現代社会にこそ活きる「禅」

シネマぴあ満足度ランキングで「禅 ZEN」が一位となっています。
1月13日付最新ランキング ― 1月9日(金)、1月10日(土)公開映画


観客動員もかなり多く、公開映画館も追加で増えるようですし、上映期間も延長される館もあるようです。
何よりも、満足度が高いということが嬉しいですね。


■鑑賞者の声
100点 実際に自分も禅をしているような気分になった。俳優が流暢に中国語を話していて、二胡や太鼓など、中国や日本の楽器を使った音楽が印象に残る。人間の死など胸がつまる場面もあり深く考えさせられた。(38歳・女)
90点 桜や菜の花など自然の風景が美しく目を見張る。テイ龍進が演じる寂円の、道元を支える姿についつい感情移入してしまった。あまり馴染みのない仏教用語が多くでてくるので、詳しく知りたいと思った。(64歳・女)
85点 “禅”という題材が新しく、とても興味深い作品だった。主演の中村勘太郎は若いが味のある演技で、内田有紀も今までのイメージとは違い役に溶け込んでいてよかった。大人が楽しむ映画といった感じ。(52歳・男)

なぜ、今の世に「禅」が求められているのだろう
なぜ、今、禅なのか。

高橋伴明監督の言葉にそのヒントが隠されているように感じます。

「近代合理主義のまん延によって、世の中は確実におかしな方向に流れています。悲惨な犯罪の多発もその表われです。若い人たちの中に『無宗教の方が格好いい』というような考えが広まっているのも問題です。ぜひこの映画をきっかけに宗教というものを見直してほしいと思います。」

「信仰のない人に限って『宗教とは何かにすがりつこうとする弱い人のためのもの』という誤解を持っていると感じています。しかしきちんとした信仰を持てば、それなりの自律も求められるし結構きつい。本当に弱い人にはできないことです。そういう意味で道元は非常に強い人でした。そうした部分もしっかり映画で描いているつもりです。」

「この映画は道元の伝記映画であるとともに、現代社会のおかしな部分に対する警鐘としても作りました。『自由』や『合理主義』が勘違いされている風潮に疑問を持っている人への一つのメッセージになれば幸いです。そして勘違いしてしまっている人たちにも、現代のあり方に疑問を持つためのきっかけとして見てほしいですね。」
(中外日報 平成21年1月1日号より抜粋)

高橋監督は曹洞宗の信徒ではありません。
別の宗教の信者でありますが、だからこそ、道元禅師という人物を客観的に捉えることができたのかもしれません。
日本の現代社会では、宗教というものに極端なアレルギーを持っていたり、誤解している人も多いでしょう。けれども、この映画は監督の意図されるように、現代社会の持ち合わせている歪みに気づかせてくれるきっかけにもなることと思います。

「回光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし」 『普勧坐禅儀』

世の中の風潮は、進歩、進歩、それが良いことだと考えられています。
経済も拡大することが当然であると。


けれども本当にそうなのでしょうか。

進歩の反対は退歩です。

辞書を引くと次のように出ています。

たい‐ほ【退歩】
[名](スル)あともどりすること。能力や技術などが以前より低くなること。後退。「記憶力が―する」⇔進歩。
『大辞林』

退歩の類語は次の通りです

たいほ【退歩】⇔進歩
  退化 後退 衰退 後進 逆行 後戻り 後退(あとじさ)り 
『類語実用辞典』(三省堂)


どれも退歩はマイナスであるという印象を受けます。
進歩は善で、退歩は悪。

けれども、道元禅師は「退歩を学すべし」と述べています。


進歩が当たり前だと思われているけれど、本当にそうだろうか。
もしかすると、退歩こそが真理なのではないだろうか。

私たちの社会は常に前進することばかりを目指していました。
けれども、その光を自らの脚下にあてて照らし、一歩後ずさりして本来どうあるべきかということを慮り、本来の姿に立ち戻ること。
それが「退歩」の意味するところです。

映画「禅 ZEN」のポスターが東京周辺の駅に張られました。

20090106-08.jpg

これは8種類あり、「八大人覚」のそれぞれを分かりやすいことばで解説しています。
以前、このブログでも「八大人覚」について纏めました が、ポスターのことばは簡潔で分かりやすいものですので比較してみてください。



八大人覚(はちだいにんがく)

少欲(しょうよく)
一、あまり高い目標を追い求めすぎると、破滅する。

知足(ちそく)
二、欲をいい張ったらキリがない。限度を知る。

楽寂静(ぎょうじゃくじょう)
三、のどかで美しい景色を眺めると、心が澄む。

勤精進(ごんしょうじん)
四、やりたいことを一つにしぼり、無駄を省く。

不忘念(ふもうねん)
五、心が修まっていれば、人目は気にならない。

修禅定(しゅぜんじょう)
六、うまく事が運ばなかったら、一歩退いて見る。

修智恵(しゅちえ)
七、前向きの話を聞いていれば、混乱しない。

不戯論(ふけろん)
八、無益な口論ほど、社会を乱すものはない。


実に簡潔なことばですが、現代社会にこそ活きる大切な教えではないかと感じます。




■関連ブログ記事

国際坐禅会と映画「禅 ZEN」試写会

投稿者: kameno 日時: 2009年1月18日 00:38

コメント: 現代社会にこそ活きる「禅」

三・四・八が特に好きです。

退歩について
これって何か別な表現や解説をされて、やっと先入観がとれる感じなんでしょうか。それに、退歩の考えのない人たちは実際に本当に大勢いて、そんな人たちが進歩や退歩を訴えた場合には、わかりづらいです。

結局は退歩と進歩のバランスなのだとも思いますし、それでも人間には歩かなくてはいけないときがあり、それは「進歩」ではないですよね。進歩しすぎている人には映画や一・二もガツンと効くと思いますが、進歩すらできない逆の状況にある人にはピンとこないかも…と、これは社会派作品だと感じました。今後、メイキング映像が出るのなら、合わせて見てみたいと思っています。

投稿者 鑑賞しました。 | 2009年1月18日 03:33

進歩も退歩も、いわゆる辞書の意味と仏教用語の意味では異なるのでしょう。追ってこのブログでも考えていくことにします。
進歩と退歩をバランスよく、ということは大切ですね。

投稿者 kameno | 2009年1月19日 00:35

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