ダライ・ラマ法王講演録

第40回全日本仏教徒会議神奈川大会2日目は、大会記念式典と特別記念講演の2つのプログラムにより開催されました。
5千人収容のみなとみらい・パシフィコ横浜国立大ホールが会場となりました。
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早朝より準備が進められ、厳戒態勢の中での運営となりました。
会場周囲のそのような緊張感とは裏腹に、会場内はダライ・ラマ法王の醸し出す柔らかく心地よい雰囲気に包まれます。
日本語への通訳をしている間は会場内の一人一人に合掌したり、手を振ったり、笑顔で微笑みかけたりと、実に気さくな方なのですね。
しかしながら講演は時間をかなり超過するほどの熱演振りで、私たちを時々はっとさせるほどの気迫を感じました。
あっという間の2時間でしたが、その記録をまとめてみたいと思います。

■関連記事 <是非併せてお読み下さい> 抱くことば

第40回全日本仏教徒会議神奈川大会特別記念講演
日時 平成19年11月20日(火)
会場 パシフィコ横浜国立大ホール
講師 ダライ・ラマ14世法王
演題 「信ずる心と平和」



■はじめに

フォーマルな形式ではなく、気軽にざっくばらんな形式で講演を行わせていただくことをご了解ください。
照明がきついので、サンバイザーを使わせていただきたく存じます。
この帽子はとても軽く、実用的なので、私は何時もこれを持っていきます。
また、私が歳をとるのと同時に英語も歳をとるようなのですが、講演に不完全な英語を使うことをお許し下さい。
英語は役に立つものです。英語圏を訪問するときに直接対話をすることができますし、通訳の時間も短縮できます。


■現代社会に山積する諸問題

私たちは21世紀を20世紀の続きとして過ごしております。
この期間は、戦争や流血事件、テロなどなどが必ずどこかで起こっており、あまり健康的でないと感じます。
また、若い人を中心に精神的危機、こころの問題が広がっておりますし、地球規模で環境問題、貧富の差の拡大が問題となっています。
国家間でもそうですし、たとえ裕福な国の中でも貧富の差はあります。経済力の強いとされている日本でも然りです。
これらは現実問題として表面化しているものであります。
ここで一つの大きな問題があります。世界が悪くなるということは60億の人々が暗闇に突進することを意味するのです。
それは、人間のもつ考えや姿勢が引き起こしているのではないでしょうか。


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■大切なことは、望みを捨てないこと

日本は第二次世界大戦、特に広島、長崎の原爆で完璧に町が破壊されてしまったという経験をもちます。
しかしながら、その体験をもとに、それでも望みを捨てずに立ち上がり、何とか復興しようと心を一つにして働いてきました。
それが経済大国への原動力となっているのでしょう。
悲しい出来事に負けずに自信や望みを持ち、強い決意をもって励んできたことにより日本の繁栄があるのです。
それが、そのようなものの見方で未来は明るく開けるという根拠です。

過去、20世紀を振り返ると大きな変化がありました。
世紀の前半では戦争だけが問題解決の手段であり、また、市民たちが国のために喜んでで戦争に参加した時代でした。第三次世界大戦も避けられないという考えもありました。
時代が進み世紀後半になると、世界中に蔓延する暴力や流血に嫌気がさし、それではいけないと平和、非暴力の方向性を持つ人が増えてきました。
これは望みのしるしが表れているということではないでしょうか。


■環境問題、こころの問題、個人の自由に対する考えの変化

20世紀前半においては、エコロジーという考えも、あまりありませんでした。
環境問題に関心を持たなかったり、持っていたとしてもどのように実践したらよいか術がわからなかったのでしょう。
私たち一人ひとりが環境問題に対する責任を負っているのだということを知らなかった時代だったのです。
世紀の後半になり、環境への認識が変わりました。これは明らかに良い変化であり人間のもつ認識が変わってきたのだといえます。

人間のこころについても同様です。
以前は、近代科学と精神の分野には深い関連性は無いという捉え方ををしていました。
しかし、その後、こころの問題に理解を持つことは重要であることが分かりはじめました。
身体の健全と精神の健全は親密な関係あり、たとえ宗教的観点から指摘しなくても、健康や精神的幸せのために私たちのこころや感情について学ぶことが必要となり、両者がより親密な関係をもつようになりました。

