございます。現在は情勢が一変して参りましたから、もはや社会的迫害などということはあり得ないと思うのでございますが、講和条約発効を釈放の機として、これに唯一最大の期待をかけて忍んで来た家族が、予期に反して、講和発効後八箇月を経た今日、依然として拘禁せられて、いつ帰つて来るかわからないという一大失望落胆は、今後ますます家庭悲劇の大きな根源となつて来るでございましよう。
つい最近のことでございますが、私が巣鴨訪問中、待ち切れなくなつた妻から離婚届の捺印を求めて来た書簡を持つて、ぽたぽたと涙を流しながらうなだれている戦犯者の前で、何と言つて慰めてよいか、言う言葉もなく、私もまた涙しながら政府のふがいなさに憤りを感じたのでございます。(拍手)終戦後すでに八年の長い拘禁生活中に、父母妻子その他の肉身の不幸にあつた者は実に四百九十五名おります。そのほとんど全部が、最愛の父母妻子の死目にもあうことができず、むなしく獄窓に断腸の涙をのんだのでございます。
年の瀬を控えまして、九度目の正月を獄舎に迎えんとする父と、ふるさとにさびしくも悲しく父を待つ妻と子らの上に明るい喜びをもたらす糸口となりますよう、本決議案に対して衷心より賛意を表しますとともに、政府はこれが実現のためにあらゆる方途を講じ、最善の努力を傾け、すみやかに解決せられんことを念願いたすものでございます。(拍手)
○議長(大野伴睦君) 田万廣文君。
〔田万廣文君登壇〕
○田万廣文君 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま上程されておりまする決議案に対して賛意を表明するものであります。
ただいま山下さんからもお話が、ございましたが、かつての東京裁判においてインド代表として列席されましたパール判事の言は、私どもの解するところでは、正義と公平とが人道上からいろいろ批判の対象になつておるのでございます。御承知の通り、受刑者の方々の中におきましては、無期または十五年以上の長期刑、米国関係の中におきましては、三十年、四十年、超長期刑に至りましては七十年の刑もあると聞いておるのでございます。かくのごときことは、生けるしかばねと言うも、あえて過言ではないと思うのであります。このような長期にわたる受刑者御本人もさることながら、留守家族の方々の生活状態は、報告書によれば、ほんとうにその日その日の糊口に苦しんでおるという実態だそうでございます。私どもは、人間として、人道上から、この決議案に対して賛意を表せざるを得ないと考えるのでございます。(拍手)特に申し上げたいことは、B級、C級の戦争犯罪受刑者の諸君の中におきましては、今日明確になつた点においては、事実無根のために、すなわち無罪たるべき者が多数入つておるということであります。私どもは、この点を強く当然主張いたしまして、国際的な良識に訴えて、関係各国の良心に基いた手続が望ましいと思うのであります。(拍手)
私どもは、正義を愛し、平和を愛します。その意味から申しましても、この決議案に盛られた趣旨は正しいと考える。B級、C級の戦犯者こそは、すみやかに釈放せらるべき運命の星にあると私は考えるのであります。独立後相当日にちを経過いたしました今日、デリケートな国際関係のさ中におきまして、国際関係の調整上からいいましても、正義、人道の上からいつても、本決議案のすみやかなる採択と、政府の強硬なる態度を要望してやまないのでございます。岡崎外務大臣は、最近いろいろ批判の対象になつておるのでありまするが、どこまでも独立した日本であるというかたき信念の上に立つて、正義の策を勇敢に叫んでいただかなければ困ると考えるのであります。(拍手)
何とぞ皆さんの御賛意を得まして、本決議案がすみやかに本院を通りまして、特に気の毒なるB級、C級、これらの人々のすみやかなる釈放を心から念願いたしまして、賛意を表明する次第でございます。(拍手)
○議長(大野伴睦君) 古屋貞雄君。
〔古屋貞雄君登壇〕
○古屋貞雄君 私は、社会党を代表いたしまして、ただいまの提案に賛意を表するものでございます。
平和条約が成立して相当の日時を経過いたしましたけれども、いまだに戦犯は釈放されないのであります。平和条約によりまして、わが国は国際憲章並びに世界人権宣言の履行を約束いたしました。しかるに、戦争が最も大きな犯罪でありますることは、われわれがここに強調をする必要がございません。戦争が残虐であるということを前提として考えますときに、はたして敗戦国の人々に対してのみ戦争の犯罪責任を追究するということ――言いかえまするならば、戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。(拍手)特にB、C級の戦犯に対しましては、その行為が残虐であつたということによつて、いまだに釈放されておらぬのでございますけれども、戦争が残虐であることは、私どもがただいま申し上げた通りであります。
世界の残虐な歴史の中に、最も忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であつて、われわれはこれを忘れることはできません。(拍手)この世界人類の中で最も残虐であつた広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもつて戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。(拍手)
ことに、私ども、現に拘禁中のこれらの戦犯者の実情を調査いたしまするならば、これらの人々に対して与えられた弁明並びに権利の主張をないかとろにして下された判定でありますることは、ここに多言を要しないのでございます。しかも、これら戦犯者が長い間拘禁せられまして、そのために家族の人々が生活に困つておることはもちろんでありまするけれども、いつ釈放せられるかわからぬ現在のような状況に置かれますることは、われわれ同胞といたしましては、これら戦犯者に対する同情禁ずることあたわざるものがあるのであります。われわれ全国民は、これらの人々の即時釈放を要求してやまないのでございます。
こうした理由から、本提案に対しましては賛意を表するものであります。何とぞ政府におかれましては、国民のこの要望、この熱望にこたえるだけの責任ある態度をとられんことを要望いたしまして、賛成の意を表する次第でございます。(拍手)
○議長(大野伴睦君) これにて討論は終局いたしました。
採決いたします。本案に賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(大野伴睦君) 起立多数。よつて本案は可決いたしました。(拍手)
この際法務大臣から発言を求められております。これを許します。法務大臣犬養健君。
〔国務大臣犬養健君登壇〕
○国務大臣(犬養健君) ただいま成立いたしました決議に対して敬意を表し、この際政府の所信を申し上げたいと存じます。
先刻提案者が示されました通り、戦争犯罪に問われて現在巣鴨刑務所に服役中の者は、A級十二名をも含めて八百十名に上つております。また国外において服役中の者は、オーストラリアのマヌス島に百九十九名、フイリピンのモンテンルパに百九名、計三百八名でありますが、これらの人々は、すでに長い年月の間幽閉の生活を続け、その家族の生計もまことに悲惨な状況にありまして、物心両面の痛手は真に想像に余りあるものがあるのでございます。政府におきましても、これら戦犯者本人の心中はもとより、この家族の悲しみに思いをいたしまして、御同様まことに深き同情を禁じ得ないのでございます。御承知のごとく、外地にあります戦犯者の内地送還につきましては、独立後現在までに、マヌス島より七名、モンテンルパより二名、合計九名の送還を見たのでありまして、いまだ少数ではありますが、この関係国の処置に対して感謝の意を表しますとともに、さらに一日も早く残りの全部について好意ある処置がとられるよう切望いたし、政府といたしましても、その実現のためにあらゆる努力を現在払つて参つているのでございます。
次に、巣鴨刑務所にあります戦犯者の釈放につきましては、この赦免、減刑及び仮出所の勧告を行うように鋭意努力いたしまして、現在仮出所適格者の大部分について仮出所の勧告を終了いたしまして、各国の同意決定を待望している次第であります。これに対して、アメリカにおきましては、先般、戦犯釈放委員会というものが設置せられまして、その検討の結果、今日までに計十九名の仮出所の同意が得られたのであります。しかるに、米国以外の英・仏・濠よりはいまだ何らの回答にも接しておらないのでありますが、米国におけるこの動きは、必ずや他の関係国にもよい影響を与えるものと確信いたしつつ、今後とも関係国の好意と理解の獲得につき全力をあげて折衝いたしたいと存じております。(拍手)
なお、かような個別的な勧告と並行いたしまして、政府は関係各国に対し全面赦免の勧告を行つているのであります。(拍手)すなわち、本年七月十四日に、フランス国の革命記念日を期しまして、フランス国関係の戦犯者につき全面赦免を勧告し、さらに八月上旬には、その他の関係国に対してB、C級座員の全面赦免を勧告いたしました。さらに、今般行われた立太子式の国家的慶事に際しまして、A級をも含めた全戦犯者の全面赦免を再勧告いたしたのでございます。(拍手)しかして、この全面赦免の勧告に対しましては、本年の十一月十五日にインド国政府より、また十二月三日には中華民国国民政府より、A級戦犯の釈放につきそれぞれ賛成なる旨の通知を受けたのでありまして、ここに両国政府の好意に対して深甚なる感謝の意を表する次第であります。(拍手)なおこのほか、フランス国政府よりも特に好意をもつて考慮する旨の回答に接しておりますが、その他の関係国からはまだ何ら具体的回答を受け得るに至つていない状態でございます。
しかし、政府といたしましては、本日のこの御決議の意を体し、さらに今後とも関係国の好意ある処置を期待しつつ、あらゆる手段方法によりまして、適切迅速なる方途をとり、一日も早くこの不幸なる事態を解消いたしまして、本日の御趣旨に沿いたい覚悟でございます。(拍手)
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/015/0512/01512090512011a.html
中国政府のインターネット検閲技術を分析した報告書を、米国などの研究グループがまとめた。反日デモは、ネットを通じた呼びかけに若者たちが呼応して集結した。だが、報告書では、それと分からないように巧妙に規制をして、当局に都合の悪い情報にはアクセスさせないという。今週末も反日デモの再燃が懸念され、当局は情報統制に躍起だ。中国のネット規制“手口”とは?。「法輪功」「天安門」「台湾」「チベット」…。
報告書によると、中国当局が決めたこういった単語を含むサイトやアドレスに接続できなくするのが検閲システムだ。
当局が神経をとがらせるであろう単語それぞれについて、検索エンジンで上位百位に入るサイトを対象に、中国国内から接続できるかを調査した。
その結果、中国語サイトで接続できなかった率が高かったのが「中国労働党」で93%。「ナインコメンタリーズ(九評)」「天安門大虐殺」が90%でそれに続く。「ナインコメンタリーズ」は、台湾、香港、日本などで発行されている週刊華字紙「大紀元時報」による中国共産党の批判的論評だ。
■「エラー」表示で隠ぺいも巧妙に
非接続率をその他の微妙な政治問題で見てみると、「法輪功」は44%、「法輪大法」で73%に上った。「チベット」は9%だが、「ダライ・ラマ」になると54%に跳ね上がる。なぜか「台湾」(8%)「台湾独立」(25%)には寛容だ。
何を接続妨害するかで、かえって中国当局の関心度を「裸」にしているともいえる。妨害は、中国のネットワークの「幹」の部分でも「枝」の部分でも行われている。
同様に検閲体制を敷く他国の場合は、検閲で閲覧できなくしたことを利用者に明らかにするが、中国の場合「タイムアウト」「エラー」など技術的問題を装い、それが検閲による規制だとは利用者には分からないようにしてある。
それらの「洗練された」検閲体制は、シスコシステムズやノーテルネットワークス、サンマイクロシステムズといった、米国のIT企業の技術に支えられていると報告書は指摘する。特にシスコはネットウイルスなどを除去するシステムを中国に販売している。この技術でウイルスの代わりに単語をはじくようにしておけば、検閲に応用可能だ。
企業側は「単に技術を売っただけで、顧客がどう使うかまで関与できない」としているが、シスコについては内部告発者が「中国のために特殊なローター(データの送信経路を決定する装置)を開発した」と明らかにしている。
■プロバイダーの免許取り消しも
二〇〇四年八月には、中国人ハッカーが中国語、英語合わせて九百八十七に上る単語の一覧表をネット内で発見し、掲示板で暴露した。少数民族の独立運動や法輪功、共産党幹部の名前などだ。調査では、このリストに掲載された単語を中国国内の三つのプロバイダーのブログで使用してみた。二つのプロバイダーはそれぞれ十八語、十九語に反応し「*」印に置き換え、単語の使用ができなかった。残りの一つは三百五十語に対し使用の警告を出した。
法的な締め付けについても報告書は指摘している。プロバイダーは、顧客管理などを義務づけた法に違反すれば、免許の取り消しやスタッフが逮捕される可能性がある。〇一年にはインターネットカフェの集中的な取り締まりで、八千店が閉鎖を余儀なくされ、遼寧省だけで五千店で警察が検閲ソフトを導入させた。
この報告書で指摘しているように、ネット上での規制は技術的に可能か。
「難しいことではない」と話すのは、インターネットジャーナリストの森一矢氏だ。
「中国は規制環境をつくりながらネットを広めてきており、海外サイトなど、ピンポイントで特定のサイトに接続できないようにしている。ネットはどこからでも接続できるように見えるがそうでもない。日本なら海外サイトにつながる東京と大阪、沖縄などにある回線を通らないと、接続しない。そうした回線に関所を設けておけばよい。検索サービスでは、事業者に対し特定の言葉を規制するようにしておけばできる」
実際、今週末のデモ再燃を警戒して、デモ参加を呼びかけるような書き込みがあるようなサイトは、閲覧が規制されているという。「十六日午前九時、天安門広場に集合」とデモを呼びかけたサイトは、翌日から閲覧ができなくなった。
■人口の1割弱の9400万人が利用中国のネット利用者は昨年末で約九千四百万人といわれる。人口の一割に満たないが、ブロードバンド(高速大容量通信)利用者は約四千万人といわれ、当局も無視できない。
「中国では二〇〇〇年に、ネットなどを規制する基本的な法律ができた。やってはいけないこととして、国家の安全と社会の安定、共産主義社会の秩序を乱すことが項目として含まれている。その基本法をもとに、規制の細則、罰則が決まっている。例えば、中国内でもヤフー(検索エンジン)が運営されているが、『国の安全を脅かす』『党批判』と政府が判断したサイトは、排除しなければ運営ができない」
ネット規制の状況を話すのは国際社会経済研究所の原田泉主席研究員だ。
■ネット警察存在 3万人体制説も検閲を行っている組織について「中国の国家情報化指導グループで、その下に情報産業省、地方の公安部、国家コンピューターネットワーク不正アクセス防止センターなど、いろいろな機関がある」と説明する。十四日付米ワシントンポスト紙電子版も「確認はできなかったが、監視する『インターネット警察』は三万人いるともいわれる。関与する政府機関は十一ある」と報道した。
一方、中国のネット事情に詳しい関係者も「ネット内の掲示板などは、共産党批判の内容は規制されるが、それ以外は事業者の自主規制的な部分もある」と話す。党中央宣伝部によって厳しく規制されているテレビ、ラジオ、新聞に比べ、インターネットの規制は緩い側面がある。ネットの特性に起因するようだ。
森氏は「例えば『あいうえお』という単語をブロックすることはできるが、『あ▽い▽う…』と打てば、ブロックされない」と明かす。先の関係者も「中国からニューヨーク・タイムズのようなサイトは見られないことになっているが、国内で見られるサイトを迂回(うかい)して行くことはできる」と抜け道もあるという。
インターネットの普及は民主化を進めるとみられているが、政府の首を絞めることにはならないだろうか。「ネットの導入は共産主義の崩壊の第一歩」と、森氏は痛烈だ。原田氏も「ベルリンの壁が崩壊したのも東西の情報交流から。ネットを通じて、海外からの情報が入るようになれば、民主化が進む一つのテコになるのでは」と話す。
だが、先の関係者は思案顔だ。「ネット上でも党批判ができない、ゆがんだ自由の中で、市民の不満のはけ口は、外国、日本に向かいやすい。本来の民主化に寄与することにはならないのではないか」http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050416/mng_____tokuho__000.shtml
実際に中国のYAHOO!
