昭和20年(1945年)8月15日の終戦から80年目の日を迎えました。
日本武道館では、全国戦没者追悼式が行われ、戦没者遺族や各界からの代表など、4500人が参列しました。
コロナ過により、一時参列者を絞っての開催でしたが、昨年より通常開催となっています。
このほか、全国各地で追悼行事が行われています。
ただ、戦後80年が経過していることから、参列者のうち戦後生まれの割合が5割以上に達しています。
この割合は年々増加していくことになりますので、戦争体験の継承をいかに維持していくか、大きな課題となっています。
戦没者追悼式では、国歌斉唱と石破首相の式辞後、玉音放送が流された正午の時報に合わせて1分間の黙とうをささげた後、天皇陛下がお言葉を述べられました。
全国戦没者追悼式 天皇陛下のお言葉本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来80年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
2500年前、お釈迦様は、次のような言葉をのこされています。
実に この世においては およそ怨みに報いるに怨みを以ってせば ついに怨みのやむことがない。 堪え忍ぶことによって 怨みはやむ。これは永遠の真理である。 怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は 怨みのないことによって静まるであろう。 怨みにつれて次々と現れることは ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は 怨みをつくらない。
釈尊のことばを伝える経典『ダンマパダ(法句経)』にある一句です。
80年目の終戦の日を迎え、この釈尊のことばが改めて心に沁みます。
句中の「ウラミ」という言葉には「怨み/恨み」両方の漢字が当てられます。
不平不満への「恨み」と違って、「怨み」には更に強く激しい人に対する感情が籠められています。
もしも戦いによって勝者には驕りが、敗者には怨みがもたらされるとすれば、そこからの離脱はかなり困難です。 戦後65年経った今でも完全なる解決がなされていないことからも判ります。
また、世界の恒久平和が人類共通の願いであっても、その共通であるはずの同じ目的を達することが如何に難しいかは、これまでに世界各地でどれ程の戦争、紛争が起こっているかということを見ても明白です。
近代国家の多くは、巨大な軍事力を誇示することによって自らの安全を確保しています。
そして、自らの国・民族・宗教の安全を守り自らの平和を守るという大義名分の下、戦争、紛争が繰り返されてきました。
敵対を生み出す源は、自己中心のエゴイズムに他なりません。
私たちが自己中心的なエゴイズムを他人に押し付けるのと同じように、国家間、民族間でも自国・同胞の都合によって敵と味方という区別を作り出しているともいえます。
それゆえ、自国中心の国家エゴイズムから脱却すること無しに平和の実現は不可能でしょうし、ひいては自らの安全を守ることも出来ないでしょう。
戦後の日本は、確かに様々な問題を孕んいることは否めませんが、80年に亘り戦争、紛争を引き起こすことの無かった数少ない国です。
この事実は大きな意味を持ち、日本の誇るべき事実です。
今こそ、釈尊の教えを改めて噛み締めたいものです。