松ヶ崎古墳現地調査

埋蔵文化財センターの皆様の協力を得て、港南歴史協議会による松ヶ崎古墳の調査が行われました。
松ヶ崎古墳は港南台9丁目に分布する古墳時代の遺跡です。

この古墳については『港南の歴史』の中に松ヶ崎古墳5穴として記載されている他、地元の歴史研究家には別の場所の横穴墓の存在が知られ、呼称が統一されていない問題があります。
それを統一すること、そして、かつて見られた古墳がどれだけ確認できるのかを目的としての実地調査です。

以前松ケ崎横穴古墳群の現状の記事で航空写真に記載した位置図は下記の通りです。

20100922-03

この番号は仮番号です。
今後、今回の調査により統一された呼称が出来ますので、それまでこの記事では上記図の番号で表します。

『港南の歴史』松ヶ崎古墳項は、約40年前に馬場先生らにより調査された資料を元に記載されています。
その調査の際には、上記図の①~⑤の横穴墓が確認されています。
①が1号墓(単式)、②が2号墓(単式)、③が3号墓(複式)④が4号墓(複式)⑤が5号墓(複式)でした。

20110124-0920110124-10

調査ノートを元に現状を確認します。

①1号穴、②2号穴は簡単に見つかりました。
1号穴は半分埋まってしまっており、中に入っての調査は出来ませんでしたが、②2号穴は比較的良好に保存されており、中に入っての調査ができました。
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内寸も40年前の調査と合致しますから、これが2号墓であることは間違いないとのことです。
2号墓入口付近で骨が見つかりました。
人骨でしょうか。

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③3号墓、④4号墓は埋まってしまっているようで、見つかりませんでした。
ここには沢があったために水や泥が流れ込んでしまったのでしょう。

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しかし、探査棒を挿すとス~ッと入る場所があり、恐らくここを掘ると穴が出てくるであろう場所の見当はつきました。

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掘削することは出来ませんので、今回調査では位置の見当だけつけて位置を記録します。

④4号墓の位置から40年前の記録を基に⑤5号墓の位置を探すと・・・・

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ありました!

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入口はほぼ埋まってしまっており、30センチほどの開口部から覘くと、壁に刻まれた特徴的な模様が伺えます。
これが⑤5号墓であることが特定できます。
かつての記録が正確にされていたために発見できました。

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『港南の歴史』に記載されている5穴の他に、舌状台地西側の斜面にいくつか穴が見られます。
そのうち⑦の位置にある穴は殆ど埋まってしまっていますが、⑥の位置にある横穴は、古墳群全体の中で一番大きく保存状態も良好です。

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埋蔵文化財センターの方の指導により詳細な資料が作成されました。

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今回の調査を元に、記録を整理したうえで名称の統一、今後の保存についての具体案がまとめられる予定です。

※松ヶ崎古墳に限らず許可無く敷地内に入ったり、専門家の立会い無しで穴に入ることは絶対にお止めください。



■関連ブログ記事
緊縮財政に呑まれる埋蔵文化財
松ケ崎横穴古墳群の現状
ダイヤモンド富士を望む古墳群

投稿者: kameno 日時: 2011年1月25日 04:47

コメント: 松ヶ崎古墳現地調査

亀野さん、おはようございます
早速、詳細な報告を揚げて頂き、有難う御座いました。
亀野さんの10月のブログに記載されています様に緊縮財政に呑まれる埋蔵文化財の保存について、皆さんの関心を持って頂くように努めたいと思います。昭和30年から40年代の高度成長期の歪ですね。
今後とも、宜しく お願い致します。

投稿者 ちのしんいち | 2011年1月25日 11:55

ちの様
今回の調査では多くの港南歴史協議会から参加があり、一緒に調査できたことが大きいですね。
それにしても40年の歳月により、当該崖地も大分崩落が確認できますし、開発の波もすぐそこまで迫っています。
今後どのように残していくことができるかが大きな課題です。

投稿者 kameno | 2011年1月26日 09:09

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