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低線量被曝の影響は、残念ながらよく分かっていません。
しかし、25年前に発生したチェルノブイリ事故の教訓は、私たちにこれから起きるであろう現実を教えてくれます。
やたらに不安を煽るわけでもなく、しかしオブラートに包んだ見掛けだけの安心感をもたらそうとする言葉もありません。
ただただ起こっていることを淡々と記録したドキュメンタリーが今晩放送されます。
25年前のチェルノブイリ原発事故で、甚大な被害を受けたウクライナ。事故を知らない世代も増え、チェルノブイリを舞台にしたゲームソフトも流行している。若者たちにとって、もはや原発事故はゲームの中でしか存在しない過去の遺物だが、なかにはバーチャルな世界の体験を通し、事故を深く知ろうとする人も出てきている。番組は、原発の周囲30キロの地帯「ゾーン」を訪れる若者たちに密着。そこでの体験や、当時を知る人々の話などを通して、チェルノブイリと向き合う姿を映し出す。
一方で、番組は原発事故の処理がいまだに続いている現状を伝える。現在、事故が起きた原子炉はコンクリート製の“石棺”で覆われているが、崩壊の恐れがあるため解体しスティール製の巨大シェルターを被せる計画が進められている。しかし、石棺は放射能に汚染され解体作業には大きな危険をともなう。三世代に渡って石棺で働く一家は「シェルターがすべての問題を解決する」という考えには懐疑的だ。また巨大シェルターの建設と保守にどれくらいの費用がかかるのかもわかっていない。こうしたなか、ウクライナでは原子炉22基を新たに建設する予定だ。
番組は、独占入手した石棺内部の映像も紹介。さらには原子力問題の専門家や、地元の医師などのインタビューを交えながら、事故が風化するなかで、今も後遺症に苦悩するウクライナの葛藤を描く。
事故現場から18キロ地点、人影のない汚染地区の一角で暮らすレオニード。家の回りで栽培する農作物を食べて生活している。科学者でもあるレオニードは、放射線を浴びた農作物を調査。農作物の種類によってその度合いが違うことを知る。汚染された場所で栽培しても、食べられる農作物があることが分かったのだ。
ウクライナ人のガシュチャク博士は長期にわたってチェルノブイリ周辺で放射線の影響を調査している。放射線レベルはまだ通常より数千倍も高いが、直後と比較して3%にまで減少。立ち入り禁止地区は徐々に昔の姿を取り戻し、今では自然の宝庫と言えるまでに回復した。さらに博士はネズミを調査し、放射線を浴びた個体でも、全く見た目には健康であることを突き止める。その理由を探るため、博士はテキサス工科大学との共同研究を開始した。テキサス工科大のロジャーズ教授は、「チェルノブイリの立ち入り禁止地区は、放射線の影響を調べる研究対象として貴重な場所だ」と言う。
サウスカロライナ大学のムソー教授らは立ち入り禁止地区の鳥を調査。尾羽の形に異常があるツバメが多数いることを突き止めた。また7割の鳥が繁殖する前に死ぬことも判明した。
事故から25年、科学者たちは“チェルノブイリ”から何を学ぼうとしているのか。研究の最先端を追ったドキュメンタリー。
多くの人命を奪ったチェルノブイリの事故。直後に無くなった人は数百人とも数千人とも言われている。さらに事故の処理に携わり強い放射線を浴びた人は数万人を超える。
ドイツのドキュメンタリー作家クリストフ・ボーケルは、通訳として仕事をともにしたウクライナ人の妻マリーナをガンで失った。ボーケルはチェルノブイリ事故に深く関わった人たちを追うことを決意する。
芸術家を目指していたディーマは事故当時、陸軍に所属し事後処理にあたった。放射能の危険を知らされないまま作業に当たり被爆し、後にガンを発病する。明るい色彩にあふれていた作品は、暗い色調と死をイメージする作風にかわってしまった。
グバレフは元プラウダの著名な編集者。何度も公式に現場を訪れて取材を重ね、事故の全貌を記した書籍も出版している。「当局も放射線の危険性を認識していたはずだ。しかし目の前で作業していた若い兵士達は被曝を防ぐための知識も装備もなかった」と述懐する。
ボーケルは事故後に現場を取材したロシア人クルーから貴重な映像と証言も入手。映像には不安な様子で作業にあたる兵士や関係者の様子が映っている。
事故から25年。見えない敵に命を奪われる人は依然として後を絶たない。
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