仏教ホスピスの会いのちの集い

伝統仏教超宗派で運営されている仏教情報センターの活動の一つに仏教ホスピスの会・いのちの集いがあります。

本日、東京都荒川区 町屋で開催されます。
私も担当となっておりますので、出かけてきました。

------------------------------- 

第181回『いのちを見つめる集い』
 

4月23日(木曜日)午後1時30分?4時30分   語り合い 午後2時30分?4時30分

会場 泊船軒(はくせんけん) 東京都荒川区荒川7-17-2 (案内地図)

会費 500円(当センターの会員の方は無料)

『いのちを見つめる ?海外医療の現場から?』
(財)国際仏教興隆協会 医療部長 大工原彌太郎 (だいくばら・やたろう) 師

----------------------------
昭和19年生まれ。チベット医学を専攻。
昭和46年インドのダージリンで診療開始。翌年にブッダガヤに移ってのち印度山日本寺境内に私設の無料診療所を開所して以来臨床畑を歩むかたわら、招聘に応じてたびたびイギリス、スペインでの講座講義と臨床。

昭和50年に国連ユニセフ・フィールド・エキスパートとしての専属契約によりネパール、ブータン、タイ、カンボジア、ヴェトナム、チベット等での教育・福祉・健康・医療面での諸プロジェクトに従事した経験から、異なる民族の歴史と文化に育まれた様々な「いのち」観に付き合ってきた、その一端を。
----------------------------

会場となった泊船軒。臨済宗妙心寺派の寺院です。
法堂天井の龍が見事です。

20090423-01.jpg 20090423-02.jpg

【講演内容kamenoメモより】

イギリス・スコットランド地方では粉炭が産出し、その採掘に携わるものにガス壊疽が流行した。患部切除に伴う痛みの緩和のためにモルヒネを使用。しかし、モルヒネ中毒も蔓延した。
最期のイニシエーションを受けずに死んでいったものは教会で受け入れてくれない。家族も離れてしまう。僧侶の果たす役割は、モルヒネに変わる精神的なケアを行うことなのだろう。

ベトナムでの体験
戦争の最前線に兵士は家族と共に出でいく。直ぐ背後に家族が居るということがベトナム兵の強さの源だったのではないだろうか。
ベトナムでは死を迎えようとする者に対し、僧侶が何人も集まり、数日間に亘ってお経を入れ替わり立ち代り唱えていく。死に対する恐怖はそこにはない。死を迎えようとする者に対し、それを安らかに送ることが僧侶の役割。その者が死を迎えると僧侶は居なくなる。死後には僧侶の役割は無くなるのである。

20090423-05.jpg

インド・ブッダガヤにて
僧侶の多くは托鉢をしながらサンガを渡り歩き遊行する。インドにおいてはブッダガヤで死を迎えることが最高の幸せである。
ある僧侶がブッダガヤの僧院において重篤な病に陥った。この地で死を迎えることを望み、治療を拒否した。街頭の木陰の下にベッドを置き、野ざらしでこの僧侶は過ごした。警察官は僧侶の意思を尊重し、毎日見回りに来るものの、その行為に対しては口を出さず静かに見守っていた。街の人たち、特に子どもたちは毎日のようにやってきては生きていることを確認し、僧に率直な疑問をぶつけていた。僧は静かに、真摯にその問いに答えていた。はじめは単に興味本位でみていた子どもたちも、次第に尊敬の念を抱くようになった。
結局飲まず食わずであった僧侶は、二週間ほどで亡くなったが、この僧侶は死を迎える過程を身をもって子どもたちに提示していたのではないだろうか。

ブッダガヤの診療所にて
老人が村の人に抱えられながら診療所にやって来た。いくら診療してみてもどこも悪いところが無い。村人はそんなことは無いだろうと、その診断結果を受け入れない。しいて言えば、寿命ではないか。といったその言葉に、老人は「なんだ、寿命だったのか」と納得し、喜んで帰っていった。
インドでは寿命とは決してタブーではなく、逆に素直に受け入れ喜ぶ。そして余命が幾らも無いことが分かると余生の計画を立てて巡礼に旅立つものもいる。
日本では寿命の話はある意味タブーではあるけれども、インドでは悲しみでも何でも無い、自然の摂理として捉えられているのである。

生まれ方は誰しもほぼ同じである。けれども死の迎え方は人により大きく異なるものである。
20090423-04.jpg

第二部は、本堂畳の上に参加者が車座となり意見交換が行われました。

20090423-03.jpg


『 仏教ホスピスの会 』は広く仏教の精神を、『 聞・思・修(もん・し・しゅ)』し、出会いを喜び、ふれ合いを楽しみ、支え合いの手を差し伸べ合い、病む者、健やかな者の区別なく、共に”生・老・病・死”を語り見つめ直すことを目的にしています。

「 いのちを見つめる集い 」は、寺の本堂を会場に、毎月いろいろな分野の方を講師にお招きして1時間ほどお話をしていただいております。休憩(ティータイム)のあと約2時間、参加者・講師・僧侶による語り合いの場を提供しております。


■関連ブログ記事
ひっきりなしの電話
仏教テレフォン相談から見えること

投稿者: kameno 日時: 2009年4月23日 10:51

コメント: 仏教ホスピスの会いのちの集い

お世話になります。真言宗豊山派の小川と申します。
今日、184回のいのちを見つめる集いに行ってきました。

小生もブログを書いておりまして、それにここに掲載されている写真を使わせていただきました。
了承を得てからが筋ですが、即日に書くものですので載せてからのご許可依頼になりました。

宜しくお願いします。

投稿者 小川亮昌 | 2009年7月23日 23:48

拝復
小川さま
お世話になります。
また、いのちの集い参加お疲れ様でした。
画像使用の件、了解です。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
とり急ぎ
合掌

投稿者 kameno | 2009年7月24日 08:20

埼玉県幸手市にあります真言宗豊山派正福院の吉良英敏と申します。
私は仏教青年会をはじめ活動しておりますが、これからの僧侶は社会との接点をさらに築きたいと思っています。
3月9日には地元の自治体と医師会が主催する暮らしと医療を考えるシンポジウムで『最高に幸せな人生の過ごし方』をテーマに講演します。
さらに勉強し活動して参りたいと思っています。

投稿者 吉良英敏 | 2014年2月15日 12:41

吉良さま
コメントありがとうございます。
仏教青年会をはじめとする活動に敬意を表します。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。合掌

投稿者 kameno | 2014年2月15日 18:09

コメントを送る