曹洞宗僧侶になるための段階

今日は檀信徒総会の後、近隣の寺院で行われる晋山結制・首座法戦式の最終準備もあり、特に忙しい一日でした。
 
曹洞宗の僧侶は、いくつかの段階を経なければなりません。
 
(1)得度(とくど=父母の恩愛を断ち、落髪して出家となる)
(2)立身(りつしん=修行道場で修行を重ねた上、修行僧の集団の中でリーダー役である首座(しゅそ)を一定期間つとめる)
(3)伝法(でんぽう=釈尊の法は、代々人格的なふれあいの中で伝えられてきた。師匠の法を正しく伝えられて一人前の仏弟子となる)
(4)瑞世(ずいせ=両大本山永平寺、總持寺本山に登り一夜の住職となり、両祖さまに導師として報恩の諷経をする)
(5)住職(一寺の責任者となり、仏に代わって法を人々に説く)
(6)晋山(しんさん=新しい住職として、その寺院に正式に入る)
(7)結制(けっせい=自らの寺で修行僧を集め、一定期間、安居生活を行じる)

というものです。

首座は、第二番目の段階で、修行僧のリーダーをつとめるわけですが、その締めくくりとして、住職に代わって説法を許され、大問答を繰り広げます。それが法戦式という儀式です。
今回の禅問答のテーマは、『従容録(しょうようろく)』の達磨大師に関する部分が選ばれました。

諸老師に説法のご挨拶に回ったあと、竹篦(しっぺい)という弓を預かり、いよいよ問答開始。

20050327-9.jpg

今日の習義では、礼拝、歩行の作法の最終確認を行いました。

首座法戦式(しゅそほっせんしき)は、行持綿密を旨とする曹洞宗の特徴が出ている儀式といえます。本番まで一週間。首座をつとめる慈光上座が、どのような禅問答を展開してくれるのか、楽しみです。


豆知識:「しっぺ返し」ということばは、この竹篦が語源となっています。

しっぺ返しの語源・由来

しっぺ返しは、もと「竹篦返し(しっぺいがえし)」。
「竹篦返し」の「竹篦」とは、座禅の際、戒めのために打つ道具で、割った竹に漆を塗った細長い板状のもの。
「竹篦」は、鎌倉時代に禅宗の伝来とともに伝わった。
大寺院の場合、高徳の僧が交代で「竹篦」を打つ役を務め、打たれた者も打ち返す立場になることから、やられたことを即座にやり返すことを「竹篦返し」と言うようになり、「しっぺい」の「い」が消え「しっぺ返し」となった。
また、人差し指と中指を揃え、手首のあたりを打つことも「しっぺ」という。
これは指を「竹篦」に見立てたもので、1603年刊の「日葡辞書(にっぽじしょ)」にも解説されており、このような行為が古くから存在したことがうかがえる。
『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/si/shippegaeshi.html

投稿者: kameno 日時: 2005年3月27日 23:49

コメント: 曹洞宗僧侶になるための段階

法戦式にはあまり良い思い出がありません。私は、大雄山で首座を務めました。修行に上がったその年、33歳の首座和尚です。
その年の新到の数は20人、本山から比べれば少ない人数ですが地方僧堂としたら結構な人数でした。最初選ばれたのは、静岡の某寺の20さいそこそこの同安居の和尚でした。

その和尚が直前になって逃げ出したのです。そこで未だ立職していなかった私が急遽選ばれました。でも、当時の維那和尚は、堂長の余語老師や他の役寮諸老師が決められたこの人選に不満だったのです。
自分が選んだ新到が逃げ出したにも拘らず、最後まで憤懣やるかたない様子でした。それで私は最後までこの和尚に苛められえる事になるのです。

清浄なる物を求めて入った修行道場で、このような経験をするとは思ってもいませんでした。

それでも、今でも親交のある同安居のかた、諸先輩、役寮諸老師の助けがあって何とか切り抜けられました。また、なんと言っても余語老師の励ましが一番有難かったです。
その後、開創600年の記念大授戒会と人手が足りなくなった時の2回、再安居せよとの下命を戴き有難く拝受することとなります。