政治的、社会構造についてもそうです。
これまでは、全体主義的なものの考え方が平和や幸せをもたらすと考えていました。
しかし、そのうちに、このような方法論では平和や人間に幸福感をもたらすことができならしいと気づきはじめました。
つまり、個人の自由が大切であり、個人の力を尊重することが重要であるということ分かってきたのです。
このように20世紀の中だけを見ても大きな変化がありました。
私たちの中の幻覚に気づき、平和を求めるこころが芽生えてきたのです。


■未来は開かれたものとなる

私たちは、体験を元に人間性を向上させなければならないということを認識する必要があります。
それは困難や苦しみを通して育まれてきました。痛みの経験が我々の人間性を成熟させ、高めていくという認識をもたらしてくれました。
とある20世紀を通して様々なことを見て生きてこられた英国女王の親族の方に「この世紀は良くなったか悪くなったか」ということを質問したとき、ためらいなく「良くなった」とお答えになりました。
以前は人間の尊厳に対して論議される時代ではなかったのですが、やがて世界の多くの国で人権が尊重されるようになりました。
このことは、私たちが今後望みを持つことができる一つの理由になるものです。

私たちは、過去の間違いや、無関心、無知を改善する努力が常に必要です。
経験を生かすことによって21世紀がより改善され、より平和でより幸せな時代となり、そのことを継続することにより22世紀も同様に望みが開かれていくでしょう。
私たちは宗教を篤く信仰する人もそうでない人も、東洋も西洋も、南北も関係なく、一つの小さな地球に住むという点で全く同じであります。
このような考えを元に、未来に望みをかけることができるのです。


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■過ちを訂正することの必要性

私たちは過去の間違い、無知を分析する必要があります。
それにより私たちは物質的価値に振りまわされ、内面的価値観に充分な注意を払ってこなかったことに気づきます。
教育面を考えると、知識教養を増やすことばかりにとらわれ、人間の持つ本来持つ良き資質や優しさや思いやりに重点を置きませんでした。
これも間違であるのなら訂正しなければなりません。
そして現実のありようをはっきり認識する事が欠けているように感じます。私たちの考えている事、認識していることと現実に大きなギャップがあるようです。
人口の増大、経済の変化、情報の氾濫により、現実は刻々と変化しています。
現実を正しく把握する必要があるのです。

さらに、私たちは自と他に明確な線引きをして、それにより物を捉えようとしています。
日本はアジアの中の島国にとどまり、日本だけを考えてきてしまったようでもあります。
しかし現在、世界とのつながりはますます深くなっています。
資源の多くは海外からの輸入であり、環境問題にしても一国の問題でなく世界全体の問題であります。
私たちの心では私、彼という自他を区別する事により、力や戦争により問題解決を行ってきましたが、核の問題も一国だけの問題であるととらえることはできません。

自分と他人は全く違うということは、自分以外は敵であるという古代的なものの考え方に基づいています。
しかし、他を害することは自分を害することになります。
グローバルに考える必要があるのです。
これまで他に対する思いやり、やさしさにあまり関心を払ってこなかったという間違いを訂正する必要があります。

ヨーロッパではそのようなことを教会が担ってきたのですが、しかし、そのような教育システムはうまく機能しませんでした。
全体的なものの考え方、時代の変化を認識しなければならないのですが、その上で問題解決の手段を求めることが正しい方法論を導き出すもととなります。
今は、人間のものの考えと、現実とのギャップを埋める時代にあるのです。


