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teraさんが、「公論性」と「公開性」の二つの尺度を用いてブログを四つの類型に分類されています。
とても的確な分類でありますので引用させていただきます。
A.ホームページ型…公開性が高くて公論性が高いもの。ホームページの簡易日記タイプと言えます。私もホームページの敷居が高くて、手軽なブログを開設した経緯があります。
B.持論主張型…公開した中で持論を展開するタイプ。著名人、タレントさんなどはもともと私生活そのものが公開されているような一面をもっていますので、このブログの場は正に適した発信処です。
C.情報発信型…公開性には慎重ながらも、バラエティーに富んだ情報発信をしていくタイプ。ジャンル、キーワードなどの検索システムを利用してのネットの広がりにも妙味があります。
D.個人日記型…本来は独りのための日記。でも知ってもらいたい一面もあるものです。そんな赤裸々の発信ツールとして、このタイプが、ブログが広まった原点なのかも知れません。
http://blog.goo.ne.jp/tosen_2005/e/6e7196524dc9fca121e7792ca60f55ba
貞昌院のサイトの場合は、ホームページ・ブログ並列型ですから、この分類に従えば、AとBの両立といったところでしょうか。
まだホームページ自体が珍しかった頃は、「お寺でホームページを開設しているなんて珍しいですね!」と良く言われたりしましたが、歴史を紐解いてみると、原始的コミュニケーションから文字の発生、情報記録のための石・粘土板・板・紙の発明、印刷技術の発明など、いつの時代も宗教界がその時代の最新メディアをリードしてきたということが判ります。
また、宗教はもともと仮想現実の側面を持つものでもあります。
(この宗教と仮想現実のことについては追って触れていく予定です)
【布教】=【メディアによる情報伝達】という構図は、CMC(コンピュータを媒介としたコミュニケーション)自体が宗教性を帯びやすいという性質を持ちえるということを意味します。
しかしながら、伝統宗教に関しては、CMCを積極的に活用している事例と、そうでない事例の二極化が進んでいる状況です。
情報技術の発達・情報環境の拡大と、それに伴う社会構造やメンタリティの変化、近年におけるブログの普及などが、現代日本の宗教に確実に変容をもたらしつつあるといえます。
私も、2001年に、Yahoo!Japanなど一般的な検索サイトに登録されている国内の伝統仏教教団・寺院(宗教法人)のサイトのうち、メールアドレスを公開している338件を対象にアンケート調査を行ったことがあります(註1)。
サイトで行われている主なコンテンツについて、どれほど効果が見られるのかを、サイトを運営している立場からの意見として吸上げ、集計し、そこで得られた結果を、SPSSによる因子分析にかけました。
これによって、インターネットを使った布教活動に係わる因子を抽出し、どのような共通し、かつ変動を支配する成分があるのかを検討してみました。
(バリマックス回転を選択し、回転前の因子負荷量行列の出力を抑制)
結果、固有値が1以上の因子が3つ析出されました。
(KMO値0.847、Bartlett の球面性検定の有意水準は、0.00)
第1因子に対しては、ペットの仮想墓地(0.871)、人間の仮想墓地(0.837) 、バーチャル参拝(0.664)が強い負荷を示したため、第1因子を「仮想宗教空間」と解釈することにしました。
第2因子に対しては、お寺・住職を身近にする(0.680)、世界へむけた情報発信(0.614)、宗派を超えた意志疎通(0.606)と続いたため、第2因子を「自己開示」と解釈することにしました。
第3因子に対しては、祈祷、祈願(0.710)、読経(0.535)が強い負荷を示したため、第3因子を「バーチャル儀礼」と解釈することにしました。
この3つの因子のうち、上位2つの因子を用いて二次元に座標をとると、次の図のようになります。
このプロットの一つ一つを、実際のサイトと照らし合わせてみると、とても興味ある結果となっているのですが、ここでは、それぞれをリンクすることは、ここではあえて行っていません。
ただ、全体的にインターネットを使った宗教活動はまだ未成熟な段階であり、有効に運用しているサイトがある一方、思いのほか効果が得られない事例もみられ、二極化がみられる段階であるといえます。
宗教とCMCとの関係を模索している状態にあり、これが確立されるのはもう少し先になるのかもしれません。
田村貴紀氏は、宗教関連ウェッブ・サイト主催者へのアンケート調査結果報告(註2)の中で、宗教行為の可能性として
(1)言葉による宗教性
(2)聖地へのアクセス可能性
(3)オンラインカウンセリング
の3つを挙げています。
(1)については、テキストの儀礼化、テキストによる儀礼という観点のアプローチと、言葉自体に重要性があるというアプローチがあります。
(2)については、場所を重視する宗教の場合、教団のサイトにアクセスすること自体に宗教的な意味がありうるということです。
教会や道場などの場所そのものの持つ霊性とは、同じものではないにしても、その霊性へのアクセスの可能性として宗教的な意味を持つというものであります。
(3)については、カウンセリングや相談は、まさに宗教家の社会奉仕であり、宗教的一面をもちうるものであるといえます。
ここで、今回の調査結果とあわせて考えてみると、インターネット上のサイトが宗教のための装置として活用されるためには、インターネットを通じて結ばれた先の世界が、あくまでも、「仮想」のものではなく、「実在」するものであるということが重要であることが分かります。
つまり、
(1)の言葉は宗祖や聖職者からの言葉でなければならないし、
(2)の聖地はリアルタイムにみえる実際の聖地でなけばならない。
(3)についても、聖職者や同じ信仰をもつものと対話しているという感覚がなければ成り立たない。
というのが私なりの結論です。
その意味で、「公開性」はとても重要な要素であるといえそうです。
(註2)「宗教関連ホームページ(ウェッブ・サイト)主催者へのアンケート調査結果」 田村貴紀 1997