永谷川の氾濫

檀家のOさんより永谷川氾濫の写真をいただきました。

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場所は中永谷交差点。
撮影日時は1982(昭和57)年9月12日、昼前。
台風18号のもたらした集中豪雨により、丸山方面から流れ込んだ雨水が馬洗橋付近の護岸を崩し、永谷川が堰止められた形となり溢れた水が県道を覆いました。

上永谷駅の開業は昭和51年、これに前後して丸山の山々が造成され降雨はそのまま流出するようになり、丸山台の各所に遊水地が造られたものの、このような出水は毎年のように起こっていた記憶があります。
この後、環状2号線が整備され、永谷川は道路上下線の真中に拡張移設されたため、このような洪水ほとんど起こらなくなりました。



永谷川は戦前からも度々氾濫を起こしていました。
川沿いにお住まいの駄菓子屋さんから永谷川にまつわる聞き取りをした際に、下記のようなお話をいただきました。

私が子どものころ(昭和10年代)、永野小学校にはプールが無かったので、永谷川で泳いだ。
柳橋に堰があったため、貞昌院から柳橋に掛けて泳げるほどの幅と深さがあって、魚もかなりいた。
今の永野幼稚園のあたりには水車もあった。
下流の堰は、一年に一度、川底の泥を流すため開けたので、その時は特に魚を捕るチャンス。
川にはハヤ、フナ、カニ、ヤツメウナギ、ドジョウなどがいて、とにかくたくさん捕れた。
みんな網なんか持って居なかったので、ざるを持っていって夢中で捕った。
川の周囲には蓮池もあったりして、蛍もたくさんいた。昔は家にサッシもクーラーもないので夜は開けっ放し。家の中に蛍がよく舞い込んできた。
カブトムシとかクワガタは、何処にでもいるので、わざわざ捕りにいった覚えは無い。木を見ればいっぱい居たから。
その永谷川は大雨が降るたびに溢れたので、そのたびに畳を上げて水害に備えた。

このころから、昭和50年代にかけて永谷川は毎年のように溢れていたのです。

以前、ブログ記事で昭和初期上永谷の絵地図(『天神さまと上永谷』・発行・永谷天満宮氏子会・平成元年3月17日発行に掲載)を御紹介したことがあります。

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この絵地図の中に、柳橋付近にあった水車も描かれています。
川には堰があって、川幅が広くなっていて泳ぐのに最適だったようです。

現在は白鷺や翡翠も飛来する穏やかな川になりました。

投稿者: kameno 日時: 2010年3月 6日 13:19

コメント: 永谷川の氾濫

亀野さん、こんばんは
凄い!特ダネですね。貴重な写真であり、体験談です。「こうなんの歴史アルバム」の第2集を編集する際は、この様な貴重な体験談を特集致しましょう。港南区で洪水が出たのは、上大岡だけではなかったのですね。
原因は、野庭団地や丸山台の大規模宅地造成によるものと思われます。緑の里山が無くなり、降った雨を蓄える事無く、一気に流れ出た為ですね。調整池では調整できなかったのでしょうか?

投稿者 ちのしんいち | 2010年3月 7日 00:10

ちの様
永谷川は、以前貞昌院の前のせせらぎ公園の位置にありました。
昭和50年代くらいまでは毎年のように溢れていた思い出があります。
また、川が鍵状に曲がっていたため、その地点で水が曲がりきれずに道路に流出していました。
調整池も出来たばかりの時にはうまく動作していなかったようです。
ここ20年ほどは溢れるということも殆ど無くなりました。

投稿者 kameno | 2010年3月 7日 15:43

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