かつてあった国鉄大船工場

Yahoo!ニュースに下記のような記事が掲載されていましたので、今日はJR(かつての国鉄)大船工場について書いてみたいと思います。
私が小学生から中学生だったころ、自転車で時折鎌倉へ遊びにいっていた時期があり、ルートの途中にあるこの大船工場に見慣れない列車が留まっていたのを眺めていました。
その時に撮った写真をブログ記事後半でいくつかご紹介します。


モノレールの真下に廃線跡!かつては首都圏「三大車両工場」の一翼「大船工場」の今

神奈川県鎌倉市に、細長い空き地が断続的に2km近く続いている箇所があります。空き地は大船駅南側、横須賀線の線路から分かれる形で西へと続いていることからも、廃線跡とうかがえるもので、湘南モノレールの真下にも存在します。
これは、かつて「大船工場」と呼ばれたJR東日本の施設への引き込み線跡です。車両の製造から検査までを担当していた施設でした。
大船工場は戦後すぐの1945(昭和20)年、大井工場(現・東京総合車両センター)の分工場として誕生。以後、2006(平成18)年に廃止されるまで、ここで鉄道車両の検査や修繕が行われてきました。大宮工場(現・大宮総合車両センター)、大井工場と並び、首都圏の国鉄・JR鉄道車両を支える重要な拠点だったのです。
空き地は線路跡であることを主張するように、コンクリートと板で組まれた柵で囲まれているほか、バラスト(砂利)が残っているところもあります。また途中には、踏切の存在を匂わせるオレンジと黒の「トラ柄」のフェンスや、踏み板も見られました。横須賀線との分岐点から数十mほどは、赤さびた線路や架線柱もそのまま残されています。
横須賀線付近から西へまっすぐ延びた廃線跡は、柏尾川の河岸でカーブ。この先には、今までと比べものにならないほど、広大な空地が広がっていました。施設はすべて撤去されていますが、これが、かつての大船工場の跡地です。
JR発足後、ここで車両の製造が行われていたことがあります。通勤電車として活躍する205系や209系も、一部がこの大船で生まれ、引き込み線を通ってデビューしていったのです。
なお、2006(平成18)年の工場廃止から15年近い時を経て、この敷地の再開発が始まりました。現在は一部が「湘南深沢ワン・パーク」として整備され、バーベキュー場やドッグランなどが設置されています。
(Yahoo!ニュース 2021/1/25配信)


記事に書かれている通り、JR(旧国鉄)大船工場は、昭和20年から平成18年まで車両の部品検査や全般検査を担う施設として、大船駅の南側、湘南モノレールの「湘南深沢」付近にあった車両工場です。
その沿革をWikipediaから引用すると次のようになります。

1945年(昭和20年)12月1日 - 大井工機部(現在の東京総合車両センター)大船分工場として発足。
1952年(昭和27年) - 電車の修繕を開始。
1950年(昭和25年)4月1日 - 大船工機部として分離。
1952年(昭和27年)8月5日 - 大船工場と改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。東京地域本社の所管となる。
1996年(平成8年)10月1日 - 横浜支社に所管換え
2000年(平成12年)7月1日 - 大船電車区(検修部門)と統合され、鎌倉総合車両所(深沢地区)となる。
2004年(平成16年)6月1日 - 鎌倉総合車両センターに改称される。
2006年(平成18年)2月9日 - 検査業務を終了。
3月31日 - この日限りで正式に廃止となり、閉鎖。これにより、長島地区は鎌倉車両センターに改称される。

大船の近辺は、戦時中は第一海軍燃料廠が現在の本郷台付近にあり、また、横須賀線が横須賀軍港へと続く重要路線であったことから、軍需工場など各工場が多くありました。
現在でも、その名残で重電機メーカーの工場が残されていたりします。
なお、第一海軍燃料廠は戦後接収され米軍大船PXになり、その後は本郷台団地として開発されています。

そのあたりの流れは、以前書いたブログ記事 根岸線物語 本郷台編 にまとめておりますので併せてご覧ください。
大船工場に至る線路の経路も上記記事で図示しています。

さて、大船工場に列車が入るためには、大船駅から東海道線の藤沢方面に進む経路では入線できないため、大船から一度横須賀線の鎌倉方面にすすみ、途中で折り返す必要があると書きましたが、そのあたりを空中写真閲覧サービスの航空写真で確認してみましょう。

↓昭和19年。戦時中に陸軍により撮影されたもの。
現在の湘南モノレールが通っているルートに、新しい道路が作られています。
大船工場は写真左下の長方形の屋根が4×4並んでいる場所です。まだ引込線は作られていません。
20210125-S19


↓昭和21年米軍により撮影。
大船工場への引込線を敷設するために、田圃に線路予定地部分が造成されつつあります。
まだ線がとぎれとぎれなので、線路敷設の工事中であることがわかります。
20210125-S21

↓昭和24年米軍により撮影された写真。
真新しい引込線が白い線として見えます。
ただ、まだ線路が敷設されていないようです。
横須賀線で一度鎌倉方面に進んで、折り返して大船工場に入るルートがよくわかると思います。
20210125-S24

↓昭和42年の写真。高度経済成長期でもあり、団地や住宅開発が急速に進んでいます。
20210125-S42

↓昭和52年。大船工場近辺のみを拡大しました。
多くの列車が留まっていることがわかります。
20210125-S52



この最後の航空写真のころ、珍しい列車がよく留まっているこの工場を通った際に、写真を撮っていました。
工場はフェンスで囲まれていましたので、フェンス越し、あるいは入口ゲートから遠めに撮ったものです。

20210125-S55-520210125-S5520210125-S55-320210125-S55-2
これらの車両は、美延線や飯田線、糸魚川線などで使われていた電車で、左はクモハ40800、右2枚はクモハ51822です。
車両を牽引するために置かれているようでした。

国鉄の車両工場は、普段は入ることができないはずなのですが、入口に居た工場の職員の方が、手招いて工場内を案内してくれたことがあります。
今では、普通の日に工場内に部外者を入れることはないでしょうが、40年ほど前のことですし、私が中学生だったからということもあったのでしょう。
いろいろと親切に説明してくれたことを思い出します。
写真も何枚か撮らせていただきました。

20210125-S55-4

そんな大船工場も、国鉄からJRに民営化され、さらに平成18年には工場の役割を終え、再開発により新しい施設へと生まれ変わりつつあります。
冒頭のニュース記事は、この大船工場への引込線の痕跡の話題です。

現在、鎌倉市役所移転構想に伴う深沢地区土地区画整理事業が進みつつあります。
かつての大船工場周辺は大きく変貌していくことでしょう。

投稿者: kameno 日時: 2021年1月26日 23:14

コメント: かつてあった国鉄大船工場

失礼致します、Vemico会社の広報担当の胡と申します。BLOGにてお客様のレビューをご拝見させて頂きました、つきましてはお客様に弊社のLP-E12バッテリーのレビューを投稿して頂きたく存じます。レビュー用機材に関しましては無償にて提供させて頂きます。御返事お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。

投稿者 胡強 | 2021年1月27日 16:09

Vemico広報担当 胡さま
コメントありがとうございます。恐れ入りますが kameno@teishoin.net にメールいただきますようお願いいたします。

投稿者 kameno | 2021年1月28日 15:54

コメントを送る