根岸線の歴史と港南台駅誕生物語

港南区を通る唯一のJR路線、根岸線(年配の方には桜大線といったほうが馴染みがあるかもしれません)。その歴史的経緯をまとめてみました。
今日の記事は、以前のブログ記事 歴史に学ぶ港南台の会勉強会 の補足記事となります。

 

■根岸線計画の主な経緯

大正11年4月11日 鉄道敷設法別表(昭和12年4月1日一部改正)「神奈川県桜木町より北鎌倉に至る鉄道」
昭和31年2月24日 鉄道建設審議会「昭和31年度から調査を開始すべき新線」として調査線に編入「この線は桜木町から大船附近に至る線で、重要な都市の旅客交通を担当するとともに、横浜港湾臨海工業開発計画上まことに効果大なる線である。本線は複線電化すべき線として着工すべきである。」

昭和32年7月5日桜木町一大船問の運輸大臣の建設認可
昭和32年 調査測量
昭和33年 桜木町一磯子間の路線決定
昭和34年 建設工事に着手
昭和39年3月23日 日本鉄道建設公団発足
昭和39年5月19日 横浜一磯子間営業開始

横浜?磯子間は比較的すんなりと営業開始となりました。問題はここから先の区間です。

根岸線磯子-大船間の路線選定にあたっては
(1)日野廻り
(2)田中廻り
(3)杉田廻り
の3ルートが検討されています(下の地図参照)。

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図:根岸線計画の変遷 (kameno作成、青が現在のルート)

もしも日野廻りのルートが採択されていれば、現在の港南中央から鎌倉街道沿いに国鉄が通り、七曲から大船に抜けるというルートとなっていますから、港南中央、吉原、清水橋あたりに駅が出来たかもしれないですね。港南区の歴史も大きく変わったわったことでしょう。

しかし、結果的に杉田廻りの路線が採択されます。

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図:第一次工事計画変更線路縦断面図(杉田・新大船=本郷台間)『根岸線工事記録』より
(港南台地区に駅は計画されていなかった)

当初設置予定の駅は、新杉田矢部野(現在の洋光台)、新大船(現在の本郷台)、そして大船に結ばれます。
この時点では港南台の駅計画は無く、しかも現在よりも南に500メートルほどずれた路線計画(地図の湘南日野を通る赤い線)でした。
後に地元の要望により湘南日野駅の設置が検討されます。
この湘南日野は、現在の港南台よりも南に500メートルの位置です。


このように鉄道公団は、当初、根岸線計画の中で港南台駅設置を想定していなかったのですが、結果的に港南台駅が設置されるに至るには、昭和41年3月に出された「根岸線延伸路線の駅設置について」の要望書が契機となっています。

 

以降の経緯をまとめてみます。

表:矢部野?大船間ルート変更、港南台駅設置に関する協議経過
(『根岸線工事記録』P88をもとに再編)








鉄道建設公団内部 地元関係 住宅公団関係 国鉄関係
 

41/3/25 根岸線延伸路線の駅設置について。
日野駅(住宅公団第2期)
横浜市長→鉄道公団総裁

41/10/7 町内会長および地元市会議員にルート説明・測量入りについて説明(旧ルート)


41/3/4 港南台土地区画整理事業区域決定及び事業決定

41/10/11 都計街路1.3.5号1.3.28号1.3.30号の告示

41/11/25 洋光台港南台駅の設置について
住宅総裁→鉄道公団総裁(要望)

41/12/17 港南台駅の予定なし
鉄道公団総裁→住宅総裁

41/6/27 工事実施計画その1回答(大船連絡設備を除く)
国鉄総裁→公団総栽

41/8/9 大臣認可(その1)


42/3/30 線路中心軌道測量完了(旧ルート)

42/8/24 工事実施計画その1変更上申保留となる)

42/10/14 湘南日野駅の設置を含め矢部野-新大船間のルート変更の検討
  42/7/13 港南台駅設置(要望)住宅総裁→鉄道公団総裁

42/10/16 港南台駅設置の要望と費用一部負担の申入れ
住宅総裁→鉄道公団総裁
42/710 工事実施計画その1変更下協議東京支社長→関東支社長

42/8/19 関東支社長了承の回答

42/8/8 大船駅連絡設備について計画、着手の依頼(44/10)国鉄総裁→公団総栽

42/11/27 矢部野-大船間開業調査依頼
東京支社長→関東支社長
43/3/14ルート変更につき1住宅公団と協議6/7 43/11/2 横浜市戸塚区、飯島町、小菅ヶ谷町、鍛冶ケ谷町、南区日野町関係地主に中心改測および巾杭建植の立入説明