http://cn.yahoo.com/
の検索で試してみましょう。
(ネットにある程度の知識のある方のみお試しください。実害があっても責は負いかねます)
【規制されていると思われる主な検索ワード】
民主化
民運
北京之春
胡耀邦
趙紫陽
魏京生
法輪功
人権国際
文化大革命
抵制日貨
抗日
六四事件 (天安門事件)
上記を実行すると、YAHOO!に一時的なアクセス規制をされるようになります。
ここまで徹底的な情報統制を行う事によって、国の制が維持されているのですね。
ある意味恐ろしいものです。
それを知らされていない国民は不幸のひとことに尽きます。
学級連絡網様変わり、個人情報漏れ不安→一斉メールも学校からの連絡事項をクラス全員に伝える手段として活用されてきた「緊急連絡網」が、様変わりしつつある。
4月から個人情報保護法が全面施行されたことで、住所の掲載を見送ったり、クラス全員に配るのをやめたりする学校が急増。緊急情報は保護者にメールで一斉送信するという学校も出始めた。
茨城県土浦市の私立・土浦日大中は今年度から、クラスの生徒を5つほどのグループに分け、そのグループ内だけに連絡網を配った。流出の危険性を最小限に抑えるためで、連絡網には生徒の氏名と電話番号しか書かれていない。
掲載の了承が得られない家庭については、「電報」などの代替措置も検討したが、最終的に掲載を拒否した家庭はなかったという。
今回の法施行で、生徒の個人情報の取り扱いが定められたのは主に私立学校で、情報の適正取得や第三者提供の制限などが求められるようになった。公立については、条例などで規定している地域が目立つが、文部科学省の担当者は「法施行で保護者の関心が高まり、公立でも一層慎重に対応するようになったところが多いようだ」と話す。
東京の板橋区教委は4月25日付で、区内の全公立学校に連絡網づくりの注意事項を通知した。一部の保護者から「電話番号を載せるのは問題ではないか」との指摘が寄せられたためで、〈1〉連絡網の作成は保護者の了解を求め、了承が得られない場合は記載しない〈2〉盗難や紛失などで情報が流出しないよう、各家庭に周知する――などを求めた。
区内には今年度から連絡網に住所を載せるのをやめた小学校もある。
これに対し、横浜市都筑区の市立荏田東第一小は今年度から、連絡網の作成をやめ、代わりにメールによる一斉送信を導入した。PTAが民間の情報配信会社と契約し、校長とPTA会長が送信を了承した文章のみを保護者に一斉送信する。費用はPTA会費から捻出(ねんしゅつ)している。「父親の勤務先のパソコン」と「母親の携帯電話」などの組み合わせで申し込む保護者も多く、すでに363家庭から631件の登録があった。
こうした動きを巡り、保護者や子どもたちからは「友人の家が分からない」「年賀状が書けない」などの声も出ているが、同小の桑原偕実(ともみ)校長は「住所や連絡先は、互いに教え合えば済む。子どもたちにとっては、それがコミュニケーション能力を身につける学習にもなるのでは」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050516-00000101-yom-soci
そうなんですよね?
小学校の連絡網、数年前から自分の関係の列だけ電話番号が記載されていたのですが、今年は名前と空欄の電話番号記入欄のみ。住所は当然記載されていません。
電話は直接本人に聞いて記入してください、ということなのです。
確かに、このご時世ですから、致し方ないですね。
市立荏田東第一小のようにメール連絡がスタンダードになる日もそう遠くないのかもしれません。
このように、個人情報に対する取り扱いが慎重になっている反面、いまだに役所では第三者が住民票のデータを一覧で取得できる状況にあります。
入学や七五三を控えた児童をもつ家庭には的確にDMがばら撒かれます。
個人情報が売買の対象になってしまっているということが困ったものです。
総務省では、ようやく検討会を設置して、このような住民票閲覧制度存続の是非を問い、存続させる場合は閲覧目的を制限するかどうかなど住民基本台帳法の改正を視野に話し合う段階に入りました。
今年秋までに結論を出す予定とのことです。
少し遅すぎの感もありますね。
■住民票は住民の住民登録がある地方自治体の役所で「氏名」「生年月日」「性別」「住所」を、請求事由を明らかにし、それが不当でなければ、原則としてだれでも有料で閲覧することができる。これは、住民票が原則「公開」とされているためである(住民基本台帳法第11条)。
■住民票の写しは、該当者の住民登録のある市区町村役所(市区町村によっては支所、出張所等も含む)で請求事由を明らかにし、それが不当でなければ、原則としてだれでも有料で交付を受けることができる。この場合記載される項目は概ね閲覧で得られる情報に限定される。
【関連トピックス】
http://teishoin.net/blog/000078.html
生死
手桶に水を汲むことによって
水が生じたのではない
天地一杯の水が
手桶に汲みとられたのだ
手桶の水を
大地に撒いてしまったからといって
水が無くなったのではない
天地一杯の水が
天地一杯のなかに
ばら撒かれたのだ
人は生まれることによって
生命を生じたのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めのなかに
汲みとられたのである
人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めから
天地一杯のなかに
ばら撒かれるのだ内山興正老師 『興正法句詩抄』
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」「身体と霊魂は同一なのか別なのか」「この世の中は空間的に無限か有限か」「時間は無限なのか有限なのか」・・・・・
科学が発達した現代社会においても、解明されていないことはたくさんあります。
お釈迦さまの時代にも、このような形而上的、観念的な疑問がありました。
けれども、お釈迦さまは直接の回答を示していません。
これを「無記答」(あるいは「捨置記」)といいます。
死後の世界があるかないか、われわれ人間がいくら考えてもわからないことです。
あるかもしれないし無いかもしれない。
この、わからないことをわからないことだとするのが、わかることです。それがお釈迦さまの言わんとするところです。
私たちは、死後をどのように考えているでしょうか。
大きく分けて三つの考え方があるようです。
その1、「死んだらそれでおしまい」という考え方。
人が死んだらそれでお終い。御霊や魂といったものも残らないという世界観です。
その2、我々のいのちは、大自然から生まれ、大宇宙という海ではねた一滴の水のようなもので、一瞬現れてすぐに大きな海に還っていくという考え方。
その3、身体は無くなっても、御霊としてどこかに存在し続ける、という考え方。
私たちは前世があり、今の人生があり、死後は、死後の世界に存在し続けて、いつか別の命として生まれ変るというものです。
皆さんはどのように考えますか?
