宗教情報とメディアリテラシー(前)

11月2日、国学院大学・有栖川宮記念ホールにて開催されたRIRC開設10周年記念・公開研究フォーラム<宗教情報>とメディアリテラシー
に参加してまいりました。

残念ながら、檀務の関係で最初の部分を聞くことができず、途中からの参加となりましたが、個人メモとして残しておきます。
(この記事はkamenoの私的メモですので、その点を予めご理解ください)


RIRC開設10周年記念・公開研究フォーラム
<宗教情報>とメディアリテラシー

日時 2008年11月2日(日) 13:00?17:30
場所 國學院大學・有栖川宮記念ホール

■司会・コーディネータ
 井上順孝氏(國學院大學教授・センター長)

■発題者(当日発表順)
 西浦恭弘氏(真如苑・宗教情報センター)「宗教情報データベース作成に関わって見えてくること」
 弓山達也氏(大正大学教授・宗教情報リサーチセンター研究員)「宗教界と市民をつなぐ―宗教研究ができること―」
 本山一博氏(玉光神社・権宮司)「人々の心に潜む霊能や神秘現象への根拠のない期待に応えるメディア」
 岡部高弘氏(創価学会副会長)「創価学会のメディア対応について」
 高橋直子氏(番組制作リサーチャー)「<スピリチュアル>なバラエティ番組が孕む諸問題」
 渡辺直樹氏(大正大学教授・元週刊SPA!編集長)「マスメディアの『宗教』の取り上げ方」
 山口貴士氏(弁護士)「信仰を持たない自由、信じさせられない自由」


まずは、フォーラムの主テーマとなっているメディア・リテラシーの用語の確認をしておきましょう。
敢えてウィキペディアより、「メディア・リテラシー」項を見てみます。


メディア・リテラシー

メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。なお、この項では主に、「情報を評価・識別する能力」という意味のメディア・リテラシーについて記述する。
メディア・リテラシーで取り扱われるメディアには、公的機関やマスメディア(新聞、テレビ、ラジオ等)を始め、映画、音楽、書籍や雑誌等の出版物、インターネット、広告等、様々なものがあり、口コミ(口頭やブログ等)や各種の芸術等も含まれる事がある。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)




さて、今回のフォーラムは、第一部で各発題者からの発表を一通り行い、第二部でフロアの代表者からの質疑応答、一般からの質疑応答という形で進められました。
冒頭に述べたとおり、私は途中からの参加でありましたが、発題順番が当初予定と異なっていたため、創価学会副会長・岡部高弘氏の発表を真っ先に聞くことができました。

発題者の内容から見えると思いますが、伝統宗教ではなく、新宗教教団?カルト、霊感商法、マスメディアの立場からの視点が重視された内容となっています。
また、宗教勧誘・折伏などの際に「インフォームド・コンセント」をどのように行うべきかという論議がかなり活発に行われました。


■岡部高弘氏(創価学会副会長)「創価学会のメディア対応について」
・マスメディア向けとして年度別活動、池田名誉会長の国際的活動、平和活動などの情報発信を行っている
・新聞広告(年数回)
・ラジオ番組として一般的な音楽、旅番組の提供
・テレビ番組の提供は、放送基準が厳しく、金銭的な制約もあるためなかなか行えない
・インターネットは公式サイトに月間1000万PVのアクセス
・出版は聖教新聞や、アニュアルレポートの発信、潮出版など

メディアの教団イメージと、内部で考えている実像の乖離が激しく、バッシング報道が多い観がある。客観報道されず、結果として作られたイメージに誘導されることがある。あまりに酷い場合は法的手段を講じる必要性もある。
災害の際に救援活動として会館を開放したことなど、地味な活動、社会貢献活動が取り上げられない。そのようなことをどのように伝えていただけるのか、メディアと教団がよりより関係を結ぶためにはどのようにしたらいいかを模索している段階である。
新聞、メディアの中で、宗教担当記者が減少していることが懸念事項である。

