情報の見方・読み方・読み取り方

<あるある大事典>「納豆ダイエット」はねつ造 関西テレビ


関西テレビ(大阪市北区)は20日、今月7日にフジテレビ系で全国放送したテレビ番組「発掘!あるある大事典2」で、事実とは異なる内容が含まれていたと発表した。「納豆を食べるとダイエットができる」との内容だったが、研究者のコメントや被験者の検査データをねつ造していた。同テレビは社内に調査委員会を設け、原因の究明を行うとともに過去の放送分についても検証を行い、番組を継続するかどうかを含めて検討する。また、21日午後9時から放送予定だった同番組は、テーマは納豆ではないが放送を休止し、後ろの番組の「スタメン」を1時間前倒しし、冒頭で一連の経緯を説明する。
千草宗一郎社長は「報道機関でもある放送局として、視聴者の信頼を裏切ることになった。誠に申し訳ない」と謝罪した。

同番組は関西テレビの社員2人と番組制作会社「日本テレワーク」の4人がプロデューサーを務め、テレワーク社の取締役1人がコンプライアンス(法令順守)担当者になっていた。実際の取材は孫請けを含む9チームの番組制作スタッフが行っていたが、どのチームが担当していたかについては「調査中」として明らかにしなかった。
今回の問題は、「週刊朝日」の取材をきっかけに同テレビが調査を行い、明らかになった。
健康ブームを背景に健康をテーマにした番組は増える傾向にある。「納豆」の回でも全国の小売店で一時納豆の売り切れが相次ぐなど、社会現象となった。そんな中で起こった今回の不祥事で、改めて放送倫理のあり方が問われそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070120-00000053-mai-soci



関西テレビ側の説明による捏造箇所は以下のとおりです。

(1)被験者がやせたことを示すのに別人の写真を使用
(2)米の大学教授の発言の日本語訳の一部をねつ造
(3)被験者の一部の中性脂肪値が正常値になったとしたが、測定せず
(4)納豆を朝2パックまとめて食べた場合と、朝晩1パックずつ食べた場合の比較で、被験者の血中イソフラボン濃度の結果をねつ造
(5)被験者の血中のDHEA(ホルモンの一種)量検査のデータをねつ造、また、許可を得ずグラフを引用

実は、納豆のダイエット効果が放映され、納豆が売り切れる現象が報道された時、近所のスーパーでも確かに特定の納豆が品切れになる現象が起きていました。
それをブログの記事にしようか迷っていて、納豆売り切れお詫びの新聞広告などをスクラップしてストックしておいたのですが、結局記事にしませんでした。何か手放しで記事を書くことにためらいを覚えたのですが、このような顛末になってしまうとは・・・・・・
フジテレビ系列の関西テレビには、社会を混乱させ、報道の信頼を失った責任を充分に取っていただきたいところです。


年末、本棚を整理していたらこんな本が出てきました。

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『写真のワナ』 - ビジュアル・イメージの読み方
新藤健一/著 情報センター出版局 (ISBN:4-7958-1602-6)
発行年月 1994年04月



共同通信社に所属、帝銀事件・平沢貞通被告の獄中写真やダッカハイジャック事件などのスクープをものにしてきたフォトジャーナリスト、新藤健一氏の著作 『写真のワナ』です。

報道写真の見方・読み方・読み取り方について考えさせられる一冊です。
もうだいぶ前の本ですが、その内容にとても衝撃を受けた思い出の本です。
改めて読み直してみましたが、とても面白いです。また一気に読んでしまいました。

まえがき部分から引用させていただきます。


写真は、すばらしい魅力と可能性を秘めたメディアである。その魅力ゆえに・私たちの周囲には映像が氾濫し、それをなんとなく見てきた。  朝、寝ぼけまなこでテレビをつけると・リアルタイムのカラー映像が世界の動きを教えてくれる。続いて天気予報は、雲の動きまで見せてくれる。あわただしい朝、時計とにらめっこしながら新聞をパラパラとめくる。真っ先に目にとまるのは大きな活字と写真、そしてマンガとイラストだ。通勤電車やバスの中で手にするスポーツ紙にも週刊誌にも写真が掲載されている。乗り物がこんでいる時、ふと見上げると旅の案内やデパートの広告が美しいカラー写真で訴えてくる。駅頭にも、ショーウィンドウのディスプレイにもビジュアルな装いがあふれているのだ。

だが、ちょっと考えてほしい。私たちは子供の時から文章や難しい文字の読み方、書き方、読解については、長期間にわたって教育を受けてきた。
だが、映像についてはどうだったろう。幼い時読んだマンガから映画、テレビのアニメ、そして高校生、大学生が熱中する劇画まで、多感な時代に情報として吸収した映像は量で測ることができないほどだったはずだ。

