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今から100年前の1912年3月27日、日本とアメリカの友好親善の証として、日本から約3,000本の桜がアメリカに送られ、ワシントンDCのポトマック河畔に植えられました。
今年は、植樹から100周年、丁度今日がその記念すべき日となっています。
以来、毎年ポトマック河畔の桜は見事な花を咲かせるようになり、日本と同様に桜を愛でる「桜祭り」も開催されています。
今年の桜祭りは100周年記念として3月20日から4月27日まで開催されており、3月25日の開会式には福島県川俣町山木屋地区太鼓クラブや、MISIA、東儀秀樹さんなどが公演を行っています。
また、丁度100年目の日となる3月27日には、AKB48のメンバー(倉持明日香、高城亜樹、高橋みなみ、梅田彩佳、藤江れいな、松井咲子、峯岸みなみ、宮澤佐江、鈴木紫帆里、阿部マリア、市川美織、入山杏奈、川栄李奈、小嶋菜月、高橋朱里、平田梨奈)たちがコンサートを行うことでも話題になっていますね。
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100年前に、アメリカに桜を贈る事業が行われた背景には、アメリカ人紀行作家のエリザ・シドモア女史、アメリカ合衆国農務省のチャールス・L・マーラット博士、農務省植物探検家ディビット・フェアチャイルド博士らの「桜に対する思い」と、それに応えた尾崎行雄東京市長、化学者高峰譲吉氏をはじめとする日本人たちの多大なる貢献がありました。
エリザ・シドモア女史は、1856年生まれ。記者としてアラスカや、中国、ヨーロッパを旅する中で、28歳の時に来日。その中で特に日本の東京・向島で観た桜に心を惹かれ、祖国アメリカにも桜を植樹したいという思いを強く持たれました。
1891年に『日本・人力車旅情(Jinrikisha days in Japan) 』を出版し、「武士道」や「日本の風習」、「桜の名所」などの紹介を欧米に発信しました。
世界共通の言葉となっている「TSUNAMI」という言葉をアメリカに伝え広めたのもエリザ・シドモア女史だそうです。
さらにアメリカ政府にポトマック川河畔への桜植樹を提案する活動を継続していきました。
そのあたりの経緯を詳細に知るには次の本がお薦めです。
『シドモア日本紀行 ー明治の人力車ツアー』(講談社学術文庫) エリザ・R・シドモア (著) 外崎 克久 (翻訳)
『ポトマックの桜 ー津軽の外交官珍田夫妻物語』(サイマル出版会)外崎克久 (著)
実は、これらの著作(あるいは翻訳)をされている外崎克久氏は、私が東京都に入庁2年間、設計課に所属していた時の直属の上司(当時設計係長)でありました。
氏からは、様々なことを学ばせていただきました。
改めて謝意を表したいと思います。
さて、アメリカに初めて日本の桜が試験的に持ち込まれ、植えられたのは1906年のことでした。
フェアチャイルド博士がメリーランド州の自宅庭に植樹を試行、アメリカの気候・土でも根付き、花を咲かせることが分りました。
1909年、桜が花開いたフェアチャイルド博士の庭にシドモア女史、マーラット博士、高峰博士、水野総領事らが集まり、アメリカへの桜植樹の具体的な構想が動き出し、当時都市計画案が完成したばかりのワシントンDCの中の、まだ埋立地で殺風景だったポトマック河畔に大公園を作り、そこに「ニューヨークに桜の並木をつくる」という計画が具体化したのです。
日露戦争終結直後の1909年、東京市の市長であった尾崎行雄氏が日米親善の象徴として、そしてポーツマス条約の仲介をしてくれたアメリカへの感謝の心をして、桜の寄贈を決定します。
ここまでは順調に事が運んだように見えましたが、様々な困難も付きまといました。
1909年秋に横浜港を出港した桜の苗木約2000本は、ワシントンに到着後、カイガラムシやネマトーダなどの病虫害が発生していることがわかり、全ての苗が焼却処分されることとなってしまいました。
(焼却される桜の木 Wikipedia National Cherry Blossom Festival 項より)
これを知った尾崎東京市長は、この失敗を踏まえて、静岡県興津の農商務省農事試験場園芸部において害虫の駆除や苗木づくりの方法について当時の農業技術の粋をあつめ徹底的な調査研究を行いました。
興津の苗木畑では兵庫県産のヤマザクラを台木苗として接木で苗木を増やし、さらに徹底的な管理の下育てられた苗木を青酸ガス燻蒸し、仮植えを繰り返しました。
シドモア女史もこの苗木畑を訪問して成長を見守る中、1912年には病虫害の無い健全な苗木が見事に生長し、東京市の検疫も無事通過しました。
1912年(この年は明治45年・大正元年)2月、約6,000本の桜の苗木が再び横浜港からシアトルに向けて出港しました。
シアトルから貨車でワシントンに到着。アメリカ農務省による検査でも病害虫は全く検出されませんでした。タフト大統領夫人と米国駐在珍田大使夫人によりタイダル・ベイスンの北岸に最初の2本の桜が植樹されたのが3月27日、100年前の今日なのです。
こうして、届けられた苗木のうち半数はワシントンのポトマック河畔に、残りの 半数は「ハドソン・フルトン祭」で樹えられていきました。
ポトマックの桜は、アメリカ人にもこよなく愛され、桜祭りは1935年から開催されています。
途中、日米開戦により、「敵国の桜」として伐採される危機もありましたが、それよりも桜の美しさが勝っていたのでしょう。
伐採しないという判断を下された関係の皆様に感謝いたします。
100年前に植樹された原木は、現在でもまだ200本ほど残っており、桜の子孫たちを含め3,750本の桜が毎年美しい花を咲かせています。
(A grove of cherry trees on the national mall taken during the National Cherry Blossom Festival :Wikipedia National Cherry Blossom Festival 項より)
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昨年は、桜祭り 行事の直前に東日本大震災が発生し、 桜祭り の中で日本支援の行事が行われ、多くの義援金が寄せられました。
日米友好の架け橋となった桜が紡ぐ深い深い縁を感じます。
100年前の丁度この日、ポトマック河畔に植えられた桜は、まもなく満開となります。
今年も美しく花開くことでしょう。
1991年に日本に里帰りしたポトマックのシドモア桜。
横浜外人墓地に眠るシドモアの墓地周辺と、元町交番の前に植えられています。
ポトマックの桜とDNAは同じなので、気候が同じであれば同時期に咲くはずです。
蕾はパンパンに膨れていて、今にも咲き出しそうです。
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