修行道場ではどなたも悲喜こもごもの経験をされた事と思いますが、その中での「首座」という立場は、大変に得がたい経験でした。

投稿者 usagi | 2005年3月28日 16:15

usagiさん、そのようなこともあったのですね。
でも、縁というものは不思議なもので、成るべくして成ったのではないでしょうか。
いずれにしても、大変な思いをしたことほど、後で思い返すと得がたい体験だと思えたりするのものなのですね。

投稿者 kameno | 2005年3月28日 17:05

こんにちは。現在アメリカに留学中です。今回は宗教の授業の一環で禅についてプレゼンを行うことになりました。日本文化を伝えるいい機会になると思います。
今回質問させていただきたことがありコメントさせていただきます。曹洞宗の僧の一日の生活を時間を追って大まかにご説明いただけませんか?

投稿者 Yumi | 2005年4月20日 11:54

Yumiさん、お問合せありがとうございます。
禅僧の一日は概ね次のとおりとなっています。

・起床(夏季は3時、冬季は4時半など)
・暁天坐禅(朝の坐禅)
・朝課(朝の法要)
・行鉢 (食事作法)
・作務 (掃除など)
・日中諷経 (昼の法要)
・晩課諷経 (夕方の法要)
・夜坐 (夜間の坐禅)
・開枕 (9時就寝)

詳細については↓が参考になります。
http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/kikou/sandai1.htm

プレゼン、成功することを祈念しています。

追伸:海外にも禅寺はたくさんあるんですよ。曹洞宗については次のとおりです。
http://teishoin.sakura.ne.jp/zazen/san3.html

投稿者 kameno | 2005年4月20日 15:44

Thanks

投稿者 freebies | 2005年5月11日 13:44

始めまして。私は、44歳の会社員男性です。結婚して子供も二人おります。実は、曹洞宗の僧侶になりたいのですが、最短の方法をお教え願いますか。
また、僧侶となり家族を養うことができますか。
どなたか、教えて頂きたく思います。

投稿者 大森政敏 | 2006年6月 7日 00:18

大森様
まず、家族を養うために僧侶になろうと思うのなら、その動機は感心できません。
ただし、純粋に仏道を求めたいのならば道は開けるでしょう。まずは師となる僧侶を見つけることです。

投稿者 kameno | 2006年6月 7日 07:21

kameno様

ご返事ありがとうございます。家族とも話し合いました結果
純粋に仏道に求めたいと思います。
必ず道は開けると思います。
また、詳しく僧侶になる道を、お教えいただけたらと思います
私には、初めての経験ですので師となる僧侶の求め方もわかりません。

投稿者 大森政敏 | 2006年6月 8日 00:04

大森様
そこまでの決意があるのでしたら、まずはお近くの寺院をお尋ねになるか、宗務庁 http://www.sotozen-net.or.jp の相談窓口にお問い合わせくださるのがよろしいと思います。
坐禅会の紹介のように簡単に紹介できるものではなく、自分の一生を決める師を求める訳ですから、それなりの覚悟でお探しください。

投稿者 kameno | 2006年6月 8日 12:13

kameno様

ご返答ありがとうございました。
早速、宗務庁に問い合わせてみたいと思います。
これも何かのご縁だと思いますので、これからもよろしくお願い致します。立派な僧侶になり、世の中の人々の力となり、
kamenoさんとお会いできる日を、楽しみにしております。

投稿者 大森政敏 | 2006年6月 8日 23:35

大森さん

日本の「仏教」に崇高なものを期待されて僧侶になられるのなら、かなりの落胆、失望も覚悟した方が良いですよ。一般的に日本の僧侶は堕落しており、一般の人の方がよっぽど厳しい生活をしているくらいです。勿論全部の坊さんが堕落している訳ではありませんが、世の中、街中で会う(特に夜に繁華街で会う)坊さんの多くは仏道なんて言えるほど立派な人は居ません。修行に行かれたら分かると思いますが、醜い事が多いです。浅ましい限りです。Kameno氏のような人はほんの一握りで、多くは堕落坊主です。