しかし、あなたは、その映像の見方、読み方、読み取り方をどの程度意識してきたろうか。

「見る」という行為は、人間の五感のひとつとして人類が出現した時から備わっている。にもかかわらず、後続の文字についての教育とは裏腹に、なぜか放置されていたのだ。そして、視覚・映像についての教育に関して、じっくり考える時間を誰ももたなかったように思う。特にテレビが出現してからは受け身一方で、なんとなくニュースやドラマ、コマーシャルを見るだけで育ってきたのではないだろうか。他方、近未来は急速ないきおいで、映像をベースとしたCATVやニューメディアの時代に進んでいる。

絵画の補助手段として生まれた写真は、かつては美術や芸術のカテゴリーの範疇で語られてきた。しかし写真は今、その領域を離脱して独自の世界を開き、ステータスを確立しつつある。

とはいえ、表現力豊かな映像の訴求力とは裏腹に、そこには「ワナ」や「落とし穴」も沢山あるのだ。だからこそ今、その映像の実態と将来のあるべき姿を問い直すべき時なのだ。

「百聞は一見にしかず」ということわざどおり、写真は使い方によっては見る人にものすごい衝撃を与える。報道、コマーシャル、医学、犯罪捜査、科学など、写真はあらゆる分野でその機能が活用されている。だが、この表現力豊かで無限の可能性を持った写真も、一歩誤った使われ方をすると、その影響力とダメージは甚大なのだ。

顔写真一枚にしてもこうしたことは言える。もし、あなたの写真が何かのニュースで凶悪犯と間違えられて新聞やテレビ、雑誌に発表されたらどうなるであろうか。顔写真というのは見る人が「いかにも」という心理でそれを見ると、その写真は「いかにも」というように見えるのだ。試みに、あなたやあなたの身近な人の顔写真を切り抜いて新聞に貼ってみよう。誰もが、いかにも「それらしき顔」のイメージに見えてしまうから。

フランスのダゲールが写真を発明してから一四五年、偶然のことから画像が出現した「写真」は、いまだに「なぜ写るか」という理論も確定していない不思議な表現媒体なのだ。にもかかわらず、絵画以上の再現力をもつ写真は、いつのまにかひとり歩きを始め、「写真は真を写す」という「映像神話」が一般に確立してしまった。人々は「写真は真を写す」という信仰を根強くもっている。これだけ科学万能の時代になっても、その「映像神話」を疑おうとはしない。いや、むしろその道の傾向にさえあるように思える。

ファインダー越しにニュースを追って二〇年。私はシャッターを切るたびに、その写真(イメージ)が、撮影者の意図するように伝わるか否か、いつも気がかりだった。
本書では、私たちが日ごろ見過ごしてきた写真の威力と可能性を探ると同時に、おぞましい写真のワナにかからないために必要な写真の見方、読み方、読み取り方を現場体験をふまえて提言し、あらゆる角度から「映像信仰」を断ち切るヒントを網羅したつもりである。これによって読者が、写真や映像により興味をもち、理解してくれることを期待したい。

『写真のワナ』 まえがきより引用


新藤健一氏によると、写真は


(1)レンズの種類
 広角レンズ・望遠レンズを使い分ける事により使い分けることによって、不必要部分のカットはもとより、歪曲・変形、遠近感、距離感の圧縮が可能となり、同じ対象物であっても、その写真から受ける印象は大きく異なる。
(2)静止画であること
 写真ならではの特徴といえる「時間を固定する」ことにより、「どの瞬間」を切り取るかによってその写真から受ける印象は大きく異なる。
(3)アングルや撮影意図
 写真は三次元の世界を二次元の世界として捉える点で、事実の見え方などが変わってくることがある。


この三つの要素を操ることにより、撮影者の意のままのイメージを人に伝達できるといいます。
報道写真であれば、ある命題に対して、賛成の立場、反対の立場、どちらを意図する写真にも、簡単になりうるし、そのような写真を意図して撮影する事もできるわけです。

その一例が、『写真のワナ』の表紙に使用されている「油まみれの水鳥」の写真です。
「油まみれの水鳥」は、サウジアラビア北部のカフジで目撃された海鵜の写真で、英国のテレビ製作会社ITNによりレポートされました。
それをCNNが大々的に報道。その際に、ITNの「原油流出の責任はどちらにあるかわからない」というコメントが意図的にカットされて報道されました。
そして、ブッシュ大統領による「原油の流出はイラクによる環境テロ」とのブリーフィングが駄目押しとなり、結局「原油流出はイラクが犯人」と誰もが思う象徴的な報道写真となったわけです。
しかし、その真相は・・・・(あとは本を読んでみてください)
結果的に、この写真が原動力となり、世論はイラク爆撃、フセイン打倒へと一気に進んでいきました。


