博物館?閉館の波

昨日の朝日新聞一面トップ記事に次のようなものがありました


博物館?閉館の波 財政難 戦後初の減少

戦後増え続けてきた日本の博物館の数は自治体が設置を争った結果実に4千以上を数え、満足に展示すらできない館も出てきています。
このような日本の文化政策の貧困さ、そしてこの領域で起きている変化・きしみを追った記事です。


例えば熊本県天草市の市立「新和歴史民俗史料館」は、入り口はシャッターが下りたまま。
昨年度の入館者はなんとゼロだったそうです。
館内にはカビ臭さが漂い、市民から寄託された古文書や民俗史料など約3千点が無造作に置かれている状態です。

青森では、博物館の閉館で収蔵品が行き場を失っています。
旧清掃工場の管理棟の倉庫に「地蔵」「馬のくら」「絵馬」「柱時計」「石みたいなやつ」などと書かれた段ポールが放置されているのです。
今年度予算で廃校となった旧小学校を改築して「史料館」とするための設計費は計上できるかもしれない、けれども、管理運営の面から目処が立たないのです。

地方財政の悪化も博物館運営に影響を及ぼしています。
滋賀県では「絹本著色六道絵」などの国宝18点、重要文化財197点を収蔵・保管する琵琶湖文化館ですら廃止が決まりました。
地域に眠る「草の根」の文化財も7695点収容されており、国宝も含め収蔵品の行く先は決まっていないとのことです。

さらに追い討ちをかけたのが10年以上かけて行われた平成の大合併です。
合併した市町村のそれぞれが歴史系の博物館や史料館を持っていたるため、同様の博物館を複数抱えることとなります。
隣接地域であるがゆえに展示内容が似ており、統合や閉館の対象となりやすいのです。

同様のことは、横浜市でも起こっています。
先のブログ記事で、中学校の歴史史料が棄てられてしまった事例をご紹介いたしました。
地区ごとに保存展示されてきた史料は、横浜市に集約され、そこに1点ありさえすれば良い。市としては2点以上は収蔵しなくて良い、という考えがあるのであれば、地区毎の史料は蔑ろにされてしまうということになります。


これとは逆の好事例として新潟県上越市の「上越市総合博物館」が紹介されています。
上越市は05年に、旧上越市と13町村が合併して生まれた市です。
結果、4つの歴史民俗史料館が市総合博物館の所管となりました。
特に農具などのは似たようなものが大量に収蔵されています。「唐箕(とうみ)」だけで22台。民具だけで総数1万点以上。
そこで同博物館では07年から8年計画でこれらを再整理、データベース化を行ないました。


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上越市総合博物館で07年に開催された企画展「頚城のくらし・米づくりの道具たち」
市内各地区の唐箕がずらりと並んだ。(朝日新聞2010/4/18より引用)

その成果の一つとして、「唐箕」を使われた地区ごとの共通性や細かな作りの違いなどから地区ごとの様々な生活文化を浮き彫りにできるようになり、企画展まで行なわれるようになりました。


「民俗史料について『どこにでもあるものだ』という人がいるが、捨てれば、昔の暮らしを語る史料は失われてしまう」
(同博物館・主任学芸員のことば)

まさにそのとおりだと思います。


元々、「史料を集め,建物を用意して展示すればそれでいい」という安易考えで造られた博物館であれば、その継続は難しくなります。
必要なことは、設置の際にどこまで館の社会的機能を吟味できるかということです。

一番の問題点は「資料館の学芸員育成を強化しなかったことによる資料館の形骸化」でしょう。
史料を集めただけでは資料館として機能しません。
学校設置の資料館であれば、授業の中で積極的に使っていったり地元住民と協働で行わなければ史料を生かすことはできません。


「立派なハコなんかなくても,熱心で優秀な学芸員が一人いるだけで博物館は大きく変わる」
(文化庁美術学芸課長のことば)

このことばが全てを結論付けているといえるでしょう。
熱心で優秀な学芸員、教員、担当者が、「一時的」ではなく「継続的」に配置される、そのような施策を取る必要がありそうです。



■関連ブログ記事

地域文化財がゴミに

投稿者: kameno 日時: 2010年4月19日 11:00

コメント: 博物館?閉館の波

私も地図作成作業で全国各地に行っておりましたが、どこの市町村でも国の補助金政策の為か多くの郷土資料館的な施設が完備しておりました。しかしどこの施設も殆んどは外見は立派なものでしたが見学者の姿はあまり見る事はありませんでした。

亀野様のおっしゃる通り学芸員の問題も多々ある様です。知人の話ですと図書館・博物館・資料館等の学芸員の多くが正規の職員ではなく、非常勤の職員の場合が多いそうです。特にこの様な施設に対しては予算縮小のシワ寄せが来ているのでしょう。

また国民性もあるのか、日本人はあまりこの様な地味な所には関心がなく、話題性のある大きな特別展的なものには多くの人が集まる傾向にある様です。人が来ないからまた予算が縮小されて寂れて行くとの悪循環になっているのでしょうね。

投稿者 Anonymous | 2010年4月19日 13:58

ハコモノを立派に造ることよりも、いかに展示内容を充実させるかという「見せ方」が大切だとうことが良くわかります。
また、今はそれほど貴重だと感じないかもしれませんが、時代を経るにつれて所蔵品の価値は変えがたいものになっていく蓮です。
是非継続的に所蔵品が活用されていくよう願うばかりです。

投稿者 kameno | 2010年4月20日 09:07

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