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2009年1月16日
光岡﹁ビュート﹂年内で生産終了
光岡自動車︵本社・富山市︶は15日、16年間販売していた小型車﹁ビュート﹂の生産を年内で終えると発表した。同車のクラシックなデザインが保安基準の改正で適合しなくなるためという。年内に60台を生産し、うち20台はシートに刺繍︵ししゅう︶を入れるなどした特別仕様車として16日から予約を受け付ける。
ビュートは日産自動車の﹁マーチ﹂の外観を仕立て直した改造車で、﹁美しく遊ぶ人﹂から﹁美遊人︵ビュート︶﹂と名付けられた。16年間で約9300台を手作業で生産。単一の外観モデルとしては異例の長さだ。同社は﹁今後も景気に左右されない手作りの車を販売する﹂としている。
︵朝日新聞2009年1月15日︶
光岡自動車は富山県の自動車メーカーで、日本で第10番目に設立された国内認可で一番新しい自動車会社です。
今回生産終了となるビュートは以前乗っていたこともありますので、とても残念なニュースです。
⇒ビュートの特設サイト︵光岡自動車︶
ビュートは、1993年に生産が開始され、発売された当時、雑誌の広告を見て、そのコンセプトに惚れ込み、また﹁小さな工場には、夢がある﹂という光岡自動車のキャッチフレーズにも大いに感銘を受け、直ぐに世田谷のショールームに見に行ったものです。
そして即決。
手作りのため、確か生産台数が月数十台ほどで、しかも発売されたばかりだったため、納車に半年以上も掛かりました。
念願のビュートが届いたのは1994年春。
今でこそ数はそれなりに増えてきましたが、当時は珍しい上にインパクトがあったためか、街で運転していると様々な人に﹁これは何という車?﹂と興味深そうによく尋ねられました。
この車を見て、ビュートを購入されたかたも何人か居たり。
エンジンは日産のものですから、走りは全く問題ありません。
車検も日産の工場でできますので維持費も安い。
しいて言えば、初期型はバックライトが下向きに付いていたため、ちょっとした段差があるとバックライトの底部を擦ってしまうという欠点がありました。これは次のマイナーチェンジで上向きに改善されたようです。
こういう乗っていて楽しい車というのは珍しいと思います。
ビュートは3年間愛用し、現在のミニバンに変更するために中古車で売ってしまいました。
︵当時はまだまだ珍しかったためか、売却査定額は購入時と殆ど変わらない価格でした!︶
車は乗り換えてしまいましたが、街でビュートを見かけると思わず微笑んでしまいます。
16年間生産が続いたビュートもついに生産終了。
バンパーが保安基準に適合しなくなったことが理由のようですが、本当に残念です。
以下、光岡自動車のサイトより引用
大企業になることが目標じゃない
納得するまでとことんこだわり続ける
私達のクルマ作りは、
﹁今までに見た事も無いようなクルマ﹂
﹁みんながびっくりするクルマ﹂
﹁日々の生活が楽しくなるクルマ﹂
﹁ワクワクするクルマ﹂
﹁世界が広がるクルマ﹂
などと、常にいろいろな事を考えて企画しデザインを描きます。
紙の上に描かれたデザインを忠実に形にする事は、
限界への挑戦でもあります。
時には、常識では考えられない工法を取り入れる事さえあります。
出来上がった形は、デザインを優先するので大量生産には不向きな形になります。
FRP成形、スチールのたたき出し、溶接、ボディの接合など、全て手作業で行っています。
太陽が降り注ぐ暑い夏でも手で汗を拭い、雪が降り続ける厳しい冬でも、かじかんだ手を温めながら、一台一台クラフトマン︵職人︶の手によって仕上げられていきます。
しかし、そんな時でもクラフトマン︵職人︶の瞳は、少年のように輝いています。
また、私達は﹁質﹂へのこだわりも決して忘れません。
私達が求めている﹁質﹂とは、私達の自分勝手なクルマ作りへの思いに賛同していただき、ユーザーとなってくださった皆様が、購入後数年経った後に
﹁光岡自動車にしてよかった!﹂
と思っていただける﹁質﹂を目標として、これからも﹁質﹂を極め続けていきます。
ミツオカが一味違って見えるのは、こうした遊び心を大切にしている気持ちと、物作りへのこだわりからかもしれません。
こうして誕生するクルマは、技と感性が作り上げた、希少で味わい深い私達の自信作です。
誰もが不可能に思う事でも、それに立ち向かい、もっと楽しいクルマ、もっと夢のあるクルマを。
歴史的な不況の中にあっても、それをものともしない元気な企業のもつ原動力は、こうところにあるのでしょう。
学ぶべきことはたくさんあります。