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コラム連載企画(3) ※↑たて書きで読む 推奨
概説 情報環境の変化により、私たちは新しいメディアに適応する過程で違和感を克服してきた。メディアの進展は社会環境や生活リズムを劇的に変える力を持つ一方、リアリティー感覚の喪失をもたらす可能性もある。
仏教とメディアの関わり②
私たちを取り巻く情報環境は時代とともに変化しています。
そして、その変化の節目、段階ごとに、私たちは違和感、非現実感、擬似的な印象を受けてきたのではないでしょうか。
例えば、書物を木片や紙に写した版木で大量に流布できる環境になった段階、活版印刷と製本により自由な組み合わせの印刷物が大量に製造できるようになった段階、新聞の普及により、即時的に情報伝達が出来るようになった段階、ラジオやテレビでの伝達手段が普及した段階、そして、コンピュータやスマートフォンのような電子メディアを活用したCMCなど、各段階において、私たちは環境の変化を強いられてきたと考えられます。
簡単に言うと、古いメディアに囲まれた環境に慣れ親しんだものが、新しいメディア環境に接したときに感じる違和感です。
私たちはその度に違和感を覚えつつ、それを克服することを繰り返してきました。
それゆえ、近年の「メディアが人間のリアリティー感覚を変える」という論議は、決して電子メディアの登場によって初めてなされたものではなく、これまでも何度か論議されてきたものなのでしょう。
しかし、ここ数年間の電子メディアの進展によって、社会環境、生活世界は劇的に変わりました。
私たちが対応出来る速さを超えて経験世界の構造変容、生活リズムの変化が生じています。
そして生活世界の多元化は、リアリティー感覚の喪失をもたらし、何が現実で、何が仮想かが分からない状況を生み出す危険性を併せ持つことになります。
コンピュータでゲームをしている時には、実際にそのゲームの世界の中にいるかのような仮想体験をしたとしても、その仮想世界での感覚は、現実に戻ったときには現実の感覚に戻るのが通常でした。
しかし、その経験が積み重ねられて内在化することによって、その感覚が新たなものへ変化することもあるでしょう。
新たな感覚様式の枠組みが形成されたとき、私たちにどのような影響をもたらすのかを考えることは重要なことと言えます。
特にCMCにおいては、別の感覚への自己の分離が従来のメディアよりもさらに明確に起きると考えられます。
シミュレーションゲームなどは、コンピュータによって生成された仮想的な状態により別の自己を演じることが前提とされているので、本来の自己の持つ現実感覚とは切り離され、メディアと接続されたことによる別の世界の感覚を持ちやすくなります。
その理由は、コンピュータの場合はテレビのように受動的に見るのとは異なり、能動的に画像や音声に働きかけることによります。
それゆえ、インターネットネットサーフィンにおいても同様の効果があると考えられます。
宗教との関連で考察を進めると、例えばインターネットを介して宗教サイトを訪問した際に、実際にその宗教施設の中にいるかのような体験をすることも可能になります、たとえそれが現実に戻ってその感覚が失われたとしても、その経験の積み重ね、内在化によって新たな感覚様式が形成される可能性も指摘されます。
宗教はメディアそのものであり、情報環境の変化とともに歴史を歩んできたことは前回指摘した通りです。
さらに仮想現実の世界について考えを進めてみたいと思います。③に続く