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広島原爆の日から77年目

昭和20年8月6日8時15分。
アメリカ軍により広島に原子爆弾が投下されてから77年目の「広島原爆の日」を迎えます。
あらためて原子爆弾によって犠牲となられた多くの方々に弔意を表します。

年月の経過により、戦争があったことや、各都市に空襲があったこと、広島・長崎に原子爆弾が投下されたことの記憶が風化つつあります。
次世代に受継いでいくために、伝えていくことが大切であると感じます。


広島77回目の原爆忌、岸田首相「核兵器のない世界という理想へ努力」...国連事務総長も初出席

広島は6日、77回目の原爆忌を迎えた。広島市中区の平和記念公園では、午前8時から平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が営まれ、参列者が犠牲者の 冥福めいふく を祈った。ロシアによるウクライナ侵略が長期化し、核兵器使用の危機が高まる中、松井一実市長は平和宣言で「一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはならない」と被爆地の声を訴えた。

被爆者や遺族代表のほか、岸田首相や核保有国を含む各国駐日大使らが参列。国連のアントニオ・グテレス事務総長が初めて出席する一方、ロシアの駐日大使は招待されなかった。原爆が投下された時刻の午前8時15分、遺族代表が「平和の鐘」をつき、参列者全員で1分間の黙とうをささげた。

岸田首相があいさつに立ち、「『厳しい安全保障環境』という『現実』を『核兵器のない世界』という『理想』に結びつける努力を行っていく」と強調した。
(讀賣新聞 2022/8/6配信)



平和宣言

母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、凄まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。

ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。

また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。

今年初めに、核兵器保有5か国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。なぜなのでしょうか。今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、是非とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。そして、国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信していただきたい。とりわけ、来年、ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。

広島は、被爆者の平和への願いを原点に、また、核兵器廃絶に生涯を捧げられた坪井直氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。

世界で8,200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、今年、第10回総会を広島で開催します。総会では、市民一人一人が「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、また、生命を危険にさらす社会的な差別がないことが大切である」という思いを共有する市民社会の実現を目指します。その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。

今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回の締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。

また、平均年齢が84歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

令和4年(2022年)8月6日

広島市長 松井 一實



特に今年は世界情勢の変化が著しい年になりました。そしてその状況は現在も続いています。

広島原爆の日にあたり、改めて世界各地の惨禍によって命を落とされたすべての方がたへ、衷心より深く哀悼の誠を奉げ、大切な家族や友人を失った方、自ら負傷された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
すべての生きとし生けるものにとって、命は等しく尊く、かけがえのないものであります。国の威厳や国益、主義主張など、いかなる理由によっても「殺してもよい命」や「殺されてもかまわない命」は存在しません。また、誰一人として平穏な生活が奪われ、家や財産を失い、居住する場所を追われることも許容されません。

20171106-32_5

数年前に訪問した深夜の原爆ドーム(当時は広島県産業奨励館)の光景を思いな出しながら改めて世界の安寧を祈ります。


投稿者: kameno 日時: 2022年8月 6日 10:38

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