生計を立てるために僧侶になるという考えなら、甘いです。日本の寺で、寺だけで生計を立てられるのも少ないです。特に大森さんが地方にお住まいならなおさらです。檀家も少ない寺では他に仕事を持たないと生活どころか寺の維持も出来ない有様の寺だって珍しくありません。雇われ坊主って手もありますが、寺でサラリーマンやるのと同じです。会社か寺かって差だけです。

崇高な理念、信念をもって出家されるのなら、Kameno氏の言うように、師匠となる人はよほど見極めて下さい。坊主は外見では幾らでも偉そうな事を言います。ちょっと会って話したくらいではその人の本当の姿は見えません。まず寺に行って、きちんと掃除、たたずまいが整っているか、表だけでなく、見えない部分も観察して下さい。またやたら張り紙だのしてお金の事とか書いているような寺も止めましょう。そいてお墓に行って見てください。お供え物やお花の管理は出来ているか、ゴミ箱はきちんと綺麗になっているか等もみて下さい。

出来れば平日に行きましょう。土日は法事などで人が出入りするので当然、手入れはしますから綺麗になっていて当たり前です。人の来ない平日に診てまわると普段の姿が見えます。

人目にあまりつかないところもきちんと手入れが行き届いている寺なら、まず良いでしょう。それも出来ていない寺は即刻却下です。

重ねて言いますが、日本の坊さんの多くは堕落しきっており目に余るケースが多いです。修行だって修行なのかイジメなのか分からないことだって多いです。自分の信念に生きるなら、それらの醜い環境に負けない精神力を持つことが大切です。
そして後悔の無い様に下調べはしましょう。

経験者として忠告します。奇麗事ではすみません

投稿者 soto | 2006年6月 9日 00:56

sotoさん、コメント有難うございます。
私たち僧侶にとっては辛辣なご意見ですが、真摯に受け止めていきたいと思います。
日本の僧侶が堕落しているかどうかはわかりませんが、それはどうでも良い話だと思います。
きちんとした師について、自分がきちんと信念を貫くのであれば、周りがどのようであっても関係ありません。

結果的に真剣に仏道をもとめていく姿が周りに伝播していく・・・もしも日本の僧侶が堕落しているのであれば、それを是正する良い影響が伝播していくといいですね。
また、その原動力になるんだ!というぐらいの気構えが欲しいですね。

投稿者 kameno | 2006年6月 9日 14:22

その通りです。
私が申し上げたかったのは、もし大森さんの出家が”寺”という環境に入る事により、そこには一般社会と隔絶された神聖な環境があり、それにより自分が磨かれるといった、言わば受身的な姿勢だと後悔することになると言う事です。ご本人が自分自身で自分を高める(仏道を求める)のなら周りは関係ないですね。ただいろんな意味で辛い事もある事は知っておいて頂いた方が良いと思いました。

失礼なコメント残した事お許し下さい。

投稿者 soto | 2006年6月 9日 23:22

kameno様 soto様

お二人のご意見誠にありがとうございます。お二人の意見をきき、ますます僧侶になる決心がより高まりました。私は、お二人にお誓いします。必ず誰にも負けない立派な僧侶になってみせます。自分の信念を貫き通したいと思います。日々前進です
ありがとうございました。
 また、メールさせて頂きたいと思います。
 
できれば、お二人にお会いしたいです。

投稿者 大森政敏 | 2006年6月11日 00:57

はじめまして。「法戦式」のことを調べていてこの記事を知りました。私の記事で紹介させていただいたのですが、トラックバックが上手く送れなかったもので、コメントにて失礼いたします。
「しっぺ」の語源が「竹篦」・・・なるほど、まさしくそういう動作だなと思いました。(笑)

