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街の変遷と歴史の継承における寺院の役割

コラム連載企画(1) ※↑たて書きで読む 推奨

街の変遷と歴史の継承における寺院の役割



概説

寺院が持つ「地域の核としての永続性」と「歴史資料の継承」という二つの特徴は、変化を続ける街の記憶を記録し、歴史を未来へと継承する上で不可欠であると考える。
寺院の果たしている重要な役割について、古地図や航空写真、そして自身の経験をもとに検証していく。


古地図を片手に見知らぬ場所をその時代を想像しながら旅すること、それが私の趣味の一つです。初めて訪れる街では可能な限り自分の足で歩き、歴史や文化的背景の足跡を発見することはこの上ない喜びです。それが高じて大学では都市計画を専攻し卒業後は現場から設計、計画と一連の実務に携わってきました。

寺の住職となった現在では、寺院が古来から地域の核となり、大きな役割を果たしてきたことを改めて感じています。
貞昌院は禅宗の一派、曹洞宗の寺院で、横浜市南部の港南区に位置しています。かつては相州鎌倉郡に属し、戦後間もなくまでは農村地帯でしたが高度経済成長期を機に都心へのベッドタウンとして大規模な住宅開発が行われました。山を削り、谷を埋め、集落を取り壊し、一度リセットして新しい街を造成するという開発手法は周辺環境を一変させました。昭和三〇~五〇年台にかけて地域の人口は十倍に増加し、九割近い方々は外部からの移転者ということになります。貞昌院では、継続的に航空写真を撮影し、廊下にその写真を並べて掲示していますが、それらを比較すると著しい変化が一目瞭然です。

このような街の開発手法は、全国各所で行われてきました。
大規模開発により街を一気に造り上げるという手法は、効率的で日本が経済大国になる要因となりました。しかし反面、過去の情景や記憶を消し去ってしまいかねません。
この断片化されてしまった歴史を繋ぎとめる重要なランドマーク、それが寺院であると考えます。
江戸時代の小地図切図、明治初期の迅速測図、古い地形図や航空写真などを現在の地図と重ねあわせてみると、寺院は時代を経ても、大抵その場所にあり続けることがわかります。寺院の位置を元に、そこから相対的に他の場所を特定出来るのです。

そればかりではありません。寺院には、その寺院の住職が代々継続的に寺院を護りながら寺院に住しています。これは歴史資料が継承される上で重要な意味を持ちます。
すなわち、寺院の持つ「全国各所に点在し」「地域の核として」「その場所にあり続け」「その場所の情報を受け継ぐ人が居る」という特徴は、変革する街の記憶を記録する役割として、時代の縦軸をつなぎ、時代ごとに街の核として横軸を繋ぐという大きな役割を果たしているのです。この特徴は、他の街の施設ではなかなか無いものです。

例えば、学校では先生が定期的に転勤し、居住地の学区に着任することがありません。役所では公文書の保存年限が定められていますし、役職員が継続的に同じ職場に居るということは少ないでしょう。古くからの旧家に保存されている貴重な歴史資料が世代が変わるとゴミとして処分されてしまう事例も少なくありません。歴史文化資料を継承する環境を維持し続けることは容易ではないのです。

都市開発によって失われつつある歴史を繋ぎとめ、未来へと引き継いでいくために、寺院の果たす役割はますます重要になっていくでしょう。


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投稿者: kameno 日時: 2024年10月20日 09:31

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