スーサイドクリフ

ホワイトビーチからテニアン島に上陸したアメリカ軍は一気に南下し、島南部にあった最大の集落、テニアン村に侵攻しました。
サイパンのバンザイクリフが日本に一番近い北部にあるのに対し、テニアンのスーサイドクリフが島の南端にあるのは、アメリカ軍が北から侵攻してきたことと、島のほとんどが平坦地で、隠れることが出来る村周辺の場所は南部のカロリナス台地しか無かったからです。

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住民たちは、のカロリナス台地に避難、岸壁の洞窟などに身を寄せて生活していました。
水も食料も無い局限の状況の中、アメリカ軍の掃討作戦に最後まで投降しなかった人々は、いよいよ追い詰められて切り立った断崖絶壁から飛び降りました。

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その数は知れませんが、民間人と兵士併せて2000人とも言われています。

海は深い藍に、そして抜けるような青空が広がっていました。

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スーサイドクリフは自殺岸壁という意味です。
ここで慰霊法要を営みました。

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残念なことに、あげられていた塔婆が折られて転がっていました。
某国の人々が壊してしまうそうです。
また、日本人たちが平和の祈りを捧げている周囲をバイクで騒音を立てながら走り回ったりということが良くあるようです。


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投稿者: kameno 日時: 2011年11月15日 10:27

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