松ケ崎横穴古墳群への私見

今回の記事はkameno私見によるまとめです。

松ケ崎横穴古墳群の現状
松ヶ崎古墳現地調査
の記事を併せてご参照ください。

平成23年1月24日に行なわれた現地調査により確認された横穴墓の位置を出来るだけ正確にプロットしてみました。
(さらに正確な位置図は港南歴史協議会により出される予定です)

matsugasaki

ここに記載されている①~⑦は仮符号です。この番号付与の理由は後述しますが、名称をどのように付与するかにより曲解や誤解、事実誤認が生じることが今回の事例でよく判りました。
そのあたりも後述致します。

まずは現地調査のまとめとこれまでの調査記録の突合せをします。

 

表:松ケ崎の南斜面に分布する横穴古墳群のまとめ

仮符号(内寸計測順)

『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』 (昭和51年刊)

松ケ崎の南斜面に分布する横穴古墳群は、不揃いだが上、下二段に分列して、8穴が開口している。
下段に横列する5穴のうち、その中央部にある1穴は、複式玄室の構造をもつ横穴で羨門の部分は欠失していたが、前室と玄室の区別が明瞭であり、前室は方形で流入した土砂、岩塊によって半ば埋没していた。 他の横穴は複式のものではないようであったが覗き見る程度では、確証は出来ない。

『港南の歴史』 (昭和54年刊)

1号墓
(内寸計測)

2号墓
(内寸計測)

3号墓
(内寸計測)

4号墓
(内寸計測)

5号墓
(内寸計測)

記述なし

記述なし

歴史協議会による現地調査(平成23年1月24日)

確認

確認
(内寸再計測)

確認できず
(位置推定)

確認できず
(位置推定)

確認

確認
(内寸計測)

確認

 

 

昨年夏に書いた 松ヶ崎横穴古墳群の現状 のブログ記事においても、この遺跡に分布する横穴墓を①~⑦の表記をいたしました。
その理由は、『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』でいうところの「松ケ崎の南斜面」は、旧港南台高校敷地南部の舌状台地(冒頭の航空写真中央の緑地部分)全体を指すと考えるのが妥当であろうからです。

『港南の歴史』 では、当時馬場先生により調査確認できた1号墓~5号墓の位置と内寸が測定、記録されました。
ところが、港南台高校及び地域の歴史研究者は、別途⑥の横穴墓1箇所だけを認識しており、これを松ヶ崎古墳としておりました。
両者は、それぞれの場所を「松ヶ崎古墳」と呼んでおり、この状況は今回平成23年の実地調査まで続きました。

さらに、その⑥の横穴墓を『港南の歴史』の5号墓と誤認したことにより、「西面1~5号墓」「南面1~5号墓」というように「5穴から成る横穴群が2つある」という幻を生み出しました。
この幻が「⑥⑦の横穴墓の左側にさらに3つの横穴墓があるはずである」という誤解を生み出したのです。

------------------------------------------------------------

平成23年1月24日の調査では、⑥の横穴墓は『港南の歴史』の5号墓とは違う横穴墓であることが確認できました。
そして、⑥の横穴墓は、この日に初めて内寸が測定されています。

少なくとも言える事は、西面4号、5号墓という命名は不適切であり、もしも⑦を西面4号墓、⑥を西面5号墓と表記する文献があったとしたら、それは今後大きな誤解を招く元となりますので注意が必要です。
あたかも西面にさらに3つの穴がある(あった)という事実誤認の源となるからです。



また、西面、南面という表記も疑問です。
航空写真や地図を見て判るとおり、松ヶ崎舌状台地に分布する横穴群のある面は「南東」「南西」向きです。
仮に2つの古墳群に分けたとしても、南面という呼称がどの面を指すのかが不明瞭となります。
数十年後に同様な誤解を生む源となりましょう。

『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』で指す8穴は、今となってはどれを指すのかは明瞭ではないですが、私個人としては、今後新たな横穴が発見される可能性もあり、松ヶ崎に広がる舌状台地に分布する横穴墓を「位置確認・内寸測定順」に符号をつけていくのが適切であると思います。 その原則に則った仮符号が①~⑦の符号です。
仮符号(内寸計測順)

位置(北緯・東経)
(kamenoによる測定・誤差3m以内)

35.220856N
139.342099E

35.220861N
139.342112E

35.220876N
139.342134E

35.220885N
139.342150E

35.220920N
139.342149E

35.220911N
139.342023E

35.220919N
139.342007E

位置特定・内寸計測年度

昭和51年

昭和51年

昭和51年

昭和51年

昭和51年

平成23年

平成23年
(内寸未測定)

今後誤解が繰り返されないためにも、名称を考慮するほか、併せて北緯・東経をさらに精密に測定して、間違いなく位置の特定ができるようにすることが必要でしょう。
もしも分類・グループ分けを行うのならば各横穴の造作年代が特定できてから行うべきです。

 

※これまでこのブログでは一貫して同じ仮符号により表記してきました。
※このブログ記事に対するご意見は、コメント欄などにより、私に直接お届けくださいますようお願い致します。

投稿者: kameno 日時: 2011年1月27日 05:16

コメント: 松ケ崎横穴古墳群への私見

亀野さん、おはようございます
早速、詳細な報告と見解を発表して頂き、有難う御座いました。一寸した思い違い、資料判読の違いにより呼称の煩雑さを生じてしまいました。
その発端は、港南台開発の際の調査団の報告書「港南台」にあると思います。何故、8穴が開口していると記載をしながら、詳細な記述がされなかったのでしょうか。又、それを受けた「港南の歴史」でも、5穴しか確認できなかったとされています。しかし、その時の記録が今回の確認につながりました。
港南台開発の際の調査報告書「港南台」は住宅公団が宅地造成を急ぐ上での、形ばかりの報告書であったような感じが致します。
昭和30年から40年にかけてのわが国の高度成長期の頃に、開発の完成期限を急ぐ余りに、拙速な調査が行われたのではないかとの危惧を感じます。調査報告書にありますように、港南台地区からは多くの「たたらの痕跡」が発見されていました。縄文時代の住居跡からは多くの土器の破片も発見されました。ブルト-ザ-で造成を進める際に破壊されてしまったのではないでしょうか?上郷の猿田遺跡と関連付けて、鎌倉幕府へ繋がる古代の「たたら・製鉄」の起源を探りたいと思います。松ヶ崎古墳が、この時代の人達の生活の跡であれば、尚更です。後世の人達に誤解を残す事の無いように、キチンとした報告書を作成致しましょう。有難う御座いました。

投稿者 ちのしんいち | 2011年1月27日 09:49

ちの様

>後世の人達に誤解を残す事の無いように、キチンとした報告書を作成致しましょう

まったく同感です。
きちんとした調査の元に報告書が作られることによって後世に受継がれる土台ができると思います。

投稿者 kameno | 2011年1月30日 01:01

コメントを送る