投稿者 わたりとり | 2006年8月10日 13:06

わたりとりさん、コメント&TB有難うございました。
法戦式は、滅多に行われない行事ですし、大抵は関係者・檀家さんにしか案内をしないため、一般の方が見る機会は少ないと思います。
もしご参列をしたいのであれな¥ば、お近くのお寺さんに、これから何処で法戦式があるかをお尋ねになるのかもひとつの方法かもしれません。

投稿者 kameno | 2006年8月12日 09:04

高校時代の恩師を探しています。およそ10年前の話ですが、永平寺に僧侶として修行へ行くと聞いたまま、以後の消息がつかめなくなっている方です。法名を聞いた記憶もあるのですが覚えておらず、本名で直接お寺に問い合わせれば、何かしら教えていただけるものでしょうか?どなたか捜索にお知恵を貸してください。

投稿者 Jin | 2006年11月28日 14:46

Jin様
法名でなくても、本名が判ればお探しすることは出来ると思います。
ただし、個人情報保護法の関連もありますので、お教えいただけるかどうかの可否は、永平寺の判断になると思います。
まずはお尋ねになることが宜しいと思います。

投稿者 kameno | 2006年11月28日 15:24

kamenoさま
アドバイスありがとうございました。
さっそくお寺に問い合わせ、本名で調べていただけたのですが、名簿にそのような名前はないとのことで、結局消息はつかめませんでした。たしか福井県の曹洞宗のお寺と聞いていたので、てっきり大本山かと思ったのですが…。そちらのお坊さんに紹介していただいた他の有名な道場にも問い合わせてみたのですが、そちらにも名前は見つかりませんでした。
他に手がかりとなる情報は何もないのですが、どうにか探し出す手掛かりはないかと考えあぐねています。他に、どちらか問い合わせることができる窓口などありますでしょうか?

投稿者 Jin | 2006年12月 1日 14:33

jinさん、そうでしたか。
曹洞宗宗務庁で調べていただけるかもしれません。
前述いたしましたとおり、個人情報保護法の関連もありますので、教えていただけるかどうかはこの場では言えませんが、きちんと理由をお伝えしてみてください。
宗務庁の電話番号は以下のとおりです。
03-3454-5411 (代表)

投稿者 kameno | 2006年12月 1日 14:43

kamenoさん

重ねてアドバイスありがとうございました。
実は、宗務庁へ問い合わせを試みる前に、同級生のひとりから、恩師と思われる人物が托鉢をしているところを見かけたとの目撃情報が入り(と言っても5年も前の情報でしたが)、目撃された町にある曹洞宗のお寺を片っ端から尋ねてみたら、ついに出入りしているお寺が見つかりました。まだ直接連絡はとれていませんが、時を見て訪ねてみたいと思います。
ありがとうございました。

投稿者 Jin | 2006年12月 5日 14:41

見つかりそうとのことで、何よりです。

投稿者 kameno | 2006年12月 6日 01:07

ご無沙汰しております。あれからいろいろ考えた結果、いま在家僧侶養成講座の通信教育を、受けてます。終了後は、僧位・僧号・道号の取得ができるという事で、勉強しております。
将来は法事や葬儀など執り行え戒名などもつけられ、僧侶として本格的に活動できる道も開かれると言う事ですが、このような通信教育在家僧侶についてどう思われますか?

