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それは幽霊の行列
一瞬にして着物は燃え落ち
手や顔や胸はふくれて、
紫色の水ぶくれはやがて破れて、
皮膚はぼろのようにたれさがった。手をなかばあげてそれは幽霊の行列、
破れた皮を引きながら力つきて人々は倒れ、
重なりあってうめき、
死んでいったのでありました。爆心地帯の地上の温度は六千度、
爆心近くの石段に人の影が焼きついています。
だが、その瞬間にその人のからだは、蒸発したのでしょうか。
飛んでしまったのでしょうか。
爆心近くのことを語り伝える人はだれもいないのです。焼けて、こげただれた顔は見分けようもなく、
声もひどくしわがれました。
お互いに名乗りあっても信じることはできないのです。赤ん坊がたった一人で
美しい膚のあどけない顔でねむっていました。
母の胸に守られて生き残ったのでしょうか。
せめてこの赤ん坊だけでも、
むっくり起きて生きていってほしいのです。
(原爆の図 第一部 解説より)
1945年8月6日 広島に、9日 長崎に人類史上初めて投下された原子爆弾は、20万人にも及ぶ死亡者を出し、その数は今日も増え続けています。
その惨状は、言論統制の影響もあり、伝えられることが大葉に制限されました。
当時東京に住んでいた水墨画家の丸木位里氏は、「広島に新型爆弾が落とされた」ことを聞き、原爆投下3日後の広島に入り、一面焼け野原に広がる戦慄の光景を目にしました。
1週間後、妻の油彩画家 丸木俊氏が広島に入り、夫婦で救援活動を行います。
それから5年後経過し、発表された『原爆の図 第1部 幽霊』は、世界中に大きな衝撃を与えました。
原爆といえは、大きなキノコ雲程度の情報しか発信されなかった時代です。
屏風四曲一双 縦1.8m×横7.2mというスペールの大きい画面いっぱい描かれた生身の人間をテーマにした生々しい絵画は、原爆のもたらした凄惨な状況を訴えけてきます。
原爆の図は、はじめは1作だけ、その後は3部作にという構想だったようですが、夫妻は次々と32年に亘り描き続け、とうとう15部を数えました。
丸木美術館では、《原爆の図》のうち、現在1~14部が常設展示されています。
第1部 幽霊
第2部 火
第3部 水
第4部 虹
第5部 少年少女
第6部 原子野
第7部 竹やぶ
第8部 救出
第9部 焼津
第10部 署名
第11部 母子像
第12部 とうろう流し
第13部 米兵捕虜の死
第14部 からす
第15部 長崎
各部の詳細については、ここをクリックして丸木美術館のサイトで閲覧できます
※なお、第15部の 長崎 だけは、長崎原爆の状況を描いたものであるということで、長崎原爆資料館に寄贈され展示されています。
原爆の図が常設展示されている丸木美術館は、丸木位里・丸木俊夫妻により建てられた美術館です。
都幾川のほとりの閑静な環境にあります。
交通アクセス、詳細については 丸木美術館パンフレットをご参照ください。
横7.2m、縦1.8にも及ぶ壮大な絵画が14部展示されております。
実際にご自身の目で観ていただくことをおすすめします。
美術館の一角に、原爆観音が祀られていました。
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