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港南歴史協議会のメンバーで古写真を持参し、2箇所訪問しました。
1箇所目は高度経済成長期に創立した小学校。
総合学習の一環として、自分の住んでいる街の歴史を調べようというものでした。
まずは150年前に開港した横浜港当時の自分の街のイメージはどんなものかを想像してみます。
既に発展していた ⇒ 約60%
発展途上にあった ⇒ 約20%
全く発展していなかった ⇒約20%
それぞれのグループに別れ、当時のイメージを絵にして、理由を述べていきます。
港南区のエリアが、横浜市で無かったこと、開港当時から昭和初期までは殆ど変化が無く一面田んぼと山ばかりであったことがなかなかイメージできないこことが良くわかりました。
その後、歴史協議会にバトンタッチ、当時の地図や写真で時系列的に追ってみます。
先生方も、転勤が多く地域の歴史にあまり詳しくない
核家族化が進み、街の昔の様子や地域の伝統を伝える場が少なくなった
などなど、様々な理由もあり、余計に子どもたちにとって遠い昔の地域の様子が伝えられていない現実も目の当たりにしました。
けれども、最近は小学校での学習で地域の歴史を実際に散策し、聞き取りを行い、調べ、自分たちで纏めるということが盛んに行われています。
今回の訪問が、その学習を助ける一つの仲立ちになってくれればと思います。
その後、今度は対象がガラリと変わり、地域ケアプラザのデイサービスにお越しの年配の方々に昔の街の写真を見ていただきました。
実際にその写真に映し出されている場所の近くにお住まいの方もいらっしゃり、写真に対する反応は小学生と対照的なものでした。
写真を映し出しているスクリーンの近くまで歩み寄り、指差して説明をされる方もいらっしゃったり・・・・
時間と空間を共有していた写真ですから、周りの人たちとの話により、その記憶はさらに鮮明に蘇ってくるのでしょう。
そして、同じ世代の方だけではなく、様々な年代の方が(小学生たちと年配の方々が)一緒に古写真を見る機会も大切であることも実感しました。
古い写真や文化財などをデジタルアーカイブ化する作業は急いで行う必要があります。
そして、それらの大切さを訴え、「オリジナル」の保存も同時進行で進めていかなければなりません。
それらがどんどん失われていっており、さらにそれらを伝承する人も減る一方です。
こういう道具一つにしても、それがどういう名前でどのように使用されていた(いる)のか、それを知る人がいなくなってしまえば貴重な文化資料もただのガラクタとなってしまいます。
そのために古写真や文化財の保存は大切なことなのです。
これからも小学校、ケアプラザなど、様々な場所で古写真を中心とした展示を行っていく予定です。
デジタルアーカイブが地域を繋ぎ街を守り立てる一助となることを期待しています。