投稿者 大森政敏 | 2007年2月 5日 21:35

大森様
その在家僧侶養成講座の通信教育の内容がどんなものであるのか分かりませんが、なぜ「僧侶養成講座」ではなく、「在家僧侶養成講座」なのでしょうか。
わざわざ「在家」としているところに、御質問の回答があるように思えます。
曹洞宗の僧侶になる段階の第一は出家得度することです。その段階無くして、少なくとも曹洞宗の僧侶には成りえないといえます。

投稿者 kameno | 2007年2月 5日 23:56

kameno様

ご返答ありがとうございます。やはり今現在、出家で受け入れてくださる寺も無く、途方に暮れているよりも真理を求める目的はひとつの仏道を求める道として、今の講座を勉強し出家得度の機会を伺いたいと思います。
 私は、今の僧侶というものが職業化、商業化してしまっている事が、悲しく思います。職業ならば、作法を知っていれば良いのですから、修行など必要としません。その結果、修行がおざなりとなり、一般僧侶の仏教者としての意識は極端に低下していると思います。私は、日々勉強し知識を磨きその上でもう一度、出家得度していくつもりでいます。ありがとうございます。感謝申しあげます。

投稿者 大森政敏 | 2007年2月 6日 23:38


管理者注

このコメントは削除されました

投稿者 ****** | 2008年1月21日 13:04

濱渦さん
在家僧侶の申込請求をされたとのことですが、当方は在家僧侶通信教育とは一切関係ありませんので、その点をご了承ください。
※コメント欄の住所と電話番号を一部伏字にさせていただきました。

投稿者 kameno | 2008年1月21日 17:58

大森様

初めまして、kameno先生にお世話になっています天真と申します。私は新聞で「在家僧侶育成」の広告を見た事がございます。個人的な見解ですが、主催する団体の独自の内容で、各宗派の僧侶の身分を保証した物ではない事は確かですね。昨年、俳優の保阪尚輝さんが出家されたそうですが、真言宗系と聞いています。ただ、あの方の師匠は所謂霊能者という部類に属する事があり、良い事は言われません。著名人が何人か仏門に入りましたが、一定期間は道場で修行をされています。在家僧侶育成の場合、修行をしたという証明を何処でされるのでしょうか?

昨今、お寺さんは後継者不足であると言われています。生涯ひとつの仕事をするという事は並大抵の事ではありません。サラリーマンの場合はイヤになれば転職ができますし、家族とごく親しい方に迷惑がかかる程度ですが、僧侶の場合は途中でリタイヤする事は大勢の皆さんに迷惑をかける事になります。また、外から見ているお寺さんの生活と、実際のお寺さんの生活が違う事もあるでしょう。

やはり、お寺さんで坐禅会とか写経といった体験をされる機会を得て、お寺さんの実際を肌で感じては如何でしょうか?昨今はネット上で坐禅会や写経の出来るお寺さんを探す事は以前より簡単に出来ます。何かしらのあしがかりになると思います。
首都圏にお住まいでしたら、横浜の總持寺や西麻布の永平寺別院等で坐禅会が行われていますし、戒法を授ける儀式である授戒会もあります。

私は子供の頃お坊さんに憧れました。両親の反対もありましたが、お師匠様と呼べる人に巡り会えなかったという次第です。偶々、一昨年、知り合ったお坊さんの紹介で、あるお坊さんを紹介されました。その方に就いて在家得度のご縁を頂きました。在家得度は信仰の篤い信者に対して戒法を授ける儀式です。私自身がお坊さんに憧れてから30年近く経って良い仏縁に巡り会えた訳です。死ぬまでにはお坊さんになりたいという気持ちは持っていますが、今の自分の置かれている立場で仏教を学び、実践しています。

