私のお墓の前で泣かないでください

テノール歌手秋川雅史が紅白でブレーク

昨年末のNHK紅白歌合戦で「千の風になって」を歌ったテノール歌手秋川雅史(39)が大きな反響を呼んでいる。オリコン調べで紅白出演歌手の歌唱曲売上上昇率が約1カ月で338・1%を記録。2位の長山洋子「絆(きずな)」の125・2%を大きく引き離した。デイリーチャートの演歌・歌謡曲部門では2日付で1位に躍り出ると6日付まで首位をキープ。総合チャートでも、昨年12月31日付で15位だったのが4日付で2位に浮上した。
死者が残された人に向け「私のお墓の前で泣かないでください」と説く歌詞が、多くの人の心を打った。秋川の公式サイトには「感動の涙が止まらない」などのコメントが多数寄せられ、アクセス数は年明けから5万件を突破。昨年までの100倍ペースの人気ぶりだ。3月からは初の全国ホールコンサートツアーも決まった。紅白を通じて全国区になった「千の風になって」が春風に乗り、各地に届く。
http://www.oricon.co.jp/news/music/41055/


世界各地で行われる戦没者慰霊祭などで、よく朗読される詩を新井満さんが訳し、歌にしたのか、冒頭のニュースの「千の風になって」です。
先日の紅白歌合戦に登場してから、一気に全国の視聴者の心に響き渡り、大反響を呼んでいるようです。
思えば、昨年は、「命」という漢字に象徴されるように、命のあり方を考えさせられる事件が多発しました。
かけがえのない愛する人を失ったときに、その深い悲しみにどう立ち向かっていけばよいのか。
この詩は、きっと、その答えの一つを導きだしてくれるものです。


詩は、「私のお墓の前で泣かないでください・・・」という言葉で始まります。
けれども、ぐっとこらえても、どうしても涙はとめどなく流れてしまう。
涙は何故流れるのだろう。
しかし、思いっきり泣いて、涙が枯れた後で、気づくことはあるのです。

この詩は、愛する人を失いとめどなく涙を流した経験を持つ人の心にこそ響くものなのでしょう。


『千の風になって』 (新井満訳詩 講談社) も併せてご紹介します。



千の風になって
著者/訳者名 新井満/日本語詩   講談社 (ISBN:4-06-212124-7)
発行年月 2003年11月

9.11米国、同時多発テロで、父親を亡くした11歳の少女が、一周忌に朗読した。
IRA(アイルランド共和軍)のテロで命を落とした24歳の青年が、“私が死んだときに開封してください”と両親に託した手紙の中に、この詩が入っていた。
女優マリリン・モンローの二十五回忌に朗読された。
朝日新聞『天声人語』が紹介し、大反響となった“死と再生の詩”作者不明の英語詩を、作家・新井満が日本語詩に。
「千の風になって」出版社/著者からの内容紹介より
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31207042&pg_from=rcmd_detail_1



各国の慰霊祭で朗読され、新井満さんが訳したした作者不明の英語詩は次のようなものです。


A thousand winds
(Author Unknown)

Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumun's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

これを訳した新井満氏の詩については、新井満氏のサイトをご参照下さい。
http://www.twin.ne.jp/%7Em_nacht/1000wind/1000wind.html

さて、この作者不明の英語詩については、作者のはっきりした原詩があるようです。
そのあたりの経緯は、「千の風になって」の詩の原作者について:オーママミアCelestial-spells ソラノコトバに詳く記載がありますので、そちらをご参照下さい。


ここでは、原詩をご紹介するにとどめます。


Do not stand at my greave and weep
Words by Mary Frye (1932)

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush.
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in the each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there I do not die.


【出典】
http://www.businessballs.com/donotstandatmygraveandweep.htm


作者不詳の詩も、原詩も、どちらも韻を綺麗に踏んだ、とても美しい詩ですね。
内容もさることながら、美しい韻の流れによって、余計に心に響くのだと思います。
和訳は、それこそ千人もの方々による、千通りの『千の風になって』がありますが、私なりにアレンジしてみました。



私のお墓の前に立って泣かないでください
私はそこに留まって眠ってはいないから 
私は千もの吹き渡たる風となる
私はふわりと地面に舞い降りる雪となる
私はそぼふる雨となる
私は豊かな収穫をもたらす畑になる
私は静まりかえった早朝に
空に弧を描く美しい鳥の群れとなる
私は満天の星となる
私は咲き乱れる花々となる
私は静かな部屋の中に
私はさえずる鳥となる
私は美しいものすべてとなる
だから、私のお墓の前に立って泣かないでください
私はそこに留まって死んではいないから 


この美しい詩から、私は、内山興正老師の『興正法句詩抄』の中の詩を想起させられます。

『生死』


手桶に水を汲むことによって
水が生じたのではない
天地一杯の水が
手桶に汲みとられたのだ
手桶の水を
大地に撒いてしまったからといって
水が無くなったのではない
天地一杯の水が
天地一杯のなかに
ばら撒かれたのだ
   
人は生まれることによって
生命を生じたのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めのなかに
汲みとられたのである
人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めから
天地一杯のなかに
ばら撒かれるのだ


