避難所としての寺院の役割

今回の宮城県訪問の一つのきっかけとなったことは、ドイツ人写真家(FOTOGRAFIE Michael Santifaller氏)が、4年前に訪れたことのある仙台~松島の現状を実際に目で確かめてみたい。
そして、様々な方とお話をしたいということを相談されたことが契機でした。

Michael さんは、今年3月11日の震災のあった時刻にはウクライナ・キエフ(チェルノブイリ原発に近い都市)にいて、日本で大変大きな地震が起きたニュースを日本人の奥さんから一番に受け取ったそうです。
その後、来日の機会を調整していて、ようやく10月のこの機会ということになりました。

ドイツでは日本の原子力発電所事故のニュースが連日大きく報道されていて、まるで日本全体が放射能汚染されているような印象を持っている方も少なくありません。
日本の正しい状況を写真家の仕事として正しく伝えていきたいという思いを携えて来日されました。

 

石巻では、まずD源院様に拝登させていただきました。
D源院は、石巻北東部の高台にあり、石巻市街を見渡すことが出来る場所に有ります。
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震災発生時から、多くの方が避難され、一時は400人もの方々がD源院本堂、客殿で集団生活を送られていました。

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その詳細は上写真新聞記事、さんぜ通信のブログにてりんしょう様が書かれていますので、文末の関連リンクをご参照ください。

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避難所生活の中で子どもたちは合間の時間に写佛や石仏彫刻をしたそうです。

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海外寺院(ハワイ正法寺)からのメッセージ

一時は400人にものぼった避難者は、仮設住宅に移る方、親類の家に移る方など徐々に減少し、8月にはD源院避難所解散式が行われました。

その後も、毎朝御詠歌を講員の方々が奉詠に来たり、子どもたちが遊びにやってきたり人の往来が絶える事がありません。
地域と密接に関っている寺院の一つの例といえます。

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震災直後からの葬儀について、そして半年以上過ぎ、未だ行方不明となっている方々の葬儀のあり方、グリーフケアについて、Michael Santifallerさんを交え詳細にお話しを伺うことができました。

その後、街を見渡すことが出来る墓地で、津波発生時の状況を伺いました。

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震災発生時、本堂の仏具が悉く倒れ、香炉の灰が散乱する中で、その片づけをしていると、地域住民の住民の方々がお寺に非難のために続々と集まってきました。
とにかく、非難に来られた方々の受入れのために建物内を整理していたたために、津波第一波の様子は見ておらず、改めて市街地を眺めると既に市街地はほとんど津波の底に沈んでしまっていたそうです。
引き波で多くの建物は損壊し、また地盤沈下により、現在でも大潮の際には一日に二度の冠水被害が多くの地域で引き続き起こっています。

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石巻市では、リフォームであればその場に留まることが出来るのですが、損壊家屋を取り壊すと、その場所に建築をする許可が下りません。
また、復興全体計画に関る市の方針が未だ打出されていないことが住民の不安の一因となっているようです。

 

お世話になったD源院様の本堂で、Michael Santifallerさんと般若心経を唱えさせていただきました。
表面的な被災地の状況だけでなく、深淵の部分にも触れることができたのではないかと感じます。
Michael Santifallerさんは日本滞在で体験したことをドイツにきちんと伝え、また放射能汚染などのような風評による誤解が間違えてあるということを正しく表現したいと語っていました。

 

「心のケアなんてできない。共に悩み、涙を流し、供養の時を重ねることで心も落ち着き、人は前を向ける。それが寺の役目です」
(D源院住職様のことば)

被災地だけに限られたことではない。
どの寺院でも当てはまることですし、葬儀、年回法要、供養とは何かについての答えが凝縮されていることばです。

 


■関連リンク
FOTOGRAFIE  Michael Santifaller

渡波(わたのは)の丘(ブログ さんぜ通信)
投稿者: kameno 日時: 2011年10月28日 11:38

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