總持寺は、瑩山︵けいざん︶禅師により、1321年能登に開創︵現在の能登總持寺祖院︶されました。
その後、約570年の歴史の中で、明治31年︵1898︶に本堂一部より出火、フェーン現象も手伝って一部の伽藍を残して焼失してしまいました。
この報は直ちに全国へ伝わり宗門の総力をあげて再建すべしとの声のもと、明治40年、当時の貫首であった石川素童禅師により、焼失した伽藍の復興のみならず本山存立の意義と宗門現代使命の自覚から、能登から横浜・鶴見へと寺基を移しました。
能登總持寺の開創から591年目の明治44年に、遷祖式が盛大に執り行われました。
その後、諸堂の整備がなされ、15万坪の境内の敷地には様々な堂宇が建立されています。
三松関- 三門-
三松閣- 香積台-
白字館- 天真閣
待鳳館- 紫雲台-
紫雲庭- 東部廊下-
侍局- 御霊殿-
大祖堂- 佛殿-
放光堂- 伝光閣-
僧堂- 長廊下-
向唐門︵勅使門︶- 宝物殿- 放光観音-
大駐車場- 梅寿庵-
大梵鐘- 三宝殿-
穴熊稲荷- 裕次郎の墓地