新藤氏はこの写真について、次のようににコメントしています。

科学技術が進歩して、世界中の人々が中東で起きている戦争やユーゴの紛争を同時進行で目撃できる「映像の時代」になった。 しかし、便利さには必ず落とし穴や「ワナ」がある。 読者は昔も今も旧態依然として残る大本営発表型のマスコミ操作術に気づくべきである。何気なく世論に浸透する「ビジュアルイメージの世界」に注意を振り向けて欲しい。

本には、報道写真捏造の例として、戦時中日本政府の対外宣伝雑誌に使用されていた写真も紹介されています。意図的に合成や書き加えまで行った、捏造写真の端的な例といえます。
まさしく「大本営発表」の報道写真です。

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『写真のワナ』 P.192 より


情報メディアを批判的に読み解いて、その真偽を見抜き、必要な情報を引き出し、適切に取捨選択して活用する能力のことを、メディアリテラシーといいます。
世の中に溢れる情報、それらをどう的確に読み取っていくか、その力をつけることが、これからの情報化社会でますます求められていく事でしょう。

新藤健一氏の著作の中からもう一冊、お薦めの本をご紹介いたします。


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『崩壊する映像神話』
ちくま文庫
新藤健一/著
筑摩書房 (ISBN:4-480-03749-7)
発行年月 2002年11月



▽目次
 メディアのインパクト
 1 一枚の写真から
 2 ウソ報道写真
 3 一人歩きする写真
 4 映像のカラクリ
 5 映像は証拠になりうるか
 6 映像シャーナリズムの裏側

▽内容―ヤラセ番組、ウソ報道のカラクリを見抜け!―

 写真や映像は真実を伝えるとは限らない。あなたがいま目にしている写真や映像にウソはないか。意図的にイメージが操作されてはいないか…。ヤラセ番組やウソ報道の手口からスクープ合戦の舞台裏、プロパガンダの実際、さらに最新デジタル画像のカラクリまでを、豊富な事例をあげながら子細に検証する。ますます情報化が進む現代社会で、騙されないための実践的メディア・リテラシーの技術。
(ブックカバーより転載)

投稿者: kameno 日時: 2007年1月21日 10:51

コメント: 情報の見方・読み方・読み取り方

> kameno先生

今回の一件、誤解を招く言い方だと知りつつ申し上げれば、「起きて良かった」とも思えます。それは、これによって今回kameno先生にご紹介いただいたような考え方を知らない方が、テレビを見るときに、とにかく警戒するだろうからです。

まず、色々と学ばねばならないですね。拙僧的には、あの、細木とか江原とかいう連中についても、そろそろテレビからご退場いただきたいなんて思っているんですけどね。

投稿者 tenjin95 | 2007年1月22日 18:50

tenjin95さん
あるある大辞典に限らず、全ての情報番組が虚しく思えてしまいますよね。
おっしゃるとおり、まず、メディアを批判的に見るというメディアリテラシーの点から言えば、良い機会だったのかもしれません。
とんだとばっちりを受けた納豆業者ですが、まあ、優れた食品であることは変わりないのですし、早く平静に戻ってほしいものです。
それにしてもスピリチュアルブームはすごいですね。
書店の入口全面に設けられたコーナーにその類の本がずらーーっと平積みされているのをみると、複雑な気持ちがします。

投稿者 kameno | 2007年1月22日 19:43

情報の選択や解釈、真偽の判断は、受け手の問題であることは間違いないと思いますが、限られた情報しか発信されなければ、選択することもできないし、正しい判断もできないと思います。不二家の問題であれほど騒ぐのに、東京電力の原発の問題は、1日もしないでニュースからは、ほとんど消えてしまいました。どちらが大事なこと?もう日本のマスコミに正義なんてなくなってしまったのでしょうね。本来ならそれを、大衆が正すはずなのですが、くだらない情報のタレ流しに思考が麻痺してしまっているようです。残念ですが…。

投稿者 北の侍 | 2007年2月 2日 19:22

北の侍様
マスコミが広告収入によって成り立っている以上、完全に不偏不党であることはありえませんね。
これは、ご指定の通り、報道の取捨選択に大いに影響を与えているところであります。

広告収入に頼らないメディアは存在しうるか
http://teishoin.net/blog/000171.html

ここ数年のインターネットの普及により、誰でもニュースの情報源となりうる状況となりました。
この情報の洪水の中で、どのように情報を生かしていくことができるか。メディアを正しく読下していくことはますます困難になってきているのかもしれません。

投稿者 kameno | 2007年2月 2日 20:01

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