横浜市仏教会主催涅槃会

2月15日はお釈迦さまが入滅された(お亡くなりになられた)日とされます。

それにちなみ、お釈迦様のご威徳を偲ぶ涅槃会法要が、横浜市仏教連合会・釈尊奉讃会主催で開催されました。
第37回の今年は、磯子区仏教会が担当となり、会処寺院は高野山真言宗真照寺様です。

法式作法は真言宗式を骨格に組み立てられております。

日時 平成24年2月10日(金)
午後1時半より 涅槃会法要
午後2時より 講演

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■涅槃会法要
導師・市仏連会長・玄野孝善老師

1、開式の言葉
1、一同三礼
1、三帰礼文(導師に続いて唱和)
1、表白文奉読
1、読経(観音経普門品偈・舎利礼文)
1、回向
1、一同三礼
1、導師・式衆退堂
休憩
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■引続き、ペマ・ギャルポ氏による講演が行われました。
ブータン国王夫妻来日の際には、通訳としてずっと同行されておりましたので、見覚えのある方も多いと思います。
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ペマ・ギャルポ氏略歴
1953年チベット生まれ。1959年、インドに亡命、難民キャンプで少年期を過ごし、1965年来日。亜細亜大学卒業後、1973年にはチベット文化研究会を設立する。
1980年から90年まで、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表に就任する。
1996年、岐阜女子大学教授、2004年、岐阜女子大名誉教授。

 

以下、講演の内容をkamenoメモを元に速報的にまとめてみます。
内容について何らかの瑕疵があった場合、その責はkamenoにあります。
なお、正式な講演録は『市仏連会報』に掲載されます。


(本尊様への五体投地)

■ブータン国王の通訳として

日本のマスメディアの報道では、ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ 王妃がハネムーンで来日という表現でしたが、それは間違いです。
国交20年周年の年に来日することは2年前から計画されていたことであり、年間2名の国賓枠を待っての来日でした。

国王は福島をはじめ、被災地に真っ先に向かいました。
来日に当たっては、ブータンで二番目の高僧を脇導師として3名の僧侶を連れて来られたのですが、僧侶の渡航費用、滞在費は全てブータン側の負担でした。
何故ならば、僧侶の費用を自ら負担しなければ、お見舞いの心を表すことが出来ないからです。
また、国王は自ら(本人はあまり表に出していませんが)百万ドルの義援金を出されています。
これらは、これまでブータンが日本から受けてきたODA等の経済的支援、および、ブータンで最も尊敬された日本人、西岡京治さんに代表される技術的支援への報恩の心でもあります。

福島県相馬市では人々を救い自ら犠牲となった消防団員の話や、多くの市民が津波の犠牲になられたことに心を痛められ、王妃は車に戻ってから涙を流されました。
ブータンは死後、49日の期間を経て輪廻し生まれ変わるという考えを持つ仏教国です。犠牲となられた方に心から弔意を表していらっしゃいました。


■本当の政教分離とは

日本の政教分離に関する考えは、本当に間違っていると思います。
政治は宗教に係わってはいけない、排除するのが政教分離であると。

しかし、日本以外の国を見ると、それがいかに非常識であるかがわかります。
例えば、アメリカでは国会で聖書に誓い、演説の中には神の言葉が引用されます。
エイブラハム・ リンカーンの演説「人民の人民による人民のための政治」の直前には「under God,」が入っています。
また、クラーク博士の「少年よ大志を抱け」は「Boys,be ambitious in Christ」の、「キリストの御こころのままに」の部分が削除されて伝わっています。

