広報と広告

ある行事が開催されることを一般の方に知ってほしい
活動の内容を伝えたい
ブランドの価値を高めたい・・・

一般企業に限らず、どのような法人・団体・個人であってもこのような欲求はあると思います。
お寺では、地道な活動をしていればそれで良しとするという考えもありますが、それでも一般向けに社会的な活動をする場合には、情報発信の必要性が生じます。

情報を広く伝達するためには、メディアによる情報伝達が不可欠となります。
お寺とメディアって、何の関連性も無いように思えますが、実は密接な関連性を有します。
何故ならば 【布教】=【メディアによる情報伝達】 であるからです。

【布教】=【メディアによる情報伝達】という構図は、宗教がこの世の中に発生した瞬間から成立しています。
最初は人から人への直接的な情報伝達だったものが、文字として記録したり、さらに広く伝達するために紙の発明や印刷技術、製本技術などなど、それらの歴史は「布教」への強い欲求により生み出されてきたものといえます。

また、CMC(コンピュータを媒介としたコミュニケーション)が主流となりつつある現代でも、CMC自体が宗教性を帯びやすいという性質を持ちえることもあり、いかにメディアによる情報伝達を行うかということが重要な命題になるのです。
情報技術の発達・情報環境の拡大と、それに伴う社会構造やメンタリティの変化、近年におけるブログの普及などが、現代日本の宗教に確実に変容をもたらしつつあるといえます。


ある情報を伝える手法に「広報」「広告」があります。
この2つは、混同されて用いられがちですが、大きな違いがあります。
簡単にまとめると次のようになります。

広告 広報
相当のコストが掛かる コストを掛けなくても可能
自由にメッセージを発信できる どのようにメッセージが発信されるかわからない
必ず広告枠に掲載される 掲載されるかは不確定
自己紹介 他己紹介
テレビ、ラジオ、新聞・雑誌などの広告枠を使って、自らが情報を伝達する マスコミや様々なメディアを通して、第三者により社会に情報伝達されるもの
広告枠を買う必要がある。 メディアを通して情報をマスコミや一般向けに積極的に情報発信する必要がある

 

このように、「広報」は「広告」とは異なりコストがほとんどかかりませんが、メディアが取り上げて掲載してくれるかどうかは不確実です。
また、第三者による「他己紹介」という形を取るために、必ずしも正確な情報が伝達されるとは限りませんし、肯定的に伝えられるどころか、逆に否定的に伝えられる可能性もあります。
利用者の口コミサイトもそうですね。
第三者による公平な判断基準に基づく記述だと信じられているから、多くの方がそれを参考にするわけです。
(注:「第三者による公平な判断基準に基づく記述だと信じられている」ということと、「実際にそれが事実である」かは別の話です)


蛇足ですが、先日のトヨタ・プリウスPHV試乗モニターのように、商品を提供して、感想を紹介してもらうという手法は、「広報」と「広告」のイイトコどりをした、まさにハイブリッドな手法といえましょう。

 

このように【メディアによる情報伝達】を有効に行うためには、「広告」と「広報」の正確を良く理解した上で、メディアの特性を生かした情報伝達を行うことが求められます。
メディアが多様化し、次から次へと新しい手段が生まれては消える時代では、その時代の流れを良く掴んでおいて、利用していくことが必要となるでしょう。


でも、一番大切なことは、良質な情報の源となる良質な活動を地道に続けていくことなんですよね。

 

 


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投稿者: kameno 日時: 2012年8月 1日 11:14

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