« 神聖なる平和の灯火 | 最新記事 | 横浜市で最も標高の高い地点は? »
先月3月15日、港南台タウンカフェにて歴史サロンを開催、お話させていただいたご縁で、昨日、歴史に学ぶ港南台の会主催の勉強会の講師を務めさせていただきました。
日時 4月26日午後3時から
場所 港南台地区センター会議室にて
テーマ「武相国境、かまくら道、そして港南台の歴史」
ということで、前回は永谷を中心とした内容でしたが、今回は港南台にお住まいの方が対象でしたので史料、航空写真、年表を元に、港南台の歴史を紐解いていきました。
多数の参加を戴きましてありがとうございます。
まずは、年表によって概観してみましょう ⇒ 歴史年表(港南台版/PDF)Download file
港南台の変貌の様子(左:昭和39年、右:昭和46年) 『港南の歴史』より引用
現在の港南台のエリアは、かつては広大な山林の中にありました。
昭和30年代になり、横浜国際港都建設計画に基づく日本住宅公団による土地区画整理事業が策定され、ベッドタウンとしての大規模な住宅供給が計画されます。
この事業は、洋光台(現在の横浜横須賀道路の東側)と日野(西側)の2地区に分かれ、洋光台地区が先行して開発されました。洋光台駅が開設されたのは昭和45年です。
鉄道計画としては、日野地区には根岸線「矢部野」「湘南日野」の2駅が計画されていました。
その後、鉄道ルートを北側に変更するとともに、現在の港南台駅の位置に駅が設置されることになりました。団地の真ん中を通ることになったため、切通しではなく、駅構内はトンネルにするなど様々な計画変更がなされています。
港南台駅は昭和48年に開設されますが、そのときには駅周囲は広大な山林を切り開いた砂漠のような荒地にぽつんと駅舎があるという状態で、乗降客も一日1300人そこそこでした。
港南台周辺の大規模な団地群の中で、最初に入居が始まったのは昭和49年9月に完成した「めじろ団地」(分譲1390戸)です。
続いて、ちどり団地(昭和49年12月入居開始・賃貸984戸)・かもめ団地(昭和51年3月入居開始・賃貸1497戸)・ひばり団地(昭和51年7月入居開始・分譲490戸)・つぐみ団地(昭和51年7月入居開始・分譲600戸)と、約2年の間に次々と団地群が完成していきました。
商業施設、港南台バーズの名前の由来は、この団地に名づけられた鳥たちの名前によるものです。
--------------------
やはり、参加者の一番関心を引いたものが、航空写真による変化です。
港南台が開発されてから越してこられた方が多いため、前はどのような地形だったのか、身近でありながら、史料が少ないため知る機会が少ないからです。
勉強会の中で使ったものを一部ご紹介いたします。
まずは、港南台エリアの主な箇所を航空写真で対比してみましょう。
まずはエリア全体です。
同一範囲を同一縮尺で合わせていますので変化がわかりやすいと思います。
港南台駅近辺の変化。
昭和43年から昭和56年の変化は著しく、大規模に開発された様子がよく分かります。
唯一、面影が残っているとすれば港南台中央公園の山ですね。
左:昭和43年 右:昭和56年
航空写真を追ってみると、開発・造成直後の港南台は土がむき出しの状態で、緑被率が極端に少ない環境でしたが、街が成熟するにつれて公園や街路樹の樹木が育ち、次第に緑の多い街並みに変化している様子も判ります。
よくみると、戦後からほとんど変化のない、そのままの状態で保存されているエリアがあります。
瀬上池近辺です。
当時の地形や道路がそのまま残されていることがよく分かります。
この貴重な瀬上池にも、ついに大規模開発計画が進んでいますので、存続は難しいでしょう。残念です。
⇒瀬上の森・ゲンジボタルの危機
左:昭和24年 右:平成16年
普段気づかない街の変化も、時系列に並べて比較すると明確に分かるものです。
とても有意義な歴史の会でした。
ありがとうございました。
亀野さん、ありがとうございました。現在、港南区の人口は22万人余りですが、港南区誕生以前の40年前はその3分の1に過ぎません。更に、それ以前はと言うと4分の1以下でしょう。港南区の宅地造成開発以降入居の15万人以上の人達が生活をしている現在です。生活基盤に関心を持たれるのも当然です。街の生い立ちを知る事は これからの街づくりに際しても大切な事と思います。IT技術を活用して、目の当たりにした郷土史の説明にご参加された皆さんは大変に満足感を感じられたと思います。本当に有難うございました。これからも宜しく、お願い致します。
投稿者 ちのしんいち | 2008年4月28日 12:44
ちの様
大変お世話になりました。
思いもかけず多くの方にお越しいただき、関心の高さに驚かされた次第です。
やはり自分の住んでいる町の歴史は興味のあるところなのですね、このような会の大切さを感じました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
投稿者 kameno | 2008年4月29日 01:12
歴史協議会でお世話になっております長谷川です。
当ブログに記載されております、根岸線「矢部野」「湘南日野」の2駅の名称は何かの資料があるのでしょうか?
もしありましたら教えていただければ幸いです。
その様な路線計画があった事は鉄道建設公団の根岸線工事記録に載っておりましたが、駅名までは書かれておりませんでした。
お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿者 ハマちゃん | 2009年11月27日 11:37
ハマちゃん様
お世話になっております。
根岸線「矢部野」「湘南日野」については、鉄道建設公団内部におけるルート及び駅設置計画検討資料に出てまいります。
このあたりを新しくブログ記事としてまとめてみました。
投稿者 kameno | 2009年11月28日 02:46
はじめまして。栄区東上郷町在住の中村と申します。今回の東日本大震災により、内陸部の、いわゆる「谷埋め盛土」により宅地造成された地域における住宅の全/半倒壊が、改めて注目されています。
わが港南台地区も、大丸山、円海山に連なる山林を切り開いた新興住宅地が多いため、来るべく関東地方を襲う大震災の折には、必ずや同様の「谷埋め盛土」災害発生想定されます。まずどこが該当地域なのか、を調べ、その後、対策を講じる必要がありますが、自治体として真っ先に取り組んでいるのは川崎市と聞きます。横浜市は腰が重く、まだ検討計画の俎上に上ってはいないようです。該当地域の自治会単位で市に要請してゆく取り組みが必要かと思いますが、貴会におかれましては、今回の震災後、港南台地域の地盤に特化した防災計画など、なにか検討されていることはおありでしょうか?お考えなどおきかせ頂ければ、幸甚に存じます。ありがとうございました。
投稿者 中村直子 | 2011年7月11日 14:27
中村さま
防災対策についてご心配な点も多いと存じます。
当該記事の港南台については、講師としてお招きいただいたものです。
具体的な防災計画を作るのは自治体であり、それを実践するのは地元自治会であり、住民であります。
どこが谷埋め盛土であるかというデータは提示できますので、是非地域に特化した防災計画を作成されることをお薦めします。
投稿者 kameno | 2011年7月11日 15:27