<個人的感想>
発題の内容は概ね既に出されているような内容であり、差し障りの無い部分をコンパクトに纏めた感がありました。
それでも、バッシング報道が多いということと、中々地道な活動を取り上げていただけないという部分は、本音をチラリと覗かせた部分もあります。
地道な活動を取り上げられにくいという面では、伝統仏教も同様であり、例えば曹洞宗では阪神淡路大震災において、拠点寺院に全国から僧侶・婦人会関係者が集まり、組織的に救援活動を行いました。けれども、そのような活動についてどれだけマスメディアが報道したかということを振り返ると良くわかることです。
宗教担当記者がマスメディアから減っているという懸念については同意します。
最近感じることは、創価学会関係のテレビCMが増えていることです。
特に創価大学のCMは先月スポット的にかなりの量が流されていると感じました。また、いわゆる「学会タレント」や、教育機関、法曹界、官僚などに送り込み、内部から影響力をもつメディアを支配していくという動きもあるはずです。そのようなことまで踏み込んだ論議がなされなかったことが少し残念でした。(このあたりは敢えて制限したのでしょう)


■高橋直子氏(番組制作リサーチャー)「<スピリチュアル>なバラエティ番組が孕む諸問題」
自身の関った学校の怪談を取り上げた番組について、具体的な体験談を元に発題されました。
夜中12時にスプーンを後ろ向きに投げて「チャリーン」と音がしたら幽霊がいない、音がしなかったら幽霊がいる・・・という怪談を元にドラマ化した番組が放送前に問題となり、内容変更となった。問題となった基準は「模倣性」
しかし、番組の後半に霊能者にタレントが霊視されるコーナーはあまり問題とならなかった。
霊能者は、これまでの活躍の実績や、問題を起こしていない場合には良しとされるきらいがある。
「スピリチュアル番組」と「不思議現象番組」を分けて考えることにより、問題はある程度クリアになる。
「不思議現象番組」では、ある程度「やらせ」であることが視聴者にはわかっており、フィクションを共有することにより、嘘か本当か迷うというところに「楽しさ」がある(というより、あった)。
しかし、最近は「アポロ13号の疑惑」を放送した際にBPOに苦情が届くようになり、やらせが許容出来ない状況が顕著になった。
やがて、「不思議現象」を取り上げた番組は不振となる一方で「霊能」「霊視」の真偽を問わずに感動を謳う「スピリチュアル」な番組が登場した。
「スピリチュアル」な番組は、「真実か否か」ではなく、「必要か否か」というニーズの次元で論議される。
また、番組放送構成上、スピリチュアルや不思議現象を「肯定」の立場で製作するために、そこには否定的や懐疑の視点が抜け落ちている。
⇒スピリチュアルな霊能番組は、特殊な宗教観に基づいて話題が展開され、視聴者に受動的な姿勢を強要する偏った関係性を構築するという問題点を孕んでいる。

<個人的感想>
やらせ、仕込みについては、視聴者からの厳しい目が届くようになり、番組制作側もその点は十分に考慮するようになったと感じる。
しかし、例えばNHKの昼の生番組であっても、予めインタビューする人や内容を打ち合わせしてあったり、台本どおりに事前準備を行うことは暗黙の領海であったりします。
視聴者にとって、どこまでが真実で、どこまでが「仕込み」なのかが明確にわかることであれば、問題は少ないでしょう。
けれども、高橋氏の指摘されるように、不思議現象を否定的や懐疑の視点が抜け落ちた番組制作を行い、それを放送するということは大いに問題があると言わざるを得ません。
霊能者にタレントが霊視されるコーナーで、タレントがあまりにも真剣な表情で霊能者の言葉を受け入れてしまっている様子が収録されたという実例については、放送基準の見直しも含めて、製作側の意識改革も求められるところだと感じます。



