« 晋山結制落慶法要 |
最新記事
| 秋色の境内 »
2012年11月21日
﹁デジタルデトックス﹂という言葉があります。
英語で書くと、Digital detox です。
detox は "detoxification︵体内の有毒な物質を排出しようとする方法︶の短縮形です。
---------------------------
私たちは、様々な情報の洪水の中で過ごしています。
さらに、SNS︵mixi,Facebook,twitter,LINE,comm,LinkedIn……︶の台頭と、それを扱う携帯端末・スマートフォンの普及によりと、ネットとの関わりは増すばかりです。
2012年の統計によると、私たち日本人は、1週間に平均49時間をインターネットに費やしているそうです。実に、一日平均7時間です。
最近の電車の中では、ほとんどの人が﹁画面﹂と向き合っていますし、会議中にスマートフォンを弄っている人も珍しくありません。
若い世代ほど、この時間は多い傾向にあります。
自ら発信した情報に対しての反応︵メールの返信、Facebookの﹁いいね!﹂、mixiのコメント、twitterのフォロワーが常に気になって落ち着かないという人も多いようです。
その弊害の極端の例がインターネット依存症です。
インターネット依存専門外来を昨年開設した久里浜医療センター︵神奈川県横須賀市︶には月に30人ほど来院があり、健康がすぐれない、会社に行かなくなったなど過度のネット利用で生活に支障をきたしたす方々のうち6割がゲーム漬けであり、SNS依存は1~2割ほどを占めているそうです。
--------------------------
今後重要なキーワードになりそうなのが﹁デジタルデトックス﹂です。
意思の強い人であれば、例えば1日ネットから離れる!と心に決めて、それを実行に移すことができるでしょう。
しかし、ネットにどっぷりつかってしまっている現代社会では、なかなかそれが難しいようです。
﹁携帯が無い生活なんて絶対ムリ~!﹂
という方は多いでしょう。
そこで、大きな役割を果たしそうなのが、寺院の存在です。
寺院の堂内は、携帯端末を弄ることを﹁躊躇できる﹂空間です。
例えば﹁坐禅会﹂や﹁写経会﹂、この時間は携帯端末厳禁。
﹁デジタルデトックス﹂を実施するのにもってこいといえます。
■デジタル機器を全く持たず﹁滝行﹂に
写仏を初めて体験し、スマホなしの時間の魅力を知った山下さん
東京都大田区の朝永俊さん︵仮名、29︶と世田谷区の山下友美さん︵同、26︶は7月末、デートで訪れた神奈川県鎌倉市でデジタルデトックスに目覚めた。長谷寺で印刷された仏像をなぞって描く﹁写仏﹂に挑戦。わずか1時間ほどだが、スマホをしまい込み﹁着信も気にせず集中できた﹂︵朝永さん︶のが新鮮だった。IT企業に勤める朝永さんはスマホを数台持つ。デート中にもしょっちゅう着信し、けんかになったことも。﹁これから1台も持たずに2人の時間を過ごす機会を増やしたい﹂。山下さんとデジタルなしのプランをたてるのが楽しみになった。
赤木さんは山の中でデジタルデトックス
都内でコワーキングスペースを運営する赤木優理さん︵34︶は2カ月に1度、高尾山に出かける。今夏には滝に打たれる﹁滝行﹂も経験。普段は仕事でパソコン・スマホ漬けだが、山に入る時はデジタル機器を全く持たない。自然の中で仕事とプライベートの区別をはっきりつけるため。﹁自らネットワークを断ち切らないと始終、仕事に追われることになる﹂。知人のIT関係者らにも、意識的に携帯電話の電源を切り、脱デジタルの時間を持つ人が増えている。
コンピューターテクノロジーは、本来仕事や生活の効率化に寄与するものですが、無駄な時間を強いることとなってしまっては本末転倒です。
携帯端末の電源を入れず、完全にシャットアウト。
これを日常生活の中でどれだけ続けることが出来るでしょうか。
上の記事は、ほんの一例ですが、デジタル断捨離・デジタルデトックスを実践する場として、寺院が活用される事例は今後増えて行くかもしれません。
諸の憒閙︵かいにょう︶を離れ、空間︵くうげん︶に独処︵どくしょ︶す。
楽寂静と名づく.佛のたまはく。
汝等比丘、寂静、無為、安楽を求むことは、当︵まさ︶に憒閙を離れて独処閑居すべし。
静処の人は帝釈諸天、共に敬重する所なり。
是の故に当に己衆佗衆︵こしゅたしゅ︶を捨てて空間に独処して苦本を滅せんことを思ふべし。
若し衆を楽ふ者は則ち衆悩を受く。
譬へば大樹の衆鳥これに集まれば則ち枯折︵こせつ︶の憂ひあるがごとし。
世間は縛若︵ばくじゃく︶して衆苦に没す。譬へば、老象の泥に溺れて自ら出ずること能︵あた︶はざるがごとし。
是︵これ︶を遠離と名づく。
道元禅師﹃正法眼蔵﹄﹁八大人覚﹂巻
︵比丘たちよ、もし寂静にして、おそれの無い安楽を求めるならば、世間喧噪の地を離れて、独り閑静な地に留まるが良い。静かな場所に居る人は、帝釈天、諸神が篤く敬うところである。このようであるから、様々な関わり交わりを捨て、静かな地にて苦を滅する法を行うべきである。もし人々との交わりに溺れる者は、諸々の事柄に悩まされるであろう。たとえば大樹に多く鳥が群がれば、枝が折れたり枯れたりする患いがあるようなものである。世間という束縛や執着は諸々の苦悩を起こす源となり、そこから逃れられなくなる。たとえば、老象が泥沼に溺れ、自分で抜けることが出来なくなるようなものである。これを遠離と名づける︶
コンピュータを介したコミュニケーションについて、早い時期からの教育が必要であると思います。
メールやSNSも、﹁即時発信・即答﹂ではなく、﹁いつ発信・返信するか﹂というタイミングのコントロールも重要です。
デジタル携帯端末と、適度な距離を保ち、適度な間合いをとって付き合うことも重要です。
おすすめの方法は、トリアージ︵Triage︶の考えを導入するということです。
トリアージは、一般的に災害における多数の傷病者を重症度や緊急性によって分別して治療するという方法論です。
SNSにおいてこのような考えを導入することもアリでしょう。
緊急度から優先順位をつるように心がけていきます。
また、一日のうちの空いている時間に時間を決めて集中的に行うということも併せ、優先順位を判断し、その場で返信する必要があるものと、単純な回答で済みそうなものについては、その時間帯に返信し、それ以外については、間合いをおいた上で、時間を掛けてでも用件を整理する・・・
場合によっては数日程度かかっても充分だと思います。
・・・・自分の先入観ほど、このような生活はあまり支障をきたさないことも分かります。
重要な案件は、必要とあれば携帯端末以外の手段で届いてくるものだからです。
普段気になって仕方がないことは、本当に気のせいであることがほとんどだということに気づきます。
■関連ブログ記事
メール返信に要する時間 コンピュータコミュニケーションの特長 八大人覚を講読しています