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2007年10月20日
CMC︵Computer-Mediated Communication︶は、コンピュータを利用したコミュニケーションのことをいいます。特にインターネットの急速な普及とともにその機会は急増しています。
CMCには他の手段によるコミュニケーションと比べて多くの違いを有します。
例えば相手に会ったこともない、あるいは数回しか会ってないのに、CMCではまるで相手を親友のように思えたり、運命の恋人のように感じたりしてのめり込んでしまうこともあります。
なぜCMCがそのような結果をもたらすのかを過去の研究を基に考えてみましょう。
■情報の欠落
CMCにおいては、マルチメディアデータが扱えるという特徴がありますが、現状、情報のやり取りはテキストが中心になって行われています。
このような場では、対面コミュニケーションに比べると顔の表情、態度、声の調子、感情など様々な情報が欠落することは避けられません。
例えば、A・マレービアンは、対面コミュニケーションにおける、相手に自分の意志を伝達する手段の重みづけを実験により、言葉による感情表現7%、声による感情表現38%、表情による感情表現55%と導き出しました。
表情・態度・声の調子は無意識に発信され、相手に伝わります。
仏教用語にある﹁和顔愛語﹂という語句は、﹁和やかな顔﹂と﹁優しい言葉﹂が人間関係を良くするという教えでありますが、お礼を言う場合に満面の笑みを浮かべて﹁ありがとうございました﹂と言う方が、無表情で同じ言葉を言うよりもはるかに有効に伝わるということは想像に難くありません。
このように重要な役割を果たす情報がCMCでは欠落してしまうのです。
■メディア体験の限界
911、アメリカで発生した同時多発テロの映像は、テレビの視聴者に大きな影響を与えました。貿易センタービルが崩壊する映像をライブ中継で見た多くの人は、あたかもテレビゲームの一場面のように感じたのではないでしょうか。
現実のものを非現実的に捉えてしまうという倒錯した状況は、なぜ生じるのでしょうか。
ボードリヤールは、﹁発信者と受信者は、画面の両側にいて決して出会うことが無い。ミサイルや爆弾は両側から飛び交うが、人と人との決闘的な関係は完全に欠落している ﹂と説明しています。
CMCにおいては、その場に居合わせる︵双方向に情報交換ができる︶ことができないという意味で、対面を前提とする現実空間でのコミュニケーションとは決定的に異なるといえます。
■実時間共有の困難性
コミュニケーションは、非言語的情報を含め、その情報を相互に投げあうだけのものではありません。
バーローは、﹁メッセージを伝えると言う行為は、それを発する時点で既に受信者からの作用を受けている ﹂と指摘しました。
対人コミュニケーションは、相手の反応をフィードバックして、それによりメッセージを変更することができます。
このように情報発信者、受信者相互が情報受発信の全てに影響を与えるのが、実時間の共有による対人コミュニケーションの本質ともいえます。同一の時間を共有していなければ、こうした相互作用は成立しないのです。
CMCにおいては、この実時間共有ということが非常に困難であるという問題があります。
■距離感の喪失
現実社会での交流は、日常的に生活する場所という地理的制約要因があります。
CMCによって、物理的な距離の問題は解消されました。
しかし、このことがCMC特有の別の問題を発生させています。
エドワード・ホールは現実空間における親しさによる間合いを密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離のように分類しています。
距離は相互の親近感と密接にかかわっているばかりでなく、コミュニケーション行動に影響を与えるのです。
CMCは、この距離感にゆらぎを生じさせています。CMCでは相手の身体を視認できないばかりでなく、映像や音声が欠落した文字中心の情報に頼らざるを得ません。したがって距離感は主観的なものとなり、各人が一方的に想像するしかなく、それが時に摩擦を生むきっかけにさえなりえます。
■フレーミング
CMCの場で、過熱したやり取りが発生し、感情的な誹謗や揚げ足取りという状況に陥ることが往々にしてあります。
このような状況をフレーミングといいます。
フレーミング状態は、いきなり発生するものではありません。
ある論議の中で、メッセージの表現方法や論議の姿勢などを追及する﹁メタレベル﹂の論争になると、いわゆる荒れた状況になります。
さらに人格攻撃が始まると、どちらかが沈黙するまで応酬が繰り返されてしまいます。
リーは、多くの実証的データを分析した結果、フレーミングは、一対多または多対多の場面で多く発生することを見出しました 。
︵もちろん一対一の場でも発生します︶
フレーミングの場では、その場を共有する人にとっては非常な高揚感をもたらしますが、その場を共有していない人にとっては、そのログを後日見たとしても内容が空虚としか感じられないものです。
つまり、CMCの本質を捉えるためには、実時間を共有して感じることが重要であると言えます。
■匿名による交流
私たちは日常生活において様々な組織に所属し、役割を演じています。それが緊張や圧迫を与える要因になるのならば、別の場へはけ口を求めたくなることも有り得ます。
CMCは、対面コミュニケーションに比べると顔の表情、態度、声の調子、感情など様々な情報が欠落することは先に述べました。
これは、日常生活で属している組織から分離した世界に例えることもできます。
CMCの持つ匿名性が非日常性を可能にし、非日常性によって、あるものにとってはこの上ない居心地の良い空間を生み出しているのでしょう。
けれどもCMCの問題で、匿名性が引き起こす事件が数多く発生していることも事実です。
川浦は、CMC上の匿名について、名前の隠蔽、仮装︵なりすまし︶の2つのタイプがあると説明しました 。
匿名性によって、肯定的に受け入れられる交流形態もあれば、暴力的・犯罪的な行為へつながる側面も持っているのです。
■表現形式の特質
どのようなコミュニケーションでも、独自の用語、隠語があります。
それがCMCにおいては顕著になります。その一例がニュースグループや、巨大匿名掲示板などです。投稿に際して非常に細かいルール付け︵ガイドライン︶がなされており、それに反するものは直ちに避難されます。
略語や顔文字などのルールや、隠語はCMC上に非常に多く見られる特徴の一つです。
以上、ざっと見てきたようにCMCは、対面による﹁情報豊か=リッチな﹂コミュニケーションと比べて多くの特長をもつことが分かりました。
このような手段がもてはやされるということは、人々が直接に親密な関係を作りにくくなったという環境も一因にあるのでしょう。
CMCは、日常社会生活のさまざまな面に多くの影響を及ぼしてきました。
もちろん宗教の布教教化利用においてもその状況は同じであるでしょうし、むしろ宗教とメディアには深いかかわりがあるということに鑑みると、宗教界にどのような問題をもたらし、どのような可能性があるかを考察していくことは重要であると言えましょう。
<以下続く>
参考文献
﹃非言語コミュニケーション﹄A・マレービアン︵西田司 他訳︶聖文社
﹃湾岸戦争は起こらなかった﹄ボードリヤール︵塚原史訳︶紀伊国屋書店
﹃コミュニケーションプロセス﹄D.K.バーロー︵布留武郎・阿久津喜弘訳︶共同出版
﹃Contexts of Computer Mediated Communication﹄Lee,Martin Harvest Wheatheaf
﹃匿名社会と人間関係﹄川浦康至 ﹁心の科学﹂58号