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テニアン島は現在は人口3,200人のノンビリした島です。
かつての激戦が嘘のように海岸には波が打ち寄せています。
この光景は戦前も戦後もほとんど変っていないのでしょう。
美しい砂浜・・・・
海岸に植えられている椰子の木は、かつて入植者たちが植えたもの。
大きく大きく育っています。
砂は珊瑚が砕けたもので、場所によって細かさは様々です。
隣の海岸では、星の砂も。
岩場では、波が洞穴から噴出している荒々しい光景も見られます。
別名「潮吹き海岸」
実に豪快です。
島の南北を結ぶ道路は、アメリカ軍占領後ブロードウエイと名づけられました。
左にセントラルパーク、右にロングビーチ。
マンハッタンに似た区画としたのでしょう。
テニアン島もサイパン同様に悲しい歴史も残されています。
南端には「スーサイドクリフ(自殺岸壁)」と名づけられた岬がありました。
ここでも慰霊法要を営ませていただきました。
下を覗くにはかなり勇気が要ります。
テニアンで一番大きな集落、サンホセでは、かつては1万人規模の日本人入植者の大きな街が形成されていました。
現在も村のあちこちに面影が残されています。⇒こちらの記事も併せてご参照ください
住宅地の合間の草むらに戦闘機のプロペラやエンジンの残骸が無造作に転がっていたりします。
よく残っていたものだと関心します。
現在、この島は急速に変化していることが実感できます。
とにかく、中国、韓国系の資本流入が物凄いのです。
旅行者も、日本人より他のアジア系のほうがずっと多いのではないでしょうか。
サンホセの街には巨大なカジノホテルが聳えています。
これも中国系のホテルです。
中は新年休暇を過ごす中国人でごった返していました。
テニアン空港にはカジノホテルの計画図(右写真)が掲げてありましたが・・・・・こんな風に拡張されるのでしょうか!?・・・
かつて数万人もの日本人入植者がいたテニアン島は、戦後のんびりした島であり続けました。
しかし、今後数年で大きく変ってしまうことが危惧されます。
特に、スーサイドクリフの慰霊碑は最近悪戯の被害にあっているそうで、入口にゲートが造られたものの、管理人常駐していないため意味を成していないそうです。
現在テニアンに在住する日本人は僅か十数人ということです。
草の根的に守っていくには限界があるでしょう。
日本人が街を築いていた足跡も、慰霊碑も、戦跡も、それらを保存し後世に伝えていく手段を早急に講じる必要性を感じます。
失われてしまってからでは手遅れなのです。