■渡辺直樹氏(大正大学教授・元週刊SPA!編集長)「マスメディアの『宗教』の取り上げ方」

宗教担当記者の不在について
事件がらみは社会部、文化現象は文化部などが担当。
宗教担当は殆ど無い。

宗教欄⇒こころ、人生・・・など、言葉を置き換える動き
関東よりは京都・大阪
民族、同和問題と同レベルに扱われる・・・新聞社は役所と組織のあり方が似ている。
宗教の取り上げ方の3つのスタンス
(1)持ち上げる、賞讃する
(2)スキャンダル、貶める
(3)日本の伝統文化
上記以外ではなかなか取り上げることが無い。
日本の中では、いまだに悩みや生き方について宗教的なものを求めるというよりも、「普通の日本人が」「異質なもの」に対する「異質性の強調」として扱われることが多いことに起因するのだろう。
一般の方が宗教について幅広い知識を持ち考えることが出来るようなデータベースを構築したい。

<個人的感想>
マスコミ側の情報発信の姿勢について、まさに「メディア・リテラシー」というものはマスメディア側にこそ求められているものであると感じました。


■山口貴士氏(弁護士)「信仰を持たない自由、信じさせられない自由」

憲法20条1項「信教の自由」
信仰を持たない自由、信じない自由も保障される。
宗教団体の自由と個人の自由が衝突する場合、個人の自由が優先されるべきであり、宗教信仰の自由は「インフォームド・コンセント」により、各個人が選択して行われるべきと考える。
騙されたとして弁護士事務局に駆け込んでくる方は「宗教に救われるのではなく、宗教に足元を掬われた」方である。
宗教側に求められる「インフォームド・コンセント」とは、教団の情報提供義務・説明義務・助言義務・適合性などである。
信仰は部外者にとっては不合理、非論理的な面があり、それを信じると是正の可能性が薄れる。合理的に脱会させることが難しい。さらに脱会した後の生き方をサポートすることはさらに難しい。
従って、最初に宗教を信じることが、一生を左右するということを予め説明する必要がある。
「インフォームド・コンセント」の範囲
・宗教であることを隠してはいけない。
・教義
・信者としての義務

<個人的感想>
駅前で手相の勉強をしていると近づいてくる団体について、「○○教会です」「合同結婚式をします」「多額の金銭が必要です」「文鮮明の奴隷となります」とまで説明した上で、それでも入信した方にとっては、その人の自由だから何もいえないということですが、そもそも医療現場から発生した考え方である「インフォームド・コンセント」を宗教に適用することができるのか、適用することが適切なのかということについてはよく論議していく必要があるでしょう。
宗教ではないと主張している団体にとってどのように考えるか、難しい問題を孕んでいます。


■今日のブログ記事は前半第一部についてメモ記録を元に記載しました。
第二部については後ほど改めて記事にします。

<以下続く>

20081102.jpg


■追伸 今回のフォーラムは、撮影禁止、録画禁止など、かなり制限事項も多かったように感じます。 検索してみると、興味深い配信記事がありましたので、併せてご紹介いたします。

そのタイトルは『メディアを語る宗教学者のリテラシー』。
考えさせられますね。

メディアを語る宗教学者のリテラシー


PJニュース用の取材交渉中、取材条件を小出しに示されたので「取材条件を全て明示してほしい」と求めたら、一転して取材を拒否された。相手は、宗教報道などでメディアにも登場する國學院大學教授で宗教情報リサーチセンター(RIRC)センター長の井上順孝氏だ。

11月2日、東京・國學院大學で「RIRC開設10周年記念・公開研究フォーラム <宗教情報>とメディアリテラシー」が開催される。創価学会副会長・岡部高弘氏が「創価学会のメディア対応について」というテーマで語るほか、他宗教団体の関係者や弁護士、宗教研究者、メディア関係者が発題者として名を連ねる、非常に興味深いイベントだ。ぜひ、多くの人にお勧めしたい。

記者は井上氏と面識もあったので、9月末、彼に直接連絡を取り、PJニュースで記事にすることを前提にフォーラムの取材を申し入れた。井上氏からは、こんな趣旨の返答がきた。

・録音と動画撮影は一律禁止
・写真撮影は報道のみに許可
・取材はPJニュースであれば問題ないと思う
・とりあえずフォーラム参加自体は認める

 「公開研究フォーラム」と銘打たれているものの、取材はもちろん一般参加も事前申し込みによる許可制である。
その後、「人物の顔をあまり大写しにしないように」という条件を付けられた。発題者の顔を撮影できないのであれば、下手をしたら会場全景写真くらいしか撮れなくなる。念のため「フロアの一般参加者ではなく発題者の顔を撮るなという意味か?」と確認した。

