時間のながれ

東日本大震災からまもなく半年が過ぎようとしています。
2011年5月25日(震災発生後2ヶ月半)と8月26日(同5ヶ月半)の同じ場所の記録の一部です。
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↑5月25日 野蒜駅北の鳴瀬川沿いの水田は まだ海水が引いていなかった。

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↑8月26日 少し上流の水田では稲穂がたわわに実っていました。

⇒震災前の様子


 

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(左)5月25日(右)8月26日
上写真中央部、震災以降仙石線の車両が同じ場所で止まったままになっています。左手方向に800mほど進むと野蒜駅。
東日本大震災の影響で、仙石線は高城町~矢本駅間が不通となっています。


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(左)5月25日(右)8月26日
野蒜海岸から宮戸島へ渡る橋は、津波のために流されてしまいました。
5月の段階では県道27号線(左写真左端)は未だ復旧しておらず、自衛隊により砕石が敷かれた仮道(左写真右端)を通って宮戸島に入りました。
8月になり、県道が通行できるようになっています。これから舗装されることでしょう。

⇒左写真震災前の様子 右写真震災前の様子


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8月26日撮影。上記通行できるようになった県道27号線から南側を望む。
5月に渡った仮道(写真中央を渡っている道)が写っています。
この付近には松島自然の家がありました。

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(左)5月25日(右)8月26日
砕石の道をしばらく進んで、この松ヶ島橋を渡ると宮戸島です。
5月に電線工事が行われており、島に電気が通じるようになりました。
この橋(松ヶ島橋)の本格的な復旧がはこれからです。

⇒震災前の写真


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(左)5月25日(右)8月26日
宮戸島縄文村・漁協前の道路。
現在でも大潮になると海水が流入してきて50センチほど冠水します。

⇒震災前の写真

 


 

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↑5月25日 宮戸島月浜海岸

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↑8月26日 宮戸島月浜海岸
海岸にあったコンテナは撤去されていますが、堤防はまだそのままの状態です。
月浜入口の高台に仮設住宅が設置されていました。

⇒震災前の写真


 

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(左)5月25日(右)8月26日
宮戸島大浜手前の水田

⇒震災前の写真

 



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(左)5月25日(右)8月26日
宮戸島室浜 携帯の基地局が設置され、高台には仮設住宅が出来ています。
五月には牡蠣養殖の準備が進められていました。漁船の数も増えています。

⇒震災前の写真


 

■関連リンク
Yahoo!JAPAN 写真保存プロジェクト 東松島市

投稿者: kameno 日時: 2011年8月28日 12:48

コメント: 時間のながれ

亀野さん、こんにちは
詳細な野蒜地域の情報を景観写真と共に有難うございました。
(これだけ鮮明な映像による詳細な報告は今迄には見ていませんでした)
松島地域一体は松島の小島が防波堤となり、津波被害から逃れる事が出来ました。しかし、松島の両側、多賀城地域と東松島・野蒜地域は逆に松島を襲うはずの津波によって、被害は拡大してしまったのですね。今後の津波対策に対する対応策の検討の際に周辺地域を含めた対応策の検討が必要になると思われます。
奥松島一帯は本当に自然が残された美しい景観の所でした。
それにしても、仙石線の電車が一編成未だ残されているとは寂しい光景です。

投稿者 ちのしんいち | 2011年8月28日 14:20

ちの様
東日本大震災はその範囲が広大であるがゆえに、復旧復興が進んでいる地域とそうでない地域の格差がとても大きいと感じます。
宮戸島は島へ渡る野蒜地区の被害が大きかったこと、島へ渡る道路の復旧が遅れたことの影響もありました。
現地ではこれからの宮戸島のプランを具体的に考えて進めています。景観保護と安全対策と相対する条件を克服しなければならないということもありますし、息の長い復興への歩みを共にしたいと考えます。

投稿者 kameno | 2011年8月29日 07:02

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