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新型コロナウイルスCOVID-19感染症について、その感染症法上の位置付けについて大きな転換を迎えます。
岸田首相が加藤厚生労働大臣他関係閣僚に指示を出したことにより、この春にも、新型コロナウイルス感染症が「2類相当」から「5類」へと引き下げられそうです。
季節性インフルエンザと同等の扱いになった場合には、屋内でのマスク着用の在り方や、ワクチン接種などの公費負担が大幅に見直され、通常の生活に戻る大きな契機になることでしょう。
寺院側の立場としては、人が集まる法要儀式において、マスクの着用が不要になるのか、また、人と人の間隔を従前どおりとして良いのか、など、提示される基準に着目したいところです。
それにしても、新型コロナウイルス感染症が日本で広がってから3年が経過しました。
この間、私たちの生活様式が一変してしまったということをつくづく実感します。
平素、マスクを着用する習慣はすっかり当たり前のものとなっており、屋外においてもマスクを外している方はまず見かけません。
脱マスクが定着するのは、まだ時間がかかるような気がします。
新型コロナウイルス感染症が拡大した時期は、様々な情報が交錯しました。
マスクや検査キットが不足したり、免疫力を強化するとされる食品が売切れたり。
そのような時こそ、正しい知見が求められます。
ウイルスという「目に見えない恐怖」や「先行きの分からない不安」は、人々の冷静さを奪い、正しくない感情を引き起こす原因になります。
風評被害や差別を起こすことのないように努め、知らず知らずのうちに罹患し、また他の方に感染させてしまうことのないように慎ましく行動することが必要であることを実感される時期でした。
歴史を振り返ると、これまで人類は長い歴史の中で、天然痘、ペスト、新型インフルエンザ(スペイン風邪、アジア風邪、香港風邪、A/H1N1、COVID-19など)、新興感染症(エイズ、鳥インフルエンザ、SARSなど)、再興感染症(結核、マラリアなど)等々、私たちは感染症に何度も何度も苦しめられ、見えない敵と闘ってきました。
感染症は、日本の仏教にも大きな影響をもたらしています。
例を挙げれば、日本で天然痘が大流行した8世紀には、日本の人口の3割が死亡したと推定されています。
この国難に、天然痘などの疫病から救済されることを願い、国家事業として奈良の大仏が造立されています。
また、節分の豆撒きの習慣も、疫病を退散させることを願い生まれたとされています。
病気の原因究明や治療方法が確立されていない時代においては、神仏に祈ることくらいしか出来なかったのでしょう。
時代が下り、明治維新の前後になると、医学の進展により、感染症に対する対処方法が確立されていくようになりました。
明治13(1880)年に流行したコレラに対しては、内務省は『虎列剌(コレラ)予防諭解』により、密接な人間関係を避ける、部屋の換気を十分に行う等の基準が示されました。
これに対し、仏教各宗派は、この予防諭解を印刷し、全国寺院の檀信徒や一般向けに配布し、正しい予防方法の普及に寄与しています。
まだまだ迷信が強かった時代において、「但教徒の内、教法上の加持祈祷等を以て医薬及び予防法の妨害を為すが如き意得違いの者之れ無き様、取り締まり致すべし」として、おまじない、呪術などの科学的根拠のない妄信や、医学的見地に基づかない対応に対して注意喚起を行ったのは特筆すべきことだといえます。
この注意喚起は、新型コロナウイルス感染症対策と基本は同じ対処法(例えば、密接な人間関係を避ける、部屋の換気等)が示されていることも興味深いことです。
冒頭に書いたように、歴史上過去に私たちが感染症とどのように闘ってきたという事実があります。
感染症対策は、私たちにとって決して特別なことではなく、流行期間中のマスク着用、こまめな手洗い、人混みを避けての行動は、これまで歴史上何度も繰り返し行われてきた対策と同じことを繰り返しているにすぎないということを実感した3年間でした。
今後、新しい感染症が発生し広がることもあるでしょう。
新型コロナウイルスが5類に分類された後も、これまでに蓄えられてきた知見を忘れること無く、常に意識して日常の準備を怠らないということが大切でしょう。