昭和20年8月9日、アメリカ軍が長崎市へ投下した原子爆弾は、午前11時02分長崎市上空で炸裂しました。
広島に続き、実戦で使われた2発目の核兵器でありました。
長崎の当時の人口は約24万人。
そのうちの、実に14万9千人が死没。建物の約36%が全焼または全半壊という、まさに壊滅的な状況でした。
(原爆投下直後の長崎市。左奥に見える建物が浦上天主堂です)
今後20年は人も住めないし植物も生えないだろうと言われていた市街も、今は原爆が投下されたことすら想起させないほどに復興しています。
けれども、原爆投下という事実は決して風化させてはいけません。
長崎平和公園にある原爆無縁殉難者供養塔で慰霊法要を営ませていただきました。
平和公園は、元長崎刑務所のあった場所でした。
刑務所は爆心地にもっとも近い公共の建物であったこともあり、刑務所職員18名、官舎住居者35名、受刑者・刑事被告人81名、合計134名全員が即死してしまいました。
原爆の威力を物語っています。
爆風を受けて大きな被害を受けた建物は、現在ではその礎石のみが残されています。
爆心地(グラウンドゼロ)は、この公園の直ぐ隣です。