是非、良い方向で仏縁に恵まれますようにお祈り申し上げます。益々ご精進の程・・・

投稿者 天真 | 2008年1月24日 22:47

私は以前、僧堂というところにいた。
そこでは、相撲部屋と同じような暴行事件が起きていた。
仏につかえる身でありながら、殴る蹴るは日常茶飯事。
血を吐くもの、警策(坐禅で用いる棒)や木刀、あるいは鉄パイプで殴る。
私も傷跡を残している。
入門から五分の一に減る僧侶。
残る者は、凶悪犯のような顔となっている。
逃げ出す者は当然のこと居り、暴力によって身体障害者となった仲間も居た。
家族からの警察騒ぎになることもあったが、暫くすると何事も無かったかのようにことが収まっている。
長年の関係から、警察とも結託しているのだ。
これは修業世代の人間だけが起こすことではない。
いわゆる、位の高いとされる世代に渡って、堂内差別、脅迫、金銭の窃盗や資金の使い込みもが起きている。
僧侶の世界は、畜生、奴隷、人間、仏様の段階がある、という。
また、宗として決めている僧侶の“格”というものも、3等、2等、1等、権大…
というように、上下の差をつくっている。
身分の低い僧侶は、高い僧侶に対して顔を見ることも許されない。
仏門の世界に対して、一般世界を“シャバ”と呼ぶ。
その団体生活は、まるで極道の世界。
弱肉強食、全体責任、抑圧された世界だけに、弱いところにしわ寄せが行き、強い者は何ら痛むことはない。
僧堂歴の無い僧侶が中には居るのだが、その人のほうがより人間らしい。
また、僧堂のある場所によってもその閉鎖性は違う。
山間部にある僧堂は、市街地にある僧堂とは違い、相手を認めることができない。
井戸の中の蛙状態となるのである。
私は資格取得までの期間、その宗派で2番目の位とされる人の内弟子であった。
国内僧侶のVIPといわれる人たちに接したり、あらゆる宗派の人たちとも会った。
また、帰属してからも、様々な宗教とその人たちと接して、実状を垣間見た。
やはりその中で最も閉鎖的だったのは、仏教の禅宗系であると感じた。
私は一般社会の人たちのほうがよほど自然な信仰をしていると感じており、以来僧侶が信用できないでいるのである。

投稿者 Anonymous | 2008年9月11日 17:05

匿名様
コメントありがとうございます。
人によって感じ方は様々だと思います。
私はそのようには感じておりませんが、貴重なご意見として受け止めさせていただきます。

投稿者 kameno | 2008年9月11日 17:26

KAMENOさん、お久しぶりでございます。私はコンピューターを使わない人間だったので、KAMENOさんのこのコラムを発見し、KAMENOさんらしいな・・・と思い、うれしく思いました。
さて、先ほどから何度もコメントを書きましたが、長すぎてしまったのか、突然消えてしまうこと2回。短い文で、消えぬうちに、何回かに分けて送らせて頂きますことをお許しください。

投稿者 高橋良徹 | 2012年9月 3日 10:59

高橋さん
コメント有難うございます。
エラーで消えてしまったとのこと、サーバーのエラーとはいえ、失礼いたしました。コメントを送る場合、送信ボタンを何度も押すと、処理が追いつかずエラーに成ることがあるようです。
一回送信ボタンを押していただいたら、10秒ほどお待ちいただけますでしょうか。

投稿者 kameno | 2012年9月 5日 06:43

初めましてKAMENO老師様。質問者の方々に対して、懇切丁寧に、また心温まるコメントを返されている様子を拝見させて頂きました。その中で一つ疑問に思ったのですが、匿名でコメをされていた方が仰る様な僧堂は実在するのでしょうか?
私は、幾つかの僧堂で修行をさせて頂きましたが、未だかつてその様な体験をしたことがありません。確かに、心身ともに厳しいご指導を受けた所もありましたが、鉄パイプや木刀を常備している修行道場など聞いたこともありません。仮にあったとすれば、もはやそこは修行道場ではなく、拷問場や処刑場に近いはずです。
また匿名の方が仰る様に、国内僧侶の中にVIP的な格付けをされた方々など存在するのでしょうか?私は、世の中に認められた素晴らしい御老師ほど、質素で謙虚な生き方をされているな〜といつも感じております。しかも、そういった御老師方は、位などどうでも良いといった調子です。
私は、僧侶と一般人とを区別される方々に申し上げたいのですが、お坊さんも皆さんと同じ人間ですから間違いもすれば失敗もします。
匿名の方が仰る僧侶の世界観は、私にはよくわかりませんが禅宗もそれ程捨てたものではないと思います。少なくとも、私がお世話になった道場は、半端の無い程厳しいところでしたが、弱肉強食ではなく皆が互いに励まし、助け合いながら生活をしてきました。匿名の方が場所や宗派にこだわるのであれば、それはご自身の考え方が閉鎖的になっているのではないでしょうか?禅は、場所もモノも選びません。『安禅は、必ずしも山川を用いず。心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し』だと思います。
KAMENO老師様、この場にて長々と申し訳ございませんでした。今後とも、老師様を応援させて頂きたいと思いますので宜しくお願い申し上げます。