生を明らかにし、死を明らかにすることは大切な事です。
少しづつこのブログで考えていきましょう。
20年くらい前は雑木林や田園の風景が広がっていた上永谷周辺も、瞬く間に住宅街へと変貌しました。
舞岡公園は、谷戸の地形を生かした公園で、昔ながらの光景が保存されています。
舞岡公園の詳細
http://www.city.yokohama.jp/me/totsuka/kids/park/maioka.html
・・・とまあ、まとまった自然が良く保存された公園なのですが、残念なことに公園を縦断する道路計画があるのです。
僅か数分の時間短縮のためにこの貴重な生態系に影響を及ぼしかねない道路が必要なのでしょうか。
(京急ニュータウン?日限地蔵?桜堂?舞岡には、少し遠回りですが、広くて空いている道路があるのです)
横浜市の都市計画図を、舞岡公園の案内図と合成してみました。
茶色い線が都市計画道路です。
見事に公園を縦断していますね。
こんな道路に税金を使うなら、もっと舞岡公園周囲の環境保存に使ってくれたほうがうれしいと思います。
池ではザリガニ吊りを楽しむことが出来ます。
この池の周囲には翡翠が営巣をしていますので、時々給餌の光景が見られたりします。
谷戸には田んぼがいくつかあり、分担で管理をしています。
子どもの通っている幼稚園でも一部を借りて田植えをします。
こういう自然の姿を保存する公園は大切にしていかなければなりませんね。
できることなら舞岡公園を縦断する道路計画は見直して欲しいものです。
本年は、広島と長崎への原爆投下60周年にあたります。
このたび、アメリカの「平和のための地蔵」プロジェクト(代表者:ジャン澄禅ベイズ師)により、平和のための地蔵像を、賛同いただける多くの方々に作成いただき、米国中の子供や服役囚も含む多数の人々の製作作品と共に広島と長崎にお納めして、亡くなった人々に追悼の意を捧げる計画があります。
ここで展示される折り紙地蔵は簡単に出来るものです。
もし賛同いただける方は、作った折り紙地蔵を7月初旬までに、
「平和のための地蔵プロジェクト」後援会事務局
〒960-8202 福島市山口字寺屋敷4 常円寺内
?024(534)4463 FAX024(536)1301
までお送りくださればと思います。
また、8月の広島・長崎での展示の後は、大船観音で開催される「ゆめ観音 アジアフェスティバル」でも展示できればと考えております。
(私は、ゆめ観音を運営しているSOTO禅インターナショナルの事務局長をつとめさせていただいています)
アメリカからの「平和のための地蔵」プロジェクト
■趣旨
このプロジェクトは、広島と長崎への原爆投下60周年にあたる2005年8月に、27万体の地蔵菩薩の像を両市にお届けし、展示、寄贈することを希望しています。心をこめて、これらの像を制作するのは、子供や服役囚も含む、米国中の多数の人々です。関係の皆さまの、ご協力をお願い申し上げます。
■意義
地蔵菩薩は、生死の循環に苦しむ旅人を見守る情け深い保護者として、信仰されています。女性や子供たちの保護者でもあります。地蔵の大願は、自分で苦悩から逃れられない全ての人々を助けることです。お贈りする画像は、原爆が投下されたときに亡くなった何十万の方々を追悼し、核兵器によって生じる苦難を終わらせるための、アメリカの仏教徒の世界平和への願いを表現します。
■機縁
アメリカからの「平和のための地蔵」プロジェクトの代表者は、医師で禅の指導者でもある、ジャン澄禅ベイズです。澄禅は、1945年8月9日に生まれました。両親は第二次世界大戦中に平和主義者だったので、長崎に原爆が投下されたこの日は、両親にとって悲しみと、娘が生まれた喜びが入り混じった日でした。澄禅は、自分が日本の伝統を継ぐ仏教徒になったのは、生まれたときに日本で多くの方々が突然命を失われたことにつながりがあると信じています。
澄禅師は、米国オレゴン州、地蔵山大願寺(Jizo's Great Vow Zen Monastery)の共同住職を勤めています。この禅道場では、世界平和のための陶製の地蔵菩薩像を作っています。2002年9月には、広島の平和公園を訪れ、小さな地蔵像を納めてゆきました。60歳になる2005年の8月、原爆60周年に当たって、平和のための地蔵像の多くを、広島と長崎にお納めして、亡くなった人々に追悼の意を表したいと念願しています。
■形式
地蔵像の一部は、陶製の小さな像や、折り紙地蔵を連ねたものです。しかし、大部分は、小さな布(25cmx33cm)に描き写した絵か、押し絵です。そうした布を縫い合わせて、大きな垂れ幕(3mx3m)を作ります。こうした垂れ幕は、美しく印象的で、多くの人々の平和への願いを表現したものになります。それが、さまざまな所で展示されることを、希望しております。
■折り紙地蔵像のつくりかた (この折り紙地蔵像を送ってください)
■詳しくは
お問い合わせ
「平和のための地蔵プロジェクト」後援会事務局
〒960-8202 福島市山口字寺屋敷4 常円寺内
?024(534)4463 FAX024(536)1301
Eメールアドレス qqpm55@plum.ocn.ne.jp
「平和のための地蔵」プロジェクト代表ジャン澄禅ベイズRev.Jan Chozen Bays
Jizos for Peace
c/o Great vow Zen Monastery
PO Box 368
Clatskanie,OR 97016 USA
電話番号:米国1(503)728-0654
e-mail:chozen@greatvow.org
http://www.greatvow.org(英文ページ)
人権擁護法が国会に提出されようとしています。
4月26日(火)朝の「政調、法務部会」を通過し、その日の午前10時開催される「政調、審議会」を通過してしまえば、既定路線で成立に向かってしまうでしょう。
まず最初に人権擁護法案とは・・・
【概要】
・出生や国籍などを理由にした差別や人権侵害の防止・救済を目指す法案。
・新設される人権委員会が相談や調停、勧告、公表などの措置を講じる。
・人権委員会は全国で2万人以上の人権擁護委員を委嘱。
・事情聴取や立ち入り検査などの「特別調査権」も付与される。
この法案については、一度、3年前の国会に提出されましたが、表現の自由を侵害する恐れがある「メディア規制法」と批判されて廃案となりました。
しかしながら、政府と自民党の推進派により、問題となったメディア規制条項を凍結することなどを条件に、同じ内容の法案を今国会に再提出し、成立を図っているわけです。
しかしながら、この法案は問題点もかなり多いことが指摘されています。
具体的には
・人権侵害の定義があいまいである
・人権委員会の権限が強大すぎる
・人権擁護委員の選考過程があいまいで国籍条項もない
などです。
このため、自民党内でも反対論議が多く、党内の調整が難航していました。
そんな中、今月21日の調整会議において大きな局面を迎えました。
法案成立を目指す推進派の古賀誠元幹事長が、合同部会での「一任取り付け宣言」を行ったのです。
■人権擁護法案の一任宣言 勝負に出た古賀氏 補選での「公明協力」盾に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050422-00000004-san-pol
この段階では、古賀氏の一任宣言に対し、平沢勝栄法務部会長が否定的な見解を示していましたが、22日になり、合同会議として法案の扱いは事実上、古賀氏に一任した形となってしまいました。
■人権擁護法案:古賀氏に一任、与謝野氏裁定 自民合同会議
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050422k0000e010088000c.html
一度廃案になった法案が、また名目を変えて通されようとしているこの異常な事態を、私たちは常に注視していかなければならないでしょう。
いつの間に知らないうちに法案が通っていたということは、恐ろしいことでもあります。
この法案は、メディア各社にも関係ありますが、ブログで情報を発信している私たちにも大いにかかわってくる問題です。
もちろん、情報を発信する側は、個人情報の取扱いはもとより、人を傷つけたりしていないか、差別的な表現はしていないかなど、基本的なことはきちんと守らなければならないと思います。
それが守られなかった場合は法的な処罰を受けることは、法治国家の下では仕方ないでしょう。
しかしながら、人権擁護法案では、それを判定する人権擁護委員の選考方法もあいまいだし、どういった基準で人権侵害を図るかという尺度も曖昧です。
そのような中で、人権委員会に、裁判所の令状がなくても、独自に関係場所の立ち入り検査ができるようにしたり、関係者の出頭要請、事情聴取や資料の押収でき、正当な理由無く拒否すれば過料が科せられるなどの権限を与えるということは行きすぎであると考えます。
人権擁護法が恣意的に運用されれば、人権救済の名目で新たな人権侵害すら起きかねないでしょう。
幼児や高齢者や障害者、外国人など、特定の人権侵害に限定的かつ慎重に運用するのであれば、個別の法律で対処すればいいわけです。
さらに、論点となっている国籍条項については、絶対に撤廃してはならない項目であるといえます。
提出されようとしている法案では、現行の人権擁護委員法にある国籍条項が撤廃されています。
自民党の反対派からは、「在日本朝鮮人総連合会の関係者が人権擁護委員になると、拉致問題への対応をめぐって政治家が朝鮮総連を批判したような場合、人権侵害と指弾されかねない」という意見が出されていますが、このほかにもさまざまな言論弾圧が考えられるでしょう。
全ての人が人権問題について一定の基本的ルールを遵守し、包括的、網羅的な規制の網をかけられることなく、自由に情報発信できることがどれだけ素晴らしいことか。
人権擁護法は、今の案のままではとうてい賛成できません。
中国・上海(AP) 中国の歴史教科書には書いてないことがいくつかある。たとえば1989年の民主化運動。あるいは中国共産党の失敗がもたらした飢饉(ききん)で死亡した数百万人のこと。あるいは中国が攻撃を開始した中印紛争や中越戦争のこと。
中国政府と、中国で反日デモに参加する市民は口々に、日本政府が検定で合格させた新しい歴史教科書が従軍慰安婦問題など旧日本軍の悪行を隠蔽していると批判している。一方で、中国で使われている歴史教科書は、共産党体制下の自国の歴史や周辺国との関係について、相当部分を省略している。
米メリーランド・アナポリスの海軍士官学校で歴史を教えるマオチュン・ユ教授は、「中国でナショナリズムが高まる中、ナショナリズムの要請に応じて歴史を書き直し修正する動きが、国中でさかんになっている」と指摘する。中国の歴史教科書の主題は、中国人民がいかに日本など諸外国にひどい目に遭わされたかという国家的被害者意識を強調すると主に、1949年に政権を握った中国共産党を礼賛し、反政府の声を一切切り捨てることだという見方をする専門家は多い。
中国の教科書は、抗日戦線など日本をはじめ諸外国との戦いで死んでいった者のことを、国のために「崇高な犠牲をはらった」者として称えている。
教科書には、中国人が外国の侵略者に抵抗する姿などを描いたプロパガンダ画が使われている。教科書に掲載されているこの図とよく似た姿で、反日デモに参加した若者たちは日本大使館や総領事館などに投石していた。中国随一の国際都市・上海で使われている8年生の歴史教科書は、日本人のことを繰り返し「日本鬼子」という蔑称で呼んでいる。
この教科書は日本軍による残虐行為に焦点をあて、1937?45年の日中戦争で中国人3500万人が犠牲になったという中国政府の公式見解を繰り返している。
教科書には、「日本軍は行く先々で放火し殺害し盗み略奪した。連中が行わない悪行などなかった」と記述している。
この教科書はさらに、中国はとりわけ1949年の共産党政権発足以来、侵略者では決してなかったというイメージを強調するため、重要な歴史上の事件を省略している。
たとえば教科書には、1962年に中国人民解放軍の攻撃で始まった中印国境紛争についての記述がない。中国政府と友好関係にあったカンボジアにベトナムが侵攻し、ポル・ポト政権を崩壊させたことへの懲罰的意味も込めて、中国軍が1979年にベトナムを攻撃した中越戦争についても、何も触れていない。このほか、中国の歴史教科書には──
・1989年の民主化運動と天安門事件。
・1958?61年に農工業の大増産政策として毛沢東政権が導入した「大躍進政策」。経済混乱と飢饉につながり、中国国内の3000万人が餓死したとされている。
──の記述がない。また歴史教科書は、朝鮮戦争の開戦のきっかけについて、中国の友好国・北朝鮮が1950年6月に38度線を越境して南側に侵攻した事実に触れず、単に「内戦が始まった」と書くにとどまっている。また、米国が中国領土を侵略しようとしたため、中国はやむなく介入せざるを得なかったという説明をしている。
7年生の歴史教科書では、朝鮮戦争で米軍が生物兵器を使用したと断定。これは中国や北朝鮮、旧ソ連政府が一貫して主張したことだが、立証はされていない。
英オックスフォード大学の中国専門家シンミン・ショー氏は、日本の教科書が歴史を歪めているのは、自分たちの恥を受け入れたくないからのように見えるが、中国による歴史の改ざんは共産党体制の維持が目的のようだと指摘。「(中国にとって)過去を認めないのは、計算された政策だ」とショー氏は話している。
(CNN)
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200504180011.html
会談で唐氏は「中国では反日教育は存在していない。日本の教科書は中国人民の感情を傷つけている」と述べ、デモの原因は日本にあるとしています。
教科書問題で内政干渉してくるのも問題外ですが、さらに、中国側の歴史認識、教科書の記述はどうなっているのかを棚に上げての発言。
一度、日本と中国の歴史教科書・教材を同列に展示して、全世界の方々に客観的に判断してもらってはいかがでしょうか。
末筆として日中共同声明を掲載しておきます。
日中共同声明(日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明)
日本国内閣総理大臣田中角栄は,中華人民共和国国務院総理周恩来の招きにより,1972年9月25日から9月30日まで,中華人民共和国を訪問した。田中総理大臣には大平正芳外務大臣,二階堂進内閣官房長官及びその他の政府職員が随行した。
毛沢東主席は9月27日に田中角栄総理大臣と会見した。双方は,真剣かつ友好的な話合いを行なつた。
田中総理大臣及び大平外務大臣と周恩来総理及び姫鵬飛外交部長は,日中両国間の国交正常化問題をはじめとする両国間の諸問題及び双方が関心を有するその他の諸問題について,終始,友好的な雰囲気のなかで真剣かつ卒直に意見を交換し,次の両政府の共同声明を発出することに合意した。
