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66年目の終戦の日を迎えました。
戦渦により犠牲になられたすべての方々に心より哀悼の意を表します。
さて、一昨日、カタストロフィーと寺院の役割 という記事を書きました。
その続いを少し。
さまざまな事象が、カタストロフィーモデルに当てはめて考えることができるということで着目されている理論です。
典型的な例を図に表してみました。
ルネ トムのカタストロフィーモデルと呼ばれるものです。
時間軸が手前から奥へと進んでいくと考え、次々にやってくるゆるやかな双曲線(図の手前の青い双曲線)が、次第に鋭角的な波頭型に変わり、それがさらに進行すると、突然不連続現象が現れます。
これがカタストロフィーの不連続面です。
この不連続面は、実際の社会現象では例えば明治維新、東京大空襲、横浜大空襲、原爆投下、終戦、バブル崩壊、大規模住宅開発、大震災、大津波・・・・大きな社会的事象が起きると、局所的あるいはある程度広範囲に歴史的な不連続面が生じる典型的な例として挙げられます。
日本においては、「終戦の日」が最も大きな不連続面の一つに挙げられるのではないでしょうか。
過去の終戦に関するブログ記事を併せて列記します。
65年目の終戦の日
星条旗の下に生きた日系人たち
松根油と戦時中の永谷
太平洋戦争空襲~終戦の日
この不連続面では、過去から未来へ向けての「記録」「記憶」が欠落してしまいます。
その欠落を埋める役割として、寺院、僧侶が重要な役割を果たしています。
寺院は、カタストロフィーの不連続面においても、よほどのことが無い場合を除いて、場所を移動せずその場所に「在り続け」、地域に密着して記録を残し続けています。
そして、その記録を伝承している代々の住職、僧侶が居ます。
寺院は、不連続面により断絶されてしまった地域の記憶を蘇らせる時間軸を結ぶための太い糸となっているのです。
さらに、災害時の寺院、僧侶のネットワークが大きな役割を果たしています。
大災害直後は、地元に密着した現地の寺院、その周囲のネットワークが災害拠点として大きな役割を果たしました。
その後、全国を結ぶ寺院のネットワークにより、情報共有、ボランティアの輪が広がっていきまいた。
必要なところに必要なものが届けられる拠点としての寺院の役割は、今回の大震災でも大きなものとなっています。
そのような寺院の、そして僧侶たちの一つひとつの役割が繋がって(時間軸の縦方向、同じ時間で空間的に横方向に広がる強い繋がりが)結果として大きな力となっているのだと思います。
もう一つの話題も。
お盆の時期、戦没者慰霊で灯される「灯明」は、迷いなき真実の智慧、闇を除き、闇を明るく照らす除暗遍明という大切な明かりです。
火は、
時には恨みを込められたものとなり、
人の命を奪うものとなり、
平和の象徴となり、
生きる力を与えるものとなり・・・
さらに、蛇足的に付け加えれば、以前ブログ記事 眼に見える世界は蝋燭の炎の形 で書いたとおり、私たちが今、直接見ることができる世界を図に表すと蝋燭の炎のような形になります。
(理由は上記ブログ記事を参照ください)
私たちが「今」眼にしているものは、すべてが蝋燭の炎の表面の部分に並んでいます。
また、眼に届くものの姿は、蝋燭の炎の表面を辿って私たちの眼に届けられます。
時間軸は下にいくほど過去に遡るのですから、見えているものは必ず過去の姿であることがわかります。
しかしながら、蝋燭の炎の表面の部分は見える可能性があるとはいえ、全て見ることはできないわけです(ぐるっと360度周囲全体を同時に見ることは不可能ですし、ある物体の裏側を同時に見ることも不可能です)から、私たちが捉えることができるものは、蝋燭の炎の表面の部分の、さらにごく僅かの部分だけなのです。
この蝋燭の炎の内側の部分は、過去の(歴史の)世界となります。
そして、蝋燭の炎の外側の部分は「絶対に見ることが適わない」世界となります。
カタストロフィーのモデル図は、まるで日本を襲った大津波のような形をしています。
私たちが目に見える世界の範囲を図に表すと、まるで灯明の炎のような形になります。
今日はお盆の最終日。
それぞれの家にとって、ご家族を失うということは、その家にとってはカタストロフィーの大きな波がやってきたのと同じことなのかもしれません。
機会あるごとに故人に思いをはせ、ご先祖様へのご供養を行う、この日本の良き伝統は、世代間を繋ぎ、それぞれの家のカタストロフィーの大きな波を乗り越えるための役割も果たしています。
終戦の日に、そしてお盆の日に、あれこれととめどなく書いてみました。
8月9日付けの朝日新聞 横浜版に記事を掲載していただきました。
「66年目の戦後」災後を歩む 特集の枠です。