■宗教間の理解を深めること

世界には様々な宗教があり、私たちに大切な役割を果たしてきています。
宗教の違い、例えば絶対的な神を信じるもの、そのような神の存在を受け入れていない宗教もあります。その間には考え方にに大きな違いがありますが、愛、慈悲など基礎的な部分では共通するものであり、同じメッセージをもち、愛や慈悲を育む上で大きな可能性を秘めて重要な役割を担ってきました。
これまでは宗教間におけるものの考え方の違いのみがクローズアップされ、宗教間の争いが繰返されてきました。
宗教を信心するかしないかということは個人の自由ですが、大切なことは、信心をするのであれば宗教の教えを真摯な態度で学び実践することです。
それによりより深いレベルでの体験を深め、愛や慈悲を育むこととなります。
違う宗教間でもその体験を分かち合う事によりでお互いに理解し尊敬しあうことができるのです。
宗教が違えば方法論も違いますが、体験を通して良き資質を高め、同じ目的をもつことが理解できるのです。
宗教間相互の人間の内なる資質を高めるということ、その相互理解が大切であると感じます。
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■仏教の立場から見ると

仏教の面で言えば、たとえばこの会場には約5000人が居りますが、肉体面、精神面では全く同じ人間であります。
何が違いをつくるのかといえば、伝統的な服を着ていたり肌の色や髪の色や髪型など外見的な違いだけでありましょう。例えば、脳のニューロンなど基本的土台は全く同じなのです。
私たちは同じ人間であり同じ可能性を秘めています。サンスクリット経典の中では、いのちあるもの全てに仏性が備わっているという考えがあり、縁起の考えがあります。私たち一人一人は相互関連をもちこの世に存在しているというものです。この考えは仏教独自のものといえます。
仏教では、絶対神は受け入れていません。
釈尊は、ある弟子には絶対的な現実が「ある」といい、ある弟子には「ない」というように、矛盾した教えが説かれていたりします。
弟子による資質の違いを見抜き、それぞれに適した方法で教えを説いたのです。
私たちは絶対神を信じるものとは考えを異とします。六派哲学の一つサーンキヤ派の一部も絶対神を受け入れませんでした。ジャイナ教およびサーンキヤ派と、仏教との違いは、彼らは独立した魂を信るの対し、仏教では独立した魂は存在せず、縁起により相互関係があると考えることです。
神の存在を受け入れる宗教は、世界は神が創造したと考えます。神の存在を受け入れない宗教ではそうではないと考えます。しかし、お互い見解の違いがあるとはいえ、お互いに敬意を表する必要があります。なぜならば、どの宗教でもそれを信じる人に対して役にたってきたという事実があるからです。


■科学と仏教の担う役割

仏教は私たちの心について、そして、感情について非常に詳しい説明をしています。悪い性格をいかに良くすることができるかを説いています。
釈尊は私たちと何ら変わない一人の人間でありますが、修行により悟りを開き仏陀となられました。
そして、人の心に詳しい説明と分析を行ってきました。愛といかりという相対する感情があるのであれば、 愛という感情を高めることによりいかりを鎮めることができます。一方を高めることにより、もう一方を鎮めることができるのです。
仏教は全て無常であると説きます。全てが移ろいゆくがゆえに、人間の心にはより良き変容をもたらす可能性があります。自分自身の本質、機能心を分析し、知ることにより、良き変容をもたらすことができるのです。

科学の進展により、物に対する知識は増えてきました。
物質面においては、私たちはマクロレベルから素粒子に至るまで非常に詳しい知識を得ることが出来ます。量子力学的な理解も非常に詳しい分析を得ることが出来ます。とても素晴らしいことであります。

しかし、一方で人間の心や感情については、きっと仏教徒のほうが近代科学者に比べて多くの情報を提供していると思います。
私というものがどのようなものであるのか、自我がどこに存在しているか、自我に始まりがあるのかないか、それについて詳しい分析をしております。
そして、独立した自我は存在していないと考え、自我は心と体の構成要素の上にに私たちの名前が与えられたという名義上の存在であると捉えます。
だからこそ、私たちは心と体のケアを責任を持って行う必要があるのです。
近代科学も、健康のためには心の感情をいかに知り、コントロールする必要があるかということに同意しています。
体のケアをするためには心のケアが必須なのです。
科学者は物質の情報を提供し、仏教は精神的な情報を提供する。この両輪が相互に働くことにより健康がもたらされるのです。