返答は、やはり発題者の顔を撮影するなというものだったが、今度は「発題者については複数の人を同時に写す」ようにと書いてある。前回示された条件より緩くなったが、やりとりの度に条件が変わるのも困ったものだ。ルールに従う意向を明示した上で、「条件があるなら全て正確に示してほしい」と伝えた。ところが井上氏は、記者が取材条件を尋ねたことを理由に取材を拒否してきた。

これまでのライター経験で、こんなことは初めてだ。制約がある取材ほど、制約の内容を明確にすることは双方にとって不可欠のはず。記者のワガママではないし、ルールに異も唱(とな)えず「従う」と明記しているのだからクレームですらない。しかし、最終的に井上氏は、こう連絡してきた。

「今回は従来の原則どおり新聞社だけに限るという方針にさせていただきますので、ご了承ください」(井上氏のメールより)

井上氏はおそらく、やましいことがあって取材を拒否したかったわけではない。メールの文脈からして、取材条件を明示したくない(あるいはできない)ために、「新聞社に限る」というルールを持ち出して取材拒否を正当化しようとしたのだ。しかし、取材を拒否されたことより、ことの経緯と論理に問題を感じる。

仮に記者が疑問を口にせず「YES」とだけ言っていれば、おそらく取材は可能だった。しかし、この程度の疑問も口にできない関係は、不健全ななれ合いどころか主従関係であるとさえ言える。例えば官公庁などの閉鎖的な記者クラブ制度は、取材する側・される側のなれ合いと権力者によるメディア・コントロールを招きやすく、しばしば社会的な批判の的となる。情報の受け手側のリテラシーを考える上でも非常に重要な問題だ。

RIRCは私的団体ではなく、公益法人である「財団法人国際宗教研究所」の付属機関である。同法人のウェブサイトに、こんな記述がある。
「(略)日本の宗教界、宗教ジャーナリズム、宗教研究者等のニーズに応えていくことを目指しています」

しかしなれ合い以外の選択を与えない取材対応は、ジャーナリズムへの貢献を謳(うた)う同法人の理念と逆行する。ましてや今回のフォーラムは、メディアやリテラシーそのものがテーマだ。RIRCセンター長としてフォーラムの司会に立つ井上氏の対応が、不可解でならない。

(2008年10月28日 PJニュース)



■関連リンク
宗教情報リサーチセンター(RIRC)

■関連記事
「〈宗教情報〉とメディアリテラシー」フォーラム雑感(つらつら日暮し)

投稿者: kameno 日時: 2008年11月 4日 23:55

コメント: 宗教情報とメディアリテラシー(前)

> kameno先生

先日はお疲れ様でした。
そして、早速の感想をアップしていただきまして、ありがとうございます。拙僧も早めのアップを・・・と思っていましたが、連日の眼蔵会の影響で、まだアップできていません。

さて、最後のPJニュースの記事、こういう裏話もあったんですね。確かに、リテラシーという観点からすれば、色々と問題はあったのかもしれませんが、逆に考えれば、あの場はやはり、或る程度「空気が読める人」を集めていたということなんでしょうね。

投稿者 tenjin95 | 2008年11月 5日 13:43

tenjin95さん
眼蔵会お疲れ様です。
会場の質疑応答の際も、空気を読んだ質問が多かったですね。(主旨から外れた質問は遠慮なく打ち切られてましたし)
改めて振り返ってみると、とても有意義なシンポジウムだったと感じます。
貴師の記事も楽しみにしております。

投稿者 kameno | 2008年11月 5日 22:24

tenjin95さんの記事にコメントしましたが、詳しく記されていて驚きました。勉強させていただきました。有り難うございます。

投稿者 ゆ?じ@FreeTibet | 2008年11月10日 19:48

ゆ?じさん
ここに書いたものはまだまだ一部でありまして、実際に参加してみて得ることは多かったです。
時間を見て後編を纏めてみたいと思います。

投稿者 kameno | 2008年11月11日 08:23

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