宮城県の沿岸地域に行って居りました。
神奈川県第二宗務所に管内御寺院様からお寄せいただいた梅花法具を届けることと、ドイツからのカメラマンの案内ということが今回の主な目的です。
その中での様々な出会いを順次書いていきます。
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仙台方面から国道45号線を北上、石巻市内に入ると巨大な缶詰型のタンクが道路の中央分離帯に横たわっているのが目に付きます。
このタンクには(木)石水と書かれています。
木の屋石巻水産のロゴマークです。
海岸部にあった工場敷地内に設置されていた重油タンク(往時は鯨油を貯めていたそう)が津波により流されてきたものなのです。
木の屋石巻水産といえば、知る人ぞ知る金華さば缶を生産している水産会社です。
石巻は昨年の水産水揚高全国第3位の巨大港・石巻港を抱え、漁港の前は魚町(さかなまち)という町名であることが象徴するように日本有数の港町でした。
しかし、東日本大震災による巨大な津波第一波が地震発生後30分後に到達し、街の全域が波に飲まれました。
津波が引くまで丸3日間、水位が高い状態がつづいたそうです。
缶詰の倉庫、事務所は現在も震災時そのままの状態となっています。
「木の屋」の看板は無事でしたが、波により曲がってしまいました。
現在は真っ直ぐに戻されています。
倉庫内部の壁に水位の跡が残されています。
第一波、第二波の水位はこの倉庫の天井付近。その後3日間に亘り2メートルほどのところに見える跡の水位のままだったそうです。
倉庫の中には100万個近い缶詰があったそうですが、大量の瓦礫と泥に埋もれてしまった状態でした。
震災直後、支援物資が中々届かない状況の中、地域の住民たちは木の屋の倉庫から流出した缶詰を食べて元気を取り戻しました。
また、倉庫内の大量の瓦礫と泥を片付ける中で、流されてしまったと思われる缶詰の多くが倉庫内にあることが判り、社員全員、各地から集まったボランティアたちにより少しづつ缶詰の発掘作業が行われていきました。
水も供給されない中の作業は困難を極めました。
100万個の缶詰のうち、1/3は潰れてしまったり、品質が悪化してしまい食べることが出来なかったそうですが、残りの2/3は食用に問題なく、そのうち半分を水洗いして 「感謝の缶詰」として頒布されれることとなりました。
↑残念ながら食用にならない缶詰たち。
向こうに見える空地に缶詰工場があって、冒頭の巨大タンクが設置されていました。
現在も社員、ボランティアたちが協力して缶の洗浄作業が進められています。
缶の洗浄作業は11月半ばで作業が終了となるそうです。
それまでの間、洗浄ボランティアに参加希望される方は、木の屋へ連絡をお願いします。
数に限りが見えてきていますので、無くなってしまう前に行かれることをお薦めします。
今回特にお世話になった木の屋の社員Aさん。
有難うございました。
この「発掘缶」には、
・震災の記憶から立ち直り、前を向いて歩きたいという石巻の人々の想い、
・工場はなくなってしまったけど、一歩ずつ、少しずつでも復興を進めていきたいという私たち社員全員の想い
が詰まっています。
この缶詰を購入いただいたお客様に、約束をさせてください。
私たちは必ず、復興します!
だから、この缶詰の味を決して忘れないでください。
石巻の漁業が復活するまで、この缶詰はもう作ることが出来ません。
まだ数年はかかるとは思います。
でも、石巻の漁業と私たちの復興、その2つが揃ったとき、
必ずまた皆様に美味しい三陸の海の幸の缶詰をお届けさせていただきます!
その日まで、是非引き続き私たちを応援してくださいますようお願い申し上げます。
(木の屋からのメッセージ)
■関連リンク
木の屋石巻水産「感謝の缶詰」