43/ 11/12 駅名変東陳情(洋光台港南台)横浜市長→東京支社長

43/8/1 費用負由は1/2とする覚書
東京支社長・首都圏開発本部長

43/8/29 事業計画について地元説明

43/9/11(1/3000図面提示する)

43/10/2 都計街路1/3/28号告示の変更及び2.1.26号の追加

43/12/17 事業計画につき県・市へ意見聴取


43/2/17 新大船?大船使用開始を45/10に要望
国鉄総裁→公団総裁(照会回答)
44/3/30 線路中心、巾杭建植完了(新ルート)

44/7/30 用地測量完了予定
44/6/12 用地測量の立入説明 44/1/27 県回答

44/1/30 市回答

44/2/6 事業計画、施行規程大臣申請

44/9/8 同認可
44/6/6 矢部野-大船間その1変更下協議
東京支社長→関東支社長


根岸線のうち、港南区を通る部分の大半は、日本住宅公団が施工する港南台土地区画整理事業の区域内を通ります。
昭和40年当時公団が根岸線の磯子?大船間のルート決定の時点では港南台地区は大まかな構想しかなく、根岸線のルートは宅地造成の構想に近い線で現地形を勘案して鉄道公団としてのルートを杉田廻りルートに決定しています。
しかし、この当初計画は港南台地区の第百土地株式会社、並びに周辺の民間団地の中央を横断する計画となるため、造成開発や販売に重大な支障を与えるとして測量中止の申し入れがありました。
また、この時点で住宅公団は既に港南台地区の土地区画整理事業に一部着手ししていたこともあり、鉄道公団は住宅公団に対して第百土地および周辺団地を避け500メートル北側にずらしたルート変更の内容を説明し、協力方を要請したところ、この案の受諾とともに港南台駅新設の要望の申し入れが行なわれました。

新駅設置に要する工事費の折半負担と、根岸線のルート変更案に住宅公団が応じるという条件で設計協議が合意に達し、昭和44年6月6日国鉄関東支社長に「矢部野(洋光台)-大船間工事実施計画その1の変更」申請書が提出されます。

「矢部野(洋光台)-大船間工事実施計画その1の変更」について

変更理由書

「1」矢部野?新大船間は日本住宅公団港南台土地区画整理事業区域および民間宅地造成地内を通過し、これら計画道路との交さ、ならびに県市道との交さにつき詳細検討の結果、旧ルートによる工事の施行が困難なため、横浜起点14k373m05より17k810m69の間の線路を北側に最大約500m移動し、ずい道で通過することが得策である。

「2」また、同上区間に新たに発生する通勤、通学客ならびに将来増が予想される一般旅客の輸送を考慮して横浜起点15k980mに港南台駅を設置する。

 

これにより、路線のルート変更と、駅構造を切り土ではなくトンネル構造への変更が行なわれることとなりました。
港南台駅は住宅公団が新駅設置に係る相当の部分を負担することにより「新たに」現在の場所に設置されることとなりました。
実に港南区(当時は南区)唯一の国鉄駅であります。

港南台-本郷台間の工事が一番最後となり、 昭和48年4月9日に根岸線は全線開通となりました。


参考文献

『港南台の歴史(港南台駅開業まで)』(港南台バーズ)
『根岸線工事記録』(日本鉄道建設公団東京支社・昭和49年3月)

投稿者: kameno 日時: November 28, 2009 1:07 AM

コメント: 根岸線の歴史と港南台駅誕生物語

ご丁寧なブログ記事ありがとうございました。
港南台・洋光台の仮名だったとは気が付きませんでした。

鉄道開通し駅ができた事によって街が大きく発展していく典型的な事例ですね!丸山台も同じパターンです。

逆にこれ程広い手つかずの土地が残っていたのも駅(上大岡)からもっとも遠かった為でしょうね!

投稿者 ハマちゃん | November 28, 2009 11:04 AM

ハマちゃん様
ご覧くださいまして有難うございます。
地域のの陳情や工事資金折半の申し出がなければ港南台駅は無かったということで、その場合は港南台は相当違った形になっていたことでしょう。
ワタクシゴトですが、大学卒論で鉄道・駅が街の発展にどのように関っているかをテーマとして研究をしていましたので、こういうことを調べるのは大好きです。

投稿者 kameno | November 29, 2009 1:43 AM

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