65年目の広島原爆の日に

広島原爆投下の日から65年目の原爆の日を迎えました。
一瞬のうちに人生を奪われてしまった多くの方々に、そして後遺症により亡くなられた多くの方々に心より哀悼の意を表します。

合掌


国連総長「大量破壊兵器ない世界を」広島原爆の日 広島市長「核廃絶の緊急性浸透」

広島は6日、65回目の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で開かれた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)には被爆者や遺族、菅直人首相ら5万5000人が参列した。国連事務総長や駐日米大使が初めて参列するなか、秋葉忠利広島市長は平和宣言で「核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めている」と強調した。
式典には昨年より15カ国多い過去最多の74カ国の代表が参列。潘基文(バン・キムン)国連事務総長のほか、ルース駐日米大使、英仏の臨時代理大使が出席した。国連事務総長と、核を保有する3カ国の代表の出席はいずれも初めて。
原爆が投下された午前8時15分には「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者全員が1分間の黙とうをささげた。慰霊碑にはこの1年間に死亡、または死亡が確認された5501人の名簿が奉納され、広島の原爆死没者は26万9446人となった。
秋葉市長は平和宣言で初めて広島弁を使い、悲劇を繰り返さないようにと願う被爆者の思いを表現。日本政府に対し「非核三原則の法制化と『核の傘』からの離脱を」と求めた。
潘事務総長はあいさつで、「式典に参加でき光栄。深い感動に包まれている」とし、「大量破壊兵器のない世界を目指す以外に、世界をより安全にするための分別ある道はない」と述べた。
(日本経済新聞2010/8/6)


 

テニアン島のノースフィールド飛行場エイブル滑走路から原爆を搭載したB-29エノラ・ゲイが飛び立ちました。 原爆が搭載された場所は、戦後しばらく土砂で埋められていたそうです。
その後アメリカ合衆国国定歴史的建造物(National Historic Landmark) として公開されるようになりました。


【広島に投下さ入れた原子爆弾・リトルボーイの経緯】
1945年 - 太平洋戦争中にアメリカが立ち上げたマンハッタン計画に基づき、アメリカ国内で製造。
7月16日 - サンフランシスコにて重巡洋艦インディアナポリスに積載され、日本本土への爆撃機の基地であるテニアン島へ向け出港。
7月25日 - トルーマン大統領、日本への原爆投下を決定。
7月26日 - テニアン島到着。
7月31日 - リトルボーイ組み立て完了。
8月5日 - 爆撃機への搭載完了。投下に用いられた爆撃機はB-29であり、機名はエノラ・ゲイと名付けられた。
8月6日午前8時15分(日本時間) - 広島県広島市の上空高度9,600mから投下され、細工町(現:広島市中区大手町)の島病院上空約600mで爆発した。(500mとも言われる)
焼失面積13,200,000m²、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらした。爆心地の近くにあった広島県産業奨励館は、現在原爆ドームとして世界遺産に登録されている。
(ウィキペデキア「リトルボーイ」より)



(アメリカからみた【原子爆弾&天皇統治権(Nuclear weapon)】第二次世界大戦)

 

 

65年前の8月6日、広島に投下されたリトルボーイの胴体には "First Message For Hirohito" 、長崎に投下されたファットマンの胴体には "Second Kiss For Hirohito" という文字が刻まれていました。
これこそが当時も現在もアメリカの原子爆弾に対する認識そのものなのでしょう。

テニアン島北部のノースフィールド・エイブル滑走路には50メートルほど離れて東側にリトルボーイ、西側にファットマンが搭載されたピットが当時そのままに残されています。

20100806-01 
広島原爆搭載地(テニアン島)にてkameno撮影。
展示されている写真がエノラ・ゲイ。当初ビクターナンバー「12」が割当てられていました、その後特殊作戦機と悟られない様、通常爆撃戦隊「第6爆撃隊」を示す丸Rへと変更、ビクターナンバーも「82」となっています。何もかも極秘で進められたのです。


1990年代にはワシントンDCにあるスミソニアン航空宇宙博物館側にエノラ・ゲイと原爆被害や歴史的な記録を展示する計画が持ち上がりました。しかしアメリカの退役軍人団体を中心に猛烈な抗議があり、原爆被害や歴史的な記録に関する部分を全てカットして展示することで決着しています。
結局、現在も厳重な警備の元に戦争終結の目的で正義のために原子爆弾が使用されたという展示方法がなされています。

 

65回目の原爆の日に、国連事務総長、原爆を投下したアメリカからルース駐日大使、イギリス、フランスなど核保有国からの代表が初めて参加しての原爆死没者慰霊式・平和祈念式となりました。
First Message、Second Kissがどれほどの惨状をもたらしたのかを国外に広く伝えていく必要があります。

原子爆弾という兵器を世界から無くすためには、被爆国である日本の捉え方と、原子爆弾を投下した国の捉え方のギャップをまず埋めなければならないでしょう。

「未来の世代のために、私たちは核兵器のない世界の実現を目指し、今後も協力していかなければならない」(ルース大使のコメント)


今日の慰霊式、平和記念式典が核兵器廃絶へ向けてのさらなる一歩となりますことを心より願います。


 

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投稿者: kameno 日時: 2010年8月 6日 08:11

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