ウシ:ノースフィールド

サイパンからテニアンにはセスナで渡ることになります。
たった10分のフライトですが上空から見るべき所はたくさんあります。

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↑テニアン北部に見える4本の白い筋は、アメリカ軍がサイパン占領後に整備したノースフィールド飛行場です。
北(=写真右)からA(エーブル)、B(ベイカー)、C(チャーリー)、D(デビッド)と名づけられています。

 


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↑少し近づいた写真。一番左の筋がB(ベイカー)、その右がA(エーブル)です。一番右奥の空地が原爆搭載ピットのある場所です。
エーブルの先、右側に空地が見えますが、日本軍が作ったウシ飛行場の駐機場です。
アメリカ軍はそのまま利用していましたので、当時のまま残されています。

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↑日本軍による駐機場跡


その端に日本海軍第一航空艦隊司令部の建物が残されています。

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司令部の建物だけあって、重厚につくられています。
しかし、ジャングルに埋もれつつあり、かつ崩壊の危険があるために立ち入り禁止です。
地熱を防ぐために、床下に通気穴が取られる構造になっていることがわかります。

 

昭和19年8月3日にテニアン島がアメリカ軍に占領されてから、日本軍が作ってきたウシ飛行場を大幅に拡張し、圧倒的な建設力で巨大なノースフィールド飛行場を短期間で整備したのです。

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(左写真)日本軍のウシ飛行場。テニアン島北方向より。周囲はサトウキビ畑が広がっている。
(右写真)アメリカ軍がウシ飛行場を拡張して作ったノースフィールド飛行場。西方向より。左からABCD滑走路(Dは建設中)。
当時はジャングルではなく、とても幅広い滑走路であったことが判る。

アメリカ軍の作った滑走路は、珊瑚礁を砕いて敷き詰める構造となっており、そのままの状態で現在も残されています。

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この滑走路から、大量のB-29が日本に向けて飛び立ち、各都市に無差別空爆を行いました。
また、広島・長崎に投下された原子爆弾(リトルボーイ、ファットマン)も、この滑走路から飛び立ったのです。

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このように、4本の8590ft(2590m)級の滑走路があるのですが、現在は一部草木に覆われてしまっていて年々周囲のジャングルの侵蝕により滑走路の幅が狭まってきています。
周囲は手付かずのジャングルが広がっています。

ジャングルの中には弾薬庫や燃料庫があり、破壊され焼け爛れた状態で残されています。
このあたりには不発弾も多いそうなので、コース以外のジャングルにむやみに侵入することは避けるべきでしょう。

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投稿者: kameno 日時: 2011年11月19日 12:14

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