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仏教には科学的な面、哲学的な面、儀式修行の面という3つの側面があります。
第一の科学的な面については、こころの科学ということになれば、信心をするものに対しても、しないものに対して誰にでも役に立つ貴重な情報源となります。つまり、すべて相互依存関係にあるという因果の法に基づいて、いかに感情をコントロールするか、心の中の破壊的感情を鎮めより良き感情を高めることができるかという方法論を提供しているのです。
こころ、感情というものを正しく捉えることは大切です。仏教の提供する科学的情報は誰にでも役に立つものなのです。
仏教では仏教のみならず科学的な分野、政治国際関係、環境、全てにおいて、この世の中のものが全て相互依存の深いつながりの関係にあるということが非常にに重要であり、大切なものの考え方です。

この21世紀において信心をしている人もそうでない人にも必要なものの考え方であると思います。
これが仏教の側からの貢献であり、人間的価値、よき資質であるやさしさ思いやりを促進するということも宗教間相互理解に調和を持って貢献できることであると信じます。
仏教的アプローチは慈悲に溢れた人を育てる点で重要なことなのです。

■さいごに

たとえ仏教徒でない方がこの会場にいらっしゃったとしても、自分の宗教を実践をしていってください。
仏教に改宗しなくて結構です。
日本人は元々神道があり、その上で仏教が入ってきて多くの日本人が仏教徒であるわけですが、仏教徒であるならば仏教に基づいた教えを実践していってください。主に修行者であるならば、慈悲の心に基づく菩提心を育むこと、哲学的見解としての縁起を理解し実践をすること、の2つを大切にしていただくことをお願いいたします。

講演の最後にこの場へとお招きいただいたことに感謝いたします。

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質疑応答

【問】 昨日のことですが、駅で立派な身なりの紳士が駅員に怒鳴りつけていました。私も周りの人も見てみぬ振りでした。仏教者としてどのようにするべきだったのでしょうか。

【答】 もしあなたに何かできることがあるのであればそれを実行するだけです。何もできなければ黙っているだけです。



【注意事項】
本記録はkamenoが個人的にメモしたものを元に講演内容の骨子をまとめたものです。
また、写真は特別許可に基づき撮影したものであります。
内容の誤りがありましたら私にその責がありますので、適宜ご連絡いただければと存じます。
文と写真の無断転載・引用はご遠慮くださいますようお願いいたします。

投稿者: kameno 日時: 2007年11月21日 20:32

コメント: ダライ・ラマ法王講演録

はじめまして。
講演録拝見しました!
私も必死でメモりながら聞いてましたが、
今あらためて内容を咀嚼することができました。
ありがとうございます。

プロフィールを拝見したところ、
学科は違うようですが、某大久保で同期だったぽいですね(笑)。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者 オサダ | 2007年11月25日 20:26

オサダ様
メッセージありがとうございます。
"I Love Tibet!"の方なのですね。チベットは近いうちにゆっくりと訪問してみたい地でもあります。今度お話を聞かせてください。
それに・・・同じキャンパスにいらっしゃったのですね。何かのご縁かもしれません。
こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 kameno | 2007年11月26日 13:19

イギリス 在住です。
オサダ様のチベ式から来ました。
日本での講演録ありがとうございます。
法王の日本でのご様子を訪ねられることがあり、とても知りたかったので、食い入るように読みました。
折しも、来年5月のロンドン、オックスフォード、ノッティンガム講演もきまり、うれしいことです。
では、またお邪魔させていただきます。

投稿者 若松えり | 2007年11月26日 19:41

す、すごい。さすが亀野さん。

   その節はお疲れ様でした。では12月のラッキー7でお会いしましょう。

投稿者 巨人 | 2007年11月26日 22:50

若松さま
イギリスからコメントありがとうございます。
貴重な講演でしたので、自分メモ用に綴ったものですが、できる限り再現してみました。
パラグラフごとのタイトルは私が勝手に付けたものです。
法王は風邪気味とのことでしたが、いざ講演が始るとそのようなことを全く感じさせませんでした。
来年はイギリスでのご講演があるのですね。是非その際は様子をお聞かせ下さい。

巨人さん
当日は旗振り、お疲れ様でした。大変だったでしょう。
また、渡米日記も拝見しました。今度ゆっくり話を聞かせてください。
12月のラッキー7の前にもいくつかありますよ。

投稿者 kameno | 2007年11月27日 00:00

ダライ・ラマ法王講演のご縁に感謝です。
プレゼントのサンバイザーの色と法衣(?)がとてもマッチしていてそのスタイルでの講演などとても日本ではとても、考えられません。が講演が始まると観客席にいる私に誠実さと誠意が伝わってきました。ノーベル平和賞だと思いました。熱演になってくると日本語の通訳がなかなか挟まらないため、私などは分からなくなってしまいました。ブログでの講演録を拝見し改めて貴重な講演だったことを思いました。有り難うございます。まさに亀野様の実践ですね。素晴らしいです!!

