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夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれ次第に星の瞬きと区別がつかなくなります
沖縄旅行の帰路、羽田行きの便が悪天候のためかなり遅れました。
そのため、空港で2時間ほどの余裕が出来たため、滑走路を見渡すことの出来る瀬長島に行ってみました。
この島は那覇空港の南にある離島で、多くの旅客機がこの上空をかすめて通過していくことで有名です。
特に晴れた日には夕日と飛行機が行き交う景色を見ることができます。
滑走路への誘導灯をこの角度から見ることができるのは、瀬長島ならではかも知れません。
この誘導灯の直ぐ脇数十メートルの位置に野球場があります。
ホームランを打ったら飛行機に当たる・・・なんてこともありえそう。
冒頭のことばは、以前受験勉強をしながら、また仕事帰りが遅くなったときなどよく聴いていた日本航空提供の番組のナレーションです。
一日の疲れを癒してくれる番組でした。
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは、私 城達也でしたまた明日午前零時にお会いしましょう・・・
今は残念ながら城さんの生の声はもう聞くことが出来ません。
沖縄旅行お疲れ様でした。
「ジェットストリーム」は私も大ファンの一人です。
現在もパソコン作業をやる時は必ず「ジェットストリーム」のCDを聞いております。
以前現役時代、飛行機を利用する時はいつも日航機でした。北海道での仕事を終り、キャンセル待ちで札幌からの最終便に何とか乗る事ができ、夜間飛行のジャンボ機の二階席で缶ビールを飲みながら聞いた機内放送の「ジェットストリーム」は、まさに”極上の一時”を過ごした事を思い出します。
投稿者 ハマちゃん | 2010年6月19日 18:31
懐かしいですね。
城さんの重厚な中にも華やかさがある語り口に、想像が膨らんだものです。
航空自衛隊でジェット機整備をしていた時は、夜間飛行訓練があるとがっかりしたものです。
昼間でも、神経をすり減らす緊張の連続の作業であるのに、夜間作業はその数倍の心身の疲労をもたらします。
朝礼で、整備小隊長から「本日夜間飛行訓練」の発表があると、口には出さないものの皆の愚痴が聞こえてきそうな雰囲気でした。
投稿者 うさじい | 2010年6月20日 07:58
ハマちゃん 様
タウンカフェ、お疲れ様でした。
やはりジェットストリーム派でしたか。
日本航空の「鶴丸」時代、再びあの時代がやってくることを願います。
うさじい様
夜間飛行はロマンチックな響きがありますが、それを支える側には想像しがたい苦労があるのですね。
心しておきます。
投稿者 kameno | 2010年6月21日 01:43
「ジェットストリーム」の放送開始1967年頃は、確か羽田空港、大阪伊丹空港、共に夜間の離発着制限があり、東京・大阪間の深夜飛行には、ジェット機が使用出来ずに、DC?6型プロペラ機を使用していたと記憶しています。当時、私は大阪勤務で豊中に住んでいましたので、突然の出張の際、新幹線最終便にも間に合わず、当時の夜行寝台「銀河」「明星」等の予約も取れなかった時に何回かDC?6型機による深夜便を利用致しました。
12時過ぎに伊丹を離陸し、羽田迄2時間弱を要しました。シ?トは今の座席とは違い、大変柔らかくフワフワしていたシ?トの感触を記憶しています。
夜間飛行は、羽田空港から国際線が発着していた当時は大体アンカレッジ経由のアメリカ、ヨ?ロッパ行きと、東南アジア行きも出発は夜の6時以降9時頃までの離陸でした。(到着便が大体、夕方に集中していました。)
従って、ジェット機時代、成田空港離発着に変わり、国内の空での夜間飛行はハワイ行き、東南アジアからの帰国便が主で、夜明けの富士山を機内左側の窓から見下ろすと「ああ、日本に戻って来た!」との想いを実感致しました。
投稿者 ちのしんいち | 2010年6月21日 10:48
ちの様
ということは、午前2時過ぎに羽田に到着したのですね!
昔のシートは柔らかめだったというのは、昨日鉄道博物館へ行って列車のシートを坐り比べて実感しました。
最新式になるに連れて性能は高まってきましたが、その分人間臭さというか温かみが失われてしまっているような気がします。
投稿者 kameno | 2010年6月22日 08:27