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2006年11月11日
三値論理体系を構築したルカシェビッチ・ポスト・ゲーテル・ハイティングは、三値体系について真と偽の中間に真偽不明と言う中間真理値を加えて体系を構築しました。
これを表にまとめるとこのようになります。
いろいろな三値論理体系 (PDF)
しかし、表を見て分かるとおり、その新しく加わった真偽不明値についての解釈が一意的に定まってはいませんでした。
ここで全ての体系について検証してみましょう。
1‥真 、0‥偽、 1/2‥真偽値不明 とおくと
﹁あした雨が降る︵1/2)か 降らない(1/2)﹂
でありますが、ルカシェビッチ・ポスト・ゲーテル・ハイティングそれぞれの体系について、全て P∨?p = 1/2∨1/2=1/2 となり、命題そのものが真偽値不明であるとの結果が得られます。
<ここで、前回書いたことを振り返ってみましょう>
この命題は排中律の命題です。
すなわち、﹁明日雨が降る﹂か﹁降らないか﹂という個々については真偽値自体は不明でありますが、私たちの思考過程において﹁明日雨が降るか降らない﹂は必ず結果としてどちらかが真となるものであって、命題は真であるとの結果が導かれるはずなのです。
<つまり、どこかが矛盾している???>
このことについて永井成男は次のように分析しています。
﹁彼︵ルカシェビッチ︶は語用論的確証概念と意味論的真理概念とを混同している。この点、直観主義論理学を構想するに際してヘイティングが真理概念と構成可能という語用論概念とを混同したのとまったく共通の誤解である。
したがって、意味論的真理概念から出発する純粋意味論としての形式論理学では三値論理学は成り立たない。
ただ、純粋語用論の視点から、真理でなく真理の認識としての確証を問題とするとき、解釈者xと時間tとに依属・相関的に確証される︵1︶と、反証される︵0︶との中間に、確証も反証もされない第三値︵1/2︶が区別される。それらの概念は意味論的概念でなく語用論的概念である。
したがって、三値論理学は純粋語用論の視点に立つもので、純粋な形式論理学ではない。﹂
﹃哲学的認識の論理﹄ 永井成男 早稲田大学出版部
さて、直観主義はブローウエルにより提唱された数学基礎論上の代表的立場であります。
その源流はカントに認められますが、この派の思想を受け継ぎ、記号論理学的に展開して直観主義論理学としたのがハイティングです。
ここでは数学とは純粋直観により構成されます。
﹁あした雨が降るか降らないかのいずれかである﹂という排中律による思考は、現在時点からみて﹁あした雨が降る﹂というのは、﹁あした雨が降らない﹂という可能性によって非構成的であるとして拒否されてしまうのです。
・・・・・つまり、﹁あした雨が降る﹂という命題をもって﹁あした﹂を構成して示すことができないのです。
﹁あした雨が降る﹂をpとすると、排中律によりpは真か偽のいずれかに還元されます。
?pが矛盾であれば、pが偽であることは不可能となり、排中律によってpは真とならざるを得ません。
これは非構成的思考であって、直観主義的には理論的に正当化されないのです。
すなわち、直観主義においては﹁真﹂という意味論的な概念を拒否して、﹁構成可能﹂な概念で置き換えてしまいます。
﹁あした雨が降ることは真である﹂は﹁あした雨が降るは構成可能である﹂と置き換わるのです。
直観主義とは数学的認識における客観的側面を無視する点で誤解であって、意味論を無視し、﹁真﹂という意味的概念と﹁構成可能﹂な語用的概念を混同しているものだと主張しているのでしょう。
このことを踏まえて、多値論理のあり方について考えていくことにしましょう。
︵ようやく本題へ。以下続く︶