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先日宮城県沿岸部で目の当たりにした光景は、津波によって甚大な被害を受けた一面の瓦礫でした。
環境省によると、瓦礫の総量は宮城県だけでも1800万トン(車や土砂を除く)にのぼる見通しです。
阪神・淡路大震災で発生した瓦礫の量は約1400万トンとされていますから、宮城県だけでこの量を上回っています。
岩手県、福島県など他の地域を含めると、総量はどれ程になるのでしょうか。
毎日懸命の瓦礫撤去作業が行われておりますが、作業にかかわる方は本当に大変だと思います。
心より応援申し上げます。
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振り返ると、大正12年に発生した関東大震災において、震源地に近かった横浜は甚大な被害を受けました。
官公庁やグランドホテル・オリエンタルホテルなど石造・煉瓦造りの建物は一瞬にして倒壊し、更に火災によって外国領事館の全てが焼失、工場・会社事務所も90%近くが焼失してしまいました。
震災発生が昼食の時間帯と重なったこと、台風が接近していたことにより、広範囲が焼失し一面瓦礫の光景へと変貌してしまったのです。
死者・行方不明者は神奈川県だけで3万2千人、日本全体で10万5千余とされています。
さらに、横浜に居留していたアメリカ、ヨーロッパ諸国の貿易商のほとんどが横浜から神戸や海外へ流出してしまい、当時日本経済を支えていた生糸などの貿易拠点としての横浜の地位が極端に低下してしまいます。
「横浜はもう立ち行かない」「東京へ合併しては」など、絶望的な感情が市民を覆いつくしたそうです。
街や港湾施設の復興の妨げになったのが、大量に出た瓦礫。
この瓦礫をどのように処理するかが大きな課題でした。
その問題に、中心的に立ち向かったのが、当時横浜市助役だった楢岡徹氏です。
大量の瓦礫を使って横浜港を埋め立てする計画を立案しました。
1863年頃 フランス波止場完成(現、山下公園中央部)
1923年 9月20日 震災後の市の復興試案の中で海岸遊歩道として立案される
1923年10月10日 震災の折に発生した瓦礫の集積場として指定される
1923年10月14日 横浜都市計画案の中で、海岸遊歩道構想が海岸公園として計画される
1923年11月15日 公園計画が政府案に組み込まれる際に、その名称が山下公園に確定する
1925年 6月 着工
1930年 2月28日 完成
1930年 3月15日 開園(年表はウィキペディアより引用)
計画立案から約7年の歳月をかけて出来上がったのが「山下公園」。
今や横浜のシンボルとして欠かせない存在です。
山下公園は、このように関東大震災の瓦礫によって出来た公園なのです。
みんなでつくる横濱写真アルバムに、開園当時の山下公園の写真が掲載されています。
⇒http://www.yokohama-album.jp/picture/detail/3028/
洗練されたデザインの公園の完成は、関東大震災から復興する横浜の原動力として横浜市民の心に刻まれることとなりました。
東日本大震災で甚大な被害を受けた地域も、復興に向けて力強く進むことを願っています。
東日本写真保存プロジェクトが受付を開始しました。
東日本大震災で失われる前の風景や思い出、被災地の現在のありのままの姿 、被災地にのこされている思い出の品物の様子、復興の過程の様子などなど、震災の記録を写真でのこすプロジェクトです。
※お願い: 復旧活動や安全確保の妨げにもなりかねない、個人的な見物や写真撮影を目的とした被災地への立ち入りは自粛いただきますようお願い申しあげます。
袋田の住職、こと茨城県龍泰院の住職出村尚英です。
復興への取り組みということで、ネット検索していたら
たまたま、貞昌院様のウェブサイトにヒットして、こちらを拝見いたしました。
横浜が関東大震災で甚大な被害を受けたこと、山下公園がその時の瓦礫でできていたということなど初めて聞く話で大変勉強になりました。
6月に神奈川県を梅花特派で巡回させていただくことになりましたので、
宜しくご指導のほどお願い申し上げます。
日本を代表する港町横浜も神戸と同じように大震災から復興を遂げた街だということを知れば、東北や茨城の津波の被害を受けた町の皆さんもきっと勇気づけられることでしょう。
こちら茨城では、連日余震が続いています。
投稿者 袋田の住職 | 2011年4月26日 08:27
袋田の住職さま
コメント有難うございます。
大正12年の関東大震災の際には、こちら貞昌院の本堂庫裏も倒壊してしまいました。横浜の市街部はそれこそ甚大な被害を受け、震災直後の市民は絶望感をいだいたことでしょう。
日本全体の支えを受けて横浜が復興したように、東日本大震災からもきっと遠からず復興することと信じています。
特派ではお世話になります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。合掌
投稿者 kameno | 2011年4月26日 23:47