日中両国は,一衣帯水の間にある隣国であり,長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は,両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は,両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
日本側は,過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し,深く反省する。また,日本側は,中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立つて国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は,これを歓迎するものである。
日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず,両国は,平和友好関係を樹立すべきであり,また,樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し,相互に善隣友好関係を発展させることは,両国国民の利益に合致するところであり,また,アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。1 日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。
2 日本国政府は,中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
3 中華人民共和国政府は,台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は,この中華人民共和国政府の立場を十分理解し,尊重し,ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
4 日本国政府及び中華人民共和国政府は,1972年9月29日から外交関係を樹立することを決定した。両政府は,国際法及び国際慣行に従い,それぞれの首都における他方の大使館の設置及びその任務遂行のために必要なすべての措置をとり,また,できるだけすみやかに大使を交換することを決定した。
5 中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
6 日本国政府及び中華人民共和国政府は,主権及び領土保全の相互尊重,相互不可侵,内政に対する相互不干渉,平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
両政府は,右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき,日本国及び中国が,相互の関係において,すべての紛争を平和的手段により解決し,武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
7 日中両国間の国交正常化は,第三国に対するものではない。両国のいずれも,アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく,このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
8 日本国政府及び中華人民共和国政府は,両国間の平和友好関係を強固にし,発展させるため,平和友好条約の締結を目的として,交渉を行なうことに合意した。
9 日本国政府及び中華人民共和国政府は,両国間の関係を一層発展させ,人的往来を拡大するため,必要に応じ,また,既存の民間取決めをも考慮しつつ,貿易,海運,航空,漁業等の事項に関する協定の締結を目的として,交渉を行なうことに合意した。1972年9月29日に北京で
日本国内閣総理大臣 田中角栄(署名)
日本国外務大臣 大平正芳(署名)
中華人民共和国国務院総理 周 恩来(署名)
中華人民共和国外交部長 姫 鵬飛(署名)
インターネットと宗教に関する研究については、インターネットの発祥地である米国、同じ英語圏であるカナダと英国、また独自の発展を背景にもつヨーロッパでは、一般誌の記事掲載や、関連書籍の出版が数多くなされています。
先行研究では、MUD(注1) 上で行われているキリスト教の礼拝をテキスト分析し、従来の教会での儀礼との比較を行った研究(注2)がSchroederにより、1998年に発表されました 。
インターネット上の「ヴァーチャル」な空間について、Campbellは、現実空間のような余計なノイズが無いという理由で、「霊的な世界」に近いものであると指摘しています。
現代の宗教集団の中で、インターネットとの関わりが注目されてきたのは新宗教運動(New Religious Movements)といえます。1995年末から始まった、サイエントロジー教会とその批判者とのインターネット上での争いは、宗教問題という枠を超え、言論の自由・表現の自由対信教の自由、あるいは、一国での法的規制の無効性といった問題を提起して、幅広い分野から注目を集めました。
また、1997のヘヴンズ・ゲート(注3)による集団自殺事件 では、信者の勧誘やマインド・コントロールのメディアとしてのインターネットの可能性ないし危険性が取りざたされています。
英国のINFORM は、2000年に
(1)新しい多様なコミュニケーション形態が、人々の宗教情報への接し方を変える。
(2)インターネットが教団組織の権威構造などに変化をもたらす。
(3)誤った情報や公序良俗に反する情報の氾濫、個人や集団への攻撃に対し、どのようにして防御できるか。
という3つの問題に対する報告を発表しました。
O'Leary と Brasher(注4)は、ミクロレベルでの宗教思想の問題提起を行っています 。
このことから分かるように、宗教とCMCとの関係は、研究者も含めて大いに注目されている領域であり、そのトピックは田村貴紀により次の3点に分類(注5)れます 。
(1)CMC上で形成される人間関係(相互作用とアイデンティティー)
(2)儀式やシンボルの意味形成
(3)組織変容あるいは人の出会い方の変容
さて、日本に眼を向けると、インターネットと宗教に関する論文・文献の主要なものは次の通りです。
インターネットの歴史はまだまだ浅く、宗教の分野においてインターネットを伝道の手段として利用するようになってから、まだ約10年が経過しただけです。
日本の宗教団体のインターネット利用について、具体的な信者間による利用の実態については、幾つかの事例研究がありますが、特にサイト主催者などの情報発信者を中心として発信者側の利用実態について、そして信者間でどのようなコミュニティーが形成されているのかを研究していくことは重要でしょう。
特に、近年急速に広まっているブログにより、信者間の横の連携が強化され、宗教のあり方や、伝統様式、習慣など大きな影響を及ぼすことが考えられます。
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【国内の関連論文・文献一覧】
■『ネット時代の仏教の展開』志茂田誠諦 2001
■『コンピュータ・ネットワークの普及と宗教的行為の変容に関する調査研究 (継続)』黒崎浩行・葛西賢太・川島堅二・田村貴紀・深水顕真 2000
■『現代のメディア・コミュニケーションにおける宗教的共同性: キリスト教系メーリングリストの場合』黒崎浩行 2000
■『コンピュータ・ネットワークの普及と宗教的行為の変容に関する調査研究』
黒崎浩行・葛西賢太・田村貴紀・深水顕真 2000
■『「CMCと宗教」研究の視角』田村貴紀 1999
■『布教用ホームページの効用について: 広島県における仏教寺院の事例より』
深水顕真 1999
■『インターネットは地域的宗教構造を変えうるのか?: 広島県における宗教ウェッブサイトの現状』深水顕真 1999
■『インターネットと宗教』土佐昌樹 1998
■『インターネットの中の神々: 21世紀の宗教空間』生駒孝彰 1999
■『日本宗教のインターネット利用の比較分析に向けて: 神社ウェブサイトの場合』
黒崎浩行 1999
■『インターネットと宗教: カルト・原理主義・サイバー宗教の現在』
土佐昌樹 1998
■『インターネットの宗教情報: その可能性と危険性』田村貴紀 1997
■『宗教関連ホームページ(ウェッブ・サイト)主催者へのアンケート調査結果報告』田村貴紀 1997
■『インターネットの宗教的活用の現状と可能性: アメリカのキリスト教会の事例研究』川島堅二 1997
■ 『データブック 現代日本人の宗教: 戦後50年の宗教意識と宗教行動』石井研士 1997
■『インターネットの発達と宗教集団の変容』深水顕真 1997
■『インターネットの宗教情報: その可能性と危険性』田村貴紀 1997
■『精神世界のゆくえ: 現代世界と新霊性運動』島薗進 1996
■『意識通信の社会学: パソコン通信のコミュニケーション』森岡正博 1996
■『聖なるヴァーチャル・リアリティー: 情報システム社会論』西垣通 1995
■『情報時代は宗教を変えるか: 伝統宗教からオウム真理教まで』
池上良正・中牧弘允編 1996
■『現代日本の宗教社会学』井上順孝編 1994
■『情報化と宗教: 現代宗教の変容』島薗進 1992
■『マスコミの新宗教像』井上順孝 1990
■『メディアと宗教運動: コミュニケーション形式と宗教の指向性を考える』
阿部美哉 1990
■『日本宗教の情報化の現状: 高度情報化社会における個人化と宗教』石井研士 1989
■『情報社会概念の系譜と情報化が宗教に及ぼす影響』伊藤陽一 1989
■『宗教教団のメディア利用の概況: 「宗教放送等の実状」調査報告』
文化庁文化部宗務課 1988
■『情報化社会と「聖なるもの」』飯坂良明 1978
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【脚注1】
MUD = Multi-User Domain
多人数がネットからサーバーにログインし、お互いにコミュニケーションをしたり、戦闘をしたり、一緒に仮想世界を楽しんだりするようなネットゲームの総称。
【注2】
"The Sacred and the Virtual :Religion in Multi User VirtualReality" Schroeder,Ralph et al.,1998 JCMC
【注3】
ヘヴンズ・ゲート http://www.heavensgate.com/ については、次のサイトに詳しい考察がなされている http://www.ascusc.org/jcmc/vol3/issue3/robinson.html
http://www.inform.ac/infmain.html
【注4】
"Cyberspace as Sacred Space:Communicating Religion on Computer Networks" O'Leary and Brasher, 1996, Journal of American Academy of Religion
【注5】
『CMCと宗教研究の視角』田村貴紀 1999
みんなのかえうた (司会:安住紳一郎)
というコーナーは、
「あなたの日頃のうっぷんや、爆笑体験談を替え唄で歌ってみませんか!」
というコンセプトなのですが、今日(4月3日)放送の内容はどうかと思う。
自称、寺の嫁という女性が出て、さんざん暴露話をした後、
「夏のお嬢さん」の曲に乗せて次のような内容でノリノリでカラオケを披露していたのですが、
劇団員によるヤラセにしてもあまりにも酷いのでは?
以下、歌の内容-----------------------------
無事成仏
嫁のりえ子さん近所の病院まわって
営業する
葬儀はうちで
<中略>
義父は住職
愛人がいるのよ
金貢いでる
子を育ててる
法事もとばす
大工の緒方さん
ポックリと逝ったよ
すぐ駆けつけた
うちで葬儀は無理だ
緒方さん クリスチャン
具体的に調べてみました。
(少し古いデータですみません。興味ある方は http://dir.yahoo.co.jp/Society_and_Culture/Religion/Faiths_and_Practices/
から最新の数字を拾ってみてください)
次の表は、それをまとめたもので、文化庁宗教年鑑に登録されている宗教法人数の割合と、Yahoo JAPANに登録されているサイト数を比較したものです。
表1 日本の宗教別サイト数と法人登録数 |
||
Yahoo登録件数 |
文化庁登録法人数 |
|
キリスト教 |
881件 (40.5%) |
4,177 (2.3%) |
神道 |
267件 (12.3%) |
85,343 (46.7%) |
仏教 |
872件 (40.1%) |
77,681 (42.5%) |
その他 |
155件 (7.1%) |
15,458 (8.5%) |
計 |
2175件 (100.0%) |
182,659 (100.0%) |
これを見ると、神道の法人数に対する登録Web siteの相対数が極端に低く、キリスト教の相対数が高いのが目立ちます。
このように、宗教宗派によってWeb siteの割合が異なる現象は、日本だけの現象ではありません。
例えば、Jeff Zaleskiは、“ The Soul of Cyberspace “のなかで、
キリスト教世界では、カトリックにおいて教会の権威と聖職者の位階制が支配的なため、双方向的で水平的なコミュニケーションをもたらすインターネットの利用へと向かいにくい。
このことがカトリックとプロテスタントのサイト数の格差に影響を与えている
と指摘しています。
また、既存の秩序の枠組にとらわれないカルト集団やサイバー宗教にとっては大変居心地のよい環境を提供しており、早い時期から積極的利用が進んでいることがいえるでしょう。
仏教について見てみると、仏教カテゴリーへののYahoo登録サイト数は、法人約100件に1の割合であり
、Web site の利用がまだまだ一般的でないことを物語っているといえます。
もちろん、Yahooに登録されていないようなサイトも多いとは思いますが、それにしても、この程度なのでしょうか・・・・
CMC利用については、伝統宗教よりも、新宗教系の方が盛んに行われています。
特に、新宗教系では、公式サイトよりも、信者の作成するサイトが多いことに圧倒されます。
何が言いたいかといいますと、只でさえ、仏教カテゴリーへののYahoo登録サイト数は、法人約100件に1の割合でしかないこと、伝統仏教の檀家さんなり信者さんが伝統仏教について出されているサイトも、あまり見かけないことを考え合わせるに、ネット上の情報量による宗教勢力は、実際の宗教勢力と大きく異なるということなのです。
曹洞宗は、全国に1万4千の寺院があります。宗侶の数は約2万人。
仮に、2万人の宗侶がそれぞれ何らかの形で情報発信したら、それは半端じゃない情報量となるでしょうね。(さらに檀家さんも含めたらもっともっとすごいでしょう)
