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前回の記事と関連するのですが、今回は経典の文字が間違っているのではないか?という事例を提起してみます。
一例として、『修證義(しゅしょうぎ)』第1章(総序)の中の一部を
『永平寺日課経大全』(編集発行・大本山永平寺)と、『諸嶽山總持寺日課諸経要集』(発行・財団法人大本山總持寺僧堂興隆会)から抜粋してみます。
左:『諸嶽山總持寺日課諸経要集』
右:『永平寺日課経大全』
總持寺版は「にくづき(もしかすると月偏?)」、永平寺版は「目偏」となっていて異なる字です。
このような字があるのかということを調べましたが、どうやら無いようです。
また、原典にそのような字で書かれているかどうかについても、どうやらそうでは無いようです。
(もし、にくづき、若しくは、目偏が正しそうだという根拠がお分かりの方は是非お教えください)
「日偏」の暱(昵)であるのなら、意味は良くわかります。
しんじつ ―ぢつ 【親昵】(名)スルしたしみなじむこと。昵懇(じつこん)。
「―の間柄」「自己の―せる人の高位に登るに服せずして/日本開化小史(卯吉)」
(大辞林 第二版 ・三省堂)
この字を含む一節は、「無常忽(たちま)ちにいたるときは国王大臣親暱(しんじつ)従僕(じゅうぼく)妻子珍宝たすくる無し・・・」となり、意味は「死(無常)が突然にやってきた時には、国王も大臣も、親しい友も従う部下も、妻子も財産も、手を貸してはくれるわけにはいかないのです・・・」となります。
経典の漢字がもしも間違っていたとしたら、それを訂正することは困難なことなのでしょうか。
これも疑問として提示しておきます。