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東日本大震災の発生から9年が経過しました。
2011年と2020年の同じ場所の記録の一部です。 (クリックすると拡大します)
↑2011年5月25日 野蒜駅北の鳴瀬川沿いの水田は まだ海水が引いていなかった。正面に仙石線の車両が止まったままになっています。
↑2020年3月2日 震災後何年かかけて塩抜きが行われました。仙石線のルートが変更され、この区間は高架になりました。
(左)2011年5月25日 (右)2020年3月3日
震災以降仙石線の車両が止まったままになっていました。(このとき仙石線は高城町~矢本駅間が不通)。奥方向に800mほど進むと旧野蒜駅です。
2020年には線路が撤去され、道路になっていました。
↑2011年10月26日 石巻市門脇小学校。震災当時避難のために校庭に駐車していた車が津波で校舎に衝突し炎上してできた痕跡が残されています。
↑2020年3月2日 校舎が震災遺構として保存されるための工事が進められています。一部分は取り壊しとなり、2020年中に公開される予定です。
↑2012年6月19日 名取市閖上の日和山から南西側のパノラマ。嵩上げ工事のため土砂が積まれています。
↑2020年3月3日 閖上の日和山から南西側のパノラマ。駐車場は舗装整備され、隣接地に名取市東日本大震災慰霊碑が建立されました。
↑2012年6月19日 名取市閖上の日和山から北東側のパノラマ。
↑2012年6月19日 名取市閖上の日和山から北東側のパノラマ。中央奥の名取川沿いに震災復興住宅と再建された東禅寺が見えます。
(左)2011年5月25日(右)2020年3月2日
野蒜海岸から宮戸島へ渡る橋は、津波のために流されてしまいました。
2011年5月の段階では県道27号線(左写真左端)は未だ復旧しておらず、自衛隊により砕石が敷かれた仮道(左写真右端)を通って宮戸島に入りました。
2020年になってもまだ橋の工事は完了していません。野蒜海岸沿いに堤防のかさ上げ工事が進められていました。
(左)2011年8月26日 宮戸島縄文村 (右)2020年3月2日
宮戸島縄文村・漁協前の道路。地盤沈下のため大潮になると海水が流入してきて50センチほど冠水しました。
現在は嵩上げと舗装工事が完了しています。
(左)2011年5月25日 宮戸島月浜 (右)2020年3月2日
美しい砂浜の前に民宿が並んでいましたが津波により光景が一変しました。
現在は、新設された漁業倉庫が並んでいます。
(左)2011年5月25日 宮戸島月浜 (右)2020年3月2日
月浜海岸堤防の復旧状況。
ここの海岸は、とても美しい砂浜です。
(左)2011年5月25日 宮戸島室浜 (右)2020年3月2日
2011年、高台には仮設住宅が建てられ、牡蠣養殖の準備が進められていました。
2020年、漁業倉庫が新たに建てられていました。
東日本大震災から9年。
被災地の復旧復興の状況は場所によってその進捗が大きく異なっています。
長い目での支援もまだまだ必要でしょうし、情報には常にアンテナを張っておくことも大切だと感じます。