この続きは、過去のトピックス
死後の世界は
http://teishoin.net/blog/000123.htmlも併せてご参照下さい。


風って写真に表現するのは難しいですね。 以前撮った写真の中からいくつか・・・

20061211-3.jpg 20070109-1.jpg 20070109-2.jpg 20070109-3.jpg

投稿者: kameno 日時: 2007年1月 9日 10:10

コメント: 私のお墓の前で泣かないでください

またまたおじゃましにきてます。ゆがです。
死後の世界ですかあ・・kamenoさんはわりとスピリチュアルなお話でもok?  ワタクシ目としましてはうれしいでーす。

病気療養生活をしながら、お経を読み月輪観などし、日々気づいたのは何かが私のなかで少しづつ変わりむしろ良いほうへ向かっていった事でした。
それまでは心の病ですから目にはみえず、最愛の主人にすらわかってもらえない事もあり、何度か死を覚悟したものでした。
パニック発作で気分が悪くなる日は2?3年続いたです。重くのしかかったような身体の痛みやきしみは座っていられない位つらかった・・「死」ねば楽になる、この人もあたしよりいいひと、見つけて幸せに・・とか考えていたりしました。
でも自殺なんかしたら、きっと地獄いきだろうな、いや畜生か?修羅界か?と引き止める思いが湧いてきたんです。
何だか可笑しいでしょう。
死後の世界については私流の想像があって、生きとしいけるものはみんな太陽みたいな?エネルギーの世界にいって、青い宇宙の空の中でひかり・・プラズマみたいなエネルギーになって
そのひかりのつぶつぶがチカラを生み出しまた、生き物になったり、風や水や火などに成り代わる。そしたらそれを成仏した・・と、考えるんです。でもいい死に方してなかったら心だけがのこっていいエネルギーにならない・・つまらない思いや悲しみ、怒りだけの悪いエネルギーが残るんです。
そうなるのはいやで、だからこそ自分で自分を守り、助けたい、先祖の御霊・・といいますがご先祖様や今いる家族、親戚、友達も幸せになれますようにとおつとめを毎日始めました。何だか明るくなったね、と言われます。
これからもし家族の誰かが亡くなって悲しい思いをしても、泣き泣きこの詩を歌いながら、それでも自分を見失わず、迷子にならないように生きていけると思います。
宗派が違い申し訳ないようなんですが、いつもひとりぽっちじゃない、お大師さんがいつもさりげなく一緒なのだと思うと、
なぜか勇気がわいてくるのです。

投稿者 ゆが | 2007年1月 9日 14:28

こんばんは。
最愛の人を亡くした人に、何と言葉をかけたら良いのか?
檀家さんで、そのような場面に出会うことがあります。
とまどいを感じることも多々あります。

>この詩は、きっと、その答えの一つを導きだしてくれるものです。

同感の思いで読みました。

投稿者 ぜん | 2007年1月 9日 21:44

ゆがさん
死後の世界については、誰も見たことはありませんので、どんな世界なのかは残念ながらわかりません。
しかし、その世界がどういう世界なのかを思い描くことは、ひとそれぞれ自由です。それぞれの答えが正解なのかもしれません。
お大師さんと同行二人っていうのは、いいですね。生きる力を与えていただけますから。

ぜんさん、こんばんは。
この詩は、どれだけ多くの人々の悲しみを癒してくれたのでしょうか。宗教とか民族とか、そんなことを超越して、人として訴えかけられることのできる素晴らしい詩だと思います。
ぜんさんのサイトで早速書評が出されていましたね。有難うございます。

投稿者 kameno | 2007年1月 9日 22:37

新井満さんの訳は、というかこの詩自体がそうなのかもしれませんが、これまで2行目だけ違和感がありました。
他の箇所は、とても感動するんですけど。
と言うのも、お墓がケチョンケチョンにされて軽んじられているような気がして、やはり日本仏教の僧侶としてはあまりいい感じがしない・・・。

なんだかお墓が可愛そうな・・・。

でもkamenoさんの訳はいいですね。
お墓の中に閉じこもって眠っているわけではない。
これなら、すんなりと入っていきます。

ところで内山老師の詩ですが!
素晴らしいですね!
とても心に沁みてきました。
私のブログでも紹介させていただきます。
ご紹介ありがとうございました♪

死後の世界観に対する考えについては共感しました。

あと、写真素晴らしいですね♪
写真集にしてもいいくらいです。
私もこういう写真を撮れたらいいな?

投稿者 りょう | 2007年1月10日 13:13

新井満さんの2行目については、私も多少の違和感がありました。
おそらく意図するところは違うんでしょうけど、捕らえる人によっては、骨を山なり海にばら撒いてしまえばお墓なんかいらないというように解釈する人もいるでしょうね。
でも、私は、本当の意味は、「私の墓地にお参りして下さる時は、泣きじゃくってばかりいるのではなく、どうか、笑顔でお参りに来てください。私は千もの風になっていろいろなところを渡っています。そして時には、あなたともゆっくりお話したい。だから、折にふれて私の墓地にも笑顔で報告にいらしてくださいね」ということだと思っています。
春のお彼岸にお墓参りをし、笑顔でご挨拶をし、その後でふと上を見上げると、満開の桜の花びらが春の暖かい風に吹かれて空に舞い上がっていく…それがもしかしたらメッセージの一つなのかもしれません。
※写真の中の桜は、墓地に咲く満開の桜を撮影したものです。

投稿者 kameno | 2007年1月10日 14:40

長々?い私の物語を最後まで読んで下さってありがとうございました。
本当に打ち明けたかったことをネットの上ですが、ちゃんと聞いてくださって、あれから何だかすっきりし安心致しました。
もう、後ろを振り返らずに歩いて行けそうです。
もし、ご迷惑でなければ、またおじゃまにきてもいいですか・・・?

投稿者 ゆが | 2007年1月10日 19:18

ゆがさん、いつでもどうぞ(^^)

投稿者 kameno | 2007年1月10日 19:37

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