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昨日の神奈川新聞に「被災者ののグリーフケアが鍵」いう記事が掲載されていました。
震災発生より宗教者たる僧侶は様々な行動をしてきました。
大規模な災害は、葬儀のありかたにも考えさせられる問題を提起しています。
まもなく3ヶ月を迎えようとするこの時期に、改めて考え直し、今後に向けて考えることも必要だと思います。
被災者のグリーフケアが鍵数多くの犠牲者を出した東日本大震災。火葬場の処理能力を超えた遺体を前に、被災地の一部自治体は土葬に踏み切った。だが遺族らの土葬に対する抵抗感が強く、遺体を掘り起こして遍く離れた自治体に送り、火葬するケースが続出している。尊厳ある送り方とは何か。遺族感情にどう寄り添えばいいのか。葬法をめぐる議論は、突然の死とどう向き合うかという問題を提起している。
犠牲者を追悼する行脚で、津波被害が甚大だった町を歩く僧侶と牧師ら=宮城県南三陸町
約300体の遺体が土葬されている仮埋葬地=宮城県東松島市□土葬と遺族感情
▽割り切れない
「被災地で土葬に対する批判的な意見が多く出たことに最初は驚きました」と話すのは宗教学者島田裕巳さん。数十年前の日本で土葬は当たり前で、火葬が全国に広がったのは戦後、行政が火葬場を各地に建てるようになってからだという。
「火葬はあくまでも遺体の処理方法で、土葬にしたからといって遺族は自分を責める必要はまったくない。問題は死者をどう弔うかにある」と島田さん。だが、遺族感情がそう簡単に割り切れないこともよく理解できるという。
「最近は簡単な家族葬も増えているが、今回は突然の大災害による悲劇的な死。残された家族にとって、通夜、葬儀・告別式、火葬といった通常のプロセスでちゃんと弔ってあげたいという気持ちは大きいはず」また、土葬の現場では、自衛隊が埋葬の準備や身元不明遺体の搬送などを担当することが多かった。島田さんは自衛隊の活動を評価しながらも「遺族の中には自分たちの手で十分に弔えたという意識を持てない人もいるのでは」と指摘する。
▽価値観の変容
東北各地の死者の祭り方や民間信仰を調べてきた東北大の鈴木岩弓教授(宗教民俗学)も「東北地方の一部地域では1970年代まで土葬の風習が残っていた。人々の価値観が大きく変容したことをあらためて実感した」と語る。
「火葬という観念が時間をかけて広がったことで、土葬を法律違反、または非衛生的といったマイナスイメージでとらえるようになった。もちろん土葬は、条例で禁止している一部自治体を除き、墓地埋葬法に違反するものではないですが」
鈴木教授によると、韓国も葬法をめぐる状況は似ている。「死後焼かれるのは辱めを受けるのと同じ」という儒教的な思想から土葬が一般的だったが、最近は土地の有効利用の問題もあり、若い世代を中心に火葬が増加しているという。
国を問わず、葬儀のスタイルは時代とともに変遷していく。「ただ、昔は土葬が多かったと言っても意味がない。すでに人々の価値観は変わっている。今回の震災では、身近な人を亡くしたり、緊急避難的に土葬をせざるを得なかったりした人たちのグリーフケアが一番重要だ」と強調する。
「グリーフ」とは英語で「深い悲しみ」を意味する。問題は土葬の是非ではなく、納得いくかたちで弔うことができたかという遺族感情。こういう大災害のときこそ、宗教界も立ち上がるべきだと、鈴木教授は言う。▽垣根を越えて
実際、被災地や土葬の現場では、宗派を超えて僧侶らがボランティアで読経をあげる姿が各地で見られた。宮城県では、仏教会やキリスト教連合などの宗教関係者が中心となり、医療や生活支援の専門家らと連携した「心の相談室」を立ち上げた。葬法などの疑問に答えるだけでなく、遺族のグリーフケアをさまざまな分野で支援することを目的にしている。
土葬問題が映し出した遺族感情。未曽有の大災害で大事な人を突然失った人たちの悲しみをいかに鎮め、希望を持たせることができるのか。「死の生々しい記憶を乗り越えていくことで、人は前を向くことができる」(鈴木教授)。
そのためには行政、宗教、各種団体の垣根を越えた取り組みが鍵となりそうだ。
(神奈川新聞 2011/5/30より記事と写真を引用)
鈴木教授の指摘するように、問題は「火葬」か「土葬か」ということよりも、遺族の中に充分な供養を行えていなかった、納得できる形で弔うことができなかったという感情が残されているとすれば、それは大きな問題なのだろうと感じます。
ただ、この記事中で欠けている点を挙げれば、被災地に於いて、被災者の菩提寺、そして地元の寺院はそれぞれ活動をされているということに触れていない点です。被災者ののグリーフケアは、物理的に不可能な場合を除いては菩提寺、地域の寺院が最優先で行っているということを指摘させていただきます。
記事中写真にある東松島の墓地には震災発生一ヵ月後に参拝させていただきました。その場にいた役所の方に伺うと、火葬場の順番が空き次第、掘起こして荼毘に附していくということでした。
この日も、数区画で荼毘に附される準備が行われていました。
その場には菩提寺の僧侶の姿もありました。
土葬はあくまでも火葬までの仮埋葬であるとすれば、記事にある土葬の風習が云々というのは少々的外れな論議であるように感じます。
震災発生からまもなく3ヶ月。
被災者ののグリーフケアのための行政、宗教、各種団体の垣根を越えた取り組みが求められる時期に来ている、と記事は結んでいます。
外がどんなに嵐でも
雲がどんなに厚くとも
雲の上は
いつだって
抜けるような青空。
(新井満)