投稿者 健貢 | 2014年6月 2日 23:07

健貢さま
ご丁寧なコメントをありがとうございます。
同じ修行生活を過ごした同安居(修行の同級生)は、修行を終えて何年経過しても特別な仲間(勝友)でもあります。
そういった勝友を得られるということが何よりの宝なのだと思います。
私も健貢さまと同意見です。

投稿者 kameno | 2014年6月 3日 07:43

日々のお勤めご苦労様です。私は60を過ぎた者です、若い時から、道元禅師の言葉が大好きで、座右の銘として「仏道を倣うと云うは-自己を習うなり、自己を習うと云うは、自己を忘るるなり、自己を忘るると云うは、仏に護念されるなり・・・」
(だったでしょうか?うら覚えで違っていましたら、お許し願いたい) 人生折り返しを過ぎましたが、昨年、カンボジアへ一人で渡りキリリングフィールド大量虐殺の地へ行き合掌して参りました。私が二十代の頃知り合ったカンボジアの友人・知人も恐らく、あのおびただしい頭蓋骨の一つになっていたのだろうと思うと、何ともおぞましくやりきれない思いでした。この国の為に何かお手伝いが出来ないか?又、そういった志を持った人達との交流が出来ないか?その為にも僧侶の皆様のリーダーシップが必要では無かろうか?との思いです。あえて、私は、きれい事を言いますが、儀礼・儀式の仏道修行も一方では大切な事と思いますが、あの広大なインドの地を、迷い苦しむ民衆の為に、救わんが為に歩き、生涯を終えられたお釈迦様に倣って、何かお手伝いが出来ないか?と思う私は、身体は老人、気持ちは青年の独り言です。 合掌

投稿者 田舎の熊ごろう | 2015年7月30日 12:25

田舎の熊ごろう さま
コメントありがとうございます。
そのような発心をされ菩薩道を歩むことは尊いことです。
まずは、今何ができるか、ですね。

投稿者 kameno | 2015年7月31日 08:04

純粋に座禅に熱中しています。でも自宅で一人でやっても雑念ばかりが浮かんで集中できません。いくつかの禅寺の座禅会にかよってますが30分ぐらいしか座禅はしません。後は住職の30分くらいの説法を聞かされ、お茶を飲んで終わりです。私は1時間以上の座禅で10分くらいの説法で終わるような座禅会や座禅道場を探しています。どこかにありませんか?
また私の考え方と似たような方々と意見を交換いたいと思います。

投稿者 座禅翁 | 2015年8月25日 05:40

座禅翁さま
コメント有難うございます。
本山や地方専門など、ある程度僧堂大きな修行道場では、例えば摂心坐禅会(12月1-8日)や、一泊坐禅会のなどようにある程度の期間開催されるものもあります。
問い合わせてみては如何でしょうか。

投稿者 kameno | 2015年8月25日 08:52

初めまして。わたしはいま禅寺で見習いとして修行しているものでございます。

誠に不躾ながら
座禅翁 さんにアドバイスがあり
コメントさせていただきました。

30分くらいしか坐禅させていただけないとのことですが

わたしは
坐禅会が日曜朝4時から40分間なので
いつも3時に伺い
まだご住職も起きていない中
ただひたすら皆が来るまで本堂前で
坐禅させていただいております。

そういった方法もあると思いましたので
コメントさせていただきました。

投稿者 雲水 | 2016年6月17日 05:32

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