本物の芸術作品に接する贅沢

芸術作品の名作をいつでも鑑賞することができるということは、この上ない幸せだと思います。
本物に接するということは、絵画の複製やスピーカーを通した音楽を見たり聴いたりすることではなく、直に本物を見るということであり、画家の筆遣いや演奏者の実力もはっきりわかります。

鑑定家も、まずは名品ばかりを見て、見る目を養うといいます。
ましてや、芸術作品を生み出す芸術家にとっては言わずもがなです。

パリ滞在中に、さまざまな美術館を巡ってきましたが、その展示量は想像を絶しますね。
訪れた美術館は

Musée Du Louvre (ルーブル美術館) 
Musée Picasso (ピカソ美術館)
Musée D'Orsay (オルセー美術館)
Musée De L'Orangerie (オランジュリー美術館)

ですが、美術館だけでもまだまだ行きたいところはありますし、ルーブル美術館などは数日かけても全部を堪能することはできないでしょう。

こういう作品に気軽に鑑賞できるこの街の人は、本当に羨ましいです。


訪問した美術館の中においては、小学生たちに授業の一環として、本物の芸術品の前で、授業が行われている光景をよく目にしました。

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そして、芸術家のたまごたちが、芸術作品の前で、その筆遣いを学び取っている姿もよく目にしました。

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日本で○○展などが開催された場合は、この中の数点の作品を、しかも仰々しく厳重な警備の中、人ごみに押されながら鑑賞するということが多いはずです。
そのような作品たちを間近でゆったりと鑑賞できるということは、なんという贅沢なのでしょうか。

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さすが、芸術の都を称するだけあります。

それに、街並みもそうですが、最近の日本の街並みは、妙に中途半端な西洋化のデザインが目立つようになり、いかにも本物じみた、けれども偽物があふれかえっていることに気づかされます。
パリから帰って来て、成田エキスプレスの車窓から眺める光景を見てまず感じるのは、そういう感覚です。
普段の生活の中で、本物に見せかけた偽物の中で生活していれば、それがあたかも本物であるような感覚に陥り、本物を見極める目は養われません。
日本には日本にで培われてきた芸術文化があるのですから、妙に中途半端に見かけだけの西洋化を進めるのも考えものだと思います。

投稿者: kameno 日時: 2007年6月16日 23:48

コメント: 本物の芸術作品に接する贅沢

kamenoさん、お帰りなさいませ。
道中無事で何よりでした。
記事から有意義な研修の様子が伝わってきます。

姉はもっか修行に追われてしまって、大変ご無礼致しましたこと、彼女に代わってお詫び申し上げます。

ご紹介の美術館は学生時代に回りました。
ほかにポンピドゥーセンターとモロー美術館も。。。
かの国は日本に比べ芸術に対する意識が圧倒的に高いですね。

またいろいろ土産話をお聞かせください。

投稿者 りょう | 2007年6月20日 09:12

りょうさん
学生の時に行かれたのですね。
若い頃に受ける印象と、ある程度歳を重ねてから受ける印象では違ってくるのかもしれません。
ポンピドゥーセンターとモロー美術館ですか?
やはり一週間では回りきれないですね。ゆっくりと巡ってみたいものです。

投稿者 kameno | 2007年6月20日 15:13

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