同じ曹洞宗であっても、各寺院、宗侶で、それぞれ少しづつ考えが異なっていると思います。知識も特技も異なるでしょう。様々な視点から曹洞宗というものを見ることができるし、こんな考えもあるのか!と新たな発見もあるでしょう。
お互いの研鑽にもなります。
先日、報道機関は不偏不党であるべきか というトピックスにおいて、
多くのメディアがそれぞれの主義・主張をもち、情報を発信していくことにより、結果的には、総体による不偏不党が実現できます。
いわゆる、偏りのるつぼという状態が、逆に「不偏不党」を生みだすのです。
と書かせていただきましたが、それぞれの宗侶がれぞれの主義・主張をもち、情報を発信していくことにより、結果的に、「曹洞宗」という総体の情報となると言っても良いと思います。
最近流行しているブログは、このような情報発信に最適な手段ではないでしょうか。
最新の世相に対する論評でも、2万宗侶からのアプローチがあったら、それだけで、充分影響力のあるマスメディアになります。
・・・・・というのが理想なんでしょうけれども、なかなかそうはいきませんね。
ネットワークの本当の力を発揮するのは、それなりの数のサイトが有機的に繋がっていることが前提なのですが、まだまだ点と点が少しづつ繋がりつつあるかな?といった段階でしかありません。
元オウム真理教信者の高橋君が「お寺は単なる風景に過ぎない」とコメントしていましたが、僧侶たるもの、もっともっと積極的に情報発信していかなければならないでしょう。
もう一つ、データを出してみます。
貞昌院の位置する横浜市の人口は、 3,560,370人、世帯数は 1,490,358 戸となっています。 (平成17年3月1日 横浜市総務局行政部統計解析課)
伝統仏教寺院数×平均檀家数を 約 200,000 戸と推計すると、残りの 約1,300,000 は菩提寺を有しない世帯(もちろん、他宗教の信者もこの中に含まれています)となります。
となれば、この、1,300,000 世帯 (実に87%程度) の方々に何らかの情報発信をする術とは????ということを真剣に考えないといけないでしょう。
追記:もちろん、CMCによる情報発信だけでなく、「辻説法をしてみよう」 (tenjin95さんのBLOG参照)のような具体的行動も必要でしょう。
【資料:表1の詳細内訳】
キリスト教系 |
神道系 |
仏教系 |
その他 |
┗アート (5) ┗イベント (1) ┗解説 (14) ┗カウンセリング (2) ┗企業間取引 (BtoB)@ ┗休日 (2) ┗教育 (3) ┗教会 (187) ┗共同体 (1) ┗教派 (539) ┗個人的な体験 (10) ┗再建主義 (1) ┗出版社@ ┗出版物 (3) ┗ショッピングトサービス@ ┗書店@ ┗神学 (9) ┗神学校 (3) ┗聖職者 (14) ┗聖書研究 (11) ┗聖書 (12) ┗創造か進化か@ ┗団体 (16) ┗チャットと掲示板 (5) ┗デボーション (1) ┗伝道団体 (4) ┗メーリングリスト (5) ┗メディアとニュース (15) ┗リソース (2) ┗他(12) |
┗解説 (2) ┗教派神道 (35) ┗宮司 (1) ┗神社 (220) ┗団体 (6) ┗ショッピングトサービス@ ┗企業間取引@ ┗他(1) |
┗浄土 (150) ┗真言 (162) ┗禅 (134) ┗天台 (42) ┗奈良仏教 (10) ┗華厳宗 (2) ┗日蓮、法華 (135) ┗アート (24) ┗イベント (1) ┗解説 (11) ┗企業間取引@ ┗経典 (8) ┗原始仏教 (1) ┗寺院 (97) ┗宗派 (33) ┗出版社@ ┗巡礼 (11) ┗ショッピング サービス@ ┗書店@ ┗団体 (11) ┗チベット仏教 (4) ┗チャット掲示板 (3) ┗人々 (6) ┗密教 (2) ┗リンク集総合情報(7) ┗他 (15) |
イスラム教 (8) オウム真理教(アレフ) (5) 大本 (4) 御嶽教@ 救世神教 (1) 幸福の科学 (6) 金光教@ サイエントロジー (3) ジー・エル・エー (2) シャーマニズム (1) 修験道 (10) ニューエイジ (20) 神秘主義 (2) 神幽現救世真光文明教団 (2) 生長の家 (12) 晴明教 (1) 世界救世教 (1) ゾロアスター教 (1) 天道総天壇 (1) 天理教 (24) 道教 (3) パーフェクトリバティー教団 (4) バハイ教 (4) ハレークリシュナ (1) 白光真宏会 (2) 平和教 (1) 法輪功 (2) 妙智會教団 (1) 無神論 (1) ラーマクリシュナ・ミッション (1) 霊波之光 (1) 黎明教会 (1) 他(39) |
この問いに対して、私は、個としてのジャーナリズムは不偏不党であるべきではないけれども、ジャーナリズム全体としては不偏不党の状態を形成することは可能であろうし、それが望ましい姿であるという意見です。
一般的に、個々の報道機関は、不偏不党であることが健全な状態であると考えられがちです。
しかしながら、仮に全てのジャーナリズムが完全に不偏不党であるとしたら、その最たる状態として考えられるのが、強力な権力の管理下におかれている一極に偏ったメディアによるジャーナリズムしか存在しない状態か、メディアが単体しか存在しない状態です。
このような状態が本当にわれわれのためのメディアと言えるのでしょうか。
ジャーナリズムというものは、本質的に不偏不党ではありえないものであると考えられます。
何となれば、あるニュースソースに対する捉え方は、個人やメディアによって必ず差異が存在するものであるからです。
また、各メディアのもつ資本的・歴史的背景などから、特定の政党もしくは思想に偏った発信を行うのは、致し方ないことでしょう。
さらに、各メディアの伝えられる報道量も、必ず物理的な制限があるため、ここに情報の取捨選択、取り扱いの大きさについて、主観が入ることは避けらません。
このような差異は、個人やメディアのもつバックグラウンドから生じているものであり、そのためにそこから発信される報道には、個人やメディアの意志が少なからず反映されのが健全な姿なのです。
ただし、個性を出すといっても、政治に近づきすぎたり、スポンサーの影響を受けたりしたのでは問題です。
せめて、スポンサーに影響されないよう、また、テレビ放送で言えば、民法のニュース時におけるCMを無くすなど、メディア側独自の努力が必要だと思います。
新聞を例に取ると日本の新聞メディアは欧米の新聞と比較して偏りが少ないと言われます。これは、不偏不党を前提として報道しているということもあるかも知れないですが、日本の新聞の発行部数が欧米の各紙に比べて格段に発行部数が多いことにも原因がありそうです。
多くの購買者を対象とするために、各紙の個性を出し切れていないのではないでしょうか。もっと特徴を出しても良いのではないかと思います。
このことを踏まえ、一つのニュースを、様々なメディアを通して受け取るということはとても重要なことであると考えます。一つの事象を多方面からの切り口から眺めることによって、それぞれのニュースが正しく報道されているのか判断ができることもあります。
また、賛成側、反対側の二者の意見を客観的に比較できるということも重要です。私たちは、情報の受け手として、多様な形態の情報を受け取り、どのようにメディアが機能しているのかを充分に考えていくように努めていかなければならないでしょう。
冒頭に述べたように、私の主張する所は、メディアごとに個性を大きく出したほうがよいであろうということです。
それにより、却ってメディアの主張が明確となり、一つのニュースに対して様々な視点をもつことができます。
情報の受け手は、その様々な主張を含んだ情報を、自分の意志で「偏り」を承知した上で受け取ることが大切です。多角的な視点から一つの事象を知ることができ、総合的に判断すること、さらに個人が一度選んだメディアを、取捨選択しながら、自分の意見を形成することができます。
多くのメディアがそれぞれの主義・主張をもち、情報を発信していくことにより、結果的には、総体による不偏不党が実現できます。
いわゆる、偏りのるつぼという状態が、逆に「不偏不党」を生みだすのです。
今日は檀信徒総会の後、近隣の寺院で行われる晋山結制・首座法戦式の最終準備もあり、特に忙しい一日でした。
曹洞宗の僧侶は、いくつかの段階を経なければなりません。
(1)得度(とくど=父母の恩愛を断ち、落髪して出家となる)
(2)立身(りつしん=修行道場で修行を重ねた上、修行僧の集団の中でリーダー役である首座(しゅそ)を一定期間つとめる)
(3)伝法(でんぽう=釈尊の法は、代々人格的なふれあいの中で伝えられてきた。師匠の法を正しく伝えられて一人前の仏弟子となる)
(4)瑞世(ずいせ=両大本山永平寺、總持寺本山に登り一夜の住職となり、両祖さまに導師として報恩の諷経をする)
(5)住職(一寺の責任者となり、仏に代わって法を人々に説く)
(6)晋山(しんさん=新しい住職として、その寺院に正式に入る)
(7)結制(けっせい=自らの寺で修行僧を集め、一定期間、安居生活を行じる)
というものです。
首座は、第二番目の段階で、修行僧のリーダーをつとめるわけですが、その締めくくりとして、住職に代わって説法を許され、大問答を繰り広げます。それが法戦式という儀式です。
今回の禅問答のテーマは、『従容録(しょうようろく)』の達磨大師に関する部分が選ばれました。
諸老師に説法のご挨拶に回ったあと、竹篦(しっぺい)という弓を預かり、いよいよ問答開始。
今日の習義では、礼拝、歩行の作法の最終確認を行いました。
首座法戦式(しゅそほっせんしき)は、行持綿密を旨とする曹洞宗の特徴が出ている儀式といえます。本番まで一週間。首座をつとめる慈光上座が、どのような禅問答を展開してくれるのか、楽しみです。
豆知識:「しっぺ返し」ということばは、この竹篦が語源となっています。
しっぺ返しの語源・由来しっぺ返しは、もと「竹篦返し(しっぺいがえし)」。
「竹篦返し」の「竹篦」とは、座禅の際、戒めのために打つ道具で、割った竹に漆を塗った細長い板状のもの。
「竹篦」は、鎌倉時代に禅宗の伝来とともに伝わった。
大寺院の場合、高徳の僧が交代で「竹篦」を打つ役を務め、打たれた者も打ち返す立場になることから、やられたことを即座にやり返すことを「竹篦返し」と言うようになり、「しっぺい」の「い」が消え「しっぺ返し」となった。
また、人差し指と中指を揃え、手首のあたりを打つことも「しっぺ」という。
これは指を「竹篦」に見立てたもので、1603年刊の「日葡辞書(にっぽじしょ)」にも解説されており、このような行為が古くから存在したことがうかがえる。
『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/si/shippegaeshi.html
ドコモ、PHSの新規受付を終了、2年をめどにサービス停止もNTTドコモは、4月30日でPHSサービスの新規申し込み受付を終了すると発表した。ユーザーの減少に歯止めがかからず、携帯電話のFOMAに経営資源を集中させる。これに伴い、2005年3月期にPHS事業資産の減損損失などを計上、業績予想を当初見込みの7,580億円から7,220億円に下方修正した。
ドコモは、1998年にNTTパーソナル(当時)からのPHS事業の営業譲渡を受けてサービスを展開。しかし、携帯電話の通信料低価格化によって契約者の減少が続き、昨今は、音声端末からカード型の端末を使ったデータ通信にシフトし、2003年には定額制のデータ通信サービス「@FreeD」を開始。音声端末の新規開発は行わず、同社の中村維夫社長も今まで、データ通信に特化する形で事業を継続するとして、事業の売却は否定していたが、不採算が続き、事業の継続は困難と判断した。
サービスについては継続されるが、FOMAなどの携帯電話への変更を促し、早ければ2年程度でサービスを停止する考えだ。PHSから携帯電話への移行については、契約事務手数料の無料化、PHS契約期間の携帯電話契約期間としての移行といった特典を用意、端末購入時の優待も検討しており、早期の移行を促す考え。
移行の特典は4月1日から提供する。
ドコモのPHSは、今年1月末における契約数は136万9,200契約で、ウィルコムに次ぐ第2位。
また、今回の事業転換に伴い同社は、今期末の連結でPHS事業資産の減損損失約610億円、単独で特別損失約210億円を計上、2005年3月期の業績予想を、連結で7,220億円(360億円減)、単独で5,110億円(120億円減)へと下方修正している。
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2005/02/28/007.html
PHSの歴史とこれまでの流れについてはWikiペディアをご参照ください
http://ja.wikipedia.org/wiki/PHS
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・・・とても残念なニュースです。
アステルに続いてついにドコモも・・・・
思い返せば今から10年前、PHSは料金の安さ、高音質、携帯性のよさで、鳴り物入りで登場しました。家のコードレスホンをそのまま外でも使えるということと、非常に高価なだった携帯電話の通話料と比較して、公衆電話並み!と格段に安いということで、発売前から予約が殺到した時代もあったのです。
しかも、当初、サービスエリア予想マップというものが雑誌に掲載されていたのですが、都区内全域と京浜地区が全てエリアになるような
表現だったのです。
発売の年にはこのようなPHS特集記事が毎月組まれるほどの大人気でした。
これは買うしかない!!
もともと携帯電話は持たない主義だったのですが、PHSだったら手軽だし、買っても良いかな?ということで、3社の中でどれが良いか検討した結果、端末が豊富なことと、基地局のアンテナ出力が大きいこと、そして、何より自宅周辺が最初からエリアになっているということで、DDIポケットに決めました。
電話番号も希望番号が選べるということで、貞昌院の電話番号とPHSの電話番号を共通にして事前申込み、あとは7月の発売を待つのみ!
ということで、私は10年来のPHSユーザーです。
しかし、問題はすんなりいきませんでした。
何しろ、通話が安定していないし、自宅周辺では、外では通話可能なのですが、室内では通話できない。
当時は東京に通勤していたのですが、都区内でも通話できる箇所は殆んど無い状態だったのです。
DDIポケットの場合は、アンテナ基地局の調整ミスもあったようで、たとえ基地局アンテナが目の前に見えていても通話できないことも多々ありました。
これがPHSの今後の運命を大きく変えたようです。
DDIポケット側も、さすがにこれはまずいと思ったのでしょう。
発売の年の8月以降、毎月のように、詳細なエリアマップを配布し始めます。
1995年当時のエリアマップ (一部抜粋)
上永谷はかろうじて貞昌院周辺で通話可能。
この地図を作るのは、DDIポケット職員が測定しながら作成したようで、苦労のあとが偲ばれます。
それにしても、虫食いだらけですね?
