Search

全てのブログ記事一覧

TOPページへ


Creative Commons License
このウェブログのライセンス: Creative Commons License.

「おみくじ」はいつからヌルくなったのか

貞昌院のWebsiteには、平素より多くの訪問をいただき感謝申し上げます。
どの検索キーワードでどのくらいの数の方が訪問くださったかということは、サーバーのアクセスログやGoogleConsoleなどで知ることができます。

直近1カ月のGoogleConsoleで"teishoin.net"を見てみると、このように「おみくじ」関連のワードからの訪問が上位を占めています。

20240814-10.jpg


お盆の季節なので、「精霊棚の作り方」などのワードも入ってきてはいますが、通年をとおして「おみくじ」関連のワードは安定しています。

貞昌院では、「天神おみくじ」という江戸時代に貞昌院十四世哲航大賢大和尚(寛政5年示寂)の時代に作られたもので、横浜市の指定文化財となっています。
文化財なので、気軽に引いていただけるよう、インターネットを通じて「天神おみくじ」を引けるようにしております。
なぜこれほどまで多くの方にご訪問いただいているのかを考えてみました。


おみくじは古いものほど凶の割合が多い傾向にあります。

江戸時代の観音籤は全体の三割が凶だった。歌占は四割が凶のものもある。これは、当時は現代に比べてどうにもならないことが多く、今よりもずっと現実意識が厳しかったという事だろう。 それに対して現代のおみくじは凶が少なくなっている。<中略>凶を避ける傾向は現代のおみくじに広く及んでおり、初詣のシーズンには新年から参拝者をがっかりさせたくないという理由から凶を入れない寺社もあると聞く。 (『おみくじの歴史』出版年月日 2023/12/20 ISBN 9784642059831 P.247)

さらに、その凶の説明についても、その表現がストレートなものが散見されます。
その一例(とある凶の例)をご紹介すると、次のような感じです。


御籤の左上に布団にあおむけに寝ている人の絵が描かれています。
20240814-11.jpg

そして、その説明文が「死したる 人の如し」!!!
添えられている和歌が「何とただ 祈る方なき我が身かな 世に住む甲斐も 涙ばかりに」



●此みくじに当たらば荒神氏神を別けて念ずべし
●願い事 日頃の苦労も無になり事破るる也
●待ち人 来るべき心もなし
●失せ物 尋ぬべき方も無く皆我が損になる
●病事 灸薬針少しの験もなく次第次第に重なる也
●言い分 十分ながら我が非になるべし
●縁の道 調わず
●走り人 見えず
●買い置き物 損を得べし
●産 重し殊に産後難しいからん慎むべし
▲占の心 顕也 何事も我が身ひとつの悲しみとなるべきまま心して慎むべしと也

実に驚くほどストレートな表現ですね。


このように、かつて用いられていた表現が、時代が下るにつれてヌルくなっていく事例として、最近のYouTube動画で次のようなものがありましたので併せてご紹介します。


「カチカチ山」とかいう和製サウスパーク、いつからヌルくなったのか

この動画で、VYuberの月ノ美兎氏は、童話『カチカチ山』」を題材に、タヌキが「ばばあ汁」をじいさんに振る舞う場面が、今は無いらしいということを国会図書館の蔵書などの『カチカチ山』を100冊以上読んでその結果を体系的にまとめています。
その中で、「個人的には因果応報について否定的よりとしつつ、ガキ(子どもたち)が一番最初につけるグロ耐性として最適なのかな、と・・・」というコメントをされています。

むぢなのかたきうち.jpg
(『むぢなのかたきうち』赤小本 国会図書館蔵)

カチカチ山に限らず、童話や民話は、現代では絶対にしないような内容や表現に関する規則・規範から逸脱している表現がいくつもあります。
日本だけの傾向ではなく、世界共通の傾向であり、童話は得てして残虐なものが多いのです。


例えるならば、子どもがカッターナイフを使って怪我をしたとしても、その怪我の経験が以降、安全にカッターナイフを使うことを実体験で学ぶというようなもので、様々な耐性をつけることによって、厳しい環境を乗り越える力を得るというようなものでしょう。