政教分離というのは、宗教を排除することではなく、特定の宗教のみに偏ることなく、公平に、そして、それぞれの宗教を尊重すること、それが政教分離の本来の意味なのです。


■日本とブータンとの宗教に対する考えの違い

国王夫妻来日のスケジュールには、当初は増上寺、浅草寺、明治神宮等への参拝が予定されていました。
急遽国会での演説の時間をいただくことになったため増上寺、浅草寺の行程は割愛となりましたが、明治神宮や、京都の寺社参拝のなかで、日本の宗教に対する考え方が独特であるということが良くわかりました。
国王夫妻は、宗教的な参拝を当たり前のように望んでいました。
京都の寺社では、五体投地をされ、神社では神式に則って参拝されました。

しかし、日本政府は、「観光」としての用意をしました。
日本側が用意した通訳は、歴史的背景をただ淡々と説明するだけで、祈りなど宗教的な部分は、「それは迷信ですから」等々と訳していました。
また、仏教徒である国王が、なぜ神社で神式で参拝するのか?貴方は仏教徒ではないのか?という疑問も投げかけられました。
これが日本の誤った政教分離の解釈による結果です。


■拝むことと帰依との違い

さらに言及すれば、拝むことと帰依とは全く違います。
敬虔な仏教徒である国王夫妻は、仏に帰依しています。それは無条件に信じるということです。
対し、神社への参拝は、両国民の幸せ、天皇の幸せを願い、拝むということです。
拝むことと帰依とは明確な区別があります。
したがって、ブータン国王夫妻が明治神宮で、神式に則った参拝をされることも何ら不思議なことではなく、むしろそれに疑問を感じることが不思議です。

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■日本の寺社で残念なこと

国王夫妻が京都の寺院を参拝した際に、五体投地のできるところが無く、わざわざ準備をしていただきました。
また、防火のために蝋燭の火を灯すことが出来ない場所もありました。
火災から文化財を守るということは理解できますが、宗教施設としてはどうなのでしょうか。
また、一般の拝観を9時~5時などのように区切っていたり、拝観料を入口で徴収していたり、まるで博物館に入るような感じです。
説明書きもどれほどの歴史がある、とか、建物の構造がどうかなどという事ばかりです。

京都、奈良の寺社にはたくさんの日本の子どもたちが修学旅行でやって来ますから、さすが仏教国!と初めは感心していたのですが、実は観光だけである、としたらとても残念です。

 

■当たり前だと思えるようなことが当たり前でないこと

現在の日本では、女性もごくあたりまえのように選挙権を持っています。
例えば中国では、65歳以上の国民は、投票すらできなかったという経験を持ちます。
チベットでは、5人以上が一箇所に集まると、集会とみなされて逮捕されます。
世界では当たり前だと思えるようなことが当たり前でないことが多いのです。

 

■日本に望むこと

日本は、アジアの多くの国々から尊敬を受けています。
東日本大震災直後の整然とした態度は、聖徳太子の和の精神がいまでも受継がれていると感じますし、日本人は本当に文明人であるという印象です。
ただ、総理大臣だけは良く変わります。その部分だけは忍耐力が無いのでしょうか。
いずれにしても、日本人の美しい姿、底力、誰のせいにもしないで前向きに進む姿は、世界へ良い手本として見せていると思います。
戦後の荒廃から見事に復興した日本を、アジアの多くの国々は模範としてきました。今後も再びアジアのリーダーとなって欲しいと願います。

日本が復興し、強くなることを願ってお話を終えさせていただきます。


 

 

 

横浜市内より各宗派僧侶、檀信徒が参集し、本堂一杯の随喜・参列者による法要が営まれることは尊いことであります。
伽藍の造り、法具の並べ方、法要儀式の組み立て方など、宗派による特徴もとても参考になります。

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充実した一日を過ごさせていただき、仏縁に改めて心より感謝いたします。

特に準備の中心を担った磯子区仏教会の皆さまお疲れ様でした。

 


市仏教会主催涅槃会法要(2010年の記録)
市仏教連合会涅槃会 (2009年の記録)
横浜市仏教会主催涅槃会(2008年の記録)

投稿者: kameno 日時: 2012年2月11日 10:45

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