そのほか
■携帯電話との相互通話が不可能
⇒これは決定的でした。
■留守番電話機能が無い
⇒ただでさえ圏外になりやすい端末なのに、キャリアで預かる留守番電話機能が無いとは・・・・・
ということで、発売当初の不手際と相俟って、鳴り物入りで発売されたPHSですが、僅か数ヶ月の間で、所詮オモチャ端末、ピッチ・・・などと言われ、PHSの元気さはどんどん失われていきました。
その後、徐々にネックとなっていた問題点も改善され、通話エリアも都市圏ではほぼ問題無くなったんですけどね。
アステルとドコモは、魅力的な端末が継続的に発売されなかったことが敗因でしょう。
対して、DDIポケット(現ウイルコム)は起死回生の端末を発売しました。
京セラのAH-K3001V(通称:京ポン)です。
【関連サイト】
京セラ
http://www.kyocera.co.jp/prdct/telecom/consumer/ah-k3001v/
WIKI
http://www.memn0ck.com/d/index.cgi?AH-K3001V
ウイルコム
http://www.willcom-inc.com/top/index.html
この端末は、Webブラウザ「Opera」を搭載していて、パソコン向けのウエブサイトもそのまま見ることができます。定額料金コースと併せて、パケットを気にせずサイトを見まくりという夢のような環境が実現できる訳です。
しかも、それだけに留まらず、ノートパソコンとUSBで繋げると、モデムとしてパケット通信もでき、こちらも、いくら使っても通信料は定額。
ドコモPHSユーザーには、サービス停止に向けて、FOMAの優待券を配布しているようですが、どうせ電話番号が変わるのなら、ウイルコムの京ポンに変えたほうがお薦めですよ。
ウイルコムだけは無くならないで欲しいという切実な思いを込めて・・・・
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追伸:
このブログは、携帯からも見ることが出来ます。
http://i.7676.net/
にアクセスしてみてください。
(アイ・ドット・ナムナム・ネットと覚えてください)
良寛町が新たに誕生
来年春の合併を目指している新潟県出雲崎、与板両町と和島村の三町村は新しい町名を「良寛町」とすることを決めました。良寛(1758-1831)は江戸時代後期の僧侶で、歌人、詩人、書家としても知られ、名誉や権力にとらわれず、人と自然を愛した生き方は今も「良寛さん」として多くの人に親しまれています。良寛は現在の出雲崎町の名主兼神主の家に生まれ、和島村で晩年を過ごしました。与板町は良寛の父親の出身地で、それぞれ「良寛さん」に縁のあることが新町名の決め手になりました。
しかし、同年10月には、三島郡3か町村の合併協議を継続することが困難な状況となり、与板町、和島村、出雲崎町の3町村議会での合併協議会廃止議案の可決を受けて、ついに11月に合併協議会が廃止されることとなってしまいました。
本当に残念です。
その経緯をまとめると、次のような流れになります。
・三島郡三島町と4町村で検討会設置:2001/11/2
・三島町が合併協議から離脱:2002/5/1
・3町村で任意協議会設置:2002/6/27
・法定協議会設置:2003/7/10
・合併予定期日:2006/3/31以前
・新町名公募上位10点:出雲崎,良寛,てまり,与板,いずもざき,りょうかん,さんとう,良寛の,いろは,三和(さんわ)
・新町名最終候補3点:出雲崎(いずもざき),たちばな,良寛
・新町名:良寛町(りょうかんまち)
・新町役場:現・与板町役場
・与板町の合併に関する住民アンケートで「合併反対」が多数
・与板町で合併問題に関して,与板町長に対する解職請求(リコール)の署名活動,与板町長が辞職(2004/5/31)→再選(6/27)
・出雲崎町議会は3町村での合併に慎重
・出雲崎町が合併協議から離脱を表明(10/15),単独町制継続へ
・和島村の長岡市との合併の是非を問う住民意向調査の結果「賛成(68.6%)」「反対(22.7%)」「その他(8.8%)」(2004/11月)
・和島村が長岡市に合併協議を申入れ(11/13)
・3町村での合併を断念,協議会を解散(11/19)
・合併協議会が破たん
・与板町の長岡市との合併の是非を問う住民投票の結果「賛成(82.1%)」「合併しない(17.9%)」(2004/12/26)
・与板町,和島村はは長岡市との合併を検討へ参考:三島郡3か町村合併協議会
http://www3.alpha-net.ne.jp/users/washima/
結局、市町村合併によって、どんな区分けになりそうかは、 小事象【SHO JISHO】さんのブログが参考になります。 http://d.hatena.ne.jp/rikuo/20050320 |
さて、良寛さんは、江戸時代に越後の国で活躍された曹洞宗のお坊さんです。
多くの逸話が残されておりますが、その話はどれもおおらかで、ユーモアにあふれ人々の心をなごませています。
子どももたちとの手毬遊びが有名ですが、漢詩をつくり、和歌を詠み、書に親しんだ文学者としても慕われています。
どれだけ慕われているかは、市町村名に挙げられていることでもよく分かります。
良寛さんの暮らしぶりは、並々ならぬ修行の毎日で、それはそれは質素で苦しいものだったに違いありません。 けれども、その厳しさは、逸話の中や作品の中に微塵も感じさせません。
私たちは、良寛さんの生きかたに大いに学ぶことがたくさんあります。
昨日、「愛語」に関連していくつかの詩をご紹介いたしましたが、まさに良寛さんは、「愛語の人」であったのではないかと思います。
そのあたりは、「越後の良寛・愛語の思想」(小林正観)に良くまとめられています。
http://www.jtb.co.jp/story/unchiku15_1.html
http://www.jtb.co.jp/story/unchiku15_2.html
http://www.jtb.co.jp/story/unchiku15_3.html
↑人生50年を他人に嫌がらせをし、嫌われ、すねてひねくれて、迷惑をかけ続け、それを言われるとますます意地悪になる人がいる。そのような人を30分で真人間にする・・・・・
ごくせんのヤンクミよりも、もっともっと凄いですね。
良寛さんは、「戒語」において、如何に相手を思いやりながら会話を進めるかを述べています。
人との会話の中で、相手の話を遮ったりしながら、そのことに気づかないことは多いものです。
逆に、相手の話をじっくりと聞いてあげることは、相手に対する思いやりでもあります。
会話を和やかに、流れるがごとく進むように、きちんと相手の話が終わるのを待ってから自分の話を始めるという心がけが大事かを「戒語」の中で箇条書きにして具体的に事例を挙げています。
いわば、「愛語」の裏返し版ともいえます。
「戒語」 言葉の多き |
参考文献:良寛の愛語・戒語 谷川敏朗(著) 考古堂
「子ども」 批判ばかりされた子どもは しかし、激励をうけた子どもは |
『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』
アーネ リンドクウィスト (著), ヤン ウェステル (著), Arne Lindquist (原著), Jan Wester (原著), 川上 邦夫
(翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794802919
「子は親の鏡」 けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる |
『子どもが育つ魔法の言葉』 PHP文庫
ドロシー・ロー ノルト (著), レイチャル ハリス (著), Dorothy Law Nolte (原著), Rachel Harris (原著),
石井 千春 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569660231
この、ドロシー・ロー ノルトの詩は、2月21日に行われた皇太子殿下のお誕生日に際しての記者会見で引用され、話題になっています。
本を実際に購入されて読まれた方も多いのではないでしょうか。
まだお読みになっていない方は 是非読まれることをお薦めします。
この詩に関しては、敢えて多くを語りません。
今日は、この詩に関連して、曹洞宗で読まれる経典 『修証義』第四章の一節をご紹介します。
原文は、福井の永平寺を開かれた道元禅師の言葉 です。
「愛語」 愛語というは、衆生を見るに、先(ま)ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり慈念衆生(じねんしゅじょう)猶如(ゆうにょ)赤子(しゃくし)の懐(おも)いを貯えて言語するは愛語なり 徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし 怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること 愛語を根本とするなり 面(むか)いて愛語を聞くは 面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす 面(むか)わずして愛語を聞くは 肝に銘じ魂に銘ず 愛語 能(よ)く廻天(かいてん)の力あることを学すべきなり |
【現代語訳】 人に優しいことばをかけるということは、他人と接する時に、まず慈しみ愛する心をおこし、 心のこもったことばをなげかけることが大切なことです。 他の人に対して、優しい気持ちになるということは 母親が自分の子どもに接するのと同じで、 そのように優しいことばをなげかけることが愛語というものです。 良い所のある人は、誉めてあげましょう。 悪い所がある人には暖かい心で接しましょう。 敵対心や誤解、ストレスというものを解消し、 みんなが優しい気持ちになれるためには、 優しいことばを投げかけることが大切なことです。 相手が直接優しいことばをかけてくれると、顔も心も優しくなります。 また、間接的に聞いても、心に染み渡ります。 優しいことばをかけるということは、お互いが優しくなれるということを知っておきましょう。 そして実行していきましょう。 参考:『良寛入門』 栗田勇(著) |
「和顔愛語」という言葉をご存知の方も多いことと思います。
簡単に言うと、愛語とは人に「やさしい言葉をプレゼントすること」です。
「愛語能く廻天の力あることを学するべきなり」とは、愛語には人を幸せにするだけでなく、人間の一生、ひいては国家、世界をも動かしてしまうほどの力があることを知りなさいということです。
この言葉から、道元禅師が愛語という「菩薩の行い(=菩薩行)」に極めて大きな力を観じていたことがわかるのではないでしょうか。
ここで言う愛語とは、名前を呼び挨拶をかける、人をほめたり微笑みかける、意見を尊重し、じっくり話を聞くなど、相手の人を認め、良い気分にさせることであります。
人はお互いを認め合い思いやりを持つことで、気持ちも通じ合います。
特に、子どもは幼いころに人格や性格が育まれます。子どもの頃に愛語の言葉や態度を多く向けることが如何に大切か、改めて考えさせられます。
最後に、この愛語についてのお薦めの本をご紹介します。
ドロシー・ロー ノルトさんの本にも負けない本です。
人間の一生をも変える愛語の力。愛語を受けて、学びや、 転じることの尊さなどを、とてもやさしい文章で語りかけています。是非読んで味わってください。
『正法眼蔵の愛語に学ぶ』 酒井大岳(著) 鈴木出版
島根県議会での「竹島の日」条例成立を受け、歴史問題と領土問題を日本に正面から提起する姿勢を強調。 「歴史問題を外交問題化しない」とした盧政権の対日政策を事実上転換し、植民地支配の被害に対する真相究明と謝罪、反省を強く求めた。 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/takeshima/
うーん、なんだかなぁ・・・って感じがします。
それに日本の国旗を燃やす抗議方法は、決して認められるものではないです。
まず、最初にはっきりさせないといけないことは、竹島について、韓国は領有権を主張しており、独島と称していますが、日本政府の立場は、当然
竹島は日本の領土である
ということです。
その論拠については、次のサイトをざっと見てください。
ALL ABOUT
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050313A/
外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/
島根県
http://www.pref.shimane.jp/section/takesima/top.html
政府官邸キッズ
http://www.kantei.go.jp/jp/kids/magazine/0302/6_4.html
ちょっと違った視点から、竹島について見てみます。
海上保安庁の作成した、プレート境界域の精密海底地形(海洋測量)を元に、当該地域を拡大してみました。
竹島は、日本の中国地方側から繋がっていることが分かります。
対して、鬱陵島は朝鮮半島側から繋がっています。
竹島(日本領)と鬱陵島(韓国領)の間に、トラフがあるわけです。
竹島の問題は、領土問題のみならず、歴史認識問題、日本海の漁業権の問題と、様々な問題が複雑に絡んでいます。
それゆえ、この問題には敢えて触れず、問題を先延ばしにしてきた観があります。
このような大きなわだかまりがあるうちは、日韓の真の友好は望めないと思います。
残念ながら、隣国及び地域(ロシア、韓国、中国、台湾など)と、日本の間で領土問題の解決を見ない箇所がたくさんあります。
漁業水域の未定部分についても同様です。
また、竹島問題以外にも日本海呼称問題もありますね。
(これもなんだかなぁ・・・って感じ)
第三国を入れて、双方の主張を出し合った上で、公平な立場で領有権を明確にしていく必要があるでしょう。
必ずしも問題に触れずに先延ばしすることが良い結果をもたらすわけではないと思います。
たとえ一時的に険悪なムードになったとしても、ひるまずに徹底的に論議していって欲しいものです。
日韓双方の良好な関係が永続的に続き、お互いに良い関係でいられる時がくるよう心から願っています。
先月、飯島夏樹さんの追悼番組『天国で逢おう』が放送されました。
飯島さんについてはご存知の方も多いと思いますが、改めてプロフィールをご紹介させていただきたきます。