貞昌院の本堂には、地獄絵図が掲げてあります。
平安・鎌倉時代、古来より数多の絵師によって生々しく描かれてきた地獄の様子も、同じような意味を持つのでしょう。

20240815-11.jpg 20240815-12.jpg
(「地獄絵図」 貞昌院蔵)

どうです?
これらの絵はR指定されていないんですよ。


book2.jpg book1.jpg


私たちは人から伝え聞いたり読書や絵を見たり読んだりすることによって疑似体験として体得することができます。
そのような疑似体験は、記憶に強く残り、受け手の生き方や判断に影響を与えたりします。
特に感受性の高い子供の時代に体得した疑似体験の影響は大きいでしょう。
日本や世界各地で伝承されてきた民話や童話、物語などが時代の変遷とともにどのように改変されてきたのか、その理由は何なのかを考察していくと、新たな発見があることでしょう。




話をおみくじに戻します。
貞昌院の「天神おみくじ」は、おそらく版木が完全に残る日本で一番古く、一番凶が多いおみくじの一つです。
制作された寛政年間の、そのままの表現で掲載し、そのままの状態で引けるようにしております。


それゆえ、表現が多少ストレートですが、当たるも八卦、当たらぬも八卦・・・・
おみくじの結果は、戒めや教訓として捉えてください。
もし気になるようでしたら貞昌院で御祈祷供養いたします

おみくじは、そもそも人間が決めかねる重大事について神事をうかがうものだった。だからこそ神仏に祈念してから引くのである。平安時代の終わりごろから江戸時代まで、天皇や将軍を決める、戦いの日時や攻める方角を決める、お告げの真偽を見定めるなどして、国や人生の重大事を判断するのにもちいられていた。 (『おみくじの歴史』出版年月日 2023/12/20 ISBN 9784642059831 P.243)


時代は下り、明治に入り文明開化の時代になり科学的な考えが広まる中、加持祈祷やまじないとともにおみくじも非合理なものとして批判されるようになっても、おみくじが無くなることは無かったのです。
その一例として、大正十二年の関東大震災発災直後、十万人を超える被災者の避難所となった浅草寺の記録があります。

鎮火してからは被災者の参詣も増えてきたが、火難盗難などのお守りは焼け出された身には必要無いと思ってか、災難除けのものは少しも売れず、おみくじを引く御籤場がひたすら大繁盛であった。身分や職業、年齢を問わず、みな等しく目の前の運命に不安を抱いており、科学や知識が頼れない世の中で、より偉大な何かにすがろうとする気分のあらわれではないだろうか。 (『地震大火大東京炎上実記』東文社 1923年)
現代社会においても、地震や豪雨などの自然災害をはじめ、世の中にはどうにも変えられないことがらに満ちている。人生も、病気や介護、家庭・学校・職場などの人間関係、金銭問題など、たやすく解決できない悩みにあふれている。例えば引きこもりや不登校、うつ病、慢性の病気や不治の病、心身の障害、依存症、介護、家庭内暴力、ハラスメント等々。そのほとんどが即座に解決することはない。考えてみると、人生における悩みの多くはそう簡単に解決するもの無いといってよい。不安を抱えながら、少しでも良い方法が見つかるよう探したり、様子を見ながら付き合っていくしかない。医療や福祉の発達した現代ですらそうなのだから、昔の人たちの悩みは推して知るべしである。
(『おみくじの歴史』出版年月日 2023/12/20 ISBN 9784642059831 P.246)


生老病死が周囲に身近にごく当たり前の現象としてあった当時の人々にとって、例で出したようなストレートな表現だからこそ、どうにもならない苦難を乗り越え、希望を持ち続け、今をより良く生きるための戒め、あるいは支えのことばとしての重みをもっていたのだと考えられます。


a6abf293-9e01-43cb-8bf8-c52f540fffbc.jpg



■関連ブログ記事 おみくじの歴史


投稿者: kameno 日時: 2024年8月15日 21:04

コメントを送る