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生死
手桶に水を汲むことによって
水が生じたのではない
天地一杯の水が
手桶に汲みとられたのだ
手桶の水を
大地に撒いてしまったからといって
水が無くなったのではない
天地一杯の水が
天地一杯のなかに
ばら撒かれたのだ
人は生まれることによって
生命を生じたのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めのなかに
汲みとられたのである
人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めから
天地一杯のなかに
ばら撒かれるのだ内山興正老師 『興正法句詩抄』
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」「身体と霊魂は同一なのか別なのか」「この世の中は空間的に無限か有限か」「時間は無限なのか有限なのか」・・・・・
科学が発達した現代社会においても、解明されていないことはたくさんあります。
お釈迦さまの時代にも、このような形而上的、観念的な疑問がありました。
けれども、お釈迦さまは直接の回答を示していません。
これを「無記答」(あるいは「捨置記」)といいます。
死後の世界があるかないか、われわれ人間がいくら考えてもわからないことです。
あるかもしれないし無いかもしれない。
この、わからないことをわからないことだとするのが、わかることです。それがお釈迦さまの言わんとするところです。
私たちは、死後をどのように考えているでしょうか。
大きく分けて三つの考え方があるようです。
その1、「死んだらそれでおしまい」という考え方。
人が死んだらそれでお終い。御霊や魂といったものも残らないという世界観です。
その2、我々のいのちは、大自然から生まれ、大宇宙という海ではねた一滴の水のようなもので、一瞬現れてすぐに大きな海に還っていくという考え方。
その3、身体は無くなっても、御霊としてどこかに存在し続ける、という考え方。
私たちは前世があり、今の人生があり、死後は、死後の世界に存在し続けて、いつか別の命として生まれ変るというものです。
皆さんはどのように考えますか?
生を明らかにし、死を明らかにすることは大切な事です。
少しづつこのブログで考えていきましょう。
>わからないことをわからないことだとするのが、わかることです
その通りだと思います!
お釈迦様は、流石にオツな事をおっしゃる!!
投稿者 あさひ素材 | 2005年5月14日 08:18
この、わからないことがどこまでなのかが、中々わからないんですよね。
そのことが分からないから、妄信的になりやすいのです。
宗教は人生を豊かにするためにある訳で、人生が宗教に振り回されては本末転倒です。
投稿者 kameno | 2005年5月14日 15:36
いつか別の命として生まれ変わるというところは疑問でありますが、基本的には3の考えです。つまり霊界は存在するということです。理由は一言では納得してもらえないでしょうが、臨死体験した人の話から・・・しかしこれも疑る人は疑るでしょう。私も納得するまで5年以上かかったし・・・とりあえず今は、死ねばわかるということにしておきましょう。
投稿者 matsubara | 2005年5月29日 15:15
死後の世界をどう考えるか、それは未だだれも未体験の領域(臨死体験の真偽は置いておいて)なのですから、人それぞれの考えがあって良いと思います。
霊があるかも知れないし、無いかもしれない。
有ると思ったほうが夢があっていいかもしれませんね。真実がどうなのかは死後の世界の楽しみとしてとっておきましょう。
投稿者 kameno | 2005年5月29日 19:39
霊界を知るもうひとつの方法は霊能者の言葉に耳を傾けることです。以前ネットで霊界のことを書いたら、からかわれたり揶揄されたり散々な目に会いましたので、今は止めています。しかし霊界を100%信じていることには変わりません。人は生きている間にすべきことが多いのでいい加減な言動は出来ません。こういうことを伝えるのも私の役割のひとつと思っています。でもこれを僧侶のあなたに言うのは僭越ですね。失礼しました。
投稿者 matsubara | 2005年5月30日 22:02
matsubaraさん、コメントありがとうございます。
霊界について、特に否定はしませんが、100%という言葉は安易に使わないほうがいいと思います。
例えば、絶対的と思われる物理法則でも、それが新たな発見によって揺らぐこともあるのです。
自分の信念を根本から覆される事にもなりかねませんのでせめて99%くらいにしておいて、1%の余力を持ったほうが良いと思います。
投稿者 kameno | 2005年6月 1日 00:40
5年前なら99%でしたが、今は100%です。80%の人もいれば、30%の人もいると思いますが、やはり私は100%です。物理法則の次元ではありません。私の周囲には100%派が多くいます。確信と思われる現象が起きたり聞いたりしているためです。しかし私に迎合して下さらなくていいです。反論の方が多いかも・・・いつも反論されているので平気です。神の存在を信じるかの有無に関わってくると思います。私は存在派です。
投稿者 matsubara | 2005年6月 1日 22:46