飯島夏樹 (いいじま・なつき)1966年、東京都生まれ。日本人で唯一、8年間ワールドカップに出場し続けた世界的プロウィンドサーファー。マウイ、グアムを拠点に世界大会を転戦、年間約20戦に出場。世界戦で数々の入賞経験を持ち、国内大会での優勝も数多い。また、グアムでマリンスポーツセンターを起業する一方、ウィンドサーフィン専門誌「Hi-Wind」にエッセイを連載、ダイナミックな人柄を素直に記した文章が好評を博すなど、活動の幅を広げる。2002年6月、肝細胞ガンと診断される。翌年3月、肝移植を受けるため、すべてを引き払ってグアムから日本に移住するも、「移植には適さない」と宣告され、うつ病とパニック障害を併発。家族と友人の励ましにより、うつ病とパニック障害はほぼ克服したが、二度の大手術と様々な治療を施したにもかかわらず、肝臓は悪化。2004年6月、余命宣告を受け、「自分は生かされている」と体感し、偶然出逢った執筆活動に生き甲斐を見出した。家族構成は、妻と幼い子供4人。
飯島さんの公式ブログ
http://natsuki.air-nifty.com/natsuki/
実は、飯島さんは、私の妻と八王子東高校で同期(7期生)であり、卒業後、ウインドサーフィンで活躍されていることから、凄い人がいるんだよ、とよく話しを聞いていました。
高校当時は水泳部に所属していて、部活が終わると教室で大の字で寝そべってみんなを笑わせていたこと、生徒会長や体育祭の応援団長として率先してみんなの先頭に立っていたこと、そして、クラスの皆にも先生方からもとても親しまれていたこと・・・
とにかく、目立って人気者だったそうです。
卒業後は、飯島さんは琉球大学へ進み、マリンスポーツを極めていきます。その後の活躍ぶりは皆さんの知っていらっしゃるとおりです。
そして、順風満帆な生活の中、突然訪れた肝細胞ガンの診断結果。
度重なる辛い闘病生活。
しかし、飯島さんがかねてから備えている心の清らかさ、家族や友人への温かい思いやりは、「悲しみは喜びに変わる」を体現させていきました。
そして何より、彼や家族を支えてきたのは、キリスト教への敬虔な信仰なのでしょう。
そのことは、彼の日記を読めばよく分かります。
2004年12月13日DEAR 神様
突然のお便り、失礼いたします。
若かりし頃、賞金を握りしめてソープやファッションマッサージに通っていた、スケベなウィンドサーファーの夏樹と申します。
おかげさまで、いまは更生し、子供も4人いますので、そういうところからはめでたく卒業しました。
マウイ島クラでフラワーガーデンを営むT婦人からの綺麗なカレンダーを眺めつつ、このお手紙をとてもまじめにしたためています。<中略>
あなたは命よりも大切なことがあると教えてくれました。
それは永遠の命が存在するということです。
歴史上の人物が一人だけ死を克服した。その方の、計らいでいま僕は“生かされてます”。
今までは、何とかお金を儲けて、自分の力で生きてきました。でも、それは全て間違いだったと、いま気づきます。
空を飛ぶ鳥が、なぜ飢えて死なないのでしょう? なぜ、美しい花達が土だけであれだけ美しく咲き誇るのでしょう。
僕には彼らが自分で頑張って、咲き誇り、悠然と空を舞っているだけとは思えません。
あなたの配慮で全てが成り立っている、鳥も花も生かされている、今はやっとそう思うのです。
ここにたどり着くまで随分と回り道した気がします。<中略>
まだ、僕にはあなたからみて、些細なことかもしれませんが、やるべきことがあって生かされるんだとの確信も生まれました。
そして、とにかく今日という日を生かされている。
そのことにごく自然に喜びを感じました。
他人と比べて、不満ばかり言っていた頃の私には考えられない心の変化です。
熱は凄いですが、いまは家族に囲まれ、痛みから守られ、午前中の数時間を執筆活動に費やし、家族のために糧を得られることに心から感謝します。
本当によくしてくださりありがとうございました。
この日記の中に、ある方から「今、あなたが一番不幸だと思う方に渡してあげてくださいね」と戴いたプレゼント、そこに書かれていた
「あなた方の悲しみは、喜びに変わります」
この「喜び」、それが日記の最後の6行に集約されているのでしょう。
『天国で逢おう』は、宗教が、そして信仰が、死と直面する患者に、どのような心の灯を与えることが出来るのかを考えさせられる番組でもありました。
現在は、確かに医学が発達し、高水準の医療技術によって安全に命が誕生したり人の死を「先延ばし」することができるようになったかもしれません。
けれども、人の生死が「病院の中」という、日常から切り離されてしまうということが当たり前になってしまいました。
非人間的な医療設備と冷たい雰囲気の中で死に臨むことも珍しくありません。
医療技術の発達が、はたしてすべての面で人間に幸せをもたらしているのだろうかという疑問も生まれます。
「物質的の世界に向けて、ホスピスが伝える最終メッセージは、人間の精神の逆境におけるしなやかさと言うことです。何度も、何度も、私たちは、人間の内からも外からも品格が現れてくるのを見たよう思います。人間の本質について、真の成熟や究極の現実について、私たちは伝えることがあるのです」
(シンリー・ソンダースの言葉)
欧米のホスピスは、このように、「安らかな死を迎えるには」「人間らしい死を迎えるには」という命題に対して、キリスト教の伝統のなかから生まれてきたものですが、日本の伝統仏教の中にも『臨終行儀』のようにホスピスの概念を持つものがあり、そして、『ビハーラ 長岡西病院』のような仏教ホスピスもいくつか生まれて来ました。
仏教の「無量寿(=永遠の命を観想する心)」と、キリスト教信者である飯島さんの12月13日の日記とで通じる部分が多くあることが興味深いと思います。
そして、「生きている」のではなく、「生かさせていただいている」ということばも、私たちが毎日食事をとるまえに(いろいろないのちを)「いただきます」ということと繋がっています。
(生かさせていただいているということに、普段の生活の中ではなかなか気付かないんですよね)
とにかく、仏教者も、今よりももっともっとターミナルケアに関わっていかなければならない、心の支えの一助になれるよう努力していかなければならないと痛感します。
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3月4日(ハワイ現地時間)、ハワイ オアフ島・マキキ聖城キリスト教会にて飯島夏樹さんの葬儀が執り行われ、3月7日、ご遺骨はご本人とご家族の希望により、大好きだったハワイの海に散骨されました。
「いのち」 は往きよりも、還りが大事
「いのち」 は質ではなく、深さである
心よりご冥福をお祈りいたします。
数年前のおなはしです。
たまたま庭の手入れをしていると、隣の天満宮との境界にある出入り口から、かわいい笑顔が2つこちらを覗き込んでいる。
目と目が合うと
「入ってもいいですか?」
慎重な足取りで近づいて来る。
女の子は近隣の小学生で、仲良し二人組みとのこと。
「ここは何ですか?」
「さっきいた所がお宮で、ここはお寺ですよ」
神様のこと、仏様のことを手短に話すと、初めて聞いたという顔をしている。
「あれは何ですか」
と山門脇の六地蔵の方を指差す。
「皆の願い事を聞いて救って下さるお地蔵さまですよ」
「拝んでもいいですか?」
と聞いてから、二人でお地蔵様の前に行き暫く真剣な表情で手を合わせている。
満ち足りた表情で戻ってきて、
「私たち、何のお願いをしたと思います?」
「あれが欲しい、是が欲しいというお願いではないの?」
「皆が仲良く平和に暮らせますように」。
「それから最後に、お勉強がもう少しできるようにとお願いしたの」
「偉いなー。 お地蔵さまは、必ず二人のお願い事を叶えてくださるよ」
もうすぐ花祭り、午後からは花御堂を表に出すので外からお釈迦様に甘茶を掛けることが出来るようになると話すと、
「必ず来ようね」
さて、当日の午後。
午前の花祭り法要に参詣された檀家の皆さんと懇談している時、ふと外に目をやると、来ました、来ました、二つの笑顔。
参拝のし方を教えてから甘茶を振舞うと、
「この間ね、田舎に行って来たの。」
「それでね、田舎のお婆ちゃんに仏様のことをたくさん教えてもらって来たの・・・・・・」
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最近では、昨今の世相を反映してか、大人でさえご先祖さまや、大自然を敬う心を失って身勝手な行ないをする人も増えているように思えてなりません。
けれども、そんな中で、お彼岸や休日などにお墓参りに来られる人は逆に多くなりました。
特に子ども連れでお墓参りをする家族が以前に増して多くなり、お墓も明るい雰囲気に包まれています。
また、ご法事での寺参りも子ども連れで参詣される家族が多くなりました。親に倣って、かわいい手つきでお焼香をしています。
「子は親の背を見て育つ」
この言葉を思い出させる爽やかな出会いでした。
子供たちの理数系離れが進んでいると言われます。
具体的なデータは下記にあります。
http://www.i-cube.co.jp/mirai/02autumn/suugaku/data.html
特筆すべきは
■科学技術に知識を持っている一般市民の割合
高い順にデンマーク、イギリス、オランダ・・・・・
日本は深い知識をもっていると答えた市民は僅か数パーセント。
■数学を「好き」あるいは「大好き」だと思っている生徒の割合
調査37カ国中36位・・・・
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/index.htm
これでは技術立国の看板が泣きます。
大学が理系と文系に明確に分かれているという教育システムも問題ですが、大学で専攻を選択する際に、理系では大学生活を楽しめない、暗い、勉強が大変などの理由で、理科系が敬遠されてしまうようです。
文部科学省では、平成14年度から科学技術・理科、数学教育を重点的に行う「スーパーサイエンスハイスクール」を指定して研究を進めています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/04/020416.htm
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奈良県の西大和学園高校では、奈良先端技術大学院大学、京大、東大と連携し、最先端の遺伝子研究や生物学の講演を始めた。-----------------------------------------------
「中学や高校の生物の授業とはまた違う、新しい面を見られて面白かった」(2年・男子)
「クローン技術を完成させるのにさえかなりの長い年月が費やされてきていて、科学技術にゴールはないのだと実感できた」(2年・男子)
と感想を述べている。
いわゆる体験型の授業とも捉えられる試みだが、今村浩章西大和学園校長は「目標大学を目指しながらなおも余裕のある生徒」のために、この試みに着手したという。基礎学力を十分備えた生徒には、このような体験が刺激となって、創造的な「ひらめき」が生まれてくるだろうことは想像に難くない。
理数系の科目を学習するには、基礎学力が必須です。
つまり、基礎時点でつまづいた生徒にとっては、それ以降の理数系の授業は理解できず、苦痛でしかないし、逆に基礎がしっかり身についている生徒は、自分なりに消化し、それを元に、自分で興味ある新しい分野で独自的な解法をつくりだすことができ、こんなに楽しいことは無いと感じます。
数学者・遠山啓氏は、「数学、科学一般におけるもっとも重要な手段」の特徴として「一般性」「分析と統合」などを挙げています。
子どもがおもちゃを分解する行為に例えれば
「分析」=「構造やからくりを知ろう」とする過程
「統合」=「それぞれの部品を組み立てたりつなぎ合わせたり」して、再構築する過程
これにより
「一般性」=日常生活の中でも、周囲の情報をさまざまな角度から「分析」し、それらを総合的に「統合」することによって正確な理解が得られる
ということなのですが、これはメディアを読み取り、総合的に発信する力、メディアリテラシーについても同様です。
蛇足ですが、遠山啓氏の本について、私も、私の弟もボロボロになるくらいに読んでいた「算数の探検」という本が、絶版になってしまっています。
復刊に向けて協力をお願いいたします。
http://homepage.mac.com/kamenoseiji/Sansuu/index.html
最後に、
先日のH2Aロケット7号機の打ち上げにより、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は
今後5年間は、H2Aロケットの信頼性向上や国際宇宙ステーションでの技術習得
10年後までに月面探査ロボットを開発。宇宙ステーションに物資を輸送する無人補給機「HTV」の実用化
20年後には、有人基地の開発に着手、有人再使用輸送機の独自での開発着手を目標
ということで、今後20?30年で有人宇宙活動を可能にするという政府方針と併せて、夢のある計画が進んでいます。
子供たちに、是非理数系の本当のおもしろさを理解していただけるような教育環境を整備して欲しいものです。
今日は、子供たちの死生観に、少なからず影響を与えているであろう「コンピュータの作り出すサイバー空間」が、リアリティー感覚にどのように影響を与えるのかを少し真面目に考えてみましょう。
マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan)は次のように述べています。
「どんな時代でも、新しいメディアが登場すれば、種類のいかんを問わず、それ以前のメディアのパターンを身に着けた人々からすぐに擬似のレッテルを張られるであろう」
このことは、私たちを取り巻く環境は、いつの時代もメディアによって構成されるものであって、現実―擬似という対立的な区別はもともと存在しないという指摘といえます。
言い換えると、私たちが抱く非現実感、擬似的な印象は、古いメディアに囲まれた環境にいるものが、新しいメディア環境に接したときに感じる違和感でしかないということです。
例えば、文字を石版に記録している段階、文字を木片や紙に写した版木で大量に流布できる環境になった段階、活版印刷と製本により自由な組み合わせの印刷物が大量に製造できるようになった段階、新聞の普及により、即時的に情報伝達が出来るようになった段階、ラジオやテレビでの伝達手段が普及した段階、そして、CMCなどのニューメディア活用の段階など、それぞれの段階において、私たちは環境の変化を強いられてきた訳ですが、それぞれの初期段階で非現実感、擬似的な印象が生じています。