投稿者 ゼラニウム | 2007年11月28日 09:15

ゼラニウムさん
当日の通訳者、あれだけの長い講演内容を一気に書き留めて早口で通訳されてましたけど、それを的確にその場で訳すということは、さすがプロだと感じました。
サンバイザーは知人からのプレゼントだそうですね。観客一人一人の顔がよく見えるようにこういう場では被るようにしているそうです。

投稿者 kameno | 2007年11月28日 14:28

kameno様

はじめまして、彼岸寺という
仏教のウェブサイトを運営しております、
松下(yuzuki)と申します。

長田様のサイトで貴記事を知り
拝読させていただきました。
素晴らしい内容に感動し、
わたくしどものサイトでも
ご紹介させていただきました。

これだけの内容をまとめるという
大変なご苦労の成果を、
拝読させていただき、
まことにありがとうございます。

わたしも必死でメモを取ったのですが、
聞き取れないところも多く、
kameno様の記事で頭の中で
すっきりとまとまってきたように思います。

法王のお話から日本の仏教者として、
次のアクションをつくっていきたいと
改めて思いました。

投稿者 yuzuki | 2007年11月29日 09:24

yazuki様
ご丁寧なメッセージありがとうございます。また、サイトのご紹介ありがとうございました。
ただ記録するだけではなく、それを実践していくことが大切ですね。
また、このようなご縁が広がっていくことは嬉しいことです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 kameno | 2007年11月29日 12:53

詳しい講演録、有り難うございます。コピーをしまして保存版にさせていただきました。これだけの講演録をまとめるのにはかなりのご苦労があったと思います。御陰様でこの度チャンスは逃しましたが、教えにふれることができました。感謝。

投稿者 風月 | 2007年11月29日 23:09

講演録ありがとうございます!私は事前に、上田紀行氏とダライ・ラマ法王の対談『目覚めよ仏教!』を読んでいったものですから、そこでの法王の過激ともいえる突っ込んだ本音トークと比べて、当日の講演は若干おとなしめの公式的見解かなあと思って聞いていたのですが、こうやってアップしていただいたものを読ませていただきますと、横浜での講演が入門編で、上田氏との対談がそれに続く中級編になっているのだと得心しました。あの素晴らしい通訳の方は、上記対談本のグラビアページにも登場されていますね。法王のメッセージが一人でも多くの人に伝わるといいですね!

投稿者 ラベンダー | 2007年11月30日 14:33

このように丁寧な講演録をまとめてくださりほんとうに有り難うございました。これは大変な労力を要されたと思います。
私は残念ながら拝聴できませんでしたので、嬉しく読ませて頂きました。コピーもさせて頂きました。感謝です。

投稿者 風月 | 2007年11月30日 15:21

風月さま
講演録、お役に立てて何よりです。
一段落して帰宅してから一気に作業をしましたので、それほど手間ではありませんでした。それよりも、自分の頭の中での整理をし直すことができてとても有意義でした。

ラベンダーさん
この講演会の前日に分科会が行われ、四つ行われたうちの第一分科会では上田先生とアジア僧侶によるパネルディスカッションが行われました。
そのレポートはこちらにあります ⇒ http://zuien-ji.blog.drecom.jp/archive/27 (Zuien-jiさんのサイト)

私の印象でも
■前日の分科会
  ↓
■ダライ・ラマ法王講演会
  ↓
■対談『目覚めよ仏教!』

の流れがすっきりとすると感じました。
翻訳の方は、法王のことをよく理解している方なのですね。さすがでした。

投稿者 kameno | 2007年11月30日 21:03

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