お経って分かりづらいと感じる人は多いと思います。
チンプンカンプンで訳がわからないから”ありがたい”と仰る方も居られるのですが、やはり、どういう内容が書いてあるかを概略でも知っておくことは大切なことだと思います。
曹洞宗のお経は、他の宗派に比べて、『修証義』『遺経』『参同契』『宝鏡三昧』など現代語訳にして読まれるものが多くあります。
それでも、例えば般若心経などは基本の経典である反面、漢文読みをしますから意味が取りづらいですね。
最近は、「超訳」と称して、お経をぐっと身近にしているものも見られるようになりました。
訳によって、表現は様々ですが、自分に一番「しっくり」来る訳を選んでもよいかもしれません。
般若心経「超訳」の事例を2つ挙げてみました。
超訳【般若心経】ブッダ激白!これこそが偉大なる「完全究極叡智」だ!! (『超訳文庫』ver.) あの観音菩薩が「完全究極叡智」という名の修行法を行った時のことを話してあげようか。 彼はその時、ハッキリと見極めたんだな。 人が「我アリ」と考える時に根拠としているのは、結局のところ視聴覚・味覚・触覚・嗅覚の5種類の知覚に他ならないのだけれども、実はそんなものは存在しない、つまり「ゼロ」なのだということを。 彼はそれを悟ることによって、ありとあらゆる苦しみや災いから脱出することに成功したのだ。 シャーリプトラよ、まぁ聞きなさい。 お前が「実在する」と信じているものは、全て「幻」だ。 そしてその「幻」は、まぎれもなく「実在する」のだ! 「実体がない」という状態で「存在」する。 これこそが真実の姿に他ならない。 全ての精神的思考や物理的運動も、また同じことだ。 シャーリプトラよ、わかるかな? 「ゼロ」こそが、世の中のありとあらゆる法則の正体なのだ。 始まらないし、終わりもしない。 汚れないし、きれいにもならない。 増えないし、減りもしない。 そういった見地からしてみれば、様々な感覚とか、それから受けるイメージとか思考とかなんて元から存在しないも同然だ。 目に映る世界から、心の世界まで、ことごとく何もないのだ。 何もわからないバカヤロウなんて存在しないし、バカヤロウがいなくなることもない。 年老いたり死んだりということもなければ、年老いたり死んだりしなくなるということもない。 苦しみも、苦しみの原因も存在しない。 従って、苦しみがなくなることもなければ、苦しみをなくす方法もない。 何も知ることはできないし、どんな修行も成果をあげることはない。 つまり「もはや何も得ることはない」ということだ。 いわゆる菩薩たちは皆、この境地に達している。 何者も、この素晴らしい「完全究極」の悟りを得た連中の心を妨げることはできない。 何も恐れず、一切間違った考えを持つことがない。 これこそまさしく、究極の「オープンマインド」だ。 今も昔も、そしてこれからも、この上なく完璧な悟りを得たといわれる者は、必ずこの「完全究極叡智」を根拠とすること間違いなし! さぁ、今こそ思い知るがよい。 「完全究極叡智」の大いなる言葉を! この言葉は比類なき真実の言葉。 それはありとあらゆる苦しみを取り除くもの。 その効果はバツグンであることを、私が保証する。 さあ、「完全究極叡智」の修行で唱える言葉はこうだ!! やってみなはれ!やってみなはれ! とことんやってみなはれ!! 努力する者たちに、幸多かれ!! | 現代語訳「般若心経」 (ニコニコ動画「初音ミクアレンジ『般若心経ロック』」Ver.) 超スゲェ楽になれる方法を知りたいか? 誰でも幸せに生きる方法のヒントだ もっと力を抜いて楽になるんだ。 苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。 この世は空しいモンだ、 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。 この世は変わり行くモンだ。 苦を楽に変える事だって出来る。 汚れることもありゃ背負い込む事だってある だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。 この世がどれだけいい加減か分ったか? 苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。 見えてるものにこだわるな。 聞こえるものにしがみつくな。 味や香りなんて人それぞれだろ? 何のアテにもなりゃしない。 揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。 それが『無』ってやつさ。 生きてりゃ色々あるさ。 辛いモノを見ないようにするのは難しい。 でも、そんなもんその場に置いていけよ。 先の事は誰にも見えねぇ。 無理して照らそうとしなくていいのさ。 見えない事を愉しめばいいだろ。 それが生きてる実感ってヤツなんだよ。 正しく生きるのは確かに難しいかもな。 でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。 菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。 愉しんで生きる菩薩になれよ。 全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな 適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。 勘違いするなよ。 非情になれって言ってるんじゃねえ。 夢や空想や慈悲の心を忘れるな、 それができりゃ涅槃はどこにだってある。 生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。 心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。 この般若を覚えとけ。短い言葉だ。 意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。 苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。 嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。 今までの前置きは全部忘れても良いぜ。 でも、これだけは覚えとけ。 気が向いたら呟いてみろ。 心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。 いいか、耳かっぽじってよく聞けよ? 『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』 『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』 心配すんな。大丈夫だ。 |
みなさんは、どちらの「超訳」がしっくり来ますか?
左列の「超訳」は、ぶんちん堂さんの『超訳文庫』から引用しました。
『超訳文庫』とは、東西の古典を、きわめて平易な現代語に訳出するネット上の試みです。
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超訳されている仏典・祖録は、【維摩経】【般若心経】【金剛経】【華厳経】【仏教説話】【法華経】【龍樹】【無門関】【碧巌録】【臨済録】【夢中問答】【祖堂集】などなど。
原典と比較対照しながら読むと、とても興味深いものになっています。
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