その度に違和感の克服が繰り返されていくのですが、映画を例にとれば、ベンヤミン(Walter Benjamin) は「映画は知覚の無意識を発見する」 と述べたように、例えば歩き方を、スローモション撮影することにより、私たちは常に見たことのないような映像による新しい感覚を得ることができるということなのです。しかし、それは時間が経つにつれて、いわば「慣れ」によって違和感の克服がなされていくわけです。
このように、メディアが人間のリアリティー感覚を変えるという現象は、決してコンピュータの作り出すサイバー空間の登場が最初ではありませんが、しかし、コンピュータの作り出すサイバー空間の登場によって、違和感の克服が困難になるほど、社会環境、生活世界は劇的に変わりました。
具体的には経験世界の構造変容、生活リズムの変化などが生じているといえます。
生活世界の多元化は、リアリティー感覚の喪失をもたらし、何がリアルか分からない状況を生み出すのですが、スヴェン・パーカーツ(Sven Birkerts)によると、コンピュータメディアの発達によって少なくとも3つのものを我々は失うといいます。
1つめは言語の衰退
2つめは歴史的なものの見方の平板化
3つめは個性的な自我の衰微
です。
「いつの日か、われわれは自分の公的かつ私的な生活を、極めて濃密な《ネットワーク》の中で、また同時に起こる情報の極めて多くの《通信路(チャンネル)》の間で処理することになり、その結果、主観的個人主義の識別について云々することは、ほとんど意味をなくさなくなるであろう」との指摘です。
大澤真幸は、「テレビでニュース解説者の表情を見ていると感情が通じているなどと直感します。その人の顔をにらんでいると、向こうでもこちらをにらんでいるんです。アナウンサーの感情がこちらに伝わってくるばかりでなく、自分の感情もアナウンサーに伝わり、その反応が声に出ます。何か自分を引き付けるものがあり、テレビの前から離れることが出来ない。自分がテレビを見ているのか、テレビが自分を見ているのか分からなくなって酷く混乱してしまう」という統合失調症の患者の事例を出し、正常な人間であっても、テレビに没頭する人が、ふと我に返ったときに何らかの違和感が生じたとすれば、統合失調症患者に通じる体験をしていると指摘しています 。
コンピュータの作り出すサイバー空間での戯れにおいては、別の感覚への自己の分離がテレビよりもさらに明確にこのような起こるかも知れません。
つまり、シミュレーションゲームなどは、コンピュータによって生成された仮想的な状態により別の自己を演じることが前提とされているのですから、本来の自己の持つ現実感覚とは切り離され、メディアと接続されたことによる別の世界の感覚を持ちやすい性質をもつ訳です。
その理由は、コンピュータの場合はテレビのように受動的に見るのとは異なり、能動的に画像や音声に働きかけるからなのです。
井上順孝は、身の回りにコンピュータやインターネットがある中で育ってきた世代の増加とともに、日常の空間とは仕掛けが異なるサイバー空間での戯れが、現実と混同されてしまったり、現実を凌駕する影響力を持つ可能性を指摘しています。
例えば、コンピュータでゲームをしているときに、実際にそのゲームの世界の中にいるかのような仮想体験をする場合、その仮想世界での感覚は、現実に戻ったときには、現実の感覚に戻る(日常の感覚にもどる)のが通常でしょう。
しかし、その経験が積み重ねられて内在化することによって、その感覚が新たなものへ変化することもあるでしょう。特に、精神的に未発達なこどもたちにとっては大きな影響を与えるかもしれません。
このように、新たな感覚様式の枠組みが形成されたとき、私たち、特に子供たちににどのような影響をもたらすのかを検証することが必要であると思います。
(つづく)
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【参考文献】
『複製技術時代の芸術』 晶文社クラシックス ヴァルター ベンヤミン (著), 佐々木 基一 (編集), Walter Benjamin (原著)
『グーテンベルクへの挽歌 エレクトロニクス時代における読書の運命』 スヴェン・バーカーツ/著 船木裕/訳 青土社 1995年
『電子メディア論 身体のメディア的変容』大澤真幸 メディア叢書
『インターネット時代の宗教』井上順孝編集 新書館
仮想現実はVirtual Realityの和訳として、コンピュータの普及やネットワークの進展とともに近年盛んに用いられる用語です。
けれども、これは「狭義の」意味の仮想現実であるといえます。
ここでの「狭義の」仮想現実とは、コンピュータ上に人工的に構築した環境の中で、視覚や聴覚、触覚を通じて、空間を移動したり、状況の変化を体験したように感じることができるシステムにより作り出されるものをいいます。
それに対して、「広い意味での」仮想現実は、まさに、人間と有史以来密接に結びついてきた概念であるといえます。
ヴァーチャルな世界との関係は、決して近年になってようやく生まれたものではありません。古来から人々は仮面をかぶり、歌い、踊って、聖なる世界を作り出し、それを共有してきたこともその一例です。
さらに、文学や芸術などは、非日常体験を楽しむものであり、物語や作品の中に描かれている世界にのめり込むということは、心の中に仮想世界がイメージされ、その仮想世界で様々な体験をするということです。
この場合は、小説や絵画が人間の心の中に仮想世界を創りだすためのメディアとして働き、創られた仮想世界は、様々な感情を喚起する作用を及ぼします。
文学や芸術に触れたときに生じる仮想的な感覚は、ある意味では一時的な感覚変容によるものであり、それにより持続的な知覚・認識・思考様式の転換を派生させます。
このように、仮想現実はさまざまなメディアを通して作り出されるわけですが、根本的な感覚変容が、文字言語というメディアから、コンピュータメディアへと転換する際に、どのように私たちに影響を及ぼすのか。これはとても重要な研究課題といえるでしょう。
神戸で発生した小学生殺害事件を分析して「子どもたちは『たまごっち』の世界というか、命の通わないゲーム機を中心とした遊びの中で、感情や言葉をぶつけ合い他人の心の動きを感じとる機会をなくしてしまった。今の段階では個人の資質が犯行にどの程度影響したのかはわからないが、このようなヴァーチャル・リアリティー(仮想現実)文化がその背景にあったことは間違いない」 との評論(註1)が発表されました。
その半面、逆に「ヴァーチャル・リアリティー(仮想現実)の生き物で遊ぶ『ポケモン』や『たまごっち』などが、子供たちの目を現実の自然へ向けるのに一役買っている」 と長所を指摘するものもあり(註2)、成長過程の子供に与える影響については研究者により様々な意見があります。
これらを踏まえて、昨年発生した長崎県佐世保市の小6女児事件を受け、長崎県教育委員会が県内の小中学生を対象にした「生と死のイメージ」に関する意識調査を見てみましょう。
この調査結果は、新聞報道では次のように報道されました。
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児童生徒の15%が「死者は生き返る」・長崎県調査
長崎県佐世保市の小6女児事件を受け、長崎県教育委員会は県内の小中学生を対象に「生と死のイメージ」に関する意識調査を実施。「死んだ人は生き返る」と思っている子供は全体の15.4%に上り、小学生よりも中学生の方がその割合が高かったとする調査結果を24日発表した。
調査は、同事件の加害女児(12)の少年審判の決定が女児の特性について「自己の経験や共感に基づく『死のイメージ』が希薄」と位置付けたことを受けて実施。県内公立校の小学4年と6年、中学2年の計約3600人から回答を得た。
「死んだ人が生き返ると思いますか」との問いに「はい」と回答した児童・生徒は小学4年14.7%、小学6年13.1%、中学2年18.5%で、中学生が最も高かった。
その理由についてたずねると、約半数が「テレビや本で生き返る話を聞いたことがあるから」と答え、全体の29.2%が「テレビや映画で生き返るところを見たことがあるから」、7.2%が「ゲームでリセットできるから」と回答した。
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この報道は、明らかに人工の仮想現実感=悪影響という立場で、ある意味偏向されて報道されていると言えます。
↓のブログでそのあたりが分かりやすく書かれています。分析が面白いのでご紹介します。
http://u8.livedoor.biz/archives/13011933.html
ヴァーチャル・リアリティーの生き物がリセットして生き返るから、人間も同じ様に生き返ると思っている子供がいるとすれば、それはヴァーチャル・リアリティーの生き物が悪いのではなく、現実の人間や生物の生死から子供たちを隔離してしまった社会や家庭が悪いというのが私の考えです。
生命の尊さ、死別の悲しみを経験した子供は、きちんとした現実と仮想現実感との区別は出来るはずだと思います。
このことについては、追って考えてみることにします。
(註1)神戸小学生殺害事件『生死の境目見えぬ子ども』安斎育郎(1997/7/28)
(註2)『自然愛も育てます――ゲームが子ども変えた!?』(1998/1/24『朝日新聞』)
所要で福岡まで出かけていました。
昨日、福岡空港から羽田への帰りの出来事です。
搭乗案内も順調に進み、定刻どおりに飛行機は滑走路へ向かう誘導路を進んでいきました。
滑走路に入り、今まさにフルスロットル・・・・という瞬間に、何やら機内が慌しくなってきました。
フライトアテンダントの方々がバタバタと通路を駆け巡っています。
やがて、機内放送で
「お客様の中で、お医者さんか医療関係におつとめの方はいらっしゃらないでしょうか」
とのアナウンスが流れます。
ドラマでは良く見る光景ですが、こんなこともあるんだなぁと驚きました。
患者は少し離れた席に座っていたので状況はよく分かりませんが、やがて2人くらいのお医者さん?が診療を始めました。
20分くらい経過したでしょうか。
「機内に急病の方がいらっしゃいますので、一度搭乗ゲートに戻ります」
と機長からのアナウンス。
機内は、まあ、仕方がないか・・・といった雰囲気が漂います。
当の座席の周りでは、相変わらずフライトアテンダントやらパーサーが動き回っています。
やがて飛行機は空港ビル脇に駐機し、大きなリフトのような車が横付けされました。
「ただいま、急病の方の降機手続きをとっています。携帯電話は機内では使えないため、機体前方にタラップを用意しました。
電話連絡される方は前方出口からタラップに出て通話ください。なお、地上に降りることは法令上禁止さています」
午前便のため、皆さん午後の会議があるのでしょう、機長のアナウンスに、乗客が一斉に機体前方に向かいます。
やがて
「すみません、一度に移動されると機体のバランスがくずれますので、一度戻ってください」
初めから、こういう事態が予測されるから、よく考えて案内すればいいのに・・・と心の中でつっこみながら、そんなことで機体の
バランスがくずれるものなのかということに驚き。
出発予定時刻から40分くらい経って
「降りていただく患者さんの手荷物を2個降ろすため、あと30分ほどお待ちください」
このアナウンスがあって、機内の空気はさらに重くなります。
さらに15分くらい経過した時、いきなり隣の席の男性がフライトアテンダントに怒鳴りつけました。
「患者の手荷物を降ろすのは何故だ!患者だけ降ろして、手荷物は積んだままにして、羽田から荷物を折り返せばいいだろう。お陰で午後の会議がパーになるかもしれない。機長を呼んで来い!!」
まあ、最初の一行は正論として、その後グダグダとフライトアテンダントに大声を張り上げます。
あまりにも五月蝿いので、
「もう、手荷物の降ろしてしまっているし、こんなところで文句を言っても仕方がないですよ」
と私が言うと
「こんな不条理なことがあるか。ちゃんと言わなきゃ、また同じことを繰り返すだろう」
さらにヒートアップします。
「みんな、一生懸命やっているのだし、普段の訓練どおりに手順を踏んでいるのだから、もしその方法に問題点があると思うのなら、こんなところで大声を張り上げずに、本社にでも手紙でも書けばいい」
と私が言うと、声を荒げるのをやめてくれました。
その間フライトアテンダントは付っきりでひたすら謝り続けています。
その後、男性は私の言うことに納得してくれたのか、フライトの間中、便箋に何かをしたためていました。
(分別のある方で良かったです)
よく、交通機関の事故などで、ダイヤが乱れたりして構内が混乱することがあります。乗客たちの一部は駅員たちに詰め寄って文句を言ったりする光景も良く見られます。
けれども、混乱した現場において、そこで文句を言っても何も生まれないし、何も解決もできないでしょう。
係員に無駄に対応を強いるよりも、とりあえず事故処理に集中してもらったほうがずっと皆の(自分のためにも)なると言えます。
とにかく、今日はいろいろな意味で貴重な体験をさせていただきました。
最終的に、出発は一時間ちょっと遅れてしまったのですが、機長が「飛行機の性能を生かしてできるだけ早く到着するようにします」との言葉どおり、約10分ほど遅れを取り戻して、無事羽田に着陸しました。
【追記】
(1)帰ってから改めてサイトを見てみると、
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsasem/sora_tabi_meeting/2001_5.html
当社運航便における急病人の発生
国内線では1000便あたり0.99件、国際線は1000便あたり5.43件。
へぇー、やはり滅多にないことだったんですね。
(2)飛行機を降りる時にフライトアテンダントのかたから自筆のお礼のメッセージカードを戴きました。
丁寧な心遣い、ありがとうございました。
貞昌院檀家さんのキャシーさんが新ユニットを組んで活動を始めました。
メジャーデビュー目指してがんばっています。
★BASS キャシーの新ユニット
「一期一会」活動中!
問合せ: funaking@t.vodafone.ne.jp
http://www.takomasaru.net/CANDY/index.shtml
一期一会とは、一生に一度限りの機会。
一期一会の語源・由来
一期一会の語源は、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ」といった、茶会の心得からである。
利休の弟子「宗ニ」の『山上宗ニ記』には、「一期に一度の会」とある。
「一期」と「一会」をそれぞれ辿ると、「一期」は仏教用語で人が生まれてから死ぬまでの間を意味し、「一会」は主に法要などでひとつの集まりや会合を意味しており、仏教とも関係の深い言葉である。